音楽日誌
2005年1月愛媛県今治風景
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2005年2月某日


「お気に入りのBrahms は?」とのBBS上で問いかけられたが、改めて考えてみると室内楽やら、ピアノ・ソロが好ましい。交響曲もピアノ協奏曲も、ヴァイオリン協奏曲だってキラいじゃないが、しっくりくるのはもっと内省的で後ろ向きっぽい作品なんです。考え込みつつ書き込んだけれど、その時聴いていたのは6重奏曲第1番変ロ長調 作品8〜シュトゥットガルト弦楽6重奏団(1989年NAXOS)。精気に溢れ、明るい曲想なのになぜか切ない気持ちになっちゃう。映画音楽(「恋人たち」・・・見たことはない)で有名になった、第2楽章のほの暗く情熱的な変奏曲のイメージかな?

録音も良好(ちょっと響きが金属的に響きすぎるが)だし、明快誠実な演奏だと思いますよ。考えてみれば世評高い(らしい)フルトヴェングラーの交響曲演奏を聴いたことがない・・・と書き込んだあとに思い出したが、ウィーン・フィルとの第1番(1952年)を既にサイトに上梓しておりました。ウソばっか。

音楽上の苦手は克服する〜これが基本です。ワタシはBeethoven のピアノ協奏曲を苦手としていて、売り飛ばしたCD再々となります。杉谷昭子さんの全集はこのサイト開設当初の更新(ジャケ撮りがスキャナではない!)で自分にとっては馴染みの演奏のほう。第2/3番〜ピアノ版ヴァイオリン協奏曲と聴いてきたが、地味なバック、威圧感のない演奏には好感が持てましたね。(なぜか第2番冒頭にひどいキズが付いていて、トレース不能。トレースできるプレーヤーもあるので、CDRでコピーし直しました。)じんわり素朴な録音も聴き疲れしない。(BRILLIANTレーベルとの出会いのCDだと思います。それかヴァルハルのVivaldiかな?)

ブルー・マンディはお仕事やる気出ません。なんとか体調崩さずに2月も終了です。

2005年2月某日


BBS書き込みは音楽聴取の良きキッカケとなって、ありがたいものです。Brahms 交響曲第1番ハ短調(1987年)〜スクロヴァチェフスキ/ハレ管の演奏は、久々3年ぶりでして、現在なら保留条件なしで絶賛したい集中力。ワタシはBBSにて「セルを連想させる引き締まった、禁欲的な演奏でした。煽ったり揺らせたりしないが、必要にして充分なる歌があって、オーケストラもいつになく好調」と書いたけれど、そのセル/クリーヴランド管(1966年)もついでに第1楽章のみ。

これは辛口ですね。「Brahms を楽しむ」というような安易な聴き手の姿勢を許さないような、厳しさ。ボウルト/ロンドン・フィル(1972年)も第1楽章のみだったが、風格というか、余裕というか、味わいたっぷり、素朴さも有。スクロヴァチェフスキ、セルの後だと、少々オーケストラの切れ味が甘いというか、茫洋としたイメージは録音問題もあるのでしょうか。更に、トーマス・ザンデルリンク/フィルハーモニア管(1996年)は全曲聴きました。

個性とか厳しさ、スケールとは縁遠いかも知れないが、素直でわかりやすい。録音も少々オフ・マイクっぽいが、オーケストラも優秀。面白みがないともいえるが、日常聴きにはこういうCDは良いかも知れませんね。もうどうにも止まらない状態で、スワロフスキー/南ドイツ・フィル(録音年もオーケストラの実体も不明)へ。

音質の肌理は粗いし、オーケストラも上手いとは言えない。アンサンブルも雑だけれど、頑固というか融通の利かないアクがいっぱい、流麗さとは一切無縁なゴツゴツした表現ですね。耳あたりはよろしくないが、拝聴に値するココロ騒ぐ演奏でした。午前中、決意してスポーツ・クラブへ。自転車こぎをBrahms 交響曲第2番ニ長調〜スワロフスキー/南ドイツ・フィルで全曲分継続・・・(前回、読書しながらだったが、お隣のおばさま群がもの凄く五月蠅かったのでヘッド・ホンで防御。今回も同じメンバーでした)

さらに同演奏で第3番ヘ長調第1/2楽章分EFX(?)とかいう新し目のマシン(昇降機と歩行器を組み合わせたような。油断するとどんどんスピードが上がってしまう*メールいただきました。トレッドミルというようです)を消化。スポーツ・クラブまでの行き帰りのクルマでは第4番ホ短調(全曲は聴けず)QUADROMANIAの4枚組は悪くない買い物だったと思いますね。

テレビをみていて、とくにスポーツ関係の若者男女問わず「●×できたらいいな、と思います」という表現が気になります。最近とくに蔓延する「過度の婉曲表現」の一種だけれど、誰も彼もみんな同じ言い方にはウンザリ。若い世代の画一化は気になりますね。時代は進んでおるのか?

2005年2月某日


きょうは出勤日です。でも、昼からスポーツ・クラブに行こうかな?

昨日、朝から地元取引先とタップリ午前中商談、掟破りの自家用車で直行(だってそのほうが時間が合理的なんだもん)ついでにBOOK・OFFでこの間のダブり買いCD+Beethoven ソナタ全集(ロバーツ)を売却(金銭授受の問題ではありません、自宅スペースの確保+聴くべき音源厳選+市場へ音源供出)。そういえば親しい取引先の方のご母堂逝去、これでご両親亡くなる件、連続三件で、皆同世代だからねぇ。(弔電にて対応)

昼には事務所に戻るが、現金をおろしたついでにタワーレコードへ(職場のすぐ側なんです)。発想が安易だけれど、BBSでも巷でも話題のアンネ・エランドによるBeethoven ソナタ全集を購入(棚スペースが空いたからね)。事務所でやや肉体系諸作業(じつは広島での知的工作半年間の最終締め作業でもある)完了。そのまま夕方の高松へ。

高松の取引先には滅多に訪問していなくて、少々敷居が高くて心配だったが、実際はそんなことはなくて(顔見知りばかりだし)宿題がそれなりにあって締め切りもキツいが、案ずるより産むが易し、状態か。他の担当の人にも声を掛けられて、一足早い新年度のお仕事がスタートしました。東京へ異動する若いもんのお仕事付き添いだったが、そのまま高松の夜の街へ。(彼は当地に行ったことがなかったので、岡山と同じ漁場なのにサカナが旨いんです)

あらかじめ地元お医者兼ヴァイオリニストに「お店探しておいてね」とムリ言って、ご一緒していただきました。9時くらいまでだけれどラスト定番の讃岐うどん(麺ダシとも極上!)で締めて帰岡(壱時間。広島に行くより遠い感じ、しかもJRかなり遅れました)。

帰宅すると女房ノートパソコンのUSBハブ不調、いろいろいじっているいるウチに怪しく治っちゃう。今朝、メイン・マシンを立ち上げるとマウス認識せず、再立ち上げでフリーズ、そういえば数日前いきなりフリーズしていたな。仕事から帰ったら分解掃除しなくちゃ。(これはコタツ用ノートパソコンにて執筆。音楽の話題は帰宅後)

やや二日酔いの頭を抱えつつ通常出勤、ほとんど延髄条件反射的お仕事(つまり大脳を使わない)をこなしつつ、上司(先日”バカの壁”と・・・)が出勤してきたので半期に一度の面談。今年の成績は文句なしでしょ。「わかってくれよ・・・」と殊勝な態度を見せるので、その人間性に免じて許してあげることとする。札幌出張も簡単に許可してくれたし。で、一緒に昼食を取ってそのまま帰宅。じつはスポーツクラブへ行こうと思ったが、ハラ具合があまりよろしくないので。

先日のVOX5枚組はラスト一枚、第26番ニ長調「戴冠式」〜クリーン(p)マーク/ウィーン・フォルクス・オーパー管(1967年)へ。第1楽章でソロとバックがかなりズレます。それでも控えめな愉悦感があって、しっとりデリケートで暖かいピアノ。マークのバックはふっくらと良く歌うものでした。(ワタシはとくにこの作品が好き)最終楽章は(いつも感じることだけれど)ピアノがいつの間にかコロラトゥーラ・ソプラノ(つまりのどの節回しが変幻自在)に聞こえてきました。第27番 変ロ長調〜クリーン(p)スクロヴァチェフスキ/ミネソタ管(1978年)は、ほとんど透明で達観した域に達していて、バックが神経質かつ色合いが少ない。それにしても技巧をまったく意識させない、至高の技巧の水準!

エランド(p)のBeethoven ソナタは2枚聴きました。第7/8/31番(1995年)は、しっとりと瑞々しい。明るい。素直。しかし、クリーンの美音の後に聴くと少々フツウっぽさが目立つというか、充実重量系とは違った世界だと思います。有名な「悲愴」第2楽章「アダージョ・カンタービレ」の平易な表情に打たれます。しかし「月光」最終楽章では、技術的には厳しいところが目立って、表情もカタくなっちゃいました。

2枚目は第12/14/24/32番収録(1997年)。大音量のところで、響きの薄さを感じることもありますね。それでも座右に置くに相応しい存在と確信。第12番終楽章、そして第32番にBach を感じます。この凝縮した作品は大好きで、集中力ある演奏だと思うが、時に(とくに高音)リキみが感じられました。響きも少々ニゴります。録音はかなりのもの。

帰宅して、パソコン分解掃除(埃は溜まっていなかった)、内部ケーブル類の挿し直し、ついでに、ラック回りの清掃、ケーブルの再点検したら、なんの問題もなく回復いたしました。

2005年2月某日


風邪が忍び寄ると肩が凝る・・・という性癖があるため、就寝前に膏薬を首裏に貼るという行為が効果的です。(ジジむさい)これで今冬はいまのところ乗り切っている。アンネ・エランドのBeethoven ピアノ・ソナタ全集激安ボックスが掲示板で話題になっていて、この作品集をやや苦手としているワタシのココロも揺れます。少しでも興味があって、価格もリーズナブル、自分の経済生活(及び山の神のご機嫌状況も極めて重要だけれど)に影響を与えないのであれば買うべきなんです、経験則的に。即なかなか手に入らない状況へ至る可能性が高いので。

