2003年12月母親と訪問した鳥取砂丘

思うようにならぬこと


 不況。ものが売れない。ダムや道路、鉄道、公共建設物をガンガン造ってなんとかなった時代は終わりました。自民党が敗退したのはそのためです。民主党政権で即良くなるわけでもないでしょう。若い人が就職できないのは可哀想で、時代は”人を育成する”ゆとりを失っております。若くない人ならいっそう事態は深刻であり、亭主の暴力に耐えかねて離婚した女性(子持ち)ならば、これこそ社会的に救済してあげなくっちゃいけない。働けなくなったご老人、介護問題・・・介護士の方は激務なのに賃金が安いそうだし、正月休みもクソもなくて一年365日のお仕事ですもんね。暗い世相です。

 自分のことも真剣に考えなくっちゃ。サラリーマン生活もあと7年、女房殿と違ってオヤジ(=自分)は地域社会に縁が薄いし、特別な技能があるわけじゃない。健康にも自信がなくなりました。幸い、たった今現在経済的に困窮することもなく、サラリーマン生活を安閑と過ごしているが、年々お仕事は(精神的体力的技量的に)キツくなりました。2009年は、ほんま青息吐息状態。自分はエラいさんではないが、現場監督的立場であって、それも主力エリアを任せられるような身分じゃないから、少々草臥れオジさんがメンバー配置されるんです。皆、一流大学を出ているし、一生懸命真面目にお仕事していただいております。

 でもね。サラリーマン生活も30年を越え、つくづく思う今日この頃。お仕事の神髄本質ともかく、質やスピード、やりかた、社会環境はどんどん変わります。例えば、やたら元気が良くておしゃべり、行動的、即実行、毒舌といった”ハヤシ・スタイル”は不変だが、昔はメールもケータイも、ファックスもなかったでしょ。パーソナルコンピューターの登場+ネット環境というのは革命的な変化であって、データ解析はとても簡単に、正確に、スピーディになりました。神髄は”解析”であって、その目的は”簡単、正確、スピーディ”のはずなのに、職場内ご近所の草臥れオジさんは少々様子が違う。

 ”パソコンできますワープロできますメールできますエクセル使えます”〜データ流用の意味を理解していないから”清書”の域を出ない、ムダな作業を二重三重にやってしまう。そもそも論としての”解析”ができないことが本質だが、ネットを理解していないし、圧倒的にパソコンのスキルが低い(だから作業が遅い)。”仕事の優先順位がわからない”+”大切な仕事を素早く正確に行うスキルが足りない”〜更に、(自戒も込めて)オジさんは(一般に)謙虚じゃなくて、ヘタに要らぬ過去の些少なる成功体験があるから、自説を曲げない、自分なりのやり方を変えない、絶対に他人に訊かない。中年には虚心坦懐力が必要・・・とはどこかのブログの借用だが、その通りなんです。だから成長できない、使えない。挙げ句、不正ではないが、どーしょーもない不祥事を起こしてしまう。

 ワタシは営業の仕事だから、取引先の都合とか約束遵守、できることとできないことの誠実な返答が必要なんです。これは30年変わらぬ真実でしょう。その上で、ずいぶんとお仕事の質は変わりました。自分のスキルが特別に高いとは思わぬ(だから出世できないとの野次有/したいとも思わぬ、と負け惜しみ)が、職場作業の流れ分析、仕分け(不必要なものの排除)、残した作業の手順合理化を任される立場となりました。ここ2年、凄い抵抗でしたよ(件の草臥れオジさん先頭に/派遣さんに泣かれたこともあります)、なんせ10年スタイルや流れが変わっていないんですから。「音楽日誌」を読み返したら(当然デフォルメしてあるが)2年前引き継ぎ当日に”絶句”しておりますね。その、あまりに非合理的・根性でいきまっせ的作業に。その大改革もすっかり落ち着きました。片鱗も記憶は残っておりません。

