To おたよりありがとう
カリン・レヒナーのBrahms 作品集に寄せて
Asakoさん、お手紙ありがとう
ベルリン交響楽団/Brahms 協奏曲全曲(カリン・レヒナー)の評を読んでいただいて、「ぜひ聴いてみたい」とのAsakoさんからメール有。「どこでも安く売ってまっせ」と通販を紹介させていただきました。「せっかくですので感想も寄せてね」と、厚かましくお願いしたら、以下のようなお返事をいただきました。
Web Masterの詳細な音楽評が、すでにサイトに掲載済で、今さら 「何をか況や」ではありますが、渇望のCDの一枚であり、かつまた Web Masterのありがたいご教示で入手した経緯もあって、つたない 「蛇足」を所望(ほとんど強要…^^;)とあれば、抗うすべなく書かせて いただくこととなりました。
「謎のピアニスト」に焦点を絞っての「寸評」ということで、ご海容の ほどお願い申し上げます…m(_ _)m。
Brahms
ピアノ協奏曲第1番ニ短調 作品15
ワルツ集 作品39
ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 作品83
4つのピアノ小品集 作品119レヒナー(p)/マルトゥレット/ベルリン交響楽団
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品77
ブーレン(v)/マルトゥレット/ベルリン交響楽団
ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調 作品102
ヴェルヘイ(v)シュタルケル(vc)/ヨー/アムステルダム・フィル
BRILLIANT 99274 録音年不明 3枚組1,344(税込)円で購入
***** 自他ともに認める「モーツァルト好き」で、実は、ブラームスをじっくり 聴くのは、ほとんど初めて(^^;)、せいぜい「名曲全集」でざっと聴き 流した程度…。そんなリスナーが「なぜ?」と思われることでしょうが、 これは「追っかけ」が嵩じた結果なのです。
この三枚組CDのうち二枚、ブラームスの大曲ピアノ・コンチェルト 第一番・第二番、ワルツ集およびピアノ小品集を弾いているのが、 読み方もあやふやな「Karin Lechner」が、そのひとりです。
Karin Lechner(「カリン・レヒナー」)と表記)は、1965年アルゼンチン・ ブエノスアイレス生まれ。
その後ヴェネズエラのカラカスで、13歳まで母のリル・ティエンポに ピアノを学んだ後、ヨーロッパに留学。
パリでピエール・サンカンに師事、アルゲリッチやバレンボイムにも 指導を受ける。
公開演奏は4歳、コンサートデビューは11歳、初録音は13歳で、 今年37歳になる、類稀れな女性ピアニストのひとり。来日数回、最近はチェリスト、ミッシャ・マイスキーの伴奏を勤める セルジオ・ダニエル・ティエンポは、7歳下の弟に当たり、1994年 7月には、弟とのピアノ・デュオ・コンサートで初来日している。 (カリン・レヒナー/セルジオ・ダニエル・ティエンポ、ビゼー:こどもの 遊び他収録の4手連弾を含むピアノ・デュオ盤、VICC-39付属の ブックレットから、適宜抜粋・引用。)
***** ブラームスのピアノ・コンチェルト第一番は、その調性が暗示する ように、ティンパニと弦が重苦しい陰鬱さで立ち現れる。
立ち込めた黒雲に雷鳴轟き、たちまち豪雨に全身を叩かれる 予感が、割って入るピアノに、がらりとその印象を変える。
あたかも、厚い雨雲に差し込む陽光とさわやかな風が、青空を 大きく広げるような開放感が満ちる。ピアノはかなり思い切ったペダリングで演奏されるが、装飾は 過剰ではない。ペダリングは多用しているが、表現する感情の 振幅は劇的には大きくなく、デモーニッシュな官能というより、 清潔なお色気を感じる、端正で魅力的な演奏である。
オーケストラの圧倒的な重量感にも埋もれず、かつ調和的に力強いが、 妙な力みはなく、あくまで清涼感さえ感じさせる音を響かせている。 メカニカルな技術は、卓越した域に達しているが、そうした技術を ひけらかすところは全くない。
聴く者を驚かせ、或いは技術で叩きのめす傲慢さは見られず、 その音はあくまでダイナミックかつ繊細で、温かい印象を受ける。
ワルツ集のピアノ・ソロではさらにピアノを歌わせて、ピアニシモを 雄弁に語らせながら、ブラームスらしい厚みを損なわない。
ショパンの前奏曲のように一曲一曲が個性的で、かつまた全体で ひとつの作品であるかのようなまとまりがあるが、各曲が短いため 飽きるということがなく、もっと堪能したい、と思うほどその演奏は 端正に通り過ぎるようだ。
ピアノ・コンチェルト第二番では、ホルンの穏やかな響きを受けて 軽く楽しげにピアノが加わる。
調性もあって、劇的要素より叙情性が勝つため、その表現はより 詩的な響きを帯びている。
最終章のやや古風なパートと、大きく変化して現れるロマン派的 ドラマチックなパートを楽にさばいて、落差を感じさせない。 聴く者が思わず魅き込まれるようなノリと熱っぽさは、ラテンの 血を思わせるイキのよさだけれど、粘っこさやしつこさは感じられない。ピアノ小曲集では、一曲がワルツ集に比べて長いため、少しは 長くその世界にとどまることができる。
すなわち、ピアノ・ソロではクララ・シューマンに捧げた恋慕を生涯、 秘めて持ち続けた、ブラームスの繊細な感情を髣髴とさせつつ、 踏み込みすぎることなく、さらりと弾いて聴かせてくれるのである。レヒナーは一見、強烈な印象を残さないが、その演奏は芳醇な お酒にも似た、馥郁たる香りと恍惚とした酔い=みごとな余韻に 満ちている。
トゥ・シューズの音もなく演じられる『瀕死の白鳥』のような静謐な 激情と端正さ…といえば、言いすぎだろうか。
レヒナーのピアノにしぼっての書き込みなので、ヴァイオリン 協奏曲については割愛する。
なお、弟ティエンポとのピアノ・デュオは、今様 「ナンネルとモーツァルト」と評する向きもある。 二世紀を経て甦ったかのような姉弟に、魂を 奪われたままの一ファンからの誠につたない オマージュであることをお許しいただきたい。
(2002年6月6日)
【♪ KechiKechi ゲスト編 Classics ♪】
●愉しく、とことん味わって音楽を●
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