2025年11月某日/●
隠居生活もやや馴染みつつある日々
今朝は14度Cとか、体感かなり冬は近いような印象です。一泊二日遊びに行っただけなのに疲れは抜けぬ華麗なる加齢。昨日は終日薄ら寒いくもり空、夜はまずまずよく眠れて、朝ストレッチ、そして短いYouTube体操済ませて、とくに用事もありません。旅行の時の居酒屋など支払いまとめてカードで落としたりしたので、現金で山の神に戻す必要があって、ご近所スーパー迄セブン銀行端末迄現金引き出しに出掛けて、ほんの1.5kmほどのウォーキング。けっこうしっかり喰って今朝の体重は67.05kg▲100g、あと1kgぼちぼち減らしたい。
喬治亜のテリちゃんは人気動画(日本人と結婚)日本で育って日本の教育を受けたイェウォンさんがゲスト。仕草所作もほとんど日本人。ふだん外国人が日本を褒めているうちは良いのだけれど、韓国人が登場すると事態は急変。概ねコメントは良心的なんやけど、ヘンなのが多く集まっております。差別意識モロな感じは不快でした。
「日本固有の領土をK国が不法占拠し続けていることはご存じですか? 」〜んなこと日本に育った若い女性に云っても仕方がないじゃないの。その応答に(良心的な視聴者が)
このチャンネルには全く相応しくないですね! 他のチャンネルへどうぞご質問下さい
そんな返答もありました。考え方は人それぞれ、心のなかで思うのも自由。でも謂れなき差別を公に、しかも場違いなところ、声高に叫ぶのは日本の美学に反すると思うし、それは某隣国の反日主義者と(ひっくり返った)同じ行為に見える・・・場末の引退爺がつぶやいても無力やけど。
Bach ブランデンブルク協奏曲第3番ト長調BWV1048〜ロリン・マゼール/ベルリン放送交響楽団(1965年)・・・LP処分以来30年ほど?なんとか音源入手したい!熱望第1位だったLorin Maazel(1930-2014亜米利加)/ベルリン放送交響楽団時代のBachをとうとう入手できました。まずは17cmLP時代が懐かしい1曲拝聴。生命躍動する合奏協奏曲との出会いはカラヤン/ベルリン・フィル(1964年)これも17cmLP、兄が友人から借りてきたものだったと記憶します。当時未だ小学生6年生か中学生になったばかり、まだデリケートな含羞いっぱいの思春期、一撃でこの作品の虜になりましたよ。爾来、ブランデンブルク協奏曲全曲はお気に入り作品の筆頭、若い頃の瑞々しい経験は一生もんの嗜好を方向を形作るものでしょう。
そしてレオンハルト/クイケン兄弟(1976-7年)によって古楽器演奏と出会った衝撃も忘れられない。いまやマゼールの記録はかなり大柄に厚みがあって、響きが豪華に大仰過ぎに感じるけれど、PHILIPS録音は鮮明。35歳若手のヴィヴィッドな熱気への感動は昔の記憶と寸分違わない。この時期のベルリン放送交響楽団は意欲あふれる充実、コンマスは豊田耕兒さん(1933-日本)ですよね。ちなみに息子さんの豊田弓乃さんも親子二代コンマスを務めたみたい。管弦楽組曲と併せて、これからゆっくりと全曲を堪能いたしましょう。
カッコ良い弦楽のみの合奏協奏曲は
第1楽章「Allegro」ゴージャスな響きにリズムは重くならない。(6:40)第2楽章「Adagio」あっさりと和音のみ。(0:13)第3楽章「Allegro」は重量級の響きに快速!(4:42)
Beethoven ピアノ協奏曲第1番ハ長調(1967年)/第3番ハ短調(1965年)〜アルトゥール・ルービンシュタイン(p)/エーリヒ・ラインスドルフ/ボストン交響楽団・・・Arthur Rubinstein(1887-1982波蘭→亜米利加)による、たしか二度目の全曲録音より。前回は2019年に拝聴。もうぼちぼち80歳!わずかに打鍵には枯淡が漂うけれど、まだまだ技術的な衰えは感じさせぬ記録でした。引き締まったライスドルフの伴奏も万全。音質は21世紀に現役の極上水準。
ピアノ協奏曲第1番ハ長調は1795年の作品。Beeやん25歳青春の作品は優雅に晴れやか。彼らしい力強い風情も感じられる名曲。
