2004年7月某日
大型台風接近!雨も降ったしで、やや涼しいが夜半やや寝苦しく、挙げ句扇風機に煽られた頭上のワイシャツ洗濯物が落下!ビックリして午前3時頃起こされてしまう。
盛夏にはBeethoven 、Brahms 、Brucknerの交響曲が聴けません。何故かMahler は大丈夫ですが。Bach は?無伴奏チェロ・ソナタ集はカザルス辺りで聴くにはツラいが、今朝はピエール・フルニエで第1番(1959年ジュネーヴ・ライヴ)で今朝から、柔らかく優しく、微笑みに充ちて、伸びやかで爽快でしたね。
「MEDITATION〜CLASSIC RELAXATON」(LASERLIGHT 15 686〜690 5枚組 1,780円)は、ことし1月に購入しております。寄せ集め集大成!みたいなものだけれど、その第2巻〜一部ケーゲル含み、基本ハンガリーの演奏陣だけれど、選曲が「タイスの瞑想曲」など一般ウケするものにとどまらず、Svendsen「ロマンス ト長調」やら、FIBICH「詩曲 作品41-6」(これは弦楽合奏だから編曲物か)などが含まれ、聴き応えもあります。
ようはするに「静かな音楽」が聴きたい、ということです。ああ、そういえば昨日「CLASSIC ちょろ聴き」の初期の頃の配置がガタガタだったので、途中まで修正しました。こういうノーミソを使わない作業も楽しいもの。これからクルマで岡山県下のお客を表敬訪問(とほほ・・・休日出勤か)。手術退院明け、全国含めあちこち行ったけど、なんとか一ヶ月乗り切りました。
2004年7月某日
やや気温下がって、昨日はエアコンも使わずよく眠れました。朝もさわやか。毎日この程度だと助かるんですが。今朝、サイト定例更新。そろそろ今月も終わりだな。
昨夜、引き続きビーチャムの歴史的録音R.Strauss「ドン・キホーテ」〜ニューヨーク・フィル/ウォーレンシュテイン(vc)(1932年)を。これも録音が予想外に良好なのに驚きます。ワタシ、R.Straussは嫌いでもないし、続けて聴くのも苦ではない。CDも沢山買ってます。この作品も何度も何度も聴いているが、正直、一番”わからない”。違和感がある、とか、相性が悪い、とかいうことではなく、とにかく”わからない”。どうしましょ。人生、勉強の連続です。
「ニューヨーク・フィル/The Mahler Broadcasts」の宣伝盤を再び。正式録音としては、ワルター、バーンスタイン、メータ、マズアが残されるくらいだけれど(バルビローリの昔の録音があったか。このオーケストラで全集!というのはないんじゃないかな?)ニューヨーク・フィルって「Mahler のオーケストラ」なんですね。テンシュテット、クーベリック、バルビローリには他のオーケストラとの録音が存在するけど、骨太さとか、自信とか、勢いとか、熱気とか、たとえ部分楽章抜粋でもそれは感じ取ることができます。
音楽日誌には、ずいぶんたくさんの音楽が登場するが、すべて集中しているわけでもないし、全曲聴き通していないものもたくさんあります。逆に、聴いたのにコメントし忘れたり、コメントできなかったり、というものも。できれば、音楽は気軽に、BGMとして聴きたいですね。とくにこんな猛暑中では。PGANINI「24のカプリース」〜ルジェーロ・リッチ(v)(1959年)は、気持ちよく素直にヴァイオリンの妙技を楽しみました。
仕事上ではいろいろと不快なことがある。特に内部の官僚にはときに苦しめられちゃう。二週間前に頼んだ商品のイレギュラー処理完全失念(頼まれたことさえ忘れている!)実務処理依頼者は、それが実効化していないことを見て見ぬふり、結局病巣は広がって、全部直にお客に日常担当している自分に尻拭いがすべて回って来ちゃう。点検しなかった自分が悪いんだね。お客に対しては「自主的な行動」が期待できるが、内部の官僚にはほんまに油断できぬ・・・(怒)
明日、休みの番で週末なのにお客のところへ・・・本日、午前中の用事が予想外に早く終了したので「本日にしていただいてよろしいですか?」って、電話入れたら「休みです」とのこと。んもう!こっちが休み潰して行くのに、自分が先に休みかよ!(怒)ま、人生こんなもんです。なんとか怒りを鎮めて・・・
Beethoven のピアノ・ソナタは滅多に聴かないが、たまには〜ということで、第15番ニ長調「パストラーレ」〜ケンプ(p)(1965年)の演奏で。これが思いの外繊細、暖かいタッチが美しいと感じました。ワタシは「先人が残した名作は、好き嫌いを乗り越え一応CDで揃えておく」ことが鉄則なので、バーナード・ロバーツの全集(NIMBUS11枚組1984/85年)はかなり以前に揃えてました。(3,390円)でも、なんかパッとしないかな?と、ほとんど聴いておりません。
ところが、第9番ホ長調/第16番ト長調/第30番ホ長調を(たまたま)取り出してみると、ちょっとウェットで芯のはっきりしない残響に味わいがある。すっぱり切れ味系からほど遠いが、ややたどたどしい細部を残しつつ、けっこうノンビリと洗練されない世界に浸って悪くないと感じましたね。(第30番ソナタ、ラストの壮大なる変奏曲では、少々響きの濁りが気になりましたが)
さて、風呂入ってゆっくりしましょう。明日もお仕事だし。本日、岡山花火大会。夕方ちょっと雨が降ったけど、止んだみたいですね。街行く浴衣姿のお嬢さんが美しい。
2004年7月某日
体調やや苦しい。もっぱらこの暑さ故と信じたいが・・・
なんか音楽にも集中できなくて、ほとんど聴いておりません。数日前のネタだけれど、Mahler 交響曲第5番(終楽章のみ)〜バルシャイ/ユンゲ・ドイチェ・フィル(1999年ライヴ)を。じつは第10番の最終楽章を確認しようとしたら、盤を間違っただけ。ベルリンのフィルハーモニー・ホールの残響やら、ライヴのやや雑然とした少々のノイズっぽいものがリアルで、のびのび気持ちよい演奏でした。オーケストラは上手いもんです。(BRILLIANT二枚組)
BBCライヴにDeliusの一枚があって、「高い丘の歌」〜ロジェストヴェンスキー/BBC響(1980年)、「アパラチア」〜グローヴス/ロンドン・フィル(1967年)、「川の上の夏の夜」〜プリッチャード/BBC響(1984年)・・・いくらで、いつどこで購入したか失念・・・寄せ集め風CDだけれど、これは穏健派で淡彩、まるで薄味の会席料理のような馥郁たる上品な世界です。もっと心身共に万全であれば、感動は深いはず・・・
意外と馴染みの作品で・・・ということは他にもCDを持っているはず(題名も馴染みだし)ということだけれど、これがわからない。NAXOSの二枚にはこの作品は含まれない。ビーチャムHistory10枚組にはたしかに「アパラチア」は存在するが、もっとちゃんとしたステレオ録音だった記憶もある。結局、ノーミソはますますぼんやりして混迷を深めるばかり・・・
朝日新聞に久々、吉田秀和さん(90歳ご健在)登場。しかし「書けない」といったインタビューでして、奥様(バルバラさん。日本または東洋文学研究家)が亡くなったのがショックだと。知的な信頼感と尊敬に支えられたご夫婦だったみたいですね。ちょっとカルロス・クライバーに言及されていたのが気になります。やはり、クラシック音楽界にはかなりの危機感を持たれているよう。(ワタシ如き市井の音楽ファンだって、若手音楽家にウキウキとした期待をほとんど感じないもの)
(帰宅後)体調それなりに回復だけれど、職場の座席が悪いらしく、エアコンの空気が集中します。カラダが冷える。こういう行き届かないエアコンに限って、ずいぶんと暑い座席もあって、温度調整の仕合となります。先日、飲み過ぎたのもいけなかったね。こう猛暑が続くとほんまに音楽を聴くのもツラくなります。
通勤ではSibelius 交響曲第2番ニ長調〜ビーチャム/ロンドン・フィル(1946年)を。彼の録音にはほとんど裏切られたことはなくて、ここでもオーソドックスだけれど豊か、余計な飾りはないけど充分なる説得力は、音質問題のハンディを乗り越えしっかり音楽の姿が理解できます。ちゃんと涼やかで、暑苦しくならない抑制された味わいもある。彼のSibelius 録音は少ない(たしか第4/7番くらい?)と思うし、これは貴重な録音だと思います。
ところが同時期の録音と思われる「タピオラ」が凄い。かなり速いテンポで激しく、音楽がいつもより難解に聞こえます。緊張感。切迫感。ワタシはこの作品に「幽玄なる幻想」を感じるが、ビーチャムは「破壊」を感じ取ったのか。これはこれで拝聴すべき解釈。
今朝グローヴスで聴いた「アパラチア」を、同じくビーチャム/ロンドン・フィル(1938年)で。これ、なぜか1946年録音よりずっと音質が良くて、なにより演奏がわかりやすい。ワタシはDeliusは大好きだけれど、時に淡彩に過ぎて「なんだか、ようワカラン!」みたいな世界になっちゃう演奏を知っております。後のステレオ録音含め、ビーチャムの演奏は特別に〜濃厚?ちゃうなぁ〜とにかく音楽の様子がしっかりとわかりやすいんです。
ここでの懐かしさ、移ろいゆく想い出・・・みたいなものは、はっきり理解できて、これも出色な完成度でした。オーケストラがとても上手い。合唱を伴う大団円がピタリ決まっております。
2004年7月某日
体調悪いな。完全なる夏ばて傾向か。朝起きた途端気分悪い・・・なんて。どうやって乗り切ろうか、この夏。体調イマイチだと音楽に集中できないのは当たり前。それにお仕事段取り上追いつめられていて、ワタシ個人分担分作業はなんとかするのがヴェテランのワザではあるが、チーム内の長老(この度、他へ異動)の暴走を止め、誠実で真面目な若手をいたわり(仕事がていねい過ぎるんです)、再来週赴任する新人(どんな性格だか?)を(それなりに)育てることを考えると心労が募っちゃう。
パソコンはどの程度使えるのか、ディジタル・システム的な発想ができて、作業合理化、段取りができるヤツなのか(これは世代関係なし。印刷した文書が基本で、それをいちいち”ワープロ打ち直し”なんかやっているやつは失格)、外出してお客のところにいくことを厭わない性格か?相手のスイート・スポットを押さえられる感性があるか、人付き合いを苦としないのか・・・いかがでしょうか。
ま、これも運命なんだろうな・・・ということで、Beethoven 交響曲第5番ハ短調「運命」を最近断続的に聴いております。キッカケはカルロス・クライバーの逝去でして(そういえば今朝の新聞で中島らもさんが急逝したんだってね)、ワタシはおそらく一般の聴衆に比べ、彼の熱心な聴き手ではないが、それでもこの録音(1975年ウィーン・フィル)にはずいぶんと感じるところが多い〜その辺りも含め、小澤/シカゴ響(1968年)、ハイティンク/コンセルトヘボウ管(1985年)など、たまたま手許にあった音源をちょっとコメント(ほんの随想程度)して、サイト用原稿を準備しました。
今朝、Rimsky-Korsakov「ロシアの主題による序曲」「お伽噺」〜マーガ/ボーフム響(1970年代の録音か?)にて。1993年に発売されたVOXのCDだけれど、この辺りがワタシのサイトの原点だったような記憶もあります。廉価盤、珍しい作品、知名度のない演奏家・・・どんより、ちょっとメリハリに不足するような演奏だけれど、親しみやすい、必ずどこかで聴いたことがあるような旋律が懐かしい。
更に珍しいピアノ協奏曲 嬰ハ短調〜ポンティ(p)/カップ/ハンブルク響、ヴァイオリンのための協奏的幻想曲〜ロザンド(v)/フロマン/ルクセンブルグ(リュクサンブール、との読みが正しいの?)放送管にて。録音やら演奏機会が少ないのが不思議な、美しい旋律の作品でした。
(帰宅後)それなりに着々と思ったように物事は進んでいるように思えるが、心身共にスッキリしないかんじ。通勤では、昨日の流れでプレヴィン/コステラネッツ管のGershwin(1960年)を。いや、もうこれが最高!いかにも左右の分離強調!といったポピュラー系音作りだけど、オーケストラが滅茶苦茶上手い!クラリネットやら、トランペットやらのスウィング感が他では絶対にマネできないノリノリ状態でして、それはもちろんプレヴィン(当時31歳)のソロも同様。ラプソディ・イン・ブルーにはカットがあるのが残念ですね。
日本人には演歌の節回しがあるように、アメリカにはこんなリズムがあるんです。ピアノ協奏曲ヘ調の壮絶な高揚感もかつてない経験でした。体調悪くても、これだったら聴けまっせ。
2004年7月某日
早朝、エアコンを弱く掛けていたためか、汗まみれで起きてしまう。扇風機回してもう一回眠ることに。
