●2006年8月某日
今朝も数行執筆したら、エディター落ち。こんな時に限って保存を忘れている、まるで”マーフィーの法則”也。しばらく、この症状は息を潜めていて、最近、新たなソフトを入れた記憶もなし、つまりメインのデスク・トップ・マシンの設定をいじってもいないのに、どーしてでしょうか。ウィルス、スパイウェア対策も完璧なはずなのに。閑話休題(それはさておき)久々、エアコンなしの過ごしやすい夜を過ごしました。このまま素直に秋になってくれ!
昨日のMozart 協奏曲集の件、BBSに(珍しく)書き込みがあり、特別なる思い入れがあって結婚式の引き出物にした、と。オッテンザマーのナマ体験は、失意の時期を癒してくださった、と。エエ話しですな。オリンピックの国内誘致候補は東京に決まったらしいが、もうイヴェントやら、ハコものはエエんちゃうの?朝日新聞「天声人語」も冷ややかなる論評だったし、だいたいほかのエリアの候補地に負けるでしょ、きっと。「バブル長野五輪」の汚職にまみれた反省はどうなったのか。
今朝から、Bruckner 交響曲第8番ハ短調〜スクロヴァチェフスキ/ザールブリュッケン放送交響楽団(1993年)・・・長大なる作品故、途中まで。しかも、早朝ぼんやりしたノーミソ+低音量だから、ほんの聴き流しだけど、非常にクリアな、スリムで集中力ある響きの演奏ですね。ティントナーと並んでこのサイト開設当初熱心に聴いていた音源であって、ようはするに、どんより分厚い響きやら威圧を嫌っていた、という(当時の)嗜好だったんでしょう。アンサンブルの水準はまったくお見事。
季節が落ち着いてくると、ゆっくりBrucknerを聴けるようになりそうです。本日で8月終了。これから2週連続高知行きだけれど、お客同行なのと訪問先も異なります。ノートパソコン持参しませんので、明日の定例更新は帰宅後になります。週末は野暮用で、尾道の山中に(義理で)出掛けなくっちゃいけません。初めての訪問地というのも、人生経験の幅を広げるもの・・・ということにしておきましょう。
●2006年8月某日
・・・ぐずぐずお仕事上の愚痴(トラブルあるわけでもなく、やる気がおこらないだけ)を数行書いて、音楽に言及しようとしたら(久々)エディターが落ちました。一行も保存できていない。もう、エエですわ。
Mozart ファゴット協奏曲 変ロ長調K.191〜シュテパン・トゥルノフスキー(fg)/ヴィルトナー/ウィーン・モーツァルト・アカデミー(1989年)・・・ウィーンの名手による演奏だけれど、躍動するユーモア!だったはずの作品が、どうも楽しめない(流麗過ぎ?上手過ぎか)のはワタシの精神状態対故なのでしょう。LP時代からお気に入りでした。eber.htm" TARGET="_blank">ジョージ・ズカーマン盤に対する記憶はこんなものではない・・・帰宅したら確認しないと。
9/1は定例更新日であり、月間「近況」「音楽日誌」新規ファイル交換日だけれど、出張真っ最中であり、そのホテルは先日ネット接続状態もよろしくなかった・・・帰宅してからの作業にしようかな。どんよりした精神(キモチ)引きずりつつ出勤いたしましょう。
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ちょっとだけ、お仕事は動き(お客からのアプローチ)が出てきて、やはり”待つこと”が必要な時もありますね。どうやら明日辺りから(良い意味で)忙しくなってくるのか。体調はいまいち。ここ半年のダイエット以来絶好調だったが、体重の揺れ戻し+猛暑が原因でしょうか。早々に帰宅し、Mozart 歌劇「魔笛」K.620〜フェレンツ・フリッチャイ/RIAS管弦楽団(1954年)ラストまで確認しております。嗚呼、これはメルヘンなんだな、お伽噺なんだ、と(おそらくは社会常識)ようやく気付きました。(和訳題名印象がよろしくない〜「魔法の笛」辺りが正しい)
言語(独逸語)故か、歌い手の端正な姿勢故か、とてもかっちりとして生真面目なる”メルヘン”。ほとんど熟知している馴染みの旋律目白押しで、「夜の女王のアリア」(リタ・シュトライヒ)の目眩くコロラトゥーラ・ソプラノが、やはり白眉でしょう。端正といえば、タミーノ役のヘフリガーにその賛辞がもっとも相応しい。生真面目といえば、フリッチャイの表現そのものが、いかにも引き締まってそれ風だけれど・・・合唱も緻密ですね。モノラルだけれど、音質的な不備はほとんど感じさせないのもありがたい。
今朝のMozart 協奏曲収録CDの続き・・・クラリネット協奏曲イ長調K.622〜オッテンザマー(cl)/ヴィルトナー/ウィーン・モーツァルト・アカデミー(1989年)・・・ああ、これは微笑んだような色気あるソロが(んもう、とことん!)美しいですね。ほんのちょっと、躊躇いがちに揺れる旋律とか、繊細な味付けが極上の世界。弱音で抜いたところなんか、ほとんど天上の陶酔に近い・・・作品が、ほんまに無垢な精神に至っていて、ココロ洗われる30分の快感。ウィーン・モーツァルト・アカデミーとは、常設団体かどうか知らないがウィーンの名手を集めた団体らしい。ま、それなりのアンサンブルでございました。
●2006年8月某日
心身共に”夏ばて”か。体重はターゲットより2kg増(=維持継続目標より1kg増)状態で、これは精神が弛緩しているからなかなか戻せない。いちおう8月度は予算比二桁増、しかも状況情勢条件改善なく、まったく自助努力のみで行かせている状態だから、(いちおう久々)大絶賛され、状態。でも、肝心のワタシのやる気が出ません・・・粛々と最低限実務消化(+トラブル回避作業+阿鼻叫喚机上清掃)しているだけ。でもさ、3人の(少々出来の悪い)チームメンバーが昨日も自主的に(勝手に)動いていたじゃないの。成長しているし、事態は改善している(はずだ)ぞ。
早々に帰宅したが、10時に眠くなり、12時半に大寝汗で目覚め、2時間ほど読書し、それから再度就寝・・・生活リズムが悪い。
昨夜、Bruckner 交響曲第5番 変ロ長調〜ティントナー/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(1986年)について、ようやく再々コメントそれなりに付け、サイト用原稿として今週の更新のメド尽きました。ずいぶんと緩い、カッコよくない演奏でして、そのかわり優しく、威圧感がない”味わい系”。ヤルヴィの録音では、それなりの引き締まったアンサンブルだから、まさにこれはティントナーの確信犯なんでしょう。
Mozart 「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」K.525〜フルトヴェングラー/ウィーン・フィルハーモニー(1949年)・・・著名なるEMI録音(の音質改悪海賊盤=NOTA BLU 93.5131)であり、なんども聴いていたはずが、その気品というか、颯爽としたカッコ良さに驚きましたね。フルトヴェングラーとしては、おとなしくバランスの取れた表現だろうが、はっきりとした個性が刻印されて、馴染みの作品もいつになく新鮮!に間違いない。異形ではない、美しい個性。
Mozart 歌劇「魔笛」K.620〜フェレンツ・フリッチャイ/RIAS管弦楽団/室内合唱団/グラインドル/シュトライヒ/シュターダー/ヘフリガー/フィッシャー・ディースカウ/オットー(1954年)・・・オール・スター登場ですな。一昨日よりぼちぼち聴いております。昔から馴染んでいるようであって、じつは著名なる歌劇中ではまともに聴いていないほうの作品かも。ワタシに歌劇のコメント不可能だけれど、フリッチャイの精緻な集中力と、名手達の貫禄個性には驚くばかり。モノラル録音だけれど、音質も良好でした。帰宅したら、ラストまで楽しみましょう。
●2006年8月某日
いつまでも、”お仕事やる気が出ない”とも言ってられないサラリーマンのツラさ、せめて気持ちだけでも引き締めていきまっしょい。今朝はどんより曇っているが、また暑くなるらしい。女子バレーは露西亜に完敗!残念。次は岡山ラウンドだ。かおる選手に会えるかな?
音楽をどんどこ連続して聴く意欲は落ちているが・・・Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜マルケヴィッチ/フィルハーモニア管弦楽団(1959年)聴きました。昔から著名なる録音だけれど、この時代でこれだけの切れ味と、集中力を実現したマルケヴィッチの力量は素晴らしいもの。速めのテンポ、ヴィヴィッドかつ正確なアツいリズムと推進力。録音も予想外に鮮明なもので、不足するのは低音のみでした。「ペトルーシュカ」も収録されるが、「ロシアの踊り」「ペトルーシュカの部屋」「謝肉祭」(一部)のみの収録(1954年)で、これは全曲録音の途中だったのでしょうか。(EMIには、ジュリーニ、ストコフスキーによる「ペトルーシュカ」の短縮録音が他にも存在する)
この演奏も集中力に溢れて聴き応え有〜全曲欲しかったところですねぇ。録音も(予想外に)悪くない。で、今朝、もう一発Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」「ペトルーシュカ」(1947年版)〜ベルナルト・ハイティンク/ロンドン・フィル(1973年)・・・一般にハイティンクのロンドン・フィル時代の録音は不遇だ(CD化されているものが少ない)が、このれもご多分に漏れず存在感が薄い〜PHILIPSであれば、コリン・デイヴィス/コンセルトヘボウ管弦楽団やら、彼自身のベルリン・フィルとの新録音に隠れがちでしょうか。
作品表現上故の軽快なる機能性を求めてロンドン・フィルを選んだのか。いわゆる穏健派、オーソドックスな演奏(おとなしい、という意味ではない)で、特別特異異形なる個性ではないが、細部まで清廉明快なサウンド。+鮮明なるアナログ録音がとても快くて、猛暑に相応しい爽やかなる個性でした。
Paganini ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調〜五嶋みどり(v)/スラットキン/ロンドン交響楽団(1987年)・・・いままで聴いた録音中、最高のスムースなる技巧と洗練、気品を感じさせて、あざとい見せ物的技巧を披露する水準に止まりません。最高です!(PHILIPS HT-142 先のコチシュのLisztとの組み合わせ。BOOK・OFF@250入手)
●2006年8月某日
昨夜の女子バレー対韓国戦も圧勝!今夜は巨魁露西亜軍団との勝負だ。眠りの質は良くないが、途中覚醒なく朝を迎えられるのはありがたい。
集中力を失っているので、まとまった音楽は聴けません。で、いくつか”摘み聴き”を・・・Honegger 交響的楽章「パシフィック2・3・1」「ラグビー」「交響曲第3番」(フルトヴェングラーに捧げる)〜シャルル・デュトワ/バイエルン放送交響楽団(1985年)・・・重心が低く豊穣なるオーケストラの響きと、デュトワの繊細緻密なる表現がマッチして、ほとんど理想の演奏に仕上がっていると評してよろしいでしょう。録音も極上。「パシフィック2・3・1」はワタシのお気に入りの作品(誰でもわかる”蒸気機関車”描写)でして、師匠・アンセルメののクールなスタイルよりアツく、動きの激しい音楽に仕上がりました。「ラグビー」はカッコ良い!音楽。
Liszt ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調〜コチシュ(p)/イヴァン・フィッシャー/ブダペスト音楽祭管弦楽団(1988年)・・・一般にLiszt苦手のワタシだけれど、この作品だけはリヒテルの卓越した演奏の影響のせいか、楽しめるんです。若々しいというか、切迫したリズムの切れ(切羽詰まった感じも有)が素晴らしいですね。極上の録音も、リヒテル盤を上回って鮮度抜群です。ま、先日、札幌での@250入手成果の一枚だけれど、初めて存在を知った音源でした。
Schubert 交響曲第9番ハ長調〜ペーター・マーク/フィルハーモニア・フンガリカ(1969年)の第1楽章のみ。以前に書いた通り、恐るべき遅いテンポ、序奏のタメ、精密丁寧なる旋律表現、ラスト堂々たるルバートの個性的パフォーマンスが圧巻であって、これは数多い名演奏の中での存在感抜きんでて文句なし。録音も、アンサンブルも優秀。(QUADROMANIA 222165-444)ついでに「謎?」の、CONCERTOROYALE盤も確認・・・録音、アンサンブルの集中力もやや落ちるが、こちらも演奏としては立派なものだけれど、あきらかに前者とは別音源でした。
Rimsky-Korsakov 交響組曲「シェヘラザード」〜チョン・ミュンフン/パリ・バスティーユ管弦楽団(1992年)・・・恥ずかしながら、亜細亜の俊英の録音は初耳だと思います。これから音楽会を支えて下さるであろう逸材への期待が過ぎたが、先日聴いたオーマンディ盤の感動に(遙かに)及ばないのは聴き手の集中力の欠如ですか?このオーケストラはパリ・オペラ座管の後裔だから、響きさっぱりと薄目で軽快なことは予想通りだったが、表現としては素直すぎて、面白くないと言うか、小さくまとまっているというか・・・アンサンブルの整え方は尋常ではない精緻を感じさせるが、さほどに楽しめない・・・嗚呼、最終楽章でようやくアツく爆発が待っておりました。