第1楽章「Allegro con brio」湧き上がる情熱を感じさせて、立派な行進曲のような始まり。ボストン交響楽団の実力は充分、ルービンシュタインのピアノは力みのない淡々とした風情に流れるよう。(17:08)
第2楽章「Largo」しみじみと情感漂う安寧の緩徐楽章。落ち着いて懐かしいピアノに、しっかりリズムを感じさせる伴奏も極上。(11:09)
第3楽章「Rondo: Allegro」躍動するフィナーレも肩の力が抜けて、余裕の表情が伺えるタッチと流れの良さ。(9:19)
ピアノ協奏曲第3番ハ短調は1803年初演。がっちりとした構成と切迫感は強まっていずれ名曲。
第1楽章「Allegro con brio」厳しい表情、緊迫感漂う始まり。引き締まった管弦楽と、淡々としたピアノの息は合って強面にならぬ味わい深い始まり。(17:30)
第2楽章「Largo」しみじみ落ち着いてゆかしいほどにデリケート、静かな緩徐楽章。ここは枯れた表現が似合うところ。前曲もそうだけど、こんな静かな楽章の完成度が高い。(8:56)
第3楽章「Rondo: Allegro」切迫するリズムに追い込んでいく劇的フィナーレ。軽やかな細かい音型も重くならぬ暖かいタッチ、急がず管弦楽と余裕の対話が続きました。威圧感たっぷりのパワフルな打鍵には遠く、それに不満を覚える方もいらっしゃることでしょう。(8:53)
2025年11月某日/●
隠居生活もやや馴染みつつある日々
お仕事現役時代より出張先ホテルではあまり眠れぬ性癖、前夜は旅行疲れからかなりしっかり眠れました。左膝や右脚踵に鈍い痛み有、これは旅先で散々歩いたのと+唐津福岡大阪新幹線往復ずっと座っていた運動不足と類推、朝のストレッチ、短いYouTube体操、そして市立体育館トレーニングルームに出掛けてゆる筋トレ+15分エアロバイク実施。体重増加に伴って血圧も正常値から+15くらい上がっておりました。鍛え直し、減量必須〜なのに今朝の体重は67.15kg昨日と変わっていない(涙)
好天に恵まれた博多〜唐津の旅続報。姪浜から先、西は人生初訪問。古代史や豊臣時代の朝鮮出兵の関係に書籍を拝見したのみ。佐賀は幾度も訪問したけれど、唐津とはもともと藩が別。糸島半島沖の景色は強烈(ガイジンさんも一生懸命撮影)。虹の松原経由唐津へ。唐津湾上に見える唐津城の姿も美しく、落ち着いた城下町風情は観光客でごった返し。唐津は人口11万とか、我が大東市とほぼ同じだけど、祭りは盛大でした。曳山14台、祭りのクライマックス神幸祭を病より快復、思ったより元気だった大学同期の案内にしっかり拝見しました。曳山の大きさは我が街のとさほどに変わらないけれど、小さなこどもや若者が引っ張る人数と観客が多い(三日間で50万人とか)故郷から外に出た若者も皆戻ってきているのでしょう。
それとお接待?と云うのか、親戚や知り合いに振る舞う風習があるそう。外から来訪した我ら5人、地元の民家でゴージャスな料理をご馳走いただきました(ビール付き/さすが地元の住民は顔が広い)。唐津神社にお参りして自身と家族の健康を祈って博多に戻りました。新幹線の時間迄時間があったので禁断の博多ラーメンを狙ったけれど、駅ナカ駅近所のラーメン屋はどこも行列。一軒のみすぐに入れる店があって、札幌で経験では、すぐに入れる店のラーメンはいまいち〜結果は博多ラーメンには珍しいやや平麺の細麺、洗練されバランスのよろしい豚骨醤油スープも悪くない〜けど、なぜ人気がないのか理解できて、例の臭みのある豚骨の濃厚さ、パンチが足りないんです。でも水準は高かったですよ。これが最悪の体重増、そしておそらく血圧を押し上げたと類推。
最寄りの駅に到着したのは夜の8時半、タクシーはおりません。疲れ果てた足腰を鼓舞して自宅迄2km歩きました。全部で伍萬圓くらいかな?使ったのは。病に倒れてしまえばどこにも行けない、旧友にも逢えなくなるから、元気なうちにあちこち出掛けましょう。
Brahmas ドイツ・レクイエム〜ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/ストックホルム・フィル/合唱団/ケルステン・リンドベルイ・トルリンド(s)/ベルンハルト・ゼネルステット(br)(1948年ライヴ)・・・