問題は2点有 1) 歴史的シュナーベル全集(1400円にて購入)はともかく、バーナード・ロバーツ全集(NIMBUS)も購入既に10年程、未だに全部を集中して聴取したとはいえず、更に全集を購入するのはいかがなものか 2) そもそも自分はこの作品集に特異なるシンパシーを感じているのか?・・・ま、この点は「鍵盤界の新約聖書」と評される名作群〜自分の好みなんのその、やがて学習深化により目覚める可能性有!(けっこうたくさんバラCDでも所有している、というか、けっこう聴いているつもりだけど)

で、自ら言い訳じみて第1/22/23番(1984年)第4/10/26番(1984/85年)を件のロバーツ(p)にて。で、即記憶がありありと!ディジタル時代とは思えぬぱっとしない曇りがちの録音、頼りなげな打鍵。いえいえ味わい系Beethoven だって悪くない。作品的には(流石に長いお付き合いだから)知っている旋律も一杯出てきてけっこう楽しめるが、肝心のロバーツさんの技巧に問題がある。機械的スポーティ・メカニカル系技巧を賞賛するつもりはないが、肝心なるところで細部表現甘く、流しているようで聴き苦しい。例えば、テクニックを売り物していないと思われるケンプ盤(7曲ほど所有)だって、こんなことはないんです。

わずか2枚/11枚のみを再聴して云々言うのもココロ苦しいが、なぜ取り出す機会がほとんどなくなったのか理解出来る全集ボックス。LP時代のバックハウス全集を処分し、CD在庫の回復に購入したものだったが、結果的にワタシをこの作品から遠ざける存在になっていたのでしょう。世の中には「こんな演奏を探していた!」という嗜好の方もいらっしゃるに違いないから、市場に供出してあげないとね。(つまりBOOK・OFF在庫へ移動)

2005年2月某日


さて二日のインターバルで職場に顔を出さなくっちゃ。昨夜、職場に寄ることは可能だったが、どうしても緊急!という以外はワザワザ行きたくない・・・たいていの実務は自宅からでも指示連絡は可能にしてあるしね。体調ももうひとつだったし。

昨日のダブり買い考察(言い訳)続き。VOXのMozart 協奏曲録音、クリーンもブレンデルもLPで持っていて、馴染みだったものでした。「LPは贅沢品になちゃった」と痛恨の思いで全部処分したのは既に10年以上前。それがすべてCD化されているワケじゃないし、簡単に入手できない(価格面で折り合わないとか、あっという間に廃盤とか)こともあります。だから、それなりの価格で見つけちゃうと即購入、となります。(昨年購入したデルヴォー/コンセール・コロンヌのCDなどは代表的か)

ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調〜ブレンデル(p)/アンゲラー/ウィーン室内管(1967年)もそんな録音のひとつ。ワタシは楽譜を見たことはないが、前奏からピアノが乱入しているのはグルダばりですか?知的な躍動というか、特異な音色とか表現を売り物にしない、充実したノリが全曲を支配します。(この作品、映画「アマデウス」を思い出しますね)続く第18番 変ロ長調〜クリーン(p)/ケール/マインツ室内管(1972年)は、録音の加減かソロもバックも響きが少々痩せて聞こえました。(第2楽章大好き。「フィガロ」のバルバリーナのカヴァティーナ「なくしてしまった」の旋律)

ほぼ思っていたとおりのお仕事進捗で、トラブルも最小限のお叱りでなんとか乗り切り・・・でも、きょうは雪が降って、皆アホみたいに暖房入れるから風邪の気配がいよいよか、少々残業しつつ帰宅。件のVOX5枚組Mozart 続けましょう。これはほんまに珠玉の作品・演奏集だ。バレンボイムの旧全集が10枚組(中古)2,500円だったのに比べれば、5枚2,079円は安いとは言えないし、しかも2.2枚分ダブり。(嗤わば嗤え)でも、この至福感はSONYに吸収ウントできませんよ。第24番ハ短調〜クリーン(p)/マーク/ウィーン・フォルクス・オーパー管(1967年)へ。

頼りなく、ワザとトツトツ、ヨロヨロと、流麗さを敬遠した演奏か。(でもカデンツァに哀愁の雨がしとしと)終楽章に至ってその繊細な技巧(滴るような美音!)は、第1楽章が確信犯であったことの証拠です。フォルクス・オーパーのバックは弦が薄くヒステリックっぽい(第23/26番と同じ)が、自然体で良く歌って、やがて聴き惚れます。バレンボイムが、Beethoven よりのチカラ強い世界を作っていたことを思い出しました。それとは対極の内向きの官能有。最高。

明るく勇壮な第25番ハ長調はブレンデル(p)/アンゲラー/ウィーン・プロ・ムジカ管(1967年)となります。この人には色気はなくて、もっとストレートなフツウな演奏なんです。正統派。細部まできっちり、真っ直ぐに表現し続けていると、やがてMozart の素の魅力と熱気がジンワリと・・・オーケストラはなんでしょうね?(メータとの「皇帝」もLP時代「プロ・ムジカ管」となっていたけれど、CDになるとウィーン交響楽団と表記されました。)臨時編成かな?小編成で響きは薄目だけれど、ヘロいアンサンブルではない。

3月末の休み取得調整に苦労しているが、4月中旬の北海道・札幌出張が決まりました。ありがたいね。毎年経費で帰省できるなんて。お客同行でもちろんお仕事だけれど。明日、地元で朝から商談、事務所に戻って夕方から高松のお客へ少々重い商談。

2005年2月某日


いろいろ予定の変更があって、広島行きは一日順延。ちょっと息抜き状態・・・年度末に向けて集中的に休みを取ることを検討中です。代休、有給休暇とはべつに特別休暇一週間(10日間だったかも)あるが、この際、お仕事段取り付けて休もうかな、全部消化はとうていムリだけど。日常の作業消化は段取りで、あとあとの種まき(これが主たるお仕事)は頑張って取り戻せるから。

聴いた音楽の詳細コメントする意欲やら余裕がなくて、概要だけ。(部分聴きです。全曲に非ず)クレンペラー/フィルハーモニア管による1960年のウィーン芸術週間ライヴで、Beethoven 交響曲第3/6/7番は(音質ともかく)あらゆる点で説得力が明快。テンポ遅く、鈍重ではない。第5番は小澤/シカゴ響(1968年)は、余裕とかワザではなくて、ストレートな若い集中力があって好感が持てました。これは全曲聴取。

今朝、(先日様子がわからなかった)「新世界」〜カラヤン/ベルリン・フィル(1940年)を。音質が思いの外良好であり、後年(ワタシは1958年盤しか聴いたことはないが)より、威圧感が少ない、端正な表現だと思います。ベルリン・フィルは1970年代の甘く官能的なものを想像すると、ずいぶんと違いますね。フルトヴェングラーとはうって変わって、アンサンブルの整理整頓やらスマートな表現に後年の彼の個性も伺えました。終楽章は、強引で速いスピードが落ち着かないが、若さを感じさせて微笑ましい。

やや頭痛気味ながら、お天気良くたいへん暖かい。まるで春の兆し・・・風邪に気を付けないと。広島まで行ってまいりました。どうしたことでしょう、Eメールなどふだん全然来ないのに、ここ数日俄に増加、と前回書いたせいか、追って数通届いております。岡山県内音楽家の方からは、このサイトの存在を「アマオケ団員とか大学の先生に教えてもらった」とのこと。(「よく見られているサイトですよ」との伝言付き)嗚呼、嬉しい。ほんまに嬉しい。ほんの中年ド・シロウト音楽感想文集に対して、過分なる評価をいただいて。

移動中聴いた音楽(新幹線だけならすぐ到着!なんだけど、在来線乗り換えにたっぷり時間を喰っちゃう)。Bruckner 交響曲第0/00番〜ロジェストヴェンスキー/文化省交響楽団(1983年)を。インバルとかマリナーとか以前にも聴いていたはずだけれど、まったく旋律に記憶がない。第0番ニ短調は既に後の作品の風合いが出ていて、金管の開放的な響きも個性的です。但し、滅多やたらと金管を刺激的に鳴らし続けるロジェストヴェンスキーの表現にデリカシーを欠き、頭痛気味のワタシにはツラいものがありました。第00番ヘ短調は、旋律も素朴で全体に牧歌的な緩さもあってノンビリ。こちらは金管の大爆発があまりなくて聴き疲れしないが、さすがに作品的には未熟未整理な印象がありました。(まだお勉強中です)

DG 429 713-2Elgar 「エニグマ」変奏曲/威風堂々第1〜5番〜ノーマン・デル・マー/ロイヤル・フィル(1975年DG)は、ほとんど存在を知られていない録音でしょう。ワタシの秘蔵CDのひとつ(正規盤でっせ!580円で買ったが)。少なくとも「威風堂々」の燃えるような情熱に於いて、これ以上の演奏に出会ったことはない。弾き手はもちろんだけれど、大英帝国に縁薄き極東日本の聴き手(=ワタシ)にさえ、手に汗に握らせ、血沸き肉(含む体脂肪)踊らせ、涙絞り出(ちょちょ切れさ)すほどの感動が怒濤の竜巻となって、すべてを空高く追いやりました。「エニグマ」も同様。微に入り細に渡る入念の「エニグマ」主題表現はほとんど消えゆくような溜息か囁きか、各変奏の描き分けが入念で、ある時はサラリと軽く、またある時は断固・頑固に叩き付け、詠嘆と入魂の連続ワザ。テンポの変化も胸が空くように素晴らしい。が、そこは英国紳士、粘着質ではなく、あくまで気品と静謐を失わず爽やかであるのは、ロイヤル・フィル・サウンドの特徴でしょうか。

広島駅前Groovin'に立ち寄ったのが運の尽き、数枚CD購入、は仕方がないけれど、2枚分ダブりとは・・・(涙)。いえいえ一枚分は自覚あったんですが、帰宅後確認したらもう一枚ありました。VOXBOX CD5X-3609〜Mozart ピアノ協奏曲ばかり5枚組。ワルター・クリーンの録音はLP時代3枚組(国内盤3,600円であった)お気に入りで、円高時代にバークシャー・レコード・アウトレット(Carlton盤)で2枚購入済み(一枚は記憶に鮮明だったが!)。でも、(格安で見掛けたら)どーしても全部欲しかった!

