2006年2月某日
ちょっと寒いですね。行ったり来たりで、必ず春はやってくるはず。本日の上司面談で、正式に2006年度次期体制(自分の身の振り方)が決まって、あと詳細担当割り振り、そして引継ぎを考えなくっちゃいけない。ほんまに長い一ヶ月でした。
「白い巨塔」絡みではないが、川人明「正直な誤診のはなし」(ちくま文庫)・・・これは爽やかな姿勢の良書ですね。初版は1986年だからずいぶんと年季が入った著作だけれど、現場の臨床医としての正直な日常発生した事象をわかりやすく、淡々と(ココ重要)分析して快い。つまり、「医学界の闇を斬る!」的大上段に振りかざしたものではなくて、自分の失敗も含め患者側(含むワタシ)に理解できるようにした平易な表現でした。医者同士の情報伝達のの悪さや、先入観(患者の申告にも問題有)による誤診の発生、結果オーライ的に治癒する病気もあれば、健康体を病気にしてしまうこともある。
重大なる手違いで患者を死に至らしめた事象も正直に載せられていて、それは(結果的に)誤診発生時に遺族に正直に経緯を説明してから”なにも怖くなくなった”(むしろ感謝された)経験として描かれております。一番マズいのは「謙虚でない」医者だそう。なるほど。
今朝、Bach の「オルゲルビュッヒライン」の一部〜シュトゥックマイヤー(or)を。Bach のオルガン作品は大好きだけれど、いろいろ違いを楽しめるようになりたいものです。(まだまだお勉強中)R.Strauss「ツァラトゥストラはかく語りき」〜カラヤン/ベルリン・フィル(1970年ザルツブルク・ライヴ)・・・これは「ブート・レグ」系なんだろうが、音質乗り越えて、最盛期の馬力と鼻持ちならぬ勢いに感心します。
きょうは高知からメーカーさんが出てきて、夜、ちょっとお付き合いかな?同志社出身の元・学生運動の闘士はヘルメットなしでも、ヘルメットのような頭の輝きとなり、もう引退なんだそうです。団塊の世代である人生の先輩のお話を、じっくり聞いてあげなくっちゃ。
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・・・大どんでん返し!最終的に職場の配置全体調整で、ワタシが現在の部署に残ることとなり、(先週末に飲んだ)引き継ぐべき後輩が他のチームへ異動。その代わり、現状の問題児がひとり残り(バーロー一年で投げ出すな!と説教が効いたのか)、昨年採用した最若手(将来有望)が自らの希望で我がチームに、そして仙台から移ってきた”大問題児”(といっても41歳独身。あちこちで出入り禁止処分に)を面倒見ることに・・・そうだよなぁ、仕方ないか。一人増で、いちおう体制強化?か。
また、明日から激・出張の日々、寝技調整の連続・・・だけれど、明日は会議が流れたのでお休み(代休)いただきました。3月(春)がやってきます。ああ、そういえば今夜の”おつきあい”も流れちゃいました。
2006年2月某日
贅沢したし、昨日は運動もせずやや喰い過ぎでハラも緩んだろうな気もしますね。天候は(ワタシの気持ち同様)どんよりしていて、先週出張で職場を出発したときには「いつもの行動」だったのに、今週以降はほとんど「ラスト」「引継ぎ」となる・・・人生無常であります。自分が(それなりに)やってきたことをきちんと整理できれば、それはそれで自分の一歩は進んだ、ということにしましょう。
今朝の朝日新聞一面トップ〜「日本トリノでメダル一個」・・・どーでもエエじゃないの。小林慶一郎「ディベート経済」〜よくできたコラムですね。「構造改革が格差拡大を招いた」vs「競争の結果、健全な証拠」・・・・結論は両方とも間違いであって、競争が既得権者によって「ゆがめられている」から格差が開くのだ、と。その通り!ワタシも「チャンスは公平に」「敗者復活」が最大ポイントだと考えております。人生、なんどでもチャンス有(と、自分を励ましたい)。「私の『団塊』流」最終回は、方言詩人・伊奈かっぺいさん/脚本家・内館牧子さんが登場。この二人は、世代は団塊だけど、地に足をつけてしっかり生きてきた人たちですね。「老後を考えて、現役時代からソバ打っちゃいけない」なんて、最高。松原隆一郎・東大教授はワタシの世代だけど、コメントが辛らつですね。この世代は大量生産大量消費システムで、地域コミュニティーをダメにしていった(個人ではないだろうが)から、「引退後は経験を生かして、その再生を」というのはムリだ、と。
「パトリック・ラーハンさんからあなたへ」〜「もっと楽しもう。アメリカ人のぼくはつぶやく」・・・アメリカ人のストライク・ゾーンの広さ、日本人の型にはまった仕事ぶりについて。アメリカで乗った飛行機内アナウンスで「頭上の荷物は20kg迄、または4歳児迄」「ケータイのご使用は機長のペースメーカーに影響を与える場合があります」・・・アドリブですな。
荒川静香さん絡みで「トゥーランドット」を聴きたいな、と思っているが、在庫確認したら手許にはPucciniは「蝶々夫人」の全曲(ローズクランス)抜粋(カラヤン)しかない!「トスカ」も「ボエーム」さえない!・・・で、ローズクランス/ハンガリー国立歌劇場/スカパーニャ(s)/レンツィ(t)(1995年)を久々(2年ぶり)に。ワタシにオペラの評価など不可能だけれど、旋律のワザが細かいし、筋もよく知っているし、で、とても楽しみました。貴重なる「ラ・スカラ版」だそうで、ブレシア版、パリ版の部分も収録され「Programmable」となっている、配慮ある4枚組。時に、聴き応えのある管弦楽(間奏曲など)が存在するが、そこではオーケストラの響きの薄さが少々気になりました。
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今週は出張もなくて、地元取引先との定例協議も日程が流れて、ゆるゆる・・・中日でお休みいただきましょう。
昨日聴いたヌヴーのBrahms だけれど、6年前の感想とまったく変わらない。行き届かぬ音質を乗り越え、やがて静謐かつ情熱的なソロが、どこまでも深くココロに響きます。これはもう一度、きちんと集中して聴きたい。Mozart レクイエム ニ短調K.626〜リカルド・ムーティ/ベルリン・フィル/パーチェ(s)/メイアー(ms)/レパード(t)/モリス(b)、合唱のクレジットはないが、録音年月日1987年2月14日はEMIの正規盤と同じであって、エリク・エリクソン/ストックホルム合唱団/スウェーデン室内合唱団だと類推されます・・・というか、この海賊盤はEMIの(ワザと音質劣化させた悪質)焼き直しCDじゃないかな?
演奏はすこぶるイキイキとしていて、”充実した生を歌う!”的立派なもの(って、当たり前か)合唱のぎっしり中身の詰まったような迫力は流石です。
カラヤン/ベルリン・フィル/バンデリ(s)/シュミット(ms)/ヴァインベルク(t)/フルラネット(b)のミサ曲ハ長調K.317(1986年)・・・これはこれはほんまのザルツブルク・ライヴ。合唱はフロシャウアー/ウィーン楽友協会合唱団でして、巷ではどうも評判悪いですね。絶叫系というか。ここではそれほど悪くないと思いますよ。晩年のやや枯れた味わいもでてきた、ゆったり余裕の演奏であります。
2006年2月某日
ああ、10行ほど一気に執筆したところで「Ctrl+S」で保存掛けたら、エディターが落ちました・・・愛用のエディターだから。もうこれ以外では使う気になれないし・・・ようはするに、お仕事の先行きに不安を覚えていて、鬱々としている、精神的にお休みが必要か(旅行でも行くか)・・・ということでした。ま、”書く”という行為そのものがストレス解消なんだけど。
今朝の朝日新聞「『ニート=怠け者』乱暴なレッテル」と、本田由紀・東大助教授(教育社会学者)が警鐘を鳴らしております。ワタシは千度同じことを言うが”存在が意識を規定する”んです。「働かなくても、なんとか喰っていけるからニートが増える」のじゃなくて、「実際に働き口がない」結果としての「ニート」(?この実状分析だって危ういもの)なんです。「働く意欲がないから」と「心の問題」に予算を注ぎ込むんじゃなくて、就職対策雇用対策をすれば良いんです。高度成長の終焉、バブルで抱えた「余剰」人員整理、挙げ句”団塊の世代”の高年齢化、人件費アップのツケが若い世代に行っているだけです。(・・・なんせ息子が就職世代だから心配でして。戦争責任総力特集は立派な報道姿勢だけれど、ワタシはようコメントしません。できません)
今朝も早くから目覚めて、まずBrahms 交響曲第2番ニ長調/大学祝典序曲〜モントゥー/ロンドン交響楽団(1962年)・・・言わずと知れた著名なる”名盤中の名盤”だけれど、ワタシは(おそらくはオーディオ環境との相性、というか、安物機器だから)いまひとつオーケストラの響きに不満があります。もっとふっくらとした、ゆたかな響きだったでしょうが、記憶では。LP/CDの違いかな?演奏解釈問題では、これほどの自然な流れ、暖かさはそう聴けないし、大学祝典序曲の楽しさには比類がない。
で、ここ数日痺れている”アルプス交響曲”、カラヤン/ベルリン・フィルの海賊ライヴ(1982年)があったはずと、棚中を探索、とうとう発見したのはよろしいが、驚くべきことに!「英雄の生涯」(1974年)ダブり買い発見。何故(日常茶飯事であるダブり買いが)”驚くべきこと”かというと、これは意外とお気に入り(肩の力が抜けているというか、余裕たっぷりで)でして、聴く頻度が高いこと、おそらくは5年ほど”ダブり”に気付かなかったこと・・・であります。ま、いずれ駅売海賊盤で、両CDとも「250円」の値札が残っておりますが。(情けない)
アルプス交響曲は、音質の不備乗り越えて、ゴージャスかつ圧倒的厚みのあるオーケストラがなんとも魅力的であって、R.Straussは彼の個性に似合っていると思います。
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本日はスポーツクラブをサボり。我が(バブル)マンション(借りているが)真ん前の電機屋にて「リフレッシュPC」ノートは壱万円引きのセールで39,800円〜それを見に行った(10回くらい見てはいるが)けど、どーしても買う勇気が出ない。これは金額の多寡の問題じゃないんです。女房が「買ったら」といっしょに付いてきてくれたが、やっぱり決心できず。当たり前のことだけど、カネを掛ければディスプレイの水準は段違いなんだよね、流石。とくに最近、光沢云々!とかでとても美しいんですよね。
ここ数週間「白い巨塔」再放送に痺れております。唐沢寿明の財前、その奥様役の若村真弓(最高の悪女)が圧巻!やはりドラマは悪役ですなぁ。エエ役の人はややハマり過ぎでオモろくない(江口洋介は好きだけど、イメージ固定過ぎ)だけれど、脇を固める配役人もツボにはまっております。いずれ、ひとつのデフォルメされた(偉大なる)小説のドラマ化だけれど、医者科学者の体質について、つくづく考えさせられます。医療ミスが表沙汰になって、処罰されるようになってきたのはごくごく最近、おそらくはまだまだ隠れているでしょうから。
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・・・とうとうやっちまいました・・・2,000円熟成ノート・パソコンをオークションに出してみたら、一人最低価格の落札がありました。山ノ神の了承(というかお勧め)もあって、新しい(いえいえ中古「リフレッシュPC」39,800円でもいいんです)ノート・パソコンをとうとう買いに件の電気屋へ。すると店員さんは「OS入れっ放しですよ。リカバリーできませんよ」と。つまり純正の外付け機器が存在しない。それじゃ困るなぁ。で、「パソコン工房」へと移動して新品のショップ・ブランド買いました。流行の光沢液晶ですよ。でかいやつ。明るいし、速いし。DVDだって焼けます。使わないけど。メーカー品を買わないのは、要らぬソフトがウザいから。「ノートン体験版」即削除して、AVG入れました。XPもデフォルトだと、ほんまおせっかいで使いにくい・・・
じつは既にオニューでコレ執筆してます。更新もできます。ほんま贅沢ですな。なんか罰が当たりそうな気がする。
2006年2月某日
昨日、福山から戻って夕方職場から(引継をすべき)後輩を呼び出し、飲み屋(嗚呼、また連続酒席だ!)で善後策やら意向を相談。かなり激論!(40オトコ三児のの父が涙ぐんでおりました)ほんまは「大殺界」の時に新しいことをやるのは良くない、とかなんとか書いてあったような気もするが、お仕事はお仕着せだから、んなこと言ってらんないっしょ。問題は自らの「構え」「姿勢」かな?
今朝の朝日新聞「子どもの安全と社会」斎藤環さん(精神科医)も芹沢一也さん(京都造形芸術大非常勤講師)も似たことをおっしゃっておりますね。「他者や異物の徹底排除が内なる他者を呼びだしてしまう」「不安とともに排他的な同調性が高まるだけだ」「極端な潔癖性が免疫を弱める」「いまの治安管理型社会の行き着く先は、社会から雑菌をなくすようなものだ」と。
じつは殺害された小学生の数は、人口比でも1990年代以前よりずっと減っていること。治安が悪化しているのではなく、「体感」治安が悪化してるだけであること。マスコミの報道も「興味」によって偏重していて、「外国人の犯罪」に対する配慮という意味だけでなく、無関心さは尋常ではない。一方で存在するかどうかも怪しい「おたく犯罪」「有害メディアの影響」の話題は尽きない・・・子どもへの犯罪はもっとも憎むべき行為だけれど、その対処対策は一筋縄ではいかない複雑さがあるんですね。
昨日聴いた音楽。Mahler 交響曲第1番ニ長調〜メータ/ニューヨーク・フィルハーモニー(1980年)・・・このオーケストラの暖かく、明るく、ふっくらとした金管の魅力が堪能できます。立派な演奏だと思いますよ。陰影に乏しいとか、繊細さに欠ける、みたいな論評があるのかもしれないが、この骨太さ、作品に対する自信は充分に感じ取れました。
今朝、(昨日から継続で)Shostakovich ジャズ組曲第2/1番/ロシアとキルギスのテーマによる序曲 作品115/ノヴォロシースクのチャイム/祝典序曲 作品96〜テオドール・クチャル/ウクライナ国立交響楽団(録音情報は6月1-8日となっているが、肝心の年が掲載されない)・・・この演奏も楽しいなぁ。旧いロシア東欧系の映画音楽のような、哀愁のメロディいっぱい。
では、連続酒席の反省しつつスポーツクラブへ行って参ります。もちろん明日も行きます。荒川静香さんの美しく気高い姿はなんど見直しても素晴らしい。
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行って来ましたスポーツクラブ(真面目だね)。昼飯は久々に「鎌倉パスタ」へ。生パスタのお店だけど、いつも行っている「パル・パスタ」より店が大きくて、お洒落で、そして少々お高い。麺の食感が違っていて、よりソフトな丸麺(パル・パスタは切り麺みたいな、そして少々ザラつきもある)です。「煮込みボロネーゼ」をいただいたけど、値段のワリに・・・といった感じか。(ダイエットにしては喰い過ぎた)
仕事の大変更を見越して、旧式熟成パソコン(激遅)を処分しましょう。もう少し、速いのを買おうかな、ということで試しに「Yahooオークション」に出してみました。どうかな?売れるかな?金額の多寡じゃなくて、「ムダなく使って欲しい」ということで。
一昨日の酒席直前、広島Groovin'にて一枚CD購入。300円也。 R.Strauss アルプス交響曲〜ベルナルト・ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団(1985年)・・・コレ極上です。まず自然体、中低音がしっかりとした音質。そしてもちろんオーケストラの透明かつコクのある響きの魅力。ワタシはこの作品「ようワカラん」と思ってきたけど、ナマで経験してみると見えてくるんですよ、いろいろと。ひたすら”響き”そのものを、ムリなく、リキみなく、ノーミソ空にして素直に楽しめます。最高。
ヨッヘン・コヴァルスキ(ct)のBach /Handel 名唱集(1993年)。バックはネヴィル・マリナー/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズでして、もちろん現代楽器だけれど、アンサンブルの精緻さには比類がないし、コヴァルスキの声は硬質で集中力があります。でも、Bach 「ロ短調ミサ曲」「マタイ」からの有名作品、アルト独唱ばかり続くと少々違和感と、ワンパターンが気にならんでもない。(←全曲で馴染んでいるので)Handel に移ると、その明るい旋律にほっとしますね。入門用かな?
