左膝不調/体重増/人生を愉しまなくっちゃ
サラリーマンとして、市井の住民としての日常生活にリズムが必要です。それは一方では”安易なる慣れ”でもあり、そのリズムを意欲的工夫し、変化させていく努力=ノーミソに汗をかくことも大切なんです。引退近い上司はひたすら上の顔色ばかり見ているが、ワタシへの攻撃はすっかり影を潜めました(理由原因不明)。仕事が厳しいのは当たり前だけれど、ワタシは取引先のことばかり考えているし、常にお仕事工夫合理化を狙ってド残業はしない・・・日々を愉しんで、なんとか速めに引退したい・・・という思いは、全国津々浦々お仕事不如意な人々に失礼な言い種ですよね。
5月GWはわずか一ヶ月前だけれど、ずいぶん昔のように記憶が薄れております。左膝はほぼ完治したと思うが、まだスポーツクラブ通いを再開しておりません。新型インフルエンザが流行って、それと別に自分は(いつもの)風邪をひいちゃいました。ダイエットは全然ダメ/メタボ復活の日々。今更スタイルなど気にしないが、健康には良くないからね。食欲は落ちないが、なにを喰っても旨くない・・・若い頃っておいしかったですよ、どんなものでも、何喰っても。すっかり罰当たり贅沢になっちまった、心身共に健康であること、元気が大切なのは当たり前のこと。
物欲はどんどん薄くなって、先月はとうとうCDは一枚も買っていない。不況の影響か、オークションでの処分速度は落ちているけれど、まだまだ在庫整理は継続します。”所有すること”がキモじゃないんです。人生に音楽を聴ける時間は限られている。CDに限らず、ここ最近欲しいものは思いつかない。テレビ(ディジタル・ハイビジョン)もパソコン(現在女房分含め3台)もある。オーディオだってかなり年代物だけれど、しっかり動いております。やや機能が不充分で時代遅れでも、現役で稼働しているものは捨てられない。新しいものに替えられない。新しいものに無条件の価値を認められない。
”不況”であることは間違いないが、古典的な恐慌とは雰囲気が異なっていて、ハイブリッド車は売れているんですね。買えないことはないが、不要不急なものは安易に買わない、ということなのでしょう。ワタシも廉価盤CDを求めなくなった、というか、自宅に、市場に溢れかえって、あわてて追加入手する必要はない、というか、肝心の聴き手に精神的に集中力が続かなくなって、音楽”ちょろ聴き”ばかりを反省する日々。
● CD購入の意欲は薄れているんだけれど、久々の円高情勢で個人輸入はオモロくなっております。試しに「カラヤン38枚組」を英国アマゾンから輸入したら、送料込みで国内相場より3,000円安く届いた件は先月既に書きました。欲しいターゲットが決まっているのなら、自在に世界から探せるのがネット時代の素晴らしさ。でも、思わぬ出会い、というのは難しい。狭い情報の範囲内で生活すれば、有名著名評価の定まった作品、演奏ばかり聴くようになるのもツマらないですね。
”所有”ではなく、”聴く”ということであれば「NML」というのが時代の流れなんでしょう。ワタシは未だ”補助”として使っているが、もうちょっとオーディオ的な条件を整えればメインに至る可能性は高い。在庫、物流費、タイムラグ、代金決済・・・その辺りをリスク軽減した新しいビジネスモデルだと思います。重い腰を上げたのは、著作隣接件切れのLP音源復刻との出会いでした。ワタシはクラシック音楽マニアの端くれなのだけれど、見たこともない魅力的音源ごろごろと〜ちょうど、ステレオ時代に入る直前1950年代のモノラル音源には、未CD化のものがたくさんあるんです。
● 先月の”ヴェリ・ベスト”。集中力を失って、感動から縁遠い一ヶ月であったかも・・・反省。
●バッハクライス神戸 第3回定期演奏会(2009年5月2日(土))・・・やはりナマの感銘は桁が違う。一生涯にそうなんども聴けない作品でしょうし。