Mozart ピアノ協奏曲は、どの作品、どんな演奏でも楽しく聴けるが、昨日のアシュケナージは儚く、美しかった。第17番ト長調は特別お気に入りの作品です。それを思い出しつつ今朝、プレヴィン(p)/ボウルト/ロンドン響(1973年)を。ボウルトのバックも、プレヴィンのソロも、ほとんど特別な”色”や”飾り”、”リキみ”を感じさせないもので、素直でまっすぐ、細部までていねいなお仕事。やがて、音楽する悦びが溢れてくる・・・つまり、これもひとつの理想ということです。この組み合わせはどんな経過で生まれたんだろう。
さて、蝉が賑々しく鳴き交わす猛暑中、広島往復中のCDを選定しないと。少々、頭痛残。おお、そういえば、昨日の会議で7月の数値を出したら、上司より我がチーム全国一番!とのお褒めの言葉有。当たり前じゃ、屈辱の4月結果を受けて入魂商談の結果ですよ。猛暑で夏物狙い通り売れたしね。
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いつもより30分早く家を出て、かなり早めののぞみで広島方面行き。集中した商談三本消化して、疲れ果て、あと一本(ほんまは自覚していたけれど)さぼって帰ってしまう。当然、ケータイが追っかけてきたが「いや、時間を失念しました!」と再商談約束で済ましちゃう。広島駅に到着したら、博多方面大雨とかで新幹線ダイヤ滅茶苦茶。でも、なんとかかんとか(すべてをうち捨てて直接自宅に)帰ってきました。とにかく、暑い!ツラい!眠い!バテバテ!昨夜飲んでいなかったら、間違いなくビール!のところだね。
移動中CD4枚持参・すべて消化。Gershwin ピアノ協奏曲ヘ調/ラプソディ・イン・ブルー(1970年)/パリのアメリカ人(1971年)〜ヴェルナー・ハース(p)/デ・ワルート/モンテ・カルロ国立歌劇場管から。ワタシはGershwinを気に入っておりまして、ピアノ協奏曲も5枚目かな?録音は少ない方だと思うけど。「有名なるラプソディ・イン・ブルーの楽しみが、そのまま三倍増!」的悦びに浸っちゃいます。(そういえば数年前、どこかのサイトで「ピアノ協奏曲はまったくツマラない」みたいな書き込みがあって、嗚呼この人可哀想、と。そんな記憶有)
ハースは清潔で明快だけれど、かなり雄弁な表現をする人でもあり、ここでも「ジャズのノリ」方面ではなくて、ちゃんとクラシックとして演奏していますね。充実して手応え充分だけれど、少々立派過ぎかな?ワタシはプレヴィン(旧)盤を気に入っていて、それはこの作品はこの人の素敵で粋な演奏で出会ったからなんです。デ・ワールト当時29歳、もっとも初期の録音のひとつでしょうか。活気も勢いもあって、オーケストラのコントロールも見事なものです。録音も優秀。
Shostakovich 組曲「ボルト」、ジャズ組曲第2/1番、タヒチ・トロット(二人でお茶を)〜ヤブロンスキー/ロシア国立響(2001年)。いや、もうこの一枚最高!苦手方面の作曲家だけれど「二人でお茶を」は、なんて小粋で、繊細な世界なんでしょ。ジャズ組曲は、ジャズというよりサーカスのジンタっぽいし、幼稚園の運動会風の音楽(木琴の成果か?)にも聞こえるが、哀愁の味わいもあって、カバレットの音楽(妖しげなギター?ソロも入る)にも思えます。映画「ドクトル・ジバゴ」のテーマってあるでしょ?あれにもよく似ている。
演奏は雑にもならず、細すぎもせず、ノリも迫力もある〜たいしたアンサンブル。録音極上ですね。これほどの鮮度を感じたのも久々。(NAXOS 8.555949 971円と値札付。高かったが充分なC/P)
Brahms 交響曲第1番ハ短調〜ベーム/ベルリン・フィル(1959年。300円で購入)は、LP時代からお気に入りでした。購入して数ヶ月を経、いつも冒頭ちょっとだけ聴いて止めてしまう・・・ということが続いたけれど、(ようやく)全部聴きました。あらゆる細部を忽せにせず、きっちり真面目に、入魂で演奏して、その緊張感・切迫感は、高度成長期お仕事一筋に人生を捧げてきた日本サラリーマン(団塊の世代のお父さんか。その上の世代か)のストイックさに一脈通じます。ベルリン・フィルの技量になんらの疑念もあるはずなし。
その生真面目さが妙に息苦しい。ミュンシュ/ボストン響(1956年)も「緊張感・切迫感」では負けないが、もっと煽って燃えるような情熱を感じました。ベームはひたすら「道一筋」的で、「煽り」なんて!とんでもない。ワタシは「歌」に不足すると思うし、この時期のベルリン・フィルって少々色気が足りない(もうカラヤン時代だから、ベームの表現か)と感じました。音録りの思想か、弦主体で管が弱いんですね。(ベーム・ファンの皆様に申し訳ないが)
ラストR.Strauss「ドン・ファン」「ティル」〜プレヴィン/ウィーン・フィル(1980年。EMIの旧録音)「ツァラ」〜オーマンディ/フィラデルフィア管(1979年ディジタル録音)を。ワタシはいつも「EMI録音」をクソミソに言って叱られることもあるが、黄金の組み合わせである「プレヴィン/ウィーン・フィル」が、後のPHILIPS録音とは別物に聞こえます。なんかカラカラに乾いて弦にまったく厚みがない。管に奥行きもない。演奏ともども素朴と言えば素朴なんだけど。(オーディオの専門知識がないから、エラそうなこと言えないけど)
プレヴィンの表現は、飾ったところがなくて悪くないと思いますよ。R.Straussって「腕の見せどころ!」的演奏が多いし、こういう素直な旋律の歌わせ方は貴重だと思います。リキみも全然ないし。ところがね、お次のオーマンディを聴くとひっくり返ります。まず録音が全然違う。フィラデルフィア管のシルクのように輝く弦は圧倒的魅力で、オルガンだってちゃんと聞こえちゃいます。奥行きと豊かな残響が素晴らしい。(フィラデルフィア・オールド・メトロポリタン・オペラハウス)
CBS(1963年)RCA(1975年)に続く、オーマンディ晩年の、余裕と自信に満ち溢れた表現でして、CBS盤のやたらとド派手できんきらした(録音のせいか?)世界とはずいぶんと異なりました。「けれんみ」(けれん<名詞>(1)演劇などで俗受けするように演じること。(2)ごまかしやはったり)がまったく存在しない。特異な表現は微塵も出現しないが、説得力に不足しない。あちこち細部は必要にして充分な歌に充ちて、美しい。オーケストラは鳴りきって圧倒的だけれど、刺激的にならない。リキみもない。文句なくオーケストラが上手い。ヴァイオリン・ソロにも泣けちゃう・・・
でもさ、このCD(D classics DCL 707252)のコンピレーションは少々違和感ありますね。300円だった(在庫処分品)から文句ないが。
2004年7月某日
朝が怠いね。夏ばて迄いかないけど。今朝は少々涼しい、でも、即気温は上がるんだろうね。ようやく蝉が全開で鳴く季節となりました。こども達はそろそろ夏休みだよね。さて、お仕事の大幅交通整理を本日から始めないと。
Mahler 交響曲第10番(Wheeler版1966年 オルソン校訂)〜ロバート・オルソン/ポーランド放響(2000年)を。ワタシはこの作品(後年の加筆全曲完成版)をウィン・モリス(クック版)のLP時代以来気に入っておりまして、第1楽章「アダージョ」だけでなく、長々しい全曲を楽しんでおります。楽譜に馴染んでいる人は、もっとおもしろいんだろうね。このフィーラー版はクック版とはかなり違っていて(特に後半)、いずれ再編情報の少ない部分のオーケストレーションって、なんか「楽器が少ない」感じがします。
でも、演奏は美しくも妖しく、切ない旋律を良く歌わせて、敢闘賞もの。引き続き、第1楽章「アダージョ」のみ、George Sebastian(ジョルジュ・セバスチャン?ゲオルグかジョージか)/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管(1961年頃)の演奏にて確認。コンヴィチュニー時代のオーケストラだけど、ずいぶんと緻密で集中したアンサンブル。録音も出色で、浪漫的な旋律が洗練されて表現されます。(この指揮者、LP時代に「浄められた夜」を持っていたような記憶有。日本語表記はその時のもの。誰なんでしょう)引き続き収録されるNielsen 交響曲第5番〜ヘルビッヒ/ベルリン響(1966年頃?)は、冷涼たる味わいと、二台の小太鼓がまったくカッコ良い!録音も優秀。
ああ、そういえば、昨日CDの整理していて、久々Sibelius 交響曲第3番ハ長調(・・・ハ長調なんだね。意外)〜リーパー/スロヴァキア・フィル(1990年)を。サカリ盤が出たから廃盤じゃないのかな?少々野暮ったいオーケストラも、暖かくて良い感じ。忘れ去られ、消えていくにはもったいな過ぎる音源でして、激安再発ボックスかなにかで復活望みたい・・・って、ワタシは4枚組2,780円にて発売即購入しているが。
(遅く帰宅後)通勤には音楽持参せず。(荷物持ちたくない)夕方、地元お取引先に用事があって、職場のクルマで片道30分ほど。FM付けたら、嗚呼Mozart のピアノ協奏曲第17番ト長調じゃない。ん?古楽器か、というくらい控えめで遠慮しつつ、ゆらゆら揺れる奥ゆかしい演奏は誰?ああ、でもこれやっぱり現代楽器だよね、なんて思いつつ、極限の抑制、絶対に走らない旋律、時に過去を振り返るようなシミジミとした味わいに、じ〜んと来ましたね。
ワタシ、この曲は特に好きなんです。所用の場所に到着したらちょうど曲も終わり、演奏はアシュケナージ(p)/パドヴァ・エ・デル・ヴェネトー管とのこと。そういえば彼のピアノって、ほとんど聴いたことがないな(もちろん録音のことだけれど)。ややプチ爆演系の指揮ぶりとは大幅に異なって、こんな繊細な世界が広がっていたんですね。
その地元取引先との商談から帰って、職場のエレベーターに乗ろうと思ったら、別なお取引先の方とすれ違いました。「もう大丈夫なの?」なんて。机に戻って諸作業していたら、ケータイに電話があって「出てこれる?」と先のすれ違った人から。せっかくのお誘いだし、じゃ、30分だけ待ってね、と。そんなときに限ってコピーは詰まるし、パソコンは落ちるし・・・そんなもんです。
急ぎご指定の焼鳥屋に駆けつけて、楽しく談笑するが、なんと「全快祝いじゃ!」と支払って下さるという。で、もう一軒(フツウは二次会だよね)飲み屋に行って、割り勘だけれど、やや大目に支払って帰ってきました。ああ、楽しい。ナント!その飲み屋で「このカギ、お客さんの?」って、紛れもなくワタシのクルマのカギでしして、二ヶ月前に女房に「どこに忘れてきたの!」(わかっていたらなくさないって)と叱られたものでした。
ずいぶん飲んだかも。明日、広島です。
2004年7月某日
暑い。エア・コンなしで就寝してみたけれど、耐えきれず途中で付けちゃいました。
昨夜、CD整理に着手。本棚三本に(なるべく)レーベルに分けて収納している(つもり)だけれど、今年かなりの処分にも追いつかず溢れかえり、混乱を極めている現状故(ゆえ)。こりゃ、また売らないといけないな。(まだ途中です)6月から通信教育が始まっていて、月一回消化しないといけない計算です。6月は幸い入院前に一本終わっていて、7月はあと一週間の勝負。本日、集中して(受験勉強で鍛えた”ながら”勉強で)仕上げます。(朝からテキストは2/3くらい読了)
昨日、聴き残しMahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜デ・ワールト/オランダ放送フィルの最終楽章を。部屋のコンポで聴くと、かなり印象一変・素直、爽やか、美しくも気持ちよい演奏でした。オランダ穏健派の歴史的精華かな?RCAはSONYに吸収りしたらしいが、1970年代のレヴァイン全集完成を断念して、1990年代ディジタルでデ・ワールト全集を録音して下さったのは英断でしたね。知名度の低いオーケストラなのに。
Dvora'k 交響曲第7番ニ短調〜セル/クリーヴランド管(1960年)を。ワタシはこの作品を、ケルテス、バルビローリ、チョン・ミュンフン、インバルなどで聴いてきたが、正直第8/9番ほど全面賛同したことはなかったんでです。で。結論的にセルの説得力はもの凄くて、こりゃ名曲だ!という確信がムクムクと・・・懐かしい旋律が共感と情愛に充ちて歌われ、アンサンブルの集中力にとどまらない濃厚な世界が広がりましたね。
「謝肉祭」(1963年)「売られた花嫁」(1958年)のテンションの高さは言うまでもなし。Smetana「私の生活から」(セル編曲 1949年)は、原曲とはかなり違った味わいで、少々慣れが必要です。(第8/9番との二枚組1,000円は掘り出し物。しかも、CDレーベルが米EPICのオリジナル・マーク使用と言う配慮有。 SONY MH2K 63151)
