2005年8月某日
すっかり秋の雰囲気だな。寝冷えしそう。本日より3日間、事務所お留守番。昨日、職場帰りにスポーツ・クラブへ寄ろうと思ったらお休みでした。残念。昨日は久々、通勤にポータブルCDプレーヤー持参したし、昼から地元取引先数件回って、その間クルマで音楽を聴いてました。
Schubert 交響曲第9番ハ長調〜セル/クリーヴランド管弦楽団(1957年)から。彼の演奏はいつ聴いてもその端正な充実、正確な技巧とアンサンブルに圧倒されます。焦点は終楽章でして、高速なテンポとメリハリ圧倒的な爆発は、まるで昨今の古楽器系演奏を彷彿とさせます。興奮ノリノリ満杯。しかも、リズム感とアンサンブルは微塵も揺るがない。Sibelius ヴァイオリン協奏曲ニ短調〜アッカルド(v)/コリン・デイヴィス/ロンドン交響楽団(1979年)・・・
ソロ・バックともおそらくかつて聴いたこの録音中、もっとも完成度高く、作品の美しさを存分に引き出した演奏に間違いない。アッカルドのヴァイオリンは、しっとり暖かく、瑞々しく、余裕の技巧だけれど、それのみが表層に流れない。でもね、正直この、まったりとした豊かで甘い味わいはSibelius の世界じゃないでしょ。勝手な言い分だけれど。引き続き、「フィンランディア」「タピオラ」「トゥオネラの白鳥」、交響曲第3/6/7番〜こちらは最初の録音であるボストン交響楽団(1975/6年)となります。
オーケストラが強靱優秀で、表現的にも”雰囲気で聴かせる”系演奏じゃありませんね。ストレートなチカラ強い演奏であり、ボストン響は朗々と鳴り渡って、しかしながらコリン・デイヴィスの個性故か、巨大雄弁立派すぎ!ではない。華やかなオーケストラなはずなのに、派手な印象が薄い。「タピオラ」は別作品を聴くかのような、幻想曲風ではなく、明快な世界でした。交響曲はいっそう感銘深い。
テンポ速いですね、時の流れは。もう8月終了ですよ。なんもせんで、足痛めて、身動き取れないまま退屈で喰ってばかりだから、また体重増えました。
2005年8月某日
昨夜、新人歓迎会でした。なかなか楽しかったけど、お仕着せの乾いた料理、不味い酒には少々閉口気味。8時に終了して、おそらくは(ワタシより)若いもの数人がカラオーケストラ辺りに行ったんだろうが、ワタシは9時前には帰宅しておりました。今週は出張はなくて(ほんまは2ヶ所くらい入れなくちゃいけないのだけれど)資料作りと、混沌阿鼻叫喚机上清掃、派遣さん夏休み+他のメンバーも研修等で不在〜お留守番役でございます。右足ほとんど違和感なし。本格的にリハビリ(筋肉が落ちている)しないと。
土日に急遽野暮用が入り、(自家用車で一人連れて)三朝温泉へ行くことになりました。(イヴェント内容にほとんど興味なし。温泉が主眼目)月曜は職場のリクレーションで笠岡へ・・・そのまま博多への前泊出張となります。昨夜から今朝に掛けて聴いた音楽。Brahms ドイツ・レクイエム〜セル/クリーヴランド管弦楽団/合唱団/ヤノヴィッツ(s)/クラウゼ(br)(1969年ライヴ)・・・かなり音質厳しい(ブートレグでしょ)が、甘さを殺して引き締まったアンサンブルは比類がない。合唱の繊細さも特筆すべき水準。なんども馴染んだ作品だけれど、短かく、動きの少ないシンプルな動機がどうしてこれほど説得力があるのか、これはBrahms のマジックですな。
「瞑想」(クラシカル・リラクゼーション)はVol.5へ。Offenbach 「ホフマン物語」〜舟歌(シャンドール/ブダペスト・フィル)/Sibelius 悲しきワルツ(ケーゲル/ドレスデン・フィル)/Bach オーボエ協奏曲ニ短調〜第2楽章(グレッツナー(ob)/ポンマー/新ライプツィヒ・バッハ・コレギウム)/Mahler 交響曲第1番〜第3楽章(ウルバネク/プラハ・フェスティヴァル管)・・・ほか多種多様凝りに凝った選曲でして、演奏家バラバラながら水準の高い演奏ばかり。グレッツナー(ob)は自由なる装飾音が楽しい。これは先日購入した「EDITION Bach LEIPZIG」(CAPRICCIO 49 254 2 11枚組)には含まれないもの。
弓削孟文「手術室の中へ〜麻酔科医からのレポート」(集英社新書)一気読了。これは手術に不可避なる「麻酔」に関する集大成でした。手術も麻酔も患者に対する「侵襲」であるということを前提(事故だって発生する)に、それでもなおかつ行為を為す価値について、冷静な事実を以て語られます。全身麻酔は呼吸も止めるんですよ。だから挿管して人工呼吸にする(昨年経験した)。テレビ・ドラマで酸素マスクのみで手術場面が出てくるけど、ありゃウソなんですよ。良質なるノン・フィクションには安易な小説を上回るドラマがありました。
2005年8月某日
朝夕は涼しくて、すっかり秋ですな。今週はどんなスケジュールだっけ?思い出せない。来週は出張連続なはずだけど。本日は、異動者二人の(職場公式)歓迎会だったか。昨日、女房クルマ使用の都合もあって、演奏会には行かず。(ズボラもあったけど)
昨日聴いた音楽の落ち穂拾いを・・・Mozart ピアノ協奏曲第9/27番〜ヤンドー(p)/リゲティ/コンチェルト・ハンガリクス(1989年)・・・彼の膨大なる録音はほんの一部しか聴いていないが、いずれ演奏者の特異なる色合いを強調しない、芯のしっかりとしたオーソドックスなもの。Mozart にはこんなスタイルがむしろ効果的で、精神的に煮詰まったときには(作品が素晴らしいことが当然の前提だけれど)ピタリ!地味な存在だけれど、全集としての価値は存分だと思います。
昨年2004年だったか「瞑想」というLASERLIGHT(35 840)5枚組を入手しております。「クラシカル・リラクゼーション」と題したヒーリングものでして、短めかつ静かな凝った選曲と、東欧を中心とした渋い演奏者にも注目です。Vol.3にDvora'k 「ロマンス」ヘ長調作品11が含まれており、その哀愁の旋律、しっとりとした演奏にココロ奪われるが、「Budapest Strings」という演奏家表記がおかしい。バンファルヴィ(v)率いる団体のことだろうか?管楽器が含まれるし、ソロ表記もなし。この団体名で「ポーギーとベス」のポップ・ジャズを収録したものもあったからあてになりません。
2005年8月某日
朝はすっかり涼しい。久々の運動で少々筋肉痛を感じるが、右足は回復方向です。昨夜から「24時間テレビ」(とやら)が始まったが、いつもながらの「お涙頂戴」「感動の大安売り」にはヘキヘキしちゃう。丸山弁護士が100km走ることについては立派だと思うが、出発時にクダらない前振り引っ張り過ぎだし、いろいろ話題を絡めてはしゃぎすぎ。もっと、淡々と”走る姿”のみで勝負できないのか。いずれ、全体としてテレビ番組イヴェントとして興味ありません。
暴力事件の駒大苫小牧について、「優勝お咎めなし」「秋からの試合も出場OK」との裁定〜当たり前じゃ!どうして校長が「優勝返上しても仕方がない」なんて判断できるの?生徒は被害者じゃない。頑張ったのも生徒だし。体育会系の暴力体質って、21世紀のハイテク時代(死語か?)でも、変わらないんですね。
今朝の朝日新聞、相変わらずオモろい。「収容所群島」でかつて国家を揺るがせたロシアの作家ソルジェニツィン、86歳でご健在だったんですね。亡命20年、帰国10年の歳月が流れ、再評価されている、とのこと。でもさ、この著作、入手難しいらしいですね。(ワタシは全部持っている)書評欄・早川義夫さん(この人のコメントはいつも抱腹絶倒!)「ポケットから」〜小谷野敦「帰ってきたもてない男」(ちくま新書)・・・これはぜひ読まねば!という説得力ある一文を少々長いが引用します。
もてないのでもてない人の気持ちがわかる・・・もてない男ほど女にうるさい・・・世間にもうるさい。自分を棚に上げ人にきびしい。友達がいない。流行についていけない。恋に恋するだけで男前とはほど遠い。孤独には強いはずなのに、プールの中で熱帯魚のように戯れているカップルを見ると泣けてくる。男がみんな自分よりダサく思える。うぬぼれている。
劣等感を持っているので、優越感を得たくてしょうがない。批判されると無性に腹が立つ。ほめられるとぐにゃっとなる。仕事熱心だ。まじめだ。責任感もある。人を笑わせることだってできる。なのにもてない。
これほどリアルで、胸にびしばしと迫る描写は久々・・・って、自分も「もてない男」のお仲間だからですか?
昨夜、Telemann 3台のヴァイオリンのための協奏曲ヘ長調(食卓の音楽第2集)〜ヘルブリンゴーヴァ、ヘルブリング、ヤブロコフ(v)/エドリンガー/カペラ・イストロポリターナ(1988年)・・・これはBach にはない優雅でノンビリとした味わいがあって、とても美しい作品です。次に収録される2本のホルンのための協奏曲変ホ長調(食卓の音楽第3集)〜ティルシャル兄弟(hr)のちょっと粗野で素朴な味わいのホルンはいっそう説得力が深いが、両作品とも演奏家知名度では想像できないほどの楽しい演奏でした。(NAXOS 8.550156)
ヴァイオリン協奏曲のほうはムジカ・アンフィオン(2003年)の古楽器演奏でも確認。よりメリハリがあり、ザラリとした感触はこちらも悪くない。Bach チェンバロ協奏曲BWV1052-1056〜ロバート・ヒル(cem)/ミュラー・ブリュール/ケルン室内管弦楽団(1998年)を続けたが、現代楽器でありながら古楽器のテイスト溢れて、繊細な躍動感に驚いたものです。
●
結局(いつものように)無為無策なる一日消化(昼寝付き)。ここ数日コメント漏れの音楽でも思い出しておきましょう。Brahms 交響曲第1番ハ短調〜トスカニーニ/NBC交響楽団(1951年)。数ヶ月前「ブラームスはお好き?」という投稿集を更新したが、そこに書いた通り「しなやかで強靱なるノリ。華やかな歌心」・・・ワタシはどちらかというとBrahms の管弦楽作品を苦手としているが、この演奏は別格の楽しさ。晦渋で暗鬱な表情じゃなく、燃えるような前向きな世界でした。
ピレシュのMozart ピアノ・ソナタ(旧)全集が再発されるとの情報にココロ動き、「2,590円」という価格はそう安くもないか・・・とクララ・ヴュルツ全集(BRILLIANT 99145 1998年)を棚から取り出し。コレ5枚組中古700円でした。久々、ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331を聴いたら、これは驚くべきほど凛として颯爽、緩さの欠片もなく甘さ控えめ、品を作ることとは無縁の世界であって、淡々とチカラ強い。中庸のテンポと、引き締まったリズムが過不足なく表現され、希有な感動でした。Mozart は難しいよ!第14番ハ短調K.457も同様の手応えを得たが、幻想曲ハ短調K.475が含まれないのが残念。
某ブログを拝見していてMozart ノットゥルノ ニ長調K.286(4つの管弦楽のための)〜スウィトナー/シュターツカペレ・ドレスデン(1975年頃)が出ておりました。コレCD持っていたはずだけど「4つの管弦楽のための」って???CD聴き出すと、馴染みの旋律したね。知らんかった!まるで「クリスマス協奏曲」のような安寧に充ちた第1楽章は、各オーケストラがエコーしているんですね。でも、どうしてこんなに良く知っているんだろう・・・
熟考15分ほど、シャンドール・ヴェーグ/カメラータ・アカデミカ・モーツァルテウム・ザルツブルクの1988/89年録音(CAPPRICCIO 10 302)を発見!エコー具合はスウィトナー盤が良く効果を発揮しているが、演奏そのもののしっとりとした味わいは(馴染みのせいか)ヴェーグ盤にココロ打たれるものがありました。
●
ショック!なんらかのミスで「音楽日誌」8月分、最初の一週間分(一番下)消失。合計3台のパソコンにバックアップしているが、すべて(気づかず)更新済みで、Googleのキャッシュでも消失済み。自分のパソコンはすべて「履歴」一日で消えるようにしてあるので万事休す!どなたか読者で履歴が保存されていないだろうか・・・(Yahoo検索のキャッシュが残っておりました。無事復元!)
