●2006年9月某日
昨日は、女房クルマで出勤ということもあって、終日どこにも出掛けず。しっかり音楽を・・・聴いたわけでもなく、一日中時代劇(の再放送)、二時間ドラマ(再放送)をぼんやり見ていたような・・・10年ほど前の沢口靖子は輝くように美しいですね。本も読んでおりません。最近、休みはこんなパターンが多くて、(いろいろ人生に対して)意欲が落ちております。
ああ、そういえばBeethoven 交響曲第5番ハ短調〜ヘルマン・シェルヘン/スイス・イタリア語放送管弦楽団(1965年)のリハーサルを聴きました。(DOCUMENTS 223602-321/1)その後には本番の演奏が収録されるが、きっと全集と同じ音源ライヴでしょう。既に晩年なのに、なんという元気の良い爺さん!オーケストラを叱咤激励して、少々のアンサンブルの乱れ、金管のピッチの悪さなんのその!(激しい)勢いと流れ重視の燃えるような情熱演奏でした。
それをキッカケに、棚中奥に眠っている「Beethoven 交響曲全集」虫干し作業(あわよくばサイト用原稿に)へ。単品CDに迄手を伸ばすと収拾は付かないので、あくまで全集のみ・・・おお、けっこう大量にありますね。数年前と、顔ぶれがかなり変わっております。ハノーヴァー・バンドは既に(泣く泣く)廃棄し、メニューイン/シンフォニア・ヴァルソヴィア全集はBOOK・OFFへ在庫移動(即日完売〜有り難いことです)。そして”Beeやん苦手”との戯れ言よそに、驚くべき程「在庫」増えておりました。自慢にもなりゃしない。たんなるアホ。ペーター・マーク?どんな演奏だったか、記憶さえありません。
で、Beethoven 交響曲第2/4番〜ペーター・マーク/パドヴァ・エ・デル・ヴェネトー管弦楽団(1994年)を久々・・・一発目の合奏響きだした途端!ああこれこれ、引き締まって過不足のない颯爽とした表現。たしか、非力なオーケストラを感じさせぬ・・・といった印象だったはずだけれど、まさにその通り充実した親密なるアンサンブルでした。細部までよく考えられ、自然な流れが快い、適正中庸なテンポ。この人はほんまの音楽を知っている、”譜面の読める人”でした。
さて、本日は定例スポーツクラブへ。サイト用原稿も執筆したいが、どうかな。
●2006年9月某日
爽やかな秋の朝であります。もともと(若い頃より)朝は早かったし、最近では「生活リズムを崩さない」ことを旨としているので、休みでもいつもと同じに起きるようにしております。朝一番で、サイト定例更新。最近、音楽に集中できていない自覚はあるので、この休みでゆったり楽しみたいと思います。日曜日は「千人の交響曲」(岡山フィル)だ。
昨日のイル・ジャルディーノ・アルモニコの件、もう少々。快速テンポ、軽快な、ではなくて、激しくハズむようなリズム。旋律の叙情性を拒否したような激辛演奏。テオルボ(かな?)やら、ファゴット、ポジティヴ・オルガンの通奏低音は多彩で魅力的ですねぇ。ヴィオラかな?ほとんど雑音に近いような押し殺したような弱音も驚異的な効果・・・でも、やっぱりこんなアクロバティックな演奏に全面賞賛できないな。
昨日の新幹線中音楽続編・・・Debussy 「牧神の午後への前奏曲」「海」「遊戯」〜マニュエル・ロザンタール/パリ・オペラ座管弦楽団(1959年頃)・・・お気に入りの演奏であって、良い意味で線の細い、淡彩繊細な演奏だと思います。「牧神」は広がりはほとんどなく、但し奥行きはちゃんとある美しいサウンド。但し、聴き手はほとんど集中できていない。「月の光」「沈める寺」「パックの踊り」「ミンストレル」「ヴィーノの門」 〜ジャック・フェヴリエ(p)(1972年頃)・・・Ravel 直系の弟子筋であって、飾りとか個性を強調しない、しっかりとした”芯”を感じさせるピアノは充分に説得力があって、新鮮でした。
今朝、Bach リュート組曲ト短調BWV.995/ホ短調BWV.995〜ヤコブ・リンドベルイ(lu)(1992年)・・・嗚呼、こりゃいいや。流麗ではない、表層に揺れない。しっくりとジミだけれど、大きなリズム感が構築されて、どきどきしちゃいました。でも、これは夜の音楽ですな。もう一枚、Schumann 交響曲第2番ハ長調〜ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団(1957年ルガノ・ライヴ)・・・笑っちゃうほどアンサンブルの集中力+峻厳さ+見事な構成+燃えるような情熱!昔馴染みの音源なんだけど、そろそろ”音楽を楽しむべき秋”が来た、ということかな?
●2006年9月某日
まずは順調なる出張日程消化(と、言ってはなんだけど)でしょう。昨夜は、宇部でおいしいものを、楽しく談笑しつついただきました。幸せだ。本日4時半に事務所に戻り、意欲的に諸作業(帳票出力600枚、資料作成数本〜ノーミソにイメージあるからね、受発注実務+納品日変更、メールの返信、出張精算等々)モウレツな勢いで消化し、6時にはバスに乗って帰宅・・・明日はお休みいただきます。
藤原和博「自分『プレゼン』術」(ちくま新書)・・・レシートが2枚挟まっていて、2003年7月21日高知・金高堂にて693円購入(前所有者)、そしてワタシは2006年7月15日BOOK・OFF高知駅前店(105円)にて入手。リンク先の読者レビューには少々辛口の論評もあるようだけれど、ワタシは基本的なところで共感し、一方で高学歴(ナンセ天下の東大出だもの)+エリート・サラリーマン(大企業、海外赴任経験有、営業部長歴任)だから、ちょっとそんな経歴がハナに付いちゃう・・・って、こりゃ場末のドブ板営業サラリーマンの僻(ひが)みですな。”手の問題=底の浅いノウハウ”、そうとらえるとツマらん。
でも内容的には、よく考えられ、日常(お仕事上で)考えさせられることの回答になっていると思います。「自宅接待のススメ」(全面賛成)・・・ようはするに、相手の立場に立つ、想像を巡らして類推する、ありがちな型にはめない、頭をカタくしない、ということだね。「4枚でプレゼンテーションを通す」(全面賛成)・・・日常メーカーさんから「プレゼンテーションされる」ことが多いが、ほとんど(ほぼ100%)資料表紙と厚みを見ただけで”却下”しますもの。パワーポイント画面をそのまま印刷してしてきたり(論外)、パワーポイントを上演させてくれ(そんなヒマはないよ!)とか・・・
ワタシはもちろん「プレゼンテーションする」機会も多いし、若手に教える(手本を見せる)ことも多いけど、資料は極力減らす、知っていること、学んだことをすべて放出することが「プレゼンテーション」ではない、相手が必要とすることの”ツボ”を押さえる。そのときの雰囲気が悪ければ”一時退却”だってありえます(というか、かなり日常)。ワタシのやり方は最重要点を決めておいて、相手に考えていただく、回答を出していただくことを主眼としております。それにちょっと通じるかも。
著者とはほぼ同世代でして、つまり「ポスト団塊」〜「誰か特定のヒーローに対して崇拝するような態度をとらなかった。適度な『距離感』と『バランス感覚』を身上としていたような気がします」「比較的市井に留まって、仕事と家庭をバランスよく大事にする価値観を持ちながら、個人としてユニークな活動をしている人が多い」そんな世代・・・どんぴしゃ!じゃん。「自分の放送局をつくる」・・・って、これは自らのウェブサイトを立ち上げよ、ということであって、ワタシは細々と既に実践しておりました。妙なタイピング指運なんかもワタシと同じで、ちょっと嬉しくなりました。
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音楽はいまいち集中できず・・・状態か。Berlioz レクイエム〜ジャン・フルネ/パリ放送管弦楽団/エミール・パッサーニ合唱団(1943/44年)・・・こんな貴重なる音源が激安で復刻されるから有り難いが、ワタシはBerliozを苦手としていて、音楽の全貌がつかめない。これはインバルの優秀録音でも状況は同じでして、ましてや戦前太古録音〜とにかく最後まであきらめませんでした、的消化です。正直(未だ)楽しめない。余白に「ファウストの劫罰」(抜粋)「ロメオとジュリエット」(抜粋)〜トスカニーニ/NBC交響楽団(1947年)が収録されました。引き締まった厳しい表現がわかりやすい音楽だけれど、あまりに音質がデッドでした。
