Sibelius ヴァイオリン協奏曲ニ短調
(ヤッシャ・ハイフェッツ(v)/ヘンドル/シカゴ交響楽団1959年)


RCA  BVCC-5066 Sibelius

ヴァイオリン協奏曲ニ短調 作品47

ワルター・ヘンドル/シカゴ交響楽団(1959年)

Prokofiev 

ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調 作品63

シャルル・ミュンシュ/ボストン交響楽団(1959年)

Glazunov 

ヴァイオリン協奏曲イ短調 作品82

ワルター・ヘンドル/RCA交響楽団(1963年)

ヤッシャ・ハイフェッツ(v)

RCA BVCC-5066  2,000円(税込み)で購入

 このCDは1990年3月21日発売の国内盤だから、おそらくはそれから一年以内に「新品」で購入した、と記憶しております。21世紀には、この金額だったら10枚組ボックスだって購入できる・・・いえいえ、十数年間しっかり楽しめばそれは充分に安かったんでしょう。子供の頃から馴染みのSibelius ともかく、Prokofiev、Glazunovの作品は当時馴染んでいなかったし、音質評価(いったい何を聴いていたんだ?)、ハイフェッツの快刀乱麻なるヴァイオリンについても、正しく聴取できていたかどうかは疑問です。

 Sibelius は快速であって、わずか27分弱。なにを標準とするかは難しいところだけれど、例えばアッカルド(1979年)は約34分、フェラス(1965年)もほぼ同様、旋律のタメや詠嘆ではなく、爽快なる前のめりの推進力に溢れ、しかも表現は粗くならない。さらさらと素っ気なく進んでいるようで、細部の弾き崩しやら、曖昧なる姿勢は皆無なんです。クールだけれど、感興が乗ってやがてアツい世界が繰り広げられる・・・ちょっと異形だけれど、数々CDで聴いたこの名曲中ヴェリ・ベストを争う出来としておきましょう。

 「伴奏専門」的イメージのあるワルター・ヘンドルだけれど、録音当時はシカゴ交響楽団の副指揮者だったらしい。Glazunovでもそうだけれど、立派な伴奏です。ここでは厚みのある残響も充分魅力的。悪くない音質だけれど、時に響きが濁るのは国内盤故なのか?他のCDを聴いたことがないので判断できません。

 (↓)Prokofievにダヴィッド・オイストラフ盤の言及が(唐突に)されているが、アルチェオ・ガリエラ/フィルハーモニア管弦楽団(EMI 1958年?)のことであって、比較例示としてポピュラーなものではないでしょう。たしかに穏和かつ豊満な演奏であって、こちらハイフェッツの緊迫感に溢れた演奏とはずいぶんと方向が異なるのは事実。”もともとシニカルで乾いた感情の曲”に間違いはないが、ハイフェッツの研ぎ澄まされた集中でこそ、作品の妖しい魅力爆発!と理解しました。そのオイストラフ盤は27分強、こちらわずか23分の超特急のノリは並ではない。

 ”残響不足の録音で、オンマイク〜奥行きが足りません”〜とは、エエ加減なる言及であって、たった今現在確認すれば、やや乾き気味ではあるけれど(残響豊かではない)明快な音質であって、Sibelius よりむしろ上質と感じられるほどです。おそらくは前曲との音質との違和感だったのでしょう。ボストン交響楽団も立派なものです。

 じつはこのCD再聴のキッカケとなったのは、Glazunov であって、イリヤ・カーラー(v)/コルチンスキー/ポーランド放送交響楽団(カトヴィツェ1994年)のすっきり端正なる演奏を聴いたため。例示としてセルゲイ・スタッドレルが引用されているが、これはウラディミール・ポンキン/レニングラード・フィルのOLYMPIA盤(録音年不明だけれどDDD表示)であって、(これも)適切なる引用ではありません。ちなみにハイフェッツ盤19分、スタッドレルが21分、カーラーは20分でテンポ的にはそう変わらない。だけれど、変幻自在なる(例の如しの前のめりの)疾走ぶりは健在であって、まさに名人芸が聴かれます。粘着質なる表現皆無なのはいつも通り。

 ヘンドル指揮のRCA交響楽団も立派で、(厚み重みは求められないにせよ)達者なアンサンブルですよ。西/東どちらの海岸か?コロムビア交響楽団と同じような録音用オーケストラなのでしょう。奥行きが足りず、ヴァイオリン・ソロの定位もおかしい、とは以前のコメントだけれど、そんなことない。音録りの考え方、雰囲気がばらばらだから各曲違和感があるだけで、明快でクリアな音質と評価してよろしいかと思います。

