R.Strauss 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」
(ウィリアム・スタインバーグ/ボストン交響楽団)


R.Strauss

交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

ウィリアム・スタインバーグ/ボストン交響楽団/シルヴァースタイン(v)

DG 447 190-2 1970年録音 2枚組1,290円(中古)で購入

 これは「BASIC Richard Strauss」と題した二枚組の冒頭を飾るもので、おそらくはドイツ・グラモフォンが”売れ筋のカラヤン音源はあまり使いたくない”といった思惑からCD化された、と想像されます。クーセヴィツキー、ミュンシュと人気指揮者を擁してきた名門ボストン響は、ラインスドルフ時代の低迷(実力ではない、あくまで人気かな?)時代(1962〜1969年)を回復すべく後を襲ったのがスタインバーグでした。

 でも、もともとピッツバーグ響との兼任だったし、在任期間は短いものでした。(1969〜1972年)米CAPITALでは協奏曲の伴奏録音が多かったし、米COMMANDのBeethoven 交響曲全集は立派なものだったが一部しかCD化されていないと思います。まだクラシック音楽界も景気の良い時代だったから、ボストン響とも数枚分録音して下さいました。Holst「惑星」なんか、ほんまに気持ちよい、圧倒的なオーケストラの威力を感じさせたものです。

 うむ、「ツァラ」は苦手方面の作品ではあるけれど、この演奏は一気呵成に聴き通して存分に楽しめましたね。オーケストラが上手い、金管が輝かしい、衒いがない。手慣れた、といった味わいとは正反対方面の誠実で、とことん一生懸命演奏。ここまでノリノリで、高いテンションを連続させるのは至難のワザでしょう。

 じつはこのCD一枚目、続いてカラヤン/ベルリン・フィルの「ティル」「ドン・ファン」「7つのヴェールの踊り」が収録されているんですよ。まったりとした自信たっぷり余裕の表情で、響きのセクシーさは全盛期!・・・これも悪くない世界。でもね、ボストン響とベルリン・フィル(各々当時の)の個性の違いが明確で、こちらスタインバーグ組のなんという清潔でストレートな表現であることか!そんなことが対比できて(少々高かったが)後悔しないCD購入という結論です。

 スタインバーグって「速い」「粗い」「カタい」「重い」といったのイメージかな?でもね、ここではバッチリ決まってますよ。テンポは慌てず、騒がず、適正を感じさせます。(でも、だんだん興が乗ってきてテンポ・アップ有)アンサンブルの充実ぶりは想像以上。「カタい」〜というか、金管の鋭く明るい響かせかたはピッツバーグ響の個性だったんでしょうね。しかし、たしかにボストン響とのこの録音でも金管のキレは健在でした。

 もちろん「軽々とした」演奏ではないが、重鈍さとは無縁です。細部をとことん歌わせたり、品(しな)をつくったりしない人だから、スピード感命(いのち)、やる気充分、ですね。名手シルヴァースタインのヴァイオリンには、いささかの不満あろうはずもない美しさ。しかし、基本表現は誠実一路。1981年に小澤が同曲を録音するが、その方向性の違いにやや唖然としないでもない。

 ここ最近、ミュンシュのDvora'k 交響曲第8番(1961年)とか、モントゥーとの「ばらの騎士」組曲(1961年ライヴ)を聴いて、ああ、ボストン響ってこんな白熱した演奏なんだな、と再発見したところでした。絶好調時のこのオーケストラの好例としてこのCDを挙げることに躊躇はありません。録音は残響と奥行き豊かで、文句はない水準。(2004年2月13日)


<他収録>
交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
交響詩「ドン・ファン」
歌劇「サロメ」より「7つのヴェールの踊り」
以上、カラヤン/ベルリン・フィル(1972/73年)

歌劇「ばらの騎士」〜第三幕のワルツ
ベーム/ベルリン・フィル(1962年)

交響詩「死と変容」
アバド/ロンドン交響楽団(1982年)

ホルン協奏曲第二番 変ホ長調
ハウプトマン(hr)(1973年)
4つの最後の歌
シントウ(s)/カラヤン/ベルリン・フィル(1985年)

* いやはや盛り沢山、多種多様な演奏の収録で嬉しくなっちゃいます。もう少しお勉強してからコメントしましょ。


さっそくK氏より反応が・・・

件のスタインバーグですが、私は例の「惑星」とのカップリングで所持しています。デジタルリマスター盤ですね。が、私はどちらもまったくもって気に入らない。なぜか?とにかく、煩い。丁寧ではない。悪い意味でアメリカン。オーケストラの呼吸がなっておらん。金管がうるさすぎ。「精神性」がない。と色々あります。これがシュトラウス、と思われては心外です。シュトラウスの曲は大曲でも煩くない、小曲でも飽きない、というのが基本です。とにかく彼は交響詩の作曲家の前に、オペラの作曲家、そして指揮者なのです。それも、超絶的な!あの演奏では、宇宙の旅、という謎めいたものではなく、ブッシュの戦争、というデジタル化した単純な二元論的な解釈に思われます。

「悪い意味でのアメリカン」:物量作戦ですね。大きいことはいいことだ。強いことはいいことだ。格好良いことはいいことだ。ま、そんなかんじですね。(尚私はアメリカの文化は全否定ではありません)

「精神性」:これも上記と似ていますが、まず曲の持つ表面的な部分だけではなく、作曲者の立場になり、彼は管弦楽法だけではなく、詩的に何を表現したかったのであろうかと、指揮者なりに考えることだと思います。本当に残念なのですが、RSの音楽って情緒纏綿ではないにせよ、エレガントさがありますが、それを拡大解釈、もしくは否定してオーケストラと録音の力に任せてぶいぶい演奏してしまうことです。

何度も言うようですが、ジンマンの演奏は自作自演にとても似ていて、彼なりの解釈をちゃんとしているところを私は買っています。

 ・・・いいですねぇ、ご意見百家争鳴状態。これいで良いんです。意見の多様性が豊かな社会を生み出す。人生いろいろ、好みもいろいろ。いろいろ咲き乱れる「花咲ける芸術」か。(更新当日)


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written by wabisuke hayashi