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コレクター的感慨



 自らの行為を不当に(高く)合理化するためのイニシエーション(=高いCDを買ったんだから、きっとこれは素晴らしい音楽なんだ!)を拒否してきたワタシだけれど、同時に「コレクターではありたくない」という基本姿勢もあります。人様の(音楽系)サイトを拝見していると「云々のCD購入」をとの日誌は掲載されるが、肝心の演奏コメントが拝見できない(詳細情報がないといっそう隔靴掻痒状態)こともあります。(ワタシだってないワケではないが)ま、”購入・入手そのものが悦び”というのはキモチわかりますよ。でも、”コケシ収集”じゃないんだから。並べておけば満足、でもないしょう。

 ま、ワタシだって時間的に聴ききれない(正直、購入したことを忘れていることさえ有)で”コケシ状態CD”は沢山あるから、エラいことは言えないけれど、自戒でもあります。ま、”安ければ先入観なしに聴いてみる”という基本姿勢だから、”●×の音源はいくら払っても探す!”みたいな性癖はないんです。いままでの経験でも、たいてい10年くらいのスパンで望んでいた音源は、格安で眼前に現れて手に入りましたね。あわてることはない。(昨年2005年11月には、10年掛かってマゼール/ウィーン・フィルのSibelius 旧全集望みのBELART盤にて激安!ようやく3枚揃いました)

 買い物の楽しみ、みたいなものってありまして、いろいろ沢山店頭に並んでいる。”おおっ!こんなんあったのか”と気紛れな出会いを楽しんだり、逆にようやく出会えた待望のCDが期待ほどでもなかったり、そんなこんな悲喜こもごもの音楽生活であります。今回の話題は「集めたい」ということ。

 シャンドール・ヴェーグという巨匠が、かつていらっしゃいました。晩年は指揮者として、生き生きとした最高のMozart を楽しませて下さったものです。今年2006年は”Mozart の年”ということもあり、ワタシは彼の「セレナード/嬉遊曲集」が欲しい!10枚組、たいへんな安価セットで入手可能です。でも、ワタシには購入できない理由がある〜ほとんど既に持っているから・・・既に15年程前、CAPRICCIO 60 022-26枚組(CAPRICCIO 60 022-2 価格失念。8,000円くらいだったか?いえいえ壱万円はしたか)を購入してあるんです。ずいぶんと長く楽しんできました。

 更に付け加えれば、嬉遊曲 変ホ長調K.113は、別のCD(CAPRICCIO SMU-1 10 801/1)に含まれておりました。でも、CD4枚分ほど足りなくて、これはぜひとも入手したい・・・が、過半はダブってしまう。ま、冷静に考えれば当該の作品は別途別演奏にてCDは所有していて、「どーしてもヴェーグで!」ということでもなくて、ちゃんと音楽は楽しむことができるはずだけれど・・・なんとかならんのか。(ならない。10枚組中古1,000円くらいで出現すれば、既存音源売り払うという手は有)

 (先日の「音楽日誌」ネタだけれど)ある日、馴染みの中古屋さんを覗いたら、これは第8番(1994年)RCA 74321 27609 2 2枚組750円税込エド・デ・ワールトのMahler 全集4,000円台(5,000円弱)で売ってました・・・じつは数年掛けて「あと残は第3番のみ」迄入手到達したが、ちょうどそのくらいお金は掛かっているんですね。出会いとはこんなもんか。まぁ、いいや。あわてない。ヤルヴィのSibelius 交響曲全集(旧)が、やはり「あと残は第7番のみ」状態でして、いつかそれなりにこなれた価格で出会えるでしょう。ムリしません。

 先のヴェーグもそうだけれど、ネット検索すれば「不足分」は(おそらくレギュラー・プライスにて)即入手可能なんだろうが、自分なりの抑制というか、楽しみはあとに回しておく、ということかな。これは「クッレルヴォ」作品7(1985年)BIS CD-313   500円ヤルヴィ(旧全集)は、じつはまとめて@500入手時に「第3番」「第7番」が抜けていて、「第3番」を少しあとに(別な店で)やはり@500で発見した経験でした。ま、出会いは”縁”なんでしょ、きっと。(第7番は渋谷のタワーレコードにちゃんとあった〜手が出ないような高価格で)

   コレクターではないけれど、微妙な不足感も楽しみのウチです。(廉価盤を買う)趣味だから「カネで安易に解決する」というのも自分なりのルールから外れます。まず、手持ちの在庫をしっかり、楽しみながら聴く、そういうことでしょう。

(2006年1月27日)


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written by wabisuke hayashi