2005年1月某日
あ、きょうで1月が終わり・・・今週寒いそうです。明日より連続出張有。今週中に地域間異動の内示もあるらしい。予算作成の諸作業もあるんだなぁ。毎年この時期は厳しいですよ。精神的にはそう落ち込んでません。これから出勤。
昨日なにを聴いたのか・・・ぼちぼち思い起こしてみると、Beethoven ヴァイオリン協奏曲ニ長調〜スーク/ボウルト/ニュー・フィルハーモニア管(1970年)+ふたつのロマンス(バックはマリナー/アカデミー 1970年)を。スークは1929年の生まれだから、もう引退かな?41歳気力充実の録音で、素直でキレイで真っ直ぐな・・・というか、正直集中できず聴き流しちゃいました。ロマンスはいっそうお気に入りの作品でして、これ、この作品を(高校時代)初めて聴いた演奏なんです。いずれ、作品の優しい味わいを生かした演奏家のクセを前面に感じさせないものだと思います。
先日、交響曲第5番ハ短調〜ケンペ/トーンハレ管(1971年)を一通り聴いて「?」状態だったので、ミュンヘン・フィルとの録音(これも1971年)から再確認作業。レコード会社が異なるとはいえ、どうして同年中に同作品を録音したんでしょうね。例の如しの少々ぼんやりEMI録音、ジミながらバランス感覚しみじみ系演奏ですな。威圧高圧剛力とは無縁な、粛々淡と、しかも充分なる「間」を感じさせる余裕があって、これなら座右に・・・といった有り難くも説得力ある一枚。
Dvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界」〜ケンペ/トーンハレ管(1971年)は初耳だけれど、先のミュンヘン・フィル盤に似て(当たり前か)「ジミながらバランス感覚しみじみ系演奏」と呼びたい。特別に突出した個性を強調しない、オーソドックスなところがこのひとの魅力でしょうか。今朝、Biber「夜回りのセレナード」(?)、Purcell「?」、A.Scarlatti「カンタータ・パストラーレ」(?)〜ケール・マインツ室内管ほか聴いてますが、作品そのものをまず調べないと。のんびりココロ安らぐ世界です。VOX原盤(違法流用っぽいが)のCONCERTO ROYALE 206253-360。
2005年1月某日
よく眠れました。よく眠れるようになるには三連休必要なんでしょう。本日、送迎付きでアマ・オーケストラ演奏会へ。(忘れていたけれど)昨日、本を買ったついでに@105のCD一枚買っていて、これは映画「フェノメノン」(1996年、主演ジョン・トラヴォルタ。あまり売れなかった映画か)〜の音楽。あちこち、やたらと中古CD見掛けたもんで。最初にエリック・クラプトン「Change The World」(これがお目当て)だけれど、ブライアン・フェリーの「Dance With Wife」に泣け、アーロン・ネヴィル「Crazy Love」のファルセット美声に聴き惚れる前に、バックのジェイミー・ロビー・ロバートソン(ザ・バンド)のギターにココロ奪われる・・・元ロック小僧の精神(ココロ)を呼び戻す感動有!クラシックがなんだい!
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Haydn 交響曲93番ニ長調は「ザロモン・セット」中では、知名度がやや落ちる作品でしょうか。セル/クリーヴランド管(1968年)のライヴ(クロアチアVIRTUOSO 93013)はスタジオ録音とほぼ同時期収録らしいが、溌剌キビキビとした表現がまったく素晴らしい。第2楽章「ラルゴ・カンタービレ」の繊細かつ優しく、時に厳しい表情に聴き惚れていたら、ラスト突然のファゴット強奏!乱入に驚愕(ざわつく会場。笑い声有)あらゆるパートに指揮者の思いが徹底された驚異的完成度演奏。オン・マイクでやや音がカタいが、これくらいの音質ならば文句ありません。
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行ってきました演奏会。送り迎え付き、って贅沢でしょ。立派な大学病院でびっくりしました。高島屋の売店があったり、ドトールコーヒーがあったり。明日からまたお仕事ですね。あたりまえだけれど。
2005年1月某日
休みならではの贅沢な時間の使い方〜深夜まで袖井孝子「定年からの人生」(朝日文庫)読了。バブルがハジけた頃1992年の出版だから事態は更に悪化しているし、世代論評(昭和前半世代男はな〜んもできん、明治世代が上の世代空白〜戦争で死んだ、戦後処理で追放〜でいつまでも居座っている、大正世代が意外にも家事料理をこなせるのは軍隊経験だ・・・)も10年経過すれば話題が変わっております。なんせ2007年には「団塊の世代」引退ですからね。但し、日米文化の違い詳細分析はほとんど違和感なく体感できて素晴らしい著作。
日本がすべてダメでアメリカに学べ、みたいな皮相な話しじゃないですよ。文化的にアメリカはいっそう老人を大切にしない状況(老人虐待!)があって、これはその後10年で日本が追従していると思います。(この時点では、まだ嫁の孤軍奮闘がメインであった)日本でも「退職と同時に女房から三行半」みたいな話題が時に戯画化されて語られるが、実体は経済的な問題でそれがメインじゃない。アメリカだって専業主婦でずっとやってきて、熟年に至ってダンナに捨てられ経済的困窮に直面する、という事例はいくらでもある、とのこと。
学ぶべきは、退職者自らの自主的組織の活動であって、ボランティア文化定着もまだまだ日本では緒に付いたばかりでしょう。歯応えのある一冊であり、詳細な実例取材にもとずく圧倒的説得力著作です。(BGMはFranck ピアノ五重奏曲ヘ短調〜リヒテル/ボロディン弦楽四重奏団。辛口の演奏)
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Brahms モードでして、昨夜は(他サイトBBS絡みで)ホルン・トリオ変ホ長調作品40〜ザイフェルト(hr)ドロルツ(vc)エッシェンバッハ(p)(1968年)を。素直でジミ、ヴィヴラート少な目ホルンが良いですね。ドロルツは室内楽のスペシャリストだし、当時新進気鋭のピアニストだったエッシェンバッハともども、味わい深くジンワリ渋い静かな世界を堪能しました。
今朝はヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調〜カーラー(v)クリーゲル(vc)/コンスタンティン/アイルランド国立響(1994年)は、オーケストラに少々難有だけれどソロ(とくにカーラー)が華やかで若々しく、ゆったりとした歌に余裕がある。引き続き交響曲第4番ホ短調〜スワロフスキー/南ドイツ・フィル(これは仮名だろうね。以前出ていたものには「大管弦楽団」との表記有)を。「ギクシャクとしたロボットみたいな演奏」とのサイト評を拝見したが、そうだろうか?
厳つい、頑固風、しかもアンサンブルが少々ラフで響きの肌理が粗い。カタい。重い。耳あたりはよろしくなくて取っつきにくいが、妙なチカラ強い主張を感じさせて(きょうのところは)なかなかインパクトがあって感動しましたね。床屋に行ったついでに、もう一カ所のBOOK・OFF迄足を延ばして(CDは様子見で)新書三冊購入・・・車中にてBrahms 交響曲第1番ハ短調〜バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(1960年)を。
オーケストラの響きが明るく、賑やかで溌剌。アンサンブルの精緻さと引き替えに、元気と勢いがあって燃えるような情熱系演奏です。Brahms の演奏としては異形なのかも知れないが、こんな前向きな姿勢は時代の証言なんでしょうか。(CLASSICSSELECTION というCBS海賊盤。番号は「12」。背表紙には「ベラームス」と有)
2005年1月某日
昨夜、久々遅くまで痛飲。いかん。昨日、夕方から地元取引先と少々重い商談連続で精神的に疲れました。代休3日半残っているので本日休ませていただくが、じつは商品調達上の問題が既に発生していて、昼過ぎ自宅で作業するか、出ていかなくっちゃいけないかも。少々頭痛有〜二日酔いか、風邪の初期症状か?
