音楽日誌
2005年5月25日 ご近所今村宮
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2005年6月某日


夜、モウレツに寝苦しくて、エアコン入れました。これから早朝バスで松山へ。ここ2週間で4回訪問・・・今週土曜日も松山です。お客の都合とはいえ、不合理というか、後追いでスケジュールが修正追加されるのにはマイった。修理依頼されたノートパソコン、NECの専用再セットアップディスク1枚足りず、Meでクリーン・インストゥールを試みるが途中で止まります。相対的に新しいマシンにはクセがあっていけない。(シロウトの手に負えぬ)

CDを購入するキッカケは当然「廉価であること」がトップだけれど、ここ最近は贅沢になっているから、それだけでは購入しませんね。(数日前、山口BOOK・OFFにてベーム/ウィーン・フィルの「第九」が@250だったけど見送った)当然自分の好み、最近興味を深めた関連の音源+「ネットで話題になった」・・・これは「BBSにチョロリと書き込みがあった」くらいのことで。昨夜HMVから届いたCDは、そんなこんなで 1) Mozart 交響曲全集(ハンス・グラーフ/ベルリンこんの氏激賞!)、2) Mahler 交響曲全集(タバコフ/ピースうさぎ氏先行発注との情報!更にHMV読者コメントで激クソミソ論評!しかも、自ら以前購入していたのに処分して、更に再購入!アホか)、3) Boccherini 10枚組(結構好きなんですよ、こういうの。逆に誰も話題にしないし)・・・いずれもナント「2,817円」〜買わいでか・・・って、先月のバブル収入の消化のつもりでした。(すっかり忘れていたけれど)

商品到着が1ヶ月以上遅れたので、その間に別なCDたくさん買っちゃって、消化予定が狂いました。ここ最近「BOOK・OFF出物」が、ほとんどないのは良い状況ですね。(次回の山は「盆セール」辺りか)Mahler 交響曲第9/10番〜エミール・タバコフ/ソフィア・フィル(1991年)を早速確認・・・やや、さっくりとして散漫っぽい演奏だけれど、作品の価値を貶めるようなことはなくて、充分楽しめます。第8番 変ホ長調〜第1楽章(1991年)・・・これは24分でCD一枚という贅沢収録だけれど、集中力が続かず時に音楽の様子が混沌としてわからなくなる。つまりやや構成に難有か?

でもさ、クソミソ言うような演奏じゃないですよ。オーケストラの響きが少々薄くて、サウンドにしっかりとした芯を感じさせないとはいえ。8年前ほどに購入して、即処分した理由は、おそらくはテンシュテット全集を購入して、既にクーベリック全集もあるし、「いくつも全集は必要ないや」と考えたからだったはずでしょう。(当時は購入したものの30%は処分していた)Mozart 交響曲第40番ト短調〜ハンス・グラーフ/モーツァルテウム管弦楽団(1988年)はナント!初耳。全32分ほどで、繰り返しはかなり実行していると思います(全部ではないか)。これは驚くべき歌心と、少々地味でコクのあるオーソドックスな響きに魅了されました。ジュリーニをちょっと連想させるが、もっと生真面目でおカタい魅力か。

・・・おっと、時間切れです。行って参ります。

バス中では死んだように眠ってしまって、帰りしか音楽を聴いておりません。少々重い打ち合わせ一時間半(汗まみれなのは、気温、湿度、太りすぎの理由だけではない)で岡山へとんぼ返り。明日、岡山県北方面へ出掛け、夕方から再び松山市へ(前泊)。土曜日は朝から肉体系労働です。

Mahler 第8番 変ホ長調(第2楽章)〜エミール・タバコフ/ソフィア・フィル(1991年)ラストまで確認。オーケストラも声楽も少々線が細く、テンションが続かなかったりするが、基本誠実でそう悪い演奏ではないと思います。威圧感がない。うるさくない。録音良好で奥行きと清涼感があります。例えば金管の響きが魅力不足だったりするが、コスト・パーフォーマンス充分!もしかして一連のアブラヴァネル全集を聴き慣れたせいだろうか?(ショルティ支持派には縁がない演奏でしょう)ラスト「すべて移ろい過ぎゆく無常のものは」は存分にチカラも入って感動的。

ここしばらく敬遠気味の(誰でも大絶賛!)クルト・ザンデルリンクを。Sibelius 交響曲第6/7(1976年)/1番(1977年)を確認しました。(ベルリン交響楽団)立派な演奏であり、荒涼たる風景も眼前に浮かぶ・・・といった演奏だけれど、どうも立派過ぎというか、骨太な感じで、ワタシ個人としてはSibelius ではないんでないの?的印象を得ました。第1番のほうは、作品的にフィットしていて、勇壮なスケールに感動します。ザンデルリンクは「とにかくなんでも独逸風立派な作品に仕上げましょうね」的生真面目努力精進しちゃって、ある意味勘違いではないか・・・(きっと、日本在住多くのファンに叱られるだろうなぁ)

とうとう雨らしい雨も降らず、6月終了。病後一年間、無事に遣り過ごしました。

2005年6月某日


うぅ、暑いよう。今週は土曜までお仕事キツい。遅れていた(一ヶ月以上)通販CDの到着は明日になるとのこと。

(昨日の続き)Mahler 交響曲第6番イ短調〜ショルティ/シカゴ交響楽団(1970年)・・・絶賛されている方も(多く)いらっしゃって、ワタシの記憶では腰が軽くて落ち着かない、例の如しの”体育会系”演奏だったような記憶が・・・ああ、やっぱり素晴らしいオーケストラのテンションと技量、アンサンブルに間違いはないが、ほとんど陰影が存在しない。「悲劇的」という表題が正しいかどうか別にして、これはまったく”悲劇”ではない。筋肉隆々、気合いだ!的前向き演奏に支持者がいらっしゃることも理解できるが、ワタシはMahler に求めているものが異なります。

焦点は最終楽章にあって、指揮者とオーケストラが持てる力を全開にして、スピーカーから(昨日はイヤホンだったが)空気を揺さぶって音像が吹き出てくるような圧倒的な迫力。大音響でも全体がダンゴにならず、各パートの位置関係やら細かい旋律は明確に聴き取れました。リズムの切れ味、打楽器のハラの底まで染み渡るような地響き・・・声も出ないほど圧倒され・・・嗚呼、やはりこれは洗練されたスポーツ的快感(体育会系)だと思います。人生の懊悩とか甘美な胸の痛みとか、そんなものMahler には余計ですか?

ワタシはそこがキモだと思うのですが・・・余白に「さすらう若人の歌」(イヴォンヌ・ミントン)が収録されるが、女声による歌も悪くないし、ショルティのバックは入念ていねいな味付けで美しく、交響曲より好感が持てました。但し、この作品、脳裏にはフィッシャー・ディースカウ/フルトヴェングラーが木霊して、それとの違いを意識してしまいますが。出張ラスト、Sibelius 交響曲第7番ハ長調〜バルビローリ/ヘルシンキ交響楽団(録音年不明ロイヤル・フェスティヴァルホール・ライヴ)を。

ワタシはバルビローリのSibelius にコメントを付けられず、いつも怒濤のマジックに身を委ねてします。劣悪音質ではあるけれど、尋常ではない燃えるような情熱に全編満たされます。おそらくはスタジオ録音(1966年)より身振りも、節回しもいっそう入念で、ライヴらならでは、しかも馴染みの少ないオーケストラとの緊張感と感興がプラスされます。時に取り出して、痺れたい演奏(座右に置くべきものではないか? intaglio INCD7171)。

朝、30分遅いバスに乗ろうかな、と思いひびつつ結局いつものバスに・・・ところがナント15分遅れて到着。でも、ゆったり音楽を聴いていたので苦痛でもなし、イライラもせず・・・Dvora'k 交響曲第9番ホ短調〜ノイマン/ウィーン・フィル(1987年12月20日ライヴFMエア・チェック)を。これはもう、ほとんど晩年の虚飾ないストレート系穏健表現の極みであって、ウィーン・フィルってこういう自分の個性を強烈に表出しない指揮者でこそ、真価が発揮されるのでしょうか。

午前中ノンビリお仕事していたら、お昼休み直前に中トラブル発生!昼食はサンプルのカップ麺に・・・(とほほ)そのまま自宅へ寄って自家用車(掟破り)で地元取引先へ少々重い商談2件。商談途中、商品手配漏れ発見、商談しつつメーカー連絡出庫調整指示お願い(って、メーカー営業探したり、倉庫出庫担当に泣きついたり)・・・2時間後危機脱出。もう一件の商談はお互い意欲的な、気持ちよいものでしたね。知り合いの方からノートパソコン修理依頼有。久々、一雨ありました。気持ちよいものですね。

帰宅すると、HMVから通販CD届いてました。(なにを買うたかはナイショ)預かったノートパソコンはハードディスクが死にかかってました。なんとか分解して、手持ちのハードディスクに入れ替え、現在WindowsMe入れてます。ちゃんとドライバを上手く認識して下さるか・・・

2005年6月某日


ずいぶんと暑くて、昨夜はついにエアコン使用。暑けりゃ全然眠れないけど、エアコンでも熟睡できないんだけどね。本日、日帰りで山口まで。移動時間は長いのでCDを持参しなくちゃ。暑いし、そろそろ床屋さんに行きたいな。本日も雨降らず。

ヴィクトール・ヨーランというチェリストによる、Bach 無伴奏チェロ組曲第1番ト長調/第3番ハ長調(QUADROMANIA)を。激しく勢いのあるプレリュードに「お!」との期待高まるが、あとはワリとまともにノビノビ、すっきり演奏していて良い意味でまともでしょう。やや硬質でしっかりとした技巧と感じました。こんなに楽しめる作品なのに・・・著名なるカザルス盤での出会いを、少々恨めしく思い出しちゃいましたね。あれは立派すぎ、重すぎ、深刻すぎる。

MONNouの自作自演「密やかな音楽」(全28曲 1974年)より、少々。この人の音楽には、哀しみとか寂寥が静謐に語られていて(未だ見たこともない)スペインの田舎町に迷い込んだような、妖しくも懐かしい気分となります。偉大なるBeeやんには申し訳ないが、やはりピアノ曲ならこちらのほうが(現在のワタシには)しっくり来ちゃう。(中途半端収録の)「QUADROMANIA」4枚組、さきほどの続編でBach 「シャコンヌ」〜コンラッド・フォン・デア・ゴルツ(v)・・・この作品はヴァイオリン1台で宇宙の深淵が表現されます。激昂せず、走らず、豊かな残響に包まれた15分怒濤の感銘の嵐。

午前中事務所仕事片づけて、山口〜思ったより早く岡山に戻れましたね。(だいたいいつも想定より早く終わる・・・ことになっているが)いやぁ、山口も暑いっす。

今朝、mozart1889さんのブログを眺めていたら、Mendelssohn ヴァイオリン協奏曲ホ短調〜シェリング(v)/ハイティンク/コンセルトヘボウ管(1976年)が・・・さっそく、手持ちCDを取り出して確認しました。じっくり、細部まで描き込まれ、ゆらゆら泣いているような上品な音色は魅惑の世界。甘美な旋律は、とことん甘美なヴァイオリンで表現され、しかも弾き崩しやら(もちろん)技術的不備などあろうはずもない。「教科書的」との論評があったが、ワタシお勉強熱心な生徒に非ず、教科書には好意的な印象を持っておりません故、同意できず。(国語では部分抜粋が気に喰わず、できるだけ原本全部にあたるようにしていた。国語のテストはほとんどジョーダンでして、詳しくは清水義範「国語入試問題必勝法」をご覧あれ。すべての人々必読文献!笑えます)

数年間眠っていたポータブルMDプレーヤーを取り出して、朝あわてて充電したから30分弱しか電池保たず。聴いたのはMahler 交響曲第3番ニ短調(第5/6楽章)〜メータ/ウィーン・フィル/ヒンターマイヤー(a)/ウィーン国立歌劇場合唱団/ウィーン少年合唱団(1987年ライヴ)。メータの録音はロサンゼルス・フィル時代までしか聴く機会を(ほとんど)得ないが、これは立派な演奏でした。この辺りの「メータ先入観」では、雑で大掴みでゆるゆるで・・・みたいな印象だったが、そんなことはありませんね。スケールの大きな作品をちゃんと聴かせることに長けているのかな?C120カセットFMエア・チェック→MD音源だから、やや怪しげ音質ながら、ウィーン・フィルのシミジミ美しい弦、不器用なホルンを堪能させてスケールが大きい。