Vivaldi 協奏曲ヘ長調 RV.570「海の嵐」/協奏曲ト短調 RV.104「夜」/協奏曲ニ長調 RV.93/ソナタ ニ短調 op.1-12,RV.63「ラ・フォリア」/協奏曲ヘ長調 RV.442/協奏曲ニ長調 RV.94/協奏曲イ短調 RV.108/協奏曲ト短調 RV.107〜イル・ジャルディーノ・アルモニコ(1991年)・・・「毒にも薬にもならぬ音楽」と酷評されることもあるVivaldiだけれど、ワタシは優雅にゆったり瑞々しく演奏して下されば、時にそんな世界も良いではないか、と思います。
これはありきたりな素材を、思いっきり激辛にムリヤリ味付けしたみたいで、やり過ぎかよ!的印象を受けました。スーパー・テクニックというべきか、バカ・テクと呼ぶべきか、素晴らしく美しい一瞬をあちこち感じつつ、ワタシはこのスタイルを楽しめませんでした。若い頃は喜んだろうな、きっと。奥行きのない平板な録音も気に喰わない(音質鮮明ではあるが)。
●2006年9月某日
本日は、宇部(遅くまで、酒席で情報交流有)経由下関泊。明日、山口県内4ヶ所訪問の旅。昨日も地元と取引先と12月の大きなイヴェント打ち合わせ+夕方、上司との半期に一回の面接・・・ま、成績良いからたいした問題もないし、大胆なる主張行動も容認される・・・上司着任当時は鬱陶しく見えたでしょうね。昼過ぎ某氏より電話有、某重大案件について打開の相談有〜職場定時で早々に退散して(安)酒場で事態の動きと対策話し合う(自腹)・・・でも、ちゃんとバスで帰宅しましたよ。
ぼんやりとテレビを少々見て、お風呂入って、早々に就寝・・・よく眠れました。音楽は聴いておりません。10年以上前ぼちぼちと集めていた、ERMITAGE、AURAのライヴ盤が、HMVの要請(限定発売なのか?)でmembranより激安ボックス再発売(10枚*4セット/2セット発売済)されました。過半は所有していたけれど、中途半端状態なのでオークションで徐々に処分〜いろいろ経緯があって昨日、2セット分到着しました。所謂「出戻り買い」であり、オークション処分を考慮すると実質出費はありません・・・というか、1セット2,000円更にポイント割引ですから・・・って、カネの問題じゃない。
なんせ大多数馴染みの音源でしょ。ようやく到着しても、どうも精神的に新鮮味がないんだなぁ。罰当たりだ。とにかく今朝、単品で未入手だった一枚
Schubert 交響曲第8番 変ロ短調「未完成」/Tchaikovsky バレエ組曲「くるみ割り人形」〜セルジウ・チェリビダッケ/スイス・イタリア語放送管弦楽団(1963年ライヴ)・・・「未完成」は聴いたばかりだけれど、1970年トリノ盤のほうが楽しめるかな?オーケストラの特質か、録音の加減か、印象がややソフト過ぎる感じ。彼にはもっと硬派な演奏を望みます。「くるみ割り人形」は、入念細部まで描き込まれ、怪しい雰囲気溢れ勢いあるエエ演奏です。オモロいレパートリーですよね。
音質は、例の如しの会場残響が聴きやすく、ぼんやりとしたした不思議な録音。人工的な広がり付加されているのか。
●2006年9月某日
まさに秋、昨日はずいぶんと久々ちゃんとしたスーツで出勤しました。ややリバウンド気味とはいえ、一年前とは体型が異なるので”着られる服”を確認しないといけない。こんな季節に変わり目には(以前だったら)いつも体調崩していたけれど、食生活と適度な運動成果で今年は順調です。
Schubert 交響曲第5番ニ長調/第8番 変ロ短調「未完成」〜セルジウ・チェリビダッケ/イタリア放送トリノ交響楽団(1970年)・・・ワタシにとって、どちらかというと苦手系作品であって、この(音質芳しからぬ)一枚は出色の成果でした。最晩年の”微速前進スタイル”ではない中庸のテンポ、引き締まってスタイリッシュな緊張が快感であります。一見、淡々とした(大仰なところのない)表現だけれど、細部の入念描き込みが結果として作品の新たな魅力を掘り起こしているようで、2度繰り返して飽きさせない。彼の個性は、時に反発を感じる時もあるけれど、ツボにはまると楽しめますねぇ。オーケストラが色濃くないほうが、良い成果を上げているのではないか。
さ、きょうも元気で行って参ります。職場のほんのちょっと先輩が、腎臓結石手術で2週間ほど入院されるそうです。サラリーマンはまず健康!と自戒しましょう。
●2006年9月某日
さて、今週もどう乗り切ろうか。当面乗り切ることと、先行きの見通しをちゃんと付けることを両立させなくっちゃ。当面、些事3件有〜これを(できれば)トラブル処理の水準ではなく、プラスの結末に持っていきたいもの。週始めのサラリーマンとして、まずは体調充分なる状態であります。
来週東京(日帰り予定)行きのときに買いたいCDがあって、その絡みでMozart 歌劇「フィガロの結婚」〜クレメンス・クラウス/ウィーン・フィル/クンツ/バイルケ/ホッター/ブラウン(1942年ザルツブルク・ライヴ/ドイツ語)・・・第1幕のみ。思いの外、音質良好(マシ)。歌い手の味が濃いこと!エーリヒ・クンツの躍動する美声がなんとも言えない。速いテンポで颯爽としたクレメンス・クラウスも好調です。戦前の熱気というか、アツい雰囲気伝わります。ケルビーノのアリア「自分で自分がわからない」(ゾンマーシュ)・・・は、ゆったりとして最近では聴けない味わい有。
Bach ブランデンブルク協奏曲第1番ヘ長調/第2番ヘ長調〜コレギウム・アウレウム合奏団(1965〜67年)・・・改めて録音年代を確認して驚愕!純学究的に考えれば「中途半端なる古楽器」となるのだろうが、穏健派で豊かで瑞々しいサウンド、愉悦感に溢れた演奏に痺れるばかり。残響豊かでエエ音ですよね。コレギウム・アウレウムはLPで楽しみ、一度CDで集めて(Mozart 。一の気の迷いで)処分し、現在見掛ける度、ぼちぼち再収集しているところです。
では、行って来ます。
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お仕事は粛々・・・状態でしょう。退屈でもない、問題が起きたわけでもない。スケジュールも整って参りました。体調だってそう悪くない。でも、どこかどんより楽しくない感じ。お仕事早々に終えて職場の酒席に誘われるが、断って帰りました。明後日は宇部あたりで飲む機会がありそうだし。
1988年に発売された「バロック名曲集・1」〜イェルゲン・エルンスト・ハンセン/ソチエスタ・ムジカ室内管弦楽団+カザンジェフ/ソフィア・ゾリスデン(1970年代録音)・・・これは、ALIBINONI「アダージョ」+Pachelbel「カノンとジーグ」を両端に配して、Purcell「シャコンヌ ト短調」/弦楽のための組曲ホ短調Z.339/「アブデラザール」組曲Z.570(Brittenの「青少年のための管弦楽入門」の主題)/あとTelemannのヴィオラ協奏曲ト長調、Marcelloのオーボエ協奏曲ハ短調「アダージョ」とか、有名無名取り混ぜて盛り沢山!通り一遍の選曲に止まらなくて、多彩なる収録。
イェルゲン・エルンスト・ハンセンってオルガニストなのかな?現代楽器のフツウっぽいアンサンブルは、充分楽しめます。音質まぁまぁ。BGMにはピッタリですな。(中古250円也〜なんせ18年前のCDですから。made in Japanは優秀です!長持ちします)
●2006年9月某日
昨夜は夜、女房と「豆富料理」へ・・・アンケートに書いてきたが、もう一工夫必要ですな。料金が(店構えのワリに)安めだけれど、豆腐の原価は元々安いものだし、調理の工夫(変化)不足、コース・ラストにそば、ご飯もの、デザートと続くと少々お腹一杯過ぎ・・・若者にはこれで良いのかも知れないが、若い女性客が多い「ダイエット系」だと思うので、これはいただけない。それと、お隣の女性グループの煙草の煙が気になりました。ワタシはビンボー症なので、安直な居酒屋(テレビ有、のような)にて、好きなものだけ頼んで飲むのが似合っている。
