2006年1月某日
昨日、夕方から松山へ出張。いつも馴染みのホテルではなくて、たまには別の・・・と試しに予約した始めてのところが大失敗!数百円ケチった結果だけれど、もう絶対に行きたくない。水回りの不快さ最悪、無線LANのネット環境もまともにつながらず・・・人生にはこんなこともあります。先日誉めたばかりの東横インは商道徳的にはマズい企業ですね。きっと一時が万事、なんだろうな。いやなニュースばかりだ。
昨日の朝日新聞に、意外なことにナベツネが登場して、朝日新聞の主幹と対談で「靖国問題では一致している」とのこと。いやはや自民党の政治家も困ったもので「金権土建屋体質だけれどハト派」(防衛庁談合は笑止千万)とか「清廉だけれどタカ派」(最近は後者が圧倒的なのか?)いろいろと物議を醸すナベツネだし、右翼的な人なんだろうが、靖国だけはアカン、と。人間って、フクザツ。
さて、出先の松山商談から直接自宅へ。上司は昼から東京だし、地域間異動の内示はどうなったのか。少なくともケータイになんの連絡もなかったし、同行した我がチームは現状維持なのか?昨夜は恒例、チーム(自腹)で南予地方のおいしいもの堪能、少々飲酒、本日体重測定してもほとんど変わっておりません。ああそれと、BBS情報によるとBrahms 交響曲第3番ヘ長調〜ホーレンシュタイン/南西ドイツ放送交響楽団は1958年録音、LP時代は素晴らしい音質だった旨、ご指導いただきました。
もんの凄く長かった2006年最初の月が終わりました。大殺界の毎日は、予想通り苦しいものですな。
2006年1月某日
うぅっ、寒い・・・まだこれからですよね、本格的な寒さは。あちこちインフルエンザ患者が(身近に)出てきていますね。なんとか今シーズンはクリアしたいな。本日、夕方から松山へ。
ネットを検索していて、Brahms 交響曲第3番ヘ長調〜ホーレンシュタイン/南西ドイツ放送交響楽団が1954年録音、となっていたけれどほんまでしょうか。昨日来凝っているのは、そのBrahms のピアノ作品でして、ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ 作品24〜ワルター・クリーン(p)・・・1960年頃の録音ですか?知人の情報によるとクリーンはBrahms の独奏作品を全曲録音しているらしいが、現役5枚組(VOXBOX CD5X3612)ではやや中途半端な収録になっている由。いずれ、しっとり瑞々しい響き、落ち着いた味わいのピアノであり、作品であります。気持ちが鎮静化する思い。
ピアノ・ソロ全集だったらマーティン・ジョーンズ(p)の6枚組(NIMBUS NI 1788 2001年12月31日購入。2,780円とのメモが残っている)が手許にあったので、さっそく比較を。彼のピアノには少々不満があった(録音にも)ような記憶が・・・響きに”芯”を欠きがち(残響あり過ぎ)であって、時に速いパッセージで細部が流し気味になる・・・とエラそうなことを言いつつ、雰囲気は充分あります。憂鬱暗鬱な気分は良く表現できて、中年の坂を転げ落ちるワタシのココロをくすぐって黄昏ました。
2006年1月某日
好天の休日。いつもより寝坊しつつ、昨夜からの続きBach 「マタイ受難曲」全部聴いておりました。CD3枚分怒濤の感動を堪能いたしました。忘れ去られ、ほとんど話題にもならないフェルディナンド・グロスマン/ウィーン室内管弦楽団/ウィーン・アカデミー室内合唱団/エーリヒ・マイクト(エヴァンゲリスト)、ハロルド・ブックスバウム(イエス)等による1959年録音。このCD購入の経緯(言い訳懺悔告白)は別途今朝更新いたしました。
激安CONCERTOROYALEに(泣き別れ)収録される、Brahms セレナード第2番イ長調〜アンドレック・ジューヴ(誰?)/ヴュルテンベルク州立管弦楽団(シュトゥットガルト)を繰り返し聴いております。他にボウルト/ロンドン・フィル盤とか、アラン・フランシス/ミラノ”ジュゼッペ・ヴェルディ”交響楽団(1996年)とか、手許にあるものも。Brahms 25歳青春の音楽だけれど、編成にヴァイオリンを欠くため”ジミな憧憬”みたいな、不思議な魅力に溢れる作品です。うんと穏健な交響曲・・・第2番ニ長調をいっそう素直に、安らかにしたような味わいがあってお気に入り。
ジューヴのテンポは遅くて34分・・・ちょうど交響曲サイズですな。広がり感少なく、やや埃っぽいがそう劣悪なる音質でもなく、ゆるゆるまったりと歌って、やや重いでしょうか。これはこれで、オーケストラの豊かな響きと相まって、ひとつの個性だと思います。
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本日はスポーツクラブをサボって、演奏会に行って参りました。病院のロビーで・・・というのも素晴らしい趣向です。夕方から女房がお友達と食事に出掛けたので、おでんを炊いて、台所下の収納を覗いたら「特別本醸造原酒」があったので(家ではまず飲まないので、いただきものがいつまでも残っている)ぼちぼち飲んでます。ノートパソコンでサイト更新しつつ、酒。ダイエットはどこにいった?
2006年1月某日
少々、寝坊の休日の朝。酒席の翌日だし、ちゃんとスポーツクラブへ行きましょう。
昨日は(珍しく)出勤にポータブルCDプレーヤーを持参しました。じつはMahler 「嘆きの歌」〜ロジェストヴェンスキー/BBC交響楽団(1981年←ほんま、いやになっちゃうくらいエエ加減なコメント!だけれど)じつは、今回再聴してもやはり様子がわかりにくい。と、いうことでナガノ/ハレ管(初稿版〜図書館で借りた)を聴いてみると、これが仰々しく盛り上がってもの凄くわかりやすい。Mahler 特有の甘く大仰なる旋律が未整理粗削りで爆発していて(版が異なるとはいえ)ロジェストヴェンスキーとは大違い。結果的に細部やや流し気味で、アクセントが明快ではない〜たしかに初心者には理解しにくい音楽の作り+オフ・マイクな音質であることに気付きました。
昨日到着したCDの件はぼちぼち言及するとして、その関連で(もないけど)HMVのサイトを見ていて少々ショック!ロッホラン/ハレ管弦楽団のBrahms 交響曲全集が1,840円・・・コレ、2004年2月24日に広島Groovin'にて(中古)2,300円〜だって、タワーレコードの値札3,590円が付いていたんだもん。ま、”待てば大幅値下げ”なんていう事例はいくつもあります。昨日、更新した「コレクター的感慨」(外伝)でも触れたがシャンドール・ヴェーグの10枚組なんてへろへろ感慨状態。手許のCDを大切に聴くのみ。でも少々遣る瀬ないか。
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いつものスポーツクラブへ朝一番に。そこでは正確に体重が量れる(自宅のはどうもアバウトで・・・)が、ついに68kgへ。一ヶ月半で6kg減は速すぎますか?昼はブルーベリーヨーグルトに甘めのパン(これはずいぶん久々)少一個、チーズ・アーモンド少々(これは毎日)出張用の(安物)光学マウスが不調だったので、(やはり安物の)小型光学マウス購入。HARD・OFFも覗いてみたけれど、2万円くらい出せばそれなりのノートパソコンあるんですね。(但しジャンク扱い〜つまりOSのセットやドライバのダウンロード、メモリの増設などは自分でしないといけない。もちろん動作保証はない)
二時間ドラマ(再放送)連続二本見て、ぼんやりノンビリ・・・夕方、久々料理準備しております。音楽の件は、またのちほど。
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ロザリン・テューレック(p)のBach 平均律クラヴィア曲集(全曲1952/3年録音。membran 222941-354)待望の入手いたしました。早速、一枚目を拝聴したが、ゆったりとしたテンポ、明快で曖昧さのないタッチ、(録音時期からは想像も出来ないほどの)モダーンでクールなスタイル、集中力、ノリ、いずれも素晴らしい。(比べちゃいけないが)先日購入したアファナシエフ盤とは全然異なる(ま、あくまで個人的な好み方向だけれど)、知的な愉悦が溢れます。音質も(モノラルながら)極上であります。
Bach 連続で「マタイ受難曲」前半を・・・これはワケ有りなので、明日にでもじっくり。演奏自体はけっこう熱演で堪能いたしました。
2006年1月某日
毎朝の感慨だけれど、寒いこと!本日はMozart の250歳の誕生日だそうです。週末だし、帰宅したらゆっくり”ドン・ジョヴァンニ”でも聴こうかな?そういえば、タワーレコードからの通販はなかなか届きませんね。注文したもののうち、一セットが入庫しないらしい。今朝、定例更新済み。
昨夜は、「BOHEMIAN MASTERS」(QUADROMANIA)〜ボストック/カールスバード交響楽団から数曲。FIBICH(ズデニク・フィビヒ1850〜1900)「夕暮れに」作品39/クラリネットと管弦楽のための牧歌 作品17(1996年)を。FIBICHはDvora'kのやや後輩筋であって、いっそう親密で静謐で懐かしい情感が支配しております。先の「新世界」では、並み居る強力名盤と比較することとなるが、なんせ比較対照がないというか、初耳作品だしその穏健なる世界にココロ奪われるばかり。技量的にはけっして満足とは言えぬカールスバード交響楽団だけれど、クラリネットのヴィヴラートは味わい深いものでした。ワタシ好みの英国音楽に近いか?
続くNEDBAL(オスカル・ネドバル1874〜1930)「悲しいワルツ」〜これにも同様の感触有。この4枚組(222198-444)は拾いものでした。まだ2枚目途中、まだまだ”ボヘミアの秘曲”は続きます。
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人生は(ワタシのは小さめの)ドラマであって、朝から粛々と諸作業(スケジュール調整、諸伝票処理、日常業務)をこなして、昨日来のちょっとした組織的な悩みを差配して(ああ、あちこち異動した友人はありがたいね)予定通り夕方からのチーム打ち合わせへ〜一時間半熱弁・説教しました(伝わったかな?)人事異動の情報が漏れ出てきて(転入するほう。少々ショックなメンバーだけれど)、更にリベート連絡900件以上出力し、メーカーさんのお誘い(事前に連絡があった)に付き合って、ケータイにトラブル連絡があり、職場に戻り(酒気帯びで申し訳ない)お詫び対策を各所に送付し、さっさと職場を辞去したら、本部からケータイに「諸指示変更有」・・・更にバスに乗っていたらケータイに電話有(出られない)、ようやく返信したらその件でのお取引先からの相談であり・・・って、ま、これがサラリーマンでしょうな。
帰宅したら、タワーレコードからCD届いてました。とんだMozart 誕生日だ。明日、お休み。ダイエット的にはピンチか。
2006年1月某日
冷えますね。寒冷最盛期はこれからだから、体調維持に気を付けないと。今週来週辺りは、行事とか予算作成などなどで出張少な目(移動時間それなりだけれど、高松は”外出”です)。徐々にスケジュール埋まりだしているが、内部仕事だけだとほんまにカラダはらくちん・・・だけれど、精神的に閉塞感があるのと、やはり現場に近づかないと真理が見えない感触はあります。
Brahms セレナード第1番ニ長調/第2番イ長調〜アラン・フランシス/ミラノ・”ジュゼッペ・ヴェルディ”管(1996年)・・・作品知名度も低いし、ましてや2曲収録されている一枚物CDは珍しい。ワタシは交響曲より気に入っていて、Brahms の親しげでゴキゲンな側面が表出された明るい作風が素敵です。第2番にはヴァイオリンを編成に欠くのが珍しい。イタリアの新興オーケストラは(フランシスの表現か?)明るく、素直、やや緩めでコシのない響きだけれど、こんなCDそのものの存在を感謝しないと。録音も良好・・・だけれど、あまり上手いオーケストラではない。(ジューヴ/ヴュルテンベルク州立管弦楽団という超・渋い第2番との比較をしましょう)
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嗚呼、いったいきょうはなにをしていたんだ?朝からメールの対応、少々先のトラブル回避、スケジュール調整・・・(いや既に記憶が薄い)しているウチに、メーカーさんが到着して商談・・・その間にウチの子会社(物流会社)の所長がやってきて、昼食をご一緒しつつ(ハンバーグ定食をご飯少々で〜お付き合いの時のダイエットは苦しい)そのまま、お取引先へ年末のトラブル詫び同行・・・冷や汗かきつつなんとか遣り過ごし(少々デカい宿題はもらった)、そのあといつもの商談がっちりみっちり・・・直接、帰宅しました。(どうも風邪気味っぽい・・・)
偽装マンションも影が薄くなる「ライブドア」問題だけれど、ナベツネがインタビューで「だから”あのとき”、オレがすべて悪くて、堀江が正しい、なんて言っていたのは・・・」みたいなのには笑えました(わかりやすくて)。ま、今回の事件の本質は(いつも言うように)コンプライアンス(法令遵守)であることは当たり前とのこととして、それでも”あのとき”ナベツネは正しいとは(今でも)思えない。”11人の妻を持つ男”(催眠術〜マインド・コントロールのワザらしい)とか、杉並の”手作り4階建て男”とか、いや、もう、魑魅魍魎混沌怒濤の21世紀でございますな。
2006年1月某日
体調というか、生活リズムが崩れていて、きょうも早朝覚醒状態(寝直しができない)。精神的に張り詰めているのかな?世情は「ライブドア・バッシング」一色だけれど、朝日新聞の論調には配慮がありますね。藤巻健史氏(フジマキ兄)は、善悪の分かれ目はただ一点「法律に違反するか、しないか」のみである、「ホリエモン的なもの」を全否定すべきではない、規制でがんじがらめだった日本を社会を、資本主義の本来あるべき姿に変えるための一環だった〜東大助教授佐藤俊樹氏は、「ライブドアはけっして肯定できないけれど、ライブドアが壊そうとしたものは、もっと肯定できない」・・・これは小泉改革に似ていると。
いずれ”横並び世論逆揺れ一色”だけはいやだねぇ。万年Bクラスだったタイガースが久々優勝したら”急にファンが増えた”(じつは以前からずっとファンだった、みたいな)のは微笑ましいが、きのうまでライブドアを称揚していたマスコミが手のひらを返すように”なにもかも悪い””ほらみたことか””女グセも悪いらしい”〜的ミソもクソもいっしょくた的坊主憎けりゃ袈裟まで憎い的論調には賛同できず。(「それぞれの岐路」〜主夫への挑戦(下)〜「社会を支えているのは、誰なのか」・・・専業主夫がこどもの世話をしながらパート勤めの苦労・・・同僚パート主婦達からの配慮が泣けます)
今朝の音楽はDvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界から」〜バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(1962年)・・・これはまさに小学生だったワタシが出会った音源であります。朝の慌ただしい中で集中できたわけではないが、アツい、前のめりの集中力に満ち溢れたもので、昨日のサッカーニ盤とは似て非なるもの。尋常でない荒々しいテンション演奏は、ほかでは見られない魅力でした。瀬戸大橋往復でじっくり聴こうかな?
