2005年3月某日
今朝、メインのデスクトップ・パソコンが3回連続でフリーズしたり(どうもおかしい。今度の休みに電源交換必要か?)、BBSのサーバーが落ちていた(現在回復)り、で精神衛生上よろしくない。本日で3月終了だというのに、朝晩肌寒いですね。それでももう桜の季節だ。
昨夜、広島〜山口〜岡山移動中聴いた音楽の続き。Chopin ピアノ・ソナタ第1/2/3番〜ニキタ・マガロフ(p)(1978年)は、文句なし。暖かく、優しく、包み込むようなピアノの響きは希有の存在か。鋭さや、威圧感の欠片もない。若い頃にこんなChopin と出会っていたら、音楽人生変わっていたかもね。引き続きMozart 「小夜曲」「ポストホルン」セレナード〜レヴァイン/ウィーン・フィル(1982年)を。
馴染みの「小夜曲」はちゃんと繰り返しをして下さっているし、「ポストホルン」も弦の内声部(第2ヴァイオリンやらヴィオラ)が活躍して美しいオーケストラだと思います。(対向配置かな?)でもね、これ録音悪くありませんか?個々の楽器の音は鮮明みたいだけれど、全体として会場残響を生かした奥行きとか潤いに欠けます。ま、ワタシの安物オーディオが悪いだけかも知れないが、ポータブルCDプレーヤーでも自宅でも同様の印象でした。「ディジタル収録だから」とか「録音が相対的に新しいから」とか、それだけの理由で無条件に良い音、とはならないのは当たり前。
問題は”音録りの思想”なんです。ラスト、「Best of French Ballet」〜DELIBESバレエ組曲「コッペリア」「シルヴィア」「泉」+「逸楽の王」、歌劇「カッシア」〜「トレパック」〜レナルト/スロヴァキア放送交響楽団(1988/89年)。ほら、ウィーン・フィルとは(ご近所ブラティスラヴァだけど)少々オーケストラが緩いかも知れないが、ちゃんと広がり、奥行きに自然な響きがあるじゃない。フツウ「DG vs NAXOS」「レヴァイン vs レナルト」「ウィーン・フィル vs スロヴァキア放響」といったら、無条件に前者支持!なんだろうけど、そうもと言えないオモロさがここにあります。
珍しい作品も含め、気軽に楽しめる一枚。演奏にも不満はほとんどないんです。今朝聴いたTchaikovsky 「悲愴」〜カラヤン/ベルリン・フィル(1964年)は、オーケストラの威力抜群の雄弁なる演奏でした。ちょっとカラヤン色が出過ぎている、というか、強面乱暴(アンサンブルの意味ではない)な印象がありました。
2005年3月某日
良い天気、一気に春めいてきて開花も近いでしょうか。花粉症は寝覚めの鼻水以外これといった症状もないが、現役継続苦渋経験者の解題によると「それが始まり・・・やがて・・・」とのこと。おそろしい。風邪は治まってきたみたい。気持ち、張ってます。
他のサイト関連でウィリアム・ボートン(BOUGHTON)/English String Orchestra(なんて訳すの?イギリス弦楽交響楽団?)/English Symphony Orchestraを久々。イギリス音楽はほんまに人気ないみたいで、日本ではナマ演奏機会も少ないし、CDの話題もあまり盛り上がらない。(ワタシのサイトでのNAXOS無名中心のイギリス音楽集話題は希有な出来事か)先日(ワタシなりの入魂更新のつもりの)Elgarだってまったく反応なし!(寂しい)でして、うぅっ(涙)・・・。
Elgar「コケイン」序曲に少々元気ないが、Delius「夏の夜」、Butterworth2曲(作品名和訳調査未)、Finzi 組曲「(名和訳調査未)」+クラリネット協奏曲(アラン・ハッカー)、Vaunghan Williams「雲雀は飛んでいく」(Bochmann、ボクマン?)+オーボエ協奏曲(モーリス・ブールグ)など、ジミだけれどしっとり落ち着いた音楽が続きます。全4枚組(NIMBUS Ni5210/3)中2枚分。録音は1984-89年らしい。協奏曲2作品など、多彩でラプソディックなソロ旋律も多いのに、結果としての印象はやはり滋味深いものでした。
さて、お出掛けです。朝から遅くまでいろいろ・・・だけれど、移動時間にはしっかり音楽を楽しむつもり。
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自宅から直接出張の場合、自宅を出たところから既に音楽モードであって、バス待ち停留所、バス移動中、駅で新幹線待ち〜そして列車中、目的地に到着する迄音楽三昧。時間にムダがありません。Smetana「わが祖国」(全曲)〜ヴェラー/イスラエル・フィル(1978年)は、演奏者のネーム・ヴァリューや作品地域イメージから遠いこともあって、ほとんど話題にならなかった録音だと思います。更に「ディジタル化直前」(んなこと音質問題に関係もないんだけれど)というのも不運だったか?ワタシもBOOK・OFF@250CDじゃなかったら、一生聴かなかったかもね。
