Bruckner 交響曲第8番ハ短調
(ゲオルグ・ティントナー/アイルランド・ナショナル交響楽団)


NAXOS  8.55215-16 Bruckner

交響曲第8番ハ長調(1887年版)
交響曲第0番ニ短調

ゲオルグ・ティントナー/アイルランド・ナショナル交響楽団

NAXOS 8.55215-16  1996年録音 2枚組1,680円にて購入

 メールにて意見交換をしていたら、「貴殿がオーケストラの技量云々に疑念を持つのはルール違反」との手厳しい批判を受けました。上手けりゃ(まして、名前さえ通っていれば・・・)OKなんて、【♪ KechiKechi Classics ♪】 とは相容れない精神のはずなのに、ちょいと油断すると、安易にそちら方面に走ってしまう。世の中、すべて美男美女では成り立たないように、個性こそ大切なんです。(深く反省。でも美人は好き)

 アイルランド・ナショナル交響楽団は、ベルリン・フィルのような機能性は望むべくもないでしょう。音質は鮮明だけれど、ときどき妙に奥行きが感じられなくなるのは、あながち録音の責任ばかりとは言えないかも知れません。(少々残響と奥行きが足りない)しかし、ここには誠実さと素朴さがある。ティントナーの棒に応えて、精一杯のテンションも好ましい。

 現代風・機能的なカッコウよいスタイルでもないし、往年の巨匠風・巨大なスケール演奏でもありません。もっとスッキリとして、明快で、そして実直なる田舎臭さみたいなものも潤沢。版が通常聴くものと異なるようで、ワタシは細かい楽譜のことなど知る由もないが、いままで散々聴いたはずのこの曲なのに、初耳っぽい部分が頻出するのも驚きます。

 3年前のワタシは「アンサンブルがよく整っているのは驚異的」と聴いたけれど、これは勇み足。もしかしたら、クナッパーツブッシュの演奏が念頭にあったのかも知れません。正直、各パートの微妙なもたつきが気にならないでもないが、響きが濁ったり混沌とならない爽やかさはたしかに存在しました。これは「味わい系」と考えていただきたい。好き嫌いは分かれるかもしれんが、入れ込み可能な水準で、そうなれば「癒やし系アンサンブル」も悪くない。

 千度言うが、「Brucknerはスケルツォがキモ」なんです。(全集全曲、スケルツォのみ聴いて演奏の判断も可能か?〜疲れるだろうが)ティントナーの誠心誠意なスケルツォは快感でした。馬力と底力の豊富な某有名オーケストラの火力にかなうはずもないが、持てる力を精一杯出し切って、その「いざ鎌倉」精神に共感します。30分を越える長大なるアダージョとて、弱音のコシのなさ(薄さ)が気にならんでもないが、虚心になったら透明な世界は伝わりました。

 終楽章は、冒頭早めのテンポが若々しい。細部を曖昧としない深い呼吸は、各パート(特に木管)の少々の色気のなさを補って余りあるでしょう。この楽章も、聴き慣れた強弱や、テンポ設定とはずいぶん異なる部分が多くて、妙に新鮮でした。(とくにラスト前部分)長大巨大なる作品だけれど、、精一杯の金管も威圧感は少ないし、弦の泣かせる旋律も美しい演奏なんです。聴けば聴くほど、新たな魅力が発見できる「スルメ」的演奏か。(2001年10月19日)

自戒の意味も込めて、以下、元の文書もそのまま保存。


 ゲオルグ・ティントナー期待のBruckner全集第4弾。(1998年10月発売)

 4年ほど前は毎月NAXOSの新譜から1枚は買っていたものですが、最近はなんとなく縁遠くなっていて、久々に楽しみにしていた一枚。第8番は89:20に及ぶため、第0番と併せて2枚にするところなど憎い配慮が感じられます。前3曲が各々異なるオーケストラとの録音だったので、こんどはどこのオーケストラか、と楽しみしていたら第2番と同じアイルランド・ナショナル響でした。(ちょっと残念。東欧あたりのオーケストラでいってほしかったところ)