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岡山〜高松〜岡山戻って会議対応〜更に商談〜予算原案点検修正、スケジュール調整(未だ途中)・・・粛々と予定通り、たいしたトラブルもなく、ま、少々大きめな宿題いただきつつ、さしたる残業もなく帰宅。(でも緊張続き)瀬戸大橋往復はウトウトしつつ音楽聴いてました。
まず予定通りバーンスタインの「新世界」から。これがどうも様子がわからない。JR四国の騒音うるさく、しかもTEACのヘッドホンはそろそろ寿命で右のスピーカーが外れ掛けているから・・・というより、眠っていた、というのが正直なところで、気付いたら弦楽四重奏曲第12番ヘ長調「アメリカ」〜ジュリアード弦楽四重奏団(1967年)途中でした。この作品はお気に入りなので、どんな演奏でもシアワセになれるんです。ちゃんと再聴しないと。
録音の個性方向というか、ワタシのポータブルCDプレーヤーとの相性問題か、さすが英DECCA録音は艶やかでわかりやすい。Ravel 「スペイン狂詩曲」(1960年)、Saint-Sae"ns 交響曲第3番ハ短調「オルガン付き」(1962年)〜エルネスト・アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団・・・嗚呼、良いですね。バーンスタイン同様ワタシ、こどもの頃からの馴染みの音源なんです。神経質で精緻なアンサンブルを誇るのではなく、粋でクール、やや頼りない雰囲気を味わう、愛すべき演奏か。
Bartok 管弦楽のための協奏曲/弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽〜デュトワ/モントリオール交響楽団(1987年)・・・かつて、あまりのさっぱりとした洗練に共感できなかったもの。こうして再聴してみると、驚くべき率直さであり、精緻な清涼さも個性であって悪くない、と感じるようになりましたね。モントリオール交響楽団のアンサンブルは静謐でお見事、「弦・打・チェレ」だって”恐ろしい音楽だ”と思ってきたけど、なんと優しい。美しいこと。
2006年1月某日
音楽ライターの山尾敦史さんのブログ●山尾好奇堂を愛読しているが、そこのご推薦で川内倫子さんの●「りんこ日記」・・・簡潔な文章がヴィヴィイドなこと、シンプルな色使い、もちろん本職である写真の”抑制された雄弁”ぶりがお見事。生き方そのものが簡素で潔いのか。学びたいものです。
昨夜はさほどに飲んでないし10時前には自宅に到着していたけれど、コーヒー飲んでいるうちにやたらと眠くて倒れるように就寝〜超・早朝に盛んに鼻水が出て目覚めるが”風邪”というわけでもないみたい。体重は増えても減ってもいなくて、ここ3週間で2kgくらいゆっくり減量ペースはむしろ望ましいパターンでしょう。一昨日辺りから断続的に聴いた音楽は、まずDebussy「海」「夜想曲」「牧神」〜アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団・・・(相変わらず以前の自分の文書を見ると背筋に寒気が走る)曖昧でエエ加減な雰囲気あるアンサンブル(録音も!)、を(にやにやしながら、存分に)楽しみました。トランペットなんか妙にヘタクソっぽくて味わい深い。ああ、もうこんなローカルな個性は現役じゃ聴けないかな?
で、ついでにバルビローリ/ハレ管(名義の)「ボレロ」「ダフニス第2組曲」「ラ・ヴァルス」「スペイン狂詩曲」を数年ぶりに拝聴〜これ大問題音源(←教育的ご指導)なんです。(こうしてみるとワタシの曖昧なる文書も掲載価値あるのか?読むに耐えん!)「ダフニス」「ラ・ヴァルス」(1959年)以外は、デスコグラフィにも登場しない音源とのことだけれど、ははぁなるほど、そんな感じですね。「ボレロ」はかなりかっちりしたリズムを刻んでいるし、真の演奏家は不明・・・です。いずれ、この記事もなんとかしないと・・・(1957年の「マ・メール・ロワ」はいかにも!的まったり演奏だった。IMG Artists 7243 5 75100 2 8)
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いつものように出勤し、明日自分が主催する2ヶ月に一回の会議(というか勉強会)資料最終準備+読み込み。けっこうハードなんです。明日、早朝より高松で上司のお供で出掛けなくっちゃいけないし、瀬戸大橋往復でとんぼ返り〜おそらく昼飯を喰う間もないか。昼から長時間報告+司会こなしたあと、更に別件の打ち合わせをお客様と・・・体調に気を付けないと。いちおう準備ができたので、早々に帰宅しました。夕食後、体重量ったらボチボチ減っていて68kgへ〜昨夜も酒だったのにねぇ・・・。
今朝聴いていたのは、Bach ブランデンブルク協奏曲第3/4/5番〜カレル・ブラズダ/スラヴォニア・フィルハーモニー(デ・アゴスティーニ CC010。いわゆるPILZ音源。中古100円)これはエエ加減匿名演奏家名であって、実際の演奏者はわからない・・・けど、けっこうこれが現代楽器ながら柔軟な表現で、典雅な響きなんです。第4番はリコーダーならぬフルートだし、ヴァイオリン・ソロも滅茶苦茶上手いわけではない。有名な第5番第1楽章のチェンバロ・ソロも”やや、やる気のない金属的音色”だし、フルートも遠慮がちで色気がない、全体として個性不足だけれど、それでも妙にマイルド素朴で、リキみがなくてジ〜ンとしちゃいました。とても楽しい”100円の悦楽”。
(ちょっと間が空いたけれど、延々と聴き終わらない)リコ・サッカーニ/ブダペスト・フィル(22枚組)はDvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界から」+スケルツォ・カプリチオーソ(録音年不明ライヴ音質良好)へ。・・・ああ、こりゃ”爆演系”だ。元気で脂っこくて、テンポの揺れが恣意的で・・・ナマだったらきっと大受け!(実際、凄い拍手有)遠慮とか抑制とか、ジミジミ懐かしいとか、そんな配慮は微塵もなくて、ぐいぐいと生々しい賑やかな勢いで迫ります。ワタシの好み方向ではないが、喜ぶ人はいると思いますね。スケルツォ・カプリチオーソは素朴な、民族舞踊のようなリズムが楽しい作品です。
2006年1月某日
昨日、昼寝をしそこねたせいか、よく眠れて布団から出たくない週の始まり。体調OKです。風邪を悪化させずにクリアへ。女房殿、本日より神戸へ一泊二日の出張へ〜夜は友人と旧交を温めるらしい。本日より新しい上司を迎えるが、昼からのミーティング途中抜けして地元利取引先へ行かなくっちゃ。ああ、それとスケジュール調整(再確認構成)しなくっちゃ。手帳紛失はほんまツラい。カネに替えられない。
北里信太郎「精神科医の処方箋〜不安、ストレス、うつの時代」(ベスト新書)〜まずは、現代の「精神病」の状況、精神科医の経済状況や窓口状況(たとえば心療内科であるとか)、実例も含め実状を明確にわかりやすくまとめて下さって、良書であります。これはさすがに時代を反映しているので、淡々とドライな語り口と”最新の状況”報告はありがたい。適応障碍、パニック障碍、人格障碍・・・って「害」という文字を使わないのは、「人に害を与える」(という誤解有。与えません!って)を防ぐための著者の配慮なんです。状況は改善されつつあるが、まだ世間の偏見は大きいでんな。
もっと、情緒的な感動を求めるなら中沢正夫先生の「こころ医者の手帳」(ちくま文庫)があるけれど、現役じゃないかも知れない。ワタシの大好きな本です。井上勝六「成人病を防ぐ現代人の食事学」(丸善ライブラリー)〜これはダイエットに努力している関係で。ま、むやみやたらに痩せるのが目的じゃなくて、健康になる、というのが主眼なのでその知識補強です。食文化への言及は必須。昨日、ネットで「こんにゃくダイエットをしようと思いますが」みたいな書き込みと、それに対する読者返答をたくさん拝見したが「あほかっ!」状態。「こんにゃく」であれ「りんご」であれ「パイナップル」であれ、単品ダイエットは無茶でっせ。(ワタシは酒を飲むときに意識的に注文したり、自宅の焼き飯やら、麻婆豆腐の増量に使ってます・・・”麻婆蒟蒻”ってオツでしょ)
ここ2週間ほど「声楽」中心に音楽聴いております。もとより”言語”の意味合いなどわからぬが、管弦楽など”抽象音楽”とはノーミソが異なる反応をしているみたいで、生理的な快感(レクイエムであれ”ドン・ジョヴァンニ”であれ)があって、感じる部位が変化しているのか。昨夜、Dvora'k 交響曲第8番ト長調〜シルヴェストリ/ロンドン・フィル(1957年)を久々に。(新星堂盤じゃなくてDiskyCommunications盤で)・・・良いですね。ロンドン・フィルのちょっと粗野で迫力ある(とくに金管)硬派骨太演奏で、土俗的な魅力がある。甘美な歌い回しも可能な作品だけれど、やや素っ気ないくらいの推進力は濃厚な表情で楽しい。録音も良好。
こちらのCDには、以下別録音含まれます。Hunperdink「ヘンゼルとグレーテル」序曲(フィルハーモニア管弦楽団1959年)、Brahms ハンガリー舞曲第5/6番、Dvora'k スラヴ舞曲第1/2番(パリ音楽院管弦楽団1962年)どれもツボにはまって、アクが強くじつに楽しい!クサいタメ最高!「謝肉祭」序曲(ロンドン・フィル1961年)は意外と(期待ほど)大騒ぎしていない表現でして、これはこれで余裕の表現に不足はない。
さて、時間です。行って来ます。
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出勤して机の上を見たら、本部からの転送便が・・・ああ、いただいた資料が分厚くて「送ってね」とたのんだやつだね、と手に取ったら妙にふくらみが・・・「!」と思って封を開けたら「黒革の手帳」ならぬ「黒布の手帳」が!やっぱり会議室に忘れていたんだね、よかった。数日の悩みが消えました。ダブル・ブッキング(すれすれ)の件も、お客の側から「都合が・・・」とお詫びのメールが届いて辛くもクリア。
新しい上司着任して、ウチのチームのメンバー含め夜飲みに行きました(自腹)。ま、いいんじゃない。キモチは通じたんじゃないの?若いもん(但し、ワタシより)のフォローが嬉しかった。
ホリエモン逮捕。一寸先は闇だね。真面目に、人の道を踏み外したりしないことですね。
2006年1月某日
(昨日夜更新分原稿誤って削除したので、その分思い出しながら)結局、午前中のスポーツクラブ行き(エアロビクス)は強行!〜少なくとも昨日中は体調回復傾向(但し、今朝はいまひとつか)。夜、贅沢にも女房と外食、先日テレビで紹介があった”うまづらや”(職場の側だったので気になっていた)へ。予約して行ったが、混んでましたよ。喰いもんでは苦労する岡山だけれど、こうしておいしいものがリーズナブルな価格でいただけるようになってきたのは慶賀の至りであります。(コース全部いただいて、酒も飲んだけれど体重維持)。「黒布の手帳」は東京宿泊のホテル、会議室方面に問い合わせるが、未だ発見できず。あとは羽田空港か(電話したけどダメでした)。あきらめざるを得ないか。
昨日聴いたMozart セレナード ニ長調K.320「ポストホルン」関連で、もっと音質明快なものを、と、棚在庫探して驚愕!なんぼでもあるわい、と思っていたら、次々と処分していた(偶然です)みたいで、他一枚しかない・・・このCD演奏者クレジットがなくて・・・と数時間検索調査しておりました。結果は本日サイト更新。それにしても、牧歌的で至福の作品だなぁ。一時「我らがヴォルフガングの作品にしては少々凡庸か?」みたいな不遜で罰当たりな感想を抱いた時期があって、エエ加減なもんです。
いつもの”棚卸し”で、見知らぬ(記憶失念)音源またまた発見!Handel 「メサイア」(全曲)〜ティモシー・ディーン/プロ・クリステ合唱団・管弦楽団(1986年)・・・そういえば円高で個人輸入を盛んにしたときに、ボックスセットを購入したような記憶もある・・・ネット検索を掛けると、もともとGuild原盤だったみたいで現役かも知れません。(ワトキンス・ショー版らしい)
やや古楽器テイスト(現代楽器)小編成のバック(そう過激ではないが、時にトランペットが朗々として、ティンパニが鋭い)+かなり雄弁な声楽陣(ソロは表情豊か)という感じで、敬虔だし、とくに合唱が立派で盛り上がります。でも、位置付け中途半端かな、古楽器の方が似合うかも。もっと清楚で抑えた表情やら、引き締まったリズム感(これは声楽ソロ)、柔軟なるオーケストラのアンサンブルを望みたい(少々音質がカタいか)・・・というのも、最近この作品に馴染んできた贅沢なる感想であり、これはこれで作品の価値を充分活かした演奏に間違いありません。「マタイ」も良いけど、こちらはもっと明るく、人なつこい。142分堪能いたしました。
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昨日に続いて、エアロビクスに行きました。少々の不調はスポーツでクリアする!決意であります。昼は(馴染みの)嵐家の塩ラーメンいただきました。冷蔵庫に残ったコーヒーゼリー処分したり、で少々食い過ぎか。ノンビリした休日です。
2006年1月某日
おおテレビで見ると東京は雪ではないか。まだまだ冬はこれからだなぁ。午前中の(いつも通っている)エアロビクスは強行するか?熱はたいしたことはないようだし。精神的には「黒布の手帳」紛失が痛手です。(早速、昨日ダブル・ブッキングすれすれやってしまって、2週間後に(かなりの)強行スケジュールとなってしまった。まだ気付いていないこともあるんじゃないか)
少々、この間知名度音質水準的には厳しい音源ばかり聴いていたので、世間的に知られているものを、ということでBrahms 交響曲全集〜ギュンター・ヴァント/北ドイツ放送交響楽団(1982〜85年旧録音のほう)を、ぼちぼち聴いております。昨夜は第2番ニ長調全曲+第4番ホ短調途中迄。今朝は第1番ハ短調を少々。前回、ポータブルCDプレーヤーでの印象は「収録音量レベルが低い」せいか「サウンドが細く、頼りなく、痩せて、神経質に響いて楽しめない」・・・さすがに有名音源なので、ネット検索でのコメントはいくつか拝見できて、「音質が良くない」というのはありましたね。
BBS上でも(ワタシが再三再四繰り返している”EMI録音が気に喰わない”不穏当発言に関連して)録音問題が言及されているが、嗜好と、オーディオ機器との相性、環境(部屋、音量)の影響も大きいと思います。この(オリジナルはハルモニア・ムンディとのこと)録音は、豊かな残響に音の芯が埋もれること、そして音量レベルが低いということであって、上記Amazon.co.jpのレビューにあるように「各楽器の音色がそれぞれはっきり分離し、特に弦の表情など鮮やかで生々しく、大変リアルで聴きやすい」というのが正しい評価じゃないかな。(LPではもっと陰影が深い音、とのこと)
演奏的には驚くべきものであって、最近ちょっと毛色の変わったものばかり聴いていた(?)せいか、抜群に新鮮!速めのテンポは推進力タップリ、重厚でありながら同時に鋭角であり、緩みもない。厚ぼったい(前時代的)浪漫方面大仰表現引きずり皆無のモダーンでシンプルな表現。勿体付けたり、粘着質な表現皆無なストレート系筋肉質辛口演奏。ホルンが深々とエエ響きだなぁ。
ここ数日来のCONCERTO ROYALEシリーズから、Mozart セレナード ニ長調K.320「ポストホルン」〜ファン・ルムーテル(1926-77)/シュトゥットガルト・プロ・ムジカ管弦楽団(ポストホルン Heinz Burumってなっているが、ほんまはどんなオーケストラなのか?まぁまぁのアンサンブル)ま、特別にもの凄い躍動!ということでもないが、楽しげな演奏であります。調査しても(VOX系音源で)出てこない音源ですね。もう一曲セレナータ・ノットゥルナK.239が収録されるが、これにはラウテンバッヒャーとかバルヒェットのクレジット有。(ほんまか?と、いうことは1960年頃の録音)
2006年1月某日
ついに風邪かなぁ。こういうときにダイエット継続というのは難しいものです。今朝は食物繊維も野菜もたっぷり、低脂肪の食事を摂りました。なんとか乗り切りたい。本日は数日間留守の後始末と、終日会議資料づくり〜CDRに焼いて送付・・・が目標。夜半から”雪”との予報・・・暖かくしないと。今朝、愚直にいつものサイト定例更新。
CONCERT ROYALE 3枚組「Tchaikovsky」残り2枚、既に音楽日誌に言及済みのものだけど、弦楽四重奏曲第1番ニ長調〜インターナショナル弦楽四重奏団(ニューヨーク)・・・じつはコレ「おやすみのアダージョ」に「アンダンテ・カンタービレ」が含まれます。こみ上げるような情感に充ちた、懐かしい、しかも背筋の伸びた演奏であります。「ロココの主題による変奏曲」 作品33(フィッツェンハーゲン版)〜ラズロ・ヴァルガ(vc)/ジークフリート・ケーラー/シュトゥットガルト・フィル・・・これは並み居る名盤に負けないテンションと技巧を誇るもの。
ラスト、Tchaikovsky ヴァイオリン協奏曲ニ長調〜ブラニスラフ・ギンペル(v)/シュラー/バンベルク交響楽団+「憂鬱なセレナード」〜ロザンド(v)/ショーケ/南西ドイツ放響が収録されます。ゆらさんのサイトにブラニスラフ・ギンペルが言及(←ぜひ入手したいが、店頭で見たことがない)され、これは露西亜風アクとか節回しを強調したものではなくて、しっかり端正な表現であります。ロザンドは馴染みの骨太非・洗練方面で(この組み合わせの是非はさておき)聴き応えのある一枚。(CONCERTO ROYALE 206248-360)
計9枚通した感想はまた帰宅してから。
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風邪やや悪化気味で早々に帰宅は予定通り、お仕事もまぁ順調だけれど、愛用の超・整理手帳(特注品黒カバーが高かった〜6,000円ほど〜のはともかく)を失ったのはまことにツラい。ショック。スケジュール管理ガタガタ。羽田に忘れたのか(きっとそうでしょう)、渋谷のラーメン屋か。どなたか良心的な人に発見されることを期待して、連絡を待つばかり。
甥からノートパソコン届く。ウィルスとスパイウエアの嵐三度目〜んもうドスケベ野郎が!何度教えてもウィルス対策(ソフトも入ってますよ。なんでも気前よく届いたファイル開けちゃうから)、スパイウェア対策(自分で定期的に削除せよ、とソフトも入れて指示しているのに)ができない。スパイウェアの駆除、なんと69個。広島の息子はその辺り対策絶妙なのは、小さい頃から(小学4年生から自分のマシンを持っていた)の薫陶の成果か。
CONCERTO ROYALE計9枚通した感想・・・う〜む、最近、あちこちの(音楽関係)ブログを覗くけど、驚くべき程オーソドックス・メジャーな音源ばかりなんですね。それはそれで全然OKなんだけど、なんか通り一遍で当たり前でオモロくないじゃないの・・・というのが【♪ KechiKechi Classics ♪】の趣旨であります。全9枚合計2,000円くらいですよ。正規盤一枚の価格と変わらないからこそ、”冒険”ができるんです。正直、音質的にも演奏水準的にも玉石混淆状態だけれど、新しい発見が(少しでも)できれば、それはそれで希有な悦びなんです。ま、嗜好の問題と思って下され。
しかし・・・たしかに涙が出るほどヒドいのは有!最右翼は「シュトゥットガルト・フィデリス少年合唱団」か。Mozart のレクイエム先頭に各種宗教的声楽作品揃えた3枚組は、ぜんたいに音質がぱっとしないのも気になります。作品ごとに演奏者が変わり、音質がガラリと(良くない方にいっそう)変わるのも聴いていて落ち着かない。それでも、レクイエム K.626〜グロスマン/ウィーン少年合唱団/ウィーン・コンツェルトハウス管弦楽団はシミジミ胸を打ちます。
音質の不備、音程が不安な少年による女声ソロ+合唱だって清楚で、ココロが洗われるような感慨がありました。QUADROMANIAのBACHでそうとう愕然とした(人様に差し上げてしまった)グロスマンだけれど、やや判断は尚早だったか、と反省しております。(出戻り買いするか?)
