Dvora'k チェロ協奏曲ロ短調
(カラヤン/ロストロポーヴィチ(vc)/ベルリン・フィルハーモニー)


UCCG4647 Dvora'k

チェロ協奏曲ロ短調 作品104

Tchaikovsky

ロココの主題による変奏曲 作品33

ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー/ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(vc)

DG UCCG4647 1968年録音

 チェロ協奏曲人気No.1はこれでしょう。SchumannもSaint-Sae"ns、HaydnもBoccheriniも素敵ですよ。しかし作品の規模、郷愁の旋律をたっぷり歌うソロの魅力、オーケストラの多彩な響き・・・もうちょっと知名度が落ちても現役、期待の若手の演奏を聴こうと思って結果、こどもの頃から馴染みの著名音源に打ちのめされました。なんというリアルな音質、ヴィヴィッドな演奏なんや。

 以下の粗雑なコメントから十数年経過、懐かしい駅売海賊盤は棚中現役(というか処分しそこねたまま)ちゃんと正規音源を気軽に拝聴できる時代がやってきておりました。ジュリーニとの録音(1977年)にも落ち着いた味わいを好ましく感じたもの。1957年のハイキン盤だってソロに限って云えばカラヤン盤と遜色ない完成度と思います。いずれ、関係者一同ほとんど鬼籍に入っちまったな。後ろ向きの回顧ばかり。

 久々の拝聴は、全盛期のカラヤン/ベルリン・フィルの凄み、輝かしさに圧倒されました。

 第1楽章「Allegro」冒頭のクラリネットからもう尋常一様な緊張感に非ず、フルートの震えるような色気に背筋はゾクゾクして、オーボエのニュアンス豊かな軽快軽妙な表情付に圧倒されました。誰ですか?ライスター?ツェラー?コッホ?ホルンの野太い堂々たる構えはザイフェルトでしょうか。例えば先のジュリーニ盤に於けるロンドン・フィルがみごとなアンサンブルを聞かせても、ベルリン・フィルの艶やかさ、分厚さには敵わない。ミシェル・シュヴァルベ率いる弦のシルクのような響きは極上です。

 ロストロポーヴィチは当時41歳、芯が一本入って色気も脂気もたっぷりに充実したソロ。それと対等平等に渡り合うには、世界一のオーケストラしか考えられない。1962年にリヒテルとTchaikovskyを録音したでしょ?いつもは余裕のカラヤンもソロの個性に真正面からぶち当たるしかない!といった根性入った伴奏になってますよ。それを思い出しました。息の長い安寧の第2主題は目眩がするほど朗々と歌うチェロ、しかしバリバリ弾くばかりが能じゃない、絶妙の抜き加減、弱音のテンション対比こそ真骨頂。名曲。

 第2楽章「Adagio ma non troppo」。Dvora'kの緩徐楽章と云えば「新世界」〜「家路」、彼(か)の懐かしい名旋律に負けぬ郷愁の魅惑。ここだってフルートの緊張感ある鳥の声がソロに負けぬ掛け合いを演じます。ホルンの重奏は目眩がするほど深い。

 第3楽章「Allegro moderato」。ずんずんと低音リズムを刻む開始、付点に躍動する第1主題はちゃんと聴かせるには難しい、個性的なものと思います。これは黒人霊歌に影響を受けたんでしょ?賑々しい華やかな迫力、トライアングルの効果も抜群。最終版、チェロがヴァイオリン・ソロと掛け合うでしょ?(シュヴァルベか)その丁々発止のアツいラッシュに息を呑むばかり。一期一会の出会い、一世一代の完成度。

 「ロココ変奏曲」はフィッツェンハーゲン版でしょう。気紛れ、繊細な味わいの変奏曲、18分ほどの適度な長さ、あちこち聴いて、ロストポローヴィチ以上の完成度に出会ったことはありません。もちろんカラヤンのオーケストラも。

(2016年2月14日)

 Dvora'k チェロ協奏曲ロ短調は”お気に入り”でして、2003年に手持ちまとめて一気聴きしたものです。ま、個人的順位付け(座興・・・のつもり)も含めて、あまり価値ある行為だと自分でも思えないが、飽き性のワタシは「もうしばらく、この作品は聴きたくない」とお腹一杯になったものです。別なCDを探していたら、これが出てきたので久々再聴。(それと以下文書↓1999年頃?の加筆を少々)

 ソロ・バックともの技術的・芸術的な完成度、ボヘミアの地域性溢れる懐かしい旋律の生かしかたと、洗練度合いがバランスしていて最高です。力感に不足などありようもないが、全体として”余裕でカタのチカラが抜けた”演奏であり、ロストロポーヴィチはとくに弱音の美しさが出色だと思います。(技術的な完成度はこの辺りがピークか?)ベルリン・フィルは時に見られる「上滑り感」(音が安易に出過ぎる)印象がほとんどなくて、カラヤンは一流のソリストとの出会いに燃えていた・・・