フィル・アップのStravinsky 組曲「火の鳥」(1919年版)だと、その思いはいっそう募って、こりゃフツウの演奏だ。
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一日ぼんやりして、もちろんサイト用原稿も一切執筆できず、今週の更新はどーしょうか?状態。女房はスポーツクラブへ行き、ワタシはぼんやりテレビを見たり・・・夕方、運動靴+スリッパを購入、BOOK・OFFで書籍を処分し、更に一ヶ月ぶりくらいに女房お気に入りの焼鳥屋へ・・・職場の愚痴を(お互いに)伺って、自宅に戻ったところ。これから、待望のバレーボールを応援しましょう。
今週前半はお仕事少々身辺整理だな。ゆっくりしました。
●2006年8月某日
昨日午前中、ずっとチームの若い者に説教し続けて、自己嫌悪に陥り、昼から猛暑の中、取引先に商談へ〜そのまま帰宅したかったので、バスで行きました。ほんまにお仕事やる気起きませんなぁ。帰宅して、ビール飲んで、赤ワイン飲んで・・・って、でも、昨日からダイエット気を付けていて、今朝計測すると”以前よりやや増”状態へ。この勢いで、これからスポーツ・クラブへ行きます。しばらくぶり。音楽、まったく聴いておりません。
昨夜、女子バレー対ポーランド戦完勝!感動しました!竹下(贔屓筋でございます)最高!ポーランドも美人揃いだけれど、日本も負けてまへんで!元気もらいました。昼からゆっくり音楽を楽しみましょう。
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行って参りました、久々、ハシモト先生のエアロ・ビクス。お盆も過ぎ、夏休みも終盤となって、いつも馴染みのメンバーも戻ってきました。ここ最近の不摂生、暴飲暴食の挙げ句、少々体重増気味ながら、日常筋トレ(ダンベル)の成果か、体調悪くありません。昼から部屋を冷やして、ゆっくりしております。夜はバレーボール(宿敵・韓国戦)もありますし。
ようやく音楽ぼちぼち聴き始めております。Schubert ピアノ・ソナタ第18番ト長調D.894〜室井摩耶子(p)(1997年)・・・横流れの甘美な旋律が延々と45分続いて、抑揚というか、起伏が足りないような作品だけれど、ワタシのお気に入りです。室井さんは大正生まれのヴェテラン(現役)でして、年齢故の技術の衰え感じさせず、粛々と味わいがあって安らぎます。(これはサイト用原稿にしましょう。なんとか)
そろそろ管弦楽を聴いても大丈夫かな?と、Tchaikovsky 交響曲第4番ヘ短調〜モーリス・アブラヴァネル/ユタ交響楽団(1972-3年)を少々・・・って、全然集中できなくて第1楽章途中で止めました。先日聴いたカラヤン盤ではけっこう感動したんだけどなぁ。馴染みの旋律だけれど、音質もアンサンブルもさっぱり胸に響かない。罰当たり状態。
昼食後、ゆったりとMozart を聴きました。嬉遊曲ヘ長調K.247(第10番)/変ロ長調K.287(第15番)〜トマス・フューリ/カメラータ・ベルン(1989年 NOVALIS 原盤)・・・両作品とも大好きな作品です。K.287の第2楽章「変奏曲」は優雅ですな。立派な演奏だと思うが、リズム躍動する古楽器系でもなく、現代楽器の鮮やかな名人芸を競い合うわけでもなく・・・穏健派の表現であります。BRILLIANTのMozart 全集は、格安で多くの作品を網羅して下さって有り難さ無限だけれど、借り音源ごとに演奏スタイルが異なるのが少々困りものであります。
●2006年8月某日
今朝は空気がちょっと涼やかですね。今年の残暑も厳しいとの長期予報だけれど、ここ最近当たった試しはないですね。別に気象予報士に不信も恨みもないけれど。体調ともかく、精神的には完全”夏ばて”状態で、もうあきまへん。音楽だってフル・オーケストラの作品は聴けない・・・今朝、Rachmaninov チェロ・ソナタ ト短調〜ジュリアン・ロイド・ウェッバー(vc)/セオウ(p)((p)1979)・・・甘美なる旋律が、濃厚すぎず、大柄になり過ぎず、十全なる技巧で表現されます。ほんの聴き流しだけど。続く、Debussy チェロ・ソナタ ニ短調だって、端正で親密なる姿勢を崩さない。抑制の利いた英国紳士的演奏ですか?
Bach 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006+「シャコンヌ」〜ギドン・クレーメル(v)(1976年)・・・これは、先日聴いた(PHILIPSの)1980年録音とは別のライヴでして、それ故の”入れ込み”やら”アツさ”、”肌理の粗さ”みたいなものが感じられました。やはり、彼にはクールな情熱が相応しくて、こちらは少々完成度に於いて落ちる感じか〜凡百なる水準ではないけれど。(YedangClassics YCC-0027)
サイト定例更新済み。原稿在庫貯水率はずっと5%以下でございます。
●2006年8月某日
サラ金の生命保険事件とか、延岡若者いきなり刺殺事件とか、百貨店目つぶし事件、某ミステリー作家子猫殺しとか、ビミョーに不快なる事件が続いております。ワタシはやや夏ばて状態(職場の派遣さんは”元気そうですよ”とすげない)であって、しかし、昨日高知の夜では思いっきり喰い(清水鯖が旬なんですね)、飲み、昼はダイエット寿司(蒟蒻、漬け物のネタ+蒟蒻そば)であったにも関わらず、ついに体重快復は誤差の範囲とは言えぬまでに増幅!本日、夜から意識的ダイエット復活目指します。ここのところの「現状維持」という甘い考えがアカンかった・・・筋トレは進んでいるんですけどね。
ホテルではネットがうまくつながらず、ジリジリと焼け付くような南国の出張はお仕事やる気まったく出ず、職場へ戻らずそのまま帰宅・・・エアコン効かせて居眠り・・・もちろん音楽聴く気も起きません。ぼんやり涼しいリビングでテレビ見ております。明日、なんとか地元お客との商談乗り切って、無事一週間を終えたいもの。
●2006年8月某日
「夏ばてであり、夏太り」継状態か、昨夜は早々に就寝して、朝まで目覚めず〜今朝の空気はやや秋の気配のようです。今朝は、高知へ行く前に(バスにて)地元取引先現場で売り場チェック作業へ、それからクルマで拾ってもらって出張へ。
昨日言及した、Mozart 嬉遊曲ニ長調K.205/変ホ長調K.113/ニ長調K.131〜マラート/マンハイム・プファルツ選帝候室内管弦楽団の件、自宅オーディオにて確認すると、音質的にそう違和感はありません。弦に潤いが不足気味ではあるけれど、全体として「粗い」といった感触とは言えないでしょう。ニ長調K.205(第7番)に於けるホルンの牧歌的な響き、アダージョの安寧なる旋律に魅了されました。変ホ長調K.113(第1番)のキモはクラリネットの大活躍でして、別名「8声のための協奏曲」とは言い得て妙でしょう。馴染みの作品だなぁ、と思ったらシャンドール・ヴェーグ盤をかなり以前より拝聴しておりました。
ニ長調K.131(第2番)は7楽章からなる少々大掛かりな作品であって、第3楽章「メヌエット」の典雅な旋律に管楽器が各々大活躍(とくにホルン!)するトリオが白眉でしょう。昨日の歌劇「ツァイーデ」もそうだけれど、自分にとってMozart の未知の世界が解明されていること、ことし2006年最大の成果だと思います。
●2006年8月某日
テンション上がらず、全然お仕事意欲高まらず、少々内部トラブル(しかも帰宅直前に)発生し、その修復もあり・・・でも、8月は2年ぶりであろう抜群の成績で乗り切りました。チームで祝杯を挙げたが、どーも体調よろしくない。体重も増加傾向(反省)、じつはジンワリ風邪が残っているのか。たいして飲んでいないのに、帰宅して早々にダウン。まだまだ残暑厳しいですね。ほとんど音楽に無縁なる生活。本日は広島行き。
今朝、Sibelius 交響曲第2番ニ長調〜ペトリ・サカリ/アイスランド交響楽団(1997年)・・・良いですね。誠実で、燃えるような情熱が荒涼たる北の大地に広がる・・・流線型とは無縁の表現が粗野で力強い。知名度で危ぶまれるような技術的な弱さはなく、やや響きは薄いが推進力充分也。しみじみとした歌心に不足はない・・・さて、出張にはなんのCDを持参しましょうかね。
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広島は暑かったなぁ、訪問先に学生さんが”見学”にきていて、ネームプレートによると後輩ではないか。エラい別嬪はんでした。なんか、少々夏ばてであり、夏太りっぽい感じ。相変わらずお仕事テンションあがりません。ま、ヴェテランだから、それとなくお仕事そつなく消化しているが。明日、更に猛暑の高知へ。
移動中の音楽はMozart !嬉遊曲ニ長調K.205/変ホ長調K.113/ニ長調K.131〜マラート/マンハイム・プファルツ選帝候室内管弦楽団(2002年)・・・これは録音が悪いのか。別録音ではこんなに弦楽器が粗くない。オン・マイクで残響も、奥行きも足りない。演奏的にはけっして悪いものではないし、なにより作品が楽しい・・・管楽器が大活躍なんですよ。
Mozart 歌劇「ツァイーデ」K.344〜トン・コープマン/オランダ放送室内管弦楽団(2001年)・・・録音も少ない未完の作品だし、もちろん初耳。ドイツ語ですかね、静かな語りがあって、その合間にしっとりとした歌唱が続いていく、そんな感じです。ソプラノもテナーも、落ち着いて艶やかな歌声がとても素敵でした。現代楽器だけれど、ティンパニの乾いて硬いタッチはいかにも古楽器風。素晴らしいアンサンブルでした。
●2006年8月某日
ふだんよりマシだけれど、眠りが浅いのはともかく、今朝はカラダが重い。昨夜も頭痛だったから風邪気味なのか。さて、お仕事再開!を心身共に徹底させなくっちゃ。今朝の朝日新聞は、激闘!高校野球決勝戦引き分けが第1面であって、あれはたしかに痺れました。再試合はどちらが勝ってもよろしい。「30代のココロの病が増えている」との注目すべき記事も有。高村薫さんの「格差社会」のイメージについての言及も秀逸〜そんな論議に無関係は超・富裕層と、逆にその埒外であるほんまに苦しい階層でもない、かつて「総中流」と呼ばれたような範囲内での「格差」を論議しても不毛である、と。なるほど。
一昨日、体調不良の新幹線中で聴いた音楽の件追加。Bruckner 交響曲第7番ホ長調(ノヴァーク版)〜エリアフ・インバル/フランクフルト放送交響楽団(1985年)・・・この人のBrucknerは一時ほど話題になりませんね。ずいぶんとさっくりとして、素っ気ないザッハリッヒな演奏と感じました。こんな演奏だったかな?と自宅オーディオで再確認すると、「さっくりとして、素っ気ない」ということでもなくて、但し、やはり纏綿としっとり系ではない。茫洋系ではなく都会的クールでスリム、明快優秀なアンサンブルがたしかに個性的であります。TELDECとDENONの録音の思想相違も興味深くて、こちらはかなり会場全体の残響を捉えた、雰囲気トータルのサウンドが優秀でした。
では、(できるだけテンションを高めて)行って参ります。
●2006年8月某日
猛暑・華の京都より戻って参りました。昨日、岡山駅まで女房の運転にて向かう途中、信号待ちで追突され、10数分ほど歩いたのが悪かったか、新幹線中ですっかり冷えてしまって、山口での講演(熱弁!/好評!)中、更に京都への新幹線中、激しい頭痛に悩まされました。観光シーズンでごった返す京都駅で鎮痛剤を購入〜夜の宴会に備えつつ会場に到着。
ホテル・ルビノ京都堀川とは初耳だったので、タクシーの運転手に訊いてみると「昔からありまっせ」とのこと。そうか、堀川会館を改装したのだね。ずいぶんと綺麗であって、根性入れて改装すればお客を呼べる呼べる水準に至るということですよ。(当初、宴会宿泊予定であった山口・湯田温泉の宿は、正直なところ失礼させていただいてほっとした・・・)30年ぶりに再会した諸先輩、初めてお会いした(名前だけは伺ってた)先輩やら、初対面の後輩(こちらが伝説的な存在になっていた)と語らい、夜中2時まで。欠席された親しい先輩が、じつは精神的な病で苦しんでいらっしゃる、と伺って少々複雑な心境でしたね。
今朝は、母校の「国際平和ミュージアム」たっぷり真面目に見学後、祇園の味舌(ました)で極上の弁当(2,500円也/味付けが繊細)いただいて、ワタシの夏休みは終了いたしました。北海道(70%お仕事)、仙台(50%お仕事)、そして京都(0%お仕事/但し、夕方まで山口でお仕事だったが)の転戦ツァーでした。充実した夏だ。
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頭痛もあって、それほどに音楽に集中できませんでした。猛暑中はどーしても、音楽にしっくり馴染めない・・・だから、欧州では避暑地で音楽祭をやるんだろうな。シーズン・オフか。MONNouのピアノ作品集が胸に染みました。もっとも有名な「歌と踊り」(1921-1962)/子守歌(1951)/魔法の歌(1917-1919)/風景(1942-1960)〜フェデリコ・モンポウ(p)自演は1974年の録音。ゆったりともの哀しく、滋味深く、時にスペインのリズムが遠慮がちに刻まれます。81歳の演奏は人生を達観したような、枯れた味わいに充ちて、お疲れ気味の聴き手を癒しました。DebussyもRavel も好きだけど、こちらもっと庶民的というか、場末のざわついた酒場の雰囲気があって、親しげですね。