2006年1月某日
東北北海道方面は大雪だそうで、岡山便出発大幅遅れ、ようやく深夜帰宅いたしました。会議でやや不用意な発言したかな、と少々後悔有。ま、過ぎたことは仕方がない。疲れております。明日一日なんとか乗り切りましょう。渋谷出る前にラーメンをしっかり喰ったが、体重維持。(減っていないのが気に食わん)
昨夜は五反田到着遅く10時だったし、なんか盛んに鼻水が出ているのでスポーツクラブは断念。(風邪ひいたか?)午前中はいくつか然るべき場所を回って、ついでに小郡のHARD・OFFを覗いたら無線LANカードが1,260円だったので購入(女房マシン用として)、昼から取引先のご担当2名とご商談〜うん、まぁまぁじゃないの。夕方宇部空港までのバス待ちの時間で、不覚にもバッテリー切れを起こしたケータイを(AUの営業所で)充電してもらって、その間に(流行っていないご当地の)「餃子の王将」にて麻婆豆腐+餃子(ご飯なし、ダイエットのつもり。豆腐はカラダにエエんです)を。
まだ確定したわけではない(でも関係者に自殺者が出たしねぇ・・・)が、ライブドア粉飾決算疑惑は日本経済全体に影響与えてますね。ワタシは「実業でないカネの動きは例外なく身に付かない」という考えなので、株も親の遺産(ウチは関係ない話しだけれど)も、博打もすべて縁がありません。「IT関連」は少々バブルっぽかったし、これで一気に経済は冷え込むのか、それとも持ち直すのか?(ヒルズ族が若い女性にもてているが、これでダメになるのか)質実剛健の時代はやってくるのか。
ワタシは、一連の放送界買収問題でも彼らを一貫して支持してきた(あまりに保守的旧守的現状の打破を願って)が、虚飾・粉飾・うそつきで金儲けちゃいけません。当たり前のことです。でも、一律横並びの報道姿勢はねぇ・・・この件で、日垣隆さんがワタシの考えをよく(正確に)表現してくださっております。(ありがたい)
結論的にCONCERTO ROYALE3枚組*3組全部聴きました。Brahms ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調〜シャンドール(p)/ラインハルト/南西ドイツ放送交響楽団・・・これは前回聴いたときも感心したが、たいへんスケールの大きな立派な演奏です。幅、奥行き、力感も充分で、正統派の説得力充分、但し、ピアノの音色があまり美しくないのは録音問題でしょうか。交響曲第3番ヘ長調〜ホーレンシュタイン/南西ドイツ放送交響楽団・・・これは躍動する推進力があって、細部までニュアンスに溢れた素晴らしいもの。(わりと音質もマシ)
セレナード第2番イ長調〜ジューヴ/ヴュルテンベルク州立管弦楽団・・・やや広がりが足りない音質だけれど、ワタシはこの地味な作品がお気に入りです。2枚に泣き別れ収録が残念だけれど、意外としっとりとしたサウンドが楽しめました。Tchaikovskyの件は疲れたので明日へ。
2006年1月某日
(在山口)清潔で良いホテルだし、加湿器も完備だけれど、空気の乾燥にギブ・アップ。のどが渇いて深夜に目覚めてしまいました。本日、午前中時間つぶして昼から夕方に掛けてご当地で商談、夜から東京へ。昨夜の赤ワイン(一本分)をなんとか(五反田の)スポーツクラブで誤魔化したい・・・って、経験的に本日一日(いつものように)食事を抑制すれば体重は増えないんですけどね。ま、心身共の気分転換・健康のため、ということで。
CONCERTO ROYALE3枚組はTchaikovsky(206248-360)へ。弦楽六重奏曲ニ短調「フィレンツェ(フローレンス)の思い出」作品70〜コンラッド・フォン・デア・ゴルツ室内管弦楽団。かつて「暗い激情のワルツ」と自ら評した魅力的な作品だけれど、音質がかなり硬質で聴きづらく前衛音楽みたいに響きました。コレ、ちゃんとした音質で楽しみたいですね。(アレスキー・アンサンブルのCDが棚中に存在する・・・はず。ネット検索で発見!しました)
ヴァルス・カプリース ニ長調(CD表記ハ長調は間違い)作品4(1868年)〜ハンス・カラフス(v)/ヴィルデマン(p)・・・これはもともとピアノ作品ですか?馴染みの懐かしい旋律6分ほどの愉悦だけれど、驚くことにネット検索掛けてもほとんど楽曲情報が発見できない。もちろん音源だってみつけられなくて、もしかして(結果的に)貴重な録音ですか?ハンス・カラフスは、シュトゥットガルト放送交響楽団のコンサートマスターであり、ドイツ・トリオのメンバーらしい。骨太でしっかりとした濃厚な表情です。
このCD(というかシリーズ全般にありがちだけれど)には交響曲第1番ト短調〜第4楽章のみ(中途半端)収録されて、これはビストリーク・レジュハ/スロヴァキア・フィルによる、ローカル色深いもの。これは10年ほど前から全曲盤を所有しておりました。
Brahms (206214-360)からは、交響曲第2番ニ長調〜エルネスト・ブール/南西ドイツ放送交響楽団・・・牧歌的で優しい作品のはずが、弦楽器が金属的鋭角に響いていつもとは様子が違う・・・これは録音問題(あまり鮮明でもなく、広がりも足りない)だけではなく、旋律をふっくらと歌わせないクールな表現が浪漫派の音楽らしからぬ、怜悧でスリムな演奏でした。そのあとに収録される「ハイドン変奏曲」〜ホーレンシュタイン/南西ドイツ放送交響楽団は、広がりもたっぷりで豊かな響きで正直、ほっとしたものです。
(東京での指定の定宿ではネット環境はありません。今時!)
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昨日の朝予想したように、ライブドア株ストップ安(一日で1,500億円なくなった?とのこと)、各マスコミ横並びのの一斉バッシングが始まってますね。IT関連含め、もしかして景気に影響を与えるきっかけになるかもしれない。読売新聞の朝刊では「ライブドア本体も粉飾」となっているから、訴追は免れないかも。世間は「叩いて、やがて忘れる」のだろうが、ワタシは行く末を注目したい。
今朝のホテルでは読売新聞がサービスなので、じっくり熟読。「超・世代論(団塊VS団塊ジュニア)」(2)〜橋爪大二郎・東京工大教授(57)と東浩紀・国際大学グローバルコミュニケーション教授(34)との対談(シリーズらしい)。これが(おそらくワタシの理解不足なんだろうが)何を言いたいのか、切り取りたいのか、生み出したいのか、主張したい対談なのか、まったくわからない。評論的というか、世代の状況の表面をなでた(思い出を語った)・・・みたいな印象を受けました。やはり新聞には”主張”がないと。
昨日来の「横並び一斉バッシング」に対する疑念は、和田秀樹「<疑う力>の習慣術」(PHP新書)がネタ本でした。例えば日本中の合意であろう金正日に対してだって、「あれは完全な悪である」という決めつけはよくないし、戦略、”落としどころ”がないと状況打開ができない、この類の例示が数限りなくされて、読み応えがありました。
2006年1月某日
左足の痛みは大丈夫でしょう。こうして発作は繰り返すのかな?運動が激しすぎるのか(そんなことないと思うんだけどな)、ダイエットは最初の2週間くらいは順調だったが、ここ2週間くらいはやや足踏み状態で、1kg減くらい・・・このほうが正しいのかも知れません。肩が凝ってきたから、風邪をひき掛けかも。気を付けなくっちゃ。
ライブドア本社強制捜査へ〜証券取引法違反の実状はあったのかどうか、これは司直の捜査進捗を待たなければいけないけれど、日本のマスコミはこれで一気一斉に「叩き」に入る、「だから言ったじゃないの、いつかこうなると」的横並びバッシングが始まっているのが気になります。(別に彼の所行を養護するとか、非難するとか、ではないが)まぁ、称揚してみたり、下げてみたり、たいへんでんなぁ。もっと冷静に、しっかり事実を見られないのか。それにしても「ライブ・ドア」の本業ってなんなのか?(金融業か。今回の件で、株価に影響あるでしょうね。業界全体に)
日本総研理事長・寺島実郎さん(この人は日本を代表する良心的知識人だ)が、朝日新聞に「主体的日本とは何か」〜”画一化”風潮(女児殺害に絡んで、ペルー人のイメージ悪化、中韓の反日デモで隣国への嫌悪感が高まっている)は日本だけではない。米国社会では「9・11以降」イスラム教徒への猜疑心と嫌悪は尋常ではない、とのこと。その挙げ句が誤った情報に基づくイラク侵攻であったのは言うまでもない・・・ようはするに、日本は中東であれ、自分のエリアである亜細亜・太平洋でさえアメリカ以上の情報分析を持ち得ないから、独自の判断ができない哀しむべき状況である、と。(たとえ話も的確で見事な文書でした)
昨夜〜今朝に掛けてBach 平均律クラヴィア曲集〜リヒテル(p)(1972/73年)・・・全部聴いたワケじゃないが、これは至福の陶酔の時間であります。「云々と比べて」みたいな比較は掟破りかも知れないが、先日聴いたアファナシエフ盤となんたる違い!幻想的であり、甘美であり、流れはあくまで自然であり、そして打鍵もテクニックも強靱そのもの。ワタシはLP時代からお気に入りでした。けれど、CDで再開して気付いたのは”録音の優秀さ”でした。
残響多過ぎで芯が定まらない・・・そんな記憶(未だにそういう評価も存在する)だったが、もうここまで来ると「良い録音とはどういうことなのか」的哲学の問題でしょ。浅薄なる知識/安物オーディオ環境で音楽を聴いているワタシが言及すべき資格などないのだろうが、音楽雑誌で高評価を得た録音が「?」状態であったことは再三再四でした。(既にそんな雑誌的購読を止めて10年経つ)ここまで気持ちが良く、音楽の姿がよくわかる録音は希有の経験でしたね。
演奏そのものの世評は高いものだけれど、ネット検索してみると興味深いコメントもありましたね。曰く”楽譜の読みが正確ではない。ゆがめている”と。ああ、きっとそんなこともあるのでしょうね(ワタシは楽譜に縁はないが)。でも”正確な演奏”だけが芸術の主たる要素なのだろうか。”第2巻第*フーガのテンポが異様に遅くどうのこうの・・・”に至っては、例の”エエとこ取り文化”を連想させて、枝葉末節・全体視点に欠ける音楽芸術への対峙姿勢を感じさせて少々(言っちゃ悪いが)笑止千万(ゴメン!)な感想でした。”エエとこも、アカンとこも一緒に全体像を楽しむ”ということです。
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広島行き。バスで岡山駅まで行かなくて、ご近所の駅迄十数分歩いて乗り換え〜新幹線〜在来線〜また歩いて・・・お取引先迄。(つまりたっぷり音楽を聴く時間があった)約束の二人以外にもいくつか(人事やスケジュールの)情報をいただいて、有意義でした。で、更に山口迄移動して(居眠りしつつ)音楽聴きました。東横インは新しくて、キモチ良いホテルですね。
昨年2005年10月にまとめて購入したCONCERTO ROYALE3枚組(690円)を、まとめて確認しております。「音楽日誌」を確認すると、それなりに聴いてますね(記憶はないが)。まず「W.A.Mozart 」(206235-360)〜レクイエム K.626(ジュスマイヤー完成版)〜フェルディナント・グロスマン/ウィーン・コンツェルトハウス管弦楽団/ウィーン少年合唱団/エクイルツ(t)/ブッフバウア(b)・・・録音もよろしからぬし、女声ソロは少年合唱団団員担当で音程が不安定と評判悪いし・・・でも、この53分某、冒頭から最後まで、んもう感動の渦でございます。清楚で真面目で、真っさらで、そして少々ヘタクソで。
この一枚はともかく、この3枚組玉石混淆でして、CD一枚当たり@230円の価値はここにあるんです。証聖者の盛儀晩課ハ長調 K.339 & ミサ曲ハ長調K.317〜これがリリング/バッハ・コレギウム・シュトゥットガルト(声楽陣が上手い)、聖母マリアのリタニア変ロ長調 K.109(74e)〜ウルズラ・ブッケル(s)/エドゥアルト・ヴォリッツ(bs)/モーリン・レハーン(a)/リチャード・ヴァン・ヴルーマン(t) テルツ少年合唱団/コレギウム・アウレウム(ロルフ・ライハルト指揮表記はミス。さすがにこれは音質がよろしい)。
アヴェ・ヴェルム・コルプス K.339/ラウダーテ・ドミヌム K.339〜(これが問題の)ヴァール/シュトゥットガルト・フェデリス少年合唱団・・・いえいえ、コレ他の名曲にも増して名曲中の名曲・・・だけど、少々音質が・・・(あり過ぎ。オンマイク・モロ)。通販サイトの紹介コラムで「哀しいくらいヘタクソ」ってあながち誇張でもないか。「エクスラーテ・ユビラーテ」K.165〜ウルズラ・ブッケル(s)/ローランド・バーダー/シュトゥットガルト・フィル・・・これはとても楽しかった。
ようはするに、Mozart 声楽名曲CD3枚組(音質・・・演奏も・・・やや厳しい中で)ちゃんと集中するのは至難の業でして、1/3は眠っておりました。あとは、Tchaikovsky、Brahms 各一枚ずつ・・・は、もう疲れました。ホテルで赤ワイン飲んじゃいました。(ダイエット中なのに)
2006年1月某日
う〜む、左足に痛風発作再発。じつは一昨日から鈍く痛んだけれど、昨日はスポーツクラブも可能なくらいだったのに、夕方から夜半に掛けて腫れと痛みが・・・ちゃんと(尿酸値を下げる)クスリを飲んだり、それこそ減量に励んでいたのになぁ、困った。膏薬も全然効いていない。本日は職場までたどり着けばよいが、明日、広島〜山口、明後日夜には山口(宇部)〜東京へ。なんとか痛みこらえて、ゆっくり動き回るしかないか。残っていた消炎剤飲んで、週末にはスポーツクラブへ行けるよう快復目指しましょう。
先日、出張中に居眠りをしてしまったMahler 交響曲第1番〜レヴァイン/ロンドン交響楽団(1974年録音)←(珍しく)数年前の感想と変わらず、「明るく、わかりやすく、良く歌う、オーケストラ・コントロールに優れた演奏」。彼はメジャー・レーベルにたくさん録音がある(あった)が、ワタシはあまり沢山聴いていないんです。しかし、Wagner「リング」(メトロポリタン1987〜89年。ま、正直全部集中して聴いた訳じゃない)やら、昨年2005年末まとめて聴いた、ミュンヘン・フィルとの録音(1999年-2003年)その路線はあまり変わっていないようであり、一方でオーケストラの個性が良く表出される(ミュンヘン・フィルとでは、録音を聴く限りやや味が薄いか)ようでもあります。
待望の入手であった、Mozart 「ドン・ジョヴァンニ」〜ロスバウト/パリ音楽院管弦楽団/エクサン・プロヴァンス音楽祭合唱団(1956年これはスタジオ録音)一枚目に突入いたしました。マニアには評判イマイチのようだけれど、ワタシはその推進力にココロ奪われましたね。(なんせ、あまり他のを聴いていないし)アントニオ・カンポ(ドン・ジョヴァンニ)って、どなたですか?(スペイン人らしいが)ダンコ(ドンナ・エルヴィーラ)、ゲッダ(ドン・オッターヴォ)、シュテッヒ・ランダル(ドンナ・アンナ)など、著名な役どころに加えて、アンナ・モッフォ(ツェルリーナ)迄加わっているのに少々驚き。