昨年(2003年)でしたか?まとめて購入したアーベントロートのセット物(クロアチアVIRTUOSO)〜これは正直、かなり苦戦(聴くのがツラい)をしておりまして、悩みのたねのひとつでした。「英雄」〜ベルリン放響(旧東。1954年)・・・速めのテンポ、表情も一見端正で爆演系ではないと思うが、妙な重さ、暗さ、勢いがあって、意外と楽しめました。「運命」〜ベルリン・フィル(1939年)・・・こちらにさすがに少々音質は落ちます。が、演奏的には同様。彼のCDはそれなりの量を所有しているが、録音状態で損をしているでしょうか。
燃えるようなアッチェランドとか、茫洋たるスケールを呼ぶルバート、極端なるテンポ設定、みたいなものは見られないが、少しずつこの「暗い世界」にも馴染んで参りました。
**
早朝より(音楽聴きつつ)通信教育のテキスト一冊熟読。気分転換にCDラック整理〜昼過ぎまで掛かって完了しました。基本、XXCM(旧History)とNAXOSのボックス物をパソコン・ラックに移し収納余裕を作るが、それでも収納が足りない。NAXOSをアルファベット順に並べ直したりするのも(ある意味)至福の時だけれど、「ああ、これもう聴かないな」「これも、いいか」なんて考え出すと、あっという間に「処分候補」100枚弱へ達しました。
で、さっそくご近所BOOK・OFFへ。すっきりしました。さあ、もうひと勉強・・・夕方までに無事終了。
2004年7月某日
松山での宿泊は久々、アビス・インという新しいホテルで清潔+ウォシュレット+光ファイバー+無料朝食完備。しかも安い。昨夜はへろへろで、日誌更新もやっとこさ、状態。また土曜を潰しちゃったな。
昨日、聴いた分の残り・・・Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜デ・ワールト/オランダ放送フィル(1992年。時間切れで終楽章聴けず)。オーケストラには少々不満がある。ホルンの音色に深みが足りないとか、オーケストラが全力で鳴ったときの威圧感はもっと欲しい・・・(これは数ヶ月前に聴いたアバド/シカゴ響のド迫力がイメージとして脳裏に残っている)。
しかし、デ・ワールトは誠実に、ていねいに歌っていて、曲が進むに連れ納得と快感が押し寄せます。これほんまにライヴ?アンサンブル的には抜群の完成度で、強面ではないMahler でよく歌う・・・バルビローリ方面かな?と思いきや、有名なる「アダージエット」はサラサラさっぱり清楚なこと!
さて、出掛けますか。
(夕方帰宅)遠いなぁ、四国方面は。なんせ新幹線がないから。これから通わなくっちゃいけないんだな。いつもいつも。昨夜、松山のおいしいものをいただいて、酒量は(以前と比べて)たいしたことはないが、熱弁振るっちゃうし、本日午前中のエラいさん込みの正式会談でも(よりいっそう)アツく語っちゃったので、いや、疲れること。これから先のことを考えると少々げんなりしたり。猛暑だしね。帰りのバスで「惑星」〜ハンドリー/ロイヤル・フィルは、金管が鳴りきって立派な演奏だとは思うが、全然楽しめなかったのは体調・精神状況故でしょう。
バス中(二時間半)途中で眠ってしまって、目覚めたのでTchaikovsky 交響曲第4番ヘ短調〜セル/ロンドン響(1962年)を。これは期待の一枚で、期待通りのアンサンブルの集中力、絶好調のロンドン響の充実ぶりは理解できるが、やはり体調がよくないせいか楽しめません。ま、もともとセルの演奏って、聴き手に緊張感を強いるようなところもありますし。(また再挑戦だ!)
岡山駅から自宅までのバス中で、Telemannのリーコーダー・ソナタ集〜ブリュッヘン(1969/71年)。これは猛暑の中でもノーミソをクリアにして下さるような音楽であり、演奏です。だいたい通奏低音付き(ビルスマ(vc)レオンハルト(cem))と、ソロが交互に納められており、流暢で雄弁、千変万化するリコーダーは驚くべき技量。「あ、楽器が変わったな」なんてこともちゃんとわかります。個人的には通奏低音付き(トリオ・ソナタ?)の作品は、ヴァイオリンであれなんであれ大好きでして、なんども聴き返し、味わい尽くしたい一枚。
やっとこさ帰宅し、歯をしっかり磨いて冷たい烏龍茶をいただいて、部屋を冷やして・・・「展覧会の絵」〜ジャン・クロード・カサドシュ/ロイヤル・フィルを。昨日出発前ダイエーで購入したRPO三枚は失敗だったかな?と、思ったら、これは爽やかだし、ていねいだし、自然体、適度な会場の残響感もあって良いじゃない。やっぱり、ちゃんと調子と環境を整えて聴くべきだね。続く「ダフニス」第2組曲はアンサンブルに粋と精緻さが不足、「ラ・ヴァルス」はまあまあでしょう。
昨日聴いたユーリ・シモノフ/ロイヤル・フィルのTchaikovsky 弦楽セレナード ハ長調を部屋で再確認。やっぱり、弦が美しくない。高音が伸びないのは録音のせいか?なによりシモノフの解釈がしんねり、もったい付けているようで、粘着質で重すぎます。この作品はもっとノビノビ、楽しく演奏していただきたい。
2004年7月某日
エア・コンの温度設定を上げ、更に「マイルド」に設定して眠るが、どうも怠い。まだまだ夏はこれからなのに、どうしよう。本日は夕方から松山入り。いよいよ四国攻め(の準備)だ。
札幌BOOK・OFF収穫シリーズのひとつ Beethoven 交響曲第3番「英雄」〜スウィトナー/シュターツカペレ・ベルリン(1980年)があって(GES-9221という名曲全集ものの一枚)、これが演奏、録音ともじつに地味クサくて良い感じ。不朽の名曲である交響曲全集中、屈指の人気を誇るが、高いテンションと激性を誇る演奏が多い中、艶消しの鈍く深く輝くような味わいがジンワリ広がって、ワタシのように「Beeやんの音楽は強すぎて・・・」と時に罰当たりなことを考えてしまう人間にも、素直な気持ちで馴染める演奏でした。
Boismortier(ボワモルティエ 1689-1755)でフルートとチェンバロのためのソナタ集 作品91をスティーヴン・シュルツ(バロック・フルート)/バイロン・シェンクマン(cem)にて(NAXOS 1995年)。ま、250円じゃないと積極的には聴かない音楽だけれど、作品、演奏とも少々哀愁に充ちた旋律が楽しくて、飽きさせないものです。アメリカ西海岸カリフォルニア州の録音だそうで、こういった技量の高い演奏家を探してくださるNAXOSも立派。
昨日聴いて、少々乱暴なるコメントを付けたパイヤール版「音楽の捧げもの」〜正直、イヤ・ホンで聴くと個々の楽器(=パート)がバラバラに聞こえてくるような感じで気に食わない印象もありました。ワタシの慣れ・好みの問題だけれど、チェンバロ・ソロがもっと活躍してして欲しい要望も有。部屋のコンポで再聴すると、結果論として各パートが溶け合って音楽の印象が変わります。演奏的にはやや叙情系のまったりした語り口があるが、曲が進むに連れて感動が押し寄せ、47分はあっという間に過ぎゆきました。
昨夜、購入したばかりの小澤/サンフランシスコ響の「新世界」(1975年)を聴いてみるが、涼やかな爽やかさは感じるが、まだ印象がまとまりません。札幌で購入したDvora'k 交響曲第7/8/9番〜セル/クリーヴランド管(二枚組1,000円。第8番ダブり)ともども、超有名作品のありかたについて再考しないといけないかも。なんども聴いてみないとね。
本日、松山移動なのでバス中の音楽をセレクトしなくちゃ。
(松山到着後)きょうも楽しく、幸せな一日だった。職場で諸実務こなしつつ、夕方にはバスで松山へ出発。昼飯喰えなかったので、さっそくバス中ビール(正直発泡酒)二本。到着したら、地元お取引先の人が待っていて、ほんま楽しく語り合いました。遅くまで、相当飲んで。明日、正式な打ち合わせ。
本日聴いた音楽一覧。Beethoven 交響曲第5番ハ短調〜追悼・カルロス・クライバー/ウィーン・フィル(1975年)で。(罰当たり海賊コピー盤ご容赦)これは数多く考えさせる演奏だと思います。表現として異形なる「爆演系」ではない。ほとんどストレート。アンサンブルが細部まで、神経質に整っているわけではない。ウィンナ・ホルンの迫力、抜いたところの繊細さはともかく、ウィーン・フィルは優美な美しさを誇っているわけではない。
推進力でしょうか。ひたすら高いテンションと勢いが魅力なんでしょうか。聴いていてゾクゾクするような生理的な快感がありますよね。第1楽章、終楽章の繰り返しもありそうで、なかなかないもの。ワタシのCDは1曲のみ収録〜こんな激しい音楽・演奏では、もういっぱいいっぱい。
「真夏の夜の夢」〜プレヴィン/ウィーン・フィル(1985年)を。この作品は大好きですね。夢見心地。ヘルビッヒ盤もクレンペラー盤も素敵だったし、クーベリック盤(1964年)も同様。プレヴィンはいっそう、なにもしないというか、旋律の歌わせかたはほんまに素っ気ない。
でも、先のクライバーと比較すると、ウィーン・フィルの美しさ、優しさは、こんな表現でこそ、じんわり味わえて楽しいものです。聴いたあとの爽やかなこと。Schubert ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ三曲〜シュナイダーハン/クリーン(1965年)の演奏で。
ワタシはこの作品をずいぶんと以前から気に入っていて、のんびり優雅な旋律が快い。ノーブルでしっとりとした演奏。ロイヤル・フィルのCDが315円で売っていたので、Tchaikovsky、Grieg、Mozart の弦楽合奏ばかりという魅力的な収録はユーリ・シモノフの指揮で。
これは音質(DDDと表記されるが)やらアンサンブルの集中度、解釈にややクセがあって楽しめませんでした。でも、またゆっくり再確認しないと。
2004年7月某日
夏は嫌いではないが、年々カラダにはきつくなりますね。昨夜もエア・コン就寝だったが、汗まみれで眠れないのとどちらがマシなのか?怠い感じ。
CD消化はたいへん(贅沢であり、嬉しい悩み)だけれど、本日の山口出張で少しは進むかな?いろいろ聴くときの条件があって、音楽に集中できないときもあるし、気になればなんどか繰り返したいな、ということもあります。R.Strauss「ドン・キホーテ」〜ピアティゴルスキー(vc)/ミュンシュ/ボストン響(1953年)は、食堂コンポを小音量で、朝食時に新聞を読みながら聴いたためか、様子がまだわかりません。
同じく1953年モノラル録音で、Prokofiev ヴァイオリン・ソナタ第1/2番〜スターン/ザーキン(p)は、初めて聴いた作品かも。(シゲティでどちらかを聴いた可能性有。FMエア・チェックで)これは録音演奏とも拝聴すべき高い水準で、乾いてシニカル、といったこの作曲家の味わいが、しっとり潤いに充ちた味わいに変貌していております。ヴァイオリンの豊かな音色はもちろんだけれど、ザーキンのピアノの安定ぶりが特筆ものか。スターンはかつてほとんど聴く機会を得なくて、今年くらいからThe50'sレーベルのMendelssohn/Brahms /Tchaikovskyの協奏曲(もちろん1950年代のモノラル録音)にすっかり感心したところでした。
昨夜聴いたハイティンクだけれど、フィル・アップに「パルシファル」前奏曲(1974年)が収録されていて、これも美しく、味わい深い。数々のWagner管弦楽作品はほんのこども時代からのお気に入りだけれど、何故かこの作品だけピン!と来たことはなかったんです。いつものワン・パターン評価だけど、オーケストラが極上に美しくて素直な表現がするするとココロに染みこみました。録音年代が少々前だから、ハイティンクのWagner管弦楽作品録音なんかが存在して、そのお余りかなんでしょうかね。
嗚呼、一週間が長い。まだ半分か。
・・・夜9時前くらいに山口より帰宅。昼迄事務所でメーカーさんと商談、急ぎ新幹線に乗らなくちゃ、と思いつつ、メール送信をすると添付ファイルが重過ぎか(理論的にはOKなはずなのに)エラーに。添付ファイルを分割してもダメ、EXCELファイルに貼り付けられた画像が重いのか、それを削除しようとするとWindows(ナント95!)が落ちちゃう。焦るばかりで、なんとかかんとか送付して駅まで(昼飯も喰わず)走って間に合いました。
バカ新幹線はアホほど冷えていて、新山口駅に到着して外に出たら眼鏡が曇るじゃない。風邪ひきまっせ。ま、山口ではなんとかかんとかお客と対応して、座興にも山口駅近くのBOOK・OFFへいちおう点検へ。(札幌でぎょうさんCD買うたばかりなのに!)小澤/サンフランシスコ響の「新世界」(1975年)を@250で入手。(未聴)Kechi力健在。モレイラ・リマのChopin 名曲集は、やや迷って見送りました。