こだわりのない、さっぱり速めのテンポ、意外と弦を中心として優美に歌う演奏でして、全曲通して聴きやすい印象でしたね。「高い城」「モルダウ」迄が有名で、あと4曲が(おそらくトータル長さ的に)縁遠くなりがち、更にラスト2曲はかなりチカラの入った作品故聴き疲れしがちなんです。ヴェラー盤ならそこはクリア、もっと「民族自決!」的思い入れを望む人には物足りないか。
引き続き(購入して丸2年放置した)Schubert 交響曲第8/9番〜シノーポリ/シュターツカペレ・ドレスデン(1992年)を。先入観は禁物ながら、ほとんど想像通りでして、もしかしてFMで聴いていたのかな?劇的、強烈なメリハリ(ティンパニ大爆発)も芝居っけもたっぷり雄弁。奥深いオーケストラの響きの魅力健在だけれど、オーケストラの個性(地味渋系)とも作品(これはワタシの嗜好でしょう)とも少々違和感有。
そうだなぁ、もっとクリップスみたいな「ほとんどなにもしてまへん」系、ほんわか優しい説得力を好みます。先日聴いた(あまり人気ないらしい)グッドマン/ハノーヴァー・バンドの素朴な響きも好ましく感じました。でも、シノーポリの最終楽章に於ける圧倒的推進力には感心しきり。(ここまで出先空き時間に執筆)
・・・帰宅して続きを書こうかな、と思ったら、寺尾 聰「ルビーの指環」ご本人が歌ってました。皺も髭も薄くなった髪も、カッコ良い!もう60歳近いんでしょ?これは心掛けと努力と生き方の問題だな。バックも滅茶苦茶上手くて文句なし。歌い手の衰えもまったく感じさせない。こうでなくっちゃ。
日本/バーレーン戦・・・なんじゃい。相手オウン・ゴールで勝利か。なんかすっきりしない。
2005年3月某日
きついね。松山往復、先週くらいからトラブル、というかお客様からの大きな宿題(物流システム絡み)があって、直接ワタシの担当ではないとはいえ、人事異動の余波もあって全体経緯を知っているのは自分だけ、お客様とも顔見知り、と言うこともあって各部署動員に大わらわ。先週異動したバカが、じつは何もしていなかったと言うことが締め切り直前で発覚!そこをなんとか!仕切直し、問題はどこだ!的大汗で・・・クリアできそうです。これに通常のお仕事やら、引継やら絡んじゃう。明日早朝から広島〜夕方から山口へ。
嗚呼疲れた。まだ今週始まったばっかりでっせ。ツカれた。帰宅して一部サイトの更新というか、出先で更新した分をデスクトップでダウンロードしようとしたら、サーバーのファイルが表示されない。試しに(同一ファイルを)アップロードしてみたら、上書き確認されずに更新されます。これはおかしい。先日アクセスできない事象が2時間ほど続いたけれど、ヤバいな。
音楽に全然集中できません。明日、新幹線移動時間にしっかり聴きましょう。
2005年3月某日
どんより雨模様でやはり肌寒い。体調完全回復とはいかず、昨夜ご近所オープンの大型回転寿司屋に行った(満員で他に変えたが)以外、二日間外出まったくせず。不健康だなぁ。本日から本格的新年度出張連続の毎日が始まるが、体調維持に充分気を付けないと。今晩からクルマで松山。しかもメンバー・チェンジで、半分くらいは運転しなくちゃいけない。
先日、中古CDを大量取得したが、ムリして全部集中!はできないにせよ、少しずつ新たな発見をしたいもの。Dvora'kの弦楽四重奏曲ニ長調(第3番?作品番号なし)〜シュターミツ弦楽四重奏団(1993年)は72分に及ぶ大曲だけれど、懐かしく暖かい旋律の魅力には比類がない。ネット検索掛けてみたけれど、少なくとも日本語サイトでは作品解説などは登場しないし、そもそも売ってますか?この作品。飽きさせない、聴き疲れしない音質、演奏表現にも感銘深く、この間数回繰り返し聴いております。
だから「高い/安い」じゃないって。でもさ、定価で4,491円10枚物・ボックスにはフツウ簡単に手は出ないでしょ。これが1,650円だったから新たな出会いや、発見が生まれちゃう。他の方のサイトBBSでゴルシュマンの話題が出ていたので、手持ち在庫を調べたら、Vivaldi「ラ・チェトラ」(VANGUARD 08 6101 72)〜ウィーン国立歌劇場室内管弦楽団(ソロはマカノヴィツキー)出現。音質良好(信じられないくらい)、穏健しっとりとした暖かいアンサンブル・ソロにすっかり魅了されました。
同じシリーズで「調和の霊感」(ヤン・トマソウ)を探しているんですけどね。LP時代はほんまに楽しませていただきました。最近の古楽器系スリムなリズム感も悪くないが、こども時代からの馴染み・刷り込みは恐ろしいものでして、思わず和んでしまう平和な響きが欲しいもの。(ボスコフスキーが参加していたから、本物のウィーン国立歌劇場管弦楽団〜フォルクス・オーパーに非ず〜だったんでしょう、きっと)