ブレンデルの第22/25番だってLP時代からお気に入りでした。20/19番(1958年ステレオ録音)だって一度聴いてみたかったもの・・・と、ここまで書いて更に記憶が蘇って、2台ピアノのための協奏曲 変ホ長調K.316a(フィルクシュニー/ヴァイス)は第1楽章のみ「50周年記念盤」に含まれていた・・・。閑話休題(それはさておき)第17番(クリーン。清廉な抑制にココロ洗われる)第20番(ヘブラー。思いの外表情が濃くて、ピアノの音色に官能を感じさせる)第23番(クリーン。清楚もここに極まる!といった清潔な躍動)第10番(フィルクシュニー/ヴァイス。弾むような、愉悦がハジけました)第19番(ヘブラー。これもセクシー。お嬢様の健康的な笑顔みたいな)・・・まだまだ悦びは続きます。

2005年2月某日


寒い!今週もお仕事予定いろいろあるはずだけれど、スケジュールにほとんど記憶がない・・・のは良いことでしょう。以前は、先を気に病んで眠れないこともありましたし。朝日新聞朝刊で、村上龍が中央大学の学生に就職問題について語っていて、素晴らしい説得力がある。「サラリーマンやらOLというのは職業の選択肢ではない」(問題はなにをやりたいか、ということ)「若さというのは原資であって、ニートやフリーターというのは時給800円でそれを浪費しているに過ぎない」「自分のやりたいことをしっかりと見据えて30迄生きてきた人とは歴然たる差が付いて、40になったら”社会的弱者”としてカルト宗教とか社会不安の原因となりかねない」「28迄に自分のやりたいことを考え、35歳までにそれに向けてしっかり努力する」(大意)。

「eメールの達人になる」(集英社新書)でも、その深慮、配慮に感心したものです。「限りなく透明に近いブルー」でデビューした時には「なんじゃ、こりゃ?」と思ったものだけれど、いまや現代日本を代表する良心的知識人として存在感が大きいですな。昨夜、Sibelius (最近こればっかりだ!)ヴァイオリン協奏曲ニ短調〜フェラス(v)/カラヤン/ベルリン・フィル(1964年)を。(←相変わらずいい加減なコメントだ!)

交響曲ではカラヤンを全面賞賛できなくなっているけれど、これだけ例外でして、LP時代(中学生時代)からひたすら愛聴して刷り込みされた演奏。カラヤンのバックが濃すぎるけど、他の演奏では薄味に感じて仕方がない。(フリード(v)/カム/ヘルシンキ・フィル〜1987年も素敵な演奏だけれど、そう感じちゃう)駅売海賊盤CD、しかも1,000円で購入!をバカにするなかれ、1990年代初頭、LPをあきらめたワタシとしては(当時)それしか選択肢がなかったんです。

久々大残業してきました。壱年分の基礎資料をお客に送付しようと点検したらボロボロ〜手直ししていたら、あっ!という間に時は過ぎ去って、目はショボショボ。今月実績締めてみたらぎりぎり前年実績も予算もクリアで、文句なしの成績でした。ザマ見れ!ちゃんと真面目にやっているからだよ。明日、広島行き。

最近メールはケータイの時代で、Eメールは流行らないのかも知れないが、ちっとも届かなくなった・・・と思ったら、ここ数日続けざまにあちこちからいただいて、ありがたいものです。お仕事のメールは腐るほど届くが、プライヴェートな音楽絡みのお話は嬉しいものです。こんなことにも”波”があるのかな。寄せたり、引いたり。

2005年2月某日


良い天気なので、朝からご近所散歩。ワタシの居住区は閑静なる住宅街(マンションも多い)で、一部田圃も残ります。水路には魚が泳いでいる。空気が澄んでいる。岡山は平地が多くて土地は潤沢なんです。今村宮に参拝し、500mほど離れたBOOK・OFFへと歩くが、大きな道路にクルマは走るが、誰にも出会わないのは驚くべきことでしょう。途中、エラく駐車場の広いファミリーマート本日開店(その代わりコンビニはけっこうツブれている)有、この辺り特有の平屋のオフィス建物も空き家が多いから、景気はまだまだなんでしょう。

ご近所BOOK・OFFはめぼしい在庫CD買い占め済みだからロクなものなし・・・と思ったら、Bartok 弦楽四重奏曲全集二枚500円也で、エマーソン弦楽四重奏団(DG 1988年)発見。帰宅して即・・・聴かないで手持ちノヴァーク弦楽四重奏団(PHILIPS 1965年)を確認(半分のみ)しました。これは恐ろしい音楽ですね。けっこう回数は聴いている作品のはずだけれど、未だに親しい表情を見せてくださらない。

昨日の流れでBruckner 交響曲第3番ニ短調(第1稿)〜インバル/フランクフルト放響(1982年)を。発売時、Wagner引用のアダージョが衝撃的な話題を呼んだものだけれど、ここ最近は少々忘れ去られた感じですか。ザンデルリンク盤に比べると、弦の響きが金属的で、冷たい印象を与えるのは録音のせいでしょうか。非常に精密なアンサンブルだけれど。(第2楽章迄)

D CLASSICS HR704632ザンデルリンクはやはり独墺系音楽なのか、ということでBeethoven 交響曲第6/8番〜フィルハーモニア管弦楽団(1981年)を7年ぶり(岡山に越して初めてか)に確認。

引きずるような後倒しのリズム。やがて聴き手が根負けして、まるで鈍行列車で田舎の景色を眺めているような音楽の流れに慣れて、ついにはフィルハーモニア管の美しい木管のソロを心待ちにする心境に至ります。嵐の場面は意外とド迫力さが決まっていて、終楽章の感謝の気持ちが染み入るばかり。/第8番は、ザンデルリンクのリズムの重さが良好な方向に向かったもので、重厚で迫力ある重戦車のような勢いを堪能させてくれます。3楽章における、しみじみとした牧歌的な歌の魅力。(特に弦)
との感想だったが、意外や意外、どの旋律も説得力が深く「田園」に感動したのはここ数年久しいという驚くべき濃厚な味わい。「低音の腰がない、音に潤いを欠く、残響に深みがない。オフ・マイクというんでしょうか、遠くから頼りない音」と散々だった録音評価も、ジミで少々粗野な響きがけっして不快ではない・・・

2005年2月某日


昨夜、新幹線中、東京から岡山までずっと一緒だった隣の若い男が、顔を真っ赤にして時に咳き込み、ほとんど席に沈み込むよう・・・インフルエンザじゃないのか?おいおい、隣席でウィルス撒き散らすなよな。今朝、あきらかにカタが凝って体調は少々怪しい感じ。どーせなら妙齢の女性のウィルスを・・・って、そんな問題じゃないか。気を付けないと。昨日の東京での会議は、北海道から来るはず(かつての上司というか先輩)が、入院して退院したばかりだから、ということで欠席。喘息だからね、インフルエンザにやられると即入院なんです。

サイト更新用原稿綱渡り状態で、執筆はずっとスランプ状態です。謙虚に感じたまま・・・ではなく、妙なスケベ根性がいつの間にやら、ということかもしれない。引き続き、カラヤン/イタリア放送トリノ管弦楽団でMozart 交響曲第35/40/41番(1942年)を。ハフナー交響曲はHistory40枚組でダブり(ちなみに1939年ベルリン・フィルとの「悲愴」も)だけれど、HDN 0017(7枚組)1,690円の処分だったので購入したもの。

速めのテンポはSP収録の都合ですか?それともフルトヴェングラーへの反発か、(後年に比べ)フレージングが清潔で若々しい演奏でした。(当たり前か)第40番ト短調が、けっこういろいろ細部をいじって、クセ者的演奏です。音質、オーケストラの技量ともはまぁまぁ。

マルチェロ・ヴィオッティ逝去。享年50歳とのこと。これからの人なのに・・・、もったいない。手持ちではMozart 「後宮からの誘拐」(抜粋。フランクフルト放響)、Paganini ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調〜マカロフ(v)/ザールブリュッケン放響のみ所有なので、協奏曲の方を聴いて個人的に追悼をしました。

熊谷徹「住まなきゃわからないドイツ」(新潮文庫)〜1997年出版の文庫化らしいが、ミュンヘン在住のフリージャーナリストのわかりやすい文書、そして楽しい(自らの)イラスト。ドイツには親密感も疎外感も反発もないが、音楽を聴く関係で、なんとなく地名とか雰囲気には馴染みを感じるし、日本人に似たところもあり、正反対のところもあり・・・でもさ、この厳格頑固非融通的なる国民性で国際社会の荒波を乗り切れるのか、ましてや旧東ドイツやら移民問題を抱えているでしょ?ま、日本のいい加減な状態(見よ、政府財政、地方財政の破綻。湯水の如くムダな浪費を続ける土建屋国家)から、なんとなく事態は混沌混迷混乱しつつも、それなりの幸せを感じられる日々・・・だからドイツだったらもっと大丈夫か。

風邪(それともインフルエンザ)かもしれないので、終日夫婦とも外出せず。とくにSibelius など集中的に聴いております。その絡みだけれど、ザンデルリンク/ベルリン響の全集(0002342CCC 16枚組より)にはどうも違和感有。この人は立派な指揮者だと思うが、先日書いたように最近聴いたものはどれも気に食わなくて(罰当たり者!だ)、いえいえ数年前に聴いたBeethoven にも相当苦労した記憶がありました。

ところが、Bruckner 交響曲第3番ニ短調(1889年版、だそうです)〜ゲヴァントハウス管弦楽団(1963年)はなんとも素晴らしい。余裕、間、呼吸、壮大なるスケール、奥の深い響きの爆発、そして絶好調時のゲヴァントハウスの無骨な響きがピタリ決まっていて、久々無条件幸福!第2楽章「アダージョ」に於ける弦のつぶやきは、なんという静謐な安寧に充ちたことか・・・

2005年2月某日


(在東京)一日経ってかなり冷静を取り戻した、というか、正直いうと上司赴任以来、お客との関係やら職場運営でもかなりハズしていて、やはり人柄だけで勝負!というのは高度成長時代じゃないからムリなんだな、と、つくづく思いますね。新年度はワタシの見込み間違いになって大成功!になることを祈るばかり。(個人的には、よりいっそう日常生活をエンジョイしましょう)