昨日のミトロプーロスの延長で、Bach 幻想曲とフーガ ト短調BWV542〜ミネアポリス交響楽団(1942年指揮者編による)・・・著名なる「大フーガ」の管弦楽曲版として、わりと有名みたいですね(ネット検索結果によると)。ティンパニ大活躍!の勇壮重厚多彩劇的なる響きは、お馴染みストコフスキーの世界に近くて、このスタイルは一種の流行だったのでしょうか。(Scho"nbergとか)すっかりこの旋律が気に入って、ヘルムート・ヴァルヒャ(1952年)/カール・リヒター(1954年)/ハンネス・ケストナー(1924 - 1996/録音年不明のDDD表記)・・・と連続聴取へ。
厳格禁欲なるヴァルヒャ、荘厳雄大なるリヒターに比べ、ケストナーの伸びやかで明るい雰囲気は、録音条件の改善印象もあるのでしょうか。淡彩なるオルガンの響きを、なんとかいっそう楽しく、わかりやすく聴いていただこう、といった管弦楽への編曲意図だと思います。しかし、馴染みが深まるほど、オリジナルの”多彩”がはっきり理解できるようになりました。
Beethoven ピアノ協奏曲第4番ト長調〜ルービンシュタイン(p)/ミトロプーロス/ニューヨーク・フィルハーモニック(1951年ライヴ)・・・これは、熱狂的な演奏です。オフ・マイクであまりよろしい音質状況とは言えぬが、それを凌駕して快速、ノリノリの恐るべき推進力。Saint-Sae"ns ピアノ協奏曲第2番ト短調の再来ですな。晩年の陰影とか、味わいとかそんなもんじゃなくて、鬼神の如く激しい熱気に圧倒されるピアノでした。こんな演奏会ばかりじゃ、心臓に悪いっすよ。
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どうも精神的にヘロヘロであきまへん。昼寝して、ほとんど音楽にも集中できず、夕方から赤ワイン飲んだくれて、面白くもないテレビを見飽きて、本も読めず。ましてや、サイト用原稿執筆なんて!状態。無為無策無駄な休日でした。
●2006年9月某日
心身共に疲労していて、(お仕事消化80%だと思うが、どうもどんよりしている感じ)昨夜帰宅して食事してぼんやりテレビ見ながら、(ノートパソコンにて)ネットも見ていたけれど、眼の奥が痛い。オークションを眺めても、欲しいCDもなし。音楽聴く気も起きず。眠りも浅い。風邪でもひいているのか?それともココロの風邪か。とにかくスポーツクラブで汗流して気分転換しましょう。本日祝日、休み也。
「聴けば間違いなく、例外なく癒されるBach のカンタータ 「貧しき者は饗せられん」 BWV75〜リューシンク/オランダ・バッハ・コレギウム・・・30分を越える大曲であり、(いつもながら)素朴な味わいの演奏であります。キモはオーボエ・ダ・モーレかな?短時間に集中録音された全集故か、アンサンブルやら声楽の完成度に問題はあるのかも知れないが、小さな編成、ややノンビリとした味わいは作品そのものを楽しむ上で問題はない、と思います。
続く「人もしわれを愛せば、わが言を守らん」BWV59は、ティンパニ/トランペットも入って賑々しく、終曲のバス・ソロに絡むヴァイオリン・ソロの柔らかい美しさは筆舌に尽くしがたい。「わがうちに憂いは満ちぬ」BWV21は、オーボエをフューチュアした荘厳なるシンフォニアが魅力的であり、まさに「憂い」に充ちた声楽が延々と続きました。合唱のピッチが悪い?いえいえ、演奏上の些細な傷は音楽の価値を決して低めません。お疲れ気味のワタシに、たった今必要な音楽はこれです。
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嗚呼、やっぱり強制的にカラダを動かして汗を流すこと、心身共の疲労回復にはこれが一番ですな。あとは、二時間ドラマ再放送眺めつつ昼寝、で休日ゴールデン・コース也。音楽の方は”摘み聴き”少々・・・Bach オーボエ・ソナタ ト短調(BWV1030)〜ハインツ・ホリガー(ob)/ジャコテ(cem)(1973年)・・・これは著名なフルート・ソナタをオーボエで奏したもの。ほの暗く深みのある旋律は、オーボエでも充分美しい。ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調〜ミトロプーロス(p)/NBC交響楽団(1945年)・・・音質ともかく(マシなほうだけれど)、センスとしてまったくモダーンだし、なによりピアノ・ソロが細部に配慮あるもので、感心します。ミトロプーロスの技量は「指揮の余技」水準に有り余って、ヘタなチェンバロよりずっとわかりやすいもの。
Rimsky-Korsakov「シェヘラザード」〜アンセルメ/パリ音楽院管弦楽団・・・これは1954年(ステレオ)盤ではなく、1949年モノラル録音でした。明快なる分離と奥行き深い音質は驚異的でして、再録音にまけない色彩的、かつ軽快な響きが魅力的でしょう。金管のヴィヴラートがたまんないなぁ。
●2006年9月某日
涼しさいっそう募って、そろそろクールビズが意味をなさなくなってきました。体重はターゲットより2kg増で固定気味・・・体調はそう悪くないが、体重を戻せない自分が情けない。本日、午前中通常業務+職場内部問題(昨日のとことんアホの残業対策)ケリ付けないとヤバい。昼から地元取引先とご商談。重要取引先との商談が、息抜きとか気分転換になる、という恐るべき親しさ。今朝、サイト定例更新済み。
Brahms 交響曲第3番ヘ長調/ハイドン変奏曲〜クリスティアン・マンデール/”ジョルジュ・エネスコ”・ブカレスト・フィル(1995年)・・・これで全4曲拝聴したが、印象感想としてはビミョーなところ。表現意欲とか、個性とか、立派なものだと思いますよ。でも、この第3番を聴いていると”何かが足りない”?〜例えば、第3楽章「さようならをもう一度」って、甘美な旋律じゃないですか。これをとことん激甘に、または抑制を利かせて、いずれたっぷり楽しませていただきたいところだけれど、どうもぴん!と来ません。よくできているが、数十年前この作品に出会ったどきどき感(ストコフスキー/ヒューストン交響楽団の劣悪音質LPだったか?)何処?これは、単にワタシの集中力不足であることを祈るばかり。
Bach ヴァイオリン・ソナタ集BWV1014〜1019〜ドミトリー・シトコヴェツキー(v)/ロバート・ヒル(cem)(1996年)・・・これは稀有なる高貴さに包まれた演奏です。数度に渡る来日公演(の一部)をFMで聴いたことがあるが、クールで端正でモダーンなリズム、繊細なるセンスにいつも驚かされます。先日聴いた、バルヒェットも文句なく立派(過ぎ)な演奏だったが、もっと軽快自在スムースであって、やはり時代が異なるか、と感じ入ったものです。好みとしては、こちらに軍配か。
●2006年9月某日
在広島ホテル。これから昨日に続き、広島(東広島/呉方面)回り。昼過ぎ辞去予定。昨日は、山口で久々に出会った人もいて、30分ほど情報交換・・・また、時を改めてじっくり話しあうよう約束。宇部にて泊まりがけでスケジュール調整。昼から広島へ移動市内4ヶ所訪問。夜は(いつもの)横川にて飲んだけれど、ウチのチームメンバー(のひとり)が、んもうとことんアホであることを再確認。わかっていたけれど。評論家で、すべての主張は、自分が例外になっていることに閉口気味。お客さまにも職場でも愛されないよ。
移動中に聴いた音楽は、Viotti ヴァイオリン協奏曲第22番イ短調/Paganini ヴァイオリン協奏曲第2番ロ短調 作品7「ラ・カンパネルラ」〜アッカルド(v)/ボンコンパーニ/ローマ・フィルハーモニー(1962年)・・・かりっと華やか、歯切れの良い、まさにイタリアの青空のようなヴァイオリン。バックの粗雑さは録音印象かも知れませんね。Viottiの作品って、稀代の名曲に間違いない。甘く、切ない旋律であって、演奏スタイルもそれに相応しい美音を誇ります。オン・マイクでソロ集中の昔風録音。古楽器系の良い録音は出ておりますか?
