2006年4月某日
昨日夕食は、最近ワタシが凝っている”ダイエットメニュー”作りました。〜主菜はビーフシチュー(もどき)です。肉は使わず、蒟蒻たっぷりと野菜で仕上げてあります。残っていた(紙パック)赤ワインとアイスコーヒー(無糖)+野菜ジュースが隠し味。たくさん残ってしまった小夏(爽やか小型柑橘類)でサラダも作りました。ほとんど精進料理の世界で、さすがに夜ハラが減りましたね。女房は痩せているのでダイエットは必要ないんだけれど。
で、女房は夜、ご近所にオープンした流行の岩盤浴に行って来ました。「病みつきになりそう・・・」とのこと。いくつか検索掛けてみると、ほとんど”女性専用”なんですね。ま、もともと女性客が多いんだろうし、おっさんが混じると女性客が減るのかも知れない。男用には昔から「サウナ」があったし(違うか)。ちょっとしたブームだけれど、定着するのか、一過性なのか。
昨夜、聴いた音楽・・・Mahler 交響曲第1番ニ長調〜ジェイムス・レヴァイン/ロンドン交響楽団(RCA CDMC-30 1974年 350円)・・・以前から好印象を持っていたが、こども時代からのお気に入りながら、最近少々食傷気味だった作品に新風を送り込んで下さるような、楽しさ!瑞々しく、若々しい響き、神経質方向ではなく、のびのび謡うような、まさに青春の歌。彼はとうとう全集を録音していなくて(第2/8番がない。「大地の歌」はDGから出ました)、どこかのレーベルで全集録音し直さないでしょうか。やはり最近テクノロジーから勘案すると、音質やや不満故。ミュンヘン・フィルとの第9番(1999年ライヴ)は、楽しく拝聴したエエ演奏だけれど、オーケストラの特質か録音の印象か、少々乾いてカルい感じがしたものです。
かなり以前のいただきものだけれど、Mozart ピアノ協奏曲第27/20番〜ピレシュ(p)/ジョルダン/ローザンヌ室内管弦楽団(1977年)〜棚中をひっくり返したら出てきて拝聴・・・これが、んもうかつてない感動を呼びました。当時31歳、未だ若手でしょう。しっとりとした情感溢れたタッチで、濡れたような清潔なる官能を感じさせて最高。ココロが洗われるとはこのことか。更に付け加えると、アルミン・ジョルダン(1932年生)のバックの親密さであって、この人は最近どうなっているんでしょうか。1997年迄スイス・ロマンド管弦楽団のシェフを務め、たいへんな人気だったそうだけれど・・・。フランス音楽だけでなく、独逸系、声楽オペラも得意としていたはず。(もともとスイスの独逸語圏内出身)
もひとつMozart 、ヴァイオリン・ソナタ ニ長調K.306/変ロ長調K.378/アンダンテとアレグレット ハ長調K.404/(断片)変ロ長調K.372〜オレク・カガン(v)/リヒテル(p)(1974年ライヴ)・・・集中力、溌剌と躍動する表情の豊かさ、愉しさ、これほど胸を打つ演奏は久々であって、(値札によると)@1,200もけっして高くはない・・・おそらくは1990年前半に購入したCD。音質的にはやや不満はあるけれど、それを超える臨場感有。
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朝、思い立って女房と神戸ドライブ。その件は、また来月。ダイエットは一時休止です。
2006年4月某日
いやぁ、マイりました。昨日、朝から少々波乱の幕開け・・・某在庫の大量処分をムリして松山のお客様にお願いしていて、その数量確定していたけれど、いざ発注してみると数量が足らない・・・倉庫管理上の問題でツブしてしまったもの数十ケース。んもう、どうすんの?明日から祝日だし。とにかくそのまま、(中年+若年)新人君達の地元商談に同行というか、同席して(未だ独り立ちしていないんです)昼食摂って、事務所に戻ったら・・・大事件発生!
現在、そしてこれから売るべき最重要商品のひとつが重大トラブルで全品回収・売り場告知・・・これ、我らの商売にとって一番の悲劇であって、いちおう担当は最若手新人君だけれど、文書配信、作業指示はワタシがやって、とにかく電話でお詫びさせて、それで治まらないもの、質問、調整はワタシがやって、時は過ぎ行きます。先ほどの「処分商品手配の商品が足りない」件も遅々として進まない。当面最低限の作業も、な〜んもできない・・・本部からの詳細明細資料が不足していてしかも遅く、ようやく届いたものには不備が多くて(データとして使えなくて、”目視で”抜いて整理しかない)、情報錯綜して取引先からは不信を招き・・・
それに先の商品手配調整、発注データ入力調整(超・複雑)をしつつ、先日来問題となっている”某誹謗中傷取引先”の関係修復作業スケジュール調整(当人にようやく連絡+アポ調整)が入り、稟議書を切り、更に本部からの「どーしても、この在庫100CS処分してね」との飛び込みお願いがあり、それを調整してお取引先に情報流し・・・もう、気分は連休さ!的お気楽さっさと帰宅の夢うち破れ、ド残業し、ツカれ果て、足取り重く(ようやく)帰宅。
いけんと思いつつ、冷蔵庫に眠っていた(紙パック)赤ワインをグビグビ飲みましたよ。ま、危機には強いほうなんですよ。起きてしまったことはしょうがない。これを最低限の信頼関係の遜色で切り抜けて、なんとかしたい。修復処理の失敗で、不信感の上塗りは避けたいもの・・・ワケのわからん映画見ながらウツラウツラ・・・とにかくフロはいってさっさと寝ました。本日、午前中スポーツクラブに行くが、昼から職場に顔を出さないといけないか?とんだ祝日ですよ。昨日、”やはり大小波瀾万丈の毎日でなければ!”と書いてしまった呪いか。
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断続的に「小品集」を聴いていて、まず「ロマンティック序曲集(様々な演奏家によるライヴ)」(ANF LCB146)・・・このサイト初期の更新であって、価格的にも驚くべき(高い)ものだし、コメントも通り一遍でオモろくはないが、演奏はじつに楽しい・・・劣悪なる音質(本場イタリア系のブート・レグか)乗り越えて、マニアックな音源満載、楽しめます。マキシム・ショスタコヴィッチの「オイリュアンテ」なんか、珍しいでしょうか。(少々落ち着かない、コシの浮いた演奏)アルブレヒトはきりりとして立派な演奏だし、ムーティもマルケヴィッチも期待通りの充実+作品収録が稀少でしょう。これから2枚目を再度拝聴いたします。それにしてもブーレーズ、パターネ・・・凄い収録だ。
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朝一番でいつものスポーツクラブへ行ったものの、GWメニューでいつものエアロビクスはなし・・・で、予定変更して職場まで女房に送ってもらいました。昨日のトラブル処理の続き・・・ま、気になることは先にやったほうが・・・ということで。午前中で一応終了、女房に再び迎えに来てもらって昼食場所を探したが、どこも混んでいてさすが連休ですな。数件、回って「沖縄的食堂 ちゃちゃぶー 大福店」へ。ワタシはソーキ・ソバの麺のコシに不満はあったが、女房は久々の本格沖縄(家庭)料理にご満悦でした。
2006年4月某日
昨日は一日外出する予定も、差し迫った大トラブルもなかったので、粛々と先々の(大量)宿題を先行消化。ほぼ、平穏無事なる一日で”毎日がこうでありたい”・・・とは思わぬ、やはり大小波瀾万丈の毎日でなければ!閑話休題(それはさておき)早々に帰宅。ワイン(数日前紙パックのが特売していた)も飲まず、音楽聴いてました。少々肌寒い異常気象な春だけれど、体調も万全。「医龍」を見たが、う〜む・・・といった感じ。夏木マリのイケズぶり(陰影あるシワが素晴らしい)がなんともハマっている以外は、ユーモアが足りないし、「白い巨塔」ほどのストーリー的深みが感じられない。坂口憲二なぁ・・・エエ医者役なら、やはり江口洋介か。稲森いずみも存在感薄いなぁ。ま、ドラマは「殺られ役」+「悪役」で価値が決まる、というワタシの価値観だけれど。早々に就寝して、早朝決起〜定例更新。
昨日は出勤にCD持参して、Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ショルティ/シカゴ交響楽団(1970年)聴きました。板起こしなんでしょうね、お恥ずかしい話だけれど、優秀なる音源からのエエ加減なる復刻の様子にようやく気付いた感じ・・・第3楽章「スケルツォ」では最強音で音が割れてます。でも、やはり優秀録音であることに変わりなし。で、そのひとつひとつの旋律に入魂の”煽り”が存在して、聴いていてまことに落ち着かない。意欲とやる気前向き、強引剛直なる姿勢と強力オーケストラの威力圧力はどうしても好きになれない・・・オーケストラはほんまに上手いが。
別にショルティのMahler は絶対に聴かん!という姿勢でもなくて、新旧取り混ぜて第3/9/10番以外は、おおよそ手元にあるんです。(ほぼ「駅売海賊盤」というのも恥ずかしいが)当たり前の前提だけれど、あくまでワタシ個人の純粋の嗜好問題であって、ま、基本お気に入りMahler だから比較対照として参照する機会も多い、音も良いしね。でも、艶々のこんな演奏ってどうなんでしょ。タバコフのヘロ全集とか、アブラヴァネルのユルユル演奏とか、けっこうそちら方面に癒されるのはワタシの天の邪鬼性格かな、と(充分)自覚しております。
すっかり「駅売海賊盤」に魅せられていて(=著名なる往年の名録音)Holst 組曲「惑星」〜カラヤン/ウィーン・フィル(1961年)・・・考えてみれば、この時期に独墺系正統派指揮者オーケストラが取り上げるには、少々冒険的な意味合いがあったのでしょう。ボウルトが早くから録音していたが、せいぜい「新しもの好き」なストコフスキーくらいしかありませんでしょうから。意外にも粗野な勢いに溢れたもので、単に仕上げが雑(アンサンブルも)と否定し切れない意欲と勢いを感じます。所謂”英国音楽”風ではなく、新たなるヴィルトゥオーゾ・レパートリーの定着を狙った、ということでしょうか。(基本、優秀な録音だと思うが、これも”勝手に板起こし”風な細部雑な仕上げが散見されます)
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ことしのGWはなんの予定もしていないが、今朝の朝刊で知ったが、「ボストン美術館所蔵肉筆浮世絵展〜江戸の誘惑」神戸でやってますね。これはぜひ拝見したいもの。
2006年4月某日
山口から戻って、もう職場に戻るのはやめ、と指示して、ちょっとだけね、と酒場に行ったのが運の尽き・・・ま、お話主体です。そんなに飲んでません。でも、健康にも、サイフにも優しくはない。時間ももったいないか。もう連休明けまで酒席なし、です。杉田聡「クルマを捨てて歩く!」(講談社+α新書)・・・う〜む、論理立てた「クルマ不要論」「クルマ害悪論」展開は、さすが大学の先生、といったところだけれど、例えば荒川じんぺい「パソコンで森暮らし」(カッパブックス)みたいに、その生き方に魅力を感じるほどの説得力ではない。充分に正しいと思うし、政府財政、個人家計、環境、こどもの安全+自由でのびのびした成長につながる、というのは理解できるけれど。我がスーパー軽・セルボ・ノンターボ・ノーDOHC(中古激安)を捨てる決意には至らないか。
新幹線移動時間中、音楽聴きました。Mahler 交響曲第4番ト長調最終楽章〜ベルティーニ/ケルン放送交響楽団/ルチア・ポップ(s)(1987年)・・・ケルン放響には艶とか深々とした滋味に少々欠けるかも知れないが、その精緻なアンサンブルと細部入念なる配慮表現によって、夢見る天上の旋律がこれほど感銘深く、正確に再現されることは希有な事象でしょう。1993年に亡くなった気品あるソプラノは、いままで聴いてきたこの作品録音では1、2位を争う魅力。うっとりしちゃいます。
引き続いて、Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調(1990年)・・・大好きな作品だけれど、(ちょっと、”いかにも”風というイメージがつきまとって)ここしばらく敬遠気味だった(スワロフスキー/ウィーン交響楽団1963年は聴いたばかりだけれど)・・・が、久々爽快、ではないか、満足の手応え充分でした。ワタシはショルティ/シカゴ交響楽団(1970年)の超・機能的、精密なるサイボーグのような演奏への”恐れ”があって、その方向に反発しつつも、多大なる影響を受けた、ということです。(言うまでもなく再聴必要)ベルティーニは細部の彫琢と、秘めたる情熱がバランスして、ちゃんと聴き手に”悲劇”を痛感させる説得力に充ちます。抑制を前提にした詠嘆がちゃんと有。
この時点でのケルン放響は、充分なる機能性を保持していたけれど、その基本は”ジミ”じゃないでしょうか。華やか艶やかな響きではなく、もちろんベルティーニはあざといパフォーマンス(テンポの揺れは控えめ)を見せるワケでなし、それでいて謹厳実直面白みのない表現に陥らない。馬力で押すタイプでは(もちろん)ないが、力感の不足はない。さらさらとした「アダージエット」の淡彩(薄味)なこと。流れが自然なこと、柔らかい陶酔が待っていること・・・
