音楽日誌
2005年3月19日京都・銀閣寺
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2005年4月某日


昨日、”お留守番”出勤・・・とは大いなる幻想でして、上司も、他数人も出勤していたし、通常以上に忙しく、思わぬトラブルというか(他の部局から散々文句を付けられるような)作業付加がお客様から発生して、上司も何もしようとしない、というか、自分で処理するしかなくて、ひたすら(内部的に)文句を言われる立場に追い込まれてしまう。お客様には顔向けできる程度(顔見知りだし)に調整したが、所謂”小さいお客様”=(本音)やっかいもの(手間ばかり掛かって売り上げにならない)なんですな。そんなお仕事も楽しんでこなせるような余裕が必要、と個人的には思っているつもりだけれど、”余計なことをやっている”と文句ばかり付けられるのであれば、これ以降一切止めさせていただく(お前がやれ!好きでやっているわけではない)、と開き直るばかり。本業はちゃんとやっているでしょ?(以上、お仕事の愚痴でした)

でも、それなりに溜まったお仕事消化して(怒濤のような大量のメールに対応し、返信し、あちこち送りつけ)、連休に入ります。休日の合間の月曜日も”休んで良いよ”とのお達しだけれど、月次進捗資料提出は必要なので、日曜にヤミ出勤してデータ取り出しが必要となる・・・ま、たいしたことないっすよ。内部問題だし。お客様問題じゃないし。(そう考えない人がいるから恐ろしい)お休みだ、という気の抜けた状態と、もやもやとした不満(ま、基本良い会社ですよ、自由で強制がなくて)で音楽を聴く気持ちが盛り上がらない。

矢幡洋「自分で決められない人たち」(中公新書ラクレ)〜これは衝撃的な一冊でして、日本社会究極の危機を警告していると思います。自分を主張しない、個性を出さない、事なかれ主義、先例に従う、流れで決める、誰も責任をとらない、その挙げ句が信じられない不祥事、事故の連続だ。「できない」ことを公言して、相手に受け入れられることを期待すること。「無能である」ことを前面に出して、ムリをしない、ストレスになることは一切しない。食生活の崩壊。こどもの機嫌をひたすら取り続ける親。働かない、融和しない、向上心がない、変化を望まない。引き隠りの増大。おそらくは社会的矛盾に視線を送らない風潮は独裁社会を生みかねない・・・という主張、ということではなく、硬軟取り混ぜて実例たっぷりで現実が警告される一冊!

社会的モラルも、個人のスキルもすべて後退していますよね。「内部告発」も法律で決定されても有名無実化するか。今回のJRの事故も、なるべくしてなったものでしょう。「ミスをした人間に徹底したいじめ(罵倒無意味苦行)で対応する」って、最低ですよ。・・・「そんな苦労してまで大企業に入りたくない」・・・ますます上記書籍の内容に追い込まれていく様子が眼前に浮かびます。誰も電車の運転手になりたいとは、もう思わないでしょ。

昨日、Mozart 交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」〜エルネスト・ブール/バーデン・バーデン南西ドイツ放響(1964-1978年録音〜ずいぶんアバウトな情報だ)を少々、ちょっとだけ、通勤時(それも行きだけ)に。想像通りの整ったスタイルによる、クールな表現でした。意外とサウンドが幅広く、スケール大きく、重い。”微笑み”が少々足りませんか?今朝、早朝目覚めてSchumann ピアノ・トリオ第2番ヘ長調 作品80〜メニューイン(v)/カザルス(vc)/ホルショフスキ(p)(1956年プラド・ライヴ)は、最初のウチ、ヴァイオリンとチェロのアンサンブルがガタガタで、唯一ホルショフスキのピアノが淡々と安定して美しく、やがて流れがちゃんと出来上がっていく・・・そんな演奏でした。

Mozart ピアノ四重奏曲第2番変ホ長調 K.493〜カペル(p)/グリュミオー(v)/トーマス(va)/トルトゥリエ(vc)(1954年プラド・ライヴ)。こちらは技術的にも安定しているし、カペルの繊細なるピアノを先頭にいきいきと明るい表情に溢れました。

いやぁ、一気に夏でんな。午前中、洗濯お掃除(主に女房だけれど)しつつ、先日購入したNEC Lavie NX LV16Cは順調だけれど、ここは一発ガラクタ箱で眠っている30gbハードディスクに乗せ換えたい・・・と開封分解、装着、セットアップ開始。型式が旧いせいか、Wndows2000のCDROMブートできず、いったんWindowsMeをセットアップして上書きを・・・と思ったら、途中再起動時点で上手くいかない。なんどか同じことを繰り返し、数時間掛かって成功しました。”をたく”な趣味だな。とても嬉しい。(女房所用で大阪の実家へ)

無心になってノートパソコンの設定をしていると、すべてを忘れます。聴くともなしに、聴いていた音楽は、Beethoven ピアノ協奏曲第4番ト長調(グルダ(p))/Franck 交響曲ニ短調〜クリュイタンス/スイス・イタリア語放送管弦楽団(1965年ライヴ)このサイト、ごくごく初期に更新しているが、そろそろ全面改定しないとね。ピアノのタッチがとても繊細。オーケストラは少々響きが薄く、クリュイタンスはバランス感覚に溢れ・・・でも、ワタシFranck の交響曲は少々苦手なんです。

Sibelius 交響曲第3/5番〜マリス・ヤンソンス/オスロ・フィル(1994年)は、前回聴いたときには、ぱつんぱつんにテンションの高いアツい違和感があったはず。集中していないせいか、それなりにちゃんとした充実した演奏に感じました。

2005年4月某日


良い天気だし、世間ではノンビリとしたお休み状況なのだろうが(違いますか?)ワタシは”お留守番”出勤。ちょっと出張日程調整に失敗して、合理的でない日程を組んでしまったので、志願の休日出勤です。溜まりに溜まった宿題を休日出勤定時で一気消化!狙い。誰もいないから、ラフな服装で、なんだったら音楽聴きながらでもよろしい・・・でも、電話が鳴りっ放しだろうな。今朝のニュースで「政府統計が間違って計算されていた」とのこと。”優秀なる日本の官僚”も地に落ちたな。しかも、2年前に間違いを指摘されていたのに、な〜んもせんかった、とは。

Mozart 「ドン・ジョヴァンニ」K.527全曲〜フリッツ・ブッシュ(1936年ライヴ)一枚目を今朝(ようやく)確認。フルトヴェングラーの劇的緊張感に溢れた演奏(だったような記憶が・・・)に比べると、もっとバランス感覚というか、楽しげノリノリで、ワタシにとってもこちらのほうが「楽しいMozart 」で肌合いにピタリ!状態だと思います。

昨日、チカラ尽きてコメント出来なかった出張移動中音楽ラスト〜Bruckner 交響曲第5番 変ロ長調〜ヨッフム/フランス国立管弦楽団(1969年ライヴ)を。ヨッフム得意の作品で、何種目のCDだろう・・・5種目?ややデッドでオンマイク、肌理の粗い録音だけれど、臨場感(奥行き不足だけれど)と迫力溢れ、もの凄い。アツく燃えに燃え、旋律を煽り、弦の表情付けには(とことん)涙を、金管は朗々と鳴り渡って、これほど雄弁な演奏には滅多に出会えません。

”素材の味を生かした”方面ではなく、ここまで入念なる個性的な味付けならある意味納得!的徹底度合いだけれど、金管のの炸裂は独墺系茫洋としたほの暗く、奥深いものではなく、明るく鳴り渡って時にピッチが少々おかしい(・・・と聞こえます。ヴィヴラートも相当だし)。これは木管ソロでも感じる違和感で、ようはするにフランス国立管は”Brucknerオーケストラではない”ということですか?ヨッフムは「ここは一発、仏蘭西野郎にBrucknerの神髄を教えてやるぜ」的意欲に溢れ、やる気満々の一期一会的情熱完全燃焼。

PECO SSCD002(3枚組 (p)1998)ちょっとヘン(というか、色付け過ぎ)だけど、とても楽しめました。(嫌いな人もたくさんいると想像)熱狂的な拍手収録有。ちなみにこのCDはPECO SSCD002(3枚組 (p)1998)で、1993年頃タワーにシリーズ在庫が出現して数組購入したが、うっかりこれのみ購入し損ねて、その後中古屋で2,394円(税込)という割高(たしか新品では1,680円?)で入手したという苦い思い出がありました。

2005年4月某日


山口での長い(気分的に)滞在を終えて夜帰宅。新幹線は意外と空いていて・・・といっても、禁煙自由車両は一杯で喫煙車両へ(最悪)。ざっと見たところ、半数は煙草を吸っていなくて、しかも座れるのだから喫煙車両はもっと減らすべきでしょう。好天で気温も上がりました。汗っかきとしてはツラい季節に・・・制汗剤買わないとね。

帰りはあまり音楽聴けませんでしたね。Mozart 「ドン・ジョヴァンニ」K.527全曲〜フリッツ・ブッシュ/グラインドボーン音楽祭(1936年ライヴ)を聴き出したら、あれ?「序曲」が鳴らない・・・つまりCD一枚目持参忘れ。(相変わらずウカツ者だ)それはともかく、このテンションの高さ、速めのテンポ、モダーンなセンス、音質を除けば”旧さ”を感じさせない。ブラウンリー(ドン・ジョヴァンニ)バッカローニ(レポレッロ)スエーズ(ドンナ・アンナ)パッタキー(ドン・オッターヴィオ)ヘレッツグルーバー(ドンナ・エルヴィラ)マイルドメイ(ツェルリーナ)ヘンダーソン(マゼット)フランクリン(騎士長)って、正直どんな歌い手か全然知らないけど、躍動する音楽に相応しい、いきいきとした表情を感じました。(残り一枚目は急ぎ聴きましょう)

引き続き「Mozart DELUX」(40枚組 HISTORY 20559)より、ピアノ・ソナタ第11番イ長調〜ケンプ(p)(1935年)・・・これは後年の録音がありましたね。カッチリ背筋も伸びて、表情も次々変えながら、時にちょっとだけテンポも揺れながら作品は進みます。同じCDに収録されたのが、ピアノ協奏曲第26番ニ長調K.537「戴冠式」〜バックハウス(p)/フリッツ・ザウン/ベルリン市管弦楽団(1940年)・・・バックはいったい誰?*

強面重量快速推進猛烈技巧を誇って、初耳Mozart 表現ですな。かつて聴いたことのない華麗なるド派手カンデンツァ、思い切ったテンポの変化、時にストップしてしまう驚きの爆演系Mozart !お気に入り「戴冠式」は別な作品に聞こえました。

*情報をいただきました。Fritz Zaun(1893〜?)は、ケルン生まれ、ケルン歌劇場の指揮者の後、ベルリン響、ベルグラードやグラーツのオーケストラの指揮者だった人のようです。

2005年4月某日


昨日は女房職場で歓迎会(当然歓迎するほう)で夜一人だったので、のびのびと〜音楽聴いて、サイト用原稿書いて、火曜サスペンス劇場(の後半)見つつノートパソコンの設定いじって(いつもと変わらないか)・・・楽しいもんです。さて、出張にどのCDを持っていこうかな?

シュミット・イッセルシュテット/ウィーン・フィルによる、Beethoven 交響曲全集/協奏曲集は交響曲第2/6番(1965-69年)へ。少しずつ穏健オーソドックスな演奏を楽しんできたが、これはこのボックス中の白眉か。表現としては、昨今の過激な表現からはもっとも遠方の”オモロくない”ものかもしれないが、ニ長調/ヘ長調の溌剌楽しげ、明るく穏和な作品では演奏者の個性との相性ピタリで久々に快く聴けましたね。

例えば(ワタシがBeethoven 中もっと美しい部分と確信する)交響曲第2番第2楽章「ラルゲット」の練り上げられた弦と木管の表情の繊細、あまりにポピュラーになりすぎて(自分の中では)鮮度を失ってしまったはずの「田園交響曲」は、安寧に充ちて幸せ一杯。ムリなテンポ設定やら、特異で過激的表現はどこにも存在しないけど、”これぞウィーン・フィルの音”と実感できます。録音は充分な鮮度を保っているが、伝説の英DECCA録音中では「ゾフィエン・ザール」は評判悪いみたいですね。

ロンドンやジュネーヴ、シカゴでの録音とは少々テイストが違って、少々潤いが不足気味(あくまで相対論として。会場残響の問題らしい)かもしれません。

「お客様の都合でずいぶんと不合理な時間の使い方出張」というのは、じつはメインの商談すべきお客様(ごくごく親しいワタシより少々年齢下の方)が手術入院(昨年のワタシと同じ胆嚢切除〜但し自覚症状なし)になったためで、連休明けに再会を準備しております。これで大幅時間が空いちゃう。ま、さぼっているワケじゃないので勘弁してね。

ちょっと早めに出勤して、猛スピードでメールやらNOTESやら、ファックスの案件を処理してダッシュで新幹線へ。(こういうパターンが多いね)さすがにまだGW混雑は始まっていなくて、ちゃんと座れました。自宅側のバス停〜新幹線で広島へ+在来線へ。商談を終え更に山口へ。たっぷり音楽聴けて幸せです。お仕事はバタバタだし、移動中もケータイは無情に鳴るし(でも出られない)、でも、忙中(充分)閑有、でっせ。

まずMozart !交響曲第38番「プラハ」〜クリップス/フランス国立放送管弦楽団(1955年ライヴ)コンセルトヘボウとの正規録音の”優しさ”も素敵だけれど、もっと躍動があって勢い充分で、これはこれでオツなもんです。第1楽章スロウでダルな序奏から、一気に走り出すでしょ。オーケストラが走り過ぎちゃって、クリップスがリズムとテンポを整えている様子がよくわかります。そして華やかによく歌う。アツいノリがある。

引き続きワルター/フランス国立放送管弦楽団(1955年ライヴ。以上PECO SCD 003)でBrahms 交響曲第2番ニ長調がフィル・アップ。いいですね。よく歌って朗々と気持ちがよい。ライヴならではの金管の爆発もあるが、そこはフランスらしいヴィヴラートたっぷりの明るい響きで個性的なんです。緩叙楽章の瞑想が聴きものだけれど、最終楽章の燃え方も尋常ではなくて、元気なときのワルターの勢いって、こんなもんなんですね。(熱狂的な拍手有)