 つまり数年前の自らの印象となんら変わらない。録音が自然で優秀であることは付け加えておきましょう。以下、少々蛇足を。フルニエ/セル盤(1962年)の甘さ控えめの魅力も後に気付きました。ソロの個性(フルニエはもっとノーブルというか、柔らかい、というか、それは好みだけれど)セルが指揮するベルリン・フィルの集中力(辛口!)は恐るべき水準。

 ロストロポーヴィチ/ハイキン/モスクワ放響盤(1957年録音)以下で言及していたロストロポーヴィチ/ハイキン/モスクワ放響盤(じつは1957年録音だったらしい。オーケストラ表記は国立放送大交響楽団)は、2004年に入手(YEDANG CLASSICS YCC-0015)できました。録音はそれなりに聴きやすいものだけれど、ソロの完成度はカラヤン盤と変わらないかな?注目はオーケストラの個性でして、ビロビロのヴィヴラート・ホルンなどとろけるように甘美!(言うまでもなく)カラヤンほど洗練されないが、なんかシミジミ・ノスタルジア来ちゃいました。

 「カラヤン盤を上回る繊細さと濃厚さが」〜というのは言い過ぎかも知れません。これはこれで味わい深い個性を持っておりました。

(2004年9月26日)


 KAISER DISKSというレーベルによる掟破りの海賊盤。「The Great Karajan's Collection」という凄い名前のシリーズが数年前に出てました。(ものによって音のバラつきがひどいから、LPから起こしているのでしょう)値札によると600円で購入。LP時代、中学生だった私が心ときめかせて聴いた演奏のひとつ。ジャケットに「芸術祭参加」なんていう金色の丸いシールも貼ってあった記憶があります。

 実は(遅ればせながら)フルニエ/セルによる同曲のCDを購入(DGの正規盤ドリーム・プライス1000シリーズ)したのですが、評判ほどに感動しませんでした。(聴き込みが浅い?)

 この曲は、ボヘミアの郷愁溢れる旋律が泣かせる名曲と思いますが、はじめて聴いたロストロの演奏が脳味噌の奥底にこびりついているのでしょうか。フルニエもセルもスケールが大きくて、正攻法。オーケストラの響きも厚くて充実して立派な演奏に間違いはない。でも、なんと云いますか、真っ直ぐ過ぎて決まりすぎて・・・セルもフルニエも大好きなんですけどね。ベルリン・フィルの上手さも出色。なんども聴き進めるウチに味わいも出てくるような気もするのですが。

 そこで取り出したのがこのCD。

 ロストロポーヴィチもベルリン・フィルも、この辺りが頂点だったのではないでしょうか。
 異様に熱く、興奮に満ちた炎のような演奏。ロストロの溜息のようなカンタービレに、ベルリン・フィルの面々が一歩も引かずに応えるところなどゾクゾク。チェロが泣けばオーケストラもすすり泣き、オーケストラが咆吼すればチェロは余裕で受けとめる。

 チェロの一種独特の艶やかなヴィヴラートは、彼以外では味わえない陶酔。(下品で嫌いという人も有)ベルリン・フィルの木管の信じられない深さ(フルートはゴールウェイ?)、弦のサワサワとした広がりと輝きにみちた響き(最終楽章における、チェロに負けないヴァイオリンの高揚〜シュヴァルベ?)、どんなに爆発しても濁らない金管の迫力。

 カラヤンの節回しはちょっと芝居っけが鼻に付くけど、ロストロに煽られていつになく興奮状態に陥っているよう。

 「ロココ」は興奮したドヴォルザークのあとに聴くと、ちょうどよいクール・ダウンです。ていねいで繊細な演奏ぶり。これほど流暢で完成された演奏は、他では聴けない水準。

 ロストロはこの曲を6回(?)録音しているそうで、私はハイキン/モスクワ放響との録音をLP時代持っていました。(コロムビア・ダイヤモンド1000シリーズ)いまは海賊盤(ANC1004D「ロストロポーヴィチ」)に2楽章のみ収録したCDを所有。(たしかロシアン・ディスクで全曲あったような記憶が?違う演奏かな)この2楽章は、カラヤン盤を上回る繊細さと濃厚さがあって、とてもいい演奏です。

 カサド/ペルレア盤(VOXBOX)も誠実で立派ですが、この演奏と比べてしまうと、地味な印象になってしまうのは致し方がないところでしょうか。


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written by wabisuke hayashi