ワタシにとって「アルプス交響曲」とは、1991年に1,000円にて購入したケンペ/ロイヤル・フィル盤(1966年)となります。LP時代も所有しておりまして、それはそれは壮麗なるジャケットが豪華でありました。しかし、ワタシはこの作品に”目覚め”なかった。CDの原料である合成樹脂もディジタル信号にも、何らの変化はあるはずもない(劣化はあり得るが)けれど、まるでアルプスに掛かっていた厚い雲が晴れるように、この演奏を(突然!蓮の花が開くように)すべて”理解”いたしました。
なんという輝かしくも、剛毅な金管か。清冽な弦のテンションでしょうか。ハイティンク盤の自然体も良かったですよ。でも、盤石の自信に溢れて、表現的にはケンペのほうが更に上か?録音にはそう遜色はなく、ロイヤル・フィルは絶好調であって厚みと迫力に不足しない。全体でトラックひとつという不親切なる編集だけれど、50分弱一気であります。こりゃ、ドレスデン盤(1971年)も再聴しなくっちゃ。
2006年2月某日
早朝決起して、オリンピックのフィギュアを堪能・・・ではなくて、空気が乾燥していて目覚めたのでテレビを付けたら、たまたまやっていた、ということで。どの選手も鍛え上げられ、美しいですね。安藤美姫選手は残念でした・・・というか、あの衣装はあまりいただけない、というのはワタシのデザイン・センスだから、判断誤ってますか。順位点数ミスに関係なく、各国の応援が暖かい。16歳 エレーナ・ゲデバニシビリ(グルジア)の衣装センス、元気いっぱいの姿にすっかりファンになってしまいました。緊張のあまり、ミスが多かったけれど。
荒川静香完璧!金メダル。誇らしげな笑顔・万雷のスタンディング・オーベーション。村主章枝最高!4位。これもスタンディング・オーベーション(彼女の”泣き顔”風って個性的魅力。まさに日本人好みか。ワタシ個人的には金メダルあげます!)。
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昨日の「異動」(というか仕事替)の件、自分の性格をつくづく考えてしまいましたね。自分の担当に入れ込む、愛着を持つ、自分なりの個性的な”型”を作る・・・で、終わるとわかっちゃうと一気に意欲が萎んじゃう。最後まで(精神的に)粘れない。(あきらめが早い)ほんまに多くのお客様、お取引先によくしてもらった、笑顔で接していただいた、毎日が苦しく、楽しかった。(未だ最終決定ではないが)お仕事パターンも、あちこち(楽しい)出張パターンも全部変わってしまう(東京の会議もほとんどなくなるし、出張は日帰り広島のみとなるが毎週か?)。今現在、これを執筆している愛用ノートパソコンも必要なくなるか。
でも、こんどのお相手だって全部知っている人、というか親しい人たちだし、なんせ取引高では圧倒的ですから。職場の”人を育てる”という意味でも、メンバー多いですから。現場から少々離れるのはツラいが。空中戦も理論戦も苦手だけれど(うんと若い頃は得意だったが、ここ最近義理人情寝技ばかり)。ここ数年システム作業も変わっていて(原理はいっしょ)新しいことにトライするのもボケ防止にちょうど良いか。自分が数年間継続して、積み重ねてきたお仕事の”まとめ”をする潮時か。
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昨日はどんな音楽を聴いたっけ?Mahler 交響曲第8番 変ホ長調〜ミヒャエル・ギーレン/フランクフルト歌劇場博物館管弦楽団/フランクフルト・ジング・アカデミー/ヘッセン放送合唱団/リンブルク大聖堂少年合唱隊/ファイエ・ロビンソン、マーガレット・マーシャル、ヒルデガルト・ハイヒェレ(s)/オルトゥルン・ヴェンケル、ヒルデガルト・ラウリッヒ(a)/マロリー・ウォーカー(t)/リチャード・スティルウェル、サイモン・エステス(b)(1981年8月28日。フランクフルト・アルテ・オパー再開記念コンサート・ライヴ録音)・・・Mahler 好きなワタシだけれど、相対的一番苦手な作品です。このCDは意外とその存在を知られていない。(SONYはん、宣伝ヘタでっせ。SBK 48281)
あり得ないが、ワタシはこの作品に”室内楽的集中力と静謐”を求めます。大がかりな「千人の交響曲」だし、祝祭的輝きに溢れ、怒濤の大音響・・・これは聴いていてその威圧感に疲れてしまう。ギーレンの表現は速めのテンポ、引き締まった集中力、やや素っ気ないくらいの旋律表現だけれど、合唱団はいつものパターンだし、ライヴという条件は音質的には最上とは言えず、渇き気味か。でも、最後までしっかり楽しみました。
Shostakovich バレエ組曲「ボルト」/ジャズ組曲第2/1番/タヒチ・トロット(「二人でお茶を」)〜ドミトリー・ヤブロンスキー/ロシア国立交響楽団(2001年)・・・いや・もう、最高っす。こんな楽しい作品、録音ってあるだろうか。
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これから親しい取引先の方々と現場回り。もうお別れだなぁ、まだ言えないし、切ないっすよ。
2006年2月某日
やや寒さも緩みつつあるのか。今朝、出張の関係で一日早くサイト定例更新済み。ここ数年いつもの感慨だけれど、原稿在庫が払底してきました。今週末になんとか書き貯めないと。聴くべき、語るべき音源はいくらでも存在して、あとは聴き手がその魅力をどれだけ感じ取れるか、という問題であります。「堀江メール」はガセネタだったのでしょうか。民主党はハメられたかな?(全然別件だけれど)今朝の朝日新聞にて加藤周一さんのコラム(いつものように)まったくツマらない。(切り口、視点の鮮度、表現例示の的確性、いずれも)
ワタシは数多くの”苦手音楽”を持っている不遜なオトコだけれど、Shostakovichはその代表格。でも、機会を捉え、切り口を変えて、なんとか接点を広げたいもの。「音楽なんて、好きなもの、気に入ったものだけを聴いてりゃいいじゃん!」ということだけれど、おそらくは「音楽に対する緊張感」とか「距離」に緩みが出てくるのでしょう。音楽そのものに対して、飽きてしまったり、感覚の鮮度が落ちたり・・・そんなことになりがち。で、今朝は交響曲第10番ホ短調(ピアノ連弾版)〜作曲者/ヴァインベルグ(p)(1954年)を聴きました。(爽やかであるべき、朝の音楽ではない!)
どうも最近、辛気くさいというか、葬送の音楽とか、そいういった系列の音楽ばかり聴いているのは(どんよりした)季節のせいですか?21分に及ぶ第1楽章は静かで暗いですなぁ、長いし、様子がワカラんし。4分に満たない第2楽章「アレグロ」は大爆発するが、やっぱり暗い。感情を押し殺したような第3楽章「アレグレット」、無表情のまま(軽快に?バスター・キートンか)走り抜ける終楽章〜どうひっくり返ってもワタシが素直に共感できる作品ではないが、それでも通常管弦楽版より(押しつけがましさが弱い、という点で)まだ馴染みやすい。カラヤンが愛した作品だし、なんとか”聴ける”ようになりたいな。
今朝、余裕で直接出張しようと思ったら、資料不足で早めに出勤してCDROMを焼かなくっちゃ。(今朝方の夢で思い出した)
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フクザツな一日ですな。千年一日な如く、同じような毎日に、ある日突然終わりが来ることはわかっていたのに。いつものように予定通り、粛々と、また、丁々発止と、取引先と場を盛り立てながら一日の業務を終了。(新任の)上司と途中まで電車でいっしょになったが、そこで次期体制の相談有。ようはするに、お上の指令は”ヴェテランは場を替えよ”ということで、納得できます。
ワタシは(この職場内ではより)メジャーな位置に異動(地域間異動ではない)との打診があったが、異議申し立ては可能。でもね、例えば現在の位置を一年間(引継のために)継続したとしたとしても、ワタシの性格的にテンションを維持できない。たとえどんな(引継上の)不備があっても、お取引先の支持があっても、”潮時”というものがあるんでしょうね。ワタシなりのバブルの終焉というか、いずれワタシはヴェテランの”人を育てる”立場(年齢)ですから。
明日から引継というか、やってきたこと、ワザの記録やら、手順書作成の作業だな。(なんせ凄いワザ使ってきたから、引継はムリ)あとは”思想”を伝えていくのみ。夜、お取引先の酒席でした。楽しかった。作り上げてきた、お仕事のパターンやリズムをぜ〜んぶやり直しか。それとも、ほんまの意味での”蓄積”を問われるところかも知れない。
移動中聴いた音楽は、気持ちが落ち着いてから。
2006年2月某日
ああ、寒い。どんよりとした天気続いております。そういえば昨日、床屋さんに行くのを忘れたな。明日から広島(一泊二日酒席有)なので、本日はごちゃごちゃの机上清掃と、諸作業一気処理しないと。オリンピックにはほとんど興味がなくて、メダルの有無にも感慨はないけれど、今朝方ちょっとだけ拝見したエフレメンコという選手はとても美しかった。コスチュームも素敵。(日本人選手はなんだかセンスが・・・)
今朝の朝日新聞(書評欄)にて鴻巣友季子さんが「ラーメンを一緒に食べるのなら”ラーメン通”とではなく、”ラーメン好き”と行きたい」旨(例示表現として)書いておりました。これは音楽でも一緒でして、蘊蓄ではなく、愛を、ということでしょうか。ワタシのサイトも、常にそうありたいと思います。少々音楽への集中力を失っているが、昨夜はまず、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(p)から。彼の正規スタジオ録音はCD一枚しか所有していなくて、なんども出現している海賊ライヴをまとめて購入したり、音質の貧しさ故に手放したり、また購入したり・・・状態。
membranで発売された第1集(10枚組)を購入(かなりの比率で再購入か)して、すっかり気に入って現在第2集を注文中です。既に処分した分はともかく、手許に数枚存在するERMITAGE盤とのダブり確認で、1939〜1942年の「The unknown recordings」を久々に聴きました。(どうやらダブりはないみたい)
小品とか、協奏曲の断片みたいな収録だし、もちろん音質的には厳しいものがあるけれど、濃厚なる輝かしさに溢れてどれもドキドキもの。Lisztの協奏曲なんて好きでもなんでもないが(リヒテルは別格)、おおっ!と身を乗り出すような集中力が凄い。まさに珠玉の一枚!(って、寄せ集めなんだけど)
いつもながら悲喜こもごもの”ダブり買い”(の話題)だけど、History10枚組(205634〜38-303)では(戦前の)協奏曲伴奏録音比率が高くて、あとでダブる可能性が高いんです。案の定、「BARBIRORI & HEIFETZ」(205637-303)の2枚は、NAXOSで揃えた「Heifetz CENTENARY MEMORIAL EDITION」(8.107001)で全部重複いたしました。NAXOSの収録は徹底されていて、Saint-Sae"ns「序奏とロンド・カプリチオーソ」(バルビローリ/ロンドン・フィル 1935年)、Sarasate 「ツィゴイネルワイゼン」(バルビローリ/ロンドン交響楽団 1937年)これはHistoryに含まれない。
ワタシはハイフェッツを大の贔屓にしておりまして、常に速めのテンポ、クールな表情と完璧な技巧に痺れます。これは作品を問わない姿勢であって、このような”通俗名曲”(言葉としては気に食わないが、その存在は大好き)でも唖然とするばかりの完成度を誇ります。「8.110943」ではWaxman「カルメン幻想曲」が含まれ、ヴーアヒース/RCAヴィクター交響楽団(1943年)・・・これってもしかしてRCA盤と同じ?(あちらは疑似ステレオ化されているが)
で、1990年頃に大枚@2,000(税込)で購入した「ツィゴイネルワイゼン〜SHOWPIECES」(BVCC-5088)を更に確認へ。良くも悪くも”なんでも味付け一緒”〜SarasateでもBeethoven でもChaussonでも。全部、”ハイフェッツ節”。彼(か)の優雅なロマンス(ト長調/へ長調)も「SHOWPIECES」に変貌していて、別種の作品を聴くような味わいがありました。でも、ワタシは全部だ〜い好き。
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ほぼ予定通りの作業を消化し、残業もせずにたっぷりお仕事は前進・・・明日明後日は広島です。今週もあとひと頑張り。ようやく2月も終わりが見えてきたけど、ほんま先月今月となかなか時は過ぎ行かない、いつまでもしつこくワタシを苦しめます。夕食後、すっきりと晴れない心情に似合うのはShostakovich ピアノ協奏曲第1番ハ短調〜作曲者(p)/サモスード/モスクワ・フィル/ヴォロヴニク(tp)(1956年)・・・これは驚くべきソロの達者ぶりと、粗野で骨太、洗練されない室内オーケストラ(とくに金管)の躍動がたっぷり楽しめます。キーシンの1988年ライヴのテンションの高さ、サイボーグのような洗練具合と比べると、なんという”味わい系”か。
Bach イギリス組曲第1番イ長調BWV806〜グレン・グールド(p)(1973年)をずいぶん久々に取り出しました。いや、これがもう、たしか良く知っているはずの作品が別物に見えますね。ぽつぽつと音が音とが独立して、その空間と連関性がまったく個性的。ある時はまったく旋律がつながらず、ある時はするすると流麗に進んで、とにかくどこにも存在し得ない驚愕の連続。所謂”バロック風”演奏ではありませんね。ノーミソの中を擽る知的人工的世界の愉悦。
2006年2月某日
さ、朝一番よりお取引先と会議(短時間)。その後、いつもの商談少々。昼には終わる予定だし、早々に帰岡して床屋さんにでも行きましょう。本日明日でダイエット再構築!だ。
昨日の瀬戸大橋線中では、Mozart ピアノ五重奏曲ホ長調 K.452〜クラーラ・ヴュルツ(p)/グラーフ(cl)/メイヤー(ob)/メルヴェ(hr)/ガースターランド(fg)(1997年)・・・この作品はぜひナマで聴きたいような楽しいもの。セレナード 第10番 変ロ長調 K.361(370a)(グラン・パルティータ)に似てませんか。淡々と虚飾なくニコやかなピアノであり、管楽器の息の合いかたも申し分ない愉悦のひとときを保証して下さいました。
帰りはクルマとなります。
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他のサイトにて「電気用品安全法」が4月1日に施行されるとのこと。悪法ですなぁ・・・最近のオーディオなんてちゃちな安物か、バブル紳士用の超・高級ものかどちらかでしょ。HARD・OFFでいつでも買えるワイ!と思っていたのに・・・最悪です。もしかして、ワタシ愛用の熟成パソコンもアウトか?