Mozart ピアノ協奏曲第25/27番〜ハイドシェック(p)/ヴァンデルノート/パリ音楽院管弦楽団(1961年)を。ややピアノの幅が大きすぎる音像(とくに第25番のほう)だけれど、まず極上の瑞々しい録音に驚きました。ピアノが艶やかで水も滴るような美音!清潔でありながら、細部まで磨き上げたセクシーな表現!浮き立つような気分華やかで、痺れます。ハイドシェック当時25歳の新鋭。ヴァンデルノートのオーケストラも同様な魅力に溢れ、時に縦の線が合わないことなど、なんのその。

作品的にハ長調協奏曲が似合っている表現のように思えるが、”白鳥の歌”第27番 変ロ長調の、澄み切った心境も違和感なく聴かせて下さいました。名盤。続いてMahler 交響曲第3番ニ短調〜ハイティンク/コンセルトヘボウ管(1966年最初の録音)あと2回の話題に比べると既に入手も困難か?存在自体地味なものですから。

まず音質良好。響きにかっちりとした芯があって暖かい。先日、後輩筋であるデ・ワールト/オランダ放送フィルのMahler を聴いた(残念ながら第3番のみ手元に存在しない)が、収録会場が同じコンセルトヘボウなのに残響茫洋と鳴り過ぎで、ここまでの明快さを感じません。録音思想の違い(ライヴだし)と、なによりオーケストラの実力問題でしょう。

表現的にはやや速めのテンポ、まっすぐな表現でほとんど虚飾ない、なにも付け加えない世界が好ましい。オーケストラの暖色系まるい響きが生かされ、クセがない。車窓に流れる、春の瀬戸内海の青さにこれほど似合う音楽はない。時間が余ってたっぷり鈍行に乗ったが、延々と長々しい作品は快く鳴り渡ります。金管の深々とした音色の驚異的魅力。続く、第4番ト長調(1967年)も同様の安らぎを得たが、アメリンクが歌う最終楽章までたどり着けませんでした。

2005年4月某日


とても良い天気。松山でのアツき商談を数件こなして、売り場視察もして、早々に岡山に戻りました。また明日から広島〜山口(上司にはナイショだけれど、お客様の都合でずいぶんと不合理な時間の使い方出張となる)で、きっと連休直前だから新幹線も混んでいるに違いない。(いつも週末の夕方は指定席も満杯・・・ましてや!)

帰宅してSibelius 「タピオラ」(ロンドン交響楽団1932年)/交響曲第2番ニ長調(交響楽団1930年)〜ロベルト・カヤヌスの指揮で。音質が比較的良好なこと、荒涼とした雰囲気と、やや無頼な味わいが同居していて、(あきらかに独墺系旋律ではない)詠嘆を引きずらない個性(つまり、時に旋律表現が少々素っ気ないくらい)があります。こんな時代(作曲者と同時代)に、もうここまで完成された、立派な演奏スタイルが出来上がっていたんですね。第1/2/3/5番+「ベルシャザールの饗宴」「ポヒョラの娘」「カレリア組曲」「タピオラ」・・・CD3枚分の録音が良好な状態で残されたことに、感謝。

ずいぶん以前(このサイト初期)に更新したジョハノス/ダラス響のCD2枚組(1967年)の再聴コメント、ここ数日聴いているHummelの室内楽作品、いずれもサイト用原稿(んな、エラそうなものではないが)に仕上げるためには、なんども聴きなおす必要があります。これが苦しい。ぼんやり楽しんで聴いていれば良さそうなものだけれど、”書くこと”によって集中力を得ているんです。

でも、そのことが精神的にツラい、とか、集中力が落ちて聴き飽きてしまう・・・という現実もあって、これは少々矛盾ですな。もっと気持ちの切り替えが上手にならないとね。明日明後日の出張は移動時間が多いから、たくさん音楽が聴ける。本も読めます。

2005年4月某日


かなり体調回復。いつも休みに体調崩して、お仕事始まるとやや回復・・・ってパターンなんです。精神的な問題か。本日より、月一回の松山訪問。その前に資料作りとか、いろいろある。

昨日はノートパソコンをいじって遊んでいた(OSのアップグレードなど)ので、ほとんど音楽聴いておりません。今朝、Stravinsky自演で、「花火」「頌歌〜クーセヴィツキーの思い出に」「3声の哀歌」「ノルウェーの情緒〜4つのエピソード」「サーカス・ポルカ」「エボニー・コンチェルト」(ハーマン)「ロシア女性の歌」(シゲティ)を。刷り込みというか、ワタシ剽軽で土俗的な旋律が大好きなんです。「春の祭典」やら「火の鳥」ばかりが彼の世界じゃないぜ。

とうとうチームの若(くもないか)い奴が、一番大きな取引先の(超わがままな)担当と大喧嘩。やると思ったんだよね、ワタシは4年間上手いこと付き合ったんだけどね、最初から向こうはかましていたしね。もうハラ決めました。とことん庇ってやるぜ、悪いのは向こうだ。でも、サラリーマンだから数値はやらなくっちゃ、ね。(お相手の上役とはツーカーだし)

そのまま夕方、クルマで松山へ。チームのうち一人、お仕事のケリが付かなくてバスで後追いです。いや、いつものことだけどいろいろありますな、毎年。お仕事はこんなもんでっせ。4月実績は前年比二桁増、予算大幅達成、上司曰く「文句なし」とのこと・・・松山のおでん屋で少々飲みました。明日、ご当地で商談。

福知山線事故はエラいことですな。様子がよくわからないが、先日新聞で読んだ”しきい値”問題じゃないだろうか。運転手の技量か、経験不足か、車両の軽量化の要因か、置き石か、いろんな条件が重なったのか、とにかく「安全運転の最低限条件」をクリアするための”しきい値”を越えてしまったということか。鉄道事故最悪の結果だったらしい。事故の犠牲者に哀悼を、被害者にはお見舞いを、今なお閉じこめられている乗客の救済を祈ります。

なにごともないことが、大切なことなんですね。21世紀はほんまに混沌混乱の渦連続です。

2005年4月某日


咽が痛くなってきたから風邪だね、明日から出張だから体調に気を付けないと。せっかくの連休目前なのに。

昨夜、Mozart 交響曲第38番「プラハ」〜ベーム/ベルリン・フィル(1959年)を久々確認。LP時代はボックスで全集を購入していて、自分の標準でした。とにかく細部まで、徹底的に謹厳実直に、ていねいに誤魔化しなく表現して下さって曖昧なところがない。少々堅苦しい、真面目すぎとさえ感じさせて、一流のオーケストラじゃなかったらとてもツマらない演奏になったんじゃないか。ベルリン・フィルは完璧なる技巧と表現で、(小学生以来〜シューリヒトの演奏で)散々聴いてきた馴染みの作品なのに「ああ、こんな対旋律が隠されていたんだね」と感嘆しきりでした。録音極上。

引き続き交響曲第39番 変ホ長調〜ベーム/コンセルトヘボウ管(1955年)を。録音も少々落ちるし、オーケストラの色合いも(当然)異なるが、先の「プラハ」と一緒で、”謹厳実直堅苦真面目”系演奏。この第39/40/41番を一枚に収めたCD(PHILIPS PHCP-10137)は、LP時代(グロリア・シリーズでしたっけ?)を思い出させて懐かしい一枚です。(安かったのに立派な見開きジャケットだった・・・はず)

3月に購入して、少しずつ、ゆっくり味わいながら消化しつつあるアリシア・デ・ラローチャの7枚組ボックスより、Schumann 幻想曲 ハ長調 作品17(1975年)を。ワタシ、Schumannのピアノ作品(+室内楽も)大好きです。気紛れで移り気なる甘い旋律の連続〜音楽が流れ出したら細部まで旋律お馴染みでして、在庫確認したらルービンシュタイン(1965年)、ブレンデル(1966年)で聴いてきたんですね。

明らかにスタインウェイではなく、もっと柔らかく、滋味深く(例えて言うならオルガンのような)しっとりとした、横に広がるような響き。ベーゼンドルファーでしょうか。ほとんど別の作品か、と見まがうばかりに瑞々しく優しい表現が頻出していて、特別テンポが遅いわけじゃないのにゆったりとした感触有。切なく聴き手の胸を擽る、暖かい空気。カッチリしていなくて、いかにも気紛れでウェットで、幻想的官能的・・・(デ・ラローチャのCDは、MCAから出ていた旧いモノラル録音のスペインもの以来だ、というのウソで、昨日ネット検索掛けていたら、自らの音楽日誌で「華やかなRavel 」1969年録音を賞賛しておりましたね)

昨日、「Beethoven 交響曲全集が15種」と恥ずかしいカミング・アウトしたけど、じつは更に3種発見して計18種に・・・(アホちゃうか)〜うち、第18番目消化中はシュミット・イッセルシュテット/ウィーン・フィル(協奏曲+序曲数曲計8枚1,650円也)となります。同じく3月に購入したものだけれど、その後、クリップス全集を購入しちゃったので後回しにしていたもの。FMとかでなんどか聴いているものも多かったしね。で、序曲「レオノーレ第3番」/交響曲第1番ハ長調(1965-69年)/ピアノ協奏曲第4番ト長調(バックハウス(p)1958/59年)を確認。

序曲〜協奏曲ラストまで、盤石のコンサヴァティヴとでも言うべき安定感を感じさせます。予想通り、といえばその通りだし、耳目を驚かせる仕掛けはなにもなし。ウィーン・フィルは美しいが、”水も滴るような”とかということでもなく、充分に過不足なく、立派に美しい。テンポにも納得。シュミット・イッセルシュテットという人には、”オモロい仕掛け”みたいなものは期待できないのでしょう。正直、朝食をとりながら、新聞を読みながら聴き流したので、細部印象を感じ取れなかったが、再聴しても飽きが来ない。こんな演奏録音が、結果的に生き残っていくのでしょうか。

終日、体調回復狙いでおとなしくするが、女房所要で外出でクルマで送っていったついでに、ネットで検索した中古パソコン屋さんへ。ありましたノートパソコン用64mbメモリ。価格は2,500円こんなもんか。増設したら、さすがにかなり快調ですな。32+64=96mbでようやく我がNEC Lavie NX LV16Cは実用水準へ。コレNECが「98」路線を止めて、PC/AT互換機路線に変えた最初の機器ですよね。1998年かな?まだまだ使えます。(さらにWindows2000にアップ・グレードしました。順調です)

CC13Dvora'k「新世界」〜ナヌート/リュブリャナ放響をクルマで確認。値札を見ると@105となってますね。コメントも以前通り、素朴で誠実で真面目で、上手いオーケストラでもないが、じゅうぶん胸を打つ。

2005年4月某日


体調イマイチ。風邪でもひきかけなのか?それとも精神的な問題か。自律神経か、初期鬱症状か?肩が凝っているんです。良い天気、早朝からお布団干して、洗濯して、掃除機掛けて・・・昼休みにお仕事から戻ってきた女房が「カーテン洗濯しておいて」との一言に、久々、延々と全部屋のカーテン洗濯終了。「火曜サスペンス劇場」(再放送)見ながら、というのもお休みの醍醐味です。

CDの棚は4ヶ所に分かれているが、自分なりに並べ方の法則がある(つもり)ものの、数ヶ月で相当乱れ、ワケわからんくなります。で、一本9段分を順繰り取り出して整理整頓。これが「発見!」が有。ようはするに存在を忘却してしまった可哀想なCDの再発見。一度はたいてい聴いてはいるが、なかには未開封5年目も有。(Berlioz/Faure レクイエム〜フレモー/バーミンガム・シティ響)配置換えも一部実行して、Beethoven 交響曲全集を一ヶ所に集めました。その数ナント15種類。これに数え切れないくらいのバラ単品が存在する。こりゃ自慢になりまへん。集めている、という自覚なしなのが問題。(メニューイン全集は既に売り払いました)

ここ数日なんども聴いているHummelは、ヴィオラ・ソナタ 変ホ長調(テレツキー)/マンドリン協奏曲ト長調(ハリス/スロヴァキア州立ジリナ室内管)を 再々度。驚くべき軽快さと快活さに溢れた旋律・演奏。先のピアノ五重奏曲 変ホ短調含め、「演奏者がようわからん!」状態ながら、ミラン・テレツキーはネット検索の結果スロヴァキア放響(ブラティスラヴァ)の主席らしい、という手応えを得たので、この一枚はスロヴァキア共和国辺りで録音されたもの・・・と想像されます。(デアゴスティーニ 98 (p)Point Classics)

Bruckner 交響曲第8番ハ短調〜シューリヒト/北ドイツ放響(1961年)を。音質状態芳しくなく、アンサンブルも細部の仕上げが緻密ではない。1963年ウィーン・フィルとの正規録音は音質良好だし、アンサンブルも整って完成度が高い(もちろんオーケストラが美しい)から、無理して聴くようなCDじゃないかもね。でも、音楽に集中できれば(つまり、少々の音質問題も、アンサンブルの乱れも気にしない)、クリアで清涼、流れるようなノリの世界が見えてくるでしょう。この演奏には熱気と明快と、粗野な迫力がちゃんとあります。

2005年4月某日


爽やかな天気が続くが、朝晩やや冷えるのでこういった時の体調管理には気を付けないと。本日、日帰り出張をこなしたら週末休みへ。最近、お休みがほんまにお楽しみです。

昨日BOOK・OFF収穫で、Sibelius 交響曲第7番ハ長調〜バルビローリ/ヘルシンキ交響楽団(1960年代?ロイヤル・フェスティヴァル・ホール・ライヴ inta'glio INCD7171)を。流石、人気作曲家/指揮者のCDだからサイトを検索するとコメントがいくつか探せます。曰く、オーケストラのミスタッチが目立つ(冒頭のフルート)、全体の様子がよくわからない・・・ハレ管との正規録音(1966年)が存在するんだからムリして集めるような録音でもないとは思うし、たしかに音質状況は芳しくない。でも、ミスタッチは(個人的には)気にならないし(じゃ、かっちりアンサンブルが整った演奏が理想的なのか?)、一種茫洋としたマジックこそバルビローリの魅力!ワタシは、ライヴならではのアツい雰囲気含めとても楽しめました。