今朝、今月二回目のBartok 管弦楽のための協奏曲(1963年)「弦・打・チェレスタ」(1965年)〜ショルティ/ロンドン交響楽団を。強面ではち切れそうな緊張感と集中力は、この作品にピタリ!というか、これも12歳で聴いていた録音ですから。ワタシにとってBartokは嫌いな作曲家じゃないが、いつなにを聴いても恐ろしい、というか、ゆったり和んで楽しめる・・・ということにならない。
では、行ってきます。出張中は音楽は聴けないでしょう。
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(在松山)じっくり考えて政策的なお仕事をしたいのか?実際は、細かい諸作業質問トラブル宿題連続で追われる・・・これが自分に似合っているのかな?午後4時には無理矢理クルマで出発〜実際上ワタシはラスト40分ほど運転しただけで松山入り。いつもの親しい取引先担当(ご夫婦)と久々楽しく飲んで(バリ島旅行報告)とおみやげいただく。
ああ、おいしいね、松山は。
2005年3月某日
いつものように早朝目覚め、外の空気を深呼吸したら鼻水連続!って、コレやっぱり花粉症ですか?良い天気だけれど。すぐ治まりました。
昨夜、Stravinsky 「春の祭典」〜デ・ブルゴス/ニュー・フィルハーモニア管を。LP時代からお気に入りでした。情報をネットで探したがわからない。((p)1963との表記だけれど、フィルハーモニア管が自主団体として再出発するのは1964年だから矛盾しておる。早速情報いただき、(p)1968の誤植ではないか、とのこと。初出LPは1968年)いつも自分の好みに合わないEMI録音だけれど、やや低音の甘さはいつも通り(これもオリジナルLPでは低音がしっかりしている、とのこと。ウチのオーディオ問題でした)ながら、鮮明な分離と各パートの位置関係も明確な音質に魅了されます。オーケストラの技量は特筆すべき切れ味だけれど、清廉でややカルい響きも魅力的。クールで細部ていねいな仕上げであり、バーバリズムとは無縁の、品の良さ。
所有のCD(D classics BX 705072)では、次にBartok 管弦楽のための協奏曲〜小澤征爾/シカゴ交響楽団(1969年)が組み合わされました。別に意識したワケじゃないが、「SEIJI OZAWA The EMI Recordings」7枚組(DB 905103)とダブったのはご愛敬。オーケストラが上手い、コントロール自由自在の指揮ぶりにも才気がある、表現がサッパリしすぎて「間」に不足するが、若々しいテンションがある・・・最近、この作品に対する混迷を深めている(いったいどんな演奏が自分の好みなんだろうか?)が、これは生真面目で悪くない演奏、と思っております。
今朝、アニー・フィッシャー(p)でSchumann「こどもの情景」「クライスレリアーナ」(1964年)を。Schumannのピアノ作品は大好き(というか、交響曲以外なら!)でして、しっかりとした技巧とムダのない集中力、リリカルな味わいがたまらない。知的でスリム、しかも上品ですね。久々の確認だけれど、録音状態に難有り、と感じてきたが、これに限りそんなことはない。(もう一枚のBeethoven のほうか、問題は)引き続く、Bartok ピアノ協奏曲第3番(バックはマルケヴィッチ/ロンドン交響楽団 1955年ステレオ)も同様(音もそうわるくない)。
強面で難解ではなく、あくまで美しい近代作品として淡々と、瑞々しく仕上げております。スリーヴの彼女の写真はとても美しい。
2005年3月某日
ヤク(「バッサリンA」という凄い名前の解熱鎮痛剤を購入)が効いて、じょじょに体調回復。昨夜偶然、説教クサさがたまらない反発心を生む「金八先生」最終回見ちゃう・・・たしか、前回のクール(上戸綾が出ていた)も最終回のみ見た記憶有。今回は生徒から覚醒剤使用者を生んでしまう、というたいへんな題材(実際に教育現場で発生しているのでしょう)だけれど、現実離れした感動的な卒業式情景、強烈雄弁なる本音「答辞」(説得力ありすぎ)、最後のホームルームで、ひとりひとりに対する「一文字」プレゼント。うむ、クサさもここまで徹底すればひとつの美学だ。
で、ラスト河原の土手で「ソーラン節」(伊藤多喜雄の躍動する最高の歌で)3年B組全員(ワケあって一人抜け)で激舞!って、前回とまったく同じだけれど、「所詮、お伽噺さ」と反発しつつ正直ぐっと来る。「こうあって欲しい」という希望・夢かな?ひとりひとりの存在を大切にすることの当たり前さ。卒業式に於ける父兄のベタな下町的声援、卒業式でも生徒同士の(楽しい、じつにツボを押さえた)野次、全部ぜ〜んぶウソです。でも、こんな素敵なウソを多くの人々が求めているのかも。