予定通りCDかなり消化しましたよ。やっぱり”当たり”ばっかりだな。まずChopin ピアノ協奏曲二曲。第1番はギレリス/オーマンディ/フィラデルフィア管(1964年)〜LP時代コンドラシンとの録音(1962年)を楽しんだ記憶があるが、それとほとんど印象変わらず。つまり、明快でクール、あわてず騒がない。ひとつひとつの音、旋律をていねいにあつかって曖昧さ皆無の演奏です。これはこれで美しいピアノで、いわゆるロシア風のアクみたいなものもありません。(スケールは大きいが)オーマンディのバックはとても豪華で、とくに弦の響きが魅力的でした。
第2番はワッツ/シッパーズ/ニューヨーク・フィル(1965年)でして、これがギレリスとは対照的な揺れるような情熱!演奏でした。ま、好みだな。バックもソロも甲乙付けがたいが、こちらはシッパーズのホットな充実した伴奏が楽しめます。「青春の小澤征爾」(RCA。二枚組1,000円で購入)〜小澤の初期録音は注目です。Beethoven /Tchaikovsky 交響曲第5番(1968年)、「展覧会の絵」(1967年。以上シカゴ響)組曲「火の鳥」(1969年。ボストン響)+少々寄せ集め収録。
贅肉のない響き、というか、細部まで生真面目にきっちりと表現して、余裕とかスケールとか、そういう世界とはかなり遠いが、新鮮です。勢いもある。これが若さですか?「決定版!」とか「爆演!」ではないし「地味渋系の極致」とも言えないが、題名通り青春まっしぐらの迷いない世界は眩しいものです。どれも楽しめました。(オーケストラのコントロールは非常に優秀)
Bach 「音楽の捧げもの」〜パイヤール室内管メンバー(1974年)にて。これはもっとも最初期のディジタル録音であり、パイヤール盤による室内楽編成によるもの。ま、ジャリ(v)もラリュー(fl)も音が出た途端「この人」と理解できる、ヴィヴラートたっぷりで明るい音色です。Bach は表現の多様性を許容するし、厳格なる演奏には少々カタが凝るのも事実ながら、ワタシはこのゆったりとした優しい演奏には少々違和感がありました。でも、トリオ・ソナタはワタシがもっとも愛する音楽のひとつですから・・・(250円だし)
ストコフスキー版「展覧会の絵」(1966年)〜オーケストラはニュー・フィルハーモニア管を。これはSP時代の録音(一部)、FMでBBC響のライヴ(これも一部)で存在を知っていて、楽しみにしていたもの。例のphase4録音じゃないの?Ravel とは別な意味合いの極色彩の編曲は存分に楽しめるが、そもそも極端なるテンポの揺れ、大仰なる詠嘆、これこそ爆演系!といった演奏で、それに不自然なくらいの右左に分かれるステレオがあざとい印象を加速します。元気良いときに聴いてね、的録音か。フィル・アップは「禿げ山」「1812年」「だったん人」だけれど、まだ聴いておりません。これも250円。
2004年7月某日
猛暑続いていて、試しに寝るときにエア・コン付けっぱなしにしてみたけれど、これはこれで体調によろしくない。いったいどうしたら良いのか。
Mahler 交響曲第2番「復活」(第1/2楽章のみ)〜デ・ワールト/オランダ放送フィル(1993年コンセルトヘボウ・ライヴ)を。二枚組に、この作品のみ(86分は長いが)という贅沢収録だけれど、1000円(税込)で購入はまあまあの水準か。正直、まだ様子がわかりません。先入観(あくまで)ではオーケストラの技量問題、デ・ワールトは(もちろん)爆演系ではないので、聴き手は細部まで集中して演奏的配慮を読みとる必要有・・・ということでしょうか。
Ravel 「ボレロ」「ラ・ヴァルス」〜バーンスタイン/フランス国立管(1975年)・・・再聴したらようやく様子が見えてきて、ははぁ、なるほど。ワタシ、この作品は超難曲(演奏する側もそうらしい)と思っていて、ココロから楽しい!演奏は少ないと感じます。ようはするに、いつもバーンスタイン節全開で横幅の広い、少々粘着質で粗削り、彫りが深く情熱的な表現というと言うことです。オーケストラがフランスである必要性をほとんど感じない。
これはこれで個性が明快で嫌いじゃないし、ファンの方はタマらんだろうな。ワタシの好みは少々いい加減で、仮にヘロ・オーケストラであろうとも、えも言われぬアンニュイな雰囲気横溢!でしょうか。でも、ブーレーズ/ベルリン・フィル辺りのフランス音楽に(おそらく、もっとも)痺れるのも事実。
続くオーマンディの「牧神」「海」「逝ける女王のためのパヴァーヌ」は、手慣れた、というか、やや走り気味(間が足りない)っぽいが、豪華な雰囲気もあって完成度が高い。曖昧に細部を流したような演奏じゃありません。但し、「牧神」「海」ともブーレーズに心酔仕切っているので「ま、こんなものかな」程度の感心度合いか。オーケストラは厚みがあって、とても上手い。音質だって悪くない。
(帰宅後)
なんか事務所に終日じっとしていると、ヒジョーに疲れる。明日は昼から山口出張。いくら暑くてもやはり出歩かないと調子が出ないものです。(性格的に)通勤ではTchaikovsky「白鳥の湖」(抜粋)〜フィストラーリ/オランダ放送フィル(1973年)を。これは昔から定評ある演奏で、ルジェーロ・リッチがソロ・ヴァイオリンを受け持っております。phase4録音!なんてLP時代は一世を風靡したものだけれど、今となっては音の劣化もあるし、各パートの定位も不自然。オーケストラにも少々不満はあるが、やはり熟練の聴かせワザみたいのはちゃんとあって、楽しめました。(LONDON国内盤POCL-90019)
そういえば(数ヶ月前に購入した)同じ「白鳥の湖」(抜粋)、しかもphase4録音で、ストコフスキー/ニュー・フィルハーモニア管(1965年)でも、音の劣化は目立ちましたね。但し、エールディスクの海賊盤だから仕方がないが。(いっしょに収録されているピアノ協奏曲第1番〜アシュケナージ/マゼール/ロンドン響〜1963年録音〜音の状態はとても良好なんです。もちろん演奏も!)
帰宅し、札幌BOOK・OFFの成果(@250)のひとつであるBruckner 交響曲第9番ニ短調〜ハイティンク/コンセルトヘボウ管(1981年)を。ああ、この時期に彼の熟成がはっきり成果を上げてきたんですね。のちウィーン・フィルと再録音した第3/4/5/8番同様、自然体のままひたすら昂揚して、オーケストラは非常に美しい。録音水準が主眼ではないが、劣化してしまったphase4録音とは段違いの奥行きと情熱と、清々しさがあって、驚くべき感動が待っておりました。第1楽章ラスト、ダメ押しのような激しいリズム。続く第2楽章の文句ない躍動感。そして終楽章は神々しいまでの静謐と純化。
2004年7月某日
暑い。寝苦しい。これじゃ夏ばてするわな。いえいえ、頑張ってお仕事行きまっしょい。
CD買いすぎです。頑張って聴かなくっちゃ。一連の札幌BOOK・OFF(まさかあんなに出物があるなんて?)購入前に、Mahler 交響曲第1〜5番〜ベルティーニ/ケルン放響(1986-91年ライヴ)を購入していて(3,880円)第4番(終楽章)〜第5番を。(第4番泣き別れ収録は仕方がないのか)日本のバブル時期に来日してMahler を全曲演奏したと思うが、なぜか第6〜10番(+「大地の歌」)が廉価ボックスで復活しません。演奏は細部まで透徹した集中力が文句ない説得力となって、手持ち中CDでも出色の感動を呼びます。(ジャケット・デザインのセンスなさには少々閉口)
今朝、Ravel 「ボレロ」「ラ・ヴァルス」〜バーンスタイン/フランス国立管(1975年)を。演奏云々するほど集中できてません。コレ1995年に出たSONY国内盤(定価1,000円)だけど、どうしてこの後に、「牧神」「海」(1959年)「逝ける女王のためのパヴァーヌ」(1963年)〜オーマンディ/フィラデルフィア管が組み合わされるワケ?SONYってそういうの多いですよね。どうせならオーマンディ音源だけで固めればよろしいのに。でも、@250ですから。
1998年に「ニューヨーク・フィル/The Mahler Broadcasts」という10枚ほどのセットが出たでしょう。歴代、ニューヨーク・フィルを舞台に繰り広げられた名演奏を集めたものでして、ワタシには高価すぎて手が出ません。その宣伝盤みたいな抜粋一枚物が手に入りまして(@250)、第5番第1楽章(テンシュテット1980年)、第7番第3楽章(クーベリック1981年)、第6番第3楽章(ミトロプーロス1955年)、第1番第4楽章(バルビローリ1959年)・・・同列には語れない演奏だけれど、いずれ最良絶好調時のニューヨーク・フィルの姿が捉えられておりました。(音質もこの一枚を聴いた限りでは相当に状態がよろしい)
ウチのBBSでも少々話題になった「クーベリックはライヴこそ!」論議(ワタシはスタジオ録音も愛しているが)の有力証拠になりそうな、明快でアツい演奏でした。バルビローリの第1番も、おそらくはハレ管とのスタジオ録音より自信とスケールに充ちて、久々の古巣(トスカニーニの後任で評判悪いままシェフを退任したが)での演奏は燃えるよう。
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うむ、さすがにお仕事は溜まっておったのう・・・夕方、上司から別室に呼ばれ、なにを叱責されるのか?はたまた北海道支所への急な異動か?(望むところ)と、思ったら、現在職場一人欠員でようやく8月初旬に一人新人(35歳途中採用。履歴書見ると有名大学出、有名企業で営業をやっていた人らしい)が入るけど、面倒見てちょうだいと、我がチームで。う〜む、戦力になるには上手く行って3ヶ月は掛かるから、いや、もうたいへん!どないしょ。しばらくご無沙汰していた四国方面にも行かなくっちゃな。早速週末に松山打ち合わせ入れました。
バスの都合で朝の出発を(以前より)30分遅らせて(でも9時までに職場に到着する)いるが、たっぷりゆっくり音楽聴けます。Handel 「水上の音楽」「王宮の花火の音楽」〜ストコフスキー/RCAヴィクター交響楽団(1961年)を。これはもの凄い大編成で、しかも残響タップリ・超豪勢な演奏に痺れます。こんなのを聴いていると、かそけき響きの少人数古楽器なんて聴いてられないぜ!的心境に至りましたね。ところが!LPには収録されていた「花火」がない!どうして!いかんなぁ、そこをサボっちゃ。
出発までの残り時間、Bartok ピアノ協奏曲第1番〜ヤンドー(p)/リゲティ/ブダペスト交響楽団(1994年)を。ワタシはこの作品を気に入っているが、正直「こんなのが良い演奏」みたいな基準を持ち得ておりません。第1番〜第3番収録で@250なら文句なく楽しめる演奏であり録音水準に間違いはないが。
通勤ではMozart 交響曲第41番/未完成〜ヨッフム/ボストン響(1973年)を。これは今回購入した中でももっとも注目していた一枚で、期待に違わぬ濃厚な内容でした。最初にコメントしておくと、弦がやや刺激的(但し、ディスク・マンで聴くと。室内のコンポだとそんなことはない)ながら、ボストン響の落ち着いて涼やかな響き(独墺系重さはない)が理想的に生かされ充実しております。かつて聴いたことのない内声部の美しい旋律(例えばヴィオラ)など纏綿と歌わせ、細部にアクセントやら主張をちりばめて、一見自然体、じつはこれはもの凄く個性的なワザです。(「ジュピター」終楽章繰り返しも衝撃的)
「未完成」も同様。落ち着いた味わいだけれど、聴き手をけっして飽きさせない主張と歌と味わい有。(けっこう煽ってますよ)嗚呼、ボストン響って素晴らしく優秀なオーケストラだね。先日聴いた「ダフニス」(ハイティンク 1983年)でもそうだった。これって二人ともコンセルトヘボウの指揮者じゃない。ジャケットも素晴らしい。で、これも@250也。
2004年7月某日
木金土と量的にはともかく連続で酒席だったが、体調が非常によろしい。涼しいということもあるのかな。土曜日は高校の同級生二人と三軒(ビール屋とビートルズのライヴの店とお刺身屋)回ったが、熟睡〜寝覚めまったく爽やか。札幌で中央卸売市場(札幌でのマンションはその側。ちなみにワタシが育ったのもそのご近所)は観光コース化していて、「ウニイクラカニ丼」みたいなお店がたくさんできているが、ま、ものは試しと両親連れて行ってみるが、正直バカ高い。一見さん観光客には良いのかも知れないが、あれだけの出費をするんだったら、フツウの飲み屋に行った方がずっと経済的で実質的でした。
両親は驚くほど元気で、日曜昼から札幌→白老まで高速で帰るが、いやウチの爺さん飛ばすこと飛ばすこと!両親の温泉付き住宅は泉源工事中で使えず、ご近所お友達別荘(の風呂)を借りに行くが、今時の住宅はお洒落ですね。実用的だし、明るいし、スペースを広く取るし、天上が高いし・・・ご近所回転寿司屋に行ってみるが、(予想通り)激旨で、生ホッキ貝とかトロとか、エンガワとか、ホタテとかバリバリ喰(爺婆もよう喰うで)っちゃうが、一人当たり1,500円に満たず。(岡山の寿司は、じつは「寿司風のもの」であって、寿司ではないのか?)