一昨日のHummel ピアノ五重奏曲 変ホ短調 作品87(イヴァン・ガジャン(p)ほか。このCDの「変ホ長調」表記は誤り。初心者向けコレクション〜デアゴスティーニ〜なら最低限作品情報はきちんとして欲しいもの)再び。4楽章24分ほどだけれど、「陰影入り交じった多彩な旋律が魅力」〜まさにその通りでして、ほの暗く劇的な冒頭旋律から、垣間見える平穏で明るい表情の対比はまったく素晴らしい。清楚でありながら、悩ましい妖艶さを時に魅せて、スケールも大きな作品。ピアノのほか、ヴァイオリン(シムチスコ)、ヴィオラ(テレツキー)、チェロ(アレクサンダー)、コントラバス(サスィーナ)という珍しい編成でして、低弦強化がスケールの要因だと思います。Mozart をもう少し、端正に、生真面目に、大きくした、といったテイストもありました。

引き続きHummelで七重奏曲ハ長調 作品114「軍隊(?)」〜ナッシュ・アンサンブル(1981年)を。ピアノ、フルート、クラリネット、トランペット、ヴァイオリン、チェロ、コントラバスという、もうほとんど室内管弦楽、またはピアノ協奏曲風、といった趣の編成となります。とくにトランペットの存在が大きい。古典的勇壮な旋律が、時に短調への陰りへと変化する、というのは彼の特徴ですか。(Mozart はこの辺り、もっと徹底して崩れていくけれど)29分ほどの立派な聴き応えのある作品です。

フィル・アップはKREUTZER(1780-1849 Conradin)の大七重奏曲 変ホ長調 作品62だけれど、こちらトランペットはなくてホルンが活躍します。既にSchubert などの印象に近いが、魅力的な旋律であること、Hummelに負けないでしょう。

岡山〜高松〜徳島転戦で商談だし、お客様は駅前というわけじゃなし、けっこう移動に時間がとられるし、きょうは遅くなるで!と思っていたけれど、商談もとんとん拍子、駅に行ったら即特急があって・・・ずいぶんと早く帰宅できました。天気も良かったし、良い週末になりそうですね。読むべき本も忘れず持参。基本、Mozart 三昧で移動中音楽満喫しました。

まず交響曲第25番ト短調〜ベルリン・フィル(1982年カール・ベーム追悼演奏会)から。オーソドックスで抑制の効いた表現がまことに説得力深く、指揮者なしとは思えぬ細部迄入念描きこまれた驚くべきアンサンブル。次に収録されるのは交響曲第40番ト短調〜ベーム/ベルリン・フィル(1976年ライヴ)でして、謹厳実直、色気もなにもないけれど、その生真面目ぶり、集中力がいつしか快感に変化する徹底が魅力でしょうか。音の状態は前者よりやや落ちます。

レクイエム K.626〜シューリヒト/ウィーン・フィル/ウィーン・ジング・アカデミー/シュターダー/ヘフゲン/ゲッダ/ヴィエナー(1962年ライヴ)へ。音質は想像以上に良好だし(モノラルだけれど)、オーケストラも合唱も非常に美しい。基本、この人は響きが重すぎたり、濁ったり、リキんだりしない表現だけど、けっこうゆったりめのテンポ、浪漫的なタメもちゃんとあります。コクがあるんです。熱もあります。最後まで飽きさせない、爽快なる演奏。

ウィーン・フィルのMozart ならコレ!というくらい感動的なクラリネット協奏曲イ長調(プリンツ)/フルートとハープのための協奏曲ハ長調(トリップ/イェリネク)〜ミュンヒンガー/ウィーン・フィル(1962年)。英DECCAの録音は理想的な水準で、艶やかで暖かい弦の響き、やわらかく奥行きを感じさせる管楽器群、自然な位置関係と存在感、はっきりとした息遣いさえ感じさせるソロ・・・これほど優雅で華やか、暖かい演奏は他では経験できないでしょう。車窓から輝く、春の田園風景にまことにふさわしい。

Brahms 交響曲第3/4番〜ズヴェーデン/オランダ・フィル(2002年)。まだ表現が若いし、オーケストラの音色に魅力が足りない。誠実さと一生懸命さ、勢いみたいなものは充分感じますが。でも、こういった新世代の録音は機会があればちゃんと聴いてあげるべきなんでしょう。けっして、やる気のないヘロ演奏じゃありません。録音も良好。

ラスト、ドイツ・レクイエム〜シューリヒト/シュトゥットガルト放響/南ドイツ合唱団/ヘッセン放送合唱団/マリア・シュターダー/プライ(1959年ライヴ)・・・これは録音が少々落ちるし、ほとんど居眠りしていたので様子がよくわかりませんでした。

2005年4月某日


朝晩は薄ら寒く、カラリと晴れて下さらない。それでも夏に向けての服を準備しなくちゃいけないが、先秋(手術入院後)のリバウンドでズボンを購入しなくちゃいけない状態。半年毎に服を買うのはもう10年くらいのスパンか、ジョーダン抜きにダイエットしないと生命の危機が忍び寄ってますね。昨日の朝日新聞に興味ある記事があって、中野不二男(この人の「レーザーメス 神の指先」は不朽の名著)「日航トラブルをめぐって〜『しきい値』知らぬトップたち」・・・

「しきい値」は科学用語だけれど「仕事も、作業内容や労働時間などの条件が一定の値をこえると、集中力の低下を招くしきい値があるはずだ」と。1999年の東海村JCC「放射線被曝事故」も同様。日本の大企業ではトップに行けば行くほど科学や技術を理解できない、それでも現場のモラルや高い技術で責任をまっとうしてきたが、それは(例えば政府系お役人の天下り止まない状況含め)限界を超えてきたのではないか。日本の中小企業が優秀なのは、トップが現場上がりで、その道に精通しているからではないか?研究開発というのは「成功率0%」から始まるのに、その認識が国の幹部にはない、勤勉な研究者、技術者を育てる環境はぐらついている・・・と。

BBS書き込みを契機にCDを聴き直す良い機会となることは多くて、昨日はMozart レクイエム〜グロノスタイ/ベルリン放響/RIAS室内合唱団(1988年)を確認。合唱好きには極めて評価の高い(らしい)RIAS室内合唱団の技量には驚くばかりだけれど、オーケストラの表現問題(=グロノスタイの解釈)問題か、全体としては愉悦感(というというと鎮魂曲だから不遜だな、躍動感か?)に欠け、いまひとつな感じ。少々サイト加筆しておきました。

ワタシは「Mozart 付近」の作曲家は大好きでして、Cherbini(1760-1842 イタリア)のレクイエム ハ短調〜マルコ・ムニッヒ/ベオグラード放送管弦楽団/合唱団(録音年不明 Point=PILZ音源)を。この指揮者は実在です。手許にはDvora'kのスターバト・マーテルもあるから、こういった合唱入り宗教的作品を得意としていたのでしょうか。45分に及ぶ作品は、静謐かつ劇的であり、聴き手の胸を締め付けるような美しく雄弁な旋律が溢れました。録音も悪くないし、演奏もまずは作品を味わうのに充分なる水準。

フィル・アップにHummel(1778-1837)のトランペット協奏曲 変ホ長調〜グミュール/カメラータ・ロマーナ/クインク(tp)(録音年不明)収録。(PILZ-Telemann2枚組に収録されるものとダブり。少なくともオーケストラは匿名)作品演奏録音とも溌剌として楽しいもので、ソロは細部まできちっと表現した技巧の冴えは立派です。その流れでやはりPoint=PILZ音源CDで、ピアノ五重奏曲 変ホ短調(イヴァン・ガジャン(p)ほか)/ヴィオラ・ソナタ 変ホ長調(テレツキー(va))/マンドリン協奏曲(ハリス(md))〜いずれも録音年不明(演奏者の原語表記も不明)を。 彼の作品は、陰影入り交じった多彩な旋律が魅力でして、とても楽しい。デアゴスティーニの雑誌付録中古@250で広くは知られない、珍しくも美しい作品をこんなに楽しめるとは・・・ピアノ協奏曲第2/3番も再聴して加筆したいもの。相変わらずしょうもない内容なので。

午前中、直接お取引先へうち合わせ、お昼までちょっとだけ時間が余ったのでBOOK・OFFへ・・・「エミール・ギレリス1930-1984」というメロディアのCD(MCD 166)を@250で発見。オール・モノラル収録だけれど、趣旨は「最初期の録音から最晩年迄」(亡くなったのは1985年)ということでしょうか。Scriabin ピアノ・ソナタ第3番 嬰ヘ短調(1984年)は、硬質で強固でそしてまったく妖しい魅力に充ちて、説得力ある表情が素晴らしい。これって、もしかして「ラスト・コンサート」(かつて「ハンマークラフィーア」とともに収録され発売された)ですか?ここでは5つの前奏曲集 作品74も収録されます。音質は乾き気味で少々割れるけど。続く第4番 嬰ヘ長調(単一楽章 1957年)もいっそうしっとり、静謐で深みもあります。どんどん感興が高まって、胸もアツくなりました。

ワタシは、かなり以前にロベルト・シドンでScriabin ソナタ全集(1968/70/71年)を揃えているけど、全然歯が立たなかったんですよ。(DG 431 747-2)そろそろ大人の音楽を楽しめるくらいに、耳も成熟してきたかな?

2005年4月某日


トータルのお仕事実務量としては格段と軽減されているのに、妙にイライラが募る細かい事象が続きます。諸作業煩雑に追われているほうが精神衛生上よろしいのか?ほんまに自分の精神的ビンボー症を痛感しますね。朝日新聞「未定年退職」〜ようやく(下)が掲載され、彼は経緯があって無事新興企業の部長に。本人の資質、努力、出会いもあるのだろうが、そこへ至る精神状況が一筋縄ではない。意地もこだわりもプライドも、趣味も有。十数万キロ乗ったサニー・カルフォルニアを買い換えるのだけれど、昨日まで走っていたクルマが「査定 0」という現実に感慨有・・・

男なら誰でもそうだと思うが(女性はわからない)、「若い頃の自分」(数年前でもいっしょだ)は心底恥ずかしいものです。息子は自分によく似ていると思うが、育った環境がちがうし、もちろん別人だし、ひたすら彼の若さが眩しく、羨ましいばかり。このサイトは開設7年に近づくが、初期に執筆したものは見るに耐えず、気付く限り聴き直し、評価し直し、書き直しているが、なんかの拍子でサイト検索にて「恥ずかしい自分」が発見されて居たたまれません。この繰り返しなのか?

ドナルド・ジョハノス(ヨハノス)/ダラス交響楽団による、Copland、Ives、Rachmaninov 二枚組(VOX 1967年)ドナルド・ジョハノス(ヨハノス)/ダラス交響楽団による、Copland、Ives、Rachmaninov 二枚組(VOX 1967年)もそんな(恥ずかしいコメントの)CDでして、ぼちぼち執筆し直しております。馴染みのCDを何度も、思いを新たに聴くことが出来ること、それは得難い、幸せな経験だと思います。これから山口へ出張。ゆっくり移動中は(新しいCDプレーヤーで)音楽を楽しみましょう。

また福岡で地震有。早朝から山口へ出張だったが、新幹線ダイヤが乱れてなかなか山口に到着しない。結果、30分遅れて会議開催。広島で乗り換えを余儀なくされたり、それが凄く混んでいたり、であまり音楽に集中できませんでした。挙げ句、途中で電池切れ。それでも数枚CDは聴けました。

Rachmaninov 「パガニーニ狂詩曲」〜ルービンシュタイン(p)/ライナー/シカゴ交響楽団(1956年)・・・いいですね。暖かで華やかだけれど、甘すぎないソロ、切れ味があって艶やかさと重量感あるオーケストラ、録音も驚くべき水準。(ウィーレンシュタインとの旧録音も聴いてみたいもの)de Falla 「スペイン夜の庭」〜これはバックが珍しいエリケ・ホルダ/サンフランシスコ交響楽団(1957年)となります。この曲、最近人気ありませんね。録音がオン・マイクかつ残響不足、奥行き不足で大味だけれど、ピアノはこちらのほうがノリノリ自由な感じで、ホルダも気怠い雰囲気を出してしかも自信たっぷり。

ラスト、Chopin 「アンダンテ・スピナートと華麗なるポロネーズ」の管弦楽伴奏版でして、バックはウィーレンシュタイン/シンフォニ・オブ・ジ・エア(旧NBC響 1958年)。ワタシはこの曲大好き。ポロネーズに入る直前の、ちょっと息を整えている感じの旋律〜喜ばしい舞曲への飛躍にワクワクしますね。でも、管弦楽伴奏は蛇足っぽいか。とくにバックが粗くて、乾き気味だし。ピアノはなんの文句があろうか?ポロネーズのタメはお国言葉なんです。なんと懐かしい。

Debussy 「海」〜シューリヒト/シュトゥットガルト放響(1952年)は、まず音質が予想外に良好なこと。この人はさっぱり系の表現が明快だけれど、明らかにフランス系ではない、ビミョーな粘りけのある旋律表現が個性的です。とても語り上手で、おそらくかつて聴いたことのないオモロく、説得力ある演奏。Bartok 弦楽四重奏曲第2/4番〜エマーソン弦楽四重奏団(1988年)・・・ワタシはこの作品にコメントできるほど、強靱なる精神を所有しておりません。恐ろしい。厳しい。

Mahler 交響曲第10番「アダージョ」〜ハッセンカンプ(Hassencampか?)/南ドイツ・フィル(Point=PILZ音源)は、指揮者もオーケストラも匿名だろうが遅めのテンポで朗々と歌ってスケールが大きい。録音も悪くない。引き続き、マグダレーナ・ハヨッショヴァ(s)/ラブサンスキー(p)によるALMAの歌曲5曲収録、ダンナの歌曲8曲収録。はっきり言って奥様の作品はツマらないのか?それともハヨッショヴァ(なんかヘンだ。原語が出ていないもんで)の表現が平板で面白みがない(ダンナの作品も)のか。正直、楽しめません。

2005年4月某日


結局バタバタの一日だったが、新年度リリースなった「実績進捗システム」(実際はこんな名前ではない)で数値を拾うと、4月は前年実績、予算クリアのメド立っていて、文句ないでしょ。(昨年悪すぎたが、回復は努力あっての賜。悪いままだと、どんどん数値は落ちていくもんです。)大小様々トラブルが続いていて、細かい実務的宿題、大きな課題精査提案、当面の治めること、ごちゃごちゃ状態で机の上もごちゃごちゃ状態・・・だけれど、お仕事さっさとヤンピ。

