Berlioz 幻想交響曲
(ピエール・ブーレーズ/ロンドン交響楽団)


CBS SONY  FDCA 323 Berlioz

幻想交響曲 作品14

ピエール・ブーレーズ/ロンドン交響楽団

CBS SONY FDCA 323  1967年録音  @166で購入。(中古)

 18年ぶりの再更新、というか再聴かも。プレヴィンの1976年録音に感心して、更にその9年前同オーケストラの演奏を思い出したもの。もう50年半世紀前でっせ。ロンドン交響楽団はイシュトヴァン・ケルテス( 1929ー1973)時代、このオーケストラが技術的に飛躍したのはプレヴィン時代(1968ー1979)らしいけど、ブーレーズの手に掛かればアンサンブルはクールに洗練されます。発売当時、話題沸騰!とくに第4楽章「断頭台への行進」 (Marche au supplice)の遅いテンポ、それも含めてこの演奏はすっかり忘れられ、 Pierre Boulezも2016年に亡くなりました。たまたま棚中に生き残ったCDを久々に拝聴いたしましょう。

 第1楽章「夢、情熱」 (Reveries, Passions)は繰り返しなし、さらさらと洗練されスッキリとした風情に繊細な表現であります。テンポは中庸、低音が弱いように感じるのは録音の個性かもしれません。情熱の爆発!からは程遠い耳あたりのよろしいサウンド。13:42。第2楽章「舞踏会」 (Un bal)には残念、コルネット入らず。記憶ではLP時代、この楽章は軽快流麗な響き、木管の明るさに感心した記憶有。ここもていねいな仕上げにクール、現在の耳で聴けば少々薄い?サウンド、ずいぶんと素っ気なく、淡彩に感じました。6:31。

 「愛する人のテーマ」(固定観念)に恋心燃える情念やら、舞踏会に彼女の姿を遠目に追う・・・みたいじゃないみたい。

 第3楽章「野の風景」 (Scene aux champs)。野辺には涼やかな風が吹き抜けるように繊細。木管の掛け合いによる牧歌的な場面(旋律が透けて見えるよう)と中間部の爆発との対比は物理的にはお見事(テンポ・アップも決まっている)だけど、どこか醒めているような印象から逃れられません。遠雷を思わせるティンパニは上手いですね。(9年後とは違う人なのか)15:02。そして(かつて)話題の第4楽章「断頭台への行進」 (Marche au supplice)へ。

 たしかに各パート噛みしめるように遅いなぁ、とても不気味。そして金管が切れ味よろしく鳴り切ってティンパニも決まっております。但し、音録りの思想故かデーハーには鳴り響かない、というか響きは濁りません。ダメ押しの繰り返し有。6:05。この楽章はブーレーズが走ろうとするオーケストラをクールに抑制して、興味深いところでしょう。

 終楽章「魔女の夜宴(サバト)の夢」(Songe d'une nuit du Sabbat)。ここは地獄の饗宴に乱舞して欲しい締め括り。ここのアンサンブルの縦線の合い方、統率はお見事、オーケストラは鳴り切っても風情はあくまでイン・テンポにクールであります。低音が弱いのはちょいと残念。ここはほんまの鐘のように思えますね。「怒りの日」の旋律を奏する金管も正確そのもの、足取りはあくまで冷静に粛々とした歩みでしょう。作品の趣旨から云えば、グロテスクさ皆無、全体に漂う緻密な冷静さは異端かも。コル・レーニョ奏法もあまり際立ちませんね。最終盤ややテンポを上げて青白い炎が燃えておりました。11:22。このCDには終楽章「魔女の夜宴」「怒りの日」「魔女のロンド」「怒りの人魔女のロンドの集い」4つのインデックス付き。

(2018年1月7日)

 「幻想交響曲」はけっこうたくさんCDを持っているけど、それほど好きな曲ではありません。中学生のとき「悲愴」「幻想」の2枚組をオーマンディで買っていて、それはそれでけっこう堪能していました。ところが、ブーレーズの「春の祭典」(1969年録音のやつ)ですっかりイカれてしまって、わざわざ彼の「幻想」を買いなおしたのものです。

 それは精密で、細部まで明快、クールで最高と当時は思ったもの。やがて時は流れ、ブーレーズも「先鋭なる異端」から「巨匠」となり、ワタシは「美少年」から「ブ中年」となり、この演奏のことも忘れてしまいました。(世評でも最近ほとんど話題にならない)で、この度、近所の中古屋さんのバーゲンで30年ぶりの邂逅。

 ミュンシュ/パリ管の演奏はたしかに凄いですよ。興奮します。でも、なんども聴こうと思わなかった。ほか数種類の手持ちのCDにもピンとこなくて、「ワタシゃ、幻想は好きな曲じゃないなぁ」と、そうねぇ、ここ10年くらい感じておりました。(このHPにも、小澤/トロント響、バルビローリのを載せているが、コメントに愛情が薄い。我ながら)

 冒頭のフルート、そしてオーボエが明るい音色で上昇したとたん、脳内タイムマシンが起動し、中学生に戻りました。そう「幻想」とはこんな曲だった。30年間も忘れていた、ピンとこなかったのはブーレーズの演奏ではなかったからなんだ、という確信。あんなに、真摯に集中して毎日毎日ボリュームを全開にして(親に叱られながら)聴いた日々の復活。

 驚くべきゆったりとしたテンポで、細部までていねいに、一つひとつの音を慈しむように、考え抜かれ、表現し尽くされた演奏。そのクールで理論的、冷たいくらいに透明感あふれる美しいアンサンブル。ほかの演奏では絶対に聴こえなかった細部への徹底したこだわり。知的な刺激は、まるで立花 隆の「脳死3部作」や「臨死体験」を読むのに匹敵します。

 冷徹な、華のない演奏じゃありませんよ。舞踏会は、主旋律のバックで鳴っている木管がお花畑のように歌っているし、聴き手に集中させるのがほんとうにむずかしい「野辺の風景」における、瞑想的な集中力。(ティンパニはたしかに遠雷である)

 「断頭台への行進」は、この録音が発売されたときから、その超スローテンポが話題になっていました。久々に聴くと記憶よりずっとショッキングで、なおいっそう遅く、不気味。ここから終楽章は、いくらでもバカ騒ぎできるところだけれど、旋律の「流し」はどこにも見られず、響きに濁りはみられない。うるさくならない。

 少年時代のワタシの耳がたしかだったのか、それとも、少年時代に培った「耳」が一生を左右するのか。もし、後者なら、こどもの音楽教育はもっと真剣に論議されなければならないはず。

 ロンドン響の、音の厚みが足りないことを指摘するのは簡単なことでしょう。響きの散漫さもそのとおり。終楽章もおとなしすぎるかも。オーマンディ盤の圧倒的な金管の充実、カラヤン盤(中学校の音楽室にあった)の磨き上げられたムーディーな弦の凄さは、当時のワタシでも気付いていました。

 でも、ワタシはこれが「幻想」だと思うのです。とてつもない精神的な忘れ物を見つけた気分。初恋の人が、昔の思い出のままに美しくあってくれたような、そんな満足感。(録音はフツウの水準。鑑賞に支障ないはず)

(2000年5月19日更新)

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written by wabisuke hayashi