Mahler 歌曲集「こどもの魔法の角笛」
フェリックス・プロハスカ/ウィーン・フェスティヴァル管弦楽団/
モーリン・フォレスター(con)/ハインツ・レーフス(bbr)


Vanguard 08 4045 71
Mahler

歌曲集「こどもの魔法の角笛」(全13曲 死んだ少年鼓手ーこの世の営みー高い知性への讃美ーラインの伝説ー歩哨の夜の歌ーこの歌を作ったのは誰?ーむだな骨折りー少年鼓手ー不幸な時の慰めー美しいラッパが鳴りひびくところー魚に説教するパドヴァの聖アントニウスー塔の中で迫害されている者の歌−原光

フェリックス・プロハスカ/ウィーン・フェスティヴァル管弦楽団/モーリン・フォレスター(con)/ハインツ・レーフス(bbr)

Vanguard 08 4045 71 1963年録音

 15年ぶりの再聴。Felix Prohaska(1912ー1991墺太利)は主にオペラ畑で活躍した往年の指揮者。別仕様CDではウィーン交響楽団とあるから、おそらく実態はそうなんでしょう。優秀なアンサンブルでした。音質良好ほとんど現役水準。Maureen Forrester(1930ー2010加奈陀)Heinz Rehfuss(1917ー1988瑞西→亜米利加)は立派な、貫禄に充ちた歌に間違いありません。ウィーン国立歌劇場管弦楽団との録音は別物です。

 言語意味不明でも情感やら細部旋律に馴染んでいる数少ない声楽作品となります。これは指揮者によって自在に順番を変えて演奏されます。交響曲に引用されたもの(またはその逆)もあり「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」「原光」は交響曲第2番ニ短調「復活」と同じ旋律となります。

 冒頭「死んだ少年鼓手」からレーフスの線の太い貫禄と自在な表情、暗い軍楽隊のようなプロハスカのリズム感が光ります。この順番が刷り込みなので第1曲めはこれに限ります。(6:25)「この世の営み」はフォレスターの気品ある歌声が深い。(3:04)「高い知性への賛歌」は題名とのイメージとは異なって明朗闊達なバス・バリトンがユーモラスでした(2:27)「ラインの伝説」は優雅なワルツ、コントラルトの歌は余裕、この作品中もっとも美しい瞬間でしょう。(3:16)「歩哨の夜の歌」は勇壮な男声による行進曲、優雅な中間部・ラストも色気がありますね。これを第1曲に配置する録音もいくつか拝聴いたしました。ここはオーケストラの主張が少々おとなしいかも。(5:35)

 「この歌を作ったのは誰?」は女声による優雅なワルツ。短いけれど床しい旋律ですよ。(2:12)「むだな骨折り」は女声連続。ゆったり優雅な風情が続きます。独逸語が美しいと感じます。(2:31)「少年鼓手」は重苦しく、暗く憂鬱な葬送行進曲風。レーフスは圧巻の貫禄、それを支える小太鼓とホルンが印象的。(5:14)男声連続して「不幸な時の慰め」も勇壮な表情にちょっぴりユーモラス。(2:30)「美しいラッパが鳴りひびくところ」は遠方からのトランペットに木管が優しく呼応して、しっとりフォレスターの落ち着いた声が優雅でした。ここも美しい瞬間。(5:57)

 「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」は云わずと知れた交響曲第2番ニ短調「復活」の第3楽章「Scherzo: In ruhig fliesender Bewegung」と同じ旋律。交響曲の方にも声楽を入れて欲しい。フィッシャー・ディースカウ(ジョージ・セル)の語り口が圧巻だった記憶有、ここではフォレスターによる女声が担当します。ユーモラスかつ高貴、緊張感ある3/8拍子リズム。楽譜には女声男声の指定はないのでしょうか。(4:12)「塔の中で迫害されている者の歌」はやや無頼な男声、レーフスの声には品があります。(3:56)「原光」は交響曲第2番第4楽章「赤い小さな薔薇よ・・・」で始まる神秘。フォレスターはブルーノ・ワルターの録音に参加しております。全曲を締めくくるには充分なスケールの大きさ、そして静謐でしょう。(5:08)

(2022年4月10日)

VANGUARD VNC 7531
 「歌ものはようワカラん」〜というのは、ひとつは言語の問題であり、大部分は「馴染みかたが足りない」せいだと思います。以下はサイト初期かなり以前のコメントだけれど、ジョージ・セル/ロンドン交響楽団/シュヴァルツコップ(p)/フィッシャー・ディースカウ(br)(1968年)盤への言及(賞賛)もありますね。なんどか聴き比べて、その個性が理解できるようになると「歌もの」だって楽しめるように〜数年ぶりの再聴であります。

