Mussorgsky/Ravel 組曲「展覧会の絵」
(ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団)
Mussorgsky
組曲「展覧会の絵」(Ravel 編1960年録音)
Prokofiev
三つのオレンジへの恋〜6曲(1962年録音)
Bartok
弦楽のための嬉遊曲(1961年録音)
ヘルベルト・ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団/室内管弦楽団
CCC 000232CCC 15枚組4,480円にて購入したうちの一枚
以前更新した「CCC 0000632CCC」は、ノイマンの2曲が惜しかったんだけれど”CD総量抑制化計画”(倒れ)により、処分してしまいました。鮮明なる音質を誇る「展覧会の絵」は(p)1968となっていたけれど、じつは1960年録音ということが判明しました。強烈です。驚愕の切れと奥行き、迫力。演奏ももちろん凄いが音質鮮明で、まず仰け反るんです。この作品Ravel 編でも、オリジナルのピアノ・ソロでも大好き。聴く機会は多いですよ。
ライプツィヒ放送交響楽団はこの時点、絶好調だと思います。ケーゲルは全編に渡って厳しい集中力と、非情なるリズムの切れを要求しているが、完全にその要求に応える技量の高さ。強靱で冷徹、オーケストラは高らかに鳴り渡って昂揚するが、表情を変えないし、温度も低いんです。テンポは中庸であり、旋律を詠嘆に歌わせることはないが、色彩に不足しない。華やかじゃないですけどね。この作品って、ところどころユーモラスでしょ?例えば、「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ」とか「リモージュの市場」とか。
そこだって生真面目に、冷静に、テンション変えずに粛々と乗り切ります。あちこちの「プロムナード」も神妙です。ラスト、「キーウの大門」に感慨極まる!ことはなくて、ひたすらクール(冷血?)無表情にボリュームを上げていくだけ。キリキリと鋭い金管にゾクゾクしちゃいます。数多い「展覧会の絵」録音中、稀有なる個性を誇る”ウラ名盤”第1位に間違いない。正統派メインストリートではないが、ワタシは大好き。
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作品収録的にはこの「ケーゲル・ボックス」中一枚のほうが整合性有。Prokofievといえば”乾いた情感”みたいなイメージがあって、ケーゲルに印象ピタリ!と合いそう。6曲収録は多いほうじゃないか。「行進曲」「スケルツォ」ばかり有名ですもんね。緻密なアンサンブルだけれど、前曲「展覧会の絵」ほどのハジけかたではなくて、オーケストラもやや不調。録音印象(悪くはないが、やや落ち)もあるのかも知れません。あくまで”ケーゲルとしては”、期待ほど、という意だけれど。フィナーレに至って、ようやく破壊的な魅力が見えて参りました。
Bartokは文句なし。バロック的編成、古典的な構成の合奏協奏曲であり、Bartokらしい例の怪しい旋律の魅力横溢。ケーゲルは期待通りのエグい鋭さ、集中力抜群也。第2楽章はエレジーなのか?密やかな苦渋が惻々と身に迫ります。繊細だけれど嗚呼無情、悲痛な叫び(強弱の対比明確)はどこにも届かない。終楽章のリズム感、冷たいノリの良さ、ヒリヒリするような叫び、これぞワタシの求めていた表現であります。 (2008年5月2日)
Mussorgsky
組曲「展覧会の絵」(Ravel 編)
ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団(1968年頃録音?)
Liszt
交響詩「前奏曲」(1968年?)