で、東京から異動してきた40歳独身男性と(この間、お仕事でずいぶんと負担を掛けたので)約束通り酒席で交流。真面目一方の人だね。20:30発のバスで帰宅。またNEC LavieNX LV16C(3,480円)で遊んでいたら、マウスが動作しない・・・昨日購入した光学マウス(748円)の穴が光っていない。不良品みたい。音楽聴いておりません。ええっ・・・と、明日、山口へ会議出席(状況伺い)だからその時に聴けるか。金曜日、高松、徳島でしたかね。これは相当移動時間が長いから、しっかり音楽楽しめそう。

BBSでChopin の話題が出ているので、着々と消化しつつあるマガロフ全集からバラード4曲(1974年)分を。暖かさ、余裕、柔らかさ、広がり、馴染みの作品だけれど、これほどの柔軟性とやさしさを以て響いたChopin は初体験でしょう。ワタシはChopin を嫌いではないが、好んでいつも聴くと言う状態はありません。おそらくCD時代に入って、アルゲリッチの前奏曲集(1975/77年)、ポリーニのポロネーズ集(1975年)が(当時)まったく気に入らなかったことが主たる要因だったと思います。(たったいま、ポリーニのスケルツォ集〜1990年録音〜を聴いても、クリアで才気走った神経質が好きになれない)ちなみに、主たる有名作品を揃えるため集めたビレット盤(NAXOS)数枚も、表情がカタ過ぎて、先日売り払いました。

で、ルービンシュタインのいくつかの録音(海賊盤ばかり他、夜想曲、円舞曲、マズルカ、ソナタ集・・・)で癒されておりました。曰く「柔らかく、まったりと弾いてくださって余裕です。粋なんです」と。マガロフはこの方向に似て、いっそうシミジミ滋味深く、やさしく、繊細な説得力を感じさせましたね。夜想曲(1974年)も、過剰な入れ込みではなく、そっとていねいに、遣る瀬ない情感が表現されました。

2005年4月某日


どうも朝晩は肌寒い。今週は山口だったかな?高松(先日のリベンジ)〜徳島行きもあったような・・・お仕事の締め切りばかり思い起こして、鬱々と悩むことは最近なくなって、休みはノーミソ空にして過ごすのが正しい。いつもほどブルーマンディとは感じなくて、こんなことは数年ぶりでしょう。

昨夜の音楽的発見は、Debussyの(どちらかといえば聴く機会の少ない、知名度的に少々落ちる)管弦楽曲集〜ルイ・ド・フロマン/ルクセンブルグ放送管(1972年)2枚組(第2集)。購入既に10年以上遡る馴染みの音源だけれど、昨年「QUADROMANIA」4枚組で一気全録音復活していて、一部話題になっていたもの。「春」(とても幻想的で美しい作品)はともかく、ピアノと管弦楽のための幻想曲(ドース)、サキソフォーンと管弦楽のための狂詩曲(ロンデクス)、クラリネットと管弦楽のための狂詩曲(ダンゲイン)、「レントより遅く」(ズラニトコヴァ〜ツィンバロン)という協奏的作品が一気に聴けるのがありがたい。

オーケストラもヘロヘロっぽいし、アンサンブルも曖昧だけれど、なんとなく雰囲気があって、作品の魅力をうまく表現できていると思います。ふだん、著名作品ばかり聴いて食傷気味になりがちだけれど、新鮮でしたね・・・というか、10年以上も放置するな、ってか。今朝は、Mahler 交響曲第1番ニ長調〜デ・ワールト/オランダ放送フィル(1993年)を。いつも通りの残響過多、響きの芯が足りないことが少々気になるが、これは青春の前のめり的アツさが少々表出して良い演奏だと思います。穏健派路線に間違いはないが。

フジテレビ/ライブドア問題は決着しそうだけれど、韓国/中国の反日問題はどうなるのか。法政大学の王敏(ワン・ミン)教授が、中国に脈々と受け継がれる儒教思想を根底にした、愛国教育に経緯がある、という。(歴史的人物に対する思い入れは、日本の比ではない)また、日本の教育とはまったく逆に、近現代史を徹底的に教える(つまり日本侵略ですな)という。更に驚くべきことに、大学進学率は19%へ、という驚異的な躍進がある・・・彼女の結論は「日本人は人を思いやり、人に気遣う」〜この美徳を隣国の文化にも広げていただきたい、と。

なんだ、自分の主張とそんなに変わらないじゃない。特効薬なんてないんだよ。朝日新聞月曜の白眉「あなたへ」は、姜尚中(カン・サンジュン)東大教授〜17歳「死の影におびえ、不安におののくことがあった」青春の入り口論。ワタシは彼の貌(かお)をテレビで初めて見たときから「ただものではない」との直感を得たし、彼の著作、ドキュメンタリー番組を見るたびにその思いを深め、圧倒されます。日本で活躍される外国籍(日本に帰化されたかたもいらっしゃるでしょうが)の人々が、ともすれば狭量になりがちの、日本人社会の視野を世界に広げてくださることを期待します。

2005年4月某日


NEC LavieNX LV16C(3,480円)で、ずっと遊んでおります。メモリが全然不足(32mbしかないから)だから、ときどきフリーズするけど、テキストのみ扱っている分には不自由ありません。液晶画面も美しい。日本語変換の登録も全部移しました。HDの容量不足はUSBの外付けを足せばなんとでもなるし、そのうち入れ替えてもかまわない。64mbのノート用メモリは中古で探さないと。”遅さ”を堪能しております。

早朝目覚め(最近ずっとそうだ)、Stravinsky 「ペトルーシュカ」〜デュトワ/ロンドン交響楽団(1976年)を久々。馴染みの作品であり、LP時代からお気に入りでした。ス感覚溢れた余裕の演奏で、オーケストラの響きはしっとり味わい深く優秀なアンサンブルを誇ります。どこにもリキみはない。録音優秀だけれど、後年の英DECCAとは方向が違って、奥行きやら分離は自然体です。中低音に重心がある。

音質の違いを確認するため、Bartok 管弦楽のための協奏曲〜モントリオール交響楽団(1987年)を第1楽章のみ。響きがカルいのはオーケストラの特質だろうが、けっして乱暴な表現にならないところはデュトワらしい。録音はDGアナログのほうが好み(ジミだけれど自然な奥行き有)でしたね。引き続き、Beethoven 交響曲第5番ハ短調〜フルトヴェングラー/ウィーン・フィル(1954年2月28日〜3月1日)を。

あまり世間が騒ぎすぎるので、フルトヴェングラーは一歩引いて聴くクセがありますね。最晩年のスケールと抑制が感じられるが、細部までよく考え抜かれ、表現し尽くされた個性的、強烈な演奏。これはやはり時代の証言でしょう。音質がぱっとしないのはNOTA BLU(93.5132 3/4)という怪しげレーベル故ですか?いつ、どんな由来の録音かは全然知りませんが。

国連の常任理事国立候補、教科書検定問題(戦争の歴史的評価、ケジメ)、竹島(領土)問題・・・などを直接の契機として、中国、韓国で「反日デモ」(反日感情)が高まっておりますね。「お国のため」と戦地に赴いた兵隊さん(たくさん亡くなっている)の名誉とその遺族への配慮からか、戦後処理をあいまいにし、おカネばかりで処理してきたツケが回ってきたのでしょうか。(外交も商売もまったくヘタクソ)

領土問題は理屈のみでケリが付くものではないし、仮に「竹島は韓国に譲りますよ」(ありえないが)なんて言ったところで、対日感情は改善しないところが難しいところ。中国はじっさいに「対日感情問題」がずっとあるのだろうし、それが民主主義が成熟しない(日本以上に)まま、インターネットという媒体の普及で世論が偏っている感じもある。

しかし、純粋に経済問題で、中国韓国日本は切っても切れない状態になっているのは事実。ワールド・カップ、ヨン様ブームで日韓関係は一気に改善するかと思ったが、歴史は弁証法だなぁ。ワタシの主張は、1) 日本は戦争責任を明確に認め、謝罪する 2) 侵略戦争に加担する国連からは脱退し、UNESCOなど必要な機関のみに部分加入する 3) 亜細亜からの留学生をよりいっそう大量に受け入れ、数十年単位での「親日家」を育てる(もちろん経済的援助も。これは日本での教育重視が前提だけれど) 4) ODAはもちろん止める・・・ まず日本が断固とした日本人としての誇りを持てるような国に仕上げていかないと、隣国との関係は改善されない。

いずれ、無関心でもなく、経済問題(目先の金儲け)に偏らず、陰湿なる嫌がらせではもちろんなく、冷静に事態を見つめ、いまは待つことでしょう。しかし、実際多くの日本人ビジネスマン、旅行者が現地にはいらっしゃるだろうから、心配でしょうね。

2005年4月某日


昨夜ほどではないが、体調不良。本日はとにかく地元取引先へ出掛けないといけない。せっかくの週末なのに、音楽にあまり集中できません。早朝目覚めた(これはよろしくない状況だな)ので、ぼちぼち聴き流し。

バルビローリ/ハレ管(DUTTON CDSJB 1022)これはLP時のPYEレーベルのジャケット復刻他サイトの影響でMozart ピアノ・ソナタ第9番ニ長調K.311〜クララ・ヴュルツ(p)(1989年)は、素直で淡々と清潔、作品の味わいをそのままに、手を加えず方面だけれど、細かい配慮はちゃんとある・・・そんな感じでしょうか。Bax 「ファンドの庭」、Butterworth「シュロップシャの若者」(以上1957年ステレオ)、Ireland 「忘れられた儀礼」「Mai-Dun 交響的狂詩曲」(以上1949年)「These Things Shall Be」(1948年)〜バルビローリ/ハレ管(DUTTON CDSJB 1022)・・・こんな楽しい、素敵な作品、演奏が残されているんですね。夢見るように美しく、穏和な旋律。

更にDebussyの色彩が付加されたような雰囲気もあって、なにより音質良好なのが嬉しい。(これはBaxの印象)「These Things Shall Be」にはパリー・ジョーンズ(t)とハレ合唱団(とても立派)も加わって、一時代前の「冒険活劇風映画音楽」風勇壮さと、ラストは「大団円」風わかりやすさが光りました。

まだまだ手付かずのCDがたくさんある「YedangClassics」より「Dance with Nikolai Petrov」(YCC-0130 1989年ライヴ)を確認。ちょっと珍しい(DELIBESのバレエ音楽のピアノ編曲とか)作品が含まれる小品集だけれど、いつもながら拍手が即フェイドアウトされて落ち着かない。音質も(比較的最近のものなのに)あまり良好とは言い難い。ちょっと調べてみると、一昨年2003年に来日していて、昨年お亡くなりになっているんですね。聞いた名前だ、と思っていたら旧ソ連時代のPROKOFIEV ソナタ全集を出していましたね。(LP時代一枚くらいは持っていたかも)

以前聴いた他の録音と同様の感想でして、技巧はともかく散漫な印象があってどうもいけない・・・それでも、「舞踏への勧誘」(酷い和訳!「踊りませんか」にしましょう)、「上品でセンチメンタルな円舞曲」には少々白けつつ、DELIBES、Shostakovich、Lisztへと至ると徐々に熱を帯びて、この人は実演系の方なのか。

朝、クルマお迎え付きで(少々、いえかなり)うるさ方のお取引担当と、ウチの新しい担当と引継ぎ。ワタシとはもう十数年のお付き合いだからな、相変わらずケツの穴の小さなこと言っていたけれど、ま、とにかく顔合わせ終了。ワタシは影でバックアップしまっせ。トラブったらいくらでも出掛けます・・・で、早々に帰宅。ツカれております。

昨日購入した3,480円ノートパソコン、いろいろ設定(現在もそのマシンで執筆中)を楽しんでおります。メモリ不足が不如意で少々苦労するが、これはこれでまったく問題なし。テキスト・ファイル扱いが中心だし、増設メモリはじっくり探しましょう)使用環境を以前のマシン(=デスクトップのメインマシンとも)同じにしました。そんな設定も楽しみのうち。(お金をできるだけ掛けずに)

先日聴いたコリン・デイヴィス/ボストン響のSibelius 続編で、久々交響曲第2番ニ長調(1975年)を。以前聴いたときには、少々洗練に不足するか、とも思ったが、いえいえそんなことはない。ホールの奥行き、適度な残響と各パートをしっかり感じさせて極上の録音(PHILIPSの音だ!)に、しっかり奥深い響きが映えます。なんとなく先入観として「金管が明るく響きすぎる」といった印象があったが、しっかりじっくりとした歩みがむしろ中低音重視の地味渋系。煽ったり、急(せ)いたりしない、着実な歩み。

そして素朴であり充分にチカラ強いが、威圧感はありません。引き続きSibelius で交響曲第3番ハ長調〜カヤヌス/ロンドン交響楽団(1932年)を。じつは数日前にも第1番ホ短調(オーケストラ表記「交響楽団」1930年)を聴いていて、同じように、驚くべき良質な音質、微妙に揺れるテンポが浪漫的な味わいを醸し出すが、全体としては清涼で現代的、先日聴いたアーベントロート(第2番)とは別世界の明快、軽快なる演奏でした。エエもん買いました。(3枚組1,250円)

Mahler 交響曲第7番ホ短調〜デ・ワールト/オランダ放送フィル(1994年ライヴ)を。残響あり過ぎ、オーケストラの問題もあるのだろうが(会場はコンセルトヘボウだけれど)件のコンセルトヘボウ管とはおおいに異なります。茫洋として音に芯が足りない。全体に素直すぎて、アクもクセもないが、個性不足というかコクが足りない。しかし、これはこれでひとつの世界だと思います。(第1楽章のみ)

更にWagner 「マイスタージンガー」前奏曲、「トリスタン」前奏曲+「愛の死」、「タンホイザー」序曲、「黄昏」〜「葬送行進曲」、「ヴァルキューレの騎行」、「リエンツィ」序曲〜マリス・ヤンソンス/オスロ・フィル(1991年)。ワタシは地味で鳴らない、洗練されない響きのオーケストラもけっしてキライではないが、ここでのオスロ・フィルはどうもぱっとしませんね。まだヤンソンスも若かったのか、大見得を切るような表現はないけれど、面白みというかWagnerの圧倒的テンションを楽しめません。アンサンブル的にはよく整っておりますが。

録音の問題もあるのかな?欲求不満が溜まりますね。

2005年4月某日


(在高知)ようやく本格的春、という感じですか?昨日もほぼ予定通りのお仕事消化して、クルマで高知まで〜キモチ良いもんですよ。(ちょっとしたトラブルはあったが)いつもいつもだけれど、おいしいものをいただきましたよ。でも夜9時にはホテルでゆったり〜昨夜東京から戻ったばかりだし、本日は肉体系労働だし。

音楽は聴いてません。サイト用原稿はもう尽きてしまって、週末のお仕事は午前中で仕上げてさっさと帰宅したいもの。本日は高知から岡山に直行するから、ナマもののおみやげも買っていこうかな?