Berg「ルル」組曲(ブレゲン(s))/「ワイン」(ノーマン(s))/叙情組曲(管弦楽版1974年録音)〜ピエール・ブーレーズ/ニューヨーク・フィル・・・エエですね。緻密で集中力あるアンサンブル。正確で妖しげな味わい。この時期、ブーレーズはニューヨーク・フィルを建て直していた最中のはずだけれど、人気という点ではバーンスタインには遠く及ばなかったと記憶します。
昼から、職場に戻ってエラいさんと内部打ち合わせ。
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現場回りは楽しく、ワタシにとってストレス解消の場となっております。多くの職場の仲間は現場訪問をいやがるようだけれど、ワタシは異色の存在なのでしょうか。広島のおいしいお好み焼きをいただいた(ダイエットはずっと赤信号)後、昼から急ぎ職場に戻って本部エラいさんとの面談、基本、和気藹々として(なんせ数値絶好調ですから)いくつか注文をいただきあっさり終了。いくつかのトラブル消化しつつ、上司と調整して帰宅。明日、午前中、いくつか宿題消化しつつ、昼から(若い者数人引き連れて)地元取引先へ商談+レクチャー受け+売り場見学也。一週間終了です。
祝日が続くと、一週間もあっという間ですな。
Beethoven 交響曲第5番ハ短調(1961年)/「エグモント」序曲(1970年)/Schubert 交響曲第8番ロ短調「未完成」(1963年)〜バーンスタイン/ニューヨーク・フィル・・・音の粒子やアンサンブルがやや粗く、熱気と勢いに充ちたやや粘着質なる音楽作り。テンポは中庸であり、第1/終楽章はちゃんと繰り返していて、手応え充分です。オーケストラの響きが明るめで、そこがやや正統的ではないのかも知れないが、稀有な集中量は些細なる傷(木管のピッチの悪さなど)を忘れさせます。録音も優秀・・・だけれど、1970年の「エグモント」が妙な”ボワン”とした音質でした。
●2006年9月某日
さて、本日は山口経由(再び)広島へ。こんどは明日に掛けて現場回り9件。そのまま明後日、職場に戻って上司の上司東京より訪問で「状況訊き取り」だけれど、我がチームは”文句なし”数値を作っているから堂々としたもんですよ。昨日朝、職場によって最新数値予測出したが、昨晩3%勘違いしていたことに気付いて訂正必要です。つまり、良すぎる数値見込みになっていた・・・朝晩はすっかり秋めいて、順調な季節の推移です。眠りの質は(相変わらず)良くありません。
Mozart ピアノ協奏曲第23番ニ長調K.488〜クリフォード・カーゾン(p)/ジョージ・セル/ウィーン・フィルハーモニー(1964年)・・・こんな録音残っていたんですねぇ・・・って、レシート見ると2年以上前の購入じゃないの。ゾフィエン・ザールでの録音らしいから、英DECCA正規音源ですよね。セルのバックが驚くべき程強靱で、ウィーン・フィルはいつになく骨太濃厚な表現になっているのは驚き。そして、カーゾンのピアノは高貴でクール、その孤高の輝きに比類はない・・・エエもん聴かせていただきました。
Brahms 交響曲第2番ニ長調/悲劇的序曲〜クリスティアン・マンデール/”ジョルジュ・エネスコ”・ブカレスト・フィル(1995年)・・・こういった静々とした作品の方が、似合った演奏だと思います。いつも通りのゆったり入念なる表現であって、この作品こそワタシは「オーケストラの響き」にこだわったはず(モントゥー/ロンドン響やら、コリン・デイヴィス/バイエルン放響にさえ、かつてやや不満を感じたことがある)。耳慣れたせいか、それとも今朝の精神状況故か、第1/4番ほどにオーケストラの”弱さ”は感じられない・・・が、やはり全力での爆発時に響きの濁りが少々気にならないでもない・・・が、基本良く歌って、悠然たるスケールとデリカシーが存在すると思います。
では、行って来ます。本日の宿泊は東横インであって、ネット環境はOK(FTP設定が異なるが)だけれど、更新できるかどうかは微妙です。
●2006年9月某日
さて、今週も頑張っていきまっしょい。ジョーダン抜きで減量せんとあかんなぁ、どうも精神的に緩んでいけない。「おいしいものを少量いただく」風な食生活を目指したいが、むずかしいものです。台風過ぎて、立派な秋の風情となりました。今朝は一時間早く出て、資料やら準備しつつ広島行きのつもり。
昨夜、(こんなCDもあったのか!いつもの棚中発見)Mendelssohn ヴァイオリン協奏曲ホ短調〜エミー・ヴェルヘイ(v)/アルパド・ヨー/ブダペスト交響楽団・・・馴染みの作品だし、ヴェルヘイの微笑んだような美しいヴァイオリンに不満あるはずもないが、聴き手はマンネリ感を抜け出せず作品に集中できません。もっとドキドキするような哀愁の旋律だったでしょ?中途半端な気持ちを抱えたまま、次はピアノ協奏曲イ短調〜ジークフリート・シュテッキヒト(p)/ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団・・・明快硬派硬質真面目な演奏であって、こちらのほうが作品、演奏ともずっと楽しめます。録音の加減もあるのか?後者は旧東ドイツedel原盤でありました。ちゃんと、時を改めて再確認いたしましょう。
贔屓にしている超・ジミ味わい系作品シリーズ「English String Miniatures」Vol.2〜Bridge、Elgar(「溜息」〜これのみ有名)、Wood、Irelandなど・・・デヴィッド・ロイド・ジョーンズ/イギリス北部フィルハーモニー(2000年)。この第2集はRVWとか、Deliusも収録されて、相対的に知名度のある作曲家が含まれます。いずれ2分〜4分ほどの儚くも”華のない”作品ばかり・・・これが秋の声にぴたりフィットして、声高に叫んだり走ったりしない。いつも微笑みながら、過去を寂しく振り返っているような風情がありました。
女性には人気ないだろうなぁ、色気ないし。中年草臥れ親父の琴線に触れる作品ばかり。(NAXOS 8.555068)
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朝、早く出勤したらチーム・メンバーが(自主的に)先に出ていて、驚きました。広島のお取引先へ行って商談、その後、関係者数人と雑談・・・そのまま職場には戻らず帰宅しました。森永卓郎「シンプル人生の経済設計」(中公新書ラクレ)・・・先日、BOOK・OFFで購入したら女房が「それ、前にも買ったじゃないの」と。サイト内検索すると2003年5月に記述がありましたね。一部経済予測が外れている(そんな簡単に景気は良くなっていない)が、方向はまったく正しくて、内容は4年を経て旧くなっておりません。ま、1対99ならば「勝ち組」「負け組」の意味がない〜せめて半々じゃないと。人生の考え方を変えないと、という提案です。高収入エリート・サラリーマン(自宅家庭持ち)より、独身年収300万のほうが、自由で楽しい、可処分所得の多い生活が送れる・・・といった試算に論拠はあるけど、結婚はあきらめろ、ってか。いずれ、我が人生に大きな価値観の変化をもたらした書・・・スポーツタイプ(DOHCターボ)→中古の軽自動車に変えたのは、この本を読んだからだったか。
移動中聴いた音楽・・・先週いまひとつ集中できなかった数枚を再聴・・・Dvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界より」〜ジェイムス・ロッホラン/ロンドン・フィルハーモニック((p)1989)・・・「素朴な歌に溢れて、ジミだけれど懐かしい」「オーケストラの豪快な響きと着実な指揮には時に少々違和感有」とのコメントだったが、訂正。粗野で豪快な金管が前面に出て、骨太のアツい演奏でした。灰汁のあるような表現ではないので、ぼんやり聴いていると「少々違和感有」となったのかも(言い訳です)。英国紳士も時に燃える、ということですな。
