●2007年1月某日
どうも睡眠が浅いですね。でも、体調は大丈夫。昨夜第1次締め切りのオークション結果は、”それなり”といったところか。再出品設定しておいたので、残りもぼちぼち売れて下さるとありがたいが。オークションとは別件で、個別申し入れに応えて2件分CD送付。ワタシはよほどじゃないと個別CDに執着ないし、「どーしても!」と熱心に頼まれれば(金額無視で)喜んで下さる人に譲っちゃいます。
昨夜2時間テレビ「松本清張スペシャル 地方紙を買う女」・・・久々歯応えのあるドラマでしたね。なんと言っても内田有紀ちゃんが陰のある役柄で奥行きと存在感たっぷり。汚れ役演れれば一人前ですよ。ワン・パターン演技で食傷気味だった高嶋政伸も新境地じゃないの?筋が凝っていて、警察が一切登場しないし、とうとう有紀ちゃんの犯罪が最後まで露見しないのも、いままでないタイプでしょう。夜の店で作家と犯罪者が偶然に出会う、というのはムリムリな設定なんだけど、それでも全体の筋書きはさすが松本清張!といった重厚なもの。脇役陣も豪華。国分佐智子/千原ジュニアの悪役ぶりがハマっていて、しかも執拗に存在を強調しないのも節度がありました。久々、竹内マリア(同世代)の「告白」がテーマ・ソングに再登場しているのも内容に相応しい。
HMVの発注残分、ぼちぼち入荷していて昨夜CD2枚到着。Holst 組曲「惑星」〜作曲者/ロンドン交響楽団(1926年)・・・収録された時期を考慮すれば、かなり良好な音質だけれど、身を乗り出すほどの演奏でもないか。所謂、よくある”自作自演”風さっぱり淡々とした風情でした。ボウルト/BBC交響楽団(1945年)辺りの貫禄を想像していたら大違い。(フィル・アップ未聴)
Bruckner 交響曲第8番ハ短調〜オイゲン・ヨッフム/コンセルトヘボウ管弦楽団(1984年ライヴ)・・・これは購入10年以上経っている馴染みのボックス(TAHRA TAH162-170)に含まれます。ヨッフム特有の”強靱なる煽り”は影を潜め、コンセルトヘボウ(会場)の豊かな残響に充たされ悠々と息長く、ムリのない晩年のスタイル。79分に及ぶ長大なる作品だけれど、快く、ココロ安らかに一気に最後まで聴き通すこと、可能であります。必ずしも鮮明なる音質とは言い難い(芯が弱い)が、細部の彫琢を云々するのではなく、流れに身を委ねて茫洋たる音楽全体の響きを楽しむような演奏か。この管弦楽団のマイルドな味わいは(いつもながら)出色でした。
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きょうは夕方歯医者だし、ということで馬力を上げて快調に資料を仕上げました。昼から、溜めてしまった公文書(論文類)を読みつつ、大切なところをコピーしたり、関係者に送付したり、と余裕の仕事ぶりであり、更に(相継いで)「先行きの相談事」連絡が入って明後日の商談が埋まりました。そろそろ職場を辞去せん〜と、チームの若者が先週ワタシが作った資料(来年の大切な契約価格)がおかしい、というか、不足してると言うじゃないですか。ん?と、再点検するとたしかにゴッソリ抜けがあって、作業の初歩でミスっている!が、歯医者に行くべきバス時間が迫っている!とにかく、既に送付した関係者にお詫びのみ入れて出発したが、間一髪乗り遅れ!別なバスにて少々徒歩を加えつつ治療予約に間に合いました。嗚呼。
明日、朝一番より広島だし、直帰しようかと考えていたけれど、早々に打ち合わせを切り上げて職場に戻りましょう。ほんまは今日、戻ってやっちまったほうが精神衛生的に良いんだけれど、少し冷静に手順を見直さないと、”間違いの間違い”は許されませんからね。久々、大ちょんぼ。でも、まだ本番(新年度作業)には修正間に合いますから。
長い一ヶ月でしたね。正月はずいぶん昔の出来事のような気がする。2007年はどんな一年になるんでしょうか。
●2007年1月某日
昨夜は急な来客で、酒席有。「はまゆう」は岡山では有名で、酒の種類、ボリューム、価格も充分だけれど、料理の繊細さではどうかな、といったところ。禁断の冷酒ばかり飲んだので、へろへろ、今朝頭痛薬のお世話になっております。オークションは、少しずつ入札が入り始め、本日第1次締め切りとなります。とくにダブり関係が売れてくださるとありがたいな。お仕事は、予算作成作業が予想以上に順調に進み、あとは資料作成のみとなりました。今週は余裕だな。
その”ダブり関係”より、”ダブらない”分(つまり、だからこそ新たに40枚組ボックスを購入した)、Mozart ピアノ協奏曲第8番ハ長調K.246「リュッツォウ」/第9番 変ホ長調K.271「ジュノーム」〜カルメン・ピアッツィーニ(p)/ガントヴァルク/レニングラード・ソロイスツ(1990年?)・・・闊達で歯切れの良いピアノ。健康的で明るい音色、飾りや色づけの少ない表現は瑞々しさに不足しません。とくにこの中期の作品には、浮き立つような愉悦感が溢れました。録音も悪くありません。
本日、「Windows VISTA」発売〜朝刊で知りました。興味ないわけではないが、しばらく様子見だな。我がマシンではパワーが足りないかも知れないし、ドライバの対応も心配なので。
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大きなトラブルが先週発生していて、処理は粛々と終了してお客との信頼関係も損ねていないと思うが、月末伝票を届けに地元取引先へ。先行きの件、少々雑談しつつそのまま帰宅しました。ほんまは歯医者に行こうと思ったんだけれど、詰め物が出来上がるのは明日ということです。先行きの相談が広島からもあって、今週急遽訪問となりました。(明日準備しなくっちゃ)別に悩ましくはないが、難しい宿題ではあります。3月中旬の高知での行事、ほぼ本決まりで調整へ。資料作成は1/4ほどの進行具合・・・明日、なんとか仕上げたいもの。我がチームの「バカス」が大切な共用作業ファイルを破壊して、その非を認めないから思いっきりどやつしけちゃう・・・日常風景也。
楽しみつつ消化している「Mozart 40枚組」は、ピアノ協奏曲第27/1/2番へ。〜カルメン・ピアッツィーニ(p)/ガントヴァルク/レニングラード・ソロイスツ・・・名作変ロ長調K.595では繊細で陰影豊か、静けさが漂う表現が秀逸であり、第1/2番は屈託のない躍動が楽しめます。バックも、奥行きある録音も悪くない。改めて確認したが、このセットにはCD8枚分、ピアノ協奏曲全曲(2台のための作品含む+ロンド2曲)含まれるんですね。素晴らしい。
ピアノ・ソナタも全曲(やはりピアッツィーニ)、ヴァイオリン協奏曲は第1〜5番(ガントヴァルク)、交響曲は全曲収録されていなくて、エルネスト・ブールは第21/25/28/31/33/35〜41番の11曲担当。他様々な演奏家で第13/16/18/19/22/24/30番(+54番K.216)が揃います。抜けは第1〜12、14/17/23/26/27/29/32/34番であって、名曲と呼ばれ人気ある作品が数曲抜けているのは残念だけれど、まずは存分なるボリュームでしょう。
●2007年1月某日
今週は出張なし、予算作成ウィーク+資料作成なのでどーもツマらない。それなりのドラマ(悲劇?喜劇か)は待ちかまえていることでしょう。先々のスケジュール調整でもしましょうか。Yahoo!オークションにばんばん出品してしまって、勢い付いております。アクセス、質問、ウォッチ・リストも順調に増えて、あとは入札を待つのみ。当たり前の事実なんだけど「・・・こんなにCD持っていても聴けないじゃないの」という自覚であります。それと「40枚組」の衝撃かな?HMVでは4,000円だけれど、ワタシは2,980円(税送料込)で購入しました。音楽の”価値”は金額でカウントできないのは真理だろうが、一枚74.5円でっせ。しみじみ、エエ時代になったという感慨深い。ま、あちこち回り道して、辿り着いたからこその感慨ではあるけれど。
Schumann 交響的変奏曲 作品13〜ボリス・ベレゾフスキー(p)(1990年)聴きました。録音当時30歳ですね。多様な旋律の変化と厳格性がいっしょになったような作品であって、ワタシはSchumannが大好き(交響曲除く)。露西亜系の大先輩の硬派硬質なるテイストとは違って、ずっとスムースでキラキラ輝くような柔軟さがあると思います。所謂、これこそが”若さ”か。希望か。
処分絡みで、数年前”オトナ買い”(ごっそり)した、露西亜系音源韓国製「YEDANGCLASSIC」の点検しておりました。(上記ベレゾフスキー盤もそう)半分聴いてねえなぁ・・・珍しい音源満載であり、製品仕様そのものは立派(紙パック二重包装は少々鬱陶しいが)だけれど、コンピレーションが「?」的違和感有な物も多いし、玉石混淆状態中”石”の比率も相当なもの・・・Mahler 交響曲第4番ト長調〜ダヴィッド・オイストラフ/モスクワ・フィルハーモニック/ガリーナ・ヴィシュネフスカヤ(s)(1967年)久々に聴きました。ジャケット写真はロストロポーヴィチ夫妻だけれど、内容と関係ないじゃん!って、ヴィシュネフスカヤつながりか。
オイストラフの指揮はけっこう残っていて、意外と有名な音源・・・だけれど、音質水準(そうひどいものではないが)含め多種多様なるMahler 録音中、個性ある地位を占められるかは少々疑問か?まともでオーソドックス、作品のテイストを損なうものではないにせよ。ヴィシュネフスカヤの気品ある声を聴けるだけでも、幸せと感じるべきでしょう。フィル・アップは交響曲第10番 嬰ヘ長調「アダージョ」〜ロジェストヴェンスキー/ソヴィエット国立放送交響楽団(モスクワ放響のこと?)であって、これはメロディア録音と同じものなのか、それとも同時期のライヴでしょうか。(1963年)妙によそよそしい、しかも粘着質なる演奏。
●2007年1月某日
昨夜は女房と飲み屋へ。今月何回行ったら気が済むんだ?状態で、一方、職場での酒席が随分と減っているので辻褄が合っているような気もします。少々贅沢なご近所店(好みの魚料理系)に(軽く)初訪問してみて、その後更にいつもの安直な焼鳥屋へ。客もいつも同じメンバーで+小学校4年生と1年生の女の子を連れた若いお父さんも来訪。お姉ちゃんがコーラをこぼしてしまって泣いておりました。もうその様子が、愛しいやら切ないやらで胸がいっぱいに・・・ウチのドラ息子はすっかり大きくなっちまって、小さいこどもはほんま可愛いですよ。
先週の演奏会ナマ体験にて馴染みになった感もある、Mendelssohn 交響曲第3番イ短調「スコットランド」/「真夏の夜の夢」(6曲)〜ジェイミ・ラレード/スコットランド室内管弦楽団(1990/85年)拝聴・・・おお、この団体にとっては”ご当地もの”か。さっぱりとした語り口、素直で素朴な響きの演奏であって、Mendelssohnにそうこだわりのないワタシには気持ちよく楽しめました。NIMBUSレーベルのオールスターを動員したような6枚組を購入したのは7年程前?か。同じ作品を多数確保したい、という贔屓でもないのでオークションに出すことにしました。BRILLIANTで一通り入手済みだし、「真夏の夜の夢」なら、もとよりお気に入り故、同曲異演盤たくさん手許にありますもの。
「Mozart 激安40枚」は、ほんまに素晴らしくて、意外と演奏も粒揃い。ヴァイオリン協奏曲第5/4番〜ミヒャエル・ガントヴァルグ(v)/レニングラード・ソロイスツ(am@do classics 01029)・・・素直で流麗な技巧を誇って、屈託のない美しさを誇ります。ピアッツィーニ(p)の協奏曲全集でバックを務めていて、それは1990年の録音だから同時期の収録でしょうか。センスはモダーンで、すいす〜いと楽しげ軽快なる演奏。01030と併せて第1〜5番迄揃います。
Mozart ヴァイオリン・ソナタホ短調K.304/ホ長調K.378(317d)/ホ長調K.454〜ブルーノ・ツヴィッカー(v)/ローゼル・モルツァー(p)(am@do classics 01014)・・・PILZ系音源に盛んに登場するブルーノ・ツヴィッカーは幽霊というか、匿名演奏家だそうです。つまり誰がほんまに演奏しているのかわからない。ま、もとより演奏に知名度など求めたことはないし、顔見知りのヴァイオリニストなど数人しか存在しませんから。ここでの演奏は、驚くべきしっとりとした味わいで瑞々しい。音質だって悪くないですよ。繰り返すが、HMV読者レビューで「マスタリングが素っ気なく、何の工夫も感じられない」というのは?だし、「後は寄せ集めでどうでも良い」とか、皆、無名演奏家には冷たいなぁ。
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演奏会に行って参りました。自宅からクルマで30分ほど、ジャージ姿ですよ。病院のロビーというのは素晴らしい会場ですね。ところが(いつもはしつこく参加確認のメールやら、前夜祭=酒の誘いがあるはずの)コン・マスM医師の姿が見えません。休憩時間に顔見知りのF医師に伺うと「娘さんが亡くなった」とのこと。たしか障碍を抱えていらっしゃったはずで、嗚呼、哀しい。最近、ご不幸が続くなぁ。切ないっす。
件(くだん)のMozart 40枚組中より、フルート四重奏曲第1番ニ長調K.285/第2番ト長調K.285a〜ザルツブルク・ソロイスツ・・・これはフルートの豊かな技量、弦の躍動域の合方も含め一流の演奏です。(スリーブの表記がちょっとおかしいが)引き続き、嬉遊曲第15番 変ロ長調K.287が収録され(これも調性表記が誤っている/ザルツブルク・ソロイスツって、ようワカラン団体名だ)、40分1トラックとはトホホ状態だし第3楽章で「音飛び」もありました。
ヴァイオリン・ソロは若いのかな?溌剌としたテンション高いのは良いが、少々デリカシー不足気味。第2楽章の素敵な変奏曲は素っ気ない表現だけれど、全体としてはけっして”ヘロ”演奏ではありませんでした。充分この名曲を楽しめます。扱いにくいが。(am@do classics 01011)
Mozart クラリネット協奏曲イ長調K.622/交響曲第16番ハ長調K.128/第18番ヘ長調K.130/第22番ハ長調K.162〜エリザベート・ガンター(cl)/ナイトハルト・ベトケ/ピルゼン(プルゼニ)放送交響楽団・・・この演奏家もPILZで馴染みの記憶有。ピルゼン放響はちゃんと実在でして、チェコ共和国東部のビールで有名な街でしょ。ガンターは安定した技巧で、この粛々と落ち着いた作品をしっとりと表現して下さいます。オーケストラは素朴というか、少々痩せ気味で洗練されない響きなのも味わいでしょう。たっぷり収録もありがたい。(am@do classics 01009)
●2007年1月某日
昨日は断続的な雨模様だったが、今朝は好天のようです。これから(いつもの、馴染みの)エアロ・ビクス初心者教室にはちゃんと通うつもり。昨夜、狙いのオークションがあって、たまたま締め切り時間にパソコンを開けていたから2件ほどちょっと競ってみました・・・が、競合相手が本気っぽいので諦め。未だ聴くべきCDは手許にたくさんあるから、ムリすることはないっしょ。こういうのは自分の経済的な余裕の範疇で、楽しみながら、というのが鉄則です。アツくなってはいけんよ。
Ireland 「ロンドン序曲」/Vaughan Williams 交響曲第2番「ロンドン交響曲」〜オウェイン・アーウェル・ヒューズ/フィルハーモニア管弦楽団(1988年)・・・昨日のハイティンク盤が思わぬ感動だったので、一番最初に購入したCDとの比較となります。まず、Ireland 「ロンドン序曲」が珍しい作品であって、ほかではなかなか聴く機会がありません。(バルビローリの1965年録音が存在するらしい)冒頭小太鼓の一打+シンバルの存在感明快で、残響美しくエエ録音ですね。Elgarの「ロンドン」(コケイン)には素直な首都への憧憬が伺えたが、こちらどんよりとした朝の気怠い目覚めから、やはり大都会の活気と喧噪がじわじわと、楽しげにやってきました。中低音がしっかりしているフィルハーモニア管弦楽団って、ほんま、素晴らしい。