イラン/日本戦は2-1で惜敗!というか、(言いにくかったが)事前から意気込みとか、骨太さとか、の脅威を感じていたし、実戦では高さも馬力体力にも差がありました。残念。深夜に至ったが、気持ちを鎮めるべくSchubert ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調D960〜ケンプ(p)(1967年)を。息の長い素敵な旋律が延々と続く作品は、ケンプの穏健な表現で粛々と説得されて安寧な世界が広がりました。
今朝、ケンプ続きで「5つのピアノ小品集」D459/459A(1969年)、更にBeethoven ピアノ・ソナタ第32番ハ短調(1964年)/ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調「皇帝」(バックはライトナー/ベルリン・フィル 1961年)を。この人はテクニック表出タイプではないが、技術的な不備で細部表現にムリが出たり、表情がカタくなってしまうことがないんです。リリカルで暖かい、すべての作品が成功するわけではないが、ワタシのなが〜い「Beeやんスランプ」中でも唯一聴けるピアニストであり続けました。
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昨夜より体調改善だけれど、大事をとって終日コタツで動かず。それにしても花粉症はどうなった?状態で、その後ワリと症状治まっております。今朝、2時間ほど無料で借りている、サイト・スペースのサーバーがダウンしておりました。珍しい。
その後、で思い出したが、ライブドア問題。フジテレビ防衛問題でソフトバンク(の子会社)登場したり、一部芸能人が「ニッポン放送には出ない」とか、やや混迷を深めて、食傷気味となって参りました。どうなるんだろう?「カネがすべてか」みたいな皮相な論議はどーでも良いんだけど、放送業界の再編成やら新たな萌芽に結びつくような展開が見えない限り、もう飽きました。堀江さん大丈夫なの?本体の経営のほうは。
2002年に発売された「Great Conductors of The 20th Century」シリーズより、フリッツ・ブッシュ(1890〜1951)二枚組を。この人は活躍時期やら場所が悪くて(自分も含め)聴かれる機会が少ない往年の巨匠の一人だと思います。「リンツ」(1949年)やらBrahms 交響曲第2番ニ長調(1947年)は、驚くほど直裁で現代的な表現でした。まったくセンス的に旧くない!デンマーク王立放響のジミで奥深い響きも特筆すべきでしょう。
2005年に入ってすっかり入れ込んでいるSibelius 今月再度「歴史的情景」作品25/66+「エン・サガ」作品9〜ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団(1985年)を。寂しげちょっと憂鬱なワン・パターン旋律はまったく日本人(代表=ワタシ)好み!洗練されすぎない、やや粗野ではあるが野蛮ではない、迫力ある冷涼な響きに魅せられて(発売当時)定価3,600円/入手500円の価値充分にありました。録音も極上。
2005年3月某日
今朝も寒いなぁ。いかんいかん。いつものサイト定例更新実施。
今朝、FMで目覚めたらBach 管弦楽組曲第2番ロ短調が鳴り出して、各パートほとんど一人(に聞こえる)小編成、とつとつとして室内楽的な親密さに溢れます。ベルリン古楽アカデミーの演奏だったかな?この作品はこども時分、カザルス(1966年)とかマゼール(1965年)のかなり浪漫的、濃厚な演奏で馴染んだ作品であって、作品的に少々”重い”といった先入観あります。先頃聴いたアーノンクール盤(1983年)でもそうだったが、演奏スタイルがガラリ変わって、これほど印象一変の作品群も滅多にないでしょう。軽快で、リズム感が快い。
Dvora'kへの視野を広げようと少しずつ・・・交響的変奏曲 作品78〜クチャル/ヤナーチェク・フィル(2004年録音、ああ昨年8月じゃない)を。素朴で優しい風合いが素敵な作品であり、演奏だけれど、初耳ではない。かなり以前にダリア・アトラス/フィルハーモニア・フンガリカ((p)1994と表記)を聴いていて、その時には「?」状態でした。いろいろ聴いてみて、音楽への接点を探る重要性を再認識いたしましたね。
数少ない愛聴盤のひとつである、Bach パルティータ第3/4/5番〜ヴォルフ・ハーデン(p)(1985年)を。なんども再コメントを試みてはいるが、この白磁の柔らかい輝きをなんと表現したらよいのか・・・。流麗ではない、作品に距離を置きすぎず、一方で入れ込み過ぎない冷静さもある。けっして冷たくはない・・・(NAXOS 8.550312 既に廃盤のようです)
