Dvora'k チェロ協奏曲ロ短調
(ロストロポーヴィチ(vc)/ハイキン/国立放送交響楽団)
Dvora'k
チェロ協奏曲ロ短調 作品104
ボリス・ハイキン/国立放送交響楽団(1957年)
R.Strauss
交響詩「ドン・キホーテ」 作品35(大管弦楽のための騎士的な性格の主題による幻想的変奏曲)
キリル・コンドラシン/モスクワ・フィルハーモニー/ドミトリー・シェバリン(va)(1964年)
以上 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(vc)
YedangClassics YCC-0015 10枚組3,490円にて購入したうちの一枚
2007年4月チェロの巨匠・ロストロポーヴィチ逝去。享年80歳。こどもの頃から馴染みだった音楽家が次々亡くなるのは、自分がエエおっさんになっているのだから仕方がない、北海道の親父と同世代だったんだなぁ。1968年録音のこの作品には心底感動したものです。ワタシは小遣いはたいて(当時のこどもにとって2,000円は大金!)、大切に30cmLP抱きしめて(電車代も使い果たしたから)延々レコード屋(札幌・玉光堂・四丁目店)から歩いて帰宅した記憶もあります。このお気に入り作品を2003年手持ちまとめて一気聴きしたこともありました。
せめて手持ちのCDで個人的追悼を行いましょう。たしかロストロポーヴィチには6種の録音(NHK交響楽団との映像含めれば7種?)があったはずで、これが二番目に旧いものか。LP時代、コロムビア・ダイアモンド1000シリーズで出ていたもの(フィル・アップはSaint-Sae"ns チェロ協奏曲第1番イ短調)で、疑似ステレオ化されておりました。「国立放送(大)交響楽団」表記は、このYedangClassics盤に従ったが、所謂モスクワ放送交響楽団のことでしょうか。いつもながらロシアの団体表記は難物です。
音質良好。ロストロポーヴィチ30歳の若き日の記録だけれど、最盛期40台の録音と比べても何らの遜色なし、既に朗々雄弁艶々とした節回しは完成されております。つまり、ソロに限ってカラヤン盤(1968年)となんら変わらない。完璧にコントロールされた余裕の技巧、抜いたところの超・弱音の美しさ。ワタシの個人的刷り込みはこれなんです。彼のチェロを「下品である」と嫌う方もいらっしゃって、陰影隈取り濃すぎて、しかもあまりに変幻自在な音色・表情の変化をそう受け取られる可能性もあるかも知れません。とくに好敵手であったピエール・フルニエ盤(1962年)の気品の高さ(+ジョージ・セルの謹厳さ)との比較に於いて、そんな論評があり得たと思います。
「雄弁艶々とした節回し」「陰影隈取り濃」く、「変幻自在な音色・表情の変化」こそ彼の個性であって、現在ならもっとジミなチェロに嗜好が遷っているが、一聴、”嗚呼、彼の個性だ”と理解できる派手な世界にシミジミと感動いたしました。1968年カラヤンのバックは”入魂!”と評して良い一期一会的燃焼が存在するが、ボリス・ハイキンのバックは良い意味での職人的な相性があって、しかもロシアの激甘ビロビロのホルンに痺れます。最近の個人的嗜好か、第2楽章「アダージョ」のしみじみとした歌にもっとも深い感銘がありました。
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「ドン・キホーテ」のほうは1964年ながらモノラル録音(ライヴ?)でして、でも音質的にそう悪いものでもありません。カラヤンとの録音(1975年)は聴く機会を得ないが、「雄弁艶々とした節回し」「陰影隈取り濃」く、「変幻自在な音色・表情の変化」ということであります。彼のスタイルはいつも変わらず、好不調の波もない(技術の衰えた晩年別として)。コンドラシンは(先のハイキンと比べて)ずっと響きが洗練されて、メリハリ、緊張感、集中力に溢れました。2005年の「ドン・キホーテ」まとめ聴きでは、少々厳しい評価をしているが、前言撤回!
やや大仰で派手、呼吸の深い、大見得を切ったようなチェロ(ほとんど彼が主役といって良い演奏でしょう)に、感銘を受けました。合掌。 |