「録音は劣悪、あくまでマニア向け/強音はダンゴ状態、弱音は聴き取りにくくデリカシーが感じられない」
「第1楽章からして陰々滅々、物々しさが過ぎて気持ち悪くなる。オーケストラの力量はかなり落ちるし、合唱ももやけ過ぎ」
との酷評を見掛けました。
オーディオは自分の縄張り外なので頓珍漢を前提に「Furtwangler The Legacy」(Brilliant)の復刻の成果なのか、さほどに聴きづらい音質に非ず鮮明!などと云うつもりもなし、音質的に全曲聴き通すのに苦痛はありませんでした。合唱実演参加は中学生時代がラストだから偉そうなことは云えぬけれど(担任が音楽の先生/とにかく精一杯歌え!という指導だった)声楽だって酷評するほどの水準とは思えない。管弦楽はちょっと引っ込み気味なのはたしかだけど、例の魔法のような入魂の演奏に打ちのめされました。フルトヴェングラー信者じゃないけれど、怒涛のような迫力に呑み込まれて声も出ないほど。
作品との出会いはヘルムート・コッホ/ベルリン放送交響楽団/合唱団(1972年)と記憶して、旋律には馴染んでいるけれど拝聴機会は少ない、自分にとってちょっと立派過ぎてハードルの高い作品でした。言葉の壁はもともと、独逸語による新旧聖書からの引用らしいから理解は断念、敬虔な風情のみ堪能中。二管編成(?+ピッコロ)ティンパニ、ハープ、混声4部、バリトン、ソプラノ。例の如く巨大なる世界が広がります。
第1曲「Selig sind, die da Leid tragen(幸いなるかな、悲しみを抱くものは)」ここはノイズ過多に聴くに耐えないとの声も多いところ。おそらくは音質改善顕著なのでしょう。じっくりとした重い足取りと、地の底から湧き出るような合唱に、ただならぬ静謐と緊張感が漂います。(12:50)
第2曲「Denn alles Fleisch es ist wie Gras(肉はみな、草のごとく)」深刻な男声合唱に、安らぎの女声合唱が続いて、じっくり神妙に足取り重く、延々と続くティンパニが印象的なリズムを刻んで深刻な歩み。中間部の安らぎの対比も美しい。ラストのフーガ、その高揚は凄い説得力。(16:30)
第3曲「Herr, lehre doch mich(主よ、知らしめたまえ)」美声だけどちょっと時代掛かった勇壮雄弁な男声ソロ。そこに清涼な合唱が力強く対応して、ここもティンパニのアクセントは印象的。(11:10)
第4曲「Wie lieblich sind deine Wohnungen(いかに愛すべきかな、汝のいますところは、万軍の主よ)」安らかに落ち着いた合唱。これが高揚して熱は高まります。(5:44)
第5曲「Ihr habt nun Traurigkeit (汝らも今は憂いあり)」清楚なソプラノは優しくデリケートな合唱と管弦楽に包まれ、心安らぐところでした。(9:00)
第6曲「Denn wir haben hie keine bleibende Statt (われらここには、とこしえの地なくして)」バリトンの勇壮雄弁なソロから叩きつけるようなど迫力劇的推進へ、情感は高まって圧巻のフーガへ。(11:51)
第7曲「Selig sind die Toten(幸いなるかな、死人のうち、主にありて死ぬるものは)」心が浄化されるような晴れやかな合唱。(13:04/拍手はカット)
2025年11月某日/●
隠居生活もやや馴染みつつある日々
ドジャースがワールドシリーズ制覇、MVPは山本。俄ファンはとっても嬉しい。世の中は本日よりお仕事や学校再開。行ってきました新幹線にて博多〜唐津の旅。疲れ果てました。日常自宅引き隠り乃至ご近所狭い範囲の生活だから、ノーミソへの佳き刺激となりました。これから精算して、自分の小遣いより山の神に返却いたしましょう。
一昨日朝は睡眠不如意だけど、いつものストレッチ、カンタンなYouTube体操済ませて、ちょっと早めに最寄りの駅に出掛けたのは事故などで新大阪迄遅れる可能性はないでもないから。結果的に新大阪には出発より一時間ほど早く到着、久々に馴染みの店でラーメンでも喰おうかなと思ったけれどちょうどお昼時、ガイジンさんに激混み!それと20年前の価格イメージがあるから、ずいぶんと高く感じて(当たり前だよ)断念いたしました。