朝一番からよう働いて(自分ではそう思っている)、昼過ぎ高知を辞去。肉体系労働なので(ふだん口先オトコだし)滅多やたらと疲れ果てました。同行の二人も同様。土佐文旦の旬は終わって(まだ売っているが)小夏が瑞々しい。一ケース購入持ち帰り(クルマなので)。そのまま自宅に送っていただいて、まだマンション前の電器屋が空いていたので、先日壊れたポータブルCDプレーヤー購入。2,080円也。

更にノートパソコンが一台壊れて、さすがに今度は新品のちゃんとしたのを買おうかな?(女房も同意)と思っていたけれど、中古ジャンク3,480円を同店にて見掛けると、もうガマンできない。NECの中古はハードディスクもメモリも全然足りない(もちろんCPUもだけれど、それはガマンするとして)が、きちんとWindowsMeが入りました。分解してみると、メモリもハードディスクも自分で交換できそう。試しに、他のマシンからSO-DIMMのメモリを抜いて付けてみたけれど、うんともスンとも言わない〜つまり相性問題ですな。困ったもんです。でも、デザインも液晶もとても美しい。

OSの設定とか、ずっとしていたので音楽聴いてません。明日、午前中地元取引先へ(引継ぎ)。昼からお休みいただきます・・・って、もともとなんだけど。なぜか先ほどからクシャミ連続(花粉症?時々出るけど)+頭痛でして体調イマイチでした。

2005年4月某日


雨は上がって良い天気だけれど、朝は寒い。気温は上がるかな?本日から先週に続き高知行き。ちょっとお取引先の行事があるので。高知は大好きです。でも、疲労が溜まっている感じ。今週土曜も出勤。

朝日新聞朝刊の記事が興味深い〜「ITで障害と向き合う」は昨日出張移動中に読んだ「ASAHIパソコン」にも同様の記事(取材対象は別)があって感銘を受けました。もっと自分は良い条件を生かさないと。切迫感が違うんだね。「戦後60年の透視図」は「新書」のこと・・・日常自分が考えていたことがピタリと重なって驚くばかり〜曰く、「大衆教養主義と共に浮沈、若者の志から老人文化へ」。

岩波新書の(発行部数)ピークは1970年だった、とのこと。まさにワタシのこども〜青春時代のことで、その頃の岩波新書は「当然知っておかなくてはいけない教養」でした。例えば「韓国からの通信」「ナチスの時代」であり「萬葉秀歌」であり、それは数十年前に執筆されたものであっても、ごく最近出版されたものであっても「身につけておかなければならない」ものだったとの記憶があります。ところが、ここ最近のものは「ノウハウ本」であり「初版売り切り」=「雑誌化」となっていると。(一年くらいでBOOK・OFFで100円となる)

なにより、読者層はかつて20〜40歳台だったものが、40歳〜60歳代になっている、つまりここ20年読者は変わっていない「老人文化」となってしまっている・・・ワタシって、その辺りの最終ランナーだったんだな。息子はマンガばっかりだったからね、これも時代か。

昨夜〜今朝に書けて(ちょろ聴きだけど)聴いた音楽。Haydn 交響曲第94番/第104番〜カラヤン/ベルリン・フィル(1982年)を。う〜む、立派な演奏だし、高く評価する人がいてもまったく不思議ではないが、ワタシ個人的見解としては「大カンチガイ」演奏ではないか、と。勇壮で重厚で恰幅が良くてで豪華。Haydnってもっと素朴で精悍で溌剌としていませんか。

Sibelius を語るには欠かせないコリン・デイヴィスの録音から、最初の(1975年)ボストン響との交響曲第3番ハ長調を。いままで第2番しか聴く機会を得なかったが、先日第3/6/7番を入手できた(2枚組950円)ので。録音の加減か、指揮者の個性か(おそらくそうでしょう)、ボストン響の鋭い金管が抑制されて(技術的には素晴らしい)おり、全体として滋味深い味わいに変貌しております。第2番では「妙に洗練されない、やや田舎臭い演奏」との記憶(いい加減なもんだ!が)もあったが、アメリカのオーケストラとは思えぬ落ち着いて、素朴誠実な味わい溢れ、しかもチカラ強い。録音も良い感じですよね。自然で。

2005年4月某日


東京より帰宅。月一回の会議は昨年度まで金曜日だったのに、ことしはバラバラ。なんせ岡山〜東京はとても遠い(全国から集まる中で一番時間が掛かる)のでツカれ果てました。昨夜は、ベルリンこんの(若いと思ったらいつの間にやら三十路とか・・・)ほか数名とモーニング娘。(最近のメンバーはワカラん!)とか、ミキティが4回転していないからって、それがなんの問題があるんだ!風激論でした。渋谷の飲み屋が思いっきり怪しい居酒屋でウヒヒ・・・状態。遙かな地・独逸でのご活躍を祈る。これから自分で飯を食っていくのだよ。

移動中の音楽は楽しみだけれど、帰りポータブルCDプレーヤーが壊れました。まったくCDをトレースしない。これは中国製品の対日感情悪化の表現だろうか。また、ムダな出費だね。行きの新幹線ではちゃんと音楽聴けましたよ。まず、Tippet 「Corelliの主題による協奏的幻想曲」/交響曲第3番(ソプラノと管弦楽のための)〜レパード/BBC交響楽団(1976年ライヴ)。前者は、グローヴス/ロイヤル・フィル(1989年)で馴染んでいた作品で、合奏協奏曲 作品6-2からの引用が妙に懐かしく、そして彼らしい少々破壊的なサウンドに埋め尽くされます。

交響曲の方は54分に及ぶ大曲だけれど、云々コメントするほど親しんでおりません・・・と、書きかけて思い出した!Beethoven 交響曲第9番の最終楽章冒頭が引用されるんですよ。その後に続くソプラノ(バーストゥ)はまったく雰囲気妖しくて、そうだな「ルル」みたいなテイストがある。しかもそのバックのトランペットはジャズ風なんです。

随分と久々、Mahler 「こどもの不思議な角笛」〜プロハスカ/ウィーン・フェスティヴァル管弦楽団/フォレスター/レーフス((p)1968)を。数年前のコメントはお恥ずかしい限りだけれど、信じられないほど音質良好です。モリーン・フォレスターの深々と落ち着いた味わい、レーフスは最近では既に絶滅した大時代的な表情があって、オーケストラも瑞々しく旋律の美しさを堪能。まず復活はしないだろう音源だから、大切に聴きましょう。

しつこくクリップス/ロンドン交響楽団によるBeethoven 交響曲第1/5番・・・良いですね。ヘッドホンで集中すると「弱い」とか「やさしい」とは聞こえない。威圧感がないんです。音質はかなり埃っぽくて、左右の分離強調しすぎで不自然だけれど、ムリのないテンポは過不足なく充実して、座右に永く置きたい演奏。Elgar 序奏とアレグロ 作品47〜ボウルト/BBC交響楽団(1975年ライヴ)で時間切れ。ワタシは弦楽四重奏が歌う、シミジミ切々とした詠嘆の旋律が大好きです。

待ち合わせ場所の渋谷HMVで、一枚のみバルビローリ/ニューヨーク・フィルで「フランチェスカ・ダ・リミニ」(1938年)「イベリア」(1938年)+Schubert 交響曲第4番ハ短調(1939年 これのみ未聴)購入しました。SP復刻は驚異的な水準でして、音質まったく明快。オーケストラの骨太で暖かい響きは快くて、当時の(現地での)不評がどうしても信じられませんね。それにしても「イベリア」ではカスタネットまで鮮明に聞こえるのには驚き。

2005年4月某日


本日も昨日同様どんより天気。桜は一気に散りました。昨夜、じつは異動者歓迎会であったことは出勤してから気付きました。お仕事はなんとか辻褄合わせて参加。ほんまに酒には弱くなっちゃった。昨夜、音楽は聴いておりません。

今朝、Brahms 交響曲第3番ヘ長調〜ロッホラン/ハレ管(1975年)を。1973年〜75年、主要管弦楽作品も含めて全集を録音していて、モーリス・ハッソンとのヴァイオリン協奏曲も収録(ロンドン響)されて4枚組(EMI 7243 5 75753 2 4)になっております。演奏はどうなんでしょう。おそらくは数知れぬほど多数の録音があるなかで、特別な存在を主張できるか?ちょっと、フツウ過ぎ、というか、穏健派であってオーケストラの面白みも足りないのじゃないか。作品を知る上ではなんの問題もないか。録音だって可もなく不可もなし・・・聴き込み足りませんか?

で、同作品を同じハレ管〜先代バルビローリの演奏(1952年)で引き続き確認。録音も信じられないくらい良好だし、細部迄詠嘆の表情の描き込みがとことん徹底され、胸を打ちますね。ウィーン・フィル(1967年)との録音はしばらく聴いていないが、この旧録音は(彼としては)引き締まって、より溌剌としているのではないかな。その後、英吉利の名門ハレ管弦楽団はスクロヴァチェフスキと録音(1987年)しております。

さて、これから出勤して諸作業消化後、昼から東京行き。

2005年4月某日


今朝は雨模様で少々肌寒い。もう桜は終わりかな?儚き人生。どうもカラダが重い感じ。実際、体重増が続くけど。

昨夜、Bruckner 交響曲第3番ニ短調(ノヴァーク版)〜セル/クリーヴランド管(1966年)を。ここ最近、お気に入りBrucknerはほとんど聴いていないが、やはり独墺系中低音に厚みのあるオーケストラで聴きたいな・・・と思ってきたが、セルは別腹(いえいえ別格)です。細部は自発性のあるオーケストラに任せた、あとは会場に木霊する響きそのものを聴いてくれ、というのが基本だと思ってきたが、細部指示こだわり抜いたワザの説得力もの凄く、とうとう一気53分聴いちゃいました。

クリーヴランド管の色は作品を選ぶ〜Bruckner向けではない・・・と思います。弦もホルンも、ココロの中で期待する深みではない。もちろん”自発性”とは方向が違って、もっと凝縮集中したもの・・・明らかに条件が揃わないと思われるのに、この美しさ(表面の磨き上げではない)をどう説明したらよいのか。「こだわりが、指示が過ぎて嫌い、うるさい」という方もいらっしゃいましたが。

室井摩耶子さん。ヤクルトのおばさんを彷彿とさせる。失礼室井摩耶子さんという息の長いヴェテラン・ピアニストがいらっしゃって、数年に前に偶然CDを手に入れております。女性に年齢は失礼だけれど、既に90歳近いはずだからさすがに引退されたか、と思って調べたら現役バリバリなんですね。SCHUBSRT ピアノ・ソナタ第18番ト長調D.894/3つのピアノ小品集D.946「即興曲」(アダム・エース ACD0043)は1997年の録音。1970年頃のコロムビア・ダイヤモンド1000シリーズでBeethoven を弾いていたから、独墺系作品がレパートリーの中心でしょうか。

ワタシはSchubert のピアノ作品が大好きで(というか、浪漫派のピアノ作品はほとんどお気に入り)、延々といつ終わるとも知れぬ美しく、寂しげなる(締まりのない?)旋律に身を任せると、陶然と夢見心地に。しっかりとした足取りの演奏だけれど、各楽章の表情の変化は少なく、激昂せず、叩かず、淡々と進んでいって安心立命の世界に漂います。ピアノの響きにもうひとつ”芯”が欲しいところ(低音も不足気味か)だけれど、これは録音問題でしょう。即興曲2曲目「アレグレット」の呟くような細かい音型は白眉だけれど、驚くべき遅いテンポの説得力圧倒的。

続けてウィルヘルム・ケンプ盤(1965年)を聴いたけれど、甲乙付けがたいですね。こちら弱音の美しさに対して、強弱強調で少々叩くところ有。音録りでは圧倒的にDGが優れていて、但しこれはケンプの音色のマジックであるかも。

2005年4月某日


ようやくほっかりと春らしい春がやってきて、お部屋の大掃除早朝より。PC/オーディオ部屋は北向きであり、今冬の例年になく厳しい冷えに結露甚だしく、少々のお掃除ではカビ臭さが抜けない。先日、スピーカーの向きを東から音が出るように移した(風水に従う・・・ホンマか?)が、その流れでアンプ類+CD保管(主に駅売海賊盤中心)ラックを全部取り出して、その奥、裏、全部取り払って拭き掃除・・・でようやくスッキリ。

でもさ、CD整理整頓するたび「・・・うぅ・・・処分したい!」という思いがムクムク・・・一年に百枚以上処分し、そしてお気に入りのをどんどこ買っているわけだから、在庫は精鋭に純化されるはずだけれど、そうはならない不思議。冒険するからだね。そして冒険はかなりの比率で挫折し、そして反省がないんです。若き盟友こんのさんのサイト中、いつも通り日記を熟読。

先日、こらえ性のないワタシはBBS上で

ワタシへのご配慮+よいしょとは思うが「文才がない」とか「言葉に出来れば」などという表現は止めませんか。
それ以前に、そもそも語るべきものをちゃんとココロの中に持っているのかを再考しましょう。文書技術問題を云々されるのであれば、努力あるのみ。熟考し、推敲し、ムダを削り、不足を補う、それせずして「文才」とは片腹痛いわ!
という不遜な書き込みをしてしまいました。よく、ご挨拶やら、ありがちな音楽評論サイトで「ワタシの独断と偏見で」みたいな枕詞を付けるでしょう。あれはまったく卑怯な言い訳でして、「だったら最初から言うな(書くな)よ!」とツッコミを入れたくなっちゃう。

文書、言葉、すべてその人となりなんです。「ワタシは文才がないのでこれだけしか今は書けない(言えない)が、ほんまは素晴らしい哲学やら思いやらはちゃんとあって、魅力的な人間なんです」って、暗喩しているように聞こえて(ワタシ以上に)傲慢不遜。表現は表現で磨く努力は必要でして(それさえ放棄して、上記言い訳とはほんまに片腹痛い!)言い訳無用〜ここがロドスだ、ここで飛べ。

