Mozart 交響曲第40ト短調 K.550/第41番ハ長調 K.551「ジュピター」
(カルロ・マリア・ジュリーニ/ニュー・フィルハーモニア管)
Mozart
交響曲第40番ト短調 K.550
交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」
カルロ・マリア・ジュリーニ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
FIC (英DECCAの海賊盤) F-310 400円(ご近所スーパーで購入)1965年録音。
下の文書はワタシのサイト開設当初、しかもバブル時代の自慢話に過ぎないが、この録音の価値は不変です。優秀な往年の英DECCAアナログ録音だけれど、罰当たり海賊盤故か少々「音の粒が粗いか?」とも感じました。ウカツに国内盤などを購入すると、ガッカリするようなラフなマスタリングだったりすることもあるから油断できぬ・・・というのは、ちゃんと正規盤を購入していない言い訳です。申し訳なし。そういえばこの録音、10年以上(正規)中古廉価盤に出会えていない・・・次回は必ず買いましょう。
ジュリーニはトスカー二の影響を受けている世代のはずだけれど、叩き付けるような強靱なタッチではなく、やさしく柔らかい表情が特徴だと思います。しかし明快なリズムの切れ味には一脈通じるものがある〜久々の感想は「明快に歌うことへの確信」ですね。そういった意味ではまったく自分の感じ方は変わらない。「どんな音形もていねいに、息深く、明快に歌う。楷書の表現なんです。『息深い歌(カンタービレ)』が徹底され、細部を入念に刻印するほど自然とテンポは遅くなってくるはず」(6年ほど前の自らの文書より〜この時点ではテンポは遅いわけではない)・・・その通り。ト短調交響曲は旋律が泣きます。しかし、それは(例えばバルビローリ風の〜聴いたことはないから想像上だけれど)「ぼうだの涙・泣き崩れ」(これも悪くない)ではない。
もっと清潔に、まっすぐに旋律が泣くんです。リズムがしっかりとしている。オーケストラが素直で明るい響きであること、色気は少ないかも・・・みたいなことを感じたのは、クーベリック/バイエルン放響のMozart (1980年)を直前に聴いたからででしょう。このオーケストラでこそ・・・といった指揮者との信頼関係が深い。素っ気なくも、淡々とした演奏ではもちろんあり得ないが、ハナに付くようなルバートやらテンポの大げさな揺れはほとんど存在しません。しかし、あちこちの旋律はとことん歌われて、これほど細部を彫琢した演奏には滅多に出会わない・・・(第1楽章提示部、最終楽章の繰り返しも嬉しい)
「ジュピター」は表情も晴れやかに、ゆったり堂々と構えが大きいけれど、清潔感を失いません。リズム深く、たっぷり呼吸しながら、細部までニュアンスに充ちて朗々雄弁と歌う演奏。正確・誠実なフレージング。(提示部繰り返しなし)やっぱりフルートは胸に染みますよ。まるで天空を駆ける鳥たちの楽しげ、誇らしげな歌声か。リキみのない第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」は、さらりと薄味です。
「天上から天使が舞い降りる」第3楽章〜表情はやわらかいが、ホンワカ曖昧なものではなくて、きっちりリズムを明快に、イキイキと刻みます。終楽章は遅いテンポ、というほどではないが、あわてず騒がず、着実に晴れやかな表情が広がります。やはり大きな呼吸というか、ゆっくりカラダを揺らすようなリズムが快くて、響きが明るい。急(せ)かない、走らない、でも重さの微塵もない。幸福感と希望溢れるオーケストラとジュリーニの結びつきは、奇跡的な成果を上げました。(ジュリーニの英DECCAへの録音はこの一枚だけだそうです)
(2004年10月18日 数年前の文書は以下の通り)
え〜と、あれはまだバブルの雰囲気漂う1990年(それとも1991年か?)のこと。ワタシはお仕事で10日ほどイタリアへ。ボローニャ、フィレンツェ、フォリーニョ、と回って最後はミラノに行きました。オペラを観る時間はなかったけれど、スカラ座の建物を眺めてから、有名な「リコルディ」(レーベルの名前にもなっていました)というレコード屋さん(というか楽譜屋さん)に向かったら、入り口でジュリーニに出会いました。
ぼ〜としてしまって、サインをもらい損ねました。ワタシが実際に会った有名どころでは、亡くなる年のセルと、このジュリーニの二人だけ。「会った」というのは1m以内に近づくことですよ。それ以来すっかり彼のファンに。
もうジュリーニも隠退したとのことですが、SONYに録音している最近のCDには興味がなくなって、60年前後のEMI録音から80年代のDG録音までがワタシの縄張り。このCDはご本人に出会う前に買ったはず。
この2曲は最高の名曲。心の中で密かに闘志を燃やすときは「ジュピター」と決めています。即興性溢れるシューリヒトも、ひたすらやさしいクリップスも好きですよ。でもこのジュリーニもキリッとして素敵な演奏なんです。
オーケストラの響きが充実していて、輝くよう。この頃のジュリーニは納得できる中庸なテンポで進めていますが、後の録音で少しずつ遅くなっていく理由はわかりますね。
モーツァルトが作り出した、どんな音形もていねいに、息深く、明快に歌う。楷書の表現なんです。「息深い歌(カンタービレ)」が徹底され、細部を入念に刻印するほど自然とテンポは遅くなってくるはず。この表現方法は、Brucknerに通じることは言うまでもありません。
NPOは旧POから衣替えしたばかりの頃で、明るく若々しい響きで魅了します。フルートの瑞々しい音色なんかは滅多に聴けない代物(モリス?)。まだ壮年期だったジュリーニとの相性も抜群で、重くならない。切々とした哀愁漂う旋律を堪能させてくれる40番もいいけれど、威圧的にならず、スケールも大きい、とくに最終楽章の開放感が胸を打つ「ジュピター」が極め付き。
激安海賊盤としては、現在も現役。同じ会社ですが番号は変わっています。録音状態は往年のDECCAの名に恥じない極上もの。ジュリーニによる、この曲の新録音は聴いたことがありません。(1999年)