交響曲のほうは、(↑以前のコメントともかく)、まず残響豊かな厚みあるサウンドに心奪われます。こんなに瑞々しいザ・フィルハーモニアって(個人的には)ジュリーニ以来じゃないのか?音録りの哲学思想の問題か。昨日のハイティンクとの比較になってしまうが、ややメリハリ不足、テンポの揺れが時にやや恣意的であって、例えばビッグ・ベンの鐘が浮き上がらないのは不満です。でも、立派な演奏に間違いなし。油断すれば全体構成が行方不明になりそうな、けっこう難しい作品と思います。
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ちゃんといつものスポーツクラブへ(女房同行)。その後、ゆっくり居眠りしつつ2時間ドラマ(断続的に)楽しんだのもいつも通り。春日武彦「奇妙な情熱にかられて〜ミニチュア・境界線・贋物・蒐集」(集英社新書)・・・数日前に苦戦して読了した本とはうって変わって、徹頭徹尾ワタシの興味にピタリ!でありました。(内容の軽重に非ず)でもね、これは難物な著作ですよ、きっと。誰にもある些細なるこだわり、ツボがあって、箱庭、盆栽、根付け(現在ならばキーホルダー、ケータイ・ストラップ)〜ここではウィスキーのミニチュアやミニカーに言及されているが、日本人ってそんなの好きですよね。「赤道」には「赤い線」など敷かれてはいないだろうが、その「現場」には興味があるでしょう。高速道路を運転していても、県境にはなんとなく”区切り”をしっかり実感してしまう。
ワタシはCDを(正確には”廉価盤”を)収集(蒐集に非ず・・・おそらく)しているが、同時に”フェイク”(似非製品)も大好きです。ちょっと興味がある同一音源CDを、BOOK・OFFで2枚同時に発見したとするでしょ。正規音源1,000円也と、一方は駅売海賊盤250円・・・ワタシはやはり後者を買っちゃうし、それはたんなる”Kechi”な理由だけじゃないんです。”フェイク”に痺れるんです。安っぽいスリーヴ印刷デザインも好きだし、ちょっと音質がエエ加減なのもたまらない。
小学校高学年の時、担任のサカモト先生が「努力賞」という小さな、ガリ切り(若い人はわかるかな?)の賞状をくれたんです。皆、それが欲しくて一生懸命勉強したり、本を読んだりして、ノートを毎日学校に持参した記憶があります。同級生にカキザキというのがいまして、そいつが「努力賞」の偽造を図ったんですね。別に偽札っぽいものじゃなくて、まだコピーなんてない時代だし、こどもの字でそっくり手書きするんです。誰が見ても偽物だけれど、40年近く経っても記憶が鮮明なほど、それは”ウケ”ました。そんな事例をまざまざと思い起こすような、ちょっと危うい一冊・・・楽しいですよ。
●2007年1月某日
寒いなぁ。ま、例年よりずっと暖かいし、ましてや温暖なる岡山ですから。北海道の厳しい寒さを知っている人間にとっては、こんなん”屁”みたいなもんですよ・・・ということでもなくて、北海道人は暑さはもちろん寒さにも弱いんですよ。あの凍るような世界には戻りたくない。元気良く目覚め、腹筋体操ダイエット朝食(ブラン・シリアル+濃厚野菜ジュースで既に一年以上継続)。サイト定例更新。
Brahms 交響曲第1/4番〜ヴォルフガング・サヴァリッシュ/ロンドン・フィルハーモニー(1991/89年)・・・先日第3番を既に聴いていて(入手は第2番を除く3枚のみ)「立派な演奏だと思うが、まるでオーケストラの編成が小さいような・・・」との少々辛口評価しておりました。昨夜聴いた第1番ハ短調でも似たような印象であって、表現にはったりとか虚飾がない方向には共感するが、ロンドン・フィルとの相性はどうか、もっとふっくらと奥深い、重心の低い響きが欲しいところ、と感じたものです。(録音の個性もありますか?)でもね、続く「ハイドン変奏曲」(1990年)の懇切丁寧、清廉生真面目なる演奏ぶりには少々感銘が深まりました。
今朝聴いた第4番ホ短調(1989年)なら、作品(第2番と並んで相対的なお気に入りです)との相性か、それとも聴き手の馴染み問題か、穏健正統派の表現に(けっこう)胸打たれます。煽ったり、えぐったりしない。濃厚な揺れも、大爆発もないし、どーしてフィラデルフィア管弦楽団じゃないの?的疑問はあるけれど、こういった演奏が長く聴き飽きないのではないかな、とも感じます。フィル・アップは「悲劇的序曲」(1990年)「大学祝典序曲」(1991年)。BRILLIANT全集には購入意欲は沸かなかったけれど、音楽とは出会い(BOOK・OFF@250にて)であります。
神庭重信「こころと体の対話〜精神免疫学の世界」(文春新書)・・・ガンで苦しむ患者に落語で楽しんでいただいたら症状軽快する、という報道を拝見したことがあるけれど、その科学的解明となります。逆に性格とか、ストレスが病気症状の悪化や、発症に深く関わっていることも研究されつつあって、その辺りをわかりやすく、楽しく解明して下さる・・・ことを期待したが残念!ワタシのぼんやりとしたノーミソでは消化しきれない、ちょっと専門的すぎる(部分がかなりある)一冊。内容はとても興味あるし、著者のアメリカ時代の「名医の破顔一笑」に対する深い敬意逸話なんてとても感動するのだけれど・・・ワタシって文系人間で、情緒的なんですね。読了にずいぶんと時間が掛かりました。
では、山口へ。新幹線移動中のCDと書籍を選定しましょう。
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今週は週末休みなので、本日でお仕事終了・・・こんな繰り返しか。週半ばで一日お休みをいただいたけれど。山口の取引先にて顔見知りの女性とご挨拶したが、10日ほど前にご主人が急逝されたとのこと。55歳。残念だなぁ。切ないなぁ。萩原遼「朝鮮と私の旅ノート」(文春文庫)読了。元・赤旗記者、朝鮮言語のスペシャリストであり、歴史、資料、自分の信条に対して真摯であろうとする態度に打たれます。彼は日本共産党を「除籍」されたんですね。(除名に非ず)北朝鮮の悲惨なる現状は誰でも知っているが、おそらくは想像を絶するものなのでしょう。アメリカ・ワシントン国立公文書館の160万頁に及ぶ”秘蔵文書”を読破、分析の結果に朝鮮戦争の真実が明らかになります。彼のサイトは更新されていないようだけれど、元気なんでしょうか。混迷深める歴史認識やら歪曲の現状に、こんな誠実な姿勢を守っている方もいらっしゃるんですね。
Vaughan Williams 交響曲第2番「ロンドン交響曲」〜ベルナルト・ハイティンク/ロンドン・フィルハーモニック(1986年)・・・数種所有して時に愉しんでいるVaunghan Williamsの交響曲全集だけれど、この一枚には痺れましたね。先のBrahms (サヴァリッシュの交響曲)ではブツクサ不満があったが、英国音楽としての相性か、ここでのロンドン・フィルは静謐清廉穏健なる響きがいかにも繊細この上ない。線の細いEMI特有の録音だけれど、ここでは鮮明な解像度を誇ってドキドキもの。第1楽章のビッグベンの気怠い響きに癒され、激昂せず変化の少ない旋律が、粛々、延々と継続いたしました。50分、ゆるゆる、ぼんやり安寧として最高です。
もう一発、ハイティンクを。Wagner 「マイスタージンガー」「パルシファル」「ローエングリン第1幕/第3幕」前奏曲、「トリスタン」〜「前奏曲と愛の死」、「ジークフリート牧歌」〜ベルナルト・ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団(1974/78年 PHILIPS MP-121)・・・こうしてみると10年後の熟成が、さきほどの録音にはっきり聴き取れることに気付きました。ほとんど作為とか、演出とか、技巧とか、そんなことを感じさせない真っ直ぐなる演奏。若い頃のワタシならツマらん演奏じゃ、オモロくないと感じたことでしょう。たった今現在なら、豊かで深い、暖かな管弦楽の響きが素直に表出されて好ましい・・・だからこそ、そんな方向が好ましい。が、彼はその方向のまま深化を続けたのでしょう。
「Wolfgang Amadeus Mozart プレミアム・エディション(40CD)」より、序曲集。「コジ・ファン・トゥッテ」「後宮からの誘拐」「フィガロの結婚」「魔笛」(アルフレッド・ショルツ/ロンドン・フェスティヴァル管弦楽団/ロンドン・フィル)、「皇帝ティトの慈悲」(アントン・ナヌート/リューブリヤナ放送交響楽団)「劇場支配人」「ドン・ジョヴァンニ」(オリヴィエル・ドホナーニ/ブラティスラヴァ歌劇場管弦楽団)/「セレナータ・ノットゥルナ」 ニ長調K.239(アルベルト・リッツィオ/カメラータ・アカデミカ)・・・「フィガロ」は音質、表現もあきらかに様子は異なるし、ショルツ、リッツィオは匿名演奏家でしょう・・・が、音質も悪くないし、いきいきとした表情豊かな躍動はちゃんとあります。「セレナータ」のほうは少々音質粒粗くエエ加減だけれど、それでも名曲に間違いなし。なつかしのPILZ音源です。
ピアノ協奏曲第23番ニ長調K.488/第5番ニ長調K.175/ロンド ニ長調K.382〜カルメン・ピアッツィーニ(p)/ガントヴァルク/レニングラード・ソロイスツ(1990年)・・・細部迄配慮行き届いた、繊細な入念なる表現、ではなくて、飾りのないストレート系、明るい勢いを感じさせる演奏でしょう。テンポだってほとんど揺れない。健康的なMozart 、名曲揃い。
●2007年1月某日
寒いですね。左足太股方面の神経痛はやや軽快へ〜本日は(一日休み分の)諸作業消化、午前中資料作成、昼から内部打ち合わせ+前月のまとめ会議へ。明日は山口行き。ああ、そういえばお給料日だ、あんまり自分には関係ないが。
CDはどんどこ貯まる一方で、未聴CDもかなりあるし、処分すべきCDもあります。(オークションはまったく動きなし)じつは、HMVに発注済納品残がかなりあって、それがなかなか届かない。一番前のは既に半年前注文未入荷というのがあって、こうなりゃ意地ですよ。たった今の現状では、商品到着は遅れたほうが助かります。
昨夜、Weber 序曲集「オベロン」/「ペーター・シュモル」/「精霊の王者」/「プレツィオーザ」/「祝典」〜オトマール・スウィトナー/シュータツカペレ・ベルリン(1974年)久々拝聴。著名なる「オベロン」ともかくほかは珍曲ですな。いやはやこれが、しっとりと瑞々しいオーケストラの響きがマイルド極上でして、作品的にも独逸民衆の素朴、躍動する歌、的感慨深い旋律が自分の好みであったことを思い出しました。今朝、「オベロン」「魔弾の射手」序曲をクーベリック/バイエルン放送交響楽団 (1964年)で追加確認・・・こちらは響きがもっとモダーン、表現的にもストレートでしょう。引き続き、「真夏の夜の夢」序曲も楽しんでおきました。
・・・ここで、初めて気付いたけれど歌劇「魔弾の射手」の全曲を入手したことがない。 かつてFMエア・チェックにて全曲録音(指揮者失念/フォルクオーパーのライヴであった)して楽しんだものだけれど、CDでは出会いがなかったのか。(もちろん廉価で)数少ない全曲馴染みの作品なのに、これはどういうことか。棚中奥より突然出現する可能性ないと言えぬが、この件に限り大丈夫だと思います。機会を狙ってマタチッチ盤入手するか?楽しみ、限りなし。
Haydn ピアノ・ソナタD1/第24/25/29/39番〜小島芳子(fp)(2000年)・・・ここ数日断続的に楽しんでいて、素朴な響き、意外と陰影と変化に富んだ旋律が楽しいものです。馴染みという点別にして、Mozart に負けない魅力と思うんだけれど・・・
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お仕事は順調なのでしょう。一日休んで最終数値締まってみたら、粗利も達成でパーフェクト。これで8ヶ月連続〜文句あるか。でも、チームメンバーの自分勝手な動き(スケジュール)やら、些細なミス隠蔽の”クセ”、自分にとって都合の良い情報のみ取り込んで解釈する行動が気になる。徹底して指導しますよ。見捨てないから説教するんだよ。そう思え。
出品無料オークション諦めて、Yahoo!オークションに戻しました。小金をケチっても仕方がない・・・って、入札もしているから懲りない奴っす。明日、山口。
●2007年1月某日
本日お休み消化。久々に皮膚科に行こうと思ったら、今朝時点休みであることに気付きました。まず、歯医者(歯が欠けたので)へ。歯磨きは一日4回ほど(ていねいに、隅々まで)しているし、定期的に歯医者に診てもらっているし、虫歯はないと思うが。(歯医者も午前中休みとは、たった今気付きました)目医者の方は良いでしょう。最近、小さな字が読みにくくなったが、これは自然現象だから仕方がない。左膝はほぼ復調しているが、左足太股辺りに神経痛が出ております。寒いからか。
昨夜(断続的に)聴いた音楽。Wagner 「タンホイザー」「リエンツィ」序曲/「ローエングリン」第1/3幕前奏曲/「マイスタージンガー」前奏曲/「ヴァルキューレの騎行」/「ジークフリートの死と葬送行進曲」〜クラウス・テンシュテット/ベルリン・フィルハーモニー(1983/83年)・・・テンシュテットは誠実、かつ切羽詰まった緊張感に溢れた指揮者だと思うが、作品の相性があると思います。もちろん、ワタシの嗜好問題があるのは前提として。ベルリン・フィルとのSchubert 交響曲第9番ハ長調には、少々がっかりした記憶もあります。(既に処分済)
このWagnerは良いですね。カラヤンの豊満ゴージャスな響きと対極にある、引き締まって切れ味ある、神経質なベルリン・フィルが楽しめます。暖かく、包容力あるハイティンク盤とも、別な意味で対照的でしょう。ひりひりするような緊張感+優秀なる技量の管弦楽がひとつの個性を生み出して聴き応え有。ロンドン・フィルとのアツき来日公演(1988年だったっけ?ビデオに残している)とも、ずいぶん印象異なります。
(ダブり処分未だメド付かず)Mozart 交響曲第39番 変ホ長調〜エルネスト・ブール/南西ドイツ放送交響楽団(1964年〜1978年とは、ずいぶん粗っぽい録音情報だ)・・・一部の音楽ファンに絶賛される演奏だけれど、そうかな?飾りがなく、冷静でスリムな演奏は立派なものだけれど、愉悦感、面白味みたいなものに(少々)欠けるかも知れません。揺れない、歌わない、正確なMozart 、もちろん色気もない。これもひとつな世界ですな。(CASCADE am@do classics01039)
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ふだん元気いっぱいで、遊んでいるようなお仕事ぶりだけれど、やはり疲れているみたいで終日眠いっす。床屋に行き、買い物をし、二時間ドラマの再放送を眺めながら居眠りしてしまう・・・夕方、歯医者に行くと、二ヶ所歯が新たに欠けているのと、前回詰め物をした奥歯が(再び)取れていて、早めに気付いて良かった。再度通わないといけません。来週は(おそらく)出張予定は入れてなくて、予算作成実務と企画書作りだから、どこかで行けるでしょう。虫歯はないようだけれど、よくサラリーマンが「忙しくて歯医者にも行けない」なんて自慢するのは間違っております。ちゃんと体調管理しないと。
Mozart 交響曲第41番ハ長調「ジュピター」〜エルネスト・ブール/南西ドイツ放送交響楽団・・・先の第39番は誉め言葉になっていなかったが、これは掛け値なしに立派な演奏であって、装飾は少なくても雄壮で呼吸の深い世界を堪能できます。テンポは中庸で揺れはほとんどなく、アンサンブルは優秀、ヴォルフガングを愉しむべきウキウキとした躍動、ノリはちゃんとありました。終楽章の繰り返しの実行はありがたい。(CASCADE am@do classics01040)フィル・アップは第29番イ長調也。
●2007年1月某日
暖冬とはいえ、朝は冷えますね。例年風邪にやられる時期だけれど、大丈夫。職場の予算指標論議で、他チームの様子(というか哲学)が良く理解できて、ああ、こりゃもとより”数値に執着”ねえや、自分の受け持っているお客に対する一体感も、人を育てる意識もない・・・一年ほど前、自分(のチーム)はどん底であり、更に人事異動でとんでもない問題を抱える奴(+最若手)がやってきて、唯一使えそうなメンバーは転出、お客状況も含めもう絶対予算数値行くはずもない状況〜仕方がないから、人材育成と”思い切ったこだわり”で突っ走ったら6月から予算達成して、以降想定外の連続快進撃。出来過ぎ。我らが”チーム・バカス”は、妙な自信を持ち始めて、毎日のお仕事がやや悪慣れ・安易・雑な姿勢が見え隠れするから、厳しく引き締めて掛かりましょう。