本日サイト定例更新。原稿在庫尽きていて、先日来書き貯めもままならずギリギリ加筆して、今朝完成即更新状態。きょうは床屋さんに行って、買い物して・・・サイト改変作業やら原稿を(ゆったりと)書くつもり。
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午前中頭痛とお仕事トラブル調整(ケータイ仕事)でコタツこもり。外出できないから、ボンヤリしながらサイトやや大幅改変・・・って内容に変化あるワケじゃないが。でも、HTML配置の単純作業数時間やっていると、ある意味ノーミソ空になって癒されます。これからちょっと散歩に行ってみようかな。
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ワン・パターンだけれど、ご近所BOOK・OFF迄。先週めぼしい@250CDは買い尽くしていたので、ろくな在庫はありません。で、新書文庫を3冊ほど購入。念のため再度@250(クラシックでない他)コーナーを探っていると、とんでもないところにカルロス・クライバーの日本公演ライヴ(1986年 FIRST CLASSICS FC-118)を発見・・・これ、FM放送で聴いた記憶がありますね。買うのが目的ではなくて、ちゃんと音楽を聴くことがキモだから、苦手Beeやんにも真面目に取り組みましょう。
ようやくサイト用原稿一本のみ執筆。なかなか進みまへんな。
2005年1月某日
深夜、ノートパソコンで遊んでいて、自らのサイト・デザインのヘロさ・・・というか、コンテンツ分け滅茶苦茶を自覚していきなり(まず色合いだけ)変えちゃいました。それだけで一時間は掛かっちゃう。今度の休みに本格整理しようかなぁ、ほんまは定例更新用の原稿も既に尽きていて、「サイトの心臓はコンテンツだ!」と日頃主張しているのに、そんなことをやっている自分に矛盾を感じます。
今週は地元取引先に2回訪問するけど、出張なし・・・(お仕事もカラダも)ラクだねぇ(目は疲れるけど)、とツブやいたら、女房が「(ダンナの)出張がないとキツいねぇ」と。なるほど。先日、クルマでFMを聴いていたらBrahms 交響曲第2番ニ長調が流れていて、これがテンション高く、良く歌ってキモチの良い高揚感がある、ちょっと音は荒れているけど。誰の演奏だろう、と確認したらトスカニーニ/NBC交響楽団(1952年)でした。初耳だったし、もちろんCDは持っておりません。
BBC交響楽団との録音は、History10枚組(204575-308)に含まれていて「1938年6月10日クィーンズ・ホール・ライヴ」となっているが、ほんまかな?直後のEMI録音はスタジオ録音のハズだから、咳払いもあるし演奏会からちゃんと別に収録したのか。音質は少々厳しいけど、想像よりずっと聴きやすくて浮き立つような明るい演奏にココロ動かされましたね。
昨年来「オトナ買い」をして少しずつ消化(同じものをなんども聴くのでつかえてばかりだけれど)しているYedangClassicsから、Tchaikovsky ピアノ協奏曲第1番 変ロ長調〜ベレゾフスキー(p)/セミョン・コーガン(誰?)/ロストフ・フィルハーモニック協会交響楽団(初耳オーケストラ。1990年ライヴ)を。技術的に問題はないし、若々しい勢いもあって、さらりとこだわりがない、といった素直さを感じました。
2005年1月某日
そういえば、昨日お仕事上で取引先との(それなりに大きな)ミスがみつかり、そのフォロー作業を一気にやったっけ。ところが就寝中夢の中で、そのフォロー作業の細かいミスに気付き・・・これはほんまです。ふだん主張していることは「お詫びしたり、あとでフォローできるミスは、ミスのウチに入らないよ」(と、職場の派遣さんやら若い者に言っている)ということ。仕方がない。真っ正面からやり直すしかない。
昨夜、Franck ピアノ五重奏曲ヘ短調〜リヒテル/ボロディン弦楽四重奏団(1988年ライヴ)を。(1981年録音ではない)ワタシはこの曲大のお気に入りだけれど、聴き馴染んだフランス系演奏とは大違いの硬派骨太演奏ぶりに驚愕!それ、それにしてもリヒテルの奥深く、暗く、重い響きに魅了されました。
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出張せず連続事務所勤務、しかも終日コンピューターとにらめっこで資料やらなんやら作って、目がつぶれそうになっちゃう。やはりおこもり業務は似合わないね。またそれなりに大きなトラブル発生して、なんとかフォローするが、年末からのシステム改変時の混乱がまだまだ尾を引いているみたいです。クリアしないと。出勤にはポータブルCDプレーヤー持参せず。
早々に帰宅しても、寒いからコタツから出られません。コタツ上にはノートパソコンもあって(無線LANにしたから)インターネットも見られるし・・・でも、実際はぼんやりツマらんテレビ番組見てます。ようやくオーディオ部屋で、先日来買い貯めたCDの消化作業を〜Szymanowski交響曲第4番「シンフォニア・コンチェルタンテ」作品60〜パレチェニー(p)/エルダー/BBC交響楽団(1983年ライヴ)を。
この作品は渋い存在だろうが、ワタシはかなり以前からルービンシュタインの演奏(FM放送からのエア・チェック。そもそも彼に献呈された作品らしいが)で馴染んでおりました。アルフレッド・パール盤もワタシのサイトに掲載済み。(正直どんな演奏だったか記憶がほとんどない)こちらは、ややラフなアンサンブルがいかにもライヴっぽいが、野性的な躍動があってとても楽しめます。こんな楽しい作品だったんだろうか?続く交響曲第3番「夜の歌」は初耳でして、ノーマン・デル・マー/BBC交響楽団/ラングリッジ(t)/BBCシンガーズ/BBC合唱団(1983年ライヴ)声楽が全面的に活躍する、ちょっと妖しくも壮大なる(単一楽章の)作品。
解説によると「中世のペルシアの神秘主義的な詩人の詩に拠っている」とのこと。(失礼ながら意味不明だし、悪文の例示みたいだ)そうだな、Stravinskyの「詩編交響曲」をもう少し親しみやすく、ドラマティックにした感じですか。いずれワタシの好み方面ですな。
2005年1月某日
今年はインフルエンザの流行もたいしたことはないみたいだし、ワタシも(珍しく)大丈夫。眠れないことはないが、睡眠の質が良くないみたいで夢をよく見ますね。昨夜は思いがけない人事異動(かなり失望的な)と、学生時代の友人の集まり(の夢)。昨夜、筑紫哲也が(ようやく、というべきか)NHK番組改編問題に言及していて「圧力を掛けようとする側は、あからさまに”これは圧力ですよ”と言うわけがない」と。出張すると、ふだん購読している新聞とは異なるものを買うようにしているが、当の朝日新聞以外は「客観報道」に徹しているようで様子がよくわからない。
そこに三流週刊誌が、告発したプロデューサーと報道記者の個人資質を誹謗中傷するような記事を流布させて、これじゃまるでファシズムですよ。コンプライアンス(法令遵守)なんて「絵に描いた餅」状態で、いつまで経っても日本では民主主義徹底できず、内部告発した人間が泣きを見るだけ・・・こんな社会じゃ困る。(警察の「裏金」内部告発も然り)おそらく「圧力」はあったんだろうな。但し、NHK幹部はそれを「いえ、ご意見参考にさせていただいて、自主的にやりました」ということか。フツウ、それを「圧力」と呼ぶんじゃないか。
最近、サイト用原稿執筆苦戦しております。ワタシは飽き性でして、同じCDを連続集中して聴くのは苦手なんです。ところが全体印象から”一気書き”ができず、何度も何度も聴き直すことになって結果混迷に陥ってしまう・・・状態。集中力が落ちているんでしょう。Copland 管弦楽曲集〜スティーヴン・グンゼンハウザー/スロヴァキア放響(1989年)の美点を見つけようと、(今朝含め)もう何回聴いたろうか。基本ヘロ演奏系に間違いないが、なんとも言えぬ味わい有。
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地元お取引先から直帰。明日の山口出張は中止(先週行ったばかりなのに、顔見せだけの会議はご辞退申し上げた)で、一日浮きました。お仕事進捗上助かっちゃった。そういえば、きょうはお給料日。
通勤ではStravinsky 「春の祭典」〜ラインスドルフ/ロンドン・フィル(1973年)を。「フェイズ4」とかいう、かなり恣意的人工的収録のハズで、普段聞こえるはずのないパートまで鮮明に分離し、浮き出ます。良く知った作品だけれど、聴き慣れぬ音色やら、リズムやら旋律が新鮮。ウチの安物オーディオには効果的だけれど、ポータブルCDプレーヤーのヘッドホンでは、個々の音は平板で不自然なことに気付きますね。演奏的にはどうなんだろう?完成度高いアンサンブルだけれど、少々手慣れた、というか過不足のない上手さ・・・みたいな感想でしょうか。嫌いな演奏じゃありませんね。
地元お取引先に行ったときに、顔見知りに声を掛けたら、知り合い(一歳年下)のお父さんが亡くなったとのこと。そんな世代だなぁ、と嘆息したら、当のご本人(三歳年上)は胃ガン(ごく早期)だそうで来月手術・・・3月退院したら飲もうね、と約束しました。
2005年1月某日
あれ?日誌を一日サボっちゃったかな。昨日は朝、女房を某資格試験会場に送っていき、昼に迎えに行き、ついでにラーメンを喰って・・・夕方から某アマ・オーケストラのヴァイオリニストであるお医者様に誘われ「ちゃんこ鍋」でバカ話し。なにやっていたんでしょう。記憶がない。
食堂にTEACのミニ・コンポがあります。中古とはいえ、そこそこの値段だった(でも安い)だけありましてけっこう良い音が・・・オーディオ・パソコン部屋のコンポと違って、音源に相性あるみたいです。一昨日集中して聴いていたSatieのピアノ作品など、とてもよろしい。高橋アキのCDはナント1984年の発売(!)だけれど、ポータブルのヘッドホンで聴くと高音がカタいんです。でも、こちらならちゃんと楽しめる。BBS書き込み関連でBartok〜アダム・フィッシャー/ハンガリー国立響(1989〜92年 NIMBUS NI1771 5枚組 KODA'LY含む)を取り出したが、これは音楽の様子がよくわからない。
ポータブルのヘッドホンで聴くとGood!というものもあります。(意外と歴史的録音が良い場合も)あらためて「管弦楽のための協奏曲」(1989年)をメインのコンポで確認すると、味わい系というか、オーケストラの圧倒的馬力威圧感で聴かせるんじゃなくて、旋律の美しさがしみじみ伝わるような、良く歌う演奏でしたね。録音も弱音が繊細(これがミニ・コンポではダメなのか)で、クリアな優秀録音。「木の王子」(1992年)の静謐な清涼さも、ようやく理解できました。
さて、お仕事再開だけれど、なにから手を付けるんだったんだっけ?な〜んも記憶がない。
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お仕事数値確定してみたら、前月不振を埋めてあまりある絶好調!昨日飲んでいなかったら祝杯ものだね。なんか体調イマイチで(そこそこに諸作業消化して)早々に帰宅しました。通勤ではVerdi 「リゴレット」(抜粋)〜ショルティ/RCAイタリア・オペラ管/合唱団(1963年)を。悲劇の道化リゴレットにはロバート・メリル、その娘ジルダはアンナ・モッフォ、浮薄な色男マントヴァ公はアルフレート・クラウス・・・超豪華顔合わせですな。