嗚呼、第1次夏休み堪能しました。2kg体重復活して戻ってきたので、明日からまたダイエットだ。
夜中/早朝に持っていったCDは全部聴きましたよ。プレヴィン/ロサンゼルス・フィルのフランス音楽集(1989年)〜これは、ジュリーニの薫陶を受けたオーケストラが、プレヴィンでさらに磨きを掛けた時期(短い間ではあった1986-89年)の貴重なる録音です。ちょっとウェットで豪華な響きは馴染みだけれど、更に香りとか、繊細さが加わって素晴らしい。PHILIPSの優秀録音(会場の響きを感じさせる)のチカラも大きいが。
更にロサンゼルス・フィルだけれど、1960年代〜70年代に黄金時代を迎えたメータの指揮で「悲愴」(1977年)「展覧会の絵」(1967年)を。こちらは英DECCA録音(これも鮮明なる音質だけれど、PHILIPSと思想が異なる。個々のパートを良く鳴らしましょう、といったところか)となります。非常にカッチリとした旋律の歌わせ方をする人で、表現としてはエキセントリックなところはないが、輝かしい若さと勢い!みたいなものを感じます。アンサンブルは充実して優秀。精神性とか、泣き、みたいなものとは無縁ながら、ワタシはとても気に入りました。
Sibelius 交響曲第5/6/7番〜マゼール/ウィーン・フィル(1966/68年)にて。じつはLP時代(中学生時代)から馴染みの演奏でして、できれば残りの第1/2/3/4番も手に入れたいところ。はっきり言って、Sibelius にしてはかなり異質な、オーケストラの(強引な)コントロール完璧、充実しきった、アツい演奏でして、一般的にはお薦めできません。でも、主張がとてもわかりやすい。ま、先日のロジェストヴェンスキー盤もそうだけど、Sibelius はいろいろな演奏があって(なかには大勘違い演奏も)、どれも楽しめます。これも英DECCAの名録音。
さて、猛暑の岡山に戻って参りました。女房は広島の息子部屋のガサ入れを敢行したとのこと。(女の影有。しかに汚いことに変わりなし)明日からお仕事復帰だ。
2004年7月某日
本日から両親の札幌のマンションに移るので、サイト更新も閲覧もお休み。音楽は聴いていません。リュックが重くなったから荷物を送り返そうかな?CDもごっそり買ったし。昨夜は「暴飲暴食」迄はいかないが、少なくともダイエット状態ではないことを反省。
お昼はきっと両親と外食だし、カロリーコントロールは難しいか。夜は高校時代の友人と飲むしね。気を付けましょう。それにしてもこの爽やかな天候・・・しかし、新潟県福島県の豪雨被害はまだまだ油断できない状況らしい。心配です。
2004年7月某日
昨夜早朝出発で長旅、しかもお仕事後久々の酒席(9時にて辞去)ということで、朝までぐっすり眠れました。経費節減とはいえ、全国共通メニュー(火の通したものしか出ない)というのは残念。朝から午後2時まで会議。急いで仙台空港まで行ったら一本早い札幌便に間に合って、夕方には到着してました。
ふだんの出張ではけっこうバスを使うが、千歳からはやっぱりJRだな、風情があって故郷の青々とした景色を楽しみました。BGMは先日お見舞いで貸与いただいたBach 管弦楽組曲第2/3番〜ダート/フィロムジカ・オブ・ロンドン。これモノラル録音ですね。少々ステレオ・プレゼンスを付け加えているみたい。
演奏は1950年代(録音年詳細不明)とは俄に信じがたい現代的、颯爽としたテンポでして、時代的に古楽器は使用されないが、その味わい充分なる先鋭さ。続くブランデンブルク協奏曲第2/3/4番(こちらは1957年ステレオ)も同様の躍動感があって、当時としては珍しいリコーダーをちゃんと使っております。
あえて文句を付けるとすれば、現代の水準から考えて技術的にやや劣ること。数日前、イル・ジャルディーノ・アルモニコのライヴ録音を聴いて、その強烈なる技量に舌を巻いたばかりですから。札幌では明日から両親のマンションに泊まるが、本日はインターネットでホテル予約。ちょっと場所的設備的に失敗だったかな?
当初、きょう高校の同級生と飲む予定だったが、本日なんたら花火大会とかで職場の納涼会(充分涼しいじゃない!)やらなんやら、明日に順延しました。昼の弁当をムリして完食した(ビンボー症な)ので、これからぼちぼちウマいもんでも一人喰いにいこうかな?道理で浴衣(日本人にはほんまに似合う)のお姉ちゃんが多いと思った。
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ホテルで洗濯などしつつ、ぼちぼち勝手知ったる札幌の街へ・・・ワン・パターンではあるが足はBOOK・OFFへ。毎年帰省する度寄っていて、裏切られ続けた店ではあるが、とうとうやりました!我が「KechiKechi人生」最大の収穫!計24枚7,000円也。ただ安いだけじゃないよ!正直、数日前「このCDはいつか買いたいんですよ」と、知人と話し合ったり、本を読んでいて「一度これは聴いてみたいな」なんて思っていたCDが@250で!眼前に!
例を挙げましょうか?Tchaikovsky 交響曲第4番ヘ短調〜セル/ロンドン響(1962年)、Bruckner 交響曲第9番ニ短調〜ハイティンク/コンセルトヘボウ管(1981年)、Mozart 交響曲第41番/未完成〜ヨッフム/ボストン響(1973年デジ・パック仕様)、R.Strauss「ドン・キホーテ」〜ミュンシュ/ボストン響/ピアティゴルスキー(vc)(1953年)・・・もっと凄いのあります。
正直@250でめぼしいもの(もちろん既に所有しているものは避けて)は買い尽くしました。でも、DG、EMI、PHILIPS、SONY辺りの定評ある名盤が@750でごっそり残ってます。(先日、新宿で@800にて購入したブーレーズ/クリーヴランド管の「春の祭典」(旧録音)は、オルジナルジャケット仕様@750でありました。悔しい!)ワタシは二枚組@750を三組買ったが、一枚@750には手を出しておりません。(セル/クリーヴランド管のTchaikovsky 交響曲第5番にはおおいにココロが揺れました)
で、なんというか一種の陶酔感を伴ってホテルに向かっていたら、「炭火焼き」の店(宗八ガレイが喰いたかった)にふらりと。ビールをゆっくり飲みながらCDを一枚ずつ確認していたら「クラシックお好きなんですか!」と、飲み屋の若いお姉ちゃんが・・・だから北海道は好き!吹奏楽でホルン演っていたそうです。「ネットでKechiKechiと検索してね」とお願いしておきました。
9時以降は何も喰わないことを実践してきたけど、やっぱり札幌はラーメンは避けられないでしょう。だって、たっくさんお店があるんだもん!で、いそいで食べていこうかな、と、いくつかもお店を覗くが「一風堂」みたいな博多ラーメンの有名店を札幌で、というのも間が抜けているし、かといって一人もお客が入っていない(過去の経験で、空いている店は必ず旨くない)店には入りたくない。
で、ナントカという店に入ったがエラくお客が並んでいて、20分ほど・・・で9時過ぎて、帰る頃には10時前でした。太麺の角、縮れで北海道ラーメンの王道なんだけど、醤油ラーメンを頼んだら、トンコツ醤油でした。トンコツ系の東進は本格的だね。ま、旨かったですよ。相当に。
2004年7月某日
早朝、女房のクルマで駅まで送ってもらって東京経由仙台へ。隣のバリっとしたスーツ姿のエリート・サラリーマン風男が、居眠りもたれ掛かってくるのが少々苦痛でした。時刻通り、仙台の事務所に集合してあちこち訪問〜夜は懇親会。ま、経費節約上、たいした料理はないけれど(ほや喰いたかった)久々のビールはするすると入りました。仙台は想像以上に涼しいね。
なんせ長い移動時間だからたっぷり音楽を。まず、一昨日からの流れでTchaikovsky「マンフレッド交響曲」〜レナールト/スロヴァキア放響(1988年)にて。アブラヴァネル盤がどうの、ということでもないが、こちらには少々色気が足りず、乾き気味な印象有。でも、この作品にはいっそう馴染みましたね。
最近購入したカーゾン(p)のボックスから、Beethoven 「皇帝」(1949年)、Tchaikovsky ピアノ協奏曲第1番(1950年)〜但し、これはセル/ロンドン・フィル/ロンドン響のモノラル録音。ワタシは「皇帝」をかなり苦手としていまして、あの押しつけがましい勇壮さは・・・もっと、優しく、そっとデリケートに・・・なんて期待していたら、セルのバックはいっそう強硬に、強面に、強烈に、で、いやぁ、もう参りました。カーゾンのリリカルなピアノは「ああ、この第2楽章は小学校の卒業式に流れていたな」なんて、そんな思い出が蘇りました。(なんで小学生がそんな曲知っているんだ?生意気な!)