昨日、久々、机の上の混沌を整理して昼過ぎ早々に東京へ。その前、東京へ移動する優秀な若いやつと昼飯喰いながら、引継見込み打ち合わせ。なんせ次期体制が正式に出ていないから手が付けられない。新幹線移動中はMozart 「魔笛」〜カラヤン/ウィーン・フィル(1950年)一枚分=半分から。(台詞がないから2枚分)デルモータ(t)、ゼーフリート(s)、クンツ(br)、リップ(s)・・・オール・スターですな。

ウワサには聞いていたけれどモウレツにテンション高くて、語り口が抜群に上手い。オーケストラの響きがふくよかで若々しい推進力に充ちて、歌い手の表情が豊かだしこれは画像が欲しいくらいですね。音質抜群でして、QUADROMANIA盤ではわずかに音の広がりも付加されているようで聴きやすい。引き続き若き日のカラヤンを。

Wagner「マイスタージンガー」(「名歌手」と書いたら以前読者から叱られた)前奏曲、+「序曲」(あれ?これどの部分だっけ)〜ベルリン州立歌劇場管(1939年。Berlin STATE OPERA ORCHESTRA /プロイセン・シュターツカペレとは表記が違うが?)SP収録の都合か?速めのテンポというより、やや急いた、落ち着かないカタさを感じました。

続く「芸術家の生活」/「新世界」〜ベルリン・フィル(1940年)は、円舞曲の優美な雰囲気はともかく、交響曲の方は様子がよくわからない・・・眠っていたせいもあるかも。音の状態はあまりよろしくありません。やはり、ちゃんとした音質で音楽は聴きたいな、ということで・・・

Elgar 交響曲第2番 変ホ長調〜ダウンズ/BBCフィル(1993年)を。第1番に比べ、少々取っつきにくい印象はあったが、感情の起伏の少ない平穏なる旋律を聴いているとココロ安らぎます。マンチェスターのこのオーケストラも、ダウンズも雄弁さとはほど遠いジミな世界だけれど、諄々と黄昏の風情を楽しんでいるようで、これは大人の、そして男の音楽でした。

「展覧会の絵」〜ジュリーニ/シカゴ響(1976年)「マ・メール・ロワ」「スペイン狂詩曲」ロサンゼルス・フィル(1979年)「展覧会の絵」〜ジュリーニ/シカゴ響(1976年)「マ・メール・ロワ」「スペイン狂詩曲」〜ロサンゼルス・フィル(1979年)・・・う〜む、シカゴ響が滅茶苦茶上手い!トランペットはハーセスですか?完璧な音のコントロール、繊細で正確な表現。シカゴ響もジュリーニが振るとメカニカルにならず、まったりと柔らかい歌が生まれます。ロサンジェルス・フィルのほうはいっそう繊細で、静謐な世界だけれどメルヘンとは少々違うかも。

帰って参りました。しとしと寒い雨模様の岡山へ。来月も東京で会議だけれど、ホテルの「ご近所スポーツクラブ・サービス」(1,000円)を利用しようかな。いつまでも飲んだくれてばかりいられないし。帰りの新幹線では鈴木仁一「心身症のカルテ」(中公文庫)〜これは1980年代の本だけれど、情報的にはまったく旧くなっていませんね。例えば、胃の辺りの激しい痛みには心電図で心臓の異常を疑う、ということなど意外と知られていないんじゃないか。拒食症やら過食症(いまや男でも見られる)は、すっかり日常の話題になってしまって、日本がいっそうマズい時代へと突き進んだということですね。

Beethoven 交響曲第5/6番〜ノリントン/ロンドン・クラシカル・プレーヤーズ(1986-88年)を。なんせ5枚組全集2,000円ちょいですから。初めて聴き出すと・・・この演奏予想通り、というか記憶有。速めのテンポだけれど、カッコ良くない、スタイリッシュじゃない、颯爽としていない、素朴な楽器の響きにコクと味わいがあり、繰り返し実行も嬉しいが、ワタシはこの演奏は好きじゃない。「田園」は後半にいくほどしっくり馴染む、やさしい感触があります。

ライヴの宝庫・ERMITAGEで、ハープの名手ニカノル・サバレタの一枚を。Mozart フルートとハープのための協奏曲 ハ長調〜デボスト(fl)/フルネ/スイス・イタリア語放送管(1968年)は、作品が華やかだし、デボストのフルートがキラキラ輝かしくて夢のような演奏。Boieldieu ハープ協奏曲ハ長調〜ジャン・フランソワ・パイヤール室内管(1972年)の古雅でしっとりとした味わい、Ravel 序奏とアレグロ〜アツモン/スイス・イタリア語放送管(1968年)の妖しい旋律の官能・・・残りの小品(1970年)はアンコールに聞こえますね。

2005年2月某日


昨日、上司から次期体制の内密打診を受け、仕事量・貢献度の想像を絶する認識不足に愕然、まったくやる気を失いました。商売人としてはともかく、人柄とバランス感覚には優れているし、目端の利く部下はフォローに回ってあげないと、と一年間支えてきたつもりの上司だけれど、まさに”バカの壁”。現状(しかもヨロシからぬ)追認型の体制で、手抜き楽々チームは手厚く、少人数で先頭に稼いで苦労して実績連続延ばしているワタシのチーム(唯一予算達成。既に他チームの実績を抜いている)は手練れの若手を東京に抜かれた挙げ句、現状維持(タダでさえ不足なのに)体制とは・・・ちょっと自棄酒飲みました。

さて、気持ちを入れ替えないと。どーせ給料変わらないんだし、新年度の法外なる予算は絶対に行きそうもない目標だし(それでもいままで4年間は必死で努力してきたが)、今年はムリムリだったお仕事作業手順整理、付き合い酒も控えて(職場ではもう飲み友達は異動してしまった)健康管理とダイエットに励みましょう。休みもちゃんと取って、温泉行こう、っと。ま、お仕事干されたワケじゃないし。

さすがに音楽聴く意欲もなくなりましたね。それでもここ最近凝っているSibelius 交響曲第1番ホ短調〜ガラグリ/ドレスデン・フィル(1970年頃)を。ゆらさんが絶賛している演奏だけれど、一種荒涼とした味わいはともかく、オーケストラの響きがカタく、弦が薄い印象がある。でも、上記状況で楽しく集中できたわけではないので安易なコメントできません。「4つの伝説曲」〜レンミンカイネンとサーリの少女〜グローヴス/ロイヤル・リヴァプール・フィル(1974年 これはいただきものCD)は、数回聴いてようやく雰囲気わかってきたような・・・オーマンディのイメージ先入観あるんだろうな、もっとジミでくすんだ響きみたいなものが快感に。

本日夜から東京へ。予算作成終わりました。当面のお仕事スケジュール調整と、純粋諸作業調整数件、机の上お掃除(滅茶苦茶なんです)、昼から取引先内部会議参加(テンション上がらないからサボろうかな?)・・・とサラリーマンの日常は、本人の気持ちとは関係なく淡々と進んでいかざるを得ない。

2005年2月某日


松山にて商談〜クルマで帰って参りました。このメンバーでの出張もラストか、あと一回くらいかな。明日は少々詰めて作業しないといけないな。ちょっと頭痛するのは風邪か、それとも昨夜の焼酎が原因か。

帰宅してSibelius 交響曲第5番(2003年)第6番(2002年)〜コリン・デイヴィス/ロンドン交響楽団による話題のライヴを。某外資系のショップ・サイトでは激賞だったけど、果たしてそうでしょうか。録音が不鮮明、というか、バービカン・ホールってこんなどんよりした響きなんでしょうか。録音だけの問題かな?安易な結論は避けて、もっと聴き込まないと。

2005年2月某日


さて(寒いが)良い天気で新たな一週間・・・だけれど、少々ハードな予定だし、今月の営業数値も気になります。今夜から松山入りだけれど、宿題が溜まりまくっている。内外諸会議連続攻撃で東京も行かなくっちゃいけないし、その提出資料にも手が着いていない。(それがサラリーマンでっせ)

Mozart ピアノ協奏曲第21番ハ長調〜カサドシュ(p)/セル/クリーヴランド管(1961年)は、ココロ弾む清明な世界です。文句なく引き締まったオーケストラの集中力、軽快、粋で素直(薄味?)なピアノ。協和発酵の景品だったらしいCD(中古@250で購入 海賊盤でしょ?Coniel KY-9110)でして、Mozart ピアノ協奏曲第20番ニ短調(ブレンデル/マリナー/アカデミー 1973年)が組み合わされ、自信に溢れ、充実した表現が聴かれます。特異な個性とは思えないのに妙に感じるところがあるのは、LP時代の愛聴盤だったせいでしょう。

松山で遅い食事でちょっと飲んだところ。大阪・寝屋川市中央小学校で17歳の少年が三人殺傷事件発生。ワタシが長く暮らした街であり、よく知った場所(ご近所)です。ショックです。ニュースに登場する父兄の河内弁が懐かしい。この国はどうなっているのか。

2005年2月某日


昨日は念願だった「口腔洗浄機」を購入。展示されているなかでは一番高いやつ(BRAWN)を買いました。女房は感激していたけれど、ワタシは日常歯磨きが趣味(自宅ではやはりBRAWN)できちんと磨けているせいか、それほどでもないか、と。ご近所ディスカウント・スーパーで土佐文旦が安かったので北海道の実家に送付。送料の方が高いくらい。

Sibelius 交響曲第4番イ短調は、もうこの際!ということで、再度ヤルヴィ盤を確認し(聴き込んでいくと、オーケストラのアラが少しずつ見えてくる)、アブラヴァネル盤(これは予想以上に清涼なアンサンブルが悪くない。録音年詳細不明1975-1977年頃?)更に今朝、ザンデルリンク/ベルリン響(1977年)を確認しました。これだけ聴けば音楽の姿は見えてくるもんです。しかも、厭きない。