もし、来年度もこのままのお仕事だったら、まず引き続き人材育成(メンバーチェンジあるでしょう)、そしてお客の側の事業連帯が遅々として進まぬ現状の”触媒”とならざるを得ないか。常識外の高い成長率予算をクリアするのは至難(言い訳ではなく、事実として不可能でしょう)だけれど、哲学というか、方策の探求とか、アイディアをひねり出す・・・残り多くもないサラリーマン生活だけれど、楽しんで(ノーミソに)汗流したいですね。お仕事は正しく合理化して、肝心なところでの”手抜き”は絶対に許さんよ。
ケーゲル・ボックス内未聴音源確認中。Schenker 「大管弦楽のための風景」〜ヘルベルト・ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団(1975/76年)・・・Webernの「管弦楽のための6つの小品 」作品6を彷彿とさせる、巨魁で破壊的な美しさを誇る11分ほどの作品。キラキラと輝かしく、途中入る電気オルガン?の途切れ途切れの突入も衝撃的。未知の音楽との出会いは幸せです。
Mozart ピアノ・ソナタ第9/12/13/16番〜カルメン・ピアッツィーニ(p)・・・40枚中11枚ほどのダブり(現在処分苦戦中)ものともせず購入した主たる要因が、このピアノ・ソナタ全集であります。明るく、歯切れの良いピアノであって、デリカシーにも不足はない。飾りの少ない表現だし、特別なる美音を誇るわけでもないが、ジワジワ暖かいものが染みこんでくるような、そんなピアノであります。
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午前中、それなりに諸作業を消化、チーム・メンバーの企画書内容のチェック(三度目!)修正指示し、昼前には(昼食経由)取引先へ。和気藹々と(エラいさんと)会議、更に研究会というか、ここ数ヶ月続けている某プロジェクト会議に参加、そのあと、自分の直接のご担当の商談・・・シミジミと近況交換も〜そのままバスにて帰宅いたしました。明日、ぽつんとスケジュールが空いたので、たまりにたまった休日(代休有休)消化しようかな。
先ほど、読みかけの本の一節に「自分でスケジュールを決められないストレス」というのがあって、なるほどなぁ。自分はスケジュール(作業組み立ても、出張も商談日程も、休日出勤も、休みも)を勝手に決められるし、チームメンバーはストレスあるだろう、と想像できます・・・ちょっと反省しなくっちゃ。でも、明日は歯医者で欠けた歯を診てもらいましょ。床屋にも行きたいし。
Beethoven 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」〜ヘルベルト・ケーゲル/ドレスデン・フィルハーモニー(1982/82年録音)・・・第1/2楽章のみ。久々であり、以前のコメント訳のわからんこと書いているが、どんよりとしたオーケストラの響きに乗って、意外と正統派でまともな演奏だ、ということです。でも、ワクワクドキドキせんな。聴き手に集中力が足りません。
●2007年1月某日
寒いですね。それでも例年に比べるとずいぶんとマシか。昨日は久々の演奏会を堪能し、次に行くべき演奏会情報も収集。Bach 、Mozart (「レクイエム」!)は行きたいなぁ・・・昨夜、保守王国・宮崎知事選でそのまんま東氏圧勝の報に驚きました。あとは百戦錬磨のヴェテラン議員揃う議会とどう対峙していくか?けっこう楽しみです。時代は動いているのか、それとも”納豆バブル”(消費者はすぐ飛びついちゃう)の亜種なのか?土日休んだだけなのに、たっぷり長い休暇を取ったような・・・そんな気分の週明けでございます。
ワタシは画像系は苦手としていて、かつて録画した20本ほどのビデオもほとんど見ません。DVDも頂ものが3枚ほどあるのみ・・・音楽は音とのみで集中する、といった習慣だろうし、なんせ安物韓国製テレビでは音質も心許ない・・・ということです。でも、時代はそちらにシフトしているようで、グレート・コンサート(10DVD membran 230122)
某通販でわずか2,000円(税送料込)だったので購入してみました。さっそくDISC-6 Mozart 歌劇「皇帝ティートの慈悲」序曲/ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467〜ミヒャエル・ルディ(p)/クリストフ・エッシャー/スイス・イタリア語放送管弦楽団(1986年)を確認・・・”雰囲気をゆったり”という点で、音声のみとは楽しみ方の方向が異なる、ということですね。貧弱な拙宅テレビ(一応ステレオしかも外部スピーカー)でも、例えばティンパニを叩いている姿と、音がちゃんと(ノーミソ内で)リンクして鳴り響くということです。若手指揮者(クリストフ・エッシャーとは初耳)の力んだ指揮ぶりも、聴衆の満足した笑顔もすべて価値がある。
音声のみのエクストラ・トラックがあるそうで(未聴)だけれど、将来買い換えるであろう画像付きオーディオセットの展望が、ちょっと見えました。細部、演奏解釈を云々じゃなく、演奏会場の空気を感じろ、ということか。
Mahler 交響曲第9番ニ長調〜ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィル(1979年)・・・じつは先週のBOOK・OFF取得物(2枚1.000円。フィル・アップ「浄夜」はダブり)であり、ここ数日間断続的に聴き続け、悩んでいた演奏であります。数日前に聴いたテンシュテットと対極にあるような、耳当たりの良い、極上の仕上げによる美しい、ゴージャスなるアンサンブル。管弦楽の技量になんらの疑念もない、圧倒的にスムースなサウンドに驚かされます。ところが、各楽章を聴き終える度に音楽を止めたくなる。「嗚呼、美しいな・・・」と思っているうちに、飽きてくるんです。それ以上続けて聴けなくなる。4楽章終えるまで、何日も掛かってしまいました。捨て去るような、無視するような、そんな価値の録音ではないでしょう。でも、もう少々悩み続けないといけない録音か。
オークションは未だ動きなし。Yahooに比べると利用者も少ないだろうし、業者がほとんどみたいだし、ワタシは新参者で評価実績「0」ですから。処分できないまま、大物あっという間に到着〜Wolfgang Amadeus Mozart プレミアム・エディション(40CD)・・・これが(さきのDVDといっしょに注文)なんと2,980円。半数ほどダブるが、エルネスト・ブールの交響曲とピアッツィーニの協奏曲に未聴音源が含まれるし、ピアノ・ソナタも聴きたかった・・・という言い訳です。@74.5! (録音情報なし)
さっそく、ホルン協奏曲第1番 KV.412 ニ長調(ヨジェ・ファロウト(hr)/クルト・レーデル/カメラータ・ラバチェンシス)/第2番 K.417 変ホ長調(ヨゼフ・ドクピル(hr)/アルベルト・リッツィオ/モーツァルト・フェスティヴァル管弦楽団〜匿名か?)/第3番 K.447 変ホ長調(ヨジェ・ファロウト(hr)/クルト・レーデル/カメラータ・ラバチェンシス)+オーボエ協奏曲ハ長調 K.285d(314)〜ボゾ・リゲリャ(ob)/クルト・レーデル/カメラータ・ラバチェンシス(CASCADE am@do classics01001)拝聴・・・昔馴染みのPILZ音源じゃないかな?やや音質もバックもぼんやり気味だけれど、ホルンの技量は鮮やかであり、オーボエ(呼び方エエ加減)はいっそう流麗であります。失望するようなヘロ演奏に非ず。
交響曲第13番ヘ長調K.112/協奏交響曲 変ホ長調K.364/「セレナータ・ノットゥルナ」ニ長調K.239〜ハワード・グリフィス/チューリヒ・ストリングス/グースマン(v)/セムラ・グリフィス(va)(CASCADE am@do classics01004)・・・このオーケストラはエドモンド・シュトゥウツで馴染みの団体(チューリヒ室内管弦楽団)ですか?全体に元気がないというか、ソフトに過ぎて弱い印象はあるけれど、ていねいでしっとりとした味わいがあります。個性という点では弱いが、作品を楽しむ上ではこのような素直な表現が好ましいでしょ。
先のリンク先(HMV)の読者レビューは(一部)「?」ですね。「マスタリングが素っ気なく、何の工夫も感じられない」〜これはなにを基準にして、コメントしているんだろう。オリジナルを知っていらっしゃるんだろうか。(PILZCDよりずっとエエ感じだと思うが)オーディオを語れるほどの資格は持ち合わせていないが、ヘルベルト・ケーゲルのセットでも、読者同士での遣り取りあるように、自分のオーディオセットを基準にしちゃいけない(いくら超・高級オーディオでも!)と思います。音源との相性もあるし、なんたって”ナマ”が最大の基準ですから。
では、行ってきます。
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1月度の数値が一応締まって、前年予算とも圧倒的(予測見込通り)達成。職場内他のチームとの比較はもちろん、他の事業所も全国的に数値が厳しくて、非常に目立つ!のは良いが、いよいよ来年度の予算数値指標が出てきて、これが非常識に高い目標出されました。経営的な趣旨は理解できるが、今年度が出来すぎですから。来週一杯まで、予算分解辻褄合わせ作業(うんざり)続きます。体調悪くはないが、ここ数日眠いんです。
「Mozart プレミアム・エディション(40CD)」より「レクイエム」ニ短調K.626〜ヘンドリック・ツィマーマン/オランダ・アルクマール・聖ラウレンス教会合唱学校/北部オランダ少年合唱団/ロブ・ペトリ(s)/ジャン・ブリンク(ct)/ロバート・オーヴァーペルト(t)/ジェラルド・ルーカー(b)(CASCADE am@do classics01012)・・・これは不思議な演奏です。ぱっと聴きスカみたいな感じ。もの凄くオフ・マイクで、弦楽器がほとんど聞こえなくて、頼りない。低音が弱い。しかし、ティンパニ(一人目立っちゃう/でも乱暴ではない)、管楽器とも定位が鮮明で奥行きがちゃんと(うんと)あります。会場のひんやりとした空気を感じるから、もしかして極上の音質かも。
声楽ソロにカウンター・テナー(アルト・パート)が入っているのは珍しいかな?合唱団はプロじゃないかもしれなくて、少年合唱団は音程も少々不安定だし、ソロ陣も器用でも(もちろん)雄弁でもない。まさに技量的には”スカ”っぽいが、敬虔かつ頼りなくも澄んだ情感が支配しました。ぼんやり聴くのには良いんじゃないか。録音データはないが、パソコンでデータを確認すると1995年更新となっておりました。
●2007年1月某日
正月に購入した靴返品(三度ほど使用したら、踵から釘がちょっと盛り上がって不快)したくらいで、無為無策なる休日也。本日は昼から久々の演奏会です。マチネ(本来は朝、午前の意だけれど、転じて昼公演のこと)はありがたいですね。女性とカップルで出掛けるような(本来の、正式な)演奏会ならともかく、単独行では夜は少々出不精になっちゃいます。食事時間も不規則になるし。
東京/広島BOOK・OFFで仕入れたCDを着々と消化して、楽しんでおります。Chopin ノクターン(夜想曲)集(13曲収録)〜クラウディオ・アラウ(p)(1977/78年)・・・1990年頃(以前?)出ていたPHILIPS国内盤(17CD-115 @250)の紙パック仕様も好ましく、中古で見掛ける度購入してきました。独墺系で盤石の貫禄を見せるアラウだけれど、Chopin が彼の主要なレパートリーに入っていることは少々驚きでしょう。かなり音質のよろしくない、1954年の協奏曲録音でも「骨太で、浪漫的な演奏」に痺れたものです。ここでも細部明快で腰の据わった表現は、夜想曲にありがちな楚々として甘美な方向ではなく、あくまで”男性的”であって、しかも素っ気なかったり、粗野になったりしない。安易に揺れ動かないが、鈍重では(もちろん)なく、作品が本来保っている”自然な甘み”がジワジワ表出します。
Vivaldi 協奏曲集 作品8/5-8、10-12〜ベーラ・バンファルヴィ(v)/ブダペスト・ストリングス(1988年)・・・このサイト初期の更新分であって、ずっと再コメントを狙って果たせない驚異の名演奏/録音(適度な残響と臨場感)であります。所謂「和声と創意への試み」〜「四季」の続きであります。NAXOS初期の録音だから(8.550189)もう廃盤かな?と思ったら、ちゃんと現役なんですね。今時流行らない(?)豊かな響きの現代楽器アンサンブルであり、「各パート一人」に絞り込んではいないようだけれど、それなりの小編成なのでしょう。バンファルヴィのソロはクールな表情で瑞々しく、イタリア系の明るく歯切れの良い方向とは異なるが、スムースなる技巧に支えられたクセのない表現が好ましい。現代(いま)風のリズム激しい古楽器アンサンブル(イル・ジャルディーノ・アルモニコとか、エウロパ・ガランテとか)に比べれば、ずっと穏健派で馴染みの躍動・愉悦が広がります。作品旋律の愉しさは、著名なる「四季」に一歩も引けを取らない。
Ravel ピアノ協奏曲ト長調〜エレーヌ・グリモー(p)/ヘスス・ロペス・コボス/ロイヤル・フィルハーモニック(1992年)・・・やたらとアルゲリッチの旧録音(1967年)の鮮烈なるイメージばかり(個人的に)引きずっていて、別嬪ピアニスト・グリモー23歳の若き録音を久々新鮮に堪能しました。特筆すべきは我らがDENONの驚異的な名録音であって、ピアノと伴奏の絶妙なるバランス、自然な残響と奥行き感、位置関係に聴き惚れます。グリモーは才気走った切れ味ではなく、しっとりと慌てず、リキまず、鮮度たっぷりの奥床しさを堪能させて下さいました。技巧的になんらの不備もなく、快速パッセージにも余裕有。嗚呼、気持ちエエ。
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「納豆ダイエットはウソ」〜朝刊一面報道也。ウチの職場も少々影響を受けていて、多大なるお仕事トラブル抱えたものです。名付けて「納豆バブル」〜バブルはいずれ終焉するものであり、作られた似非ブームは長い目で見れば(本来格安な健康的食材である)納豆にも良い影響はありません。店頭では不良在庫を抱えるだろうな。必死に生産したメーカー工場は一段落だろうが、数日分の在庫が残るでしょう。不二家事件もそうだけれど、世の中ウソばっかりだ。千度言うが「コンプライアンス」(法令遵守)は企業活動の基本であって、それ以前に(良い意味での)常識があるでしょうに。それに、あっと言う間に踊らされる消費者も消費者だね。ワタシはこどもの頃からずっと”納豆偏愛者”であって、尿酸値が高いのもそのせいか、と思っているが。
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早朝からヘルベルト・ケーゲルの音源を確認しております。年末に届いたものだけれど、過半がダブっており、完全に同じものはわざわざオークションで処分した上で注文したもの。それでも、コンピレーションの違いで手放せない”ダブり”けっこう有・・・Stravinsky、Mussorgsky、いずれも鮮明な音質、鮮烈非情なる切り口を楽しみました。「カルミナ・ブラーナ」は1974年録音盤にて再確認〜ちょっと大人しいかな?彼にしては。その関連で気付いたことを少々コメント。
ボックスに含まれ、今回初耳の作品であるGOLDMONN(1941年〜)交響曲第1番(1972/73年)〜ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団(1979年)を聴きました。コレ、某読者レビュー(ネット上で偶然発見)で「やかましいだけ」との酷評を受けていた作品です。(だからこそ聴く気になった)「アレグロ・エネルギーコ」「レント」「ヴィーヴォ」の3楽章からなる21分ほどの短い作品であり、サウンドは新鮮多彩であって、抑制と知性が支配する興味深い作品と理解しました。録音も極上。馴染み薄い、自分の経験パターンから外れる音楽(または演奏解釈)を一律に否定する風潮は哀しいものです。
常に新しいものを探して、過去の自分を否定していくこと、これは音楽生活でも、お仕事でもいっしょであります。