ワタシのような初心者には、歌手の表情豊かな表現やら、ロスバウトの引き締まった(素っ気ない?)表現が快感でしたね。
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朝、靴を履くときにはたいへんだったが、夕方にはかなり痛みは治まっておりました。これなら、明日からの出張にも(きっと)支障はないはず。ま、減量の努力は続けているが、年末から(記憶にあるだけで)”旨いもん喰うた”のは6回ほどあるし、やはり”美食”のツケか?明日明後日と出先での節制と、東京ではスポーツクラブに行くことを目指します。少々、到着遅いが。
ここ数日聴いた音楽の落ち穂拾いを・・・Elgar オラトリオ「ゲロンティアスの夢」〜作曲者指揮ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団/王立合唱協会(1927年)。これは44分しか収録がないので全曲録音の抜粋か、と思っていたら、もともとこれしか録音は残さなかったみたいですね。(ネットでの検索結果による)当然、年代が年代だし、かなり針音盛大なる貧しい音質ながら、想像よりずっと聴きやすい。以前初めて聴いたときは”清楚なるWagner”的感想を抱いたけれど、なるほど旋律が甘く雄弁。
この作品はゲロンティアスが亡くなりつつある時の宗教告白(神との対話)なんですね。20世紀ともなると、たんなる聖書からの引用ではなくて、個人に焦点を当てた宗教作品が成立するのか。説教臭い厳格さではなく、ハープは神に近づく甘い悦楽を表現しているようであり、激しく叩き付けるティンパニ激情を表しているようでもあります。合唱は劇的な感銘に充ちておりました。抜粋でも、音質条件が整わなくても、魂が揺さぶられるような感動が存在します。収録されるのは
前奏曲
神よ、哀れみ給え(従者たち)
ああ主よ、この苦しみの時から彼を救け給え(従者たち)
この世から旅立ちなさい! 神の名によって(司祭と従者たち)
いと高きところでは、聖なる方をほめたたえよ(天上の合唱)
さあ、もう入り口です(ゲロンティアスの守護天使)
イエス様! あなたを襲った身の毛のよだつ恐怖(苦悩の天使)
私を連れて行ってください(ゲロンティアスの魂)
全体の1/3くらいかな?
2006年1月某日
一昨日から雨模様で、こんなに降るのも久々か。気温もずいぶんと和らいで、今朝は上々の天候です。「CD購入は控えめに、しっかり手持ち音源を大切に、ていねいに・・・」との決意空しく、某ずっと探していた音源をサイト上で発見、送料サービスとの関係もあって購入逡巡していた別CDと抱き合わせで注文しちゃいました・・・というか、自分のパスワードでログ・インしたら「カート」に入れっ放しになっていた、というのが実体です。(全部揃ってから送付してね=できるだけ遅くに到着期待)出張続きで些少なる手当が浮くと、それに全部費やしてしまう・・・(赤字ではないが)。
Grofe 組曲「グランド・キャニオン」〜スタンリー・ブラック/ロンドン・フェスティヴァル管弦楽団((p)1963)・・・この作品は特別好き、というわけでもないが、こどもの頃楽しみにしていた日曜夜の「ディズニーランド」を思いだして愉快な気分に浸れますね。これは「フェイズ4録音」(Phase4 Recordings)〜1962年に英DECCAが採用したマルチ20チャンネル録音とのことで、もともとポピュラー系に使われていたのが、ストコフスキーに採用されてクラシック音楽ファンにも馴染みになったもの。現在(いま)となっては、あまりに強調された左右の分離、不自然なる音場と中抜け状態、なによりアナログ音源の劣化が目立って少々苦しい(ここでは依然とかつての品質保持)か。閑話休題(それはさておき)
スタンリー・ブラックは”2002年に亡くなった “ムード・オーケストラ最後の巨匠”とのことだけれど、ここでは作品とオーケストラの技量(録音用臨時編成か)+あざとい録音相まって派手派手しく、楽しく、痺れちゃいますね。「山道をゆく」では、馬の蹄が中央から右に移動する、とか仕掛けが一杯〜ノーミソ空にして堪能しちゃいました。嗚呼、いかん!コムツかしい独墺系音楽、しかも眉間に皺の歴史的音源ばかり聴いていると世間から遊離する!「大峡谷」系の音楽こそ王道だ!(?)
繰り返し聴くような音楽でもないと思うが、手持ち音源確認。バティス/ロイヤル・フィル(1990年頃?)は有名なカルヴァーハウス(有名優秀なるレコーディング・エンジニアだけれど、彼の作るCDには「フェイズ4」的味わいがある)録音で、その迫力たるや”な〜んも言わんでカラダで感じてちょうだい”的生理的快感に溢れて、スタンリー・ブラックとエエ勝負か。(ネット検索すると、「処理が大味。また強奏でアンサンブルの精度が低くなってミスも散見される。ソロも不安定」とのコメントを得たが、この方はこの作品に何を求めているのか。精緻な集中力か、精神性か?ごジョーダンを!)
”録音で有名”といえば、カンゼル/シンシナティ・ポップス管弦楽団(1985年)でしょう。たしかに適度な距離感と奥行き感じさせ、雷鳴の効果音だってワタシはそういう趣向は大好きなんです。でも!(序曲「1812年」でも同様だけれど)世間に称揚されるのが信じられない(ま、世評なんてあてにならないし、あてにしたこともないが)くらい演奏がまったくツマらない。元気がない。(売り払うことを決意。喜んで購入される方もいらっしゃることでしょう)
で、結論的にワタシのお気に入りはフェリックス・スラットキン/ハリウッド・ボウル交響楽団となります。やれ編成が小さいだの、録音が少々落ちる(そんなことないと思うけどなぁ)みたいなコメントを拝見したしたことがあるけれど、明るさと節度と配慮が行き渡った素晴らしい演奏だと思います。(バーンスタイン盤は昨年2005年購入したけど、ちゃんと聴いておりません)
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午前中、恒例CD棚卸し(文字通り)・・・少々処分すべきはする(数日後にまた届くし)、ということで紙袋満杯分選択、そのまま女房とスポーツクラブへ(中5日空きました)、いつもの生パスタ(通常食)をお昼にいただいてBOOK・OFFで処分(これで今村店はクラシック在庫がしばらく潤沢でしょう)。体重は安定的に70kgを切るようになって、第2次の目標である68kg達成は射程内へ・・・さらに65kgを目指しましょう。
Ravel 「ボレロ」「パヴァーヌ」「スペイン狂詩曲」「ダフニス第2組曲」〜シャルル・ミュンシュ/パリ管弦楽団(1968年亡くなる一ヶ月前の録音!)じつは昨日購入したもので、15年ぶりの邂逅となりました。(地方在住の親しい方の希望に応じて譲ってしまったもの)驚くべき鮮明な録音だけれど、それ以上にこの常軌を逸した興奮はなんたることか。遅めのテンポ、セクシーで粋な各パートのソロが、自然と高まる感興を抑えられず自ずとテンポ(ヒート)・アップしていく驚愕!のボレロ。
ヴィヴラート豊かなホルンが妖しい「パヴァーヌ」、スペインの陽光眩しいリズムのキレたっぷりな「スペイン狂詩曲」、万華鏡のように多彩で華やかな「ダフニス」のラスト輝かしい大爆発!もしかして(早々に)「2006年・各自勝手にアカデミー賞」候補か。
(CD棚卸しの成果で発見!)「MARLBORO MUSIC FESTIVAL 50th Anniversary Album」(Bridge 9108A/B)〜一枚目(再)確認。Beethoven 4手ピアノのためのマーチ 作品45(セシル・リカド/ホルショフスキー1979年)、Verdi 弦楽四重奏曲ホ短調(ピーナ・カルミレッリ、グラント(v)、カッツ(va)、レオナルド(vc)1969年)、Schubert 「岩の上の羊飼い」D.965(ヴァレンテ(s)、ハロルド・ライト(cl)、ルドルフ・ゼルキン(p)1969年)、Mendelssohn 弦楽四重奏曲イ短調 作品13(ランバート、矢島廣子(v)、ムーアクラフト(va)、ソフィエ・シャオ(vc)1995年)・・・曾孫と曾祖父といった年齢(とし)関係のリカドとホルショフスキーの楽しげな連弾、イ・ムジチのリーダーとして活躍したカルミレッリを中心としたアンサンブルは、Verdiの思わぬ豊かな旋律の作品を際だたせます。
でもね、この一枚の最大の成果は「岩の上の羊飼い」でしょうね。ワタシは昔から大のお気に入り作品でして、ベニータ・ヴァレンテ(この人は宗教作品を録音してますね)とハロルド・ライト(ボストン響主席。1993年8月に急逝)の掛け合い(絡み合い)もしっとり素敵だけれど、やっぱり(影の)主役はゼルキンでしょうね。歌詞の意味合いも、なにもわからないけど、シミジミ人生を思うような深いピアノであります。
2006年1月某日
夜中に目覚め(とくに出張中ホテルではいつもだ)テレビを付けたら、金聖響(エエ名前だ)さんの「英雄」途中でした。徳島では大阪のテレビなんですね。(深夜とは言え、民放でこんなん演るなんて!)オーケストラは大阪センチュリー交響楽団(ネット検索してわかった「聖響/ウィーン古典派 最終章」)若い人、女性、外人さんも多いようで、古楽器テイスト(良い意味で、やや粗野・ソリッドな響きが魅力)の上手な団体との印象を得ました。金さん、リキみもなくて的確な指示ですね。見ていて楽しい。終楽章変奏途中でテンポアップ!の自然で効果的なこと。
練習風景とか、彼の(コテコテ大阪弁の)コメントも挟まって(この作品の調性はとても難しい、と)Haydnの「告別」始まりました。件(くだん)の終楽章はテレビ映えというか、実演映えしますよね。(Mahler 並か?)まず、ホルン(の目配せ)を合図に金管木管群が徐々に立ち去ります。ファゴットの親爺がお隣のオーボエ女性に合図して立ち上がり・・・弦が続き・・・ついに数人となり、チェロ氏が指揮者に赤いバラ一輪を投げ、「退場」と書かれた扇子を広げ(ここら辺りが大阪だ)、指揮者も退場!弦二人で寂しく全曲を閉じて大受け!(2005年11月27日大阪シンフォニーホール〜満員でしたね)
ことし2006年はMozart なんだな、やっぱり大阪は都会だ。ご当地・岡山でも意欲的なプログラムを期待します。(在徳島ホテル)
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帰宅いたしました。バスにて帰岡中、ケータイに連絡有(当然出られない)伝言を確認すると、商品調達上のトラブルでした。事務所に(ようやく使えるようになった)ケータイ・メールで状況調査対処指示、お取引先にもメールで返答〜無事クリアいたしました。昨夜は少々酒も食も過ぎた(以前に比べればずいぶんと自粛しているが、少なくともダイエット食ではないな)し、朝はホテルでサラダ、野菜ジュース、牛乳+ウィンナー一本のみのカルい食事で抑制。お昼までにずいぶんとハラが減ったが、帰宅後体重を量ったら60kg台維持だったので、お昼はそこそこにいただきました。
移動時間が長かったので、ずいぶんと音楽聴けましたね。まず、DOMENICO Scarlatti ソナタ集(第26巻)〜ギルバート・ローランド(Gilbert Rowland, cem)(1989年英国PINNER録音 KEYBOARD KGR 1026CD)にて。(12曲集録)この人はNAXOSにも録音があるようだけれど、全曲録音していたみたいですね。ワタシは10年以上前、個人輸入で5枚ほど入手いたしました。1974年作成の楽器であって、録音のマジックだろうが”良く鳴る”といった印象ながら、リヒターやらヴァルヒャなどの金属的大音量現代楽器とは一線を画します。やや音質がカタく、オンマイク過ぎか。やはりピアノのほうが細かいニュアンス表現には向いているのだろうが、溌剌躍動する演奏であります。(少々、聴き疲れするか)
珍しいファゴットばかりの一枚〜Boismortier ファゴット協奏曲ニ長調〜ジョージ・ズカーマン(fg)/フェルバー/ヴュルテンベルク室内管弦楽団、Couperin(Francois) 2本のためのファゴットのための協奏曲ト長調〜ズカーマン+ゴーデ(fg)、DEVIENNE 弦楽とファゴットのための四重奏曲ハ長調〜ズカーマン(fg)/ラウテンバッヒャー(v)ベアー(va)ブリース(vc)、CORETTO 4本のファゴットと通奏低音のための”ラ・フェニックス”〜ズカーマン、ゴーデ、ヴォルケン、スタインブレッヒャー(fg)・・・これLP時代からお気に入りでした。このCDはデザインを忠実に再現しております。(CARTON 30371 00042。だから収録42分しかない)
いやぁ、ノンビリして楽しいですなぁ。ズカーマンって、どんな出目か調べが付かなかったけれど、昔からコロムビア・ダイヤモンド1000シリーズで馴染みでしたね。ユーモラスで軽快で鮮やかな演奏です。Weber+Mozart の協奏曲もお見事でした。録音も良好。
R.Strauss ホルン協奏曲第1番 変ホ長調〜ブレイン(hr)/オーボエ協奏曲ニ長調〜レオン・グーセンス(ob)/ガリエラ/フィルハーモニア管弦楽団、Weber ファゴット協奏曲ヘ長調〜ギディオン・ブルーク(fg)/サージェント/リヴァプール・フィル(いずれも1947年)・・・TESTAMENT SBT-1009だけれど、いつ、どこで、いくらで購入したのかまったく記憶がない(記録もない)。500円くらいかなぁ。ブレインのホルンは気高く豪快だけれど、オーボエ協奏曲のほうはやはり音質が少々厳しくて、さわさわとした清涼なサウンドが良く感じ取れない。ブルークのファゴットは、ズカーマンに負けないくらい楽しい演奏。(作品も大好きだし)
Pierne' バレエ音楽「シダリーズと牧羊神」(第1/2組曲)「ラムンチョ」序曲〜ジャン・バティスト・マリ/パリ・オペラ座管(1976年)・・・以前”初期Stravinskyのテイストでもっと大衆的、わかりやすくしたような楽しい音楽でした。華やかで、粋な味わい”とコメントしたが、その通り。「火の鳥」をより洗練させて、軽快に多彩にしたような作品だし、パリのオーケストラがややラフでエエ感じです。「一糸乱れぬ」的演奏は、作品によっては似合わない。
エリク・T.タヴァッシェルナ(p)によるSibelius のピアノ作品集〜組曲「キュッリッキ」作品41/ソナチネ第1/2/3番 作品67/二つのロンディーノ作品68/ピアノ・ソナタヘ長調 作品12/フィンランディア 作品26(この曲のみヴィータサロとの連弾。1994年録音)・・・室内楽との2枚組を買ったきり、失念していたもの。先入観としてはGriegみたいな、ちょっと懐かしい田舎風旋律かと想像していたら大違い!もっと洗練されて、上品で変化の大きい旋律連続。コレ、けっこう穴場の素敵な音楽ですね。
ラストElgar 交響曲第1番 変イ長調(1976年)/セレナード ホ短調/朝の歌・夜の歌〜ボウルト/ロンドン・フィル・・・いや、もう、これは盤石の自信に溢れた黄昏の音楽。ゆったり深呼吸するような、ジミでカッコ良くなくて、過去を振り返るような後ろ向きな〜ワタシはこんな音楽が大好きです。