Tchaikovsky 交響曲第5番〜これはアブラヴァネル/ユタ響(1972/73年)で。先日の岡大響ライヴですっかり目覚め、お気に入りの作品となりました。移動中も新潮文庫版「チャイコフスキー」など読みながら楽しんだけれど、ああ、オーケストラに色気が足りない、旋律表現としてやや生真面目過ぎて面白みがない・・・とか思いながら、音楽のほうも楽しみました。
交響曲第2番も一緒のCDに収録されていて、演奏はいっそうぎこちない感じが募るが、作品的には、ああホルンがロシア民謡風でいいじゃない、なんてこれも楽しめましたね。
さて、東北新幹線に乗り換え、仙台も近づいて参りました。Mahler 交響曲第1番〜コリン・デイヴィス/バイエルン放響(1988年)を。当たり前の話しだけれど、クーベリックの全集録音に味わいが似ている。録音が新しいだけ、細部の繊細な表現がいっそうわかりやすく、虚飾ない、まっすぐな、それでいてオーケストラの暖かさがしっかり伝わります。
明日、会議対応したあと、札幌に向かいます。
2004年7月某日
新潟福島両県では大水害。お見舞い申し上げます。偶然、ここ岡山は大きな災害が少ないところであることを感謝しましょう。自然の猛威の前では人間は無力です。昨夜、エアコンは付けたが、寝るときには止めました。
昨夜、(しつこく)Nielsen交響曲第4/5番〜リーパー盤を。やっぱりこの曲は素晴らしい。明日からの出張にはオーレ・シュミット全集持っていこうかな?これも他サイト絡みで(音楽をセレクトするキッカケってこんなもの)Mahler 交響曲第1番〜スウィトナー/シュターツカペレ・ドレスデン(1962年)を。このオーケストラのMahler 録音は稀少ですよね。LP時代からお気に入りでした。いうか、特異なオーケストラの個性が出ていて、一聴の価値有。但し、全面賛同ではないが。
今朝、(時々取り出す)Bruckner 交響曲第5番〜朝比奈/シカゴ響(1996年ライヴ)の第1楽章。テレビ放送をモノラル・ビデオで録画し、音源のみMDに落としたものだけれど、粗削りで茫洋としたスケールには好感が持てます。Brahms 交響曲第2番ニ長調〜チェリビダッケ/ベルリン・フィル(1949年)を。緻密で細部まで計算され、これは成功したほうの演奏だと思います。続く第4番(1945年)もスタイリッシュなカッコ良い演奏。イタリアの放送オーケストラとの全集を再確認したくなりました。
さて、本日は昼から地元取引へ。エラいさん会議対応と、その後遅くまで商談決着です。
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いろいろ諸作業午前中でこなしつつ、実質上昼飯喰えず(カップ麺サンプルなど)〜出先でお客様との会議は、いや眠くて眠くて。終了後、少々打ち合わせ、更に二本商談〜終了は7時半でした。ああ、なんとか一日乗り切った・・・疲れました。
アブラヴァネルのSibelius 交響曲全集〜「オーケストラの技量はアマオケ程度」といったサイト記事を偶然にみつけて、はて?そうだったかと、第1/4番を久々確認。やっぱ、なかなか良いじゃない。繊細な配慮じゃないが、誠実で真面目でした。これはけっして異質なるSibelius じゃないですよ。ましてやアマチュアと同列に論ずるなんて・・・で、出勤にはTchaikovsky「マンフレッド交響曲」(1972-3年)を、この組み合わせで。(VOXBOXの5枚組全集1,990円)
あまり聴く機会の少ない作品だから、正直どのような演奏方向が理想的かはわからないけれど、例の如しの甘い旋律を纏綿と歌わせてずいぶんと楽しめました。(通勤中に聴いたのは第1/2楽章のみ)オーケストラの技量云々にはまったく問題なし。良いですね。有名なる後期交響曲に遜色ない魅力的な作品でした。
さて明日より仙台(これはお仕事)〜北海道(これは自主夏休み)ツァーです。ゆっくり音楽を聴くため、仙台まで飛行機は使わずワザと早朝より新幹線を使います。一足先に定例更新〜音楽日誌はホテルにインターネット接続環境があれば更新可能。
2004年7月某日
朝晩は涼しくて良い感じだけれど、職場の席には「エアコン直撃」状態であまりカラダによろしくない感じ。昨夜、なんか音楽を聴いたんだろうが、まったく記憶が蘇らない。ぼけぼけです。
今朝、Mozart ピアノ協奏曲第17/24番〜プレヴィン(p)/ボウルト/ロンドン響(1973年)を。穴場的期待録音で、当然ダメ演奏であるはずはないが、まだまだ自分なりの印象はまとめられません。他の方のサイトBBSで「読響で『不滅』聴いてきました!」とあって、久々Nielsen(1865-1931) 交響曲第4/5番を。(何度かクソミソにサイト上も言われた)リーパー/アイルランド・ナショナル響(1992年)の演奏で。
Nielsenは人気という点ではイマイチかも知れないが、洗練された旋律がカッコ良い作品ですよね。ティンパニ、小太鼓ソロ大活躍!昨年だったかオーレ・シュミット/ロンドン響の全集(1974年)を購入していて、リーパー盤への批判も「なるほど」と思うほどの迫力と緊張感を実感したものです。でもさ、いいじゃない。少々ヘロ演奏でも。「どちらか選べ!」なんつう状態にないし、両方とも(格安で購入。正直シュミット盤のほうが半額くらい)全集3枚分購入して手許に置いておけるし。
リーパー盤の少々ユルい演奏も、ゆったり楽しめました。なんでも「ベスト演奏!」ばかり追い求めなくても良いじゃない。さて、出掛けますか。
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ええっと、広島は三週間ぶり以上?ま、以前と変わらず迎えてくださいました。そういえば、昨夜聴いた音楽を思い出しました〜オーマンディ/フィラデルフィア管によるWagner管弦楽曲集(1959年CBS録音)。録音演奏とも立派なもので、深淵とか情念とか、そういう方向を求めると少々アンマッチかもしれないが、バランスと迫力はもちろん、ムードたっぷり豪華サウンドが楽しめましたね。
本日、新幹線在来線移動中の音楽は、まずMozart 交響曲第40/41番〜ペーター・マーク/フィルハーモニア・フンガリカ(1969年)を。年代的以上に少々音質難有、しかもオーケストラの音色に色気不足気味ながら、良く歌ってのびのび美しい演奏でした。とくに「ジュピター」が出色。有名定番ハ長調交響曲を、ここまで説得力ある意欲的表現で聴かせて下さる実力に脱帽。引き続き、今朝「ようわからん!」と思ったプレヴィン(p)のMozart を。
ボウルトのバックは充実して、プレヴィンの楚々としたピアノは透明です。ところが録音が悪い。良く歌っているはずのロンドン響各パートが平板、しかもオーケストラを全力で鳴らすと響きが濁るんです。そんなに大昔時代じゃないのに、ピアノ・ソロが少々浮き上がった感じもあって不自然。でも、演奏は最高じゃないかな?とくにハ短調協奏曲の劇性(バック)と清楚なソロの対比はお見事。これはスタインウェイじゃないように聞こえます。もっと地味というか・・・録音の加減かも知れないけど。
録音といえばメータ/ロサンゼルス・フィルのR.Straussを数枚。英DECCAの録音は定評あるものだけど、ヘッド・ホンで聴くと、ひとつひとつのパートがバラバラに独立して配置されている、音の鮮度とかトータルとして部屋に音が混じり合って流れると問題ないが、じつはそれは耳の錯覚かも知れないな、と感じました。ワタシはR.Strauss作品の演奏嗜好指針みたいなものを持ち合わせないが、「ツァラ」(1968年)「ドン・キホーテ」(1973年)「アルプス交響曲」(1975年)いずれも、若さと自信に満ち溢れた、明るい希望と勢い!みたいなものを感じさせて、キモチ良かった。
それにしても、1970年前後のベストセラーがウソだったみたいに、彼のR.Straussは(後のニューヨーク・フィルの録音含めて)評価されなくなりましたね。どうしてだろう。
2004年7月某日
参院選挙結果は興味深いものだけれど、前回総選挙と同じ感想で、公明党の支えで自民党の退潮状況が徹底されない、意見の多様性が民主主義の根幹だと思うのに、少数政党がますます消えていく、という状況が残念です。ワタシの地元、岡山は保守王国(衆参院自民独占)だけれど、自民党完敗は少々溜飲を下げた感じ有。ワタシの故郷である北海道でムネオが当選しなかったのには、ほっとしました。
Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜アブラヴァネル/ユタ響(録音年不明)を一部確認。アブラヴァネルの平明で、懊悩を感じさせない方向の解釈はこの作品では少々違和感ありますか。アンサンブルの緊張感も不足気味でオーケストラの技量問題も(この曲に限り)少々問題感じちゃいます。ちゃんと集中して再確認必要。同曲をハイティンク/コンセルトヘボウ(1970年)にて。ワタシのサイトBBSでちょっとだけ話題になっていたので。
1986年ライヴのほうは早くから絶賛していたんです。スタジオ録音のほうもけっして悪くなかったはず・・・という記憶があって再確認してみるが、表現として大仰だったり、詠嘆の表情を煽ったり、色気たっぷりの世界、とは無縁ながら、細部までオーケストラのパートの表現刻印が行き届いていて、誠実で良い演奏でした。なんせオーケストラの響きが極上に美しい。「コンセルトヘボウとの全集は珠玉です。ただし、注意して聴いていないと流れてしまって印象に残らない(私だけか?)。じっくり聴くと『滋味』溢れる演奏ですね」との書き込み有。その通り。
さて、本日はお仕事締め切り的にかなり苦しい感じ。明日終日広島だけれど、本日中に資料が仕上がらなければ、明日夜戻って大残業必須という緊迫感有。木曜から仙台〜北海道(これは自主夏休み)だけれど、水曜までぎりぎり会議やら商談遅く迄のスケジュール目白押しです。涼しいし、体調万全。切腹4ヶ所ラスト絆創膏も昨夜剥がしました。
・・・アブラヴァネル/ユタ響のMahler 第5番の件、少々追加。その後、第3楽章以降を確認するが、耳が慣れたのか?そう悪い演奏ではありません。コンセルトヘボウと比べてしまうと分が悪いが、第3番同様「亜米利加の田舎」風真面目な演奏で、有名なる「アダージエット」も誠実かつ美しいものと思います。全体として緩い、といった雰囲気はありますが。
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お仕事、少々ムリムリながらなんとか辻褄合わせちゃう。7月は(おそらく)余裕で予算・昨年実績達成で、数ヶ月掛けて勝負を掛けた結果出ております。まだまだ正念場だなぁ。今週は初日からオツカレ気味。明日、早朝より広島へ。
通勤では、Sibelius 交響曲第1番ホ短調〜バルビローリ/ハレ管(1957年)の旧録音を。1966年の再録音(完成度高し)に負けず劣らず、自信と確信に充ちた意欲的な表現だけれど、少々音の状況が厳しい(ステレオ録音だけれど、劣化もありカタく、ヒステリックでもある)のと、アンサンブルに少々難も有。しかし、燃えるような情熱に圧倒されます。これはこれで貴重なる記録でしょう。(DUTTON CDSJB 1018)
2004年7月某日
休み。やはり早朝覚醒。
昨日購入したCDのレシートを調べていて(たいていCDに同封しておく。値札があればそれも貼っておく)じつは「二割引」であったことを発見。つまりシュナーベルのBeethoven ピアノ・ソナタ全集は1,400円某ということでした。ほか、カーゾンの4枚組(セル/ウィーン・フィルとのMozart 第23/27番が欲しかった。1964年)やら、Mozart 第17/24番〜プレヴィン(p)/ボウルト/ロンドン響(1973年)とか、Spohrのヴァイオリンとハープの作品集(NAXOS)とか、ぜ〜んぶ二割引、更に△400円の割引券使用。ええっと、昨日から今朝まで4枚ほど確認。Mozart へのコメントは難しいね。どれも素晴らしく思えて。
シュナーベルは、ソナタ第14/15/16番+第29番「ハンマークラヴィーア」(1933-35年)を聴いてみるが、正直まだ様子がわからない。で、以前購入していたXXCM10枚組シュナーベル・ボックス第2巻〜ピアノ協奏曲第1番ハ長調(バックはサージェント/ロンドン響 1932年)を。このレーベルの復刻思想は、その道に詳しい方に伺うと芳しくない評価だ(そうだ)が、とても聴きやすい音質だと思います。カーゾンの師匠筋らしいが、しっとり落ち着いた味わいは共通しているでしょうか。珍しくこの作品を堪能しました。(苦手Beeやん5曲中では相対的お気に入りでもある)
午前中、投票、数年ぶりに壊れた「お風呂水ポンプ」購入に出掛け、ついでに食材も買い求めちゃう。入院手術で5kg減ったはずが、2kg戻っております。別に暴飲暴食していないし、やっぱり筋肉が落ちただけだったんだな。
昼から、Mahler 交響曲第3番〜アブラヴァネル/ユタ響(1974年)にて。少々緩くて、長大なる第1楽章などテンションが下がる場面もあるが、後半に行けば行くほど素朴かつ平明なる精神が快くなります。クーベリックとはまったく別な意味の、飾らない演奏。
その後、昼寝ちょろりと。外出していた女房からの電話で安眠を妨げられ、洗濯物を入れろ、(んなものさっさと入れていたわ!)と。テレビをちょっと見たが、全然ツマらない。やっぱ、選挙だな。夜が楽しみ。
2004年7月某日
今朝も早く目覚めてしまう。でも、よく眠れてます。
昨夜、珍しくTchaikovskyの交響曲2曲。第5番〜ジークフリート・クルツ/シュターツカペレ・ドレスデン(1978年)は、オーケストラの涼やかな響き前面のカッチリ整った演奏です。オーケストラの魅力に文句はないが、この方向が気に入ったかというと別の話となります。第6番はマルティノン/ウィーン・フィル(1958年)〜じつはこのCDを棚から探すのに3時間くらい掛かっていて、ようやく発見!記憶では燃えるような、ノリノリの演奏だったはずが、どうも集中できません。これは聴き手の状況問題かな?ちょっと粗い、というか、乾き気味というか。
Brahms 交響曲第3番ヘ長調+ハイドン変奏曲〜マンデール/ブカレスト・エネスコ・フィル(1995年)にてずいぶんと久々。このCD、まだARTE-NOVAが出始めの頃、かなり割高で購入した記憶(12枚組壱万円くらい?)有。オーケストラの響きがやや薄くて、素朴な音色ではあるけれど、親密で誠実で、暖かい粘着質があって好感が持てます。当時、「ルーマニアのオーケストラ!」というだけで、興味を持ったものです。今は昔。
Tchaikovsky 交響曲第6番「悲愴」〜シュミット・イッセルシュテット/北ドイツ放響(CD化されていない?はず。某人よりご貸与いただいたもの)を。先ほどのジークフリート・クルツ同様「独逸的」(この表現ヤバい)方向〜つまり端正で構成かっちり〜だけれど、感情移入というか、「悲愴」に相応しい(それこそ憂愁なる)旋律表現の深さに圧倒されます。いわゆるロシア風粘着質とは無縁。良いオーケストラですね。どこの原盤なんだろう。テレフンケン辺りか?
