2005年11月某日
昨日、出張中止して内勤〜通常業務で午前中つぶしてしまい、狙いの会議資料整理を夕方までにおおよそ揃え(読み込みは来週会議直前になるでしょう)CDROMに焼き込み、出席者へ送付済み。(内勤に慣れると出張が苦痛になりそうで怖い。事実そういった傾向の人間が存在する)東京・本部から旧知+新たに出会う数人歓迎するが、官々接待とはせず自腹にて(ま、エエではないか)たいへん楽しい会話であり、酒量も多くはなく、適度・・・タクシーでやや遅め(自分としては)に帰宅いたしました。
従って音楽聴いておりません。「無音日」もタマにはええじゃないか。本日は午前中行事対応(本部の連中はこのために前泊した)、昼から来訪される広島・山口のお客を地元案内、明日から東予地方に肉体系労働(実際は役立たず、顔を出すことに意義がある)出張となります。JR四国は移動時間が長いから、たっぷり音楽は聴けることでしょう。
おおっ!もう11月終わりじゃ。疾風怒濤の一ヶ月は過ぎ去り、なんとか体調大崩しせずに乗り切ったじゃないか。
2005年11月某日
寒いでんな。これでこそ冬。さて、本日で一気にお仕事仕上げないと。夕方にはちょっと出かけたいところ、東京からの来客もないわけではないが。明日、午前中大きな行事有、昼からお客様大人数ご案内、数カ所〜週末は愛媛県今治新居浜方面(肉体系労働二日間+第1回ミニ忘年会)へ。もう12月です。
一昨日コメント途中になってしまった、Mahler 「大地の歌」〜ハイティンク/コンセルトヘボウ管/ベイカー(ms)/キング(t)(1975年)の件。なぜ「不遇の音源」かというと、旧Mahler 全集が第8/10番(1970年)で完結し、その補遺として録音された音源だと想像するけど、その後のベルリン・フィルとの全集は完結せず(CDは入手可)、その中間に位置するコンセルトヘボウとの再録音が入手しにくいことによります。だいたい、彼の録音は膨大であって時にBruckner旧全集が再発されたりするが、ロンドン・フィル(1967〜79)時代のものはほとんど入手不能。(望む復活!)PHILIPS廉価盤シリーズでも「大地の歌」はコリン・デイヴィスが担当しておりました。ディジタル録音(1981年)だからでしょうね。閑話休題(それはさておき)
そのマイルドで深みのある管弦弦余裕の魅力は、ワルター/ウィーン・フィル(1952年)以来の感激でしたね。録音だってアナログ末期の成熟したもので、ほとんどそれだけで価値が高い。が、ジェームス・キング(1925〜2005年)の声質がまったく気に入らない。もっと若々しい(=若い、という条件ではないが)のびやかさとか、思いっきり個性的無頼な味わい(パツァークで出会いの刷り込みですか?)が欲しいところ。どうも真面目一方で、面白みと広がりが感じられない。(あくまで聴き手の好みとして)ジャネット・ベイカー(1933年〜)は「フェリア以来のMahler 歌い」の貫禄充分でしょう。あくまで知的、端正。
2005年11月某日
寒い、が凍えるほどではない。昨日も昼はかなりの気温でしたね。自然の摂理的にはよろしくないが、暖冬はありがたく過ごしやすいものです。(商売的には最悪)今朝は起きるのがツラかったな、血圧低めの元々の体質になっているのか。体調はOK、風邪も大丈夫。しかし、お仕事では気分が重い・・・のはいつものこと。
昨夜テレビで見たけど、「イチョウ」が中国から人為的に日本に持ち込まれたもの(だから日本には野生種がない。世界でも絶滅寸前だったが、中国南部に一部残っていただけという)であること。ゲーテが愛したヴァイマールのイチョウは日本から持ち込まれたものであり、独逸仏蘭西英国すべてイチョウのことは「Gingo」と呼ばれ、これは日本語からの表記(+聞き間違い)だそうです。いやぁ、オモロい!
このサイト初期(おそらく1999年)にカリン・レヒナー(p)のことに触れていて、このBRILLIANT3枚組(99274)は現在(いま)でも現役ですか?熱心なファンの方からメールをいただいたのも懐かしい。久々、数年ぶりのBrahms ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調は、本来、巨大なるスケールを誇る作品のはずが、威圧感の少ない、むしろ達観(若いのに!)、素朴、静謐、親密な味わいに好感を持ったものです。マルトゥレット/BerlinER SYMPHONIKER(ザンデルリンクのオーケストラに非ず。旧西ベルリンのオーケストラ)も予想外の雰囲気ある(もの凄く上手い!とか、艶やか!とは言えぬが)もの。併緑される小品集 作品119はいっそう、寂寥の念深まるばかり。
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職場の机の上はいつものように阿鼻叫喚状態であり、メール、ノーツ、ファックス+先週からの宿題のヤマが容赦なくワタシを責め立てます。大きなトラブル(やがて・・・予測だけれど)も発生して、宿題も山積(昼休みに上司と打ち合わせ)。本日は定例ミーティングだけれど、昼からの部が中止になったこともあり、ほぼ当面実務は消化(のつもり)。年末までのスケジュール調整(私的忘年会も)も完了しました。どうも体調思わしくなく、早々に帰宅・・・年末まで走り抜けないと。明日、一日つぶして(出張中止)会議資料作成+読み込み・分析、いろいろ。夜は来客だけれど、どうだろうか?
通勤ではMDプレーヤーが活躍して、やはりサイズは問題ですな。電池もずいぶん保ってます。行き帰りのバス+待ち時間で聴いたのはBruckner 交響曲第9番ニ短調〜クルト・ヴェス/ヴュルテンベルク州立管弦楽団(1984年ライヴ)・・・久々だけれど、豊か(過ぎる)残響にゆったり余裕の味わい溢れて強面ではない、土の香りがするような響きに感銘深い演奏であります。叫ばない、煽らない、走らない。うるさくない。オーケストラは諄々と鳴り渡って、あくまでオーソドックスであります。
そういえば数日前にBruckner 交響曲第5番 変ロ長調〜ティントナー/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(1996年)を聴いていて、これほど聴くたびに印象が変わる演奏も滅多にないな、と感じます。(お茶の間オーディオで聴いたせいか?)今年2005年7月自らのコメントでは
納得の演奏でした。金管が高らかに鳴り続けるが、表情付けは非常に素朴でして、ムリなテンション・アップがほとんどない。あちこちのハーモニー、旋律に特別な表情付け(もしくは演奏者の特異な音色、個性)がほとんど存在しない。それを「ツマらない、ショボい」と感じるのか、「自然体で気持ちがよい」と感じられるか・・・の違いでしょう
となっております。それが今回は(少なくとも)前半の元気が足りない感じ・・・が、たしかに最終楽章にはアツい輝きを感じ取ることは可能かと。
先日、少々挫折し掛かったTchaikovsky マンフレッド交響曲はレナルト/スロヴァキア放送交響楽団(1988年)へ。これは録音も、オーケストラの鳴りっぷりも、甘い旋律の歌も上々で存分に楽しめるみたいです。有名過ぎて、聴き過ぎの後期交響曲より、馴染みが薄い分ずいぶんと新鮮に感じられました。
2005年11月某日
週末連休は久々だけれど、金曜夜からリラックスして心身共にエエ感じです。でも、明日以降のお仕事段取りを考えてしまって、少々精神的にザワ付いた感じ。タマにメールが届いた(アダルト・ジャンク系ではないないもの)が、ネット上での礼儀の成熟度を考えさせられたり、いや、これはネット上ではなくて一般社会での風潮を反映しているのかな、そのうちほとぼり冷めた頃に”オヤジの説教”風にコメントまとめたいもの。
昨夜、NHK教育テレビ「ETV特集 心はどこにあるのか?」〜脳科学者・川島隆太さんの研究・実践の成果であります。認知症が進んだお年寄りに、簡単な計算(一桁の足し算とか)やら音読作業の学習を続けると、数ヶ月で驚異的な回復(脳の働きだけでなく、肉体的にも)を遂げる例が頻出しているという。(実例が説得力あるのはテレビならでは映像技術)これは前頭連合野が活性化しているのか?脳の働きは完全には解明されていないが、類推はされていて、壊れてしまった神経回路は回復しないが、周辺の健在な部分が新たな代替機能を担うらしい。指揮者とか、政治家がいつまでも矍鑠としているのはこんな理由なんですね。
衰えというのは個人により千差万別(当たり前の、誰でも知っていることか)で、昨夜かなり認知症の進んだお年寄りと、北海道の親父(まったく元気。暴走爺。よう喰うし)がほとんど同い年であることに驚きました。日々精進だな。
Mahler ブームは個人的に続いていて、Mahler 交響曲第6番イ短調〜ミトロプーロス/ケルン放送交響楽団(1959年)をARIOSO(104)盤で。これは「GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURY」シリーズ(IMG Artists)の復刻と同一音源であって、ま、これしか知らなかったらそれなり納得音源だけれど、後者の復刻がほとんど最高の水準に達していたので、流石に少々聴き劣りします。演奏的には驚異的な集中力と、筋肉質、細部入念なる描き込み〜これほどの辛口演奏にはそう出会えない。
交響曲第1番ニ長調〜マルケヴィッチ/フランス国立管弦楽団(1967年ライヴ)・・・指揮者、オーケストラとも少々違和感があるというか、馴染んでいないようなレパートリーですね。前倒しのアツいリズム感であり、旋律にこだわり詠嘆とか粘着質が存在しない。熱病にうかされたような勢いがあるが、あちこちのパートが妙に色っぽかったり、こだわりがなかったり、ノーテンキだったり・・・で”甘口のカレー”みたいな演奏か。(併緑されるStravinsky 詩編交響曲はワタシ、大好きです。まるで「声明」〜しょうみょう〜の世界。乾いた情感がタマりません!)
