Handel オラトリオ「メサイア」全曲
(ヨハネス・ソマリー/イギリス室内管弦楽団/ アモール・アルティス合唱団)
Handel
オラトリオ「メサイア」全曲
ヨハネス・ソマリー/イギリス室内管弦楽団/アモール・アルティス合唱団/ M・プライス(s)/ミントン(con)/ヤング(t)/ディアズ(b)
BRILLIANT 99777-11/12 1970年録音 40枚組 6,814円(税込)で購入したウチの一枚
誰でも知ってる歌ってる、「メサイア」は(一部だけなら)こども時代から馴染みだし、LP時代はススキンド(だったっけ?)、CD時代に入るとビーチャム盤(グーセンス版)で聴いておりましたが、どうも(この音楽自体が)ワタシの嗜好に合わなかったみたいで、CDも売り払っちゃったし、その後、あまり聴く機会もありませんでしたね。楽譜には縁のない自分だけれど、これは驚くほどの「版」が存在して、決定稿がない(Handel 指揮用の総譜にも、たくさん加筆修正削除が存在する、とのこと)状態らしい。
Mozart の編曲は有名だし、グーセンス版に至ってはチェンバロじゃなくてハープできんきらきん!状態でしたね。プラウト、とかサージェント編曲版なんかもあるらしくて(未聴)、ま、さすがに古楽器復刻時代を迎えて派手派手しいのはあまり演奏されないが、録音ではいろいろ聴けます。このソマリー盤は「ショー校訂版を基にした独自の版」(意味不明)とのこと。ま、すっきりしておとなしめの編成(現代楽器・弦主体+トランペット+オーボエくらいか)であります。ソマリーは「Johannes Somary (Conductor, Organ). Born: April 7, 1935 - Zurich, Switzerland.」とのネット検索情報有。
で、再聴のキッカケは「音楽日誌」に書いたように、他のBBSを見ていて、驚愕の事実発見!ダブり買い未然に阻止!(あたり前!)
先日来ご近所BOOK・OFFでソマリーの「メサイア」が売られており、そのうち買おうかな、と考えておりました。で、さきほどこのBBSを見て、なんとなし「ヨハネス・ソマリー」で検索したら、トップでワタシのサイトが登場するじゃないですか!情けない・・・1970年代の録音だそうです。 (自らの書き込み)
・・・相変わらずのボケ症状(忘却・・・)から、深く反省して真面目に集中したもの・・・いやぁ、目覚めるもんですな。穏健派ではあるが、すっきりスリムなアンサンブル、合唱が充実していること、ソロ声楽陣は豪華顔ぶれで自分の出番でここぞ!と説得力が深い。フツウっぽくあるが、それだからこそ素直に楽しい!先日、ショルティ/シカゴ響の抜粋(1984年)聴いたばかりだけれど、「ショルティだったら、グーセンス版辺りで思いっきり派手派手しく演ってよ!」的、妙な隔靴掻痒状態でして、ゲヴァング(a)の声だってどうも好みではない・・・(全世界のショルティ・ファンの皆様すみません)と感じたから、これは相性問題でしょうか。
大仰ではなく、かといってスカでもない、少々オフ・マイクっぽいバックは線が細くクセはない。(これはソマリーが合唱指揮者である故か)キリストの誕生に相応しい敬虔なる雰囲気有。録音はそう優秀とも言い難いが、日常聴きには充分なる水準でしょう。
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第1部は「予言」とか「受胎」「キリストの誕生」ですな。ヤング(t)は清潔で若々しい歌声(「慰めよ」)で開始します。有名なる「良き訪れをシオンに伝えるものよ」は、フェリア/ボウルトの刷り込みがワタシにはあるんです。フェリアの声は太く、暗く、濃厚なクセがあるけれど、その説得力には比類がない。イヴォンヌ・ミントン(コントラルト)には深さに於いて不足を感じさせなかったし、なにより後半アモール・アルティス合唱団が加わって圧倒的な喜びに唱和して感動的。
ディアズの勇壮かつ敬虔な味わいも入念なる表現でした。(「暗闇を歩む民は」これは前曲との対比なんですね。ちなみに次曲とも)「ひとりの嬰児が私たちのために生まれた」のハズむような軽快なるリズム、合唱の見事なアンサンブル。この部分は第2部ラスト有名なる「ハレルヤ!」に匹敵する聴きどころだと思います。眠くなるような「パストラール」の静謐さ。(オーケストラにはほとんど特別なる”色付け”が存在しない)
