(続)100円、200円、1,000円の価値2002年5月10日更新にて「100円、200円、1,000円の価値」という雑文を掲載しております。もう二年経ったんだねぇ、光陰矢の如し、行く川の流れは絶えずして、久しく留まりたる試しなし。ワタシは着々と馬齢を重ね、世の習いに従いガンコさの度合いを悪化させ、毎日毎日「腹立ち日誌」(サイト上のことで)状態〜自らの努力、実力、人徳不足をたっくさん棚に上げ過ぎ、重みに耐えかね、崩れてきそうな今日この頃、読者のみなさんお元気ですか? サイト上の腹立たしい出来事は、具体例を挙げることが難しいので、その拙反論もどうも説得力に乏しい。ワタシの主張を人様に押しつけようと気は毛頭ないし、人様のサイトに文句付ける気も(見ないだけだし)全然ありません。ま、同じことを何度も何度もグダグダと繰り返して申し訳ないが・・・ 1) ワタシはコレクターじゃないよ、という主張 ワタシはコレクターを否定しているんじゃないんです。それは各々、ひとりひとりの楽しみ、趣味の世界。それを云々する資格はあろうはずもない。とにかく「ワタシは音楽愛好家であって、コレクターじゃない」ということです。「ゲテもの」「B級」(この傲慢な断定ぶりにも猛然とハラが立つから絶対に自分は使わない)好き、とにかく安いもの買い自慢で「そのCDを●×円で、もっと安く買いました」みたいなことに、共感を求められるのは不快です。 ワタシは音楽好きで、たくさん音楽を楽しみたいだけ。安いCDを買う、ということは自分なりのリミッターであり趣味であり洒落(だって絶対金額なら相当買っているもの)、知名度や価格(「高い物=水準の高い演奏」的発想)に対する反発でもあります。大切なのは「その音楽が素晴らしいか」「自分が楽しめたか」ということです。「△▼をようやく手に入れた」「□◇は全部揃ってますよ」と言いつつ、その音楽に対する言及がまったくない、というのは驚くべきことであって、それはその方の趣味嗜好なので自由だけれど、ワタシとは違う世界と考えております。これは批判ではありません。 「●×のCDを買いました」「手持ちのCDリストはこれです」(自慢)サイト記事は、ワタシがもっとも興味のないもの。ましてや情報不備でレーベル名番号、録音情報、収録作品情報が揃っていないなど、呆れるばかり。その音楽が「自分にとってどうなのか」「どう感じたのか」を自分なりの言葉で語っていただきたい。意見の違いを越え、その行為には敬意を表したいものです。 2) 「>とりあえずカラヤンや小澤を批判しておけば通ぶれる、と勘違いしているクラシックファン」にはなりたくない コレ↑某サイトの掲示板発言からの引用です。その通り。評論家氏の推奨する「究極の名演」(ほんまかいな?)をすべて収集することも、それを意識的に避けることもムリしてしなくても良いでしょ。「有名で高いCDしか買わない」という人は、ワタシのサイトにはほぼ出現率0ですから問題なし。ところが「表題氏」は出ますねぇ、タマに。ワタシ、主義主張は自由と思います。つい先日もワタシの「ツァラ」(スタインバーグ盤)礼賛はクソミソに論難されました。そんなことワタシのサイトではなんらの問題にもなり得ない。それは音楽を愛する基本姿勢が明快であり、より深く楽しむための論議であることがはっきりしているからでしょう。 ワタシがハナ白むのは、某有名評論家氏の言い分やら、言い回しまでそのまま真似していることです。ひどいのになると「そんな演奏は聴く価値がない」「聴かなくてわかっている」という暴言です。音楽はまず聴かないと・・・いままで敬遠していた音源でも、安ければ買ってみましょう。それはチャンスなんです。虚心に聴く、何度も聴いちゃう。(どうしてダメなの?と訊いたら「そんなの聴けばわかる!」との回答をいただいたことも) 閑話休題(それはさておき)・・・100円のCDを数枚買いました。数日前には@500、@250のも購入しております。大切なのは「音楽そのもの」でしょう。壱万円のCDだって、ココロから楽しめば安いもの、逆も真也。音楽をココロ豊かに楽しむために数百円を・・・という顛末や如何に。まず、3月中旬小郡(=新山口駅付近)のHARD-OFFで購入した数枚。すべて100円。
4枚420円で購入、その日のウチに一枚贈呈。翌々日帰宅して休日ご近所BOOK・OFFで@100処分CD二枚発見。可哀想に・・・買ってあげないと。
・・・計630円〜一枚分譲渡済み。当然玉石混淆だけれど、ただの安物買いに止まらない楽しみはちゃんとありまっせ。どなたか欲しい方に譲っても良いよね、このくらいの価格だと。(2004年3月13日)
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