Saint-Sae"ns 交響曲第3番ハ短調「オルガン」〜ズービン・メータ/ロサンゼルス・フィル/プリースト(or)(1970年)・・・ストレートで若々しい勢いに溢れて、元気いっぱいです。”味わい不足”とは言い掛かりだな。この明るさと、粗削りが”味わい”なんでしょう。嫌いな演奏じゃありません。コレ、駅売海賊盤(FIC ANC-59)でして、大音響で少々音が濁りますね。でも、基本艶々とした英DECCA録音は見事でした。
Dvora'k 交響曲第7番ニ短調(1977年)/第8番ト長調(1981年)〜オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ベルリン・・・エエですねぇ、極上のオーケストラ。弦のゆらゆら歌う節回しは艶やかであって、希有な魅力でしょう。アンサンブルのテンションの高さ、各パートの自信に充ちた輝かしい旋律表現・・・こんな気持ちの良い演奏は滅多にないでしょう。とくに第8番は極め付き〜民族的表現とか、そんな方向じゃなくて、純音楽的な快感。終楽章、長いフルート・ソロはアクロバティックなものではなく、あくまで暖かい味わい有。録音も良好。
●2006年9月某日
(毎度、20行ほど書いたところでエディターが落ちました・・・1行も保存できておらず。で、ノート・パソコンに乗り換え)強力な台風はあちこち被害を残して日本海に抜けたようです。ここはたいしたことはなかった(はず)だけれど。昨夜は夕方からワイン(自分で作ったおでんは失敗作・・・だいたい赤ワインに合わない)飲んで、早々に眠くなって〜11時過ぎに起きてテレビつけると、バレンボイムがピアノ弾いてました。精力充実だけれど、(容姿的に)若い頃の記憶しかないから、ああ禿げたね、巨匠然となったな、彼も、と感慨深い。
Mozart ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調K.482・・・名曲です。彼は鍵盤の奥の方を押す特有のスタイルだけれど、安定した力強い打鍵に説得力有。オーケストラは盤石の安定度であって骨太・・・見知った顔数人いるので、ベルリン・フィルか。もっと繊細なテイストが好みのワタシだけれど、ライヴの雰囲気、素晴らしい会場(プラハ・エステート劇場〜伝統のシューボックス型ですか?)の画像を見ちゃうと、ぐっと来るものがありました。
故国凱旋のラデク・バボラク(hr)による、ホルン協奏曲第1番ニ長調 K.412(386B)・・・エエですね、粗野で野生の味わい深い狩りのホルン。リズムのキレ、早めのテンポを聴くと、ベルリン・フィルは変わったな、と、カラヤン時代のレガート奏法を懐かしく思い出したものです。ラスト、交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」・・・古楽器風リズムの影響を受けたフレージングであり、強靱な推進力。個人的嗜好では、細部の緻密に欠け、表現の陰影に不足する・・・と思うが、ナマの魅力とアツさはたしかに手応えありました。(2006年5月1日ライヴ)
昨日、数件サイト用原稿執筆・・・名残惜しく連休は本日で終了です。
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数日前、Brahms 交響曲第4番ホ短調〜クリスティアン・マンデール/”ジョルジュ・エネスコ”・ブカレスト・フィル(1996年)・・・「出戻り買い」(250円)の件について触れたが、その後数回繰り返して、入念なる細部表現と、それと裏腹なるオーケストラの弱さ(今更・・・)が気になっておりました。じつは、全4曲4枚(再)購入済みで、本日は交響曲第1番ハ短調(1996年)を拝聴。Brahms の交響曲は馴染みな存在だけれど、さほどに好んで聴く音楽ではありません。(ピアノ曲やら、室内楽の方がしっくりする)
結果、第4番と同様の印象であり、ポイントは「作品に何を求めるか」でしょう。よく考えられ、練り上げられ、工夫された入念演奏だと思います。微妙に揺れるテンポ、息深く歌う旋律・・・嗚呼、立派な演奏だ。とくに第3楽章のものものしい雰囲気!終楽章の流麗なるスタイルと、思い切った(少々クサい)テンポ・ダウン。でもね、やはり”オーケストラが弱い”・・・か。たいへんな努力賞もんのアンサンブルだけれど、聴き進むにつれ、もっと奥行きと芯がしっかりとした、爽やかな響きを求めたくなる・・・いえいえ、若い人達が@250でこの素晴らしき音楽に出会うには、充分なる実力だと思いますよ。それが前提の戯れ言でした。(「大学祝典序曲」・・・これはそうとうにテンポを動かして少々クサいくらい)
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高田明和「『うつ』にならない食生活」(角川ONEテーマ21)・・・リンク先の読者レビューにもあるが、題名からは少々内容がそぐわない感じ。但し、ワタシは「麻薬覚醒剤の発見」活用経緯はたいへん興味深く読ませていただきました。ま、菜食主義、行きすぎたダイエットは「うつ」症状を呼んでしまう、という仕組みは理解できました。現在、ややリバウンド気味ではあるが、ここ半年のダイエット経験でも、たしかに「精神状況変化」は実感できましたね。いずれ、スポーツは精神状況改善にはよろしいようで。
●2006年9月某日
なにもせず、終日ぼんやりしております。朝一番で最近ご近所オープンしたディスカウント・ストア(24時間営業)訪問〜女房職場(小さな事務所休み中)訪問して、コンピューターの不調状況拝見/不要ファイルやらスパイウェアの除去作業+HDクリーナー作業など。それから帰宅して昼寝・・・無為無策も連休の醍醐味か。昼から「救命病棟24時」再放送見ております。最高です。江口洋介とか、松嶋菜々子はもちろん(当たり前に)カッコ良いが、小市漫太郎はクールな悪役(?)でエエ味出してます。これからは時代劇で新・悪役定番として進出願いたい。人気の大泉洋とか、田村たがめ(大人計画)も出演してたんですね。
Bach ヴァイオリン・ソナタ第1/3/4/6番〜ラインホルト・バルヒェット(v)/ロベール・ヴェイロン・ラクロワ(cem)(1960年)・・・これは驚くべき正統派であり、背筋がピン!と伸びきって、朗々と歌い、凛とした気品に充ちております。一切、抜いたところはない。豊満で明るい音色、聴いていて息詰まるような真面目なる大柄な演奏であって、その真摯なスタイルに胸打たれます。録音極上。今時、こんな真っ正面真面目な演奏はあり得ない、馴染みの作品だけれど別な作品に思えるくらい。名手ヴェイロン・ラクロワの楽器は、少々大時代的金属音だけれど。
Mahler 交響曲第9番ニ長調〜ノイマン/ゲヴァントハウス管弦楽団(1968年)・・・「異様な切迫感とか、狂気スレスレの毒」〜そんなものをかつて、ワタシはこの作品に求めておりました。久々の再聴だけれど、絶好調のゲヴァントハウス管のジミだけれど暖かいサウンドそのものを楽しみました。表現としては穏健派、粛々とした歌が自然であり牧歌的であり、冒頭歌が始まったらもう最後まで一気!止められない。前回コメントから5年以上経っているから、再度の検討必要ですね。エエもん聴かせていただきました。
●2006年9月某日
休日をゆったり過ごしております。スポーツ・クラブもサボり・・・女房だけが出掛けていきました。朝から音楽を楽しみつつ、サイト用原稿に着手しているが、遅々として進まない・・・閑話休題(それはさておき)少々ショックな事実が!Bach フルート・ソナタは2枚目 ハ長調BWV1033/ホ短調BWV1034/ホ長調1035/無伴奏パルティータ イ短調BWV1013へ〜スティーヴン・プレストン(fl)/ピノック(cem)/サヴァール(ガンバ)・・・相変わらず静謐で、深い沈黙が支配するような演奏を楽しんだものです。これは最近購入したもの。