ザンデルリンクは数年前16枚組ボックス(EDEL 0002342CCC)を購入したが、立派過ぎでどれも同じ演奏の質に思えちゃう。つまり、Sibelius もBrucknerもMahler もBorodinShostakovichだって、立派で勇壮でほの暗く重く、独逸的粘着質を感じちゃう。作品によってはピタリ!状態だけれど、さすがに北欧の珠玉・Sibelius にはどんより曇り空が低くて憂鬱でした。

BBSには明らかに波があって、ここ最近とんと書き込み低調です。アクセス数とは関係ないんだけど、書き込みにくい、敷居の高い印象でもあるんだろうか。サイトに雑文掲載したけど、中身ないよね、全然。少々前に書き溜めていたものだけど、ほんまツマらない。反省します。もう遅いけど。サイト開設初期に比べると、メールもずいぶんと減りました。(気のせいか)

YedangClassics YCC-0068Sarasate 「カルメン幻想曲」(1972年)/WIENIAWSKY「モスクワの想い出」(1988年)〜ヴィクトール・ピカイゼン(v)で。これはもの凄い超絶テクニックでして、しかもコクがあって、味わいが適度に濃厚で「ロボット的技巧」じゃないんです。たしか昨年も来日していたような・・・他の古典的な演奏も拝聴したいものですな。このCDはへんなコンピレーション(YedangClassicsには、けっこうある)でして、組み合わせ収録はBrahms ハンガリー舞曲集12曲(中途半端だ!)〜キタエンコ/モスクワ・フィルハーモニック(1982年)。

悪くない味だけれど、中途半端な浪漫性というか余裕というか、欧州の田舎風演奏です。これだったら硬派露西亜風爆発風でいって欲しかった。云々騒ぐような作品でもないが。3連休ボンヤリして明日より、ハード・ウィークです。風邪はひいておりません。

2005年2月某日


昨夜は(最近、駅前地下店で昼定食に凝っている)「ちゃんこ江戸沢」へ女房と。昼の「ちゃんこ定食」(680円)の感激に及ばないんだなぁ。この時期、鍋物は温かくてありがたいが。肩が凝っているのは運動不足だけではないみたいだし。

ここ数日のSibelius 交響曲第4番イ短調で、もうずいぶん以前から馴染んでいるはずの作品が”難解やなぁ”と、つくづく再認識しております。晦渋で疎遠で・・・ではなく、もっと深い魅力を理解できるようにならないと、と言う自戒です。ロジェストヴェンスキー/モスクワ放響(1971年)の明快(過ぎ!)なわかりやすさ、カラヤン/ベルリン・フィル(1965年)のオーケストラの上手さ、雰囲気重視(昔聴いたほどに感激が沸き上がらない?)、カラヤン/フィルハーモニア管(1953年)は清涼な明快さがあって後年とずいぶん味わいが異なる・・・

こうして音楽への理解が深まっていくのか。先日購入したヤルヴィ/エーテボリ響のSibelius シリーズ・ラストは「クッレルヴォ交響曲」(1985年)を。交響曲というのは俗称らしくて、ソプラノ、バリトン、合唱と管弦楽のための交響詩集(作品7)というのが正式名称だと思います。フィンランドの民族的叙事詩「カレワラ」中に含まれる「クッレルヴォ」が、天涯孤独の彷徨の中で女性に出会うがそれは妹であって自殺してしまう、という悲劇・・・らしいです。(Mahler で言えば「嘆きの歌」に相当する?)演奏機会の少ない作品。

ま、70分に及ぶ大曲ですし、慣れですな、これ。唯一手許にあるプヌーラ/トゥルク・フィル盤(1996年)より、テンポやや速め、表情濃厚でわかりやすい演奏と感じました。プヌーラ盤の清涼な味わいと甲乙付けがたいか。もっと真面目に集中しないと・・・と、ここまで書いた時点で「唯一手許」というのはウソで、サラステ/フィンランド放響(1996年)が棚から出て参りました。(未聴)

2005年2月某日


なんとなく咽が痛い。早朝目覚めて、朝食+朝刊熟読+Sibelius 交響曲第5番 変ホ長調〜ヤルヴィ/エーテボリ響(1982年。最初の録音ですか?)を。BISレーベルとしては、ヴァンスカ/ラハティ響の新録音(未聴)が出ているから現役ではないが、眠らせておくにはもったいないですよ。ちょっと粗削りでローカルな味わい、やる気もあって前向きな大爆発!が好ましい。技巧・アンサンブルが洗練されているだけで、Sibelius の本質を明らかにするものではない。

昨夜のルイ・ド・フロマン/ルクセンブルグ放送管のDebussy管弦楽作品(1972年)を2枚分残りラストまで。この収録分は聴き比べをしたことが(ほぼ)ないので、こんなもんか、と少々頼りない雰囲気(薄っぺらくて、リズムが時にユルい)を楽しんでおります。交響的組曲「春」などたいへんな名曲でしょ?フルート、オーボエ(細く頼りない)、ピアノ、ソロ・ヴァイオリンもエエ感じの遣る瀬なさ。淡彩な弦も作品に似合っておりました。そして華やかに曲を閉じる・・・Ravel に比べてDebussyはあまり聴いていないよな、と反省しきり。

サイト定例更新して、このまま休日をまったり遣り過ごすと、そのまま風邪で寝込んで・・・という可能性もあるので、思い切って午前中からスポーツ・クラブへ。いつもの自転車45分+ステア・マスター(昇降機)20分。次回はいよいよエアロ・ビクス復帰を目指しましょう。マシンの便利さは読書が可能なことでして、「エッセイで楽しむ日本の歴史(上)」(文芸春秋編)を途中まで。「縄文人のウンコの化石」(岩田一平)を読んでいて「!」発見有。

千浦美智子さんがこの研究の嚆矢だったそうで、なんとなく読み進めていくと「1981年34歳ガンで亡くなった」と有〜数日前に読んだ、日野原重明「死をどう生きたか〜私の心に残る人々」(中公新書)の「35歳で亡くなったミッチ千浦」その人のことでしたね。偶然の出会いだけれど、感慨深い。難解なSibelius 交響曲第4番イ短調〜ヤルヴィ/エーテボリ響(1984年)再びトライ。

内省的、ジミで暗くてメリハリのない旋律〜聴き馴染むと、幻想的かつ絶望的な味わいが病み付きになる・・・人もいるらしいが。聴き手に集中力を強いる作品であります。ワタシはアンサンブルに対する評価が甘いせいか、前年、前々年録音時より深化した緊張感の高い、凝縮したサウンドを堪能しました。ジミな木管も寒々しい味わいがあってよろしいし、低弦の迫力も充分。鉄琴ですか?氷の輝きを表現しているようで、キラキラ。他の演奏も確認しなくちゃ。(作品的には「カンツォネッタ」が始まるとほっとしちゃう)

2005年2月某日


日本辛勝!俊輔と高原が出てきて、流れというか様子が全然変わりましたね。楽しませていただきました。会場の混乱もなかったみたいで(あたりまえだ)少々日朝両国関係改善緩和に役立ったか、とも期待したい。

先日聴いた、Grofe「グランド・キャニオン」〜バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(1963年)がとても(なんというか、賑々しい雰囲気が)良かったので、エリック・カンゼル/シンシナティ・ポップス管弦楽団(1985年)を。「1812年」の衝撃的録音で一躍名を馳せ、レコード(CD)も売れたと思うが、この人の演奏はまったくツマらない。ナマだと印象違うのかな?生気がなくて大人しい、いくら優秀録音でもこんなんじゃお話しになりませんな。Gershwin「キャットフィッシュ・ロウ(なまず横町)」組曲(「ポーギーとベス」より)は、ピアノ・ソロ(ウィリアム・トゥリット)が延々と入る版(1983年録音)だけれど、これも同様。少々重くて立派すぎる演奏だったが、スタインバーグ/ピッツバーグ響の美しさに及ばないし、コステラネッツ盤(一部だけれど)の楽しさに比ぶべきもない。

Sibelius 交響曲第4番イ短調〜ヤルヴィ/エーテボリ響(1984年)は、正直なところ集中できておりません。ちょっとジミな作品だし、朝の忙しい時間には相応しくなさそうな作品なので、時を改めて聴きましょう。交響詩「大洋の女神」は、まったく素晴らしい。壮大で爽快!録音はこの一年前のものとはずいぶん改善されております。このCDは(p)1985となっていて、ナント20年前!表紙には「WARNINNG」と・・・つまりCDの正しい使い方、聴き方を確認しなさい!と。時代ですな。なんせCD一枚3,600円の時代ですから。(BIS CD-263)

お仕事意向が中途半端になっている現状が、お仕事姿勢に反映してか、お取引先との会議でやや理想論(っぽい)要望をされて精神的に少々ヘコむというか、ちょっと反省しましたね。そのあと、(別途)酒席に誘われたが心身共にテンション下がって調子悪い(風邪か?)ので辞去しました。明日休日出勤しようかとも思ったが、どうもやる気が出ない。

ライヴドアの株取得に対するフジテレビの反応が気に食わない。ライヴドアの商行為が正鵠を射たものかどうか別として、端っからの拒否反応は、昨年の某大球団オーナーの姿勢を彷彿とさせて不快です。なんという内向きの視野の狭さ、いや、そもそもなにも見ようともしない頑なな姿勢。

山尾さんのブログで、ルイ・ド・フロマン/ルクセンブルグ(リュクサンブールと読むべきか)放送管のDebussy管弦楽作品(QUADROMANIA4枚組)の件が触れられております。(VOX音源だけれどライセンス的には少々怪しいらしいが)VOXフリークのワタシとしては、ワリと知名度の低い作品を収録したオリジナル2枚組(CDX5053)を所有しておりました。

うんうん、そのヘロさがタマらないね、と共感。「ピアノと管弦楽のための幻想曲」(ドース(p))「サキソフォーンと管弦楽のための狂詩曲」(ロンデクス(sax))「クラリネットと管弦楽のための狂詩曲」(ダンゲイン(cl))など協奏的作品が珍しいと思うんです。でもワタシのお目当ては「レントより遅く」でして、ツラトニコヴァ(読み方いい加減)のツィンバロンが得も言われぬくらい官能的。