2005年8月某日
8月末の空は澄み切って、ややリキを失いつつあります。昨夜、やはり眠り浅く、何度も途中目覚め、それでも今朝は(久々)気分爽快!です。洗濯、掃除、右足おそるおそる庇(かば)いつつストレッチ、兼ご近所今村宮参拝・・・年齢を重ねるたび、本人の努力(思い)とは無縁なる”おおいなるチカラ”に右往左往させられる日々の連続〜”神々しいもの”に対する畏敬の念は深まります。無神論者ではあるが、ご近所住人達が数百年の歴史を重ね、思いを放射させ続けた建築物には、無形の御利益が蓄積されるのは当然、と思います。
フツウに歩けること=健康であることに感謝。楽しく毎日過ごせることに感謝。昨年2004年6月の開腹手術も然りだけれど、こういった不自由は”立ち止まって考えよ”という自然の摂理なのでしょうか。滅多に来ないメールで「ホルヴァートの『復活』は、ナヌート/リュブリャナ放響と同一音源では」という貴重なる情報有。なるほど、一理あるかもしれない。「指揮者がホルヴァートであれ、ナヌートであれ、説得力のある、素晴らしい演奏には違いないことに同意しつつ」〜この基本姿勢にも共感します。屁理屈とか、余計な蘊蓄多すぎませんか、世の中のサイトは。そのカレーは辛いのか、甘いのか。大福は甘いのか、甘さ控えめなのか。「凸凹堂老舗200年歴史の味」とか「ガラムマサラ20%増量!」みたいな情報と、どちらが大切なことなのかは明々白々でっせ。
件のホルヴァートの「復活」は、最終楽章のみ再聴。やや悲劇的圧倒的な感銘溢れて、聴衆の拍手も熱狂的でした。RVW 交響曲第9番ホ短調〜アンドルー・デイヴィス/BBC交響楽団(1995年)を。不安げ静謐旋律は未だ身に付いていなくて、これからの精進が必要です。この交響曲全集を聴き進むウチに感じたことは、「BBC響って、ちょっと響きが洗練されなくて、艶が足りない」ということ。ちゃんと聴きますよ。全部。
●
久々、スポーツクラブへ行って参りました。しっかり自転車200kcal分〜あれはアキレス腱に負担が掛かりません。きれいな施設だったし、エエ汗かきました。設備が新しくて、一台ずつ液晶テレビが付いているんですね。(見なかったけど)ポータブルCDプレーヤー持参して聴いた音楽は、Telemann 「食卓の音楽」(第1集〜第2集途中迄)〜黄金時代管弦楽団(Orchestra of the Golden Age 1995年NAXOS)・・・素朴な古楽器が味わいたっぷりだけれど、リズム感がいまひとつなのと、技術的にキレが足りない・・・なんていう贅沢はともかく、楽しい作品に間違いない。Bach をぐっと大衆的にしたような、朗らかな音楽でした。
2005年8月某日
昨夜9時ピタリ!に(いつものように)酒席を切り上げました。翌日、お仕事継続だし、それよりなにより酔いの回りが速い〜すっかり酒には弱くなりました。ホテルではいつものように、ほとんど眠れず・・・疲れました。どろどろになって帰宅・・・少々遅れて定例サイト(やっとこさ)更新。
右足それなりに回復しつつあり、試しに明日の朝、ストレッチしてみるか。激痛がなければスポーツクラブへ。ここ数日、お客との関係で手応えがあったので、精神的にやや上向きです。カラダはボロボロだけれど。明日、ゆっくり休んで気分転換〜のつもり。今晩は、もう音楽を聴く気は起きませんね。
2005年8月某日
これから一泊二日で広島行き。県下10ヶ所精力的に訪問!って、べつにホリエモンの応援関係ではなくて、純粋商売です。新幹線で広島駅出発クルマでの移動だから、右足の調子が悪くてもそう問題はないでしょう。
ここ数ヶ月、もっとも聴いているCDは、Rachmaninov ピアノ協奏曲第2番ハ短調 〜アシュケナージ(p)/コンドラシン/モスクワ・フィル(1963年)でしょう。数ヶ月前、プレヴィン/ロンドン交響楽団(1970年)との世評高い再録音のコメント(→読み返すと、とってもエエ加減)しているが、ワタシはこの旧録音をより愛しますね。だけど、どこがどう違っているんだろう?・・・で、両方聴き比べを。
ははぁ、なるほど。プレヴィンのバックが入魂入念なんですね。暗鬱どんより低い空の景色風オーケストラに乗って、アシュケナージのピアノがほとんど一体化している。コンドラシン旧盤は、まずピアノがきらきら輝くように若く明るいし、バックがストレートで粘らない。モスクワ・フィルだから、ロンドン交響楽団よりザラリとした響きだけど(とろけるようなヴィヴラート・ホルン!炸裂する最終楽章ラスト・シンバル!)、表現そのものとしてはずっとストレートで、”地で勝負”的味わい深い。ワアシのヘロ・オーディオ・セットでは、(ありがたいことに)旧録音のほうが映えて聞こえますね。しかも駅売名曲海賊盤(FIC ANC-166)なのに。
●
まず広島市内中心に6件訪問。ホテルに入ったところ。取引先二人、ウチの若い者(といってもワタシより・・・中年に間違いない)合計4人で精力的に・・・って、ワタシは慣れていて”こんなもん”と考えているが、初体験者にとっては相当キツイらしい。これから慰労とお礼も兼ねて飲みに行きましょう。明日、あと4件訪問。(だから定例サイト更新遅れます)
広島駅まで聴いたのは、Rachmaninov ピアノ協奏曲第3番ニ短調〜アルゲリッチ(p)/シャイー/ベルリン放送交響楽団(1982年ライヴ)を。たしか画像音源からのCD化で、音質にはやや不満有。自由闊達変幻自在勝手気儘無法状態完全燃焼演奏で、これは天才のワザです。正直、聴き知っているこの作品とは別もんに聞こえましたね。よく協奏曲の論評で「ソロとバックが完全に一体となった」とか「微妙なズレがある・・・」なんていうコメントを見掛けるが、それに何の意味があるんだろう?アルゲリッチは感興の赴くまま歌い、叫び、語り、走り、時に沈黙する・・・シャイーのバックなんかどーでもエエんです。
日常座右に・・・という演奏では(もちろん)ないが、たまに体調よく整えて、こんな怒濤の嵐に身を任せるのも一興か。その後に収録される、Tchaikovsky ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調〜コンドラシン/バイエルン放送交響楽団(1980年ライヴ)も、記憶ではかなりの熱演だったはずだけれど、ややおとなしく霞みました・・・
2005年8月某日
う〜む、こりゃ涼しい朝だ。台風接近中らしい曇り空。ワリとよく眠れました。でも肩がバリバリに凝っております。
すっかりBach 方面に参集仕切りでして、昨日の続き(というかCDの残り)Bach 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調〜ヨハンナ・マルツィ(1954/55年)を。弾き崩してもいない(技巧的な不備は一切なし)し、詠嘆の節回しとも縁がないものの、やはり”浪漫的”・・・どことなく甘やかなテイストを感じさせます。なかなかエエ感じ。試しに、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調〜ズスケ(v)(1985年)を続けて聴いたら、いやぁこりゃ凄い!端正で清潔なスタイル、凛として背筋が伸びて、それでいて旋律の歌に不足がない。華美な艶は存在しないが、しっとりとした奥深いヴァイオリンの音色、底深く響き渡りました。
「シャコンヌ」は、ま、どんな演奏でも、ピアノ版でもギター版でもその感動の質に変わりなし。いくらでも大仰に煽る表現が可能な作品だけれど、むしろズスケは地味に抑制され「あくまで作品の一部」としての則を越えません。では、行って参ります。
●
行って参りました。ここ最近のパターンである自宅送り迎え付き大名出張(日帰り)。右足不如意状態にはまことにありがたい。リハビリには時間掛かりそうですね、我流だけれど。まず完全にアキレス腱を伸ばせるようになるのが先決だけれど、まだ痛みがある。まだ痛みがあるウチにストレッチをしても良いのか、完全に回復するまでダメなのか。それにしばらく、まともに歩いていないせいか、足の筋肉が退化してチカラが入らない。当然、走れない(走れば痛い)。ゆっくりしか歩けない・・・いやぁ、不便なものです。それに鍛えられない。どうやって回復させていくか、それが問題ですな。ウォーキングからやるか、ぼちぼち。
台風近づいているせいか、蒸しますね。またエアコン入れました。
2005年8月某日
まだ、凸凹はあるんだろうけど盆過ぎには太陽も少々リキを失っているような・・・今朝なんか涼しいですよ。昨夜は、久々にお仕事だったせいか、とても疲れて早々に就寝。運動不足だけれど、まだリハビリ状態だからね。
が〜ん、とか、ど〜ん、とか大音量管弦楽は聴く気が起きなくて、ひたすらBach 三昧。Bach 「アンナ・マクダレーナの音楽帳」〜マティス(s)/アルトマイヤー(t)/レッシング(ガンバ)/ワルター・トーン(cem)/ブラッケンバッハ(org)(1965/66年 EMI)を取り出すが、数ヶ月前に聴いたハンス・グリュース/カペラ・フィディチニア・ライプツィヒ盤と収録作品、配列もかなり異なります。ゆっくり調査比較しないと。もしかして大Bach 以外の作品も加えたものか。それにしては平均律第1巻第1番前奏曲が登場するけど。演奏は慣れの問題か、ハンス・グリュース盤より全体様子がつかめません。(とくにチェンバロ)ま、マティスの歌声が楽しめるだけでも幸せか。
引き続き、Bach 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ/パルティータ第1番〜ヨハンナ・マルツィ(1954/55年)を。購入して6年、どうも馴染めなかった記憶があるのに、(一昨日来のヴァルヒャ同様)”多彩なる旋律が諄々と胸に染みるばかり”。スタイルとして浪漫的なのかな?短調の哀愁に説得力があって感傷的であります。
●
ずいぶんと久々、手応えのある商談であって、しかも別件本部からの依頼の件も面目施しそうで順調・・・でも、体調がよろしくない。なんだろう?風邪かな?季節の変わり目だし、ずっとエアコン効いた部屋で寝たきりだったし。音楽聴く意欲も出ませんね。明日、早朝お迎え付きで松山日帰り出張(コーディネーター+コメンテイターとして)。これから忙しいぞ!