交響曲第5番 嬰ハ短調〜インバル/フランクフルト放送交響楽団(1986年)・・・ああ、これは録音が素晴らしいですね。たしかワン・ポイント・マイク?たくさん馴染んできた艶々のマルチ・マイク録音とは一線を画して、”作ったところ”を感じさせない。ワタシのヘロ・オーディオでもそれなりの質感(低音が足りない)だけれど、高級オーディオの誘惑を少々考えてしまうくらいの自然な味わいある音質。演奏は知的で冷静、大仰異形なる表現とは縁のない、計算し尽くされた完成度の高いもの。つまり耳目を驚かせるようなエキセントリックさ皆無だけれど、妖しい感性に充ちみちて”これぞMahler ”の王道歩む演奏であります。
オーケストラの響きはむしろ地味方向であるが、とにかくメカニック的には最高水準に達していて、細部の彫琢圧倒的・・・というと先のミトロプーロスに似るか?というとそうでもなくて、あちらには「青白く燃える浪漫」がありました。こちらもっと基本的に厭世というか、クールというか非情〜口当たりはまったりしていても〜でした。これぞ現代に生きるMahler か。聴けば聴くほど、遣る瀬ない精神のささくれが胸に刺さりました。
Liszt ピアノ協奏曲第2番イ長調〜マガロフ(p)/フリッツ・リーガー/フランス国立放送管弦楽団(1970年ライヴ)・・・さっぱり好きな作品ではないけれど、リヒテルの入魂名盤やら、ナマで小野さんの鮮やかな演奏を聴いちゃうと、いつの間にやら馴染みとなるものです。ややソロがオン・マイクで不自然な音質(でも鮮明です)ながら、マガロフの瑞々しい余裕のピアノがタップリ堪能できて、なんと瑞々しい。テクニックは表現の奉仕のために存在する・・・そんな当たり前のことを気付かせて下さいます。
ああ、ちょっと長くなった。休日の趣味ですな。目に悪いし、少々休みましょう。
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マンション耐震構造偽造問題はエラい問題だけれど、ついに関係者ひとり自殺へ。彼(か)のJR西日本の悲劇的事件と同根であって、”しきい値”を越えた無理な合理化(ここでは安全無視の過度のコストダウン)に踏み込んでしまう、ということでしょう。おそらくは「水面下」には、いくらでも同じような事象が隠れていることでしょう。いつかは必ずバレるのにな・・・こんなことは、ワタシ如きが書かなくても、みんなわかっていることだけれど。
女房に付き合って、連続スポーツ・クラブへ。日曜祝日は参加者が少ないはずが、けっこう人数多いし、メンバーがいつもと違います。いつものインストラクター代理ノグチさんはイケ面長身男性で、その追っかけお姉さまが参加しているのだね。いやはや熱心なことです。
植村達男「時間創造の達人〜知的情報活用のすすめ」(丸善ライブラリー)にはやられました。冒頭、”情報錬金術のコンセプト”なんて、怪しげな図解なんか入っているし、嗚呼、この一冊ハズしたか?と思ったら最高じゃん、んもう楽しくて。植村さんは、保険業界のエラいさんらしいけど、活字中毒者であり、情報収集+発信の達人であり、それは「時間創造の達人」というより、自らの知的興味の範囲をいかに広げ、深め、とことん楽しむか、ということであります。自分の仕事関係、自分が関わった地域(生まれ、育ち、学び、生活するところ)への大いなる愛情と歴史への深化、人生を楽しむ、とはこういうことなんですね。1996年というインターネット普及前夜、1941年という世代を考えても、筆者はこの哲学のままネットの世界に踏み込んだはずです。(蛇足ながらBOOK・OFFで@105!でこの知的愉悦)
ちょっとMahler ばかり続いたので、Tchaikovskyなど・・・弦楽四重奏曲第1番ニ長調〜インターナショナル弦楽四重奏団(ニューヨーク)この団体は、コルトーが大昔に共演録音したのとは違いますよね?ちゃんとしたステレオ録音だし。小栗まち絵さんが1974年に結成した団体だろうか。ワタシはミーハーなので「アンダンテ・カンタービレ」の激甘旋律が大好きです。(演奏良し悪しはわからない。うむ、充分楽しみましたよ)引き続き、ロココの主題による変奏曲 作品33〜ラズロ・ヴァルガ(vc)/ジークフリート・ケーラー/シュトゥットガルト・フィル・・・フィッツェンハーゲン(でしたっけ?)版でしょう。誰でも知っている懐かしい旋律だけれど、ヴァルガの技巧はとても優れているし、オーケストラとも味わいがあって、思わぬ拾い物でしたね。(CONCERTO ROYALE 206248-360)
引き続きマンフレッド交響曲 作品58(バイロンの長編劇詩による)〜アブラヴァネル/ユタ交響楽団(1972/3年)・・・Berliozの影響を受けた表題音楽らしいが、ワタシはあちこち親しみやすい旋律にココロ奪われながらも、まだ作品全貌に馴染んでおりません。再度、きちんとこの作品と向かい合わないと。
スポーツ・クラブの帰り、BOOK・OFF岡山南店へちょっと寄ってみたら、不遇なる音源Mahler 「大地の歌」〜ハイティンク/コンセルトヘボウ管/ベイカー(ms)/キング(t)(1975年)@500にて入手。(PHILIPS 17CD-75)自宅に戻るまでの短い時間だったが、車中で少々確認した感じではキングの声質がどうも好み方向ではない・・・せっかくの貴重なるCDなので、ちゃんと聴きましょうね。(自宅のオーディオで確認すればなんのことはない、いつもの深く渋いコンセルトヘボウ・サウンドじゃないですか。エエもん買うた)
2005年11月某日
昨日、風邪悪化はなんとか踏みとどまって、肉体系労働無事消化、事務所には戻らずそのままサボり〜って、昨日(休みだった)の目医者へ。新しくできた(やや若手の)女医さんのご近所診療所でして、ここの看護婦が妙に慇懃丁寧対応過ぎ(作り笑顔は嬉しくない)ますね。眼圧など正常範囲だけれど、更に本日緑内障の精密検査を念のため実施予定。夜は、「創作居酒屋 河忠 (かわちゅう) 」へ女房と。 超・贅沢しました。そんなに飲んでいないはずなのに、すごく眠くて早々に就寝。(=早朝覚醒)
サッカーニ/ブダペスト・フィルのライヴ・ボックスはRespighiへ〜「ローマの松」「ローマの噴水」「ローマの祭」(1999年)。これがよくわからない。音質も良好だし、ライヴとは思えぬアンサンブルの充実ぶり、華やかな雰囲気溢れる立派な演奏、優秀なるオーケストラの技量・・・しかし、ワタシの聴き方が悪いのか?かつてLPで出会ったライナー/シカゴ交響楽団(「松」「噴水」のみ。1959年録音。現在はCDにて所有RCA BVCC-8939/40)の強引壮絶緻密なる威圧感、アンセルメ/スイス・ロマンド管(1963年。これも「松」「噴水」のみ)の粋で上品なる味わいの感激に及ばない。少々”当たり前”というか、フツウに立派で美しい、個性が、固有の色がもっと欲しいということか。
でも、ワタシのブータレともかく、ちゃんとした、立派な存在感ある録音なんでしょう、きっと。まだまだ聴き込み不足、集中力不足か。聴き手現在の精神状況が、作品に似合っていないだけなのかも。(ああ、「祭」ラスト迄聴くとアツくなってきますね。拍手も盛大だ)Bartok 歌劇「青ひげ公の城」〜レヴァイン/ミュンヘン・フィル(2003年ライヴ)再度トライ。やはり”圧倒的感銘”に至らない。乾き気味の音質のせいか、レヴァインの明快なる表現故か、オーケストラの淡彩な響きとの相性か、妖しく怜悧な、震えるような瞬間はついぞやって来ない・・・
エドゥアルド・フリプセ/ロッテルダム・フィルによるMahler 交響曲第8番変ホ長調(1954年6月3日オランダ音楽祭ライヴ)は、モリスの第10番(クック版)とともにCD化されているが、声楽陣情報が不明(掲載されず)でした。ネットで偶然発見(旧いLPの販売らしい)したが、 A..クッパー、H.ザデク(s)/R.フェーエンバーガー(t)/ロッテルダム・フィル合唱団(少年合唱団はわからない)とのこと。蘭PHILIPSの録音で、アドラー盤に次ぐこの作品の旧い録音らしい。特別な感慨ある演奏とも思えないが、フリプセの名前を冠した指揮者コンクールもあることだし、オランダでは愛された往年の名匠なのでしょう。(忘れないウチにメモしておきます。本日聴いたわけではない)
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目の検査は「グレイ・ゾーン」でして、右目の視野にやや問題有。年明けに再度検査するが、おそらくアウトでしょう。右目の違和感にはずっと自覚があったし、現在もないわけではないので。そのまま朝一番のエアロビクス(久々のハシモト先生)へ。ちゃんとワン・クールこなして(一週間に3回、毎週休まず通えば都度利用より、正規会員の会費の方が安く上がる計算だな・・・と考えたが、ムリだな)BOOK・OFF(東古松店)へ。
ここ最近、クラシックCD出物は(ここに限らず)不調でして、最低価格は@750を目にすることが多いし、なにより「良質物件」に出会わない。でもね、新書(ワタシの守備範囲は主にノン・フィックション)が@105で多彩に入手可能となりました。定価が@660〜720、880でっせ。「ノウハウ本」として止まらない、永い価値を保ち続ける書籍を選び出すのも悦びであります。6冊も買っちゃいました。「読むべき本」の在庫を常に切らせない〜これはCDと同じです。
2005年11月某日
どうも風邪症状方向で怪しい。なんとか踏みとどまってくれ!本日、地元で肉体系労働。明日は(久々の)週末休み。今朝、なんとかサイト定例更新済み。
ここ数日聴いた音楽の覚え書きを・・・Bach カンタータ第174番「われ、心より至高なるものを愛す」〜リューシンク/オランダ・バッハ・コレギウム/オランダ少年合唱団/ブヴァルダ(ct)(2000年)・・・これはブランデンブルク協奏曲第3番の第1楽章が「シンフォニア」(但し、多彩なる管楽器が入る)となっていて、全集購入時にもっとも楽しみにしていたもの。LP時代にはレーデル盤(記憶ではモノラル録音)で出会っていて、驚いたものです。昔の記憶では、馴染みの弦楽合奏に管楽器の色づけ、程度だったはずが、ホルンとか木管群とかけっこう前面に出ていて、印象一変!であります。これだけ(いきなり)聞かされたら、出典がなんであるかはわからないかも。
相変わらず「作品の所為」など知らぬというか、調べてもおりません。純旋律的サウンド的に楽しんで、リューシンクの演奏にはややバラつきとか、アンサンブル洗練完成度に於いて不充分なところなしとも言えないが、ワタシにとってはかけがえのない「全集」であります。(声楽ソロは素晴らしいと思うが)レヴァイン/ミュンヘン・フィルのボックスはBartok 歌劇「青ひげ公の城」(2003年)へ。(ジョン・トムリンソン(bb)、クレメーナ・ディチェーヴァ(s))但し、途中までしか聴いていなくて、しかも全く集中できず。かつて聴いたことのあるケルテス盤の興奮はどこに?再トライしましょう。
昨日の新幹線中では(復活した)MDプレーヤー活躍しました。(すべてFMエア・チェック)Bach ブランデンブルク協奏曲第2/4/3番〜イル・ジャルディーノ・アルモニコ(1995年シュタイヤーマルク音楽祭ライヴ)・・・先鋭化したリズム躍動感とテクニックのキレ、「第2番のトランペットは音量的に考えてホルンが正しい」などという学説を吹き飛ばすような、荒々しいバロック・トランペットの迫力(少々の乱れは当然!)に魅了されます。快速テンポであり、第4番のリコーダーさえスウィングしていて、これぞ現代古楽器研究実践の精華!