新幹線+在来線(往復)でタップリ音楽聴きましたよ。発見もたくさんありました。Mozart ヴァイオリン協奏曲第5/4番+協奏交響曲ヘ長調K.364〜ハイフェッツ(1956/62年+プリムローズ)・・・速いテンポ、切り詰められ、切羽詰まった硬質な表現、彼ならではの天才の表出だけれど、これはMozart ではなくハイフェッツを聴くべき録音でしょう。ワタシは大好きですが。

引き続きMozart !小夜曲 K.525〜カザルス/マールボロ音楽祭管(1967年)・・・昨年だったか、1951年ペルピニアン音楽祭の録音を聴いていたが、じつはステレオ録音も持っていたとは・・・失念しておりました。委細構わず、堂々生気漲る表現が好ましい。セレナード ハ短調K.388(1968年)/セレナード 変ホ長調K.375(1967年)・・・いずれもマールボロ音楽祭のライヴだけれど、溌剌として素朴な熱気を感じます。流麗、饒舌ではない。

さて問題はMahler 交響曲第6番イ短調〜ショルティ/シカゴ交響楽団(1970年)です。(駅売海賊盤だから云々する資格もないが。それでもワタシの耳には相当の優秀録音に感じます)あるMahler を愛する方のサイトでは「ベスト・ワン」との評価をされて、はてそうだったか?と再確認したもの。

・・・で、ここまでで力尽きて続きは明日。

2005年6月某日


いつものブルー・マンディだけれど、ここ最近は以前のどんよりとした感じはなくて、(さきほど今週のスケジュールを確認したが)見通し的に手応え有。組織の中での自分の位置とか、やるべきこと、お客との関係等、それなりに見えているからか、と思います。”憂鬱感”は、お仕事困難さとか物量問題が原因ではない。ましてや”気持ちの持ち方”みたいな俗っぽい問題じゃない。(でも、チーム含めてスケジュール調整は困難を極めそう?)おそらくは今週、身の振り方が発表される「メンタル・ヘルス」発症者は、じつにしょうもない「文句ばかり」ずっと(公の場で)発言していたっけ。自分で自分を追い込んでいたんだな。

Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ノイマン/ゲヴァントハウス管弦楽団(1965年)再度・・・第4/5楽章のみ。激昂しない、爆発しない、華やかではない、しかし奥行きあるオーケストラの響き、幅広い表現に不足はなくて、なんという奥床しい気品でしょうか。金管の艶消しサウンドは希有なものであり、ティンパニの効果は驚くべきもの。昨日、聴いた音楽の追記・・・Vivaldi 協奏曲集〜ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団(1970年頃)を2・3曲。

一部マニアに称揚された録音だけれど、オーボエやファゴット、フルートのソロ(+通奏低音)が美しいのに、切迫したバックの表現にはなんの意図があるのでしょうか。旋律を煽り、常に叫んでいるようであり、この集中力緊張感を”狂気の”といった決まり文句で喜ぶ方もいらっしゃるんだろうな。ワタシはケーゲルの記録としてそれなりに楽しんだけれど、Vivaldiはもっと気楽に、軽快に、美しく聴かれるべきもの、と思います。(BerlinClassics 009362BC)

昨日聴いた、Brahms ヴァイオリン・ソナタ集の関連で、BRILLIANTのBrahms 室内楽全集を取り出しました。(99642 12枚組2,830円 半分くらいしか聴いていない)有名どころの演奏家を集め、交響曲に比べてワタシにはずっと親しい存在ながら、いくつか見覚えというか、聴き覚えのない、どころか、作品そのものの存在を失念していたもの有〜弦楽五重奏曲ヘ長調/ト長調(ブランディス弦楽四重奏団+ディーン(va)1996年)・・・ん?弦楽五重奏?んなものありましったっけ?6重奏曲なら馴染みだけれど。エエ加減な記憶というか、失念というか、結論的に大切に聴かせていただきます。

今朝方書いた職場の仲間は、本日より2ヶ月の休養入院に入りました。う〜む、残念。なんやら暑苦しく、トラブル続き(直接ワタシの担当でないものも含め)で、どんより疲れております。夜ちょっと残業していたら目が霞み、目眩も少々・・・大丈夫か?大丈夫!通勤、行き帰りバス待ち時間含めて(ワン・パターンやなぁ)Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜シュウォーツ/ロンドン響(1959年頃)を再び全曲確認。

嗚呼、良いですね。まったり柔らかく、余裕があって優しい。悲劇を強調しない、絶叫しない。強面にならない。叩き付けない。各パート緩いくらいゆったり、ていねいに舐めるように表情は細やかであり、穏やか、豊満で暖かい響きなんです。録音が驚くほど優秀であることも手伝って、いままで気付かなかった各パートの裏旋律の効果も新鮮です。結論的に、これほど美しい音楽には滅多に出会えないのではないか・・・白眉は第4楽章「アダージエット」〜予想外にさっぱり、サラサラと流れてテンポの揺れもほとんど存在しないが、滲み出るような自然な情感が溢れました。

2005年6月某日


快晴の休日です。しばらく好天が続くらしい。昨夜は暑くて寝苦しかった・・・雨乞いの儀式が必要じゃ。もう6月も終わるというのに。

Chopin の「アンダンテ・スピアナートと華麗なるポロネーズ」〜たいへんな名曲でして、ワタシも大好き。で、この管弦楽伴奏版が入手しにくい・・・との記事を拝見。そうですか?ワタシは3枚ほど手許にあるけど〜ということで、久々ビレット(p)/スタンコフスキー/スロヴァキア国立フィル(コシツェ。1990/91年録音)を確認。残響豊かで雰囲気たっぷり・・・テクニック充分で緻密、でも、妙によそよそしくクールな表情か。いえいえ、これはこれで(協奏曲第1番ホ短調含め)充分楽しみましたよ。(サイト用原稿に)

個性の違いを確認しましょ、という趣旨で、Chopin ピアノ協奏曲第1番ホ短調(マガロフ(p)/ベンツィ/コンセール・ラムルー 1962年)第2番ヘ短調(ハスキル(p)/マルケヴィッチ/コンセール・ラムルー 1960年)を。ははぁ、なるほど。こちらやや旧世代の演奏は陰りとか、揺れとか、鄙びたリズムとか、そんな味わいちゃんとあるんですね。バックが少々粗くて響きが薄いところなど、いかにも”Chopin の伴奏は付け足しだよ!”的時代の流れをも感じさせます。(マルケヴィッチはいつもながら激し過ぎ)

Bruckner 交響曲第9番ニ短調〜マタチッチ/チェコ・フィル(1980年ライヴ)・・・って、コレ以外と新しい時代の録音だったんですね。音量小さくリビング用オーディオで聴いたので、まだよく様子がわかりません・・・が、期待充分の金管の深さ、弦の味わいある響き、壮絶なティンパニの迫力。

体調悪くないが、スポーツクラブへ行く意欲も起きない。午前中、ちょっとだけご近所BOOK・OFFを覗いた程度・・・(柳田邦男「脳治療革命の朝」入手〜この人の著作は絶対に外せない)、あまりの暑さにアイスクリームなど購入。帰宅してエアコンを2台清掃・・・試しに入れてみたら快適なこと!思わず読書しつつ熟睡しちゃいました。(夜は涼しいな)

Brahms ヴァイオリン・ソナタ3曲〜シェリング(v)/ルービンシュタイン(p)(1960年)を。このCDとは10年を越えるお付き合いだけれど、どうもピン!ときたことがない。第2番イ長調だったら、シゲティの無骨・たどたどしい演奏が脳裏に刷り込まれているせいか、なぜか違和感が・・・ちょっとヴォリュームを上げて、しっかり集中すると、気品ある味わいが伝わりました。

先月、Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜シュウォーツ/ロンドン響の演奏を再聴。まったり豊かで、余裕の表情に感銘深く、サイト用原稿再執筆したら誤って上書きして紛失(ショック!)〜本日は、ノイマン/ゲヴァントハウス管弦楽団(1965年)で確認。驚くべき自然な優秀録音。

ワタシ、世評高いコンヴィチュニー時代も、1970年代以降マズア時代も、このオーケストラはお気に入りじゃない。(最近のブロムシュテットの演奏は未聴・・・ま、所詮CDのことだけど)ゲヴァントハウスはノイマン時代(1964年-68年)が白眉なんです。アンサンブルは精緻で集中力があり、響きはジミで抑制もあるが非常に美しい。シカゴ響(例えばショルティ、アバド)みたいにキンキラキンの大爆発演奏ではないが、噛みしめるような深さと満足感がある・・・(主席ホルンはペーター・ダムだそうです)

2005年6月某日


カラ梅雨です。田植えができないところあるらしい。これから新居浜に向かいます。一年半ぶりくらいか。JR四国の列車は遅いんですよ。

Brucknerのハイティンク旧全集は半分くらいの消化だけれど、昨日また買ってしまいました。(職場からいくつかのお店が至近、というのも考えもの)マタチッチ/チェコ・フィルの第7/9番が@508・・・以前から購入しようと考えていたものだし、手持ちのCDには心底感動した記憶も・・・ところがその記憶が怪しい。第5番だったはずだけれど・・・いや、第7番だったか?いえいえ第2楽章「アダージョ」の記憶がない・・・で、とにかく500円捨ててもいいや、という決意で購入〜帰宅して在庫確認したらセーフ!

第7番ホ長調(1967年)聴いてます。ゆったりとしたテンポ、落ち着いた味わい、素朴で深いオーケストラの響き・・・続きは移動中に楽しみましょう。

予想外に早々に訪問終了し、今治駅から即特急で岡山へ。駅前のバス停には自宅方面行きのバスが待機・・・余裕の出張ですな。ピーカンでして、いくつか川にはまったく水がない!(かなりの大きな川が干上がってる〜中山川・加茂川・国領川が干上がっています、との現地からの報告有)・・・伊予西条平野は素晴らしき田園地帯でした。(JR四国中で聴いたのは)Bruckner 第7番ホ長調〜マタチッチ/チェコ・フィル(1967年)全曲確認・・・ややヴァイオリンの高音が細身に響くが、非常に美しいオーケストラの響きが堪能できます。優秀録音。NHK交響楽団との第8番(1884年ライヴ)をイメージするとアンサンブルの完成度、緻密度に於いてずいぶんと異なるし、素朴なザラつきとも少々縁が薄い・・・が、巨魁のようなスケールの感動には比類がない。

R.Strauss 歌劇「サロメ」(後半)〜スウィトナー/シュターツカペレ・ドレスデン(1963年)・・・「スウィトナー80歳記念ボックス」(edel 0002442CCC 11枚組)このボックスは中途半端な収録で、前後に出た「スウィトナー・ボックス」と収録がダブってしまって、後半分が購入できなかったもの〜に含まれるもの。(閑話休題)驚くべき鮮明な音質、涼やかに鳴りきった優秀なオーケストラ、細部迄描き込まれ、凝りに凝った華やかな旋律が躍動します。クリステル・ゴルツ(s)の声質そのものが悲劇的であって、しかもヒステリックに響かない。

ラスト(岡山到着迄聴いたのが)Beethoven ピアノ・ソナタ第30番ホ長調/第31番 変ホ長調〜リチャード・グート(p)(1986/88年)・・・抑制の利いた、むしろ静謐と冷静を感じさせるタッチ。ワタシは”強いBeethoven ”は苦手なんです。

2005年6月某日


首筋が痛いというか、凝っているというか、(自分にとって)珍しい症状はオツカレ気味サラリーマンでしょうか。少々、効率の悪いスケジュールを組んでしまって、明日も終日愛媛県東部訪問だし、本日は地元取引先と商談+諸日常業務意欲的消化予定・・・サイト更新不能状態(サーバー移動中とのこと)だし、朝はちょっとゆっくり遅れて出勤しましょう。(ほんまはフレックスだから”遅れる”といった概念はないんだけれど)昨日テレビで拝見した貴乃花親方は70kg減量したそうで、ワタシも負けてはいられない。

小山内博「生活習慣病に克つ新常識〜まず朝食を抜く!」(新潮社新書)・・・これは2度目の拝読だけれど、「朝食派」のワタシとしては少々ツラいものがあるものの、全体として人間の生理を的確に分析して、自分の生活を見直すに充分な示唆に富んでおりました。対処療法ではなく、根本原因を見極めること。例えば「コレステロール・中性脂肪は動脈硬化の原因ではない」・・・つまりそれは「結果」であると。だから対策は別にある、とのこと。胃ガンや糖尿病の発症経緯も良く理解できます。真剣に生活改善しないと!(かつてのべ100回は決意しているが)