嗚呼、困った第1〜5番ダブり覚悟で全集再購入するか?2004年7月16日札幌にて3,880円で購入した5枚組だけれど、なんとか別途6〜10番+「大地の歌」セットの登場を待つべきか・・・それが問題だ。
2006年4月某日
今朝もなんか寒いなぁ、いよいよ今週からGWだというのに。昨日から今朝、Mozart 交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」〜クルト・ザンデルリンク/レニングラード・フィル(1948/50年)・・・時代相応の音質乗り越え、露西亜のオーケストラとは思えぬガッチリ着実な歩み、重心の低い、噛み締めるような味わいの演奏です。テンポはあくまで中庸(終楽章は遅いですよ。噛み締めてますから)、特別個性的な表現やら耳目を驚かす解釈などはどこにも存在しないが、諄々と説得力深い。
板東興「心臓外科医」(岩波新書)・・・久々に「岩波新書らしい」(この意味を分かる人はワタシの世代以上か?)本に出会った、という歯ごたえ有。←リンク先を見ても廃刊らしくて、これは(いつものようにBOOK・OFFにて入手したもの)ワタシは一般的な”心臓病”やら”医療もの”に興味はあるが、目的はワタシの同い年である著者の”出会いと深化”であります。(徳島県出身で、ワタシのご近所・岡山大学出)彼は研修医から始まって、なんども海外研修留学、そして世界の最先端での医療にアメリカで携わるが、自分の学習成長を通して、心臓外科発展の歴史を(結果として)詳細に語ります。
つまり、読者(ワタシ)は、”心臓外科手術概論”を読みたいのではなく、同世代の生きた経験としての”ナマの声”に興味があるんです。さらにアメリカの民主的(形式や言葉ではない)な医療界の仕組み、日本に於ける閉鎖的な(ドイツから導入された仕組み+似て非なる日本的風習)人選ではない、またイギリスの、またまったく別な実状(良いところも悪いところも有)も比較されました。人生とは出会いであって、彼は人間的(組織運営に長ける)にも技術的にも素晴らしき教授、同僚と人脈を結んで成長していくのでした。
心臓移植や、それよりいっそう難しい心臓病手術(移植そのものの技術は確立され、むしろ術後管理が80%だそう)への技術開発だけでなく、初めてのトライヤルは(どこかの国の悪しき例みたいに)功名としてではなく、徹底的な動物実験や広い論議を経て実施される仕組み。自身、数年前に小さな手術を受けた経験(ワタシのご担当は女性の研修医だった)から感じたことだけれど、いかなる名術者とはいえ、最初は”初心者”なワケでしょう。どうやってそれを育てていくか、というシステムもちゃんと理解できました。
では、行って来ます。
2006年4月某日
昨日は早めに就寝し、その関係で(いつにも増して)早朝起床。途中覚醒ではないので睡眠障害ではありません。洗濯しつつ朝食といういつものパターン終えて「音楽日誌」執筆しようとしたら、愛用のEditHTML(HTMLエディター)が調子悪く、エンター・キー一発で異常終了連続・・・再起動しても同様。どうしたことか?しかたがないので、秀丸エディターでソース表示させて執筆中・・・その気になれば、なんでもできる!(ちょいとメンドーだけれど)
昨夜はお仕事用のレポートをWebにアップ(写真が多いとメールでは送れない)・・・って、コレお仕事じゃないの。ま、エエけど。今朝、Mozart 嬉遊曲ニ長調K.334〜ザンデルリンク/レニングラード・フィル(1950/51年 4楽章版)・・・短縮版なのは当時の録音収録の都合か知らん。ワタシは彼のガッチリ構成された音楽を(一般に)楽しめない罰当たり者だけれど、骨太でゆったりスケールの大きな演奏を楽しみました。著名なる「メヌエット」の中間部、テンポの遅さは想像を絶するものでして、ま、あわてず、じっくり、たっぷりヴォルフガングの美しく優雅な旋律を楽しみましょうわい・・・とニヤニヤしてました。音質はそれなり。(HDN C0029)
Mozart (ばかりだ)ヴァイオリン・ソナタ イ長調K.526/ハ長調K.296/イ長調K.305〜サルヴァトーレ・アッカルド(v)/ブルーノ・カニーノ(p)(1989年)・・・これも数年前に購入して放置してあった「8枚組2,790円」全集(渋谷HMVで衝動買いしたもので、これが底値ではない。BRILLIANT 99721)。言い訳重ねると、我らがヴォルフガングの作品は「座右に有」というのが当たり前であって、霊感が閃いたときには、いつでも間髪入れず音として聴ける、というのが当然状況であるべきなんです。それがたまたま、数年間インターヴァルが空いただけのこと。
アッカルドは歯切れ良く、まさにイタリアの陽光を思わせて爽快だけれど、主役はむしろ名手カニーノであって、瑞々しい感性と躍動を前提に、芯をしっかりと感じさせて明るい表情に充ちて、ノリノリの幸せな一枚でした。(K.305ではピアノ・ソロが登場して、最終楽章はしみじみ美しい変奏曲)昨日の”歴史的録音”続きで、Mozart ピアノ協奏曲第19番(サージェント/ロンドン交響楽団1937年)/23番(ロジンスキー/ニューヨーク・フィル1948年)〜アルトゥール・シュナーベル(p)の”太古録音”堪能・・・音質まぁまぁか。(評価が甘い)
偶然にも数日前に聴いたポリーニ(p)/ベーム(1976年)と同じ収録だけれど、音質条件乗り越え(純粋個人的好みとして)こちらのほうがずっと楽しい。サージェントのバックはとろとろのポルタメントが掛かって甘く、シュナーベルの揺れ動くピアノと相まって陶酔のひととき。(HISTORY 205164-302)どこかで「ベームのバックのアンサンブルが云々の箇所で、やや響きが雑になる」的コメントを拝見したが、この歴史的録音拝聴していたら、そんな枝葉末節な論評ほんまに空しく感じたものです。
シュナーベルの技巧の磨き上げはポリーニの比ではなくて、細部(結果としての)弾き崩しも散見される(K.488はライヴでしょうか)が、自然な流れ、そして人間の呼吸・鼓動のような”情感の揺れ”の快感。細部の彫琢ではなくて、気持ちが先に走って”ああ、この美しい旋律をもっと早く味わいたい!”という想い溢れて小走りになる微笑ましさ。
では、行って来ます。
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今年の春は遅くて、もう5月の声がそこまで聞こえているのに、朝晩は肌寒い。空もどんよりしていて、せっかくの長桜も花見には似合わない薄ら曇りやら雨に祟られて気が滅入る”春”であります。ふだん、出勤はわずかの時間なのでCDは持参しないが、今朝は思うところあってMahler 交響曲第3番ニ短調終楽章・・・マンションのドアを開けたら切ないほどの青い空であり、空気が澄んで・・・そこに詠嘆の弦が漂いました。ベルティーニ/ケルン放送交響楽団(1985年ライヴ)。第1〜5番迄のセットが早くから出ていたのに、全集ボックスが没後に登場してダブりとなるのが切ないという、情けない5枚組でした。(EMI 7243 8 26406 2 2)
そっと耳元でつぶやくような、幼い日の懐かしい想い出。ケルン放響って、こんなジミなサウンドでしたっけ?”ジミ”というのは悪しき評価のつもりではなく、抑制が利いて含羞さえ感じさせる囁き。久々の青空が切なく、哀しく、そして空気は清涼。このオーケストラの技量は万全なのだろうが、技量の切れ味をウリとしない。ベルティーニといえば”集中力”なのだろうが、それが神経質ヒステリック方向ではなく発揮されております。クールだけれど、聴き手の涙を誘う力量充分。約26分、ちょうど職場到着にて終楽章は名残惜しく終了したものです。
昼から地元取引先商談連続(チーム全員同行)。夕方までたっぷり時間を喰ったので、自宅にて直帰しました。明日は山口です。
2006年4月某日
昨日は昼食後、ぼんやりテレビを見ていてウツラウツラ・・・赤ワインの小瓶が冷蔵庫にあった(いつものより少々高級か)ので、栓開けてみたらこれが香りの奥行きが深くてなかなか(ブランドラベル知らず。なんでもエエんです)・・・昼から飲むのはアルコール依存症か?で、更に居眠り継続。(研修終えた)女房から連絡あって、待ち合わせて外食〜こんどは白ワインを。でも、岡山での日曜夜の店の選択は難しいんです。あまりたいした料理じゃなかった。贅沢な休日だ。ちょっと体重戻ったか。今週はどんなお仕事宿題が待っているのか?意識飛んでます。これでいいんです。
まだまだ読むべき棚在庫本は残っているが、BOOK・OFFで数冊買い足してきて一冊読みました。森田功「やぶ医者のねがい」(文春文庫)・・・巻末の解説を読むと既に著者は亡くなっちゃったんだぁ。内容は町医者の日常と失敗、病を語るのではなく、病人を語って視点が暖かい。自らを「やぶ医者」(シリーズになっている)と公言しているし、いわゆる”見立て違い”も隠さないが、日本でも有数の”名医”であったとのこと。なんかシミジミして、切ないけどほっこりとした気持ちになりました。
サイト用ネタなので、詳細後述ということにして、Mozart ピアノ協奏曲第13番ハ長調K.413(ランドフスカ1945年)/第14番 変ホ長調K.499(ゼルキン1938年)・・・ランドフスカは浪漫の香り溢れて、時に名残惜しく立ち止まり、35歳のゼルキンは義父・ブッシュによる万全のバックを得て、かっちりとした芯のあるピアノを聴かせました。後者の音質良好なのに少々驚き。弦楽四重奏曲ハ長調K.465「不協和音」〜ウィーン・フランツ・シューベルト弦楽四重奏団(1994年)・・・BRILLIANTの全集購入したまま(数年間実質)放置してあるもの。
透明でクール、純(過ぎるよう?)な演奏でしょうか。ワタシはこの作品、こどもの頃からのお気に入りでして、冒頭”不協和音”が流れ出すだけでドキドキもの。「数年間放置」の言い訳は、ハンガリー弦楽四重奏団の「Haydn SETS」(VOX1972年)、ジュリアード弦楽四重奏団(SONY 2枚分)、そしてバルヒエット弦楽四重奏団(QUADROMANIA 4枚)を優先させていたから、と、いうことにしておいて下さい。
では、行って来ます。
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なんか、あまりにお仕事溜まり過ぎて、いったいどこまで消化したのやら自信がない。自分の(狭義の)お仕事をこなすだけなら(少々トラブルがあっても)定時で帰れるし、なんだったら昼から「現場回ってくる!」とばかり出掛けて、そのまま飲みに行ったってかまわない(ことはないか)。が、いろいろ相談を受けたり、実例でやって見せたり、自分が請け負っている(へんな、でもヒジョーに工夫され、合理化された)作業を説明、引き継いでみたり・・・お客さまからのムリムリなる”お願い”の消化の仕方、信頼の継続、できるだけ出費を少なくする方法とか、この間の売り場訪問のレポート整理とか、それをWebに上げることを考えたり・・・疲れました。
でもさ、こんな疲れは健康的ですよ。粛々と作業は進んでいる(ハズ)だし、鬱陶しい外野の誹謗中傷も(おそらくは)治まったはずだし、先々の(お客絡みの)スケジュールは順調に決まっていくし・・・でも、やっぱり一ヶ月は長いなぁ。苦しいこと。それにしても、この間、諸作業実務を教えていて、回りの連中は驚くほどパソコンが使えない!ことに気付きましたね。「ワープロできまっせ」「メール送れます」「エクセル使えます」程度のことを言っているんじゃなくて、”パソコンで日常作業をガラリと合理化する”、もしくは逆に”パソコンより、手作業のほうが早いことを見抜いてさっさと消化する”ことが理解できていない。
驚くべき程、仕事の合理化が出来ていない。工夫がない。だから実務作業が不正確で、しかも時間がたっぷり掛かっちゃう。情けない。全部、ぜ〜んぶ、大業(おおわざ)小技(こわざ)教えてあげるからね。でも、これだってワタシゃ自分で考えてきたんだ。”工夫する姿勢”を学んで欲しいな。嗚呼、お仕事ばかりやっていたらココロが殺伐としてくる・・・
2006年4月某日
さぁて、もう一日休みをどうしようかな?体調万全だし。更にもう一発スポーツクラブに行くか、ゆっくりするか。昨夜はね、エエことありましたよ、私(ワタクシ)的に。ずっと行方不明だった、Mozart ピアノ協奏曲第23/19番〜ポリーニ(p)/ベーム/ウィーン・フィル(1976年)発見!・・・コレ、Syuzoさんのブログで取り上げられた録音でして、それをきっかけに”行方不明”に気付いたもの。ま、所詮駅売海賊盤(エコー・インダストリー CC-1085)ですが。
世評で言われるほど音質は気にならない(もともと音質には疎いし)が、こんな演奏だったっけ?というのは久々の正直な感想です。ベームのバックは枯れきって、ある意味透明無垢な響きを実現していて、ポリーニのピアノはずいぶんと静的な、まるで能面のような表情の動きの少ない演奏に聞こえます。もっと、得も言われぬ色気があったよね、的イメージがあったのですが。不思議。もうちょっと聴き込もうかな?