 Brucknerの第8番と云えばクナッパーツブッシュ/ミュンヘン・フィルのウェストミンスター盤。LP時代からお気に入りでした。ダブルデッカーで所有(最近再発売されたものと異なりスタインバーグ/ピッツバーグ交響楽団の価値ある第7番との組み合わせ)しています。Brucknerにつきものの「版」についてはよくわらんけど、クナッパーツブッシュのは「改訂版」だそう。このCDを聴いていてもかなり印象が異なります。

 この第8番もCD時代を迎えて、2枚組から一枚に収まるようになった曲ですが、ティントナーの90分弱は長い。なんせアダージョだけで31分かかってしまう。ゆったりとしたテンポで、ていねいに細部まで細かく表現し尽くされた期待通りの出来です。並の演奏では緊張感が持たないはず。版のことはあまりわかりませんし、解説も読んでいないのですが、インバルと並んで完全なる「原典版」だそう。

 アイルランド・ナショナル響って、ステファン・ザンデルリンクとの共演で何曲か聴いていましたが、もっと(言っちゃ悪いが)ヘボい音でしたよね。指揮者によって同じオーケストラでもこれほど変わる、という見本のようなCDのひとつ。

 Brucknerには優秀なオーケストラ、深い呼吸、無為の為、音を感じさせる間、が必要と思います。

 でも「優秀なオーケストラ」というのも難しくて、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、CSOだからといってそのままBrucknerとの相性がいいわけでもない。ヴァントとの録音の先入観でしょうか、ハンブルクの北ドイツ放響とかケルン放響辺りを筆頭として、アイヒホルンで名を上げたリンツ・Bruckner管(G.L.ヨッフムとの戦前の録音も注目)、もちろんミュンヘン・フィル、カイルベルトの第9番におけるハンブルク国立フィルの渋い音が、とても似合うことがある。

 ヘボいはずのアイルランド・ナショナル響も、ティントナーの魔術にかかると、ひとつひとつの旋律に魂が入ったように美しい。淡々として、地味な演奏ではあるが、味わい深い。でも、このオーケストラはやはり上手くないのは事実。厳密に見れば、ところどころテンションが下がる場面有。録音はクリアだけれど、やや平板気味で残響がもう少し欲しいところ。

 録音のチカラもあるのでしょうか、初めて聴くような旋律があるのは、あながち版の問題ばかりではなくて、演奏スタイルそのものにも理由があるのでしょう。いままで気付かなかった、隠れた旋律も明快にきこえました。弦も管も軽快でスッキリとした響きであり、どこも明快、濁った響きは見当たりません。(スッキリしすぎで、軽くきこえるでしょうか。それにしても第1楽章の後半や第2楽章など、聴き慣れたものとそうとうに違う)

 アンサンブルがよく整っているのは驚異的で、透明な弦楽器、爽やかな金管もよく鳴っています。Brucknerでは致命的な弱点となる「音の薄さ」もほとんど感じさせません。もちろんベルリン・フィルのように、団員の妙技性とかセクシーな音色は期待できません。もっと素朴、しかし充分美しい。第2楽章の激しいスケルツォと、中間部の静かな旋律のシミジミとした対比。

 長大なアダージョは、音量が小さく、この繊細さを感じ取るためには集中力が必要です。ボ〜っとして聴けば、無為に流されてしまう。そして、突然の圧倒的爆発が感銘を呼びます。

 最終楽章は意外と快速に始まり、最後はテンポを落として終わるのですが、威圧感は感じさせません。もう80歳になろうという指揮者の演奏ですが、なんと若々しい演奏ぶりでしょうか。重苦しく、くぐもった、身ぶりの大きな一時代前の浪漫的な演奏スタイル(それも悪くないけど)とは無縁。長時間聴いても聴き疲れしません。

 第0番については、あまり曲に馴染みがなくコメントできません。マリナー/シュトゥットガルト放響の演奏(レーザーライトCOCO78034)で何度か聴いていたのですが、これといった印象を持てないでいます。(のち、コメント付け加えました。

 全集完成まであと5曲となりました。既に録音は済んでいるのでしょうか。これからも楽しみなシリーズです。

(1999年更新)

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written by wabisuke hayashi