Ravel 「スペイン狂詩曲」(1960年)/Saint-Sae"ns 交響曲第3番ハ短調「オルガン」(1962年)〜アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団・・・良いですね。薄っぺらくて、ほんわか雰囲気で聴かせる演奏。先日購入の(やや高級)密着型イヤホンで確認すると、アンサンブルの緩さがはっきり聴き取れて、思わずニヤニヤしちゃいます。この交響曲はLP(しかも小学生)時代からの愛聴盤でして、この演奏は音楽好きの友人にクソミソ言われたなぁ、当時。メカニックの弱さを指摘したかったんだろうか。かなり古典的な交響曲だし。
でも、刷り込みですかね。細部アンサンブルに難があっても、ワタシにはちょっとクールでブルー系のサウンドが快く、爽快でした。低音もよく効いて、奥行きある音質も魅力的。
明日から、本格的にお仕事復帰だ・・・って、数日前にもそんなこと書いた記憶がある。
●2006年8月某日
緊張(山口ミニ講演)+興奮(京都にて諸先輩との再会)のせいか、眠りの質が良くありません。ま、せいぜい(いつものように)ダンベル体操で体調整えて出掛けましょう。ネットで検索すると、台風の動きは遅くてこれから訪問する山口辺りに居座ってますね。駅まで送り迎え付きだから、とにかく新幹線が走って下されば良いんだけど。現地で「大雨 雷 強風 波浪 洪水」注意報有。警報じゃないから大丈夫か。
Respighi「ローマの松」「ローマの噴水」(1968年)「ローマの祭」(1960年)〜オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団・・・検索掛けると先月(2006年7月)購入したばかりだけれど、棚中に(早くも)失念しておりました。いよいよ短期記憶もヤバいか。けれんみ(俗受けする様)のない、オーソドックスで豊満華麗なる響きがまったく素晴らしい。オーケストラは鳴りきって、各パートは恐るべき技量。そうだなぁ、ある意味淡々とした表現とするべきなのでしょう。LP時代の刺激的な、派手派手しいサウンドはいったいなんだったんでしょ。優秀録音だと思います。
Mahler 交響曲「大地の歌」〜バーンスタイン/ウィーン・フィル/キング(t)/フィッシャー・ディースカウ(br)(1966年)・・・いつもながらの駅売海賊盤で申し訳ないが、英DECCA録音の効果絶大で、ウィーン・フィルの艶やかなアンサンブル、声楽(とくにフィッシャー・ディースカウ)の入念なる表現に驚かされます。やはり、イスラエル・フィルとの1972年ライヴの評価が辛いのも頷ける感じ。数年前のワタシは、完璧すぎる声楽、明るすぎる管弦楽に疑義を唱えていた(ようだ)が、音楽新興国アメリカからやってきた精気漲る壮年指揮者と、欧州伝統の総本家との出会いは、なんとエキサイティングな結末か、と感慨深いものです。
相性がよろしい、ということでしょうね。では、いってきます。
●2006年8月某日
さて、夏休み終了、お仕事へ。しかも台風が接近しており、雨模様であります。九州方面の方々は、毎度毎度の厳しい自然の威力に慄(おのの)いていることでしょう。甚大なる被害に至らぬことを祈るばかり。昨夜よく眠れました。元気でお仕事できることに、感謝。
Mahler 「亡き子をしのぶ歌」〜フェリックス・プロハスカ/ウィーン・フェスティヴァル交響楽団/フォレスター(con)/レーフス(br)〜このサイト初期に更新済み(その内容のなさ、素朴さに驚くばかり)だけれど、思わぬ良好な音質と、安定した深みのある歌唱(二人とも定評あるヴェテランですな)と、プロハスカの表現が思いの外モダーンで時代を感じさせません。
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・・・今朝、中途半端のところで、定例更新の日であることを思い出して、そちらの作業を優先しちゃいました。お仕事粛々とこなして、今月の営業数値抜群の見通しが立って、これで3ヶ月連続予算達成・・・文句あるか。昼から、地元取引先と打ち合わせがあって、和気藹々と楽しかったが、信頼故の新たな宿題をいただいて、これは来週からココロを空しうしてじっくり考えましょう。
「泣き子をしのぶ歌」の件、以前のワタシはセル/ロンドン交響楽団(1969年)を絶賛しているが、しばらく聴いていないなぁ。フィッシャー・ディースカウもシュヴァルツコップも文句ない個性を刻印していたはず。フォレスターとレーフスの歌唱にも貫禄を感じるが、特異なクセというか、大柄な個性を前面に出さないものだと思います。オーソドックスだけど、やはり「モダーンな」と評してよろしいでしょう。満足感の高い演奏ですな。(「嘆きの歌」ほかと組み合わせて、2枚組で再発なっております)
Beethoven 弦楽三重奏曲第1番 変ホ長調 作品3〜コーガン(v)/ロストロポーヴィチ(vc)/バルシャイ(va)(1956年)・・・滅多に聴く機会のない作品だけれど、こりゃ嬉遊曲ですね。若々しく溌剌とした明るい表情に、ちょっとだけ後年の強面が顔を出す、といった風情でした。演奏は、驚くべき程の集中力を感じさせ、録音だって極上。こんな拾いものがあるから、YedangClassicsの「オトナ買い」(10枚ボックスをまとめて購入!)も捨てたもんじゃない。
Handel 「水上の音楽」第1/2/3組曲〜チャールズ・マッケラス/プラハ室内管弦楽団((p)1978)・・・どういった版の組曲盤かよくわからぬが、これはチェコ系の管楽器特有の、粗野なヴィヴラートが魅力的ですねぇ。現代楽器だけれど、素朴に躍動して、スカッと晴れやか、懐かしい表情の演奏であります。こんなに楽しい演奏は初めてかも知れない。(ENCORE=EMI CDE 7677742)
●2006年8月某日
昨夜は、夕方5時頃より(冷蔵庫在庫にて残っていた)赤ワイン飲み始めました。数少ない手持ち在庫ビデオより、修復なったレオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」+NHK最新のCG技術による描かれた当時の(”鮮やかなる!”)復元の様子/更には、バルセロナの「聖家族教会」(アントニオ・ガウディ設計)の建築の様子・・・設計図もない、模型も破壊された部分もあって、多くの人間が考え、悩みながら、おそらくは未だ100年以上掛かって建築は進められていく人類の偉業。
陶然としながら、時に居眠りしつつ、楽しみは二時間ドラマ(昼間も再放送2本見ちゃったけど)へ。中村梅雀はエエ味出してますね。お父さんに声(エエ声だ!)や仕草がそっくりだけど、三枚目であって、タイプとしてはむしろバイ・ブレーヤー的個性でしょう。こんな人を主役として抜擢していくテレビ界も捨てたもんじゃない。
・・・と、いうことで音楽もほとんど聴いていないし、「21世紀本格」もなかなか読了できません。ああ、Bach 「音楽の捧げもの」を、カール・リヒター盤(1963年)の厳しい集中力演奏と、アストン・マグナによるクールで繊細な味わいの古楽器演奏を聴き比べておりました。以前のコメントはあまりに素っ気ないので、加筆したりしておりました。(未更新)
それとカール・リヒターのオルガン作品集(1954年)を久々に再確認していて、これはジュネーヴのヴィクトリア・ホールだな、もしかしたらSaint-Sae"nsの交響曲第3番ハ長調〜アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団(1962年)のオルガン(ピエール・スゴン)と同じものか、そういえばそんな響きだ・・・さすがに1954年の(ステレオ!)音質は少々苦しいが、パッサカーリアとフーガ ハ短調 BWV.582に於ける悲劇的旋律の変幻に胸打たれ、打ちのめされたものです。
明日より(のみ)、出勤。土曜日は山口で一発講演〜京都へとんぼ返りで同窓会へ。エコノミー・チケットが使えないのが残念。ワタシの夏休みは終わりつつあります。
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息子ももう明日広島へ戻るとのことなので、昼に叩き起こして生パスタ喰いに行き、夜は沖縄料理へ。(贅沢三昧。ま、どこにも旅行にも行かないしね)テレビ見ながら眠りしつつ、ノンビリしております。それにしても「二時間ドラマ」(再放送は)オモロいでんな。出てくる俳優さん女優さんが妙に若かったり、ケータイが登場しなかったり、パソコンの型式が懐かしかったり・・・楽しめます。作りは玉石混淆状態でして、荒唐無稽にもほどがある、あまりに主人公の行動が突飛で「う〜む」状態・・・という粗雑なものもあります。それでも、主人公の魅力で見せる・・・というのもあってOKなんですけどね。
Bach 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006+第2番ニ短調BWV1004より「シャコンヌ」〜ギドン・クレーメル(v)(1980年)・・・これはクール、快速でカッコ良い演奏!ひとつひとつの旋律に「色」とか「シナ」は一切なくて、キーンと鋭角に突き進む恐るべき説得力。いくらでも濃厚に、詠嘆に表現可能な「シャコンヌ」は、淡々と裸の旋律として推進され、飾らず、しかも感慨深さ限りなし。
クレーメル続けて、Mendelssohn ヴァイオリン協奏曲ニ短調〜バシュメト/モスクワ・フィル(1976年ライヴ)/Tchaikovsky ヴァイオリン協奏曲ニ長調〜マンスロフ/モスクワ放送交響楽団(ラジオ・テレビ大交響楽団との表記だけれど/1970年ライヴ)・・・これは音質がよろしくないなぁ。ニ短調のほうの協奏曲は初耳でして、集中力ある線の細いヴァイオリンはやや神経質か。23歳のTchaikovskyは上手いけれど、特別な感慨はありません。YedangClassicsのシリーズは、どうもバラつきがあっていけない。
●2006年8月某日
昨夜、夕食後、女房と「巨大銭湯」(みたいなもの)に行きました。混んでましたね。お父さんが、小さいこどもをだっこして入っているのも微笑ましい。遅く、息子帰還。今朝早くに、なぜか息子も起きてきていっしょに朝食・・・就職活動のことをちょっとだけ訊いたら、ま、どこかしら入れるみたいだけれど、ずいぶんとジミな職種らしい・・・職業に貴賤なしなのは前提だけどね。(その後息子は二度寝〜以前と変わらない)
ネットで音楽情報検索を掛けると、けっこう自分のサイトが出現する・・・つまり聴いた音楽、CDのことをすっかり忘れているということです。さすがに、ここ最近、”ダブり買い”はほとんどなくなっているが、CD棚「Bach コーナー」にて驚くべきものを発見!どこに行ったんだろう、既に売り払ったのか?と思っていたカール・リヒターのオルガン作品集(1954年)が出現・・・CAPRICCIO「EDITION Bach LEIPZIG」(11枚組 49 254 2)のボックスに隙間があって、それを埋めるために入れていたとは・・・
「EDITION Bach LEIPZIG」自体は、昨年熱心に聴いていた記録が残っていて、ブランデンブルク協奏曲/管弦楽組曲(マックス・ポマー/新バッハ・コレギウム・ムジクム)辺りには記憶はあるけれど、それ以外の音源はほぼ”新・発見!”状態・・・なのも情けない。(「音楽日誌」に記述もあるのに)モテト集(BWV225-230)〜ハウツィヒ・エッシェンバーグ/ロストック・モテト合唱団/カペラ・フィディチーナ・ライプツィヒ(録音年不明)・・・この辺りは、聴いていないなぁ。リハーサル集、なんてのもあったのね。
●2006年8月某日
お休みです。ほんまの。先週の「仙台(いきなり)休暇」は、心の準備ができてませんでしたからね。
昨夜の2時間ドラマ「黙秘」は、渡辺篤郎、佐久間美子が主演だけれど、他、主演でも良いようなキャスト目白押しで豪華でした。(モト冬木もエエ味出してました+お兄さんも出演)筋の作りは丁寧で、重い内容だったが、尻切れトンボというか、隔靴掻痒というか、時間が足りなかったな、という感じ。謎解きが主眼なのか、母親に捨てられた心の傷からの快復が(描きたい)重点だったのか、どっちつかず。島田荘司責任編集「21世紀本格」(光文社)昨夜からバリバリ読んでいて、意欲的ですなぁ、とにかく哲学とかルポルタージュとか、社会分析とか、そんなものはしばらく読みたくなくって、こんな「現代ミステリー」を楽しんでおります。
朝ちゃんと起きられるか、朝刊を楽しめるかが心身状態のテスターでして、そういえば今朝の朝日新聞に細川貂々さんの「ツレがウツになりまして」(幻冬社)宣伝大々的に載ってました。売れているみたいですね。ワタシは特徴的な症状に過半当てはまらないが、不眠(早朝覚醒含む)+「待ち合わせ時間には絶対早く到着している」というのが当たっております。昨日の「東京大停電」は、専門家の(一部)意見では「数時間で治まればたいしたもんだ」とのことだけれど、某隣国のテロリストには、ずいぶんと簡単に日本という社会の弱点を見せちゃったな、と感じました。ま、原発にロケット当てればいっしょか。