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なんやら久々に落ち着いてお仕事諸作業整理した!といったところだけれど、体調の方が昼からどんどこ悪くなって風邪か?インフルエンザか?早々に帰宅。食欲は落ちていないが、胃腸の調子はよろしくない。休み前〜休みはいつもこうだ。精神が弛んどる。最近、ブログ花盛りでそれなりに”おおっ”といった見所のあるサイトをいくつか発見していたけれど、いきなり削除されていたりするんだねぇ。どんな事情があったのかは知らぬが、やはり継続は難しいものです。
で、Dvora'k 交響的変奏曲 作品78はダリア・アトラス/フィルハーモニア・フンガリカ盤を確認。ああ、これも悪くないじゃない。もう少し硬質な響き、おカタい表現ではあるけれど、聴き手の問題なんだね、楽しめなかったのは。昨年来、棚で眠っているYedangClassicsからMendelssohn イタリア/Saint-Sae"ns 交響曲第3番イ長調〜スヴェトラーノフ/ソヴィエット国立響(1982年)を。「オルガン」はSCRIBENDUM盤と同じですか?
大騒ぎするほどの異形なる演奏なのか(ウワサで先入観を持ってしまったか?)。たしかに第2楽章第2部の重量感たっぷり、鈍牛の如き遅い歩みは迫力満点だけど、あちこち聴いたことのないようなパートの突出(例えばハープ)が目立つのはたしかだけど・・・ま、たしかにこんな粘着質な(アクの強い)金管って、そう出会えないか。後半に至るほど、暑苦しさはいや増すばかり。(Mendelssohnのことは、正直ようわかりまへん)
2005年3月某日
コタツ温源部帰宅。まだ寒かったり、暖かかったり、で、体調崩しやすい時期なので気を付けないと。桜はあちこち見掛けるようになってきたけど。なんか精神的にどんより重い。不眠気味。
Dvora'k 交響曲第8番ト長調をいくつか。LP時代(こども時代)からカラヤン/ウィーン・フィル(1961年)で馴染んだお気に入りの作品であり、ペーター・シュヴァルツ/札幌交響楽団のナマでも楽しんだものだけど、ここ最近、聴く機会が減っております。バルビローリ盤(1957年)を数回聴き込んだけれど、様子がイマイチ?状態だし、ミュンシュ/ボストン響(1961年)に至っては昨年1994年に購入したまま一度聴いたきり。で、メニューイン/ロイヤル・フィル(1994年BRILLIANT)を(これも久々)確認。
録音極上だし、金管の鳴りっぷりもアンサンブルも立派、熱演だと思います。でも、この空虚さ、こだわりのなさはなんだろう?(サイト用原稿に)で、今朝、クーベリック/ベルリン・フィル(1966年)を(昨年2004年末に購入して以来)取り出しました。オーケストラの圧倒的威力、千変万化する表情付け、燃えるような情熱・・・いや、もう最高です。凄い。でも、何故ベルリン・フィルなんだろう。音録りの問題かも知れないが、弦があまりに硬質に輝いて派手すぎ。それはフィル・アップの「謝肉祭」「野鳩」に於けるバイエルン放響(1976/74年)のしっとり瑞々しい響きで、明快に比較対照されました。
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世間並みの残業ですか?午前中、地元取引先へ出掛け昼からしっかりお仕事。新しいチーム・メンバーはヴェテランで意欲的だし、諸実務に慣れればお仕事は軌道に乗るでしょう。正直、(数値見通し暗いが)ずいぶん精神的に楽。帰り、目の前でバスが出てしまった(このパターンは多いね)が、とても寒くて油断禁物です。
流れでDvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界より」〜クーベリック/ウィーン・フィル(1956年)を。英DECCA初期ステレオ録音特有の、ぼわんと洞穴で鳴っているような(デリカシーに欠ける)音質だけれど、これはこれで浮き立つような若々しい演奏でしょうか。(イスラエル・フィルとのセレナードは聴かず)引き続きHaydn 交響曲第100番ト長調「軍隊」〜マーク/イタリア放送ミラノ交響楽団(1979年ライヴ)・・・粗野な躍動感!叩き付けるようなメリハリ(ティンパニ強烈に炸裂)。いや、もう最高です。古楽器みたいな味わい有。最後はお祭り騒ぎ大爆発!の水準でした。こんなに楽しいHaydnにも滅多にお目に掛かれない。
明日一日乗り切れば今週お仕事終了。あともう一息。
2005年3月某日
昨日は終日しとしと雨だったけれど、お陰で花粉症状ほぼ出現せず。今朝ちょっと鼻水っぽいが、この程度であれば日常生活に支障ないな。これ以上進行しないでちょうだい!