●2007年1月某日
昨日、大阪は何年ぶりだろう?どこへ行っても”大阪弁”だらけ。初訪問した大阪ドームはともかく、梅田界隈、長く通勤していた京橋から京阪沿線、すっかり様変わりした大日/門真市駅辺りも含め、まるで”浦島太郎”状態。夕方、通勤時間にぶつかって、人の多さに辟易・・・ワタシゃすっかり田舎者でございます。10数年ぶりかな?樟葉では、目的の場所に迷ってしまってかなりの距離を歩いてしまいました。途中、長く住まいしていた寝屋川/香里園を通過したが、懐かしく当時を思い出しました。京橋の飲み屋街もいっそう草臥れ、枯れ、そしてずいぶんと閉店が目立ちました。(入らなかったが)
Syuzoさんと「ワルティ堂島」にて待ち合わせたが、未だサイト開設前、細々と廉価盤を楽しんでた頃の自分のバックヤードを思い起こしたものです。凝った品揃え、適正な価格(例えば在庫処分、中古でも)に感心する一方、”嗚呼、自分はずいぶんと遠くまで来てしまった・・・”感慨がありました。地方に転勤し、21世紀にはCD相場が暴落し、ネット時代になって”いつでもどこでも”買えるように。@680の「出物」に財布の口が開きません。ああ、それとCDRがたくさんあるんですね。(相場@980)
で、おじさん同士二人、焼酎をしこたま、おいしく飲んでしまいました。隣の若く美しいお姉さんに「ちょっと年齢(とし)行っているけどワシも独身やで!どや」と声を掛けておりました。(もっぱらSyuzoさんが)
増川宏一「伊予小松藩会所日記」(集英社新書)・・・最高です。ほんまもんのリアルな時代劇。現在は西条市に吸収されたが、旧愛媛県小松町付近の「日本一小さな藩」の詳細な文書が残っているんです。武士身分数十人、人口一万人、一万石(実質は半分くらいか)、もちろん城もない、馬(=当時の公用車)はわずか一頭。疲弊する藩財政、給与半減、迫られる借金返済絡みの事件、禁じ手”藩札”の発行、その結果としての大インフレ。江戸時代は現代と大違いの時間がゆったりと流れていたようでもあり、犯罪やら不倫・駆け落ち(重罪)は、現代と違わないところもあります。(口コミの情報浸透はたいしたもの)目明かし・半平の大活躍は、どなたか小説にしていただけないか。
一方で数少ない事例である明治維新まで続いた藩である所以は、善政をを敷いていたからであって、教育に力を入れていたことが分かります。テレビや映画の時代劇では、やたらと人が斬られるけれど、実際はそんなことはなかったそうで、刃傷沙汰は大事件だったんです。
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移動中聴いた音楽。Verdi レクイエム〜フリッツ・ライナー/ウィーン・フィル/ウィーン楽友協会合唱団/レオンタイン・プライス(s)/ロザリンド・エリアス(ms)/ユッシ・ビョルリンク(t)/ジョルジオ・トッツィ(b)(1959年)・・・恐るべき遅いテンポ、重量感、ウィーン・フィルの精細なる静けさ、一転して大爆発する金管のド迫力・・・ロザリンド・エリアスの強靱なる歌唱に背筋が慄然とします。(+「聖歌四篇」〜ズービン・メータ/ロサンゼルス・フィル/ロサンゼルス・マスター・コラール1970年・・・これも立派な演奏)
Brahms 交響曲第3番ヘ長調〜ヴォルガング・サヴァリッシュ/ロンドン・フィルハーモニー(1991年)・・・立派な演奏だと思うが、まるでオーケストラの編成が小さいような、そんな印象の響き。EMI録音特性であり、ロンドン・フィルの個性もあるのでしょう。もっと豊かな、奥行きあるサウンドを望みます。フィル・アップは、Schumann 交響曲第3番 変ホ長調「ライン」〜サヴァリッシュ/シュターツカペレ・ドレスデン(1972年)であって、このオーケストラの奥深い残響に充たされた演奏との比較でも、不利な印象となるでしょう。但し、こちらは茫洋として細部がはっきりしない録音が不備であります。演奏は自然体で、後者のほうがずっと素晴らしい。
(ここでいったんスポーツ・クラブへ行って参ります)
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・・・行って来ました。左膝が少々心配だったが、初心者コースなので痛みはほとんど出ませんでしたね。少々の違和感のみ。膝回りの筋肉を鍛えるしかないので、運動不足が一番いけません。気分は爽快。
昨日、聴いた音楽の続き。Mahler 交響曲第1番ニ長調〜クラウス・テンシュテット/シカゴ交響楽団(1990年ライヴ)・・・これは一期一会的壮絶なる演奏だ。オン・マイクで肌理の粗い録音だし、アンサンブルだって神経質に表面を整えたものとは無縁です。しかし、どんな旋律、パートにも入魂の指示が行き届いて、テンポは揺れ動き、叫び、泣き、詠嘆し・・・シカゴ交響楽団の技量は圧倒的であって、この会場の聴衆は希有な体験をしたと想像されます。これをベストに挙げる音楽ファンの気持ちは理解できますよ。
でもね、もの凄い!素晴らしい!演奏に同意はするが、ワタシの好みではない。もっと自然に生まれてきたような、暖かな、優しい演奏がよろしいな。それにコレ、日常いつもいつも聴くべき、そんなヤワなものじゃないでしょ。このライヴはとくにそうだけれど、テンシュテットのMahler はどれも、聴くたびココロがささくれ立つような痛みを(ズキズキ)感じちゃいます。(EMI TOCE-3321 中古@250)
Sibelius 交響曲第2番ニ長調(1966年)/「フィンランディア」(1965年)/「トゥオネラの白鳥」(1973年)・・・レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック・・・彼の全集は以前から入手したいと考えてきたが、価格がこなれないんですよね。で、BOOK・OFFにて単品@250待望の入手したもの。(SONY SRCR 9209)・・・これはかなり以前からFMで聴いていて、アツく、雄弁、汗と熱気に充満したもの。所謂、北欧の清涼な旅情とは無縁だけれど、こんな方向でも聴けるのが名曲の名曲たる所以か。骨太で暖かいニューヨーク・フィルも集中力があって、アンサンブルの粗さは気になりません。「フィンランディア」も同様。でも、「トゥオネラの白鳥」は少々いただけませんな。
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エミール・ギレリスはお気に入りのピアニストです。BRILLIANTの10枚組欲しいとも思うが、既存手持ち音源とダブるものもあるし、「箱モノ」は棚に残留するという法則もないでもない。(”聴き残し”が必ず出る)でもこの収録中、協奏的作品が聴きたいな、と考えていたら、さすが大阪の中古屋、CD9/10のみバラ@300で売っておりました。素っ気ない紙パックだけれど。
Rachmaninov ピアノ協奏曲第3番ニ短調/Tchaikovsky ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調〜エミール・ギレリス(p)/キリル・コンドラシン/ソヴィエット国立交響楽団(1949年)・・・ポータブルCDプレーヤーで聴いてみたら、”うっへぇ・・・音質悪ぅ”的印象で、帰宅してから部屋のコンポで再確認。いずれ燃えるような強靱演奏で、この際音質云々(途切れ、揺れ)ガマンしてもらって、いかにも露西亜的濃厚剛直さを楽しむべき個性でありました。ややテンポは速め、陰影豊かで夢見るような表情であります。ギレリス33歳の若き日の記録。(コンドラシンは35歳)
●2007年1月某日
昨日は桜が咲きそうな陽気だったが、今朝はまた冷えますね。久々の大阪(4年ぶり?)はちょっと楽しみです。ほとんど視察見学のみだし、同行者所用で単独行動となったので気楽なものです。酒席有。バッファローズの前川投手、無免許、当て逃げで解雇へ。まだ28歳なんだし、再起を目指して欲しい。ジャーナリズムは「無免許/解雇」という目の前の話題にばかり表層をなでないで、息長く”再起”を取材していただきたいもの。「瀬戸内グループ」の「病気腎移植」の件、手続きや情報開示に大きな問題はあったが、一面的な報道一色(悪徳非道医師!?的)はいかがなものか、と思ってきたが、今朝の朝日新聞にてやはり「病気も一緒に移植〜タンパクが出てしまう」との報道有。一時の話題ではなく、当事者には毎日の生活(くらし)があるということです。
自分に直接関係なければ、事実は存在しない、というのではいけませんな。八尾の知的障害者が引き起こした事件も、大多数の社会に溶け込んで生きている人々への偏見を生まないように祈るばかりです。また、献身的に福祉活動をされている方々への逆風にならぬようにも。猟奇的殺人事件が相継ぐので、感覚が麻痺してしまうというか、週刊誌的な話題にばかり話が発展し勝ち(”セレブ妻”の過去なんて、格好の餌食だ)で、肝心なる(ほんまに大切なる)”当事者のその後”(被害者もちろん含む)が忘れ去られるようではダメなんです。
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なんとかサイト定例更新済み。ようやく正月から20日が過ぎようとしていて、(お仕事再会以来)サイト用原稿は一行たりとも進みません。一昨日JRの移動中の聴き残しから、Corelli「クリスマス・コンチェルト」/Marcello オーボエ協奏曲ニ短調(モーリス・ブールグ(ob))/Handel ハープ協奏曲 変ロ長調(リリー・ラスキーヌ(hp))〜ルイ・オーリアコンブ/トゥールーズ室内管弦楽団(1968/1970年)・・・ワタシにとっては懐かしく、そして世間的には既に忘れ去られているコンビの演奏でした。
これが、ぎょっとするほどしっとりウェットな泣き、ヴィヴラートたっぷりで、カラヤンもびっくり!〜雰囲気で聴かせる”前時代的”節回しスタイルであって、嗚呼、なんて自分は遠くまで来てしまった!感慨深いものであります。ゆるゆるとした曖昧なる(穏健な?)腰のないリズムとアンサンブル、楽章ラスト駄目押しのルバート、金属的なチェンバロの響き・・・美しく、瑞々しく、耳当たりも悪くないが、絶滅したスタイル。往年の名作映画みたい。貴重品。怖いもの見たさ、みたいな感じで(ニヤニヤしつつ)数回楽しんでおります。とくにリリー・ラスキーヌの明快なるハープ・ソロには感銘を受けました。
きっとLP時代はこの3曲分くらいの収録で(それも悪くないか)、CDコンピレーションならばBach ヴァイオリン協奏曲第2番 変ホ長調BWV1042(ツィマーマン(v)/テイト/イギリス室内管弦楽団1988年)+Haydn トランペット協奏曲 変ホ長調(アンドレ(tp)/ムーティ/フィルハーモニア管弦楽団1984年)が含まれます。ちょっとムリムリだけれど、後者はワタシのお気に入り作品であり、モーリス・アンドレのスムース(過ぎる)妙技が楽しめます。(EMI HCD-1542@250)
苦手系作品でも@250ならば冒険トライヤルしたくなる〜Prokofiev 交響曲第1番ニ長調「古典」/第5番 変ロ長調〜アンドレ・プレヴィン/ロンドン交響楽団(1977/74年)・・・結論的に、この時期(1968年-1979年)ロンドン交響楽団は、モントゥー時代(1960年-1964年)の黄金時代の再来を迎えているという事実であります。明快平易清潔であり、リキみとか強面な場面一切なしだけれど、弱さや薄さは感じさせない。(「古典」ともかく)やや”ウケ狙い”っぽい第5番をここまで楽しげに、表情豊かに”歌”を感じさせて下さったのは初体験。カラヤン(1968年)で出会ったのがよろしくなかったのか?(CD処分済)上品なリズム感も録音も極上也。(EMI TOCE-8909)
●2007年1月某日
昨日朝、女房お仕事休み、ということで職場まで送ってもらいました。十数分〜これが地方都市の良いところですな。昨夜夜9時前に高知到着、それから飲んだからちょっと遅くなったが、今朝はいつもと同様早朝に起床(腹筋運動+αも)ホテル付属の「長岡温泉龍馬の湯」(塩素臭いのは仕方がない)にひとりゆったり入浴。良いホテルですね。空気清浄機+加湿器付き。これから午前中一件商談(ま、顔見世ご挨拶相談に乗りに行くようなもの)、視察一件、そして職場戻り。昨日は出発前の時間もやや余裕で数件懸案事項消化、高松に行こうと思ったら瀬戸大橋上貨物車両事故で不通との情報が・・・ああ、もうきょうはやんぴ!だ、とキモチ的に切れたところで「回復」との知らせがあり、あわてて出掛けました。予定通り、商談、会議出席〜徳島へ移動。心身ともに元気、大丈夫。
小長谷正明「神経内科〜頭痛からパーキンソン病まで」(岩波新書)・・・たった今現在左膝(1999年に靭帯を一本切ったままなので)の違和感に(少々)悩まされているが、ま、日常行動行為になんらの異常もないのは助かります。あちこちの神経の病(精神の病に非ず)をド・シロウトにもわかりやすく、しかも詳細に豊富な実例(自らの病例も!「顔面神経麻痺」〜自らその論文を執筆したばかりだったという)を元に語ります。文章表現は絶妙で、各章ごとに「オチ」はいったいいくつあるのかっ!浅薄なる「オヤジギャグ」(駄洒落)水準じゃないですよ、ビミョーな話題論点のズレとか誤解がとても楽しい。かなり高度で柔らかい知性でっせ、コレ。筋萎縮性側索硬化症、筋ジストロフィーなど、悲惨な難病症状には息を飲む思い。医療研究の深化、治療薬の開発を心より望む。
この本、売れたんですね。1995年3月第1刷(内容はまったく現役)、そしてこの本は同年12月第8刷発行ですから。
今週、日曜日久々の演奏会に招待されていて、その予習として、Mendelssohn聴きました。交響曲第3番イ短調「スコットランド」(1964年)/交響曲第4番イ長調「イタリア」(1958年)〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルで楽しみました。購入一年以上経って、数回聴いたけれどピン!と来なかったのは主に録音問題(乾いてオン・マイク)でした。浪漫派(後期を除く)の交響曲はやや苦手、という意識もありました。で、この度イヤホンでしっかり集中すると、骨太濃厚で明るい響きが楽しめます。音質的にも(やや奥行き不足ながら)そう違和感はない。ほの暗い作品だけれど、暗鬱であってはならない。やや腰の据わらない演奏だけれど、熱気もあって(ここでは)アンサンブルの粗さもさほどではない。「イタリア」のほうは、ひたすら荒削りなる若い勢い爆発!の馴染み演奏でした。
Dvora'k/Saint-Sae"ns チェロ協奏曲〜ロストロポーヴィチ(vc)/ジュリーニ/ロンドン・フィルハーモニー(1977年)・・・散々聴いているお気に入り作品であり、カラヤンとの1968年録音の印象は鮮烈でした。ジュリーニとの録音は初耳。想像通りの演奏であって、音質もあまりよろしくない(例の如しの奥行き、空間、低音不足)。ジュリーニのバックはゆったりと横流れに歌うもので、いつになく燃えていたカラヤン(盤)の興奮とはエラい違いですな。ロストロポーヴィチの鮮やか、セクシーな技巧に文句なしだけれど、全体として”静”の演奏でしょう。盛り上がりに欠ける、みたいな論評もあるようだけれど、ワタシは日常聴きとして楽しむべき完成度の高い演奏と感じました。Saint-Sae"nsも同様の方向だけれど、これはストリャーロフ盤(1953年)の感銘に及ばないか。
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少々疲れを感じ、予定変更して、職場に連絡入れて(いちおう緊急の用事はないと判断)そのまま帰宅しました。明日、いったん職場に寄って(所用消化して)から大阪へ行きましょう。まだ聴くべきCDはあるが、ネットを眺めていると欲しいCD有〜音楽への意欲と”購入浴”はリンクしているようで、ま、経済的なムリは絶対にしないが、まず処分だよなぁ、と思い立ちました。Yahoo!オークションは些少とはいえ、毎月の経費とか出品料が掛かるのでもう止めました。なるべく経費を掛けないようなところはないだろうか、と探したら「MUSIC Field」というのを発見。これは「落札成ったら3%経費」のみなんです。でも、全般に相場高くて、入札は少ないみたい。
試しに出品してみました。さて、どーなるか?