「アマオケホルン吹きの音盤中毒日記」の記事で、Paganini ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調〜フランチェスカッティ(v)/オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1950年)・・・これも話題になってました。(ワタシのはSONY SBK 47661 これは疑似ステレオ化されていないCD)正直、偶然に棚中から発見したもので、「こんなものもあったのか・・・」的感慨有。良く知った作品だけれど、これほど端正上品で気品があって、名曲然とした風情は初めての経験です。なるほど、世評の高さも納得。(音質はそれなりの水準・・・に思えるが)
で、聴き比べにドゥバッハ(v)/サッソン/モンテ・カルロ・フィル(1991-1994年)を取り出すと・・・ははぁ、なるほど。ちょいとヤクザな艶があって、時にクサい崩し、タメもあって、こちらのほうが”いかにもPaganini!”っぽいですか?(BRILLIANT 99582)
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(これも)しょうもない悦びを一席。出張外出の隙間にあちこち”クラシックCD”の在処を覗くが、やたらと”出会う”CDってあります。それなりの価格であれば、4回も5回も見掛ければ根負けして買いますよ。R.Strauss 交響詩「英雄の生涯」〜ギュンター・ヘルビッヒ/BBCフィルハーモニック(1985年)・・・いや、もうあちこちで、岡山で数カ所、東京で数カ所、広島でも見掛けていて、とうとう購入!・・・していたことは昨日(棚中存在を)気付きました、というのも情けない。もう一回出会っていたら、ダブり買いしていたかも。
ワタシはヘルビッヒのジミで着実な芸風が好みだし、この演奏だって適度な華やかさと力感がバランスして、聴き応え充分。マンチェスターのオーケストラは、(以前聴いたElgarでも同様の印象だったが)意外と鳴りきった立派なサウンドでして、ムリムリなところのない余裕を感じさせて愉しめます。押しつけがましさ、要らぬ絶叫もない。ライヴらしいが、アンサンブルの完成度、洗練度合いにも文句ないでしょ。
しかも、あちこち見掛けた売り場中”底値”の@250で入手していた、というのもワタシの儚い満足でありました。
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結局、午前中床屋さんに行ったり、女房を「なんとか・プランナー」の研修会合会場迄送ったりで、スポーツクラブはお休み。Mozart ピアノ協奏曲第23/19番〜ポリーニ(p)/ベーム/ウィーン・フィル(1976年)関連でBBS書き込みもあったので、再々聴。「駅売海賊盤のマスタリング水準による音質印象」とのご指摘もあったので、少々ボリュームを上げて確認しました。かつてFM放送で吉田秀和さんが「玉三郎みたいな」と評した演奏だけれど、久々の印象は(先に書いたように)「ベームのバックは枯れきって、ある意味透明無垢な響きを実現していて、ポリーニのピアノはずいぶんと静的な、まるで能面のような表情の動きの少ない演奏」・・・ちょっと説明不足で、悪い意味に取られたかも。
エエ演奏ですね。ハズむような躍動方面ではないだろうが、体温低め、静的微妙な表情の変化がまるで隠し味のような効果を生んで、繊細な薄味仕様が上品ですねぇ。世の中、まだまだ”激辛爆演”方面を称揚する風潮なしにも非ずだけれど、こんな”おとなしい”演奏もたまには悪くない。ベームはやはり”枯れて”ます。ウィーン・フィルがそっとそっとデリケートに、優しく演奏しているのはベームのチカラなのか、(巷間噂になっている)ウィーン・フィルの配慮なのか?無骨な飾らない味わいはたしかにベームの個性だと思うのですが・・・第19番ヘ長調がいっそう無垢で、しっくり演奏の個性に似合っていると感じました。
蛇足だけれど
やはり駅売海賊盤はあきまへんか。ワタシは「たっくさん」持っている(その後、続々BOOK・OFFに登場する故)が、様子を見て”ほんまに座右に置くべき”音源は正規のCDを買わないといけませんね。少々、条件が悪くても”様子がわかる”ことで充分か、と思ってきましたが
・・・そんなことを感じて、BBSにも書き込みました。
2006年4月某日
さすがにほぼ熟睡〜早朝起床。朝刊読みながら、いつものブラン・シリアル+野菜ジュース+チーズの健康朝食、そして音楽を。いろいろムズかしいことを考え過ぎて、サイト更新もままならなくなって・・・もっと、気軽にシンプルに音楽を楽しまなくっちゃいけないな、と反省しきりの今日この頃、昔なじみの音楽ばかり聴いちゃいました。例えばRavel 「ボレロ」〜ワタシの原点は17cmLPで聴いたアンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団(1963年)。当時(小学生の時)は、途中で裏返したもんですよ。懐かしい。
ワタシは、彼のBeethoven やらBrahms を特別に称揚するつもりもないが(Brahms はまったく未聴)、少なくとも定評あるフランスもの、ロシアものにはココロ惹かれるものがありますね。コシのない薄っぺらいサウンド、クールでありながら妙に明るくてユルいアンサンブル・・・この「ボレロ」も、ミュンシュ(新旧録音とも)の昂揚感とは別種の、涼やかなブルー系の味わい深いものでした。基本、イン・テンポなんですけどね。
久々の土曜休み、久々のスポーツ・クラブへ。初心者コースのエアロビクスもちょっと間が空くと、きっついですねぇ。昼から激しい睡魔に襲われて昼寝しちゃいました。
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四苦八苦しているサイト更新だけれど、本日なんとか2本分執筆・・・これで一週間継続の保証となったワケだけど、人生もこんな連続かもね。とにかく、手の届くところを視点に、粘り強く継続すること。夢も野望もありません。粛々淡々と歩みを止めないこと、そうありたいと思います。
小浜逸郎「頭はよくならない」(洋泉社新書)ようやく読了。ここ最近、本を読む余裕もなかなかなくて・・・コレ、オモロい本でっせぇ、絶対お勧め!「成績や学歴がすべてではない」「人生のほんまの賢さとは、学校の勉強とは別物だ」・・・というのは(おそらく)真理であって、ワタシもそう思わぬでもないが、どこか違和感があるでしょう。(きれいごと、というかお約束というか)挙げ句、アホ文部官僚が「ゆとり教育」という壮大なる人体実験を行って(さて、その教育世代はどうなるのか?)、教育課程に「生きる力」みたいな「・・・まさか、ジョータンでしょ」的(んなもの、教科書読んで学校のセンセに教えていただくものですか?)ものまで入れてしまって、世の中混迷しております。(「ゆとり教育」は失敗であった、という評価なんでしょ?)
「誰それは小学校しか出ていない」「某ノーベル賞受賞者は劣等生であった」みたいな論議は「受け」るでしょ。「ワタシは勉強良くできました。こどもの頃から優秀でした」みたいなことは、言わないのが日本の常識・礼儀・慎み深さでしょ?それでも、どうして自分のこどもだけは例外で、「良い学校」を目指すのですか?題名通り「頭はよくならない」のであって、(もちろん、その人間の価値をすべて決めるものではないのが前提)「努力すれば全員立派な成績を取れる!」ワケじゃないんです。その救いは「健全なるあきらめ感情」でしか実現しない・・・
ワタシの表現が足りず、なんかイヤミな非情なる著作みたいだけど、違うんです。引用の引用(孫引き)になるからここでは再掲しないが、福田恆存「私の幸福論」(ちくま文庫)(コレ、いそいで探して読まないと)からの「救い」には、少々泣けるくらいの感動があります。ほとんどの人には及ばぬ「弱点」があって、各々それは(じつは)自覚していて、「いや、自分にはそれを凌駕する別な良いところがある」というのは歪んだ状況であると。これはきれいごとではない、生きる知恵のような、素晴らしき一冊。(バカな知識人への批判は辛辣ですよ)
2006年4月某日
嗚呼、一週間終わった、疲れました。ほんまに週末のお休み堪能モードですな。昨日、駅まで行ったら突風のため瀬戸大橋通行止めでJR線運休・・・クルマはOKということで、急遽チームメンバー招集して社用車へ変更・・・ややそろりそろりと橋を渡って徳島方面へ。降りるべきインターチェンジをひとつ通り越しちゃって、戻ったり迷ったりしたが、無事ご当地で三カ所訪問。チームメンバー二人は初・徳島経験、巽屋のラーメン久々に堪能したが、連中の口には合わなかったみたいですね。更に徳島道を経てはるばる高知へ(ワタシは3週連続・・・たまたま)。
やはり二人は高知・初体験でして、やや風は強かったが天候も良く、春らしい暖かさもあってエエ季節になってきました。やはり3週連続「あまからさん」(ワタシ以外のメンバーは全部違うが)へ。量的にはさほどに飲んでいないし、前頭連合野アルコール性麻痺による”ダイエット忘却”/”ラーメン嗜好”も(昼に徳島ラーメンを既に摂っていたせいか)なんとかクリア。魚(春カツオが旬ですね)、野菜中心に健康な・・・でもないか。ほんまに酒に弱くなっちまいました・・・んもうヘロヘロ。でも、いつものように激・楽しい爆笑酒席でしたが。
今朝、しっかりホテルで朝食(和食)摂って、ご当地で早朝より肉体労働昼迄(いやぁ、似合わんなぁ)たまにはエエでしょう。肉体労働しての昼飯じつに旨く、しかも、おでんのこんにゃく大量にいただいて健康維持(のつもり)。更に長駆・高松迄移動して商談一発!いや、もうここまで働いたらOKにして下さいよ。クルマで直接我が家のマンションに横付け・・・ありがとう。即、フロ沸かして入りました。
当初、JR+バス移動予定で持参したCDもクルマだったので聴けず。明日、体調回復で久々スポーツクラブへ臨みます。体重も幸いほとんど増えておりません。
2006年4月某日
さて、日程的体力的にはハードだけれど、精神的には今週の山を越えた・・・的出張に出掛けます。ここ最近「30分早く」出発が定着していて、オモろくない。朝は、サイト執筆、音楽集中には一番ありがたい、貴重なる時間なんです。最近、あまり読書が進んでいないが、その件コメントは週末にして、最近ココロの琴線に触れる新聞記事がどうも・・・例えば朝日新聞渾身の連載である「ガンもの」(内容切り口に賛辞を惜しまないが)だって、柳田邦男さんの一連の著作や、もう読むのが切なくなる千葉敦子さんの壮絶なる闘いの”感動”に及ばない・・・
「小学校課程に英語を」というのは決まったらしいが、ワタシは反対でして今朝加藤周一さんのコラムがその件に触れてやや溜飲を下げたが、もっと激しい論戦(報道)を望みたいところ。米原真理さんも著作で語っていたけれど、「母国語がちゃんとできないと、通訳はちゃんとできない」・・・大切なのは国語教育(というか教育そのもの)であって、中学校以降の英語教育の在り方なんでしょう。おそらくはいっそうの「英語苦手こども」を量産するだけでしょう。「ゆとり教育」幻想の、壮大なる人体実験を失敗した文部官僚のやりそうなことだ。
そんな記事より昨日(朝日新聞岡山統合版)でのコラム「書棚 整理後の悲劇」(目黒浩二)が、いや、もう最高ですね。この人は団塊の世代であり、椎名誠のお友達だけれど、本を読むのが死ぬほど好き!ということは彼の著作を読めば(椎名誠の言及でも)理解できます。あまりに書籍が貯まりすぎ、崩れ、”その部屋に入っていけない”状況から、所蔵部屋を増やし・・・という繰り返しから限界へ、ついに”非情なる整理”を思いついて段ボール400箱分を処分!その直後、某件の調査が必要となって「ああ、これは関連書籍があったな」と思ったが、それは処分したばかり・・・という悲喜劇でした。
ワタシのCD収集など比較するに児戯の水準だろうが、気持ちわかりますねぇ。どーしてオトコは、こんなにものを集めちゃうのだろうか。
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Bruckner 交響曲第8番ハ短調(ノヴァーク版1887年第一稿(初稿))〜この版録音の嚆矢であるエリアフ・インバル/フランクフルト放送交響楽団(1982年)の第1楽章のみ。ずいぶんと速いテンポであり、粗野な作品イメージがいっそう粗々しく、激しく切迫感を以て表現され、やや”意欲先行”か?もっと(聴き手が)若くないと聴けないか・・・そんな印象受けました。まだ全部再聴していないので安易なことは言えないが。
Bartok 4つの小品/二つの肖像/二つの映像〜コンロン/ロッテルダム・フィルハーモニー/アモイヤル(v)(1988年)・・・これは前回サイト掲載以来の再聴であって、(先のインバルともども)エエ加減なるコメント全面書き換え必要でしょう。驚くべき鮮明な録音であり、繊細なアンサンブルの集中があり、オーケストラの弱さもいっさい見あたりません。Bartokのバーバリズムを強調するのではなく、洗練されモダーンな味わいの立派な演奏に間違いない。ちょっと驚きの感銘がありました。
では行って来ます。定例サイト更新、一日遅れます・・・が、そもそもサイト更新用原稿がほとんど尽きていて、しかも書き足す余裕(時間的精神的)がない。
2006年4月某日
昨夜はチームの若い者と広島に出張し、そのまま酒(まただ・・・反省)。タクシーにて帰宅、風呂に入って即寝てしまいました。ちょっと要らぬことを言い過ぎたかな?広島移動中も(同行の若い者と)ずっとお話ししていたので、音楽あまり聴けておりません。
