Shostakovich 交響曲第13番 変ロ長調「バビ・ヤール」
(ルドルフ・バルシャイ/ケルン放送交響楽団)
Shostakovich
交響曲第13番 変ロ長調「バビ・ヤール」
ルドルフ・バルシャイ/ケルン放送交響楽団/モスクワ・アカデミー合唱団/アレクサシュキン(b)
BRILLIANT 6324−8 2000年録音 11枚組 3,260円で購入したウチの一枚
Shostakovichを楽しむのは、なかなかたいへんです。耳あたりが悪い、旋律が暗い、声楽付きにはロシア方面の言語の壁がある、政治的暗喩が存在する(という説もある)、難解である・・・・とまぁ、これだけ揃えば文句ないでしょ?しかもCDが「高い」〜というのは、ここ最近徐々に緩和されつつあって、その決定版がBRILLIANTのバルシャイ盤。
ただでさえ不景気なのに、こんなズズ暗い音楽なんて聴かなくたって・・・・と思われるかもしれんが、バルシャイだとわかりやすい。なにが?難解さが。嗚呼、この曲、こんな晦渋な音楽だったんだな、ということが細部まで明快に示されて、表現されるのは混沌ではなくて荒れ果てた世界〜しかもピントがピタリとあっていてソフト・フォーカスじゃない。ドキドキします。
醜美の基準なんて時代で変わるし、ここ30年くらいだって数年ごとにコロコロとあっちこっち。(女性ファッションを見よ)この作品、どうも政治的に語られすぎて、ワタシのこども時代、北海道新聞でオーマンディ盤の新録音のジャケットが大きく取り上げられて話題になってしました。きっとそれなりに売れたんじゃないかな?でも、その後、演奏会や録音レパートリーとして定着したとは思えないし、だいたいオーマンディで「政治的」もクソもあったのか、と不思議に思います。
まず、この曲のお勉強をしないといけません。インターネットは便利で、他人の汗をちゃっかり借りられる。(ゴメン)詳細な訳詞、コメントは「http://www.ictnet.ne.jp/〜yoshijun/bomb/bombDSCH.html」で完璧です。「よしぢゅんづ」という素晴らしきサイトより。(後述;残念!リンク切れ)全編、バスと男声合唱というモノクロ的色彩が絶望的に暗い曲だけれど、第1楽章はその極め付き。
バビ・ヤールとはキーウ市北部の町で、1941年9月にドイツ軍が大量のユダヤ人を銃殺したところだそう。でも、日本語訳で内容を見てみると、帝政ロシア時代(おそらくソヴィエット成立後も)止まなかったユダヤ人弾圧に言及している風がある。バスの声質がくぐもって粘着質であるべき(声楽はロシア方面に限ります)だし、内容に相応しく「やや感情的なお経」みたいな旋律に、一般的な美しさを認めるのは不可能に近いと思います。
バルシャイはモスクワ室内管の時代から、アンサンブルの磨き上げには特異な才能を持っていましたね。曲想とは対照的に管弦楽は細部まで明快で洗練されている。(録音もよろしい)シロウト目には強弱しかないように見える無機質な旋律が、じつはほんとうにそうである、とはっきり理解できて、内容と併せて考えるとこれは相応しいものであって、これもひとつの「味」かな、と。(ガイジンさんに豆腐の味がわかるか?みたいな)
第2楽章 「ユーモア」はスケルツォ楽章なんです。厚みのある男声合唱は重量感タップリの軽妙なリズム感、相変わらず無機的な旋律が続いて、もうこれは極限のシニカル。歌詞の内容は難解で、皇帝はユーモアを閉じこめようとしたがダメだった、というような比喩的なもの。バルシャイは切れ味たっぷりで、溌剌とした暗さがうれしい表現でした。
第3楽章「商店で」は、アダージョ楽章かな。これは、おそらく現在では消えたといわれる「ソ連名物買い物大行列」のこと。こんな音楽書けば当局から睨まれますわな。やや不気味な味わいはあるが、伝統的ロシア風旋律がここでは美しくて、ほとんど静かな弦のみが幻想的で、グロッケンシュピール(?ですか)が効果的。ここらのアンサンブルの精緻はバルシャイの独壇場。アクのあるバス(必ずしもアレクサシュキンのせいではない)は、ますますハナに付いて、耳にまとわりつきます。
やがて絶望的な方向に大いに盛り上がって、打楽器の大爆発も悲痛〜って、ほんまに「悲しげで痛そう」〜という音楽なんです。
第4楽章「恐怖」。チューバ?つぶやくような男声合唱が絶望的で、Mahler の第6交響曲から色彩を抜いたような印象的な楽章。金管は復活するが、とにかく暗い。「恐怖はロシアで死のうとしている」から始まる歌詞は、直裁に読めば当局の言論弾圧、スパイの横行を表現しているようであるが、ひねってあって良く理解できません。
ここは相当に緻密な表現が要求されそうな、そうでないと混迷のドツボに落ち込みそうなところです。全体としての濃密で、ある種官能的な味わいは残しながら、細かい旋律部分の精密な再現と爆発はバルシャイの独壇場。録音が鮮明じゃないと、聴き手(ワタシ)はかなり苦労しそうなところでした。
終楽章「出世」。「それでも地球は動いている」といったガリレオ・ガリレイを例にとって、「愚か者とそしられても、真実を明らかにする者こそ真の出世である」〜これも、わかりやすいようでひねりがあって難解きわまりない。旋律はまったく無機的で、感情がないような、ユーモラスだかひょうきんだか、よくワカラン勇壮さで盛り上がります。
よけいな重量感がないこと。脂っこさや、粗々しさとは反対方向のアンサンブルであること。全体としてリリカルでスッキリとして感情移入のない管弦楽。声楽も無表情で歌っているようではあるが、これは歌詞に相応しい、厚みと表情はあって、この対比がおもしろい演奏です。鮮明な録音だけれど、会場の奥行きとか距離感、空気のスケールには欠けていて、平板かも知れません。でも、ツマらない音楽ではない。
言いようもない不安感〜しかも明快な〜これは悲惨な21世紀の始まりにピタリとはまって、別種の感動(?)〜胸の奥のザワつき〜を呼び覚ましてくれました。(2002年3月15日)
【♪ KechiKechi Classics ♪】 ●愉しく、とことん味わって音楽を●
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