で、話しが逸れちゃったが、こんのさんの「Tagebuch」のコメントはまったく見事で、とても20歳台の文書とは思えない。ワタシの情緒的ほんわかコメントとは対極にある知的作業であって、これは「文章表現的技術」の範疇を超え、ひとつの哲学的機軸がはっきりして(例え好みやら評価が正反対だとしても)「読ませる」(嗚呼、音楽を聴きたいな!と)水準に至っております。それに「継続」こそチカラ・・・これはワタシも見習っていますが。(じつはこれが一番難しい)でもさ、「反浪漫」と「非浪漫」なんて、なんとなく理解できるけど、やっぱり若きインテリゲンチャ的表現で、空中戦っぽいのではないか。(ウヒヒ)

一昨日、クリップス/ロンドン交響楽団によるBeethoven 交響曲全集を入手した経緯、というか勝手な思いこみは昨夜文書にしました。じつは「出会い」はもうひとつあって、評価イマイチ、既に市場で忘れられているデ・ワールト/オランダ放送フィルのMahler 交響曲集(1992-1995年)。上記、こんの日記でシャイーのMahler 全集ボックスに言及があった(どこが廉価なんだよ?)のでその関連で。

2004年7月18日(日)BOOK・OFF札幌南一条店にて、第1/2/4/5/7番を入手(レシートが残っている)していて虚飾少ない、息の長いオーソドックスな演奏に感心しておりました。コンセルトヘボウ(ライヴ)での残響ありすぎで、サウンドの芯が甘い、更に加えるならオーケストラの迫力とか厚みに不足しがち(しかし、アンサンブルの緻密さはライヴとは俄に信じがたい水準)で、わかりにくい(つまり多彩ではない)演奏かと思います。でも、これこそがハイティンクの伝統を継ぐべき穏健派、聴き飽きしない方向。

で、今回更に第6/8/9番を入手。残りは第3番のみとなりました。10年スパンで充分出会える可能性有、でしょう。さっそく第9番ニ長調(1995年)を確認。人間のエグさ、懊悩、狂気、欲望、安寧、慰安を感じさせる作品だけれど、素直でまっすぐ、爽やかな演奏でした。かといって誠実ノーテンキ(これも悪くないが)ではない。しみじみ、優しく澄んだ空気のような味わいが(オツカれ気味中年には)快い。第3楽章「ロンド・ブルレスケ」の最終盤、圧倒的アッチェランドでもその端正なる表情が崩れない。(続いて、全然怪しくない第7番も確認)

春にはMahler か。大地の歌〜ライナー/シカゴ交響楽団/フォレスター/ルイス(1959年)を。オーケストラの充実度は驚異的で録音水準も同様。一見、亜米利加的明るさ、物量迫力作戦のようだけれど、じつはショルティ/シカゴ響(1972年)とは質的に異なる陰影とか、深遠さを実感させます。歌い手の個性もあるのかな?響きは明るいが、重い。そして不安なる寂寥を感じさせて、聴き手を遠い異境(砂漠連なるシルクロードか)へと連れ去りました。(ショルティ盤も再確認しないと)

お昼はウドンを喰いに女房とご近所外出。ついでに先日購入した土佐文旦ケース半分ほど(ほかプラスα)大阪の女房実家宛に送付。ついでついでに(ご近所ではではないほうの)BOOK・OFFへ。ここでも出物有(カヤヌスのSibelius など)〜数枚思いを残しつつ最低限の取得(連続で勢いが止まらない)更に、普段は行かない新規出店スーパーで夕食の買い物。良い天気でして、今シーズン初エアコンをクルマに入れました。

CC1015 中古@250で購入Mahler 大地の歌〜ショルティ/シカゴ交響楽団/ミントン/コロ(1972年英DECCA録音)を確認。優秀録音、優秀なオーケストラ、明快なるアンサンブル、声楽も絶好調。これだけ聴けば充分に楽しめます。先のライナー盤と続ける(掟破りの聴き方か?)と、細部に少々ワザとらしい味付けがあって、時に妙に落ち着かない。響きは華やかというより、派手すぎ、すべてが露出しすぎ、といった感もあって、やはり十数年の隔たりと指揮者の個性の違いは明確でした。

クリップス全集はBeethoven 交響曲第3/8番へ。既にワタシのサイトに掲載済みのコメントとは寸分違わぬ、肩のチカラが抜けた自然体の演奏です。全くやる気なし、何もしていないようにも聞こえるかも。中学高校生時代に聴いたベルリンこんの氏は「演奏そのものは可もなく不可もなく、荒れる若人には少々難しかったかも」とのコメント。然り。じゃ、ワタシは若い頃から若年寄嗜好だったってか。

数ヶ月悩んで、一昨日購入したもう一枚(もともとはこれのみ購入予定だった)Sibelius 交響曲第2番ニ長調〜オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1972年)を確認。LP時代聴いていたのはCBSの旧録音だったから、これは初体験でした。ウワサには聞いていたけれど、これは驚くべき完成度ですな。派手とか豊満すぎ、金管鳴りすぎ、なんてことはまったくなくて、細部申し分なく描き込まれ、語られ、自信に充ちた雄弁さが感じられました。連想されるのはカラヤンだけれど、緩さも暑苦しさもない。劇的交響曲として、北欧の寂寥がどうのこうのとは無縁の立派な演奏。録音も良好。

逆に「悲しきワルツ」「トゥオネラの白鳥」「ポヒョラの娘」は、なんかまったくツマらない、味わい薄く思えました。

2005年4月某日


本日も出勤。新年度体制の引継は想像より順調で、精神的にはずいぶんとラクです。ここ半年怒濤の業務量(=残業に非ず。精神的能力的お仕事の質問題)で苦戦してきたが、ようやく本来のもう少し視野を広げた配慮(つまり、いままでかなり手を抜いてきた、ということだね)が可能になってきましたね。春だし。

昨夜、女房用ノートパソコンどうしても調子悪くて、とうとう起動せず、メーラー+家計簿データをワタシのコタツ用ノートパソコンに移動。つまりハードディスクを抜き出して、外付けとしてセットし直し作業。再び、もとに戻したが「時に起動する」状態で、よくよく調べるとACケーブルがいかれているみたい。本体は大丈夫だし、液晶はきれいなのにもったいないなぁ。ま、もともと壱万円だけど。本日、夜売り払いにいきましょう。500円かな?

昨夜、(ほとんど聴く機会を得ない)ポゴレリチでBach イギリス組曲第2/3番(1985年)を。これはアルカイックな自然体の魅力に溢れて(在庫切れてきた)サイト用原稿にしましょう。ついでに残り唯一の彼の音源である、ショパン・コンクール(絡みの)Chopin 小品集(1980年)も聴いておきました。このサイト開設初期にエエ加減なコメント付けていたけれど、以前のような違和感はほとんどないことを発見。そろそろ彼の音楽を聴くべき期は熟したか?

今朝、Haydn 交響曲台第82番「クマ」/第96番「奇蹟」/第101番「軍隊」〜ワーズワース/カペラ・イストロポリターナ(1988年)を。以前に第85/92/103番を聴いていて「いかにも真面目一本槍で変化に乏しい」と厳しい評価でしたね。当盤ではいきいき素朴な躍動感が虚飾なく表現されていて、ぞんぶんに楽しめました。これは体調精神状況を反映するのか?以前に、第94番「驚愕」(1981年)/第101「時計」(1979年)〜コリン・デイヴィス/コンセルトヘボウ管が、意外と楽しめなかったことを思い出します。

朝一番よりお勉強会、そのまま地元取引先を中心にいろいろ見学ご案内〜自宅ご近所辺りだった(自分で組んだ内容スケジュールだから)ので、そのまま帰宅。気楽なものですな。女房用パソコンの代替ACケーブル見つけたり、再度OSセットアップ試みたり、で数時間潰すが結局アウト。ガラクタ箱から不要な新旧メモリやらCPU2種、使う当てのないノート用DVDドライヴなどと一緒にHARD・OFFにて処分〜1,800円也。満足。

クリップスのBeethoven は、着々と聴き進んでおります。交響曲第9番イ短調「合唱」〜ロンドン交響楽団/BBC合唱団/ヴィヴィアン(s)ヴァレット(ms)ペトラク(t)ウッドゲート(b)〜も、粛々と落ち着いて静かでした。第3楽章アダージョはホルン大活躍!楽章だけれど、練り上げられた涼しげなる弦が秀逸。目の覚めるような優秀録音ではないが、自然なる奥行きが聴き疲れしない。

合唱が不思議でして、少人数なのか、それとも録音の関係で奥行きに不足するのかもしれないが、厚みが足りず前面で叫んでいる印象がありました。それでもそう悪い合唱ではないか。引き続き、Mozart 交響曲第40番ト短調〜フランス国立放送管弦楽団(1965年ライヴ)を。

彼としてはいつになく表情が濃厚で、端正ながらアツい情感があります。激昂したり、リキんだり、叩き付けたりしないのは当たり前だけれど、哀しみとか慰安とか、そんな気持ちが表出されます。表現の味付けは入念であり、しかも過度に過ぎない。アンサンブル、オーケストラの充実と燃えるような情熱は(スタジオ録音である)ロンドン響とはひと味違うものでした。

2005年4月某日


さて、直接高松まで行く予定だったが、(サイフがないので、その探索に)職場に寄るつもり。結果如何?今朝の朝日新聞に梅棹忠夫さんが元気に登場していて、既に85歳。目が不自由なことに加えて糖尿病、更には初期肺癌も見つかったそうだけれど、あと10年は知的活動を続けたいといつも前向き、意欲的な姿勢は若き日からのものだった、とのこと。彼は「社団法人日本ローマ字会」の会長でもあって、「漢字が世界とのコミュニケーションを遅らせている」との主張を、永く続けていらっしゃいます。それはそうなのかな?

でもさ、漢字+ひらがな(カタカナ)の世界は素晴らしくて、日本人は漢字を「図形」として認識しているらしい。これは事故などで脳に一部障害を負ったかたが、漢字だけ認識できなくなるというという事象から発見された、とのこと(うろ覚えの知識だけれど)。日本が世界に冠たる「アニメ文化」(漫画)は、こんなところに基本があるのではないか・・・というのはワタシのエエ加減な類推ですが。

ああ、そういえばシーズン・ラストの土佐文旦はあまりの結実の見事さ、価格の安さにダンボール毎買ってきました。これが美味い!瑞々しくて爽やかで苦みも一切ない。幸せ!そろそろ小夏の季節だな。昨日から一気に春となって、一気桜開花!東では30度になったところもある、とのことだけれど、嬉しいですね。花粉症も「やや」状態で、耐えられる水準だし。

春はMozart ・・・ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219/第3番ト長調K.216〜西崎崇子(v)/ガンザンハウザー/カペラ・イストロポリターナ(1987年)を。NAXOS初期録音の代表的レパートリーを担当して(ダンナが社長だから)獅子奮迅の活躍だった頃の収録。カペラ・イストロポリターナ(ブラティスラヴァか)も最近どこへ行ったのか?たんなる録音用寄せ集め団体だったのか。神経質・細身にならないヴァイオリンでして、例えばオイストラフのような豊満なる甘美な音色ではないけれど、しっかり腰の落ち着いたソロだと思います。あわてない、急(せ)かない、余裕の表現にゆったりできました。

高松という街は岡山にとってごくごく親しい関係です。テレビ放送が一緒、瀬戸大橋で即到着〜のはずだけれど、じつはマリンライナーで小一時間、正直新幹線で広島に行ったほうが(いや大阪でも)時間的には速い、まして今日は、お取り引き訪問したら「病欠」・・・ドタキャンですな。長い営業生活で2度目か。この恨み晴らさでおくものか・・・ああ、そういえば早めに職場に行って、パソコンにソフト仕込んでいたら、「林さんサイフ忘れたでしょ」と職場のものが無事確保!ありがたい!話しは前後したが、高松で早々に本場讃岐うどん(250円)だけ喰って帰ってきました。

夕方(ずっとサボっていた)病院に行く予定が、実質上昼から休み。しかも、高松往復(自宅バス往復含め)3時間弱、じっくり音楽聴きました。Bach 音楽の捧げもの〜パイヤール室内管(1974年なんとディジタル録音)から。以前、古楽器(アストン・マグナ)による演奏をサイトに上梓していたけれど、ワタシはこの作品が異常に好みなので、はっきり言うがコメントにはほとんど意味なし。必ず感動するから。

ま、蛇足ながらラリューのフルートに色気ありますね。トリオ・ソナタはココロにじんわり染みます。泣けます。引き続き(「虚心に苦手克服」プロジェクトとして)Shostakovich 交響曲第7番ハ長調「レニングラード」〜スロヴァーク/スロヴァキア放響(1989年)へ。オーケストラが少々弱くて、弱音のところで表情が薄くなったりするが、基本努力賞ものの熱演でして、例のシンプル旋律(しつこく)繰り返しだって、ぐいぐいテンポ上げて盛り上げます。グッ!ときたのは初めてか?(ベンジャミン・チャイの抽象画がとても美しい)ワタシは第5番をこども時代から聴き過ぎて「いかにも」的予定調和、勇壮盛り上がり世界に拒絶感があったんです。

他の作品は鬱蒼として暗鬱として辛気くさく感じておりました。再度再度、いえいえ何度でも、音楽の魅力を発見する機会を絶やさぬようにしないと。移動中ラストは、Bruckner 交響曲第4番 変ホ長調〜シューリヒト/シュトゥットガルト放響(1955年ライヴ)を。「Brucknerみたいな作品、わざわざ昔のよろしくない音で聴かんでも・・・」と以前思ったはずだけれど、いえいえ、どうしてどうして。

当然モノラルだし、ライヴながら奥行き、音の分離(響きがダンゴにならない)もよろしく、聴きやすい。表情入念なる浪漫的解釈だと思うが、彼はどんなにオーケストラを全力で叫ばせても、響きに清涼感を失わない。聴き疲れしない。かなりの比率でダレてしまうことの多い終楽章でも、けっこう朗々と歌って「ああ、だから浪漫的(ロマンティック)という表題なのか」と納得するような説得力有。今朝のCD三枚選曲大成功でした。

高松から岡山駅に到着、バス待ち時間で駅前Groovin'を覗いたのが運の尽き、出会っちゃいました。コレクターではないワタシは「いつの日か(格安での)出会いを」楽しみにしているCDが(ココロのなかに)存在するが、苦節10年(自然体で)とうとう出会いました。これは今週の休みにでも別原稿にしようかな?