Bruckner 交響曲第8番ハ短調(ノヴァーク版1887年第一稿(初稿))〜ゲオルグ・ティントナー/アイルランド・ナショナル交響楽団(1996年)・・・ワタシのような楽譜に縁のないド・シロウトでも細かい旋律やリズム、担当楽器の違い、第1楽章ラストが静かに終了しない(ティンパニも登場少なくないですか?)〜てなことは気付きます。つまり、全体として粗野で荒削りな感触がある版でして、後年の改訂とは違った魅力が感じられます。古今東西名演犇(ひし)めく名曲中の名曲だけれど、この知名度低いオーケストラを操って、テイントナーの説得力は素晴らしい。
例えばベルリン・フィル/ウィーン・フィル/コンセルトヘボウ/シュターツカペレ・ドレスデンなどと比べると、弦管アンサンブルの集中力深み奥行き自発性、すべてに於いて勝っているはずもないオーケストラの実力。基本、昨日一昨日聴いた第4番と同じ感触でして、「峻厳さとか、引き締まったアンサンブルの集中力!には不足するが、細部表現のこだわり、微妙なテンポの揺れによる情感の表出」・・・なんやねん、ゆるゆるの演奏かい?と言われても仕方がないが、切迫感強調やら煽り無縁のしみじみ味わい系演奏であります。昨日途中まで、今朝最終楽章まで聴いて久々の感銘を確認いたしました。
今朝もいつもより30分早く出勤して資料準備・・・即高松へ。急ぎの(朝一番)資料関係提出もあります(昨日のウチやっておけ、ってか)。夕方、ちょっと鬱陶しい(お互いに)上司との面接有。
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思いつきで飲むほど若い体力は残っていないなぁ、たかが瀬戸大橋往復+日常業務少々残業程度でこんなに疲れるなんて・・・でもさ、ちゃんと乗り切ったじゃないか。ちょっと(忘れている)遣り残し宿題あるかもしれないが、チーム・メンバーのフォローもちゃんとしましたよ。明日、早朝より徳島〜高知(泊。3週連続)〜高松で商談。これで週末迄終了。今回はJR+高速バスで運転なし。ラクなようなハードなような・・・
高松までは出張にならないんだけれど、けっこう移動時間はあってタップリ音楽聴けました。(かなり寝ていたけれど)Smetana歌劇「売られた花嫁」組曲(4曲)/Dvora'k スケルツォ・カプリチオーソ 作品66/HUNPERDINCK 歌劇「ヘンデルとグレーテル」組曲(5曲)〜ルドルフ・ケンペ/ロイヤル・フィルハーモニー(1961年)・・・先日の小品集の様子がよくわからなかった(音質問題か?)けれど、これはエエですよ、凄く。(音質やや薄っぺらでヒスっぽいけれど)
躍動してアツい演奏。ロイヤル・フィルの例の如し粗野な金管が爆発して、どきどきするような活気に溢れます。「誰それはライヴでこそ真骨頂!」みたいな論調(たまに)あるけれど、こんなスタジオ録音だって充分聴き応えあります。ぼちぼち聴いているHaydn ピアノ・ソナタ全集より第11/19/35/34/51番〜スタンリー・ホーフランド(fp)(BRILLIANT 99671/6)・・・HMVの読者レヴューではあまり評判よろしくないようだけれど、なんともうしましょうか、とつとつと素朴でチープな響きを聴いていると癒されますねぇ。もともとモダン楽器でも聴いたことなかったし。いつもいつも、バ〜ンとした壮大な作品ばかり聴いてられまへんで。これ安かったんですよね、中古で10枚組1,270円・・・だったらほんまにチャンスでしょう。
ラストはBruckner 交響曲第7番ホ長調〜シューリヒト/シュトゥットガルト南ドイツ放送交響楽団(1953年)・・・あまりよろしくない乾いた音質だし、金管の絶叫時では音はつぶれ気味だし、で、いままで敬遠してたCDだけれど、ポータブルCDプレーヤーのイヤホンだと集中できますね。かなりアツい、壮絶な激しい演奏で、わりと有名なハーグ・レジデンティ管弦楽団(1964年)との録音と、かなりイメージが異なります。テンポはかなり揺れるし、どちらかというと交響曲第5番 変ロ長調〜シューリヒト/ウィーン・フィルハーモニー(1963年)に似ていて、浪漫的な味わい深い。
録音の加減かも知れないが、いっそう粗野であって、しかし、あくまで軽快で、爽快な持ち味は崩れない・・・
2006年4月某日
風邪はもう大丈夫でしょう。左足もほぼ治まった感じか。ワタシは睡眠の質が余りよろしくなくて、途中覚醒も日常でいつも睡眠不足気味だけれど、風邪の時(ずいぶんと久々だったが)はとにかく眠い。よく眠れます。以前にも書いたような気がするが、これは自然の摂理・警告じゃないのかな。”そろそろ限界だからムリヤリ休んだら”という。でも、今回は全然休んでなくて、日曜日に終日ウトウトしていただけだけど。流石にちょっと暖かくなってきました。
本日は広島まで+在来線移動がかなりあるので、音楽持参です。これからCD選定します。i-pod的なものが隆盛だけれど、ワタシは未だ手を出しておりません。時代遅れなガンコ者故。
2006年4月某日
こんな時期まで灯油ファンヒーターが必要とは、困った異常気象ですな。今朝の天気予報を見ると、札幌地方は雪みたい。風邪は(昨日どこにも出掛けず養生したせいか)ほぼ完治・・・したのは良いが、左足首痛み悪化は久々の”痛風発作”か。腫れてはいないが。ここ数ヶ月、減量(今月は維持)には成功しているが、酒の機会が増えてますからねぇ・・・出勤くらいなら問題ないが、出張が困ります。きょうも、そして今週もハードだ。
昨夜、Bruckner 交響曲第4番 変ホ長調〜ラインスドルフ/ボストン交響楽団(1966年)・・・ようやく正規盤復刻したらしくて、ワタシの駅売海賊盤は笑止千万なる存在になってしまったが、久々の再聴は音質的に厳しい(当たり前だ!おそらく板起こし)のと、表現の素っ気なさが気になったものです。ホルンや木管に見るべき美しさは存分だけれど。その流れでティントナー/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(1996年)を久々・・・峻厳さとか、引き締まったアンサンブルの集中力!には不足するが、細部表現のこだわり、微妙なテンポの揺れによる情感の表出、そして音質状態(あくまで駅売りラインスドルフ盤との比較だけれど)がまことに快い。ちょいと感銘ありました。(版のことはよくわからない。1878/80年ハース版とのこと)
Bach ヴァイオリン・ソナタBWV1014〜1019〜ドミトリー・シトコヴェツキー(v)/ロバート・ヒル(cem)(1996年)・・・これはたしか頂き物だったハズだけれど、ずいぶんと聴いていないか。バルヒェット盤が(棚中より)探せず(いつもだ!)代替物として取り出したもの。怜悧なほど純で透明なヴァイオリンであって、古楽器ではないが、少なくとも先世代の自分の色(アク?)を前面に表出方向ではない。クールな佇まい(もちろん完璧技巧)が、やがて快感へと至る・・・そんな見事な演奏です。
Dvora'k スターバト・マーテル 作品58〜ヴァーツラフ・ターリヒ/チェコ・フィルハーモニー/合唱団(1952年)・・・これは(長く)ワタシお気に入りの作品であって、3種類全曲手許に存在しております。これは想像以上に音質良好だし、線香臭い宗教色方向作品でもなく、特有の民族的懐かしさ連続でもないが、敬虔でわかりすい旋律が繊細に表現されておりました。声楽が充実していて、絶叫雄弁系ではなく繊細で充分ココロの籠もったものでありました。
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痛む足を引きずりつつ、ややハードな週の始め也。会議有、打ち合わせ有、諸作業有、地元取引先のデータ検索権限をいただいて、本日ご指導受けて開始いたしました・・・そのための外出も有。机の上阿鼻叫喚状態に至り、明日午前中片付けなくっちゃ。なんか細かいことが抜けてる様な気もするが・・・昼前には(例の問題が起こっている)広島のお取引先へ・・・とはいっても、日常お付き合いしている実務商談者(いえ、その上の方々とも)じつに親しくて、ようはするにたった一人だけなんです。問題は。
やや遅く(女房のお迎え付きで)帰宅し、食事を摂って、再びBruckner 交響曲第4番 変ホ長調〜ティントナー/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(1996年)を確認。誰だったか”まったり癒し系”と評した人がいたと記憶するが、言い得て妙でしょう。オーケストラの響きに威圧感も(艶も)なく、ゆらゆらと微妙な旋律の揺れが味わい深いもの。録音は鮮明だけれど、さわさわとした草原のような広がりとか、荘厳なる奥行き、厚い重低音ではありません。絶叫する煽りとか、ムリムリなアッチェランドがないのがワタシにはありがたい。
もともと(自分にとって)苦手系の作品であって、ましてやティントナーのBrucknerにはずいぶんと考え、悩んだものです。昨年2005年7月に再会を果たして、それからは、その”飾らない、自然体の緩さ”がしっくり素直に胸に落ちるようになったものです。金管の開放的な響きにさえ、含羞が感じられてエエじゃないか。
2006年4月某日
今朝、かなり回復。このままの調子だと、明日には完全に治っているかも。昨夜は白ワインを少々いただいて、「マトリックス・リローデット」見ました。かなり理屈っぽい複雑映画でして、一度だけでは完全に理解するのがムズかしいか。でも、オモロない映画ではないと思います。「伏線」「整合性」「こだわり」「アクション」に見所がある。「キーメイカー」(鍵屋)の意味合いがようワカランが、キャラは強烈ですな(日本人の冴えないおっさん風)。DVDで借りてこようかな?
正月以来、探索をしているMozart 歌劇「フィガロの結婚」(抜粋)〜ベーム/ベルリン・ドイツ・オペラ(1968年)・・・これは駅売海賊盤なんだけど、スリーブのみ発見!って、本体のCDはどこにいったの?(経験的類推では別なものに、誤ってまとめて収納しちゃっているんでしょう)そのスリーヴが発見された理由だけれど、Mozart ピアノ協奏曲第17/19番〜ポリーニ(p)/ベーム/ウィーン・フィル(1976年)・・・もうずいぶん長い間のお気に入り演奏が、Syuzoさんのウエブ・ログで取り上げられたのを機会に再聴しようと。
これが棚中ひっくり返しても探せません。ワタシが見失ったCD中には、一時の気の迷いで”じつは売り払っていた”ものがあり得るけれど、上記2点はそんなハズはない。で、代替として同作品をクリスティアーネ・ショーンスハイム(pf)/ブルクハルト・グレッツナー/新バッハ・コレギウム・アウレウム(1989年)を聴きました・・・これは1980年代CAPRIICIOで数枚録音された、様々な演奏家による古楽器Mozart ピアノ協奏曲集の一枚となります。
既にMozart ピアノ協奏曲第12番/第25番〜ビョルリン/カペラ・コロニエンシス/ミグダル(fp)盤をサイトに掲載しているが、よほどのことがない限り、正直”どれも同じように(素敵に)聞こえる”のは、ワタシが古楽器に未だ馴染んでいない、数を聴き込んでいないせいだと思います。軽快でややチープなソロ、ザラリと素朴な響きに充たされたバック、ハズむようなリズムの愉悦。
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午前中のエアロビスクで「風邪強行突破」を狙うが、どうも体調いまひとつ(左足首もちょっと痛いし)で出発断念・・・パスタを作りつつ、昨夜の白ワインの残りいただいております。不摂生と、ムリなスケジュール消化が風邪へとつながったか?今シーズンは大丈夫と思ったんだけど・・・でも、そう症状はひどくはないんです。おとなしく音楽聴いてましょ。明日からのお仕事のことは考えますまい。大切なお客様にていねいなフォロー、そしてバカにはバカなりの(苛立たしい)対応も有。
Reger ピアノ協奏曲ヘ短調〜スティーヴン・デ・グルート(p)/ギーレン/南西ドイツ放送交響楽団(1987年)・・・Brahms の重厚さに、Rachmaninov の濃厚甘味料を添加したような聴き応えタップリ。ギーレンのバックが引き締まった集中力を誇るのはもちろんだけれど、デ・グルートの明快なる技巧バリバリ切れて、一歩間違えば暗鬱なる世界に至ってしまう可能性を瀬戸際に引き留めます。この人、ネット検索してみると1977年ヴァン・クライバーン・コンクール優勝の南アフリカ出身の若手・・・しかし、1989年36歳で夭折したとか・・・事故でしょうかね。深さより、明るさ、が(この作品に限り)似合っていると思います。
フィル・アップはZEMLINSKY「詩編23番」作品14(1988年)〜+スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団で、これはわずか10分ほどの静謐なる神秘。(VIRTUOSO Twaice 7004 だけれど、インターコードの「栄光のギーレン・エディション」に含まれます。ライセンスが怪しい)
もう一枚は、Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜スワロフスキー/ウィーン交響楽団(1963年)・・・こんな録音あるんですよね。ゆったりとしたイン・テンポ、絶対に激昂しない、情感が揺れない、適度な力感と冷静がバランスして完成度が高い・・・と思います。時にやや緩いアンサンブルを聞かせる、ウィーン交響楽団の集中力も特筆されるべきでしょう。Mahler が未だ前衛であった頃に、これほどわかりやすく、一方で「無表情」と評価してもけっして過言ではない・・・ところが、現在聴けばまったく新鮮!
