Tchaikovsky ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調
(スヴャトスラフ・リヒテル(p)/ヘルベルト・カラヤン/ウィーン交響楽団)
Tchaikovsky
ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23(1962年録音)
ヘルベルト・カラヤン/ウィーン交響楽団/スヴャトスラフ・リヒテル(p)
Prokofiev
ピアノ協奏曲第3番ハ長調 作品26(1967年録音)
クラウディオ・アバド/ベルリン・フィルハーモニー/マルタ・アルゲリッチ(p)
エコー・インダストリー(DGの海賊盤) ECC649 たしか800円くらいで購入
DG 429 918-2 3枚組1,380円にて正規盤入手済(2000年)
以下のコメントを上梓した直後に正規盤を入手いたしました。既に10年経過。時代は変化し、21世紀はいっそうの不況の深化、国際紛争・・・贅沢品だったCDはデータに取って代わられ、目も当てられぬほどのデフレスパイラル状態に・・・相変わらず極東の国マンションの一室で缶詰ばかりの音楽食生活、なんせクラシック音楽は保ちがよろしいんです。1980年のディジタル録音!そりゃ新しい録音だ、的感触はあるけれど既に30年一世代回ってますって。現役若手の録音はなかなか入手の機会がないけれど、ここ最近NMLにて拝聴可能。1980年代だったらFMがその役割だったはず。閑話休題(それはさておき)*そういえば先日ベレゾフスキーの同曲のCDをオークションにて処分しちゃった・・・
既に物故した往年の巨匠がっぷり四つの録音は、半世紀前になろうとしている・・・これだけ長い生命を維持していると見るべきか、聴き手の旧態なる頑迷さを嘆くべきか。オーディオは門外漢なのでなんともエエ加減な判断基準だけれど、録音も自然なバランス、奥行きを誇って不足を感じさせない〜喧嘩売るつもりはないんだけれど、21世紀ぴんぴんの新録音絶賛!とのネット記事を受けて、いざ聴いてみたらスカみたいな音質〜当方税送料込5,000円(正確には4,980円)のディジタル・アンプですから。そんな経験も再三再四。
演奏印象については10年前の情緒的コメントと本質と変わりなし。硬質強靱なる打鍵、それは空虚な技巧の披瀝ではなく、地に足の付いた盤石の貫禄+常軌を逸した興奮を伴ってド迫力。ウィーン交響楽団の起用はリヒテルの入国ビサの都合らしいが、ややヤワで芯の甘いオーケストラ・サウンドながら、カラヤンはいつになく白熱の伴奏で一歩も引かない。36分間、中学校の音楽室にあったLPはこれ一曲(+管弦楽が収録されていたかも?)のみの収録だったはずだけれど、その趣旨は理解できますよ。なんせ凄い演奏ですから。聴き手の集中力がこれ以上保たないんです。
所謂、露西亜風かなり濃〜い個性のピアノなんだけど、硬質強靱なる打鍵と弱音での優しいニュアンス、抜き方の対比が絶妙なんです。カラヤンの意向に従ったのであろう激遅テンポに乗って、細部迄鮮明明快緻密に主張表現して緊張感は途切れない。美しく、どこを切り取っても魂がこもっている、ということだね。悠々とスケール余裕の第1楽章、最近華麗なる加齢を兼ねた嗜好か?緩叙楽章のリリカルな味わいが好ましく、火花散らすような怒濤の終楽章ラッシュに圧倒される・・・次世代の録音で納得できたのはアルゲリッチくらいかな?若手のお薦めはなにかありませんか。
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Prokofievのほうは、アルゲリッチ(女性に年齢は失礼ながら当時26歳!/ちなみにアバド33歳)の自由奔放、一気呵成な若さ爆発!(これまた)白熱の演奏であります。こちら上記ヴェテランのぶつかり合い、手練手管あらゆるワザを繰り出して競い合う、というものではなく、もっと本能的な計算尽くではない快感に溢れました。所謂”駅売海賊盤”故の妙なコンピレーションだけれど、響きやら音楽の方向性の違いをしっかり認識可能。明るい、爽やか、軽妙、そして疾走。
この作品、ちょっと”受け狙い”的感触があって、ずいぶん聴いていなかったんですよ。ここ最近、乾いたモダニズム的Prokofievのサウンドに目覚めつつあります。ま、アルゲリッチの勢いはそれとは別種の魅力と感じました。 (2010年2月12日)
ワタシのHPを見てメールを下さる方々もいて、楽しみにしております。