で、現代楽器で再確認しようとしたら、(毎度お馴染み)そのCDが探せない。ウィリアム・ベネットや、マクサンス・ラリュー盤の記憶も鮮やかだけれど、棚中どこにも発見できず。誤って処分した可能性はあります。しかし、お気に入りの作品でもあり、演奏も気に入っていたし、処分する理由がありません。ましてや、誰の演奏であれ、「この作品は一枚のCDも所有していない」状況を作り出すことはありえない・・・残る可能性は、演奏音質条件が整ったものを入手したことを機会に、既存所有分を処分した・・・ということだけれど、であれば記憶喪失した「名盤」がどこかにあるのでしょう、きっと。でも、サイト内検索掛けても出てこない不思議。
結果的にスティーヴン・プレストン盤は「空白克服」になっていおりました。
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終日外出せず、テレビも面白くなく、音楽を聴いて、サイト更新用原稿を執筆しておりました。あちこち沢山聴いたけれど、数少ないネタがばれるので掲載自粛〜大型台風接近しているようです。さきほどのニュースでは石垣島とか、佐賀県の酷い様子が報道されておりました。毎度のことながら、なんとか最小限の被害で過ぎ去っていただきたい。
今月は「新世界」連続で、飽きもせず聴いております。Dvora'k 交響曲第9番ホ短調 作品95「新世界より」〜アントン・ナヌート/リュブリャナ放送交響楽団・・・個人的希望としては「繰り返し実行」をお願いしたいが、それはともかく、ローカルで雰囲気あるエエ演奏です。1980年代の録音でしょうか、草の香りがするというか、今月聴いたメータやロッホラン盤よりずっと味わいがあって暖かいサウンドが楽しめます。
わずか税込み105円CDの価値についてシミジミ感慨があって、この件に付き、別途サイト用の原稿としてまとめたりしておりました。この中古盤はどこでも(格安にて)見掛けるから、先入観抜きで多くの人々に聴いていただきたいもの。
夜は2時間ドラマ〜渡瀬恒彦が楽しみです。昼も夜もちょっと喰いすぎました。夜は、女房がトマトのパスタを所望したが、残念ながらスパゲッティ在庫切れで、讃岐干しうどんで代用・・・立派にそれらしく、おいしく出来上がりました。
●2006年9月某日
さて、週末であり、サイト定例更新の日であります。馬齢を重ねると日常が保守的になりがちだけれど、一方で生活のリズムは守っていきたいもの。昨日は、広島(+在来線移動有+広島中心部へ戻って再びうち合わせ有)で少々難しい宿題いただきました。待ち時間含め、本を読んだり、音楽聴いたりできましたが。遅く帰宅。
中込弥男(やすお、と読むらしい)「ヒトの遺伝」(岩波新書)・・・いかにも岩波書店らしい、ハードで真摯な内容。正直半分くらい(科学的分析部分など)読み飛ばしたが、それでも充分興味深い「遺伝」の事例がわかりやすい。血液型で人種の移動がわかる場合もあり、「全員B型」みたいなところもあるんですね。(著者はABO性格分析のことを心配していらっしゃいました)遺伝病の発生メカニズムも詳細だけれど、初耳な病名もたくさん出てきました。時に、こういう科学的著書も悪くない。冒頭
母知らぬ吾を母似と盆の客 佐藤百合
これは1994年度NHK学園俳句大会大賞作品とのことだけれど、ちょっと泣かせる遺伝子話の枕であります。
Bach フルート・ソナタ ロ短調BWV1030/変ホ長調BWV1031/イ長調1032〜スティーヴン・プレストン(fl)/ピノック(cem)(録音年不明1970年代後半か?英CRD原盤)・・・BWV1031には有名なる「シチリアーナ」が含まれるが、息子のカール・フィリップの作品ではないか、との説もあって、なるほど両端楽章は少々(他と)テイストが異なると感じます。ゆったりとしたテンポ、素朴だけれど深みのある静謐フルート(古楽器)は、かつてない落ち着きを感じさせて、やや大人しすぎるか?と思えるほど。愛する旋律だけれど、10年ぶりの拝聴かも。現代楽器の躍動する演奏も聴きたくなりました。週末に棚探索をしましょう。
Mozart ヴァイオリン協奏曲第1/5番〜ダヴィッド・オイストラフ(v)/ハイティンク/ラムルー管弦楽団(1963年)・・・貴重なる音源(だと思う)が、かつての自らのコメントには、賛辞が不足しております。一点の曇りもなく、晴れやかで艶々のテンションに溢れ、幸福なる50分間の保証間違いなし。盤石の技巧+アツい情熱と瑞々しい情感にに充たされました。録音も(ま、おおよそ)良好也。
Bruckner 交響曲第8番ハ短調〜ラファエル・クーベリック/バイエルン放送交響楽団(1963年ライヴ)・・・モノラルなのが残念だけれど、聴き進むにつれ音質を忘れさせる情熱的な演奏!ザラリとした感触、テンポの動かし方は少なく、ストレート系だけれど、推進力と爆発に不足はない。ワタシは、この作品中第3楽章「アダージョ」をもっとも好むけれど、纏綿とした表現ではない、どちらかというとサラリとしたテイストでありながら万感胸に迫る説得力有。全73分〜第1楽章途中まで聴いたら、もうラストまで止められない。そして・・・もう一度聴きたい!
Brahms 交響曲第4番ホ短調〜クリスティアン・マンデール/”ジョルジュ・エネスコ”・ブカレスト・フィル(1996年)・・・じつは「出戻り買い」(250円)であります。オーケストラのサウンドとして深みは少々足りないかも知れない(録音の個性もあるのか)が、良く歌って美しい、鳴りっぷりも充分な演奏として推奨できます。悠々と、やや遅めのテンポでのびのびとした旋律表現がお見事。ルーマニアの知名度低いオーケストラをバカにしちゃいけないよ。
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粛々とお仕事こなして、昼からのお取引先との協議も和気藹々、その後、チームメンバーの提案書の点検指示訂正(ダメ出し)数時間・・・疲れました。ま、これで3連休・・・とは先ほど気付きましたね。今朝から断続的に聴いていた音楽は、Saint-Sae"ns 交響曲第3番ハ短調「オルガン」〜ズービン・メータ/ロサンゼルス・フィル/プリースト(or)(1970年)・・・速めのテンポ、元気!とか勢い、アツさ、骨太を感じさせて若々しい演奏でしょう。ワタシはアンセルメ盤(1962年)を愛聴盤とするが、これはLP(こども)時代からの刷り込みであって、若きメータを”味わい不足”と感じるのは(とくに終楽章。おそらく)偏見であります。
Dvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界より」〜ジェイムス・ロッホラン/ロンドン・フィルハーモニック((p)1989)・・・繰り返しがないこと、フィル・アップなしはケチ臭いが、予想外の味わい系演奏であって、素朴な歌に溢れて、ジミだけれど懐かしい。録音の加減かも知れないが、オーケストラの豪快な響きと着実な指揮には時に少々違和感有・・かも。珍しい音源かも知れません。(COLLINS SCO007 中古250円にて購入)
さて、精神的に少々ゆったりしたいのと、カラダを鍛えること、そしてサイト用原稿の蓄積が連休の課題です。
●2006年9月某日
こりゃ、いっそうの秋風情で広島には上着で行きましょう。明後日の地元取引先との会議準備がなにもできていないが、なんとかなるでしょう、きっと。それが終われば連休だ。良い季節になったので、音楽に集中したいものです。