●2007年1月某日
早朝(常識的な範囲で)覚醒、起床。本日明日の出張は前半戦、公共交通機関使用なので音楽+読書可能〜CD書籍の選定をしないと。左膝はそうひどくもないかな?出勤時職場8階まで(今年より)歩くようにしているが、その時に状況判断できるでしょう。
昨夜気付いたこと。Lisztはあまり得意な作曲家ではなくて、それでも小学生の時から聴いているピアノ協奏曲第1番 変ホ長調(当時はアントンルモン盤)は、昔馴染みではあります。その後、リヒテルの壮絶な演奏に仰け反ってからは、それなりお気に入り作品に・・・今月もリパッティの針音盛大なる演奏を(けっこう)楽しんだものです。そのCENTURIONCLASSICS(10枚組1,990円)には、更に同曲でアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ/アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団(1939年)も含まれます。これがどうも怪しい。
もちろん音質も相当に怪しいが、演奏そのものは例の甘美濃密なる集中力と強烈な技巧を誇って、リヒテルとはまた別種の(あちらは硬派硬質ギンギン)感動深いもの。じつはコレ、ERMITGE 「The unknown Recordings」(ERM 183-2)に含まれる音源と同じじゃないか。(DOCUMENTS復刻10枚組ボックス2種には含まれず)ERMITGE盤のほうが音質かなりマシだけれど、そちらには第1楽章前半が欠損しております。
ところがCENTURIONCLASSICS盤では、ちゃんと第1楽章から始まっていて、それはそれでありがたいことだけれど、トラック二つ目がERMITGE盤第1楽章(欠損有)とほぼ同一タイミング。もしかして冒頭欠損分をどこかから持ち込んで埋めたのでは?音質も微妙に様子違うし。それとも10年経過で新たな音源発掘があったのか?いずれ、けっこう楽しんだ演奏だけれど。ついでにSchumann「ゲノヴェーヴァ」序曲〜アンセルメ/パリ音楽院管弦楽団(1947年)も楽しみました。比較対照の印象もあるが、目が覚めるほど音質良好だし、やや馴染み薄い作品の(ヴィルトナー盤1992年録音で十数年の付き合いなのに!旋律忘れていた、というべきか)ほの暗い浪漫漂う美しい旋律を堪能したものです。
もう一発(昨日聴いた)Liszt関連で交響詩「前奏曲」〜リッカルド・ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団(1983年)・・・この作品も先のピアノ協奏曲同様、こどもの頃からの馴染み也(カラヤン/ベルリン・フィル)。数年前、学生さんのオーケストラで連続聴きして少々食傷気味、嗚呼、やっぱりLisztは苦手かな、と敬遠傾向〜久々の聴取でした。これが(「展覧会の絵」「火の鳥」同様)オーケストラがとても美しい!オーマンディ時代同様の技量を維持しつつ、ムーティの表現なのか、録音印象か、もっとスリムな引き締まった印象が支配して、なにより各パートは極上に、清潔に鳴り渡って、それを聴くだけで感銘深い。もちろん、細部入念なる描き込みも凄いけど。どんより重くなく、明るい表情が爽快。
昨夜、慌ててStravinsky 「春の祭典」(1978年)第1部のみ再確認したが、緻密さ、軽快、明快、リズム切れ味の強烈さが同居して同様の感銘を受けました。こりゃムーティ再発見だな、Scriabinは購入したままちゃんと聴いていなかった(大反省)し、Tchaikovskyの交響曲全集は”買い”かもしれない。
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昨日、新幹線+在来線移動中聴いた音楽の追加。Mozart ヴァイオリン・ソナタ第34番 変ロ長調K.378〜アルテュール・グリュミオー(v)/ワルター・クリーン(p)(1982年)・・・これほど高貴なヴァイオリンは聴いたことがない。楽器を弾いている、のではなく、音楽が泉の底から沸き上がってくる、そんな自然体。/弦楽四重奏曲第17番 変ロ長調K.458「狩」〜グァルネリ弦楽四重奏団(1988年)・・・ぱりっとした味わいの現代的演奏。ちゃんと躍動しております。/オーボエ四重奏曲ヘ長調K.370〜ハインツ・ホリガー(ob)/オルランド弦楽四重奏団(1984年)・・・なんという天衣無縫なるオーボエの軽妙さ、自在。無条件幸福。(以上PHILIPS HT-149)所謂(いわゆる)名曲全集中”コンピレーション盤”だけれど、ちゃんとCD一枚分、ひとつの宇宙として成り立っております。
●2007年1月某日
不二家社長辞任へ〜ヴェテラン(パート)社員個人の判断だけでこんな滅茶苦茶はできるはずもないし、仮にそうだったらいっそう、企業体質としては危ういものを感じます。2000年の雪印事件からいったいなにを学んだのか?その後の”ライブドア”事件でもそうだけれど、コンプライアンス(法令遵守)というのは企業の生命線でしょう。なにによらずありがちだけれど、狭い組織内での視野に落ち込むと”カルト”(内部のみの特殊な常識)になってしまって、世の中との整合性が取れなくなるんです。ペコちゃんともお別れかな?残念。他の食品会社への波及(内部告発)があるかも知れない。生命線を切った企業は消えるしかない。
Beethoven ピアノ・ソナタ第21番ハ長調「ワルトシュタイン」〜ウィルヘルム・ケンプ(p)(1964年)・・・技巧の冴えを聴くべき演奏ではなく、明快で優しい語り口、威圧感やら強面方面ではない。リリカルであり、落ち着いた味わいもある。苦手系の作品群だけれど、最終楽章の昂揚連続には浮き立つような気分にさせられました。昨日の「プラハ」の続き、Mahler 交響曲第4番ト長調〜ブルーノ・ワルター/ウィーン・フィル(1955年ライヴ)・・・変幻自在なるテンポ、表情の変化、という意味ではメンゲルベルクを連想させる(濃い味個性としてはぴかいち!)が、もっと流れが自然で包み込むように優雅、暖かさも有。ヒルデ・ギューデンの歌は「天国的」と評するに相応しい味わいも、色気もあります。音質問題さておき、かつて聴いた中でのヴェリ・ベストを争う、味わい深さでありました。
さて、これからいつもより30分早く出て広島行き。通常商談とちょっとした行事対応です。準備不足っぽいが、チームの連中は上手く乗り切ってくれるか?昨日も「バカス」(馬鹿でカスの意)全開状況だったが。明日からタイトな出張なので、早々に帰宅するつもり・・・トラブル処理発生しなければ。
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朝一番より広島の取引先へ。通常商談+昼休みを使った試食会もまずまずの成果を上げたが、チーム・メンバーの組織的な動きが出来ていないことに不満有。一人は通常商談の約束を取れず(なにしに広島迄来た?)、もう一人は試食準備に間に合わないのはともかく、試食本番にも遅れるとはどういう発想をしているのか。エエ加減にせい!・・・階段で油断して、一歩踏み外し、7年ほど前に痛めた左膝に衝撃〜違和感あります。風は冷えているものの、北国に比べればたいしたことはないが、風呂でよく暖めて膏薬でも貼っておきましょう。痛みはないが、”違和感”というか左膝がガクガクする。
・・・てなことブツクサ言いつつ、BOOK・OFF広島大手町店へ。久々訪問の期待に応えた素晴らしい品揃えでしたね。先週、東京で購入したばかりなのに、またまたCDそれなりの数量購入・・・酔狂だけれど、自分なりの言い訳(ドラマ/ノスタルジー)がちゃんとあるんですよ、一枚一枚に。サイト原稿ネタにできるくらい。例えば・・・
Stravinsky 三大バレエ「春の祭典」「ペトルーシュカ」「火の鳥」(これは組曲でも全曲でも)・・・これを揃えることはLP時代からお気に入りでした。たしか、モントゥーのLP2枚組(+「シェヘラザード」)2,000円で出たときに驚喜して購入した記憶有。これがワタシの刷り込みです。21世紀に至って、それは贅沢でもなんでもなくなったし、数セット棚中にあるはず。それでも安く見掛ければ欲しい!既にリッカルド・ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団による「春の祭典」(1978年)「ペトルーシュカ」(1947年版1981年)は@250年にて購入済み(EMI HCD-1147)だけれど、その直後、BRILLIANTで2枚組が格安で出たでしょ?マリナーの「プルチネルラ」はガマンするけど、「火の鳥」は聴きたいなぁ、と悩んでおりました。でも、(いくら安くても)そうそうダブり買いできませんよ。
で、本日「火の鳥」(1919年版1978年)+「展覧会の絵」(1978年)+「前奏曲」(1982/83年)〜ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団(EMI HCD-1531)@250にて入手。名匠オーマンディが、フィラデルフィア管弦楽団のあとを託したのが若きムーティであり、当時37歳の俊英でした。「展覧会の絵」はFMで何度も聴いたものです。(先週エド・デ・ワールト盤を購入したばかりなのに!)いやぁ、滅茶苦茶上手いオーケストラですねぇ。テンション高く、引き締まって輝かしいアンサンブルが眩しいくらい。そして繊細で切れ味もある。「火の鳥」では「王女達のロンド」(木管の深い響きに痺れます)、「カスチェイ王魔の踊り」(金管のスムースで輝かしいこと!)、「子守歌」(弦楽器のシルクの衣擦れのようなサウンド・・・)〜つまり、フィラデルフィア・サウンド全開なんです。全曲録音欲しかったなぁ。録音も最高っす(音量レベル低くて、線も細いが)。これで2枚計500円!揃い、とは。夢みたい。
行きの新幹線中、Bach を聴きました。前奏曲とフーガ ハ長調 BWV531/ニ長調 BWV532/ホ短調 BWV533/ヘ短調 BWV534/ト短調 BWV535/イ長調 BWV536/ト長調 BWV541/イ短調 BWV543〜ヘルムート・ヴァルヒャ(or)・・・1950/52年のモノラル録音。これはホンマ凄い全集出て下さいましたよ。読者レビューにもあるが”誠実”、”峻厳”そのもの。色彩のないオルガンのはずが、脳裏には敬虔な歌声さえ響いて、知的にも生理的にも深い感動がひたひた押し寄せます。あまりの厳しさに、聴き手は背筋を伸ばして対峙せざるを得ないから、そうそう安易に聴けないんです。ま、ヴァルヒャに限らないが(シュトックマイヤーの全集も安く出ているし)Bach のオルガン作品はいつ、どれを聴いても、同様の感慨が押し寄せます。嗚呼、朝から緊張した。
帰り、Sibelius 交響曲第1番/第4番〜コリン・デイヴィス/ボストン交響楽団(1976年)聴いてきました。本日購入したもので、既に第3/6/7番+ヴァイオリン協奏曲ニ短調の2枚組は(2005年950円にて国内盤PHCP-9283-4/446 160-2)入手済み。で、BOOK・OFFにあったのはハングル文字も床しい韓国製(DP 3543/446 157-2/+第2/5番)であって1,000円也。CDというフォーマットは万国共通だから、どこの制作でもかまわないんです。ムーティとほぼ同時期、アメリカ東海岸方面のオーケストラだけれどサウンドはまったく異なります。そりゃ、作品も指揮者も、オーケストラも録音もちゃいますから。
録音印象もあるのか、とても地味であって、洗練されない、鈍い輝きを放つような中低音に重心のあるサウンド。先日聴いた、ガラグリ/ドレスデン・フィルに比べれば、ボストン交響楽団の技量は安定していて、厚みもスケールも充分、優しさだってちゃんとあります。金管の重量感は特筆されるべきものであって、この雰囲気は”荒涼たるSibelius ”に(いかにも)似つかわしいが、太陽は高く昇らない・・・そんな感じか。でも、嫌いじゃないですよ、こんな方向。第4番イ短調は、作品故かいっそう気分が晴れないような、ちょうど(本日)薄ら寒い雨模様に似合っておりました。(第2番ダブり所有の記憶あるが、棚中にないところを見るとオークションで処分済みか?300円だったかな)
明日、早朝出勤資料印刷メール点検即JRで高松行き、商談+会議終了後徳島に移動、商談一発。夜、高知へ移動(泊)、翌日商談〜岡山事務所戻りのハード・スケジュール(自分で組んだんだから・・・)です。
●2007年1月某日
土曜(半日)出勤したワリに「しっかり、休んだ」感触あります。一方で当面の宿題はかなり消化しているので、お仕事(よろしくない意味での)切迫感も薄い。寒いが、今週も頑張りまっしょい。スケジュール盛り沢山です。タイトでもあります。体調OK。
昨日のR.Strauss 〜オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団ラストまで。「腰がなくて、低音が弱く、奥行きが薄い、時に響きが濁る」・・・というのは(やや)言い過ぎでした・・・が、やはり好みの方向の音質ではないのはたしか。明快で悠然たる余裕の姿勢+フィルハーモニア管弦楽団の明るく、素直な響きがマッチして、この人の演奏はいつも立派!と思います。「死と変容」には、厳しさと激しさを感じました。
Tchaikovsky ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調〜ヴァン・クライバーン(p)/キリル・コンドラシン/RCA交響楽団(1958年)・・・かつては苦手系代表だったTchaikovskyも、いまや好んで聴くように心情嗜好変化しつつあります。この作品も然り。リヒテル/ムラヴィンスキーが(小学生だった)ワタシの出会いだけれど、いかんせん音質的に少々難有。クライバーンの大ベストセラーを聴いたのもその2年後くらい?で、明るく希望に溢れた若者のタッチに驚いたものです。やや残響不足だけれど、明快かつ腰のある音質極めて優秀。
滋味だとか、陰影、緩急自在なワザとは無縁だけれど、そんなことを一切感じさせない勢いとテクニック、そしてデリカシーにも欠けていない。キラキラ輝くように破顔一笑!的聴き手をも笑顔に導く幸せなマジック。コンドラシンは(おそらくはニューヨークの録音用オーケストラを率いて、これも)明るく、骨太で躍動するバックを実現しております。
Bach カンタータ第147番「心と口と行いと生きざまもて」〜ペーテル・ヤン・リューシンク/オランダ・バッハ・コレギウム/オランダ少年合唱団/ルース・ホルトン(s)/シツェ・ブヴァルダ(ct)/クヌト・ショホ(t)/バス・ラムセラール(b)(2000年)・・・文句なしの有名作品であり、名曲中の名曲。やや一気粗製濫造気味の全集録音であり、アンサンブルの仕上げに難有、かもしれないが、ワタシは(おそらくは演奏問わず)時にこの全集を取り出すたび、心洗われ、居住まいを糺し、清廉なる深い感動に充たされたものです。古楽器アンサンブルは素朴に過ぎ、技術的洗練の不足、少年合唱団の不安定なる音程、ブヴァルダの個性がきつすぎるソロ(ワタシは好みだけれど)・・・そんなことは本質ではない。
無神論者であるワタシでさえ、神々しいものに対する畏敬を念を抱かせる高貴な音楽。ヴァイオリン・ソロ、ポジティヴ・オルガンの暖かい音色。ルース・ホルトン(s)の気高い歌には痺れました。著名なるコラール「主よ、人の望みの喜びよ」を聴くたびに「幸せとはなにか、人生とは」を考えさせられます。この旋律は、ワタシのもっともお気に入り。
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きょうもテンション高くお仕事資料作り、打ち合わせ、ミーティング参加発言(なんせダントツ数値一番ですから)、打ち合わせ、説教、そして、合間に数々の日程調整、ラストは夕方からバスで取引先へ新年度契約書の説明・・・だったが、かなり厳しい口調で最近のトラブル論議(取引先倒産の経緯とか)、現状評価、先のあるべき姿など激論〜こんなに自由闊達に語り合えるなんて幸せでしょう。寒風の中、直接帰宅(バス停から少々距離があるんです)。
先月購入したブルーノ・ワルター2枚組より、Mozart 交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」〜ウィーン・フィル(1955年ライヴ)・・・オン・マイクっぽい硬質な音質の印象もあるのかも知れないが、濃厚で強靱、かつ浪漫の味わい深いもの。中庸なテンポを守って、エキセントリックではない表現だけれどメリハリ明快で、熱気と勢いと厚みもたっぷりとあります。アクセントの強烈さは、スタジオ録音を想像していると少々驚くでしょうね。半世紀前の音源に”古臭さ”は感じません。(DGのウィーン・フィル150周年記念盤と同じかな?)
2月の連休直前は恒例・東京での会議だけれど、そのまま博多〜湯布院(女房たっての希望)への旅を予約しました。(羽田-福岡の飛行機も予約)ちょっと決意が遅くて、湯布院の宿はあまり良いところが取れない・・・というか、行ったことはない(通過したことは何度も有)ので、どこがどうやらの判断も付かず。カンです。息子ももう卒業だし、今がいちばん贅沢できる頃なのか。いずれ、健康で楽しく働けるというのは素晴らしいことです。
●2007年1月某日
睡眠不如意、それに肩が凝ってこれは前・風邪症状なんです。気を付けないと。良い天気だけれど寒いですね。ほんまはどこにも出掛けたくないが、女房が下着を買いに行きましょう、シャツ(吸汗性に優れた上質なものを愛用)がかなり草臥れているので、という意向であります。
Wagner 「マイスタージンガー」「パルシファル」「ローエングリン第1幕/第3幕」前奏曲、「トリスタン」〜「前奏曲と愛の死」〜ベルナルト・ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団(1974/78年)・・・一昨日BOOK・OFF五反田西店での入手(以下3枚とも)だけれど、最初の音が鳴り出した途端、嗚呼、深々凛とした響きに魅了されて、一気に心奪われました。くすんでコクがあって、しかも自然体。特別に煽ったり、旋律に品(しな)を作ったりしないことこそが、作品の本質を見事に表出させます。セル/クリーヴランド管弦楽団(1995年)の引き締まった厳格なる緊張感を楽しんだばかりだけれど、こちらコンセルトヘボウの管弦楽そのものの魅力を素直に楽しむべき演奏でしょう。録音も極上。(「ジークフリート牧歌」に迄たどり着けず)
Schubert 弦楽四重奏曲 第14番 ニ短調 D.810「死と乙女」(1965年)/Dvora'k 弦楽四重奏曲第12番ヘ長調「アメリカ」(1968年)〜イタリア弦楽四重奏団・・・うんと若い頃「死と乙女」なんて俗っぽくて・・・と敬遠していたけれど、ここ最近、一連の長大なる室内楽作品、ピアノ・ソナタと同等に「いつまでも美しい旋律が溢れ続ける・・・」的感動を受けるようになりました。かりっと歯切れの良い、よく歌う演奏であるのはいつも通り。但し、「アメリカ」のほうは1968年アスコーナ・ライヴに於けるノリノリの、アツく楽しい演奏を思い出してしまいました。これはこれで録音条件やら、繰り返し聴きに耐えうる完成度を誇ってよろしいと思います。