網野善彦「蒙古襲来」(上)転換する社会(鎌倉時代中期)(小学館ライブラリー)・・・「歴史を学ぶ」というということは、なんと奥深く、ダイナミックな行為なのでしょう。北条執権時代支配層のみ表層的な事象ではなく、実際の歴史は農民や漁労民、山の民、後生で言うところの商人、技能職人、金貸し・・・大多数の庶民で動いている・・・当たり前のことを詳細資料、または資料に残り得ない証拠を示していよいよ(下)へ。これは急いで続編買ってこないと。

昨日、新幹線移動中に聴いた音楽続編。Scho"nberg「浄められた夜」(1960年)、Bartok「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」(1959年)、Debussy「牧神の午後への前奏曲」(1958年。J.ベーカー(f))〜ストコフスキー/彼の管弦楽団・・・生涯録音にこだわった彼だけれど、時代の制約なのか、それとも「録音に対する思想」なのか、優秀録音に出会ったことはない。定位は滅茶苦茶で、妙に遠い外れで楽器が鳴って(広がり強調しすぎ)不自然きわまりない。個々のパートの音質も(いじり過ぎなのか)埃っぽくて、美しいとは思えません。演奏はグラマラスだけれど、リズムの集中力を欠き、雰囲気で聴かせるものか。

Mozart ピアノ協奏曲第20番ニ短調/16番ニ長調〜フィルクシュニー(p)/ブール/南西ドイツ放送交響楽団(録音年不明)・・・冷静抑制の利いたバックに想像を絶する細かいニュアンス、暖かく、寂寥の味わい深いピアノが淡々と進みます。文句なし。

BBCMUSIC  BBCMM124Mahler 交響曲第10番 嬰ヘ長調(クック完成版)〜マーク・ウィッグルスワース/ウェールズBBCナショナル管弦楽団(1993年)・・・これは、ライヴとは信じがたい集中力高いアンサンブルに驚かされます。演奏者知名度からは想像できない充実した構成力、スケール、知的方面の表現は大成功でした。ラスト、Sibelius ヴァイオリン協奏曲ニ短調〜アッカルド(v)/コリン・デイヴィス/ロンドン交響楽団(1979年)・・・これはノビノビしたソロと冷涼なバックが噛み合って清々しい演奏でした。コリン・デイヴィスにはボストン響より、こちらのほうが相性が良いような印象を受けました。

結局、いつもより15分ほどの遅れで出勤、諸作業(無理難題作文要請迅速に)こなし、即地元お取引先で充実した商談〜職場に戻って意欲的に机の上のゴミ(風宿題)ばっさばっさと撫で斬って、明日は早いしさっさと帰宅。ゆっくりします。「タイガー&ドラゴン」最終回だし。

2005年6月某日


お客様がたくさん集まる行事があって、あちこち笑顔を声掛けられて、無事やり過ごして東京へ。(お仕事数値はちっとも改善しないのに、妙なニコポン世界か。少々空しいぞ!)ま、ワタシのサイトに声を掛けて下さったお二人と、初対面で飲むのも気分転換にエエものですな。やや年格好は異なる三人だけれど、いずれ日本を支えるサラリーマンご同輩の居酒屋談義でした。今朝から一日会議。勉強になります。いろいろネタをいただきましたよ。

会議が思ったより早く終わったので、新幹線の時間まで渋谷タワーを覗くが、未聴CD溜まっているし、まだ、通販で入荷遅れのものもあるはずだし、購入意欲も起きないし、”出物”との出会いもありません。ま、ここ最近買い過ぎだし。行き帰りの新幹線では(今回は電池の準備万全にて)たくさんCD聴いたけれど、イマイチ集中できず、状態でした。精神状態問題か。

Sibelius 交響曲第3/6/7番〜コリン・デイヴィス/ボストン交響楽団(1975/6年)・・・以前、第2番を聴いたときにも感じたが、オーケストラの個性からからは想像できない素朴な、鄙びた味わい有。録音問題ですか?それとも聴き手の勘違いか。ワタシ好みの作品、指揮者、オーケストラだけれど、微妙な違和感がある・・・Gershwin 「ラプソディ・イン・ブルー」「前奏曲第2番嬰ヘ短調」Bernstein「ウェスト・サイド・ストーリー〜シンフォニック・ダンス」〜バーンスタイン/ロサンゼルス・フィル(1982年)・・・これもお気に入り作品。

「ラプソディ」にカットがある、やや粘性と重さを・・・云々はともかく、雰囲気たっぷりで悪くありません。「前奏曲」の物憂い味わいも、自作の変拍子もほんまに素晴らしい・・・が、この録音はなんだ。ヘッドホンで確認すると、定位とか奥行きとか全然ダメ、国内プレスのせいですか?更に、Wagner 「ヴァルキューレ」第1幕〜マゼール/ピッツバーグ交響楽団/ダン/ケーニヒ/メヴン(1990年)録音が売り物のTELARCレーベルですよ。

ずいぶんと久々に聴いたような気もするが、いわゆる”アメリカ的”(明るすぎ、金属的)みたいな印象はなくて、(歌い手含め)立派な、ちゃんとした演奏に感じましたが、誤解ですか?でもね、演奏そのものより、やはり会場、舞台の奥行きやら位置関係が感じられない。それが少々不満です。個々の楽器やパートが鮮明に捉えられているだけでは、良質な録音とは言えない。Bruckner 弦楽五重奏曲ヘ長調〜メロス弦楽四重奏団+サンチャゴ(va)・・・ああ、これです。録音云々言い過ぎました。これはほんまに楽しい。

交響曲とまったく変わらない。いえいえむしろ旋律の絡み合いが鮮明に見えて、妖しい魅力に溢れます。次のHaydn 弦楽四重奏曲ニ長調 作品20-4にも文句ない愉悦感有。武満徹「管弦楽作品集」〜岩城宏之/メルボルン交響楽団/ダウス(v)(1990年)・・・日本ではRCAから発売されたが、ABC(オーストラリア放送か)レーベルではわずか$1.99。これはリズムとか明快な旋律を聴くべきものではなくて、色彩の移ろいとか、空気のかすかな動きをカラダで感じるべき幽玄です。

あと聴いたCDは3枚。チカラ尽きました。明日、定例更新だけれど、借りているサーバー増設で午前中更新不能みたいです。ちょっと遅れます。

2005年6月某日


どうも熟睡できず、途中目覚めてしまう。運動不足かな。すっかりカラ梅雨だけれど、東京では雨が降っているとか。

先日、(積年の課題であった)Telemann「食卓の音楽」全曲(BRILLIANT 92177 ムジカ・アンフィオン 2003年録音 4枚組1,396円)を購入、その全貌を少しずつ確認中です。ワタシはPILZの怪しげ抜粋しか聴いたことがなく、NAXOSの黄金時代管弦楽団(1995年)盤も中途半端に一枚のみ購入して、(当時)ピン!と来なかったので、そのままになっていたもの。今回、ようやくPILZ盤収録の謎がわかったし、”Bach を大衆的に親しみやすくした魅力”を堪能しました。まだ、全曲ではないが。

PILZ盤、黄金時代管弦楽団盤、ムジカ・アンフィオン盤を聴き比べ、もちろん最新鋭の古楽器演奏の技量はもちろん、ピッチの違いに驚いたものです。黄金時代管弦楽団盤は、今確認するとそう違和感はありませんでした。(これから出勤〜出張で更新一日空きます)

2005年6月某日


ご当地(愛媛県)でも水不足が心配されているようです。本来、梅雨真っ盛りの時期だけれど、好天続き。昨夜は空調が上手くいかず、咳き込んでよく眠れませんでした。(体調は悪くないが)これから少々重い商談有。高松にも寄らなくっちゃいけないし。ま、お仕事ですから。話題の貴乃花親方だけれど、ずいぶんと痩せたなぁ・・・負けていられない。

昨日、あまりよく聞こえない状況(車中騒音カーステレオ)だったハイティンクのBruckner 第0番ニ短調を、ポータブルCDプレーヤーで再確認・・・1966年の録音だけれど、細部まで繊細に描き込まれた表現がよくわかります。コンセルトヘボウが柔らかく、深く鳴っていて、(なんどもあちこちの演奏で聴いた作品なのに)しみじみ静かで、美しい旋律を堪能しました。

どうもいけん。今朝の商談はそこそこだけれど、やや手応えなく、他の宿題も残ったまま、高松転戦するが、お相手(またも!)ドタキャン・・・お陰様でずいぶんと早く(そのまま)自宅に戻りました。お仕事テンション、意欲、全然上がりまへんな。なんか、どっと疲れが出た。もうダメ。帰宅して、ま、とにかく音楽でも・・・Bruckner 交響曲第4番変ホ長調〜ハイティンク/コンセルトヘボウ管(1965年。ハース版だそうです。ようワカらんが)を。2年前の第3番から長足の進歩を遂げていて、既に虚飾も作為もない、自然体の落ち着きが感じられます。ウィーン・フィルとの1985年録音にも感動したけれど、こちらコンセルトヘボウのくすんで、柔らかい奥行きも負けておりません。

楽章ラストややアッチェランドが若いというか、青いで!と言う感じも微笑ましいが、練り上げられたオーケストラの響きそのものが魅力的。ホルン、弦、トランペット、フルート・・・嗚呼キリがない。スケルツォは若々しい爆発がむしろ好ましい・・・最終楽章の熱気と勢いは希有な魅力。

明日は大きな行事があって、そのまま東京入り。

2005年6月某日


前回は出張疲れ→咽の痛み→体調不良→身動きできず・・・状態に陥ったが、今回はセーフみたい。だけれど、休みにほとんど外出せずゴロゴロでは人生楽しくないではないか。もうじき7月だというのに、全然雨降らず〜水不足深刻か?

昨夜、デ・ラローチャ(p)のボックスを取り出した関係で、Schumann ピアノ協奏曲イ短調 作品54(1980年。バックはデュトワ/ロイヤル・フィルハーモニー)を再確認・・・いや、もうこれ声も出ないほど感動して、「いままでこの作品になにを聴いてきたのか?」状態。しっとり瑞々しく、激情ではなく優しさ、テクニック余裕のゆったりめテンポ。浪漫とはこういうことだ!的発見にドキドキもの〜でも、コリン・デイヴィスとの新録音が出たせいか、ネットで検索しても見あたりませんね。もったいない。

D.Scarlatti のソナタ集はお気に入りです。Bach と同じように、ピアノで聴く機会が多いのはどうしてでしょうか。ハスキルが1950年に録音した11曲を・・・例えばホロヴィッツのとろけるような美音の世界ではなく、またピリオド楽器の素朴に躍動するものでもなく、淡々色付けがほとんどないようでいて、各曲個性明確に描き分けられる集中力に胸打たれます。(音質良好。但し、The 50'sというレーベルの海賊盤。ヘ長調ソナタはK.437誤→K.6正であるところもオリジナルと同じ表記)

同じアルバムに収録されたSchumann ピアノ協奏曲(バックはオッテルロー/ハーグ・フィル 1951年)も、前回聴いた時にデ・ラローチャに負けない感動があったと記憶するが・・・再確認が必要ですな。本日、夜から松山入り。

今月のお仕事数値ほぼ締まって、予想通りぼろぼろ。もう今年はエエです。しかたがない。「もっと大きな視野で仕事せい!」と、ワケのワカらんこと叫んで、まわりをケムに巻いてます。で、夕方、松山まで急ぎ向かったらお相手にドタキャンされました。ま、あんまり飲みたくもなかったし、おとなしくホテルで遅弁当喰ってます。

景気やや前向きとはいえ、苦しみ抜いているサラリーマンやら、お仕事を一生懸命探していらっしゃる方も多いことでしょう。ウチの職場でワタシより少々先輩が、どうやらメンタル・ヘルスでヤバいみたい〜んなこともありつつ、ありがたくも夏のボーナス出ました。(CD以外は)浪費家ではないので、お小遣いに困ったことはないが、臨時に女房から支給有。清水の舞台から飛び降りたつもりで!買いました!え?またかよ!

