Mahler 交響曲第1番ニ長調
(ベルナルト・ハイティンク/コンセルトヘボウ管1977年ライヴ)


PHILIPS 464 321-2 9枚組6,990円で購入 Mahler

交響曲第1番 ニ長調(1977年ライヴ)
さすらう若人の歌(1978年ライヴ)

ベルナルト・ハイティンク/コンセルヘボウ管弦楽団/ベンジャミン・ラクソン(br)

PHILIPS 464 321-2 1978年ライヴ 9枚組6,990円で購入

 このボックスはたしか2000年辺りに入手した記憶有。やがてハイティンクはコンセルトヘボウを離れ、ウィーン・フィルやベルリン・フィルと録音を重ね、ドレスデンに行き、現在はシカゴ交響楽団のシェフとなっております。人生有為転変、諸行無常。再聴のきっかけは2008年シカゴ交響楽団との録音に接したことから。←これもオケの力量抜群の演奏なんだけど、やはりこちらのほう(クリスマス・コンサート・ライヴ)が良かったはず・・・嗚呼、そういえばずいぶんと聴いていない・・・ほとんど10年ぶり(↓素朴な感想)ですよ。ハイティンクはもちろんだけれど、聴き手のほうも華麗なる加齢街道まっしぐらの今日この頃、しっかりと再聴いたしましょう。さて自分の感じ方、音楽の受け止め方は変化しているのか。  

「この食堂の味は30年変わらないな」とか「この人はむかしからずっと誠実な仕事ぶりだ」と評される場合、基本的方向はともかく、不断の努力と改善あってこその現在だと思うんです。つまり、ハイティンクは美しく老い、成熟していったことをはっきり認識出来た・・・1977年ライヴにはコンセルトヘボウというオケ、ホール、PHILIPSのサウンドの考え方、それが希有なる効果を上げておりました。48歳壮年のライヴは、”穏健自然体”に間違いはないが、もりもりとした躍動があるんです。79歳の演奏はいっそう枯れ、贅肉が落ち、その方向は虚心に徹底されて〜黄昏の輝きがある。シカゴ交響楽団との現在をそう聴き取りました。但し、Mahler 交響曲第1番ニ長調は青春の歌だから、若い演奏が似合うのも事実。ハイティンク33歳、1962年のスタジオ録音もストレートに躍動して微笑ましく聴いたものです。「音楽日誌」より
 「さうらう若人の歌」を先に聴いておくと良く理解できるんだけれど、これは青春の歌なんです。ワルターの熟し切った晩年の演奏を別格として、未熟でも”若い”演奏がよろしい。「”穏健自然体”に間違いはないが、もりもりとした躍動がある」〜その通りでして、この人はもとよりあざとい官能を強調するような人でもなく、誠実一筋!ムリせんけんね、的方向で一貫しております。第1楽章「ゆるやかに」は、弱音が痩せすぎると様子がわからなくなりがち。静謐の中に豊穣な響きを漂わすのがワザであって、コンセルトヘボウは絶好調のエエ音ですね。虚飾ないストレート表現に誠実なる喜びが沸き上がる、といった風情。壮年の勢力が余って、少々急いて落ち着かないテンポ感があるんだけれど、それさえ好ましいヴィヴィッドな、しかも暖かいサウンドであります。なんという美しいオケ!

 第2楽章スケルツォ楽章は精力漲(みなぎ)って躍動しております。ここもテンポは速め?いや突っ走って、ものものしい貫禄風情ではない。やや落ち着きが足りないくらい(アッチェランドも決まってますよ)なんだけど、コンセルトヘボウの弦も管も、ティンパニも痺れるほどの深い響きで鳴っております。中間部のレントラーの優雅な対比も絶妙。第3楽章「緩慢でなく、荘重に威厳をもって」冒頭のコントラバス・ソロには素朴なたどたどしさ、これが正しい。そしてファゴットが神妙に絡み(ちょいとしたミス・タッチも生々しい)、チューバは重苦しく雰囲気満点。木管は歯切れ良く歌ってこそ怪しさはいっそう際立ちます。トランペットも切ないニュアンスたっぷり。中間部「彼女の青い眼が」の旋律は夢見るよう。

