Bruckner 弦楽五重奏曲ヘ長調
Haydn 弦楽四重奏曲ニ長調 作品20-4
(メロス弦楽四重奏団/エンリケ・サンチャゴ(va))


INTERCORD   INT820.528 Bruckner

弦楽五重奏曲へ長調

Haydn

弦楽四重奏曲ニ長調 作品20-4

メロス弦楽四重奏団/エンリケ・サンチャゴ(va)

Intercord INT820.528 録音情報不明。500円にて購入

 20年以上継続している【♪ KechiKechi Classics ♪】三度目の更新。これは阪神大震災(1995年)以前、神戸タワーレコードにて購入したと記憶します。10年掛けてCD在庫1/5へ、データ拝聴に移行、ここ最近、残りのCDも一気にヤフオクに出すべき元気もありません。2019年3月に愛する親父が亡くなって、人生しみじみ考え直すべき今日この頃、昔懐かしいCDを棚中に発見いたしました。これはネットに拠出しなかったんやな。IntercordレーベルはEMIに吸収され、EMIはWarnerに身売りし・・・この音源は現役ではないでしょう。諸行無常。ネットで情報検索してもこのサイトが出現するばかり。詳細録音情報不明。

 この作品との出会いはこのCD、その後幾種の出会いがあって、太古プリスカ弦楽四重奏団(1937年)は音質なんのその!時代掛かった甘美ポルタメント奏法が気に入りました。シュトゥットガルトにて結成されたらしいMelos Quartett(1965-)は現役でしょうか。室内楽の拝聴機会は少ないので、演奏の質云々する立場にありません。但し、官能的なほど濃厚濃密なるプリスカ弦楽四重奏団よりずっと端正、スッキリとしたスタイルなのは時代的に当たり前。

 この作品は初耳以来お気に入り、ほとんど馴染みの交響曲風情規模そのまま、金管抜きに室内楽に置き換わっております。1879年交響曲第5番第6番と同時期作品とのこと。ヴィオラが一品増えて中音域が厚くなっているのもBrucknerらしいもの。

 第1楽章「Gemasigt(中庸の速度で)。弦のトレモロがさざなみの如く〜所謂Bruckner開始に非ず、妖しくも遣瀬ない主題による静かな開始、あとはシンプルな音型繰り返しが息長くクレッシェンド、そして全休符に至る馴染みの音楽であります。誰が聴いてもBruckner!と理解できる彼のスタイルそのもの。12:11

 第2楽章 「Scherzo. Schnell(スケルツォ。速く)。剽軽な足取りが妙にもの哀しく、ユーモラス、溌剌とした躍動も感じさせるスケルツォ。例の如しシンプルな音型繰り返し+全休符が効果を生んで、クレッシェンドして激情への心情変化も効果的。室内楽だけど、ノーミソ中では大きな音楽が鳴り響いて木霊しております。8:11

 第3楽章 「Adagio」(アダージョ)。以前に書いたけれど交響曲第8番ハ短調第3楽章「Adagio(荘重にゆっくりと、しかし引きずらないように)」によう似ております。このままフル・オーケストラに編成拡大して演奏しても、なんの違和感もないでしょう。切々と中低音域の旋律が活躍する(しつこく同じ旋律を繰り返すクレッシェンドに効果有)安寧の世界。そして8分少し前あたり情感が高まってクライマックスへ。13:06。

 第4楽章 「Finale. Lebhaft bewegt」(終曲。活き活きと動きを持って)出足不安げにスタートしてやがて、交響曲第4番 変ホ長調 終楽章「Finale(運動的に、しかし速すぎずに)」とノンビリとした風情が似ていると感じます。そして第1楽章冒頭、遣る瀬ない主題が回帰するのもいつものパターン。この大きさ、ノーミソ中に金管を付け足したくなるBrucknerの世界であります。10:19。

 メロス弦楽四重奏団は誠実に正確に演奏して、色気はあまり付け足さないでしょう。

 Haydn 弦楽四重奏曲ニ長調 作品20ー4は太陽四重奏曲(第34番)。Allegro di molto-Un poco Adagio affettuoso-Menuetto allegretto alla zingarese-Presto scherzandoの4楽章、溌剌として明るい風情。第2楽章「Adagio」はニ短調、しっとりとした変奏曲は名曲!こちらのほうがちょいと前の録音らしいけれど、Bruckner含めて日常聴きに不足のない音質です。

(2019年5月19日)

 2002年再聴です。と、いうか、この文書、忘れていましたが、いかにも見切り発車的掲載で1998〜99年辺りのコンテンツ不足をアリバイ的に埋めたもの。もともとVOXのLPで出ていたらしい。「いつか削除してやろう」と思いつつ数年、CDを棚奥から発掘〜うぁっ、忘れてた!と・・・でも、(自分の中で)新しい発見は?