ハイティンク/コンセルトヘボウのBruckner旧全集・・・HMV通販では8,212円だけれど、無事6,500円ほどで入手成功(本音ではあと500円ほど価格接近を望みたかった)既に第3番ニ短調(1963年。全集中もっとも初期の録音で、急いて落ち着かない味わい有。いかにも若い!それも魅力!録音はせっかくの金管がつぶれがち)、第8番ハ短調(1969年。これはもう既に後年の自然体と、深々としたオーケストラの響きを生かす世界が堪能できます。スリーヴ記載の1960年録音は当然ミスプリ)、第0番ニ短調(1966年)第1番ハ短調(1972年)・・・さきほどクルマで聴きつつ運転したが、これほどわかりやすい演奏は初体験じゃないでしょうか。

まじめに聴きましょう。ちょっと買いすぎか。今朝、「フルトヴェングラー1952RAIレコーディングス」より、Brahms 交響曲第1番ハ短調/Haydn 交響曲第88番ト長調「V字」〜イタリア放送トリノ交響楽団を聴きました。強烈なる個性+劣悪なる音質。第2楽章は陶酔の極地であって、音質云々は忘れ去ります。旋律は自由自在に伸びたり縮んだりで、その説得力には比類がない。このオーケストラは”一流”とは評価されていないだろうが、オーケストラの弱さなど微塵も感じさせない・・・

2005年6月某日


昨日、体調不良でほぼ終日外出せずじっとしておりました。やはり疲れが溜まっているのか。今週も、似たような激出張+東京へ。

またサーバーの調子がよろしくなく、閲覧は大丈夫みたいだけれど、更新不能。ネタ的に「Windows 永遠の初心者(ブログ版〜ビンボー症PC)」方面かも知れないが、今借りている無料サイト・スペースは良くやって下さいますよ。ちゃんとメンテナンス情報ありますし。最近流行の「ブログ」だけれど、やたらとアクセスが重かったり、やはりサーバー・トラブルがあったりで、データの保存としては少々心配のような気もします。ま、基本は「ちゃんと継続更新すること」「コンテンツ勝負」だけど。(ブログに更新済)

de Falla 3枚組、歌劇(サルスエラと呼ぶべきか)「はかなき人生」に引き続き、バレエ「恋は魔術師」ほかが含まれる2枚目も絶好調。”シモン・ボリヴァール響”って、BeethovenやらBrucknerでは少々ヤバいかもしれないが、躍動するローカル色がぷんぷん臭う(”匂う”ではないな)作品ではツボにはまって、もうたいした魅力です。マータって爆演系のイメージ強いけど、弱音の繊細さにも注目していただきたいところ。(HMVのサイトをみると、さほどに売れていないようだけれど、これは作品の嗜好と演奏者の知名度問題でしょうか)

なんかすっかり”スペイン”付いてしまって、バレエ「恋は魔術師」(オリジナル初演版)〜ディニ・チアッチ/イ・カメリスティ(1995年NAXOS)を確認(これもノリノリ!熱気溢れる演奏です。室内楽編成・台詞入り・録音鮮明)、「スペインの庭の夜」〜ルービンシュタイン(p)は、エンリケ・ホルダ/サン・フランシスコ交響楽団(1957年)、オーマンディ/フィラデルフィア管(1969年・・・所有CD1961年表記はミスプリでしょう)両方確認しちゃいました。これは旧録音のホルダのアツいリズムに軍配かな?ピアノそのものはローカル色強調ではなくて、ヴィルトゥオーゾ鮮やか華やかな世界でした。

アリシア・デ・ラローチャの7枚組(The Art of Alicia de Larrocha DECCA 473 813-2 7枚組1,650円)de Falla 「スペインの庭の夜」って、ほかにどんな音源を持っていただろうか?と棚をひっくり返してみました。先日購入したばかりのアンドリーセン(p)/クレンペラー/コンセルトヘボウ(1951年)は記憶にも新しいが、歴史的録音と言えばブランカール(p)/アンセルメ/スイス・ロマンド管(1942年)が10枚組ボックスに入っていたような記憶がある。おお、そういえば前々月に五反田BOOK・OFFで衝撃の出会いをしたアリシア・デ・ラローチャの7枚組(The Art of Alicia de Larrocha DECCA 473 813-2 7枚組1,650円)に含まれていたような・・・(コミッシオーナ/スイス・ロマンド管1970年。つまり、まだ全部は聴いていない・・・情けない。恥ずかしい)

じつはもっとも以前から所有しているのはマルグリット・ウェーバー(p)/クーベリック/バイエルン放響という(今となっては珍しい)CDが手許にある(録音年不明。DG正規録音)が、随分聴いていないから”どんな演奏だったか?”・・・というのも(ますます)情けないな。全部一気に聴けないから、結論的にノヴァエス(p)/スワロフスキー/ウィーン交響楽団(1950年代VOX)を取り出しました。いや、もうこれが予想外に録音明快(なんせVOXでしょう。当然モノラルだし)で、悠揚迫らざるスケールと落ち着き、細部入念な表現に驚かされました。(ついでにGrieg ピアノ協奏曲イ短調も聴いたけれど、いっそう爽快で溌剌〜このピアニストには素晴らしい広がりを感じます)

ブランカール(p)/アンセルメ/スイス・ロマンド管も聴いてみましたよ。録音は相対的に聴きやすいもので、粋で小味なピアノと、気怠い雰囲気タップリのバックが(録音故の誤解か?)楽しめる演奏でした。次にHonegger「夏の牧歌」が収録され、遠く幼い日の夏休みの浮き立つような喧噪を回想させ、涙ぐむほど懐かしい。

2005年6月某日


遅れ馳せながらサイト定例更新。もう原稿在庫はないから、書き貯めないと・・・でも、集中力が途切れてます。肩が凝っているから、また風邪ウィルスにやられているかな?ほんま、抵抗力がない。スポーツ・クラブで逆療法するか。

新橋キムラヤでは(怒濤の連続購入にリミッターが掛からない!)いくつか待望のCD入手しました。NAXOS「English String Miniatures」の第1集〜ロイド・ジョーンズ/ロイヤル・バレエ・シンフォニア(1996年 8.554186)・・・これは第1集〜4集まで存在するのに、前回まとめて購入時”第2集を誤って2枚買ってしまった”大ボケ行為で買い損ねていたもの。(件の第2集は英吉利音楽好きの友人に譲って、結果的に彼が先に全4枚集めてしまった!)RUTTER、ORR、MELACHRINO、DODD・・・(ほか5名)名前はもちろん、読み方さえワカラン20世紀の作品ばかり集めて、どれも平易で馴染み深い、懐かしいような旋律ばかり続きます。泣けます。エエのん買うた。(924円は少々出費が痛いが)

NAXOSは意欲的に英吉利音楽を系統的に出してますね。同趣向では「English String Festival」(リーパー/カペラ・イストロポリターナ 1989年)、「English String Music」(シュトゥッド/ボーンマス・シンフォニエッタ 1993年)・・・これらは比較的知名度のある作品集でした。(でもさ、Dowland 5声のガイヤルドなんて含むけど)「English Festival」(リーパー/スロヴァキア放響 1989年)は、有名どころのオムニバスとなります。

おそらくは今回購入最高の”当たり!”は、de Falla 歌劇『はかなき人生』ほか、作品集3枚組〜エドゥアルド・マータ/シモン・ボリヴァール交響楽団/合唱団(ベネズエラ)か。馴染みで有名なる「スペイン舞曲」初めて、オペラ全曲の一部としてちゃんと聴きました。驚くべきリズムの切れと、アッチェランドもアツくてカスタネットがもんの凄くカッコ良い!(ラスト”オレ!”の掛け声も熱狂的)で、途中激しくかき鳴らすフラメンコ・ギターとダミ声の歌(まるでジプシー・キングスですな)、拍手で取るリズム(あれはなんて言うの?)も聴きもの。(新橋キムラヤにて1,029円で購入しました。これで三枚組!)

んもう、昨日から痺れつつ3回聴きましたよ。貧しい娘サルーが、恋人パコに裏切られ、お金持ちの娘カルメーラと結婚しちゃう・・・という可哀想な筋。で、その結婚式に殴り込みを掛けるが、パコの非情な言葉にサルーは息絶えてしまう・・・CD一枚分です。マルタ・セン(s)ちょっと哀しげな声でエエ感じです。シモン・ボリヴァール交響楽団(ベネズエラ)は、2枚目に収録される管弦楽作品ともども、驚くべきノリと精気溢れるアンサンブルでした。

敬愛するジュリーニ逝去、91歳とのこと。Beethoven 交響曲第6番ヘ長調〜ロサンゼルス・フィル(1979年)を聴いて個人的追悼しました。上品、ていねいで、けっして激昂しない。つねに悠然とした歌を感じさせる・・・素晴らしい指揮者でした。1991年頃ミラノですれ違ったのが、ワタシの儚い自慢です。

2005年6月某日


昨夜は飲み過ぎたなぁ。ホテルまでちゃんとたどり着いたけど、気付いたらそのままベッドの上で意識失ってました。水戸まで行ったんだけど、上野までの特急中でも壱時間ずっとビール(しかも生ビールなんだよね)飲んで、更に上野の居酒屋で更に飲んで・・・楽しかったですよ、サラリーマン仲間でジョーダンばっか。関東方面は寒いっすねぇ、ちょっと風邪ひいたかも。

ワタシ、生粋の猫派だけれど、水戸のスーパー入り口でおとなしく待っていた犬は、じつに性格良さそうで、犬派の同僚にいいようにいじられてましたね。なんか、眺めているだけで癒されちゃった・・・出張移動中読んだ本2冊。五木寛之「知の休日」(集英社新書)・・・深いなぁ、人生の奥行きだなぁ・・・それはともかく「ゲルピン」って、久々に聞いた。死語ですかね。なだいなだ「こころ医者の手帳」(ちくま文庫)・・・このひとの著作はずいぶん長く、たくさん読んできて、この本だって変幻自在の話題で「現代における精神疾患の難しさ」を浮き彫りにします。1999年の著作だけど、「ファジー」って出てきますね。この言葉も短命だったですよ。

今回も飛行機での移動だったから、音楽はそこそこに〜って、高知〜羽田・・・上野集合まで時間が少々、お昼も食べなくっちゃいけないし、って、新橋で降りたら「キムラヤ」があるじゃないですか。嗚呼、お江戸ってどーして素敵なCDがいっぱいあるの?BRILLIANTの新譜旧譜たっくさんあって、またまた(少々)散財しちゃいました。「キムラヤ」はほんま安いし。(先週買ったミケランジェリ10枚組が1,290円でっせ)

持参CDで聴いたのは一枚のみ。先日、某サイトで話題になっていたMahler 「大地の歌」〜カルロス・クライバー/ウィーン交響楽団/ルートヴィヒ/クメント(1967年ライヴ)を。ウィーンに於けるMahler 復権を決定付けたとされる1967年ウィーン芸術週間の海賊収録であり、おそらくはカルロスのもっとも初期の録音のひとつか。音質ともかく、ウィーン響はテンション高く、速めのテンポ、爆発的エネルギーを感じさせるアンサンブル。

歌い手はオペラティックな濃厚さを感じさせ、クライバーは旋律をセクシーに煽ります。戦前世代の巨匠達の茫洋たるスケールではない(引き締まっている)し、ユダヤ的粘着質でもない。でもさ、正直、Mahler ではない・・・そんな印象もありました。(定例更新は明日に延期)

2005年6月某日


寝坊しちゃいかん、と思うとほとんど眠れない。夜半に雨になったみたい。これから空港に向かうが、脱輪とはねぇ・・・どーなっとんのか?日本。

ジュリーニ逝去とのこと。91歳。しかたがないな、この年齢なら。ワタシは彼のファンであることを自認しているが、じつはCD数枚しか聴いたことがありません。追悼の念込めて、しっかり在庫CDを聴きましょう。彼のMozart は最上のもののひとつだと思います。

2005年6月某日


朝刊によると岡山も水源が危ういらしい。最近雨らしい雨は降ってませんからね。梅雨前線よ、さっさと北上しなさい。本日昼から(クルマで)高知へ、明日早朝一便龍馬空港から羽田へ、水戸まで行きます。服装は流行のクール・ビス(ワケあって、たんなる休日ファッション)でいこうかな。持参CDやら書籍を選定しないと。昨日出張で聴き残したHaydn 交響曲第100番ト長調「軍隊」〜ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカ(1974年)を確認。

イヤホンと部屋での聴感の違か、いっそう躍動するアンサンブルが感銘深いですね。当時の英DECCAの全集作成演奏者起用判断はまったく正しい。ウィーン・フィル(この場合複数の指揮者の起用となったでしょう)だったら、オーケストラの味わい(それが典雅なものであったとしても)前面で、作品を生(き)のまま味わうには少々独自の色が付きすぎるか、と思います。(もちろん、多忙なるウィーン・フィルの都合、なにより経費問題が基本だろうが)ドラティは時に、素っ気ないほどドライな表現で少々ガックリくることもあるけれど、ここではオーケストラ・コントロールも万全、各楽章表情の変化も楽しく、最終楽章打楽器大活躍の大団円を迎えました。