引き続きHandel 「シバの女王の登場」、合奏協奏曲ニ短調作品6-10/Bach ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲ハ短調〜ジ・エイジ・オブ・エンラントゥンメント(1995年ベルリン・フィルハーモニー・ライヴ)・・・こちらはもっと古楽器ながらも穏健派のソフトな響きが古雅であり、愉悦感に溢れました。(以上一枚目)お次は1989年6月13日ベルリン・フィルハーモニーに登場した小澤征爾の記録です。
Berg 管弦楽のための3つの小品/Brahms ピアノ協奏曲第1番ニ短調(シフ(p))は、以前コメントした通りの驚異的に素晴らしい演奏。ワタシは一般に小澤征爾を楽しめない罰当たり者だけれど、こんな最良な時に出会えることもあるんです。(以上2枚目)ラスト、Mahler 「大地の歌」〜ベルティーニ/ケルン放送交響楽団/ヘブナー(t)パブシェク(a)(1991年11月16日サントリーホール・ライヴ)を。
これは恐ろしいほどの集中力に溢れた辛口の演奏です。甘美の欠片もない。これは心身共に快調なときに聴くべきものであって、昨日のワタシには少々キツく感じたものでした。MDは(かつて大量に残していた)カセットからの移行分残音源だけれど、「自分の嗜好」を探る原点のようでもあり、好きで音楽を聴いているんじゃないか、という当たり前のことを思い出しました。
2005年11月某日
さて、これから広島行き商談2発。岡山に戻って、改装中のお店現場へ本日・明日対応・・・事務所に寄って諸作業こなす余裕があるかどうか。やや風邪状況少しずつ怪しい体調方向で、今朝は起きあがれませんでしたね。ようやく秋らしい秋〜冬へ向かいつつあります。
集中して、意識しておかないと、(こうして「音楽日誌」に備忘しておかないと)「どんな音楽を聴いたのか」を忘れ去ってしまう〜まずSibelius 交響曲第2番ニ長調〜マゼール/ウィーン・フィル(1964年)・・・第1番の感想で「傍若無人御意見無用なるアツき推進力バリバリ。若く生意気で才気溢れる指揮者が、自由自在にウィーン・フィルをドライブしている」・・・コレです。この通り。好悪がはっきり分かれる演奏だろうが、ワタシはとても気に入っております。方向としては若い頃のカラヤンに似ていると思うが、フレージングは引き締まってアツい。サッカーニ/ブダペスト・フィルのライヴはRavel (1998年)へ。
ピアノ協奏曲ト長調/左手のための協奏曲ニ長調〜フィリップ・カッサール(p)/サッカーニ/ブダペスト・フィル(1998年)。この人1997年ロンドンで「Debussy一晩で全曲演奏」の根性演奏会をこなした人。(東京でも演ったの?)ACCORDで数枚CDが出ておりますね。華やか、上品で繊細しっとり・・・って、ワタシは正直なところこの作品演奏の善し悪しというか、求めるものがようわかりません。もっと、時に大騒ぎで大爆発!みたいのが欲しいのか?(アルゲリッチ?だっけ)録音は鮮明で、ワタシには必要な常備一枚であります。(自宅にはあまり新しい、状態の良い録音はなかった・・・はず)続く「ボレロ」「パヴァーヌ」も、やや色気不足だけれど、きっちり丁寧な仕上げ(立派なアンサンブル)+力演であります。
BBS書き込みにインスパイアされ、Mahler 交響曲第1番ニ長調〜シモノフ/ロイヤル・フィル(1994年録音とのご示唆有)を。これはオーケストラも絶好調で、細部まで磨き込んで、繊細なる味付けのクールかつスリムな演奏であります。ロイヤル・フィルの金管は期待通りの輝きに充ちて、あと足りないのは「にじみ出るような暖かさ」(これはワルターで馴染んだ先入観だな)のみか。録音極上。
さらに、Mahler 交響曲第3番ニ短調(第1楽章のみ聴取)〜メータ/ウィーン・フィル(1987年4月26日楽友協会大ホール・ライヴ/FMエア・チェック)を。これ、久々に発掘した「MDプレーヤー」の調子を試す意味もありました。ゆるゆる、茫洋として30分の長丁場を楽しませて下さいます。ライヴのやや散漫とした雰囲気、ざわついた会場のノイズも味わえて、ワタシはライヴが大好きです。神経質な演奏ではないが、この作品には似合っているかも。彼にはロサンゼルス・フィルとの録音がありましたよね。出会いを意識しておきましょう。
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庭瀬康二「ガン病棟のカルテ」(新潮文庫)・・・たくさんの問題提起をいただいた一冊。世代論で括るのは安易な考えかも知れないが、1939年生まれ・・・全共闘世代、60年安保闘争の世代か。1977年刊行、1985年文庫化、2002年で12刷を数えるベストセラーであります。腕利き外科医は、診療学、麻酔学を経て育った成果であり、数多くの経験を積んだのち、メスを捨て、ガン病棟に別れを告げ、”メデュトピア”(medicine, education, utopiaの合成語)という新しい夢(こういった理論哲学がいかにも”世代”だ)を追った、とのこと。(1979年診療所開設)
「告知」が一般的ではない、というのは時代でしょう。食道ガンに対して「粥でも喰っておけ」と、ご近所老医師の見立てに猛反発、最新技術の手術を施したが、結局患者を苦しめ、死期を早めてしまう・・・つまり、病ではなく、人を診ることの大切さを、多種多様沢山の例を引きながら語ります。真正面の姿勢に感動します・・・が、第8章「メスの崩壊する日」は(おそらくはワタシの勉強と理解不足だけれど)抽象的すぎて、よくわからない。これからが実践だったのかな?
多くのガンと闘ったであろう著者は、2002年自ら胃ガンで逝去されます。なんという巡り合わせか。
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岡山での予定をキャンセルして、広島より早々に帰宅、眼科へ向かうがなんと!休診日でした。う〜む。
2005年11月某日
昨日の「結婚記念日」を失念したのは不覚でした。昨日は手応えのない商談連続して帰宅、本日休み。色々様々お仕事系のこと諸処思い悩んで、鬱々と楽しまない。出張スケジュールも組み直さなくっちゃ。”やや風邪気味”模様は続いていて、油断するとヤバい状況続きます。きょうもスポーツクラブにいくか。明日、朝から広島行きで、その資料とサンプルを取りに職場に行かなくっちゃ・・・(地方都市のお気楽さだなぁ)今朝の新聞も広島での悲惨な小学生殺人事件に目がいくばかりで、切ない限り。
こんな時にはMahler が似合っていて、Brahms のピアノ作品/室内楽はあまりにココロを落ち込ませるものです。先日の演奏会時、同行者から「アブラヴァネル/ユタ交響楽団の第4番(1974年)のソプラノはダヴラツでしたよね、聴いてみたい」との御示唆を受けて聴いてみました。(再聴だと思うが、記憶はない)ダヴラツといえば「オーヴェルニュの歌」で有名だけれど、ワタシは聴いたことはないんです。
アブラヴァネルは(同じアメリカながら)ある意味ショルティ/シカゴ響とは対局にある、ゆるゆる味わい系Mahler (晦渋なる精神的懊悩系でないところは共通か?)であって、時に「アマオケ並」との手厳しい(どころか、非常識なる)評価を拝見することもあります。結論的に、全集中、出色の暖かさ、しっとりとした歌に溢れ、快く楽しい演奏でありました。(録音も極上)ネタニア・ダヴラツ(1931-1987)が歌う第4楽章「こどもが私に語ること」は、ずいぶんと親しみやすい、それこそ民謡とかミュージカルのような味わい(クラシックの声楽、オペラなどのイメージとはまったく異なる)であって、ワタシはとても気に入りました。可憐でコケティッシュな表情が眼前に浮かぶよう。テンポは速め。
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先週手抜き更新だったので、中途半端に残していた記事を一本分(いちおう)更新。自分用の覚え書きみたなものです。午前中、スポーツクラブへ行ったが、ミタニさんは初めてのインストラクターであり、どなたもプロで鍛え上げたスタイルが素晴らしいが、ややタカビーな感じが抜群のタイプでした。昼から、ズボン購入(シーズン毎にハラが入らなくなる・・・残念)。夜は少しサイト用原稿を意識したいな。それなりノンビリ休日であります。
2005年11月某日
先週、お仕事上で辣腕派遣さんに苦言を呈したら(滅多にないことだけれど)少々不機嫌で、落ち込んでおるようでした。先週ずっと職場を空けていたので、さすがに机上メール上阿鼻叫喚魑魅魍魎状態であって、大苦戦・・・会議では予想通り過去最低ラインを割り込み。上司より、内部の全体体制改変について相談を受けるが(いつも通り)作業量やら、先の展望、若い人たちの育成について、あまりに視点がズレていてわかってなくて唖然!(ツカれた)エエ人なんですけどね。
とにかく夕方クルマで松山に出張。高速インターに乗る前に、新規オープンした競合店に寄って様子伺い、夜8時頃にホテル到着。ま、チームで晩飯喰いつつ、大盛り上がりで大騒ぎ〜「これからどうやっていくか」明快に語り合いました。「一年って早いね」とも。珍しくよう眠れましたね。これからご当地取引先と商談2発。早々に戻って途中、競合店一ヶ所寄ってから岡山の取引先と夕方から商談。
おお、明日は祝日ではないか。週末までスケジュールメ一杯だけれど、久々土曜は休み・・・のつもりだったが、12月の頭に大きな会議を入れてしまってお客が集まるので、その資料作り(+報告用読み込み分析)日程最低丸一日欲しい!が、ムリ!で、ヤミでお休み出勤か?それにトラブルでも一発発生すれば・・・お仕舞い。
今朝、ホテルで朝刊3紙ほど通読するが、オモロないなぁ、って、これは自分のココロの余裕かな?