Tchaikovsky 大序曲「1812年」(ウィーン・フィル/国立歌劇場合唱団1981年)/交響曲第5番ホ短調〜ロリン・マゼール/クリーヴランド管弦楽団(1980年)・・・@250じゃないと買わない=聴く機会のなかった音源だけれど、これは予想外の拾いもの!所謂、ロシア風ではなく都会的に洗練され、よくコントロールされたアンサンブルが魅力的であって、爽快です。「1812年」は、良い意味で効果を充分計算されて完成度が高く(合唱入り)、交響曲には粘着質なクサ味皆無。とても聴きやすく、わかりやすく、歯応えのある演奏でした。録音も良好。
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ノンビリしてます。断続的に大掃除して(主に女房が)、要らぬものを捨て、余り物(貰い物、サンプル)中心に北海道の親に送り、昼食はご近所にオープンした「Mishou(みしょう)」とかいうカフェ・レストランへ。ちょっと、割高かな?とは思ったが、お盆休みだし、ということで(引き続き)贅沢しました。おいしかったですよ。でも、価格相応かというと、ちょっと評価はやや厳しいキャフェテリアか。(一人1,600円也)ダイエットは大ピンチ!昼からぼんやり二時間ドラマの再放送楽しんで(柳葉俊郎の”悪役”ぶり秀逸!)、本も読んでおります。夜半に息子帰還予定。
Balakirev 交響曲第2番ニ短調/交響詩「ルーシ」〜イーゴル・ゴロフチン/ロシア国立交響楽団(1993年)・・・これはサイト内検索を掛けると、ちょうど一年前に聴いていて、曰く「知名度ほどにツマらない作品ではない。でもさ、前所有者が愛想尽かして処分した理由(ワケ)がわかるような気が・・・演奏が、いえ、リズムがもっさりしてノリが悪いんです。アンサンブルもガタガタ。馬力はありそうだけど」「@250じゃなかったら、わざわざ買うようなCDじゃありませんね」と手厳しい・・・なるほど。その通りだ。ロシア国立響って、きっとモスクワに沢山存在する同名のオーケストラでしょう。スヴェトラーノフのオーケストラじゃないと思う。
ま、音楽はいろいろ、多種多様に聴いてみないとダメなんです。
●2006年8月某日
さて、久々の職場登場日。ナント一週間ぶり。できるだけ本日中で諸宿題終了したいが、きっと身辺整理だけで午前中潰れるでしょう。(予測)明日は、なんとか休みたいもの。
昨日は、素敵な演奏会に行って参りました。若さ溢れる白熱演奏であって、演目も通り一遍じゃなくて素晴らしい。個人的希望を言えば、土曜日昼から・・・くらいだと時間の使い方的にありがたいが。演奏会の後、おいしいものを食べたり出来るしね。珍しく女房同伴だったので、演目予習車中でBrahms ピアノ四重奏曲第1番ト短調作品25〜イーストマン・ピアノ四重奏団(フランク・グレイザー(p)1968年録音)聴いていきました。
若手によるナマは、速いテンポ+白熱の大爆発が魅力だったが、こちらヴェテランの味わい深いピアノが安定していて、内省的な味わいがありますね。弦は若手のほうがよかったのでは?ナマのせいか。
気分的にはお休みでして、集中力失っております。音楽を聴く時間はたっぷりあるが、肝心の聴き手がぼんやりしていちゃ仕方がない。
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充電できる仕事と、放電しっ放しという仕事、やっつけ仕事、アリバイ仕事というのもあります。久々、職場に顔を出して、ま、出勤している人員も少ないし、いつもと変わりない・・・というか、電話もメールもほとんど来ない。溜まった机仕事やら、メールでの依頼、チームメンバーの尻拭いも午前中2時間ほどで終了しました。ぼんやり眠くて、やる気出ません。昼から、「提案書」(=考える仕事)を実施するが、自分でもかなりエエ加減な自覚はあって、とにかくお取引先へ(ムリヤリ)送付しちゃう。そして、定時で帰宅〜しかも、女房のお迎え付き。
それはそれでヴェテランだから、最低限の実務はつながるようにあちこち手配はしましたが、とにかく明日から3日間ほどお休み。な〜んもしたくない。脳髄の奥でどんより澱んでいるものがあって、これはきっと”疲れ”なんでしょう。夕食後、BOOK・OFFへ行って、どっさり購入したのは「推理小説」の類です。これが一番よろしい。日本の少子化問題など熟読するには、前頭連合野の活性化が不足しすぎている・・・
Beethoven ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調「春」/第9番イ長調「クロイツェル」〜エミー・ヴェルヘイ(v)/カルロス・ムールダイク(p)(録音年不明のライヴ)・・・以前、初期の作品に言及したが、明朗として華やかな演奏はまったく楽しげで、先日聴いたばかりのウト・ウーギ盤とは様子が異なりますね。あちらはBeethoven 白熱の男の世界!的熱情を感じたが、こちらもっと微笑んでココロ安らかに音楽を楽しめます。「春」はもちろんだけれど、「クロイツェル」の第1楽章だって軽やかで楽しげでした。録音極上、臨場感たっぷり。
Sibelius 交響曲第6番ニ短調〜ペトリ・サカリ/アイスランド交響楽団(2000年)・・・この団体のSibelius はワタシの一押しでして、ザラリとした肌触り、無骨な情熱がクールに集中していて、これぞ”北国の音楽!”的感銘がありました。表面を磨き上げるのではなく、ひたすら誠実な推進力があって、オーケストラに非力さは感じさせません。猛暑の夏はこれだな。
ノーミソの疲れにはFaure・・・組曲「ペレアスとメリサンド」、歌劇「ペネロープ」序曲、組曲「マスクとベルガマスク」〜エルネスト・アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団(1961年)・・・録音も演奏も、いかにも雰囲気で聴かせている、といった風情で、ゆらゆら頼りなく、薄っぺらで、曖昧で、気怠くて、エエ加減で、セクシーな響きがたまりませんな。ワタシはこれ以上の演奏に出会ったことはないと(おそらく)断言して間違いはない。
嗚呼、眠い。眠りたい、ということではなく、休息したい、ということです。
●2006年8月某日
休みでノンビリしているが、明日出勤して残務整理+資料作成しなくっちゃいけないので、どんより気分が思い感じです。ま、遠方出張スケジュールを勘違いした前代未聞のミスのせいだから仕方がないけれど。昨夜は、女房と(いつもとは異なる少々高級な)焼鳥屋へ出掛けたが、予約一杯で「日生(ひなせ)魚料理」(おそらく岡山市内ではもっとも旨い)店に。ちょっと頼みすぎて、喰い過ぎです。女房は「息子のところに行きたい」と、その場でメールを入れるが「来んでエエ」とのすげない返答〜広島でいろいろ就職活動しているみたい。
今朝の朝日新聞の書評欄にて、唐沢俊一さん「”成功者は失敗例に学ぶ”、”失敗者は成功例に学ぶ”」・・・なるほどなぁ。「現在の自分の立ち位置にに自信のない人はマイナス面など指摘されたくもない。ひたすら成功者の談話を聞いてそれにあやかろうとする」・・・だから、ホリエモンの本が売れていたのだ、という例示も適切であって、嗚呼、ワタシは未だ(星の数ほどの)失敗に学んではいないな、失敗はチャンスなんだな、と自戒したものです。
今回出張中聴いた音楽、まだありました。Bruckner 交響曲第7番ホ長調(ハース版)〜朝比奈隆/大阪フィル(1975年聖フローリアン教会ライヴ)・・・伝説的な録音であり、直前にBeethoven 交響曲第5番ハ短調(1985年)を聴いたせいもあって、嗚呼、豊かな会場残響は百難隠すなぁ、ずいぶんとしっとりとしたアンサンブルだ、と感心したものです。悠揚迫らぬ表現であって、煽りとか、急いた走りとは縁のない深淵なる境地に達しております。
しかし(おそらくは世の中の支持多数派であろう)この演奏を、ヴェリ・ベストは思えませんねぇ。(罰当たるか)例えば、第2楽章「アダージョ」の弦の薄さが気になる、最終楽章のアンサンブルに疲れが見えてくる・・・(ライヴだから仕方がないか)。これも、例の「やや線が細い音像」印象のイヤホンで聴いたものだから即断禁物だけれど、10年後のBeethoven が粗野で、骨太素朴な印象とはまったく異なることは間違いないでしょう。貴重な価値ある、美しい演奏です。(自宅オーディオで「アダージョ」再確認中・・・”薄い”といったイメージは気にならない)
で、今朝Beethoven 交響曲第1番ハ長調〜朝比奈隆/大阪フィル(1985年)を。「粗野で、骨太素朴な印象」・・・流麗だったり、快活だったり、そんな方向とは反対の、現在では絶滅してしまった不器用な演奏。頑固親父待望論か。残念ながら、ワタシの個人的苦手印象を克服して下さるほどの圧倒的感銘に至らないのは、もっぱら聴き手の集中力欠如問題でしょう。
(ちょっと間が空いて)Shostakovich 交響曲第6番ロ短調〜コンドラシン/モスクワ・フィル(1967年)・・・既に処分してしまったスロヴァーク盤(1988年)の第1楽章20分が暗鬱でわかりにくい、との「音楽日誌2006年6月」コメント見えるが、ここでは13:30・・・テンポ設定か、繰り返し問題なのか。(バルシャイ盤が18分)でも、やっぱり集中力を要求されそうなところですな。コンドラシンの表現はうねるような流れとか、起伏を感じさせて(相対的に)馴染みやすく、続く「アレグロ」の剽軽なる躍動、「プレスト」の(ヤケクソ的)大爆発に一気に雪崩れ込みました。この人の表現はほんまにわかりやすい。
Bach 管弦楽組曲第2番ロ短調(グラフェナウアー(fl))/第3番ニ長調〜ペーター・シュライヤー/C.F.E.バッハ室内管弦楽団(1991年)・・・この団体は、たしかシュターツカペレ・ベルリンの別働隊だったかな?フルートは先日聴いたMozart 同様、”思いっきり華やかで、流麗な技巧”に目も覚めるよう!速いテンポ、短いフレージング連続の躍動するリズムは最近流行の古楽器系表現だけれど、それを現代楽器、引き締まったアンサンブルで実現して新鮮極まりない・・・
●2006年8月某日
自分ではさしたる疲れでも・・・と感じつつ、しっかり熟睡、朝寝坊は稀有なる事象です。カラダが重いのは、午前中サボってスポーツクラブ行きで快復目指し、その後(ご近所である)取引先へそのまま訪問して所用こなすつもり。仙台出張では18歳以来の友人にクソミソ言われて凹んだ(というか、自分の客観的位地を自覚しただけだ)が、やはり、お気楽サラリーマンはできるだけ誠実に、そして抜けるところは抜いて人生を楽しまなくっちゃ。
今朝、好天と蝉の声(就寝時エアコンは弱く、マイルドに入れているが)+気温の上昇で目覚めました。爽やかな(疲れ残る心身共の体調ともかく)朝にはMozart !でっせ。「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」K.525/嬉遊曲ニ長調K.136/嬉遊曲 変ロ長調K.287(第15番)〜アカデミー室内アンサンブル(1984年)・・・各パート一人ずつの清潔明快なる響きがなんと快いこと。リズムを強調しすぎず、また、安易に雰囲気で流さない、余計な虚飾はないが、誠実なる歌はちゃんと存在して、スタンダードな佳き演奏であります。いつもながら第2楽章「主題と変奏」には甘美な感動が迸りました。
昨夜、帰りの新幹線中で聴いた音楽は・・・Rimsky-Korsakov 交響組曲「シェヘラザード」(1962年ブルシロウ(v))/「スペイン奇想曲」(1965年)/Sibelius 交響詩「フィンランディア」(1968年合唱なし)〜オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団・・・エエですね。LP以来かなぁ、この演奏を聴いたのは。LP時代はやたらと高音が強調された刺激的な音質だった(マスタリングに慣れていなかったSONYの問題か)記憶があるが、このCDではそんなことはない。明るいサウンド、オーソドックスなクセのないストレート系表現だけれど、各パートが非常に優秀で惚れ惚れするような節回しで魅了します。
録音も良好。なぜか「フィンランディア」をサービスして下さって、自信満々の充実した演奏だけれど、これは個人的には1959年合唱付き版を聴きたかったところ。
Wagner 管弦楽作品集/楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」第1幕前奏曲/歌劇「タンホイザー」序曲/「ファウスト」序曲/楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死〜ブーレーズ/ニューヨーク・フィル(1970年頃?今調べがつきません)・・・これは、ずっと聴く機会がなかったもの。クールで怜悧、緻密なアンサンブルを想像したが、なんかちゃいますね。まず、録音がよろしくない。定位も奥行きも滅茶苦茶でして、更にアンサンブルが粗い。つまり、バーンスタイン時代(不調時の)ニューヨーク・フィルの状態に近くて、ブーレーズがオーケストラを叱咤激励して、結果、妙にアツい演奏に仕上がっております。
そう、妙な演奏、という印象が拭えなくて、もちろん彼のことだから、煽ったり走ったりの表現はないけれど、ブーレーズも若かったな、といったところか。作品、解釈、オーケストラの個性がバラバラの方向ですな。
ここでいったん出掛けます。
