Tchaikovsky ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調(1987年)/
Shostakovich ピアノ協奏曲第1番ハ短調作品35(1988年)(エフゲニ・キーシン(p))


BRILLIANT 92118/1 Tchaikovsky

ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23

ヴァレリー・ゲルギエフ/サンクトペテルブルグ・アカデミック交響楽団(1987年ライヴ)

Shostakovich

ピアノ協奏曲第1番ハ短調作品35

ウラディミール・スピヴァコフ/サンクトペテルブルグ室内管弦楽団/ベルナルド・スーストロ(tp)(1988年ライヴ)

エフゲニ・キーシン(p)

BRILLIANT 92118/1  中古5枚組1,280円のウチの一枚

 8年ぶりの再聴。二度転居してぼんやり妙な疲労続きの毎日、例のエコ・コンポのボリューム12時程度にして先に収録されるTchaikovsky聴き始めたら、輝かしいキラキラとした若さ、溌剌とした推進力に圧倒されました。翌年カラヤンとの録音が有名らしいけど未聴、こちらいかにもライヴなミス・タッチさえ新鮮、ラストの荒削りな爆発に息を呑むほど・・・臨場感抜群の音質にも文句なし。8年前の自分はいったいなにを聴いていたんだ・・・エエ加減なもんでっせ。

 いまさらなクサい言い訳、その時々に”聴ける音楽”が異なるということか。先日もう閉鎖となった某著名なサイトを見ていたら、ご家族の病気やらなんやらの苦労の果て、やがてMahler やBrucknerが聴けなくなった、それは”長さ”の問題に非ず、”フーガの技法”だったらちゃんと全曲聴ける、そしてHaydnが好きになった・・・嗜好方向は異なるけれど、自分にも似た経験があります。作品だけではなく演奏もそう。パウル・クレツキを十数年ぶりに拝聴したら全然好みと変わってしまって、呆然とした記憶も新しい。閑話休題(それはさておき)。

 ゲルギエフ当時35歳、未だ本格売出前。フィルハーモニーならぬ交響楽団を率いてキーシンのバックを付けております。(演奏会に行ったことがある)これがなかなかエエ感じのアツい伴奏であって、冒頭ホルンから圧巻のド迫力。文句なし。  

”冷静的確正確な技術、輝くような音色とクールな表情”、”どこといって欠点もないし、これから音楽がんがん楽しみますよ!という意欲に燃えた若者には、これでたっぷり作品の魅力を感じていただきたい”、”勢い余って少々のミスタッチだって、なんの問題もなし。むしろ好ましい”
と、まぁ以前、勝手なことばかり言っておるが、クールな表情ってなんのことやろか。若さ弾けるアツい?アツ過ぎるタッチでしょうが。妙に斜(ちなみにハスと読みます。テレビなどで間違っている人も多いので一言)に構えたコメントは、おそらく当時、この作品を”聴けない”時期だったんだろうと類推します。クライバーンの魅力に異論なし、しかし、この16歳の演奏が劣るとは絶対に!云えぬ魅力たっぷりであります。

 冒頭からのびのびとして明るく、妙な抑制など存在しない、思いのままに疾走するキラキラのピアノ。クールな表情という評価は、走りすぎてフォルムが滅茶苦茶に至らぬ、ということなんでしょう。オケとの微妙なズレ、そしてライヴ故のミスタッチさえ微笑ましく、推進力は落ちず、まさに終楽章迄一気呵成。御大リヒテルは陰影豊か、底光りするような重量感、そして時に鼻歌混じりに抜く緊張と緩和・・・そんな名人芸とは世界が異なって、こちら掛け値なしの若々しい輝きがウリであります。それに音質条件の良いこと〜最終版最強音では少々音割れなくもないけれど、いかにもライブの会場空気を感じさせる鮮度であります。

 名古屋方面に転居して一ヶ月、なにかとストレスの多い日々にこんな音楽(演奏)が聴きたかった。未だ心身ともに大丈夫でっせ。以下は8年前のSHOSTAKOVICへの言及です。今回も続けて聴いたが、緊張と緩和のバランス誠によろしい、昔の称賛と何ら変化なし。ベルナルド・スーストロ(tp)が凄い!って、この作品録音するときには必ず名人が参加するもんなんです。

(2013年4月26日)

 これは驚きました。出会いが悪かったのか、再度の挑戦も不発でして、ようやく図書館で借りたCDで目覚めた作品なんです。やれ”Shostakovichは苦手”(=ワタシ)なんて寝言戯言はエエ加減ににしいや!的、圧倒的迫力、技巧のキレ、変化と才気華やかに大爆発して、爽快〜声も出まへん。キーシン17歳・天才のワザとはこれか。しかもライヴでっせ、コレ。最初から、こんな演奏を聴いていたらShostakovich大好き!になっていたかもね。

 全編昂揚テンション一杯一杯・パツンパツンでして、”味わいある抜いたワザ”なんて望むべくもありません。リリカルで素っ頓狂なる旋律に詠嘆を付ける意図など、端っからなかったでしょう。とにかく、体力に任せて行けるところまで行きましょうやい、と。一方で妙に冷静で落ち着いた表情がありまして、テンポはゆったりゆったり始まりつつ・・・そして一気に走り出します。というか、走ったり休んだり。ピアノの音色は瑞々しく輝かしい。非情でも、硬質でもある。

 汗の一筋も流さず、表情も変えず、かえってそれが妙にユーモラスでもあり、シニカルでもある。スピヴァコフのバックも精巧だなぁ。レントには妙に静謐で、余所余所しくも乾いた情感があって、キーシンのピアノがいっそう際だちます。雄弁なるアジテーションではあるけれど、ちっともココロが籠もっていない、というか、視線はあらぬ方向へ向いている、というか、そんなピアノ。Shostakovichの音楽って、結局こんな味わいですか?哀しいとか、楽しいとか、官能的とか、そんな情感から外れた、または混在した、いえ、自分でもようワカらん!みたいな。

 ベルナルド・スーストロのトランペットはお見事!ラストは「トムとジェリー」の追いかけっこみたいでした。

 Tchaikovskyのほうは、作品的に少々食傷気味というか、あまりに先人達の名人芸聴き過ぎ!で、お見事な演奏に間違いないが、特別に感慨は沸きませんね。でも、ま、16歳ですから。凄いもんですよ。そんじゅそこらのヘロ演奏とは桁違いますよ。ロシアではこの作品弾けないと、問題になりますから。売れる前のゲルギエフはこんなオケ(サンクトペテルブルグ・フィルに非ず)振っていたんですね。

 CDの売り方としてはこちらがメインだろうし、事実先に収録されます。冷静的確正確な技術、輝くような音色とクールな表情・・・だけどさ、例えば(時代は違うが)クライバーンの明るい希望に溢れ、幸せな表現とは、ずいぶんと異なります。どこといって欠点もないし、これから音楽がんがん楽しみますよ!という意欲に燃えた若者には、これでたっぷり作品の魅力を感じていただきたい・・・それは間違いない事実。勢い余って少々のミスタッチだって、なんの問題もなし。むしろ好ましいですね。

 ちょっと、カップリングがムリムリかな?同じ露西亜方面だけれど、作品の個性が違いすぎか。@258の価値凌駕する演奏でした。

(2005年8月26日)

【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
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written by wabisuke hayashi