2005年2月某日


メールをいただき
「BBCコンサート管ですが、BBC交響楽団とは別の組織で、1952年の設立です。いわゆるボストンポップスとかシンシナチポップスとは違います。現在の音楽監督はバリー・ワーズワース、過去の指揮者にはマッケラスなども名を連ねていますよ。
パリフィルはレイボヴィッツが組織したオーケストラと聞いております。常設のオーケストラだったのかどうかなど、詳しいことはわかりません。グローブやベイカーズをあたってみましたが、なんの情報もなし」
とのこと。ありがとうございました。

手持ち音源には(中古含め)怪しげなものが多いので、ネットで状況(現役かどうか、など)検索も楽しいものです。演奏内容に対するコメントは意外に少ないもの(けっこう有名録音でも)でして、乱暴に☆の数のみ付けられているのは微苦笑ものだけれど、ワタシの聴感とはかなり印象がズレていることに感心したりすることもありますね。意見がいろいろ異なることは民主主義の基本だし、「そうだったかな?」と再度音楽に集中するキッカケとなってありがたい。

昨日のヤルヴィ/エーテボリ響のSibelius は現役だっけ?と検索していたら、関連記事でベルグルンド/ヘルシンキ・フィルへのコメントが「地元演奏にありがちの、さっぱりとした面白みのないもの」というコメントを発見して「?」状態。更に「サラステ/フィンランド放響の録音が出てきて影が薄くなった」とも。で、押っ取り刀(取るものも取りあえず、あわてて駆けつけるさま。刀を腰に差す暇も なく、手に持ったままであることの意)で、交響曲第1番ホ短調(1986年)を確認しました。

オーケストラは淡彩であり、響きの芯にやや不足を感じないでもないが、入魂(最終楽章のティンパニを聴け!)の演奏だと思います。刻々と変化する表情、自然体のテンポの揺れも効果的であり感動的。ましてやサラステ盤とは一律に比べられない個性があると思います。(いずれ冷涼な爽やかさはあるが)これはSibelius に対する「期待」が違うんだろうな。例えば(手持ちでいえば)ヤンソンス/オスロ・フィル(第2/3/5番 1992/4年)とか、カラヤン/ベルリン・フィル(第1/4/5/6番 1981/76/80年)に見られる、機能的でオーケストラの威力が大爆発するようなものが理想なんだろうか。ワタシは大勘違い演奏と思ったが。

昨日購入の@500CDから、Beethoven 交響曲第5番ハ短調〜ミュンシュ/ボストン響(1955年ちゃんとしたステレオ録音です)を。LP以来10年以上ぶりの再聴か。これもネット検索で情報を仕入れたらSACD(XRCD?よくワカラン)化されているんですね。「最速!」とか「快速」などというコメントが付いているが、問題は体感上でして、たんなる物理的スピード云々ではないでしょ。聴き始めたらかつての記憶が蘇ってきて、スポーティでこだわりがない、というか、ネアカな味わいがあって「迫り来る悲劇的”運命”」方面ではない。

フレージングとか、旋律末尾がさっぱりしていて妙に爽やか系「運命」に聞こえます。数日前に確認したライナー盤の凝縮したノリ(しかも重い)とは、同じスピード系とは評価できない。「レオノーレ第3番」は初耳、「未完成」はこれからじっくり聴きましょう。(RCA GD86803)本日は山口へ日帰り出張。

昨日、出先で気になるトラブルが発生していて(ケータイでいい加減な指示でゴマ化していたし)少々気にはなっていたけれど、出勤してみたら(その通り)解決しておりました。朝、小一時間くらい机仕事をこなしてそのまま山口へ。岡山駅で一週間後の新幹線の切符を手配していたら狙いの”のぞみ”に乗り遅れてしまって、次の便は広島乗り換え。お客様の内部会議対応でして、職場のほかの連中はいやがるがワタシは得意のお仕事でした。

和気藹々とした雰囲気のウチに役目を終えるが、帰りの便の都合が悪くて”こだま”→”のぞみ”と乗り継ぎ。(行きと同じ)お陰様でたくさん音楽聴けましたよ。Mahler 交響曲第5番嬰ハ短調〜マッケラス/ロイヤル・リヴァプール・フィル(1990年)を。数回拝聴していてピン!と来なかったのがウソのように、緻密・冷静で細部までよく描き込まれた表現に感銘します。よく馴染んだ好みの作品だけれど、例えば今まで気付かなかった打楽器の細かい色づけやら、ヴィオラのパートが聞こえてきて、新鮮。音質極上。

Wieniawskiヴァイオリン協奏曲第1/2番+「ファウスト」幻想曲〜ビゼンガリエフ(v)/ヴィト/ポーランド国立放送交響楽団(1995年)は、達者な技巧の切れに文句ない力量のソロだけれど、バックのオーケストラと録音がカタく、金属的に響いて楽しめません。もしかしたら、ポータブルCDプレーヤーのヘッドホンと相性悪いのかも。昨日来楽しんでいるヤルヴィ/エーテボリ響のSibelius は交響曲第6番/「ペレアスとメリサンド」(1983年。余裕を持った収録だ)へ。

ワタシは「銀河鉄道交響曲」という愛称がお気に入りだけれど、夢を載せ天空を翔る幻想的列車を彷彿とさせます。颯爽とスピードに乗ってカッコ良い。昨日聴いた第1/2番より、作品的に似合っているのかな?Sibelius 交響曲中、第7番が一番のお気に入りだけれど、第6番にこれほど感銘を受けるとは・・・新たな演奏との出会いで新しい目覚めと発見がある。

日野原重明「死をどう生きたか〜私の心に残る人々」(中公新書)は、現在尚長寿を誇る著名医師が出会った、患者たちの立派な逝き方を綴った少々重苦しい本です。そのBGMにBach 無伴奏チェロ組曲第2/3/5番を聴いちゃったから、もういけない。ポール・トルトゥリエの1962年録音。

雄弁で重苦しく、朗々と浪漫的で立派過ぎ。しかも濃厚。巨大。その技巧、説得力に比類はないが、暗鬱な気分に陥ります。もうあまり聴きたくはない音楽。もっと軽快に、踊り出すようなリズムで演って下さらないものか。(以上帰りの新幹線内で執筆)

さて早々に帰宅して、サッカーを見ないと。なにかと北朝鮮の政治的側面ばかり気になるが、日本で生まれ育った在日代表選手の暖かい家庭の様子などが報道され、拉致問題、人権抑圧強圧政治やら逼迫する食糧事情はともかく・・・スポーツはスポーツとして存分に楽しみましょう。

2005年2月某日


昨日は作業予定の50%ほどでさっさとお仕事終了。実績的に2月進捗はそうとうに厳しくて、最終的に辻褄が合うかビミョーなところ。来週に掛けて予算作成作業(作業膨大)締め切りが来るが、次期体制のメドが立たずにどうもお仕事意欲が高まりません。

昨夜来、Respighi「ローマの噴水」「ローマの松」〜アンセルメ/スイス・ロマンド管(1963年)ばかり何度も聴いて、数ヶ月に渡るサイト原稿(行ったり来たり、消したり書き足したり)してます。悩んでいるんじゃなくて、これが楽しみというもんなんでしょう。「展覧会の絵」も同様だけれど、ワタシはこのコンビが作り出す、曖昧なる味というか、粋が大好きなんです。バティス盤もちょっと聴いてみた(「アッピア街道の松」)が、爆演系演奏は弱り気味のワタシにはツラいものがありました。

やや体調が怪しい。肩も(珍しく)凝っている、ということでお取引先から直接、さっさと帰宅しました。(そのために午前中、集中した作業消化)なんとか風邪だけは避けたいな。お客様の現場に寄ったついでにBOOK・OFFにて、とうとうガマンできずに@500CD購入。先日、地元音楽ファン同士の話題でじつは同じものを狙っていた!という対抗意識か、ついにヤルヴィ/エーテボリ響のSibelius 交響曲集を数枚・・・1982〜1985年頃の録音で、当時の標準小売価格ナント3,600円!当時話題にだった録音だけれど、最近見ませんね。(現役じゃ売っていないですよね)

さっそく第2/1番(1983/82年)から確認。やや粗野で力感溢れる演奏に最初は面食らいながら、やがて荒涼たる土臭い情熱に魅了されます。そういえば最近、清涼なるSibelius ばかり聴いていたかな?エーテボリ響は技術的に洗練されていないが、一種特有の自信と勢い(金管大爆発)みたいなものがあちこち横溢していて、個性的な魅力に昇華しております。録音はオーディオ環境を選びそうな、クセのあるもの。第1番は、肌理粗いが自然な奥行きがあり、第2番はオン・マイクで響きが荒れます。(同じ録音会場なのに)

でも、なんか久々”手応えある、本音のSibelius を聴いた”といった満足感有。

2005年2月某日


寒さはピークの2月進行中。今週は金曜祝日(おそらくもうじき休みじゃなくなる)だし、出張は途中で山口一発半日だけだから、机仕事は集中して消化したいもの。

メールをいただいた関係で、Copland「アパラチアの春」〜スタインバーグ/ピッツバーグ響(COMMAND/MCA 録音年不明)を。素朴な宗教的慰安と日々の生活に感謝、風作品だけれど、おそらく10年ぶりに聴いた演奏は安寧に充ちて、演奏も録音も極上に美しい。ついでにGershwin「ポーギーとベス」組曲も聴いたけれど、天才的なメロディの鮮烈さと、厚みのあるオーケストラの響きがゴージャスで、先日来購入を逡巡している歌劇全曲盤(NAXOS)がどうしても欲しいな、と思わせる魅力横溢!でした。

今朝、Bach 「フーガの技法」〜シェルヘン/ウィーン交響楽団/ウィーン放送管のメンバー(1965年)の「コントラプンクトゥス第7番」(つまり途中)迄。「オーケストラが弱い」とのコメントをどこかのサイトで拝見したような記憶があったが、そうだろうか?バロック音楽、などという範疇分けを超えて、抽象的理論的作品を「美しい」と思える不思議さを、理詰め、クールに表現してくださって楽しめました。

2005年2月某日


昨夜深夜迄「E.R.」を久々。ちょっと異色の回だったね。もっぱら医師・看護師の内輪心理葛藤劇みたい。きょうはスポーツ・クラブへ行くぞ。ご近所散歩だとすぐ帰って来ちゃうんです。気分転換にはそれでも良いが。