メリルの圧倒的存在感、才色兼備のアンナ・モッフォ(女性に年齢は失礼ながら、今なら70過ぎでしょ?想像できない)の情感豊かな(しかもセクシーで繊細な)美声(これはコロラトゥーラ、と呼んでよいのでしょうか)、ちょっと真面目風で上品なクラウス・・・ステレオ初期の録音は、やや分離を強調しすぎながらそれなりに鮮明であり、録音用のオーケストラはシカゴ響のようにはいかぬが、引き締まった緊張感持続するアンサンブルはさすがショルティ・・・(正直、これからまだまだお勉強です)。
帰宅して、お次はVerdi 「オテロ」(抜粋)〜エレーデ/NHK交響楽団(1959年ライヴ)を。いや、もうデル・モナコのオテロの輝かしさ、強靱さ、押し出しの強さ、華やかさ・・・賞賛するに言葉が足りないくらい、声そのものが悲劇してますね。悪役ヤーゴのティト・ゴッピの憎たらしいこと。このCDは怪しげ(OPREA CD 54012)中古@250で入手したものだけれど、会場の雰囲気(東京宝塚ホールとある)やら熱狂的な拍手が臨場感タップリ。この時代って、ほんま贅沢な歌手揃えていましたね。オーケストラにもまったく不満を感じない。
2005年1月某日
ぽかぽか天気のお休み。ええですな。朝一番にサイト更新したが、ついに原稿在庫尽きたのでこの休みで執筆しないといけない。でもここ最近遅筆ぶりが際だってグダグダ悩んでおります。佐渡裕のIbertを再確認して、追加原稿とするが基本的評価は5年前と変わりませんね。元気があって大好き。(未更新)じつは先日確信犯的(一部)ダブり買いしたケンペ・ボックス〜Beethoven 交響曲第5番ハ短調「運命」(チューリヒ・トーンハレ管 1971年)を。
まだ自分なりの評価はできないが、音質に繊細さを欠くような気がして「期待ほどは・・・」といったところ。天気が良いので、いつものご近所BOOK・OFFへ。週に一回は行かないと掘り出し物を見失う〜というより、そろそろ読むべき本が尽きてきたので、それが目的でした。ところが!@250コーナー一気充実。一年間@500で見守ってきたBBCシリーズ数枚も値下がりしてました。悩んで厳選6枚収穫。本も興味深い内容で6冊購入。良いですね。
昼からSatieのピアノ作品集三枚分のコメント始めるが、これも時間ばかり掛かって筆が進まない。集中力が落ちてますね。硬派正統派の高橋アキ、サラリ軽妙で粋なクララ・ケルメンディ、ゆったり濃密なラインベルト・デ・レーウ、各々味わいがあって、ワタシはSatieのピアノ曲が大好きです。正直、Beethoven のピアノ曲は少々ツラい。
2005年1月某日
・・・帰って参りました。こんな一週間もあるんだなぁ。昨日山口では雪も降ってました。ちゃんとお客様と商談して、夜遅くに東京入り〜五反田BOOK・OFFがまだ開いていたので、そろそろ在庫切れてきた本でも買おうと覗いてみると珍しく@250CD3枚獲得〜相変わらずマメな”安物買い”でんな。
山口迄の新幹線は500系なので騒音も揺れも大きくて、音楽には集中できません。Brahms 交響曲第2番ニ長調〜コリン・デイヴィス/バイエルン放響(1988年)は、とても抑制が利いて美しい演奏・・・らしいが、録音にクセがあってやや金属的ぽくって薄い音質のような気がする。Bach 管弦楽組曲第2/3番〜アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(1983年)再び。
現代楽器による演奏とか、折衷的(楽器は古楽器風、演奏は旧来風とか)なものに慣れていた耳には衝撃的なものだったはずが、20数年経て今やなんらの違和感もありません。しっとりマイルドでスリムで、そして充分鋭い。ほとんど各パートひとりずつだろうが、滅茶苦茶上手いね。
五反田BOOK・OFF収穫物一枚目はSatie ピアノ作品集(ラインベルト・デ・レーウ)〜PHILIPS録音のBELART盤(1977年)。ゆったりとしたテンポ、濃密で漆黒な世界が広がって馴染みのSatieもいっそう愛しい。「おまえが欲しい」のみクセニア・クノーレのピアノで、嗚呼、この粋なワルツはRavel をうんとポップにしたみたいですね。Beethoven 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」〜ホルスト・シュタイン/バンベルク交響楽団(1987年)を。
指揮者オーケストラとも「もしかして時代錯誤的ガンコ演奏が聴けるか?」と期待したが、カイルベルト時代辺りを想像すると大違いで、オーソドックスだけれどすっきり爽やかでした。金管を強調せず、ジミな響きの弦と良く歌う木管が効果的。重量感やらアクセントを粘らせない。バンベルク響はシュタインの薫陶でしょうか、技量的にずいぶんと洗練され、優秀なアンサンブルでした。
東京での会議終了後、ちょっとだけ時間があったので渋谷タワーレコードへ。フランスEMIによる往年の巨匠2枚組は既にクリュイタンスとデルヴォーを(一年ほど前に)入手していたけれど、フレスティエとロザンタールを購入。1,775円というのは安いとは思えないが、貴重な音源でしょ。さっそくフレスティエ/コンセール・コロンヌによるSAINT-SAE'NSとChabrierの交響詩集(1950年代の録音)を確認。
例の如しのあまりよろしくない、芯のない薄い音質ながら、旧き良き往年の映画音楽みたいな味わい有。賑々しくて、明るくて、華やかで軽妙です。一番有名な「スペイン」なんか、ややゆったりとしたテンポで粋な風情タップリ。
あっちこっち飛んでまわった一週間終了。1月のお仕事成果は、12月絶不調をほぼ埋める快調な結末。明日はゆっくりお休み。
2005年1月某日
寒いけど、今年は風邪に罹らなくて助かっちゃう。職場では流行っているみたい。本日、午前中資料作成、昼前に山口へ〜そのまま東京行き翌日会議。相変わらず強行軍だなぁ、自分で(勝手に)決めたスケジュールだけど。
一昨日の@250CD収穫物もう一枚はBeethoven 交響曲第5番ハ短調〜カラヤン/ベルリン・フィル(1977年)。BOOK・OFFにて2回目の目撃でして、これは買うべき「運命」かな・・・ベルリン・フィルとの2回目の録音だけれど、同じく1977年録音の「第九」が、予想よりずっとツマらなかったので購入逡巡しておりました。結論的に流麗で、美しく、たいへんわかりやすい、この曲特有の威圧感がない演奏でしたね。オーケストラがモウレツに上手いが、1962年盤(これも文句なく素晴らしい)より強引さが減っております。続く4曲分の序曲(これは1960年代の録音で数曲手持ちダブり)も余裕のスケールで、序曲をあまり得意としない(というかBeethoven そのものが・・・)ワタシにも馴染みやすい世界でした。
クレーメル(v)/マイセンベルグ(p)による小品集ライヴ(1975年 YedangClassics YCC-0118)は、全曲から一部楽章のみ抜いた、みたいなアンコール・ピース仕立てになっていて、拍手が即フェイド・アウトされる落ち着かない収録。どういった音源なのでしょうか。演奏は集中力と躍動感に充ちた、素晴らしいもの。但し、ラスト「シャコンヌ」(これがメインでしょう)はワザとサラリ系(時代的にまだ中途半端か?)で表現され、音質的に残響不足(これは好みの世界)で期待より落ち着いて楽しめませんでした。これは纏綿とした演奏に馴染んでいるせいか。
2005年1月某日
寒いなぁ。朝起きるのがツラい・・・状態は珍しい。今朝は大型ゴミ(処分するソファ、コタツ)を出さなくっちゃ。
Copland「ビリー・ザ・キッド」「アパラチアの春」〜グンゼンハウザー/スロヴァキア放響(1989年)・・・この一枚(NAXOS 8.550282)ラスト迄。リズム感が全然ダメで「久々、ヘロ演奏を聴いた!」という手応え有(オーケストラの響きそのものはそうガサツなものではない)。「アパラチア」のほうは叙情的でゆったり爽やかな作品なので、まだマシでしょうか。いずれ鮮明な録音で、生真面目な欧州地方オーケストラ、的味わいの一枚。
他のBBSで東欧系怪しげ音源の経緯が説明されていて感心・・・「VIVACE」もそのウチのひとつでして、ワタシはツィマーマンとポゴレリチのChopin 2枚組を所有しております。ツィマーマンの協奏曲はその後数度にわたって録音され、いずれも聴く機会を得ないが、この初期録音の鮮烈さ、沸き上がるようなクールな情感は一種特異な価値を持っておりました。
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出張の合間の職場出勤だと、とにかく予想外の諸作業に追われがち。相変わらず熟睡できないが、以前のように眠れないということはない。でも、寒いと朝がツラいねぇ、眠くて。もう出張移動中しか音楽に集中できない。自宅休日にはサイト原稿を書こうと四苦八苦・・・こんな音楽の聴き方はダメですね。
歌劇「カルメン」〜クリュイタンス/パリ・オペラ・コミーク(1950年)を少々・・・(なんせ出勤までの短い時間なので)コレ、フランス語なんですね。たしか、初演時の姿に近い、小さな小屋用の版なんでしょ?でも、全然集中できないのは自分の精神状況故。そのまま出勤途中には、同じく「カルメン」(抜粋)〜カラス(s)/プレートル/パリ・オペラ座(1964年)を。
・・・昨年はもっと集中して、感想もちゃんとしていたですね。全然、集中できません。明日から山口〜東京。
2005年1月某日
昼過ぎに松山で商談を終えクルマにて帰岡・・・だけれど、今治から試しに「しまなみ街道」を通ってみようと、遊びゴコロも出しちゃいました。天候も良かったしね。有料道路降りたり乗ったりで何回カネを払うんだ?状態ながら、いつも通っている瀬戸大橋より景色が変化に富んで美しい。久々の帰宅。
途中BOOK・OFF愛媛大島店があったので、休憩がてら、ちょっと覗いてみたら@250CDがちゃんとあったので2枚購入〜ドライブのお供として(ワタシは運転しないで居眠りしているだけだけれど)。Haydn「驚愕」「時計」〜ヨッフム/ロンドン・フィル(1971-73年)は驚くべきリズム、躍動、喜びに溢れ、とくにティンパニの衝撃メリハリ最高!ヨッフムはHaydnにピタリの素朴さと実直さがあって、オーケストラの明るい響きも思わぬ相性を見せて、ユーモラス。
2005年1月某日
そういえば阪神大震災から10年か。大阪でもけっこう揺れて、通勤の京阪電鉄が止まっちゃったもんね。なんやかんやで博多に転勤になった遠因でもありました。6000人亡くなったというのも凄い数字だけれど、震災後一週間目に現地に入った経験も鮮烈でした・・・「生命(いのち)あってのものだね」。
・・・なんちゃって、昨夜はレセプション途中抜けして、お客様5人とフツウの居酒屋(もちろん高級に非ず)へ。お料理もおいしかったし、楽しくおしゃべりしたし、値段もとても安い・・・雪がたっくさん降って、しかもそれが溶けて水浸しの歩道でした。きょうはちゃんと飛行機飛んでくれるかな?