●Ravel 「シェヘラザード」序曲/ラ・ヴァルス/組曲「クープランの墓」/古風なメヌエット/逝ける王女のためのパヴァーヌ/高雅で感傷的なワルツ〜ジャン・マルティノン/パリ管弦楽団(1974年)・・・演奏、音質、ともに最高。カルさと粋な官能とニュアンス漂うが、絶対に雰囲気で聴かせないといった決意。この人はシカゴ交響楽団の指揮者だったんですよ、当時評判いまいちだったみたいだけれど。細部克明であり、曖昧さ皆無な表現。決然としたところのキレの良さ、迫力。Ravel の精密緻密なる旋律の表現の明晰さ。「ラ・ヴァルス」にはそれが同居対比し、「クープラン」に夢見心地のメルヘン有、「古風なメヌエット」の無遠慮なるタッチでぶちこわされる。
「パヴァーヌ」で聴き手を陶酔の渦に叩き込み、いきなり「高雅で感傷的なワルツ」の冒頭で夢からたたき起こされ、困惑のうちに再びメルヘンの世界に連れ出される・・・名人芸。パリ管最高。文句なし。
●Vare'se(アンテグラル=積分/ソプラノと小管弦楽による捧げもの/イオニザシオン=電離など)〜フリードリヒ・チェルハ/アンサンブル・ディ・ライエ/シャーレント(s)(1968年)/Penderecki(エマネイションズ=放射/チェロ・ソナタ/弦楽四重奏曲)〜アロイス・スプリンガー/ルクセンブルク放送管弦楽団/コーホン弦楽四重奏団(1972年)・・・既に15年間くらい?背伸びして購入したVOXの現代物計6枚だけれど、これが信じがたいほどに録音がよろしい。どのパート(とくに多彩なる打楽器群)も鮮明な位置関係、奥行き、立ち上がりを誇って鮮度抜群なんです。旋律の色がない不協和音だから難解だろうが、晦渋ではない。透明なるサウンドが冴え冴えと響き渡るVare'se。ほとんどどれも鮮烈なる名曲ばかり。「イオニザシオン=電離」は一時流行りましたよね。”うぃーん”という低いサイレンみたいのが印象的。ズービン・メータの録音があったし、ストラスブール・パーカッション・アンサンブルの来日公演(1970年代)があったと記憶します。
Pendereckiは、グチャーとした不協和音で塗り固められた不思議なサウンドであり、ま、サスペンス映画のクライマックスのような感じ。ラストの弦楽四重奏曲は、ほとんど弓で弾いていなくて胴体を叩いたり、ピツィカートだったりで、とにかく日常馴染みのないサウンドが新鮮な感触です。こりゃ売り飛ばすわけにいかん。(ジャケット絵も秀逸)
●Beethoven ピアノ協奏曲第4番ト長調〜グレン・グールド/バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(1961年)・・・グレン・グールドはLP時代集めていたんです。(社会人となって初の冬ボーナスでBach のセットを購入した記憶有)Beeやんのピアノ協奏曲も全集購入したが、当時の第4番の印象は”弛緩している”、”バーンスタインのバックが粗い”〜といったところ。ところがっ!結論的に若き日の耳はエエ加減だったのですね。ゆったりめのテンポ、細部描き込みが徹底して繊細、バーンスタインのバックも”粗い”ことはない。静謐であり、清涼であり、沈静してクールな味わいが溢れました。これは独墺系とはまったく異なる個性を堪能可能。オリジナルLP仕様でこれのみ収録、というのも潔い。音質だって悪くない。苦手系作品の印象を払拭できるかも。
●Bruckner 交響曲第8番ハ短調〜ベルナルト・ハイティンク/シュターツカペレ・ドレスデン(2002年ライヴ)・・・まずはゼンパーオーパーの残響は、ドレスデンのクール・ブルー系サウンドをちゃんと伝えている、と評価すべきでしょう。結論的には、”な〜んもせんけんね”方向が極上の結末を生む、といったハイティンクを聴く度に感じる感銘であった、ということです。耳目を驚かす”爆演”賞賛を嘲笑うかのような、粛々とムリのない、作為なき表現。予想通り、記憶通り、期待通りの第3楽章「アダージョ」の天国的な静謐を感銘深く堪能いたしました。
聴き手が弛緩しても、やがて音楽そのものの力によって襟を糺して聴くべき体制に突入。「第8番」をちゃんと聴いたのはずいぶんと久々・・・
(2009年6月1日)
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