やたらと眠くて、ちゃんと眠れるのは嬉しいが、寝覚めがよろしくない・・・って、これが本来の姿なのかな?昨夜、他サイトでも話題のSibelius に影響受けて交響曲第5(1966年)/6(1968年)/7番(1966年)〜マゼール/ウィーン・フィル・・・LP時代からお気に入りでした。全集は購入しておりません。明るく、前向きで、たくさん語りたいことがある!自由にオーケストラを動かしたい!その気むんむん、といった感じの演奏ですね。やはり若々しい、ということで、寂寥感とか、そういものとは無縁だけれど、エエじゃないですか、こういのも。(録音は不自然っぽい明瞭さが極上)
しつこく、Sibelius 、こんどは交響曲第2/3番〜アブラヴァネル/ユタ交響楽団(1975/76年)を。マゼールのかなり機能的な演奏を聴いた直後だと、少々オーケストラがもっさり聞こえるが、これは誠実な雰囲気ある演奏です。第3番ハ長調の終楽章など、けっこうアッチェランドもあってアツい。
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松山までバスで往復しました。(新担当同行)こちらもお相手も担当変更で、引継ぎ日程が本日しか取れない。往復4時間半〜邪馬台国関係の本を読み出したら、酔ってしまって気分最悪・・・音楽だけにしましょう。聴いても聴いても宿題が残っちゃうSibelius 交響曲第1/4番〜アブラヴァネル/ユタ交響楽団(1975/76年)を。細部にアンサンブルの乱れやら、テンションが落ちる場面散見される(つまりオーケストラが少々弱い)けど、全体として寂寥とした味わい深くて立派な存在感ある演奏だと思います。とくに第4番イ短調は混沌混迷深く、リズムもたついて、どんよりとした感じがたまらない。
今月始めに通販購入した「Romantic Ensembles」(BRILLIANT 6枚組 92294)の消化に着手。Spohrはワタシの贔屓作曲家(1784年生まれWeberと同年)でして、9重奏曲ヘ長調 作品31/八重奏曲ホ長調 作品32〜ナッシュ・アンサンブル(1979年)から。予想通りの親しみやすい、素朴快活な旋律頻出!楽しい・・・と眠りの世界へ進んでいくと、妙に馴染みな旋律が顔を出して驚き。八重奏曲の第3楽章変奏曲の主題は「調子の良い鍛冶屋」(Handel )なんですね。それが見え隠れして、どんどん姿を変えていくんです。
(憾みのダブり購入99599-7)Schubert 八重奏曲ヘ長調D803〜(サシュコ・ガヴリーロフ率いる)ベルリン・フィルハーモニック八重奏団(1998年)を。ワタシはこの作品大好きです。延々と楽しげな歌が溢れて、もう止まらないよ、と壱時間以上に至っちゃう喜び。往年のフランス名手達、ボスコフスキー率いるウィーン八重奏団、二種のCDで以前から楽しんできたが、明快な録音も鮮やかなる技巧の冴えもこちら圧倒的です。
でもさぁ、なんか違うんだよね。艶々しすぎるというか、上手すぎるというか。ザイフェルトの抑制の利いた清明なるホルンに文句はないが、ブランドホーファーのクラリネットの高音が鋭すぎる(中低音は、ヴィヴラートもほとんどないのに美しく深い音色)とか、全体表現として雄弁が過ぎるとか、ちょっと余計な文句を付けたくなっちゃう。いえいえ、これだけ聴いていればきっとなんの不満もない立派な演奏!でしょう。きっと。
2005年3月某日
やや花粉症、女房体調イマイチ、コタツ故障(もうかなり暖かいけど。修理に出てます)、そしてなにより本日から新年度体制スタートで、いきなり朝一番から地元お取引先へ出掛け(大仕事有)、昼には内部会議(資料間に合わないか)、明日も松山に日帰り出張だから、本日連休中の溜まった宿題を遅くまで消化と予想されて、どんよりした気分。(そういえば伝票関係の締めもある)
今朝の音楽はBartok。ワタシはこの作曲家に対して自分なりの機軸が持てなくて、ある意味どれも素敵に聞こえ、別な意味でどれも集中できません。 管弦楽のための協奏曲〜ショルティ/ロンドン交響楽団(1963年)は中学生時代に聴いていた(当然当時はLP。たしか輸入盤で1,200円だった)原点なんです。モントゥー〜ケルテス時代のマイルドなロンドン響のイメージ一変で、厳しく集中したアンサンブルを聴かせて下さいました。LP時代のフィル・アップは「舞踊組曲」だったが、このCDでは「弦・打・チェレスタ」(1965年)。