ワタシはBeeやん苦手系人間だけれど、ここ最近「聴ける」のは(前向きな)精神状況故か。おそらくココロの底には「今更、そんな有名作品ばかり聴けるか」みたいな不遜で鼻持ちならない思想が根底にあるのだろうが、あまり(日本では)人気がない、知名度が低い作品を散々聴いて、更にHaydnの良い演奏に触れるとBeethoven (とくに交響曲)が楽しい、と感じられるように。もちろん、体調の維持、ココロの問題もあります。彼の作品がしっくり胸に落ちるようであれば、たいていの音楽は聴けます。

で、交響曲第3(1957年)/8番(1960年)〜モントゥー/ウィーン・フィルを。彼のほぼ全集(英DECCA)を(もちろん中古格安で)探しているが、第1/2/4/7番がみつからない。国内盤が出なかった(はずだ)からか?CDは(自サイト検索すると)昨年2004年に購入しているみたい。この「英雄」は録音が異様に悪くて、国内盤故の原盤状況問題なのかオリジナル収録問題なのかは不明。演奏はオーソドックス穏健、豊かでバランス感覚溢れたものでしょう。繰り返し実行していないのと、ウィーン・フィルが美しく響かないのは残念。(第1楽章コーダはワインガルトナー版〜トランペットを途中欠落させない〜とのことだけれど、よくわからない)コンセルトヘボウ盤(1962年)購入の機会を伺いたい。*後述/国内盤CDは全部出たことがあるそうです(メール情報)

第8番ヘ長調の優雅で粋な味わいは文句なし。(そういえば北ドイツ放響との第2/4番が手許にあった)

行って来ましたコナミ・スポーツクラブ。恥ずかしながら今年初めて、というか、もうほとんどご無沙汰状態だから、エアロ・ビクスはご遠慮して自転車40分、ステア・マスター(昇降機器)15分(30分予定が途中断念)。なんせ左膝靱帯が一本切れっぱなしで、ほんまは定期的に動かしていないと固まって痛むんです。それなりに歩く機会はないではないから、左膝をかばって(逆に)右膝に負担が掛かって傷める可能性もあります。

いやぁ、シャワーも浴びてキモチ良いね。法人契約で一回650円+駐車料金350円=千円のリーズナブル価格。数年前には毎週行っていたんだけどね。もっと健康を意識しないとね。移動中の音楽はUnico Wilhelm van Wassenaer (1692-1766。ヴァッセナールって読むのか)コンチェルト・アルモニコ〜ロス・ポープル/ロンドン・フェスティヴァル管(1995年)を。Pegolesiの作品だとか以前言われていた作品でして、ワタシはLP時代からお気に入りでした。憶なし)

アンサンブルとしてけっして悪くないんだけれど、やや浪漫風しっとり甘い演奏でもなく、古楽器系溌剌素朴系でもなく、もっと作品の真価を引き出すワザがあるでしょうが・・・と。録音は上々でした。

玉村豊男「有悠無憂(ゆとりあればうれいなし)」(中公文庫)読了。1996年の発売だから、バブルもハジけ気味の頃だけれど少々違和感有。ワタシはこの人の著作をずいぶん読んだ(仏蘭西ものとか)し、その後の田舎暮らしのライフ・スタイルにも共感があるけれど、例えば「すすんで廃業しない限り一生そこでメシが食える相撲界に似ている」とか「自分がサボれば誰かがやってくれるサラリーマンとは違うのである」云々。

相撲界でほんまにメシが食えるのはほんの一部の人だし、この大不況でのサラリーマンのお仕事はそんなに甘くはない。ワタシは21世紀の現役サラリーマンだけれど「誰かがやってくれる」なんてことはありえない。(すすんで辞めれば、誰かが代わりになることは間違いないが)これも時代かな?それと玉村さん、けっこうあちこちカラダが悪いんだな、気を付けながら上手に生きていることには学ばないと。

2005年2月某日


終日、おとなしく職場で机仕事。狙ったことの65%くらい消化かな?職場ではインフルエンザが猛威を振るっているらしくて、ワタシが出張中数人がダウン。気を付けないと。またまた取引先の親しい人のお父さんが亡くなったり・・・で、そういう世代なんだなぁ。東京へ異動が決まった二人と、ちょっとだけ飲みました。第1回目のお別れ会か。

昨日コメントのアシュリー・ローレンス/BBCコンサート管による「ブリッグの定期市」の件。一般にDeliusの「(副題)イギリス狂詩曲」が有名だけれど、その前にGraingerがテナー(ここではガース・ロバーツ)と合唱団(BBCシンガーズ)との美しい作品に仕上げております。(その両曲を配慮ある収録)元々は彼が録音・採譜した英国リンカーンシャー州の民謡らしい。例示が安易だけれど、「グリーンスリーヴスの雰囲気」と思っていただければ、そう違和感はない。(その道の専門の方には叱られそうなコメントか。この2曲が1974年のライヴ)

BBCコンサート管って、BBC響の別部隊ですか?例えば少々ポップな音楽を演ったりとか・・・残りDeliusの4作品(1974年スタジオ録音)は、少々細部アンサンブルの緻密さが足りないような気もするが、淡彩で素直な演奏だと思います。今朝、Glazunov バレエ組曲「ライモンダ」/ScriabinE 「法悦の詩」(これは名訳邦題だ!)〜ロザンタール/パリ・フィルハーモニー(1952年)を。

パリ・フィルって、昔そんな団体あったのか。アンゲルブレシュトとかレイボヴィッツとか、アルベールの録音を見掛けたことがあります。ワタシはDebussy/Ravel の録音に痺れて以来の彼の大ファンでして、ここでも粋で華やか、上品な味わいが誠に楽しい。心配された音の状態は想像より上で助かりました。

(昨日の)ベルティーニ/ケルン放響のMahler 交響曲の件だけれど、第1〜5番はCDで簡単に手に入りました。問題はそれ以降の作品(入手困難。契約問題か?)でして、久々MD(この媒体も中途半端な運命になるかな?)を取り出してエア・チェック音源の確認。「大地の歌」(1991年11月16日サントリー・ホール。ヘブナー(t)パヴシェク(a))、第8番変ホ長調(1991年11月13日サントリー・ホール。南ドイツ合唱団/プラハ・フィル合唱団/東京少年少女合唱隊/ヴァラディ、ヘガンダー、ベヌーティ(s)クイヴァー、ハウルズ(a)フライ(t)タイタス(br)フォーゲル(b))、さらに第10番「アダージョ」(1991年11月16日サントリー・ホール。これは「大地の歌」と同一演奏会か)が残っておりました。

「大地の歌」は、一昨日聴いた第3番と同様、研ぎ澄まされたアンサンブルと、ひんやりとした集中力が恐るべき完成度!録音状態も上々でした。

女房も休みで外は寒いし・・・で、家で終日ゴロゴロ。さすがにこれではいかん!ということで(いつもの)BOOK・OFFへ行ってきました。(明日こそスポーツ・クラブだ)楽しそうな文庫本を5冊ほど購入。早速、黒岩重吾「古代史の真相」(PHP文庫)を読み始めるが、途中居眠りによる度々の中断ありながら極上の知的刺激を堪能。空白の5世紀情勢を朝鮮半島情勢から読み解く分析、謎の巨大豪族「物部氏」の正体、古代出雲王国の実体・・・いやぁ、ドキドキしまっせ。

CDの出物はないが、じつは2ヶ月ほど見守っている二枚組がありまして、とうとう(根負けして)購入。Beethoven 交響曲第5(1955年)/7(1959年)/9番(1961年)+「フィデリオ」序曲(1955年)、コリオラン序曲(1959年)〜ライナー/シカゴ響(950円税込)。第5番はダブり買いなんですよ。でも、最初の「フィデリオ」が始まった途端、これはかつてない集中力と激しさを感じさせて圧倒されます。第5番のノリノリのリズム感、第7番の集中力と余裕のオーケストラの技量、第九の大見得を切るようなテンポのわずかな揺れ・・・(途中までしか聴いていないが)

この時期のアメリカって、ほんま黄金時代ですよね。セル/クリーヴランド管、ミュンシュ/ボストン響、オーマンディ/フィラデルフィア管、そしてバーンスタイン/ニューヨーク・フィル。日本じゃ人気ないみたいだけれど、スタインバーグ/ピッツバーグ響なんかも1960年前後の録音が多いと思います。ああ、ポール・パレー/デトロイト響を忘れていたな。

2005年2月某日


寒いなぁ、空気乾燥ホテルで咽をやられることが多いけれど、今年はなんとか大丈夫。今朝、サイト定例更新したけど、在庫が尽きて自転車(更新)操業状態で、週末の休みになんとかしないと。想像するだにオソろしい量の宿題が溜まっている(はず)の職場出勤は気が重いっす。

今朝、聴いているのはMahler 交響曲第3番ニ短調(第1/2/3楽章)〜ベルティーニ/ケルン放響(1985年ライヴ)。EMIから第1〜5番迄の5枚組が出ているのに、第6〜10番/大地の歌がいつまでも(再)発売されない(数曲分FMエアチェックで録ってはあるが)という不思議なセットから。ひんやりとして、鋭利な集中力を誇るアンサンブルはまったく素晴らしい。昨日、移動中にラストまで聴き通したハイティンク/コンセルトヘボウ盤(1983年)の豊饒なる暖かい世界とは方向が異なる魅力に溢れ、センスとしては非常に現代的か。

「ルネッサンス・スペインの音楽」〜デヴィッド・マンロウ/ロンドン古楽コンソート(EMI TOCE-6198 録音情報不明 @250)を早速確認。詳細な解説がありがたい(が、あまり理解できない)が、こんなCDまず売れんでしょうなぁ。ここ数年、毎年「岡山ポリフォニー・アンサンブル」を聴きに行っているが、小編成の器楽作品とか、ソロ声楽を含む、こじんまりとした作品を取り上げて下さることがあります。あの雰囲気に似てますね。(説明になっていないか)ノンビリ、静謐、闊達として、素朴で楽しい。惜しい人を早くに亡くしました。(1976年事故死だったとのこと。31歳)