 Brucknerの魅力の神髄はなんでしょ?金管の開放的な咆哮?厚みのある弦の囁き?大編成オケのすべてのパートが融合した、壮大な伽藍に響き渡る宗教的畏敬に充ちた響きか。この室内楽を聴くと、前述の要素がすべて消え去っても「Bruckner」が残る、ということが理解できました。

 官能的で不安げな主旋律が美しい第1楽章。しかし、これ紛れもなくBrucknerの世界でしょう。たった5台の弦楽器だけれど、ヴィオラの増設が効果的なのか響きに充分な厚みを感じます。スコアのことはようワカランが、多彩な楽器による音の重ね合わせを拒否して、一声部一楽器でしょう?どこも無駄がなくて、Brucknerの「歌」がとてもわかりやすい。

 当然威圧感はありません。第2楽章はBrucknerのキモ〜スケルツォです。ここ当然、フル・オーケストラならリズムをバリバリ叫んで欲しいところですが、なんとなく哀愁が漂って雰囲気が違います。いつも通りシンプルな旋律の繰り返しが興奮を呼ぶところだけれど、しっとりしちゃってこれも悪くない。

 第3楽章は単独でも演奏される機会のある「アダージョ」。文句なしの名旋律でしょう。内声部の旋律が活躍していて、主旋律を盛り立てます。これ、小さな編成ならではの成果かも知れません。Bruckner交響曲で優秀な演奏に当たると「深い呼吸のリズム」を感じることがあるでしょ?室内楽だったら、もっと濃厚な「演奏家同士の呼吸」を感じあっているのが理解可能。それにしても、聞こえるはずのないホルンなどが静かに幻聴されます。淡彩なのに、多彩。

 終楽章も良く歌っているのは、これは演奏の成果でしょうか。交響曲なら、オケを思いっきり開放させるところでしょうが、このやすらかな歓びはかつてない経験。これ、第5交響曲の後くらいの成立でしょ?全体の構成、旋律の味わい、まったく交響曲と変わらない。でも、味わいは違いますよね。

 大オーケストラだと、思わず旋律に大げさな節回しを付けたくなったり、残響のなかに内声部が埋もれたり、逆に残響が止むまで次の旋律のタメを作ったり、とかしたくなるんでしょうか。全43分ほど。大規模な室内楽だけれど、これほどわかりやすく、美しい作品は滅多にないと思います。(2002年5月6日)以下、1998・9年辺りの文書は以下、そのまま。


 デザインが地味で、なんの解説もないClassical Creationsというシリーズが、1990年代の中盤まで店頭にありました。おそらくインターコードが、EMIに吸収される直前の廉価盤シリーズだったと想像されます。手元にはこれと併せて3枚しかなくて、いまとなってはもっとたくさん買っときゃよかった、と後悔しきり。だいたい1,000円で売っていました。Bruckner の3楽章がPILZにも収録されていて、音源のやりとりが不思議。

 Bruckner といえば交響曲であって、あと声楽曲もそれなりに有名です。室内楽は珍しいでしょ?この曲は60年代にウィーン・フィルSQの録音があるくらいで、ほんとうに録音が少ない。貴重です。〜「貴重」だけではなんですが、もの凄い名曲。全曲で4楽章43分くらいの大曲で、まるっきり交響曲と同じ雰囲気です。そうだな、第8番に似ている。

 素朴で息の長い旋律の連続、スケルツォにおける、弾むようなリズムの生き生きとしていること、アダージョの安らかな陶酔。金管の爆発がないぶん、旋律の絡み合いがいっそう明快に表現されて聴き応えがあります。Bruckner のエキスを取り出したような名曲。

 室内楽演奏の良し悪しはあまりよくわかりませんが、メロスSQの演奏は立派だと思います。長時間聴いていて、飽きることはありません。音も自然で聴きやすい。

 ハイドンのフィル・アップは一見ミス・マッチですが、室内楽の親密さが持続されて楽しめます。ハイドンの作品は室内楽にとどまらず、聴く度に「いい曲だなぁ、これからはもっと意識的に聴いていこう」と思うのです。で、けっきょく滅多に聴かない。(反省)

 アダージョの哀愁に満ちた旋律が心を打ちます。変奏がまた、切々と泣かせる。メヌエットにおける一点の曇りもない快活な表情、フィナーレの明暗の細かい交代の妙。
 ハイドンの演奏はごまかしが利きませんからね、メロスSQの喜びに満ちあふれた演奏ぶりは本物と思います。(音の肌理はBruckner より少々粗い)


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written by wabisuke hayashi