2006年1月某日
昨日昼休み、切符買いに外に出たついでに馴染みの中古屋さんを覗いたら、エド・デ・ワールトのMahler 全集4,000円台で売ってました・・・じつは数年掛けて「あと残は第3番のみ」迄到達したが、ちょうどそのくらいお金は掛かっているんですね。出会いとはこんなもんか。まぁ、いいや。あわてない。ヤルヴィのSibelius 交響曲全集(旧)が、やはり「あと残は第7番のみ」状態でして、両者ともレギュラー価格で入手可能だけれど、いつかはそれなりにこなれた価格で出会えるでしょう。ムリしません。それと、Bach 平均律クラヴィア曲集第2巻〜ヴァレリー・アファナシエフは、購入自粛しました。3回くらい見送って、売り棚に生き残っていれば、それは縁があった、ということなのでしょう。
先日「ドン・ジョヴァンニ」憤死事件から、音質良好なる音源買わなくっちゃ、とは思っていたけれど、じつは今週の東京で以前から機会を狙っていたハンス・ロスバウト盤(1956年)入手・・・って、これは「フィガロ」(1955年エクサン・プロヴァンス・ライヴ)との組み合わせ(海賊盤ながら既に音源入手済み=ダブり。素晴らしき演奏)なんですね。「ドン・ジョヴァンニ」はこれから聴くけれど、「フィガロ」序曲で音質比較確認・・・ははぁ、なるほど。これはかなり違いますね。さしたる元々の音質でもないが、さすが正規盤(仏EMI 7243 5 72195 2 5 5枚組税込1,974円なら良心価格でしょ)の明快さがありました。それにしても、モウレツなテンション推進力!たった3分ほどの大爆発。
昨夜、Smetana「高い城」「モルダウ」〜ターリヒ/チェコ・フィル(1941年)の貫禄に感心し(正直、この作品だったらどんな演奏でもほとんど例外なく楽しめる)、Brahms ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調〜ゲーザ・アンダ(p)/クレンペラー/ケルン放送交響楽団(1954年)・・・燃えるようなソロ・バックとも激高した演奏であって、アツさで言えばリヒテル(1960年)以来の一期一会的な完成度を誇っておりました。音質云々乗り越えて、元気な時にに聴くならこんな方向も悪くはない。
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今朝、いつもより少々早めに女房に最寄りの駅まで送ってもらって、高松へ。中四国エリアであるワタシの営業範囲では一番(相対的に)疎遠なところだけれど、ま、つきあいも長いし、知っている人も多いし(流石、ヴェテラン営業マンだ=エエ年齢ということですな)皆、ニコニコして迎えて下さるし、ましてや昨日既に「これでお願いね」とメールも入れて(提案書とも言う)いたし、ご商談は実にスムース。二人こなして、その上司(じつは15年来のお友達)と立ち話し(あちらから声掛けられて)で、新年度の進め方(ワタシがいるかどうかは別にして)をそこはかとなく・・・
予想よりずっとさっさと用事は終了して徳島へ。ここもしばらくサボっていたので久々〜早めに到着しちゃったので、3階の会議室があるフロアで本など読んで時間をつぶしていたら、現場系責任者の会議だったんですね。休憩中に皆出てきて、見事に知っている人ばかり。当該のご商談相手は恐縮して下さって、会議終わり次第「すみません!待たせちゃって」と。
これも事前準備万全で、予想外にスムースに終了。岡山まで帰ってもいいんだけれど、既にホテルも帰りのバスも予約済みだし、久々、徳島の海の幸でも・・・それに数年前に堪能した床屋さんにも行きたかったし、ということでチェック・イン。ワタシが出張用として泊まるホテルでは最高の水準・・・のハズが、トイレが少々小便臭い・・・清掃不足!床屋さんに行く前にフロントに再清掃をお願いしておきました。
徳島の小さな駅横床屋さんは2,000円でっせ、「お時間ありますか?」ってたっぷりありまっせ。一時間以上、しっかり肩も揉んでいただいて至福の時間。で、見事60kg台安定突入(=マイナス5kg)ダイエット作戦を中止して(馴染みの)”居酒屋とくさん”(←この紹介は店の雰囲気を正確に表現していない)で、旬の魚+贅沢フグ入り湯豆腐+(日本酒)→早々に店を出て(悪しき禁じ手)徳島ラーメン迄!(でも、ホテルに戻ったのは夜8時台でっせ。ワタシはそんなパターンです)
移動中に(たっぷり)聴いた音楽は帰宅してから、ということにして、移動中+飲み屋でも少しずつ本を読んでました。渡辺一枝「チベットを馬で行く」(文春文庫)とうとう読了。
人は様々旅をし、けっきょく自分が本来持っていたものを持ち帰る
ゲーテの名言だったか、こどもの頃から”チベット大好き”主婦(椎名誠夫人)が、ツァーのクルマ移動に飽きたらず5ヶ月掛けて馬上で、ゆったり現地の景色風景人々事象との交流・事件・トラブルを楽しみながら、ゆったり旅程は進みます。ハプニングばかりようで、なにもなかったように順調でもあり、結局、彼女は家族のことを思うのであります。
母親との確執(とうとう和解できず亡くなってしまった)、娘との微妙な心情の揺れと反省と後悔と・・・そして通じ合う心。川口慧海「西蔵旅行記(チベット旅行記)」は 彼女の愛読書だったらしいが、ワタシも(ココロ踊らせて)堪能したのは若き日の頃か。(旺文社文庫〜引っ越しで処分しちゃったな)終わりに近づく旅に、読み手であるワタシでさえ寂寞と名残がひしひしと伝わる、静かな感銘がありました。(蛇足だけれど、彼女の底脈に流れる”反権力”の思想に別種の共感を覚えます)
2006年1月某日
寒いですね。寝床から出たくない感じ。昨日、お店を回ったら野菜は高騰してますね。一昨年末並か。
3日程前、少々苦言を呈した、Bach 平均律クラヴィア曲集第1巻〜ヴァレリー・アファナシエフ(p)(1995年)だけれど、(これも)自宅オーディオで確認すると印象が変わりました。「音色の磨き上げを狙わない。ピアノが美しく響かない(芯が甘い)」 〜磨き上げはともかく、部屋で鳴らすと適度な残響がとても聴きやすいピアノであります。”芯”もちゃんと有。ミケランジェリの”いかにも海賊収録ほとんどモノラル・ノイズ多”だったら、ヘッドホンで聴いても手応え充分だったが、我らがDENONの名録音(思想哲学を持った録音)だったら、やはり”聴き方”の配慮が必要なのでしょうか。「暗い、鬱陶しい」感じはやはりあって、それは悪い意味だけではなく、まるでピアノでマタイ受難曲を聴いているかのような、荘厳な重い味わいも感じたものです。(第2巻も購入するか?)
ボストック/カールスバード交響楽団のDvora'k 「新世界」は、東京からの帰り(新幹線中)、帰宅してから、更に昨夜と既に3度聴いております。ま、小学生時代からの馴染みで、お気に入りの作品でもあるし、気軽に確認可能。これが聴くたびに印象が微妙に変わっちゃう。オーケストラが鳴らない、明らかにメカニック的に少々怪しいアンサンブル、木管が目立つのはピッチが不安定故か、しかも金管の響きにコシが足りない・・・弦にさわさわとした奥行きなく、強奏で響きが濁る・・・それでも、この演奏には素朴な味があります。元気が足りないのじゃなくて、ノンビリした味わいなんでしょう。イングリッシュ・ホルンによる「家路」の旋律など、これほど田舎風非・洗練系の懐かしさは経験したことがありません。
第3楽章のスケルツォには躍動があり、最終楽章は弦薄く、木管ピーヒャララ状態で頼りない・・・それでも、これは優秀剛力オーケストラとは違う世界として存分に楽しめました。
今朝、Smetana 「勝利の交響曲」(祝典交響曲)ホ長調 作品6〜ヨセフ・フルンチージ(Josef Hrncir)/プラハ放送交響楽団(1980年 QUADROMANIA 222173-444 Smetana4枚組 1,490円より。発売当初購入した価格) を。勇壮で明るく、時々「皇帝賛歌」(例のHaydnの)が聞こえます(勘違いですか?)。演奏的にも音質的にも少々硬さががあるけれど、珍しい作品を安価で提供して下さって感謝すべき貴重なるCDでしょう。問題は全41分1トラックしかない!という雑な編集です。(それと、同じセット中にこの作品の「スケルツォ」のみ、Otokar Tvrdy・・・読めない/パルデュビチェ音楽院学生管弦楽団・・・当然固有名詞エエ加減読1994年も収録されている)
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終日、分析解析提案資料作り。考える仕事、まとめる仕事、というのも久々で”やればできるじゃん”という感じか。ちょっと嬉しいね。減量始めてから体調も快調(当たり前だけれど、カラダが軽い感じがする)だけれど、右目奥の偏頭痛には困りました。ま、一日中パソコンと睨めっこだしね。明日、早朝よりいよいよ西四国への旅・高松〜徳島へ。JR四国は鈍足であり、移動時間が長いので途中音楽を聴くのが楽しみです。読書も。
BBSにありがたい書き込みがあり、Handel 「メサイア」〜サージェント盤(1959年)に於ける、ハダースフィールド合唱協会とはアマチュア団体とのこと。その誠実・豊かなる歌唱には頭が下がる思いであります。(たしか、この前にもサージェントとのモノラル録音があったはず)そのまま週末(今週は土曜にお仕事引っかかる)休みで、来週は広島〜山口〜そして再び(花の)東京です。
2006年1月某日
昨日の会議に北海道から参加した(大阪時代の)元・上司も「今年の冬は酷い」と言っておりました。雪に慣れた北国の人でもキツい冬ながら、温暖なる岡山では所詮知れたもの。でも、ワタシは(北海道出身ながら、いえ、だからこそ)もうこんな寒さにはダメですね。昨日、会議は予想より早く終わったが、いつもより一本遅めの新幹線を予約してました。700系は(500系に比べ)揺れも騒音もマシですね。連休あとのせいか、空(す)いていたのもありがたい。お隣はとうとうラストまで空席でした。渡辺一枝「チベットを馬で行く」は半分くらいまで。彼女の旅のように、読了もゆっくりと進みます。ポータブルCDは本体を替えても、イヤホンは変わらずTEACのオープン・エア・タイプを(ずっと)愛用しております。これが聴き疲れしないんです。
しかし、これはこれで音源との相性があって、収録音量レベルが低いと(新幹線騒音中では)もうダメですね。昨日帰りで言うと、Brahms 交響曲第2/4番〜ヴァント/北ドイツ放送交響楽団(1983/85年)がそれで、サウンドが細く、頼りなく、痩せて、神経質に響いて楽しめない。厳しい集中力は類推付かないでもないが、様子がよくわからない。これは再度、機会を改めて自宅オーディオの条件を整えて(聴き手のココロの準備と音量アップで)確認しましょう。
収録音量問題と+もう一点。じつは、新幹線出発まで時間の余裕が出たので、渋谷タワーへ。東京には(既に売り切れたと思われる)在庫があるんです。QUADROMANIAの「THE BOHEMIAN MASTERS」(22198-444 これは通販では在庫切れ)990円で入手出来。(1,480円くらいなら他で探せたが)これはボストック/カールスバード交響楽団の「新世界」(1996年録音。チェコ初演の団体とのこと)もそうだけれど、FIBICH、NEDBAL、FUCIK、NOVA'Kという少々マニアックな、ボヘミヤ作曲家の秘曲に注目していたもの。ボストック盤(〜を聴くシリーズ)はBBSでも話題にして下さっていて、一度聴いてみたいものだ、と思っておりました。
これが新幹線・ポータブルCDプレーヤーと、自宅(安物オーディオ)ではずいぶんと印象が異なります。騒音中では様子がわかりにくいのと同時に、ヘッドホンで細部迄(各パート良く分離して)良く聞こえる、という矛盾した状況が生まれて、ああ、鳴らないオーケストラだ(迫力説得力に欠ける)、木管がやや怪しく前面に出ている・・・そんな感想が、自宅で再聴すると全体サウンドが溶け合って、それなりに素朴で鄙びた味わいはけっして悪いものではない。個人的には第1楽章繰り返し有がとても嬉しい。
(一昨日のアファナシエフもそうだけれど)ピアノ・ソロとの相性は悪くないみたいで、ミケランジェリのBach 「シャコンヌ」(Busoni編 1973年)、イタリア協奏曲(1943年)、Scarlattiソナタ集(7曲 1943/69年)、Galuppi「プレスト」(1941年)ピアノ・ソナタ第5番ハ長調(1962年)・・・例の激安10枚組に収録されるものだけれど、音質のばらつき乗り越え、どれも例外なく圧倒的説得力を誇りました。「シャコンヌ」はヴァイオリン一挺で無限の宇宙を表現するが、Busoni編では浪漫の劇性方面に徹底的に振っていて、聴き手のココロを揺さぶる迫力有。イタリア協奏曲の明快推進力(グールドを上回ると思う)、Scarlattiの短い各楽曲の性格を、鮮やかに描き分ける技量(テンポの速さは技巧を誇示するためのものではなくて、あくまで表現意図として存在する!)、なんの変哲もないような(凡庸な?)Galuppiの旋律をここまで楽しませて下さるマジックの連続。
一昨日夜購入したのは、じつは「ENGLISH CHORAL CLASSICS」(cfp 7243 575758 2 9 6枚組)でして、その中からHandel 「メサイア」(全曲)〜サージェント/ロイヤル・リヴァプール・フィル/ハダースフィールド合唱協会(1959年録音。プラウト編曲版を基本としたサージェント版とのこと)・・・これがなんとも素晴らしい・・・と、時間切れです。出勤時間が迫りました。体重(体調)維持、やや減量傾向、快調です。
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昼から異動直前(といってもお隣の部署だけれど)の上司とともに、地元取引先と定例打ち合わせ。状況交換というか、視点を一体化できるかが問題であって、そういった意味では”気持ちは通じている”というか”まだ、チャンスをいただいた”といったところ。そのまま、(取引先の)知り合いにクルマで自宅まで送っていただきました。(大名帰宅状態)
午前中、諸作業消化、といってもほとんど何もお仕事やる気が起こらず、それでもいろいろとスケジュールは埋まっていく・・・徳島の取引先(しばらく行くのをサボっている)のご担当が入院ということで、その代理の人と急ぎ商談しなくっちゃいけない・・・(と、いうか、実際上当面の企画をワタシが作ってあげないと)で、週末急遽出張。ついでに先月サボった高松にも行かないとなぁ、でも、メンドーだなぁ・・・と逡巡していたら、当のお相手から「最近来ないじゃん!」とケータイが!(以心伝心か?)で、西四国地方出張朝一番から、決まりました。明日、終日その準備・・・って当たり前の(いつもの)お仕事なんだけど。(もう、遅くなりそうなので徳島に泊まります。ホテル取りました)