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上司とお取引先との会談セットを無事乗り切り、商談も済ませ、早々に帰宅・・・Mozart ピアノ五重奏曲ホ長調 K.452の次にK.498の「ケーゲルシュタット・トリオ」が収録されます。ペイ(cl)/イアン・ブラウン(p)/チェイス(va)(1984年)は、古楽器による味わいある演奏だけれど、先のものは現代楽器だったから(その意味では)少々違和感有。もちろん懐かしい旋律の名曲ですが。(BRILLIANT 99724/2)ところで・・・この両作品、他に音源を持っていたような?記憶定かでありません。棚を探索すると〜
まずK.452はギーゼキング(p)/ウォルトン(cl)/サットクリフ(ob)/ブレイン(hr)/ジェイムス(fg)(1955年)が・・・演奏は定評ある著名なものだけれど、コレEMI国内盤で3枚7,600円という超・高価なCDだったんです(涙)。K.498は、ケル(cl)/ケントナー(p)/リドル(va)(1941年)が出て参りました。針音盛大なる復刻盤CDだけれど、音質は分離良く明快、華やかでヴィヴラートがセクシーなクラリネットは魅力的だし、ケントナーのピアノが配慮とニュアンスに充ちて立派(「Mozart Deluxe」History40枚組より)。お気に入り作品なのに驚くべき少なさであって、これは”廉価盤が少ない”、”中古出物が少ない”(=出会いがない)ことを意味していると思います。(ド・ペイエの録音があったはずだけれど、処分したらしい)
続いて、オーボエ四重奏曲ヘ長調K.370〜レオン・グーセンス(ob)/レナー(v)/ロート(va)/ハルトマン(vc)(1933年)が収録され、これも良好な音質でしたね。まるで”泣き”のオーボエであって、ゆらゆらと繊細、含蓄深い音色でございます。もちろん大好きな作品だけれど、こんなに哀愁を感じた(第2楽章「アダージョ」)ことはなかったですね。弦楽器のポルタメントには別な意味で泣けます。とろりと甘い。(これは先の7,600円超・高価CDと収録ダブりました)
2006年2月某日
昨夜は女房ご希望により、行きつけの焼鳥屋。ダイエットは途中休憩状態か。なんとか体調崩さずに今週の出張シリーズ(再び四国、そして広島)も乗り切りたいもの。悲劇的天中殺的大殺界(意味を理解していない、というか興味がない。する気もないが)なのか、粛々と雌伏準備すべき時期なのか。
一昨日の出張で聴いた音楽CD一枚抜けておりました。Corelli 合奏協奏曲 作品6-8〜12+α〜ムジア・アンフィオン(2004年)山縣さゆりさんが参加している古楽器の団体で、作品も大好きだし、躍動する軽快なリズム感+粗野な音色も最高!なんだけど・・・音質評価が難しい。ポータブルCDプレーヤーの耳に近接するイヤホンで聴くと、古楽器+豊かな残響で全体印象が濁るような感触がありました。つまり各パートが分離しない。様子が分かりにくい。ところが、帰宅していつものオーディオで部屋に響かせればそんなことはない、柔らかく溶け合った優秀録音・・・のように聞こえます。ほんま録音評価はわからないもんです。
Bach オルガン作品集〜ノーベル平和賞のアルベルト・シュヴァイツァー博士の演奏(1935-7年)で、トッカータとフーガニ短調 BWV565/コラール「装いせよ、わが魂よ」 BWV.654/プレリュードとフーガ ト長調 BWV.541/バビロンの流れのほとりに BWV.653/フーガ ト短調 「小フーガ」 BWV.578・・・かつてワタシはかつて意外とフツウっぽいというか、大人しい演奏でしょうか。「間」が足りない。音質もオルガンには少々不利か?と(相変わらず、いつものように)不遜なコメントをしていたけれど、音質的には充分現代の鑑賞に耐えうる水準であります。「大人しい」というのは、ヴァルヒャとかリヒターの雄弁な表現が前提にあったからの感想でしょうか。誠実で、淡々とした胸打つ音楽に間違いはない。
では、行って来ます。時間との戦いで諸作業消化見込みに緊張しております。
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んんむむ・・・まぁ、なんとか乗り切った、ということかな。先週末出張が続いていたので、諸作業が残っているはずだけれど、それをこなし、諸トラブルを治めるだけではなく、先に起きるであろうトラブルを事前に察知したり、締め切り先の約束を事前に準備したり、当面の資料作りもあるし・・・会議を終えて(新しい)上司ともにお取引先(高松)に出掛けて(場を盛り上げて)、更に松山へ(バスにて)。
バス中では赤ワインを購入して、紙カップで(3人で)一本空けました。(高松-松山って2時間以上掛かるんですよ)で、他のチームの責任者を誘ってウチのチームのメンバーが待ち受けている酒場(みせ)に合流しました。こりゃ、ほんまにダイエットはヤバい状況です。
2006年2月某日
それにしても、ダイエットで一応の成果を見て以来、酒も喰いものもおいしいし、翌日の体調も良好です。さて、きょうは体重を戻さないと。スポーツクラブへいかないと、ね。
出張移動中に読んだ本の件、横森理恵「横森式シンプル・シック」(文春文庫PLUS。文庫オリジナル)←この読者コメントはオモろいですね。やはり女性は女性に評価厳しい!・・・ワタシは粗忽なオトコなので、徹底してシンプルで、こだわったお洒落生活(スタイル)をそのまま学ぶことは出来ないけれど、生き方・暮らし方、日常の過ごし方への哲学が鮮明に出ていて、痛快なる一冊。読者コメントで「男の子みたいな乱暴な言い回しがところどころ出てくるのですが、こんな言い方を、自立したいい大人の女性がするものでしょうか」〜これは”ははぁ”と思うところがあって、主張が強烈なんです。ワタシは異性だし、こだわりが全然別なとことにある(でも根底に共感するものがある)のでニヤニヤしながら断定的な言い回しを楽しんだけれど、同性の厳しい現実を生きている人々の目は辛辣!
「著者は多額のローンを背負っています。それを不安定な文筆業で返していかなくてはなりません。大変だと思います」(余計なお世話じゃ!)、「なんでもかんでも『アメリカはよくて日本はダメ』という発想は実は後ろ向きだし、そこからはなにも生まれてこないと」(ここまで曲解してこの本を読めるのだろうか?どこにそんな主張があるのだろう。横森さんは若い頃2年間過ごしたニューヨークでの経験から、日本の安易で貧しい生活スタイルを反省しているんだと思いますよ)
「私だったら、ある程度の広さの家に住めれば、お洒落でなくてもいいので、楽な生活を選びます」〜これに至っては、何をか況や、状態であって、(かつて住んでいた)杉並の時代遅れ民家の過ごしにくさ、人生を豊かに過ごせない理由の詳細分析、この本を書くに至った根本からハズしている・・・ワタシは若い頃、別な男性と事実婚をしていたこととか、現在のダンナとの結婚前からの関係とか(お母さんが再婚したことも含め)「自立した女にオトコは要らん!」みたいな硬質な主張じゃなくて、むしろ人生を楽しむための柔軟なる”こだわり”が快い一冊でした。
柴田鉄治「科学事件」(岩波新書)・・・久々「岩波新書らしい」(このニュアンスをわかって下さる人は少なくなった)読み応えのある、永く読み継がれるべき著作でしょうか。1968年「和田移植」の大きな過ち、その後の「移植論議」への混迷、立ち後れへの悪影響・・・「薬害エイズ」問題、「体外受精」「クローン」「原子力」などは世代的にいろいろと学ぶ機会も多かったけれど、「水俣病」はあまり知らなかったんです。(10年ほど前に出張でおじゃましたが、現在の水俣はとても美しい海でした)
・・・ひどいですね。”道を踏み外した”医者、科学者が多すぎて、得体の知れぬ病に苦しみ、亡くなっていった人々になんの瑕疵があったのでしょう。事実を隠蔽し、誤魔化し、解決を先延ばしし・・・朝日新聞の記者であった著者は、ジャーナリズムの弱点にも言及されております。薬害エイズもそうだけれど、ガン治療問題を巡る近藤氏への(たった今、現在の)医療界の対応を見ると体質はなにも変わっていないのか、と絶望的な気持ちになりました。
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出張中に聴いた音楽の残りの件。DUREFLE 「合唱とオルガンのためのレクイエム」作品9〜アスケルソン/ハルグリムス教会モテット合唱団/ハンフリート・ルッケ(or)/ブロガ(s)/クラーク(br)(1996年アイスランド・レイキャビク・ハルグリムス教会 THOROFON原盤)。版はいろいろあるそうで、このオルガン伴奏版には一部チェロ・ソロも加わります。40分ほどの幻想的甘美な旋律(グレゴリオ聖歌がベースらしいが)に彩られた作品であって、合唱の清廉な透明感は特筆すべきもの。このボックス中(未だ全部聴いていないが)の白眉であることを確信。豊かな残響と静謐と敬虔に酔いしれます。
フィル・アップに「オルガン組曲」作品5が入っており、純器楽作品だけにその宗教的敬虔な味わいはいっそう純化され、「トッカータ」の荒々しく自由な旋律の飛躍にココロ踊る思い!デュリュフレといえば、Saint-Sae"ns 交響曲第3番ハ短調〜プレートル/パリ音楽院管弦楽団(1963年)でオルガンを担当しておりましたね。室内管弦楽団版ではピクマル盤(1994年NAXOS)が入手しやすいと思います。ネット上では評判悪いが、ワタシはこのCDでこの作品に馴染みました。
出張ラストはBeethoven !交響曲第1番(1965年)第3番(1963年)〜シューリヒト/フランス国立放送管弦楽団。ワタシは”眉間に皺”、”重厚”、”強圧的威厳”、”勇壮前向き”そんな世界が苦手なのであって、この演奏はすべてをクリアして余りある爽快明快演奏でした。この軽やかさ、ノリ、にこやかな表情、自然体のテンポの揺れ、明るい管楽器の響き、薄い弦・・・すべてが従来のイメージを覆すような躍動に充ちていて、こんな新鮮なるBeethoven は久々か?パリ音楽院管弦楽団との全集も、そろそろ再聴の時を迎えたのか、と感じ入ったものです。(音質も意外と良好。観客の異様な熱狂も収録されます)
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明日はハードな一日でして、やはり週末一日だけの休みというのはモノ足らない感じ。昼前、いつものスポーツクラブへ(女房同行)。「白い巨塔」再放送堪能して、更にぼんやり音楽など聴いております。集中力を失っているのか、Bach 管弦楽組曲第1/2番〜ヴィンシャーマン/ドイツ・バッハ・ゾリスデン(1977年)、Saint-Sae"ns 交響曲第3番ハ短調〜オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1962年)続けて聴いたけれど、かつての感動が蘇りません。
本棚を整理して、山積み(=奥が見えない)CDをかなり整理陳列・・・欲望に限りはありまへんな。かつてエルミタージュ(アウラ)から出されていたスイスの放送音源をまとめて10枚組「グレート・コンダクターズ」として格安で出てますね。嗚呼、これも欲しい!って、10年くらい前に購入してますもん。売れているみたいですね。もう一度ちゃんと聴かないともったいない。
(それとは別音源で)Beethoven 交響曲第6番ヘ長調「田園」〜フルトヴェングラー/イタリア放送ローマ交響楽団(1952年)・・・この作品は滅多に聴かない”苦手系”作品だけれど、これは驚くべきワザですね。ゆったりとしたテンポ、マジックのように揺れるテンポの妙、細部まで入念に精神の籠もった説得力・・・「自然体で、さっぱりとした演奏が・・・」なんていう寝言を一蹴するかのような、超・個性的演奏にたじろぐばかり。(ANDROMEDA ANDRCD 5010 6枚組2,980円)
2006年2月某日
(在新居浜ホテル)昨夜は痛飲!しちゃいました。禁断の酒後ラーメン(たいして旨くもないのに。でも野菜がたくさん入っていた)も今年2回目!アルコールで脳髄が痺れてしまうと、ダイエットの緊張の糸が切れててこんな行為に及ぶ・・・深い反省でございます。
昨日朝は中途半端な時間に地元駅から出張出発だったので、ちょっとゆっくり・・・のハズが、取引先から「急いで返答を!」要望が2件ほど飛び込んで、商品マスターを仕込んである出張用ノートパソコンDynaBookSS3000(年代物熟成パソコン)を起動〜昨日、OS入れ直しているから快調!ではなく、MS-ACCSESSが起動しない。再セットが必要だったんですね。この時点で、予定は時間アウト。
外付けCDROM を付けて、再セット・アップ・・・これがいろいろ苦戦をして30分ほど、ようやく商品マスターを立ち上げて検索、取引先に連絡終了したときには一時間経過。とくにかく新山口迄たどり着いて、そこから在来線乗り換えの予定だったが、贅沢にもタクシーで取引先まで。更に帰り便新幹線の時間が決まっているので、タクシーのおじさんに待ってもらって一時間半商談後、新山口駅へ戻り〜岡山へ。そこから更に特急で瀬戸大橋を渡って新居浜・・・なんとか(約束の)7時半に間に合いました。(で、上記”酒席”へ突入!楽しかった)きょうはこれから7ヶ所現場回り。
たくさん音楽を聴き、本は2冊読破。この件は帰宅してから、ゆっくりと。
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帰宅し、夕食を摂ってフロに入ったところ。体重1kg増えてますね。じつは昨夜の酒席前に省略した事象があって、山口〜岡山、このあと四国方面の特急に乗り換えるわけだけど、25分ほど待ち時間が・・・で、地下の輸入食品店を覗いていていたら赤ワインの小瓶がありました。フツウの瓶のほうがおいしいし、割安なんだけどコルク栓ばかりで列車では飲めないので断念。ま、いいや新居浜到着までちょっとだけ飲んだら良いんだし、ということで、ワインといえばチーズでしょ、いろいろ物色(好物であります)。で、ミモレットを発見。森前総理で一躍有名になったものだけれど、ワタシは食べたことがなかったんです。”からすみのような風味”・・・なるほど!これもカロリー高かったんだな、きっと。ワインは(想像通り)いまいちだったが、チーズは旨かったすよ。
挙げ句、今朝訪問2件目の店頭で”餅つき”をしていて、店長がつきたてを勧めてくださって、せっかくの好意を断れず・・・う〜む。
音楽たくさん聴きました。まず Mozart !「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」〜カール・ベーム/ウィーン・フィル(1943年?)おそらくXXCM(TIM)の10枚組に収録されるものと同一音源だと思うが、人工的に広がりが付加されているようで聴きやすい。生真面目で、背筋の伸びた良い演奏です。続いてセレナード(第5番)ニ長調 K.204+行進曲ニ長調K.203b〜ギュンター・ケール/マインツ室内管弦楽団/ディーター・フォルホルツ(v)(録音年不明)・・・これはおそらくはこの3枚組(CONCERTOROYALE 206238-360)で初めて聴いたもので、すこぶる楽しげな作品であり、愉悦に溢れた演奏であります。VOX系にしては珍しい良質な音であることも嬉しい。フォルホルツのソロは、ややヴィヴラート過多か?地味な音色は個性的で味わい深い。ホルンもフルートも知名度からは想像付かないほど豊かであり、弦のアンサンブルも優秀でした。
お次はBach !(曰く因縁の)クリスマス・オラトリオ BWV248〜フェルディナンド・グロスマン/ウィーン交響楽団/ウィーン・アカデミー室内合唱団/エーリヒ・マイクト(t)/エリザベート・ルーン(s)/ヘルマン・ブラウン(a)/ワルター・ベリー(b)(1959年)・・・オリジナルのLPでは(VOX系では例外的なる)優秀録音とのコメントもネット上で拝見できるが、ここで聴く限りは音質的に厳しいか。数日前の「ヨハネ」はけっこう楽しめたが、少なくともワタシのポータブルCDプレーヤとの相性はよろしくなくて一枚目はあきまへん。オーケストラのアンサンブルの粗さ、合唱の絶叫、テンポの揺れ、タメが大仰すぎ・・・って、帰宅して、いつものオーディオ・セットで確認するとそれなりに聴けるような・・・?