”行方不明CD探索”しているウチに、またまたビョーキが!ああ、このCDはもう聴かんなぁ、とNAXOS中心に24枚処分・・・女房にBOOK・OFFに持っていってもらいました。こどもの頃の夢は「好きなだけ音楽を聴ける」ことだったはずだけれど、いつしか「一生掛かっても時間的に聴ききれない」CDを貯め込んで、しかも集中力が続かない。そんな厭世観が高まった時に、処分衝動が抑えられません。もっと楽しく、たくさん音楽を聴くためであります。
Bach ゴールドベルク変奏曲〜グレン・グールド(p)(1981年)・・・言わずと知れた名盤中の名盤。どんな論評でも保留意見が存在しない。天の邪鬼のワタシでさえ、ボリュームを上げて集中する51分の目眩く快感の連続。コメントなし。但し、(バカバカしい付加だけれど)コレ、中古250円で買いました。
2006年4月某日
本日は休日だけれど、チーム・メンバーを連れて津山方面〜総社〜鴨方〜倉敷〜水島方面計6カ所訪問・・・直接、自宅前で降ろしてもらいました。風邪が治らなくて、ま、今回は咽とか咳とか発熱が少ないのでたいしたことはないけれど、グズグズいつまでも調子がよろしくない。中途半端に抗生物質を服用したのがよくなかったか。今晩ゆっくりして(昨晩もゆっくりしたが)明日、スポーツクラブで強行(回復)突破狙います。
2006年4月某日
(在高知)先週も高知だったな(ちなみに来週も)。今回は札幌からのお客さま(多数)をお迎えしてのご案内だけれど、急遽「交流会」が(前日に)決まったので、やはり”いつもの店”(先週も行った、来週もおそらく・・・)に8人で予約、さらに直前10人に増員。楽しく、おいしく(北海道人であるワタシには、高知の食物が珍しいのが理解できる)お話し、交流いたしました。
本日昼過ぎまで現地対応。同行の岡山のお客さまとおみやげ買って帰ります。それにしても酒に弱くなっちゃった・・・ホテルに帰ってすぐ倒れ込むように就寝・・・定例更新、しておきました。もちろん、音楽は聴いておりません。
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体調、行ったり来たり状態で、なんとか”案内人”としての役割果たして、昼から早々に帰岡しました。(事務所に寄らず)でも、回りに気を遣ったりで自分自身のお勉強としてはあまり集中できず。(体調問題もあったし)挙げ句、本日ワタシの代理で広島の取引先まで行ったメンバーからトラブル(被害)連絡(ほとんど難癖の世界)・・・お取引先に問題ある人がいましてね。前回も、東京本丸のエラいさん同席会議でいきなり誹謗中傷発言した人であって、今回の件で完全に彼は失脚するでしょうね。あまりに理不尽な行為なので。でも、不快であります。人生、自分の努力とは無関係に、こんなことも発生することもある。なんせ大殺界ですから。
おみやげ買いました。走りのカツオ一尾分(三枚に下ろしてもらいました)+少々高いゆずのポン酢、そして小夏たっぷり・・・これが爽やかで旨いんです。現地で買えば安いし。思いっきり高い徳谷トマト(糖度なんと12度!)もほんの少々。
帰り運転中、途中休憩を取る迄眠かったなぁ。ちょっと危うかった。なんか精神的に疲れたなぁ。もちろん肉体的にも。でも、明日も岡山県内一周の用事なんです。これは若いやつに運転させましょう。せめて本日はゆっくり休ませて下さい。
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Beethoven ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調〜フェリシア・ブルメンタール(p)/ロベルト・ヴァーグナー/インスブルック交響楽団・・・先日購入した3枚組(CONCERTOROYALE 206209-360)の残り聴きました。纏綿しっとり歌う第2楽章「アダージョ」が絶品也。いずれどの楽章も強面勇壮方面とは縁遠い演奏であって、まるでライヴのようなノリさえ感じさせる、終楽章の明るい表情が素敵でした。バックも雰囲気があって、広がりと残響がエエかんじのワリとましな音質もありがたい。
ピアノ協奏曲第1/2/3番が含まれるこのセットには、ピアノ・ソナタ第1/2/3番〜アルフレッド・ブレンデル(p)が各々フィル・アップされます。1960年頃最初の全集録音からであって、これがリリカルかつ楽しげな味わいもある、しっかりとした芯を感じさせる立派なもの。最近のCDとしては少々収録をケチったような気もするが、ブルメンタール、ハンゼン、そしてブレンデルという3人3様の表現が楽しめる廉価盤の粋でありました。
2006年4月某日
さて、昨夜松山から戻ったばかりなのに、今朝一番から地元・岡山のお客二人連れて高知・南国インターから龍馬空港へ。札幌からのお客お迎えして、本日明日とコーディネーター役であります。夜は酒席有。ま、きょうはさすがにお客交流のための席だから、事務局に徹するのは当たり前のこと。昨夜はあまりよく眠れなかったが、それでも体調かなり快復なのは、数ヶ月の健康ダイエットの成果か。明日、サイト定例更新日だけれど、今回はネット接続環境有のホテルだから、現地更新を目指そうかな?
昨夜〜今朝に掛けて、Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜デ・ワールト/オランダ放送フィル/オランダ放送合唱団/マルギオーノ(s)/レンメルト(con)(1993年コンセルトヘボウ・ライヴ)・・・この一連の全集シリーズはオフ・マイクで残響が多すぎ、オーケストラがやや非力で薄いため、様子がわかりにくいと思います。うっかり聴き流せば、様子がわからない。しかも、静謐さと大爆発とで大きな音量の差があるので、日常の家庭環境でどちらかを基準にボリュームを調整すると(当然、大きい方になるに決まっているが)ますます、”音楽が聞こえない”状態になりがち。
しかし、ゆったりと穏和穏健派の、まさにハイティンクの系統を受け継ぐのがデ・ワールトだと思います。この「復活」も茫洋としてつかみ所のないスケールに充ちて、聴き手を飽きさせない、日常座右に置くべき水準の・・・じつは細部こだわって、表現デフォルメしない(だからジミだけれど)味わい演奏だと思います。それにしても、オランダ国民はどーして自国の指揮者を優遇しない(ことがある)の?
最近、古楽器にすっかり興味津々でBeethoven 交響曲第1番ハ長調〜ガーディナー/オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク(1993年)・・・この傾向の録音の嚆矢であるコレギウム・アウレウムから17年後、驚くべき技量の向上、変幻自在なるニュアンスの変化や細部彫琢、軽快でキレのあるリズム感・・・しかも強面なリキみは一切なし・・・結論的に驚異的な(保留条件なしの)名演奏であります。第2番ニ長調(1991年)も同様だけれど、作品的にリズムの躍動感集中力はこちらのほうが上か。手に汗握るノリノリ・アツい演奏です!録音技術(というか、古楽器収録に馴染んできたのか?)の向上にも、たしかな手応え有。
では、行って来ます。なんとか体調よ、保ってくれ!
2006年4月某日
(在松山ホテル)昨日は雨でバスが15分ほど遅れました。(いつもだ)午前中、日常業務+トラブル(後)処理作業。電話ながらお取引先へのお詫び、今回の件だけでなく、日常の信頼関係の大切さについてチーム・メンバーに説教・・・昼早々にクルマで松山に移動して、(事務所移動したお取引先に)ご挨拶、更に移動して商談・・・の様子を新しいメンバーにお手本を見せました。
ホテルでお隣のチームと合流して、やや大人数で酒席。我がチームの27歳若手が一週間の研修終えて埼玉より帰還、終了直前に合流して可哀想だったので、もう一軒(+もう一人若手も誘って)奢ってあげました・・・もうヘロヘロ。それにしても上司も松山入りして、我ら集まっているのを知っているはずだけれど、合流しませんね。そして誰も誘わない・・・本日、商談2件+会議。夜遅くに帰宅となります。
当然、音楽なし。本日、ダイエット調整します。明日、早朝より高知へ。
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すっかり風邪ひいて帰宅・・・数日前から鼻がグズグズいっていたのだけれど、昨夜(酔った勢いで)エアコンつけたまま寝てしまい、今朝咽をやれました・・・午前中〜昼頃かなりカラダしんどく、どうしようかと悩んでいたけれど、更に会議で緊張していくうちにやや回復傾向。明日朝までに快復目指します。
昨日出勤前に聴いたのはBeethoven 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」〜コレギウム・アウレウム(1976年)・・・こうしてみると、ハノーヴァー・バンドやら、ノリントン/ロンドン・クラシカル・プレーヤーズによる古楽器演奏”夜明け前”であって、ずいぶんと話題になったのも納得できる録音でした。つまり、小編成によるスッキリとした弦の響き、管楽器の存在が浮き上がり、しかも粗野な木管、素朴で柔らかい金管が新鮮であったろう・・・と。
ところが、先日来のハノーヴァー・バンドを聴き慣れた耳にはずいぶんと”フツウ”で、面白みのない演奏に聞こえなくもない。オーソドックスでノンビリ(ゆる)過ぎるか・・・これはこれでいいのかな?けっして嫌いな(高圧的な)演奏ではありません。話題にならなかった第7番のほうがワタシの好みではあるけれど。
2006年4月某日
きょうも雨模様ですね。午前中、ぽっかり予定が空いていて、休みにしたいくらいだけれど・・・そうだな、スケジュール調整でもしようか。どーせ、チームメンバーからいろいろと相談事があるだろうし。昼からクルマにて松山へ。本日明日多数商談会議有。夜、お隣のチームと合流して(自腹内部)小宴会予定。せっかく戻した体重調整に苦慮しますな。
今朝、Ravel 「ボレロ」「スペイン狂詩曲」「パヴァーヌ」「ラ・ヴァルス」「マ・メール・ロワ」〜シャルル・ミュンシュ/ボストン交響楽団(1958/62年)・・・コレ、数日前に聴いたモントゥー盤と同じ収録です。録音も似たような時期。最晩年、パリ管との録音も文句なく凄かったが、こちらテンポやや速め、オーケストラのパワーとテンション高く、浮き立つような情熱溢れて、明るく華やかです。個性方向はまったく異なっても、この時期のバーンスタインやらオーマンディ、ジョージ・セルとかフリッツ・ライナー、アメリカが泥沼のヴェトナム戦争に突入していく直前の”豊かな”(人種差別や貧困の矛盾を多く抱えつつも)時代を反映しているかのような、豪華な響きであります。
嗚呼、楽しい。輝かしい。
2006年4月某日
程度の差こそあれ、いつもながら気の重い”ブルー・マンディ”。しかも雨模様也。今週は上司と面接、高知で札幌からのお客を迎えるお仕事有。その前に高松/松山への出張+出張前準備(これは人様の分)たっぷり有。仕方がない。お仕事がちゃんとある、という悦びを噛み締めないと。昨日購入したスキャナが快調だから、一日一つでも良いことがあればシアワセということにしましょ。昨夜の映画「タイムマシン」は、細部のこだわりが凄いのに肝心の筋立てが粗雑で唐突でガックリ。
数日前、粗雑なコメントをしたBeethoven 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」〜クーベリック/ベルリン・フィル(1971年)・・・カーステレオで聴く印象と、部屋では少々異なって、”重い”ことに変わりないが、美しい端正なアンサンブルであります。でも!第2楽章「葬送行進曲」は、まるで「マタイ受難曲」だなぁ、人類の罪を背負って激しく闘う嘆きの音楽か。ワタシには聴いていてツラいものがありますね。この楽章だけで疲れてしまって、次に進めない・・・それにしても、全集別にして単品「英雄」CDはぎょうさん貯まっておるなぁ、それだけ沢山出ているということか。
お釈迦になったハノーヴァー・バンドのCDと、同時期に購入したもの数組点検したが大丈夫みたい。その関連でMozart の室内楽を数曲・・・嬉遊曲 変ホ長調K.563〜グリュミオー(v)/ヤンツェル(va)/ツァコ(vc)(1967年)・・・あまりにワタシの好み系ど真ん中で、泣けますねぇ。自然体で、生きる喜びを淡々と語っていく・・・グリュミオーはあくまで暖かく、ほほえみを失わない・・・が、正直告白すると、この演奏は記憶から落ちていて、馴染みのハイフェッツ盤はFMエア・チェックだったのか?ランパルのフルート版にもありませんでしたか。その辺り記憶混同しておりました。
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・・・疲れました。それなりのトラブルがあって、それを冷静にクリアしつつあり、重要な資料をたくさん作成し(郵送で、メールで)送付し、報告を聞き取りし、上司に報告し、会議に出て、打ち合わせ二本あり、どーしょーもない過剰在庫を(鮮やかに)処分し、出張精算し、新たに申請し、明日の出張の準備をし・・・メンバーのトラブルを助っ人して・・・んもうへろへ・ろ。
飯喰ってテレビ見ているところ。これからフロ入って、音楽でも聴きましょう。明日、松山行き。
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今朝から断続的にBoulez ピアノ・ソナタ第1〜3番(イディル・ビレット 1995年)聴いております。「わかる」とは「感動する」ことだ〜小浜逸郎「頭はよくならない」(洋泉社新書)・・・昨日自らのBBS書き込みだけれど(裏返しの意味も含めて)その通りだと思います。じゃ、この作品は「わかる」?第3番はテキストが自由に選択できるとか・・・音価とか、数学的な分析とか、もの凄い知的な、おそらくは人類が蓄積してきた音楽の集大成(とどのつまりか)なのかも知れないが、この「ぽつりぽつり」としたピアノに「歌」を感じるのは難しすぎまっせ。
もし、この静かな音楽がするりと理解(感動)できたら、それはもの凄い天才か、ほとんどビョーキかも・・・でもね、上出来の心理サスペンス映画にはピタリでしょ、きっと。でも、ガマンして一時間強聴いていると、怪しげなる不安が募ってココロが冷えていくような錯覚がありました。自分の好みだけ狭い範囲で音楽を聴き続ければ、それはそれで音楽に誠実に対峙する精神に緩みが生じるんです。
2006年4月某日
「前日の晩飯のおかずを覚えていますか」と、脳の活性化を訴える記事が散見されるが、ワタシの場合「前日聴いた音楽を覚えていますか」が、問題となります。(なかなか思い出さない)「古楽器系の演奏の手持ちを再確認しないと」で終わった昨日の音楽日誌は、悲劇的な発見を呼び起こしたものです。ハノーヴァー・バンドによるBeethoven 交響曲全集を購入したのは1989年、17年前のこと。光陰矢の如し。せめて、なんとかプレーヤーにて(時に)再生可能のウチに、交響曲第7/8番(1988年ロイ・グッドマン)を聴いてサイト用原稿に。
安いからといっても、やはりクオリティーが良くなければ、存在価値が無いし、「安いから我慢できる」、「安いからしょうがない」といった論理にはならない。問題なのは、高かろうと、安かろうと、オーケストラが有名であろうと、なかろうと、録音が優秀であろうと、そうでなかろうと、一番肝心なのはやはり、演奏(巧い下手ではなく)そのものなのである。某HMVのレビューだと、やはりそういった、「安いから」、「安い割りに」、「廉価だからしょうがない」といったものが頻繁に見受けられた。しかし、演奏家やレーベルは、別に「この演奏は廉価で売るから、演奏も適当にしてください」といって録音するのであろうか?