「フルトヴェングラー1952RAIレコーディングス」より、Beethoven 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」〜イタリア放送ローマ交響楽団を。これも先日溢れかえるBeethoven 交響曲在庫に嘆息したばかりだけれど、LP時代の在庫は回復する!という大原則があるからしかたがない(・・・と自らに言い訳)。「丁寧なリマスタリング」とのことだけれど、元が元ですからねぇ。日本でのあまりの熱狂人気状態に天の邪鬼であったワタシは、さほどにフルトヴェングラーに馴染んでおりません。彼の定番「英雄」もEMIスタジオ録音を(まともに)聴いていないはずだし、著名な1944年盤も聴き流し程度の大罰当たり者。

RAI1952年盤はよろしからぬ音質の中、揺れ動く個性的な、あくまでフルトヴェングラーの個性を堪能すべきものでして、まったく飽きさせない集中力でした。(彼の他演奏との比較は出来ないので、なんとも言えず)でも「英雄」を聴くのだったら、クリップスとかクレツキとか・・・辺りが自分の嗜好でしょうか。(一気週末まで東京で引き続き会議なので、定例更新遅れます)

本日はワタシの都合で取引先のご担当、お休みのところ(わざわざ)出てきていただいてご商談。そのため、いつもより早く、昼過ぎには岡山を出発しました。だから、夕方ゆるゆるのスケジュール、これからチームで飲みにいきまっせ。明日、早朝から東京へ・・・安物の社用車で、騒音うるさく音楽聴いたけど様子はよくわかりません。

Stravinsky 詩篇交響曲/Mahler 交響曲第1番ニ長調〜マルケヴィッチ/フランス国立管弦楽団(1967ライヴ)、Debussy 「牧神」「イベリア」「海」〜チェリビダッケ/フランス国立管弦楽団(1974年ライヴ)・・・こちらはそれでも音の状態は良好で、まったり雰囲気のある演奏でしたね。

2005年6月某日


良い天気です。岡山は水源豊富なところで心配ないが、お隣・香川県はにっちもさっちもいかない。昨年は台風・大水害で苦労されたが、ことしは例年の水不足らしい。上手くいかんもんですな。本日、昼前から広島へ。日帰りで商談は一本しかないが、機構変更人事異動があったから挨拶というか、打ち合わせを数件するつもり。遅くなるかも知れない。

昨夜からBruckner聴いてます。ハイティンク/コンセルトヘボウの旧全集が欲しいと思うが、少々価格が折り合わないのと、まずちゃんと聴くべきものが手許にあるでしょ、ということでベイヌム/コンセルトヘボウ管4枚組を・・・(PHILIPS 464 950-2)交響曲第9番ニ短調(1956年)/第8番ハ短調(1955年)聴きました。(ずいぶんと久々)音質が音質だし(第8番が比較的聴きやすい)今更モノラル録音でムリして聴かなくても・・・とは思うが、この指揮者、1970年頃の900円LP(Brahms 交響曲第4番)以来お気に入りなんです。

結論的に、第8番終楽章のティンパニの炸裂・テンポのタメ、揺れが個性的で決まっているが、全体としてはストレート系で粘着質の表現ではない。オーケストラの豊かな響き(リキみも威圧感も皆無)を生かして、ほとんど素朴、暖かく、骨太で推進力がある。テンポ設定も速めで、思わせぶりな「間」も存在しないが、瑣事こだわらず、といった侠気(おとこぎ)演奏です。エエ感じですな。「コンセルトヘボウの黄金期は1950年代」という説に一理有。

かくれんぼ鬼のままにて老いたれば誰をさがしにくる村祭(寺山修司)

広島へ行って参りました。トラブル発生(明日、本格お詫び処理予定)有、商談後、更にかなり詰めた打ち合わせ有、これから先の自分の動き方について示唆を受けちゃう。帰りの新幹線で、先週飲んだ取引先の役員と一緒になりました。この人、大学の先輩でして、なぜか良く出会うんですよ。行き帰りで読んだ本は、藤田達生「謎とき本能寺の変」(講談社新書)〜これがオモロい。

明智光秀は俄に反逆を思いついたのではない、たしかに信長配下での地位低下の危機感は基本にあったろうが、将軍義昭(当時西国に影響があった)や、信長に拝謁せざるを得ない状況に追い込まれていた天皇(またはそれを尊重する勢力)との強い事前連携があったことが分析されます。なるほど!京を追われた将軍が、備後・鞆(現福山市。ご近所だ)で政務を執っていて、毛利の庇護があったとはいえ、政治力を発揮した事実も初めて知りました。

しかし、秀吉はもっと凄いですね。本能寺の変のあと、備中高松城の水攻め中、迷い込んできた光秀の密使から事実を知って、急遽戦(いくさ)をまとめてとって返し・・・というのはウソで、「変」の情報は独自に入手していたらしいし、その時点で既に毛利方とは決着が付いていたとのこと。一週間で二万の軍勢を無傷で上方に戻した、ということで付近の有力者から一気に支持を集めた・・・(事前にクーデターを予測して、ルートを確保していたという説も)。

今朝から聴いた音楽。Chopin ノクターン第12〜21番〜マガロフ(p)(1974年)・・・いや、もう、このしっとりしたピアノの音色、抑制された表現は、抜けるような青い空がくすんで見えるほど切ない気持ちにさせます。いろいろChopin は聴いてきたが、連続怒濤の感動保証の全集購入の喜び噛みしめております。R.Strauss 「ティル」(1960年)「ドン・ファン」(1959年)「ばらの騎士」組曲(1961年)〜モントゥー/ボストン交響楽団(VIRTUOSOだから出目怪しい音源か)で。

少々、オンマイクで奥行き不足、トランペットがやたらと頑張っているような録音だけれど、脂粉が漂うような華やかで鮮やかな演奏です。少々やかましいくらい。こんな楽しいR.Straussは滅多に経験できないでしょう・・・ラスト、Haydn 交響曲第94/96番〜ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカ(1974年)前人未踏の全集を完成させた偉業よりの一枚。なんかい(も)聴いたはずだけれど〜

ようやく「Haydnが見えてきた」という手応えがあって、やや速めのテンポ、引き締まったアンサンブル、硬質で硬派な響き、聴き続けると、やや肩が凝るくらいの集中力が素晴らしい。フィルハーモニア・フンガリカって、こんな優秀なオーケストラだったっけ?色気には不足するけど、このテンションの高さはなんとも言えぬ魅力・・・全集もこんな感じですか?(聴いているウチにBeethoven が脳裏に木霊しました)

2005年6月某日


【音楽日誌】書き足しても更新不能状態続いております。サーバー不安定で閲覧困難状態が続くと当然アクセス数は落ちるけど、大丈夫な合間にグン!と増えて、ちゃんと埋めてくださるんですね。(アクセス解析にてわかる)ありがたいことです。いつもは早起きだけれど、爽やかな天候故か朝とても眠い。本日は少々お仕事溜まっております。今週出張スケジュールはハードだな。

他の方のサイト絡みで、Beethoven 交響曲第5番ハ短調〜クレツキ/チェコ・フィルハーモニー(1967年)を確認。印刷がほとんど消えかかったレシートが挟まっていて、(COCO-80401〜05)2000年4月30日徳島駅前の中古屋(現存しない)にて3,990円で入手とのこと。ああ、思い出した。5月連休真っ最中に応援に行ったときだ。時の流れは無常であって、聴き手は衰えるばかりだけれど、CD(音楽)の価値は不変どころかますます輝き増してます。

「輝き」ではなく、ざらり洗練されない響きが味わい深くて、ジンワリ感銘深い「運命」。同時期録音のマタチッチのBruckner 交響曲第5番 変ロ長調(1970年)でも同様の印象だから、この時点チェコ・フィルの草の香りがするようなサウンドの魅力なんでしょうね。(最近のものはCDでも聴く機会なし)全集廉価復活まことにめでたい。

これも他の方のサイト関連で(久々)チェリビダッケを〜1999年頃RAI(イタリア放送・・・の海賊収録)録音ばかり10枚集めたCETRAボックスから。(後、何度も廉価で再発された。ワタシのは5,000円程か、少々高かったかも)Stravinsky 組曲「火の鳥」(1919年版)〜イタリア放送トリノ管交響楽団(1969年)は年代のワリには音質(まったく)よろしからず(毎度のことだけれど)。神経質、雄弁、高慢、細部まで描き込まれた集中力演奏でして、メルヘンな暖かさではない。しかし、アンサンブルの水準も含め凡百のものではなくて、楽しめるものではあります。

じゃ、ちゃんとしたメルヘンで聴かせて下さる「火の鳥」(1919年組曲版)といえば・・・モントゥー/パリ音楽院管弦楽団(1956年)になりますか。色彩豊かで、暖かい。ワタシとこの作品との出会いはバーンスタイン(1957年)ですよ。中学生時代の17cmLPで。少年時代の感銘が一生の好みを決定しております。

今朝、新聞お休み。昨日の朝日新聞「大学で学べないことはなにか」特集で、20歳の女子大生の回答は優等生でした。ワタシなら「そもそも大学で学べることなど限られているが、逆に人生のすべてを学んだ、とも言える」と答えるだろうな。最低限の条件(衣食住健康時間)があれば、何を学ぶかは本人次第でしょう。そんなことを考えました。

お仕事数値は全然でして、でも今年は言い訳せず。仕方がない。とにかくいろいろ諸条件整理をする、人脈を育てること、後の世代を育てること。先週、取引先の方に「ちょっと失礼かな?」と思いつつ諸処改善のメールを入れていたら、ちゃんと真正面から応えてくださって、やはり信頼関係かな、と感じ入りました。お仕事早々に消化して、さっさと帰宅しました。

BRLLIANT 6366/2今朝、バスを待っていた時に気付いたけれど、暑くもなく寒くもなくちょうど良い季節ですね。行き帰り、ちょっとバスの待ち時間もあって、ちょうどCD一枚分・・・R.Strauss 「ツァラトゥストラはかく語りき」/「メタモルフォーゼン」〜ハルトムート・ヘンヒェン/オランダ・フィルハーモニー(1996年)で。ワタシはこの作曲家の作品の解釈についてコメントできなくて、ま、音質も悪くないし、素直な演奏だな、と。「メタモルフォーゼン」は大好きですよ。人生の黄昏とか諦観が眼前に浮かぶよう・・・

しかし、響きの”芯”には不足するのかな?録音もひとつひとつの楽器の定位や、奥行きがいまひとつはっきりしないでしょうか。それでも充分、爽快な気分になりました。夕暮れのジャケットはとても美しい。明日から出張続きです。

2005年6月某日


梅雨入りらしく湿り気の多い空気だけれど、雨は止んでおります。サイトは閲覧可能だけれど、相変わらず更新不可状態。数日前から「ときどきつながる」合間を狙って更新しております。昨夜、女房とゼフィール合奏団「協奏曲の夕べ」へ。岡山市民文化ホールは800人くらいの小振りなホールだけれど、ちょっと建物が旧すぎますね。小山さんの教師生活定年退職(教職は継続されるらしいが)を記念した演奏会なのでしょうか。楽しませていただきました。それにしても、地道で長い活動に敬意。

昨日聴いたCDから・・・Mozart 交響曲第35/40番〜カラヤン/EIARトリノ管弦楽団(1942年。RAI とは違うのだろうか?戦前だから呼び名が違うのか)。当時34歳、才気煥発、いきいきとセクシー濃厚な味わいは、後年巨匠として名を為すことを予感させます。語り口は明快で、若々しい清廉さと充実たっぷりだけれど、流麗なレガート奏法はこのころから発揮されております。でも、これだったら嫌悪感皆無。

「EDITION Bach LEIPZIG」より(お気に入り)ブランデンブルク協奏曲第4/5/6番〜ポンマー/新バッハ・コレギウム・ムジクム/ズスケ(v)ハウプト(fl)ジャコテ(cem)といった名手揃いだ(1984年)。先に聴いた管弦楽組曲では少々”生真面目さ””カタさ”が気になったが、こちら文句なく躍動する集中力で楽しめます。ソロは流麗ではないが、質実とも言い難い、しっかりとした存在感があって美しい。第5番はわざわざ、チェンバロ・ソロが短いBWV150aまで収録して下さる念の入れように感心いたしました。(通奏低音はクリスティーネ・ショルンスハイムなんですね)

・・・出てきました「Bartok ヴィオラ協奏曲/ピアノ協奏曲第2番(ブール)」。延べ4日間の探索か。まったくのボケ症状に愕然としております。先日、同じくプリムローズ(va)で、バックはクレンペラー/コンセルトヘボウ管(1951年)の演奏に、目覚めた予感ありました。それで比較したかったんですよ。こちら1950年だから、プリムローズはBartokの遺作ひっさげて全曲行脚してたんですね、きっと。数年前のワタシは”難解”と理解したが、現在ならそんなことはない。