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スポーツクラブはお盆スケジュールで、いつものメニューじゃなかったので止め。早々に取引先へ訪問して、ちょっとした内部行事に参加しつつ、途中商談抜け、(いつもの如く・・・なんでか?)おみやげもらって帰ってきました。「ちょっとした内部行事」というのは試食採点でして、けっこうガバガバ喰ってしまってダイエットにならず・・・ま、基本、喰いモン商売ですからなぁ、仕方がない。
一昨日、仙台にて集合時間まで午前中時間が空いたので、今度こそ映画へ。チネ・ラヴィータという小上映館がありまして、寺島しのぶ主演「やわらかい生活」(偶然上映中)やってました。トヨエツとか、妻夫木聡、田口トモロヲ・・・豪華キャストだけれど、出演人数はエラく少ない。彼女の蒲田にある、銭湯となりの安アパートはセットかも知れないが、全体にロケが多くていかにも”安上がり”っぽいが、それは内容には関係なし。
ま、筋立て内容はリンク先の通りだけれど、冒険活劇的山有谷有どんでん返しあり・・・ではなく、粛々淡々と起伏ない生活が描かれるだけ。筋らしい筋はなくて、いかにも私小説的日本らしい映画だと思います。寺島さんは、いままであまり好きじゃなかったが、エエ味出してますね。大きな画面、真っ暗な会場で集中するのは楽しいというか、まさに癒される状態だと思います。
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昨夜、聴いた音楽の続き・・・新しいイヤホンも(もちろん)高級とは言えなくて、やや線が細い音像となってしまうのが弱点か、と思います。オーディオのことは門外漢だけれど、たしかに印象が変わる音源もあるんですね。Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜エリアフ・インバル/フランクフルト放送交響楽団(1986年)・・・コレ、”ワン・ポイント”なんとか、という優秀録音で有名なんですね。結論的に言うと、帰宅してから部屋のオーディオで再確認して、そのことはワタシにも理解できました。クールで透明なる響きと、迫力あるアツい大爆発の両立。もちろん、極上の音場が確認可能。
ところが、件のイヤホンだと、スカスカというか、空虚なイメージが先行するばかりで”リアルな音場”とは感じられない・・・機器と音源の相性もあるのかな?先のオーマンディの「シェヘラザード」なんか、とても聴きやすかったが。
Mahler 交響曲第1番ニ長調〜カレル・アンチェル/チェコ・フィルハーモニー(1964年)・・・これこそ、粗野で草の香りが漂うような懐かしい響きが稀有な存在です。旋律表現は剛直で素っ気なくて、ヤワなところは微塵もなし。こんな野生な演奏って、最近ないっすよねぇ。録音も、そんな演奏表現に相応しい飾りのないもので、好感を持てました。
ラスト、Debussy ピアノ名曲集〜タマーシュ・ヴァーシャリ/ディノ・チアーニ/イェルク・デムス/アルフォンス&アロイス・コンタルスキー・・・前者二人は各々剛直雄弁なる表現であって、細部粗いわけではないが、日常イメージするこれらの作品演奏とは異なる魅力があります。最近、聴く機会の多いミケランジェリ(濃厚で深い味わい方向)とも異なって、楽しめました。
コンタルスキー兄弟の表現は繊細神経質なもので、4手による「牧神の午後への前奏曲」は貴重な録音だと思います。
●2006年8月某日
思わぬ夏休み+お仕事終えて無事帰宅いたしました。昨日、(お仕着せで)泊まったホテルは、名前は有名だけれど設備的にはどーしょーもなく古びて、ネット環境もなし。締め切り迫ったお仕事メール転送を頼んでいたので、少々焦りました。こんな大名商売していたらつぶれまっせ、このホテル・・・って、数回こんな経験してますね。本日、会議終えて、仙台駅でおみやげ買って・・・新幹線自動改札で止められました。ナント切符有効期限切れ!これはJR東北の優しい駅員さんが見逃してくださいました・・・
でも、さすがに東京→岡山はダメでしょ!フィックス大幅割引の指定席特急券だったし。でも、お盆休み突入の東京駅は大混雑でして、駅員さんにそしらぬ顔で件のチケットを出したらそのまま通過成功!奇跡的に自由席に座れて、あとは岡山駅を出る時だ・・・(当然自動改札は使えません)ところが、なんかもめているお客様対応に駅員さんが忙しくて、そのまま切符二枚置いて逃げるように階段を下りたのでした。
タップリ音楽聴いて、本を読んで・・・ついでにお仕事も。明日もお仕事だけれど、一部簡略化しましょう。つまり、半分さぼっちゃう。
●2006年8月某日
(在仙台ホテル。もう一泊だ)・・・さて、本日昼からほんまの出張、視察、明日会議。帰宅は深夜(指定席はアウトだから大変だろうなぁ)、しかも岡山駅に到着してから、いったん職場に寄って(誰もいないだろうからカギ開けて)タイムニッヒドの締めやらいくつか作業。サイト定例更新は一日遅れます。当初、土休予定だったが(いきなり有休取ったし)お取引先に呼ばれたりで、お仕事です。自業自得だから仕方がない。
台風去って、エエ天気です。体調悪くないが、エアコン調整がうまくいかなかったりで、ほとんどまともに眠れておりません。チェックアウト迄時間いっぱい粘って、体操激しく行いましょう。ノーミソあまり使いたくないのと、今朝の河北新報には目新しい記事を発見できなかったので、エラリー・クイーン編「日本傑作推理12選」(第1集/光文社文庫)楽しんでおります。こんなん読んでいるから(楽しくて)眠れなくなる。
ヒマなので、メールアドレスを変更しました。あまりのスパム・メールの多さに閉口したのと、あまり(プライヴェートな)メールも来なくなったので潮時かな、と。←コレ、画像です。テキスト一括置き換えソフトはいろいろあるので、作業は簡単でした。定期的に変更しないといけないかな?
●2006年8月某日
台風が近づいていて、東京方面は既にけっこうな雨模様みたいです。ここ仙台も昼から降雨は避けられないか。傘持ってきていないんですよ。ここのホテルは新しいし、サービスも価格も上々です。こんなホテルが空いていて助かった。あまり眠れなかったが、体調良好です。きょうは(滅多にいかない、おそらく10年は行っていない)映画にでも行こうかな?ネットで調べると、ホテル至近に「ミニ・シアター」みたいのがあるみたいなので。
昨日聴いた音楽の続き。Beethoven 交響曲第5番ハ短調〜朝比奈隆〜大阪フィルハーモニー(1985年)・・・こんな作品演奏を聴こう、といった気分になるのも精神が高揚している証拠か。ずっしりとした腰の重い、遅めのテンポ。時として、アンサンブルの集中力やらオーケストラのテンションに問題ないではないが、引きずって、落ち着いて、噛み締めるような旋律表現が味わい深い。これは拝聴すべき価値だと思います。第1楽章/終楽章とも繰り返しを実行してくださって(繰り返しは、ワタシ的価値観では必要。素敵な音楽をたっぷり楽しめるから)その長さ、ナント39分に及んで、贅沢にもこれでCD一枚収録也。
(現在再々挑戦中の)ティントナーのBruckner交響曲全集は、第5番変ロ長調(1996年ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団)を確認。ここからオニューの(やや高級新規購入密着型)イヤホンでの聴取となります。(持参のものが左チャンネル鳴らなくなったため、新規購入)このCDの場合、意味がありまして、自然な音場を誇る優秀録音なのに、収録音量が低い=ボリュームを上げて聴く必要がある、ということです。
印象一変!清涼で、威圧感とは縁の薄い、クリアな響き。やや情けないほどの”癒し系Bruckner”か。オーケストラの技量的に弱いはずもないのに、アンサンブルが緩く感じるのは、ティントナーの確信犯でしょう。強く、勇壮なる表現が(いずれどの方向であれ)主流の中で、こんな強くない演奏も妙に新鮮・・・線が細いくらい。
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馬齢を重ねる、ということは保守的になって、柔軟に身動きが取れない、ということか。急な休みに、特別なことが思い浮かばない。サイト(音楽日誌)を更新し、音楽を聴き、ノン・フィクションを読み、BOOK・OFF(二日連続行くか?)で本とCDを眺め、おいしいもの(昼食はイタリア料理のキャフェテリア)を喰い・・・それじゃ日常生活となんら変わらない。しかも、(音楽を聴き出せば)お客やら職場から遠慮会釈なくケータイに連絡が入り、たいしたことのない用件であれば安堵し、やや重要な案件であれば、それはそれで早めの対応でよかった、と思い・・・。
当たり前の話だけれど、映画館(ミニ・シアター)には「開始時間」があり、それを外せば中途半端になって時間がつぶせない。挙げ句(予報通り)雨が降り出すし(小さく畳める傘を買いました)。じっくり「河北新報」を熟読しました。哀しい歴史をたどった「サリドマイド」が多発性骨髄腫の治療薬として、ようやく認可されたとのこと。スポーツ欄のメインは「楽天打線空回り」とのメイン記事(地域偏重記事が素晴らしい!)であり、「団塊世代のアイコン〜夢見たものは今」(31)・・・なぜか東京・茅場町の大衆居酒屋「だるま」の味わい深さ、変遷、「居酒屋礼賛」というサイトの「オフ会」有。
居酒屋といえばなぎら健壱さんのコメントがあり、理想は「すがれた店」とのこと。これは朝日新聞の第1回連載とほぼ同じ内容でして、ワタシは「すがれた」という意味を(あわてて)調べたものです。ここれは「すがれた(盛りが過ぎて衰えた)」とていねいな説明がありましたね。
鶴(ほんまはもっと難しい字)井通眞「人はなぜ探偵になるのか」(朝日文庫)・・・1980年代の著作であり、わずか一年に満たない損害保険調査員の仕事を誠実に、誠心誠意、一生懸命やればやるほど自らの葛藤に陥っていく・・・事故関係者の複雑な人間模様、それに対する思い入れがていねいに描かれ、興味は尽きないが、筆致が妙に暗くて絶望的な気分になりました。
Schubert 交響曲第9番ハ長調〜ブルーノ・ワルター/コロムビア交響楽団(1959年)・・・これも、既に話題にならなくなった録音か。エエ音してますよ。ゆったりした余裕に揺れるテンポ、ふっくら暖かい旋律表現、雄大なるスケール。この作品はベルリン・フィルとか、ウィーン・フィルで聴く機会が多かったせいか、ホルンとか木管とかやや魅力が足らんなぁ、と贅沢言いたくなる・・・でもね、この世代の巨匠の遺産がこんな極上の音質で残るなんて、有り難いものですよ。(でも、やっぱり〜ほんの少々、響きに潤いの不足を感じないでもない・・・)
●2006年8月某日
さて、仙台へ。台風が接近しているらしい・・・移動時間が長いので、たっぷりCD+書籍を持参しましょう。今朝の朝日新聞、「葛藤が生み出す成熟〜草刈民代さん」・・・女性に年齢は失礼だけれど、美しい(これは容姿だけのことを言っているのではない)40歳ですよね。心身共に鍛え上げるストイックな生き方の問題。先輩の森下洋子さんは、先日までCMに出ていらしゃったが、57歳で現役!って、ワタシももっと努力ししなくちゃ、と素直に感じます。
「惜別」〜悪役一筋の川井伸旺さん・・・時代劇の悪役といえばこの人でして、ワタシは男女問わず「悪役」「殺られ役」「汚れ役」「憎まれ役」が大好きです。次世代の”悪役”育って欲しいですね。ザスパ草津の大西社長・・・嗚呼、とうとう亡くなられたんだね。金銭でも、名誉でもなく、ひたすらサッカーを愛して自分を捧げる・・・美しい生き方でした。早朝から、エエ記事を見せていただいた。
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最悪です。サラリーマンとして最悪の失態を・・・じつはスケジュールの勘違いで、仙台での会議は二日後であった・・・折しもご当地は盛大なる七夕祭りの真っ最中であって、猛暑の中、ようやく見つけた「ネット・カフェ」にて顛末を上司とチーム・メンバーに連絡、当面のスケジュール変更指示、(まともなネット環境のある)ホテルの確保・・・思わぬ「夏休み」となりました!多少の出費、なんのその!思いっきり、旨いモン喰って、飲むぞ、この際。床屋さんにでも行くか。
新幹線移動中、しっかり本を読み、音楽も聴いたけれど、東北新幹線途上、@980激安密着型イヤホン(早くも)寿命尽きました。で、ヨドバシカメラにて2,500円ほどのものを購入。(ナント、この度お釈迦になったイヤホンは500円であった)・・・ま、ゆっくりしましょう。これもなにかの縁だ。息抜きだ、慰安だ。
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・・・と、言ってもワタシの行動パターンは変わらなくて、夕飯を喰いに行ったついでにBOOK・OFF仙台駅西口店へ・・・仙台にも【♪ KechiKechi Classics ♪】の読者は少ないのか、@250CDはごろごろしてましたよ。(整理不十分だけれど)控えめに4枚ほど購入(放置されているのが信じられないもの)、それとお仕事再開まで書籍が尽きそうなので@105で4冊入手。旬である”ほや”などいただき、入浴しつつ下着を洗濯して連泊に備えます。(明日はどうしたら良いのか?)