昨日のHandel 「メサイア」(全曲)〜サージェント/ロイヤル・リヴァプール・フィル/ハダースフィールド合唱協会(1959年)の件。音質も意外と良好なステレオだし、弦を主体とした穏健派のバック(とてもニュアンス細かい)に、ゆったり豊かな合唱が快く(延々144分間)響きます。(ソロはエリーゼ・モリソン(s)マージョリー・トーマス(con)リチャード・ルイス(t)ジェイムス・モリガン(s))もちろん、最近の軽快なリズム感溢れる古楽器系演奏ではないが、大仰なる巨匠時代の違和感は存在せず、自信と歴史を感じさせる盤石の安定感と説得力。歌い手が”最近、おらんね”というくらい、気高い尊厳を感じさせます。(とくにリチャード・ルイス)
静かで激昂しない、余裕の「メサイア」。それでも「ハレルヤ・コーラス」の盛り上がりは喜ばしく、充分華々しい。合唱は常に暖かく、優しい。CD2枚分タップリ気持ちよく楽しめました。(比べちゃいけないが、同じような?弦楽器主体のバックであるショルティ盤はほんまにツマらなかった)
2006年1月某日
ホテルでゆっくりしてます。本日これから渋谷で会議だけれど、始まりは遅いんです。「ビランクス・ヨガ」の効果は絶大で、全身あちこち痛い・・・これが快い痛みでして、一週間に一回くらいやったらいっそう効果壮絶!と想像されますね。「CD購入は控えめに、しっかり手持ち音源を大切に、ていねいに聴き直すという方向でいきましょう」と新年近況で決意したばかりだけれど、花のお江戸はCD品揃え豊富で、しかも安い。ま、アファナシエフに連続して、とは思ったが、某珍しい英国声楽集も購入しちゃいました。(ちゃんと聴いてから種明かし)
新幹線移動中(行き)に聴いた他の音楽の件。まずストコフスキーのバロック音楽・・・Bach プレリュード(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ ハ長調 BWV1005より)/シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ ニ短調 BWV1004より)/アリア(管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068より)/小フーガ ト短調 BWV.578(以上ロンドン交響楽団1974年)/Handel 組曲「水上の音楽」/「王宮の花火の音楽」 (RCAヴィクター交響楽団1961年)から。
Bach の魅力は演奏スタイルを選びません。むせ返るような浪漫的極色彩濃厚表現でも例外ではない。「シャコンヌ」を聴いていると、ヴァイオリンのみならず各種弦、木管、金管、そしてティンパニさえ「この美しい人類の根元的懊悩の詠嘆に、ワタシも参加させて下さらぬか」と次々と参集しているかのような錯覚に陥ります。
Handel のほうは、もとよりこの華やか分厚い響きに違和感なし。但し、LP時代の「花火の破裂音」がこのCD(BVCC-8901)には収録されないのが残念。次はR.Strauss 「ツァラトゥストラはかく語りき」「英雄の生涯」〜ライナー/シカゴ交響楽団(1954年)(ワタシのはRCA 09026-61494-2 通常盤SACDに非ず)あまりオーディオは気にしない(わからない)ほうだけれど、これは新しいマスタリングで一度聴いてみたいですね。
峻厳なる集中力と強烈オーケストラの迫力を伴って、妖しい推進力演奏だけれど、残念ながら初期ステレオの音質劣化が気になる(とくに「ツァラ」)・・・というか、作品が作品でオーディオ映えすることははっきりしてますから。トランペットはハーセスですか?ほんまに輝かしい。ヒリヒリするような切迫感ありますね。ショルティ盤との印象の違いは、いったいなんだろうか?
Mahler 交響曲第1番ニ長調〜ジェイムス・レヴァイン/ロンドン交響楽団(1974年)・・・これは眠ってしまいました。
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朝がゆっくりで時間をつぶさなくっちゃいけない、ということで、目黒駅前の”ウェンディーズ”2階でコーヒー飲みながら音楽+読書継続。パーテーションがあって奥側は喫煙エリア・・・よろしい傾向ですな。ところが、禁煙エリアで煙草を吸うアホがいる。煙草は吸いたいが、(他人の)煙充満エリアには居たくないということか。立ち去ったあとのテーブルを見るともなしにみたら、そこだけ「禁煙マーク」貼り忘れているんですね。エエ加減にせい!
今朝、聴いた音楽はJOHN STAINER(1840-1901)「The Crucifixion」(キリストの磔刑)〜バリー・ローズ/ギルドフォード教会合唱団/デヴィッド・ヒューズ(t)ジョン・ローレンソン(br)/ゲヴィン・ウィリアムス(or)(1968年)・・・1分〜長くても4分くらいの短い作品が延々20曲で構成される(間違いなく)宗教作品。計56分。(英国正教会か?)ココロ空しゅうして聴くべき清涼なる声楽の連続であって、歌詞の意味合い(神と英国国王への賛美か?)理解できず、しかも無神論者(神々しいものに対する畏敬の念は失わないが)のワタシでも、爽快敬虔なる(静かな)感動に包まれます。それにして、動きの少ない、劇的浪漫方面に旋律を煽らないところが”いかにも英国!”だ。
2006年1月某日
さて、いっそう寒い東京へ昼から出発。明日終日会議。ま、ともかく新年の早々新生児誘拐事件が無事解決してよかった。ネット社会の普及で「報道協定」のあり方が難しくなった、との朝日新聞に掲載があったが、なるほどねぇ。新しい法律案で「匿名にするかどうかは警察が決める」旨(エラいこっちゃ)の趣旨はこの辺りのこともあるのでしょうか。今朝も体重維持(ムリしてこれ以上急激に減らす気もないが、ダイエットの方向は見えた感じ)。健康第一。
昨夜、今朝(早朝)と久々、Bruckner三昧であります。このサイト開設初期(2000年前辺り)に、ティントナーとかレーグナーを素直に楽しんでいた頃が懐かしいくらい、ワタシはずっと混迷を深めておりました。やがて幾星霜、ヨッフム/ドレスデンの全集(EMI)はBRILLIANTの廉価ボックスになった(かつてのEMIボックスより高い?)のも感慨深いもの。閑話休題(それはさておき)交響曲第5番 変ロ長調(1980年)を久々に拝聴いたしました。
もともと大好きな作品だけれど、ヨッフム特有の”煽り”、ややムリムリなテンポ変化に(かつては)敬遠状態だった記憶有。でもね、久々の拝聴ではシュターツカペレ・ドレスデンの涼やかなブルー系の響きに魅了されて、ひたすらキモチがよろしい。いつもはクソミソに言うことも多いEMI録音(中低音、奥行きが薄い、と)も、ここではかなり快調じゃないですか?77分間、爽やかな空気溢れて、一気であります。(かつてエエ加減なコメントした、第7番ホ長調1976年も第1楽章のみ確認したが、ほぼ同様の感想)
引き続き、同作品をクナッパーツブッシュ/ウィーン・フィル(1956年)で。コレ、悪名高きシャルク改訂(改竄?)版(第3楽章や第4楽章を大きくカットし、更に別働隊の金管やシンバル、トライアングルを補強している)として有名な録音だけれど、意外なほど(ネット検索する限り)演奏内容にコメントが少ないですね。英DECCAステレオ初期録音特有のぼわんとした洞穴のような音質ともかく、速めのテンポ(速度指示が異なるのか)、素朴で粗削り、骨太巨魁なる表現が音質云々をやがて忘れさせます。でも、ウィーン・フィルと作品(またはクナッパーツブッシュの個性)との相性はいかがでしょうか。(ウィーン・フィルである必要性があったのか)いずれ、まともにリハーサルなんてしなかったんだろうな。良い時代だった。
では、出張準備しつつ(律儀に)スポーツクラブへ。職場に寄ってから新幹線で東京行き。CDと書籍の選択をしなくっちゃ。
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未だ自宅です。出張する時間の関係で、朝一番の「ストレッチ」(15分。ま、これはOK)そして「ビランクス・ヨガ」(一時間)〜これがキツい。バカがなぜバカかというと、経験から学ばない、ということであります。昨年2005年9月、出張中・東京のスポーツクラブで(誤って)「ヨガ」に参加し、ほんまにキツかった!という記憶は、開始してから蘇りました。(今更、途中で抜けられない)日常、まったく使用しない筋肉をギリギリと絞り上げるようでもあり、バランス感覚はまったくなく(多くの女性参加者は美しく、すらりとポーズを取っているのに、ワタシはぐらぐら揺れてすぐ倒れてしまう)、「鳩のポーズ」(理想的なウエスト・ラインを実現する!)に至っては、腰から太股の付け根が「吊る」という驚くべき危機に至って大苦戦。青息吐息で終了したが、カラダ中痛いこと!(昨日一昨日とスポーツしているんですよ、それでも)
洗濯が終わったら出掛けます。
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いつもの東京出張は指定宿が決まっているが、今回は建前上日帰り(岡山は東京から最も遠いんです)なので、自分で宿選び。(経費許可出ました)東京は物価高いですよね。場所も様子も(田舎者なので)よくわからないし。でも、なんかヒジョーに安い「新春ネット予約特別サービス価格」みたいなホテル(建物構え凄く豪華立派、部屋やや草臥れ並のビジネスホテル状態)を目黒でみつけました。酒は止めておいて、でも朝昼と節制して「激ヨガ」にも行ったので、ホテル側でラーメン・餃子いただきました。(”かけラーメン”とか?)さっぱり澄んだしょうゆ味で、麺のコシ、縮れ具合もエエ感じで安い。
職場に寄ってから新幹線の時間まで少々時間があったので、駅前Groovin'覗いたらBach 平均律クラヴィア曲集第1巻〜ヴァレリー・アファナシエフ(p)(1995年)が2枚組609円だったので購入。かなり以前からメジャーレーベルで話題になっていた人だけれど、ワタシは(もちろんCDで)聴いたことはなかったと思います。(じつは第2巻1,029円は購入見送った)
ああ、これは暗い演奏ですね。遅いテンポ、流麗なテクニックを拒否する姿勢(アファナシエフがメカニック的に弱点あるはずがない)、ノリとか雰囲気とか、音色の磨き上げを狙わない。ピアノが美しく響かない(芯が甘い)のは録音問題の可能性もあります。新幹線中でぜんぶ聴いたけれど、かなり鬱陶しいか。慣れが必要なのか。売り払った前所有者が、手放した理由も理解できそうな気もしました。
現在、読み進めている本は渡辺一枝「チベットを馬で行く」(文春文庫)〜なんせ660頁を越える分厚い文庫故、まだまだ旅は始まったばかり。(大晦日にそんな本2冊買いました)行動する作家・椎名誠夫人だけれど、恐るべき芯の強さ、粘り強さ、そして淡々とした優しさが感じられます。クサい主張を押しつけない、事実から自然体で伝わるノン・フィクション。
2006年1月某日
寒いです。ま、寒いだけで雪の被害とは無縁だから、雪国の人々の労苦を思い遣って耐えましょう。昨夜の夕食でクリームシチューを作ったが、ここ一ヶ月ほど愛食している蒟蒻を入れた(野菜もたくさん)のはもちろんだけれど、母親が持ち込んだ「モウレツに塩辛い塩鮭(かなり残)」(お茶漬けに最適だけれど、ここ最近ご飯の量は極端に減らしている)を塩抜きして、具材へ。十種雑穀入りご飯を茶碗に半分ほどいただいたけれど、それのせいか?はたまた、夜「2時間ドラマ」を楽しみながらいただいたコーヒーのせいか、どうも胃が重い感じ。(左踵対策として飲んだ消炎剤の副作用か。なんせ胃薬とセット服用だから)ま、胃痛もないし、体重が増えたわけでもないけれど。(今朝、70kgを切っている)
今朝、ブラン・シリアルが切れ(別種のを購入してあるが)、試しにブラン(小麦ふすま)主体ではない、小麦胚芽主体の(こども向け)ココア味のシリアル(たまたま家にあったので)+豆乳+黄粉+ブルーベリーで代用(+バナナ)。これでも”趣旨”は変わらないと思うが。左足踵痛みほとんど快復へ、昨日お仕事だった女房がスポーツクラブへ行く、と言っているのでお付き合いできそう。
以前からの「サイト用原稿」(書き掛け)である、Cherbini レクイエム ハ短調〜ムニッヒ(←表記。ムニッヒ?Marko Munih)/ベオグラード放送管弦楽団/合唱団を何度も聴いております。地味な作品だけれど、トスカニーニやムーティの録音は(それなりに)有名だし、アマチュア合唱団でも良く取り上げられる作品らしい。この類の作品では、Mozart が畢生不朽の名作だし、Faureの甘美な旋律、Verdiのとことんオペラティックなスケール・・・が念頭にあるのか、生真面目な劇性(”グラドゥアーレ”に於ける銅鑼が印象的)を感じさせる作品であります。ムニッヒは(CD初期から)Dvora'k スターバト・マーテルの演奏を聴いていて、知名度からは想像が付かないほど立派な演奏に感心した記憶もありました。
ていねい誠実な演奏だし、技術的な問題だってそう弱く感じられない、作品旋律だって素敵なのに、中間の”オッフェルトリウム”(15分に渡るこの作品の山)辺りで飽きる、というか、テンションが続かない(聴き手の集中力か?合唱団の疲れか、作品の地味さ加減か)感じ。馴染み、慣れの問題か、それとも別な演奏を経験すべきなのか・・・しかし、さすがに昨日から3度目の拝聴、ようやく全体の様子が見えてきたような気もいたします。(併録されるHummel トランペット協奏曲 変ホ長調は、PILZのCDと同一録音でこれは音質演奏ともゴキゲンなノリでした)
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いつものスポーツ・クラブへ行って参りました。本日は人数も多く、初心者コース(ベーシック)ながらいっぱい良い汗かきました。左足踵ほぼ完治。明日、(祝日ながら)昼から東京へ出張だけれど、午前中三連続でスポーツ・クラブへ行きましょう。(メニューはヨガ)昼飯は少々喰い過ぎか、昼寝しつつゆっくりしたあと、夕食は野菜蒟蒻(でも餅もあったか)中心で節制しました。出張中の外食調整がひとつのポイントだな。
2000年〜2003年頃に集中的に購入した、HISTORYレーベルのボックスもの(”THE PIANO MASTERS”とか”Mozart DELUXE”各々40枚組、”CHAMBER MUSIC”、”MASTERS of the STRINGS”各々10枚組・・・まだまだ他沢山!アーティスト別もいっぱいある)の収録音源点検、つまりはダブりを探しておりました。ま、TIM、(現在なら)membranさんも激安ボックス価格(@150〜300)の代償として、同一音源あちこちテーマ毎流用が存在するんです。(それでも安い)エエ加減な聴き方(摘み聴き、あちこち浮気聴き)をしているから、ずいぶん後になって「ん?この演奏に記憶がある」と既存在庫を探す羽目になる・・・ま、それもヲタクな楽しみであります。正直「嗚呼、こんな貴重な音源もあったのか」との(今更ながらの)発見もあります。