最近、自宅平日では、”ちょろ聴き”ばかりで、ひとまとまりの音楽を(あまり)楽しめておりません。LP時代は媒体の機能的に「摘み聴き」は難しかったし、こども時代は必ず全曲通して聴く〜そんな風習だったはず。やがてCD時代となり、湯水の如く怒濤の大量購入に至って音楽を大切に拝聴できない。罰当たりですな。今朝、Schubert 交響曲第8番ロ短調「未完成」〜エーリヒ・クライバー/ベルリン・フィル(1935年)・・・これは速めのテンポ(SP収録の都合かも)、ざっくりとしてテンションの高い演奏でした。音質問題(時代を考慮するとずいぶんとマシ)も含め、やや素っ気ない、雑な演奏か?と、最初感じたものだけれど、聴き進むにつれ、特異な個性としての勢いを堪能できるように。エエ演奏ですね。
久々、Mozart 交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」/第41番ハ長調K.551「ジュピター」〜カール・シューリヒト/パリ・オペラ座管弦楽団(1963年)・・・これはワタシの原点でして、コンサート・ホール・ソサイエティ(通販のレコード・クラブ)入会特典380円LP(当時定価2,000円也)の記憶も鮮やかに蘇りました。数年前、イアン・ジョーンズのリマスター盤を(再)購入したが、原盤のあまりの劣悪さ故に音質快復に至らず・・・と思ってきたけど、久々の聴取はたしかに”改善”を感じることができましたね。佳き録音とは断言できぬが、かつての記憶よりずっと良好で聴きやすい。
なにより、飄々というべきか、颯爽とした涼風のような表現に打たれます。低音がカルいのは、おそらくは録音のせいばかりではない。表面のつや出しには興味ないだろうが、繊細なるニュアンス変化の妙。19世紀浪漫派生き残り世代なのに、この爽やかな世界は得難い個性であります。強靱ではない、強面ではない、まさにしなやか。快速テンポとの記憶ばかりだったが、「ジュピター」終楽章など、噛み締めるような着実なる足取り〜さらさらとした自然な流れがいつまでも快い・・・
では、行って参ります。
●2006年9月某日
うぅ・・・サブい。すっかり秋めいて、エエ感じです。服装に気を付けないと・・・。クールビスと称して、ほとんど”日曜の外出”風で通した夏だったけど、そろそろジャケット必要です。本日は内勤で、提案書一気仕上げの日。大丈夫でしょう。眠りが浅いのが少々気になるが、体調は大丈夫。
せっかくのエエ季節なのに、音楽にはほとんど集中できておりません。Ravel 「ボレロ」「ラ・ヴァルス」「スペイン狂詩曲」〜クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団(1961年)・・・この演奏はワタシにとってひとつの理想・・・だった(はず)で、たしかに極上の仕上げ、各パートの微細なるニュアンスに大満足・・・だけれど、この方向ならデュトワがもっと音質的なことも含めて条件が良いじゃないか、優雅というのならばモントゥー盤があるし、ミュンシュ(とくに晩年の録音)だったら、燃えるような興奮あるじゃないか、みたいな雑念を感じたものです。
今朝、Berlioz 「テ・デウム」〜インバル/フランクフルト放送交響楽団(他多数1988年)聴き始めるが、全然歯が立たない。勇壮なるオルガン〜少年合唱団が荘厳に突入・・・場を改めて聴き直しましょう。オーディオ的な相性もあるみたい(きっと優秀録音)で、リビングのコンポ(今風の、所謂安物)では全然様子がわからない。オーディオ/PC部屋で掛け直すと、嗚呼、ちょっと様子は見えてきました・・・が、いずれ冒頭少々で休止。
Mahler 交響曲第7番ホ短調〜コンドラシン/コンセルトヘボウ管弦楽団(1979年ライヴ)・・・途中迄。現役なんですね。1975年のレングラード・フィルとのスタジオ録音より熱気とか、集中力でこちらが勝るか?と思います。あちらは少々よそよそしいと感じないでもない・・・これも、落ち着いて再聴しましょう。
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「提案書一気仕上げの日」〜見込み通り、一日掛けてエエ提案書が出来ました。自分の分はさっさとメールにて(お客様に)送ってしまって、あとは若い連中の作成物の点検とダメ出しです。これがけっこうたいへん!閑話休題(それはさておき) 、明日朝一番で先週東京での会議報告30分ほど〜そのまま広島へ。特別差し迫った宿題ではないが、詳細状況伺い打ち合わせ2本、ちょっと遅くなりそうです。
なんか、久々にちゃんとお仕事したような・・・そんな錯覚有。(おそらくは)人並みに(見た目)お仕事こなしているつもりだけれど、自分なりに歯応えのある・・・という意味であります。昨日の「講演」だって、けっこうな充電お仕事だったけれど。
●2006年9月某日
月次締め迄あと一週間、予測では連続二桁増の予算達成で、他が大苦戦しているから目立っちゃってエエ気分です。昨夜、松山での(ワタシが遅れて合流した)チーム酒席で思いっきり褒め称えてあげました。昨日は、上司お供で高松まで行くが、先方の担当者到着遅れでワタシはムダ足〜そのままバスで松山まで移動したわけです。夜はよく眠れなくて、睡眠不足も甚だしい〜本日のお勉強会講師は絶好調・大好評でした。時間配分/試食時間対応絶妙。いっそうの自信を深めましたね。帰りはクルマだったので、そのまま自宅まで送ってもらって大名帰宅。
季節はすっかり秋でして、体調の維持が難しい・・・で、昨日も高松行きマリンライナー〜松山行き高速バス中頭痛に苦しめられ、出張鞄に常に忍ばせてあるヤクを服用・・・この程度で済めばたいしたことはないが、季節の変わり目には充分気を付けましょう。行きは公共交通機関利用だったので、音楽も聴けたし、本も読めました。
まず、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(p)の1988年ブレゲンツ・ライヴ。Bach /BSONI「シャコンヌ」/Brahms 「パガニーニ変奏曲」/Chopin ワルツイ短調作品34-2/スケルツォ ロ短調作品20・・・ディジタル時代の収録ではあるが、かなり劣悪音質であって、拍手がやたらと音量でかく収録されているから、客席で私的に録音されたもの(いわゆる海賊音源)と類推されます。ピアノの響きに芯を欠き、濁り、どうも楽しめません。「シャコンヌ」は彼の十八番(おはこ)だけれど、わざわざこの録音で聴かなくても(ほかにもっとマシなのがあるし)・・・と感じました。ま、でも、やっぱり痺れちゃう。「パガニーニ変奏曲」のスケールも圧巻!頭痛気味のイヤホンには少々きつかったが、体調良好時に再確認しましょう。(MEMBRAN 223500_8)
Vaughan Williams 「グリーンスリーヴスによる幻想曲」/オーボエ協奏曲イ短調(ニール・ブラック(ob))/「雲雀は飛んでいく」(ズッカーマン(v))Delius「春初めてのカッコウを聴いて」「川の上夏の夜」「二つのアクエリアス」「フェニモアとゲルダ〜間奏曲」/Walton 「二つの弦楽小品〜ヘンリー5世より」〜ダニエル・バレンボイム/イギリス室内管弦楽団(1975/77年)・・・感性瑞々しかったバレンボイム30代前半/若き日の録音也。現在、独墺系中心の彼のレパートリーからは信じられないが、驚くべき繊細さと、細部まで配慮ある静謐な世界が広がります。ソロも名手を揃えて、誠実なる歌に胸もアツくなっちゃう・・・
もしかしてこのCD、ワタシとバレンボイムとの出会いだったかも(記憶を辿れば1,500円程か)。静謐なるラプソディーであるオーボエ協奏曲の魅力、黄昏の空が茜色に染まる「雲雀」、Deliusの表現には特別なマジックが必要だと思うが、それはここにたしかに存在します。おそらくは当時、DGレーベルの若手として、レパートリーの穴埋めを依頼された録音と類推するが、将来を嘱望させるに充分なる完成度でした。(さて、現在は?)