 中年はそれなり処世術があって、それで生き残れる人もかつていたんだろうな。我がチーム例のオジさんは、数日前上司に”もうこの仕事はさせられない”と宣告されました。ま、お給料は変わらない良い職場なんだが、閑職に回されるということですよ。プライドずたずた。職場に居場所はない。ココロの病に至らぬよう、不祥事発覚後もそれなりに気を遣ってきたつもりだが、もうアウト、退場宣告・・・新年早々、クダらぬことを書き連ねてしまいました。ごめんなさい。

 ようはするに、「この食堂の味は30年変わらないな」とか「この人はむかしからずっと誠実な仕事ぶりだ」と評される場合、基本的方向はともかく、不断の努力と改善あってこその現在だと思うんです(「音楽日誌」よりベルナルト・ハイティンクを例に)・・・どんどん変わっていないと、変えていかないと、時代に取り残される、ということなんです。真面目に誠実にお仕事した挙げ句、会社が倒産してしまったご同輩に申し訳ないと思わぬか。

 左膝を痛めたのが2009年4月の終わり頃、通った整形外科がヤブで(別医院にて)本格リハビリ開始まで2ヶ月、それを言い訳にスポーツクラブをサボって+暴飲暴食酒浸りの日々。そりゃ体調健康も体重も維持できませんよ。人並みにお仕事ストレスあるし。一昨日から「ボディ・ヒーリング」再開したら、いかに自分が堕落したかしっかり自覚できたし、周りの女性達のきりりと背筋を伸ばした姿勢が眩しかった。お洒落だしね。

 職場内のオヤジを批判したが、他人(ひと)のことは言えぬ。油断すると自分に甘く、ゆるゆるになっちまう。お仕事が思うようにならない、思わぬ天から降ってきたようなトラブルに振り回される、職場で思うようにコトが進まない、不祥事の後始末、尻拭いをさせられる・・・だからこそ人生はオモロい。今月近況の表題「思うようにならぬこと」は、じつはそんな反語であります。自分の(職場内)仕事を選べるような立場にないが、年末、いちおう上司もいる酒席で「現状お仕事担当からの引退」を勝手に宣言いたしました。2年やって、それなり胃袋に穴が空くような艱難辛苦も経験したが、いまや取引先との良好なる関係、職場内での地位も安定しております。もういいじゃないか。あまりに馴染むと、周りも自分も安易なぬるま湯状態になっちまうんじゃないか、そんな思いから。

 まだ、引退には少々時間はあるので、願わくば新しいお仕事にチャレンジすべきと自覚しております。中年には意識的虚心坦懐力増強が必要なんです。カラダも鍛えるぞ!

 吉例、先月(昨年末月)の”ヴェリ・ベスト”。

Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜岩城宏之/メルボルン交響楽団・・・以前「ペトルーシュカ」「アゴン」のCDを所有していたが、この音源は見掛けたことはなかったですね。録音情報不明(鮮明な音質で残響豊か)だが、メルボルン時代だから1974年〜数年後ですかね。有名な「振り間違い事件」がこのオケ、この作品だが、繊細で緻密、粗野ではなく、素直で美しい演奏です。この作品にはもっと、圧巻の威圧感があっても良いのかも知れないが、おとなしすぎて迫力不足、ということでもない。打楽器の使い方はひじょうに上手く、全体として洗練されたサウンドに驚きました。

Messiaen トゥランガリーラ交響曲〜岩城宏之/メルボルン交響楽団/原田節(オンド・マルトノ)/木村かおり(p)(1985年)・・・たしか、岩城夫妻はMessiaenと交流があったし、木村かおりさんはスペシャリストだったと記憶しております。2009年は待望の生演奏を聴けたし、華やかな宝石箱をひっくり返したような作品は大好きです。小澤征爾(1967年録音当時若手)の精密かつ前のめりの勢いに溢れた演奏も素敵だが、こちらヴェテランの余裕、優雅な表現で、音楽の構造が抜群にわかりやすい。二人のソロ(生体験すると理解できるが、実際は多人数の打楽器群が大活躍する)の動きが前面に出ていて、瑞々しくも平易な表現であり、なにより愉しい!けっこういろいろと聴いてきたが、これはヴェリ・ベストじゃないか。オケも絶好調の鳴りっぷり。