今朝の「アンナ・マクダレーナの音楽帳」の件。順に
平均率クラヴィア曲集第1巻ハ長調BWV846〜前奏曲*
コラール「汝エホバがために我は歌わん」BWV299
ポロネーズ ヘ長調 BWV.Anh.117b
メヌエット ニ短調 BWV Anh.132
ポロネーズ ニ短調 BWV.Anh.128*
ミュゼット ニ長調 BWV anh.126
アリア「私はしばしばパイプによいタバコをつめて」(タバコのアリア)BWV515a
行進曲 ニ長調BWV Anh.122
ポロネーズ ト短調 BWV.Anh.125*
行進曲 ト長調 BWV.Anh.124*
メヌエット ハ短調 BWV.Anh.121*
ゴールドベルグ変奏曲 BWV 988〜アリア*
コラール 「おのが平安に帰り」BWV510*
コラール「ただ神の御心のままに」BWV691
コラール「われをとり計らいたまえ、神よ」BWV514*
コラール「汝エホバがために我は歌わん」BWV299
ロンド 変ロ長調 BWV.Anh.183*
行進曲 変ホ長調 BWV.Anh.127
メヌエット 変ロ長調 BWV.Anh.118*
メヌエット ヘ長調 BWV.Anh.113*
ポロネーズ ト短調 BWV.Anh.119*
ジョヴァンニーニのアリア「汝が心われにあたえずや」BWV518
メヌエット ト長調 BWV anh.116
以上が、この盤の収録であって
2つのメヌエット ト長調BWV Anh.114&&115(有名な”ラヴァーズ・コンチェルト”)
アリア「パイプにおいしいタバコを詰めて」BWV515
が抜けております。「*」はカペラ・フィディチニア・ライプツィヒ盤には含まれません。収録作品、演奏順、楽器編成なんかはどうなっているんでしょうか。音質問題のせいか、とくにワルター・トーン(じつは読み方エエ加減で、WATER THOENE)のチェンバロがあまりぱっとしない印象がありました。
2005年8月某日
さて、引き籠もり状態の(実質)一週間終了。もう外目には歩行はまったく正常(走ることやストレッチ不可)で、日常生活可能に・・・って、あと三日くらい早く回復して下さいませんか?スケジュール手帳を開くことはもちろん、ケータイの電源さえ入れない数日間〜本日、怒濤のお仕事回復作業こなして(席は残っているだろうか?)、たしか明日早朝から松山行きだったか。湿度高いが、気温は下がり気味でここ数日夜はエアコン使ってません。昨夜は甥を(件のワンパターン焼鳥屋で)歓待。
休みで時間がたっぷりあるから、だけでは音楽は聴けないんだなぁ。聴き手の集中力が途切れているから。昨夜もテレビで映画をぼんやり見つつ早々に就寝・・・今朝は、Bach 平均律クラヴィア曲集第1巻をお時間迄〜ヴァルヒャ(cem)(1960/61年)を久々に。記憶ではもの凄く立派で大柄、金属的に良く響くチェンバロ(いまや骨董的価値の”現代”チェンバロ)に閉口したはずだけれど、音楽の偉大さ、説得力に快い感銘がありました。違和感ではなく、真摯な態度に打たれるばかり〜彼の弾くオルガン作品にも、息詰まるような厳格さを感じたが、あとは聴き手の集中力が問われるということです。
このCDは1999年、岡山に越してきて「嗚呼、もう激安CDは入手できないなぁ、こんな地方都市では」と嘆きつつ、5枚組4,000円(+消費税)でバカ高く購入したもの。(懐かしい)同じ店で現在なら1,000円値下がっているが・・・でも、一月このくらいの出費でていねいに音楽を楽しめば充分に安いものです。
では、行ってきます。
●
いやぁ、お仕事溜まってましたねぇ、切羽詰まった懸案事項があるワケじゃなし、さっさと消化しましたよ、机の上伏魔殿状態だけれど。挙げ句、コーヒーひっくり返すし。松山出張はもう一日先でした。明日は地元取引先と2発昼からうち合わせ。午前中は掃除整理整頓準備だな。9月初旬に宮崎出張決定・・・はいいけど、岡山-宮崎ってもの凄く不便で、いろいろ調べたが博多か大阪どちらかに前泊するしかない・・・(寝台特急で行く、という手はないでもないが)。足の痛みはほとんど引いていてるが、なんせ寝たきり中年一週間だからリハビリ必要で、まともに歩けず、しかも筋肉痛有。(両足とも。左足は弱い右足をかばって酷使するからか)帰りは女房にSOS。
ヴァルヒャ(cem)聴いてます。ゴールドベルク変奏曲は大のお気に入りでして、この録音(1961年)を中学生時代から聴いておりました。豊かに鳴り渡る現代チェンバロはまったく雄弁でして、Bach の多彩なる旋律が諄々と胸に染みるばかり。聴き馴染んだピアノとも、もっと素朴な古楽器系とも異なる、不思議な剛毅さを感じさせて、細部まで記憶鮮明な旋律が続きます。嗚呼、楽しい!
2005年8月某日
昨日本日は通常の週末休みなので、夏休みは既に終了しております。右踵はほとんど歩行には支障ないくらいに回復・・・って、結局一週間掛かって自然治癒(膏薬は貼っていたけれど)、外出せず座ったり横になって過ごした・・・ということです。明日より怒濤のお仕事後半戦に突入・・・一般社会に復帰できるだろうか?昨夜、京都の(今時珍しい)苦学生である甥来訪。明日、広島山中在息子のゴミ部屋に(バルサン持参で)派遣する予定。高校野球は北海道・苫小牧連覇!正直、真剣に応援していなかったので「いつのまに?」といった感慨有。この夏も幼児虐待、パチンコに夢中で車中で死亡事故相次ぐ・・・ワタシがもっとも嫌う行為、絶えることありませんね。ああ、カラダの不自由なこどもに画鋲を飲ませるといった、背筋が凍るような事件もありました。
お休み中最大の発見成果は岡本綺堂「半七捕物帖」か。(書籍大量処分と併せ)音楽には集中できなかったな。当然、サイト用原稿執筆もほとんど進まず、趣味のジャンクPCいじりになんの進展もなし。(当然)スポーツ・クラブにも、オーボエの宮本文昭さんのコンサートにも行けなかった。なんか”美味いもんでも喰おう”といった意欲さえ・・・(いつも出張先で実戦しているが)。選挙が始まるようだけれど、ワタシの主張は「自民党退潮状況の確定と、少数野党の存在主張の保証」ということなので、ある意味先が見えて興味が薄い。(投票するが。紋切り型マスコミ・ワンパターン報道にも嫌気。刺客がどうの、というのは主眼じゃないでしょうに)”まともに歩けない”というストレスは相当のものです。
今朝、(BBSでは話題の)タバコフ/ソフィア・フィルでMahler 交響曲第1番ニ長調(1989年)を。胸が震えるような、とか、強烈集中力オーケストラの技量とは縁遠いかも知れないが、青春への憧憬のような旋律を愛する人だったら、きっと楽しいひとときが過ごせる〜そんな素朴な味わい演奏でしょう。ミスとか弱点のみを論(あげつら)う”(自称)音楽愛好家”ではありたくない。Mozart ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488〜クリーン(p)/マーク/ウィーン・フォルクスオーパ管弦楽団(1968年)のいきいきとした楽しさは、昨日聴いた第17番ト長調K.453よりストレートでした。おそらくはマークのバックが(オーケストラは少々粗いものの)躍動した明るさがあって、その印象だと思います。第2楽章は辣腕刑事であった鍬本さんによると「これは人間の作った曲じゃない」とのこと。言い得て妙、とはこのことか。精緻を極めたクリーンの表現に驚くばかり。
そういえば、ザイフェルトのMozart ホルン協奏曲集(1968年)の件、(つもながら)ワタシはエエ加減(かつ失礼)なことを書いているが、昨日、ムターとの関連で再確認したら、細部まで入念な配慮が行き渡った驚くべき感動的な演奏・・・って、どうして聴くたび印象が変わるのか。評価は安易にしちゃいけない、というか、一発聴いて真価を発見できるほどワタシは天才ではない、という自明の理か。
2005年8月某日
どこにも出掛けられず、煮詰まりきった”完全休養”だけれど、熱心に音楽を聴く意欲も起きず、「半七捕物帖(三)(四)」熟読中〜メモしておきたい粋な表現あちこちで、時代劇ってホンマかっこエエ!テレビをぼんやり見る機会も多いが、先月読んだ、筑紫哲也「ジャーナリスト」に書いていた通り、どの番組を掛けてもまったく同じニュース、特集、ゲスト、切り口ばかり(筑紫さんの番組だって・・・)で無個性ぶりに呆れますね。「右へ倣え」社会の面目躍如、または拡大再生産か。
昨夜、無条件に痺れた音楽はMozart !ピアノ協奏曲第17番ト長調K.453〜クリーン(p)/スクロヴァチェフスキ/ミネソタ管弦楽団(1978年)・・・無垢でな自然体、虚飾のなさと極上の洗練が共存していて、床しい悦び溢れ出て、こんな幸せがあるだろうか?また、バックが驚異的ニュアンスを込めてていねいなる仕上げ・・・一昨日聴いたドラティ時代のミネアポリス交響楽団と同一団体とは俄に信じがたい・・・
鯔背な「半七捕物帖」に似合う音楽は〜Bach のカンタータに相違ない。ほんまは、作品ごとの成り立ち、節季の意味合い、宗教的行事と聖書との関わり合い・・・そんなことをじっくり調査、意味合いを噛みしめながら味わうべきなんだろうが、(もとより不信心なる俗人故)純粋に旋律の絡み合いやら、歌い手の声質を楽しんでおります。各作品ごとに旋律も多彩ですしね。BWV147は有名なる「主よ、人の望みの喜びよ」、BWV181「軽佻浮薄なる精神の者ども」、BWV66「喜べ、汝らの心」、BWV34「おお永遠の火、おお愛の源よ」、BWV31「天は笑い、地は歓呼す」、BWV19「かくて戦おこれり」〜いずれもぺーター・ヤン・リューシンク/オランダ・バッハ・コレギウム(2000年)にて。
廉価盤の雄「BRILLIANT」がBach のCD全集発行を目指して、既存音源のライセンスを目指したが契約挫折し、急遽リューシンクほかオランダ勢で1999/2000年一気自主録音したもの。ワタシはぼちぼち全部買いました(やや割高で)が、売れたんでしょうか。全部揃えた翌年だったか、スリムパックでボックス再発されたのには閉口しました。閑話休題(それはさておき)・・・個別、演奏の仕上げにバラつきはあるようだけれど、粗野で素朴、ほとんどなんの工夫もないような木訥としたもの。雄弁表現と縁はないが、本日2枚聴取中、ワタシは感謝の気持ちと感動に包まれました。
●
右足の筋が伸ばせないだけで、ほぼ痛みは消えました。嗚呼、情けない。休みはもう終わり。一心不乱に「半七捕物帖」読んでます。語り口調のテンポの良さは「フーテンの寅さん」を彷彿とさせますね。あれが江戸弁下町の名残だったのかな。露西亜辺りの音楽はそう趣味というわけじゃないが、Balakirev 交響曲第2番ニ短調〜ゴロフチン/ロシア国立交響楽団(1993年)を。ロジェストヴェンスキーでちょっとは聴いていた作品だけど、@250じゃなかったら、わざわざ買うようなCDじゃありませんね。コレ、(元)スヴェトラーノフのオーケストラですか?
「哀愁の旋律」とワタシは(前回)書いているが、なるほど知名度ほどにツマらない作品ではない。でもさ、前所有者が愛想尽かして処分した理由(ワケ)がわかるような気が・・・演奏が、いえ、リズムがもっさりしてノリが悪いんです。アンサンブルもガタガタ。馬力はありそうだけど。これもなにかのご縁、ロジェストヴェンスキー盤と比較してみましょうね。
Mozart ヴァイオリン協奏曲第3/5番〜ムター/カラヤン/ベルリン・フィル(1978年)を。これムター15歳デビュー録音でした。ザイフェルトとのホルン協奏曲の時には、縦横無尽に激甘カラヤン節でバックの響きを席巻していたけれど、若きソロへの配慮なのか、清潔のびのびとしたヴァイオリンを包み込むようなオーケストラとなっております。それにしても15歳ねぇ・・・技術的にも表現的にも未熟なところは存在しなくて、端正なる表現が美しい。(但し、彼女の録音はその後ほとんど聴いていません)
2005年8月某日
歩行不如意状態継続で一週間へ。情けない。痛い。身動きままならぬ状態利用して、岡本綺堂(おお!一発変換だ。昔、登録したっけ?)「半七捕物帖(二)」(これも一発変換。光文社時代小説文庫)〜先日、書籍処分したら棚奥から全6巻出てきたもの。たしか20年ほど前に揃いで購入した記憶有。この楽しさが半端ではない。明治になって隠居になった岡っ引きの半七が、幕末の思い出やら聞き知ったものを若い者に語る、といった設定です。(大正時代から〜昭和初期に執筆されたもの)現代仮名遣いにしてわかりやすく、そのリズム感のある名文に酔います。美しい日本語がたくさん残っている。現在では廃れてしまった生活習慣やら行事、用語が出てきて、真面目に調べたら凄い成果でしょうね。ワタシも正直、全然わからない。(例えば、毎月決まった日にウナギを川に放す・・・なんかの功徳や供養らしい)
音楽はほとんど聴いておりません。ちょっとだけ・・・Tchaikovsky 交響曲第5番ホ短調〜ドラティ/ロンドン交響楽団(1961年)は、全集がこなれた価格で再発され、評価もされているらしい中の一枚(先日BOOK・OFF@250で入手。434 305-2)。音質もオーケストラの調子も悪くないが、妙に乾いて入れ込みの少ない演奏に聞こえます。第2楽章白眉のホルン・ソロは立派なものだけれど、それ以外は”粛々とお仕事こなしました”的素っ気なさが気になります。こんな作品だっけ?どこにも外出できなくって煮詰まっている自分の問題ですか?