・・・と、ここまで更新してアップしたら、BBS上であっという間に見破られちゃった。そう、クリップス/ロンドン交響楽団によるBeethoven 交響曲全集(1960年 EVEREST EVC 9010/14)1,554円。もちろん正規盤。優秀録音を誇る(今は亡き)EVEREST録音中でも、これはあまりよろしくない方の部類でして、数多く出現した「海賊盤」(かつて3度購入して、音質故手放した。一部は4回)では満足できなっかったんです。

 既に第1/5/2/4/6番迄進んだけれど、音質は、まぁこんなもの的水準。演奏はあくまでやわらかく、激昂せず、上品で物足りないくらい大人しい・・・が、ワタシの好みピタリ!でした。

2005年4月某日


昨日の「音楽日誌」は”らしくない”硬派内容だった*ェ、BBS書き込みもいただき驚きましたね。でも、中途半端になっちゃったかな?寺島さんの論文はもっと奥深いんです。少なくとも単純なライブドア批判ではない。昨日、午前中集中したお仕事消化して、昼からクルマで高知へ。残念ながら少々曇りがち、本日は雨模様らしい。

昨夜、職場新チーム・メンバーと高知の旨いもん(かつお、さば、くじら、ウツボ、トマト・・・)堪能。あとの二人は初・高知訪問なんです。まだ、店頭に土佐文旦があったので、本日購入して帰りましょう。午前中商談で、昼から徳島に移動、夕方商談でやや遅くなって岡山に戻る予定。音楽は聴いておりません。残念。

クルマで帰宅。自宅まで送っていただいて、若い者がそのまま乗って帰っていきました。で、夜、通販の現金受渡扱いのパソコン・ソフト(お仕事用)を自宅で受け取ろうと思ったらサイフがない・・・そうき、さっき高速道路を降りるときに料金支払って、ダッシュボードに置きっ放しだった。気付いて預かってくれているだろうか?それともダッシュボードにそのまま?無事であることを祈るばかりです。運を天に任せるしかない。

BBSに書き込みがあった関連(Mozart のト短調交響曲からの連想で、ト短調の交響曲って少ないね、と)で、Haydn 交響曲第39番ト短調を確認。まず、ハンス・マルティン・シュナイト/南西ドイツ放響(1993年)を。作品自体も聴かれる機会が少ないが、Mozart の第25番ト短調に似たテイストで、じつに典雅、ややのんびりした演奏でもあります。このCD(ARTE NOVA BVCC-6008)は、第44番ホ短調(エストマン 1994年)/第71番 変ロ長調(若杉 1987年)〜オーケストラはいずれも南西ドイツ放響〜がいっしょに収録されまして、ま、珍しいといえば珍しい存在。

BRILLIANT 99925/10オーケストラは上質だけれど、オーソドックスな演奏スタイルが好みを分かつ(面白みに少々不足する)かもしれません。(若杉弘は繊細な味わいが美しいが)で、数年前から「永久保存盤」として棚に鎮座する(ちゃんと聴けよ!>ワタシ)アダム・フィッシャー/オーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団(フィルハーモニーという和訳はどこからでてきたのか?)から第39番ト短調(2001年録音)。

これが古楽器テイストに溢れた、まさに疾風怒濤の快速激演!ノリノリ。(今頃気付くな>ワタシ)この全集録音初期(1987/89年)とは異なって、より軽快、リズムの切れ鋭く、素朴な響きも感じさせて圧倒的魅力でした。ついでに交響曲38番ハ長調「エコー」も聴いちゃったが、イキイキと精気に溢れた表情が楽しくて、粗野なティンパニも大活躍。時に暗転する表情はMozart とは一風違った味わいでした。

2005年4月某日


今朝の朝日新聞がオモろい。教科書検定(この制度自体が憲法違反)に於ける文部官僚の意図(それとも政治家の意志か)はどんなものなのか?「解の公式」「進化」の復活はともかく(円周率は「約3」なんて、ね)戦争加害の記述減少、「竹島問題」表記(デリケートな問題であり、冷静かつ科学的、粘り強い対応が必要)〜どんな方向なのか。世間の「ノウハウ本しか読まない」動きにも影響されているのか。基礎物理学とか、病理学とか、直接カネ儲けにならない学問をもっと大切にする風潮になって下さらぬか。

44年目「名張ブドウ酒事件」再審決定〜検挙率の低下と裏腹の関係にある杜撰な捜査体質、交通違反摘発強化(デッチ上げも?)で「成績向上」を狙う安易な姿勢、裏金作り(公務員だからなぁ)とか、ヒジョーにやばい現状に唖然とするが、冤罪当人(79歳)は「人生を返せ!」状態でしょう。早期無罪確定を望みたい・・・というメイン記事は当たり前だけれど、水野博之さん(75歳松下電器産業元副社長)「明日の君たちへ就職アドバイス」〜「自分磨きに会社がある」「『いい会社に入って一生安楽に』なんて幻想」・・・ちょっと見出しの付け方が型通りで、これじゃ若者は記事を読まないね。

草創期の松下に「仕方がなく」就職して(当時の花形産業であった繊維の給料半分であった、とのこと)、PHILIPSとの提携工場立ち上げ、外国部品が上手く動かずに研究自社製に切り替えていく〜そんななかで書いた論文が世界的に注目される・・・「寄らば大樹の陰」的発想を止めよ、といっても日本は豊かになったし、大きな組織が社会を牛耳っているからね、それに個人の自由裁量でどれだけ動けるか・・・難しい時代になりました。(この記事にどれだけ普遍性を見出せるか・・・水野さんの息子世代のワタシも悩みます)

「未定年退職」(上)〜泣けます。「最後の日 花も拍手もなかった」〜53歳で、親会社がヴェンチャー事業から撤退、自動的に失業。マスコミ発表と同時に通告。幸いローンはなく、二人のこどもは自立、女房は玄関に赤と白のバラを10本飾ってくれた・・・勤続30年に11日足りないサラリーマン生活であった、団塊の世代の悲哀。

昨今の「企業買収」問題だけではないだろうが、寺島実郎さんの「21世紀の資本主義再考」〜「企業は株主論議より社会責任を自覚せよ」。ようはするに亜米利加流株主資本主義が日本に流入してきている(某元首相の「カネがすべてなのか」発言は、一見主張が似ていて、じつは本質論から大きく外れている)、「資本主義とは論来的に勤勉、誠実、信用をモチーフとして事業を育てるもの」であり、欧州資本主義は「株主、経営者、従業員を中核とし、取引先、地域社会、国家、地球環境など多様な関係者にバランスよく付加価値を配分する経営が『よい経営』とされる」こと。

日本ではバブル崩壊とともに「日本型資本主義とか日本的経営」を(ミソもクソも一緒に)排除してしまった。そして世界に於ける資本主義のありかたは一歩前進している、と・・・抜粋すべき論文でもなくて(短いし、わかりやすい)、おおいに触発された市井のサラリーマン(エリートに非ず)であるワタシは、この視点とともに日常の労働のあり方を職場で警鐘を鳴らしたいところ。権利の主張は当然の前提、しかし、もっと考えて自分でお仕事作業改善を工夫しろ、そのためのスキルを磨け、と。グズグズ無駄な残業して文句ばかり垂れるな、と。

本日、これから出勤。昼から地元取引先一軒訪問後、高知へ。明日は徳島。音楽に言及する時間がなくなりました。

2005年4月某日


早朝覚醒の(悪い)クセが出てしまって、音楽聴いてます。昨夜、ヴェーグ/カメラータ・ザルツブルクによるMozart 「セレナードと嬉遊曲集」ボックス6枚組を久々取り出したら、嬉遊曲ニ長調K.334入ってました。(1986年)それは聴かずに他在庫確認。先日、ザンデルリンク/レニングラード・フィル(1950/51年)という珍しい音源(しかも全4楽章分しか演奏されない)を楽しんだところだけれど、まずアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ室内アンサンブル(1982年録音)を探し出しました。(ごていねいに行進曲ニ長調K.445も収録)

これはずいぶんと素直で、おとなしいというか、演奏者の個性を前面に出さない室内楽的アプローチ。コクとか味わいに欠けて”面白みのない演奏”に聞こえるが、Mozart に限り”それは有”。名作ですからね、技量的に問題あるはずない(著名人ばかり!)し、真正面から素直にMozart に向き合っていれば、感じるものはちゃんとあるんです。録音も良いし。行進曲込み延々55分!どないだ。

ヴェーグ盤は「アレグロ」と「アダージョ」を繰り返していないみたい。こちらはもっとスケールがあって、ホルンさえ高原の山々に響くような広がりを感じさせます。表情付けが一見淡々としているようで、つぎつぎと微細に味わいを変えております。なによりイキイキとした躍動有。これは多く競演したカザルスからの霊感なのかな?

先日、Sibelius 劇音楽「クリスティアンU世」作品27(オリジナル鉄曲版)が日本初演(新田ユリ/アイノラ響)されて、素晴らしいものだったそうです。なんと声楽(男声ソロ)入り(らしい)。流石首都圏ですね。そんな演奏会を楽しめるなんて、羨ましい 手許には組曲版しかないので、先日聴いたヤルヴィ盤(1983年)ではなく、ユッカ・ペッカ・サラステ/フィンランド放響(1989年)を。評判悪くて(どうして?)廃盤になったRCA旧全集に収録されたものの一部。

Sibelius にはこういった組曲風の、性格が異なる小品を連ねた作品集がありますね。爽やかな希望の旋律「夜想曲」、纏綿と甘い「エレジー」、控えめ剽軽な「ミュゼット」、北欧の森深く木霊するホルンが清(すが)しい「セレナード」、細かい音型が緊張する「バラード」(あれ?表題と印象がずれちゃうな)清涼な味わいたっぷり、立派な演奏だと思うのですが。

午前中、集中して宿題消化〜昼頃から広島へ。いよいよ春らしくなってきました。そのまま帰宅したが、疲れが取れないね。移動時間が長い(自宅からバス含め、延べ3時間半以上)ので、たっぷり音楽聴きましょう。2003年に購入(計12枚 VIRTUOSO)以来、苦戦していたアーベントロートで、まずBeethoven ヴァイオリン協奏曲ニ長調〜オイストラフ(v)/ベルリン放響(1952年)から。

このシリーズ一般に音の状態はあまり芳しくないが、オイストラフの豊満なヴァイオリンはしっかりと捉えられておりました。ライヴの緊張感もあるし、表情の変化の多彩さは、クリュイタンスとのスタジオ録音(1958年)の完成度高いが「平和すぎ?」の演奏より好ましく思えました。アーベントロートのバックは強面、叩き付けるように強烈、そして重い、といった昔懐かしい元祖頑固親父風サウンド全開。エグモント序曲(ベルリン放響 1954年)/コリオラン序曲(1949年 ライプツィヒ放響)も乱暴なくらい燃える演奏でした。

Sibelius 交響曲第2番ニ長調(1951年)/Mussorgsky 組曲「展覧会の絵」(1952年)〜いずれもライプツィヒ放響へ。フルトヴェングラーの「悲愴」(1938年)があるでしょ。あれを思い出しましたね。「北欧の清涼」としてではなく「独逸正統派の交響曲」として、堂々たる構えと貫禄。圧倒的雄弁。ゆったりとしたテンポやら「間」が悠然としていて、もの凄く物々しい威圧感有。テンポは揺れに揺れ、感興の赴くまま。「展覧会の絵」は異様に快速でして、色彩豊かな響きとは言えないのに、金管など妙に色気がある(そこはSibelius でも同様)。

やはり自在なテンポの揺れは、最近見られない切迫感を生み出します。上手いのか?ヘタなのかようワカらんオーケストラでして、アンサンブルの整い方ならいくらでも優れているのは他にあるだろうが、推進力というか、大爆発というか、一筋縄ではいかない異形で怪しい「魅力」横溢。ま、音質状態も含め万人にはお勧めできないかな。

お次、シューリヒトでMozart 「フィガロ」序曲(1962年)/「愛の神よ、照覧あれ」(シュヴァルツコップ(s)1959年)/セレナード第7番ニ長調K.250/248b「ハフナー」(1959年)シュトゥットガルト南ドイツ放響にて。これも2003年購入のVIRTUOSOボックス。軽快な躍動感、しっかりとしたリズム感、細かいニュアンスの妙、ウキウキするような憧憬に充ちた世界が広がりました。シュヴァルツコップの高貴なこと!

「ハフナー」は第1楽章超鈍足でスタートして、一気にスピード・アップします。猛スピード!でも、少々音が濁るのは残念。でもさ、アンダンテ以降飄々ゆったり風通しが良くて爽やかなんですよ。ラストはピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453 (ステファン・アスケナーゼ(p)1954年)で時間切れ。繊細だけど芯のある音色、トツトツしているように見えて華やか、存在感のあるピアノでした。シューリヒトのバックは低音をしっかり響かせるが、厚ぼったく重苦しくなりません。

夢見るような旋律が大好きな作品です。

2005年4月某日


例年ならとっくに花見の季節(そういえばまともに行ったことないな)なのに、肌寒いではないか。昨夜は、女房のノートパソコンの調子が徐々に悪くなりつつあって、中古物件を探しに三軒ほどお店を回って(出物はないね)そのまま(女房ご希望のいつもの)焼鳥屋へ。ヘロヘロになりつつ帰宅して、映画を見て、フロ入ってそのまま就寝。うぅっ、またなんかキツい一週間の始まりで憂鬱です。

昨日聴いた音楽はMahler 交響曲第2番ハ短調「復活」第3-5楽章〜ショルティ/ロンドン交響楽団/ハーパー(s)ワッツ(a)(1966年)。これは明快さの極致!わかりやすく、切れ味のある演奏です。後年シカゴ響との再録音は未聴だけれど、この作曲家特有の懊悩とか、大仰なる”思想性”みたいなものとは無縁の爽快なる世界でして、オーケストラも合唱も絶好調に鳴り渡りました。録音極上。シカゴ響時代と似たようなサウンドになっているから、もともと自分の色に染めちゃう人なんでしょうか。それともシカゴ響の個性と似合っていたのかな?