一昨日、フルトヴェングラー/バイロイトの有名な「第九」を聴いた関連で、クリュイタンス/ベルリン・フィル(録音年1957-60年だけれど正確に調べ付かず)を久々に。オフ・マイクっぽいが、そう悪い音質でもなくて、清涼で淡々としたチカラ強さがあって良い演奏ですね。オーケストラが極上の技量でして、しかも強力(ごうりき)さや徒(あだ)っぽさを微塵も感じさせぬ、清潔感が充実した響きでした。
昨日、新幹線中で更にBeethoven 交響曲第1/3番〜これもまったく同じ感想で、威圧感がなくひたすら美しい。しかも、ひ弱な演奏じゃないんです。こんな演奏だったら「苦手系Beeやん」にも親しく馴染めるかもね。Bach パルティータ集〜ヴォルフ・ハーデン(p)(1985年)・・・これはワタシ秘蔵のお気に入り音源であって、楽しむ機会が多い一枚なんです。暖かい音色、包み込むような内省的表現。全曲録音の可能性が薄いどころか、既に廃盤になっているらしいのが残念。
この間(というか数年間、と表現しても誤りではない)聴きまくっているMahler 交響曲第5番〜ブーレーズ/BBC交響楽団(1968年)・・・購入して数週間、既に3度聴いてます。今回はヘッドホンで集中したが、ほぼモノラルのおそらく海賊収録(CDには堂々とREPRINTと有)だろうが、わずかな音の広がりもあって良好な音質です。非常にクリアであり、自然体かつ情熱の爆発もあって、ブーレーズはまだ若々しい。BBC響がこれほどのアンサンブルで鳴りきるというのも驚異的。
熱狂的な観衆の拍手も収録されます。当時CBS専属だったブーレーズには「第10番」「嘆きの歌」しか録音が残されていなくて、それはバーンスタインが絶頂期だったせいでしょうね。もったいない。
Copland 「市民のためのファンファーレ」「ロデオ」(時間切れ途中まで)〜グンゼンハウザー/スロヴァキア放響(1989年)は先週BOOK・OFF@250にて購入したもの。やや分離強調し過ぎながら、極めて鮮明な録音状態・・・「ファンファーレ」はともかく「ロデオ」のノリの悪さ、リズムのキレが甘いこと、もっさり・・・ニヤニヤしながら聴いておりました。
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ほとんどお客と仙台の夜を楽しむための出張〜なんて思っていたけれど、常務の1970年代の環境問題の流れのお話しを聞くウチ、まざまざと学生当時の「琵琶湖見学」(酷い汚れ方だった)を思い出しましたね。日常、金儲け商売に凌ぎを削っているが、この商売を選んだきっかけ、現在でも洗濯機の周りには常に5種類くらいの洗剤が並んでいる(好きなんです)・・・のも、ここに原点があったんだなぁ、と感慨深いものでした。
ブラジルでは、既に車両用燃料としてサトウキビからのアルコールで80%を占めているとのこと。結果的に日本でも家庭用排水は改善されてきた(洗剤のコンパクト化、無リン化)が、もっと大きな視野で、ココロ豊かにお仕事しないと・・・仙台から伊丹経由、松山へ移動。
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無事、松山まで到着しました。合流した若いやつと、ホテルご近所のきったない飲み屋へ。二度目だけれど、お隣のお客も前回と同じ・・・特別な料理などないけど、おいしかったな。明日朝からご当地のお客と商談。
2005年1月某日
(在仙台)今朝、メイン・マシンの「FFFTP」設定がおかしくなってしまって(なんかへんなところをさわったらしい)更新できず。そのまま新幹線で仙台迄。半分眠り、半分起きて読書しつつタップリ音楽聴きました。当たり前だけれど、福島県に入ったら雪景色なんですね。昼過ぎ仙台に到着したら、凄い雪〜北海道に比べればびしゃびしゃに湿っぽいが。バスで数件お客様と見学〜指定の東横インに入るが、何?このトイレ・バスのショボいこと。もしかしてつぶれたホテルの買い取り改装か?
これからレセプション・・・さっさと抜けて親しいお客と夜の街に(旨いモン喰いに)出掛けるつもり。誘われてます。(怪しい店に行く趣味はない)
林望「リンボウ先生のへそまがりなる生活」(PHP文庫)〜最高です。生き方、思想、文章表現、なにもかもが絶品。皮肉屋でシニカル(同じ意味か)で、でも「へそまがり」とは思わない。表現のための”言葉”選択が適切で多彩・・・再度付箋紙貼って存分に学びたい、極上のひとときを過ごせる一冊。
2005年1月某日
昨日お仕事はほぼ定時で終了帰宅(職場の他の人ゴメンね)。当面の諸実務処理終了のためでもあり、矛盾を先延ばしにした結果でもある。なんせ日曜朝から出張なので。本日はお休みいただいて病院へ行く予定。先週購入したコタツ(和風で部屋の雰囲気一変!)+床置きソファ二つ到達。旧いのを処分するのがたいへんなんです。今朝も薄ら寒く、雨もしとしと。受験シーズンですね。
BBS書き込み関連で、Beethoven 交響曲第9番ニ短調〜フルトヴェングラー/バイロイト音楽祭(1951年)を数年ぶりに再聴。各界の評価揺るがぬNo.1人気録音だけれど、ワタシは(このCD購入して十数年来)ピン!と来たことはなかったんです。作品的に第1〜3楽章と(高名なる)第4楽章との整合性も疑問だったし(・・・と、エラそうに)。
で、結論(BBS書き込み再掲)。
駅売海賊盤での確認など笑止千万かも知れないが、3年ぶり聴きました。(このCDしか聴いたことがないが)音質は鑑賞に耐えうる水準。生来の天の邪鬼性格故、世評あまりに高いという先入観もあったのか、この演奏を楽しめたことはかつてなかったのです。
結論的には、とても完成度の高い、緻密に構成された美しい演奏と感じました。テンポの揺れも効果的。第1〜3楽章はもちろんだけれど(ワタシはあまり好みではない・・・特に「歓喜の歌」テーマ登場前のぐだぐだ回想部分)最終楽章は、ともすれば圧倒的なスピードと熱狂に話題の焦点が当てられることが多いと思います。
ここさえ、最終楽章ラストに山を持って来るという考え抜かれた天才のワザだと思います。「歓喜の歌」が変奏され、様々な楽器が絡み合う幻想的な美しさ。Wagnerのオペラを連想させるヘンゲンの重厚感溢れるソロの存在感。合唱の賑々しさも然り。
弦の瞑想的な歌、アダージョに於けるミス・タッチだらけのホルンさえ深い味わいが有。艶やかではないが美しいオーケストラだと思います。ラスト、常軌を逸した突っ走りはライヴのみに許されたことでしょう。こういうところのみを喜ぶ気にはなれません。
いずれにせよ、初めてフルトヴェングラーの実力に驚いた「第九」でした。遅れ馳せながら。稀代のオーディオ・マニアであった五味康祐さんは「オーディオで演奏の質が決まってしまうものは、所詮それだけのものでしかない」とおっしゃったが、録音で印象一変!と言う経験はワタシ如き凡人には日常茶飯事でした。
Smetana「わが祖国」〜ターリヒ/チェコ・フィル(1941年)再び。先日のヴェラー/イスラエル・フィルも楽しめたが、音質条件の(あまり)よろしくないこちらもなかなか。サイト検索していて気付いたけれど、1941年録音ってBIDDULPHで出ていたワリと聴かれていない録音でしょうか。それとも他の録音(聴いたことがない)の誤記か。モダーンなセンスながら、躍動感・・・というより入魂!といったアツい演奏でした。
(ワタシ苦手系の)Shostakovich 交響曲第10番ホ短調(ピアノ・デュオ版)〜作曲者+ヴァインベルグ(p)(1954年)を。20世紀最高の作曲家としての評価も人気も高い人だけれど、これはもう体質的に合わないというか、暗鬱な旋律を聴いていると気が滅入ってしまう。でも、時にCDは取り出して聴くようにしております。ナマ演奏の機会もあれば避けはしないでしょう。世評高い音楽に対しての畏敬の念と、自らの目覚めを期待して。
岡山大学交響楽団のナマを経験してからか、Tchaikovskyの交響曲に対する違和感やら羞恥心(気恥ずかしい旋律)がなくなりました。幻想序曲「ロメオとジュリエット」+交響曲第4番ヘ短調〜オルソップ/コロラド交響楽団(2000年)聴いております。正直、これといった特異なる個性明確な表現ではないが、音質の条件も整っているし、誠実で楽しめました。迫力だって充分。
「究極の名演!」とか「☆三つ!」とか評価優劣を付けるのが日本人は好きだ(教育制度の成果か?)が、いろいろな演奏、日常聴きのCDがあっても(ヘロ・ダメ演奏でも!)楽しんでいいじゃない。ムラヴィンスキーの凄い演奏は10年以上、音として聴いていないのは緊張感の強制が怖いからです。(CDはいち早く購入済)自分の贔屓はあって然るべきだけれど、他の個性、ましてやこれからの新しい出会いを否定する必要はさらさら、ない。
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ご近所病院へ行って(医療費高いこと!)HARD・OFF覗いて(18,000円の使えそうなノートパソコン有!出会いの順番が変わっていたら間違いなく買っていた)、BOOK・OFFで@250CD一枚購入しつつ、嗚呼、自分は数年でずいぶんと遠いところに来てしまった・・・と、@250CDの在庫を眺めながら嘆息少々。贅沢になってしまったのか、ほとんど食指が伸びない。グールドのゴールドベルク変奏曲(正規盤)なんて、どうして2週間も放置されているの?どこかの中学生、いや中年のおっさんでもいいや、さっさと買いなさい。
