Haydn 交響曲第85/92/103番(ワーズワース/カペラ・イストロポリターナ)


NAXOS    8.550387 Haydn

交響曲第85番 変ロ長調「王妃」
交響曲第92番ト長調「オックスフォード」
交響曲第103番 変ホ長調「太鼓連打」

ワーズワース/カペラ・イストロポリターナ

NAXOS 8.550387  1990年録音 5枚組3,290円で購入したウチの一枚。

 「Beethoven アレルギーの原因は、Haydn不足にある」という音楽科専門医からの指摘。たしかにHaydnはあまり好んで摂取しない癖が自分にはありますね。量を聴いていないから、ますます疎遠になる。ツボの押さえどころが見えない。このCDも「お、安いじゃん。一応揃えておかなくちゃ」ということで、1990年代の始めに購入したはず。

 Haydnの交響曲って、どんな演奏が似合うんでしょうか。カペラ・イストロポリターナは、もの凄く緻密で「激巧アンサンブル」でもないが、やや鄙びた味わいが泥臭くて、誠実な味わいがある。ワーズワースはイギリスの穏健派指揮者で、特異な演奏方向ではない人。録音もごく自然で、やや乾き気味だけれど立派なものでした。

 そういえばHaydn関係の本も読んだことないなぁ。Mozart は根本的に違うらしいが、「オックスフォード」辺りを聴いていると、やはりそれを連想します。但し、Mozart は天衣無縫だけれど、こちらには人間クサイ愉悦感があるかも。そしてもっとシンプル。ワタシとしては優雅に演奏して欲しい、と思うのはモントゥーとかクリップスの印象があるからでしょうか。


 「王妃」から音楽が流れ出すと、この曲よく知っています。しばらく悩んでいると、先日クルマを運転したときに聴いたカセットで、ヴェーグによる演奏を聴いたばかりでした。(1992年8月ザルツブルク・ライヴ)オン・マイクで奥行きのない、乾いた音質ながら、その躍動感、勢いはなかなか。やさしい部分との対比・メリハリも美しかった印象がある。

 聴き比べるとワーズワースの演奏は、いかにも真面目一本槍で変化に乏しい。この作品、詳しいことは知らんが、疾風怒濤風の劇的な旋律と、のちのスケールの大きな美しい旋律が交互に出てくるようで、なかなか楽しめます。第2楽章のノンビリとした(クドい)繰り返しに「美」を感じられるようになれば、きっとワタシも一人前。オーボエの音色が美しくないと感じるのは、歴代のドイツ・フランス・日本の名人の録音を聴きすぎたせいでしょうか。


 「オックスフォード」は、てっきりイギリス時代の作品かと思っていたら、有名なオックスフォード大学からの学位授与の返礼演奏会での作品とのこと。なんか、後になればなるほど多彩になってくるというか、Haydnの修行が見えてくる思い。第1楽章序奏の優雅なこと。続く溌剌としたアレグロは「ハフナー交響曲」を連想させます。(調性もリズムも違うが)

 イキイキとした勢いもあるし、悪い演奏ではないが、もっと沸き上がるような喜びを求めるのは贅沢でしょうか。細かいパッセージの処理に、ややもたつく印象もあります。でも、これ名曲ですねぇ。アダージョのシミジミとした情感、メヌエットの無邪気で明朗なリズム感、終楽章における、ちょっと戸惑ったようなユーモラスな表情。


 「太鼓連打」はもうロンドン時代でしょ。Mozart はもうこの世にいなくて、その影響もあるとのこと。第1楽章序奏はいっそう精密さを加えます。続く厳格なるリズム(三拍子?)に乗った旋律は、思いっきりアクセントを強調するとヤボになるのか?(聴いたことはないが、アーノンクール辺りが演奏すると面白そう)

 Mozart では、少々のオーケストラの粗さも気にしないが、ここではカペラ・イストロポリターナの弦の薄さ(というか潤いの不足)が少々気になりました。もしかして、ウワサ通りHaydnは演奏者の資質がそのまま正直に演奏に反映するのかも。ちゃんとした演奏だけれど、「人間クサイ愉悦感」に足りない。やや面白くない。ノリが足りない。

 アンダンテの陰影のある旋律は素晴らしい。メヌエットの明快なリズム感、ホルンや木管のアクセントも楽しい。終楽章は「ジュピター」に似ていて、スケールはもう少し小さいか。どこにも破綻のない演奏だけれど、まとまりすぎて個性(これはリズム感か、それとも演奏者の自発的な歌か?)を要求したいもの。でも、文句なく名曲です。聴いていて幸せになれる。(2001年9月1日)


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written by wabisuke hayashi