2005年11月某日
さて、新しい一週間の始まりであり、昨日のスポーツクラブ、演奏会、温泉で気分転換したつもり・・・だけれど、今晩から、またまた松山だ!(3週連続/スケジュール調整が上手く行っていない)今週来週が(おそらくは肉体的お仕事負荷の)ピークであって、だからと言ってこれを乗り切ったら即!簡単に展望が拓ける、ということでもない。日常お仕事の視点を変えつつ、現場で泥まみれになりつつ(どぶ板営業とも言う)粛々と歩んでいくしかない。
Grieg 叙情小曲集(選集20曲)〜エミール・ギレリス(p)(1974年)・・・これぞ名盤でありましょう。十数年前に知人の希望に応じて譲ったものだけれど、先週、東京で邂逅し、無事入手。手許にあったショコライ(p)の全曲(NAXOS)も親しみやすい表情が素敵だったが、ギレリスのニュアンスは優しく、穏やかなものであっても底知れぬ孤高と寂寥を感じます。「鋼鉄の打鍵」ではない、もっと柔らかく、しかも重心の低いピアノ。
サッカーニ/ブダペスト・フィルのライヴは「展覧会の絵」(1998年)「シェヘラザード」(2001年)へ。録音が鮮明なこと、アンサンブルに集中力があること、響きが濁らない(意外と洗練されている)こと、晦渋なる精神性を強調するものではなく、平易で明快な語り口がわかりやすい、親しみやすい。解釈はオーソドックスだから、爆演系じゃないですよ。
2005年11月某日
本日の予定は11時45分〜の初心者エアロビクス(初心者歴十数年!)に参加し、そのまま岡山交響楽団演奏会になだれ込み、の予定・・・だけれど、山の神の機嫌次第ですな。午前中はなんとかサイト用原稿備蓄を図りたいが。ここ数ヶ月購入CD枚数激減!ということは全然なくて、ちゃんと激安音源みつけてます。岡山というところは珍しい音源入手には条件的に厳しい地方都市だけれど、ネット通販は場所も時間も選びません。ま、東京出張時の空き時間にちょっとだけ売り場を覗いたりするが、「カネさえ出せば珍しいものが入手可能」というとこであって、そんな贅沢しなくても聴くべき音源はいっぱい貯まってまっせ。
「BPO・LIVE!」って、ベルリン・フィルではなくてブダペスト・フィル(サッカーニ指揮)の22枚組が特売(税込送料込6,645円)されていたので、注文しておきました。例えばTchaikovskyのピアノ協奏曲第2/3番とか「マンフレッド交響曲」ともかく、驚異的に「現代の通俗名曲」(う〜む少々失礼なる呼称か)勢揃い!でして、このセットがあればだいたい日常聴きに不自由しない・・・セットであります。で、さっそく一枚目Stravinsky「春の祭典」/Rachmaninov 「交響的舞曲」(1998年。良い組み合わせでんなぁ)を。
両作品とも機能的正確さ+個性(例えば怜悧な、豪奢な、甘美な)が欲しい作品ではあるけれど、まずメカニック的な弱点はまったくありませんね。ライヴとは俄に信じがたいアンサンブルの集中力であって、演奏日は明記されているが「編集」あるんでしょうか。「春の祭典」は、さすがにこども時代からのブーレーズの刷り込み(驚異的正確さと冷静なる知的興奮)がノーミソに刻み込まれていて、少々物足りなさ(大衆的!?な)を感じたものです。もっと実演的というか、ナマの熱気を実感させるものであって、「交響的舞曲」には豊かさと余裕、甘さもちゃんとありました。
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予定通りエアロビクスへ行って(本日代理で馴染みのアカギ先生担当。この人も別嬪はん)、岡山シンフォニー・ホールへ。いやぁ、Mahler 交響曲第1番をすっかり見直しました・・・というよりすっかり目覚めましたね。ナマ(の説得力)って凄い!・・・帰宅して、女房の(たっての)希望で「ゆの華」へ。
「天然温泉」となっているが、ほんまか?湯質はいかにもぬるりとしていて、真っ白いタオルが茶色く染まります。沸かしているのかな?湯船は広く多彩だけれど、更衣室がややちゃちであり、食堂がぱっとしないのはいかにも岡山らしい・・・西警察署裏、交差点側の入り口ということで、ずいぶんと渋滞しておりました。ご近所だし、時々、通いたいな。
2005年11月某日
数日ぶりに帰宅したところ。風邪に倒れる・・・ということはなく、でも出張初日の夜、香港より帰国した辣腕商社マンご同輩と、紹興酒3本も痛飲して・・・こりゃカラダにエエわけないっすよ。会議二日間無事消化してから松山に飛んで、現場4件訪問(やや手応え有)・・・バス車中2時間半、となりの男の激しいオーデコロンに対する、アレルギー症状鼻水に苦しみつつようやく岡山へ到着・・・んもう贅沢して駅前からタクシーですよ。初老の運転手は誠実で、短い時間だったが楽しくウチまで。
帰宅したら、通販で注文していたCD届いておりました。東京出張中、新宿ディスク・ユニオン(いつも、今回も、間違いなく駅から迷う)でも3枚ほどCD購入したし、これからサイト用原稿を貯水備蓄したいものだね。
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出張合間に聴いた音楽・・・の前に、読書が快調・・・の前に健康診断でしたね。熱心なスポーツ・クラブ通いの成果で食欲が増し体重増!はともかく、尿も便も血圧も正常。3歳時の病(やまい)原因で右肺下部に癒着跡を指摘されてきたが、ナントそれが改善!ほとんど正常状態に!というのもこの間の激しいエアロビクス三昧の成果でしょうか。あとは(いよいよ)ダイエットだ!(と、10年ほど決意し続けている)それと視力が落ちていて、これは目医者に行かなくっちゃ。
大橋巨泉「巨泉日記〜セミリタイアから10年」(講談社文庫)・・・時期的には2000年までのもので、文庫へのまえがきで例の参議院議員選挙〜辞任のミソについても少々触れられております。この人は盛んにテレビで活躍されていた頃、その多種多芸博覧強記ぶりに感心していたけれど、その後、選挙の件も含め少々斜(はす)に構えて眺めておりました。ま、愛妻家として、着実な実業家、趣味人として興味尽きないコラム集であります。健康の大切さ(彼は目が悪いのと、風邪をよくひく)と、ワリと当たり前の結論なんだけど、曰く
要するに、人生はいかに成功するか、カネを儲けるかではなく、いかに心の平和を得るかがキイなのである。とくに中年以降に悩まされるストレスやトラウマが良くない・・・
数学者であり、新田次郎のご子息である藤原正彦「数学者の休憩時間」(新潮文庫)〜ほとんど驚異的に文書が見事であって、数学者の余技とは思えぬ名著であります。奥様の初産にラマーズ法で付き合う(失礼ながら)抱腹絶倒の顛末と喜び。突然世を去った偉大なる父親を回想するポルトガルへの旅は、紀行文としては最高峰のものでしょう。ワタシは”含羞とサウダーデの国”ポルトガルに行きたくなりました。
今回は主に飛行機での移動であったのと、松山帰りのバス中で眠っていたいたこともあって、あまり音楽聴いてません。でも、せっかくのPANASONICの新品プレーヤーを試さないと。最近のMahler 尽くしということで、交響曲第10番 嬰ヘ長調「アダージョ」〜ハッセンカンプ/南ドイツ・フィル(ま、匿名演奏家でしょうねぇ。ネット検索してもワタシと安田さんのサイトしか出てこない)これが、とてもしっとりしたアンサンブルでキモチがよろしい。(前回聴いた4月と同印象)遣る瀬ない、暗鬱な雰囲気、あわてない、ていねいな仕上げ、録音も良好でした。このCD(デアゴスティーニ CC-142 BOOK・OFF@250でころがってます)のウリは奥様アルマ(ALMA)の歌曲集(5曲収録)でして、マグダレーナ・ハヨッショヴァ(ほんまかなぁ、この名前。原語表記がないもので・・・情報有。Hajossyova 1946年スロヴァキアの首都、現ブラティスラヴァ/ドイツ語名プレスブルクの生まれ。主に旧東ベルリンで活躍したようです。現況は不明)というソプラノが担当しております。(ピアノ伴奏)
前回聴いたときには”ツマらない”と乱暴なるコメントだったが、ダンナの陰影に充ちた旋律(このあとに「若き日の歌」などが収録される)に慣れているだけのことで、素直な声質含めて存在価値のある一枚だと思います。新宿ディスク・ユニオンの成果は、中途半端に買い残したマゼール/ウィーン・フィルによるSibelius の交響曲(第1/4番、第2/3番)・・・これで(10年ほど前に購入した第5/6/7番含め)ようやくLP時代の全集在庫回復。BELARTの表記は少々エエ加減でして、「アンセルメ/スイス・ロマンド管」の表記も!(第4番はたしかに幻の録音が存在するから)でも、聴いてみたらちゃんとマゼールでした。
交響曲第1番ホ短調(1963年)から確認するが、傍若無人御意見無用なるアツき推進力バリバリ。若く生意気で才気溢れる指揮者が、自由自在にウィーン・フィルをドライブしている様子が眼前に浮かびました。1年前のサージェントがまったり、ゆるゆる味わい演奏(これも悪くない)だったのに対して、引き締まってスタイリッシュな演奏に仕上がっていて、ワタシはとても気に入りました。ま、北欧の寂寥、みたいなものとは無縁だろうが。
2005年11月某日
本年連続してメンタル・ヘルスで長期休業に入った二人のウチ、最初に休んだ方が本日より復帰です。ま、慣らし出勤ですな。で、昨日、正規・派遣とも「メンタル・ヘルスで復帰される方への対応の仕方」を会議で徹底されました。ちゃんとマニュアルがあるんですね。それだけポピュラーな事象と言うことか。今朝の朝日新聞(岡山統合版)に石川 好さんが、インドの医療について興味深い記述(経験)をされております。西洋医学とインド固有の、というか中国に負けない長い伝統医療(?)〜例えばヨガとか〜の組み合わせみたいでして、欧州からもタップリお客が押し寄せているらしい。少々興味有。いかにも効きそうですな。
昨夜「メインのパソコンの、ブラウザと編集エディターの関連付けがまたおかしく」・・・EXCELを入れた(「超・整理手帳」リフィルを印刷するために仕方がなく入れた)ときにおかしくなったのか。ハード・ディスクに保存しているHTMLファイルを編集しようとすると、テンポラリーファイル(インターネット一時ファイル)を読み込んじゃうんです。(初経験。日常作業上支障有)すったもんだ遅くまでパソコン設定いじって、ストレス溜まるばかり。今朝、なんとか現状に近いような状況に戻り(し)ましたが。
今朝、Mahler 交響曲第1番ニ長調〜ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団(1962年)・・・感じたこと、言うべきことはいつもと同じでありまして、これほど魅力的なオーケストラは滅多に経験できない、ということであります。ホルン、トランペットのくすんだ深さ、奥行き。まさに木質を実感させる木管、暖かい弦・・・続いて(ありがたいいただきものである)バーンスタイン/ニューヨーク・フィルのMahler は交響曲第4番ト長調(1960年)へ。
1960年といえば前任ミトロプーロス健在の頃でして、ニューヨーク・フィルは緻密で集中力あるアンサンブルを誇って、しかも録音極上。時に明るく、熱狂的な爆発が彼の個性を実感させるが、基本繊細で若々しく、静謐さが目立つ演奏であります。レリ・グリスト(s)は明るく、浮き立つような声質〜私の好み方向ではないが、当時の評価の高さが理解できる完成度。今回聴いたMahler 旧録音5曲中ではもっとも気に入った演奏でした。
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「高松はいまいち調子が出ない・・・というか鬼門」と言ったが、慣れの問題でしょうか。異動してきたご担当は3回目の商談でして、ずいぶんとスムースでした。予想よりずっと早くお仕事終えて、瀬戸大橋眠りしつつ(絶景失念)渡って帰岡〜そのまま帰宅・・・せずに、マンション向かいの電気屋へ。「一度スイッチを入れると絶対に止まらない」恐怖の中国製ポータブルCD(音楽を聴くためには、なんの痛痒も感じないが、あまりに不便というか不自由)から、日本製PANASONICへ。デザインが垢抜けていることはともかく、単三乾電池使用可(平たいカード式が基本だけれど)であること、イヤホンの互換性があること、mp3仕様のディスクが読みとれること(これはトライしてみる価値ありそうだ)〜少々の贅沢でした。
明日から3泊4日の出張。最終日以外ネット環境は存在しないので、ノートパソコンは持参しません。サイト用原稿貯水率ついに2%くらいで、いちおう一本のみ更新して、お茶を濁します。Mahler 交響曲第9番ニ長調〜レヴァイン/ミュンヘン・フィル(1999年ライヴ)・・・ようやく2枚目・後半へ。ややデッドでオン・マイク気味ということもあるのか、明快で屈託がない、オーケストラの響きが素直すぎる(深みに不足する?)ような印象もあります。それでも最終楽章では、解脱したような清廉な響きが部屋いっぱいに広がりましたね。そこだけでも、この演奏には充分価値と感動がある。
4日ほどネットから離れます。ちょっと風邪気味なのが気になります。
2005年11月某日
今週は本日の会議(+週明けの諸作業実務)、明日夕方の高松行き、そして健康(成人病)診断〜東京2泊〜松山で一週間終了。明日の午前中の商談準備がヤマかな?どうも高松はいまいち調子が出ない・・・というか鬼門な感じか、自分にとって。メインのパソコンの、ブラウザと編集エディターの関連付けがまたおかしくなっちゃいました。そんな些細なことが気になります。そんなイラついた精神状態。お仕事進捗数値史上最悪状態を更新中。