「スラヴ行進曲」「エフゲニー・オネーギンのワルツ」「ポロネーズ」〜こちらはミネアポリス交響楽団(1958年)だけれど、素っ気なさは募るばかり。以前聴いた「卒業舞踏会」「パリの喜び」でも同じような印象だったな・・・。念のため、交響曲第5番後半/第6番をムラヴィンスキー/レニングラード・フィルハーモニー(1960年ウィーン・ムジークフェライン・ザールで録音)を久々(10年スパンくらい?)を確認。
ああ、やはり自分の体調だった・・・もっと壮絶な鬼気迫る演奏だったよね、なんてぼんやり聴いていたら、やがてその入魂の集中力と、並の詠嘆ではない重厚なる節回し・推進力にぐいぐい引き込まれました。
●
午前中、床屋へ。ご近所だし、クルマはゆっくり運転だけれど、相手次第の急ブレーキは怖いですな。右足にチカラが入らない。QUADROMANIA(membran)「THE ENGLISH MASTERS」4枚組はなかなか興味深いものです。Britten/Walton のヴァイオリン協奏曲(アジザン(a)1996/7年)は何度聴いてもツマらないが、Elgar「エニグマ」(メニューイン1995年)/Holst「惑星」(ハンドリー1993年)〜いずれもロイヤル・フィル〜もなかなか立派な演奏だけれど、気になるのはVaunghan Williams管弦楽作品の一枚。クリストファー・シーマン/ロイヤル・フィル(1994年)。
「すずめ蜂」(アリストファネス喜劇のための組曲)〜序曲、第1間奏曲、台所用品の行進曲/グリーンスリーヴスによる幻想曲/トマス・タリスの主題による幻想曲/「舞い上がるひばり」・・・全体として陰影も色彩も足りない、気が抜けたような、精気なく小さくまとまっているような印象で、面白くない演奏に間違いない、けど、妙に気になる。+古いキャロルの旋律による前奏曲(珍しい作品だ)〜ボストック/ミュンヘン交響楽団(1998年)を含みます。(これはオーケストラが弱い)もう少し、聴き込んでみましょう。
2005年8月某日
歩行がままならぬというは、ほんまに不自由なものです。ここ最近の悪いパターンだけれど、「休みに調子が悪くなる」〜休みは体調万全でいろいろ無理できる遊べる、というのが理想なのに。今回も先週末、広島から帰ってから調子悪くなって、週始めの松山出張は「自宅クルマ送り迎え付き」で乗り切ってようやくお休み・・・という最悪パターン。昨日、女房のお休みラストだったので、昼食は「草家(ちょが)」(韓国家庭料理)へ。なんども前を通っていてようやくの訪問だけれど、日替わり定食(メインは鯖と大根の唐辛子煮付け)は素朴な味付けが新鮮で、野菜が多くヘルシーでしたね。夜だったら少々メニューの多彩さという点で不足か。いちど行ってみないと。(夜は女房お気に入り、いつもの焼鳥屋へ)
松本清張「古代探求」〜さすが分厚く、内容も濃くて、考えさせられ、噛みしめ、なかなか終了しません。集中力も体力も(知力も!)減っているな。ここ最近凝っているMahler 交響曲第10番 嬰ヘ長調(フィーラー版1966年第4稿1997年改訂版)〜オルソン/ポーランド国立放送交響楽団(2000年)を確認。版の詳細はわからないが、全体バランスが良いし、オルソンはこの作品を深く理解している(慣れている)ことが伝わる演奏でしょう。アンサンブルも立派なもの。ワタシはこの作品(甘く妖しい旋律)は大好きです。(但し、直後にモリス/ニュー・フィルハーモニア管で「煉獄」を聴いたら、細部入魂だなぁ。オルソン盤が少々おとなしく思えるくらい)
某ブログでルプー(p)のSchumannのピアノ協奏曲が話題になっていて、棚を探してみたらGriegしかありませんでした。で、リヒテル(p)/マタチッチ/モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団(1974年)で代替。これは驚異の強靱なる技巧壮絶です。しかも、ピアノの音色響きが空虚ではなく、コクと深みを湛えて表層に流れない。マタチッチの伴奏とは珍しい(器用な人じゃないから)が、リヒテルとの相性もばっちりですな。やたらと雄大で、激しくて、味が濃い・・・でも、録音はぱっとしないなぁ、@250の国内盤(EMI HCD-1159)中古だからか。
これも他のBBSで見掛けて、Dvora'k 「糸杉」B152〜シュターミツ弦楽四重奏団(1993年)を拝聴。2分〜4分の短く、可憐な旋律が12曲連なるんですね。全集はまだ、ちゃんと消化できておりません。(反省)Bruckner 交響曲第9番ニ短調〜若杉弘/ザールブリュッケン放送交響楽団(1994年)・・・ワタシの心身共の不調故か、全然楽しめない、神々しい旋律が胸に迫りませんでした。
●
どこにも出掛け(られ)ず回復を待っております。(明日、回復予定・・・のつもり)カラダ、ナマっております。松本清張「古代探求」読了〜スサノオノミコトの性格の変貌(矛盾)は有名だけれど、その姉である(女性であるという確証はない)アマテラスオオミカミの逸話だって矛盾だらけ、だいたい最高神がお隠れになって、それをまた呼び出すためにアメノウズメ(日本ストリップ界の元祖)が”神懸かりになって踊る”っておかしいでしょ。どこの神なんだよ!(この逸話自体が挿話なんですね)その他、アジア全体の文化との詳細比較、とくに古代朝鮮との密接な関係に驚くばかり・・・
Schubert 交響曲第9番ハ長調〜マーク/フィルハーモニア・フンガリカ(1969年)・・・非常に遅いテンポでじっくり語るような序奏から、テンポ・アップせずタメを作って主部に突入する第1楽章。颯爽として、とても立派な演奏でしたね。音質も、オーケストラのアンサンブルも悪くない・・・この件で、あるひとつ発見がありました。
2005年8月某日
薄紙を剥がすように、右足の痛みは回復しているようでもあるが、傍目には通常の歩行ではないこと、はっきりしております。松本清張「古代探求」(文芸春秋)1974年に出版され既に30年経過のものであり、おそらくは20年ほど前古本屋で購(あがな)った書籍(珍しく文庫新書ではない)だけれど、その精緻なる分析・アイディアは、太古歴史的録音の価値に似て興奮します。まだ、少ししか読み進んでいないが、数回通読済みのハズなのに、その後の自らの知識積み重ねの賜(たまもの)か、目からウロコ!状態連続。「邪馬台国」〜現在「古事記」関連へ進行中。稗田阿礼は「語り部」(抑揚を以て歌う〜「平家物語」を想起せよ)の職業集団の総称か。佳く書かれた著作は、ほんまに永く楽しめちゃう。
Mahler 交響曲第1番ニ長調〜ミトロプーロス(1898〜1960)/ニューヨーク・フィル(1960年ライヴ)・・・彼の没年であり、既にこのオーケストラはバーンスタインの時代になっておりました。ライヴながら(当然)ミネアポリス交響楽団(1940年)より音質良好で、アンサンブルの精緻な集中力は(ファンには申し訳ないが)後年のバーンスタインの比ではない。(もちろんその代わり、希有なる情熱と推進力爆発が大人気であった)暖かく、骨太なオーケストラの響きが生かされ、知的で飽きさせない。やや食傷気味であったこの作品は、まったく新鮮に響きましたね。続いて収録される交響曲第10番「アダージョ」(同年同オーケストラ)は、入念入魂の味付けで、これほど美しい演奏は希有な体験でした。
2005年8月某日
足、治りません。こうして俄に足が不自由になってみると感慨深いですね。お仕事的にはさほどに支障はない、ま、歩けないわけじゃなし。これからご当地のお客と商談、早々に帰宅して病院行き〜その後、盆休み・・・どこもいけないなぁ。昨夜、寝苦しく読書三昧。邦光史郎「幻の騎馬王朝」(徳間文庫)読了へ。ふだん小説はほとんど読まないんだけどね、江上さんの「騎馬民族」説とか、殺人事件が起こる”語り部”の所在地にほとんど土地勘があったりで、楽しく読めました。ま、古代史の基礎知識が必要だから、2時間ドラマには不向きか。
もともと1976年出版の作品らしいが、男女の営み描写に少々時代を感じさせます。そういえば、先日〜Chabrier(1841〜1894) 「スペイン」が、なぜWaldteufelワルツ「スペイン」にそのまま流用されているのか〜と書いたら、ちゃんとBBS上で「フランスのワルツ王ワルトトイフェルの『エスパナ』は、当時パリで人気だったシャブリエの曲を借りてワルツ仕立てにした曲ですね。同じワルトトイフェルの『女学生』も当時パリで流行っていたシャンソン作曲家のメロディを借用して編曲したものだそうです」との情報有。感謝。
そういえば、昨日「アクセス夏枯れ」の件を書いたせいか、昨日は通常件数に戻っておりました。分析はエエ加減だったか。
●
商談は最近、空振りが多いなぁ。準備不足、見通しの甘さ・・・というか、大きな視点のところでズレてきているのか。不完全燃焼が多いような気がする・・・ぶつくさ言いながら、松山でおいしいお寿司をいただいて自宅まで直帰(というか、足が不自由だから)夏休みです。S.A.は家族連れ、小さいこどもで一杯でした。病院にそのまま行って診察。
レントゲンの結果、踵(かかと)の骨が出っ張っていて(やはり先天的?)アキレス腱の付け根が炎症を起こしている、とのこと。「こんな症状初めてですか?」〜つまり、いつこんな症状出てもおかしくはない、ということか。たしか、昔左足に似たような症状が出たときにも、同じようなことを言われた記憶有。でも、もう既にかなり快復しております。スポーツクラブには行けそうもないが。
夕食後、年末/盆恒例の書籍大量処分(全部文庫、新書)スッキリ。ここ最近CDは処分してませんね。出張移動中車中で聴いた、今井美樹「Piece Of My Wish」に泣けるとは、ちと恥ずかしいな。女声は大好きで、美声がよろしい。最近流行の人でも婆さんみたいにしゃがれていて、声量のない歌手に出会うこともあるけど、滑らかな声質じゃないと、ね。Mussorgsky/Ravel 「展覧会の絵」〜デュトワ/モントリオール交響楽団(1985年)・・・これは中庸の美を誇って、叫ばず、リキまず、細部入念に仕上げが上質で、素直で、予想通りでしたね。正直、あまりに予定調和的であってオモろくないわ!