 所謂、”ハイフェッツ”一色の体臭が強く出た演奏だけれど、これに慣れると他の演奏が優等生的に感じられるものです。彼の魅力の虜になりそう。

(2007年11月10日)

 ハイフェッツの録音はそれなりに揃えております。LP時代も数枚持っていたし、このCDの演奏はFMエア・チェックでもお気に入りでした。1990年に国内盤で出たときに3枚まとめて買ったもの。(6,000円!今なら卒倒)でも、ホントはCDって高い安いの問題じゃないんです。(だからこそ、ワタシは安いものを専門に買うようになった)

 正直、ハイフェッツの演奏を文章にするのは至難のワザで、ひたすらサラリサラリと音楽が流れていくだけ。速いテンポ、よけいな飾りを付けないで淡々と、しかし、テンション高く進んでいって唖然とするばかり。どの曲も、どの演奏もそうだからどうしようもありません。全面支持。

 この作品は、ハイフェッツが盛んに演奏して現代のレパートリーに定着させた功労者とのことでした。なかなか気に入った演奏には出会いませんが、この録音もSibelius を聴くには理想とは言い難い。「北欧の荒涼たる・・・・云々」なんて想像すると肩すかしで、もっと純音楽的というか、ラプソディックな旋律を緻密に、タメもなく演奏していて、ある意味この曲のハダカの姿が提示されているようなもんです。

 いつもの妙技に聴き掘れていると、いつのまにか全曲終了します。キライじゃありません。でも、なんか違うかも。つまりSibelius じゃないのかな。シカゴ響の厚みは魅力的、ヘンドルはなんとなく伴奏専門みたいな印象があるが、ソロと同じ印象がありました。ま、カラヤン/フェラス(DG)の演奏における、あのトコトン分厚(く、重苦しく、豪華)いバックと較べてみるのも一興でしょうか。


 Prokofievはハイフェッツで出会ったというか、ほとんど他の演奏を真面目に聴いておりません。彼を最初に聴いてしまうと、脳味噌がそのイメージに固まってしまって、なかなかほぐれないんです。もともとシニカルで乾いた感情の曲だと思うし、ま、ソロの感想としてはいつもと一緒で完璧。バックは黄金時代のミュンシュ/ボストン響登場。残響不足の録音で、オンマイク〜奥行きが足りません。ミュンシュのバックは輝かしい。「合わせものは上手くない」そうだけれど、ヘンドル/シカゴ響が完全にソロ主導で鳴っているのに較べれば、あちこち主張が出ていて美しいものです。

 旋律的に、深刻で深遠に表現できそうなものだけれど、いつもながら「ここはこう工夫してみました」みたいな跡が残らない演奏でしょう。まったく自由に勝手に弾き続けるヴァイオリン。後、オイストラフ(EMI)で聴いてみたら、もっと浪漫的にしっとりと表現されていて、別な曲を聴く思いでした。でも印象はこちらのほうが深い。


 Glazunovは終楽章部分が明るくて、希望に満ちた曲です。正真正銘、この曲はこの演奏以外聴いたことはありません。(ほんま?棚を探せば出てきそうな??〜ありました、スタッドレルの録音が)同じヘンドルの指揮だけれど、RCA響(これ西海岸?)の響きも、録音状態そのものも乾いていて奥行きがありません。残響不足の録音で、オンマイク〜奥行きが足りません。ソロもバックも横一列に並んでいる感じ。

 哀愁も安らぎもある美しい旋律で、こりゃいくらでも甘い節回しが可能でしょう。(いちどそんなトロリ演奏を聴いてみたい)ややハイフェッツがソロリソロリと押さえ気味なのは、それでも濃厚な(表現が、ではない。個性が)ソロに間違いなくて、存在感は確かなんです。ひとつひとつの旋律のニュアンスも細かい〜あくまでタメは作らないけれど。


 録音は年代相応の問題もあるが(例えばSibelius 後半のノイズ、Prokofiev、Glazunovは奥行きなく平板)音そのものは明快で、そう文句を言うべき水準ではありません。なにより時代的にソロがメインでよく目立つところが、ハイフェッツ好きにはたまらない。


 2002年正月にNAXOS7枚組BOX買いました。(4,880円 8.107001)

 旧録音ばかりだけれど、これをみるとハイフェッツは見事にステレオでレパートリーを再録音したのが理解できます。Sibelius はビーチャム/ロイヤル・フィル(1935)、Prokofievはクーセヴィツキー/ボストン響(1937)、Glazunovはバルビローリ/ロンドン・フィル(1934)。まだ全部聴いていないけれど、音の状態は悪くないし、ヴァイオリンのテンションに違いはない。が、バックが名人だと雰囲気と説得力が強いかも?また、そのうちゆっくり聴きましょう。(2002年2月15日)


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written by wabisuke hayashi