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音楽の嗜好、”聴けるようになる”ということ


 かなり以前のことですが”Mozart は年齢を重ねないと理解できない”趣旨を雑誌で拝見したものです。その時点、ワタシは未だ若者真っ最中であって、大のMozart 好きでした。やがて幾星霜を経、若者とは縁遠くなった現在ではその趣旨もやや理解できる〜つまり、若者には若者の、草臥れ中年には中年の”Mozart の楽しみ方がある”ということでしょう。瑞々しい感性は失われつつあるが、許容と寛容が広がって柔軟に、あわてて結論を出さないで、時の、自分の耳の、精神の熟成を待つことができるように。

 ワタシのサイトに声を掛けてくださる人、ほとんどがココロの広い音楽愛好家であって、「●×は云々にトドメを刺す」「▲□など聴く必要はない」「★◎を称揚する人間は既に音楽ファンとは呼べない」などという(どーせ、どこかからの借り物言い回しだろうが)乱暴な発言など皆無なんです。音楽は各々楽しめば良いんです。あくまで自分の好みであって、自分の贔屓を引き立てるために、他人の嗜好を云々する必要などないはず。「究極の名盤」(んなもの世の中に存在するのかどうか知らぬが)を求めて、カネに糸目は付けず!的世界はワタシは無縁です。

 「自分の所有している音源こそ”自分なり名盤集”だ!」はOK。自分の愛する音楽はこんなに素敵ですよ、という姿勢は気高いものです。でもね・・・「ワタシの守備範囲はここまで」と限定しちゃうのはいかがなものでしょうか。ま、音楽やら、CDLP収集ってキリないし、経済的にも、ましてや人生は短く音楽を楽しむ時間は限られている・・・でもさ、新しい音楽との出会いの門戸や可能性を、端っから閉ざしてしまっちゃいけない。ワタシは「LPは贅沢品である」という呪縛から逃れられず、CD時代スタート(自分なりの。1990年前後か)から廉価盤一筋〜つまり、より多くの音楽と出会おう、と努力して参りました。

 「より多くの音楽と出会おう」・・・いままで理解できなかった、ちっとも楽しいとは思わなかった、聴いたことがない、そんな音楽でも安かったら(例えばBOOK・OFF@250なら、1,000円の演奏会なら)思い切って入手して、行ってみて、虚心に耳を傾けること。こんな繰り返しで、どれだけ【♪ KechiKechi Classics ♪】は豊かに広がったでしょうか。値段で聴かない、知名度で聴かない。”自分の耳”で聴くことの大切さ。ナマ演奏に対する敬意は、いつも忘れないように自戒しております。

 Beethoven  交響曲全集(ザンデルリンク/フィルハーモニア管弦楽団)〜既に8年程前に購入したCDだけれど、まだまだ自分にとって宿題となっている存在です。	毎度毎度の繰り言だけれど、ワタシはBeethoven が(相対的に)苦手です。古今東西老若男女に名曲として慕われ、愛された作品集に畏敬の念は失わず、CDの所有(さすがに購入は少々控えめ)、演奏会体験を拒絶することはありません。門戸は閉じるつもりはありません。しかし、交響曲は2006年1月におそらくいちども(CDで)聴いておりません。(演奏会は行った)ピアノ・ソナタ集の半数、弦楽四重奏曲集の3/4は旋律の個性として自分のノーミソに刻印しておりません。これは”聴き込み”が足りないんでしょう。

 でも、例えばヴァイオリン協奏曲ニ長調(+ふたつのロマンス)、七重奏曲 変ホ長調 作品20、エリーゼのために、いくつかのヴァイオリン・ソナタ、荘厳ミサ曲・・・これは至福の時間を保証してくださいました。ワタシはまだ宿題を抱えている、ということです。おそらくは人類の歴史の中で、もっとも敬愛される音楽家のひとりに対して。

 Shostakovich 交響曲第5番(アンチェル/チェコ・フィルハーモニー)・・・恥ずかしくて、ぜひとも書き直したい一枚SHOSTAKOCHも似たような状況でして、著名なる交響曲第5番ニ短調は聴いていてとても恥ずかしい。第4番ハ短調はまだ(ワタシにとって)マシだけれど、重苦しくて息苦しくなりますね。第13番”バビ・ヤール”に至っては・・・いえいえキリがないので止めましょう。それでも、ピアノ・トリオ第2番ホ短調など、とても楽しめるものもありました。聴いていないわけじゃなくて、試しにトップページの検索欄で「SHOSTAKOCH」入れてみて下さい。結構、努力はしているんです。そうだな、勇壮壮大なる音楽が自分に似合わんのか。

 それでもワタシは、SHOSTAKOCHのCDが安かったら買うと思います。そして、ちゃんと聴く。”自分の守備範囲はここまで”とは絶対に決めない。”SHOSTAKOCH大絶賛”の方の言葉を伺うことを拒絶することもありません。いつか新しい目覚めがあるかも知れない。変化への扉は閉ざさない。

 たった今現在の偶然だろうが、ワタシは英国、仏蘭西、そして北欧の音楽(有名無名問わず)に親近感を抱いております。

 ワタシはエエ加減なる”音楽愛好家”だから、集中力が足りないんです。ほんまは”一枚入魂”が正しい姿か、と思います。あちこち摘み聴き、気軽に、耳に馴染むのを待つんです。そのまま棚奥に仕舞い忘れてしまうことも(正直)多いかも。で、また(安い)CDを凝りもせずに購(あがな)ってくる繰り返し。贅沢というより、罰当たりで安易な聴き方ですね。

 でもね、そんな混沌な毎日を繰り返しつつ、ある日、蓮の花が突然開くように、すべてが見通しよく、快く音楽の姿が見えてくるHandel  オラトリオ「メサイア」全曲(ヨハネス・ソマリー/イギリス室内管弦楽団/アモール・アルティス合唱団)(Handel なんて代表例かな)ことがあるし、逆に、見えなくなることもある。若い頃の激しい感動が、喧しく空しく感じてしまうこともある・・・

なにかを得た分だけ、なにかを失っていく。それがなんであるかは誰もわからない
 これは以前に引用したが、開高健の言葉だったか。怒濤の如く音源を聴き続けて、けっきょくは自分が、本来持っていたものへと回帰していくのか。それを安易な現状を結論付けて、ワタシの世界はこれだけ、とも断定したくもありません。ま、所詮”激安廉価盤”が趣味だから、生活に支障ないほどの出費でCDを買い、聴き、時に整理する毎日。

 ああ、それとこれは原点なんだけど、自分なりに聴いた音楽をメモして文書に残すこと。ひとつは音楽を愛する人々とのコミュニケーションの意味であり、なにより、自分にとってより深く、楽しく音楽を聴くための確認を意味しております。(人様のサイトなど云々出来る身分ではないが、”これがワタシのディスコグラフィです”とか、”これこれのCDを買いました”リストだけでは、話題は続かない広がらない。案の定、そんなサイトは長続きしない〜しようがない)ま、読み返すたび、恥ずかしくなるものではあるが。でも、”メモしながら聴く”って、楽しいもんですよ。

 なんども同じようなことを書いているが、ネットの世界はチャンスなんです。情報発信が誰にでも出来る。それはチャンスは努力と継続で生かされるものであって、思いつきやらマネやカッコだけでは仕方がない。ある人が陶器を焼くように、詩作するように、水彩画を描くように、マラソンに熱中するように、山に登るように、ワタシは音楽を楽しみ、拙い文書に足跡を残しましょう。

(2006年2月17日)


【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
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written by wabisuke hayashi