Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調
(ジョージ・ショルティ/シカゴ交響楽団)


エコー・インダストリー CC1016 Mahler

交響曲第5番 嬰ハ短調

ジョージ・ショルティ/シカゴ交響楽団

海賊盤(英DECCA録音)エコー・インダストリー CC1016 1970年録音。1,000円にて購入

 こんな「駅売海賊盤」(おそらくは勝手にLP板起こし)を後生大事に聴き続けてコメントしているのも笑止千万だけれど、既に十数年のお付き合い。第3楽章「スケルツォ」大爆発部分で音が割れるのも苦笑ものだけれど、ま、優秀録音であることは(それでも、なおかつ)理解できます。再聴のきっかけはベルティーニ/ケルン放送交響楽団による1990年録音であり、嗚呼、なんてエエ曲なんだ、と陶酔のひとときを過ごしたことであります。

 もちろん近代管弦楽技法を駆使した、大掛かりで華やかな作品だけど、”あの、いつもの”押しつけがましさとか、威圧感がない・・・”あの、いつもの”の先入観にはショルティ/シカゴ交響楽団が(脳裏に)あったはず。で、ヘッド・ホンで集中すると、新しい発見とか細部の様子がよく見えてくる・・・冒頭のトランペット(名手ハーセス)を先頭に圧倒的に輝かしく炸裂する金管、切れ味鋭い弦楽器の集中力、なによりハズむようなバネの効いたリズム感の連続。”上手いオーケストラってどういうこと?”に対する回答が、そのまま丸ごとここに存在します。賞賛の声には充分納得。わかってますって。

 ベルティーニの良さってなんだろう?ずっと考えて結論が出ない。でも、ショルティとの違いはわかりました。旋律のひとつひとつに、入魂の”煽り”が存在して、テンション高く、一生懸命、鮮明に演奏してますね。それを輝かしい爽快さと感じるのか、それともチカラ余ってヒステリックと感じるか・・・ワタシは第3楽章「スケルツォ」など、あきらかに”やかましい!”と思うんです。

 著名なる第4楽章「アダージエット」(弦+ハープのみ)でさえ、その静謐さには鋭利な厳しさが伴いました。ワタシはここ最近、抑制、含羞、滋味、繊細、渋さ、燻し銀・・・そんな方面への嗜好を強めております。いえいえ、無垢なる大爆発だって悪くないですよ。ワタシはここでの良質な鋼(はがね)のような旋律の謡(うた)いに、少々食傷気味でした。ようはするに以前の感想↓となんら変わりはない。なにも、すべてそこまで頑張らなくても良いじゃないの。

 アンサンブルの精緻さ、集中力、すべてのパートの技術的テンションの高さ、シカゴ交響楽団とジョージ・ショルティというのは幸せな出会いだったのでしょう。ワタシはこの演奏を聴くたび、「強く、豊かなアメリカ」を連想するんです。でも、それはいかにも人工的な作り物めいた、不自然を感じて(純個人的に)好きになれません・・・それでも、ジョージ・ショルティのMahler は時に聴く機会を失わないが。

(2006年5月12日)


 この録音、たしかジョージ・ショルティがシカゴに赴任して最初の録音のはず。LPでは2枚組で、自信満々の彼の顔のドアップが印象的でした。エコー・インダストリーの第1期の海賊盤で、当時(1990年頃)は1,000円でも驚愕の安さ。いまじゃ、正規盤でも全集は@1,000切るでしょ?良い時代になりました。

 LP時代、世評高かった(いまでも?)演奏で、ワタシ自身も数年ぶりの再聴でした。この演奏、もしかしてワタシが初めてまともに5番を聴いた録音かも。凄い。驚き。75分一気に聴けます。なにが凄いって?オーケストラの技術。アンサンブル。鳴りっぷり。馬力。迫力。集中力。輝かしさ。高い完成度。録音極上。冒頭のトランペットから「マイりました」状態。(ハーセス?)

 でも、このこだわりのなさ、というか、サイボーグというか、よくできたCGアニメーションのキャラクターのような、というか、底抜けに楽天的で、血の通わないなMahler 。これほど陰影に乏しい演奏も珍しい。これはこれで、もう徹底していて聴く価値充分。「空虚」と呼んではマズいでしょうか。こんな演奏、好きな人もいるはず。

 この個性も、時代の証言なんでしょうねぇ。クナッパーツブッシュとか、極端な例ではゴロワーノフとか、現代ではあり得ない昔の異様な録音があるじゃないですか。録音前史には、一般にどんな演奏スタイルだったか、Beethoven の自作自演はどんなだったか、とかは想像するしかないけど、現代とはずいぶん違うはず。「1970年」もCDコレクターとして「ワリと新しい録音」という印象があるが、いつのまにか30年経っているのが感慨深い。

 第4楽章「アダージエット」の弦。均一な響き、濁りなく、バランス良く、文句なく美しい。事実10年前のワタシは、この演奏に感動しておりました。現在のワタシは、おそらく求めているものが違っているのでしょう、心の琴線に触れるものがない。「音」が出ているだけ。もっと、濃厚な官能性とか、ドロドロとした人間クササとか、泣き、叫び、苦渋、後悔、憧憬、夢、思い出、とか、そんなものを聴き取りたい。

 ホルンを始めとする金管、木管のソロも文句なく上手い。録音が優秀で、演奏者の息づかいがわかるような気さえします。歴史あるCSOの馬力ある輝かしい音色。嫌いじゃありません。圧倒されます。これ、ナマで聴いたら最高でしょうねぇ。ジョージ・ショルティはマルティノン時代の「不調」を一気に回復して、かつての黄金時代を復活させました。でも、ホンの少し、しかも録音で聴いただけですが、マルティノンのほうがずっと良かったと思う。ただ、聴衆が、時代が受け入れなかっただけなんでしょう。

 爽快な演奏です。気持ちよい。でも、いまさらMahler に爽やかさを求めようとは思わない。スーザのマーチじゃなんですよ。Mahler は「惑星」ではない。「大峡谷」じゃありません。(音楽の「格」のことではなくて、種類の違い)ほんとうになんの屈託もない。聴いたあとに、空虚さが残ってしまう。ある意味、逆に深く考えさせられる演奏と思いました。

 ここ数年、CDは(どんなに気に食わない演奏でも)売り払わなくなったし、このCDの存在価値は充分高い。精神的に疲れているときなんかに最高かも知れません。なにも考えなくて良いから。(2000年10月14日更新)


比較対象盤

ノイマン/ラプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(BRILLIANT 99549-6)〜期待の一枚でしたが、まさに期待通り。明快で、やや大人しすぎるノイマンと、ゲヴァントハウスの地味目で重い響きがピタリと相性ヨロシ。バーンスタインほどクドくなく、自然体から、人生の痛み、悲しみがひしひしと伝わってくる思い。録音も自然。

バーンスタイン盤〜はある意味、ジョージ・ショルティとは対極にあるような「入れ込み系」演奏。


【♪ KechiKechi Classics ♪】

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written by wabisuke hayashi