フランス音楽だったらコレ!ということで、Faure' 弦楽四重奏曲ホ短調 作品121〜アマティ弦楽四重奏団(1990年)・・・遣る瀬なく、儚(はかな)げであって、ちょっと胸の奥に鈍い痛みが走るような、哀しく、甘い音楽。続くエレジー 作品24〜ヴァレンバーグ(vc)/クロムバッハ(p)(1999年)だって、わずか6分弱の小さな悲劇が、涙を呼ぶかも知れません。
●
昨夜、ホテルで見たNHK番組「東洋の魔女」〜女子バレーのピークであった東京オリンピックのメンバーだけれど、壮絶なる練習鍛錬打ち込みぶり、圧倒的強さ、はともかく。もう40年前でしょ、当のメンバー達の現在も美しいこと!輝いていること!年齢じゃないな、人生の年輪刻んで、到達し熟成され、内部から滲み出す魅力か。なんという表情の豊かさ、充実した精神の表出。
2005年8月某日
お盆真っ最中で病院は休みだけれど、右足踵の激痛回復せず、本日は(明日まで)このまま(クルマにて)松山出張です。明日は早めに戻って診察治療を受けないと。参りました。身動き取れず。昨日はそれでも「味の時計台」ラーメン岡山に2件目オープン、ということで女房と行ってきましたよ。札幌では特別とは思わないが、麺質がこの辺り一帯とはまったく異なるぷりぷりの縮れ麺。たいしたもんです。女房がネットで新しいスポーツクラブ(相対的近所)検索して、試しに場所確認〜女房はマシンをこなしてきました。(当然、ワタシは無理)いつも行く、コナミスポーツ・クラブ(エグザス)の法人利用より都度利用料金安く、しかもこちらは駐車料金が掛からない。(金さえ払えば)大型浴場もあるし。
回復したらこちらに行きましょう。昨日はどんな音楽を聴いたっけ?Mozart 「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」K.525/「劇場支配人」序曲/「コジ・ファン・トゥッテ」序曲/「フィガロの結婚」序曲/「魔笛」序曲/「フリーメイスンの葬送行進曲」K.477〜ワルター/コロムビア交響楽団(1961年録音)・・・LP時代もっとも楽しんだ演奏でして、先日の交響曲ともども感傷的になりますね。ゆったりぽってり、余裕の豪華な響き。細かい味付け・・・たしかにこの感動でした。録音だって悪くはない。しかし、オーケストラの質がちょっと気になりますね。これは贅沢病だ。
RVW「海の交響曲」(第1番)〜アンドルー・デイヴィス/BBC交響楽団/合唱団/ルークラフト(s)/ハンプトン(br)(1995年)・・・これは文句なし。Mahler 交響曲第8番をうんと大衆的にしたみたいで、作品的にはこちらのほうが馴染みやすい74分。「彼固有の個性が未だし」とか「初演評価賛否両論」とかの記事が(ネット)検索されるが、蘊蓄一切抜きで前向き、明るい声楽が全編支配して爽快な気分。Schubert ピアノ五重奏曲イ長調「鱒」〜エッシェンバッハ(p)ケッケルト弦楽四重奏団のメンバー(1964年頃?)を。
次に収録される「死と乙女」〜アマデウス弦楽四重奏団(1959年頃?)と併せて、あまり真剣に集中して聴くべき習慣を持っていなくて、久々、ゆったりと美しい旋律を堪能した、ということです。自分にとって「多種多様なる録音を揃えて、時に応じて聴き比べ」的作品ではない。一枚手許にあれば・・・ということでしょうか。
●
このサイトは望外なるカウントをいただいているとの自覚があるので、逆にカウンターを気にしたことはありません。(だから”ギリ番ゲット!”みたいな趣味も一切なし)自分で自分のサイトにアクセスすることもない。でも、今年くらいから「アクセス解析」は付けていて、だいたい週末土日にピークを迎える(450hits/日くらいか)ことはわかりました。ところがお盆突入と同時に「夏枯れ」とは良く言ったもので、いつもの週末より100も減るんですね。
みんなどこかに出掛けたり(田舎に帰ったり)、サラリーマンは休みで職場でのアクセスままならず(昼休み時間多いですもん)、主婦は忙しいのか、休んでいるのか・・・(朝、8時台のアクセスも多い)。時間毎のピークがなくなって、どの時間もなべて同じような山になっておりました。「本で聴く音楽」ムリムリほぼ一年ぶり更新。音楽関係の書籍には失望させられることが多いんです。
今朝、Debussy「イベリア」「海」「牧神」〜ミュンシュ/フランス国立放送管弦楽団(1966年)・・・LP時代以来の邂逅だけれど、エエですね。この人は”ほんわか系”じゃない。きっちり細部までテンション上げて昂揚しつつ、味わいを失わない。録音状態も予想外にマシでした。(本日。松山のホテルで更新できるだろうか?)
●
お盆中だけれど、チームで松山出張。定例ミーティングもないし、資料は先週金曜日に仕上げているし、で、「11時に迎えに来い!」と大名出張です。高松に一件寄って、名物讃岐うどんをいただいて、世間は休みだから早めに道後温泉でも行こうぜ、と直接クルマで向かったが、長蛇の列であきらめました。世間は休みですから。
車中ではYMOのライヴ(「公的抑圧」)に泣けました。キダタローの「アホの坂田」なんていうい渋いCDも持ち込み有。ワタシは古内東子で勝負したが、評判よろしくない・・・というか、誰も知らんのです、今時の40歳は。情けない。右足首、まだまだです。明日、商談後〜残念ながら病院だな。
2005年8月某日
じつは数日前から右足踵(かかと)悪化しており、歩行もままなりません。定期的な症状でして、前回は一年半ほど前、左足でした。数日で回復するんですけどね。かなり以前に初症状が出たときに詳細検査しているが、どうも足(を構成する小さな骨)の先天的な異常らしい。なんかの拍子で症状(骨と骨の間の炎症?)が出てしまう。今朝、かなり回復してます。せっかくの休みだけれど、外出できず。
昨夜、NHK教育テレビ「零戦ニ欠陥アリ」〜ひとりの優秀なる航空機技術者のメモをもとに、当時の海軍の無能無謀ぶり(これは、あちこち何度も語られている)を浮き彫りにします。失敗不備を反省・改善せず、”精神力”で乗り切ろうとする。いくら技術力が優秀であっても、基本戦略やグランド・デザインの方向が正確に示されないと、それは生かされることはない。零戦は軽量化で小回り旋回スピード化に成功したが、強度が不足し、またパイロットへの防弾は皆無、燃料タンクの防御や消化設備も存在しなかった。
やがて改良型グラマン・ヘルキャットに急降下速度で遙かに後れをとり(かんたんに逃げられる)、しかも防弾、燃料タンク対策は充分であった(生き残り日本パイロットは「弾が当たっても火が出なかった」)こと。然るべき海軍の会議では「もっと軽量化して、少々の不備は大和魂で乗り切ろう」との源田実中佐(この人、ワタシこども時代参議院議員だったですよ、自民党の!)の発言で「パイロットを守る」発想は一掃されたとのこと。
戦闘機を操縦しているのはパイロット=人間でしょ。熟練した操縦者を育てるのはたいへんな労力なのに、軍幹部は”使い捨て”思想なんですね。行き着く先は”特攻隊”じゃないですか。自衛も結構、きっちりとした国民論議合意があれば軍隊もよろしいかもしれない(自衛隊は実質軍隊ですよ)。そのまえにこの悪しき”日本文化”(精神訓話一本槍=やればできる!)を一掃できますか。
●
昨日は大掃除(の一部お手伝い)+ほとんど居眠りして過ごしました。音楽を聴いたのは少々・・・Nielsen 交響曲第2番「4つの気質」〜モートン・グールド/シカゴ交響楽団(1966年)・・・オーケストラの充実ぶり、鳴りっぷりに驚愕の連続。Sibelius と同年生まれ、北欧面出身(デンマーク)ということだけれど、そうとうに音楽的には違っていて、”荒涼とした幻想曲”風ではない、もっとアツい音楽でしょうか。(ついでに、と言ってはなんだけど、エイドリアン・リーパー/アイルランド・ナショナル交響楽団1994年も確認。オーケストラの弱さは覆うべくもないが、作品的には充分楽しめました)
引き続きクラリネット協奏曲(ベニー・グッドマン1966年)が収録されるが、この作品そうとうに難解でした。ソロの(スムースな)技量には文句なし。
2005年8月某日
ぼんやりテレビを見ているウチに、日付が変わってしまいました。広島からは早々に帰還〜お取引先の幹部と、上司の引き合わせ+飲み会だけれど、正直、ヒジョーにハラ立たしいアホが約一人有。もう一人(こちらの方がエラい)はここ数年の親しいお付き合いながら、エラそうなやつはどこにでもいるんだね。(ワシもそうだけれど)暑かったですよ、きょうも。広島あちこち訪問途中で寄ったBOOK・OFFで久々出物6枚有・・・倦まず弛まず粘り強く探せば(廉価盤)道は拓ける!
●
ここ数ヶ月すっかり”ミー・ハー化”していて、BBSなどで話題になったCDは通販で即注文!状態続いております。RVW(レイフ・ヴォーン・ウィリアムス=先月くらいから盛んに聴いている感じ)交響曲は、アンドルー・デイヴィス/BBC交響楽団(WarnerClassics 2564 61730-2 6枚組1,990円)で全集到着済み。先日東京出張時、第4番ヘ短調/第5番ニ長調(1993年)は既に聴いていたけれど、正直集中できておりません。第4番の厳しさ、第5番の優しさ、BBC響ってやはり”洗練されないサウンドか”・・・程度の集中力でした。(ちゃんと聴きますよ、全部)
昨日の朝、Bach ブランデンブルク協奏曲集第1/2/3/4/6番〜ヴィンシャーマン/ドイツ・バッハ・ゾリスデン(録音年不明。DDD表示だけれど、1970年代中盤に出ていたLPと同音源か?)は、購入既に10年ほどの5枚組(LASERLIGHT 15 932/14 131)となります。センスとしてはモダーンでスマート、小編成ながら表現は流麗かつ清潔、バロック音楽に不可欠な躍動感存分に感じさせ、しかも軽快。音質良好です。
出張移動中(新幹線中の騒音を配慮して選曲しなくちゃ。しかもお盆帰省真っ最中で全然座れない)に聴いたのは、Waldteufel(1837〜1915)ワルツ/ポルカ集(ボスコフスキー/モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団。1976年)〜たしか”フランスのヨハン・シュトラウス”と呼ばれた人でしたか?(違ったか)この人、フランス人だけれど、ドイツ系ユダヤ人なんですね。出生地のストラスブールは、なんども「ドイツ領〜フランス領」を行ったり来たりしていたところでした。ミュンシュがここの出身だったはず。(ドイツ読みでは”シュトラスブルグ”)
このCDはこども時代からずっと欲しかったものでして、Chabrier(1841〜1894) 「スペイン」が、なぜWaldteufelワルツ「スペイン」にそのまま流用されているのか(逆か?)調べてもわからないが、FMでその存在を知って以来「いつかは!」と探していたもの。「スケートをする人」「女学生」など、誰でも知っている洒脱な世界が続きます。演奏だって、(ボスコフスキーさんには悪いが)ウィンナ・ワルツよりこちらのほうがうんと楽しい!・・・
さて、広島大手町BOOK・OFF掘り出し物を列挙して自慢する趣味はないが、一枚のみ。Bruckner 交響曲第8番ハ短調(第2/3/4楽章のみ)〜カラヤン/プロイセン国立歌劇場管弦楽団(ベルリン 1944年録音。KOCH 3-1448-2 H1 @250)。じつは既に第4楽章のみはHDN C 0017(7枚組)に収録され、聴いておりました。以前から気にはなっていたけれど、じつはこれステレオ録音なんです。(第4楽章のみ)ベルリンに侵攻したソヴィエット軍に持ち去られた音源のひとつらしいが、驚異的な高品質録音。(日本語解説にて言及されるが)戦後、EMI(レッグのチーム)とウィーン・フィルとの録音を開始したカラヤンは、その録音機器の貧弱さに驚いたらしい(事実、あまりぱっとしないですよね。現在聴いても)・・・そのくらい、当時のドイツの録音技術は進んでいた、ということです。
第1楽章欠落は残念だけれど、いずれの楽章もゆったりとして、入念かつ瞑想的な表現でありながら、リキみもアクもない。オーケストラは非常に優秀なアンサンブルで、洗練されております。録音年代を考えると、巨匠世代の異形なるスケール感とは無縁の”若々しく個性的”な演奏でしょう。1957年ベルリン・フィルとの録音も聴いてみたいものです。
2005年8月某日
昨日は27歳の新人君を連れて終日あちこち。神戸出身で某有名大企業の現場(熊本)から転身してきたとのことだけれど、営業向け、ノリよく明るい性格、ノーミソの回転も良好〜楽しみな人材ですな。上司の了承も得て、職場親しいメンバー数人で”ミニ歓迎会”を開催してあげました。いろいろだなぁ、個性は。音楽聴いてません。ほんまに暑かったな、昨日は。本日、広島へ。夜お付き合いがメイン。気分は既に盆休み・・・って、この先出張入っているけど。
今朝の朝日新聞掲載「榊原 栄さん逝去」とのこと。59歳。昨年(2004年)正月「こうもり」を楽しませていただいた記憶も鮮明ですね。残念無念。
これから定例更新いたします。
2005年8月某日
本日は、赴任してきたやや新人(景気の良いことだ)を連れて、地元いろいろご案内。一ヶ月ほど前から入院している、ヴェテランの欠員を埋めるものです。経験的に「中途採用=即戦力」である建前は崩れてばかりで、昨年ウチのチームにいた「中途採用新人君」も、お隣のチームに移ったが様子が変わらない=現状では使えるとは思えない・・・が、ワタシだって若い頃どーしょーもない暴れん坊で(いまでも?)諸先輩が見捨てずにいまに至っているじゃないの。
ワルター・クリーンのBrahms ピアノ作品集5枚組(VOBOX CD5X 3612)は、昔の雑誌(1986年)を取り出したら「1961年録音」との情報有(裏取れず)。しかも、録音がよくない(実際良くないが、それほど気になるほどではない。広がりは不足するが)、しかも、技術にもスケールにも欠けるから「Handel 変奏曲などには向かない」との酷評でしたね。そうだろうか?数回目のHandel /Schumann変奏曲+ワルツ集 作品39(ベアトリス・クリーンとの2台ピアノ版とは別録音のソロ版)は、リリカルで内省的な味わい充ち、陰影に富んだ美しい演奏だと思います。ましてや「技術に欠ける」なんて!当時は、超絶技巧大音量でばりばり弾き進んでいくような、そんな演奏が評価される風潮にあったのかな?