のぞみ指定席を取って居眠りしつつ、ゆったり博多に到着して、1年半ぶり。思ったより混んでいなくて車内はちょっと寒かったなぁ、それと広島迄はインバウンドの方々が多かった。いつも思うけれど亜米利加?欧州の方々は身体が大きいですよ。それに薄着。
新大阪駅の女性トイレは長蛇の列、博多駅も同様。集合時間には余裕があるので地下鉄で天神迄移動して、ホテルの場所を事前に確認しておきました。あの辺りも30年ぶり?はずいぶんと姿が変わって浦島太郎状態、まったく方向がわからず大苦戦。電話して教えを乞いました。
少人数のOB会は激安呑み放題、皆華麗なる加齢故、さほどには喰わんのです。呑み放題もほんまは必要ないくらい。さすが福岡は価格も落ち着いて、喰いもんの質にも間違いはない。終えて出る時にはぞくぞくガイジンさんが来訪しておりました。
さんざん呑んだあと、夜だからホテル迄の道順またまた行方不明に大苦戦! 結果的に弐萬歩の大運動に至りました。安いだけあってホテルは場所も不便、作りもそれなりの水準。大病院の前だから患者の家族や見舞客用なのか。
それなりに眠れて朝は和食しっかりいただいて、親不孝通りには若い親不孝たちの朝帰り屯(たむろ)多数、空き缶ゴミを横目に地下鉄経由姪浜にてJRに姿を変えて唐津を目指しました。(続く)
帰ってきたばかりなので、音楽の件はちょっぴり。散々喰って呑んだ結果、今朝の体重は67.15kg+900g! これから鍛え直して減量いたしましょう。
Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調より第4楽章「Adagietto」/Tchaikovsky 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」〜ウラディミール・フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団(チャイコフスキー記念国立アカデミック・ボリショイ交響楽団)(2015年ライヴ)・・・名称がようわからんオーケストラの創立85周年記念ガラ・コンサート(モスクワ音楽院大ホール)のライヴ音源。かなり残響の脚が長い、やや混沌とした響きでした。Vladimir Fedoseyev(1932ー露西亜)は1974年来このオーケストラの音楽監督、もしかして未だ継続中?年齢的にはもう活動は難しいでしょう。露西亜の音楽業界の動静は最近伺えません。
Mahlerは豊かな残響に流れを委ねるようにゆったり、悠々茫洋と雰囲気たっぷり(10:10/拍手有)
Tchaikovskyは濃厚、例の憂愁な旋律を分厚く、スケール大きく歌っておりました。(23:18/拍手有)
2025年11月某日/●
隠居生活もやや馴染みつつある日々
天気予報当たってますね。昨日は秋晴れ、高く薄く流れるような雲に季節を感じました。前夜途中覚醒もなくけっこうしっかり眠れて、いつも通りストレッチ、短いYouTube体操済ませて体調は良好、土曜の市立体育館へ。トレーニングルームは空いていて、なぜかお仕事現役世代土日常連が誰も来ていない。熱心なバーベル愛好家もお休み、新顔が鍛えておりました。いつものゆる筋トレ、エアロバイク15分こなして、血圧を計測すると正常値。体重はもちろんだけど、睡眠の質も血圧に影響があるのかもしれません。昨夜は蒸気吸入をサボってひどい鼻詰まり、断続的に覚醒して睡眠不足極まっております。
これより新幹線で博多行き、夜の酒席後一泊して唐津くんちを見物、明日夜帰宅予定。体重増は覚悟しておきましょう。今朝の体重は66.25kg▲200g、これがどのくらい増えるのか・・・現地の病明け大学同期は唐津駅迄お迎えに出てくるとのこと。大丈夫か。明日朝更新「音楽日誌」お休み。