 その後、録音は1963年と判明したので、”1967年ウィーン音楽週間の流れで録音”説は吹っ飛びました。考えてみれば、ウィーンに於けるMahler の演奏頻度はそれ以降高まったとはいえ、戦後からのモノラル時代にけっこうな量の録音残ってますもんね。上記、セル盤に比べ、いかにも地味な存在だけれど、聴き込むに連れ、これも悪くないな、と感じるようになりました。

 シュヴァルツコップ/フィッシャー・ディースカウは手練手管を駆使して、変幻自在なる表情の彩りをタップリ楽しませて下さいました。こちら、レーフスはちょっと渋くてオーソドックスな無頼と、精気たっぷりな表情+ユーモアを感じさせるし、フォレスターはしっとりと落ち着いて端正ではあるけれど、濃厚なる脂粉は存在しない。プロハスカのオーケストラは、ジョージ・セルほど厳しい集中力とキレとはいかないが、充分に甘い味わい深く、色彩感有〜もちろん繊細なアンサンブルに不足はないでしょ。ウィーン交響楽団?(←おそらくは契約が厳しかった当時の制約名じゃないか)トーンキュンストラー管?いずれ、奥行きと躍動感存分であります。

 全体として落ち着いた雰囲気+ていねいな表情付けはちゃんとあって、日常、時に取り出してジワジワ愉しむには充分なる存在でしょう。なんといってもこちら、ラストに「原光」が収録され、「復活」交響曲の壮大なる全貌を連想させつつ、全体を締め括って下さるのが嬉しい。録音は極上ですよ。

 購入十数年経過。転居が決まってこのCDを購入した大阪に戻っていくけれど、貯まりすぎた在庫を処分する日々〜こんな長いお付き合いになって下さったCDに深く感謝。歌い手は著名だけれど、指揮者も名人だけれど、知名度押し出し少々弱い〜それでも音楽とは出会いであります。出会ったら虚心に耳を傾ける、といったワタシの原点的音源であります。

(2007年2月23日)


 歌曲はよくわからんのですわ。言葉の理解問題もありますしね。だから、ちゃんとしたコメントも書けなくてなさけない。

 でも、Mahler の歌曲はわりと好きで、しかも懐かしのプロハスカでしょ?ウィーンのヴェテラン指揮者で、日本ではLP時代の廉価盤でばかり出会っていたけど、1987年まで存命だったひと。フォレスターって、大阪万博のとき来日した記憶があるし、たしかカナダ議会の議長も務めたひとのはず。(ライナーとの録音もありました・・・「大地の歌」)レーフス(読み方違うか)も、きっと往年の有名な人なんじゃないかな。

 きっとこの録音の時期は、まだ現在ほどMahler 受容が進んでいなかったころでしょう。オーケストラは、ウィーン交響楽団の変名と想像されます。(立派なアンサンブル。メール情報によればトーン・キュンストラー管かもしれないとのこと)録音時期不明ながら(p)1968となっているところをみると、1967年のウィーン芸術週間(Mahler のほぼ全作品が集中して演奏された)の流れで録音されたのもかもしれません。(演奏会ではプレートル/VSO)

 専門家が指摘するように、交響曲との密接な関係があって、知っている旋律がたくさん出てきます。「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」「原光」は、「復活」交響曲そのまま。第1交響曲のフレーズも頻出するし、初めて聴いても馴染みを感じさせます。

 でも、やはり歌詞のことはもっと知りたい。残念ながら手元に和訳はないし、だいたい仮に持っていたとしても、中世以降のドイツ民謡詩集の意味合い、ひとつひとつの歴史的な背景は良く理解できない。題名だけ見ていても、なんかけっこう意味深長ですものね。

 レーフスのバス・バリトンは貫禄たっぷりで、なんとなく歴史的録音時代の雰囲気を残しています。「大地の歌」の旧い録音(例えば、ワルター盤におけるパツァーク)を聴いても同じなのですが、最近の人にはない「無頼」を感じさせます。

 フォレスターのコントラルトも、ややヴィヴラートが現代風ではないけれど、表情が肌理細かい美声。それでも古臭い感じがないのは、わりと録音が鮮明でプロハスカの軽快なリズム感と、繊細なアンサンブルの力でしょうか。木管の旋律の絡み合いも出色。意外な拾いものでした。

 で、これはこれで満足して楽しんでいたんですが、名盤として名高いセル/LSO/シュヴァルツコップ/フィッシャー・ディースカウの演奏(ワタシはAV Japan AC-3050  1,000円の海賊盤で所有)を聴き比べで取り出したら、仰け反りました。

 まだ若かったディースカウの表現の豊かなこと、シュヴァルツコップの一種独特のクセのあるヴィヴラートの強烈な説得力、なによりセルのオーケストラの集中力が凄い。こいつぁあ、滅多に聴けないなぁ。プロハスカ盤がダメ、というんじゃなくて、凄すぎる演奏なんですねぇ。困ったもの。(2000年更新)


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