Bruckner 交響曲第7番ホ長調
(カール・シューリヒト/ハーグ・レジデンティ管)


SCRIBENDUM   SC 011 Disc1 Bruckner

交響曲第7番ホ長調

シューリヒト/ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団(と表記。ハーグ・レジデンティ管弦楽団のこと)

SCRIBENDUM SC 011 Disc1 1964年録音  10枚組 6,550円にて購入(2003年発売)
名エンジニア、イアン・ジョーンズがアビー・ロード・スタジオでリマスタリングしたもの。

 2004年真面目に再聴です。シューリヒトのコンサートホール・レコーディングはほとんどLPで持っていたし、2003年お店で見掛けたときには思わずサイフを開いてしまいました。2003年〜今年辺りは正直、歴史的録音の聴き過ぎ(驚異の廉価盤History・レーベルとかクロアチアVIRTUOSOの登場)か、録音に疑念にあるものは少々敬遠していて、このセットも熱心には聴いておりません。それと、Brucknerの嗜好も急速に変わっていて、この高名なるシューリヒト盤もひとつの試練かとも思います。

 もともとの録音水準から著しく改善するはずもないが、かつての著しく平板な音質を知っている身としては、わずかながらの奥行き感(金管の質感の印象変化はかなり)、解像度の向上が嬉しい。(自らのオーディオ環境も問われます)この人は響きを厚ぼったくしたり、粘着質なリズム表現をしないので、腰がカルイように第1楽章はスタートします。木管やら、弦の細かな(そして個性的な)味付けはよくわかるようになりましたね。金管のマルい響き(鋭さも華やかさもない)は、録音上の問題かと思ったが、このオケの個性かも知れません。

 その金管を相当強調して、盛り上げるべきは盛り上げる。テンポは速くも遅くもないが、落ち着きのない無用なるアッチェランドはありません。(感興の高まりにやや走るところはあります)むしろ、ていねいなる味付けの結果、テンポが落ちるところが存在します。この作品の白眉「アダージョ」〜ワーグナー・チューバの音色の違いはよくわかるし、弦の切々とした、まるで吐息のような詠嘆は見事。これが刻々微細に表情を変えていきます。官能性は薄くて、そっけない(ようにも聞こえる)。サラリと流すところも有。

 精神的に追い込んでいくような、切羽詰まった「スケルツォ」。カッチリとした、跳躍するような明快なるリズム感。これは何度も繰り返され、悲劇が深化します。ラフでヘボいようなアンサンブルだ(これは録音の責任大か。金管がカルすぎて、奥行きが足りない)が、弦の切々たる”泣き”はとうとうと歌われて表情は濃い(薄味ではない)と感じます。ホルンの響きがずいぶんと安易なのは、やはりオケの問題ですか?威圧感やら、重量感方面とは無縁です。

 正直、(いつも)ようワカラン最終楽章。弦楽器の粛々とした響きには説得力がありますね。飄々としたリズム感に金管の威圧感はありません。(これ、録音がもし鮮明だったら印象一変か?)「終楽章だし。ここは一発大見得切って!」みたいな表現ではないから、淡々と曲は流れ、終了します。物足りないかな?それに音質の濁りはさすがに気になります。

 以下、1999年頃のワタシは「カラヤンを聴いてから・・・」なんて余計なことを書いているが、カラヤン最晩年の色気も意欲も失せた演奏より、こちらのほうがずっと聴き応えはあるかも。しかし、元が元だけに抜本的な音質の改善は望めません。(2004年7月23日)


1964年録音 LPからDATに録音したもの。(LPは国内盤コロムビアOC7259の中古。600円程で購入)→MDへ

 2002年再聴です。真夏のMahler モードから、いくら残暑が厳しくても9月ともなれば太陽にもややリキが落ち気味か〜Brucknerを楽しめる季節がやってきました。シューリヒトのコンサートホール音源もかなり復活(2002年10月)するらしくて、数枚(じつはほぼ半数)手持ちとダブるが、彼の録音は聴いてみたい。なんせLP時代には全部持っていたんですから。

 おお、そういえばBrucknerはDATで残して置いたはず・・・・いえいえ、もしかしたらこのサイトにも・・・って、以下の文書は1999年頃のものか?MDにも落としていなかったなぁ、もう数年聴いていないことを反省。でも、大仰な再コメントを付けるつもりはございません。

 音質が曇りがちであること〜但し、ワタシは以前ほど気にならなくなりました。この度出るリマスター盤の成果や如何に?ハーグ・フィル(レジデンティ管)は、昔の記憶では音の薄さや、「気のない管楽器」が気になったものですが、その辺りも気にならなくなりました。これは聴き手であるワタシが寛容になった(何に?)せいでしょうか。