伊東市の田久保市長失職成って、関係者は「虚しい達成感」との感慨を述べたそう。市議会解散再選挙、市長選再選挙にムダな経費が掛かるのも残念なことだけど、これが民主主義の対価なんでしょう。だって、今回の経緯さておき、多数を頼んでカンタンに選ばれた人を解任できたら困りますもの。定数減の話題も似ていて、日本の議員さんは世界に比較して人口比では別に多くはないのはさておき「まともに働かない、役に立たない議員は減らしたほうが経費節減」という考えはちょっと短絡かと。一歩間違うと「まともに働かない、役に立たない議員」が濃縮されるだけかも。企業団体献金は禁止して(亜米利加みたいに)個人献金だけにしたらよろしい。個人的には政党助成金も廃止希望。政党を代表して比例当選された方は離党したら議員資格剥奪〜これは実現して欲しい・・・ま、場末の引退爺が呟いてもなんの力にもなりません。
Haydn 交響曲第96番 ニ長調「奇跡」/交響曲第94番 ト長調「驚愕」〜クリストファー・ホグウッド/アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(1983年)・・・Christopher Hogwood(1941-2014英国)は古楽器ブームを牽引した人。Haydnの交響曲全曲録音はLP/CDが売れず途中頓挫したそう。たしか、ロバート・レヴィンとのMozart ピアノ協奏曲録音も同様(最近録音は再開されたらしい)ま、クラシック音楽市場はなかなか商売になりにくことでしょう。閑話休題(それはさておき)。
古閑に小粋、引き締まった響きとリズムはヴィヴィッド、腕の立つ古楽器アンサンブルの粗野な響きが堪能できます。音質も良好。
交響曲第96番 ニ長調「奇跡」は1791年の作品。古典的二管編成+ティンパニ。ニックネームにはあまり意味はないそう。
第1楽章「Adagio - Allegro」優雅にちょっぴり切ない序奏。やがてオーボエの歌からファゴットがユーモラスにリズムを刻んで晴れやかな主部が迫力たっぷりに登場いたしました。ティンパニが良いですね。(9:44)
第2楽章「Andante」はなんともノンビリ、素朴に揺れるような緩徐楽章。(5:42)
第3楽章「Menuetto: Allegretto」は優雅に上機嫌、軽妙闊達な3/4拍子。トリオのオーボエとファゴットがなんともユーモラス。ここも粗野なティンパニのアクセント効いておりました。(6:24)
第4楽章「Finale: Vivace assai」はフルートがユーモラスに急ぎ足、さっくり元気よく駆け抜けるフィナーレ。(3:09)
交響曲第94番 ト長調「驚愕」は人気の名曲。1792年初演。これも二管編成+ティンパニ。
第1楽章「Adagio cantabile - Vivace assai」は優雅な序奏から、魅惑の主部が快活に上機嫌に揺れつつ走り出しました。フルートの暖かい音色が印象的。(8:52)
第2楽章「Andante」いちばん有名な表題の由来。シンプルな弦の主題からティンパニ一撃!それが優雅に、時に劇的に変奏して多彩、ティンパニのアクセントが効いておりました。(6:35)
第3楽章「Menuetto」は3/4拍子、速めのテンポに軽快ノリノリ、上機嫌なメヌエット。やはりティンパニ大活躍。(5:03)
第4楽章「Finale: Allegro di molto」シンプルにムダのないフィナーレの素っ気ない。これはHaydnの個性かな?ちょっと様子見の始まりから、一気呵成に駆け抜けて終了いたしました。ラスト辺りのティンパにはなかなかの衝撃でしょう。(3:53)
Opus蔵による偉業「SPに聴くシュトラウス 20世紀前半録音集成」CD7枚より「ヨハン・シュトラウスのラッパ吹込みレコード」