充分に流麗なる技巧のソロに、件の民族的泥臭い旋律リズムのノリも香しく、これはまったく楽しい作品です。ブール盤のほうが音質は少々マシかな?(XXCMクレンペラー10枚ボックスの音質はかなり落ちます)先日、中古2枚組950円と妙に安かった、パウル・ファン・ケンペン/ベルリン・フィルによるBeethoven 交響曲第3番 変ホ長調(1951年・・・1959年はミスプリ)を。これは第7/8番とまったく同じで、オーケストラの威力充分一本筋が通って、洗練されない粗野な魅力を残して個性的。しかも、センスとしては昔風ではない。

安かった原因はラストに収録される「献堂式」序曲 作品124 (1953年)に傷が入って、少々音飛びがあること。ま、そう気にしておりませんで、楽しめました。ここ最近、Beeやんの序曲集が気に入っていて、いよいよジンマン2枚組購入の時は近いか、と決意しております。(先日、長らく自分のリファレンスとしてきたスクロヴァチェフスキ盤が、いまひとつピン!と来なかったため。音質問題か、自分の集中力の劣化か)

 

2005年6月某日


サイトはつながらなかったり、閲覧できても(ずっと)更新できなかったり・・・状態続いております。ま、熱心な読者には迷惑な状況だけれど、アクセス解析によると、不自由な状況でも、合間を見てアクセスしてくださる人は多いようで嬉しい。昨日の定例更新はなんとかできました。数日間のガマンであることを祈りましょう。そういえば今週は出張がなかったんだな。珍しい。未明から雨模様で、けっこうなお湿り。

昨日は午前中、ご近所取引先現場回り・・・一人だから大音量で音楽流しながら、車中密室状態堪能。Berlioz 死者のための大ミサ曲 作品5〜フレモー/バーミンガム・シティ交響楽団/合唱/ロバート・ティアー(t)(1975年)を。コレ、購入したのは6年前でして”未開封”状態であった・・・たまたまです。最近気付いたけれど、カーステレオで聴くと一般になんでも「優秀録音」と勘違いできる!ということですね。(三車で確認)大編成、長すぎる残響で全体像が見えにくい作品だと思うが、これほど優雅な旋律やら、豊かな響きそのものを楽しんだのは初めてのような気もします。フレモーの演奏力量もあるのだろうか。

次、Brahms 交響曲第4番ホ短調〜ケンペ/BBC交響楽団(1976年)を。ライヴならでは、ざらつきのある粗野なオーケストラの響きと、アツい推進力が同居していて、スタジオ録音(2種聴いた)のバランス感覚とは一線を画します。また「ケンペではライヴでこそ本領!スタジオは抜け殻だ」風論評が出てくるんだろうな。ワタシは双方とも楽しんだし、何度も聴くのであればスタジオ録音(ロイヤル・フィルとの1962年録音)の淡麗な味わいが好ましい・・・。

Ravel 「スペイン狂詩曲」(1967年)「マ・メール・ロワ」(1972年)「上品でセンチメンタルなワルツ」(1967年)「クープランの墓」(1972年)〜エルネスト・ブール/バーデンバーデン南西ドイツ放響を(ずいぶんと)久々。淡彩でクール、繊細、薄味で神経質な演奏が貴重なる味わいでした。いまとなっては入手しにくいもの(ASTREE E 7800)だけれど、激安再発売を恐れている音源であります。ワタシは1990年代前半、4枚組6,400円(税抜)で入手していて、もっとも高価なCDのひとつなんです。(当時の購入路線を堅持していれば、もっと集中して音楽に対峙していたかも。そのかわり、【♪ KechiKechi Classics ♪】というサイトも存在しなかったかも知れない)

2005年6月某日


好天が続くが、四国の水瓶・早明浦ダムは早くも取水制限の可能性有、とのこと。昨年はこの月、もう台風が上陸していたような記憶もあるから、自然には勝てないね。無料で借りているサイト・スペースのサーバーが断続的に不安定でして、閲覧は出来るが更新不能状態。ま、ぼちぼちあせらずいきまっしょい。昨年だったら、もうガマンしきれず「移転」検討したもんだけれど、現在借りているところは(比較的)気に入っているので。でも、経営は大丈夫だろうか。「AAA!Cafe」はライブドアに身売りしたことが原因でもないだろうが、新規募集を停止したままだし。本日は午前中、地元取引先現場回り。だからゆっくり。

Mozart と並んで「Bartokに駄作なし」と言ったのは誰だったか?昨夜、組曲第1/2番〜ティボール・フェレンツ/ハンガリー国立フィルハーモニー(1988年)を。たしか初期作品のはずだけれど、田舎風泥臭いWagner的作風で、とても親しみやすい。録音は鮮明だし、演奏はもう”大爆発!”的勢いに溢れたもので、録音が少ないのが不思議なほど楽しい一枚でした。

今週衝動買いの「EDITION Bach LEIPZIG」(CAPRICCIO 11枚組)着々消化しているが、どれもいまいち肌に合わないか?と手探り状態。ハンス・グリュース/カペラ・フィディチニア・ライプツィヒ(読み方エエ加減)の「アンナ・マクダレーナの音楽帳」(の、ような収録の一枚)が楽しい。(ブルクハルト(s)シュライヤー(t)べルンシュテイン(cem)ジャスト(lute) 録音年不明)

1) コラール「汝エホバがために我は歌わん」BWV299
2) ポロネーズ ト短調BWV Anh.123
3) アリア「私はしばしばパイプによいタバコをつめて」(タバコのアリア)BWV515a
4) 2つのメヌエット ト長調BWV Anh.114&115(有名な”ラヴァーズ・コンチェルト”の旋律)
5) ジョヴァンニーニのアリア「汝が心われにあたえずや」BWV518
6) 前奏曲 ハ短調(リュートによる)
7) アリア「なにゆえに悲しむや、我が心」BWV516
8) コラール「おお永遠よ、汝恐ろしき言葉よ」BWV513/397
9) アリア「思え、我が心よ」BWV509
10) アリア「汝、我がそばにあらば」BWV508
11) 行進曲 変ホ長調 BWV.Anh.127
12) アリア「幸いなるかな、おお魂の友よ」BWV517
13) 行進曲 ニ長調BWV Anh.122
14) ミュゼット ニ長調 BWV anh.126
15) アリア「パイプにおいしいタバコを詰めて」BWV515
16) メヌエット ニ短調 BWV Anh.132
17) レチタティーヴォ「我は満ちたれり」BWV82.2/アリア「眠れよ、汝疲れし眼よ」BWV82.3
18) メヌエット ト長調 BWV anh.116
19) コラール「ただ神の御心のままに」BWV691

かつて馴染んでいる収録に少々付加されているようでもあり、いずれ、歌い手が楽しげ、涼しげな味わいの一枚でした。

そういえばここ数日行方不明CD探索中。処分したのであろうか(記憶はない)・・・内容的に売るはずのないものだけれど、誤っていっしょに持っていった可能性は否定できません。

2005年6月某日


借りている無料サーバー断続的に落ちております。良心的なのは、以前借りていたところみたいに「なんか、わからんけどつながらない」「その会社のサイトも落ちている」という状況ではなく、「現在メンテナンス中です。ごめんなさい」とちゃんと表示されること。これは大切なことなんです。逆に勉強になります。サイト更新不能。

Bach 管弦楽組曲第3番ニ長調(1980年)〜ポンマー/新ライプツィヒ・バッハ・コレギウムへ。かっちりとした集中力と見通しの良いアンサンブルに間違いはないが、妙に堅苦しい。今更前時代的大型演奏を喜ぶ感性は持ち合わせていないが、せっかくの鮮度ある音質録音ながら、妙に違和感有。即断無用だけれど。久々、Shostakovich 交響曲第13番「バビ・ヤール」〜スロヴァーク/スロヴァキア放送交響楽団/スロヴァキア・フィル合唱団/ミクラシュ(b)(1990年)を。(たまたま目に付いたので)

LP時代のコンドラシン全集のレパートリーをCDで回復せん!と、1990年代前半に購入した全集でして、じつは自分にとって、もっとも相性の悪い作品の代表でもあります。(BRILLIANTバルシャイ全集も、一度聴いて放置状態)それでも、20世紀の名曲に対する畏敬の念は失わず、時に再トライを・・・ということです。特に愕然とするようなヘロ・アンサンブルを聴かせて下さる”スロヴァキア放響”だけれど、ヴェテラン・スロヴァークの奮闘故か、オーケストラの弱さを感じさせません。

エフトシェンコの叙事詩「バビ・ヤール」は1941年のユダヤ人虐殺を題材に取ったとのことだけれど、全編に漂う暗鬱な重さ、女声が一切登場しないし、色彩的な管楽器もほとんど活躍しない作品。しかし、真正面からこの作品には向き合わなくてはいけませんね。(”バビ・ヤール”でネット情報確認していたら、思いがけず自分の記事を発見!すっかり失念)しかしこれは、すっかり落ち込んでしまうような音楽だ・・・

昨日の会議乗り切って、お仕事意欲がまったく盛り上がらない。できれば休みたいくらいだけれど、ご訪問のメーカー商談が2件約束が入っておりました。とにかく出ていけば(当然)某かのお仕事で埋まっていきます。大きなトラブルらしいトラブルはなかった(はず)だし、定時でお仕事締めちゃってそのままスポーツクラブで汗流し。風邪ひいていたので、しばらくぶりでしたね。通勤〜マシンと奮闘中はアルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ(p)を2枚ほど。

ミケランジェリ10枚組(membran 223042 321 aura?)1,590円入手Debussyを集めた一枚(CD6=AUR 225-2)と、Chopin (CD8=AUR 227-2)。予想通り音質かなりバラつきある(比較的良好なもの、かなりドラム缶的なものも)種々雑多な年代ライヴ寄せ集めだけれど、その個性には比類がない。濃厚で、ある種粘着質な個性はDebussyのほうに適正があると思います。骨太であり、思いっきりクドいくらい存在を主張して、さらさらと流さない。曖昧さがない。重い。そして官能的。輝かしい。豪華絢爛。「こどもの領分」(1968年)は目が覚めるほど流麗です。

Chopin には違和感ありますか。有名なるスケルツォ第1番ロ短調 作品20(1990年)/幻想曲ヘ短調 作品49(「雪の降る街を」激似。1985年)は、纏綿と(しつこく)いつ終わるとも知れない(煮詰めた黒砂糖のような)甘美を堪能できます。ワルツ イ短調 作品34-2(1988年)は、あまりにリズムを引きずり、躓き(ワザと、だ)鬱蒼とした世界が続き、ついに聴き手は根負けして、その暗鬱なる心境に吸い込まれ・・・ワルツ変イ長調 作品34-1(1962年)の輝きに、目も眩んでしまう。

2005年6月某日


まあまあ眠れて、本日午前中勝負の時を控え・・・って、んなたいそうなものでもないが。先週土曜日の広島訪問時の売り場写真をようやくデジカメからデータ取りだし、CDRに焼く・・・どーして自宅で自腹でやらなくっちゃいけないの?デジカメも自分のだし。いえいえ諸機器は職場に揃っているが、自由に使えないのがいやなんですよ。ノートパソコンも然り。昨日、職場のノートパソコン借りたら、その強烈なる性能の高さにびっくり・・・(”レッツノート”それなり新しいもの。ワタシの出張用13,500円中古とは大違い。それでも自分の好きなようにカスタマイズしたほうがずっと使いやすい)

BBSでの読者の書き込み影響もあって、ボックスものをいくつかネット通販で注文しているが、入荷大幅に遅れる、との連絡有。先に「フルトヴェングラーRAIレコーディングス」(1952年)6CDセット(ANDROMEDA ANDRCD 5010 2,930円)届く。交響曲第3/5/6番はLP時代所有していたもので、「LP時代所有ものは回復させる」というのが基本姿勢だから、思い切って買いました。(LP時代はもっと集中して聴いていたから、たいてい感動できる。懐かしくて)さっそくダブり確認〜Wagner 「オランダ人」序曲(1952/6/6 イタリア放送トリノ交響楽団)「神々の黄昏」〜「葬送行進曲」(1952/1/14 イタリア放送ローマ交響楽団)のみ〜Nota Blu「I GRAND DELLA CLASSICA」 93.5131 10枚組に含まれます。

早速Beethoven 交響曲第5番ハ短調〜フルトヴェングラー/イタリア放送ローマ交響楽団(1952/1/10)を確認。ヨロしからぬ、奥行きも浅い音質に記憶有。しかし、その刻々と変化する表情、うねうね躍動する個性の説得力は比類がなくて、やがて音質を忘れます。基本「音楽をして語らせる」という自然体演奏が好みだけれど、これはもうまったく”フルトヴェングラーを聴く”べきものでして、同曲異演比較などという行為を許しませんね。恐るべき集中力。