(そのmembranの)ミケランジェリ10枚組・・・これはちゃんと聴いてますよ(もちろん既存数曲ダブり所有もある、って、いくつかの音源は「出戻り買い」なのが恥ずかしいが)。Mozart ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調K.450〜シュトゥツ/チューリヒ室内管弦楽団(1974年)+ピアノ四重奏曲 変ホ長調K.493〜ヴァレーズ(v)ジュベール(va)ダリエル(vc)(1972年)を。
記憶と異なって、まぁまぁ聴ける音質であり、記憶通りの個性的味わい深い演奏であります。優しい、とか、繊細な、作品の持ち味をそのまま生かした、みたいな、そういう方向ではなく、あくまで主張明快なる”ミケランジェリを聴け!”といった濃厚なる世界・・・こんな傲慢な自信に溢れた、説得力演奏はもう現代には存在しないかも知れません。嗚呼、楽しい。
2006年1月某日
今朝も寒いです。いつもの時間に目覚めたが、コタツから出たくない。
久々の出勤は、いつものお仕事繰り返しであり、新たな問題提起がないでもない。(記憶が落ちていたけれどスケジュール帳を見て)昼から地元取引先へ商談。更に別担当者と年末トラブルの決着方法について打ち合わせ、その他諸々手配調整連絡・・・お仕事は早々に終了して、別チームの担当と情報状況交換のため行きつけの定食屋兼飲み屋へ。(ダイエット中なのに!)ま、数ヶ月に一回だし、こういうのは大切なことなんです。(と、自分に言い訳を)
一昨日より、左足踵が痛く、これは骨が出っ張っているので「痛風」症状ではありません。昨年2005年お盆最中に苦しんだ「足の骨の異常でアキレス腱付け根がこすれて炎症」(但し、昨年は右足)と類推・・・病院へは行きません。結局、昨年も膏薬貼っただけだもの。歩行やや困難程度だけれど、エアロビクスはムリでしょう。ジムの自転車こぎだったら出来るか。とにかくせっかくのダイエット効果を無にしたくないので。(と、言いつつ昨夜の酒はなんだ)
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昨日聴いた、Mozart セレナード 変ロ長調K.361(370a)をフルトヴェングラーで確認しようと「Mozart DELUXE40枚組」(HISTORY)をひっくり返したら、嬉遊曲 変ロ長調 K.287(第15番)〜シゲティ(v)/ゴーバーマン(オーケストラ不明 1938年)が出てきました。記憶ありまへんな。第2楽章が典雅な変奏曲になっていて、お気に入りの作品なんです。これが4分で終わってしまう。手持ちヴェーグ盤(1988年)では8分ほどの楽章だけれど、大幅なカットがあるらしい。歴史的録音には第5楽章「メヌエット」が削除される場合もあるけれど、ここでは全6楽章演奏して30分強、ヴェーグ盤だと39分ほどだから、(カットがあっても)全体として速めのテンポはSP収録の都合かも知れません。
オリジナルはわからない(HISTORYレーベルの復刻が理想というわけではないでしょう)が、残響不足で「典雅な」という雰囲気ではない。シゲティ(v)とクレジットされているだけあって、例の硬質なヴァイオリンが全編にわたって前面に出ております。ま、第4楽章「アダージョ」に於ける纏綿たるソロの(個性ある、流麗ではない。晩年のスタイルはメカニックの劣化ではない、ということが理解できる)説得力は並ではない魅力。ま、我らがヴォルフガングの素敵な音楽をわざわざ、こんな太古録音で楽しまなくても良いだろうが、(先入観含め)ノスタルジックな味わいを楽しみました。
昨日、取引先から戻る途中でBOOK・OFFで10分ほどサボってCD一枚購入。ヤーノシュ・シュタルケル(スターカーが正しいか?)によるSchumann/Lalo/Saint-Sae"nsのチェロ協奏曲(1962年スクロヴァチェフスキ/1964年ドラティ)〜ロンドン交響楽団(MERCURY 432010-2 SACDではない通常盤)400円。MERCURYのこの辺りのCDはワタシ好みなんです。なんせ音質がよろしい。演奏家にも魅力がある。それにLaloは(LP時代フルニエ以来)未入手だった(はず)なので。
ワタシは「Schumannは交響曲以外だったら好き!」嗜好でして、目眩く、気紛れな旋律を延々と嘆いて下さって、このチェロ協奏曲イ短調も大好きです。凛としてクールな集中力、とりとめのないような旋律を有機的に、しっかり楽しげに表現して圧倒的技巧(サラリ、と)に文句なし・・・とここまで書いて、もしかしたらEMI盤(ジュリーニとの1957年録音)を以前購入したかも・・・と思い立ちました。(これから探してみましょう)
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日本海側は凄い雪だそうで、東京方面もずいぶんと寒いらしいが、岡山は快晴です。先月の痛風発作時に処方された消炎剤が残っていたので、それを服用したらやや改善の様子が見えたので、エアロビクス(ベーシック)強行!このクラスは”飛んだり跳ねたり”がないので、あまり無理な負担がカラダに掛からないんです。(しかもインストラクターより、適切なストレッチ指導もある。これがジムだけでは得られない成果か)結果、汗を流しているうちにますます症状改善して、結果オーライ。スポーツクラブで正確な体重を計測したが、70.35kg(着衣で)で現状維持。酒席こなしても、ちゃんと朝昼と食事調整すれば急に増えることはなく、翌日のスポーツで更に体調を整える・・・これが大切なのでしょう。
(さきのシュタルケルのCDは、記憶違いでした。Schumannは含まれない)
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立川昭二「臨死のまなざし」(新潮文庫)〜ようやく読了。数冊興味のある書籍を常に在庫を切らせず、あちこち並行してして読み進む癖(へき)があるとはいえ(音楽CDも同じだ)一週間以上掛けて途切れ途切れ、少し読んでは頁を閉じつつ、目を閉じて感慨に耽る書籍も珍しいでしょう。1993年の執筆、1996年の文庫化という少々前の内容であり、先人の死にたいする姿を描写した前半に対して、「ゆらぐ家族」(本人に告知せず、家族が笑顔で耐える美徳・・・そんな風景はやや旧聞となったか)、そして「変わる病」(エイズの登場、潔癖性、アレルギーなどの現代病。ここは少々総論的)へ。
「変わる死」最終章「現代の民話を」で、筆者の主張は白眉を迎えます。「脳死」は「作られた死」である、と。(事実、自発呼吸が止まった方に、人工呼吸器で空気を送り込むことによってしか「脳死」は生まれない)ワタシ個人は厳密な判定基準適用後、すべての臓器を提供することは吝(やぶさ)かではない(ドナーカードも携帯している)が、そもそも日本人にとって「家族の死」とはどういうものなのか、そのデリケートな「体温の暖かさ」の掛け買いなき大切さ、「息を引き取る」という表現の意味するところ。(「息を引き取る」ことを機械的に拒否して、「脳死」を作り出す!)
生きている臓器が欲しくて
脳死という死を作る人間怖し
(朝日新聞の歌壇に選定された読者作品)「脳死判定基準」の内容精査とか、厳密運用の問題云々とは別な、もっと大きな視点としての人間のあり方について深く考えさせられます。時代は先人が積み重ねたことの経験への軽視とは裏腹に、「オカルト・ブーム」(怪しげ新興宗教の跋扈、迷信、占いブーム、非科学的自然健康食品の隆盛)でもあります。
筆者は、自分の死を知らせに来た親、亡くなりつつあるこどもが自分の棺桶を選びにきた逸話、ほんの十数年前の現代の出来事としての「気高い臨死」を松谷みよ子さんの著作から引用します。(「あの世からのことづて」ちくま文庫)・・・少々重いものを読んじゃいました。
2006年1月某日
寒くていつまでもお布団を抜け出したくない・・・が、本日より”(引き続き)大殺界・2006年”の出勤であります。仕方がない。馬齢を重ねると迷信深くなってあかんな。なんとか【♪ KechiKechi Classics ♪】を継続させようと、定例サイト更新済み。そういえば、昨夜(無料で借りている)BBSがサーバーダウンとかで、数日間の書き込みが消えちゃいました。(残念)昨日、女房所用でクルマ使うとのことで、スポーツクラブはサボり。体重は維持。なかなか減らんもんです。第2の踊り場か。
読者のBBS書き込みによると「CDスポンジ被害者の会」はけっこう存在するようで、この件の注意は広く普及させないといけませんね。結果的に「ドン・ジョヴァンニ」の全曲はフルトヴェングラー盤(1954年)とフリッツ・ブッシュ盤(1936年)しか手許にないことになって、ちゃんとしたそれなりの音質のものが欲しくなる・・・(同じく今回、涙の被害となった「コジ・ファン・トゥッテ」にはクイケン盤がある)が、2006年1月近況にて「CD購入は控えめに、しっかり手持ち音源を大切に、ていねいに聴き直すという方向でいきましょう」と決意したばかりなので、少々逡巡しております。
「古畑任三郎」〜見事なラストの仕上がりでした。あれだけ複雑な設定、しかも最初に犯人を見せておいて、少しずつほころびを拡大していく・・・松嶋菜々子のタカビーな魅力健在!「やまとなでしこ」では、まだ脇役だった矢田亜希子の方を応援したものだけれど、少々CMに出過ぎ、挙げ句へんなオトコに引っかかったので、ちょっと醒めました・・・(別れたらまた応援してあげます)
Mozart セレナード 変ロ長調K.361(370a)「グラン・パルティータ」〜ローバート・ジョンソン/ニューヨーク・フィロムジカ・ウィンズ(VOXBOX CDX5014)を。知名度からは想像できないほど達者で流麗な演奏に間違いないが、もう少し元気が欲しいところ。しかし「アメリカの団体?」とは俄に信じがたいほど、しっとりとした味わいがありました。(入手困難かな?)
2006年1月某日
昨日は午前中スポーツクラブ(マシンジム)行き、親父の誕生日プレゼント選定購入、久々の通常昼食として「PAL・PASTA」の生パスタ(焼き茄子とソーセージのトマトソース)、昼からゆっくり昼寝、夕食も(肉ではなくこんにゃく使用とは言え)通常食(つまりご飯は抜かない)カレー+ヴェトナム春雨(サーモン入り、でも基本生野菜ですな)・・・これでも今朝、体重がやや減り、状態。本日より職場開始(女房は明日から)だけれど、昨年ラスト留守番したから代休〜朝一番でお仕事お願い電話しておきました。(夢に登場した故)
昨夜は女房のノートパソコン設定し直し(どれだけ不調でも、絶対今年一年は保たせる!ワタシが治す)たり、「愛のエプロン」(TOKIOの大ファンなので)、「古畑任三郎」(イチローの演技はそんじゅそこらのイモの比ではないが、やはり全体ドラマの仕上げとしてはイマイチか。”イチローを見るべきドラマ”か)で、テレビばかり。(音楽聴かず)そのまま、ずるずるぼんやりと「くりぃむベタベタSP」を・・・人気大爆発のお笑いコンビ・くりぃむしゅちゅーだけれど、蘊蓄王・上田が構成して「熱血青春ドラマ」(遠藤久美子、加勢大周、そして本人・上田が出演)の「ベタなパターン」を満載させて、「この次のパターンは?」と予測するもの。
これは驚くほど”つぼ”にはまっていて、”泣かせる”(わかっているのに、ありがちなのに!だからこそ、か)パターンに仕上がって秀逸。回答者の(若手知性派アイドル)真鍋かおりがついに号泣!冗談であり、お笑い番組とわかっていても、泣かせる、ある意味誰にでも感情移入できるパターンがあって、テレビ番組では「シャボン玉ホリデー」以来の”決まり事”の楽しみ、みたいなものか。もっと古典芸能とか、日本人の思考パターンに迄遡るのか、と想像したりしました。
今朝の朝日新聞も読み応えありましたよ。(新年早々、こども5人焼死の悲劇も胸を痛めるが)ソニーコンピューターサイエンス研究所の茂木健一郎(脳科学者)による「新・欲望論」(1)〜多様性こそが「合理脳」。ワタシは(どちらかというと)ホリエモンの支持派だけれど(放送界の旧態とした悪しき保守性にはヘキヘキする)、それも「拝金主義」「欲望のモノカルチャー」には慄然とした思いがあります。(カネがあればなんでもできるのか?と、疑問を投げかけた、金権体質に染まりきったような某長老議員にはシニカルに笑えたが)「金では買えない快楽こそが真実や美へと人類を導くインスピレーションを与えてきたのである」・・・その通り!自分なりの楽しみ、価値観を見つけないと。
「鑑賞してますか」(3)〜「とっかかり」が欲しい/「入門書の入門書〜検索の時代、知る意欲どこへ」・・・これは「ノウハウ本の時代」(ワタシ見立て)の切り口なのか。「体系的にものごとをつかもうとする意欲は弱まってきているように思える」(松原隆一郎東大教授)・・・なるほど。いいじゃないの、いまがよければ、的思考か。「これが良かったら、あれも良いんじゃないか」「これが出てきた経緯や、出目は?」「自分はなぜ、これを好むんだろう」という分析ができない。それこそ”多様性こそが「合理脳」”であって、みんなが良いと言うから”良い”・・・理由はどーでもいいや、じゃヤバい。
金子勝慶応大教授は「それは、コンピューターのせいではない」と。「バブル以降、だれも責任をとらなくなったためだ。責任を自覚した上で過去を知り、現代と格闘しなければ新しいモノはみえてこないのだけれど・・・」。先の松原教授は「希望もネットにある」と。「ひとりひとりがネットで検索した情報を解釈するようになれば・・・自分の世界観を体系化することができる」・・・う〜む。
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Scarlatti ソナタ集(11曲 1950年)〜クララ・ハスキル(p)による1950年録音。明快であって、装飾がほとんど存在しない。弱い音楽ではなくて、芯の強い正確さ。にじみ出る儚い官能と、作り過ぎない端正。これはMozart 演奏の美点へと、真っ直ぐに結びつく表現の方向であります。ホロヴィッツ(トロトロに甘い)と並んで、ワタシがもっとも愛する”Scarlatti”。続いてMozart ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466〜スヴォボダ/ヴィンタートゥール交響楽団(1950年)が収録され、これは正規盤(UNIVERSAL UMD 80472)とダブりました。(オーディオ評価的にはそちらに軍配だろうが、ド・シロウト安物オーディオ向け聴き易い音、という点では甲乙付けがたい)
スヴォボダのオーケストラの”泣き”具合がタマらないし、冒頭ピアノ入りの「ためらい」で、んもう!打ちのめされました。LP時代からお気に入りでした。み出る儚い官能と、作り過ぎない端正”。涙をいっぱいためながら、微笑みながらのピアノ。でも、弱くはない。もちろん乱暴ではない。頻出する”タメ”は詠嘆を表現して、聴き馴染んだ作品にかつてない妖しげな感銘(ココロがざわつく思い)を鏤(ちりば)めました。劇的浪漫的カデンツァの雄弁はなんたること!