Mussorgsky/Ravel 組曲「展覧会の絵」「ボレロ」〜エド・デ・ワールト/ロッテルダム・フィル(1974年)・・・この作品は腐るほど所有しているが、お気に入りだし、デ・ワールトも贔屓なので看過できず購入(だって@250だも〜ん)。彼の比較的初期録音は意外と(安く)入手できないんですよ。コンセルトヘボウ以外のオランダの団体は、どうも評価的に損をしているみたいで、ロッテルダム・フィルも地味な印象がありますね。たしかに華やかさとか、派手なパフォーマンス!的表現ではないが、手堅く、しっかりと丁寧に、緻密に表現され、重さにも不足せず。技量的にも立派な演奏でしょう。「ボレロ」でそれは完全に証明されております。たしかコレ、かなり以前の高級車のTVCMに使われていた、と記憶します。
PHILIPSの録音は中低音に厚みがあって、聴きやすい。先の「セルのWagner」(CBS録音)だって「思ったほど悪い音じゃない」と感じたが、ハイティンク盤聴いちゃうとその格差に少々愕然としました。
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シャツを買い、カジュアルなカッターを買い、夕食食材購入、職場用スキャナ(中古1,200円也)購入、自宅で動作確認・・・あとは、ぼんやりテレビ三昧。
R.Strauss 交響詩「ドン・ファン」「ティル」「7つのヴェール」「死と変容」〜オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団(1960/61年)・・・前半のみ聴取。こんなこと言うとオーディオ・マニアに叱られるだろうが、音質がよろしくない、というか、好みではない。腰がなくて、低音が弱く、奥行きが薄い、時に響きが濁る〜国内盤故でしょうか?(EMI HDC-1345 @250)でも、演奏は貫禄ですねぇ。旋律表現に微妙なタメがあって、スケールが大きい。やがて音質云々を忘れ、クリアで朗々と明るいホルンの絶叫に魅了されます。先々月(2006年11月)、「メタモルフォーゼン(変容)」の正規盤入手できたし、この4曲収録は贅沢な一枚だと思います。
Mozart 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」〜ヨーゼフ・クリップス/ウィーン・フィルハーモニー/ウィーン国立歌劇場合唱団/チェーザレ・シエピ/シュザンヌ・ダンコ/アントン・デルモータ/クルト・ベーメ/リーザ・デラ・カーザ/フェルナンド・コレナ/ヒルデ・ギューデン/ワルター・ベリー(1955年)・・・昨日、途中になっていたけれど、東京からの帰り新幹線中〜バス、更に残りまで全部楽しみました。(DOCUMENTS 223486-321/F/G/H)かなり以前からエエ加減な駅売海賊盤抜粋で楽しんでいた(LP板起こし?)が、このDOCUMENTS復刻盤(10枚組)は、けっこう良好な音質で鳴っております。いや、その臨場感に感心するばかり。
クリップスの表現は、いわゆる劇性を強調したものではなく、柔らかく、優しい、リキみのない表現は、所謂”華やかなるウィーン風”か(少々昔風の/ワタシの勝手なイメージだけれど)。それでも、濃密で官能的な味わいはたっぷりとあって、なんせ歌い手が名だたる往年の名手ばかり。シエピの甘い声は、大昔のロマンス洋画の二枚目俳優を連想させます。色気タップリ。BRILLIANT全集に於けるクイケン盤だって悪くないが、こんな演奏聴いちゃうと少々薄味というか、スカみたい、というか・・・言い過ぎました。
●2007年1月某日
昨夜深夜帰宅。職場のスキャナを修理しようと自宅に送付していて、分解掃除したがダメ。購入しましょう。まぁまぁ眠れました。さて、午前中スポーツ・クラブ(これは心身共の体調維持に欠かせない/時間さえ許せば)、そのまま(休日)出勤して、資料一気に仕上げましょう。チームとしての締め切りは一週間延ばしたが、率先規範たる自分はいずれ来週のスケジュールが一杯一杯でどーしょーもないんです。別に当面重苦しい難題あるワケじゃなし、ま、中期的な大問題抱えてはいるが、これは一人で悩んでも仕方がないし・・・
筑波昭「津山三十人殺し〜日本犯罪史上空前の惨劇」(新潮OH!文庫)・・・「八つ墓村」にインスピレーションを与えたことで有名な事件内容の陰惨なことももちろんだけれど、当時の社会状況・生活・風俗が浮き彫りにされる凄い著書。エログロを強調するのではなく、詳細資料調査で知的に構成され、世界最悪の事件発生の経緯全容が冷静に語られます。昭和13年であり、つまりは2・26事件とか軍国主義へと一気に進んで、更には阿部定事件(猟奇的陰惨な事件だけれど、世間では意外と支持が多かったという)もこの辺り。犯人は中程度の農家で少々の資産もあり、学業では優秀で級長であった、とのこと。現在ほどの交通、情報網は発展していなかったとはいえ、鉄道やら新聞やらかなり普及していて、一方で閉鎖された山村での性風俗の乱れは「ありがちなこと」と(当時の)公式報告書にも見られます。もちろん公娼精度も存在したし、私娼もたっぷり(これは現代も変わらない。いや、いっそう発達しているかな?)あった時代。
たった今、現在にとても似ているじゃないの?阿部定事件の調書が流出したり、所謂”週刊誌的”取り上げられ方、流言飛語、カルト的宗教(津山事件後、現地へはずいぶんと訪問もあったらしい)の跋扈・・・少年凶悪事件が増えている、みたいな印象はあるけれど、じつは絶対件数は減っている、といった記事を拝見したこともあります。2007年は相継ぐ”バラバラ事件”で幕開けしているが、今も昔もこんな犯罪は存在している・・・夜眠れなくなるような”怖い”書籍でもありません。
J.Strauss 喜歌劇「こうもり」〜クレメンス・クラウス/ウィーン・フィル/ウィーン国立歌劇場合唱団/パツァーク(エイゼンシュテイン)、ギューデン(ロザリンデ)、ペール(ファルケ)、リップ(アデーレ)他(1950年)・・・前半戦聴きました。ワタシ如き極東の田舎ものが憧れる”本場ウィーン”って、こんなもの?うっすらと気怠い雰囲気と色気があって、なにより歌手の味が濃い。音質極上で、ぼんやり聴いているとモノラルとは気付かない・・・ほどであります。嗚呼、楽しい!正月はこの作品を聴くのを忘れていた。
Wagner管弦楽作品集〜ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団(1968年)・・・初耳である「マイスタージンガー」前奏曲/「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と「愛の死」(1965年)を確認。エエですね。官能とか浪漫とか、そんな厚ぼったい響きとは無縁の辛口峻厳なる集中力がカッコ良い!というか、ワタシのWagnerはコレが刷り込みなんです。「ジークフリートのラインへの旅立ち」だって、清潔精悍なる若者の決然たる背筋が眼前が浮かぶようであって、「トリスタン」に官能と浪漫が欠けちゃマズいっしょ、というご批判あるだろうが、ワタシはこんな”禁欲美”が大好きです。クリーヴランド管弦楽団には各パートの妙技性を求められない。表面を安易なる装飾で聴かせてはいないんです。「森のささやき」に於ける木管の繊細な呼び交わしに、絶句。
ほか、Mozart 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」〜ヨーゼフ・クリップス・・・おっと、時間です。
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自主目標をタイトに決めて、それを守って達成する、というのは快感です。自分で決めた締め切り(思いつきで決めたのではなく、ちゃんと意味がある)を自分で守り、でも、東京から戻って週末休みの定例スポーツクラブにはちゃんと行きたい・・・朝、あわててサイト更新して、洗濯物と布団を干して、スポーツクラブへ。ちゃんと45分こなして、帰宅してカルく昼食を摂ってバスで職場へ。すると我がチーム・メンバーは全員出ているではないかっ!(強制したワケじゃないのに)
土曜は電話もほとんどないし、お仕事はかどりますね。まわりの相談も受けつつ、粛々と諸作業消化して、夕方にはメド立ちました。嗚呼、これで来週というか、一ヶ月くらい純実務的な進行は大丈夫。(どーしょーもない→なんとかなるっしょ、へ)女房へメールを「業務終了。いつもの焼鳥屋へ」と。早々に切り上げて自宅へは8時前ですよ。精神の疲れと、肉体の疲労とのバランスが大切なんです。
●2007年1月某日
昨夜は健全にホテル生活、購入した本と音楽を少々楽しみました。体調OK。大丈夫。不二家はアウトだな。雪印の崩壊を間近に経験したが、その二の舞ですね。真面目な従業員やら、その家族は悲惨だ。世の中、バラバラ殺人とか異様ですね。
大原健士郎「やる気の健康医学」(講談社+α新書)・・・わかりやすい著作だなぁ。うんと酷い鬱症状ではない実例を多く取り上げ、例の(日本が誇る)「森田療法」の効用もたくさん出てきます。2000年頃の著作だけれど、現代風の逸話満載で(ダメな親が症状を作る/療法中の男女がくっついてしまう、やっかいな問題〜外で勝手にしてくれ!)楽しめます。
昨日購入数枚を(一部分)確認。Wagner「リング」管弦楽抜粋〜ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団(1968年)・・・これはLP時代、そして1990年頃駅売海賊盤(これはLPオリジナル収録6曲)CDを購入済み。で、今回、SONY正規ライセンス盤(Gala/SONY 500693 2)+「マイスタージンガー」前奏曲/「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と「愛の死」(これは初耳)@250也。つい先月、Sibelius 交響曲第2番ニ長調(コンセルトヘボウ管弦楽団1966年)を正規盤で再入手しております。帰宅したら音質の違いなどを確認しましょう。最初のほうを聴いたけれど、アンサンブルの恐るべき集中力はとてもカッコ良い!
Honegger 交響的詩篇「ダヴィデ王」〜ミシェル・ピクマル/シテ島管弦楽団/イル・ド・フランス・ヴィットリア地方合唱団(1997年NAXOS)・・・@250じゃないと、まず買わない作品でしょ。これも冒頭15分ほど聴いたけれど、多彩な旋律、シンプルな編成のサウンドがじつに快い。J.Strauss 喜歌劇「こうもり」〜クレメンス・クラウス/ウィーン・フィル/ウィーン国立歌劇場合唱団/パツァーク(t)、ギューデン(s)他(1950年)・・・これは後半最終版+1951年のウィンナ・ワルツ集より「ウィーンの森の物語」を確認。まず、驚異的な音質が嬉しい。声楽陣の貫禄というか、マイルドな深みというか、なんとも言えません。ワルツは微に入り細を穿った配慮とか、揺れというか、セクシーというか、妖しいというか、んもう最高。
ウィンナ・ワルツだったら、フォルクス・オーパー辺りの鄙びたものとか、アメリカ辺りの楽しい演奏を(ずっと)愛聴していて、所謂本場モン(フォルクス・オーパーだってそうだけれど)って初耳なんですよ。ちょっと安易で、当たり前過ぎメジャー音源だけれど圧倒されました。これで2枚@950也。
●2007年1月某日
昨日、真面目に仕事をし過ぎた、というか、ノーミソびっしり使い過ぎたみたいで、夜睡眠不如意状態。今朝も寒いですね。これから2月中旬くらいまで、体調維持に気を付けないと。職場では風邪が流行っているみたいで、例年であればワタシもダウンしがちな時期であります。でも大丈夫!物理的にたいへんでも精神的にはまったく余裕!でっせ。本日、昼から東京行きなので、道中CD+書籍の選定しましょう。ここ数日、音楽に集中できていないので、移動時間は貴重です。今朝の朝日新聞、リキの入った記事が多かったが「やわらかな全体主義」〜これが一番慄然とする社会状況を描写してるか。
昨夜、少々聴いた音楽・・・Schumann ピアノ・ソナタ第1番 嬰ヘ短調〜エミール・ギレリス(p)(1948年)・・・音の状況は想像を遙かに凌駕していて、ややヒステリックっぽい音質ながら(それなり)聴きやすいもの。一連の(お気に入りピアノ作品中)相対的に馴染み薄いもので、古典的構成に堅苦しい作品でしょうか。気紛れで揺れ動くような旋律が自由に遊ぶ・・・的イメージから少々遠いもの。ギレリスは作品に似合った硬質なタッチで安定していて、できればもっと”夢見るように”表現して欲しかったが、作品の個性だから仕方がないか。終楽章の繊細な表現に、その片鱗を垣間見せました。(その少し後に収録される「トッカータ」作品7の迫力はたいした勢いであります)
Brahms ピアノ四重奏曲第1番ト短調〜エミール・ギレリス(p)/ツィガノフ(v)/ボリソフスキ(va)/シリンスキ(vc)(1948年)・・・これはベートーヴェン弦楽四重奏団のメンバーかな?ワタシのお気に入り作品だし、演奏も立派なものだけれど、わざわざこの時期の録音をありがたがって取り出すようなものでもないでしょ。ただ、40枚組「The Piano Masters」(HISTORY 20.3157 5,990円 (p)1999)=オトナ買い分に含まれる貴重な音源であることはたしかであって、隅々までしっかり音楽を味わおう・・・ということ。
では、行ってきましょう。
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当たり前だけれど、仕事は想定外の津波が押し寄せることもあり、締め切り迫った資料作りはほとんど手付かず。週末休日出勤確定です。思わぬ来客あり、緊急の宿題あり、11時約束のメーカーさんは9時半に来てしまうし、やる気は失うし(これは情勢の変化に関係なし)で、昼過ぎに新幹線上の人となりました。ところが!隣の(ワタシのやや年齢上風)中年サラリーマンの口臭が酷い!別にお話ししたわけじゃないですよ。時にとなりからぷんぷん臭うんです。まいった。こりゃ暴力でっせ。
東京では知人と飲む約束だったが、車中ケータイに伝言入り、アウトとのこと。残念。で、直接五反田のホテルへ。軽く飯喰って(酒抜)BBSで話題のBOOK・OFF西五反田店へ〜どーせロクなもの残っていないんだろうな、と予測しつつ・・・でも、かなりぴん!とくる価格でCDありましたよ。それなりに厳選して8枚購入。あ〜あ、聴くべきCD貯まっているのにね。本も10冊以上在庫あるのに、また購入しちゃいました。ま、酒席なくなった分の経費節減分であります。
吉田孝「日本の誕生」(岩波新書)・・・硬派・古代史の著作だなぁ、倭、倭人、そして、”日本”という国名の出現、ニクとしての成立、朝鮮半島、中国情勢との深い関係分析に痺れます。なんの気なしに使っているけどね、深い意味と経緯と誇りがあるんですよ。なんども馴染みの話題が出てくるか、その切り口はまったく新鮮!
移動中聴いた音楽。Mozart 交響曲第39/40/41番〜カール・ベーム/コンセルトヘボウ管弦楽団(1955年録音PHILIPS)・・・LP時代からお気に入りでした。(純粋に個人的感想として)これはずいぶんと録音が良いじゃないか、と初めて気付きましたね。コンセルトヘボウのマイルドなサウンド(とくに木管の音色に個性がある)がはっきりと聴き取れると思います。生真面目一方、引き締まって無駄のない(色気もない)立派な演奏。一時代前というか、いかにもオーソドックスで正しい演奏ぶりがいささか窮屈であり、これぞ正統!といった峻厳なる感触も感動もありました。
DELIBES バレエ音楽「シルヴィア」(全曲)/Saint-Sae"ns 歌劇「ヘンリー八世」〜「庶民の祭り」(第2幕のバレエ=ディヴェルティスマン)〜アンドルー・モグレリア/ラズモフスキー・シンフォニア(1995年)・・・昨年2006年12月に入手した珍しい作品だけれど、なぜ通常は抜粋しか録音されないか、が理解できましたね。ま、演奏問題もあるのかな。ちょっと陰影というか、変化と色彩に乏しいような演奏なんでしょうか。やはり録音用オーケストラ(?)の責任か。CD一枚半分だと少々飽きます。録音は極上。Saint-Sae"nsのほうが作品としてはずっと楽しい。
Schubert 交響曲第9番ハ長調/Britten 「四つの海の間奏曲」「パッサカーリア」〜エドゥアルド・ファン・ベイヌム/コンセルトヘボウ管弦楽団(1950年頃ライヴ/1947年)・・・後者は英DECCA録音だったのだね。前者はあまりよろしからぬ音質であり、かなり素っ気ないストレート系モダーンな演奏でした。第1楽章ラストはフツウ、思い入れたっぷりにルバートするでしょ。それがさっぱり、さっさと終わります。全体としては、厚みのあるアツい演奏といったところでしょうか。メンゲルベルクの緩急自在な世界からは、ずいぶんと遠くに来てしまった・・・Brittenはほんまに美しい作品+オーケストラだと思います。
明日、終日会議。ほんまはもう一泊して東京での演奏会でも、と考えてきたが、フィックスの割引切符買っちゃったし、そもそもお仕事入っちゃったし、どーしょーもありません。
●2007年1月某日
今朝、一時間ほど寝坊。寒いですね。でも、いつも朝早いので日常生活に全然影響なし。腹筋もして、しっかり朝食摂りました。「音楽日誌」の執筆時間や音楽を楽しむ時間が少々減るだけです。今朝から午前中、昼からの資料準備(直前にやるなんて初めてだ)、そして(自ら主催の)中四全域から集まる会議対応。夕方、メーカーさんと重大案件商談、もしかしたら酒席があるかも知れない。これを乗り切れば、明日午前中再びメーカーさんとの重大案件商談乗り越え、昼から東京です。ああ、そういえば自分で設定した某提案書締め切りが来週月曜であって、本日明日(隙間時間に)手が着かなければ土曜出勤へ・・・自主出勤だから、午前中スポーツクラブへ行って、昼から出ても良いが気持ちテンション的にムリかな?
今朝の朝日新聞、銀座クラブのママ(お父さんが長く社会党の県議をしていらっしゃったとのこと)が「小さな約束を守ることの大切さ」「自然体の笑顔でいることの大切さ」「そこそこの値段で息長く続けることの大切さ」・・・当たり前のことだけれど、商売種類超えて共通する真理に感心するばかりでした。
昨夜、Schumann 「クライスレリアーナ」+(「こどもの情景」)〜アルフレッド・ブレンデル(p)(1980年)・・・Schumannの作品はどれも飛び切りの”お気に入り”也。胸が潰れそうなくらい気まぐれで、切ない旋律堪能しました。ワタシはルービンシュタイン(1964年)で馴染んだ作品だけれど、タッチが滑らかで、知的に流れが良く、異なる個性であります。陰影とか、刻々と変化する心象風景・・・的なものを期待すると、少々常識的演奏(華が足りない?)かも知れないが、暖かい音色が(いつものように)とても快い。
では、行ってきます。
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日常お仕事は見込んだ数倍のものがあるのは当たり前で、会議準備+会議対応含め粛々と消化したが、とうとう当初狙った資料作りに手が着かず。明日、午前、来客までの数時間にどれだけ着手できるか?来週のスケジュールはいっそうタイトで土曜出勤が現実味を帯びてまいりました。明日、東京。
●2007年1月某日
(在松山ホテル)昨日、女房とそば屋で昼食を摂って、そのまま職場でチームメンバーとは一週間ぶりの再会。仕事忘れてしっかり遊べ、と指示していたはずなのに、年末土壇場にクソミソに詰め倒されたことを(内容的に)ずっと気にしていた、とのこと。昨年2006年3月、誹謗中傷発信元である取引先の人(昨年末商談ドタキャンした)の件、豊富な人脈を利用して人事情報を早々に入手〜予想通り、まったく別部署の遠い役職に異動へ。松山への異動途中、当の本人よりケータイ連絡有、てっきり異動挨拶かと思ったら、本来であれば直に会って説明すべきお仕事事項の質問連絡でありました。(でも、あと数日で居なくなる、という事実報告なし)ざまぁ、見れ!