お休みで時間がとれたら、マーティン・ジョーンズ全集との比較をしたいですね。←当時のコメントを見ると、演奏には不満があったみたいですね。
2005年8月某日
(今朝、更新した分は誤って消してしまいました)朝、起きるのがツラいなぁ。山口まで行って来たけど、いやぁ、もう暑くて暑くて・・・やっぱり夏は休まないと。
今朝聴いた音楽は(しつこく)Mozart 交響曲第41/36番〜ワルター/コロムビア交響楽団(1960年録音)を再度再度確認。「ジュピター」は巨魁なるスケール、終楽章はのフーガ(ホルンの強奏!)に圧倒され、これは希有な感動です。少年時代の無垢な思いも間違いなく蘇える・・・が、「リンツ」を聴いていくとオーケストラの味わいに少しずつ不満が出てきちゃう。いえいえ、技術的にはなんらの問題ないでしょ。でもさ、陰影やら、細部ニュアンスに充ちた自発的なメンバーのワザ〜そんなものが不足しているのか、それとも大味な録音のせいか?(ちなみに「フィガロ」序曲はどんより音質が悪い。1961年録音)
バス通勤〜新幹線行き(帰りは同僚とおしゃべりしていたので音楽なし)で聴いたのは、Schubert 交響曲第8番ロ短調「未完成」〜エーリヒ・クライバー/ベルリン・フィル(1935年)・・・かなり昔の録音だけれど、オーケストラの響きの厚みみたいなものはちゃんとわかりますね。優しく、ほんわかとした世界ではなくて、瑞々しく前向き、明快な勢いを感じることが可能です。これが交響曲第9番ハ長調〜ケルン放送交響楽団(1953年)だと、音質はずっとマシになって、きびきびとしたテンションを感じ取ることはいっそう容易でした。長大な作品(油断するとダレまっせ)は、緊張感が一瞬たりとも途切れない。
Holst 組曲「惑星」〜ペーター・マーク/イタリア放送ミラノ交響楽団(1980年ライヴ)・・・遅いテンポ、噛みしめるように入念なる旋律表現、煽らず、激高せず、クールな演奏です。チカラ任せのオーケストラではないが、思いの外しっかりとしたアンサンブルなのはマークの力量でしょうか。音質良好。
東京出張読書の続き。邱 永漢「食指が動く〜世界の美味食べ歩き」(中公文庫)1984年発売1987年文庫化、いわばバブル時期の著作だけれど、驚くほど旧さを感じさせない。この方は元気なの?とネット検索してみたら、こんな楽しいサイトに出会いました。台湾人であり、日本で成功した方だけれど、通り一遍の”美食もの”ではない”カラダで書いた”説得力がありますね。蘊蓄ではなく、自分で様々失敗し(例えば仏蘭西料理)ながら”食の楽しさ”を悟っていくこと。日本食への讃美、そして先入観でなく、世界の食文化への讃美。例示がじつに適切であって、高級ワインと女性の美しさについての意味合いなど絶妙(年齢を経て、絶妙な美しさ気品に到達する例など希有なことだ。若さには生まれ持っての醜美に関わらない、無条件の美しさがある・・・)。
2005年8月某日
ホテルはちょっとエアコンが利きすぎ。咽は大丈夫かな?体調は悪くありません。これから夕方まで会議。遅く帰宅して、明日は山口で会議対応。
昨日新幹線移動中に読んだ本は、柳沢賢一郎「コンピュータはそんなにエラいのか」(洋泉社新書)〜2000年の発売だから、ブロードバンド一気普及の5年を経て真価を問われる著作となります。ま、浅薄なるノウハウ本だと著作価値は一気になくなるもの。(意外と中高年の”克服記””活用記”は旧くならない)これは不況に喘ぐ経済状況の中で、「ITバブル」を安易に期待する風潮に警鐘を鳴らした(現在読んでも)立派な著作です。ちょっとお灸据えすぎだけれど。
コンピュータが扱うのは情報(知識)であって、大切なのは”知恵”である。ITの普及で、むしろ知恵や意欲が減退している(言い過ぎだよ!)との主張だけれど、ま、一理あるが、それはITの責任ではない(過度の合理化でしょ)ような気もしますね。「eコマース」という言葉自体が死語っぽいが、流通が変わるだけで新たな価値は生まない、消費が増えるわけではない、というのは当然のこと。但し、ネット上で扱う商品特性については予測を外した分野もないではない。(例えば、お取り寄せのおいしい生鮮食品など)
幼児にIT教育は百害あって一理なし、というのは、ゲーム中毒やら裏ネット社会とごっちゃにしている感もあり、有名大学教授が「50歳過ぎてからパソコンを身につけたから、そんなものはあわてて無理矢理学ばせる必要はない」というのは、趣旨が異なると思いますね。ワタシは「コンピュータに馴染むこと」「コンピュータに向いているもの、活用すべきものをしっかり”発想”できる教育」が必要なんだろうと思いますね。
ウィルス問題やら、スパイウェア、(ハラだたしいジャンクメールも!)セキュリティ問題の深刻さと、驚くべき周りのノーテンキぶりに驚くとともに、「ワープロ、表計算が使える」「インターネットが見られる、メールが使える(含むケータイ・メール)」レベルから抜け出せない、コンピュータのチカラを仕事のスキルアップや工夫合理化に活用できている人はごく少数だし、ましてや自分でハードをいじる人は少ない・・・かな?
メーカーお仕着せの、使わない機能満載の、高いマシンを嬉々として購入している〜経済的にはそれが救いか?(ワタシみたいにマシンにほとんどカネを掛けないと、景気回復には寄与しない)「カメラ付きノートパソコン」なんてどこに行ったの?ほんまに「これからはテレビはパソコンで見る時代」ですか?
(この日誌は本日、中古DynaBookSS3000〜周辺機器揃い13,500円マシンで執筆。HD入れ替え、OSも自分で入れました。)
●
帰宅しました。遠いですよ、東京〜岡山は。渋谷の百貨店で購入した帰りの弁当はマズかったなぁ。すごく損したような気がする。帰り読了した、鈴木淳史「わたしの嫌いなクラシック」(洋泉社新書)・・・結論のみ。言及されている内容、視点はおかしいとは思わないが、まったくツマらない。知的広がりも、音楽の楽しみも感じられない。ワタシが「本で聴く音楽」の更新ストップに至った要因は、このような新刊の存在にあるのかも・・・(失礼。自分の不勉強を棚に上げて!)。
Mozart 交響曲第35/36/38/40/41番+「フィガロ」序曲(ああ、第39番が抜けている!1959〜1961年録音)〜ワルター/コロムビア交響楽団は、30数年ぶりの邂逅・・・2枚368円だったら、罰当たり駅売海賊盤でも買っちゃってごめんなさい。当時はLP3枚組4,500円で宝物だったですよ。ずずん!と重い低音、分厚い響き、昨今珍しいぽってりとしたリズム感。立派な演奏に間違いない。
さすがに録音は金属的で、やや不自然な残響だけれど、充分に現役の鮮度でしょう。オーケストラも達者な技術だけれど、続けて聴いていると洗練されないサウンドが(重い表現とあいまって)少々耳障りに感じるようになりました。嗚呼、やっぱり罰当たり!何度でも聴き直しまっせ。
2005年8月某日
さて、新しい一週間の始まり。東京〜山口での会議対応で、途切れ途切れのお盆休み風中途半端休暇有〜お盆真っ最中は(相手のご都合で)松山へ出張〜それからお休みです。昨日は、スポーツクラブ周辺がお祭り通行規制、を言い訳にして行かなかったし、能動的体力・精神力回復を目指しましょう。これから出張準備(持参するCD+書籍選定)。
昨夜、Shostakovich ピアノ協奏曲第1番ハ短調〜キーシン(p)/スピヴァコフ/サンクトペテルブルグ室内管弦楽団(1988年ライヴ)を。ナント17歳の演奏だけれど、これほど鮮烈な演奏に出会ったことはない・・・というか、ワタシの出会いが悪かっただけなのか。めまぐるしく変化するテンポ、纏綿と妖しく歌い、モウレツに突撃突進してテンポを上げていくが、細部迄テクニックのキレが明快で”弾き飛ばし”が皆無!どころか、表現としての練り上げは高校生(の世代)とは俄に信じられない・・・馴染みのTchaikovsky ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調は、ゲルギエフ/サンクトペテルブルグ・アカデミック交響楽団(1987年ライヴ)のバックとなるが、こちらもテクニックのキレ盤石の自信に溢れました。並の16歳の少年の水準ではない。
でも、コチラは歴代そうそうたる名ピアニストの録音を聴いてますから。(出会いはリヒテル(p)ムラヴィンスキー/レニングラード・フィル!)前曲で感じたような、”霊感”を感じ取れなかったのが正直なところ。引き続き、Shostakovich ピアノ協奏曲第2番ヘ長調〜ショスタコヴィッチ(p)/ガウク/モスクワ放送交響楽団(1959年)。達者なピアノであり、作品の楽しさを堪能させて下さる、雰囲気たっぷり演奏に間違いなし。でもさ、キーシンの後に聴くと少々鮮度が足りない(録音のことだけではない〜そう悪いものでもないが)のと、細部の極め方に少々不足を感じないでもない・・・続く、2台のピアノのためのコンチェルティーノ イ短調 作品94も剽軽な作品・・・息子のマキシムと楽しげに演奏しておりました。(1956年)
SHOKOTAKOVICH ピアノ・トリオ第2番ホ短調〜オイストラフ(v)/サードロ(vc)+作曲者のピアノ(1947年)・・・冒頭頼りない音質のヴァイオリン、チェロが、例の如しの辛気くさい旋律か?と先行き不安になるが、不安げな心象を湛えつつ、これは思わぬ美しい作品でしたね。やがて無機質なピアノの旋律からテンポ・アップ、怒りの激情へ!激しいスケルツォへ!って、コレ交響曲と同じパターンですよね。意外と楽しめる20分間、音質ともかく。
●
郵政民営化法案参院否決〜総選挙へ・・・って、東京の人並みはいつもと同じように異様に暑く混雑して、不機嫌無口ですね。ホテル・メッツはええなぁ、三回目か。いつもの五反田とは大違いの美しい部屋、ネット接続環境も完備。上司もお休みだし、懸案の資料も順調にできあがってお客様に送付、昼からの会議はサボってさっさと東京に向かいました。ああ、そのまえにゆっくり、じっくり岡山駅上の中華料理いただきました・・・(喰いすぎ)。座席指定便より早く乗ったので、自由席へ。夏休みだしこどもも多くてけっこう混んでましたね。でも、ゆっくり座れましたよ、音楽聴きつつ時に居眠り、本も読みつつ。
新幹線移動中聴いた音楽・・・Elgar ゲロンティアスの夢(抜粋)〜エルガー/ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団/ロイヤル合唱協会/バルフォアー(s)ウィルソン(t)ヘイナー(br)・・・1927年とは思えぬ聴きやすい音質、初耳の作品で内容筋も未調査だけれど、のびのび優雅な旋律連続で「優しいWagner風」か。自作の録音はいろいろあるみたいだし、ぜひ聴きたいですね。そのうち。
エーリヒ・クライバーでMozart 交響曲第40番ト短調(ロンドン・フィル 1949年)、交響詩「前奏曲」(チェコ・フィル 1936年)、「ティル」(1930年)「ばらの騎士第3幕ワルツ」(1934年)、「こうもり」序曲(1933年)、「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲(1934年 以上ベルリン・フィル)・・・速めのテンポ、引き締まって流麗で、きびきび勢いあるアンサンブル!って、カルロスとそっくり(逆か)ですよね。
1991年に亡くなったワルター・クリーンのBrahms 作品集をとうとう入手〜Handel 変奏曲 作品24/Schumann変奏曲 作品9は奥行きも広がりも不足し、強奏で音も濁る音質だけれど、大柄になりすぎず、テクニックに不足もなく、しみじみ味わい深い・・・これは深夜、煮詰まった時に聴くべきですか。
Mahler 交響曲第9番ニ長調〜バルビローリ/ベルリン・フィル(1964年)・・・これは非常に有名な録音であり、ワタシもここ10年ほど、何度も聴いた演奏でした。改めてヘッドホンで確認すると、個々のパートの鮮度はともかく、奥行きが足りない印象があるのは年代からして仕方がないか。しかし、このオーケストラの艶やかでセクシーな響きは尋常じゃないですね。基本、”構成感”とは無縁の感興の赴くまま、横流れの旋律が泣く・・・といういつものパターンだけれど、オーケストラの深み、重み、艶が加わって、その効果たるや驚くべき成果であり完成度。(でも、電池切れで第2楽章迄。残念!)