音楽の缶詰の役割は、後世に残る偉業を出来るかどうか・・・即ち、優秀な仕事、丁寧なコンセプトをしっかりとしたフィロソフィーであろう。
これはベルリン在住こんの氏の鋭い警句であって、ワタシのサイトへの的確な、正しい批判になっておりますね。(「音楽の缶詰」とはワタシの造語)これは全面的に正しいと評価できる一方で、「音楽はまず聴くこと」「多種多様な音楽を聴くためにはCDも、演奏会チケットも安くあること」が必要である、という前提があります。(安い/高いの哲学的、実践的評価は難しいが)
そもそも座右に「後世に残る偉業」ばかり置くことが大切なのだろうか、いえ、「後世に残る偉業」って誰が評価するんだろうか。そんなものがほんまに存在するんだろうか、というニヒリズムもあります。そこまで言わぬが「世評の流行り廃れ」は無情ではないか、とも。上記こんの氏のコメントは「リューシンクのBach カンタータ全集」に対する評価に言及したものだけれど、ワタシも数日前「演奏は万全はない(アンサンブルの洗練的に)のだろうが・・・」とコメントをしたのも事実。
その時に(定位感、奥行きに問題ある)録音水準にも気付いておりました。が、結論は「素朴な味わいに溢れた古楽器アンサンブルであり、声楽が清楚であって、新しい録音が嬉しいもの」・・・経済的、時間的、精神的に、リリング、アーノンクール、鈴木、コープマン、ガーディナーに向かうことはほとんど不可能でしょう。数年前、ずいぶんと安価に購入した(偉大なる)全集を大切に、ありがたく聴かなくては、それがワタシの生きる道、ということなんです。限られた条件の中で、とことん音楽を楽しむこと。
「不朽の名演なんて幻だ」「すべては聴取者の好みの問題か」なんていう結論じゃないですよ。音楽を楽しむ上での誠実なる意見交換、ヒントは素晴らしい行為だと思います。以前から気になっていて、LP時代所有していて、上記ベルリンこんの氏が激賞したBach ブランデンブルク協奏曲〜コレギウム・アウレウム(1965年〜67年)は、今回の東京出張にて924円入手できました。なんと既に40年前の録音。
その後、技術的に洗練され、溌剌としたリズムの録音は沢山出現したけれど、この愉悦感、余裕、しっとりウェットな情感に痺れるばかり。迷宮入りしてしまった聴き手の耳を、一気に原点に戻すようなココロ洗われる演奏でした。フッガー城糸杉の間/キルヒハイム(バイエルン州シュヴァーベン地方)を会場とするアナログ録音も極上であります。
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本日はスポーツクラブをサボり。ほんまは週2回は行かなくちゃいけないんだけれど・・・少々ダイエットに飽きつつあります。こりゃアカンなぁ。今朝、Bach 平均率クラヴィア曲集第2巻〜CD一枚目。1970年生まれレオン・ベルベン(cem)1999年の録音(BRILLIANT 99362/1-4)。この人はムジカ・アンテクヮ・ケルンの録音にも参加していてましたね。チェンバロの演奏は聴く機会は少ないですね。ピアノの表現の多彩さに慣れると、チェンバロの単調な響きに少々飽きてしまうか・・・という先入観あったが、これは充実した演奏です。(クシェ製をモデルに、1996年/ヴィレム・クルスベルヘン複製の楽器使用、とのこと)
センスとしてはモダーンであって、本来多彩であるBach の旋律をノリよく、軽快に仕上げて飽きさせません。前奏曲とフーガは次々と調を変えて継続され、「お次の登場」が楽しみになりますね。逆引きだけれど、Mozart 「弦楽3重奏のための6曲の前奏曲とフーガ K.404a」の旋律が登場して、懐かしい思いがしたものです。モントゥー/ロンドン交響楽団による極上Ravel ・・・今回の東京で入手したもの(PHILIPS 442 542-2 @420)だけれど、逝ける女王のためのパヴァーヌ、スペイン狂詩曲は1961年の英DECCA録音・・・つまりダブり買い・・・これは仕方がない。マ・メール・ロワ、ラ・ヴァルス、ボレロは(1964年録音/LPで愛聴していてどうしても)欲しかった録音ですから。
モントゥー時代のロンドン交響楽団は極上の仕上がりでして、エキセントリック、思わせぶりな表現など皆無の自然体なのに、官能的な響きに充たされます。ラ・ヴァルスに於いて、これ以上の気品と昂揚を感じたことはありません。ボレロはミュンシュ/パリ管弦楽団(1968年逝去直前!)の熱狂興奮とは対局にある、抑制と上品、華やかに香る演奏だけれど、説得力に劣ることはありません。(英DECCA録音のほうが、わずかに上か)
ミュンシュで思いつきDebussy イベリア〜フランス国立放送管弦楽団(1966年)を・・・これはコンサート・ホール録音の復刻です。これが予想外に音質良好であって、なにより躍動するはち切れそうなリズム感と、輝きに驚かされます。カスタネットがリズムの楔となって、アツい世界が広がりました。
2006年4月某日
桜、少々遅れて満開の春。たまたま巡り合わせで連続酒席となったが、毎日飲む風習も、晩酌の習慣もありません。今朝はもうすっかりアルコールの残滓はないし、スポーツクラブにも行くつもりだけれど、左足首に少々痛みが・・・これはなんでしょうか?痛風の復活か。美食のツケか。
今朝、Bruckner 交響曲第5番 変ロ長調〜シューリヒト/ヘッセン放送交響楽団(1959年ライヴ、だと思う。拍手はなし)・・・ウィーン・フィルとの緻密かつ自在なる演奏との比較であります。アンサンブルの洗練度合いではウィーン・フィルに軍配が上がるが、ややザラリとした感触のある(音質故か?これもワリと聴きやすいが)こちらのオーケストラも、アツき情熱と推進力を感じさせて、なかなか聴きもの。細部入念なる味付けと、さらり粘着質にならない爽やかさが支配する立派な演奏でした。(VIRTUOSO 94011)ワタシはこの作品が大好きです。終楽章はテンポがどんどん遅くなって、悠揚迫らざるゆったりとした余裕と迫力が押し寄せました。
「新宿から京王線に乗れ」との指示なら、わずかな時間の余裕を作って「ディスク・ユニオン」へ行かなくっちゃ。ましてや先月合計1,700円に及ぶ”禁断のダブり買い”のリベンジを・・・ということで、今回は短時間ながらしっかりノーミソ・フル回転で記憶確認しつつ数枚・・・購入歴を開陳する趣味はないが、移動時間にかなり聴いたので、それは少々コメントしておきましょう。
1976年生まれのイラン人ピアニスト、ラミン・バーラミによるBach アルバム、フランス組曲第1番ニ短調/イギリス組曲第5番ホ短調/平均律クラヴィア曲集第2巻第14番嬰ヘ短調/第1巻第4番嬰ハ短調/パルティータ第3番イ短調+アンコール2曲(1998年ミラノ・ライヴ AURA AUR 400-2 @315)・・・風貌いかにも”ヲタク系”。繊細でコシが少々軽い(音色も明るい)ようだけれど、後半に行くほど激しく燃えるような集中力タッチに溢れた一期一会的ライヴであります。全然知らんかったが、英DECCAで「ゴールドベルク変奏曲」「パルティータ集」出しているんですね。知名度は日本ではイマイチなのか、それともワタシのたんなる世間知らずか。先日聴いたホルショフスキの”枯淡の域”とは対極にあるのは当たり前だけれど、拝聴に値する価値有。少々落ち着かない感じあるものの、浮き立つような若々しい焦燥感も悪くない。(Piano: Kaway,Furcht って、カワイですか?違うか)
Beethoven は自分にとって苦手系(とくにピアノ協奏曲)・・・だけれど、充分に安ければ冒険する価値有、ということでCONCERTOROYALEのピアノ協奏曲集3枚組(206209-360 @525)ピアノ協奏曲第3番ハ短調〜ハンゼン(p)/イシュトヴァン・ケルテス/バンベルク交響楽団(録音年不明1960年頃か)・・・コンラート・ハンゼン(1906-2002)は往年のドイツのピアニストで、フルトヴェングラーとの録音(第4番1943年)で知られております(未聴)。VOX系音源で一番心配すべき音質はまぁまぁで、日常聴きに問題ない水準。
ケルテスのバックは配慮ある立派なもの(やや弦がヒステリックで薄いが)。ハンゼンのピアノは、まったくのオーソドックス系〜淡々とリキみなく、リリカルに美しくも抑制されたタッチで音楽は進んでいきました。エキセントリックな表現皆無で、しっとり中低音に厚みのある瑞々しいタッチが魅力であります。粛々と音楽は進んで、やがて(知らぬうちに)大きな感動に包まれます。白眉は第2楽章ラルゴの包み込むような暖かさか。(この楽章はケルテスの繊細なる歌心も絶賛されるべき価値有)終楽章にも含羞の味わい有。ほとんどトツトツと語っているような表現でした。
同じセットに含まれるピアノ協奏曲第1番ハ長調〜フェリシア・ブルメンタール(1918-1991 ポーランド-フランス-ブラジル)/ロベルト・ヴァーグナー/インスブルック交響楽団(録音情報不明のステレオ)・・・この人は藤田嗣治のモデルとして有名でして、幻のピアニストと言われることもあるけれど、どうしてかは不明。これも音質なんとかセーフでしょう(オフ・マイク系で不自然な残響感有)。これはMozart のタッチですね。やや神経質な線の細さと艶が同居しているようで、ゆらゆら揺れる心情が彼女の個性であります。いずれ、ワタシは”苦手系音楽”を楽しんだのでした。
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左足首の痛み少々ガマンしてスポーツクラブへ行って来ました。永遠の初心者コース・エアロビクスなので、汗は充分出るけれど、足とか膝に負担は少ないみたい。体重増は1.5kgほどか・・・う〜む。中島梓「コミュニケーション不全症候群」(ちくま文庫)ようやく読了。重い内容であり、まったく難解であり、「オウム以前」の1991年の出版でありながら、正鵠を射た内容に慄然とするばかり。「美少年漫画」系の話題には(一切読んだこともないので)付いていけないが、若い女性の「ダイエット」に対する強迫観念〜拒食/過食に至る深い社会状況の病について完全に分析されます。(著者自身の経験もある)
ワタシは、息子が生まれた時、「こいつが大きくなる時代には、豊かであり、ジェンダー・フリーであり、インターナショナルであり、世界の人々と自由自在に交流できるようになる」・・・と信じたものです。でも、民族紛争、貧富は拡大し、過激なる女性性の強調と相変わらずの差別・・・この著作が出た当時ローティーンだった当事者は既に30歳を越えているはず・・・元気でやっていらっしゃるでしょうか。そして、ここでの状況は拡大再生産されているような・・・
池波正太郎「男のリズム」(角川文庫)・・・ワタシの本は「平成元年」発行となってますね。ああ、やっぱりこの人の文書には元気いっぱいいただきますね。行間多く、多くを語らないこと。旧き佳きものを見極めるたしかな眼力、「死」を意識したスタイリッシュな生き方、ダンディズムな哲学。贅沢の考え方。時代を超えて、胸を打って元気になる、決して旧くならない名著であります。
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引き続き音楽の件・・・Mendelssohn 交響曲第3番イ短調「スコットランド」〜バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(1964年)・・・残響少なくデッドな音響なのに、表現的にはウェットで入念に描き込まれたもの・・・とは思うが、ワタシはこの作品に馴染み薄いんです。かつてクレンペラー/バイエルン放送交響楽団(1969年)の深遠なる陰影に驚いたものだけれど、そのような方向の演奏ではない・・・もう少し、聴き込んでみましょう。Beethoven 交響曲第7番イ長調〜コレギウム・アウレウム/フランツ・ヨゼフ・マイヤー(v)(1981年)・・・1976年の「英雄」が衝撃の話題になって、続編として録音されたと記憶しております。(聴いたのは初めて)こちら「第7番」は話題にならなかったのか、それとも折衷的なコレギウム・アウレウムの「古楽器」(表現)が、既に評価されなくなっていたのか。