夜は祝杯でしたよ。「悪霊退散!」嗚呼、なんてケツの穴の小さいワシ。ホテルでは(いつも通り)あまり眠れませんでした。それに、ネット環境がいまいちでサイト更新難儀也。これから取引先と商談、昨年末、風邪でダウンしたので久々です。年末年始は日時進捗が単純計算できないので、予算達成進捗見込み立たないが、他チームより5〜8%上を行っているので、まず大丈夫じゃないのかな?ぼちぼち日常仕事に、調子戻しましょう。
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夕方職場に戻って残務整理。明日の会議準備にはほとんど手が着かず、若い者のお仕事進捗点検〜結局小一時間説教になっちまいました(ど残業)。悩め!若者。隣の部局の昔馴染みから「某役員が亡くなった」との情報有。昨年春くらいから悪いらしい、という報告はあったが胸が痛みますね。かつてワタシの若い頃上司であって、可愛がっていただいたものだけれど、全然期待に応えられなかった・・・それが心残りです。いくら出世しても死んじまったら終わりでっせ。合掌。
ちょっと落ち込んでます。これからちょっと寝る前に音楽聴いて、明日気持ちを新たにいきまっしょい。
●2007年1月某日
ワタシの仕事始めを祝福するような快晴也。(でも休日出勤)ゆっくり寝坊して、昼から職場に出掛け、諸処作業をこなし、資料印刷し、夕方より松山へ。この天候ならば社用車で行けるでしょう。明日、直接帰宅するか、それとも戻って翌日昼からの会議資料を準備するか、少々悩みます。今朝も腹筋運動しつつ起床したが、最近ダンベルさぼっているので、復活しましょう。朝刊で「奨学金未返還分が増えている」との記事有〜少々ハラ立ちます。そんなことで、これからの若い苦学生に迷惑掛けてどうするのか?甥も受けていて、ほぼ一生掛けて(今年から)返していくことになるんです。それとも返せないような重大なる事情有、が多数派なのか?
今朝拝聴した音楽・・・Beethoven ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調「皇帝」(インマゼール(pf))/ヴァイオリン協奏曲ニ長調(ヴェラ・ヴィス(v))〜ブルーノ・ヴァイル/ターフェル・ムジーク(1997年)・・・BBSやらメールで伺うと”古楽器”へのアレルギーが多いことに驚かされます。ワタシは、現代楽器での穏健保守的な演奏を好む一方で、古楽器の素朴に躍動する世界も愛していて、やや苦手系作品である「皇帝」もこんなさっぱり親しげなるサウンドならば抵抗も少ない・・・但し、フォルテピアノ系の録音はかなりの頻度で”どれを聴いても似たような・・・”(とくにMozart )的感慨もある粗忽者也。
ヴァイオリン協奏曲のほうは、この方向がヴェリ・ベストとは思えないが、速いパッセージの躍動はまるでバロックを彷彿とさせる・・・なかなか新鮮でしたよ。(SONY 63365 中古@680)余談だけれど、ちゃんとした正規盤はプラケースが上質ですね。これはロバート・クラフトの「火の鳥」(NAXOS)も同様でして、CDセンターを留める突起部分に一工夫されていて感心しました。「CDなんてデータがちゃんと読みとれればよい」ようなもんだけれど、デザインとか細部の仕上げも「音楽を愛する=CDを愛する」意味では大切なこと・・・LP時代には当たり前のことだったんですが。
これが「データダウンロード」時代に完全に移行するとどうなってしまうのか。LPの意匠をそのままCDに・・・的感傷は時代遅れなのか。
●2007年1月某日
寒いですね。特に東・北地方は厳しい天候らしい。こちらは曇り空に雪がちらついております。長かった正月休みも名残惜しく、本日にて終了。明日は休日だけれど、昼から出掛けて松山出張前泊となります。新しい一年(仕事に於いて)は、力んでも、なにしても、自分の積み重ねてきた力量と個性、回りの情勢、流れに従うしかない。よく様子を見て、チャンスやらピンチの見極めを迅速に行うしかない。
PC/オーディオ部屋は北向きで寒いので、ホットカーペット+ハロゲン・ヒーター入れてもあまり長居したくない・・・ということで、在庫CD消化は遅々として進みません。それに、あちこち”浮気”しちゃいますから。数日前のロバート・クラフト盤絡みで、STRAINSKY バレエ音楽「火の鳥」(1910年版全曲)〜エルネスト・アンセルメ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1969年)を久々に再確認。ここ数日、アンセルメばかり聴いているような・・・以前の更新時にはこの英DECCAアナログ末期の名録音を気に食わなかったみたいだけれど、驚くべき鮮明で、艶やかなる録音に間違いなし。最後の録音は、細部まで美しくクールに味付けされ、それは十八番(おはこ)としての誇りに充ちた優秀なアンサンブルで仕上げられました。
メルヘンなテイストの徹底に於いて、30年後の精緻な演奏を上回り、まるで、往年の大女優の鮮明なる色艶を拝見しているように感慨深い。フィルハーモニア管弦楽団は一世代交代して高い水準を維持しているが、当時の名人芸(特に木管)は特筆すべき魅力でしょう。
最近、とみに嗜好を強めている英国音楽より、Elgar ヴァイオリン協奏曲ロ短調〜ドン=スク・カン(v)/エイドリアン・リーパー/ポーランド国立放送交響楽団(カトヴィツェ 1991年)・・・これはNAXOS初期の録音であって、ワタシも(どういう経過かの記憶もないが)10年以上前に購入したもの。980円の値札が残っております。(その価格でいつでも買える!というのは当時、興奮すべき事件であった)ワザとつぶしたような暗鬱なる音色で、聴き手の鼻腔を擽る薫り漂うソロの開始。若き日のメニューインとか、ハイフェッツの名人芸のイメージが強い作品だけれど、もっとジミな雄弁が纏綿と謡って全曲47分・・・けっして美音ではないし、輝かしい技巧を表出するタイプではなく、だからこそこの作品に似合って、ワタシはこの作品が大好きです。
エイドリアン・リーパーはワタシにとっては馴染みだけれど、相変わらずメジャーな存在ではないですね。協奏曲伴奏に於けるポーランド国立放送交響楽団は素朴で、洗練されない響き(演奏全体の品格を落とすものではない)だけれど、フィル・アップの序曲「コケイン」は、ちゃんと英国紳士の颯爽とした音したですよ。この作品は大好きなんです。
整理整頓が悪いというか、CDの配置はとても難しく、思いついた望みのものが探せない、というのは日常茶飯事であります。で、昨日は珍しく(棚奥より)発掘成功!Mendelssohn 劇音楽「真夏の夜の夢」(5曲1967年)/交響曲第4番イ長調「イタリア」(1962年)〜ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団・・・以前聴いたときには、その強面な集中力に恐れをなしたものです。ま、こんなクリアでかっちりアンサンブルが整然とした演奏は希有な体験であって、硬質な推進力は(こうやって久々の感触では)快感でありました。音質云々は駅売海賊盤(LP板起こし?)故云々言えないが、ややカタいがかなり鮮明だと思います。
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Stravinsky バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年三管編成版)〜ロバート・クラフト/フィルハーモニア管弦楽団(1996年)・・・「火の鳥」全曲と一緒に収録されるもの。アンセルメ入魂のメルヘン演奏を聴いたせいか、非常にクール印象を超え素っ気ないほどの「イン・テンポ」(という表現で合っているのだろうか?)と迄感じさせます。細部までクリアな響き、アンサンブルの集中力は「火の鳥」同様。楽譜に対する誠実さこそが”真の美”である、といった風情であって、演奏者の色づけではない、別種の情熱を感じました。どうして1911年原典版を使わなかったのか?作曲者本人もたしか1947年版で録音していたはず(1960年/音質も良好)〜飾り少なく、素朴粗野なやる気前面・・・というところが似ているか。演奏表現の完成度という意味では、クラフト盤のほうが上でしょう。
正月休み最終日、ぼんやり時は過ぎ行きます。昼、徒歩でご近所セルフうどん屋に行ったついでに、HARD・OFFへ。ずっとエエ加減だったスピーカー・ケーブルを換えようと思いまして・・・銅線がどうの、とかではなくて、10年ほどつきはぎを続けてきた寄せ集め線をなんとかしようと思っただけ。ま、スピーカー回りを清掃して、長い(20年ほど?)付き合いに感謝して音楽に気持ち新たに対したのみ。正直、音質に確固たる相違は感じられません。
まず確認した音源は・・・Mozart 13管楽器のためのセレナード 変ホ長調K.361(370a)「グラン・パルティータ」〜アレクサンダー・シュナイダー/ヨーロッパ室内管弦楽団管楽ソロイスツ(1985年)・・・BRILLIANTの全集に含まれる有り難い音源也。ブダペスト弦楽四重奏団に於ける”史上最強の第2ヴァイオリン”である指揮者は、素直で流麗なる音楽を繰り広げております・・・って、正直わからない!コレ、最強のお気に入り作品であって、正直善し悪しコメント不能。無条件幸福。
Stravinsky流れで、自分の原点を、ということで、バレエ音楽「春の祭典」〜ピエール・ブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団(1969年)・・・中学生になったばかりのワタシは「世の中にこんな興奮すべき音楽があったのか」との洗礼を受けたものです。第1部のみ確認したが、これぞワタシのリファレンス(参照の基準)、正確であり、緻密であり、煽らず、走らず・・・で、ありながら過激で妖しく、存分にセクシー。どーして?オーケストラは滅茶苦茶上手い。文句なし。
再びアンセルメの太古録音に戻って、Stravinsky バレエ組曲「火の鳥」(1919年版ロンドン・フィル1947年録音)/「ペトルーシュカ」(1911年版ロンドン・フィル1946年録音)・・・前者は音質的にやや厳しいが、いずれ演奏的にはヴィヴィッドで(当時の)新しい音楽の伝道者としての意欲を感じさせるもの。資料的価値に留まらない魅力と味わい充分にあると思います。「ピアノと管弦楽のためのカプリッチォ」はEMI盤とダブりだけれど、作曲者ののんびりとしたピアノがけっこう好きでした。
●2007年1月某日
いつもの土曜ということで、”初心者向け”エアロ・ビクスへ。いつもの熟年メンバーと楽しく雑談しつつ、やっぱりムリはあきまへんなぁ。昨日、夕方時点でケータイのバッテリーが切れ、充電中だったので今朝(取引先からの)受信に気付いて返信したら、「某メーカーが倒産した」との情報・・・新年早々たいへんなことですな。ウチにはなんの被害もないどころか、むしろ利益が予測されるくらいだけれど、諸行無常を感じないでもない。
「バカの壁」もどきの件。Mozart 交響曲第40番短調〜ズービン・メータの録音がロサンゼルス・フィルだとばかり思い込んでいた(実際はイスラエル・フィル)り、昨日のアンセルメの「展覧会の絵」(1947年)も、ずっとロンドン・フィルだと信じておりました。(実際はロンドン交響楽団)人間は類推で思考を発展させるから、時に冷静に情報は確認したほうがよろしぃな。
昼から、ゆっくりテレビでも見て、昼寝でもして、音楽を楽しみましょう。
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アンセルメの太古録音を楽しんでおります。10枚組中、ディヌ・リパッティとの共演の一枚・・・Liszt ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調〜1947年6月6日録音だけれど、針音激しいどんよりとした音質であります。しかし、濃厚骨太な味わいはたっぷりで、わざわざ探して聴くような音源ではないだろうが、見事な技巧の冴えを楽しめます。続く、LIPATTI 二台のピアノための協奏交響曲〜リパッティ+ベラ・シキ(p)/交響的組曲「サトラリィ」(ジプシー)〜リパッティ(p)(1951年録音)いずれもスイス・ロマンド管弦楽団・・・これは演奏家の余技と片付けられない、リリカルで美しい旋律を誇りました。
「協奏的交響曲」〜第2楽章「モルト・アダージョ」の幻想的な輝き、交響的組曲「サトラリィ」〜「牧歌」の落ち着いた安寧の響き、いずれも現代のレパートリーとして生き残る価値のあるものでしょう。音質的にはやや厳しいが、激安ボックス(1,990円)でまとめ買いしたからこそ、こんな素敵な出会いがありました。
●2007年1月某日
未だお休み。エエ天気です。本日より出勤の(申し訳ない)派遣さんよりケータイ・メールにご挨拶来ておりました。ぼんやりとサイト定例更新実施。あと数日、お休みいただきます。基本、ゴロゴロとしているが、定期的にスポーツしているのが肝要でしょう。昨夜、女房お気に入りの焼鳥屋へ〜様子伺うと、大晦日も元旦も営業していたそう・・・だったら顔出せば良かったかな。
元旦到着のCDより、Stravinsky バレエ音楽「火の鳥」(1910年完全オリジナル版)〜ロバート・クラフト/フィルハーモニア管弦楽団(1996年)・・・「完全オリジナル版」とは、旋律やらリズム、楽器編成の変更ではなく、表情付けの詳細指示の相違とのこと。ワタシはこの45分に及ぶ長い作品を(短い組曲より)ずっと愛していて、それはアンセルメの刷り込み(←ずいぶんとさっくりとしたコメント)だと思います。クラフトのStravinskyは(もちろん)作曲者直伝のものだし、組曲「プルチネルラ」「結婚」での、すこぶるいきいきとした演奏体験から大いに期待を寄せていたもの。
結論的に、研ぎ澄まされたアンサンブルの洗練、クールな集中力が全く素晴らしく、しかも色彩感に溢れて全曲たっぷり楽しめました。フィルハーモニア管弦楽団の技量になんらの疑念もないけれど、基本、素直な”指揮者の個性に従う”団体故、出来上がった演奏には大きな違いが出るものです。録音も極上。既に一部注文済みだけれど、ほかの演奏もぜひ聴いてみたい〜そう思わせる説得力有。引き続き、バレエ音楽「ペトルーシュカ」が収録されるが、これは1947年の3管編成縮小版・・・これは聴き手の集中力問題で未聴です。(NAXOS 8.557500)
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終日外出せず。昼も夜も簡単に料理して、音楽を聴き、本をちょろりと眺め、サイトの更新原稿をちょっとだけ増やして、いつの間にか夜でした。Mussorgsky 組曲「展覧会の絵」(Ravel 編)〜エルネスト・アンセルメ/ロンドン交響楽団(1947年)聴きました。趣味悪いかも知れないが、微妙に緩いアンサンブル、たどたどしいトランペット、重々しくならないさっぱりとした響き・・・けっこう良い音で鳴っていて、この年代の録音としては出色の水準だと思います。
本日、4本ほどケータイにお仕事関係の連絡入り、そろそろお仕事復活モードに気持ちを切り替えなくっちゃ。
●2007年1月某日
世間では本日から仕事の人も多いようだけれど、ワタシは(女房も)しばらくお休み続きます。エエ天気で、ゆったりしております。そういえば、昨日一昨日新幹線は、小さいこどもでいっぱいだったなぁ。みんな可愛い。こどもは社会の希望ですね。体調万全だし、本日は初エアロビクスに行こうかな?体重増気味だし。
山本晴義「ストレス一日決算主義」(NHK生活人新書)・・・メンタルヘルス問題の”実践的”書籍でしょう。2005年という比較的新しい出版であり、その実例、分析は的確であって、スポーツが重要である、という(実践を踏まえた)主張。きれいごとではなく、サラリーマンの居酒屋談義(酒)だって大切だよ、との淡々とした、優しい語り口。これこそが、たった今現在、苦しんでいる人々には必要なことなんでしょう。ワタシは、当事者ではない(候補者ではある)せいか、読み方に身が入りません。あちこち途切れ途切れ、断続的になんとか読み切った、というのが正直なところ。読み手の集中力不足か。
多くの読み残し書籍、聴き残しCDが存在して、これは贅沢なる幸福なのでしょう。”渇望感”こそが大切か!飽食の時代はあかんなぁ、と、年末BBSにも書き込みがあったけど、一理も二理もありますね。NAXOS「英国弦楽小品集第6集」〜ギャヴィン・サザーランド/ロイヤル・バレエ・シンフォニア(2003年)・・・通販で注文したら、第5集が未入荷で先にこちらが届きました。秘曲集であって、全部が全部身に付いていない自覚あるが、上品で端正な旋律を気楽に楽しむべき音楽なのでしょう。Holst「ムーア風組曲」の成立経緯はよく知らぬが、一聴、彼の作品と理解できる躍動がありました。もちろん初耳作品ばかり。
Sibelius 交響曲第1/7番〜カール・フォン・ガラグリ/ドレスデン・フィル(1970年代辺りの録音か)・・・久々確認。硬派硬質の洗練されないサウンド、荒々しいアンサンブル・・・だけれど、荒涼たる冷たい響きはSibelius の一面を見事に表現していて、これはこれで燃えるような演奏に間違いなし。ことしは(沢山貯まった)Sibelius をちゃんと聴きたいですね。音質はフツウというか、第2番よりずっと良好でした。
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昼に年末の残り物を処分。昼からエアロビスク再会・・・だけれど、正月特別体制であることと、ネットでの時間確認を間違えて「オルジナル・エアロ」へ突入。いつもは万年初心者用ベーシック・エアロですから。「最近、見掛けないな。サボっちゃいけんよ」と思っていた数人は、この上級者コースに来ていて、つまり進化していたのね。女房とワタシは体力、技術とも全然付いていけない。んもうヘロヘロ・・・二度とこの教室は参加しません!というか、参加すると回りにご迷惑が掛かっちゃう。