Kalinnikov交響曲第1番ト短調〜サミュエル・フリードマン/ロシアン・フィルハーモニック(1996年 ARTENOVA 74321 65414 2)・・・これは懐かしい旋律いっぱいの人気作品だけれど、この演奏はネット上の評価では芳しくないものでしたね。たしかに洗練されないアンサンブルであり、とくに最終楽章の遅いテンポは雄大なるスケールを表現するに至らず、少々間延びした感じに・・・でも、ワタシはこの演奏をとても楽しみました。演歌風クサい旋律がとてもわかりやすく魅力的に表現されておりました。(43:21は長いですよね)
フィル・アップがGlinkaの珍しい作品でして、歌劇「ルスランとリュドミュラ」〜「舞曲」(初耳)/華麗なる奇想曲(ホタ・アラゴネーサ)・・・これは硬質なカスタネットの響き大活躍!の楽しいリズムでした。
Mozart セレナード ニ長調K.320「ポストホルン」/セレナータ・ノットゥルナK.239〜エドゥアルド・ファン・ルムーテル/ シュトゥットガルト・プロ・ムジカ管弦楽団(ポストホルンはハインツ・ブルーム)・・・やや広がり不足(もしかしてモノラル録音?)で埃っぽい音質だけれど、演奏はしっかりしたもので、ややノンビリとした旋律をしっかり楽しませて下さいました。ヴァイオリン・ソロにはバルヒェットやラウテンバッヒャー等名手の名前が見えます。セレナード ニ長調K.250「ハフナー」〜フェルディナント・ライトナー/ヴュルテンベルク州立管弦楽団/ズザーネ・ラウテンバッヒャー(v)・・・これは音質もずいぶんと良好だし、なによりソロ・ヴァイオリンのしっかりとしたテクニックが魅力でした。派手で艶やかな音色ではないし、ヴィヴラートも控え目だけれど、骨太と表して良いくらいの安定した説得力を誇ります。(以上、CONCERTOROYALE 206238-360)
Bach ゴールトベルク変奏曲〜マリア・ティーポ(p)(1990年)・・・じつはここ最近、数度に渡って聴き続けているお気に入り演奏であります。例えて言えば”全盛期の明菜のつぶやき”風か。グールド、テューレックの明快個性的強靱なるBach はもちろん大好きですよ。以前に「パルティータ」でもちょろりと触れたが”儚げで囁くような華奢でセクシーな表現”が素敵です。細かいニュアンスがウリでしょうか。
長くなったので、本日はここまで。
2006年2月某日
先週東京にて購入した中古CDだけれど、現在まで7枚の完全ダブリ発見、じつは昨夜更に1.5枚分(組み合わせが変わっているカラヤンの戦前録音小品集)照合によって”ほぼクロ”認定、被害総額は1,700円に!これをどう自分に言い訳するか。不注意気を付けるのはともかく。当日、ダイエット中で昼は(朝、ホテルでもらった)パン一個で済ませたから昼食代(東京だし)700円。夜はスポーツクラブで1,050円使って、五反田東急ストアにて総菜700円程購入しました。これがカルく飲みに行けば3,000円では済まないから1,000円強の節約・・・理論上では釣り合う!って、あまりのボケぶりに自己嫌悪が・・・空しい。
柳田邦男「かけがえのない日々」(新潮文庫)読了。気になったのは愛犬サブローの晩年に言及して「家族が崩壊して彼と二人きりになって〜」のような記述があったことです。次男を失ったことは「犠牲(サクリファイス)」で存じ上げていたけれど、カルい表現として”崩壊”と使われた、と願うばかり。更にようやく、ようやっと近藤誠「がん専門医よ、真実を語れ」(文春文庫)読了までいかないか・・・なんども立ち戻るので。
いずれ彼の著作、主張は真摯に検討されるべきもので、彼の著作の題名からのみ(「患者よ、がんと闘うな」)で想像を巡らせて批判するのは間違っております。ワタシが怒りを覚えるのは、(おそらくは多数の)現状追認の医師達がチカラ尽くで彼の意見を押さえ込もうとしたり、理論をねじ曲げたり、誤魔化したり、茶化したり、無視したり・・・という患者不在の行動を常態化させていることです。医療界は体質改善しつつあるのだろうが、効きもしない(どころか深刻なる副作用薬害有)日本でしか認可されない薬や、誤った使い方がまかり通っていたり、必要のない手術が(患者本人への説明説得材料不足のまま結果的に)強行されたりしていることが問題です。
彼の著作が衝撃的であり、医療現場に混乱をもたらした(おそらくは良い意味でも悪い意味でも)のは間違いないが、少なくとも近藤医師に対する反応・反論は”民主的”でも”科学的”でもない。(深く”商売”の感性が入っている。「薬害エイズ事件」を見よ)もっと、真摯に”患者本位”に論議を発展させられないのか。”患者はおとなしく医者の言うことを聞け”、”黙って全臓器・乳房全部切り取らせろ”、”リンパ節もごっそり取れ”(世界的には既に主流ではない)ではお話にならん!
著者は「なにも治療するな」とは言っていなくて、考えて治療せよ、QOLのことを考えよう。集団検診に科学的な効果の裏付けはない。(あるのは商売の理論だ)要らぬ手術をしてかえって寿命を縮めてしまうこと。世界の常識(乳ガン乳房温存手術はお隣韓国では90%、日本では30%!)に目を向けよ・・・平岩正樹「がんで死ぬのはもったいない」(講談社新書)は帯に「患者よ、がんと闘おう」と書いている通り、近藤誠氏とは主張を異にするが、ワタシは別な意味で”科学的”な姿勢を支持しております。
それにしても、日本人は”正しい論議の発展”がヘタクソだね。責任を曖昧にしたまま、いつのまにか様子が変わっていく(またはいつまでも体質が変わらず、ある日すべての矛盾が劇的に吹き出して犠牲を出して、ようやく”変わる”)・・・ということか。”近藤理論”は現状への問題提起であり、結論ではありません。
昨夜、Beethoven 交響曲第2番ニ長調〜カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団(1953/55年)・・・これは優雅で、やや粘りのあるカラヤンと清潔なるオーケストラの色合いが幸せな合体となっていて、颯爽とした表現がイヤミにならず、楽しめました。今朝、第7番イ長調(1951/52年)を聴いたけれど、これはどうも曖昧さと、細部流し気味の印象があって、しかも作品そのものがどうも苦手で・・・あきまへん。
(まだまだ残っている22枚組ボックス中)リコ・サッカーニ/ブダペスト・フィルはKODA'LY 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」/Bartok 「管弦楽のための協奏曲」(2001年ライヴ)・・・これは、いままで聴いた中でもっとも「ハーリ・ヤーノシュ」が彼らの体質に合っていると思います。おクニものだし、自信があるのかな?明るく、自由闊達で雄弁・多弁。ラスト「行進曲」の楽しさなど筆舌に尽くしがたい。
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昨夜夕食をカルく摂って、ウ○コたっぷり出したあと、入浴前に体重計ったら67kg〜一喜一憂できないが、このレベルは(今回ダイエット・トライヤル中)初数値!やはり「2kg毎踊り場理論」は正しいみたいで、68kg付近をしばらくウロウロしていて「この辺りが、いちおうの安定なのか」と思っていたけれど、先はまだあるみたいですね。一昨日はワインの残りをたっぷり飲んだのに、トータル摂取カロリーではやはり少なかったのか。きょうはこれから出張で、夜は新居浜で酒席だけれど昼からカロリー調整しなくては。(朝はそれなりに食べましたよ、ちゃんと)
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(在新居浜)滋賀県長浜市の幼児殺害事件は、なんとも言いようがありません。ワタシはこどもを虐待する人間を許せん。泣けます。こどもたちに無条件の幸せを。
嗚呼、きょうも忙しくてスリリングな、幸せな一日だった・・・もう眠いので、運が良ければ明日。
2006年2月某日
寒さはそろそろピークを過ぎるだろうが、左足付け根外側辺りの鈍い痛みが今年は出てしまいましたね。冷えかな?神経痛かな。右肘付け根の痛みは若い頃からでたまに痛むが、そんな感じ。運動、ストレッチで改善可能か。ま、暖かくしていればなんということもないけれど。きょうは週末(山口行き)の準備と来週早々の準備(松山)だけで、高松への商談は早々に終わらせていただくつもり。べつにどうという(当面の)悩みなどないはずなのに、どんより不安だなぁ。数値成果不振のせいだけか。本日は移動時間それなりなので、CDと書籍選択しなければ。
ここしばらく、ワン・パターンというか同曲異演を聴くことが多いようで、昨夜から今朝に掛けてBach 平均律クラヴィア曲集〜ヘルムート・ヴァルヒャ(cem)(1960/61年)を2/3枚分拝聴。この5枚組はご当地岡山に越してきた1999年、最初に購入したCD5枚組でして4,120円は(今になれば)いかにも高価で贅沢品ですよね。(当時は現在ほどの”廉価盤調達の達人”ではなかった)ゴールドベルク変奏曲は(こどもの頃より)お気に入りだったので、そちらのほうばかり聴いていて「今更、現代チェンバロの平均律なんて・・・」と少々敬遠しておりました。
もとより、Bach の魅力表出には楽器を超えるものがあるし、金属的に朗々と鳴る(今時珍しい)楽器であっても、ヴァルヒャの表現は堂々としてスケールが大きくて、ほんまに立派です。ピアノに比べると表現の幅が狭いというか、微細ニュアンスとか強弱の変化は楽器によって決まってしまうことが多いだろうけれど、一種威圧感のある”厳格なる大Bach ”のイメージの原型を作ったような、そんな演奏でしょうか。現代ならもっと淡々と気軽に楽しめるようなスタイルになって、どちらが正しいとは一概に言えない。もっと古楽器(復刻)系の楽器によるCDも手許にあったはずだから、比較をしてみましょう。
巷ではエラく評判のよろしい(らしい)Sibelius 交響曲第6/7番〜クルト・ザンデルリンク/ベルリン交響楽団(1974年)・・・第1/2番の勇壮雄弁強烈なる構成表現に少々(かなり)違和感があって、こちら後期のお気に入り作品はほとんど聴いていなかったかも。ははぁ、なるほど。これは作品に沿った、抑制と幻想方面に配慮した演奏になっていて、以前ほどの反発は感じませんね。両作品とも”気儘なる幻想曲”だと思うけど、ザンデルリンクは確固たる確信をもって”気儘”にはさせない、わかりやすい、やはり立派に仕上げていると思いますね。
あとは好みの問題でして、わたしはもっとエエ加減な幻想曲であって欲しい(まとまりは必要なし)し、オーケストラの厚みもアンサンブルの集中力も必要ないと思っております。それにオーケストラの響きに”清涼さ”が足りないか。それでも、ここでの表現は”どんより独逸の厳しい寒さ”風であって悪くないと思います。交響詩 「夜の騎行と日の出」 (1977年)は、ちょっと雄弁、元気良過ぎ、骨太過ぎか。
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高松の商談はごくごくスムースで(事前準備が良かった)お願い通りの見通しとなりました。雨模様だし、風邪症状怪しく、明日山口〜新居浜大移動に備えて早々に帰宅しました。自宅からバス通勤も含め、高松往復はけっこう時間が掛かってMozart 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」全曲楽しみました。(正月ショックで新たに購入した)ベルトラン・ド・ビリー/ウィーン放送管弦楽団/シネ・ノミネ合唱団/ワングチュル・ユーン(ドン・ジョヴァンニ)/レジーナ・ショルク(ドンナ・アンナ)/ハイディ・ブルンナー(ドンナ・エルヴィラ)/ジェフリー・フランシス(ドン・オッターヴィオ)/マウリツィオ・ムラーロ(レポレッロ)/ビルギット・シュタインベルガー(ツェルリーナ)/ラインハルト・マイアー(マゼット)/ラインハルト・ハーゲン(騎士長)〜2002年ぴんぴんの新録音。音質極上。(ARTENOVA 74321 98338 2 3枚組890円新品也)
もとよりワタシにはオペラ云々のコメントは付けようもなく、「歌手が小粒で・・・」という記事を拝見してもそ、そもそも最近の歌い手など全然知らぬ存ぜぬ。(”シネ・ノミネ”って名もなき、という意味ですよね。ほんまにそんな合唱団あるんだろうか?)たしかに個性的な存在感には不足するのかも知れないが、ワタシはMozart のココロときめく旋律を存分に楽しみました。オーケストラが、まるで古楽器風素朴に響いて、軽快リズミカル、集中力もある〜これは昨今の表現の主流なんでしょう。(フルトヴェングラーの劇的太古録音とは隔世の感有。ずいぶんとすっきり爽やかであります)
「プラハ版」による演奏だそうで、CD3枚目が16分の収録とはずいぶんケチ臭い、と思ったら「ウィーン版」に追加分を別収録してくださっていたのでした。(「版」のことはようわかりまへん!)知名度や価格で考えてバカにしたらあきまへんで。ほんまに楽しおまっせ。「フィガロ」「コジ」も安いから注文しようかな?