Beethoven 交響曲第7番イ長調/第8番ヘ長調〜ブルーノ・ワルター/コロムビア交響楽団(1958年)・・・前回、札幌での収穫物ですな。何度も言うがワタシにとって(たった今現在)苦手系の音楽であり、しかも軽快こだわりのない古楽器系ではない、それこそかねてからの”大物出場”的著名音源也。嗚呼、これは穏健派の優しい演奏でした。久々に昔なじみに出会った、的懐かしい感慨があって、第6番ヘ長調同様の、ゆったりオーソドックスな味わいはけっして悪いものではない。
ま、この際、ちょっと敬遠している作品ばかり持参〜Mendelssohn 交響曲第1番ハ短調/交響曲第2番 変ロ長調「賛歌」(但し、声楽部分除く)〜デニス・ラッセル・デイヴィス/ボン・ベートーヴェン・ハレ管弦楽団((p)1993)・・・コレ、じつは先日オークションで売れ残ったものでして、この際きっちり聴いたろうと決意したもの。あまり聴き込んでいない作品なので、あまり善し悪しとか、好みの方向とかないんです。オーケストラの響きが少々ジミな感じだけれど、この人はかっちりとしたアンサンブルで、わかりやすい表現ですね。「賛歌」の第1楽章は、冒頭の牧歌的ホルンの旋律が前編支配して、様々変形していくんですね。
Mozart ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219「トルコ風」〜イザベル・ファン・クーレン(v)/コンセルトヘボウ室内管弦楽団(1989年)・・・小振りで小粋で、ノリがよくて蠱惑的な音色が最高っす。コレ、大好きな演奏。フルート協奏曲ハ長調K.313〜グラフェナウアー(fl)/マリナー/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(1988年)・・・思いっきり華やかで、流麗な技巧が素晴らしい。オーボエ協奏曲ハ長調K.314〜これはホリガー(ob)の担当(1983年)。なんて楽しいんだろう・・・
じつはLP時代、フルート協奏曲/オーボエ協奏曲はアルヒーフ(「マンハイム楽派の研究」との帯有)の銀色レーベル「西ドイツ直輸入盤」(2,300円)が出会いなんですね。バックはハンス・シュッタトルマイヤ/ミュンヘン室内管弦楽団、フルートはハンス・マルティン・リンデ(これはずいぶんとジミな、素朴な味わいだった記憶がある)、オーボエは(やはり)ホリガーだったですよ。ベルリン・フィル辺りの色気ある音色とはずいぶん違って(これも)ジミだった記憶もあって、これがワタシの刷り込みです。1960年代の録音か。
でも、このCDでのホリガーが自在で優雅でしたね。この一枚、ヒジョーに楽しくて、キラキラした演奏ばかり。
●2006年8月某日
田中康夫氏三選ならず〜選挙は水物だし、地元長野県の住民ではないからないから何とも言えぬが、流れとか、潮時とかあるんでしょうね。郵政民営化反対の辺りから、ちょっとわかりにくくなったか。新知事は、20世紀中の県政にそのまま戻るのでしょうか。本日、朝一番で出勤諸作業処理会議資料急ぎ作って山口へ(正直準備不足)、明日から仙台へ。戻ったら、高松の会議に出席(これは準備必要なく、参加して会議の雰囲気とつなぎを務めれば良いんです)して、提案資料一本作ったら(事実上)盆休みへ。(仙台出張レポートはその日のウチ作成予定・・・溜めると苦しいからね)
これだけ暑いと、音楽への集中力を失います。Bartok 管弦楽のための協奏曲〜クリストフ・フォン・ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団(1988年)・・・世評ともかく、この方の演奏はCDで聴く限り、どうも楽しめません。「セルの時代は良かった」的懐古趣味に陥らないよう自戒しなくては。シカゴ交響楽団でもそうなんだけど、最近の録音は「上手いことは、上手いんだけれど・・・」みたいな感想ばかりで、この名作に対するドキドキ感が伝わらないのは、もっぱらワタシの精神状態だと自覚しましょう。再聴必須。
5月に通販でまとめて6本ズボンを購入(ダイエットで昨年のものがすべてダメになったため)、これが安物でわずか3ヶ月で傷んできたため、昨日女房とユニクロへ。フィッティングしたら、明快なるハラの凹みが嬉しいですね。昨日、昼は沖縄料理で外食、夜は(冷蔵庫在庫処分で)ピザ(非・健康食か?)+赤ワインを飲んだけれど、今朝、顕著なる体重増は見られません。毎日のダンベル体操が効いているな。本日は食生活に気を付けましょう。
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猛暑の中、山口まで行って参りました。朝一番、少々早めに出勤して予定通りの諸作業消化、山口でのお取り引き対応は準備不足のワリに順調に進んだと思います。(但し、今週金曜日に再度伺わないといけない)同行メンバーも含め、皆元気ですな。新幹線では往復しっかり音楽聴けました。新山口駅まで(中四エリアでは出色に旨い)寿司を昼食としていただきました。本日はアルコール抜き。
Sibelius 交響曲第7番ハ長調〜オッコ・カム/コペンハーゲン・フィル(1994年)・・・これはずいぶんとシブい演奏団体ですな。カムはSibelius を十八番(おはこ)としているが、こんな録音があったとは・・・オーケストラは予想外の大健闘で、清涼かつ幻想的な雰囲気+繊細な響きに味わいがある。アンサンブルの仕上げも丁重(これは指揮者の薫陶なのでしょう)で、息も絶え絶え、厳しい自然の情景が眼前に浮かぶような立派な演奏でした。Sibelius には、艶とか馬力とか、そんな個性は必要ないのでしょう。
続く「フィンランディア」「カレリア組曲」はヴェテラン・チャールズ・マッケラス/ロイヤル・フィル(1994年)であって、これは文句ない集中力と迫力(絶好調時の金管)を楽しめるもの。「エン・サガ」「トゥオネラの白鳥」「悲しきワルツ」〜ジョナサン・カーニー/ロイヤル・フィル(1994年)・・・この方はヴァイオリン出身だと思うが、少々個性というか、味わいが足りません。いずれ、録音状態も悪くなくて、けっこう楽しめた一枚也。
Mahler 交響曲「大地の歌」〜バーンスタイン/イスラエル・フィル/コロ(t)/ルートヴィッヒ(ms)(1972年ライヴ)・・・1966年ウィーン・フィルとの録音の陰に隠れて、少々地味な存在の録音・・・待望の入手でした。噂ほど音質も悪くなかったし、ライヴながらイスラエル・フィルのアンサンブルの集中力も立派なものでしょう。しかし、ウィーン・フィルを聴き慣れた耳には少々、色気不足?か。ニューヨーク時代の荒削りな勢いと、欧州時代以降の入れ込み濃厚の中間に存在する表現であって、声楽の完成度含めてワタシはとても気に入りました。アツい演奏ですよ、やっぱり。
世評高い(高貴なる)ルートヴィッヒはもちろんだけれど、コロ35歳、端正で若々しい声質にも好感が持てました。
もう一枚、ウト・ウーギ(v)/サヴァリッシュ(p)によるBeethoven ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調「春」/第9番イ長調「クロイツェル」(p)1985となっているが、詳細録音情報調べ付かず。これは拾いものCDでして、凛として気品ある、しかもセクシーなるウーギのヴァイオリンに、サヴァリッシュの味わい系達者なるピアノが絡む「春」(エエですねぇ、Beeやんの優しい側面が出てますね)・・・と思っていたら、「クロイツェル」が燃えるような!怒濤の推進力に押しつぶされちゃう。
もともとこんな作品だったのかな?なんども聴いてきた馴染みの作品のハズなのに、まるで、”男の戦い”〜負けまへんでぇ、的勇猛果敢なる音楽であり、滅茶苦茶ノリノリ手に汗握る緊張感たっぷり!演奏であります。ディジタル録音とことだけれど、ややオン・マイクな臨場感も激しい音楽のイメージをいっそう盛り立てました。
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今朝方のBartok 管弦楽のための協奏曲〜クリストフ・フォン・ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団(1988年)の件・・・あまりにコメントが素っ気なかったので、帰宅して部屋をエアコンで充分冷やして、ヴォリューム上げて再聴。なるほど、これは驚異的な優秀録音だ。オーケストラのアンサンブルは怜悧なほど緻密で、細かいニュアンスが配慮されておりますね。味付けたり、表情付加したり、そんな方向は自分の好みではなかったはずで、これが望んでいたスタイルだった・・・はず。まずは、少なくとも「楽しめない」「どきどきしない」ことはない。
もう少し、この作品を深めたいですね。
●2006年8月某日
既に「Yahoo !オークション」は一通りの区切りを付けたが、その経緯は既にサイトに上梓済み。その中に「ヘルマン・アーベントロートだけは少々事情が違って」とあるように、彼の音源だけはどうも性に合わなかったみたいで、この際全部処分!名の通った往年の巨匠だし、良心価格で出品しているからちゃんと売れました。ところが、昨夜、彼の音源を更に棚中より発見・・・これも縁でしょう。ちゃんと聴いてあげなければ。
Wagner 「ヴェーゼンドンクの5つのヴァリアント〜ティアナ・レムニッツ(s)/アーベントロート/ベルリン放送交響楽団(旧東 1955年)・・・レムニッツは往年の名ソプラノ(1897〜1994)だけれど、その声の太さ、味の濃さ、スケール貫禄には比類がなくて、ワタシはその個性にすっかり痺れてしまいました。濃厚強烈な深い味と薫りは、熟成の進んだチーズを思わせて赤ワインにいかにも合いそう。ワタシは声楽系の音楽に暁通しているわけではないが、薄味さっぱり系全盛の現代には消えてしまったスタイルか?