 終楽章「嵐のように運動して」は、一般に表層に走ってやかましい演奏が多いと思います。やや速めのテンポ、爽快な推進力とエネルギーに溢れ、ライヴの熱狂に充たされました。大爆発に、響きが濁らない余裕が一流の証明であります。ほとんどストレート系、無用な色付けとは無縁の表現であって、それでも充分に深い。第2主題の陶酔は極上であります。弱音/強奏のバランス感覚の見事さ、ライヴの感興とノリ、アンサンブルの完成度が両立して、おそらくは数々聴いてきたなかのヴェリ・ベスト!の手応え有。聴衆の拍手も盛大であります。

 ベンジャミン・ラクソン(br)はハイティンクお気に入りの英国?の歌手。交響曲第1番最終楽章の熱狂の後、先ほど美しく響いていた旋律を、再度ゆっくり回想する(まるでアンコール)に最高のフィル・アップであります。若者の懊悩を表現するに相応しい、甘い声。若さの昂揚有。

(2010年1月1日)


 再びハイティンクのMahler !か。ワン・パターン男。なんで?そんなにいいの〜うむ、そうなんですよ。この演奏、最初に聴いたときはずいぶんあっさりとして、工夫がないなぁ、と思ってました。だいたいMahler の組物は第1番から聴くじゃないですか。そのときは、なにも気にせず聴き流してしまいました。好きな曲なんですけどね。

 じつは古本屋さんで、インバルのを購入(350円)しましてね、期待していたんですけど、なんかつまらない。線が細く、神経質すぎて、響きが地味、精密・透明ではあるけれど、ぜんぜん楽しめませんでした。この曲特有の「青春の甘い不安・痛み」みたいなものが感じられない。

 いったいなにが足りないんだろう、どこが違うんだろう、と不思議に思って、そうだなぁテンシュテットのを久々に聴いてみようか、と思ったらプレーヤーの上にハイティンクのセットが置きっ放しになっていました。じゃあ、これから、と音楽が鳴り出して驚愕。

 「アンサンブルの縦の線が会っている」とか「テクニックが完璧」ということ。そんな意味ではフランクフルト放送響でも立派なもんでしょ。でもコンセルヘボウとは音の深み、千変万化する色彩の変化の水準が異なります。録音の違いもあるのかな、我がDENONの由緒正しいPCM-DIGITALの責任ですか?ハイティンクのは、よい録音だけど、放送用録音だから条件は必ずしも良くないはず。

 あとは第5番の時と同じなので、ほんとうにワン・パターン。インバルの演奏は的確で、よく考えられたテンポの揺れも見られますが「それがどうした」といった感じ。ハイティンクは、自然で、なんの工夫もないようでいて、「ん?」と引きつけられる魅力。いやねぇ、もうひとつひとつの音、旋律、歌が入魂なんですよ。(リキんでるわけじゃないですよ。あくまで自然体で)「音に色彩とコクがある」といったところでしょうか。どこがいい、とかそんなんじゃなくて、どの部分をとっても練り上げられ、磨き上げられた、目眩のするようなオケの暖かい響き。もう陶酔のひととき。

 「危ういモン狙いのhayashiもヤキがまわったな」なんて、言わないで下さいよ。「ここはこうテンポが」とかいう話しじゃなくて、オケのメンバーひとりひとりが自発的に考え、感じ、結果としてできあがった芸術。ハイティンクは、オーソドックスで地味すぎる存在かも知れないけど、もしかしたら本当の実力者かもしれません。まだ少年時代、ワルターの演奏で出会った新鮮な感動が蘇りました。(ワルターのステレオ盤はもう20年以上聴いていないはず。いま聴くのは少々怖い)

 「さすらう若人」の組み合わせもぴったりで、交響曲の陶酔が持続します。ラクソンは甘く端正な声で、定評あるフィッシャー・ディースカウより自然に、若者の心の揺れが素直に表現されています。歌もいいけど、ハイティンクのオケはそれを上回る魅力。交響曲の一年後の録音ですが、より一層の成熟を感じます。

 ハイティンクのMahler 全集(旧録音のほう)は、どんな演奏だったのでしょうか。そんなに価格は高くなかった記憶があるので、手に入れたいものです。世評はあまり芳しいものではなかったのですが。(2000年5月26日更新)


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written by wabisuke hayashi