昨日昼休み職場前の「タワー」覗いたのが運の尽き、「EDITION Bach LEIPZIG」11枚組2,990円(CAPRICCIO 49 254 2)衝動買い。(んもう大散財だ!)ポンマー/新ライプツィヒ・バッハ・コレギウム辺りの録音は、いかにもワタシ好みで、聴いていそうな演奏家であり、作品だけれど、じつはまったく未聴・初耳ばかり。管弦楽組曲第1番ハ長調(1980年)を早速確認するが、付点リズム強調の古楽器系解釈であり、昨今の風潮通り軽快だけれど、妙に明るくない。イタリア系ではない。嫌いではないが愉悦感に不足するような・・・先入観禁物ですな。

引き続きカンタータ第56番「十字架を 勇みて負わん」 /第82番「我は満ち足れり」/第51番「全地よ、神にむかいて歓呼せよ」〜モニカ・フリンマー/ジークフリート・ローレンツ(1984年)も同様の”妙な落ち着き”を感じさせて、けっしてヘロ演奏ではない、きちんとした美しいものだとは思うが、どんよりとした雰囲気はいったいなんでしょう? リューシンク全集から比較確認してみないと。

借りている無料サイト、落ちているみたいです。昨夜もつながったり、つながらなかったり・・・(更新状況でわかる)だったが。

帰宅しました。まだサッカー(日本/北朝鮮)やってます。ま、役目はそこはかとなく果たした、というところでしょうか。上司、上司の上司(じつは元上司)、ワタシが担当しているラインの本部のエラいさん、地元の一番大きな取引先のエラいさん、そんな人々の末席で料理の注文やら、氷の手配やら、精算支払いやら・・・そんな酒席楽しいと思いますか?なにを喰ったかの記憶もない、旨いとも感じません。早々に終わったのが幸いか。二次会に行くような風習もないしね。

嗚呼、会議もそれなり無事に終了しました。明日からようやく日常業務だ・・・。

Japan 勝利!文句なし。

2005年6月某日


明日の会議が迫ってきて、正直緊張しております。人様の作った系統的資料で、ちゃんと説明しなくちゃいけない。その具体化は自分で作った資料だし、ご意見伺ってまとめるのは得意だけど、ワタシ”正確原則に物事を機械的に伝える”官僚的(良い悪いの評価ではない)お仕事”は不得意なんです。いろいろ融通効かせたり、茶々入れたり・・・が好きなんです。本日、なにもトラブル発生しなければ、終日その準備完成しなくっちゃいけない。ああ、いやだ。

そういえば一昨日、小澤征爾/シカゴ響を聴いた流れで、Respighi「ローマの松」「噴水」(1959年)Debussy「海」(1960年)〜ライナー/シカゴ交響楽団聴きました。聴いているウチに思い出したが、RespighiはLP時代の愛聴盤でしたね。記憶ではもの凄く強引な推進力で、轟音をあげつつ疾走する暴走列車のようなイメージでした。CDで(改めて)確認すると、もっと繊細緻密なアンサンブルが充実して、重く、そしてコクがある。そこが若き小澤とか、後年のショルティとも違うところだと思います。「海」は作品的にライナーとは相容れないような先入観もあったが、明快な切れ味と鮮明な音楽のスタイルが”ほんわかフランス音楽”の存在を許さない。堪能しました。(音質も悪くない)

「くまぐす音楽館」で、Beethoven 序曲レオノーレ第3番のチェリビダッケ/ミュンヘン・フィルで「514小節目からのプレスト・・・ヴァイオリンのソロで始まるのです」〜じつは、ほぼ楽譜指示通りであることの驚きを語られております。楽譜には縁のないワタシではあるが、この件知っておりました。おそらく20年ほど前、FMのオーディオ・テープか何かのCMで「ここを聴き分けられるか」との説明有〜なるほど!と。それを思い出しましたね。

さっそく、スクロヴァチェフスキ/ミネソタ管弦楽団(1970年代?)と、バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(1961年)複数の音源で確認したが(終了一分ほど前ですね)正直、よくわからない。(ワタシのオーディオも耳もエエ加減です!)まだ購入していないが、ジンマン/トーンハレ管だと明快に表現されているだろうか?閑話休題(それはさておき)、やや苦手系(罰当たり)Beethoven さんだけれど、こうして数本通して聴いていると、次々と表情を変え、例えばホルン/トランペットの大活躍、弦のアンサンブルの集中力・・・聴きどころがたくさんあるな、とすっかり楽しみましたね。

フィナーレの集中力、音量だけではなく、響きの厚みの変化を表現したかった作曲者の意志でしょうね。こうやって細部こだわりもたいせつな聴きどころか。●Haydnの交響曲ぼちぼち聴いてます(1)の続編準備、というか「まともに、ちゃんとCD聴けよ!」的反省の毎日から、Haydn交響曲の歴史的録音在庫確認してます。昨夜みつけたのは合計13曲・・・まだ、きっとあるだろうな。一通り聴いたはずだけれど、どんな演奏だったか記憶が(ほぼ)ない。情けない。

交響曲第83番ト短調〜バルビローリ/ハレ管弦楽団(1949年)は、正直演奏の個性云々がコメントできません。ここ最近、ワタシはHaydnを存分に楽しんでおります。が、正直「いきいき躍動しているかどうか」のみ基準であって、優雅なオーケストラの味わい(例えばウィーン・フィル)やら、素朴正直な佇まいを、少しずつ、楽しみつつお勉強している状態。バルビローリのHaydnは珍しいな、音があまりよろしくないな、その程度の楽しみ方です。

(朝、この「音楽日誌」執筆しつつ、フリーのアンチ・ウィルス・ソフト「AVG」恒例スキャン中。本日、今年初めて〜いえ数年ぶり、ウィルス5件発見・駆除しました。毎日、スキャンしているから、昨日のメール由来か?それとも、パターンファイルが本日更新され、しばらく眠っていたものが検知されたのか。昨夜は怪しげメールは受け取らなかったので、きっと後者でしょう。それにしても、ED-Maxというメーラー使用で怪しいメールは絶対に開かないし、しかもメールは送受信必ず「AVG」チェック入るし、どの経緯で入ったのか?油断禁物)

一日掛けて残業までして資料仕上げて、ほんまに苦痛です。印刷して部数揃えて・・・あと、明日半日で読み込んで昼から報告、夕方ちょっと出掛けて、夜酒席(エラい人々と)・・・なんか虚業だなぁ、早よ乗り切っていつもの口八丁営業に戻りたいな。

通勤ではMahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ブルーノ・マデルナ/イタリア放送ミラノ交響楽団(1973年ライヴ)・・・の始めのほうだけ。怪しげモノラル録音だけれど、それほど劣悪音質ではない。良く歌って、時に妙なルバートもあってとても楽しい、明るい。トランペットは超絶技巧!ではないかも知れないが、しっかり骨太で臨場感あります。珍しい録音だけれど、ワタシは好きです。

2005年6月某日


疲れが溜まっているのか、昨日は終日一歩も外に出ず。ウツラウツラ居眠り状態。その合間に音楽聴いたり、テレビ見たり、ちょっと読書したり・・・サイト定例更新用原稿が切れているのは、集中力が落ちていること、同じCDを何度も聴き、再確認する根性が減退しているせいです。さて、水曜の大きな会議(ワタシ主催で沢山集まる)に向けての準備しないと。資料作成送付は先週終わっているが、会議構成内容報告を全然考えていない・・・本日夜はスポーツ・クラブへ行きたいな。

昨日「青春の小澤征爾」からMessiaen「トゥランガリーラ交響曲」〜第5楽章(トロント交響楽団1967年)/Stravinsky「花火」(シカゴ交響楽団1968年)/組曲「火の鳥」(1919年版ボストン交響楽団1969年)/Mussorgsky組曲「展覧会の絵」(シカゴ交響楽団1967年)/Orff「カルミナ・ブラーナ」〜第3部より(ボストン交響楽団/ニューイングランド音楽院合唱団1969年)を。

「トゥランガリーラ」はずいぶんと以前に(レギュラープライスで)購入していて、こんなに多彩で精緻な演奏だったろうか?というくらい魅力的。ほとんど他の作品もLP時代からお気に入りでした。余裕も面白みもない演奏、との記憶だったが、久々聴いてみると、速めのテンポによる素晴らしい集中力とアンサンブル、華やかな響き、オーケストラの驚異的な技量に驚くばかり。小澤は若いウチが魅力的か、と思います。

Mahler 交響曲第1番ニ長調〜ラインスドルフ/ボストン交響楽団(1962年) RCA 74321-17896-2「贅沢三昧 Mahler 編」を次々執筆するため、CD在庫確認しております。お気に入りの作曲家故その数膨大・・・だったなぁ、と棚卸ししております。なかには”どんな演奏だったか”まったく記憶が消失したものもあって、押っ取り刀で再確認中。全集ボックス6種+ほぼそれに類するもの3つ〜むしろそちらのほうがちゃんと聴いていて、単品バラ購入(とくに第1番が多い)の印象が消えております。今朝は、Mahler 交響曲第1番ニ長調〜ラインスドルフ/ボストン交響楽団(1962年)・・・これはずいぶん素っ気ない淡々とした演奏だ、と、クレツキ/ウィーン・フィルハーモニー(1964年録音)は、ウィーン・フィルの金管が魅力だけれど、表現としてはオーソドックスなものでした。

月曜は特別所用がなければ、昼から内部会議となります。午前中はびっしり宿題諸作業だし、会議後も資料作りに専念して、パソコンと睨めっこ・・・どうも机仕事は性に合わない。目が異様に疲れて、エアコン直撃で体調も悪い・・・スポーツ・クラブへ行く意欲も起こらず。

通勤に持参CD・・・Chopin アンダンテ・スピアナートと華麗なるポロネーズ 作品22(1990年)/「ドン・ジョヴァンニ」の主題による変奏曲 作品2(1984年)〜ポストニコーヴァ(p)/ロジェストヴェンスキー/ソヴィエット国立文化省交響楽団を。お気に入り作品だし、やや骨太で明快なタッチが生き生きとして、ライヴ故の臨場感もありました。ルービンシュタインのように熟練した幻想的雰囲気ではないが、これはこれで楽しい。管弦楽もジャマではありません。

このCD(YedangClassics YCC-0144)にはDebussyの珍しい作品が含まれます。「リア王のファンファーレ」とか「ペレアスとメリサンド」前奏曲(1989年)・・・珍妙なる組み合わせであり、珍しいレパートリーだけれど、濃厚なヴィヴラートもちょっとエキゾチックで、わかりやすい演奏でした。

2005年6月某日


ワタシはMahler がお気に入りの作曲家の一人であって、どんどこCDを増やしつつあります。その辺りの整理も兼ねてここ10日間ほど●贅沢三昧 Mahler 黎明編/●贅沢三昧 Mahler 疾風編などという「覚え書き」をぼちぼち執筆しているが、自分自身の精神的整理のために必要な行為だと感じました。(読者からの反応は〜いつも通り〜皆無だけれど・・・と書いたら、流石にBBS書き込みがあった)で、さらに調子に乗って●Haydnの交響曲ぼちぼち聴いてます(1)・・・これも似たような趣向で一本更新。HaydnはMahler に比べて、ずいぶんと馴染み薄。

昨日から今朝に掛けてもうHaydn三昧!これがけっこうどれも楽しい。Haydn 交響曲第99/94番〜ショルツ/フィルハーモニア・スラヴォニカ(PILZ 44 9264-2)は、演奏者実体不明ながら、想像以上にしっかりとした(あえて言わせていただけば)”中欧的響き”。都会的ではないが、しっかりとしたリズムを刻んで、急いたところのない余裕の歩み、楽しげな表情でした。交響曲第88/100番〜ワルター/コロムビア交響楽団(1961年)は、ゆったりとしたテンポが、かつてなく優雅な表情を作り出しておりました。

同じく交響曲第100番ト長調「軍隊」〜ペーター・マーク/イタリア放送ミラノ交響楽団(1979年ライヴ)は、晩年の成熟がここに刻印されていて、古楽器研究の成果さえ感じさせ粗野なインパクト充分。それにしてもずいぶんとCD在庫が貯まってしまった・・・ヘルビッヒ盤が数枚未聴でのこっているので、ちゃんと聴かないと。

日曜の朝は朝日新聞の書評欄が楽しみ・・・「ポケットから」で紹介されている三冊、斎藤環「『負けた』教の信者たち」(中公新書ラクレ)、長山靖生「いっしょに暮らす。」(ちくま新書)、「勉強ができなくても恥ずかしくないB」(ちくまプリマー新書)〜いずれも最近の若者の心理状態を分析・解明しているようで非常に興味がある。曰く「若者たちのなかに『確固たる自信のなさ』が蔓延している」・・・と。

Mahler 交響曲第4番ト長調〜ハイティンク/ベルリン・フィル(1992年。シルヴィア・マックネア(s))は、久々の再聴で少々見直しました。この組み合わせの一連のMahler は全部聴いているわけではないが、オーケストラとの相性故か、コンセルトヘボウよりカタく、冷たい印象が楽しめませんでした。今朝の印象は、硬派だけれどしっかり細部まで真面目に表現してくださって、これはこれで充分充実している、立派な演奏であることに気付いたものです。

2005年6月某日


夜半にいったん目覚めるのがクセになっていて、問題は再入眠できるか。いつの間にか風邪も退散で、このまま乗り切りたいもの。

ことし2005年前半入手CDで(自分として)もっとも手応え有!は、ヤルヴィ/エーテボリ響のSibelius でしょうかね。交響曲第7番のみ抜けていて、管弦楽作品集、クッレルヴォ交響曲含め、断続的に9枚入手(いずれも@500。あと何枚存在するのか?)できました。BISレーベルとしては、ヴァンスカ/ラハティ交響楽団の新録音を売り出しているので、既に入手困難か?なんて思ったが、渋谷のタワーでは現役なんですね。ほんま東京にはなんでもある!但し、カネさえあれば。@2,600くらいだったかな?