Schumann 交響曲第4番ニ短調〜アーベントロート/ライプツィヒ放送交響楽団(1956年)・・・これも思いっきり叩き付けるように強烈で、暗く、重い迫力演奏ですね。作品的にあまり好んで聴くものではないけれど、ちょっとドキドキするような時代の危うさを思わせます。「大量処分」失敗だったのか、それともこんな重苦しい音楽を、十数枚一気に聴こうとするのが誤りだったのか。
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ウェブサイト、ブログについて最近感じていることを少々・・・ブログ全盛だそうで、某「ブログの女王」のサイトには(多いときに)一日100万ヒットあるとのこと(ほんまか?)。【♪ KechiKechi Classics ♪】のようなジミ・サイトは、せいぜい毎日350〜450ヒットで(ここ数年)安定していて、アクセス数に変化はないけれど、あきらかにBBSへのコメントは激減しております。それ以前から、メールでの情報コメントは減っておりました。これはどういうことでしょう。
ワタシのサイトもワン・パターンで時流に乗り遅れたか?って、最初っから時流なんて考えていませんもの。他の方のサイト(ブログ)は、あまり見ない方だから、ここ数日気付いたこと・・・しばらく訪問していなかった旧知のところ(複数どころではない、かなり)のBBSもほとんど”止まって”いる・・・こりゃ、どういうことか。ワタシにはほとんど接点がなかったが、国内有数のクラシック音楽交流の場であったらしい「クラシック招き猫」も閉鎖とのこと。
BBSのみならず、サイトの更新そのものが止まってしまっているものも散見されますね。クラシック音楽のサイト(ブログ)を執筆しているのは、なぜか「ポスト団塊の世代」(ワタシもそう)が多くて、横並びを嫌い、個性的であり、クールであり、マニアックでもある世代・・・但し、人数が圧倒的に少ないから存在感が薄い・・・ここへ来て「景気回復の声」とは裏腹にきつくなる一方のお仕事、更に団塊の世代本格引退のお仕事激変の渦中にある、と想像されます。(読者もそうか)
ブログにしても、ちょっとした検索関連から「ああ、この方(知人)はこんなブログを開設していたのか」と発見したのも束の間、既に4ヶ月以上更新されていないことに気付いたり・・・状態。立派に更新されている方も(もちろん)いらっしゃって、けっこうコメントは多いな、と内容拝見すると、本文との関係薄い”ご挨拶”程度であったり、ブログ・ブームはたしかにそうなんだろうけど、やはり本質は”コンテンツ”(内容)なんだろうな、と。たしかに、気軽に参加できる、双方向で情報遣り取りできる媒体の魅力はあるんだろうけど。
振り返って自らの【♪ KechiKechi Classics ♪】だけど、もともと「週一回のCDコメント紹介」(これは現在でも崩れていないが)、主たる話題は(既に、かなり以前から)「音楽日誌」に移っていて、媒体別にして内容的にほとんど世間一般の「ブログ」ですよね。いつの間にか。これは2000年7月に開始したもので、ほんの思いつき、当初はシンプルでした。(久々にちょっと覗いてみたら、リンク切れ一杯!情けない)
当初は「エア・チェック」も「書籍」関係も、全部別サイトにしていたけれど、やがて数年を経てすべて合体(合理化)しちゃいましたね。なにを言いたいのかというと、やはり本質は”コンテンツ”(内容)ということです。敬愛する反骨の闘士・日垣隆さんのサイトを拝見していて、(以前にも読んだはずだけれど)はた、と膝を叩くことが載っていたもので。
その趣旨は、「文章の技術」(論文でも、話術でも良いと思う)についての回答でして、ポイントは「何を書きたいのか」(または言いたいのか)だ、と。本質と手段を間違えている方は多くて(原因と結果を取り違えて、評論している人も多いが)、内容のないもの、主張がはっきりしないもの、または主張そのものが卑しいこと(よくあるんです)さておいて、美辞麗句を並べても、「巧言令色鮮なし仁」と先人も喝破したように、絶対に”名文”になりえない。
自らの文書が”名文”、”美文”とは縁遠いものだと考えてはいるが、時に賛辞とか教えを請われる(面映ゆい)事象もないではないので、ちょっと傲慢に書いてみました。世間の多くの「ブログ」が使い捨てにならぬことを祈るばかり。
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Brahms 交響曲第1番ハ短調〜トスカニーニ/NBC交響楽団(1937年ライヴ)・・・まぁ、ちょっと真夏の猛暑に相応しくない音楽だけれど、久々に楽しみました。やや苦手系の作品ではあるが、同じくRCA1951年録音の、歌心に対する賛辞は惜しまなかったつもり。堂々と構築され、重量感溢れる浪漫〜ではなく、もっと明快で楽しげなる世界。こちら、SP復刻の針音も時にショッキングな旧録音は、その方向でいっそうアツく、燃えるような勢いを感じさせます。「楽譜に忠実」とか「イン・テンポ」とだけでは済まされない、もっとよく考えられた、完成度の高い表現であります。
これが、Brahms ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調〜ホロヴィッツ(p)/トスカニーニ/NBC交響楽団(1940年ライヴ)となると、まったく異なった世界となって、ピアニストの妖しい艶と切れ味前面!火花散らす管弦楽団の緊張感爆発!「歌心」ということでは済まされなくて、ゆったりと長大悠然たる作品の味わい乗り越え壮絶、手に汗握る世界に至ってたじろぐばかり。
Bach 平均律クラヴィア曲集全巻〜エドウィン・フィッシャー(p)(1933-36年)・・・戦前の太古録音だけれど、ワタシはLP時代からお気に入りでした。越え、淡々と乾いた情感を愛します。もしかして史上初の全曲録音か?時代的に思いっきり浪漫的なものを想像すると大違いで、けっして大時代異形なる解釈ではなくて、端正で敬虔な味わいか・・・「平均律クラヴィア曲集」で情報検索していて気付いたけれど、レオン・ベルベン盤(1999年BRILLIANT)クソミソの評価を見掛けました。そうだったっけ?と、急ぎCD取り出し。
この人、ムジカ・アンテクヮ・ケルンに参加していて来日もしているはずだけれど、「ブリリアントのベルベンは史上最悪の演奏。 数え切れないミス。信じがたい」との手厳しい声有。第1巻から再確認しているが、流麗ではないものの、しっとり豊かな響きと詠嘆の表現、緩めのテンポ着実なる技巧で、けっして悪くない。時にテンポの揺れ、旋律の引きずりが「ミス」に聞こえるのだろうか。これは表現でしょ。かっちり、イン・テンポでバリバリ弾くことがすべて正しいのだろうか。録音良好。誰かがフォローしてあげないと、罵詈雑言が一人歩きしそうなので、ここにコメントしておきます。
●2006年8月某日
久々の土休、これから一ヶ月ぶりのエアロビクスにいきましょう。猛暑に負けていられない。夜、ケータイ電源切っていて、今朝電源入れたらメール数件入っていて、お仕事トラブル処理慌てて各所に連絡中・・・こんなもんです。
先日のBoccheriniの続き・・・ギター五重奏曲第4番ニ長調「ファンダンゴ」/第5番ニ長調/第6番ト長調〜ジャン・ピエール・フーメス(g)+ディモフ弦楽四重奏団・・・「ファンダンゴ」(終楽章)が一番有名で、ワタシも馴染みの作品ということもあって、これは弾むような旋律が楽しめました。ペペ・ロメロ(g)/アカデミー室内アンサンブル(1978年)のCDも所有しておりました。第5番ニ長調は田園牧歌的な作品でして、第4楽章の変奏曲が(とくに)しっとりと美しいギター・ソロ。
でも、やっぱり弦のアンサンブルが少々ヒスっぽく(これは音質アンサンブル両方か?)、表現的にもやや余裕に不足して潤いが足りないのは残念。でもね、ワタシが(大昔)FMエア・チェックでBoccheriniを盛んに聴いていた頃の記憶では、やはり録音、演奏ともあまりぱっとしないものばかり(例えば、記憶ではセコイア弦楽四重奏団とか?)で、それでもけっこう楽しんでいたから、これはワタシの贅沢病というか、退化なんだろうと自覚しております。
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久々のエアロビクスだったが、下半身に不安が出ましたね。毎日(出張中も出張鞄を活用して)ダンベル体操でしっかり鍛えていたけれど、素人なので下半身がおろそかになっていた自覚はありました。スタジオの鏡に映った自らの体型には、改善が見られたものの、先生の指示に従って下半身のストレッチやらが苦しい。反省です。いずれ、良い汗をかきました。夏ばて問題にせず。体調良好です。
昼からは、エアコンの効いた自宅でテレビをぼんやり見たり、音楽を聴いたり、サイト用の原稿をぼちぼち執筆したり・・・女房は「エステのお試しコース」行きました。夕方、「やま幸」(倉敷市)のただ券があるということで、広い風呂と”食べ放題”を楽しんでまいりました。嗚呼、贅沢だ。
●2006年8月某日
昨夜は仕事より帰宅した女房が、夕食の支度はいやだ、ということでご近所生パスタ屋さんへ。夕食では初めてかな?トマト・ソースベース+野菜のパスタを二種頼んで+白ワイン(辛口)を一本(一本売りで余ったらお持ち帰り、といったシステムみたいです)、更にラストはコーヒーをいただきました。安かったし、おいしかったですね。これだったら、いつもの焼鳥屋より良いかも知れない。息子が帰ってきたら、いっしょに行ってみましょう。
なかなか拝聴が進まない、イル・ジャルディーノ・アルモニコ11枚組より、「クリスマス協奏曲集」〜Corelli 合奏協奏曲第8番ト短調 op.6-8「降誕の夜のためにつくられた」、Vivaldi 協奏曲ホ長調 RV.270「安らぎ」、Torelli協奏曲ト短調 op.8-6、Vivaldi ソナタop.13-4〜パストラーレ イ長調、
ANTONACCI シンフォニア・パストラーレ ト長調、PEZ パストラール協奏曲ヘ長調、Manfredini 合奏協奏曲ハ長調 op.3-12(1991年)・・・所謂、昨今の激しいリズム躍動派古楽器の代表であって、FMで彼らのアンサンブルに出会ったときの驚愕は、かつてのアーノンクール、ブリュッヘン経験とはまた異なる感慨があったものです。
つまり、アンサンブルのいっそうの精鋭、過激な問題提起ではなく、アクロバティックなる技量の上に立つこだわりのなさ、沸き上がる愉悦感、つまり楽しけりゃエエじゃん、的ノリノリの世界であります。著名なるCorelliの一発目の音を聴いただけで、走り出したくなるような楽しい世界が広がりました。ワタシは、最近”穏健派”への道を歩んでいるが、時にはこんな躍動も悪くないものです。
あと、もう少し聴いたけれど、それはお仕事終了後に。週末にはサイト用原稿を書き貯めたいものです。青息吐息でようやく定例更新済み。
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「右足親指爪全摘出!」・・・って、数日前に書いたけれど、実は大嘘であったことが判明。麻酔の注射も、ましてや爪をはがすところなど直視できなかったので、様子理解できておらず、実際は「爪一部切除」だったんですね。本日、老医師より無罪放免、つまり入浴許可。どーりで痛くないと思った。まずはめでたい。
今朝、聴いた音楽の続き。J.C.Bach 協奏交響曲ト長調(2台のヴァイオリンとチェロのための)/変ホ長調(二本のクラリネットとファゴットのための)/イ長調(ヴァイオリンとチェロのための)/変ホ長調(2台のヴァイオリン、2台のヴィオラ、2本のオーボエ、2本のホルンとチェロのための)〜ロス・ポープル/ロンドン・フェスティヴァル管弦楽団(1994年ASV原盤)・・・エエですね。これはほとんどMozart の世界に近くて(師匠筋ですからね)、快活多彩なる躍動とリズムが楽しめます。楽器編成もいろいろあって楽しさ一杯ですよ。
ロス・ポープルは地味な存在だけれど、録音はたくさんあって、手堅い表現で現代楽器を操っております。古楽器全盛の現代ではちょっと流行らん存在か。まずは作品をしっかり紹介してくださるだけでも、価値あるCDとありがたく拝聴すべき。音質も良好。
切羽詰まった貴重なるサイト原稿ネタなので、安易に日誌先行発表不能だけれど、R.Strauss「英雄の生涯」聴いております。キッカケは小澤征爾/ボストン交響楽団(1981年)・・・以前、図書館で借りて聴いてましたね。「正確で、カタのチカラが抜けて、強引なところがない。わかりやすい」〜なるほどねぇ。それにしても上質なオーケストラですな。もうひとつ、マルクソン/アイルランド・ナショナル交響楽団(1989年)←ずいぶんとエエ加減なる(かつての)コメントだけれど、驚いたのは音質です。「at a sampling rate of 176.4kHz」って、なんだか理解できるはずもないが、とくかく非常に美しい音質であり・・・アンサンブルであります。
間違いない。
●2006年8月某日
昨日は、朝一番の”大手術”除いて終日自宅にお籠もり。いろいろ音楽を聴いておりました。夜、話題の亀田某のボクシングを少々拝見するが、パフォーマンス嫌いでないワタシでさえ事前の言動は少々ハナに付いたし、途中見るのを止めたけど、判定勝ちはどう見てもおかしい。夜、ちゃんとシャワー浴びました。傷のところ包帯の上からラップを巻き、更に二重にポリエチレン袋をかぶせ、その上から靴下を履く。そして、なるべく右足方面は自ら遠ざける意識を持つこと・・・OKです。
本日、いつもより30分早めに出勤して諸作業調整後、取引先に出発、昼過ぎまでちょっとした行事というか、試食勉強会対応。ほんまは職場に戻って残務整理なんだけど、そのまま途中の病院に送ってもらって傷口消毒・・・そのまま帰宅予定です。痛みは全然ありません。これだったら明後日、エアロビクスに行けるかも。