昨日から(ぼんやり)聴いているのはBrahms 交響曲第2/1番〜ズヴェーデン/オランダ放送フィル(1999年)/オランダ・フィル(2002年)+コラール前奏曲集(管弦楽版)・・・なんどか言及している(はずの)CD全集(BRILLIANT 99946 3枚組880円)です。オーケストラの弱さが気になったはずだけれど、自分のココロの持ち方か?ていねいな仕上げだけれど、コシが少々軽いか、と感じる程度。素直で威圧感のない、無用に柄を大きくしない親密なる(室内楽のような)演奏だと思います。この指揮者は東京フィルに登場しているから、日本の音楽ファンにも馴染みか。
Bartok ピアノ協奏曲第2番〜ワイセンベルク(p)/オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1969年)・・・思いっきり派手で鳴りきったオーケストラ、全盛期で腕がバリバリ切れるような勢いあるピアノ、こんなわかりやすい(楽しい!ドキドキする!)演奏は滅多にないでしょう。 引き続き「管弦楽のための協奏曲」〜ラインスドルフ/ボストン交響楽団(1962年)・・・これは驚くべきほど正確で余裕もあり、アンサンブルも優秀(まとめ上手)な演奏でしょう。音の状態もよろしい〜が、やや生真面目で愉悦感に欠けるというか、ミュンシュ時代とは大違いのクールな表情が印象的でした。管楽器のまろやかな響きはお見事。
2005年11月某日
貴重なる日曜休み。別にお仕事切羽詰まった状況ではない(日常営業、諸作業くらい”屁”でもない。悩みはもっと柄が大きいんです)が、なるべくお仕事からノーミソを遠ざける時間を作ること、別な世界に精神(ココロ)を遊ばせることが重要なんです。でないとメンタル・ヘルス問題の恐怖が差し迫る・・・かも。
バーンスタインのMahler こそ、録音芸術の精華と呼ぶべき存在なのだろうが、ワタシは(新旧録音とも)ほとんど聴いておりませんでした。第5番(1963年ニューヨーク・フィル〜これは駅売り名曲海賊盤で)/「大地の歌」(ウィーン・フィル1966年。これも海賊盤だ)、あと、FMエア・チェックで第8番(ロンドン交響楽団1966年。この作品に対するアレルギーができあがってしまった)、第9番(コンセルトヘボウ1985年。これもFMにて)しか聴く機会を得ておりませんでした。この度、第1/3/4/5/9番(いずれもニューヨーク・フィル旧録音正規盤)をいただく僥倖に恵まれ、順繰りに聴き進んでいるのは、ここ数日の記述通り。
安易な結論言い切りをするつもりもないが、ワタシは数少ない「バーンスタインのMahler 体験」にあまり共感できなかったんです。だから、新旧全集を入手する機会を得なかった(もちろん価格問題も有、中古出会いが偶然なかったことも)。交響曲第3番ニ短調(1961年ニューヨーク・フィル)は後半、第4〜6楽章へ。ワタシはこの作品が大好きだし、音質状況、アンサンブルも先の第1番(1966年)第9番(1965年)第5番(1963年)より良好か。第4楽章「人が私に語ること」(マーサ・リプトン(s))の静謐なる密やかな詠嘆、第5楽章「天使が私に語ること」に於ける少年合唱団の可憐で、ハズむ歌声の幸せ・・・
そして、最終楽章「愛が私に語ること」〜これはワタシお気に入りMahler 中、白眉の至福であります。この作品後半はほとんど”静謐なる集中力”の世界であり、第6楽章中盤からようやく管楽器も加わって大団円を迎えつつあります。第1〜3楽章の”やや前のめり”の勢いではなく、内面に凝縮し、ラスト大団円に向けて放出・爆発させていくエネルギーの素晴らしさ、懐かしさ。暖かく、骨太な(セクシーではない)ニューヨーク・フィルの魅力横溢。ホルンが良いですね。
・・・ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団の旧全集(1962〜1971年)は、まったく評価されていない(バーンスタイン人気に比して)と思います。(再録音は中途半端に終わっている現状が残念)第9番ニ長調(1969年)を聴こうかな、とCDをプレーヤーに掛けたら第6番イ短調(1969年)の終楽章が始まり・・・痺れました。表現が淡泊でツマらない、オーケストラにメリハリ千変万化する表情が付けられない、スケールが足りない・・・そんな評価ですか?いえいえ、オーケストラの厚み、重み、コクのある響きが(それだけで)タマらない魅力なんです。このオーケストラの各パートの微細微妙なるニュアンス、すべて聴きどころでした。
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女房といつものスポーツクラブ行き。昼からウツラウツラしてから、ポータブルCDプレーヤー(または最近流行のなんたらオーディオ?)物色したが、悩んで(激安中国製か、日本のメーカー品か)結局買わず・・・どーせ今週の出張は往復飛行機だし。女房依頼で、実家の喪中はがき印刷を行うが、これが上手くいかんのです。プリンタがボロなのもあるが、ハガキがプリンタ用じゃなくて給紙が上手くいかない、かなりの比率で失敗しちゃって苦戦です。
さて、明日明後日のお仕事はどんなんだったかな?記憶にありませんね。
2005年11月某日
取引先のお客とはいえ親しい二人だから、楽しく松山市内を(レンタカーで)市内一周。ま、だいたい親しい人たちばかりなんですけどね、ふだんお仕事に関わっている人々は。夕方、JRで帰岡・・・女房は職場の歓迎会とのケータイがあったので、職場に寄って出張関係の清算(溜まっているんですよ、サイフに、たっぷり)+報告書も作成。それから、ぼんやりと帰宅・・・疲れました。
出張合間に読もうと持参した本は、石川恭三「医者が見つめた老いを生きるということ」(集英社文庫)・・・読み始めて即、記憶と感動が蘇ってきましたね。(つまり、以前読んでいる)お互いの伴侶を失った者同士が、60代でこども達にも祝福されて再びカップルとなる、その劇的な出会い、運命。ガンに冒され絶望的な気持ちで首を吊ろうと考えたとき、こどもに化身して救った彼女。(ほんまのことです)生死の境をさまよっているときに、三途の川の寸前で救ってくれた彼。(これもほんまのこと)
ワタシは迷信、霊魂などとは縁の薄いほうだと自覚している(但し、縁起は担ぐ)が、これはお互いを思い合う強い気持ちが具現化された事象と考えたいもの。以下数編を感動に充ちて読み進めたが、急がず、じっくり味わいながら再読したいと思います。
帰宅してMahler 交響曲第3番ニ短調〜バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(1961年)前半のみ。ああ、コレいいですね。若々しく、前のめりで、精力的。アツくて、あちこち走り出すことを止められない。緻密で、神経質なアンサンブルでは(もちろん)ないが、この時期ニューヨーク・フィルはまだしっかりしてますよ。(それともバラつきがあったのか。でも、やっぱり弦の響きが少々薄いような気がする)正直、こういったMahler は好みの方向ではないが、まだまだこんな音楽が”異形なる巨魁”として捉えられていた時代の意欲をひしひしと感じますね。第3楽章「森の被造物が私に語ること」に於けるポストホルンは、熱に浮かされたようでもあります。
ちょっと体調が怪しいが、明日もしっかりスポーツクラブで鍛えますよ。来週も東京だし。
2005年11月某日
さすがにちょっと冷えてきて、風邪気味でしょうか。気を付けないと。本日はスケジュールの狭間で、上手くすれば昼から休めるかも(ムリか)。精神的にテンション下がっております。今朝、なんとか定例更新。原稿在庫放出ギリギリ(貯水率5%ほどか)で走っております。明日は終日松山、日帰り。
「CONCERTO ROYALE」は激安がありがたい3枚組だけれど、例えば「Romanze」みたいな、有名でない作品集だと詳細情報が足りなくて困ります。「Telemann作品集」(206244-360)も同様であって、調性やら作品番号が抜けているものが多くて様子がよくわからない。(録音情報がない場合も有)「作品名などわからなくても、サウンドそののものを楽しめ!」と言われればそれまでだけれど、ま、所詮ド・シロウトの楽しみですから。
CD1)
フルート(という標記になっている)のための組曲イ短調〜リンデ(bf)/ロルフ・ラインハルト/コレギウム・アウレウム(これ、ラインハルト・ペータースじゃないだろうか)
ヴィオラ・ダ・ガンバのための組曲ニ長調〜ウォルフィッシュ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)/フェルバー/ヴュルテンベルク室内管弦楽団
CD2)
組曲ハ長調〜ケール/マインツ室内管弦楽団
3台のヴァイオリンのための協奏曲(調性標記なし。ヘ長調です)〜ラウテンバッヒャー/シェッファー/エッガー(v)
オーボエ協奏曲(調性標記なし。ホ短調かな?)〜ソウス(ob)/(以上)シュトゥットガルト・ゾリスデン
CD3)
トランペットのためのソナタ(調性標記なし。ニ長調か)
トランペット協奏曲ニ長調〜ホリー(tp)/フェルバー/ヴュルテンベルク室内管弦楽団
ソナタ ニ短調/ソナタ ハ長調/幻想曲ニ長調〜リンデ(bf)/コッホ(ガンバ)/ルフ(cem)
協奏曲イ短調〜ミクラスティック/アコスタ(fl)/シュトゥットガルト・ゾリスデン
これから更に手持ち在庫CD(例えば「食卓の音楽」に含まれているかも知れない)との比較調査も楽しみですな。このCDに収録された演奏は、音質やや厳しく、乾き気味で、時に音が割れ(トランペットなど)、チェンバロの音色が昔風金属的だったりするが、作品はどれも平易で楽しいもの。ラウテンバッヒャー他によるヴァイオリン協奏曲は(予想通り)しっかりとした演奏でした。
今朝は組曲ハ長調〜ケール/マインツ室内管弦楽団で。オーボエ、リコーダー、ファゴットが入っているのかな?いつも通り「親しみやすいBach 」風で、管弦楽組曲のテイストそのままに楽しい作品。このセット中では出色の(かなり良好な)アンサンブルでしょうか。(当然現代楽器)
バーンスタインとバルシャイのMahler の件、「この個性の違いは世代時代の問題でしょうかね」と数日前に書いたら、「7つ違いなので、そんなに年齢違わないと思うのですが..」とのご指摘有。そうですね。世代と言うより、壮年期バーンスタインの熱気がそのまま刻印されていて、ワリと最近の録音であるバルシャイとの固有の個性の相違と言うべきでした。
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なにが昼から帰れるかも・・・だ。朝から目まぐるしい状況+挙げ句、出張予定変更で今晩から広島〜遅くに松山入り。今、自宅に戻って出張荷造りしているところ。あと、デジカメとケータイの充電・・・クルマではなくて新幹線となりました。まいったまいった。
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広島へ、地元岡山の取引先の方二人をご案内して、更にジェットフェリーで松山観光港へ。もう11時でっせ。風邪も怪しいなぁ。明日、レンタカーを借りて終日松山市内移動・視察。帰岡は夜となります。いや、もう疲れた。
2005年11月某日
予算数値がまったく及ばないことには慣れっこになったが、先につながるお仕事ができているか、後輩に規範を示すべき価値観を明示できているか、が不安です。「来年度、自分の仕事ができる場を与えてくださるか」が(なんせ今月いっぱいで上司の異動が発令されるし)気になるが、5年続けた現在のお仕事に固執するつもりもありません。でもさ、サラリーマンというのは浮き草のようなところもあって、本人の努力と心掛けとはべつなところで、コトが推移していくこともありますから。巡り合わせというか、大殺界というか。粛々とやるべき諸作業をていねいにこなすことと、現場に近づくこと、価値観と展望を語ること、即解決できなくても問題点を鮮明にすること・・・嗚呼!毎日鬱陶しい。
読書には”勢い”というか、背表紙見ただけで内容が好みかどうか、ぱっと見分けられる瞬間があります。ここ数年のBOOK・OFF通いで往年のカンが戻っていて、昨日一昨日東京出張では4冊とも”当たり”!でしたね。田辺聖子「大阪弁おもしろ草子」(講談社現代新書)〜北海道出身エセ大阪人(関西以外の人にはバレない)のワタシにとっては、まことに興味深く、また実用書でもあります。大阪弁も「方言」のひとつではあるが、ほとんど唯一「全国で通じる方言」でもあります。言語(方言)は単なる表現方法ではなくて、それそのものが持つ”風合い”(例えば「上方弁の淫風」〜ま、風俗がほんのりエッチや、ということ)なんですな。
言葉は生きているし、テレビラジオの影響で画一化が進んだり、現代では既に「死語」となったものもあります。”現代(いま)風”に変貌しつつあるものも有。先月読んだ、米原万里「不実な美女か、貞淑な醜女(ブス)か」(新潮文庫)にも「方言の持つニュアンスを通訳することはとても難しい」旨書いてありましたね。田辺聖子さんの文書そのものが、飄々と味わいとリズムを感じさせるもの。灘本唯人さんの味わいあるイラストは、そのまま上方夫婦(しゃべくり)漫才が聞こえてくるような絶品!