柏井壽「『極み』のひとり旅」(光文社新書)読了。昨年2004年秋に出たばかり、著者はワタシより少々年齢(とし)上の歯医者さん(京都在住)で、彼のホテルに対する考え方、評価にほとんど違和感はありません。(土地勘があるところの紹介で、お気に入りのホテルもいくつか一致している)これは純粋な好み問題だけれど、文体が散漫というか修辞が気に食わない(失礼!)ような気がして、写真入りの雑誌紀行文記事として読むべきものかもね。
2005年1月某日
昨夜遅くに帰宅。細かいお仕事上の問題はあるけれど、これから先の見通しやら2005年度の予算作りなど、バタバタした時期が続きます。2月頭には地域間異動が発表されるし、それが出てしまえば(異動あるなしに関わらず)来年度の自分の動きかたが決まっちゃう。体調の維持にに気を付けないと。今朝も寒いね。昨日、東京での会議が一時間ほど早く終了したので、渋谷タワーレコードを覗いたけどCD購入意欲起きず。
しつこくMussorgsky/Ravel 「展覧会の絵」〜アンセルメ/スイス・ロマンド管(1959年)を確認。結論的には、明るい音色、鈍重さを否定した軽快な響き、そしてやや怪しげな各パートの技量も含め、味わい系と言うことでしょう。(録音優秀、ということも特筆)好みの問題だと思うが、技術的に文句なく優れているドホナーニ/クリーヴランド管(1985年)は、これほど楽しめなかった記憶があるから一筋縄ではいかない。
2005年1月某日
(在東京)昨日は午前中メ一杯諸作業に追われ、昼はカップうどん喰いつつそのまま地元お取引先へ。会議は和気藹々とした雰囲気のもとに進み、逆にお客様から励まされる始末。上司と社用車で戻ろうとしたら、担当から呼び止められて相談事対応〜ひとりバスで岡山駅まで戻り、夜遅く東京五反田ホテル入り。BOOK・OFFを覗いてみるが、CD出物はなくて新書三冊ほど購入しました。ラーメンで遅い夕食。ホテルの(ヤミ)無線LAN、電波は来ているがつながらない。
数日掛かって 今谷明「室町の王権〜足利義満の王権簒奪計画」(中公新書)読了。「何故、長い天皇家の歴史が結論的に継続してきたのか」という故・松本清張氏の疑問に「その矛盾が集中的に出現した室町時代に焦点を当てて分析した」という画期的著書。集中的な権力を有する王制実現寸前まで行き着いた義満と、天皇家との葛藤、義満急逝後、吹き出した各階層の利益問題・・・歴史教育もここまで深めてくださればオモロいのにね。
移動中聴いた音楽。Tchaikovsky「悲愴」〜マルティノン/ウィーン・フィル(1958年)を。なんどか絶賛した演奏であるが、先日のホーレンシュタイン盤で更に作品自体に目覚めた感じもあって、強烈なる感動有。速いテンポ、燃えるような情熱と細部こだわりを持った表現の作り込みが成功していて、しかも語り口にくどさや粘着質が存在しない。つまり後味爽やか。この人は晩年のDebussy、Ravel 辺りの印象が強いが、もっとハード・ボイルドだったのかな?
ほか、Mussorgsky/Ravel 「展覧会の絵」〜アンセルメ/スイス・ロマンド管(1959年)を。これは先日山本様のコラムで技術的な危うさを指摘され、その確認のため・・・ところが居眠りして、途中トランペット・ソロ通り過ぎ済。残念!「禿げ山の一夜」・・・これは少々怪しげアンサンブルで、「モスクワ川の夜明け」は雰囲気たっぷり。
Schubert 八重奏曲 ヘ長調〜ボスコフスキー率いるウィーン八重奏団(1953年 aura)にて。この作品は大のお気に入りでして、ま、いつもの「もう歌が溢れてどこまでも止まらないよ!」的名曲。数種のCDを所有していて、ぜひワタシのサイトにもコメントを載せたいところだけれど、どれもみんな素敵に聞こえて・・・このウィーンの面々も文句なし。モノラルのライヴだと思うが、とても聴きやすい音質でもあります。
2005年1月某日
寒い。本日、午前中から宿題一杯、昼から地元お取引先と会議、その後、夜に東京入り。お仕事意欲は(ここ最近珍しく)あります。
「シャルカ」「ボヘミアの森と草原から」「ターボル」「ブラニーク」〜ヴァルター・ヴェラー/イスラエル・フィル(1978年)で「わが祖国」ラスト迄。「高い城」「モルダウ」にはライヴァルが多いが、その後の4曲は聴く機会は少ないと思います。「響きがやや薄いか」「よく歌うワリには、思い入れよりさっぱりていねいに仕上げた、といった雰囲気でしてやや個性不足」・・・と失礼なことを昨日は感じたが、全体通すとバランス感覚があって聴きやすい。ワタシはアンチェル盤(1967年)の入魂演奏にほんまに痺れた経験を持つが、昨日通りの印象が曲想とマッチして飽きさせない。(もちろん音質が上々なせいも有)
Mahler 交響曲第5番〜バルビローリ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1969年)は人気あるらしくって、ワタシのサイトBBSで少々話題に。(で、もう少々再聴)例の如しのズルズルの横流れ的(しかもタメもたっぷりある)演奏で、これが彼の持ち味であり個性なんです。例えばショルティ/シカゴ響(1970年)辺りの現代的物量派のアンチ・テーゼのようにも聞こえるし、かといってテンシュテット辺りの悲劇的激昂とも異なる、妙にクールで清潔なる粘着質。もちろんクーベリック、ハイティンク方面の常識バランス系とも異なります。いろいろ表現方法があって楽しいな。
さて、出張の準備しないと。
2005年1月某日
ああ寒い。さぁ、気を引き締めていきまっしょい。三連休ノンビリしました。これから3月迄突っ走りだな。
昨夜聴いたCDから。Bach ブランデンブルク協奏曲第3/4/5番(1981年)管弦楽組曲第2/3番(1983年)〜アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを。おそらく20年前(大阪時代)LPでご近所の方に聴かせていただいて以来の邂逅。(その方も故人となりました)10年ほど前からの現代楽器による古典派〜浪漫派の録音にまったく共感できず(リズム感に違和感有)避けていたけれど、このBach は(いまとなっては)穏健派で柔らかく、優雅でスッキリふっくら、しかもリズムがいきいきとして感動が押し寄せます。急いた切迫感も、チープで薄っぺらい響きとも無縁。録音もしっとり残響がお見事。
録音といえば、Respighi 「ローマの松」「鳥」「ローマの噴水」〜ケルテス/ロンドン交響楽団(1968年)には驚きましたね。演奏の特質なのかもしれないが、金管を華々しく強調することなく、全体として抑制が利いて美しさ際だつ音楽。ロンドン交響楽団の響きはマイルドで、この作品にありがちな刺激的な金管炸裂・・・じゃないんです。バランスがとても良くて、穏健地味渋派の巨匠として大成する可能性大の人だったかも。Smetana 「高い城」「モルダウ」〜ヴァルター・ヴェラー/イスラエル・フィル(1978年)を引き続き(全6曲聴けず)。
珍しい組み合わせというか、あまり話題にもならなかった録音かと思います。(正直@250じゃないと聴く機会はなかった)ワタシはイスラエル・フィルにあまり感心したことはなくて、ここでも響きがやや薄いか、と感じました。ヴェラーの表現もよく歌うワリには、思い入れよりさっぱりていねいに仕上げた、といった雰囲気でしてやや個性不足。しかし、音質的に条件が揃っているし、日常座右に置いて然るべき一枚だと思います。
QUADROMANIA/Smetana4枚組より「勝利の交響曲」(祝典交響曲)ホ長調 作品6〜ヨセフ・フルンチージ/プラハ放送交響楽団(1980年)を。これは珍しい録音で、ほかにはコシュラーやシェイナのがあったかな?いずにせよ入手は簡単ではありません。40分を越える大曲だけれど、なんとトラック分けなしという雑な編集。明るくわかりやすい民族的(いつも聴き慣れてそれっぽい)勇壮な旋律が親しみやすく、ラスト(第1楽章にも)には「皇帝賛歌」(Haydnで有名)大爆発で締めくくり・・・的作品です。演奏的には少々やっつけ、というか・・・文句言っては罰が当たる。
以前図書館で借りて聴いた、Mahler 交響曲第5番〜バルビローリ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1969年)を冒頭辺り少々。彼の遅いテンポ、細部まで描き込む表現には優秀なアンサンブルが必要だけれど、オーケストラの響きがずいぶんと清廉で、聴き手の集中力が試されそうな演奏ですね。これは出張に持っていきましょう。
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昼からの会議を抜けて広島へ(スケジュール上どうしても調整を付けられなくて)三連休中鬱々と仕事のことを思い悩みつつぼんやりしていたけれど、やはりお客に面と向かってことにあたらないとね。気持ちが切り替わりません。ちょっと元気出ました。
移動中、しっかり音楽を聴き、本も読む・・・まずMahler 交響曲第5番 〜バルビローリ/ニュー・フィルハーモニア管・・・これは不思議な演奏でして、リズムの切迫感がほとんどなくて、オーケストラの清潔なる響きが混濁することなく、ゆっくりと柔らかく、激高することなく鳴り続けます。ゆるゆるのスカ、と感じる人もいるだろうか。この遅いテンポにオーケストラは付いていくのがやっと、といった風情もあって、これはクールなのか、一種の”泣き”なのか?