さて、本日は山口方面にお客様表敬訪問。ほんまは入院中に行くべきだったんだけれど、二週間遅れの様子見で、売り場写真撮って〜気楽なものです。夕方、職場にちょっと寄ってヤボ用こなして、そのまま岡大響サマーコンサートに行くつもり。新幹線移動中のCD選定しなくちゃ。
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万事予定通り。ラフな格好で出掛けたので、それ用のベルトを付けたら穴が一個以上縮まっている〜なんとかこの調子で・・・ムリか。精神的な問題か、テンション高い音楽が楽しめます。レーグナー/ベルリン放響(旧東)でBruckner 交響曲第4番 変ホ長調(1983年)を。先々月、東京で「唯一買い残して10年」ようやく(安く)手に入れた一枚。(500円)茫洋たるスケール感、とは無縁の、すっぱり粗削り(アンサンブルが粗いワケじゃないが)ノリノリの演奏です。高らかな金管の絶叫は爽快であり、ノーテンキさを意味しません。キモチよろしなぁ、こんな演奏。
二年ほど前に(250円で)購入して放置していた(聴く勇気が出なかった)Beethoven 「エグモント」序曲、七重奏曲 変ホ長調、交響曲第7番〜トスカニーニ/NBC響(1939年ライヴ)を。音の状態を越え(ワタシは音楽の姿を理解できる水準だと思う)、アンサンブルの鋼のようなテンションの高さ、よ〜く歌う旋律、快速ノリノリのテンション、どれも素晴らしいと感じました。七重奏曲って、もっとのんびり優雅な作品だと思うから、少々違和感はあるが、それでもイキイキとした表情は得難いもの。交響曲第7番に感動するなんて、何年ぶりだろう・・・?
演奏会前にGroovin'(表町のほう)に寄って、CD少々購入。シュナーベルのBeethoven ピアノ・ソナタ全集(これが”少々”か?)は、先日メールをいただき「こんなにたくさんの情報が入っているなんて!」と気になっていたもの。XXCM10枚組1,700円だったら博打もよろしいでしょう。ま、このシリーズの復刻技術はかなり怪しいらしいから、数曲聴いた印象では(演奏ともかく録音では)「こんなものかな?」といったところ。
岡大響の演奏会には驚きました。すっかりTchaikovskyに魅了されました。名曲再発見。
2004年7月某日
よく眠れます。そして朝早く目覚める。昨日は夕方に大雨が降ったから涼しかったんです。切腹後、どこも痛くもカユくもないし、良好なんだけど、やはりなんとなくツカれやすい、というか、ムリが利かない感じも有。ムリなんて全然していないけど。
昨夜、いろいろな「ダフニス」を少しずつ確認。ミュンシュ/ボストン響(1955年)〜躍動感生命力がアツい演奏。マルティノン/シカゴ響(第2組曲 1964年)〜オーケストラの圧倒的技量、華やかさが快感。正直、ここ最近「ダフニス」マイ・ブームでして、何回聴いても痺れます。厭きませんね。繊細なガラス細工のようにキラキラとした響き。
今朝、Mahler 交響曲第7番〜ハイティンク/コンセルトヘボウ管(1969年)を少々。ちょっと集中できません。正直、ワタシの標準はロスバウト/ベルリン放響(旧西 1952年)(の妖しい演奏)に基準があって、少々まっとう真っ正直過ぎか?とも感じます。Sibelius 交響曲第5/7番〜バルビローリ/ハレ管(1966年)を。
じつは念願の正規全集(EMI 7243 5 67299 2 6)とうとう購入しまして、冷涼たる詠嘆に連日痺れております。上手いオーケストラってなんだ?と、悩みます。「この作品は十八番(おはこ)です!」的自身に満ち溢れて、細部に至るまでとことん歌い、金管の大爆発は、おおいなる説得力で聴き手に訴え掛けます。これは「ベルリン・フィルが、シカゴ響が」的金管の威圧感とは質がまったく異なる。魂が揺さぶられるような「泣き」の音楽。
病院出発まで時間があったので、Mahler 交響曲第7番〜ハイティンク盤(1969年)ちゃんとラスト迄。更に第1楽章再聴。第2楽章に入ったところで「!」と来て、これはFMエア・チェックして最初に馴染んだ第7番であることに気付きましたね。静謐、地味だけれど細部まで配慮の行き渡った気品極まる演奏。病院へ(4ヶ所の切腹痕絆創膏のうち3ヶ所終了。あと一枚も二三日で剥がして良いよ、とのこと)の行き帰りは、Mahler 交響曲第10番〜バルシャイ/ユンゲ・ドイチェ・フィル(2001年)を。(途中迄)
彼らしい神経質に整えたアンサンブルが良く歌って美しい。オーケストラの技量にもなんら不足はないが、音録りの問題か弦がヒステリックに響く場面がありましたね。病院から戻る途中、久々「又来軒」(岡山駅西口のほう)にて「もやしそば」堪能〜いったん帰宅して、着替えて昼からは地元お取引先へ二週間ぶりにご商談。気を遣っていただいて、ワタシの復帰ぎりぎりまで企画作業締め切りを延ばして下さっておりました。少々感激。
昼休み〜お取引先移動行き帰りでSibelius 「クッレルヴォ」全曲〜プヌーラ(パヌラ?)/トゥルク・フィル(1996年)を。(一般に交響曲と訳されるが「Symphonic Poem」となっております。連作の交響詩集か)ちょうどイメージ的に、Mahler の「嘆きの歌」的位置関係でしょうか。じつはこの録音、ベルリンこんのさん激賞なんです。
購入以来数年、正直このように通して聴いたのは初めてかな?作品的に北欧の冷涼たる味わいと、人懐こい旋律があちこち木霊して立派なものだと思います。(録音や、演奏機会が少ないのが残念)オーケストラの技量含め、よく鳴って味わい系の立派な演奏(録音も)。聴けば聴くほど感興は深まります。でも、おそらくこの作品はもっと明快な見通しを付ける(メリハリか?)ことが可能なはず。やや地味過ぎ、まだ難解か?ベルグルンド辺りで一度聴いてみたいもの。
2004年7月某日
暑い。エアコン掛けずに寝たので、夜半あまりの熱気に目覚め、扇風機を回して再度就寝。ま、エアコンとどちらが良いのかビミョーです。奥歯を正式に貼り付けていただくつもりで、朝ゆっくり。本日は宿題(お仕事)が溜まっております。
出張中読んだ本。斎藤茂太「おんなの神経科」(大和書房)もともと1977年出版の本だから、少々内容的には「男尊女卑」的雰囲気はあって、つまりこれからどんどん女性が社会的に進出していって、精神の病も「男性化していく」(ノイローゼが増えていく)方向は良く理解できます。おおば比呂司さんのイラストが絶妙で、太いクロッキーで一筆書きしているように見えて、ユーモラスで味わい深い。
立花隆/利根川進「精神と物質」(文春文庫)〜例のノーベル賞学者に対する詳細インタビューでして、最先端バイオのことなどな〜んもわからんが、内容の水準を落とさずに、できるだけわかりやすく解き明かす立花さんの手腕にはいつも驚くばかり。彼の書籍には、かならず「ノーミソ活性化」を実感します。利根川さんが「あまりに器用で、なんでもできる天才には新しい発見はできない。ワタシは頭悪いです。記憶力も悪い」と言っていたのは印象的。
R.Strauss「英雄の生涯」〜メータ/ロサンゼルス・フィル(1968年)を。1970年頃の大ベストセラーであり、現在やや忘れ去られた音源ではあるけれど、ワタシは注目しております。かつて人気があって、現在はそうでもない〜中古がたくさん出回る計算。「ツァラ」「ドン・キホーテ」「アルペン交響曲」と入手してきて、この度「英雄」(+浄夜)でしょ。自信に溢れ、のびのびとした語り口、緻密なアンサンブルとスケール感の同居、味わい系のオーケストラではないはずだけれど、なんと爽快なキモチのよろしい説得力・・・英DECCA録音の精華でもあります。
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歯医者に行き、二ヶ月に渡る歯の治療を一応終了。そのまま出勤、お仕事はぼちぼちです。二日間空いたワリに大した混乱はなし。明日午前中、病院に行って切腹痕の絆創膏取り替え。昼から地元取引先へ。なんとなく体調はボンヤリしていて早々に帰宅することにしたら、バス中で大雨到来〜バス停から自宅までずぶ濡れで、ちょっと待ったら即晴れました。
通勤ではBerg 歌劇「ルル」(オリジナル二幕)〜レック/テアトロ・マッシモ(2001年ライヴ)を(もちろん途中まで)。これは不気味で、恐ろしく、絶望的に美しい音楽です。筋的には魔性の女ルルが次々と男を死なせ、殺し、翻弄し、翻弄され、すべてを失い、最期は娼婦に身を落とし、切り裂きジャックに殺される、という陰惨なもの。晦渋なる作品だけれど、それでもワタシはShostakovichよりずっと好きです。
鮮明な録音だけれど、オン・マイクで奥行きが足りない〜これがずいぶんと生々しく、またオーケストラが室内楽のような印象を与えます。ワタシに歌い手の評価などわかろうはずもないが、緊張感やら感情の変遷はよく理解できると思います。オーケストラもけっして「伴奏程度」の水準ではない。ルルはエフラティというソプラノが演じているが、写真で見る限り個性的な美人です。ルルの容姿は重要でしょうね。なんせ魔性の女だから。
クリュイタンスのCDを整理していて、著しいインターヴァルでダブり買いを発見!って、「伴奏者としてのクリュイタンス」4枚組と、TESTAMENTの「フレンチ・コレクション7枚組」で、アルド・チッコリーニ(p)のFranck 「交響的変奏曲」+D'indy「フランスの山人の歌による交響曲」(1953年)〜ちゃんと聴いていない、というか、先日のアシュレイ・ローレンスのDelius辺りはさすがに記憶には残りにくいかもしれないが、我が愛しのクリュイタンスでっせ。嗚呼、情けない。せめて、反省してちゃんと聴きましょうね。
2004年7月某日
まだ切腹一週間目で東京出張とは、さすがに少々ムリか。初日早朝に出掛け(当初は会議があったが時間変更になった)数軒中古レコード屋さんを廻ってホテルに入るが、ぐったり寝込んでしまう。本日、終日会議で夕方の便で岡山に戻るが、機中にてとにかく気分が悪い・・・そういえば、右奥歯下のブリッジ仮入れのまま入院したので、これもちゃんとしないとね。忘れてました。
今回は自宅〜空港〜自宅パターンだったので、名車セルボにて往復。行き帰りでちょうどBruckner 交響曲第8番〜レーグナー/ベルリン放響(1985年)全部聴けました。速いテンポ、素朴さに溢れ、飾らず、ひたすら高いテンションが持続するのが素晴らしい。スケールを誇るような演奏ではなくて、ストレート勝負、しかし「間」に不足はない・・・出張に持参した数枚のCDからStravinskyを。
