R.Strauss 「メタモルフォーゼン」(クレンペラー)
「4つの最後の歌」(シュヴァルツコップ/セル)


R.Strauss 「メタモルフォーゼン」(クレンペラー)/「4つの最後の歌」(シュヴァルツコップ/セル)
R.Strauss

「メタモルフォーゼン」(23の独奏楽器のための習作)

オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団(1961年)

「4つの最後の歌」

シュヴァルツコップ(s)/ジョージ・セル/ベルリン放送交響楽団(1965年)

FIC(EMI録音の海賊盤) ANC-171  (おそらく)1,000円で購入

 音楽の印象をしっかりつかむためには、慣れとか繰り返し、様々な演奏の種類を経験したり、ナマ演奏体験したり、そうして初めてココロの琴線に触れる経験が出来上がるものです。とくに、ワタシのような”聴いて楽しむだけ”の凡人にとっては尚更。ところが稀に初対面で、いきなりハートを鷲掴みにされ、「これは間違いなく凄演」と確信できる音源と出会えることがあります。10数年前に出会ったこのCDが、まさにそれ。(駅売海賊盤ばかりで申し訳ない)

 クレンペラーのR.Straussもこれ以外聴いたことはないし、シュヴァルツコップ/セルという稀代の組み合わせ収録の驚愕一枚!〜1,000円出費に後悔なし。ワタシ、なんどもワタシのサイトにも書いているが「R.Straussイマイチ」人間でして、それでも努力して馴染むようにはしているつもり。ところが「メタモルフォーゼン」のみ(いえいえ+オーボエ協奏曲、「夕映えの中で」も)は、もうずっと気に入っていて、それはクレンペラー様のお陰なんです。

 R.Straussの政治的立場、独逸帝国全面降伏の三週間前に書き上げられた作品〜そのような説明はワタシのサイトの範疇に非ず。それでも爛熟しきった寂寥感ははっきり感じられて、いつもは恬淡とした表現のクレンペラーでさえ、妙に濃厚で情感の昂揚がありました。23人の弦楽器というとてつもない編成でであり、それは混じり合って一体化せず、あくまで独奏として主張する旋律が絡んで、響き合わない。

 濃厚であるがムーディーではない。清廉なフィルハーモニア管の響きそのままでであり、あざとい官能を際だたせるような表現など存在しません。しっかり骨太に、明快に、23のパートが歌い主張します。感傷ではあるが、甘美ではない。悲劇ではあるが、涙ではない。聴き馴染んだ「英雄の生涯」「ツァラトゥストラ」の勇壮な旋律を時に連想させるが、それは後ろ向きの回顧でしかありません。(クレンペラーは何故、この有名なる大曲を録音しなかったのか?)

 ワタシはこのCDを聴くたび、打ちひしがれ、流され、あきらめ、そして救われる思いに至ります。もう、ほかの演奏を聴いても大丈夫でしょうか。

 この駅売海賊盤の編集者もトンデモ・コンピレーションをやったものです。ワタシは(先に書いたように、何度もワタシのサイトにも登場する)「夕映えの中で」が大好きで、第4曲目の前奏が流れ出すと、もう部屋中が黄昏(たそがれ=誰そ彼〜美しい日本語だなぁ)ちゃう。若い頃、不遜なワタシは、シュヴァルツコップの胸にくぐもったような声が好きになれませんでした。マルギオーノの豊満で滑らかな声がお気に入り。

 中年の崖を転がり落ちている現在に至れば、彼女の、濃厚で細部まで描き込まれた表現に感銘するに吝かではない。まったく説得力が深く、人生最終章の輝きが実感されます。これこそ最晩年の作品ですか?輝かしく沈んで、消えていく夕日。セルが指揮するベルリン放響(現ベルリン・ドイツ響)のアンサンブルが精密なこと、驚くばかり。

10年以上こんなCDで楽しんできたので、ワタシは正規盤を入手せざるを得ません。正規廉価盤との出会いを待つばかりです。

(2005年4月14日)


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written by wabisuke hayashi