昨日のMozart 絡みの書き込みがあって、更にその音源〜クラウディオ・アバド/ロンドン響を確認。交響曲第40番ト長調(1980年)第41番(1979年)は発売当時話題になった録音だけれど、ここ最近の評価は如何に?(世評など、どーでもよろしいが)自然体でしっとり柔らかい、甘い雰囲気豊かな演奏だけれど、”弱い”ような印象有。”弱い”というのは、決然としていないというか、文字通りメリハリ問題のことです。どこといって欠点はないし、アンサンブルも優れているが、穏健派過ぎ・やや個性的な表情に不足を感じますか。録音優秀・繰り返しも有。クリップス盤(1972年)に似て非なる演奏か?(優しいなりに、もっと微細な表情の変化、陰影も豊かです)

今朝、Chopin スケルツォ集〜ニキタ・マガロフ(p)(1976年)を。この人の全集は聴けば聴くほどジンワリ、暖かい世界に引き込まれるようで幸せになりますね。滋味深く、無用な切れ味を表出させない、微妙な揺れやら優しさを感じさせていや、もう、まったり。

さほどにリキまず、淡々とお仕事をこなした(と言うと大人しくしていたように思えるが、じつは大騒ぎ、いつも通りうるさく叫びながら。回りは大迷惑でしょ、きっと)月曜日。早々に帰宅。明日、広島。その次は高知〜徳島(更にその翌日高松)だからね。なぜかBBSでは(この音楽日誌絡みか)Mozart やらMahler の話題になっていて、不思議なものです。これだけチカラ一杯Rachmaninov のことに言及しても、どなたもその話題に触れてくださらない。いや人生、思い通りにならぬところこそがオモろおまっせ。

シャンドール・ヴェーグ/カメラータ・ザルツブルクによるMozart 「セレナードと嬉遊曲集」(1986-1989年 6枚組CAPRICCIO 60 022-6)は、1990年代前半に購入、おそらく壱万円したと思います。(当時はレシートとか値札、メモを取っておく風習がなかった。現在ほど廉価盤に固執することも)カッサシオン ト長調K.63/変ロ長調K.99/アダージョとフーガ ハ短調K.546(1987年)を。現代楽器だけれど、夢見るように清潔で軽快、親密なアンサンブルはハジけるような喜びに溢れて、繊細、爽快そのもの。録音が清涼で、こんな気持ちの良い世界って滅多にないでしょ。

・・・記憶が蘇ってきた。このボックス中、ワタシ手書きのメモが入っていて、この作品にはほかにコレギウム・アウレウム(LP)がある、スーク(プラハ室内管弦楽団?コンサートホール盤だった)のもある、なんて記入されております。まだ、LPを処分する前で、アンダのピアノ協奏曲全集、クリップス/コンセルトヘボウ管による交響曲第21〜41番(6枚)・・・これでMozart を網羅していた時期だったはず。ああ、でもLPがいっぱいあったか。ベームの交響曲全集だってありましたもんね。

そんな若かった頃を思い出しました。

2005年4月某日


昨夜、突然の耳鳴り(こども時代から”キ〜ン”という耳鳴りがあった)+頭痛が来たのは疲労故か。ま、たいしたことはないけど。花粉症問題も影響していますか。メモリ入れ替えのデスクトップ・マシンは快調です。

Rachmaninov でオーマンディ盤を確認しなくちゃ、ということで2枚組を取り出して交響曲第1番ニ短調(1966年)から。こうして聴いてみると、ほぼ10年前には購入していたCDなのに旋律に馴染みが薄い〜つまり、ちゃんと聴けていない。オーケストラの圧倒的豊満豊潤色彩がまったく見事で、作品的にも楽しめるものだと思います。「露西亜的クサい旋律満腹」みたいな記憶だったが、それはそんな感じだけれど、わかりやすくて”クサ”くはないでしょ。第2番ホ短調は(CD一枚目収録の都合で)第2楽章迄。

あれ?どこでどうカットしたのか、というくらいウッカリ状態だけれど、昨日のアニシモフ盤とは対極というか、明快明朗・朗々とリッチ・サウンドでこれも作品の個性に似合ってわかりやすい。ちょっと敬遠していたRachmaninov の交響曲が、少しずつ身近に感じられるようになってきました。(アシュナケージ盤も再度確認しないと。)

安田さんのサイト絡みで、Mozart 交響曲第40番ト短調〜セル/クリーヴランド管(1967年)を。ワタシの自慢は1970年の札幌公演をナマで聴いている(しかも開演前にセルの1m直前まで接近成功!)ことだけれど、なんせ中学生だったから、どんな演奏だったかは記憶なし。LP時代からお気に入りでした。といった印象はありました。CDで確認(SONY RET 017)すると、いつもながら凝縮集中アンサンブルで入念緻密な表現。

でもね、これはオツかれ中年サラリーマンには少々厳しすぎて、たった今現在のワタシの体調では楽しめません。もとユル〜い、そんな演奏が聴きたい。

床屋さん経由BOOK・OFFへ在庫6枚ほど更に処分。店頭在庫は少々気になるもの(Hindemithの室内楽とか、ペルルミュテール参加の室内楽など)もあったが、@500だったしもう少々様子見。未聴在庫も貯まっているしね。ご近所店は、かなりの比率で元ワタシの所有物で埋まっております。帰宅してヤーノシュ・シュタルケル(vc)のイタリアン・チェロ・ソナタ集(1966年)を。しっかりとしたMERCURY録音で彼の技巧を堪能できるけど、こんなCDどう楽しんだらよいか迷うところ。バロック(なんか違う。素直に楽しめない)なのか、それともチェロの妙技か。ラストBach ソナタ ト長調BWV.1029(シェベック(p)1963年)が収録され、これだと違和感はありません。Bach は演奏スタイルを問わない。

R.Strauss 交響詩「英雄の生涯」〜ヘルビッヒ/BBCフィル(1985年ライヴ)は、あちこちの中古屋でやたらと見掛けるが、想像以上の好演に驚きます。先日聴いたElgarでもオーケストラは好調だったが、雄弁すぎず、大人しすぎず、緻密なアンサンブルに説得力が深い。ベルリン・フィルのような妙技は期待できないが、テンションが緩む場面は見あたらず、清潔かつ充実した響きが楽しめます。(掲示板絡みで)アンネ・アランド(p)Beethoven ソナタ全集(Menbran 220865-321/A〜J)から無作為に一枚取り出したら、第12番変イ長調「葬送行進曲」/第14番嬰ハ短調「月光」でした。(1997年)

カー・ステレオ→自宅オーディオと聴きつないだけれど、低音不足録音でハラにコツンと響く重量感がありません。だから「月光」最終楽章など迫力不足だけれど、静かな旋律部分は暖かい味わいを威圧感なく楽しめます。前回聴いたときの「高音のリキみ」はオーディオ問題かな?第24番嬰ヘ長調「テレーゼ」はあくまで優しく可憐で、第32番ハ短調には前回物足りなさ(なんせ最晩年の哲学的傑作だからね)の記憶もあったが、本日は淡々とした味わいを楽しめました。全体として重さと艶には不足気味か。

2005年4月某日


深夜ホテルで目覚め、お茶など喫しながら昨日のジョーダン近況分をジョーダンとして更新。これからお客様行事のお手伝い(のフリし*ツつ、ま、ギリの顔見せ)です。ちょっと曇りがちは残念。

昨日のRachmaninov 交響曲第2番ホ短調〜アレクサンダー/アニシモフ/アイルランド・ナショナル交響楽団(1997年)は、有名なる第3/4楽章へ。これはいつものヘロ・オーケストラぶりがウソのように快調ですな。とことん甘く、切ない弦。大爆発する金管の迫力。知名度で先入観を持ってはいけません。帰宅して再度、全曲確認しましょう。

ゴールデン・イーグルス地元初勝利!嬉しいねぇ。判官贔屓モロ。

ぼろぼろに疲れて夕方帰宅。肉体系労働は元々似合わないが、馬齢を重ねるたびいっそうきつくなっちゃう。ここ数日気になっていたデスク・トップ・マシンの不調を回復させるべくメモリ交換実施〜いまのところ快調です。でも、数日動きを確認しないと。

昨日のBruckner 交響曲第7番ホ長調〜ユストゥス・フランツ/フィルハーモニー・デア・ナツィオネン(QUADROMANIA 222127-444)へのコメントが少々乱暴だった自覚があるので、帰宅後再聴。第2楽章「アダージョ」は、前のめりの情熱的表現が、時にリキみを感じさせます。でも細かい表情が刻々、ニュアンス豊かに変化して意欲的。若々しく、ハズむように楽しげな”揺れ”も、感傷的な”泣き”も、煽るような”絶叫”も有。打楽器どんちゃん騒ぎ(ほんま、そんな感じの演奏)が有だから「ノヴァーク版」ですか?(そんな単純な問題じゃないか?)

技術的には優れたオーケストラでして、とくに弦の表情の豊かさは特筆すべき。でも、金管(とくにホルン、ワーグナー・チューバ)の響きがやや平板なのは(よく鳴りますが)録音問題でしょうか。(最強音で響きが濁る。全体としてオン・マイク気味。但し、拙宅ビンボー・オーディオだから確信なし)若々しくて、意欲的だけれど「Brucknerの天国的深淵」みたいなイメージとは異なりました。努力賞!

Rachmaninov  交響曲第2番ホ短調〜アレクサンダー・アニシモフ/アイルランド・ナショナル交響楽団(1997年)Rachmaninov 交響曲第2番ホ短調〜アレクサンダー・アニシモフ/アイルランド・ナショナル交響楽団(NAXOS 8.554230)は、帰りの新幹線で全曲堪能。コレ、数回聴き直して完全に痺れました。著名なる第3楽章「アダージョ」の甘美な旋律は抑制され、自然体で囁かれました。木管は地味だけれどしっとり瑞々しく、弦の深遠さは類を見ない細部深遠なる響きで、澄み切った空気を感じさせました。適度な残響奥行きを感じさせる録音が、また極上。泣けます。

終楽章、快活な表情、金管の意外なる活躍に驚きましたね。アンサンブルは優秀で、このオーケストラは数枚CDを所有しているが、これほど充実した演奏を聴いたのは初めてだと思います。アレクサンダー・アニシモフ恐るべし。

同曲を尾高忠明/ウェールズBBCナショナル管(1991年)でも確認。同じ地味系でもちょっと印象が違うというか、いっそう地味というか、まだ(数回聴いても)なんともコメント不能。昔馴染みのオーマンディ盤(CBS 1959年)は再聴コメント必要だね。なんたって第1楽章20:44(アニシモフ盤)に対して16:31〜つまり大幅カット有ということですな。

2005年4月某日


今シーズン初体験・花粉症の鼻水クシャミ症状、目のかゆみが強まりつつある。4月の声を聞いても朝は肌寒いでんな。本日夜から(今週2度目の)山口入り。毎年桜の時期恒例の行事お手伝い。もう4年目かな?昨夜。不調の(不安定ではないが、突然フリーズする)デスクトップ・マシンの電源部分解して念入り清掃〜風切り音は治まったが、3回連続フリーズ再立ち上げ(フツウに再起動可能。以降問題なし)・・・これはメモリの相性か?そういえば、こんな症状出る前にメモリの入れ替えしたから。週末休みはいろいろやってみないと。

昨夜、Vaunghan Williams「タリス幻想曲」「グリーンスリーヴス幻想曲」、Holst「セント・ポール組曲」(ラスト「グリーンスリーヴス」の旋律が入る)、Warlock「キャプリオル組曲」、Britten「Bridge変奏曲」〜ボートン/ENGLISH STRING ORCHESTRA(なんと訳すか、イギリス弦楽管弦楽団?1984-89年録音)を。知名度的にはともかく、この人は少々リズムの切迫感に欠け、弦の洗練度もそう高くはない。けど、ゆったりコクのあるザラリとした弦の響きは、まったり良く歌って味わい深い。このCDも10年以上のお付き合いかな?

「MEDITATION」という5枚組のセット(Laserlight 35 840)があって、ええ感じのヒーリング音楽が(少々寄せ集めだけれど)ちょっとマニアックな演奏家、良い音質で楽しめます。その第5巻を拝聴。Bach 〜Mahler 迄!ケーゲル〜ウルバネク(誰?)迄、様々の演奏家も登場。今朝、Beethoven 序曲「レオノーレ第3番」/交響曲第1番ハ長調(1965-69年)、ピアノ協奏曲第4番ト長調(1958-59年)〜シュミット・イッセルシュテット/ウィーン・フィル/バックハウス(p)を。

この人、手堅いというか、世代的に考えると、ずいぶんオーソドックスでジミな表現だ(時にツマらない、とさえ!)と思うが、最初の「レオノーレ」からオーケストラの充実が目覚ましい。耳目を側立てるような個性的な世界ではないが、作品の真価、みたいなものを余すところなく感じ取れるようで、むしろこのほうが永く聴くには相応しい、と確信いたしました。威圧感はないが、充分にチカラ強い。コクも有。

(在山口)午前中ノンビリ、昼から大トラブル対応でギリギリまで!夕方出発の新幹線には出発ホームまでダッシュ!(体力落ちてるから心臓が口から飛び出しそう!)折しも春休み真っ最中・自由席はおろか指定席も満席、ようやく広島で座れてちょっと居眠り+音楽。新チームメンバーと「居酒屋兆治」(湯田温泉)で楽しく「新チーム結成式」をやったあと、ホテルに落ち着いたところ。明日、行事のお手伝い(休日出勤)なのにツカれてます、酔ってます、もうダメ。

自宅通勤時点から聴いた音楽。Bruckner 交響曲第7番ホ長調〜ユストゥス・フランツ/フィルハーモニー・デア・ナツィオネンの演奏で(第2楽章途中まで。残念)。独逸系の新興オーケストラなんだろうが、しっかりしたオーソドックスな表現を身につけているのは流石、というか、これが伝統なのか?但し、Brucknerってやはりオーケストラの味わい命ですから。響きそのものの魅力、とかそれはどうなんでしょう。まだ全部聴いていないから、なんとも言えませんが。

そういえば、先日処分したNAXOS十数枚分、ご近所BOOK・OFFで@250でした。5年前のワタシだったら喜んで買いますね。新幹線に乗って、Rachmaninov 交響曲第2番ホ短調〜アレクサンダー・アニシモフ/アイルランド・ナショナル交響楽団(1997年)を。(じつはコレ@200でして・・・)有名オーケストラ、厚みのある響きがいかにも、的作品でしょ。でも、聴いてみたかったんだなぁ、北国のジミ風オーケストラで。

正直、ほとんど寝てました。しかも途中で時間切れ。帰宅してゆっくり再聴します。そんなに不満な演奏じゃなかったはず。

 

【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
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written by wabisuke hayashi