Warner 2564 61730-2  6CD1,990円Vaughan Williams 南極交響曲(交響曲第7番)/第3番「田園交響曲」〜アンドルー・デイヴィス/BBC交響楽団/女声合唱団/パトリシア・ロザリオ(s)(1990年〜96年)・・・ワタシはこの作品が大好きで、それはほんの子供時代から。でもね、曖昧で茫洋として混沌、難解な作品に間違いないと考えてまいりました。しかも、このコンビはひときわジミで控えめなサウンドでしょ、ところがっ!精緻なアンサンブル、メリハリはっきりとして、作品の姿が非常に明快です。もともとは映画音楽なんだが、われらがアンドルーはしっかりとした”交響曲”としての構成を作り上げております。ま、サウンドはジミのままなんだが、きらきら表面的ではない色彩がちゃんとあって、こりぁエエ作品だな、と手応えも感動も充分。パトリシア・ロザリオって、目をつぶって聴くとまるで雪女伝説ですね。

Shostakovich 交響曲第13番 変ロ短調「バビ・ヤール」〜ユーリ・テミルカーノフ/ソヴィエット国立アカデミック交響楽団/グレゴリー・セレツネフ(b)(1983年ライヴ)・・・Beeやんとは別な意味で、もっとも苦手とする作曲家だが、今回オークションに自演のピアノ協奏曲を出品したのは、ダブり処分であって、すべてダメというこじゃありません。「バビ・ヤール」は知識としてはちゃんと聴いていて、しかし共感できた試しがない。今回だって出張直前に「テミルカーノフ」10枚組ボックス(2008年1月現相場より1,300円程も高く入手!残念)からテキトーに取り出しただけ。

これが予想外、実際上”初の感銘”ありました!ライヴ故の印象もあるんだろうが、室内楽的な集中力があって大柄な響きを強調しない。チューバの低音があちこち、まるでソロのように出現されて、衝撃的。鬱陶しくも暑苦しくも強面バスと、モノクロ印象の強い男声合唱団にはリズミカルな掛け合いがあって、怪しいノリ有。稀に優しい旋律が登場(第5楽章「出世」に於ける木管や弦)して、その対比に癒されます。妙なユーモアも感じます。

Bruckner 交響曲第8番ハ短調〜ケント・ナガノ/ベルリン・ドイツ交響楽団(2006年)・・・(オケのサイトからダウンロードした.mp3データファイル)無事、4楽章分ファイル分割できて、.wavファイルにデコード、無事自主CD化なりました。音質も良好。先日、シモーネ・ヤングの新鮮きわまりない演奏を聴いたばかりだが、遅めのテンポ設定(CD1枚に収まらない)、イメージとしては巨匠世代の悠然たる味わいに溢れてスケール大きく、オーソドックスな伝統墨守の良さが出ていると思います。ベルリン・ドイツ響は良い意味で洗練されていなくて、いわゆる”独逸の音”がしますね。アンサンブルの集中力はお見事、これはケント・ナガノの統率力なのでしょう。

・・・最終楽章再び。イヤホンで確認すると、さすがに高音の鮮度が落ちている(なんせ.mp3→.wavへ変換してるから)が、中低音はわりと充実しております。1951年生まれ日系亜米利加人指揮者が、所謂独逸的磐石なオーソドックス伝統的な表現、かなりの遅いテンポは壮絶であります。嵐のような感銘有。

ベルリン・ドイツ交響楽団とは旧ベルリン放送交響楽団(西)であって、ギュンター・パッシンの明るく、滑らかで、夢見るようなオーボエの記憶が懐かしい。もう退団したとのことだが、きっと弟子筋が演奏しているんじゃないでしょうか。彼の音色をちょっぴり思い出しました。

(2010年1月1日)


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written by wabisuke hayashi