2006年2月某日
方向性、自分のなすべき立場、毎日の諸処消化すべきこと、はっきりしていて、自分なりに誠実に実行しているつもりだけれど、この漠然とした不安感はなんだろうか。お客様との信頼関係は継続していると思うが、やはり数値の不振、自分だけではなく組織の動き(全体ではなく、直属の職場のことだけれど)の鈍さだろうか。きょうも(精神的に)余裕がない。朝日新聞にて「思想の言葉で読む21世紀論〜象徴的貧困」・・・このコラム記事が自分にしっくりと落ちましたね。
「メディアの多様化とは逆に、人間の精神面では画一化が進んでいる」(石田英敬東京大教授)「情報が増えすぎたため、象徴的貧困化が深刻になっている問題がある」・・・つまり、この間憂いている事象は既に分析されているんですね。「一斉バッシング」「ミソもクソも一緒くた」「どのチャンネルを掛けても同じニュースばかり。切り口も同じ」みのもんたが「これがカラダに良い」と放送したら、その食材はあっという間にブームとなって品切れを起こし、そして即ブームは去ってしまう。それは部分的には真理であっても、前後関係やトータルの生活設計とは無縁に(単品ダイエットじゃあるまいし)暴発してしまう。誰も彼も通勤電車に乗ったらケータイを握っていて、メールをしている。同一性への指向はこどもにいっそう多いのは、大人の世界の反映でしょう・・・(息子はゲームソフトをほとんど処分したらしいが)
ようはするに「物語れ」なくなって、「モノ語る」ことしかできなくなっている・・・という10年以上前の著作で指摘されたことの状況深刻化ですな。これはワタシがこのサイト上で千度指摘していることだけれど「このCDを買いました」「ワタシのディスコグラフィはこれこれです」・・・なんの感動も語れない「物欲自慢」な世界に近いと思います。昨日、ネットの書き込みを拝見していて、それなりに書き込んでいらっしゃるが”自分の考え、感動、主張”がなにもない人を見掛けて愕然としました。何故、この方の書き込みはこんなにツマらないんだろう?と考えて、じつは”話題に関係する知識”のみを並べていることに気付きました・・・(主張哲学はわからないが、人間性は読みとることは可能)
「有効求人倍率」の件が記事になっており、全体として数値が上昇気味なのは(就職を目前に控える息子を持つ身として)慶賀に耐えないが、低いところ(沖縄、青森、高知)の厳しさはもちろんだけれど、1.6を超え第3位である群馬県でさえ、実際はパート労働、派遣労働という不安定な雇用が多いそうで、ことは単純ではないようですね。生活に対する基本的な不安を抱えたまま「働きがい」とか「日本という将来設計」なんて語れるワケないじゃん。こうしてみるとワタシはほんま恵まれているし、ブツクサ文句ばかり言っている(ウチの)職場の連中は極楽トンボだ。
マイ・声楽・ブームは続いていて、Pergolesi スターバト・マーテル〜ティモシー・ブラウン(or+指揮)/アンガラード・グリフッド・ジョーンズ(s)/ローレンス・ザゾ(ct)+弦楽4人(DVDでは現役のようだが、ワタシのはCD)・・・もとより畢生の名旋律だけれど、わずか7人で人類の哀しみを表現して、清潔清涼。現代楽器のようだけれど、とくにカウンター・テナーが深みがあって、ソプラノもヴィヴラートが少なく透明感漂う理想的な演奏と感じました。録音年は不明。
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きょうはイライラし通しかな。今朝方の占いではわりと良い運勢(もとよりそんなものは信じない)・・・だけれど、たしかにしっかりとお取引先との商談をこなして、処理すべき諸作業をこなし、思ったように諸トラブルを回避しリカバーし粛々と当初予定は進んでいく・・・でも、いろいろとおもしろくない。ちょっとした経緯で寒風の外でしばらく立ちすくして風邪気味になるし、届いたメールに激怒するのはともかく、そのコメントでクソミソ返答しちゃったり。冷たい雨の中、職場にてラストまで残業をする羽目になって、女房のゴキゲンを伺ってクルマで迎えに来てもらったり。どうも、すっきりしない。なんなんだろう?体調下降気味なせいかな。(帰宅して残りワイン飲みました。酒席が流れた故)
Verdi レクイエム〜ゼナーナ/アカデミスク合唱団/管弦楽団/アンネ・マルグレーテ・ダール(s)/アンネ・ケラインスルプ(ms)/ニールス・イェルゲン・リース(t)/クリスティアン・クリスチャンセン(b)(2001年コペンハーゲン大聖堂ライヴ)・・・一連のこの団体の演奏 は不思議な感触を持っております。技術的には器用なものではないが、茫洋とした誠実なスケールと透明な広がりを感じます。(とくに合唱)オーケストラの迫力は存分だけれど、個々の技量(例えばトランペット)のテンションは高いとは言えないでしょう。しかし、絶叫ではなく、また、オペラティックではなく、雄弁でもなく、清涼で誠実。
ここ数日、そして昼間クルマで移動中のラスト迄聴いた感想です。嗚呼、大殺界の日々はなかなか過ぎ去らない。
2006年2月某日
今朝はお取引先へ直行直帰予定(難しい宿題もある)。朝一番で、少々(純実務的)準備をしました。今朝の朝日新聞「政治が心の問題に踏み込んではいけない」と。小泉首相が「靖国は心の問題だ」とするが、リリー・フランキーの小説を例(こどもの頃のお隣の席にいた女の子との関係)に挙げて、とにもかくにも、いちおうは隣国と仲良くやっていかなければ。一国の代表が「心の問題」と開き直った途端それは”政治問題”になってしまう・・・なるほど。
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのボックス第2集の価格を(ちょっと上がったな、とネット上で)見ていて、そういえば・・・と棚から取り出したのは、アンネ・エランドのBeethoven ピアノ・ソナタ全集(membran DOCUMENTS 220865)ちょうど一年前2005年2月に岡山タワーレコードにて1,990円で購入していて、”相場感覚の麻痺”について考えさせられました。(未だ現役CD)閑話休題(それはさておき)・・・
ワタシは”Beeやんちょっと苦手”罰当たり者と公言している通り、「鍵盤の新約聖書」はちゃんと全体を楽しむに至っておりません。(旧約聖書=Bach の平均律だったらOK!なんだけど)でもね、先陣の偉業に対する経緯の念は失いたくなくて、シュナーベルのモノラル全集、そして「ちゃんとした音質のも揃えておかなくっちゃ」とアンネ・エランド全集も購入したのでした・・・というのは大ウソで、バナード・ロバーツ全集(NIMBUS)が10年掛かってどーしても楽しめなくて、売り払って購入したもの。(クスリが効かなければ替える、というのは当然のこと)
昨夜、遅くに聴いたのが第7番ニ長調/第8番ハ短調「悲愴」/第31番 変イ長調(1995年)・・・とくに初期作品である第7番の軽快なる表情が楽しく、ああ、これだったらもっと楽しめるかも知れない。「悲愴」は馴染みの作品であり、深刻さを強調しない演奏には好感を持ったが、時に細部のツメの甘さ、やや弾き流し(テンポ速い楽章で)ありませんか?晩年の第31番最終楽章「フーガ」は、Bach の世界に近くてこりゃ深い音楽だ、と感心したものです。
今朝、第12番 変イ長調/第14番 嬰ハ短調「月光」/第24番 嬰ヘ長調/第32番ハ短調(1997年)を朝食時に聴いていたら、音質乾き気味で妙に楽しめない。威圧感がない(重厚ではない)のはかまわないが、音に集中力を欠いて聞こえちゃう。これはリビング・オーディオ(もちろん安物)との相性であって、昨日のオーディオ・PC部屋で再確認すると、しっとり瑞々しい、ややさっぱりとした語り口が戻って参りました。馴染みの「月光」最終楽章「プレスト」の勢いは、少々慎重に過ぎませんか?
数少ない馴染みの作品である第32番ハ短調を聴いていると、鬼神のような幻想深遠なる表現!方向ではなく、もっと誠実で淡々とした持ち味なんだな、と気付きました。古今東西の重厚演奏が念頭にあると不満かも知れないが、まず作品を味わうことが大切であって、立派な存在感のあるセットだと思います。器用なテクニックの人じゃないのかも知れなし、特別に美しい音色でもない。でも、ゆったりとした部分での優しい表情は出色。それはこのラスト・ソナタの最終部分で堪能できました。
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ほぼ見込み通りの午前中の進行で行事は消化できて、更に昼から(ちょっと大きな)打ち合わせがあって、関係者に指示・・・いや、これはクリアできます、きっと。こんな調整ばかりの仕事になりつつある・・・しかし、いつも最前線でうろうろしたいものですな。二日後だった商談日程が一日早まって、明日午前中の作業スケジュールがキツくなって、その替わり二日後がぐっとラクに高松迄商談のみ。明日は夕方、メーカーさんと打ち合わせ(ほんまの重要商談)後、酒席だっけ?週末は山口(2件商談)〜(大移動して岡山経由)〜新居浜へ(お取引先と酒席有)。翌日、愛媛県東部(東予)地方巡りの土曜日・・・あちこちお座敷が掛かって温泉芸者(=営業)侘奴。は売れっ子でございます。
出張移動時間が長いと音楽タップリ聴けるし、本も読めるし、居眠りも出来ます。ダイエット+定期的なスポーツの成果か(いまのところ)風邪も大丈夫。きょうは赤ワインを飲んじゃいました。ちょっと、半日以上緊張が続いたので。(巷ではバレンタイン・デーということで、義理チョコふたついただきました)
自家用車はお仕事使用禁止なんだけどヤミで直行・・・移動中はR.Strauss 交響詩「英雄の生涯」〜ネーメ・ヤルヴィ/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(1986年)を。録音が非常に鮮明であること、アンサンブルの彫琢に優れ、バランスと余裕を感じさせる耳あたりの良さ。素っ気ないワケでもなく、リキみ過ぎてムリムリな表現になることもなく、語り口は抜群に上手い。ティントナーのBrucknerとはガラリ印象を変えて、ここぞと言うところでの押し出しにも文句なしのオーケストラの力量か。もちろん清涼な味わいはちゃんとあります。エドウィン・ペイリング(v)のソロは最高。
プレヴィンとはずいぶん方向が違うようだけれど「自然体のR.Strauss」であります。フィル・アップが「4つの最後の歌」(フェリシティ・ロット(s))であり、作品も歌い手もお気に入りだけれど、それだからといって理想的な演奏に仕上がる・・・保証じゃないところが、音楽のオモろいところ。
2006年2月某日
土曜日にスポーツクラブに行った関係で、そのままケータイの電源切ったまま〜今朝、電源入れると数件伝言が入っていて、いずれ対処方法のない急な要望だったが、少々間が悪くてあとでのお詫びが少々憂鬱です。なんか、気分的によろしくない週の始まりですな。
なんどか書いているが、読むべき本、聴くべきCD(ま、音楽はなんども聴けばよいのだけれど)は切らさない・・・ように気を付けていて、現在4冊くらいの読みかけが存在します。
文庫で出たものはすべて目を通すようにしている柳田邦男さんだけれど、「かけがえのない日々」(新潮文庫。昨年末にBOOK・OFFで購入した、と挿んだレシートでわかる)・・・あちこちに執筆した短い文書の集成だけれど、1990年代前半のものが多く収録されます。未だ半分も読んでいないが、それは一気に読み進めるにはもったいないような味わいが深い。
例えば「愛の悲しみが浄化されるとき」〜手紙の時代がかつてあった、電話も(ましてやケータイ!なんて)普及していない頃、ある老医師の青春(もちろん戦前です)の苦い悲恋。妹の友人を愛し、恋文(美しい日本語だ)を送ったが、その返事は「アンドレ・ジイドの『狭き門』のアリサと同じ気持ちです。貴方にはもっとお素敵な人がいるでしょう」・・・やがて数年、その女性は不治の病を得、妹にその時の本当の気持ちを「いえ、私には貴女こそが一番です」との返事が欲しかった、と。
教養に充ちた反語的表現であり、時代は含羞が美徳であったのです。これは「悲恋」に間違いはないが、なんという美しさか。綾小路きみまろの鋭い警句にみられるように、またBerliozの有名な事例(ハリエット・スミッソンとの結婚)が示すように、思いが叶った結末がすべて順風満帆のシアワセであるとは限りませんし・・・
心理学者・河合隼雄さんが「最近は、自分のことであれ、他人のことであれ”物語れなくなっている”」と。人間は本来”物語る存在”であったのに、物欲でしか表現できない”モノ語り”になっていると・・・この執筆時点「バブル真っ最中」だったし、その後10年の年月を経、事態は深刻化している、と感じたものです。
Brahms ピアノ四重奏曲(作品25/26/60)〜イーストマン四重奏団(フランク・グレイザー(p) 1968年録音)を久々。ワタシが購入したもっとも初期のCDのひとつであり、それこそ含羞と抑制に充ちた、少々鬱陶しい後ろ向きの”美しい”音楽。華やかさも爆発もないが、詠嘆と時に情熱の発露もある。ワタシはかつて第1番ト短調を愛したが(とくにジプシー風躍動する終楽章)、今や第3番イ長調第3楽章「アンダンテ」にすっかり黄昏ました。
では、いってまいります。
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たいしたトラブルもなく、いつものように営業成績悪く、粛々と諸作業こなしつつ、明日の地元取引先への行事準備で荷物お届けしたついでに、さっさと直帰しました。女房は少々体調悪いですね。今朝聴いた音楽の追加・・・Faure チェロ・ソナタ 第1番ニ短調 作品109〜トーマス・イグロイ(vc)/ベンソン(p)(1975年)を。もしかしたら大好きFaure作品ながら、この作品は(意外にも)初耳かも。いつもの”儚くも可憐なる旋律”ではなく、もっとチカラ強い幻想的存在感たしかであって、文句なく楽しめる20分弱。どこの誰かは知らないけれど、(知名度なんて!しかも寄せ集めでも)BRILLIANTのFaure室内楽5枚組(92337。1,344円にて購入)はずいぶんと楽しめます。
数日前のドイツ語版に刺激されBizet 歌劇「カルメン」〜ラハバリ/スロヴァキア放送交響楽団/スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団/グラシエラ・アルペリン(ms)/ジョルジオ・ランベルティ(t)/アラン・タイタス(b)他(1990年 NAXOS 8.660005-7)聴き始めております。全3枚の長丁場へ。じつはこのCD、ワタシのトラウマであります。忘れもしない十数年前京都のタワーレコードで「3枚3,750円」はどうしても納得できない!とお店の人と大喧嘩。(意地と見栄で購入した、ハズ)このCDの姿を見ると切なくて、結果的にほとんど聴いてこなかった?(良く処分しなかったもんだよ)
こうして幾ばくかのダブり買い=ムダ使いの翌日に眼前に再出現したのも出会いの妙か、ジンワリ心に染みて親しい旋律は部屋に鳴り響きます。ややオーケストラの芯が細い(響き薄い)とはいえ、爆演で定評あるラハバリの生き生きとしたリズム(第2幕、有名なる「ジプシーの歌」に於ける怪しげ激遅テンポ〜モウレツ・スピード・アップ!は彼の面目躍如)、第1幕ラストをはじめとして、カルメン(アルペリン)のドスの効いたコブシ(浪花節?)の衝撃・・・なにより、ここ最近歴史的録音ばかり聴いてきた耳には、鮮度良いディジタル録音はつくづく嬉しいですねぇ。
ちゃんと全曲聴きますよ。ほんま”マイ・声楽・ブーム”だ。嗚呼、楽しい。
2006年2月某日
よく眠れてありがたい日曜。オリンピック始まりましたね。ワタシああいったイヴェントに興味薄い方だけれど、それでも満面の笑みで世界の選手が入場するところは意味もなく感動して、(それなりに)平和でスポーツのお祭りができる、というのはありがたいものだな、と。昨日はR.Strauss「アルプス交響曲」の巨大さにナマで感銘受けたが、帰宅してCDで再確認する気分にはなりませんでした。「エイリアン4」がオモろかった。ハリウッドも、ああいった”大がかりな恐怖”に食傷して、日本風室内的心理的恐怖パターンに移行していったのか。
「REQUIEM」(10枚組)は、もっとも人気高い、Mozart レクイエム K.626(ヴァッド版)〜クヌド・ヴァッド/ソラヌス合唱団/トルンスカ室内管弦楽(1999年6月、デンマーク、ソロー教会)へ。版の問題については別途詳細記事有。ま、慣れの問題もあるし、ワタシはジュスマイヤー版で充分楽しんでおります。昨日の「ドイツ・レクイエム」と違って、こちらなんせ数をこなしておりますので、”演奏の質”が気になりました。合唱は清涼(非絶叫)方面が好ましい表現だけれど、迫力不足(少々技量的に問題ありそう?)で、オーケストラの出来も、ま、フツウか。怒濤の感動!作品故、評価も厳しくなりがちでした。ヴァッドって、以前オルガン弾くために日本に来てませんでした?