これも強面で、恐ろしくリキんだ演奏です。作品には似合った表現か。録音極上。
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いやぁ、こんなシンドイ一日もあるんだねぇ。目が回るとはこんなことを言うのか。いやぁ、これでもか!というくらい電話は来るは、メールは来るは、しょうもないトラブルは発生するは・・・で、ひとつ処理する途中に次が発生して、Windows2000大活躍〜いくら窓を開けても落ちないのが嬉しい。机の上の伏魔殿をひとつ崩すと、新たな矛盾が発見される・・・チームの新メンバーから質問があり、その説明の最中に電話が入り、電話の最中にケータイが鳴り、更にメールが入る・・・
明日、松山です。元気です。ああ、そういえば本日、4月の北海道出張予定おじゃんになりました。残念。
2005年3月某日
明日から始まる新年度のことを考えると、連休も憂鬱です。それに花粉症が”泣き面に蜂”状態。鼻水、目のかゆみもたいへんだけれど、強烈なる頭痛がたまりまへん。今朝は、いまのところちょっとマシか。九州の地震はエラいことでして、新潟も予想外だったが、次は北部九州とはねぇ、地震予知ってやっぱりムリなんだろうか。被害が最小限であることを願います。お見舞い申し上げます。
昨夜、思い立ってPC/オーディオ部屋の模様替え実行。今回の主眼はスピーカーの移動(置き場所位置変更)です。ウチの弱点は低音だな。でも、音質のためにこれ以上経費を掛けるつもりはない。既にアンプも10年選手となり、スピーカーは15年以上か、限界まで使います。
BBS書き込み関連でTelemann 「食卓の音楽」第2集を。黄金時代管弦楽団(NAXOS/イギリス・マンチェスターの古楽器団体。1995年録音)の演奏を聴き出すと、なぜ第2集のみで他を買わなかったのか理解できましたね。古雅で素朴な味わいはタップリだけれど、躍動感とか、ずばりテクニック的に少々弱い(ワザと、かも知れない)、洗練が足りない感じで、眠くなるんです。作品的には大好き方面で、PILZ怪しげ音源以来一生懸命聴いていた音楽(大Bach にそっくり!)なんだけど。
アリシア・デ・ラローチャ(p)のBach 残り、ピアノ・ソロのあとに協奏曲2曲含まれるお徳用盤(収録78分以上)、バックはデイヴィッド・ジンマン/ロンドン・シンフォニエッタ(1979/80年)で。Bach 協奏曲ヘ短調BWV1056/Haydn 協奏曲ニ長調は、明るくしなやかで抑制あります。10年ほど前、Haydnの作品はミケランジェリ(p)/シュトゥウツ/チューリヒ室内管を聴いたけれど、立派過ぎ、なまなまし過ぎでご遠慮申し上げた記憶があるが、これなら親しげで朝から気持ちがよい。
Bach が10:40、Haydnが18:45の収録〜LP時代だったら「これで一枚」というのもあったろうな。以前は「できるだけ詰め込んで欲しい!」と思っていたけれど、最近、聴き手の集中力が弱まってきて、区切りの良いところでいったん休憩、というパターンが多いですね。CDの価格もこなれてきたし、考えられた適度な収録を望みたい。(贅沢言ってる)
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昨日に比べ花粉症状がずいぶんとカルい。頭痛もほぼ回復。本日は2回外出したが、そんな感じでこのくらいなら耐えられると思います。ぼんやり2時間ドラマ(の再放送)を眺めたり、本棚を片づけたり・・・で音楽はあまり聴いておりません。
R.Strauss 英雄の生涯〜カラヤン/ベルリン・フィル/シュヴァルベ(v)(1974年)・・・2回目、EMIとの最盛期録音。自然体で、リキみなく自信に満ち溢れて美しい。先日聴いた「ドン・キホーテ」(1965年)と同質性を感じさせるが、こちらはいっそう完成度が高く、説得力が深い。引き続き、「メタモルフォーゼン」〜クレンペラー/フィルハーモニア管(1961年)の明快で骨太なる寂寥感!