Smetana
交響詩「モルダウ」(1965年)
ノイマン/ゲヴァントハウス管弦楽団
CCC 0000632CCC 687円
「展覧会の絵」は、難しい曲ですね。どうとでも表現できるし、編曲ものも多種多様。原曲が一番好きだけれど、Ravel 編の人工的な〜まるで遊園地の喧噪のような〜世界も嫌いじゃありません。一般に録音状態は気にしないほうだけれど、この曲は音の状態は良い方が聴きやすい(編曲版)。ま、そんなこと本質的な問題じゃないが。ここでは相当の高水準で気持ちの良い音(演奏とは別)でした。
先日聴いたアンセルメには感心しました。「ロシア・コテコテ濃厚方面か、それとも『オーケストラの腕の見せどころ』とばかり朗々と雄弁に表現していただくか、それともフランス・ラヴェル・色彩・粋方面か。」・・・・なんて勝手なこと書きましたが、ケーゲルのはいずれにも当てはまらなくて、「なんだバカヤロ」(懐かしの故・荒井注風に)方面演奏なんですよ。
アンセルメは「旋律の歌わせ方〜とくに末尾があっさりとしていて」なんて評したが、じゃケーゲルのはなんなの?「旋律の末尾をバッサリと切り捨てて」といったところでしょうか。冒頭プロムナードのトランペットから、ガチガチのロボットみたいなカタいリズムになっていて、ドイツ軍隊行進曲風。ニコリともしないで整然と行列は進む。そのテンションの高さ、非情さ、金管の暴発ぶりもたいしたもので、作為ぶりは北朝鮮のマスゲームもかくや、といった印象があります。
これ、もしかして「狂気」とかを意識したもんじゃなくて、楽譜通り一生懸命メリハリ付けていたら、こんなんになってしまいました・風演奏かも知れません。でも、なんか有名な「展覧会の絵」という作品とは別な曲に聞こえます。学校で習ったときには「これはこんな絵を表現していて、プロムナードは絵を見ている人が、次はどんな絵かな、と期待する気持ちなんだよ」と教えられたはずだけれど、いや、そんなんとは遠く隔たっている演奏か。
プロムナードは悲痛だし、静謐な部分での細かいニュアンスも不気味そのもの。「ビドロ」のチューバなんて、かつて聴いたことない重苦しさ。そして弦に引き継がれ、金管が爆発し、全奏へ至るが、その盛り上げがじつにヒステリックでよろしい。シュミイレは、ほんまに虐められております。(可哀想)この物騒な現代には、まことにわかりやすい主張ある解釈で楽しめました。但し、共感はしない。あくまで一歩引いて楽しみたいもの。
オーケストラの力量は、ドレスデン・フィルより上だと思うが如何?(でもドレスデン・フィルのほうがオモロイ演奏が多い)難曲だからオーケストラの技量がもろに出るが、その辺りにはまったく問題はないと思います。やや食傷気味(と自分で勝手に思っていた)「展覧会の絵」だけれど、アンセルメ、ケーゲル、チェリビダッケ(シュトゥットガルト放響、MPO来日公演)と聴いてきて、ま、いろいろ多方面から楽しめるもんだなぁ、と、つくづく感じました。
ノイマン/ゲヴァントハウスは、この辺りが黄金時代なんです。リストの作品はほんまにツマらんが、これだったら聴きたい。(ケ−ゲルとは極端に違うので、続けて聴かないように)木管が優しくてシミジミ、弦が奥ゆかしさをたたえて聞こえるのはケーゲルのあとだから?金管が良く練り上げられ、弦とのバランスが絶妙なこと。ウ〜ム、名曲だなぁ、チェロもオーボエも美しいなぁ。気が遠くなりそう。
なんという柔らかい深さ・・・・てなことを考えていたら十八番「モルダウ」に入っちゃって、もうたいへんなんスから(故・林家三平風)。望郷の念、なんて言っちゃうとやりすぎだけれど、この曲はたいていジ〜ンと来ます。水源から大河となって海に流れ出る物語を雄弁に表現してくれて、モルダウ川を故郷とする人々の哀切の思い、村祭り、人生・・・・ここまでくると「川の流れのように」(美空ひばり)の世界か?サビの部分の旋律にも一脈通じるものが・・・。
それが奥ゆかしくも絶妙に表現され、ゲヴァントハウスの地味で抑制された深い響きが、ノイマンのやや軟弱な表現とピタリと相性、といつも思うがいかがなもんでしょう。(2002年3月1日)
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