結論的に、少人数で薄く素朴だけれどよく歌う弦(ヴィヴラートも感じる)、それに対比される管楽器の粗野な躍動ははっとするほど魅力的(フルートはバルトルド・クイケン)です。指揮者なし(コンマスがリードしているのか)のせいか、素直でまったり穏健なる柔らかな表現が、ひたすら耳当たりがよろしい。この作品を、ここまで楽しめたのはほんま久々。
Beethoven 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」〜クーベリック/ベルリン・フィル(1971年)・・・ワタシは彼の演奏を愛するが、このオーケストラとの録音には「重さ」を感じさせて楽しめませんでした。もっと透明軽快な響きが欲しい。ワタシのBeethoven アレルギーを癒して下さるのは、コレギウム・アウレウムのような穏健派の素朴な方向なのでしょう。古楽器系の演奏の手持ちを再確認しないと。
2006年4月某日
結局、(遅くまでお仕事後)高知で飲み、空港までのバスに乗り遅れ、苦渋のタクシーで早朝便・東京行きに間に合いました。田舎者であるワタシは京王線というのは初めてでして、新宿から指定の地へ。6カ所ほど訪問したが、東京もずいぶん価格がこなれてきたな、ということ、小売業は進化している、といった確信が・・・閑話休題(それはさておき)
で、結局、千歳烏山で酒席・・・3日連続でして流石に体重1kgは増えたか、更に数cm切ったベルトがやや苦しい。ポリフェノールたっぷりの赤ワインぐいぐいと職場の仲間と交わしちゃいました。当面、なんとか乗り切ったかな?明日、明後日と食生活とスポーツで生活・健康建て直しです。
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岡山〜高知はメーカーさんの運転だったので、(小音量ながら)たくさん音楽聴けましたよ。ルドルフ・ケンペ/ウィーン・フィルで小品集(Mendelssohn 序曲「フィンガルの洞窟」、Weber 歌劇「オベロン」序曲、REZNICEK 歌劇「ドンナ・ディアナ」序曲、Nicolai 歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲、Schubert 劇音楽「キプロスの女王ロザムンデ」D.797〜序曲/間奏曲第3番/バレエ音楽 第2番、Smetana 歌劇「売られた花嫁」序曲、Suppe 喜歌劇「ウィーンの朝・昼・晩」序曲、J.StraussU ポルカ「浮気心」(TESTAMENT SBT12 1281 CD8)・・・1960年前後の録音か。ま、小音量だし、ほとんど居眠り状態だったし、ほんわか楽しみました。機会を改めて、ちゃんと聴きましょうね。
Schubert 交響曲第8番ロ短調「未完成」/交響曲第9番ハ長調(第1/2楽章のみ)〜ペーター・マーク/フィルハーモニア・フンガリカ(1969年)・・・これはCONCERTO ROYALE盤(206241-360)です、が・・・同上の状態で、気持ちよく眠ってました。
ところが、そんな”ぼんやり状態”吹き飛ばしたのが、Mozart ピアノ協奏曲第25/27番〜グルダ/アバド/ウィーン・フィル(1975年)・・・数年は聴いていなかったはず。アバドのバックが素っ気なくも淡々、几帳面に音楽を刻み込んでいく魅力、でもベームのような堅苦しさはなくて、もっと軽く、爽やかな空気が漂うような・・・ああ、美しいオーケストラだ。グルダの知的であって、やや遅いテンポでしっとり歌うピアノは落ち着いた、静かな愉悦に溢れます。
Bruckner 交響曲第5番 変ロ長調〜シューリヒト/ウィーン・フィルハーモニー(1963年ライヴ)・・・正規盤ではないようだけれど、音質かなり良好ですね。変幻自在にテンポが揺れる浪漫的演奏の説得力圧倒的ながら、あくまで軽快さ、爽快さを失わない。にこやかな汗が出ている感じ。響きが濁らない。ウィーン・フィルのアンサンブルの集中力は、特筆すべき水準に至っておりました。
2006年4月某日
本来であれば終日、広島から来客の案内予定であった昨日だけれど、お流れ。地元現場に早朝顔を出し、内部会議(昨日の継続)があり、レポート作成があり、チームメンバーが作った企画書の内容点検(説明受け)があり、その内容に熱血指導(ぜんぜんダメなの・・・)連続したら疲れ果てました。夜も更けてきたし、またチームで酒・・・んもう、連続なんだから!始まったのが遅かったのか、それとも(いつものながらの盛り上がった酒席に)時を忘れたか?帰宅ナント11時過ぎ。本日、午前中地元取引先と会議打ち合わせ、昼からそのままメーカー同行で高知へ(売り場整理清掃組立ご挨拶)+来週札幌から来客が高知視察到着なので、その順路事前視察も兼ねております。
明後日はそのまま東京(二日間)へ。(サイト定例更新遅れます)体調維持に気を付けなくっちゃ・・・なのに昨夜の深酒は余計であった。深い反省と後悔・・・でも、二日酔いではない。昨日、クルマで移動中聴いたのはGlazunov ヴァイオリン協奏曲イ短調〜セルゲイ・スタッドレル(v)/ポンキン/レニングラード・フィル(録音情報不明DDD表示)・・・ハイフェッツにて馴染みの作品であり、その刷り込み深いが、こちらずいぶんと端正ですね。「哀愁も安らぎもある美しい旋律で、こりゃいくらでも甘い節回しが可能」とは以前のワタシの作品コメントだけれど、”その方面”ではない、すっきりとした佇まいでバランスのとれた演奏か。
引き続き、Glazunov ピアノ協奏曲第2番ロ長調〜ドミトリ・アレクセイエフ(p)/ニコラエフスキ/ソヴィエット国立放送交響楽団(録音情報不明AAD表記)・・・小ぶり穏健なるBrahms 風の佳作です。わずか20分弱、短い安らぎと哀愁の儚い旋律連続・・・エエ曲ですね。Rachmaninov 風の甘さも有。アレクセイエフはリリカルな味わいで切れのある技術を誇るが、少々表情が硬いか?
今朝、ロザリン・テューレック(p)にてBach 平均律クラヴィア曲集第2巻(CD一枚目のみ/1952/53年)・・・今や、ワタシの”標準演奏”であります。グレン・グールドに影響を与えた人として、その存在をやや知られていると思うが、録音時期を勘案すると驚異的な現代的明快なセンス〜乾きすぎず、ウェットにもなり過ぎない。70分スピーカーの前に釘付け状態。
では3日間出掛けてきます。本日の高知ホテルともかく、明日は早朝の飛行機だし、東京の指定定宿にはネット環境はないんです。
2006年4月某日
昨日、Schubert 交響曲第9番ハ長調D.944〜テンシュテット/ベルリン・フィル(1983年)に言及して、世評高い演奏にケチ付けるのは、もしかして作品そのものに対する愛情問題かも?・・・ということで、ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団(1957年/新録音のほうは未購入だった)を確認。サイト内検索で、「これほどリズム感やらフレージングが明快でわかりやすい、正しい音楽が提示された音楽は希有でしょう」「端正な充実、正確な技巧とアンサンブルに圧倒されます。焦点は終楽章でして、高速なテンポとメリハリ圧倒的な爆発は、まるで昨今の古楽器系演奏を彷彿とさせます。興奮ノリノリ満杯。しかも、リズム感とアンサンブルは微塵も揺るがない」とのコメントありました。
その通り!の圧倒的感銘押し寄せて、しかも録音はかなり優秀。更に、カール・シューリヒト/南ドイツ放送交響楽団(シュトゥットガルト1960年)を久々に確認したが、かなりヘロヘロの音質(アンサンブル?)乗り越えて、軽快なる躍動がひたすら快い。ここ最近、やや敬遠していた作品だけれど、このサイトに数種載せている(この作品の)コメントは全部書き換えたいくらいの思いに至りました。
Mahler 交響曲第1番ニ長調〜エーリヒ・ラインスドルフ/ボストン交響楽団(1962年 RCA 74321-17896-2)「これは少々素っ気ないというか、割り切ったような演奏でして、楽しめなかった記憶有」とのサイト内検索結果を得たが、硬派で緊張感充分なるアンサンブル、しかもオーケストラが抜群に上手くてガツンと手応え充分・・・なにを聴いていたんだか?(彼の第3番のみ未聴です。いずれ入手したいもの)
今朝、Bach カンタータ集第147番「心と口と行いと生活で」/第181番「軽佻浮薄なる精神の者ども」/第66番「喜べ、汝らもろ人の心よ」〜ペーター・ヤン・リューシンク/オランダ・バッハ・コレギウム/オランダ少年合唱団/ホルトン(s)、ストリーク(? s)、ブヴァルダ(ct)、ミール(t)、ショック(t)、ラムセラール(b)(2000年録音)・・・いつもながら、言葉の意味やら教会行事、節季などまったく理解していないが、ココロ洗われます。演奏は万全はない(アンサンブルの洗練的に)のだろうが、素朴な味わいに溢れた古楽器アンサンブルであり、声楽が清楚であって、新しい録音が嬉しいものです。
少々疎遠になっているが、一週間に一度くらいカンタータのCD一枚分取り出す行為も〜音楽に於いても生活に於いても〜大切な意味合いを持つことでしょう。(Marjon Strijk の読み方がわからない。ご教授下さい)
2006年4月某日
程度の差こそあれ、月曜というのは気分が重いものです。結論は決まっていて、鬱々と思い悩んでも仕方がなく、とにかく前へ、外へ、カラダを動かすしかない。動く中で活路を見出すしかない・・・というのが経験則です。どんより曇り空だけれど、今朝、結露が少ないことを見れば気温が上がっている実感はあります。今週は週半ばから地元お得意さま現場回+定例会議、そのまま高知へ実務作業(メーカーさんと。若手研修のため代理)+事前視察〜そのまま東京(きっちり二日間)で一週間終了。ラクなもんですよ。その前に2発ほど資料作りはあるが、懸案のでかいやつは先週終えてますから。
(いつもながら)ぼんやりして、音楽聴き流してます。聴くべき音源(といっても、結局無定見に、アト・ランダムに楽しんでいるが)が貯まっていて、通販の納品が大幅に遅れているのもエエ感じでしょう。ミケランジェリ・ボックス第2集よりDebussy 前奏曲集第2巻(1982年シュトゥットガルト・ライヴ)を。つまり、1977年ヴァチカン・ライヴと併せて全曲が揃う計算です。(ほかに単発であちこち収録されるが)音質がかなり落ちるのと、第1巻より作品的に少々難解な印象有。いずれ、濃厚、重心低く、しかも貴族的な洗練があって、ここ最近、ピアノといえばミケランジェリばかり!状態。同ボックスよりBrahms 4つのバラード 作品10(1977年ヴァチカン・ライヴ)・・・これは音質的にはかなりマシだし、いつになく官能的な味わいが作品に浮き出て秀逸な演奏でした。
息長く立派なサイトを継続されているSyuzoさまのブログにて、「Mozart 嬉遊曲第17番」が取り上げられており、著名交響曲ともかく「番号呼称」苦手なワタシは「はて、どの作品だったか?」と調査の結果「ニ長調K.334」であることを理解〜だったら馴染みじゃないの。出会いはブレイン父子+レナー弦楽四重奏団(1939年)の太古録音であり(これは流石に様子がわかりにくい)、ランパル+新パスキエ・トリオ+田中正大/一式隆雄(hr)(1979年)のフルート版(5楽章版)で馴染んだ作品であります。かっちりと構成された起承転結作品より、ぐずぐずといつまでも、愉しげにのんびり続いていくような音楽がワタシ好み。