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「ほとんどビョーキ」(死語)「病膏肓に至る」(意味が違うか?)先ほど、更に今回の東京出張取得物中3枚のダブり買い発見(涙)。購入平均単価@300円を遙かに切るはずが、実質上@500に迫る勢い・・・って、まったくの不注意です。合計7枚のダブりでっせ、情けない。1,400円ほどのムダ使いをどう考えるべきか、”CDを選定しているときのウキウキとした昂揚、持ち帰って聴いているときの感動”の対価として適切だったのか・・・かすかな胸の痛みを感じます。
いちおう音質確認した上で、どなたかにあげましょう(涙)と、書いたけれど、数冊の本と一緒に(いつもお世話になっている)BOOK・OFFにて処分してきました。(手許にあって、見るのもツラいので)もうそこのクラシック売り場は、かなりの比率で元ワタシの在庫でっせ。風邪も(ほぼ)治ったし、「白い巨頭」再放送は楽しかったし、うつらうつら昼寝もしたし、音楽も、読書も充実していたし・・・ということで、ムダ使いは”個人消費の拡大”ということで、処分したCDはまた新しい音楽愛好家へ・・・ということにして忘れましょ。(反省せよ)
2006年2月某日
よく眠って(通常)早朝起床。寝る前に喰った文旦(瑞々しくて旬の味は極上)+ぽんかんが効いたのか、たはまた抗生物質のチカラか基礎体力の問題か、風邪(?)症状そうは悪化せず。鼻水だけで熱はない。昨日の”4枚CDダブり買い”は少々ショックだけれど、昨日まで順風満帆、今朝は既に罪人扱い(自業自得だけれど)の「ライブドア」「東横イン」(本社解体だそうだ)「フューザー(ばかり有名になったが一連の偽装マンション関係者)」に比べれば、なんと慎ましい、所詮”サイト・ネタ”程度の535円ダブり買い大損害(全然話題に連関性がない)か。
金額の多寡の問題じゃないですけどね。精神衛生の問題。いつものエアロビクス強行するか?昼過ぎより演奏会の予定。土曜のマチネ・コンサートがワタシには一番ありがたい。時間に余裕があって。さて、出張中に読んだ書籍から少々コメントを。
司馬遼太郎/海音寺潮五郎/対談「日本歴史を点検する」(講談社文庫)〜わずか190頁の文庫だけれど、中身の濃さ、史観の多彩さ奥深さで”読み流し”を許さぬ、幾度でも読み直す必要がある驚異的対談集。話題的に明治維新が多く出現するが、絶対主義的天皇制を批判する唯物史観とはガラリと趣を変えて(以前読んだ今谷明「象徴天皇の発見」の主張にも通じるが)”天皇名義”を利用した強制的な近代化の流れを”日本という無思想の思想”として分析します・・・
・・・と、まぁ、こうまとめちゃうと無味乾燥だけれど、大小取り混ぜてあちこち出現した有名無名、大人小人取り混ぜて、その人の偉業、魅力、個性+時宜を得た動き(または時流に乗っただけで、じつは浅薄な生き方)をイキイキと描写して、楽しいものです。ペリーの黒船騒動の衝撃は凄いものだけれど、それを見た開明的な諸藩三つが数年後に”自腹でそれを作り上げてしまう”、薩摩、鍋島は財力やら技術の蓄積があったが、宇和島藩はなにもなくても10年以内で「黒船」を自前で作ってしまう驚異的なエネルギーと危機意識の爆発。明治維新の経緯評価はさまざまだけれど、その源流、功罪を語って縦横無尽でした。
堀切和雅『「ゼロ成長」幸福論』(角川ONEテーマ21)〜だいたい題名から想像される通りのエッセイですね。文章が平易でわかりやすくて、気楽で、一番学びたいのはそこです。ようはするに「勝組」評価の無意味さ、「物欲」「おカネ」の意味合いについて、虚心・自由なる(但し、たしかに貧しい)友人・知人への取材によって深めていくもの。ああ、ワタシ、かなり実践しているな。「フェラーリが欲しい」って、どういう意味だろう?(ワタシの駐車場お隣は深紅のフィット、青いキューブ、数台隣にはベンツ・・・そしてウチのは薄汚れたどぶネズミ色のセルボ・モード。でも、なんの痛痒も不便もうらやましさも感じない)この「音楽日誌」を執筆しているのは”中古2000円のノートパソコン”(自分でメンテ、改造、増設・・・)しかも無借金生活、同時に(ほぼ)無財産生活でもあるが。
東京にて購入したCD(一部)の件、ヤーノシュ・フェレンチーク/ハンガリー・フィルによるBeethoven 交響曲全集だけれど、10年掛けて抜けていた第9番/第6・2番の2枚を無事入手(@315)・・・さっそく「第九」拝聴・・・ポータブルCDプレーヤーのイヤホンを純正のパナソニックに替えてから”なんでもよく聞こえる状態”に至っていて、”鳴らない、洗練されない響き”だったはずのハンガリー・フィルも(収録音量レベルは少々低いが)しっとり、オーソドックスなアンサンブルに感じられます。堅牢強固なる激しい音楽・・・であるはずのBeeやんも、するすると(久々)素直に楽しめました。声楽もしっかりしているし、先日ナマで聴いたばかりの第2番だって、細部まで配慮が行き届き、しかも素朴な味わいが素敵でした。
五反田BOOK・OFFは、稀に出物があるが、Stravinsky 自演「バレエ音楽vol.2」(SONY SM3K 46292)3枚組1,000円(更にサービス券▲50円)は出物・・・問題は既存所有ダブりでして、すくなくとも一枚分はアウトか?と少々不安な気持ちのまま「ミューズの神を率いるアポロ」〜コロムビア交響楽団(1964年ニューヨーク)から・・・これはカラヤン/ベルリン・フィル(1969年)のセクシー艶やかなるイメージがあるけれど、もっとアルカイックで感情の動きが少ない(というか、ギリシアの石像を見るような?)直截なる表現(素っ気ないとも言う)で新鮮でした。
問題は「アゴン」(ロサンゼルス・フェスティヴァル管弦楽団1957年)でして、ワタシ、こどもの頃からこの作品が気に入っていて(やはりアルカイックな味わい作品)これは持っていたような・・・たしかに演奏にも記憶があるし、と不安が募ります。で、帰宅して確認すると手持ちボックスには含まれず、どうやらかつてのエア・チェック・テープ(愛聴していた)の記憶とごっちゃになっていたみたい。「プルチネルラ」も手持ちにあったのは「組曲版」(これもやや粗野なアンサンブルで素朴な味わいがある)でして、今回購入分は声楽入りでした。良かった!
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早朝から延々と長文だけれど、作文はワタシのストレス解消だし、ボケ防止(認知症という言葉も陳腐化が速いなぁ)のためにも必要な趣味なんです。(昨日、涙の・・・もう意地でもこのまま所有するか)Verdi 「仮面舞踏会」〜トゥリオ・セラフィン/ローマ歌劇場/ジーリ(t)/カニーリャ(s)(1943年 HISTORY 205129-302)・・・これは人工的に音の広がり、適度な残響も付加されているみたいで、かなり聴きやすい音質でした。(もともとがそれなりの水準なのだろうが)先月辺りから声楽に入れ込んでいて、こりゃ”イタリア・オペラ攻略のエエ機会じゃ”と狙っていた音源(あちこちの店で姿を変え3回出会っていた。しかし、青い鳥はお家にいた・・・)です。
ベニアミーノ・ジーリ(1890−1957)の歌が驚くほど端正で雄弁強靱明快、マリア・カニーリャ(1905-79)も同様の趣向で可愛いらしい声質が、それだけで(粗筋も知らず、馴染みでない旋律〜充分美しいが〜であっても)充分説得力を以て飽きさせない。歌声そのものが悲劇していて、オペラの魅力ってそういうものなのでしょう、きっと。
さて、問題のBach ヨハネ受難曲〜グロスマン/ウィーン交響楽団(1950年)の再聴です。たしかに、全体合唱での響きの濁り、木管のピッチがおかしいこと、ときにアンサンブルのリズムが乱れること、時代錯誤的金属的雄弁チェンバロ、声楽の歌唱法の方向(ベルカント唱法というのですか?違うか)の好み問題はあるけれど、結論的に感動いたしました。やっぱり「慣れ」と「集中力」なんでしょうか。その時の精神状況にもよるだろうが、ワタシは燃えるような誠心誠意をこの演奏に感じ取ることができましたね。
こうなれば1,480円のムダ使いもけっしてムダではない。かな?
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行ってきました定例エアロビクス。いつも顔合わせするお兄さま、お姉さまに「ずいぶん痩せたんちゃう?」と声掛けられて嬉しく思いました。風邪も吹き飛ぶが、体重は一昨日五反田のスポーツクラブで量ったときより500g増えてますな。やはり、昨日夕方渋谷でラーメンを喰ったのが間違いだったか。でもさ、しこしこの麺といい、白菜たっぷり野菜ベースのさっぱり醤油スープといい最高でした。
ええ、聴いたCDの件、まだまだ続きまっせ。membranが新しく出して下さった「REQUIEM」(10枚組)これが新橋キムラヤだと相場より500円安く1,480円!〜買わいでか。まず、Brahms 「ドイツ・レクイエム」〜モルテン・トップ/アカデミスク管弦楽団/合唱団(1999年11月ティヴォリ・コンサートホール・ライヴ)・・・ワタシはこういう”低・知名度盤”に目がありません。
ワタシは特別にこの作品が好き!とうことでもないが、合唱がとても清涼で「正確なる児童合唱」風であり、ライヴとは思えぬ技量であります。また、オーケストラが「古楽器風」(というのも時代的にヘンだけれど)で素朴、エエ味出してます。所謂”ドイツドイツ”していない、新鮮な味わいを堪能・・・この10枚組ではもっとも多く演奏を担当しているので、楽しみですね。
・・・行って来ました。岡大響OB管演奏会。Wagner/R.Straussという、思いっきり大編成大音響を楽しんで参りました。なんだかんだ言わず、黙って怒濤の迫力に身を委ねなはれや!的快感に包まれました。
2006年2月某日
小さく、愚かなミスを積み重ね、少々反省もし、予想通りホテルの乾燥に咽をやられ、ダイエットはなんとか継続し、疲れ切って帰って参りました。移動時間+ホテルでの時間を利用して2冊の本を読了し、高知/五反田のBOOK・OFFで5冊の本を新たに購入。多くの音楽を聴き、今回は東京の前泊は余裕だったのでしっかり”CDの出物”を探しました。自分なりに気になっていたものを厳選して購入したつもり(一部ミス有)。高知では旬となった露地物の文旦を大量購入〜かつての同僚に東京まで送付、いつもお世話になっている地元取引先に、女房の実家用に、そして自分の食べる分も持ち帰り(というか、高知からクルマで戻った若い者に届けさせました)。
既にBBSに書いたので”一部ミス有”CD購入の件、独逸語版Bizet「カルメン」〜ウィルヘルム・シュヒター/ベルリン交響楽団(旧西か)/ジークリンデ・ワーグナー(ms)/ルドルフ・ショック(t)/ルドルフ・メッテルニヒ(br)ほか/Chor Sta"dtischen Oper Berlin(ベルリン市立歌劇場合唱団・・・とのこと)・・・これ、独逸語版抜粋だったら既にケーゲル盤(→うぅっ、下らぬコメント・・・)を所有しているし、てっきり2枚組全曲@525と思って購入したら抜粋でした。(高い!今回は平均単価300円以下を目指したのに)それに一部、アルトゥール・ローター/管弦楽団との表記(おそらくその録音が1952年)があり、ほか1954年?1956年?1958年?とバラバラに録音された、全曲録音の抜粋ではなく「独逸語による他国の歌劇入門」みたいな趣向らしい。
少々がっくりしてホテルで早速確認したが、演奏すこぶる颯爽としていて、音質良好(もちろんモノだけれど)。歌い手は、まさにWagner!的、勇壮雄弁闊達なるスケールを誇って、馴染みの「カルメン」旋律が、別種の音楽に変貌して異様にオモろく仕上がっておりました。エスカーミリョがウォータンに、カルメンがブリュンヒルデに聞こえる”Wagner風”カルメン。これはこれで価値ある購入ということか。結果オーライ。
購入した物件は、ちゃんと聴いてからコメントしましょう。読んだ本は少々深みのあるものなので、また、明日ゆっくりと。
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・・・と、ここまで書いて歯を磨いて、なにげなく棚を見て愕然!Verdi「仮面舞踏会」(セラフィン/ローマ歌劇場1943年 315円)/「トロヴァトーレ」(サバーニョ/スカラ座1930年 210円)を「エエ買い物したわい」と、帰りに聴いてきた(妙にしっくり胸に響いた・・・)が、しっかり(別レーベルで)存在するではないか。ワタシはこの辺りの著名歴史的録音に疎くて、別な指揮者との記憶混同しておりました。損害被害膨大CD4枚計535円也。いちおう音質確認した上で、どなたかにあげましょう(涙)。
2006年2月某日
さて、午前中お休みをいただいて(病院へ)ゆっくり、出張スケジュールに対応してサイト定例更新を前倒し。この時期のホテル連泊は咽をやられるんですよねぇ、気を付けないと。高知〜東京の出張内容自体は大きな宿題も試練もなくて、やや”定例訪問・会議対応”的内容だから気楽と言えば気楽です。明日、朝から単独行動だから本とCDの選定が必要です。
ワタシとは段違いの詳細分析と実践演奏(ホルン)される山本さんのブログ「アマオケホルン吹きの音盤中毒日記」にて、ワルター・クラフトのBach オルガン作品が取り上げてられており、ワタシもLP時代「全集」(だったのか?)を所有していたことを思い出しました。
ワタシ、LP時代ワルター・クラフトの全集を所有しておりました。MurryHillとかいうレーベル名で安っぽい緑色の紙の箱に、なんの印刷もない紙質の悪い白い袋に収納されたもの〜中古壱万円でした。素朴で草の香りがするようなエエ演奏だったなぁ。(録音がイマイチだったのか、それとも盤質が劣悪だったのか)
だから座右に「全集がある」とのは当たり前のことでして、CD時代になったらヴォルグガング・シュトックマイヤーの全集が5,990円で出たときに購入したものです。(昨年くらいにさらにその半額くらいで再発された)
Bach の音楽、とくにオルガン作品は、ときどき思い出したように摘み聴きしても必ず感動しますよね。ヴァルヒャのモノ全集が格安で出ているが、少々悩みます。
・・・とはワタシのコメント。クラフトのBach は全部はCDになっていないのかもね。いずれワタシはシュトックマイヤー(or)の立派な20枚組(Art & Music CD 20.1539-58)が座右にあって、そちらに集中するのが筋でしょう。今朝は(20.1540)ソナタ ハ長調BWV529/前奏曲とフーガハ長調/ニ長調/ホ短調/ヘ短調/ト長調BWV531-535(1977/81年)を楽しみました。オルガンは楽器というか、会場残響そのものを楽しむものであって、音響的に不備もなく、ひたすらBach の躍動する自由な旋律に感動しておりました。演奏云々コメントは付けられず。リキみなく、淡々と音楽は進みます。
・・・で、ここまで書いたあと、リヒターのBach を再確認しようとしたところ、いつもの深刻な症状発症!棚からCDが発見できない。先日のクリュイタンスも未だ行方不明だし、誤って売り払うべき音源でもないからどこかに埋もれているはずだけれど・・・こまったもんだ。