結論的に「方言の価値をもっと見直そう」ということにも言及されているのが金田一春彦「日本語を反省してみませんか」(角川ONEテーマ21)でした。ここ最近の出版の風潮として”教養”を嫌い、”ノウハウ”に仕立てる、という出版にしているが、これぞまさしく”正しい日本語””美しい日本語””文化としての日本語”の、わかりやすい分析と実例です。これは2002年の著作だからまだ最近のもの。ネット検索すると、あちこちコメントもありますね。読者レビューに「確かに述べられている事は面白い。しかし、専門知識を求めてこれを読むと、かなり物足りないと感じるだろう。新聞か何かのコラムの寄せ集めのような感じがしてしまったのが残念だ」〜これはまったく浅薄な読み込みであって、まず、もともと「コラムの寄せ集め」と(高齢の)筆者がちゃんと断っているし、日本語の持つ美点弱点を豊富な実例で浮き彫りにしております。
原隆之「アメリカ人はなぜ明るいか?」(宝島社新書)在アメリカの現役商社マン1999年の著作だけれど、視点の鋭さでまったく旧さを感じさせない。題名は編集氏の捻(ひね)りかな?(内容はアメリカでの生活実態)冒頭に「まったくなにも持たざるもの」のおそるべき現状(このような人々に交通事故を仕掛けられたら悲劇以外のなにものでもない)を配置することにより、アメリカ社会の重層性が明確となります。環境やら安全性、便利度を考えれば一概に日本の住宅が高いとは言い切れない。生涯賃金やら、職業のあり方、年金、医療、貯蓄の考え方、物価の違い、実例がまったくわかりやすく、日本の社会の矛盾・問題点・悲劇が明示されます。
ワタシはカルフォルニア州には(海外に縁が少ないワリに)研修で2度行っていて、「そこで起こっていることは数年後に日本で実現する」ことをカラダで知っております。つまり”役人天国”はそう長く続かないでしょう。物事の価値と相場は正しく落ち着くでありましょう。ワタシ個人的には全然別の示唆をこの本から受けていて、老後は地方都市がよろしい、と。
ラスト、野末陳平「定年前後の自分革命」(講談社+α新書)〜2000年発売。これは明らかに団塊の世代絡み「2007年問題」解決の先駆けを狙ったもので、ワタシの世代では少々様子が違うかな、とも思いますね。つまり、会社人間で家庭での居所が存在しない、家事や地域活動がまったくできない・・・しかし、ノウハウ本としてではなく世俗分析として優れていて、「ああ、この辺りは自分は既にかなり実践済みだな」みたいにニヤニヤしながら読んだものです。
ああ、音楽の件までたどり着けず。では行って参ります。
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音楽の印象は素早く書き留めないと、即忘却状態に至ります。どんな様子の音楽だったのか、どころか、聴いたことさえ失念する有様。まず、Mahler 交響曲第8番 変ホ長調〜ミトロプーロス/ウィーン・フィル/ウィーン少年合唱団/ウィーン国立歌劇場合唱団/ウィーン楽友協会合唱団/ミミ・ケルツェ/ヒルデ・ツァデク/ルクレティア・ウェスト/イーラ・マラニウク/ジュゼッペ・ザンピエーリ/ヘルマン・プライ/オットー・エーデルマン(1960年ライヴ)・・・これは音質さえガマンすれば、恐るべきスケールと余裕を兼ね備え、抜群にわかりやすい世界であります。良質なる音の状態で聴いても、時に”絶叫と混沌”に至ってしまうことも多い作品だけれど、抑制が感じられる優雅な演奏。いままで聴いた中でもベストを争うかも。
Mahler 交響曲第9番ニ長調〜ミトロプーロス/ニューヨーク・フィル(1960年ライヴ)・・・これは第8番よりいっそう音質的に厳しいが、ワタシは(純個人的好みで)バーンスタイン盤(1965年)より、ニューヨーク・フィルの美点〜暖かく、ふっくら骨太なサウンド〜が感じられてよろしいか、と。情念と知性のバランス、アンサンブルはこちらが上ではないか。(以上 ARIOSO ARI105 4枚組1,654円より)
RVW 交響曲第2/8番〜バルビローリ/ハレ管弦楽団(1956/7年 NIXSA原盤)・・・まず録音状態が非常によろしいこと(ミトロプーロスのあとに聴いたからではない)、”纏綿”という言葉はこのような演奏のために存在するのはないか、という感銘有。静謐(ばかりではないのだけれど・・・)、瑞々しい粘着質、甘く揺れる歌、懐かしい感傷、そしてジミで変化の少な目旋律が遣る瀬なく、細部までしっかり味付けされます。Stravinsky バレエ音楽「火の鳥」(1910年全曲)〜アンセルメ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1969年)・・・言わずと知れた、有名なるラスト録音でした。
スイス・ロマンド管弦楽団よりメカニック的に優れているが、クールでさっぱりとした旋律遣いに、個性的な色気がちゃんとあります。アクはなく、素直でコシのないような表現であるが、色彩がちゃんと存在する。以前の感想では「おそらく間違いなく優秀録音・・・人工的な感じがしてそれほど好きな音質ではありません」としたが、そうかな?エエ加減なもんで、充分楽しめました。
2005年11月某日
昨日、朝一番に高松に上司のお供で。どうも、相手の態度というか組織的に「あれがお願いする態度か」(個人のことではない)という不満もあり、カネをむしり取られているような(さしたる金額でもないが、ムダ金は使いたくない)そんな感じ。先につながらないような気がして(単なるシリ拭きか?)鬱陶しい気分のまま、少々(一時間ほど)サボったまま東京へ。
新幹線中では不調なるポータブルCDプレーヤーを操り音楽、本二冊読了。五反田のホテルを通り過ぎてBOOK・OFFで帰り用の本を購入〜チェック・イン即、スポーツ・クラブへ。(1,050円也)自転車ご飯茶碗一杯分消化したが、いつも満杯ですね、ここは。若い人、女性、外人さんが多くて、ご同輩は稀だし、しかもワタシのような不健康なる体型の人は見ませんね。そのあと、麻婆豆腐(の専門店らしきところ)で夕食としたが、辛すぎて思わずビール飲んじゃいました。
本日、夕方ぎりぎりまで会議〜やはり新幹線中で音楽・読書三昧・・・その件はまた朝。
2005年11月某日
さて、本日昼から東京へ。当面、どうのといったトラブルあるわけでもなく、当面の諸計画課題遂行、先行き問題の整理を粛々と・・・とは思っているが、どんよりとした先行き不安は「人事の季節」が近づいているからでしょう。自分の(5年間続けた)お仕事が変わることになればもちろん、そうでなくても上司が変わるのは必須の情勢だから、この自由気儘な自分の日常行動がガラリ180度変化しちゃうこともあり得る。ま、これを一般に”雑念”と呼びますが。ガンバレ!サラリーマン。
じつは出張用ポータブルCDプレーヤー(中国製。ついに)壊れております。かなり以前から液晶表示が消えかかって(これは支障なし)、昨日、諸ボタンが効かなくなりました。つまり、途中ストップ、トラック変更ができない。ま、ちゃんと鳴っているし、使えないことはないんだけれど。使用頻度が高いから買い換えても良いし。(mp3系の携帯オーディオ検討すべきか?悩みます)昨日の続き、Mahler 交響曲第5番 嬰ヘ短調〜バルシャイ/ユンゲ・ドイチェ・フィルは後半へ。
有名な第4楽章「アダージエット」が、意外なほどにさっぱり情感であって、ノーコーでエッチなものとはほど遠い。各パートの技術的な問題(まったくなし)については昨日聴いた通りだけれど、のびのびと清廉な表情であります。全体として、立派で豪華、豊かな響きに仕上がっているが、威圧感とは無縁で繊細な味わいがキモチよろしい。バーンスタイン旧盤(1963年)は正規盤をいただいたので再聴したいが、この個性の違いは世代時代の問題でしょうかね。
R.V.W 交響曲第7番「南極」〜アンドルー・デイヴィス/BBC交響楽団/ロザリオ(s)(1997年)・・・いかにもとらえどころのない作品だけれど、ワタシはこども時分からの馴染み(プレヴィン/ロンドン交響楽団)であります。これはもっと(心身共に)静かな環境で、大音量で聴くべきかな?朝のあわただしい中では、集中力が得られませんでした。好きな作品なんですけどね。
では、行って来ます。東京の定宿にはネット環境はないのでノートパソコン持参しません。
2005年11月某日
(在広島のホテル)昨日は昼から演奏会を楽しんで、そのまま広島へ出張〜肉体系労働遅くまで。同行の志よりCD6枚いただき、感激・・・バーンスタインのMahler 交響曲第1/3/4/5/9番(旧録音)当時の定価合計13,900円でっせ。昼からやや頭痛気味だったが、(新幹線激混みで座れず)夕方から体調悪化、作業終了後、広島夜の町の様子を伺ったが、日曜の夜ということもあり様子怪しく、結局頭痛薬のみ購入してホテル戻り。
移動中の音楽はMozart 交響曲第38番ニ長調「プラハ」〜シュミット・イッセルシュテット/北ドイツ放送交響楽団(1959年)を。ヘッドホンで確認すると、これもしかして疑似ステレオか?定位が全然おかしいし、人工的に音をいじったとき特有の金属的な響きもある。これはかなり以前から所有しているCD(ACCORD 204762)だけれど、”ようワカらん演奏”というのが正直な感想でした。
それがここ数日Brahms を聴いたあとには、ちょっとガンコで真面目でやや堅苦しいが、(いつものジミな)オーケストラの響きが快い。ベームの旧録音なんかに一脈通じるのかな?このような演奏にココロ奪われるとは、心境の変化か、いよいよ枯れてきたんでしょうか。更に、いただいたCD早速聴取・・・Mahler 交響曲第1番ニ長調〜バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(1966年)・・・有名な録音でありながら、初めて聴く機会を得たもの。
想像通り外面にこだわらない熱血入れ込み系演奏で、頭痛症状がいっそう悪化するような演奏です。つまり体調良好、精神力前向き!でないと楽しめないか。弦の響き薄く、アンサンブルは粗い・・・オーケストラ・ビルダーではなかったバーンスタイン/ニューヨーク・フィル時代終盤の様子をよく表しております。
元気なとき、再度トライします。これから(岡山まで戻って)通常出勤。
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肉体労働後、新幹線で岡山へ戻って通常業務、会議、打ち合わせ、資料作り・・・疲れました。明日、上司と面談予定が変更になって、高松までお詫び同行、そのまま昼から東京出張です。音楽も、読書もしたが、まず風呂に入ってきましょう。