2006年1月某日
昨夜は眠いのをガマンして「古畑任三郎」を見たが、なかなか手応えがあってさすが三谷幸喜の手腕は確かですな。筋がきちんとしていること、演技やキャラクターの作り方が明確なこと(大根役者は一人も出ない)、なにより「悪役」の作り方が巧い。時代劇、2時間ドラマは「その人が出た途端、悪役、ちんぴら、やられ役、汚れ役、薄倖の女、正義の味方」がイメージされる(それはそれでオモろい)が、「古畑任三郎」では思わぬ犯人が設定されて、最初からその配役前提で脚本を作るとのこと。昨夜の藤原達也の演技は不気味だったし、石坂浩二も「白い巨頭」(前教授)のイメージを引きずりつつ”犯人役”(設定はとても複雑)を熱演しておりました。
ところで昨日から朝日新聞にて「鑑賞してますか」のシリーズが始まっていて、第1回目の「安易な感動、純愛路線」は常々感じていたことだったが、本日朝刊の第2回では「”続く”はダメ」とのこと。週刊連載の漫画雑誌の印刷数は減るばかりで、ようはするに「この続きは、また来週」パターンは通用しない(それなら一冊にまとめられたときに読んじゃう)し、自分の好みじゃない「連載」は見たくはない。(でも見もしないでどうやって”好み”を見つけられるんだろう?)ドラマだって同様で、貴重な時間は一話完結の2時間ドラマとか、スポーツ中継とか、それに費やしたい。見たいドラマは(あとでまとめて)DVDで、となる。
つまり、「定時にテレビを見る」というのは塾通いに忙しいこどもには通用しない習慣であり、どうしても見たいものはビデオに録画する、ということになってしまう。たしかに、いつの間にか「連ドラ」は6話完結になってしまい、12回パターンが消えたのはいつのことなのか。ちょっと気になる現象ではあって、多種多様な物事の楽しみ方、価値観の広がり、こだわり、が感じられない。”映画好き”の友人の奥様が、深夜、睡眠時間を削って「某B級映画」(これは愛称だと思って下され)をラストまで見て「やっぱり、ため息が出るほどツマらなかった・・・」との深い感慨があった、という逸話には「ホンマもんの”映画好き”」を感じたものです。
今朝、ぴたり!70kgに体重戻しました。ま、まだお休み中だし、こんな調整自由自在ですよね。たんに「摂取カロリーを減らす」ということではなく、スポーツクラブ通いも可能だけれど、問題は日常生活〜出張外食ばかり、酒席も多いなかでこれをどう維持するか、でしょう。(年末2週間ほどやってみたけれど)体重維持、できれば減量をどう「生活習慣」(良い方の)とするか、が問題です。次の峰は「68kg」だな。
2006年1月某日
昨夜、博多で旧友ととことん喰って飲んで、完全にダイエットから退却〜帰宅して体重計ったらきっちり1kg増えてましたね。きょうはホテルの朝食をそこそこに摂って、昼から再び減量行為再開・・・本日はともかく、明日明後日とスポーツクラブも行くぞ。でも、超・贅沢なサカナ・アラ(魚偏に荒と書く。クエ、ハタ、とも呼ぶ)をどーしても喰いたかったんだもん。挙げ句、禁断の「酒の後の博多ラーメン」やっちまいました・・・
キャナル・シティは凄い人だったなぁ、博多はやっぱり都会だし、魅力的な街だ。予約が遅かったので、(まともそうな)ホテルは「ホテル・イル・パラッツォ」しか取れなかったんです。場所が少々マズくって、いわゆる中州の”その筋ホテル街”埋もれ状態。んもう、外観デザイン、ロビー、廊下なんかはほんまにお洒落だけれど、さすがに部屋の設備が草臥れてきていたのと、水回りはそろそろ改装が必要でしょう。デザイン重視の四角くてカッコ良い便座は(それ故)ウォシュレットを付けられないんです。
それと、どうしても「非常口」「消火栓」(消防法どうしても必須)がデザイン全体から浮いてます。さらに朝食が期待したほど(なんせ喰いもんのおいしい街だからね)でもない。昨年3月に女房と泊まった京都のホテルのほうがずっと完成度・洗練具合で上でしたね。(価格は良心的)
本日、太宰府天満宮に初詣(って、既に地元・今村宮では済ましているが)して、お土産買って早々に戻ってきました。息子は広島で途中下車。博多駅はもの凄い混み具合でして、座席指定も一杯・・・とのことだったが、指定席の空き席はちゃんとありました。息子は、博多時代に住んでいたマンションと小学校中学校を見に行ったそうです。
ああ、そういえばとうとうケータイのメールが使えるようになりました。女房息子相手に練習しました。でも、わずか3行くらいの文書を送るのにずいぶんと時間を喰う・・・それでも、それなりの機能は理解したつもり。あとは写真だな。3年使った女房のケータイも機種変更しました。でも、ポイントは息子が全部使ってしまって、まるまるカネ取られちゃいました。
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新幹線移動中は、あまり音楽は聴けませんでした。「Mozart に駄作なし!」とは自明の理ながら、晩年畢生の名作・クラリネット協奏曲イ長調K.622〜アルフレート・プリンツ(cl)/ミュンヒンガー/ウィーン・フィル(1962年)を。ウィーン・フィルとベルリン・フィルは伝統的なエーラー管を使っている、とのことだけれど、機能はともかくどういう音色(の個性)なんでしょうか。ライスター(ベルリン・フィル)の生真面目で素直な音色とは違って、ずいぶん艶があるというか、セクシーな音色が個性的。ほんわか暖かく、上品な香りが漂うような演奏です。10年後のカール・ベームとの録音のほうが有名なんだろうが、この往年の英DECCA録音も現役みたいですね。トリップ(fl)イェネリク(hp)による、フルートとハープのための協奏曲ハ長調K.299cも、同様の極上のひとときを保証してくださいます。
2006年1月某日
散々喰って飲んだので、ダイエット戦闘再開!と思って今朝体重計に乗ったが、ほとんど動きなし、やや(500g程度?)増くらいか。これくらいだったら、朝、昼の節制で夜の酒席(博多時代の家族ぐるみ友人と)を乗り切れそう。これから朝食です。
昨日聴いた音楽・・・Mozart 「フィガロの結婚」(抜粋)〜エーリヒ・クライバー/ウィーン・フィル/シエピ/ギューデン/デラ・カーサ/ダンコ(1955年ステレオ録音)「Mozart 生誕200年記念」で録音された、それこそ記念碑的な名手の集まり。(嗚呼、既にそれから50年経過)歴史的録音の範疇だけれど、音質もそれなりの水準(最新リマスタリングではもっと良好らしい)。シエピの精気に満ちた意欲的なフィガロ(もの凄い存在感)、ギューデンの可愛らしさ溢れる明るいスザンナ、デラ・カーザの気品漂う伯爵夫人、シュザンヌ・ダンコのケルビーノは少々時代掛かっているかな?(少々雄弁すぎ・・・という贅沢なコメント)、ワタシお気に入りのバルバリーナのカヴァティーナ「なくしてしまった」(第4幕。フェルベルマイヤー)も収録されてありがたい。(全曲収録でも省略されることがあるのに)
それよりなにより、エーリヒ・クライバーのウィーン・フィルの馥郁たる香りというか、味わい深い統率ぶりに絶句。この録音半年後に亡くなるなんて!(昨日、テレビで見たマリス・ヤンソンス/ウィーン・フィルの「フィガロ」序曲も楽しかったですよ)
「CD購入は控えめに、しっかり手持ち音源を大切に、ていねいに聴き直すという方向でいきましょう」(近況)で書いたばかりなのに、元旦から早速BOOK・OFF3枚1,000円(税込)セールで3枚購入・・・そのウチの一枚Gershwin ラプソディ・イン・ブルー/パリのアメリカ人(1959年)/ピアノ協奏曲ヘ調(第2/3楽章のみ。1961年)+α〜フィードラー/ボストン・ポップス管弦楽団/アール・ワイルド(p)を。SACDで復活している音源でして、1993年に発売されたこの国内プレス盤(BVCC-8820)でも鮮度高い音質を充分堪能できます。
当時40台のワイルドの切れ味鋭いテクニック、ノリはもちろんだけれど、フィードラー/ボストン・ポップスのゴージャスな余裕の響きがなんと楽しい!「正統派シンフォニック・ジャズ」といった重量感と推進力と華やかさがあって、他の(クラシックな)演奏家とは一線を画しますね。雰囲気的に対抗できるのは、フェリックス・スラットキン/ハリウッド・ボウル交響楽団くらいか・・・(「ラプソディ」にカットがないのも嬉しい)
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昨夜、マリス・ヤンソンスのニュー・イヤー・コンサートをぼんやり見ていて(全部に非ず)、ああウィンナ・ワルツもエエもんだなぁ、ふだんあまり聴かんけど、と感じたものです。で、深夜から今朝に掛けて、J.Strauss,Jr.「こうもり」〜ヴィルトナー/スロヴァキア放送交響楽団/ブラティスラヴァ市合唱団/ガブリエーレ・フォンタナ(s)/ヨーゼフ・ホプフェルヴィーザー(t)/ジョン・ディッキー(t)/ブリギッテ・カルヴァウツ(s)/ローアンギズ・ヤフミ(ms)/アンドレア・マーティン(br)/アルフレート・ウェルナー(br)(1991年)を、しっかり楽しみました。
このCDの世評は与り知らぬところだけれど、ワタシは(珍しく)ナマ体験している作品(ああ、そういえば榊原栄さんは昨年2005年亡くなったんだっけ)だし、「フィガロ」「カルメン」と並んで数少ない詳細馴染みの作品であります。ヴィルトナーは「こうもり」のスペシャリスト(日本でも指揮している)だし、オーケストラに不満などないのはもちろん合唱が優秀。歌い手だって、ガブリエーレ・フォンタナ(この人、昨年2005年来日してレオノーレ役で好評だったらしい)のロザリンデは、素晴らしいのびのあるソプラノが輝かしい。あまり他の演奏を聴いたことがないので、なんとも言えないが、座右に常備するに充分な価値〜これは1990年代中盤に購入したはず(1,890円の値札が残っている。NAXOS 8.660017-18)正月気分満喫。
「正月気分満喫」なのだけれど、立川昭二「臨死のまなざし」(新潮文庫)〜これがいつまでも読み終わらない。てっきり立花隆の「臨死体験」的著作(この本も大好き)と思って年末に購入したものだけれど、内容のあまりの重さ、鋭い切り口に感慨するばかりで、安易に読み進めない。少し読んでは感慨に耽って、本を閉じ、目を閉じてしまう。中勘助、広津和郎、夏目漱石、宮沢賢治、石川啄木、正岡子規、竹久夢二・・・著名なる文学者の闘病や死に至る克明な描写、いまもむかしも変わらない「殺生与奪権」を握る医者の傲慢なる言葉態度(いうことを聞かないと、命の保証はありませんよ、と)、明治大正期には各家、病院に派遣されていた看護婦の献身的「看護」。
闘病中、入院中の病人の微妙なココロの揺れ(とことん悪くなって、医者を困らせてやろう)に共感し、やや旧聞となりつつある「本人に告知せず」家族が忍従する、ある意味”美しさ”のことの意味合い。「死に様」という言葉は薄っぺらくて嫌い(「生き様」という言葉は、造語だったかな?いっそう軽薄だ)だけれど、死に瀕して、その人の生きてきたことが凝縮されて出現するのは事実かも知れません。(なんとか読み終わりたい)
これから家族で博多です。デジカメのみ持っていきましょう。
2006年1月某日
新年、明けました。昨夜はちょっとご近所のBOOK・OFFを覗いたり、馴染みのディスカウント・ストアで切れていた牛乳を購入したくらいで、あとは格闘技を見ながらぼんやり・・・過ごしました。ああ、そういえば昨年はずいぶん本を読んだな。Sibelius 交響曲第1/2/4/5番〜パーヴォ・ベルグルンド/ボーンマス交響楽団(1973/4年)を暖かい部屋でひとり聴いていたけれど、嗚呼荒涼として激しい音楽だなぁ、なんて素敵な音楽なんだ・・・そんなことを考えつつ、うとうと居眠りしてしてしまったものです。
早々にご近所・今村宮に初詣に行って参りました。無神論者だけれど、神々しいものには畏敬の念は失いません。
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こんな深い眠りは数ヶ月ぶりか、という珍しいお寝坊状態。”初夢”は親しい取引先の人とお仕事している様子(情けない・・・)+おいしいパンを食べていること。(パンは20日間ほど食べていない)2006年聴き初めの音楽はBach ブランデンブルク協奏曲第4/5/6番〜カザルス/マールボロ音楽祭管弦楽団(1964年)・・・アレクサンダー・シュナイダー(v)/ガルブランセン、ダリー(fl)/ルドルフ・ゼルキン(ピアノ・ソロ/通奏低音)/ピーター・ゼルキン(第6番チェンバロ通奏低音。17歳)。某有名評論家が言ったように「命の叫び」のような演奏か。彼のチェロ演奏そのままの雄弁で、ゆったりとしたタメと、揺れる巨魁なる精気リズムに充ちたもので、使用楽器やら演奏スタイルを超越して、ぐいぐいと聴き手の胸に迫ります。
豊満躍動するスケールの”可憐なる第4番”は他にはないだろうし、第5番に於けるルドルフ・ゼルキンのピアノ・ソロは、繊細な味わいに溢れて涙もん。「大人数による第6番」なんて想像付きますか?
昨日はそれなりの通常食に戻したが、今朝体重動かず。ためしにちょろり間食もしたけれど、「常に食の質を意識する」ということかな?(無駄なもの、無茶喰いはしない)朝、ブラン・シリアル(ハニー付き)を中心に(かなり)しっかり食べましたよ。+低脂肪乳、チーズ、アーモンド、ブルーベリー、ヨーグルト(加糖)、そして無塩国産トマトジュース。これから一年の始まりとしてスポーツクラブへ行って来ます。昨日(大晦日同様)ご飯2膳分消化目標。
夕方、女房息子大阪より帰還予定です。
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しっかりスポーツクラブで(予定通り)汗を流したあと、BOOK・OFF(セール)で初CD購入(ほんの3枚のみ)。帰宅してCDの整理をしているウチに哀しいできごとが・・・ま、仕方がない。夕方、女房息子が帰ってきたが、夕飯の仕度する気分にもならず、贅沢にも「河忠」へ。元日から開いていることは、先日の忘年会で確認済。お正月コース料理はたいへんお得でおいしく、さっそくダイエット生活崩壊のピンチか。(料金は予想より随分と安い)イタリアのスパークリング・ワイン飲んじゃいました。
明日から博多(旨いものてんこ盛り)へ家族旅行でして、朝、昼とかなり節食しないとずるずるになりそう。(ふだんは興味薄き)ニューイヤーコンサートをテレビで楽しんでおります。マリス・ヤンソンスの表現云々別として、選曲が楽しいし、ハンブルク・バレエの意欲的な振り付けのなんと楽しいこと!美しいこと。