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目医者に行って来ました。「眼圧やや高い」→「正常」へ。視野がやや狭い件は、まだ数ヶ月先の検査でよいとのこと。「ダイエットしたんですが、関係ありますか」(と、期待して訊いたけれど)言下に「関係ありません」とすげない返事でした。更に眼鏡屋さんに行ったのは眼科絡みじゃなくて、アイメトリクスのほうの眼鏡鼻当てが片方取れて紛失したためでした。無料で付け替えて下さったのも悪いな、と思って「レンズ込み12,600円」との商品について「ワタシのはど近眼なので、超・薄型特殊レンズで割高なんでしょうね」と買うつもりで相談。そこで思わぬ学習をいたしました。
店員さんが「それ高かったでしょう」と。2年ほど前に購入した古田眼鏡「アイメトリクス」が7万円強だったのはともかく、10年ほど前、博多でつくった(ワタシが身につける唯一のブランド品である)アルマーニのチタン眼鏡に至っては10万円だったことを思い出しました。(購入したあとに気付いたけれど)でも、高いものは耐久性が全然違うそうです。ファッションだけの安物は即ダメになる。エエもんは結局、安く付く〜だってジョルジオ・アルマーニはもう10年でっせ。まったく現役で不具合なし。気付かなかったが、毎日身につけるものだし、大切な視力だし、良い買い物だった、ということですね。
2006年2月某日
昨日は(部下の仕事ぶりに)いらいらして、どやしつけてしまいました。40過ぎてなにやってんだよ!汚い仕事、メンドーな仕事を避ける性癖があって、ずっと放置されてきたから治らない。集中力が5分と保たない、ぶつくさ文句ばかり言う、即煙草部屋に逃げる。他人がやっている大きなフォローに気付かない。派遣さんにムリな仕事を押しつける。メールを見ない、無駄な長電話が多い、仕事の軽重優先度がわからない、商談に出掛けるのをいやがる・・・やっぱり大殺界なのか。この後始末(尻拭い)は本日やっちまわなくては。
年末大トラブルの処理(自分の部署、取引先との出来事ではあるが)を買って出て、しばらく諸調整をしてきたが、東京本丸の”おそるべき官僚主義の壁”(=なにもしない)に苦慮し、上司の説得+政治的決断を迫られる・・・つまりお客様に”実を取っていただく”工作を行って(寝技とも言う)、ほぼ成功した(ま、自分だって顔が立ったし)、ピンチをチャンスに変えた、ハズだけれど、ここ数日もの凄いストレスであります。更に派遣さんがやっていた、エラくメンドーなる作業群の一気合理化簡便化!成功。(2週間くらい前から理論上は提案していたけれど、とうとうデータ・ダウンロードと作業ファイル作成)あとは、少々足りないところは(別な広島の取引先に)ガマンしていただく(そのかわりスピードは速める!)説得が残っております。
こうしてみると”運のない日”だったかなぁ、昨日は。朝から自宅のADSLつながらなかったし。(ここしばらく、電話でうるさく勧誘してくるNTTの光ファイバーのマンション工事との関係じゃないのか?)一昨日のワイン飲み過ぎ(しかもスポーツクラブをさぼった)、昨日は「新旧上司歓送迎会」で禁断の連続酒をやってしまい、500gくらい体重増えたような・・・反省します。本日、節制します。ダイエットで大切なのは精神的安定ですね。やや自棄酒っぽいか。楽しく、ゆったり酒は飲まないとね。
こんなオモろくない日にはMozart !弦楽四重奏曲イ長調K.464/ハ長調K.465「不協和音」〜ハンガリー弦楽四重奏団(1972年)を。やや埃っぽいような音質だし、LP時代バリリ弦楽四重奏団(+α)の優美な演奏に馴染んでいたせいか、乾いたアンサンブルのような印象もあるけれど、勢いもあって颯爽とした良い演奏だと思います。しかし、基本、ゆったり音楽を楽しめるような気分じゃないが。
今朝、いろいろ考えてHMVで通販注文していたCD(3セット分)キャンセル。注文したときと届くタイミングで、精神状況が変わるので、今現在(そのCDは)楽しめるとは思えない故。そういえば岡山には珍しい雪が降っていたけれど、そんなことも失念するくらい風流さを失っております。
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思ったことの60%くらいこなして(当面なんとか・・・レベル)お仕事終了。お客や職場での信頼をつなぎ、発展させる水準に至っているでしょうか。いえいえそんなことは意識せず、粛々と誠実にお仕事するだけ。明日、午前中休みをいただいて、眼科での再検査+眼鏡の修理。昼に自宅まで迎えに来てもらって、そのまま高知へ。明後日はそのまま東京へ。明日の商談ではパソコンを使う場面がないので、ノートパソコン(DynaBookSS3000)は持参しないつもり。どーせ、東京指定の定宿はネット接続環境がない(今時!)のはわかっているし。いくら小型でもリュックに少々重いし。
で、帰宅は週末の夜遅くだから、明日暫定的に定例更新しておこうかな。きょうは高松まで行ったメンバーが強風で瀬戸大橋通行止め〜帰れなくなったみたいだし、明日はなにごともなく高知へ、そして東京の行き帰りも無事に終わることを祈るばかり。東京へは少々早めに到着予定だから、CDでも探しましょうか。
Bach パルティータ第1/2番〜マリア・ティーポ(p)(1991年)・・・これは繊細であり、ゆらゆら揺れるような切ないBach であります。ワタシはヴォルフ・ハーデンのアルカイックな演奏が気に入っているが、もっと儚げで囁くような華奢でセクシーな表現でした。
2006年2月某日
ちょっと昨夜は喰い・飲み過ぎたか。ビーフシチュー・ベースの煮込みハンバーグ(蒟蒻入り)を作るときに、赤ワインを入れたんだけれど、瓶半分残った分を飲んじゃったし。夜半に読み出した本がオモろくて、ついつい夜更かし・・・たしか、夜は「新旧上司歓送迎会」(+ひとり仙台に異動が決まったやつのお別れ会か。昨年に引き続いて親しい人がいなくなっていく)今週は”当面やるべきこと”見えております。お仕事メリハリ付けながら、抜くところは充分抜いて、やるときにはやる!しかない。この積み重ねでなんとか一年乗り切りたいもの。
堀ノ内雅一「余命半年の夢〜末期ガン、人生最期の6ヶ月で手にした保険金」(角川文庫)・・・”余命6ヶ月と診断されたら、生前に受け取れる契約の保険”、これを実際受け取ったひとびとのルポルタージュだ。もちろんお金は生活の基本であって、それで医療費に充て、葬儀代とお墓を準備し・・・みたいに全部絵に描いたようにすすむワケでもない。思わぬ延命を得る方もいらっしゃって(この本出版時点未だご存命、どころか意欲的に活動されたり)、当然、その給付金は使ってしまう(余命宣告より長くなっても”返せ”とは言われないらしい)・・・お金も含めて、人それぞれの生き方ということです。
同じく堀ノ内雅一「指紋捜査官」(角川文庫)・・・これは、途中で記憶がよみがえって”以前、読んだな”と。それでも感動の質に劣化はなくて、世界に冠たる日本の「指紋照合」の技術確立までの状況が、塚本宇兵(1936〜)への取材によって解き明かされます。この世代の技術と根性は凄いね。これは現代の”科学的捜査”への道を語っていて、旧来の警察の悪しき慣習との戦いでもあるけれど、ジミで地道、着実なる集中力に感服するばかり。
更にもう一冊、吉田豊「食卓の博物誌」(丸善ライブラリー)・・・おそらくは世界一多彩なる(ずっとそうであって欲しい)日本の食卓を飾る食材の歴史と経緯を語って、気軽に楽しめる”正しき蘊蓄”本であります。最高!
音楽の方は、いつまでも全部聴き終わらないBach カンタータ集より・・・第146番「われらは多くの苦しみを経て」〜リューシンク/オランダ少年合唱団/オランダ・バッハ・コレギウム(2000年録音)を。シンフォニアが、チェンバロ協奏曲ニ短調BMV1952第1楽章(但し、ソロはオルガン、バックには3本のオーボエも入る)になっていて、どちらが先なのか、それとも別な原曲があったのか、どんな歌詞なのか、いずれの節季に利用される作品なのか、もうさっぱりわからぬ・・・が、とても楽しいことに変わりなし。控えめこぢんまり、素朴な古楽器の躍動があって、一気にシアワセになりました。
オランダ少年合唱団は少々音程アンサンブルに不安があるけれど、清潔感が溢れて敬虔。ブヴァルダ(ct)は安定した歌唱であり、ストリーク(s)のアリアは清楚なるトラヴェルソ(+2本のオーボエ)にオブリガートされながら、清純な声を聴かせて下さいます。おそらくはバックもソロも十全なる表現とは言えないだろうが(だって2000年頃一気録音!でしょ)録音も新しいし、いずれ貴重なる録音であります。
2006年2月某日
いよいよ寒さ最高潮みたいですね。今週は高知から東京に飛ぶので、ちょっと心配です。ここ数年、数回痛い「欠航」経験もあるので。昨夜は寝込んだ女房に代わって素早く料理を作ったが、あり合わせの冷蔵庫材料でシチュー(ルーが残っていた)を。玉葱、白菜(鍋の残り、芯の方だけ残っていた)、人参、豚の角煮(これも残り物)+必殺”蒟蒻”。それに(ちょっと崩れて怪しくなりつつあった)トマトのざく切り(足りなさそうなのでトマトジュースも)〜これを一気に(下ごしらえもえず)圧力鍋にぶち込んで加熱。煮上がってから塩こしょうで味を調え完成。女房にも好評でした。
大きなニュースがなかったせいか、朝日新聞では”反・小さな政府”論、”社会福祉の充実”、つまり社会的格差の拡大、”一億総中流化の終焉”を一面から大特集でしてますね。これは形を変えた”団塊の世代”論であって、若く、活力と体力と食欲があって、給料の安い世代が日本を支えてきたが、そのままその世代が高齢化を迎えたひとつの結論なんでしょう。
中年であるワタシは、人ごとでも絵空事でもなく、この事態に真正面から向き合わなければ。いずれ、一攫千金を狙った虚業みたいなもの(例えば、株価の動きのみを見て社業の内容を一切見ない”デイ・トレーダー”〜「ITバブル」迄)ではなく、もっと手応えある”実業”を楽しみながら、健康と老後を考えなければ。(ごく一部の例外を一般事象に拡大しても仕方ないっしょ。例えば「煙草を吸っても長生きする人はいる」とか「宝くじで一億円当たる」とか)”存在が意識を規定する”んです。経済の実態がまずあって、いろいろな思想考え方が生まれるのは事実だけれど、安易に風潮にも流されたくないもの。”自分なり質実”でありたい(=「KechiKechi」か。でも、けっこう旨いもんばかり喰っているが。ま、喰う行為は年老いては意欲的でなくなるから)。
昨日、ネットを拝見していて”ふ〜ん”と感じたこと二題。ひとつは”Faureのレクイエムは、あまりに予定調和的であって好きではない”〜なるほど!初めてこの作品を聴いた少年時代(マルティーニ/コンセール・コロンヌ管弦楽団/フランス青少年女合唱団・・・パルナス1000シリーズ)に、劣悪な音質から「サンクトゥス」が聞こえてきた途端”予定調和”を感じましたもの・・・但し、ワタシは充分(現在に至るまで)この作品を愛し、楽しんでいるが。
”ザンデルリンクのSibelius は素晴らしい。ほかの演奏が「コップの嵐」に思える”〜なるほど!ワタシは純・個人的に「大カンチガイ演奏?」と感じていて、なんでもかんでも立派に、堂々と構築するなよ!「鶏を割(さ)くに焉(いずく)んぞ牛刀 を用いん」(孔子)的印象を持っていて、でも、Brahms とかBeethoven の世界をSibelius に求める人には理想的演奏なんだろうな、という想像は付きます。人の好みは多種多様であって良いんです。
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とにかく寒いと身動きが取れないし、音楽を聴くにも不如意になりがち(オーディオ部屋が寒い故)。Bach 平均律クラヴィア曲集〜エドウィン・フィッシャー盤(1933-36年録音)を最初の一枚のみ。「LP時代からお気に入りでした。だけれど、ドライで素っ気ない印象でした」との数年前自らのコメントを発見したが、嗚呼、そうでしたね。「妙にココロに染みます。テンポが速いのはSP収録の都合なのかな。細部まで入念に配慮・味付けされ・・・方面の演奏ではないにせよ、一見淡々としながら、じつは微細に変化する表情、推進力、流れの良さがひたすら快く、途中で止められません」とも。その通り。針音もあって良好なる音質状況は言えないだろうが、ピアノそのものはしっかりと様子が分かりやすい。
入念なる神経質な仕上げ、より推進力に溢れた熱気が魅力!こんな大昔の録音でも、ちゃんと現代に楽しめる不思議。
2006年2月某日
ああ、寒い。富山の高速事故はひどいですね。それでも、ワタシは(寝込んだ女房を横目に)スポーツ・クラブへ行きましょう。できるだけ広い視野で、いろいろなことに興味を持ちたい・・・と考えていて、朝日新聞を(とくに休日朝は)熟読するようにしております。パレスチナ自治評議会選挙でのハマス(イスラム原理主義を掲げる)圧勝の背景〜脱貧困へ絶望からの叫び(藤屋リカさん)の現地からの報告が痛切であり、中東問題の奥深さ、混迷の深さを痛感させられます。テレビでの断定的かなり乱暴なる論調が印象的な田原総一郎さんが、件のホリエモン騒動で「こうした事態になれば、道学者ぶるのが無難なので・・・」とシニカルにコメントを出しておりました。
日本では熱しやすく醒めやすい、世論が一気に偏ってしまう風潮があるので、「カネがすべてか」(じゃ、防衛施設庁談合はIT企業問題かよ)みたいな的外し論議、時代の閉塞状況を隠蔽する動きに警鐘を鳴らしているようです。ま、コンプライアンス(法令遵守)は当たり前だけど。板倉雄一郎氏は「法律を変え、役所の体制をいじっても、人々が価値を見極める知識と考え方を持たなければ、同じことはまた繰り返されるだろう」と。
ここ数日、断続的に聴いていた音楽の落ち穂拾いを。Faureのレクイエム・・・このひとの作品は、室内楽であれピアノ作品であれ、甘美で清楚な旋律がほんまに魅力的・・・その代表作か、と思います。LP時代からお気に入りでした。www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005Y14W/249-0949586-6592351" TARGET="_blank">クリュイタンス盤などが有名だったが、これは作曲家本人が関知しない後人の手が加わった版(第3稿。実際は弟子のDucasseがオーケストレーション担当)であったとのこと。知らんかった、まるでBrucknerですな。
で、作曲者本人の意向を活かした版(第2稿)を復刻する動きもあって、そのひとつが「ラッター版」だそうです(全部ネット上の受け売り)。楽器編成も特殊なんですね。弦楽合奏のヴァイオリンはソロのみ・・・今回聴いたものはロス・ポープル/ロンドン・フェスティヴァル管弦楽団/ロンドン・ヴォイセス(1995年 これがラッター版だそう)。清楚ですねぇ。透明クールな合唱には目眩するくらい感銘が深い。「サンクトゥス」はハープのアルペジオに乗って、ヴァイオリン・ソロが浮遊する天使を表現しているかのよう・・・
ジェレミー・サマリー/オックスフォード・スコラ・カントルーム/オックスフォード・カメラータ(1993年)・・・これは上の「イングリッシュ・ヴォイセス」より、いっそう合唱の質が高い(残響豊かで音がつながっているせいかな?)が、楽器編成が特殊で弦楽器+オルガンのみ。但し、基本「第3稿」を基本としているんだそうです。(はは、楽譜やら版のことはわからない。このネタ元は「フォーレのレクイエムの原典版」です。勝手に引用すみません!)