・・・嗚呼、ようやく生き返った感じ。移動中やら待ち時間、窮屈な中で読んだ本は椎名誠「草の海〜モンゴル奥地への旅」(集英社文庫/写真は高橋昇ほんまは字が違う)〜これはもう、なんど読んだんだろう?目に染みるノーコーなモンゴリアン・ブルーの写真と、躍動する飾らない、ぎくしゃくした文体にココロ踊ります。宇田川カチョーのマグソ入り料理伝説やら、椎名誠ケツから出血怪しげ初体験など抱腹絶倒の嵐、元気出ます。大好きです。
今朝、半分居眠りしながら新幹線中に聴いたのが、Mahler 交響曲第9番ニ長調〜レヴァイン/ミュンヘン・フィル(1999年ライヴ)・・・残念ながら前半のみで時間切れ。じつは昨日、バーンスタインの第1番を聴いたときに、第9番の第4楽章(ニューヨーク・フィル1965年)聴いてました。沸き出る情念と情熱・熱血と絶叫の果て、燃えるような演奏草臥れきったものです。
それに対してレヴァインのなんという明るさ、こだわりのなさ、そして暖かさ。時代の違いですか?けっして大勘違いヘロ演奏ということではなくて、こういった素直な世界もエエじゃないか・・・と、やがて全曲楽しみに聴きましょう。帰宅して、Mahler 交響曲第5番 嬰ヘ短調〜バルシャイ/ユンゲ・ドイチェ・フィル(1999年)・・・第1楽章のみ。
カッコ良いですね。若者のオーケストラは抜群に上手く、そして素直であり、前向きな勢いに溢れます。ライヴ収録であるせいか、ややアンサンブルの粒が粗いかも知れないが、バルシャイの手綱に緩みはなくて、しかも強引ではない。ワタシはMahler 大好きだけれど、この作品は少々食傷気味か?なんて戯れ言をあざ笑うかのように、キモチの良い演奏でした。
2005年11月某日
昨夜、NHKスペシャル「サイボーグ技術が変える人類」〜立花隆のレポートは衝撃的でした。耳の聞こえないこども達に既に実用化されつつある「人工内耳」の成果。それは本来人間が持っている「音を感じるセンサー」は15,000個を数えるのに対して、わずか22個の電極で代用しているが、人間の脳が数少ない情報を有効に活用できるよう成長するするのだという。パーキンソン氏病の対策や鬱病に、脳内に電極を埋め込む画期的手術も既に実施され、更には脳の指令情報を取り出して機械を動かす〜つまり、事故などで身体の一部を失ったり、自由を完全に失った人々が自分の意志で様々な機器を動かせるようになりつつあるとのこと。
一方で、脳を自由にコントロールできるようになる、つまりはSFの世界であった「殺人マシン製造」も実用段階に入ったことを意味しております。その倫理問題は急速に論議を広げないと。サイボーグ技術はわずか5年間の実績、つまりは21世紀の新たな出来事なのですから。きっと本になるんだろうな。
コレを見ちゃったから、楽しみにしていた映画「スウィングガールズ」(矢口史靖監督)は途中から。これウワサばかりで見る機会を得なかったが、もう一度DVD借りてきましょう。もう一回じっくり見たい。いや、もう、涙が出るほど、みんな可愛くて一生懸命で、もんの凄く上手いのなんの(全員実演)!上野樹里が主役なんだろうが、全員素敵(ピアノの男の子も)、ラスト、演奏発表会の盛り上がりは筆舌に尽くしがたい楽しさ!
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本日は夕方から広島に入らなくっちゃ。前日から精神的なあり方がまったく違って、落ち着かない。Brahms 交響曲第4番ホ短調〜シュミット・イッセルシュテット/北ドイツ放送交響楽団を再聴・・・これはCD復刻なったSCRIBENDUM盤ではなくて、1962年頃のVOX録音であって珍しい音源(意外と音質良好)かも知れません。前回聴いたときとは印象一変で、久々この作品に出会った(ベイヌム盤)こども時代の感動が蘇りましたね。
中庸のテンポと抑制された表情、過不足のないチカラと歌、なにより練り上げられたジミなオーケストラの魅力横溢・・・嗚呼、北ドイツ放響って、こんなじんわりエエ音やったんやねぇ、と感慨に噎(むせ)ぶばかり。思い出して、10数年前に購入したBrahms 「運命の歌」(1971年)/大学祝典序曲(1970年)/ハイドン変奏曲(1962年)〜同じくシュミット・イッセルシュテット/北ドイツ放送交響楽団によるもの(これは交響曲全集とともにCD復刻なっている)も(ずいぶんと久々)取り出しました。(PILZ CD 78 002 850円との値札有)
やや音質的に落ちるものの、やはり交響曲と同様のオーケストラの質感に感激すること、驚きでした。以前のワタシはなにを聴いておったのか?昼から誘われているアマオケ演奏に駆けつけて、そのまま広島へ。深夜まで。
2005年11月某日
本日休み。明日、休日出勤で再び広島へ。中途半端な休みはあきまへんな。日曜ともかく、土曜出勤も続く予定有。昨日もそうだったが、親しい人には(お仕事上の)厳しい現状分析と、方向性展望を徹底して(燃えるように)語ることにしているものの、やはり気持ちが萎える場面もあります。出張移動中は、明るい本でも・・・と椎名誠を持参したが、結局途中だった 保阪正康「安楽死と尊厳死〜医療の中の生と死」(講談社現代新書)集中して読了。居眠りもできず。
1993年という少々以前の著作ながら、内容的に旧くなるどころか、本格的な「高齢者社会」を迎え、問題点はむしろ先鋭化しております。「安楽死」と「尊厳死」の精密な定義と実体(発生した事件の分析)、さらに「脳死問題」(この件については、かつて立花隆4冊の著作を集中的に読んだ。まだまだ事態は混乱している)が絡みます。「姑息延命治療」やら「スパゲティ症候群」の問題点は広く知られるようになり、疼痛緩和を主眼とした「ホスピス」(またはそのような発想を持った医療行為)は、この著作時点より前進しているようにも見えました。
著者の卓見は「日本に於ける尊厳死の意味」〜欧米なら自己アイデンティティとしての「尊厳死」(宗教的背景も異なる)だけれど、日本では「恥の文化」としての「尊厳死」・・・こどもに迷惑を掛けたくない、これ以上老醜を晒したくない〜これはとてもよく理解できます。(家族の”受容”問題もあるのだけれど)一方で身も凍るような営利のみ(日本の先進的な医療保険制度を逆手)に走った、一部「老人専門病院」は現在でも時に話題となり、自分の両親に(たった今健在であっても)残された時間はそう多いものではなく、まさに「自分の問題」として切羽詰まった問題提起をされた思い有。
ワタシ個人の問題としては、すべての病の告知、姑息延命治療拒否、の立場であり、例えば事故などで「脳死」(厳密な基準運用は前提だけれど)に至ればすべての臓器を使っていただきたいし、献体(若いお医者の役に立ちたい)も当然と考えております。ちなみに、葬式もお墓も(戒名はもちろん!)要らない。ま、その前にせいぜい運動不足にならぬよう努力しましょうわい。
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出張移動中聴いた音楽。Mozart 交響曲第40番ト短調K550/Brahms 交響曲第2番ニ長調 作品73〜ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団(PILZ 442064-2)〜いろいろと(かつて)話題になった録音だけれど、奥行き浅い音質問題、薄く刺激的に響く弦楽器などが気になって、そう楽しめませんでした。「音質問題」・・・(!?)太古戦前朦朧とした音質だって楽しめることがあるから、これは聴き手の集中力劣化か。堕落か。
Rimsky-Korsakov 「ロシアの謝肉祭」(吉幾三「酒よ」激似)シカゴ交響楽団(1968年)/「シェヘラザード」ロイヤル・フィル/グリュンバーグ(v)(1975年)/Rachmaninov 「ヴォカリーズ」アメリカ交響楽団/モッフォ(s)(1964年)・・・いずれもストコフスキー指揮で。いや、もうこれは無条件に賑々しく、わかりやすくて、雰囲気たっぷり楽しい!シカゴ交響楽団は文句なく強靱なるアンサンブルであり、(ロンドン響盤と比べ)少々評判の落ちるロイヤル・フィルとの「シェヘラザード」だって、アクたっぷりクサい節回し最高であって、「ヴォカリーズ」のムーディな深夜の味わいは類を見ない・・・
今朝、Brahms 「運命の歌」/交響曲第1番ハ短調〜レヴァイン/ミュンヘン・フィル/合唱団(1999/2003年)を。晦渋でとりつきにくい(印象があった)「運命の歌」は明快精密でわかりやすく、交響曲の方は威圧感なくとても耳あたりの良い、わかりやすい演奏に少々不満・・・というのは初めて聴いた印象であります。もう少し、聴き込まなくては。
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ちゃんと真面目に土曜はエアロビクス(担当・別嬪ハシモト先生)、数回ご一緒した団塊の世代風お父さんに「頑張っているじゃないの」と声掛けられました。でも、また帰りにたっぷりイタメシを女房と喰っちゃって、ダイエットにはほど遠い感じ。さて、きょうはサイト更新用原稿を書き貯めたいものだね。
2005年11月某日
途中覚醒が続いて、これは睡眠障害なんでしょうね。ここ3年くらいの症状で、秋になるといっそう悪化する感じ。しかし、体調良好です。新幹線移動中は居眠りしていきましょう。なんとか、やっとこさ定例更新実施。サイト更新用原稿を安定的に蓄積したいが、集中力落ちてます。
昨夜〜今朝に掛けて、Mahler 交響曲第4番ト長調〜セル/クリーヴランド管弦楽団/ラスキン(s)(1965年)を。けっして嫌いな作品ではないが、お気に入り全集中、唯一(少々)ぴん!と来ない作品でしたね。これが、偉大なるセルの手にか掛かると「メルヘンがどうの」とか「可憐なる作品」云々ではなく、文句なく充実したアンサンブルが「作品の大きさ」(楽器編成の多寡を云々しているのではない)を物語って、圧倒的集中力有。艶やかでセクシーなオーケストラの響き(クリーヴランド管にそれは期待できない)に頼ることなく、入念明快硬派頑固な表現は繊細さも徹底され、驚くべき深さと安らぎを実現します。
テンポは揺れるが、甘さの欠片もない。完璧のアンサンブルと優秀なる音質に満足。ワタシお気に入りのハイティンクとか、クーベリックとは正反対の行き方だけれど、これはこれで聴取感は清涼でした。
さて、お仕事に行って参りましょう。