Brahms 交響曲第4番ホ短調/ハイドン変奏曲〜ケンペ/ミュヘン・フィル(1974年)。アツい演奏だ。オーケストラの響きがやや薄い(特に弦。録音かマスタリングのせいもあると思うが)が、ムリのない姿勢と誠実に良く歌う表現がマッチして、ほぼ(ワタシが求めている)理想的な世界が実現していると感じました。”泣き”でも”悲劇”でも”悲惨”でもない、端正なる情熱です。

Delius管弦楽曲集〜アシュリー・ローレンス/BBCコンサート管(1974年)CRCB-6038Bruckner 交響曲第4番 変ホ長調〜ケルテス/ロンドン交響楽団(1964年ライヴ)・・・これは、ノリノリの勢いが評価高い録音のはずです。ライヴだから細部アンサンブルが甘いのはともかく、旋律の息が浅いように聞こえてワタシ個人的には今一歩!的評価。好きな人はいるだろうな。どうも落ち着かない。Grainger「ブリッグスの定期市」(テナーをソロに、無伴奏合唱がバックに付く、美しい作品。ほんの4分弱)+Delius「ブリッグスの定期市」「イルメリン前奏曲」「ノルウェイ組曲」「夏の庭園にて」「ダンス・ラプソディ第2番」〜アシュリー・ローレンス/BBCコンサート管(1974年)の件は、執筆時間切れで・・・そろそろ出勤しましょう。

2005年2月某日


二泊三日の出張はキツい。今回、初めてのホテルを(いつもインターネットで)取ってみたけれど、やや老朽化しているとはいえ水回りの施設は交換され清潔だし、ネット通信、ウォシュレット、朝食付き、しかも価格格安。唯一、空調がうるさい(これも新調されているが)のは、この寒さ故ですか?窓のサッシから少々寒風吹き漏れるのも閉口。でも、全体としてこれだったらOKですね。

移動時間が長いので、音楽聴きながら半分眠ったり、パソコン雑誌を拾い読みしたり、本を読んだり。上野正彦「死体検死医」(角川文庫)・・・法医学もの、医療ものはほぼ(文庫で出たものは)読み尽くしているはずだけれど、これはまだだったな。上野さんは「生きている人は診たことはない」という検死の専門医で、既に引退されているので報道などから類推される筋道はお見事。入野忠芳「拝啓、患者サマザマ」(中公新書ラクレ)・・・2003年の発行だからまだ現役書籍でしょう。

有名な大阪のお医者さんだけど、船医という経歴も異色だし、なんせ文書が平易で大阪人らしいユーモアに溢れた市井の逸話が抜群に楽しく、肩が凝らない。'90年版ベスト・エッセイ集「チェロと旅」(日本エッセイスト・クラブ編 文春文庫)・・・途中まで。ワタシは「エッセイスト」という肩書きには(一般に)虫酸が走るが、松本幸四郎の「母の言葉」には泣けます。父(先代幸四郎)の死の床での母との思い出話しとかね。

これから高知でもう一件商談。それから徳島へ移動(これが遠い。時間の都合でJRだし)、夜まで商談。若いもんと合流して、クルマで帰岡予定。体調維持しております。

土佐文旦の露地物が旬で安い。重いのもかまわずおみやげにしました。昼喰いすぎで苦しい(徳島で久々に会った人に「肥えて・・・」と指摘される)。高知〜阿波池田〜徳島のJR道中に音楽は聴いたけれど、メンドーなので明日書きます。徳島で商談三本→クルマ(運転手付き)で帰ってきました。嗚呼、明日もお仕事テンコ盛りだ。ところで親しい職場のお友達が異動だそうです。一気に二人いなくなっちゃうんだな。寂しいこと。

2005年2月某日


昨夜はゆっくりしたが、新年度のお仕事絡みのヘンな夢を見てしまう。顔見知りのお客と新しい建物、部屋でお仕事しているワタシ。以前のお仕事関係のお客筋からクレームの電話をいただき、現在の部署やら住所を問われるがそれがよくわからない、答えられない・・・そこで目覚めました。昨夜はホテルすぐ側のお好み焼き屋へ行ったが、おそらくここ5年間の経験中もっとマズくてがっかり。

広島はまだ交通機関が乱れているようで、お取引先迄たどり着くのに少々苦戦しました。雪は残って凍り付いているが、青空快晴状態。ここをできるだけ午前中で切り上げて、昼過ぎには高知に向かわないと・・・移動中聴いたのが、Mahler 交響曲第10番(クック版)〜インバル/フランクフルト放響(1992年)。購入後2年以上経っているような気もするが、全部は聴けていなかったんですよ。作曲者完成の「アダージョ」とは別に、全曲完成版を別途録音しているのも彼のこだわりだと思います。

ワタシはまったり纏綿濃厚に仕上げていただくのが好みだけれど、少々方向が違ってやや神経質。集中力あるアンサンブルで、それなりの思い入れも感じられます。あまりに無味乾燥では困るが、Mahler には必須の懊悩感溢れて、このオーケストラも絶頂だったのでは?細部明晰な演奏であり、官能的魅力ある旋律を堪能できるが、終楽章は響きが薄いというか、細部の描き込みが足りないか・・・これは補筆完成版だからしかたがない。

おそらくはマニア垂涎の海賊日本公演ライヴBeethoven 交響曲第4/7番〜カルロス・クライバー/バイエルン州立管弦楽団(1986年 BOOK・OFFで@250)を。このオーケストラはジミというか、色気のない響きがある意味好ましくもあり、クライバーの「勢い命!」躍動演奏ですな。いつも座右に・・・系じゃないだろうが。アンコールの「こうもり」序曲は、いやはや、もう最高。セクシーだし、繊細だし。

広島での商談を終えて、高知へ出発時間ぎりぎりまで再度「広島風お好み焼き」リベンジ。昨夜のは不味かったからね。馴染みのお好み焼き屋は「木々」(誉めているんだから実名良いでしょう。大野浦駅を出て左徒歩五分)で。やっぱ、これでっせ。最高。JR四国に乗るのは数年ぶりか。ここのところバスばかりだったからね。久々の大歩危小歩危は風光明媚だけれど、空調悪すぎで異様に暑い。しかも乾燥しきってます。ビョーキになりそう。

移動中は、Mahler 交響曲第2番(1984年)最終楽章、第3番(1983年)第1楽章〜ハイティンク/コンセルトヘボウ管(クリスマス・マチネ・ライヴ)を。なんというオーケストラの暖かい響き、充実した安定感。なんの変哲もない、これ見よがしの自分の色合いを表出しないのがハイティンクの個性であって、いつのまにやら豊かな響きの渦に埋もれる幸せ。

高知の夜は楽しみだけれど、お取引先と一時間ほど商談してホテル近くの馴染みの酒屋へ。ご当地のBOOK・OFFで「ルネッサンス・スペインの音楽」(デヴィッド・マンロウ)購入。

2005年2月某日


今シーズンは本格的な風邪をひいていないが、寒さが身に染みます。新しいコタツを買ったり、そこでノートパソコン使ったりで、少々寒いオーディオ部屋に行きづらい。だから音楽を聴く機会が激減!状態。たまに聴いても集中力を欠いていて、こんなんではあきまへんなぁ。しがないヘロ・サイト用原稿ながら、なかなか筆が進みません。

朝、Beethoven 交響曲第5番ハ短調〜ケンペ/トーンハレ管(1971年)を再確認〜と、言っても集中できたわけじゃない。それでも、先日の妙な違和感はないけど。一昨日確認したミュンヘン・フィル盤でココロの下準備が出来たせいかな?威圧感のない、バランス感覚溢れた、過不足ない演奏。「間」にも緊張感にも不足しない(例えば冒頭主題提示後のフェルマータの余裕)、落ち着いた余裕の表情。暖かいオーケストラの響き。ライヴではかなり燃える!とウワサのケンペだけれど、日常聴き続ける保存版としても聴き飽きない演奏でしょう。(個人的には終楽章も繰り返しが欲しかったところ)

雪が降っているそうだから、ちゃんと広島まで出張到着できるだろうか?CD数枚持って出掛けましょう。

2005年2月1日 広島方面とは信じがたい激しい雪模様下り新幹線はほぼ定時運行していて、広島迄は順調。でも快晴だった岡山とはうって変わって雪景色が深い。在来線やや遅れで目的地まで到着。山陽道とは思えぬ白い世界はカメラに納めました。でも、上司は夕方ちゃんと広島空港から無事東京へ飛んだみたいだから、ちょうど2年前の雪よりマシでしょう、きっと。帰りの移動時間中、来期体制少々ご相談有。身も引き締まる思い。

午前中会議、昼からも会議(ちょっとビミョーな雰囲気)。雪で相手が出勤できず、商談は延期。早々にホテルへ。今朝出掛けにあわてて本を忘れてきたので途中BOOK・OFFへ。CDは年末と状況変わらずあきらめ、じっくりゆっくり一時間以上本を点検。ここはたくさん在庫があるんだけど、背表紙やら題名から興味を持って内容を確認しても、なんか底の浅いノウハウ本ばかり、「出張移動の友」探しに苦戦します。(なんとか医療もの2冊、古代史もの1冊購入)

今朝からの移動中音楽。Beethoven ピアノ・ソナタ第14/15/16番〜シュナーベル(p)(1935-37年)を。トンデモ歴史的録音だけど何という説得力、音の劣悪さを超えてズン!とハラに響く頑強なる構築物。(これがBeeやんだ!)先日、悩ましいダブり買いだ・・・と嘆息した「ケンペ・ボックス」からBruckner 交響曲第8番ハ短調〜トーンハレ管(1973年)を。

購入したCDが、仮にどんなヘロであっても後悔したことはないけれど、5,990円・・・これは安かった!いまどきこの曲、2枚組では買いませんよ、フツウ。自然体であること、威圧感ではなく説得力、煽ったり、走ったりせず、余裕を持った「間」と「歌」が控えめに、時に空間に充満して感動の嵐。これこそ、昨年2004年マナで体験したハイティンク/ドレスデンを想起させる、荘厳なる伽藍。焦点の最終楽章に向けて、やがて潮が満ちるように鳴動が押し寄せて、少々音の割れもなんのその・・・

 

【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
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written by wabisuke hayashi