引き続きMahler 交響曲第9番ニ長調〜第3/4楽章〜クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管(1967年)で。同じオーケストラだけれど、リズムが明快で重い、というか、一つひとつの旋律に深い意味合いを感じさせて、説得力が凄い。録音の加減か、たしかにバルビローリ盤と同じオーケストラなのに語り口に濃淡があって集中力と、響きに”芯”を感じさせます。クレンペラー恐るべし。
Mozart ハフナー・セレナード ニ長調 K.250(K.248b)〜コープマン/アムステルダム・バロック管弦楽団(1988年)もじっくり再聴。驚くべき躍動感!ふっくらと柔らかいアンサンブル、素朴なヴァイオリン・ソロの線も細過ぎませんね。以前に聴いた、彼の交響曲よりやや表情が濃厚のような気もして、これは確認が必要です。
2005年1月某日
本日も休み。嵐の前の静けさで、明日朝一番から資料作り〜会議〜途中抜けで広島行き遅くまで。(日帰り)明後日地元で会議〜そのまま東京へ(泊)・・・帰って来て、日曜から仙台だもんなぁ。寒いから風邪に気を付けないと。やたらと眠い。よく眠れるのは助かります。本日は書籍多数と一部CDの処分をする予定。
坂村健「痛快!コンピュータ学」(集英社文庫)〜1997年執筆、2002年文庫化だけれど、内容的にまったく旧くなっていない。(その件、文庫化へのあとがきで筆者も触れている)そういったITものは即価値がなくなっちゃうものだけれど、さすが純国産OS"TRON"の立て役者である彼は、マイクロソフトへの鋭い批判もあって、初心者へもわかりやすい内容です。
Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ブーレーズ/BBC交響楽団(1968年 NUOVA ERA 2326)・・・たいへん気に入りました。全体としてクールで明快、正確、知的な演奏だけれど、まだ意気盛んな当時43歳、ライヴならではの(それなりの)テンポの動きもあって、エキセントリックではない、バランスの良い、聴き飽きしないものだと思います。
他の方のサイト関連でGlie're 「イリヤ・ムロメッツ」を。「冗漫で退屈な作品」との意見もあるようだけれど、ワタシは初めてFMで聴いたときからお気に入りでした。サイトで検索すると、全曲版(ストコフスキーは半分くらいに縮めている!)ではあるが、繰り返しは実行していない(全部やると90数分でCD一枚に収録できない)、サラリとし過ぎて演奏的にはツマらない・・・との評価も有。でも、逆にそんな演奏だから、ワタシは素直に楽しめたみたい。
筋的にはロシア伝説の英雄物語らしくて(勝手に少々引用すると)「叫び声だけで軍勢を気絶させる『山賊ソロヴェイ』を叩きのめし」「体臭で敵を気絶させるダッタン人『ウダラヤ・ポリエニツァ』や『怪物イードリシチェ』などを叩きのめす」〜荒唐無稽なもの。(なんか楽しい)
ワタシはChopin の佳き聴き手とは言い難く、ルービンシュタインくらいかな?無条件で楽しめるのは。で、ポゴレリチのCDを久々取り出しました。ところでワタシが入手したCDはどうも出典が曖昧で、いろいろサイト検索するウチ「The Showcase」(私設ファン・サイト)でようやく詳細発見・・・素晴らしいサイトです。数年前のワタシは、いい加減で罰当たりなコメントだけなので、もう少し勉強しましょう。
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昨夜から整理していた書籍+CD少々をBOOK・OFFへ持ち込み。千度言うがカネのためじゃありません。占有場所やら自分の嗜好を徹底させるため。ご近所BOOK・OFFここ数ヶ月在庫・価格ともに不調だったが、見積もり中に念のため@250コーナーを眺めたらいろいろ増えてました。ようやく年末処分分が店頭に出てきたのか。8枚購入したら赤字になりました。(当然)
その中にVerdi「椿姫」(抜粋)〜ギオーネ/サン・カルロ歌劇場管/合唱団(1958年)があり、ああカラスとクラウスの有名なるライヴじゃないの。(たしかEMIで現役)カラス希有な名唱!とのことだけれど、初心者であるワタシには音質が少々厳しいか。トスカニーニ盤(1946年)に感動したのもずいぶんと以前だけれど、あれもモノラルだったよなぁ、と思い返しつつ、ちゃんと聴いております。音楽の基本は声楽である!とのことだし。
ああ、カラスはドラマなんだね。強靱で個性的で、アクの強い声!アルフレート役は既に故人であるアルフレート・クラウス(同名だ)が若々し(実際若い)くて、いかにも役柄にピッタリのおぼっちゃま風でした。
Mozart 小夜曲ト長調K.525〜カラヤン/ベルリン・フィル(1965年)を。たしか1960年頃のEMI盤も所有していた記憶があるが、予想通りの豪勢豪華優雅な演奏でして、「ちょっとそこのスーパーまでお買い物に・・・」ベンツを使っているみたいか。ベルリン・フィルのシルクのように鈍く輝く弦は、指揮者のスタイルを越えて文句なく魅力でしょう。こんな金持ちMozart も悪くない。
2005年1月某日
昨日は昼から眠ってしまったので、本日はちゃんと午前中から女房と(約束の)お買い物。床置きのソファがもうダメなんです。数件回って、ついでに家具調コタツ(現在のパレット型は既に10年弱経っている)も購入しました。(季節外れだから展示品が激安)
更についでに一昨日のBOOK・OFFへ。ヤルヴィのSibelius は第3番第7番がなかったのであきらめ(というか、また機会を改めて)、そのかわりMahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ブーレーズ/BBC交響楽団(1968年)+バルビローリ/ニュー・フィルハーモニア管(1969年)を購入。バルビローリは一度図書館のを借りて聴いていたけれど、問題はブーレーズですよ。演奏評価はともかく、音質の状況を知りたくてあちこちネット検索掛けるが、情報出てきませんでしたね。
帰りの車中でちょっと確認したが、音質的には充分鑑賞に耐えうる水準か。あとは演奏だな、最近のDG録音はどれを聴いても”抜け殻”のような脂っけの抜けた演奏だった記憶もあるので。じっくり(あとで)楽しみましょう。
Mozart ハフナー・セレナード ニ長調 K.250(K.248b)〜コープマン/アムステルダム・バロック管弦楽団(1988年)・・・今朝一番で聴いたけれど、これもぼんやりして集中できず・・・なんとなくLP時代のコレギウム・アウレウム合奏団を思い出しました。再度、Tchaikovsky 「悲愴」〜ホーレンシュタイン/ロンドン響((c)1967 )を再度・・・これはもう、オーケストラが鳴りきって、厚み重量感には欠けるが、まさに同時期録音の「幻想」(ブーレーズ)と同じような明快な音がしましたね。
2005年1月某日
寒い朝。でもお休み。昨夜のEnglish String Miniaturesの件で意外にもBBSに書き込み有。へぇ〜。更に(便乗話題で)Finnish Orchestral Favorites(8.555773) プヌーラ(パヌラ?)/トゥルク・フィル(1995年)の話題も出てきたので、久々確認しました。「他ではなかなか見られない」というマニアック系フィンランド作曲家作品目白押し(Sibelius メジャー2作品が含まれるのは客寄せ効果期待か)で、シミで薄暗くて、淡彩で哀しくてジ〜ンと来ちゃうが、寒い季節に寒い部屋で聴くには少々ツラい。これは真夏に聴くべきだね、納涼のために。
ワタシのサイトもときどき見て下さっている(らしい)山本さんの「コラム」(勝手にこんなところでリンクしてすみません!)は、ワタシ如き「In the Mood」的サイトとは大違いの学究的誠実分析で、お勉強させていただきます。その中で「展覧会の絵」に言及されていて、アンセルメ新旧盤詳細コメントで、アンサンブルの危うさを指摘されておりますね。ワタシは1959年録音(駅売海賊盤だけれど)を掲載しているが、とても気に入った”味のある”演奏と感じたんです。
アンサンブルはどうだったかな?と、先日購入したロンドン交響楽団(1947年)を(再)確認。音質(信じられないほど)良好。ははぁ、なるほどオーケストラ不調というか、技術的にはたしかにあちこち危うい〜例えば「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ」のトランペット・ソロ、そして弦とのズレ。(シカゴ響伝説のハーセスなんかと比べちゃいけないけどね)でも、全体としてコシが軽くて、華やか、味わい系の楽しめる演奏・・・そう感じますが。これは好みだな。オーケストラが変わってもこんな感じだから、アンセルメはアンサンブルに神経質じゃなかったのかもね。
ラスト「キーウの大門」でテンポを倍にとって、しかもオルガン導入!(山本さんコメントで初めて知った)なかなか個性的じゃないですか。
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昼からはほとんどコタツでウツラウツラ・・・とうとう終日外出もせず。昨日BOOK・OFF収穫成果の一枚は、Tchaikovsky/Schumann ピアノ協奏曲〜アルゲリッチ(p)/コルド/ワルシャワ・フィル(1980/79年)・・・数年前話題になったCDですよね。たしか国内盤でも出たはずだけれど、これはCD ACCORD011 305-2(輸入盤)。ウワサ通りの熱狂的ライヴでして、数多い彼女の同曲録音中でも(バックのオーケストラ含め)出色の完成度!いつもいつも座右においてジンワリまったり的演奏ではない、既に動物的カンによる本能のような演奏。(聴衆はガマンできずに拍手がラスト沸き上がります)
Sibelius 交響曲第5/6番〜コリン・デイヴィス/ロンドン交響楽団(2003/2年)〜例の自主制作ライヴ盤が、もう早中古放出とは。彼のSibelius は、ボストン響との第2番(1975/76年)しか聴いたことはないんです。昨夜遅くに音量を下げて聴いたので、まだ様子はよくわかりません。件のBOOK・OFFにはヤルヴィ/エーテボリ交響楽団の全集(BIS)があったので購入を悩んでいるところ・・・計3,000円くらいだったかな?