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広島/呉/東広島一周。売り場の様子がよく理解できました。それにしても昼間は気温が高く、これでは秋冬物が売れるはずもない。同行者と少々酒席を付き合って(語るだけ語って)、9時過ぎには帰宅。2時間ドラマしっかり見ましたよ。筋がしっかりしているし、秋本奈緒美、雛形あきこ、二大お気に入り女優が出演していて大いに満足。新幹線移動中に聴いた音楽の件は明日に・・・。
Tchaikovsky 交響曲第5番ホ短調フリッチャイ/ベルリン・フィル(1949年)の更新が読めない・・・とのご指摘有。一方で内容に対するコメントのメールもあったから、まるまる読めないような色使いではないと思うが、「どんな条件でも読める」というのが原則だから、文字色を白地に変更。ふだん、滅多にメールなど届かないから、サイトの不具合も怪我の功名でしょうか。
2005年11月某日
昨日はお留守番、内部打ち合わせ(日程調整)して、夕方から外部(取引先)と打ち合わせ。重い内容だったが、予想外に早く終了したので(職場に戻らず)、職場近所のスポーツクラブへ。自転車で軽く汗を流したあと女房に電話を入れて(女房お気に入りの)馴染みの焼鳥屋にて落ち合いました。夜は、両親の年賀状(なんせ170枚だから)一生懸命印刷していたので、音楽聴いてません。本日、お休み。
なんせ旧式のプリンタなのでなので、遅いんですよ。給紙に問題はなかったが、途中4枚分失敗(これは純粋な操作ミス)、一枚紙送り失敗したインクが裏に付着したのが数枚、色インクが不足気味で見るに耐えないものが数枚(カラーインク交換しました)、計十数枚アウトかな?これは郵便局で交換してもらいましょう。
今朝、Mozart 。クラリネット五重奏曲イ長調K.622〜ドレパー/レナー弦楽四重奏団(1928年)+ピアノと管楽器のための五重奏曲 変ホ長調K.452〜ギーゼキング(p)/ブレイン(hr)/ジェームズ(fg)/サットクリフ(ob)/ウォルトン(cl)(1955年)を。前者は、素直なクラリネットに幻想的に甘いバックが音質を忘れさせる感銘があり、後者は終楽章の愉悦感にココロ奪われるものの、もう少し音質のクリアさを求めたくなりました。(贅沢な感想だ)
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そういえば、昨日の通勤バス、いつも一緒になるOL風女性数人が不在、というかバス停にはワタシひとり・・・ウチの辣腕派遣社員もお休み取っているから、世の中一般に観光シーズンなのか。祝日だけれど真面目にスポーツ・クラブへ。人数少なかったみたいです。若きイケ面ノグチ先生、動きムツかしすぎます。それにリズムがやや前倒しで、明らかにノリがよろしくない!(と、自分の技量不足を棚に上げるワタシ)そのままクルマで職場まで〜昨夜、取引先から「某資料送ってね」と電話が来ていたので、それだけやっておかないと。ま、ご近所ですから。
Bizet 「カルメン」〜マリノフ/ソフィア国立歌劇場管弦楽団/合唱団でラストまで。音質も良いし(優秀録音と評してよいでしょう)、歌い手声量たっぷり表情豊かで押し出しもあって迫力充分、間奏曲に於ける管弦楽だって繊細で美しい・・・が、絶叫するような、叶わぬ想いが滾るような、情念が迸るような!そんな超・劇的な表現ではないかもね。ちょっと優等生的か。でも、これで「カルメン」と出会ったって、道は外さない立派な出来・・・のはず。やはり、この作品/演奏は楽しい!
昨日、中古屋で三ヶ月睨めっこした挙げ句、Brahms 交響曲全集〜ヴァント/北ドイツ放響(旧録音1982〜85年)購入。この間、少々渋どころばかり聴いてきました故、たまには世間一般に評判になっている知名度高い演奏も確認しないと・・・ということで、早速交響曲第1番ハ短調(1982年)を。冒頭ラッシュ快速テンポに、強力オーケストラ(甘さ控えめで、引き締まって美しい)のメリハリ最高!上質厳格なるアンサンブルは流石に久々か。
明日、終日広島で現場回り。一日休んで、日曜日夜から、また広島で肉体労働系作業は泊まり掛け。堪忍してよ、もう。
2005年11月某日
今朝も良い天気。明日祝日で、本日よりウチのチームの辣腕派遣さんが3日間お休みなので、お留守番やります。ワタシ、たまのことだしこういう細部お仕事好きですよ。自分で組み立てた(つもりの)諸作業の実体やら、改善方向もよく見えるし。大きな課題ともかく、当面切羽詰まった宿題はない(はず)なので、一日身辺整理整頓予定。
昨日「断頭台の行進」記事を読んだ関係で、Berlioz 幻想交響曲聴きました。こどもの頃から馴染みの作品(オーマンディの旧録音でした)だけれど、さほどにお気に入りではない。でもね、数えていないが、ずいぶんたくさんCDが棚に眠っていると思います。今回は小澤征爾/ボストン交響楽団(1973年)・・・これは有名なワリに意外と入手できたりできなかったり、状態の音源であります。トロント交響楽団との旧録音(1966年)はサイトに掲載済み(相変わらず粗暴なるコメント!)だけれど、これは一年ほど前BOOK・OFF@250入手したもの。
細部まで緻密、真面目な集中力があって、オーケストラは抜群に上手い。ワタシはもっとグラマラスな演奏に馴染んできたせいか、”ツマらない演奏”(「幻想」に限らないが)と感じてきたが、日本人的誠実正確な演奏もエエではないか?と、印象を変えつつあります。けっこう楽しめちゃう。但し、第2楽章「舞踏会」のコルネットは必ず欲しいところ。(だからコリン・デイヴィス盤が望ましい)
BRILLIANTレーベルに「The French Opera Collection」(99544)という8枚組があって、ワタシは2003年5月に購入しております。「カルメン」ともかく、Bizet 「真珠とり」、DELIBES「ラクメ」(これは知名度あるか)、Massenet「グリセリディス」辺りは”安いから”という理由で冒険しないと出会えないでしょう。当時のワタシには、そんな意欲があった、ということであります・・・つまり、棚で眠っていた2,240円也。(伝票が残っている)深く反省し(ウソ)、「カルメン」から聴いてます。(数少ない馴染みのオペラだ)
マリノフ/ソフィア国立歌劇場管弦楽団/合唱団/ミルチェフ(カルメン)/ニコロフ(ドン・ホセ)/ヴァッシレヴァ(ミカエラ)/グィセレフ(エスカーミリョ)・・・ま、ブルガリアのオールスター・キャスト(なのかどうかは知らない)でして、Delta Music原盤。こどもの頃の刷り込みは圧倒的影響でして、ワタシはデル・モナコの壮絶な歌声に一発で痺れて以来、この作品大好きです。つまり、どんな演奏で聴いても必ず感動する。この演奏の社会的評価は知らぬが、文句なく愉しんでおります。
2005年11月某日
40代の日々は崖から転げ落ちるように過ぎ去っていって、今年も残すところあと2ヶ月。日本には四季の移り変わりがあって、お正月を一区切りとして先人の智慧か、様々暦上のメリハリがあることに感心します。ずるずるツラい日々ばかりが続くようでは保ちまへんで。
本年度職場二人目のメンタルヘルス発症/長期休養を目の当たりにして、感慨あります。ワタシより上の世代で、それなりに早くからエラくなった人々でした。冷たいことを言うようだけれど、それは当時の(年功序列高度成長型人事制度の)世情だったのでしょう。真面目な人達だし、ウチの職場では(一度上げれば)お給料は下がらない(しかし、なかなか上げてくださらない!)、というユートピアのような人事制度だけれど、お仕事は(閑職であれ、激務であれ)変えちゃいます。「名前だけエラい(君臨すれども仕事せず、的)お仕事」には絶対しない。ようはするに、現代には”通用しなかった”。それは、ご本人達が一番自覚していたのでしょう。
ワタシは、自分を例外にしない冷静さは持ち合わせているつもり。身も引き締まる思いであります。今朝の朝日新聞「ひととき」〜「愛をありがとう」・・・83歳の彼が肝臓ガンで亡くなった、と、81歳の彼女が溢れる思いを綴っております。何の見返りも、打算もない純粋な愛!人生って素晴らしい。作家の中川李枝子さん「こころの風景」〜「断頭台への行進」・・・S状結腸ガンを宣告されたとたんBerlioz「幻想交響曲」第4楽章が、突然耳の奥で鳴り出した由。腫瘍の説明をしてくださる若く精悍なドクターが、颯爽とタクトを振るデュトワに見えたと。・・・ガンを切り取ったら、音楽は鳴らなくなったそうです。
今朝、Mozart 「ハフナー・セレナード」K.250〜ライトナー/ヴュルテンベルク州立管弦楽団/ラウテンバッヒャー(v)を・・・シュトゥットガルト歌劇場のオーケストラですな。やや音質厳しく、一部音揺れもあります。オーケストラの響きはずいぶんとジミだけれど、手堅く立派な表現であり、ラウテンバッヒャーのソロはいつもながらしっかりとしたもの。しかしこの作品はもっと華やかで、喜びが吹きあがるものであって欲しい。
冷えてきたが、きょうも良い天気です。
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出張のない内部実務仕事だけなら、す〜いすい状態。昼から(クルマで)外回りをしました。こりゃ11月の日差しじゃないな。クルマでは(一人だったので)CDがんがん鳴らしてました。Brahms 交響曲第3番ヘ長調〜ホーレンシュタイン/南西ドイツ放送交響楽団(バーデンバーデン)(1958年)・・・これは音質も予想外にマシだったし、よく歌ってスケールも大きい、細部に配慮ある素晴らしい演奏です。巨匠風格たっぷり遅めのテンポで、オーケストラも美しい・・・が、最終盤少々息切れ気味か。有名なる「ポコ・アレグレット」の纏綿とした甘い囁きは出色の出来。いやぁ、驚きました。
引き続きセレナード第2番イ長調(抜粋というか、泣き別れ収録)〜ジューヴ/ヴュルテンベルク州立管弦楽団・・・これも安らかな味わい溢れる佳演であって、今朝の「ハフナー・セレナード」とはずいぶん異なって、オーケストラは快調でした。録音問題かな?更に更に、ピアノ協奏曲第2番変ロ長調〜シャンドール(p)/ライハルト/南西ドイツ放送交響楽団(バーデンバーデン)・・・この作品は大好きで、種々多様に聴いてきたが、かつてない感動に驚くばかり。シャンドールの技巧になんらの疑念がないのはもちろん、鋭角金属的に響かない暖かくも滋味深い、落ち着いたピアノに痺れます。
この伴奏にはウィーン・フィルのイメージが強いが、南西ドイツ放送交響楽団だって充分美しい。第3楽章は(ピアノさえ入らなければ)チェロ協奏曲であって、切々と、しかし控えめに歌われて目頭も熱くなりそう・・・