荒涼とした雰囲気、骨太と繊細さが同居したようなスタイル・・・そのなかのBIS-CD-359という一枚は、「白鳥姫」組曲 作品54、「ベルシャザールの饗宴」作品51、二つの小品 作品45、舞踏的間奏曲「パンとエコー」作品53という比較的珍しい収録でした。(1985年)どれも初耳かな?と思ったら、作品51に馴染み有〜「東洋風行進曲」のとぼけた味わいが楽しい。ああ、交響曲第5番(リーパー/スロヴァキア・フィルハーモニー )に含まれていたんだね。

ついでに、リーパー盤一枚全部聴きましたよ。素直で、爽やかな演奏じゃないですか。(少々こぢんまりとしているが)これこそ、サカリ盤全集が出ちゃったからNAXOSでは廃盤でしょうか。もったいことです。では、行ってきます。

朝、少々もたもたしてしまったが、女房に駅まで送ってもらって結果、予定より一本早い新幹線に乗りました。広島へは余裕で約束の場所に到着、9ヶ所順調に訪問。これまた早めに帰岡できてラッキー!嗚呼、ようやく苦しい一週間が終わった・・・

新幹線で音楽聴こうと思ったら、電池忘れてました。帰りは100円ショップでブツを入手し、Beethoven 交響曲第7/8番〜パウル・ファン・ケンペン/ベルリン・フィル(1953年)を。オーケストラの響きは充実しきって、フルトヴェングラー時代怒濤の迫力を実感させます。豊かで良く鳴るオーケストラではあるけれど、後年の甘さの欠片もないんです。アンサンブルの集中力も申し分なし。ステレオ時代に寿命が保たなかった人だから、聴かれる機会は少ないようだけど、これは看過できない価値でしょう。

2005年6月某日


昨日、昼から待ち合わせしてお客様二人と一路高知へ。思ったより早く着いたし、楽しくおしゃべりしながらだったので、全然運転には問題なし。かなり集中し、充実した訪問であり、一泊二日で8ヶ所かな?夜、少々遅めの食事は同行二人ともほとんど飲まない人だけれど、まるっきりワタシの嗜好で高知のサカナをたっぷり食べていただきました。カツオ、クエ、クジラ、ウツボ、トマト、あらゆるものが至高の美味。

ホテルに入ってノートパソコンでサイト更新しようと思ったら、ナントACケーブルを職場に忘れてきたことに気付きました・・・万事休す。夕方、岡山に戻り、そのまま地元のお客様へ商談伺い。秋に向けての(これまた)充実した商談でしたね。帰宅して、定例サイト更新実行。明日、週末だけど早朝から終日広島入り。眠いっす・・・

「悩んだ挙げ句、数回目撃して売れ残っていれば連れて帰る」との法則に従って、先日「OTTO KLEMPERER AT THE CONCERTGEBOW」(Misic & Arts CD-752 500円 すべて1951年ライヴ)購入、先ほどお客様を下ろしてしてから、クルマのプレーヤー・ヴォリュームがんがん上げて聴いてました。Beethoven アリア「おお、不実な者よ」作品65〜ブロウエンシュタイン(s)・・・う〜む、ちょっと声が 硬質すぎるねぇ。de Falla「スペインの庭の夜」〜アンドリーセン(p)・・・これは雰囲気もあって、なかなか良いんでないの?

で、お次Janacek 「シンフォニエッタ」が・・・おお、この妙に重々しく、堂々とした説得力に記憶がある。コンセルトヘボウ管のコクのある金管が朗々と鳴って、かつてないスケール・・・に記憶があ(って不安にな)る。更に、Bartok ヴィオラ協奏曲〜プリムローズ(va)・・・ここに至って「不安」はますます募って・・・いえいえ、素晴らしく流麗なソロと、ドキドキするようなわかりやすい旋律表現(難解な作品だったはずなのに)に記憶が蘇ってまいりました。

  つまり、以前にたしかに聴いている・・・やっちまった!ダブり買いの重犯か。以前、クレンペラー10枚組(XXCM 203185〜9-303)の件で告白したが、一年経って更にJanacek/Bartokのダブり、帰宅後(哀しく)確認しました。

2005年6月某日


夜半にひどい寝汗で目覚め、どうも体調がしゃきっとしない。「バッサリンA」という怪しげヤク(成分はバファリンと同じ)を使って、症状を一時治めるのがかえって良くないのか。なにも使わず、じっと休んだほうが回復早かったのかも。本日、昼から(運転手として)お客と高知へ。居眠りできんぞ。

昨日の「ミケランジェリ10枚組」の件、membranといえば、疾風のように消え去ったHistoryレーベルの後裔でありQUADROMANIAを出している会社でもあります。とても怪しい。(aura?)としたのは、ここで使われている音源がすべてauraからのものである、というだけではなく、8/10枚分CD本体への印刷デザインがauraそのものになっている不思議。ごていねいにCD2の「Chopin 」に至っては、実際の収録作品と異なるものが印刷されている・・・

気付いたのは1985年3曲分(ブレゲンツ・ライヴ)が、既に所有していたものとダブっているということ(想定の範囲内です)。比較的新しい録音なのにドラム缶を叩いたようなデリカシーに欠ける音質(大柄で重く、乱暴なタッチに聞こえる)には集中できず。続いて「子守歌 変ニ長調」(1962年)が始まるが、こちらのほうがずっとしっとり繊細でした。Bach 「シャコンヌ」(1973年)は知性と激情がバランスして見事(音質も)であり、イタリア協奏曲(1943年 これはかつて所有していたけれど処分済)のスタイリッシュな演奏にも文句なくココロ奪われました。

BBCRADIOCLASSICS 15656 91562昨夜、Mahler 交響曲第9番ニ長調〜ザンデルリンク/BBCフィル(1982年ライヴ)の残り第2〜4楽章迄確認。BBCフィルのジンワリ・サウンドはここでも実力発揮して、録音のマジックだけはなさそうですね。第3楽章「ロンド-ブルレスケ」はかなりテンポが揺れ、走る(もちろん上滑りはしていない)アツい演奏だけれど、良い意味でジミな抑制が常に感じられます。そして終楽章「アダージョ」のシミジミ黄昏た味わい(とくに弦の渋い響き)は英国オーケストラならではの魅力。ベルリン交響楽団盤(1979年)が全80分に至ってCD2枚になったのに対して、78分で一枚で・・・というのもありがたい。

2005年6月某日


怒濤の如くよく遊び、合間に仕事を埋め、とうとう病に倒れて一年が経とうとしております。とっくにリバウンドして、以前より成長しております(ハラ回りが)。数日間、風邪症状(微熱倦怠感肩凝咽の痛み)に苦しみ、現在快復中。今年は正直、お仕事の数値的見込みは立ちようがないが、精一杯努力と工夫は続けて”後に続ける”ことを主眼として、余裕(せめて気持ちだけでも)の毎日。これがヴェテランのワザでっせ。

体調が解(ほぐ)れてくると、音楽にも集中できる・・・R.Strauss「メタモルフォーゼン」〜フルトヴェングラー/ベルリン・フィル(1947年ライヴ)は、驚くべきほど快速・流麗であり、官能のうねりがありました。雄弁であり、民族の黄昏の音楽としてではなく、明日への躍動をしっかり感じさせる前向きなアツい表現。ワタシが長く愛聴しているクレンペラーとは別種の音楽に聞こえます。クレンペラーは23人のソロイスツが混じり合わずに、各々個性を主張していたけれど、ベルリン・フィルは完全に一本の線となって、奔流となり、それがうねうね・・・

深夜に目覚め(体調修復証拠か)、月替わりのサイト更新実行。2時間ほど過去の「近況」をじっくり読み込んでしまう。ま、基本独りよがりのワン・パターンなんだけど、失念していた当時の心象が次々と思い出されて「嗚呼、これは誰でもない、自分のために書いている」ことを自覚しました。一眠り、ウツラウツラして通常起床、朝食後、BBSを開けたら既に書き込みが・・・ありがたいことです。

しつこくFranck 交響曲ニ短調の件。昨夜、クリュイタンス/スイス・イタリア語放送管(ルガノ。1965年ライヴ)を第1楽章のみ拝聴。(じつはフランス国立放送管1953年録音も未聴のまま)録音もイマイチだし、オーケストラの表情が素っ気ないような味わいだけれど、ていねいでしっかり優しい表現が楽しめると思います。今朝はカラヤン/ベルリン・フィルのWagner管弦楽曲集を・・・(いずれもザルツブルク・ライヴ)

「マイスタージンガー」第1/3幕への前奏曲(1973年)、「ローエングリン」第1幕への前奏曲(1976年)、「パルシファル」第1幕への前奏曲(1980年)、「オランダ人」(1983年)+途中に「リエンツィ」序曲〜アルブレヒト/イタリア放送ローマ交響楽団(1980年ペルージャ・ライヴ)が挟まります。(LIVECLASSICS LCB-130)やけに残響少なく乾いたりすることもあるが、基本期待以上の音質で、なによりカラヤンの自信に満ち溢れた余裕の演奏が楽しめました。仕上げが雑だったり、流したりすることもなく、やはりこういった舞台芸術的作品が彼の真骨頂だったのか。アルブレヒトの演奏も予想外に充実しておりました。

本日、内部打ち合わせ。資料を説明していると自分の理解度、追加資料の必要性、自分の置かれている位置が理解できます。連続でうち合わせがあって、いまいちスッキリせず・・・体調もはっきりしないので、本日も早々に帰宅させていただきました。明日は運転手として、お客を高知まで連れていかないといけないし・・・体調心配。

通勤バス中は、Mahler 交響曲第9番ニ長調〜ザンデルリンク/BBCフィル(1982年ライヴ)は、第1楽章終わらないうちに職場へ到着。彼(か)の演奏スタイルには全面賛同ではないが、マンチェスターのBBCフィル絶好調でザンデルリンクは深く、広く、よく歌って感慨深い・・・スタジオ録音も再確認しないとね。彼とはSibelius 辺りで躓いたのか?

昼休み、ご近所タワーを覗いたのが運の尽き、機会があれば購入しようか・・・と迷っていた、ミケランジェリ10枚組(membran 223042 321 aura?)1,590円入手。いくつかは以前所有していて処分した中に含まれるし、Grieg ピアノ協奏曲イ短調〜ガリエラ/スカラ座管(1942年)は現役で在庫ダブっているけど、やっぱり欲しい!という気持ち抑えられません。問題は音質です。

Schumann ピアノ協奏曲イ短調〜ミトロプーロス/ニューヨーク・フィル(1948年)、そしてFranck 交響的変奏曲〜ウォーレンシュタイン/ロスアジェルス・フィル(1949年)はそうとう厳しい音質だけれど、それを乗り越えてじつにカッコ良い、痺れるような流麗な演奏でしたね。完璧な技巧の冴え、旋律の揺れ、味付け、どこかしこ決まっていて、なんという自信満々の若者なんだ!・・・Griegの詠嘆(かなり音質マシ)にも文句ありません。

 

【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
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written by wabisuke hayashi