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行って来ました、いつものエアロビ。(帰ってきたら女房起きて掃除してました)正確に68kgだな。ダイエットの経緯は詳細「近況2006年2月」に書いたけれど、一ヶ月で2kgくらい減のペースはムリなく順調だと思います。週に2回くらい酒席(公私とも)もあるしね、じゅうぶん旨いものも喰った挙げ句でしょ。しばらくこのパターンで行きたいものです。風邪も悪化しない、体調も悪くない。酒も旨いし、飲んだ翌日も気分爽快(たくさんは飲まないが)です。
・・・また例の症状が〜CDが棚中より見つけられない。Faureのレクイエムを(おそらくはもっとも)著名なるクリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団/エリザベート・ブラッスール合唱団で確認しようと思ったが、EMI音源が集中していると思われるエリアを探索しても発見できず。どこか別なエリアに紛れ込んだのか?ちょろ聴きして、戻すときにへんなところに置いたのか。PC
&オーディオ部屋は寒く長居したくない状況故、じっくり探してません。
で、お茶の間コタツに籠もってダイニング朝食用ステレオで音楽聴いてます。Bach ヨハネ受難曲〜アンドルー・パロット/タヴァナー・コンソート&プレーヤーズ(1991年)を。声楽各パートひとり+古楽器による清潔清廉透明静謐新鮮極まりない演奏であって、ワタシはこのような方向の演奏で、Bach の声楽作品に馴染んだのかも知れません。(リフキンのロ短調ミサとか)リヒターの「マタイ」は(かなり以前から)抜粋で聴いていたはずだけれど。グロスマンの「ヨハネ」に耐えられなかったのは、そのせいか。(←このCDを譲った合唱の達人からは「慣れですよ。スタイルの違いですよ」との助言有)
件の(出戻り買い)グロスマン「ヨハネ」はまだ再聴しておりません。怖くて。
2006年2月某日
女房はお仕事に行っているが、風邪は残っていて(感染されるか?)心配です。昨夜は、地元取引先の親しい人(数年ぶりに担当復帰)を祝して酒席・・・の前にがっちり重い商談をその上司の方(この方とも親しい)と深めて、お仕事は切迫感を深めております。体感的に500g増えているかな?(朝もしっかり喰った)ま、翌日でちゃんと節制すればダイエットは継続可能・・・ここ一ヶ月の経験です。本日、急な来客のお付き合いでもあれば少々ヤバいが。明日休みなので、やれやれといったところ。疲れてますね。
ゆっくり音楽を聴く時間があまりなかったので、摘み聴き状態。Mozart アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク K.525/嬉遊曲第15番 変ロ長調K.287〜カラヤン/ベルリン・フィル(1965年8月19-21日サンモリッツ・ヴィクトリア・ザール録音・・・これホテルの施設ですよね)夏季旅行だか休暇だか知らぬが、恒例行事2年目の録音。若い頃は「とんでもない!」的印象を持っていた”優雅流麗なるムーディ”演奏であります。フレージング・リズムはもっと明快清潔を・・・と求めているのは事実ながら、充分余裕の磨き上げ演奏は語り口が巧く、グラマラスでゴージャスでで楽しかった。ストライク・ゾーン広がったか。
Beethoven 七重奏曲 変ホ長調 作品20〜デュモン(v)/パスカル(va)/サレス(vc)/ランスロ(cl)/クルージェ(hr)/オンニュ(fg)/ロジェロ(cb)(1960年録音)・・・これは(ワタシにとってやや苦手罰当たり状態)Beethoven 中、希有のゴキゲン楽しげなる作品であります。第3楽章「メヌエット」は誰でも知っている親しげなメロディーだし、第4楽章の「アンダンテ」は上機嫌なる変奏曲になっていて、いわゆる嬉遊曲セレナードなんです。「バ〜ン!」「ガシャーン」みたいな大爆発強烈音楽は少々ツラくて、こういった優しい、楽しい、気楽な音楽が嬉しい・・・仏蘭西往年の名手達の鼻歌でも歌うかのような、肩の力が抜けた演奏は、録音状態を乗り越えて存分に楽しめました。
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お仕事は昨日の宿題を一日掛けて消化・・・いろいろとオモろないこともあるけれど、ま、ヴェテランだし、ガマンすべきはガマンして遣り過ごさなくては。先行きの目処も付けて帰宅したら、女房再び寝込んでました。数日前の病院では「インフルエンザ陰性」だったそうだけれど、(狭い)職場では流行っていたそうだし、これほど寝込むのも珍しい・・・明日は女房もお仕事休みだし、ゆっくりすることですな。ワタシは未だセーフです。
昨日辺りからぼちぼち聴いているのが、Honeggerの交響曲でして、プラッソン/トゥールーズ・キャピトル交響楽団の全集が850円で売っていたため(EMI 7243 5 85516 2 4 2枚組)。第1番(1977年)第2番(1979年)と聴いてきたが、それにしても暗い激情だねぇ。第1番は溌剌と暗いリズムであって、かなり以前からボド/スイス・イタリア語放送管弦楽団のFMエア・チェックで馴染みでした。その記憶からすると、ずいぶんと整って洗練されたアンサンブルであります。第2番は2ヶ月程前にミュンシュ/パリ音楽院(1942年)の演奏で聴いていて、てっきり大昔の録音の責任か、とも思ったが、やはりちゃんとした録音で聴いても暗い。ひたすら暗い。(弦楽合奏+αの編成)「ナチス占領下のフランスの沈痛な趣を表現したとされる」とのネット検索が出ましたね。
交響曲第3番「礼拝」(典礼風)(1977年)・・・これは誰かのCD持っていたっけ・・・旋律にちゃんと記憶がある。いままで知らんかったが、各楽章「レクイエム」の表題を持っているんですね。これも暗く、激しいなぁ、哀しいなぁ。演奏は色彩豊かだけれど、この怒りはいったいなんだろう。Honeggerって怒れる作曲家ですか?
2006年2月某日
女房は完全に寝込んでしまいました。心配です。ワタシは恒例の”予算作成”時期を迎え、鬱々と机作業を続けております。ま、外出出張しなければ内部仕事は粛々と消化できる。が、ツマらない。どうやら地域間異動の「内示」はないようで、つまりワタシは現状維持。ことし”やるべきこと”の方向のハラは固まっているし、具体的内容は既に上司に提案済み。本日、地元お取引先と”ミニ新年会”(時季外れだけれど)の予定。
少々、自分なりの音楽を聴くべき方向が定まらなくって、ぼんやりしてます。怒濤の一月音楽熱中から、ガラリと様子が変わって精神散漫状態か。ツカれが(早くも)出てきたか。ああ、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケラジェリ(p)のBrahms のピアノ作品集(4つのバラード 作品10/パガニーニ変奏曲 作品35)・・・1973年ライヴは堪能しましたね。枯れて黄昏(たそがれ)草臥(くたび)れ中年オトコ的演奏ではなく、まだまだ”ちょい悪親父”(ほんまにこんな言葉流行ってますか?)風セクシーな演奏。音質もかなり良好。
Mozart セレナード 変ロ長調 K.361(370a)「グラン・パルティータ」〜カール・ベーム/ベルリン・フィル(1970年)・・・これも待望の入手でありまして、中学生(だったか?つまり新録音当時に近い頃FM放送にて出会って)以来の邂逅であります。基本、大々々好きな作品故、誰の演奏でもエエんです。必ず、例外なく、感動いたします。それを前提に、ずいぶんとさっぱり目、非流麗生真面目風演奏だな、と、そんなことを感じました。各パートはほんまにキッチリしていて、整然とした演奏でしょう。色合いとしてはコッホ(ob)とかザイフェルト(hr)が主導しているんだろうな。これはこれで、たっぷり楽しませていただきました。(続く、ウィーン・フィルとの1974年録音「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」も、同趣向であってOK。でも、ウィーン・フィルの美点を生かした方向ではないような・・・終楽章の落ち着いたテンポには味わいがある)
2006年2月某日
2月極寒の月であります。女房ついに風邪症状へ・・・(困ったもんだ)。常に先々と数ヶ月先を商売するようになって20数年〜体感とノーミソとの季節感が狂っていますね。既に”花見”過ぎ〜GWのことを具体的に考えないと。どうも先月から「声楽」方面が気になっていて、但しワタシはオペラ関係には少々縁が薄い・・・Mozart の作品だってナマでは未体験なんです。言葉の問題はもちろんあるけれど、慣れの問題だと思います。こどもの頃から聴いていたMozart のレクイエムは、なんの問題もなく楽しめますもの。
だから「聴くべき声楽の主体」は、今現在Bach 、Mozart (先月も散々書いた)なんです。一昨日いただいた(ダブり買いとのこと。いつもありがとうございます)Bach カンタータBWV.140「目覚めよ、と呼ぶ声が聞こえ」〜フリッツ・ヴェルナー/プフォルツハイム室内管弦楽団/ハインリヒ・シュッツ合唱団/グラーフ、シェルラー(s)、フーバー(a)、 シュテンプフリ(t)・・・これはLP時代ほんまに愛聴した演奏・・・懐かしき再会。ああ、ずいぶんと音質が暖かく、よろしい感じ。1960年頃の録音かな?(一連のシリーズ録音は1959年〜1974年頃された、とのこと)
ほぼ記憶通りの”穏健派”演奏であって、現代楽器ながら素朴で柔らかい響きとリズム、合唱の清廉さ(理想のアンサンブル、と確信)にも思わず背筋を伸ばし直して深呼吸するような感動が溢れます・・・そのことを大前提として・・・ここ数年、古楽器によるリューシンク/オランダ・バッハ・コレギウムの全集を断続的に楽しんできた(正直、全部は聴けていないのも事実だけれど)せいか、リズムの緩さ、微妙に大仰なる雄弁さが時に(ほんのちょっと)違和感を覚えます。(リューシンクの演奏がけっして万全である、ということではなく。昨今の古楽器系演奏への慣れ、という意味で)
第3曲「Wenn kommst du, mein Heil?」は、「マタイ」の「主よ、哀れみ給え」そっくりであって、その哀切なるヴァイオリン・オブリガート(もちろん二人のソロも)思い願っていた姿で鳴り響きました。5分30秒何度でも繰り返し聴きたい・・・
イタリア声楽系は馴染みが薄いが、Verdiのレクイエムだけは例外的に(けっこう沢山)聴いております。その甘美で勇壮な旋律は死者を鎮魂するものではなく、激情を呼び起こしているような(それこそオペラティックな)感銘有。今回棚中より取り出したるは、トスカニーニ/NBC交響楽団/ウェストミュンスター合唱団/ミラノフ(s)/カスターニャ(ms)/ビョルリンク(t)/モスコーナ(b)(1940年)・・・定評ある1951年盤に比べ全体で7分ほど長く、CD一枚で治まりません。派手な針音やら、奥行き残響の不足する音質乗り越えて、圧倒的推進力(とくにオーケストラの威力は強烈!)にたじろぐばかり。
いくつか手持ちで比較対照すると見えてくるが、細部のニュアンス対比の精緻なこと、これはタダモノではありませんな。ただただ強靱なだけではない、壮絶かつ息を飲むような静謐なる緊張感。歌い手にはドラマ(悲劇)を感じさせ(表情所作が眼前に浮かぶ錯覚が・・・)て、これはまさにオペラですね。
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ワルター・クリーンのBrahms ピアノ作品集の件だけれど、録音が存在してCDになっていないのは
ピアノソナタ第1番ハ長調Op.1
ピアノソナタ第2番嬰ハ短調op.2
スケルツォ変ホ短調Op.4
自作の主題による変奏曲Op21-1
ハンガリーの歌による変奏曲Op.21-2
パガニーニの主題による変奏曲Op.35
だそうです。(メールで情報いただきました)ブレンデルとの「ハンガリー舞曲集」+ベアトリス・クリーンとの「ワルツ」集は、ほかのCDでダブるし、もう少々収録には配慮が欲しいところですね。