2005年1月某日
昨日初日出勤はそれほど忙しいわけでもなく、意気も上がらない。(スケジュール勘違いしていて、徳島出張入れていたけれど断念)早々に退出して、昨年別部署異動した同僚と情報交換(ここ数ヶ月の課題であった)。帰宅すると甥からノートパソコン届いており、なるほど様子がおかしい。ウィルスチェックではなにも出ないが、ブラウザにへんな(英語の)ツールバーが出ているし、トップページも書き換えられている。なにより、インターネットが異様に重い。ようやくSpybotをダウンロードしてチェックしたら、出るは出るは70数個のスパイウェアが!(全部除去)こいつがあちこちに情報送信するから遅くなるのだね。
そんな状況でほとんど音楽聴けず。今朝、Bach パルティータ集〜ヴォルフ・ハーデン(p)(1985年NAXOS)にて。自然体で柔らかい、素朴なタッチが(購入以来10年以上)気に入っております。もう廃盤だと思うが。
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午前中、集中して資料づくり、サンプルの点検、昼から地元取引先の現場訪問(ついでにお隣BOOK・OFF覗き)〜かなり、詰めた、充実した商談に気分も少々高揚・・・暗くなって、お取り引き様のお客に自宅まで送っていただきました。(それを人は”殿様商売”とも呼ぶ)BOOK・OFF岡山妹尾店の在庫はまったく充実して(リヒテル平均律4枚組やや難有750円は魅力的!既に持っているから買えないが)いて、@500というやや不本意なる単価ながら短時間厳選4枚購入・・・これが2005年初CD購入となります。
(その中の一枚)LP時代懐かしいTchaikovsky 「悲愴」〜ホーレンシュタイン/ロンドン響((c)1967 1966年頃の録音?)をさっそく確認するが、濃厚・・・ではないな、確固たる個性と主張に溢れた熱演。録音もオーケストラも絶好調でして、露西亜系濃密さとは少々味わい違って、かといって独逸系かっちり構成系でもない。充分にアツく、スケール大きく雄弁に語る演奏。クサくならず、カッコ良い。久々”楽しめる”「悲愴」でした。
(本日購入とは別のCDで)English String Miniatures というシリーズがNAXOSで出ていて、有名無名の作曲家による、涙もんの珠玉名曲集が堪能できます。デヴィッド・ロイド・ジョーンズの指揮でVol.1〜4迄出ているみたいです。本日はノーザン・シンフォニア(2000年)でVol.4〜HOPE、Bridge、CARSE、TOMLINSON、Holst、Delius、LEWIS(半分くらいしか名前を知らない作曲家)の小品集収録。泣けます。地味で穏健、紳士で剽軽な真面目さと軽快さがあって、「華のない音楽」(児島の体操服屋の若旦那評論〜誉め言葉なんです)。Bridgeの「ワルツ-間奏曲」の哀愁には、おシリの穴がこそばゆくなりそうな快感有。
・・・思い出しました。なぜVol.1がなくてVol2〜4の三枚のみ在庫なのか。たしか、Vol.2だったかな?昨年、間違って同じものを2枚買ったんです。それは人様にプレゼントしました。だからVol.1が手許に存在しない。情けない。Vol.1はいずれ入手しないと。NAXOSはけっこう英国音楽の宝庫でっせ。しかも、知名度低いマニアック系で。
2005年1月某日
さて、きょうから出勤。愛用の超整理手帳(特注カバー付き)を一週間ぶりに開けてスケジュール確認。ケータイの電源もオン。出勤して身辺状況(出張申請・作業スケジュール調整)確認して、いち早く現世に戻らなくっちゃ。ぼんやり薄曇りで、寒い。まるで自分の精神状況そのものだけれど、気を引き締めていかないと。ことしは風邪もひいていないし。
昨夜、ようやく(数ヶ月棚を探索していた)Bach パルティータ集〜グレン・グールド(p)(1957〜1963年)のCDを発見。思い付いた、聴きたいCDがすぐ出てこない、というのは相当なストレスであり、購入済みのCDをダブり買いしてしまうことと同質の(ボケ)状況ではあります。彼の演奏を聴く度に思うが、恣意的で人工的で不自然で・・・考え抜かれ、工夫し尽くされ、そして、その希有な個性に圧倒されます。それにしても、昨年年末からBach ばかりだ。
2005年1月某日
昨日は一日中、コタツでぼんやり。テレビも全然ツマらない。昨夜、ノートパソコンを調達してあげた甥から連絡有、どうやらエッチなサイトを見ていてウィルスやら、スパイウェアとかたっぷり仕込まれたらしくって、ウィルス対策ソフト「AVG」が大活躍したらしいが、彼は様子が分からず大パニック!息子に電話させ様子を訊くが「そもそも何が発生しているか」を理解しておらず、とにかくこちらに送ってくるそう。バカだねぇ。
本日(すっかり忘れていたけれど)病院行き。年末の発作の件などすっかり失念。腹部エコーによると腎臓の腫れもなく、石も見あたらないと。本日、息子が広島に戻るということで、「余っている(ダメになった女房マシンに付いていた)液晶ディスプレイをくれ」と贅沢言うので、いちおう点検すると、ナント!ちゃんと映らない。消えたり映ったりの繰り返し・・・やっぱり先日の女房マシンご臨終の時なんかの影響(例えば過大なる電流が流れたとか)があったのか?わずか2年間4万円弱パー。いや、もう年末からいろんなものが次々壊れていく。
息子がどうしても要る、というので仕方がなく灯油ファン・ヒーター(やはり昨年最年末に故障)とともに買いに行きました。液晶ディスプレイ22,800円(展示処分品)まずまずの買い物でしょう。Chopin ピアノ協奏曲第1/2番〜ワイセンベルク(p)/スクロヴァチェフスキ/パリ音楽院管(1966年頃?)を。硬派でクリア、冷たいChopin で甘さや浪漫の欠片もない。Faure レクイエム〜ポープル/ロンドン・フェスティヴァル管/イングリッシュ・ヴォイセス(1995年)・・・これは誠実で真面目、セクシーではないが意外と楽しめる演奏でした。
病院行き帰りでMozart 交響曲第40/41番〜アンセルメ/スイス・ロマンド管(1942年。40番手持ちダブり)を。ていねいにきちんと演奏しているのがわかるし、異形の演奏でもない・・・でも、どうしてもアンセルメじゃなくっちゃ、という意味合いも感じませんね。悪くないけど。彼のBeethoven やらBrahms を「新時代の超・名演」とか持ち上げる人がいたけど、案の定そんな話題消えていったでしょ?彼の本領は仏蘭西・露西亜など、ほか華々しい作品だと思います。
Bach ゴールドベルク変奏曲〜ブルーノ・カニーノ(p)(1993年)・・・これはほんまに立派な演奏です。世評ではグールドを持ち上げすぎ(ワタシも好きだけれど)で、自然体の愉悦感、ノリ、沸き上がるようなエネルギーに圧倒されるばかり。音質もよろしい。
さて、明日からお仕事再開。なにをやったら良いのか思い出せない。
2005年1月某日
本日から出勤の人も多いはずだけれど、年末代休もあってまだお休み堪能。昨日「『超』サラリーマン」(中公新書ラクレ)のことを書いたけれど、4年という時空問題か、それとも「時代は良い方向に行って欲しい」という期待の現れだったのか、正直違和感があったが、今朝、朝日新聞「私たちがいる所〜戦後60年から@」というコラムで桐野夏生さん(作家)が、正鵠を射た発言をされていて、これぞ現実!・・・彼女の小説がアメリカで翻訳され「日本ではホワイトカラーの妻が、何故ブルーカラー労働をしているのか」と。日本では見慣れた主婦パートだけれど、実体は奴隷労働(奴隷とは一生どれだけ努力しても望んだものになれない、との意)であると。
バブル時代に男女機会均等が芽生えたが、それは短期間に最悪の形で終焉し、今や男女問わず若者が切り捨てられる時代に至った、と。持てる者が持たざる者を臆面もなく揶揄する下品さばかりが残った、そのバブル時代が楽しかった、欲望を全開にしてしまった人々が閉塞感の中で右往左往している・・・とくに40歳前後の女性がヘンだ(例えば和歌山カレー毒物事件も、この流れと無縁ではない)という主張。古い家族モデルに固執してはいけない、結論の前に現実はあまりに厳しくて、「私は貧しい」とどれだけ自覚できるか、現実を直視できるか、新しい人と人のあり方を、内省を通じて近づいていく作業が必要である・・・所有によって豊かになると言う神話は、既に崩れているのですから。
2005年1月某日
女房息子と行って来ました鳥取の温泉。良い天気だったから黒尾トンネルもクルマで行けたみたいだけれど、往復バスにしました。ゆっくり眠れるし、音楽にも集中できるし、本も読めるし・・・で贅沢な片道三時間。ワタシは二回目だけれど、駅前のホテル・モナークは作りは高級だし、一階の温泉は最高なんです。(女房大満喫)
到着して少々遅い昼食は(深い意味はないが)ラーメン。(質素)夜、まだ正月だから心配したがけっこう飲み屋は開いていて、まず某「カニ専門店へ」〜これがメニューを見て驚愕の高価格・・・松葉ガニ専門店だったんですね。カニすきが6,000円(一人前)・・・う〜む、庶民には手は出ないので、焼きガニ+カニ酢+いか刺し程度に抑えたが、とくに焼きガニは旨味が凝縮したみたいで、いや、もう最高。
それだけで早々に切り上げ、もう少し庶民的なお店に移動。のどぐろ(高級魚!)、カンパチ、いか、その他いろいろ地元のおいしい魚をいただきましたよ。ネーズ巻き(興味ありますか?)とかオモロいメニューもありました。早朝、また温泉に入って(砂丘にも行かず)おみやげの福袋買って、帰ってきました。
音楽の前に移動中読んだ書籍の件。読売新聞経済部「『超』サラリーマン」(中公新書ラクレ)〜2001年の出版だから少々内容的には進展(旧くはない)しているだろうが、いわゆる大企業のサラリーマンの新たなあり方の事例取材(元は新聞記事だと思う)だ。例えば、企業内ベンチャー支援、定年延長制度、新人事制度(例えば年俸制)、男性育児休暇・・・事態はこの方向から想像以上に悪化していて、おそらく取材者は若干の希望と期待を持って執筆したはずだけれど、事実はそうなっていないか。