更に「四つの最後歌」〜シュヴァルツコップ(s)/セル/ベルリン放響(1965年)は、かつて彼女の(濃厚なる)声質が好みではなかったが、今なら細部に渡る入念な表現に驚くばかり。セルはベルリン放響(現ベルリン・ドイツ響)から信じられないような集中力を生み出しました。
Beethoven チェロ・ソナタ第3番イ長調/第4番ハ長調/第5番ニ長調〜クルステフ(vc)/ヴォデニチャロフ(p)・・・これはもう10年ほど前に購入したBRILLIANTの一枚だけれど、ルーマニア系の名前(読み方いい加減)ですか?やや小ぶりだけれど、作品を味わうに充分なる技巧と表現で楽しみました。
2005年3月某日
やられた・・・初花粉症。昨日の京都・銀閣寺散策の辺りからか。帰りの新幹線で目がカユい。昨夜〜今朝、鼻水盛大です。でも、想像するに症状はカルいほうじゃないか、と思います。しかたがない。例年の10倍花粉が飛んでいるそうだし。
ガリー・ベルティーニ逝去。77歳だったらウチの親父(しぶとく元気)より若いじゃないか。数多くのサイト・ブログ・BBSで哀悼の意連続しております。東京都響で素晴らしいMahler を演っていたそうだし、ケルン放響との録音はFM+CDで楽しみました。精緻で神経質なアンサンブルを実現する人でしたね。ワタシも遅ればせながら(昨年2004年7月に購入した)Mahler 5枚組(EMI 7243 8 26406 2 2)〜第1/2番(ケルン放響1986-91年)を再聴。
これはもっぱら聴き手の体調問題だけれど、クールで淡々とした(ほとんど旋律にシナ=品を作らない)引き締まった集中力に少々カタが凝ります。美しいが冷たい。「復活」ラストでようやく溜飲を下げた、というか、ワタシはもっとゆるゆるとか、素朴とか、自然体とか、暖かさ、みたいなものを求めたのかも知れません。それでも、第6-10番/大地の歌の後半作品収録(ケルン放響)は欲しい。手許にはFMエア・チェックMDで第8/10番、大地の歌ありますが。
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九州北部で大地震発生!被害はどんなもんだろう。かつての居住地であり、馴染みの土地なので、とくに心配です。
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約一ヶ月ぶりに、スポーツ・クラブへ。ぼんやり出不精(デブ症?)状態なので。まず、いつもの自転車こぎBeethoven ヴァイオリン協奏曲ニ長調全曲(45分)分〜シェリング/シュミット・イッセルシュテット/ロンドン交響楽団(1965年)・・・しばらくぶりの運動なので、そうとうキツい。第1楽章途中で既に息が苦しい。閑話休題(それはさておき)なんという上品で、クセのないヴァイオリンか。「ソロもオーケストラも灰汁の無い音色なので 私としてはそこが物足りないところ」そんなメールでの感想もいただきました。
ロンドン響はジミに鳴っていて、ま、オーソドックスというか、こういうのが永く聴き続けるには一番なのですよ、と言いたい。あわてず、騒がず、激高せず、粛々淡々。ヘロヘロになりながら、EFX(トレッドミル?)へ。交響曲第5番ハ短調〜シュミット・イッセルシュテット/ウィーン・フィル(1965年-69年)・・・これは第1楽章のみでチカラ尽きました。(8分ほど)音質もオーケストラの艶も期待ほどではないし、「間」にも少々不足気味だけれど、これも王道を歩む「偉大なるフツウ演奏」か・・・な?(鼻水・頭痛がひどい)
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先日しょうもない意味もない一文更新してしまったが、【♪ KechiKechi Classics ♪】のありかた問題で少々考えてしまいました。(考えただけで、なにをするつもりもないが)曰く(他のサイトBBS上にて)
探すために森に入ってもどこに何があるのかわからないっていうか。入り口がいくつかあるんだけど、どういう部屋に分類されてるのか「??」状態っていうか。レーベル別になっているらしいけど、それがよくわからないっていうか。トップページでしばらく考え込んで結局やめちゃうっていうか。作曲家別になっていると助かるんだけど。っていうか
なるほど。「探すため」ね。そんな人もいるんだ。【♪ KechiKechi Classics ♪】には資料的意味合いを期待させるつもりもないので、粛々と思いつきで更新するのみ、というか、日常聴いている音楽を更新しているのみです。作曲家別って、そんなメンドーなことできるワケないじゃん。でも、作曲家はすべて原語(風)綴りになっているから、表紙下の検索窓▼