Stravinsky 「兵士の物語」〜デュトワ/器楽アンサンブル(1970年)は、演奏者、語り手の表情がイキイキとリズム感豊かなこと!ワタシはおフランス語などチンプンカンプン状態だけれど、感情表現だけはたしかに伝わって、ま、馴染みの作品ということもあるんだろうが、これほどドキドキしたのはほとんど初めて、と思います。続く「リナルド」(1972年)は初耳作品だけれど、能か狂言を聴いているかのような錯覚に陥ります。
東京ではそれほどの「出物」はなかったが、ま、数枚買いました。Ravel 「ダフニス」全曲〜ギーレン/南西ドイツ放響(1997年)は、機会があればぜひ一度、と考えていた一枚。でもさ、全曲で1トラックはないでしょ。繊細で緻密、集中力ある演奏はほぼ予想通り。妙にクール(文字通り冷たい、ということ)な演奏で、メルヘン方面とは異なります。Ravel の表現としてけっして異質ではない。
とうとう年貢の納め時というか、LP新譜で出て以来愛聴していたのに、CD時代「1,000円から下にならない」という理由で入手できなかった、「春の祭典」〜ブーレーズ/クリーヴランド管(1969年)を800円(国内盤)で発見。センス悪いブーレーズ若かりし頃の顔写真ジャケット+ほとんど意味をなさないライナー・ノーツには閉口気味だけれど、ニューヨーク・フィルとの「ペトルーシュカ」(1971年)がフィル・アップされます。(LPオリジナルの地球から次々と虹が出てくるようなイラストは、ピーター・マックスだったのか知らん。確証なし)
この演奏はまったく凄い。すべての回答がここに有。「春の祭典」はお気に入りだから、たいていの演奏に感動するけれど、細部の解像度、正確さ、表現の緻密さの徹底、あらゆる晦渋さが解消され、一点の曇りも、ムリもなく、ひとつの回答を明示していること、ほか、あらゆる演奏とは水準の異なる至高の世界に達していて、少年だったワタシはいきなり「真理」と接したことになります。ジョージ・セル統治時代のクリーヴランド管は驚愕の技巧であり、それは音楽表現の自然な帰結を促すために存在しました。
それに比べれば「ペトルーシュカ」は、バーンスタイン統治後のがたがたになったアンサンブルの引き締めに賢明であり、オーケストラの個性もあって暖かく、人間くさいユーモアを感じました。これはこれで価値ある録音だけれど、正直「春の祭典」との組み合わせにはムリがあるでしょう。
ようやく10日のブランクが自覚できてきて、少々お仕事苦戦です。しかたがない。
2004年7月某日
さて、蒸し暑い梅雨空にて全面職場復帰本日より。体調万全です。よく眠れました。しかし、膵臓の数値が完全に戻っていない、ということだから二週間ほど禁酒を決意。明日、東京出張だから本日は身辺整理含めて大苦戦するかな?これから先のスケジュール組が問題だ。まだ、行ったことのない新しい事務所へ。
昨夜、Brahms 交響曲第2番ニ長調〜モントゥー/ロンドン響(1962年)を。先月購入時に一度聴いているはずだけれど、改めて確認すると(音質ともかく)ウワサ通り極上の地味滋味演奏で痺れました。第1楽章提示部繰り返して20分〜リキみの欠片さえなく、諄々と、じんわりひろがっていく音の響きをいつまでも味わっていたい、この作品終わって欲しくない、という願いが溢れました。(「大学祝典序曲」とばして)「未完成」は1963年コンセルトヘボウとの録音。
意外と速めのテンポでさらり、恬淡として無為系の演奏に見えるが、聴き進むに連れ味わいはどんどん深まります。ああ!良いCDを買った!(PHILIPS 中古816円)両曲ともウィーン・フィルとの録音があったはずだから、一度聴いてみたいもの。
今朝、Brahms 交響曲第2番をすっかり気に入って、「録音の良いものは?」とスウィトナー/シュターツカペレ・ベルリンを。(これも第1楽章提示部繰り返している。1984年録音)ワタシのサイト極初期に掲載しているが、これはオーケストラの響きが極上に魅力的です。ホルンにはとろけます。
例えば第2楽章「アダージョ・ノン・トロッポ」〜こんな静かな音楽が、今現在の自分の心境に似合っているみたい。甘さコロして、なるべく清明な味わいが欲しい演奏です。
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久々の出勤、初めての事務所。たいしたことないですよ、10日くらい休んだって。「声にハリがない」と職場やら、電話で言われるが、それは「全身麻酔時挿管人工呼吸」の後遺症です。帰宅すると某氏よりお見舞いがまた届いており、ワタシの好みとかなりの比率で重なるたくさんの歌のプレゼント。プリ・プリの「M」〜ワタシ、奥井香の声質・歌い方大好きです!きっと現在ならもっと上手に歌うと思うけど、初々しくてこの当時の歌も素敵。涙が出るほど素敵。
ああ、ちょっとショック。入院で中止になった出張用の新幹線のエコノミーチケット、今週で期限切れです。壱万円パー。
Ravel 「逝ける女王のためのパヴァーヌ」〜ロザンタール/パリ・オペラ座管(1957-59年)。この馥郁たる香りをなんと語ったらよろしいか。21世紀に失われてしまったフランスの芳香がたしかにここに。明日、早朝より東京です。一日更新できません。
2004年7月某日
昨夜、テレビで「タケシの云々・・・モーツァルト」を延々とやっていたけれど、ふだんあまり音楽に馴染まない人には良いキッカケになったかも。でも、ラスト、オリジナル楽器によるピアノ協奏曲第20番第1楽章の「編曲版演奏」は(良い演奏だっただけに)少々噴飯物っぽいか。早々に床につき、よく眠れ、5時には目覚めちゃう。暑い。
早朝からWagner 「名歌手」第1幕前奏曲数種〜とくにレーグナー/ベルリン放響(1977年)のが、煽らずクールで落ち着いたテンポ・オーケストラの響きも良い感じで気に入りました。かなり以前に更新していた抜粋(種々雑多寄せ集め盤)を一通り聴いて、いちおうサイト加筆・更新を。この作品、好きです。Weberなんかに一脈通じて、ドイツ民衆の素朴な味わいが感じられる。
退院して一枚完全ダブり買い発見〜NAXOSの「イギリス弦楽小品集 第2集」でして、開封しようかな、と取り出したら「!」と閃いて、案の定。いやぁ、まいった。誰かにあげましょうか。それとも一度、ほかのCDと併せてGroovin'にでも売ってみるか。入院前、懸賞に申し込んでいた「チェコ・フィル合奏団」演奏会、当たっていたけれど当日出張と気付きました。残念。
Bruckner 交響曲第4番〜クレンペラー/ケルン放響(1954年)にて。正直、失念していたもの。ウィーン響盤(1951年)、フィルハーモニア管盤(1965年)同様、速めのテンポでグイグイ推進力に溢れた演奏です。クレンペラーは肝心の晩年ステレオ録音を聴く機会が少ないが、ほとんど期待を裏切る演奏に出会ったたことがありません。
Ravel 「ダフニス」全曲〜ハイティンク/ボストン響(1989年)を。これは購入時に聴いて(演奏はもちろん)録音水準にココロ奪われた記憶有。曰く「中低音が豊かで、ホールトーンの奥行きが生かされている暖色系の音が、じつにキモチがよろしい」「いやはや”極上”と言い切ってよろしいでしょう。コンセルトヘボウとは異なる切れ味と華やかなオーケストラの響きが、ゾクゾクするような鮮明な音場となって再現されます」と。
ハイティンクはお気に入りの指揮者だけれど、1970年代コンセルトヘボウとのDebussyには「いまひとつ色気が足りない」と厳しい評価をしちゃったワタシながら、その後の熟成には目を見張るばかり。自然体、コクのあるオーケストラの響きとチカラ強さ、ワタシ一押しの「ダフニス」となります。
「永遠の名盤」〜イ・ムジチ/アーヨの「四季」(1959年)を久々確認〜少々感慨をもってカルミレッリ盤、ピノック盤、ビオンディ盤と比較〜既にサイトに言及済み。Brahms 交響曲第1番〜ケーゲル/ライプツィヒ放響(1961年モノラル録音)は、音質良好。冷静で遅いテンポ、かなりていねいで慎重な仕上げになっており、詠嘆の表情が(いつも通り)不機嫌でした。完成度高い。
さ、明日から久々出勤です。
2004年7月某日
主治医モウレツに忙しく、昨日はとうとう訪問なく、看護婦からは「膵臓炎の数値が改善されていない・・・」との不安なる報告ばかり。ほんまに退院できるの?と疑問ムクムク状態のところに、朝一で採血はあるは点滴はあるは・・・ようやく主治医来訪、膵臓は飲み薬と通院で改善しましょう、暴飲暴食は避けるように、と退院決定。
さっさとカードで支払ってタクシーにて帰宅しました。さっそくサイト更新。二週間ぶりのコーヒーなど。食欲ありません。良い感じだ。(ダイエット継続に)
入院見舞いでご貸与いただいだ「サーストン・ダート/フィロムジカ・オブ・ロンドン」〜ブランンデンブルグ協奏曲(1957年)は涙が出るほど素晴らしい。録音がLP時代のイメージよりずっと良好だったこと、使われている楽器こそ現代風ながら、演奏スタイルはかなり時代を意識した切れ味のあるもので、しかも「走らない」「滑らない」。リヒターのような厳格ではなく、適度な軽快さと実直さが混じり合うコクがある。ダートの通奏低音(+ソロ)は、千変万化と評してよろしいでしょう。(かつてCD化されたが中古で手に入れるしかない)
これも同じく見舞い貸与品 Sibelius 交響曲第5番〜ロジェストヴェンスキー/モスクワ放響(1973年)を。LP時代愛聴したもので、記憶通り「迫力ある荒涼」であり、色彩感溢れる金管が妙に冷たい旋律に映えて気持ちヨロシ。掟破りSibelius 方面だろうが、若い頃の刷り込みは恐ろしいものです。
「ドレスデン宮廷管弦楽団のホルン協奏曲集」(1987年)〜名手ダムの痺れるような深いディスカント・ホルン、大Bach と同世代の牧歌的な旋律が牧歌的だけれど、正直演奏が濃厚すぎというか、生真面目にリズムを刻みすぎて聴き疲れするのは、ワタシが退院直後であることと、この暑さ故でしょ、きっと。Mahler 交響曲第8番〜ハイティンク/コンセルトヘボウ管(1971年)を引き続き。
ワタシはこの大柄(過ぎ)な作品は、ハイティンクのような誠実な、虚飾のない演奏でこそ映える!と確信します。これでいいんです。とくに女声(コトゥルバシュ、ハーパー)が清楚であることが。そして合唱が。オーケストラが。しみじみ極上のフツウ。(録音水準もフツウか?)
2004年7月某日
おそらくは三歳以来の大きな病を得、実質上初めての手術も経験し、当初予定をややオーバーしつつ10日目の退院直前の病室。体調がモロに悪い症状だったので、病室に音楽は持ち込んでおりません。それでもここ二日、日々劇的に回復を実感できるここ数日、ノーミソに音楽が鳴り響きます。
Bach 「主よ、人の望みの喜びよ」の合唱コラールだったり、Mozart 「アヴェ・ヴェルム・コルプス」だったり、清冽なる宗教的合唱作品が望ましい。普段は苦手方面の生きる意欲漲る「英雄」でもよい。外界の梅雨、猛暑とは無縁の生活だけれど、健康であることを感謝しつつ復帰への意欲を高めております。