それと、新聞記事というのは事実を羅列しているだけで、統一した主張が見えにくいと思いました。その点、大ベストセラー養老孟司「バカの壁」(新潮社新書。恥ずかしながらようやく読んだ)の主張の明快なこと。これ「誰でも気軽に・・・」というような、平易な内容じゃないですよ。冒頭の妊娠から出産までの克明なビデオに対する男子学生と女子学生の正反対の反応・・・同じ事実、現実、事例をを目の前にして、それをどう感じるか、それを情報として生かせるか・・・ワタシがいつも主張している、というかぼんやり考えていたことでした。
移動中聴いた音楽。Debussy「牧神」、Ravel 「ダフニス」第2組曲、Ibert「寄港地」、Dukas「魔法使いの弟子」〜プレヴィン/ロサンジェスル・フィル(1989年)から。この人も叫ばない、表情濃く主張しすぎない、上品な抑制が繊細・・・アンサンブルの精緻さ、ていねいな仕上げは極上でして、まさかアメリカのオーケストラとは思えぬ完成度。
Respighi「ローマの噴水」「ローマの松」〜アンセルメ/スイス・ロマンド管(1963年)を。最近、なんども聴いているCDだけれど、鮮明な録音、明るく華やかな+味のある響き・・・これはメカニック的に優れていることとは別なんです。厚みがあって、剛力を感じさせて・・・ということが最上とはいえない個性。
メールにて克明な説明・ご指導を受け、嗚呼もっとお勉強しなくては・・・と、Monteverdi 「聖母マリアの夕べの祈り」〜スコラーズ・バロック・アンサンブル(1993年NAXOS)・・・ワタシには多種多様なCDを聴く余裕はなくて、入手しやすいこの一組のみ所有。声楽4部は各一人ずつ、古楽器による弦楽とコルネット、サックバットの床しい響きは、清明でココロ洗われる思い。大Bach を遡ることさらに一世紀、旋律の多彩さには驚くばかり。(マニフィカトも収録)
(いつまでも避けてはいかんなぁ、と)Beethoven 交響曲第5/7番〜岩城宏之/オーケストラ・アンサンブル金沢(2002年)を。たしか、お正月は東京で一晩掛けて連続全曲演奏されたんですよね。(それだったら行ってみたかった)やや「間」が足りない、と思わないでもないが、表現的にはオーソドックスで昨今の古楽器系表現ではない。威圧感のない、ていねいな表現を拝聴するが、録音に品がないというか、ティンパニをはじめとしてどたばたとした響きには少々閉口気味(残念!)。
Bruckner 交響曲第7番ホ長調〜フランツ/フィルハーモニー・デア・ナツィオネンの演奏で。ノヴァーク版かな?ライヴながら、予想以上の厚みと深みのある演奏とアンサンブルの完成度で、第2楽章「アダージョ」の有名な、弦のリキみも若い団体らしくて悪くない。もちろん、細部魂のこもった各パートのニュアンス、みたいなものは期待できないけれど、これは先が楽しみな若々しい演奏です。
Debussy「海」(1951年)「小組曲」(1948年)〜アンセルメ/スイス・ロマンド管にて。モノラル旧録音が、後年のステレオ録音に劣ることはまったくない(録音水準だって)が、このアンニュイな魅力はムリして旧い音源で楽しむ必要もないでしょう。
2005年1月某日
昨日、女房息子をバス到着地まで迎えに行くが、入れ違いで壱時間以上待ちぼうけ。ふだん(休日は)ケータイは持ち歩かないのでこうなる。正月早々大喧嘩。メールで連絡付く方に「WEB年賀状2005年」を送付するが、相手が喪中であって失礼になってしまった事例有。また別件、アマオケの演奏会コメントでの事実誤認に対して、配慮ある連絡いただく。ちゃんと修正いたしました。
あまりメールが届かないほうなので、ココロ籠もった一文には(デジタル媒体である、と言うことを越えて)じ〜んときました。曰く
よいことも悪い事も、人生の色彩の一部と、そのまま受け取る事にして、今年は過ごして行こうと思います。
その通り。そうなんだよね。
ここ数日(含む昨年)聴いたウチでコメント漏れを少々。Brahms 交響曲第3番ヘ長調〜クリスチャン・マンディアル(マンデール?)/”ジョルジュ・エネスコ”ブカレスト・フィル(1995年)を。これ全集になっていて、たしか発売されて即購入したはず。勇壮ゆったりめテンポでスケール大きく、浪漫的なテンポの揺れもかなりあります。やや恣意的でもあり、オーケストラも上手いとは言いかねる(あまり鳴らない)が、味の濃さやら、皮相に流れない”やる気”みたいなものを感じさせ、洗練されない(少々田舎臭い!?)魅力は確かにあります。相当個性的。
昨年(ちょうど一年前くらい)購入したピエール・デルヴォー2枚組より「禿げ山」「カマリンスカヤ」「だったん人の踊り」(パリ音楽院管1957年)を。モノラルかな?(音質は良好)この人の演奏はほんま”粋”でして、小品集が似合っているかも知れない。ついでにSchubert 「未完成」第1楽章(デルヴォー/フランス国立放送管弦楽団。STEF860705-SC/860 録音年不明。ライヴ放送録音だと思う)も久々に取り出すが、木管楽器が明るく良く歌って、浮き立つような演奏でした。
ロジェストヴェンスキー/モスクワ放響による「新世界」(1973年)の「金管炸裂大爆演」ぶりに大笑い。そのフィル・アップがムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの「未完成」(1978年)という、これ以上ない集中力壮絶凝縮演奏。違和感タップリのYedangClassics特有のカップリングで楽しみました。
これから家族で鳥取の温泉行き。(ちゃんとしたホテルだけど)
2005年1月某日
これから自宅すぐ側の今村宮迄初詣に行って参ります。
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ここ数年、写真風景にかわりはない(当たり前か)が、ことしはエラく混んでました。やはり苦しいときの神頼みか?おみくじ、お札購入にも列できてました。
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ゆっくり風呂に入って少々夜更かししてから熟睡。昨年末は悩み深くてBach の音楽に説教していただいたけれど、新年はMozart に決めていて、13管楽器のためのセレナード 変ロ長調 K.361(370a)「グラン・パルティータ」〜アレクサンダー・シュナイダー/ヨーロッパ室内管(1985年)を。こども時代にベームのFM放送で出会った作品だけれど、数種聴いたCDに優劣を付けるようなコメント不可能な、文句なしの名曲中の名曲。つまりどれを、いつ聴いても愉悦感に充ちて素晴らしい。
お掃除して、BOOK・OFFでも行ってみようかな?
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無為無策な元旦。BOOK・OFFは全国一律のプレゼント・セール(テレビ宣伝している)のみで、恒例の「@500CDを3枚で1,000円」を実施して下さらない。在庫としてはいくつか注目のものがあったが、@950以上で高止まりしているみたい。本も含め何も買わず。ディスカウント・ストアで水、ヨーグルト、納豆、パンなど購入。Mozart 弦楽五重奏曲第3/4番〜グリュミオー(v)ほかの演奏(1973年)を。
これはお気に入りMozart 中、別格でお気に入りの作品でして、発売されて即1,794円(税込)で購入しております。なんという自由闊達、無限の広がりを感じさせる優雅な演奏であることか。集中ではなく、自在の愉悦感。晴れやかな喜びと、疾走する哀しみ(この表現は小林秀雄だったか?)が対比する2作品・・・まことに迎春に相応しい。一昨年末購入して半分くらい放置してある「Casals Festivals at Prades」(13枚組8,530円)から一枚取り出しました。
Bach チェロ・ソナタ ト長調 BWV.1027(ホルショフスキー(p)1956年)、Brahms ピアノ・トリオ第1番ロ長調 作品8(メニューイン(v)イストミン(p)1955年)、クラリネット・トリオ イ短調 作品114(オッペンハイム(cl)イストミン(p)1955年) そしてもちろん、チェロはすべてカザルス。音質、技術的な不備、立派すぎる構え〜そんなものすべて乗り越え、「音楽の神髄とはなんなのか」を深く考えさせられる、圧倒的な存在感重量感。リズムが粘って乱れるところも散見されるが、味付けがはっきりしていて、見た目の飾りやら、盛り付けのみに気を取られた演奏ではない。
ホルショフスキーって、このころから枯れた演奏してました。イストミンが安定していて、アンサンブルの要(かなめ)となっております。メニューインは(相変わらず)美音ではないが、晩年のクセはそれほど表出していない・・・オッペンハイム(CBSのプロデューサーでありストルツマンの師匠筋)は、少々ヴィヴラートが好みから外れるか・・・なんて、ニヤニヤしながら楽しみました。
Mozart 三昧。ハイフェッツ登場です。LP時代愛聴したヴァイオリン協奏曲第5番(室内管弦楽団1963年)/第4番(サージェント/ロンドン新交響楽団1962年)/協奏交響曲 変ホ長調(プリムローズ(va)/ソロモン/RCAヴィクター交響楽団1956年)・・・各々音質は異なるが、驚くべき鮮度でヴァイオリン・ソロが映えます。どれも猛烈に速いテンポで、一切の弾き崩しも、曖昧な表現などあり得ず、壮絶な技巧が続いて、輝かしい喜びに充ちた演奏。LP時代も気に入った演奏だった記憶もあるけれど、ここまで感動したことはない。
正月らしく、J.Straussを。BRILLIANT(99083 5枚組1,250で円購入)の5枚組「Strauss Gala」でしてオットー・アエビ/スロヴァキア放送交響楽団(ブラティスラヴァ)の演奏は「こうもり」序曲から。抜粋かと思ったら、歌は一曲だけであとは馴染みの旋律が数曲(また誰かに独逸語を訳していただかないと)〜少々薄味ながらとてもめでたく楽しい・・・続いて「ヴェニスの夜」でこれは正真正銘の抜粋だけれど、歌い手のクレジットは存在せず。
でも、とてもウキウキ楽しい雰囲気溢れます。