J.StraussUワルツ「美しく青きドナウ」(カール・ドレッシャー/ドレッシャー楽団/1901年/2:01)/ワルツ「美しく青きドナウ」(レオポルド・ストコフスキー/フィラデルフィア管弦楽団/1919年/4:52)/ワルツ「芸術家の生活」(ヨーゼフ・ホルツァー/大オデオン管弦楽団/1910年/7:25)/ワルツ「ウィーンの森の物語」(ウィレム・メンゲルベルク/ニューヨーク・フィル/1923年/4:33)/ワルツ「千夜一夜物語」(フレデリック・ストック/シカゴ交響楽団/1917年/4:20)/ワルツ「南国のバラ」(プリンス-ハイドン管弦楽団/1914年/4:14)/ワルツ「ウィーンの森の物語」(マーセラ・ゼンブリッヒ(s)/1905年/4:29)/ワルツ「春の声」(マリア・バリエントス(s)/1917年/4:10)/喜歌劇「こうもり」〜侯爵様(マリア・イヴォーギュン(s)/1924年/3:40)/喜歌劇「こうもり」〜チャールダシュ(ゼルマ・クルツ(s)/1911年?/3:40)/喜歌劇「女王のレースのハンカチーフ」〜ワルツ(カール・マイスター(t)/ピアノ伴奏/1906年/2:59)/ワルツ「美しく青きドナウ」(ウルタード・ブラザース・マリンバ・バンド/1916年/4:23)/ワルツ「春の声」(アルフレッド・グリュンフェルト(p)/1913年/3:54)/ワルツ「美しく青きドナウ」(ロジャース/ビクター・ダンス楽団(ブラス)/1909年/2:49)/ワルツ「南国のバラ」(アーサー・プライヤー・バンド(ブラス)/1913年/4:18)/ワルツ「芸術家の生活」(ダヨス・ベラ楽団/1922年/3:37)/「宝のワルツ」(マレーク・ウェーバー楽団/1921年/3:38)/「皇帝円舞曲」(シュテルン/ベルリン・アドロンホテル楽団/1921年/3:44)・・・100年以上前に録音された記録がこうして現代に聴けるのは奇跡でしょう。ストコフスキーとかメンゲルベルク、フレデリック・ストックなど著名な指揮者の記録もあるけれど、他の演奏家情報は詳細調べる意欲もありません。電気吹き込みの前、ラッパからダイレクト・カッティングする録音方法だから、音質は想像通り。編成はその録音に嵌るよう改変をされていることでしょう。テンポは収録時間により制限されております。馴染みのステキな旋律ばかり、それでも当時からいかにウィンナ・ワルツが人気があって愛されていたか想像できるようなワクワク感に充ちておりました。
「春の声」の声楽版は現在でも聴けるけれど「ウィーンの森の物語」のソプラノ歌唱は初めて耳にしました。資料的価値と云えばそのとおりだけど、馴染みの旋律が当時の空気に乗って流れる感動を噛み締めておりました。とくに気に入ったのは喜歌劇「こうもり」〜侯爵様(マリア・イヴォーギュン(s)/1924年/3:40)かなり大胆にテンポは揺れてタメはたっぷり、超絶コロラトゥーラの技巧最高、可愛い色気は21世紀に現役でした。もちろん合唱は入りません。ピアノ版の「春の声」も小粋、マリンバは珍しいですよね。ブラス版はとっても健全な感じ。
2025年11月某日/●
隠居生活もやや馴染みつつある日々
11月がやってきて2025年もあとニヶ月。昨日は予報通り朝から薄ら寒い小雨、フロの残り湯があったのでシーツなど洗濯して室内干しいたしました。婆さん(95歳)をデイサービスに送り出して、週末は弟宅に過ごすから、女房殿は平日介護生活を終えて朝、早々に帰宅してきました。自分はゴミ出しして、いつも通りのストレッチとYouTubeエアロビクス10分弱ほど実施、前日はまずまず眠れたほう。あとは終日雨模様の天気に引き隠りました。今朝の体重は66.45kg、これは一ヶ月前と同じ。
明日より博多へ大学OB会〜唐津くんちへ(+見舞い)。
日々気温は下がって、婆さんはホットカーペットが欲しいとのこと。我が家には20年もののホットカーペットが2枚存在して、稼働率は少ないので一枚上げたら、との助言も新しいのを買ってあげたいとの意向。ネットを見たら人民中国製2畳だったら伍千圓くらいのがありますよ。一般には壱萬圓ほど?でも95歳の婆さんはPanasonicが良い!国産に限るとの希望、結局弐萬圓以上のを注文しました。65歳孤高を守っている爺友が居酒屋に「酒は一番高いものから注文する」行為と似ているのか、高ければ間違いない!自分は安くて、そこそこに実用的なもので充分と思います。
昨日付で伊東市の田久保市長ようやく失職へ。12月のボーナスは出ないそう。さて、市長選には再出馬するんでしょうか、熱心なスポンサーがいるのかな?