で、結局、ヴェーグ/カメラータ・ザルツブルク(1986年。十数年前に6枚組高価で購入していたら、昨年2005年だったか10枚激安で再発!困った!)の音質、演奏とも極上もので。清涼で、躍動する音楽!素敵な作品に間違いないけれど「嬉遊曲」というにはけっこう大曲。ワタシは第2楽章「哀愁の変奏曲」が大好きです。もちろん牧歌的な幸せにじみ出る「メヌエット」も〜これはワタシの書き込みです。
昨夜、Brahms クラリネット五重奏曲ハ短調〜ヨースト・ミヒャエルス(cl)(デトモルトの名手)/エンドレス弦楽四重奏団(ミュンヘン)を。ネット検索すると自らの「音楽日誌」(2005年8月)が出てきて、鮮明な音質だし、クラリネット が雄弁かつ表情が千変万化して、更にバックの弦の繊細なこと!・・・なるほど。いつもは演奏音質とも、怪しいものが多数派であるVOX録音だけれど、これはいずれ極上物であります。今朝、同じくBrahms で弦楽6重奏曲第1番 変ロ長調〜オーストリア弦楽五重奏団+ダンヴァルト・ゴール(vc)・・・浮き立つような、夢見る旋律が素敵です。少々不器用で、含羞に充ちた世界はBrahms ですな。
更にホルン3重奏曲 変ホ長調〜エーリヒ・ペンツェル(hr)/ディーター・フォンホルツ(v)/ギュンター・ルートヴィヒ(p)・・・これも雄弁でチカラ強い。(いつになく)希望が溢れます。・・・CONCERTOROYALEのこの3枚組(206216-360)は地味な存在だけれど、内容的には濃いものでした。
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即春らしく、遅れた桜も咲きかけて暖かく、明るくなって参りました。日常業務粛々、会議も終わって、昼から現場回り、そのまま帰宅しました。気楽なもんですな。明日、もう少し現場を回ってレポートと資料を仕上げなくっちゃ。通勤ではBrahms 弦楽6重奏曲第1番 変ロ長調(1963年録音)/第2番ト長調「アガーテ」(1964年録音)〜メニューイン(v)/マスターズ(v)/アロノヴィッツ(va)/ウォルフィッシュ(va)/ジャンドロン(vc)/シンプソン(vc)を、”Brahms つながり”で。(時間的に全部は聴けず)
以前に聴いたときには、多少の演奏上の問題乗り越えて、それなりに楽しく聴いたはず(伸びやかな交響曲を連想させる)。でも、オーストリア弦楽五重奏団+αの演奏を聴いたばかりの耳には、音質(オン・マイクで、奥行きもデリカシーも足りない)的にも、演奏も(この時点でメニューインはかなり技術的に危うく、クセがある)少々聴いていてツラいものがありました。
Schubert 交響曲第9番ハ長調D.944〜テンシュテット/ベルリン・フィル(1983年)・・・移動車中でボリューム小さく聴きました。世評高い録音だったと時臆するが、残念ながらワタシはこの演奏を何度聴いても好きになれませんね。包み込むような、優しいふっくらとした味わいに欠ける・・・オーケストラとの一体感というか、優秀なオーケストラの響きを堪能させる方向ではないような、上滑りしているような、音が安易に出過ぎるような、細部の仕上げが少々乱暴のような、激しい情感の噴出のような・・・あくまで勝手な聴き手の言い分でしょうが。(帰宅して再確認)鮮明な録音だけれど、コシが軽いような音質も気になります。(国内プレス故か?)
2006年4月某日
昨日は昼過ぎに山口を辞去、夕方には岡山に戻ってきておりました。女房はお仕事出番で、夕飯支度もメンドということで、新たに(またまた)オープンしたご近所のパスタ屋さんへ。PASTA STYLEっていうんだけれど、ネット検索できませんね。(西警察署前)なかなかおしゃれで、土曜の夜ということもあって流行ってました。トマトソースベースのものを2種頼んだけれど、ドライ・トマトかなぁ、ちょっとフツウの馴染んだ味とは異なって大人風(甘みが少ない)か。生パスタは自家製だから、店によって全部触感が異なります。価格は充分リーズナブル。ファミレスよりずっとよろしい。
そこで崩壊寸前(機能的にではない、ヒンジが割れてきている)の女房パソコンの話題になって、買い換えることになりました。で、ちょっと小さめでそれなりの水準の(もちろん中古)を購入・・・深夜までセットアップ・・・こんな作業は精神の疲れにとても効くんです。無事、メモリ増設、OSの設定完了。きょうはスポーツクラブへ行かなくっちゃ。小雨模様で薄ら寒いですね。
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昨日の移動中音楽の件(あまり集中できてません)。Mozart 「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」(1958年)、歌劇「劇場支配人」序曲、「コジ・ファン・トゥッテ」序曲、「フィガロの結婚」序曲、「魔笛」序曲、「フリーメイスンの葬送行進曲」K.477(1961年)〜ブルーノ・ワルター/コロムビア交響楽団・・・LP時代からお気に入りでした。て、音質も良好。ぼってりと暖かい響きが豊かであって、幸せです。昔の巨匠はほとんどオペラ上がりですもんね。序曲の躍動を聴いていると、そのまま歌い手が登場しそうな愉悦感がやってきました。(”原点”なのに駅売海賊盤とは・・・)
Saint-Sae"ns 交響曲第3番ハ短調〜クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団(1955年)・・・燃えるような推進力に溢れ、オーケストラの響きあくまで軽快かつ粋で明るいこと間違いはないが、音質がなぁ・・・モノラルなのは仕方がないが、どうも粗雑でいけない。不運な録音です。フィル・アップは贅沢にもFaure レクイエム〜クリュイタンス/サン・トゥスタッシュ合唱団/管弦楽団(1950年)・・・有名な後年のステレオ録音の陰になっているものでして、一部の好事家からは”こちらが本命である”との評価も高い。
ははぁ、なるほど。合唱のウェットな入魂、オルガン(名手ドュリュフレ)は雄弁多弁であり、管弦楽の入念なる仕上げがまことに凄い。ここでは録音云々言いますまい。でもね、ここ最近、オリジナル版(第2稿)ばかり聴いていたし、それは版ばかりではなく演奏そのものが現代的すっきりと整理された清楚な響きであって、この1950年録音はやや”深情け”が過ぎる(とくに女声合唱)ような印象を受けました。深刻過ぎで重いか。しかし”往年の美人”風であって、これはこれで聴くべき価値ある演奏でしょう。マルタ・アンゲリチ(s)ルイ・ヌグエラ(br)二人のソロは、胸を打つ気高い名唱であります。
de Falla 歌劇「ペドロ親方の人形芝居」/「プシシェ」/チェンバロ協奏曲、ORBON(1925-1991)「ガリヤの聖歌」「王の3つのカンティガ」〜マータ/シモン・ボルヴァル交響楽団/合唱団/ラファエル・プヤーナ(cem)/ジュリアン・ベアード(s)マルタ・セン(s)セシリア・アンヘリ(ms)フェルナンド・デ・ラ・モーラ(t)(1994年)・・・ワタシが昨年2005年度「各自勝手にアカデミー賞」に選定した一組(3枚)であり、そのわりに放置していたもの。いやぁ、痺れました。「ペドロ親方」に妙に親しみを感じる・・・と思ったら、以前更新していたお気に入り作品でしたね。
鮮明なる集中力を誇って繊細なサウンド、NAXOS盤が親密な場末の劇場の味わいを感じさせて下さったのに比べ、歌い手も人間臭さを感じさせない洗練透明があって、無機的でキレのある味わいがまことにオモろい!ベネズエラのシモン・ボルヴァル交響楽団って、作品的にツボにはまるとほんまにうまいもんです。
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こムヅカしい本ばかり読んできたので、徳山の電車待ちで昔風古本屋の「カバーなし100円文庫」一冊購入。全部読んでいるはずの椎名誠「すっぽんの首」(文芸春秋)・・・これは存在を失念していたみたいで、内容に記憶がない。椎名誠サラリーマン生活ラスト辺り(中小業界紙企業とはいえ29歳取締役)の高度成長真っ盛りの三越百貨店抱腹絶倒の取材情景(ついにパリ迄出張!)、人生初の著作「クレジットとキャッシュレス社会」(教育社)との再会〜それが物書き専任になるきっかけとなった・・・こと。8ミリ/16ミリ映画に入れ込んで、そしてあるきっかけで醒めてしまう・・・やがてホンマモンの映画を撮るに至る経過。なんとなく理解できます。この人の「スーパー・エッセイ」は元気出ます!
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今朝、Vivaldi 協奏曲集 作品8-1〜4「四季」〜ヴィクトール・トレチャコフ(v)/ソヴィエット国立室内管弦楽団(1989年ライヴ)・・・例のボックスもの”オトナ買い”に含まれるもので、正直こういった音源が一番困っちゃう・・・作品的に特に興味深いものではないし、演奏的にもフツウの現代楽器による日常レパートリー収録、って、トレチャコフの大ファンじゃないと意味ないか。やや金属的なヒステリック系アンサンブルながら、立派なソロではあります。ラストの拍手が、一秒ほどで切られていて興を削ぐこと夥しい。余白に収録されるSaint-Sae"ns 「序奏とロンド・カプリチオーソ」 だったら、素直に楽しめました。(YedangClassics YCC-0127)
全集が激安で出てしまって、中途半端に買ってしまったスヴェトラーノフのMahler は交響曲第5番 嬰ハ短調〜ロシア国立交響楽団(1995年)・・・意外なほどクリアで洗練されているが、微妙な粘着質とテンポの引きずりがあります。(時にどんどん遅くなる)彼のイメージ(あんまり聴いたことはないから先入観の域)は”爆演”だけれど、そんなことはない。金管のサウンドが潰れるくらい異形に大爆発絶叫!(あれは昔の録音水準問題だったのか)することもなく、巨漢横綱余裕の土俵入り的風格と上滑りしない貫禄有。アダージエットだって繊細でっせ。もちろん迫力に不足せず。記憶では後年になるほど洗練の度合い深めていて、これはぜひ全曲聴きたいところですね。(第2/4/8/9番が抜けている)
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一週間ぶりにスポーツクラブ(エアロビクス)へ。前の赤Tシャツのお姉さま(ワタシより)が、あまりに自信たっぷり、堂々と間違うので困っちゃいました。快い疲れがあって、ちょっとだけコタツで昼寝。一週間澱のように溜まった疲れが抜けていくよう・・・いろいろ音楽も聴いたけど、ほんじつはここまで。
2006年4月某日
(在山口ホテル)4月入りました。ここ数日冷えてしまって(ご当地では雪もちらついた)、結果的に開花は遅れたみたいだけど、春に間違いなし。カメラを忘れてがっくりです。昨夜は(いつものことだけれど)痛飲しちゃったなぁ。いつもいつも反省。同行メンバーのウチ二人は初・山口だったこともありました。(もちろん、言い訳のつもり)これからご当地のお客様行事のお手伝い。
在来線、いろいろ乗り換えたこともあって、移動時間は長かった故、音楽も少々聴きました。Mahler 交響曲第1番ニ長調〜ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団(1977年ライヴ)・・・ずいぶんと久々であって、このサイトにも載ってますね。大のお気に入り作品だけれど、ここ最近どれも(演奏的に)「・・・」状態が続いて、そのひとつの回答がこれか。会場空間奥行き音響と自然体の表現(ほぼ無作為か)、微細なニュアンスに充ちて透明なオーケストラが極上の仕上げ。いつになくクールであって、佳く醸された吟醸酒は真水に似る・・・そんな感想をもったものです。