Mahler 歌曲集「こどもの不思議な角笛」
(ジョージ・セル/ロンドン交響楽団/
シュヴァルツコップ(p)/フィッシャー・ディースカウ(br))


EMI 50999 6 089852 4 /16枚組3,962円
Mahler

歌曲集「こどもの不思議な角笛」(12曲)

ジョージ・セル/ロンドン交響楽団/シュヴァルツコップ(s)/フィッシャー・ディースカウ(br)

1968年録音 EMI 50999 6 089852 4/11  16枚組3,962円

 2010年、EMIの意欲的な16枚組ボックスが安価にて発売されたので、無事正規盤を入手できました。既に時代は”正規盤が、駅売海賊盤の中古より更に安い”状態に至っております。ここでは「原光」「天上の生活」が含まれない(おそらくオリジナルな姿)のは残念ながら、以前聴いた印象と寸分違わぬ(もの凄い)感銘をしっかりいただきました。一般に声楽(とくにオペラ)に疎遠なのは、聴き込みの絶対量が足りないのでしょう。Mahler やら、Bach の作品だったら問題ありませんもの。この「角笛」も細部旋律まですっかりお馴染み。言葉の意味細部など理解できなくても、神髄が聴き手には伝わるものです。出会いはフェリックス・プロハスカ盤

 EMIの録音には何度も文句を付けてきたが、ここではマルチマイク録音、各パートが不自然に分離されて明快に存在を主張します。奥行きにやや不足はあるけれど、鮮度とキレは抜群。歌い手の存在が大きすぎるのはワタシ如きド・シロウトにはわかりやすい。晩年のジョージ・セルが尋常一様ではない緊張と充実ぶりでして、明晰メリハリ極まる!リズム感の凄さ。ここにフィッシャー・ディースカウの変幻自在なる表情の変化、多彩な表現(時に囁き、語り、歌い崩し!)がみごとに絡みます。その説得力も驚くべきもの。以前も言及したが、歌い手が管弦楽の躍動に影響を与えていると感じますね。たしか、フルトヴェングラーも似たようなことを言ってましたっけ。

 やはり一番のお気に入りは「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」〜なんせ、「復活」第3楽章ですからね。このままジョージ・セルによる明晰硬派クリアな交響曲が続くことを期待しちゃう・・・

 シュヴァルツコップの偉大さに疑義を夾む人はいないでしょう。この個性というか(数年前のワタシは官能とコメントしていた/色気ですね)濃厚な味わいは、21世紀には消え去ったものだと思います。専門の方に伺うと発声の方法も現代とは異なるらしい。ここでの表現の深さ、声質の変化の多彩さ(音域の広さ、低域の迫力)はフィッシャー・ディースカウに匹敵するものでしょう。あとは嗜好の世界。後の世代の歌も聴いている耳には、少々”時代”を感じさせます。いずれ、作品全体の完成度を云々するものではない、トータルでは文句ない名演奏でしょう。

 人声のぬくもりがひしひしと伝わる一枚、まちがいなくヴェリ・ベスト。新世代の新たな切り口は登場しておりますか?

(2010年12月17日)


ECC-618(DG録音の海賊盤) 中古 250円で購入
Mahler

歌曲集「こどもの不思議な角笛」(12曲)

ジョージ・セル/ロンドン交響楽団/シュヴァルツコップ(s)/フィッシャー・ディースカウ(br)

AV-JAPAN AC-3050(EMI録音の海賊盤) 1968年録音 1,000円で購入

 未だにこんな”駅売海賊盤CD”後生大事に抱えていて、オマエはアホか?的、由緒正しい音楽ファンの風上にも置けぬ状態続けております。書籍も含め、中古を購(あがな)うことが多いし、演奏者、著者にはなんらの経済的寄与をしない不埒者だけれど、だからといってちゃんと聴けるもの、読めるものを捨てることはエコロジーの時代には相応しくない〜ようはするに「Kechi」なんです。”もったいない”の精神でもある。(シブチンに非ず)おそらくは1990年代初頭に購入していて、この価格は21世紀には「う〜む・・・」状態か。

 これはフェリックス・プロハスカ盤(1963年)という少々マニアックな音源との比較で取り出した一枚。すると、ラスト1曲足りない・・・「Urlicht」(「原光」交響曲第2番より)が含まれておりません。(残念)収録は「死んだ鼓手」「この世の生活」「むだな骨折り」「ラインの伝説」「少年鼓手」「番兵の夜の歌」「だれがこの歌を作ったのだろう」「高い知性の讃美」「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」「塔のなかの囚人の歌」「不幸なときの慰め」「美しいトランペットが鳴り響く所」大好きな旋律が続きます。

 この演奏は聴くたび仰け反ります。プロハスカ盤に於けるハインツ・レーフス(bbr)は端正正攻法な貫禄を見せたが、フィッシャー・ディースカウの表情表現多彩で豊かなこと!時に歌い崩し、リズムを弾ませたり、流したり、抜いたり〜まさに変幻自在とはこのことか。「作り過ぎ、巧過ぎ、説明が過ぎる」と感じる(あくまでワタシの嗜好)ことがあって、後に続くべき若手に大きな影響を与え(過ぎ)たフィッシャー・ディースカウだけれど、この完成度は賞賛されるべきものでしょう。

 おそらくは指揮者に霊感を与える歌手なのであって、厳しいセルとの息の合方にも文句はないでしょう。ワタシは「さすらう若人の歌」に於ける(いつになく、しっとりていねいな)フルトヴェングラー盤(1952年)を思い起こしました。白眉は(「復活」で馴染みの)「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」か。プロハスカ盤ではフォレスターが担当するんです。

 エリザベート・シュヴァルツコップには、官能の個性が色濃くて魅了されます。ジョージ・セルとはR.Straussの「4つの最後の歌」を録音(1965年)しているんですね。(駅売海賊盤ばかりで申し訳ない)表面を美しく整えない、まるで歌声に強烈な灰汁(あく)と芳香を伴うような、病みつきになる深遠なる個性。それは人生の艱難を乗り越え、更に気品を失わない。発声が現代とはちょっと違うんだそうですね。

 ジョージ・セルのMahler は交響曲第4/6番しか聴いたことはないが、手兵・クリーヴランド管弦楽団でなくても、引き締まったアンサンブル、曖昧さの欠片もない集中力に一切の妥協なし。明快、各パートのバランス感覚、安易な旋律への色づけを拒否し、作品の本来持つ美しさの表現に打たれるばかりであります。録音も良好。

(2007年2月23日)


【♪ KechiKechi Classics ♪】

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written by wabisuke hayashi