 威圧感に満ちた重量感がないこと、(録音のせいか、それともオケの色か)中低音が薄いこと、リズムがダルにならないこと、結果として「軽量級」の演奏に聞こえる可能性があるでしょう。アンサンブルの縦線がピタリと合う〜というタイプではもちろんない。弦が前面に出なくて、管が奥行きなく目立つのも違和感があります。ときにピッチがおかしいパートもある。

   でもね、コレやっぱり第1楽章のそうとうに細かい性格付けがあって、テンポの揺れもかなり、ということ〜「すっきり薄味京風懐石料理」ではなくて、けっこう濃厚ではっきりした味付けだと思います。有名なる「アダージエット」だって、一見そっけなくスルリと進めているようだけれど、とんでもなく個性的で感情の揺れが表出するでしょ。意外と突っ走ったり。立ち止まったり。纏綿と歌ったり。

 これ、じつはティントナーの演奏を聴いていて「嗚呼、コレ素直でクセのない良い演奏だなぁ」と感じた前提もありました。シューリヒト演奏の神髄(様々のワザがありそう)を見つけるのは、もしかしたら意外とたいへんかも知れません。ワタシだってずいぶんと昔からこの録音を聴いているが、ココロは迷えるばかり〜コレで良いのか、と。

 スケルツォのノリの良いリズム感に文句はないでしょ。これぞ疾走するBruckner!ワタシの(かつて持っていた)LPは中心に行けば行くほど音質が悪化して、終楽章はヒドいもんですよ。それでも、自在なる軽妙さは健在で気持ちよくなるばかり。なんとなくあっさりとした終わりようが物足りないが、これはシューリヒトの持ち味でしょう。

 結論。これは歴史的録音の範疇に入る個性的演奏で、日常的に聴くべき演奏ではない。でも大好き。(2002年9月6日)以下、旧掲載原稿そのまま。


 「シューリヒトはスッキリさっぱり」といった印象が強いのですが、ウィーン・フィルとの第5番の録音を聴いてから、違うかもしれない、と思うようになりました。これは最晩年にコンサートホール・レーベルに録音した有名なもので、音質はともかく一部の人には評価の高かったもの。ワタシも好きな演奏です。国内盤でもなんども再発されていて、たしか現役のCDもあるはず。版のことはよくわかりませんが、有名なアダージョでは派手な打楽器が活躍するのでノヴァーク版なのでしょうか。

 シューリヒトは旋律の語り口が重くならず、しかもテンポはたいてい早い。奥行きが足りないし、盛大に音が濁るは、各パートのバランスは悪いは、と、もうどうしようもない録音。ハーグ・フィルは明るい音色で、意外と頑張ってはいると思うけれど、響きがやや軽く、薄いのは気になります。とくに管楽器の気のない音色は、ときどきあきれてしまう。

 ということで、好きな演奏ではあるけれど、なかなか聴く機会はないんですよ。この度は約3年ぶりの再聴。で、けっこう考え直しました。これは個性的で、ある意味「濃い」演奏であると。ちょっとしたテンポの揺れは、相当に効果的。

 この人、アンサンブルがラフな感じではないけれど、神経質なほど細部を磨く人でもありません。演奏者にはかなり自由な裁量を与えているのかな?飄々として軽快、だけど重心は高いわけじゃない。まず、スケルツォ〜フィナーレを聴いていただくと、そのリズム感の良さ、重々しくも深刻にならない「爽やかさ」が感じられます。そうとうな「ノリ」、そして「勢い」。

 Brucknerには、厚みのある渋い金管が必須条件でしょ。(だからアメリカのオケでは違和感がある)ハーグ・フィルはコンセルヘボウみたいにはいかないにせよ、くぐもった鈍い音の中から熱のこもった演奏ぶりは聴き取れるはず。

 ここを理解していただくと、かなり「無作為」(に聴こえる)第1楽章も、じつはそうとうに細やかな指示が行き渡っているし、流したようなアダージョもじつは淡々とした流れの中に感興の高まりが感じられる。

 一歩間違えれば、やる気のない単なるヘタクソな演奏。しかも劣悪きわまりない録音。この際、1964年ではあるが歴史的録音だと割り切ればそれも納得がいく。それでも、けっこう「おっ!?」と引きつけられて、ここのところ立て続けに聴いて、やや食傷気味だった「ブル7」も意外な切り口で悪くありません。

 ま、結論から言って、お勧めしません。カラヤン/ウィーン・フィル(例のラスト録音)なんかをしっかり聴いていただいて、それからにしたほうがよろしいようで。


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written by wabisuke hayashi