遅れ馳せながら岩城宏之さん追悼・Stravinsky バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版)〜メルボルン交響楽団(1989年)・・・全体に響きがジミだけれど、優秀なアンサンブル、仕上げは緻密ていねいでしたね。知名度ともかく、メリハリもあって予想外に力量あるオーケストラに間違いない。但し、表現的には少々淡々とし過ぎ、かなり生真面目一方で楽譜に忠実と見るべきか、素っ気ないと評すべきか。でも、コレ、嫌いな演奏じゃないですね。ストレートだけれど、巧まざる愉悦感みたいなものも感じます。録音は極上。岩城さんの海外活動ラスト辺りの録音でしょうか。
ぼちぼち聴いている、Haydnのピアノ・ソナタ全集(BRILLIANT 99671 10枚組全52曲/複数の演奏家・古楽器による)は、ほとんど話題になっていないし、ネットでの(数少ない)言及でも評判いまいち状態か。(番号違い99817にて現役)作品はMozart ほど馴染みはないし、フォルテピアノを使用した素朴で粗野な響きには慣れが必要かも知れませんね。
今朝は、ピアノ・ソナタ第20番ハ短調〜福田理子(fp)(2000年)を拝聴・・・これは作品をネットで調べていて、「古典期のハ短調の作品として・・・名曲」とのコメントを拝見したので。なるほど劇的な旋律が緊張感たっぷりに表現されて、古楽器の不純物一杯の響きが、まるで濾過していない地ビールのようなコクを感じさせて聴き応えありました。ややオン・マイク、リアルな音像も魅力です。
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朝一番に出勤、諸実務2発ほど消化して、取引先に即出発。午前中一杯掛けて準備、昼に説明本番が始まって上々の対応と反応・・・よかった。手提げ袋一杯の(何故か?)お酒のおみやげを個人的にいただいて辞去、そのまま自宅ご近所の外科へ直行して右足消毒〜帰宅いたしました。数時間のサボりだけれど、仕方がない。明日も消毒があるから、定時で帰宅しないと間に合わない。ありがたいことです。夏らしい猛暑で皆バテてますな。元気だったら「ビール!」ということになるのか。
改めて恥ずかしい実状だけれど、買ったまま忘却・・・というCDはけっこうあるんです。こんなCDあったのか・・・と、情報求めてネット検索すると「音楽日誌」が出てきて、じつはちゃんと聴いている(詳細コメントも!)、という恥ずかしい事例時々有。Boccheriniは、若い頃FMエア・チェックで意外と(沢山)聴いていて、馴染みだったが、昨年(2005年)?10枚組ボックスを購入したまま放置(したのか、それなりに聴いたのかも記憶がほとんどない)状態。反省してます。でも、これって夏らしい音楽じゃないのか。
ギター五重奏曲第1番ニ短調/第2番ホ長調/第3番 変ロ長調〜ジャン・ピエール・フーメス(g)+ディモフ弦楽四重奏団・・・バルカントーン原盤だからブルガリアの演奏家か?(録音情報不明)いつもながら屈託なく平易で、躍動感溢れる旋律が素敵だけれど、これは演奏、もしくは録音に問題あるののかも。つまり弦楽のアンサンブルががちゃがちゃと濁って、しっとりと落ち着けない。もしかしたら、ワタシが作品に馴染みが薄くて集中できないだけなのかも。困ったなぁ、第4番ニ長調「ファンダンゴ」/第5番ニ長調/第6番ト長調を収録したもう一枚もあるのに・・・続けて聴く気力が出ません。残念。
純・個人的なイメージだけれど、夏音楽=「新世界」なんですね。(意味理由原因詳細理論不明)Dvora'k 交響曲第9番ホ短調〜カラヤン/ベルリン・フィル(1977年)・・・以前のワタシだったら、こんな重い、粘着質な演奏には耐えられなかった(事実、このCDを購入して一度聴いて「もう、ええわ」と感じた)が、”聴ける”自分に驚いております。第1楽章提示部が繰り返されないのは不満だけれど、重量級厚みある響きも表現の一つとして拝聴できるように。
その「重量級厚み」が、ある意味甘美で快感ですらあります。著名なる第2楽章「ラルゴ」に於ける、薄もやが掛かったような曖昧なるムーディ表現だって、それほどの反発を感じない。第3楽章/第4楽章の迫力(というか、緩いくらい余裕の)アンサンブルだって、こんなのも有りか、と。耳あたりが良くて、全曲聴き通すのがとてもラクチンなる演奏でした。「モルダウ」(恐るべき大河的イメージに!)ともども、”どれもカラヤン色”的ワン・パターンではあるけれど。
音質、まぁまぁ、フツウ〜とは言っても”駅売海賊盤”ですから。こんな安易で優雅な世界に浸っちゃうと、人間ダメになりそうなので、ジョージ・セルあたりで引き締めましょう。
●2006年8月某日
諸行事、諸締め切りの狭間のような一日であって、ほんまは先行きの資料整備作業(+日曜日のレポート残少々)が心配だけれど、それは一時忘れて急遽お休み決意・・・チームメンバー、派遣さんにメールを入れたところ。右足巻爪がちょっと膿んでいて病院に行くか悩んでおります。体調、悪くないが精神的”夏ばて”状態でもあって、とにかく休みたい!ということが本音の気持ち。
夏らしい夏に聴く音楽選定は結構難しいですよ。さすがに猛暑復活からShostakovichに手が伸びず、お気に入りMahler もちょっと、ねぇ・・・ましてやBrucknerなんて!状態続いております。昨夜聴いた音楽は、(他意はないけど)Tchaikovsky 交響曲第4番ヘ短調〜ストコフスキー/アメリカ交響楽団(1971年)・・・有名な録音でして、思わぬトランペット、ティンパニの付加、大げさに揺れるテンポや、間の取り方がいかにもストコ節!的人気だったはず。購入したのは10年以上前でして、久々の拝聴・・・オモろいが響きの濁りが気になっちゃう。彼の”観客を楽しませよう”というエンターティメントには敬意を表するが、いかにもオーケストラが弱くて、効果的派手派手しく鳴る作品だから、もっと余裕が欲しいな、と感じたものです。
じゃ、カラヤン/ベルリン・フィル(1966年)でどうだ。アメリカ響と比べちゃいけなだろうし、だいたい【♪ KechiKechi Classics ♪】が”オーケストラの弱さ”云々しちゃいけないよ、的ご批判もあるだろうが、雄弁雄大なる余裕のオーケストラの爆発が快いですね。ストコフスキーの後に聴いたせいか、表現としてはオーソドックスで(時に反発を感じる)ハナに付くような”シナ”は皆無。洗練され、構築され、立派な演奏に仕上がって、かなり感動いたしました。
録音は両者ともそれなりだけれど、カラヤン盤の方がずっと自然でしょう。(ネットで検索したら、カラヤンの第1楽章ラストにカットがある?とか)
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行って参りました!大手術!所要時間5分!経費4,100円!右足親指爪全摘出!「放っておくと骨まで溶けるで!」老医師恫喝!激痛麻酔一発!んもう、しばらく風呂に入れないじゃないの。数日間消毒通い・・・仕事を抜けるのに口実が出来たが、スポーツクラブには行けないし、来週に迫った山口〜仙台の出張は困りましたな・・・。
●2006年8月某日
いよいよ(ほんまに)8月到来。ようやく夏らしい気温であって、大水害には閉口気味だけれど、少なくとも水不足の心配はないようですね。先日、「ワーキング・プア」話題から、BBSにもずいぶん書き込みがあったが、社会不安になれば怪しげ新興宗教が跋扈、との予言通り「摂理」とかいう、統一協会(原理研/勝共連合)の流れを汲んだ団体が日本にも浸透していたみたいですね。こいうったネタはワタシが若い頃から尽きません・・・すべての宗教が悪いのではなくて、社会的融和を図っていくことが大切で、それと個人崇拝は(いずれ、宗教団体じゃなくても)アカンな。
Schumann ピアノ協奏曲イ短調(1967年)/Grieg ピアノ協奏曲イ短調(1956年)〜ルービンシュタイン(p)、前者がジュリーニ/シカゴ交響楽団、後者がウォーレンシュタイン/RCA(ヴィクター)交響楽団・・・これは、素晴らしい技巧が余裕で、暖かく微笑みを浮かべた演奏でしたね。所謂、LP時代からお気に入りでした。ンでして、ワタシはやや敬遠気味作品だったので、こんな著名な音源も初耳也。「技巧が余裕」なのであって、壮絶なる切れ味をウリにせず、微妙な旋律の揺れと豊満なる響きがまったく楽しげ、そして切ない味も有。これがヴェテラン巨匠のワザであります。バックの違いも楽しみしていたけれど、ウォーレンシュタインは意外と善戦しておりました。(音質まぁまぁ・・・時代を考えると)
Rachmaninov ピアノ協奏曲第2番ハ短調/パガニーニの主題による変奏曲〜セシル・リカド(p)/アバド/シカゴ交響楽団(1984年)・・・フィリピン出身のリカド(1961年生)のデビュー録音だったかな?(以前所有していて、今回出戻り買い@250也)マールボロ音楽祭にも参加していて、一時ほど話題にならないようだけれど、NAXOSに最近の録音がありますね。爽やかで技術的な不備も存在しないが、やや味が若いというか、まだ煮込みが足りない感じ(ルービンシュタインのあとに聴いたのが良くなかったか)。居並ぶ歴代名盤中に存在を主張するには、少々厳しいでしょうか。(ネットで情報検索していて、”一ヶ所ミスがある”と自慢げに書いてあるサイトを発見したが、この方は”ミス”を聴きたいのであって、”音楽”を楽しむ気はないらしい)
アバドのバックの清廉で引き締まったアンサンブルは、それこそ、かつて数多く聴いた録音中でも出色の集中力。ワタシは、ライナー/マルティノン後のシカゴ響には、アバド、ジュリーニが一番・・・そう思うのですが。
本日高松行き。お盆休みを控え(あまり休めなさそうだけれど)資料作りが一本控えているが、今週は余裕なのでそのまま帰宅したいところです。
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・・・と、いうことで、予定通り資料を仕上げ本部送付、高松より早々に直接帰宅いたしました。体調悪くないが、さすがに猛暑でバテてます。マリンライナー中もほとんど意識喪失状態。布施克彦「24時間戦いました〜団塊ビジネスマンの退職後設計」(ちくま新書)読了・・・まさに、団塊の世代、先に「54歳引退論」を著した布施さんは、団塊の世代の自戒を深く分析して、「プレ」「プレプレ」世代を恨み、同時にうらやましく思ったものです。これが期せずして、戦後〜高度成長〜バブル〜そして崩壊軌跡の分析になっていて興味深い。(ワタシは「ポスト」団塊であり、団塊ジュニアの上に当たる)
ま、我ら団塊、このままどんより引退してもロクなことはないよ、社会に悪影響を与えるよ、すっかり哲学を入れ替えよ、実践に励め、とのご提案です。影も存在も薄い「ポスト」団塊=ワタシ(個性的であり、クールであり、マニアックでもある世代)も他人事ではなく(会社からの)自律を深く決意したものです。(2004年の著作)
移動中拝聴の音楽は、Mozart 12のドイツ舞曲 K.586/三つのドイツ舞曲K.605/セレナード第10番 変ロ長調K.361(370a)「グラン・パルティータ」〜パイヤール/パイヤール室内管弦楽団(1980年)・・・往年の大人気室内アンサンブルであり、1928年生まれだからそろそろ80歳に近い・・・未だ現役ですか?ま、どんな演奏でも同じように(素敵に)聞こえてしまう名作だけど、明るく、上品、さっぱりとした表情の管楽器が細部配慮行き渡って爽快です。あくまで軽快さを失わないのは、いかにも「お仏蘭西」風であり、名人揃いの妙技であります。
Mozart 嬉遊曲ヘ長調K.247/変ロ長調K.287〜トマス・フューリ/カメラータ・ベルン(1989年)・・・件のBRILLIANT全集寄せ集めの借り音源であって、この辺りはまさに私的無条件幸福作品となります。昨今の古楽器系ハードなリズムを強調するものではない、穏健でやや浪漫的しっとりとした味わいが身上でしょう。瑞々しい、優しいアンサンブルが快い。飾り過ぎず、素っ気ない表現にも陥らないバランス感覚有。K.287(いわゆる第15番)第2楽章「主題と変奏」は、我らがヴォルフガングのもっとも親密で味わい深い旋律のひとつが(心ゆくまで)楽しめると思います。適度な残響豊かな優秀録音。
●2006年7月某日
連続出張、休日出勤+飲み過ぎ不摂生激疲れ月曜の朝、いよいよ夏らしい8月の到来です。まだ、今週のスケジュールを確認していないが、出張は(ほとんど)なかったハズで、週半ばにちょっと大掛かりなプレゼンテーションが地元であるのみ。ああ、来週仙台で会議だから、それに向けての資料作り提出など、そんな関係のお仕事ばかりかな?北海道出張報告は既にレポート仕上がってます。
BRILLIANTのMozart 全集オペラのみ44枚分、オークションで入札。先に購入ダブっていた「コジ・ファン・トゥッテ」「フィガロ」「イドメネオ」「アポロとヒュアキントス(これって、ヒヤシンスのことなんですね)」全部オークションで全部捌けました。金額の多寡ではなく、「もったいない」ですからね、音楽は聴きたい人に聴いていただかないと。棚に眠っていてもしょうがない。その「アポロとヒュアキントス」K.38〜マックス・ポマー/ライプツィヒ放送交響楽団/合唱団/ジョン・ディッキー(t)/フルバ・フライベルガー(s)/アルノ・ラウニヒ(ソプラニスト)1990年の録音は、音質、アンサンブルのていねいな仕上げで充分楽しませて下さいした。(現代楽器による)
歌い手が濃すぎる、との評もあるようだけれど、ワタシはこれしか聴いたことがないのでなんとも・・・状態。ソプラニストって、その昔はカストラート担当だったのですか?それとも、児童によるものか。いずれ、ほんのこどもの作品とは思えぬ多彩なる響き、楽しい作品でした。ポマーは知名度低い作品を楽しげに、軽快に表現しております。
では、猛暑、蝉の声の中出勤いたしましょう。
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週明けですっかり8月到来!とカンチガイ。更新してファイルのタイム・スタンプで未だ7月を確認しました。大惚け・・・でも、メンドーなのでそのままにしておきます。お仕事は集中力を失っていて、本日中にこなすべき10項目ほどの宿題は遅々として進まない。でも、なんとか消化して早々に帰宅・・・ずっと休みがないんですから!ご勘弁を。