そのままの静謐さを引き継いで「羊飼い達が・・・」と、輝かしいく澄み切った(ちょっと知的な)ソプラノ(マーガレット・プライス)が歌い出し、楽しげに合唱が参集+トランペットも活躍します。「娘シオンよ・・・」の驚くべき細かい声の動き(コロラトゥーラとは、きっと言わないんだろうな、オペラじゃないから)・・・この部分の華やかさは「メサイア」中、一番の聴きどころかも知れません。アルトとソプラノによるデュオ(声質の差異が微妙に受け渡される)「重荷を負うものは」にはココロ洗われる思い。
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第2部は「受難」だそうです。「見よ、神の子羊」という暗い合唱〜「軽蔑され、見捨てられ」と(受難では必須である)アルトが深い悲しみを湛えます。暗鬱であり、美しい旋律はいくらでも劇的表現が可能なはずですが、”作品に語らせる”ソマリーの抑制された表現+ミントン支持!これから先、キリストの処刑までド迫力合唱連続します。アモール・アルテイス合唱団入魂!じゃないですか。そして、テナーが「彼を見る人はすべて」〜群衆の嘲笑を表現する合唱の緊張連続。
ついにキリストは処刑されます。「あざけりに彼の心は打ちひしがれ」「目を留め、見よ」の甘く切ない旋律(テノールの美声)。そして「頭を上げよ」のチカラ強い合唱でいままでの暗鬱さを一気に吹き飛ばして、キリストの復活が歌われました。(中略)「なんという美しさ」はソプラノ随一の聴かせどころ(哀愁漂う旋律必聴)であり、「何故、国々は」はバス・ソロの白眉。躍動するリズムと推進力(って、復活したキリスト対する各国の動揺を表現しているんだそうです)・・・ディアズはカッコええ。
「我らは枷を壊し」は技巧的な合唱(たいしたもんです。ピタリ!)の腕の見せどころ(中略)そして、みんな知っている歌ってる「ハレルヤ!」へ。これわずか3分半の山だけど、ティンパニも大活躍、トランペットも久々に伸び伸び歌うけど、ソマリーの表現はけっして”バカ騒ぎ”的ではなく知的な抑制有。流れで聴いてこそ、ほんまに感動がやってきました。
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第3部。帰結(まとめ)でしょうか。「私は知っている」〜ソプラノは安らかに、確信を持って・・・なんという清楚で真っ直ぐ背筋が伸びた、柔らかなマーガレット・プライスの歌。(7分の長丁場、たっぷり堪能)「人により死がもたらされ」も、静かな部分(死)チカラ強い部分(生)の対比が、難しそうな曲。(合唱団絶好調です)「ラッパが鳴るであろう」は、トランペット・ソロ(柔らかくてエエ音です)と勇壮なバス(ディアズ。相変わらずカッコええ)の絡みが見事ですねぇ。(これも9分弱の見せどころだ!)
「おお、死よ」は全曲中、唯一男声(テノール)女声ソロ(アルト)の絡み合いです。 それはすぐに合唱に引き取られ(「しかし、神に感謝しよう」)、ソプラノのかなり長い(5分半ほど)ソロ「神がもし、私たちの見方なら」陰影に富んだ旋律を歌い上げます。こうしてみるとラストは声楽ソロの活躍に時間取ってますね。(テノールは第2部に出番が多い)上演上のHandel の工夫、配慮かな。
全曲ラストは「屠られた子羊こそは」で始まるアーメン・コーラス(7分弱)で、賑々しく渾身のチカラを込めて締めくくられました。
・・・嗚呼、こんなに真剣に「メサイア」を全曲(2度3度連続して)聴いたのは初めてだなぁ。ナマでも聴いたことはないし。(昨年だったか、ご近所で上演したのにね)旋律の美しさ、多彩さ、Bach も大好きだけど、こちらもっと明るく、大衆的でこんな世界も悪くないですね。せっかくの「40枚組」ボックスも寝かせておいちゃもったいない・・・もうナマ演奏でもなんでもOKでっせ。ソマリーの表現は、個性不足と評する人がいるかも知れないが、聴き疲れしない、主に声楽・合唱に重きを置いたものでした。
(2005年8月26日)
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