Mozart ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466(ジャン・ドワイアン(p))/Debussy交響的素描「海」/Ravel ラ・ヴァルス/左手のためのピアノ協奏曲(ジャック・フェヴリエ(p))〜シャルル・ミュンシュ/パリ音楽院管弦楽団(1941-42年)・・・Jean Doyen(1907-1982仏蘭西)やJacques Fevrier(1900-1979仏蘭西)など往年の仏蘭西のピアニストの雰囲気を味わうのならまだしも、若い頃のCharles Munch(1891-1968仏蘭西)による仏蘭西を代表する名曲、わざわざ太古戦前の録音で確認する必要があるだろうか・・・ちょっと悩みながら結果的に想像よりずっと良心的な音質を愉しみました。彼のEMI音源をまとめてネットより入手して、嗚呼なんとか聴いてあげなくっちゃ、そんな悩みも贅沢なヲタク趣味でしょう。
Mozart作品中屈指の浪漫的劇性に溢れた名曲、ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466はSP時代より幻の名演!と珍重された音源なんだとか?仏蘭西らしい軽さと流れの良さはあって、両端楽章のカデンツァは思いっきり華やかに雄弁。(誰のものか知識が薄いのでわからない)「Allegro」(11:42)「Romance」(9:12)「Rondo: Allegro assai」(7:20)
「海」(8:39-5:49-8:05)も「ラ・ヴァルス」(11:20)も彼らしい直截にストレート、勢いある表現、戦前のパリ音楽院管弦楽団は細身の淡いサウンドに華やかだけど、後年ボストン交響楽団との録音条件が整った音源があります。あちらはオーケストラもぐっと上手いし、ま、一応聴いておきました的不遜なリスナーをお許しください。
「左手」はピアノもオーケストラも思いっきり雰囲気たっぷり、重厚かつセクシーな作品を堪能できました。この組み合わせは1937年初めて「完全な形」で演奏された、そんなネット記事を拝見いたしました。大昔だけどジャック・フェヴリエのライヴFM放送を聴いた記憶があって、力みのない淡々としたタッチが詩情豊かに響くのに驚いた記憶がありました。(19:23)
Dvora’k 交響曲第8番ト長調〜ズデニェク・コシュラー/スロヴァキア・フィル(1977年)・・・Zdenek Kosler(1928-1995捷克)が1970年代に録音した交響曲全集より。かつてBrilliantからCD化された全集の第8番はメニューインの音源に差し替わっていて、第9番とともにCD入手困難な音源でした。久々の拝聴は記憶より音質はずっと良好。スロヴァキア・フィル(ブラティスラヴァ)はグラマラスではないけれど、素朴に質実なサウンドは胸に染みるように、たっぷり懐かしい味わいでした。コシュラーの表現は特異な個性を表出させる方向に非ず、誠実に旋律を歌わせて力みは感じられないもの。
第1楽章「Allegro con brio」は冒頭の弦も管もしみじみと響いて、メロディ・メーカーの面目躍如、快活に楷書の表現。颯爽としたキレはないけれど、オーケストラは滋味深い味わいのあるもの。(9:58)
第2楽章「Adagio」楚々として素朴な節回しが胸を打つ誠実な緩徐楽章。途中の金管の盛り上がりも爽やかでした。(12:07)
第3楽章「Allegretto grazioso - Molto vivace」ここが泣ける「スラヴ舞曲風」哀愁の旋律。最高。(6:36)
第4楽章「Allegro ma non troppo」冒頭のトランペットも力強く、チェロも味わい深く、フルートの難所もまずまず無難に切り抜けました。熱気とパワーには少々足りないかも知れないけれど、金管炸裂も渾身、無機的には響かぬ味わいでした。(10:44)