●2007年1月某日
昨夜は息子と久々再会、女房甥とともに京都の夜で痛飲いたしました。息子が日本酒党であることを確認〜夕方5時過ぎから「酔心」(学生時代には”安い店”との印象があったが、現在はそうとも言えない)にて、京都の薄口で上品な味付けを楽しんでおりました。壱時間半ほどすると混んできて、注文も不如意になってきたので、もう一軒・・・若い人にはまだ食事は不足であろう、ということで、ゆらさんに教えていただいた「たこ入道」へ。ここはぐっと安直で、店の姿も煮染まって、エエ感じです。ガンガン飲んで、喰って(やはり薄味なのだね)ホテルへ帰着。
今朝は、ホテルの配慮ある(おせちも揃っている)キャフェテリア朝食後、金閣寺へ〜母校〜龍安寺〜街中に戻って、北海道の両親の誕生日近いのでおみやげ購入。京都駅は帰省ラッシュ大混雑だったが、息子は岡山には寄らず広島にそのまま戻るとのこと。既に就職先にバイト(志願したらしい)していて、既に心ここに非ず状態みたいだね。ワタシは1kg体重が増えました。ゆっくり”こだま”で戻ってきました。
昨日、ホテルに入る前にBOOK・OFF京都京阪三条店に寄ったがCD出物なし。ここは年に一度ほど京都に来るたびに覗くが成果があった試しがない。でも、書籍はそれなりに充実(あくまでワタシが主に購入する新書類)しておりました。
矢島正見「忠犬パパは眠れない」(宝島社新書)・・・これは多くの人々に読んでいただきたい書籍だなぁ。「自分はもしかして異常にドスケベなのではないだろうか?」とお悩みの諸兄、いえいえそんなことは問題の本質じゃない、という矢島教授(中央大)のあからさまなるカミング・アウトで説得力深い。きっと女性は驚くのでは?(前半)後半は、自らの少年時代”ガキ大将”グループ所属で学んだこと、自然の驚異(安易に自然を愛す、などと言うな!)、ぼっとん便所の恐怖(まったく同感!ワタシはもうダメです)、学会後などに開かれる酒席の仕切方(これはもの凄く説得力ある実例であって、若い人に叩き込んでモノになるのは3人に一人だという)・・・なにより、「この人と酒を飲みたい、楽しい」と思われないとダメだよ、という話題にもいちいち頷くばかり。
表題はわかりにくいですね。著者には女の子はいないそうで、想像の産物(乃至研究の成果)だろうが、娘に嫌われ、エエようにあしらわれ、それでも我が娘を思いやる哀しい親父の性(さが)を表現しているわけです。
帰りの新幹線で聴いた音楽・・・Tchaikovsky ヴァイオリン協奏曲ニ長調〜ネボルシン/ソヴィエット国立放送交響楽団(1950年)/ヴァルス・スケルツォ ハ長調〜ガウク/ソヴィエット国立放送交響楽団(1952年)/瞑想〜コンドラシン/ソヴィエット国立交響楽団(1960年)/Vieuxtemps ヴァイオリン協奏曲第5番イ短調〜コンドラシン/ソヴィエット国立交響楽団(1952年)以上ヴァイオリンはレオニード・コーガンにて。ソロがやたらと前面に居て、伴奏は奥でひっそり鳴っている感じの”昔風”録音だけれど、意外と聴きやすい音質(モノラル)でありました。
演奏は、骨太で情熱的なヴァイオリンがばりばり!手に汗握る!的テクニックが素晴らしく、しかもそれは易々と安易に流れない。ま、久々に露西亜風正統派脂っこい演奏堪能、というところでしょうか。とくにVieuxtemps(アンリ・ヴュータン)が(作品に馴染み過ぎていない、という意味で)楽しめました。
●2007年1月某日
元日からスポーツクラブ、ずっと一人で読書音楽三昧だけれど、断続的に居眠り、酒は飲らないが、精神的に緩んでいて、集中力は続きません。夜「相棒」タップリ見ちゃいました。なかなか良くできた、上質のサスペンスでした。本日は午前中お掃除、昼くらいから京都へ向かって家族と合流予定。
森清「生死(しょうじ)の作法」(岩波アクティブ新書)・・・正月早々、重い本を読んじゃったな。森さんは学歴経歴を拝見しても、学級肌というより実践の人みたいですね。年下で親しい、意欲的な研究者を病で失う苦い体験、自らの心臓の病、発作、入院検査の詳細経過、そして93歳で逝った母の見送り体験・・・そこから導き出される控えめな説得力ある”生死(しょうじ)”。仏教の難解なる生死感を、実践の中で裏付けて平易に語る重く、深い書籍です。しかも、きわめて科学的実践的な観察、記述を伴って詳細であります。森清さんのサイトはこちら。養生して、長命を保って欲しいものであります。
「どのような仕事の場合でも、その組織の仕事力を調べるには、下積みの人の仕事振りを見るのがいい」〜当たり前だけれど至言ですな。ワタシは葬式の作法も知らぬし、困ったものですな。自分は無宗教で散骨で良い(戒名も墓も仏壇も要らぬ)が、その前に親を送る責任がある。
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Gershwin 「ポーギーとベス」(セレクション1935-1942 NAXOS 8.110219-20)・・・これは壱年以上悩んで、ようやく贅沢して購入(2枚組1,742円)したもの。録音はほぼ予想通り、まぁまぁの水準でしょう。「ポーギーとベス」といえばRobert Russell Bennett編曲による交響的絵画ばかりが有名で、ワタシのお気に入りであります。手許に数種のCD有。ここではアルフレッド・ウォーレンステイン/ロサンゼルス・フィル(1944年初)録音がラストに収録されます。これはノリノリの佳き演奏であることに間違いはないが、やはり「歌」が欲しいな、と。
オリジナル・キャストによる抜粋(45:25 スモーレンズ/DECCA交響楽団1940ー1942年)・・・これが一番まとまっていて、歌い手も堂々たるもの。オリジナルキャストとは、「演劇において、複数回に渡り舞台化された作品において、初めて舞台化された時に主要な役を演じていた俳優を指す」・・・とのことだから、初演時(1935年)のメンバーの意か。歌い手は正統派の歌唱であって、特別にソウルフルっぽいものを想像するとはぐらかされます。「DECCA交響楽団」って、米DECCA(英DECCAとは無関係)の録音用オーケストラでしょうか。ま、2枚全部聴いたら理解できたが、知らぬ旋律はない、ということですな。全部楽しい。
次も「オリジナル・キャスト」による22分ほどの収録であって、これはレオ・レイズマン管弦楽団(1935-42年)の伴奏。こちらはリズムがスウィングしていて、いかにもジャジィでした。2枚目に「初演時と同時代の録音」(1935年やはりスモーレンズの指揮/作曲者監修の録音だそう)が27:44収録され、これは先の「オリジナル・キャスト」と似たようなテイストなのは当たり前。有名なるポール・ロブソン(1898〜1976。アフリカ系アメリカ人歌手兼俳優の草分け。グリーンウッド指揮管弦楽団の伴奏1938年ロンドン録音)は4曲収録音され、甘い低音ながら、正統派の「オリジナル・キャスト」を散々聴かされた後では、少々ラフな感想(雰囲気で聞かせる?)を抱いたものです。
ハイフェッツ(v)の小品集(6曲)は以前から欲しかったもの(エマニュエル・ベイ(p)1945年)で、鮮やかなる技巧は比類なき魅力〜この2枚中の白眉と言っちゃマズいか?というほど、変幻自在なる表情変化の妙也。
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早々に掃除洗濯を終え、岡山を出発、京都のホテルに入りました。体感的にあっという間に到着(新幹線は指定席が空いていたので、テキトーに座って弁当喰っていたら、横の30歳くらいのお姉さんが睨みつけるんです。エエじゃない、空いているんだから!)。お気に入りのホテルでして、プライヴェートで二度目。女房と息子+甥を待っております。それまで風呂に入るつもり。就職決まった二人にきょうは大説教大会だな。息子はワタシに良く似ていて、おしゃべりなんですよ。息子と酒が飲めるなんて、人生至福のときでしょう。
京都移動までに聴いたCDは2枚。先日入手した「Sibelius 弦楽作品集」(秘曲っぽいCD)再聴。もの凄く内省的であり、繊細で静謐、美しいが落ち込むような地味な音楽ですね。前任者が手放したのも理解できるが、音楽は嗜好品ですから。鬱症状の方は止めたほうがよろしい。部屋が冷えるような感触も有。
もう一枚、Wagner「リング」管弦楽抜粋〜ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団(1968年)・・・これはLP新譜で購入した、ワタシの刷り込みWAGERです。なんという明快で見通しの良い響き、完璧なアンサンブルとスケールと、細かいニュアンスに充たされていることかっ!これで慣れていたから、後年ショルティとかクナッパーツブッシュを聴いたときに違和感ありましたよ。音の立ち上がりが鋭くて、引き締まって流線型の演奏だけれど、軽量ではない。響きに安易さの欠片もない・・・
●2007年1月某日
明けましておめでとうございます。快晴であります。
ことしはWEB年賀状作成もサボってしまいました。物心付いてから、床中無意識で新年を迎えたのは初めてだし、元朝参りが未だなのも岡山(神社至近に)転居以来初めてか。これから出掛けましょう。年々、新年の清涼なる気分は薄れがちだけれど、やはり正しき日本人故感慨ちゃんとありました。いつものように腹筋+体操実行して早朝起床。濃厚野菜ジュース+雑煮+コーヒーで朝食。元旦はダイエット一時中止、ということで(作り置き)カレー(ご飯抜き)と(女房用の)調理パン(パンを喰ったのは数ヶ月ぶり!)も〜あとでスポーツクラブへ参りましょう。
昨日(去年だ)は、「Beethoven 交響曲第1番から9番までを一日で聴くマラソン2006」(洒落にならず)途中で集中力続かず、夕方スポーツクラブへ〜マシンたっぷり壱時間、いつもはシャワーでさっさと帰宅だけれど、大浴場(塩素が肌にキツい)にてしっかり入浴。気分も改めて全曲聴破いたしました。自分で年越しそば+大根の煮物を作って(一人寂しく)夕食。そういえば、前日黒豆(中国産の丹波種/品質確認の意味をあって/圧力鍋+沖縄の黒糖を使って)を煮ておりました。夜、格闘技が気になってテレビを付けたが、やたらと過去のビデオでつなぐ手法(ナマだから間が空くのをいやがったのか)がわかりにくく、集中できません。ボビー・オロゴンあっと言う間に負けましたね。
これからサイト更新して、顔を洗って、今村宮へ昨年の感謝と、今年もなんとか乗り切れるようお願いして参りましょう。音楽はそれから。
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ワタシは無心論者だけれど、今村宮はご近所のよしみ、というかご町内だし、毎年ほとんど願ったことは叶えてくださったようなような気もするので、大切に、しっかり拝んでまいりました。賽銭些少で申し訳ないが。
養老猛司「超バカの壁」(新潮社新書)・・・題名がナニだけれど、これは(相変わらず)”目からウロコ”的衝撃の良書であります。新年早々の読了に相応しい。「相談をするときに、具体的な答えを期待する人がいる。それはおかしい」〜まったく同感であります。世の中、コンピューター・プログムのように理論的因果関係が明快なものばかりではない。都市には人工的なものばかりが溢れるが、人間(とくにこどもは)自然物であって、思うようにはならない。本を読めば賢くなり、ゲームばかりやっていたらバカになる、というのは一見正しそうで、じつはなんの科学的裏付けもないんです。
ま、自然だから、身体(からだ)を鍛える、ちゃんと好き嫌いなく栄養偏らず食べる、家族や友人と楽しくおしゃべりしながら食べる、というのは大切なんですよ。巷間良く話題になる若者の”自分探し”(「自分探すな、まず仕事探せ」という名言有)についても、まず眼前の穴を埋めろ、と。ワタシは18歳(学生)の時から現在の仕事方面に関わっていたけれど、その実際の内容、実務、仕事の考え方は驚くべき程変遷しましたもの。お仕事でも”青い鳥症候群”目立ちますね。(黙って店頭に置いておけば、魔法のように売れていく商品!出せ、とか)言い訳ばかり、結果論ばかりの薄っぺらな論評とか。
「ネットがこれほど普及したから”ネット犯罪”が増える」・・・そりゃそうでしょ、江戸時代にはなかったわな。じゃ、電話でオレオレ詐欺が増えたのは、電話のせいか?(先日死刑になった)フセインの圧制から国民を解放すればイランは素晴らしい社会になる、とは某アホ大国の理論だけれど、ことはそう簡単ではない。もしかして某隣国の首領様が退陣したら、もっと悲惨な結末になる(隣国に大量の流民が広がる!社会的パニックが近隣に広がる)のかも。だから、なんもせん、これで良し!ということじゃないですよ。もちろん。
「誤解」を怖がらないこと。「誤解するのはその人の勝手です。それを無理矢理止めることはできない。だからこちらはできるだけきちんとやるしかない。そうすれば誤解した相手が損をする確立が高くなる」〜嗚呼、これ昨年経験したな。誤解ではなく、某会議にて誹謗中傷され一週間出張停止(実際は3日ほど)〜結論的にそいつはその会議に出席できなくなった。それに「林(はやっ)さんは、わかってくれている」という現場の方々からの嬉しい誤解も沢山ありました。(実際は、わかろうと努力している、だけだけれど)なんとか当面の瑕疵から逃れられた、ラッキーだ、と思うのは早計で、それに真正面からぶつかれば別な人生が待っていた可能性もある。
お仕事を意欲的に進めれば、新しいことを試せば、トラブル、クレームは必ずあるんです。そこから逃げない、”雑用”を厭わない。「自分の筋というものにとらわれると損をします」〜なるほどね。本の読み方は、自分に照合できるかであって、他人事(ひとごと)であれば、それはずっと”バカの壁”なんでしょう、きっと。
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新年最初に拝聴した音楽は、サイト執筆の関係上交響曲第9番ニ短調「合唱」〜ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団(1967年)第3/4楽章となりました。感想は既に更新したとおり。正月はMozart だ!という正しき習慣に従って、交響曲第41番ハ長調K.551〜ハンス・クナッパーツブッシュ/ウィーン・フィルハーモニー(1941年)・・・これが選定失敗だったか。音質かなり厳しく、低音が不足しております。それでも、それなり快速テンポでありながら重量感ある第1楽章、うねるように入念に歌う第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」(まさに、”歩く速さで、歌うように”・・・少々歩みは遅いが)、味付け濃く粘着質に躍動する第3楽章・・・終楽章は細部が曖昧なようで、アンサンブルも乱れがち、速めのテンポはクナッパーツブッシュに似合わないのかな。途中、ぐっとテンポを落とすところなど、良好なる音質で楽しみたい箇所有。
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静かで暖かいお正月です。年賀状も届きました。明日、スポーツクラブは休み、ということなので、先ほど連続して行って参りました。マシン消費カロリー200kcal分(昨日も/読書しつつ)汗まみれ。そして(再び)大浴場にてゆったり・・・極楽です。最高。クルマでの帰り、「嵐屋」が新年早々開いていたので塩ラーメン(おいしく)いただきました。ここの透明スープには希有なるクリアな味わい有。
今朝のMozart の音質は新年に相応しくない、と取り出したのは、「シャンドール・ヴェーグ/セレナード&ディヴェルティメント集10枚組」中10枚目(CAPRICCIO 10377/1990年録音)行進曲K.62(カッサシオン)/セレナード第1番ニ長調K.100(62A)/カッサシオンK.101(1-4)/行進曲Dニ長調K.215(213B)/セレナード第5番ニ長調K.204(213A)・・・爽快でクール、勢いもあって痩せすぎない響き。最高です。新品セット一枚当たり@400弱をバラ中古@500で入手したものだけれど、後悔なし。
3枚途中まで聴いて購入やや後悔しつつあった「レオニード・コーガン10枚組」(BRILLIANT 93030)より、先日聴いた肉厚なるMozart /Bach 協奏曲のあとに収録される、Bach ヴァイオリン・ソナタ ロ短調BWV1014〜ウラディーミル・ヤンポルスキ(p)(1949年)・・・これは劇的濃厚なる表情に説得力があって、ぐいぐいと胸に迫りました。少々の音質不備なんのその。しっかり全部楽しみましょう。元日早々、12月に「ボーナス買い」したNAXOS(の一部)が届きました。
Elgar「コケイン」(BBC交響楽団1933年)/エニグマ変奏曲(ロイヤル・アルバートホール管弦楽団1926年)/威風堂々第1番〜第5番(1926〜1930年ロイヤル・アルバートホール管弦楽団/ロンドン交響楽団)/そして序曲「コケイン」(一部/BBC交響楽団1933年偶発的ステレオ収録)・・・作曲者による自演の記録であります。(NAXOS 8.111022)・・・898円は少々贅沢か、と悩んだけれど、HMVのサイトで見掛けたときに、こんな音源あったのか、ぜひ聴いてみたい!と注文してしまったもの。Elgarは1934年に亡くなっているから、これは晩年の録音となります。まず、音質が信じられないほど良好(1926年の「エニグマ」さえ!)です。偶発的ステレオ収録とは、同じテイクを別マイクで録ったものが残っていて、それを合成したもの。このCDに於けるアンコールですな。
演奏も資料価値に留まらない味わい深いものであって、「コケイン」のやや緩い世界、「エニグマ」には盤石の自信確信が貫禄雄弁であり、威風堂々の躍動する爆発も驚くべき熱気であります。ロイヤル・アルバートホール管弦楽団って、戦前にはそんな団体があったんですね、きっと。あちこち録音が残っております。達者なアンサンブルでした。