「リヒテルに興味がある」とのメールをいただきまして、「どんなCD聴いてますか」訊いたら、「彼のCDは持っていません」とのお答え。ワタシのHP自体がマニアックなCDばかりなもん(自覚はない)ですから、(ありがたいことに)それに興味を持たれるのも悪くないでしょうが、やはり代表的で評価の定まったのも(いちおう)聴いておかないといけませんねぇ。
「オーソドックス」あっての「エキセントリック」。でも時代も変わっているから、「ワルターのMozart ?聴いたことないなぁ」とか、「イ・ムジチ?なんですか、それ」というのもあるかもしれない。時代の変遷とともに、「オーソドックス」と「エキセントリック」がいつのまにか入れ替わっている場合もあるから恐ろしい。
FM放送の衰退が一因かも知れません。ワタシ、10数年間ずいぶん録音してたくさん聴きましたから。そうそうCDは買ってられません。
で、リヒテルの録音はこのくらいは聴きましょう、とお勧めしたうちのこの一枚。どうやら気に入っていただけたようで、勧めた責任上ワタシも再聴しました。ムラヴィンスキーとの録音とはずいぶん違うんですよね。
冒頭からVSOの充実しきったホルンの音色がインパクト充分。リヒテルのピアノは
まるでオルガンのよう(記憶違いでなければベーゼンドルファーだったかな?)。深みと奥行き
があって、切れ味鋭い打鍵も冷たすぎたり、表面的な空虚さを伴わない。テンポの揺
れが凄く、深呼吸のような旋律の歌の余裕。激高と、デリカシーに満ちた哀愁の極端な対
比。
カラヤンはほとんどの場合、協奏曲のパートナーに自分の自由になるひとしか選び
ません。(フェラス、デビュー当時のムター、キーシンも)そして、たいていソロを
ダメにしてしまう。(晩年は反省していたらしい)録音に残された例外はリヒテルと
ロストロポーヴィチで(三重協奏曲は曲が曲だけにあまりカラヤンでなくては・・
・という意味なし。あとクレーメルもいたな、リヒター・ハーザーなんかも大物)、あきらかにソロに触発され、ここでのチャイコフスキーもリヒ
テルの尋常一様ではない輝きにすばやく反応しています。(ようはするに競争してい
る。けんかしている)
このころのカラヤンは、まだ後年の砂糖甘さはそんなにないようだし、(リヒテル
のヴィザ問題でドイツに入れなかったため)VSOを使っているので、爽やかなバック
になってはいます。でも、カラヤンのバックが「流したような」旋律を奏でると、す
かさずそれを受けたリヒテルがたたきつけるような一撃で度肝を抜き、カラヤンはあ
わてて緊迫感を修復しているのが手に取るようにわかりますね。
で、カラヤンがここぞとばかりにしっとりと歌うと、こんどはリヒテルが抜いてサ
ラリと受け流す余裕。(肩すかし?終楽章出だしが実例)こんなに燃えるようなカラ
ヤンは滅多に見られない。(ロストロとのドヴォ・コンくらいか)録音もよくて、完成度の
高い、スケールの大きな演奏でしょう。アンサンブルの磨き上げも、いつもながら最高水準。
文句をつけるとすれば、VSOの木管の音色がつまらないかな。全体に緊張感が強すぎ
て、疲れること、くらいでしょうか。
テンポは非常に遅くて、これはカラヤンの意図らしい。(後のワイセンベルクとの録音も同じようなテンポ)それにしても、久々にリヒテルの硬質で情熱的な音色、完璧なテクニックを堪能しましたね。
え〜正直云ってアルゲリッチのプロコフィエフは、今回ちゃんと聴いていません。
でも、このひとはほとんど無条件になんでも素晴らしい、熱くなる演奏ばかり。天性の動物的なリズム感が楽しめます。「云々全集」みたいなものを録音しない人でもあります。ほんとうに好きな曲のみ演奏し、録音してるのでしょう。
アバドはLSO時代までが好きでした。ほとんど恣意的な表現がないのに、自ずから湧き出るエネルギーとノリを感じさせてくれたものです。ここ最近はとんとご無沙汰。
その後・・・チャイコフスキーは正規盤を購入しました。(DG 429 918-2)というか、協奏曲3枚組を通販で注文したらこれも入っていた、というのが真相。それにしても3枚で1,380円ですよ。音質も軽快。海賊盤を買う理由はないですよね、もう。(2000年も暮れも押し迫った頃)
【♪ KechiKechi Classics ♪】 ●愉しく、とことん味わって音楽を●
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