2005年8月某日
暑さがカラダに応えます。眠りも浅い・・・でも、ここ数年苦しんだ”不眠症状”(寝付きが悪い、やたらと早く目覚める、なんども途中目覚める、昼寝も出来ない)でもなくて、ただカラダが怠いだけだから大丈夫か。食欲がなくなったことはないし、ことしは酒席が減り、一回当たりの酒量もどんどん減っております。煙草はもとより吸わない。昨日、●「些細なる楽しみ」という駄文を更新したが、じつは時間切れ(眠くて)で、中途半端になりました。(言いたいことがまとまらなかった)
ネット上のお友達というか、音楽談義関係、面識有り無しにかかわらず、時々サイトを拝見したり、逆に声を掛けて下さる方々・・・数人に「鬱病」(=メンタルヘルス問題)が発症しております。体感的に(自分の経験で)”職場30人にひとり”くらい見掛けておりまして、企業でもその対策に本腰を入れております。ウチの職場には「パワー・ハラースメント」(ちなみにセクハラはもちろん)はないんです。それでもこの病気は発症する。
かなり認識は上がってきたみたいだけど、これは病気なんです。だから治療で回復できる。時に”気持ちの持ち方やで”みたいなことを曰(のたま)う人は未だ散見され、「ガンバレ!」と(ネット上で)声を掛けられるのには閉口しますね。良く引かれる例だけれど、足を骨折した人に、頑張って歩け、というような意味だそうですね。まず”骨折”を治さないと。回復を祈ります。またバカ話しを思う存分いたしましょう。一方で膨大なる社会的無駄遣い、政府地方自治体の放漫経営、大企業の粉飾決算、非・社会的行為の隠蔽、人命軽視の”非常識合理化”・・・その一方で社会的弱者(こども、高齢者も)の切り捨てが進んでいる状況を憂慮します。
別件だけれど、数日前とても気になったことを一件。徳島ラーメンは、にごった醤油味が好みを分かつけれど、ワタシは好きなんです。出張先、ちょうどお昼時で「ふく利」で肉(チャーシューでした)卵ラーメンをおいしくいただきました。夏休みだし、おかあさんと小学生くらいの姉弟がワタシの前に座りましたが・・・お姉ちゃんがチョコバットを食べ出しました。ラーメンが出てくる直前ですよ、それを見て母親は何も注意しない。食習慣として正しくない(何故、ラーメン屋に行くのにチョコバットを持っていくのか?)し、なによりせっかくの徳島ラーメンの味がちゃんと楽しめない・・・食は生活の基本ですからね。ちょっと絶望的な気持ちになりました。
今朝からMozart 交響曲第38番ニ長調「プラハ」/第6番ヘ長調/第8番ニ長調〜グラーフ/モーツァルテウム管弦楽団(1988/89年)・・・座右に置くに相応しい、オーソドックスで安定した演奏。但し、「プラハ」についてはシューリヒト/パリ・オペラ座管のLPでの出会いが(おそらく)小学生時代だったため、その刷り込みがありますね。もっと華やか軽快で飄々とした躍動感があっても良いのではないか、と。引き続き交響曲ニ長調K.97/ハ長調K.96/ヘ長調K.75/第12番ト長調/第13番ヘ長調/第14番イ長調/第15番ト長調〜アレッサンドロ・アリゴーニ/イタリア・フィル(トリノ)・・・やや緊張感に欠け、緩いけれど、録音もよくてゆったり、のんびり初期作品を楽しみました。
●
終日外出せず、家でゴロゴロ状態。お茶の間ビデオ既に数年間見ていないので、2/3程処分。空いたスペースにBach のCDボックスものを移転しました。北海道の実家より毛蟹到着し、女房と格闘しつつお昼に完食しました。なんせ捕れたて茹でて即送付だからねぇ・・・文句なし。家では酒は飲まない主義なので、お茶でいただきました。HMVより、またまた連続でCD到着・・・予約したものの発売が遅れたり、で、まとめて到着しちゃうんですね。ま、ネット通販は便利なもんですな。
サイト原稿は遅々として蓄積進まないが、本日最大の成果は(昨夜来の)Handel 「メサイア」〜ソマリー/イギリス室内管弦楽団/アモール・アルティス合唱団/マーガレット・プライス/イヴォンヌ・ミントン/アレクサンダー・ヤング/ジュスティーノ・ディアズ(1970年録音)・・・ヨハネス・ソマリーはもともと合唱指揮者らしいから、オーケストラの表現としては個性不足というか、大人しすぎるかも。でも、声楽主体の素直で、わかりやすい演奏にすっかり感心しましたね。(ネット上で粗筋やら、楽曲解説を参照しながら数回楽しみました)マーガレット・プライスが清楚だなぁ、とくに。合唱団がヒジョーに上手いのではないか・・・
あと、Mozart ピアノ・ソナタ数曲〜クリーン(p)(1964年)とか、Beethoven 交響曲第6番ヘ長調「田園」〜ミュンシュ/ロッテルダム・フィル(1967年)とか・・・聴いたけど、印象がまとまりません。明日、定例資料作成・会議後、東京行きです。
2005年8月某日
早起きなのは若い頃からだけれど、こんなに朝がツラいのは十数年ぶりじゃないか・・・完全に夏バテ状態。本日(いちおう)出勤日だけれど、職場のビル付近一帯が「お祭り」通行止め、バスも迂回、という言い訳でお休み。夏らしい猛暑続いております。
昨夜、メニューインのBrahms 6重奏曲変ロ長調 作品18のジャケット写真撮り直そうとしたら、件のCDがない・・・いつもの症状(CDが消え去ってしまう!)ですな。ケルテスの「新世界」は、アンチェル/ウィーン交響楽団に同居して(正確には”させて”)いるのを発見!したが、ワルター/ニューヨーク・フィルの「未完成」は未だ行方不明。先のメニューインは、NAXOSの同曲(シュトゥットガルト・ゾリスデン 1989年)といっしょになっておりました。狭い部屋ながら迷宮状態であります。
昨夜〜今朝、RVW 交響曲第7番「南極」〜ボウルト/ロンドン・フィル/合唱団/バロウズ(s)(1969年)2回ほど拝聴。様子がようワカラン!ということです。なんせ我がオーディオ & PC部屋のエアコンは騒音盛大なる台湾製窓クール(既に7年経過順調)でして、この時期、繊細なるサウンド聴取には障害が多すぎる・・・さすがに2度目には、嗚呼、剛直だな、ほんわか雰囲気のみで聴かせる演奏じゃない〜そんな感想を持ちましたね。フィル・アップの組曲「すずめ蜂」(1968年)もちゃんと集中できない。
フリプセ/ロッテルダム・フィル(1954年)によるMahler 交響第8番 変ホ長調「千人の交響曲」〜ラストまで。コレ、ライヴだったんですね。声楽陣のクレジットがないのは不親切でしょう。(いろいろネットで探したが、依然不明)トータル82分という長丁場だけれど、後半はまったり、あわてず、急がず、たっぷり楽しめる演奏でした。慣れかな?音質は年代相応のものでして、悪くはないモノラル録音。
●
きょうは何をしていたんだろう・・・水が切れたのでご近所ディスカウント・ストアにお買い物に行って、いつも楽しみにしている「火曜サスペンス劇場」(の再放送)を見始めたが、全然ツマらなくてテレビは即止め・・・ああ、部屋をよ〜く冷やしてMahler 交響曲第10番 嬰ヘ長調(フィーラー版1966年第4稿1997年改訂版)〜オルソン/ポーランド国立放送交響楽団(2000年)を確認してましたね。どーせ譜面なんか読めないからどーでも良いんだけれど、クック版とかフィーラー(Wheeler)版の改版履歴や初演録音などをネットで調査。2度聴いたかな?聴けば聴くほど明晰で明快、オーケストラがよく鳴っていることに感心しきり。最終楽章の印象がずいぶんと(クック版と)異なっていることなど・・・この作品は大好きです。
他のBBSを見ていて、驚愕の事実発見!ダブり買い未然に阻止!
先日来ご近所BOOK・OFFでソマリーの「メサイア」が売られており、そのうち買おうかな、と考えておりました。で、さきほどこのBBSを見て、なんとなし「ヨハネス・ソマリー」で検索したら、トップでワタシのサイトが登場するじゃないですか!情けない・・・1970年代の録音だそうです。
(自らの書き込み)
情けないなぁ、Handel 「メサイア」〜ソマリー/イギリス室内管弦楽団/アモール・アルティス合唱団/マーガレット・プライス/イヴォンヌ・ミントン/アレクサンダー・ヤング/ジュスティーノ・ディアズ(豪華声楽陣!合唱も充実)・・・1970年代の録音らしい。音質良好。現代楽器だけれど、すっきりスリム・洗練された演奏はワタシ好み。(第1部のみ確認)先日聴いたショルティ/シカゴ響の抜粋(1984年)より、ずっと楽しめましたね。
先日来「My ブーム」であるRVW 交響曲第4番ヘ短調〜ミトロプーロス/ニューヨーク・フィル(1956年)を。9曲ある彼の交響曲は、各々の個性を完全に把握しきっておりません。これは不安で激しい音楽なんですね。ボウルト盤と聴き比べてからじゃないと、まだコメントは出来ないのが正直なところ。発売以来ずっと気になっていて未聴だったRachmaninov ピアノ協奏曲第3番ニ短調〜アルゲリッチ(p)/シャイー/ベルリン放響(1982年ライヴ)・・・嗚呼、これは自由闊達でラプソディックな味わいに溢れた演奏だ・・・でも、この上記2作品は”聴き流し”程度です。
Roussel 交響曲第1/2番〜ロジェストヴェンスキー/ソヴィエット文化省交響楽団(1989年)・・・最近はダブり買いが怖くて迂闊にCDも買えん・・・って、これは粋で美しい作品ですねぇ・・・じつは半分以上居眠りしてました。夜、同曲異演はないか、と棚を探っていたら、交響曲第3/4番〜エルネスト・ブール/南西ドイツ放響(1967年)が出てきました。(これはワタシ所有中もっとも高価なCD〜4枚組税抜6,400円也)。
怪しい歴史的音源満載激安CDを出しているmembranが「artone」という新しいレーベル(縦長4枚収録1,689円だからウン!と安くはない)を出しております。「QUADROMANIA」みたいに即値下げするかも知れないが。かなりの比率で「History」系の既存音源とダブるが、珍しいものもないではなくて注文しましたよ。「ROBERT STOLZ」(222611-354)・・・ワタシはウィンナ・ワルツは大好きだし、シュトルツの演奏もお気に入り(←そういえばこのCDは当時図書館で借りたもので、所有してなかったんだなぁ。最近、中古で見掛けたし、購入すべきであった!)。この音源の出典がよくわからない、というかサイトでは探せない。
半分ほどがウィンナ・ワルツ系、残りが気軽なライト・クラシック+自作の演奏になっておりまして、オーケストラはベルリン交響楽団(旧西の団体で、ザンデルリンクと録音をしたオーケストラではない)+ロベルト・シュトルツ管弦楽団。まだ半分も聴いていないが、やや玉石混淆状態ながらそう悪くない音質だし、泥臭い、洗練されない下町風安直で安易風アンサンブルがほんまに楽しい!演奏。ワタシ、ウィンナ・ワルツに於いて、ウィーン・フィルの洗練された演奏は一般に好みではないんです。自作の作品はほとんどポピュラーというか、とろりと甘いミュージカル風でして、これはこれで味わい有・・・って、夏バテ時期にピタリ!でした。
昨夜のBrahms 3枚組(CONCERT ROYALE)の続き、6重奏曲変ロ長調 作品18〜オーストリア弦楽四重奏団+I,ゴール(va)+D,ゴール(va)。この辺りもお気に入り作品の系統でして、地味で内省的、まるで交響曲のようなスケールを誇ります。ワタシはメニューインの少々技術的には怪しい演奏だってお気に入りだったし、これはしっとりとした落ち着いた味わいの演奏でした。ホルン3重奏曲 変ホ長調が続きます。ギュンター・ルートヴィヒ(p)はたいへん安定しており、ペンツェル(hr)のホルンの技巧に文句もありません。但し、フォンホルツ(v)は少々音が薄いというか、存在感が足りない感じ。
きょうのお仕事は意外と充実していて、懸案の実務処理もそれなり粛々と消化、大きな前進有・・・花火大会で浮き足立つ浴衣姿の若者達を後目に、早々に帰宅しました。もう暑さにへろへろ・・・昼休みに(涼みに)タワーレコードを覗いたのが運の尽き、Mahler 交響曲第10番 嬰ヘ長調(クック第3稿第1版)〜ウィン・モリス/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1972年録音が正確な情報らしい)購入。既にLP〜MDでサイトにも更新していたけれど、正規復刻盤がどうしても欲しい!な、と。(SCRIBENDUM SC010 3枚組1,990円▲1,000円分ポイント使用)
これが涙々(なみだなみだ)の”美しい”演奏・・・繊細な弦、清楚で切れ味のある木管、あくまでクリアで明るい金管・・・ウィン・モリスって、アンサンブルの整え方、磨き上げに絶大なるチカラを発揮していて、全編、豊かでしっとり瑞々しい味わいに溢れました。若き日のワタシはエエ演奏で、この作品に出会ってましたね。なんか、すっかりこの作品に痺れてしまって、フィーラー版辺りも再聴したくなりました。まだまだ”ちょろ聴き”の水準故。
引き続き、フリプセ/ロッテルダム・フィル(1954年)による交響第8番 変ホ長調「千人の交響曲」〜第1楽章のみ。巨匠時代の大柄・盛大なる祝祭の雰囲気一杯いっぱい・・・やや時代を感じさせる大仰なる声楽が好みではない・・・が、大切に聴きましょう。
昨日〜本日のお客訪問はやや”空振り”っぽい手応え・・・でも、倦まず弛まず訪問するのが営業の基本。エエ時も悪い時もありまっせ。少々夏バテ気味・・・昨日だって、飲み屋を出たのは8時だったんですよ。けっして無理していないつもりだけれど、どうも体調よろしくない・・・先ほども(瀬戸大橋通行中)ケータイにお誘いがあって「何時頃事務所に戻ります?」って、戻らねぇよ!そのまま帰宅します。連続酒席する体力残ってまへん。
貯まる一方の未聴CD中、一昨日到着したBrahms 3枚組(CONCERT ROYALE 206216-360 既に市場から姿を消したはずだけれど、偶然通販で発見=660円也〜処分か?)昔懐かしい「ファブリ名曲全集17cmLP」(VOX原盤のはず)に収録されていたヴァイオリン協奏曲ニ長調〜ラウテンバッヒャー(v)/ワグナー/インスブルック交響楽団・・・これは「アリアCD」さん
で絶賛されたものだけれど、ワタシにとっては馴染みの演奏でしたね。(購入したのはHMV通販サイト)なんというか、派手さのない、しっくりと着実な、飽きが来ない演奏なんだろうな、これは。テクニックが切れるとか、いや技術的にはどうの、などと一度も考えさせない、粛々地味な表現に説得力が溢れます。
「驚くほど!」というならば、クラリネット五重奏曲ハ短調〜ヨースト・ミヒャエルス(cl)/エンドレス弦楽四重奏団(ミュンヘン)でしょ。これはもっと鮮明な音質だし、クラリネットが雄弁かつ表情が千変万化して、更にバックの弦の繊細なこと!スケール大きな演奏に、かつてない感動の嵐・・・(体調不良乗り越え)ミヒャエルスといえば、1970年頃「コロムビア・ダイヤモンド1000」シリーズ(当然LP)のMozart クラリネット協奏曲イ長調(フーベルト・ライヒェルト/ヴェストファーレン交響楽団)・・・これはまだCDで出会えていないんです。Mozart のクラリネット五重奏イ長調の録音も存在するかもね。
昨日は久々に「出張移動中音楽」集中できましたね。Haydn 交響曲第101番ニ長調「時計」〜パイヤール/イギリス室内管(1980年)・・・端正で素直、穏健、イギリスのオーケストラだけれどやや軽量で、明るくにこやかな響きは指揮者の指示でしょうか。オランペット協奏曲 変ホ長調〜カンス(p)/パイヤール/パイヤール室内管・・・こちらフランスだけれど、オーケストラにはほとんど前曲と違いは感じられません。ワタシはこの躍動する作品が大好きです。特筆すべきは、カンスのソロが煌びやかなもの(例えばアンドレ、意味が異なるがギュトラーなどと比べて)ではなく、ちょっと艶消しの音色が素敵なんです。地味、ではないけれど。
引き続き「春の祭典」の強烈刺激的表現は、この作品のバーバリズムをあぶり出していて、豪放磊落な金管は当たり前、”金属的な木管”など滅多に聴けない貴重な演奏でしょう。ワタシの標準はブーレーズなので、まるで別な作品に出会ったような感慨でした。(意外とお薦め。 ESF CR-031)今回出張中、もっとも感銘を受けた一枚は、バルビローリ/ハレ管による、1961年ルガノ・ライヴでした。音質良好、モノラルに広がりが付加されているようだけれど、たいへん聴きやすい。
エリザベス組曲(バルビローリ編集編曲か?わずか12分ほど)William Byrd(1543-1623) 「The Earl of Salisbury's Pavane」/Anonymous(作曲者不明) 「The Irishe ho Hoane 」/Giles Farnaby(1560-1620) 「A Toye Giles Farnaby's Dreame 」/John Bull(1562-1628) 「The King's Hunt」〜所謂、旧き良き大英帝国時代の音楽ですか?古式床しい旋律を(例の如し)纏綿と叙情的・雰囲気タップリに表現されます。四角四面に集中した超・緻密アンサンブルじゃないけどね。「王の狩り」のホルン・アンサンブルはいかにも楽しげ。
RVW 交響曲第8番ニ短調は彼の十八番(おはこ)であって、自信に溢れた語り口がまったくお見事。日本では人気が出そうもない激昂しない、リズムを強調しない、諄々と語るような世界でしょうか。少々わかりにくい内省的な旋律(表現は雄弁!)に馴染むと、圧倒的快感がやってまいります。(先の「エリザベス組曲」とは雲泥のアンサンブルの集中力の差)ラスト、アンコールっぽい「スペイン奇想曲」「スペイン狂詩曲」は、アツい、のりのりの大爆発。
Mozart クラリネット協奏曲イ長調(プリンツ)/フルートとハープのための協奏曲ハ長調(トリップ/イェネリク)〜ミュンヒンガー/ウィーン・フィル(1962年)・・・無条件幸福Mozart 中、結論的にこのCDが一番聴く機会が多い、おそらくは最高の演奏・録音。(作品は言わずもがな)適正なテンポ、練り上げられたアンサンブル、馥郁たる香り漂う穏健な世界。プリンツのクラリネットは、まるで微笑んでいるであって、気品と少々の華やかさが感じられました。ウェルナー・トリップのフルートは、派手な輝かしさではなく、ココロに染みるような深みに痺れましたね。(2003年12月に亡くなられているとのこと)
もうひとつMozart !ハフナー・セレナード ニ長調/セレナータ・ノットゥルナ ニ長調〜コープマン/アムステルダム・バロック管弦楽団(1988年)・・・軽快に躍動する古楽器の世界を堪能させて下さる一枚。ちょっとチープだけれど、筆舌に尽くしがたいザラリと粗野な響きの魅力は、現代楽器とは別種の、新鮮なる悦びをもたらして下さいます。それにしても圧倒的技量!「セレナータ・ノットゥルナ 」は少々食傷気味馴染みの作品だけれど、テンポの変化、メリハリの徹底にここまで楽しめたのは初めて。
ラスト、ワタシが”最高のFaure!”と評したいアンセルメ/スイス・ロマンド管による組曲「ペレアスとメリサンド」、歌劇「ペネロープ」前奏曲、組曲「マスクとベルガマスク」(1961年+Debussy「小組曲」)・・・これはまったく雰囲気で聴かせている音楽なんです。独墺系交響曲圧倒的人気で評価機軸となっている日本では、クソミソ言われますか?(先日もBBSで、某作品某演奏を「重厚にして一糸乱れぬアンサンブルで、勢いがあります」との”高評価”有)緩く、頼りなげなアンサンブル、薄い木管、腰がカルく、気怠い雰囲気・・・ワタシは(作品によりけりで)こういった表現は(現在では)むしろ貴重と思いますが。
一昨日だったか、Bruckner 交響曲第9番ニ短調〜ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団(1981年)拝聴。先月、1965年旧録音を聴いたばかりで、これはこれでオーケストラの奥深い響きを、素直に生かした表現に感心した記憶有。その16年後の演奏も、ある意味変わらない・・・が、そのままの方向で深さ、広がり、奥行き、を加え、いっそう力みがなくなった、ということなんでしょうね。真っ直ぐな深化、異形でもカリスマでもなく、真摯な成長〜いつまでも元気でBruckner、Mahler の全集もなんとか完成して欲しいが、PHILIPSとの契約が切れているのは残念。
山口よりやや遅めに帰宅。猛暑で弱っております。甥のノートパソコン再び届いて点検しているが、ウィルス2個、スパイウエア延べ200個以上駆除して、現在デフラグ中。自宅〜新幹線移動中計6枚のCDを聴いたけれど、その件は明日以降に。HMVよりCDが15枚到着しました。
第2番ヘ長調BWV1047には通常トランペット版のみならず、コルノ・ダ・カッチャ版BWV1047aも収録。これは1971年録音のマリナー/アカデミー盤で話題になった版でしたね。(但し、当時は現代ホルンを使用〜バリー・タックウェル)第3番ト長調BWV1048には、その第1楽章編曲版であるカンタータ第174番「われ、心より至高なるものを愛す」シンフォニアも収録されました。LP時代、たしかレーデル盤(モノラルだったか?)で愉しんだ記憶有。管楽器もたくさん入って楽しいんですよ。
さっそく件のカンタータをリューシンク/オランダ・バッハ・コレギウム(2000年)で確認。こじんまりとして素っ気ないほど素朴な演奏(古楽器使用。合唱も流麗とは言い難い味わい有)でした。ブヴァルダのカウンターテナーは、いつ聴いても惚れ惚れする声の太さ、深さがありました。
さすがに、これだけ数値の不調が続くと上司の目や、職場での存在感が危うい・・・でも、しかたがありまへんな。ここが胸突き八丁か。今朝もどんより体調悪い。帰宅してMahler 聴いてます。先頃ようやく全集が出たベルティーニ/ケルン放響で第4番ト長調(1987年)〜第4楽章。ルチア・ポップの可憐なる歌声は、これほどの感銘を受けたことがないくらいの水準。続く第5番ハ短調(1990年)〜かつて聴いた記憶からは大きく異なって、オーケストラの響きが牧歌的で、引き締まったベルティーニのアンサンブルが神経質に硬化しない。知的であり、強面に非ず。オーケストラの厚みに不足はなく、威圧感も贅肉もないが、フレージングは素直でのびのび柔軟で暖かい(「アダージエット」は淫靡ではない!)・・・ああ、これ全部ライヴでしたね。(ワタシが所有しているCDは仏EMI 7243 8 26406 2 2 5枚組。第1〜5番収録)