Mozart セレナード ニ長調K.248b「ハフナー」〜カール・ミュンヒンガー/ウィーン・フィル/ボスコフスキー(v)(1960年)・・・少々、融通が利かないと言うか、ややリズムにリキみも感じないではないが、作品の愉しさを存分に感じさせて下さいます。もちろんボスコフスキーのソロは甘く、節度あるものだし、とくに管楽器は美しいですね。ここ最近、コープマン辺りの古楽器による飄々とした風情に馴染んでいたせいか、こりゃ少々立派過ぎるし、堅苦しいかな?そんな印象ありつつ、ワタシはこの作品が大好きです。
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小浜逸郎 「『弱者』とはだれか」(PHP新書)・・・出ました!世の中、きれいごとでで済まないな、おっしゃっていることは正しくて、公式には否定しようもないが、どうも違和感が・・・てなことないですか?ワタシは毎日感じております。「24時間テレビ」(みたいなもの)で、”感動”の掘り起こし、押しつけ、大安売りに辟易する思い(だから絶対に見ない)・・・じつは、こんな理論構造があったんですね。日本社会って、建前が一人歩きして、完全に硬直化してしまうことがありますね。まだ「世間様が・・・」は生きておりますか。
●2006年9月某日
昨夜はずいぶんと涼しくて、こう気温が乱高下すると寝冷え気味で体調崩します。やや頭痛有。ヤクのお世話になるか。本日午前中急ぎ資料作成(合間に残務処理)、会議〜急ぎ高松へ会議対応〜松山バス移動(泊)、明日、講演一時間(これはワタシ担当)+試食一時間の行事対応(これはチーム全員で)こなす予定。全然(講演の)準備できていなくて、どこでどう辻褄合わせするか?すっかり秋ですな。
Dvora'k 「スラヴ舞曲集」作品46/72(全曲)〜クーベリック/バイエルン放送交響楽団(1973/74年)発見!(DGクーベリック方面と一緒になっていた)早速、哀愁のホ短調作品72-2(第10番)を確認。シミジミとした情感溢れる表現に於いて、セルに比肩するものでしょう。但し、オーケストラの暖かい響き(録音印象もあるのか)ではバイエルン放送交響楽団に軍配が上がります。交響曲第9番ホ短調「新世界より」〜クーベリック/ベルリン・フィル(1972年)も(一部楽章)聴いたけれど、これもベストを争うべき懐かしい味わい・・・但し、どうしてベルリン・フィルなのか?威力ありすぎ・・・レコード会社の都合ですか。
Dvora'k 交響曲第8番ト長調〜ズービン・メータ/ロサンゼルス・フィル(1975年)・・・ワタシはかつて、この時期のメータの録音をどれも快く感じていたはずだけれど、やはり、”味が足りない”、”表現が若い”、”細部が粗い”〜「新世界」と同印象となります。(今朝の頭痛故か。集中していないし、全曲聴いたわけでもない)音楽の感じ方は変遷していて、かつては同時期の小澤の「味気なさ」に脱力していたものです。それがここ最近、緻密神経質な表現が好ましく思える・・・エエ加減なものです。ちょっと、時間を空けて、メータの音楽に集中する機会を作りましょう。
では、行って来ます。本日出張に(商談ではないので)ノートパソコンは持参しません。重いしね。
●2006年9月某日
蒸し暑さがぶり返していて、夜寝苦しい。昨夜はエアコン復活で就寝したが、微妙な温度調節はできなくて、ちゃんと睡眠は取れていません。それでも、いつも通り早々に起きること、ちゃんと朝食を摂ることで、生活リズムを崩さないよう気を付けております。な〜に、ちょっと昼寝をすれば良いんです。朝刊の記事に興味が持てるか、がココロの調子のメルクマールだそうで、ワタシの場合+”音楽を聴きたいと思うか”、が重要なポイントでしょう。昨夜の2時間(半)ドラマ「死亡推定時刻」〜久々、歯応えのある、シリアスていねいなドラマ作りを堪能しましたね。マツケンの陰影ある悪役が存在感抜群。ワタシ、永作博美の大ファンですし。
(毎度のことだけれど)サイト更新用原稿在庫切れているので、カルく2本ほどお茶濁し執筆〜それでも、(自分勝手な)精神的な威圧感からは抜け出られます。”執筆が楽しい!”みたいな状況になりませんかね、もっと。現状は、ひたすら”自己確認/生活のリズム”化に。激安中古で性能の低いパソコンを、だましだまし(トラブル対応に四苦八苦工夫しながら)使う楽しみ(部品を買い足す/改造/修理すること)もなくなりました。ここ一年ほど相対的に新しいマシン入手から、”当たり前/安定”的日常になってしまいました。ウィルスもスパイウェア対策も完璧だし。ま、昨月の「出張日程大間違い!」事件など、充分にエキサイティングなる毎日なんだろうけど。
Dvora'k 「スラヴ舞曲集」作品46/72(全曲)〜ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団(1963〜65年)・・・これは待望の入手でして、ナント小学生以来にお気に入り作品也。出会いはカラヤン/ベルリン・フィル(抜粋)の17cmLPであって、懐かしくも甘美なる旋律にすっかり痺れて全曲はいつか聴いてみたい・・・社会人となって購入したLPはドラティ/バンベルク交響楽団だったと思います。CDではクーベリック/バイエルン放送交響楽団(駅売海賊盤)・・・これが棚奥にお隠れ状態で探せない・・・で、ともかくジョージ・セル(500円)登場で乾きは癒されました。
正確なリズム、清潔厳格なるアンサンブルは、ボヘミアの懐かしい旋律を、美しく歌い上げられるために駆使されること。全16曲、74分、至福の世界であります。ホ短調作品72-2のセンチメンタルな情感は、メロドラマにも使用されるほど。テンポは揺れ、涙は詠嘆され、それでも背筋はまっすぐに伸びている驚異の作品/演奏。
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ワタシは2時間ドラマ、とくに再放送ものが好きだけれど、既に亡くなった方、とくに自殺された方が出演すると流石に少々フクザツなる心境に・・・古尾谷雅人(ワタシと同い年)とか、(若手落語家として嘱望されていた)桂三木助(小物悪役を上手に演じておりました)とか。画面ではエエ味出しているが、たいていは鬱病辺りで苦しんだ挙げ句の自殺らしくて、未だ若かったのに・・・と、筋とは関係ないことを考えてしまいました。
主に「駅売海賊盤」ばかり収納している棚を集中的に探索するが、クーベリック/バイエルン放送交響楽団による「スラヴ舞曲集」とうとう発見できず。ベーム/ベルリン・ドイツ・オペラの「フィガロ」(抜粋)と並んで、摩訶不思議行方不明状態であります。床一杯にCDを並べたら「嗚呼、これはもう聴かないな」病が出てしまって、10数枚セレクト・・・一日遅れでスポーツクラブへ出掛ける女房に処分依頼しました。聴いた音楽の件は、また後ほど。
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よほど酷いものだったのか、それにしてもBOOK・OFFの処分価格は予想を遙かに下回るものに・・・ま、でも、聴かないCDだったし、できれば安く売り出していただいて、心ある音楽ファンに楽しんでいただくよう祈るばかりです。こうしてみると「Yahoo!オークション」のほうが実入りは良いですよね。でも、数ヶ月続けて少々ストレス溜まったので、しばらくお休みしております。さきほど、テレビで拝見した「ガンマナイフ」の効果、素晴らしいですね。保険は適用されるのだろうか。医学の進歩をはっきり感じさせる、稀有なる技術でした。
今朝から、いろいろ音楽を聴いているがどれも集中できません。”摘み聴き”状態。Dvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界より」〜ズービン・メータ/ロサンゼルス・フィル(1975年)・・・1962年〜78年の長期政権だったメータは、当時若手筆頭株として勢いを感じさせて下さったものです。明るい響き、やや粗削りな印象はいまいちか。まだ、印象を確定するに至らず。同作品を、ジュリーニ/シカゴ交響楽団(1977年)にて〜嗚呼、良いですね。ゆったりとしたテンポ、細部を忽せにしない、ていねいな旋律の描き込み。それが硬質で優秀なオーケストラによって再現される余裕。これは人生の年輪、貫禄の違いか。(どちらが優れているか、という安易な判断ではない)
Tchaikovsky ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調〜アルゲリッチ(p)/デュトワ/ロイヤル・フィル(1970年)・・・おそらくは数多い彼女の同作品録音中最初のものでして、印象はまったく鮮烈!完璧なる技巧、キラキラした情感、夢と希望と若さ溢れて、こんなにキモチの良い演奏は滅多にありません。コンドラシンとの1980年ライヴが登場した時には、度肝を抜かれたもの。だけれど、細部の完成度、繰り返して楽しむことを考えれば、こちらのほうが上か?と、今更ながら(デュトワのバック含め)極上の仕上げに驚くばかり。録音極上。
ほか、なにを聴いたのかな?Debussy 前奏曲集第2巻〜アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(p)(1982年シュトゥットガルト・ライヴ)・・・どれも非・正規のライヴ録音らしいから音質的には期待できない(これはずいぶんとマシだ)が、この人の演奏は濃厚なる個性がとてもわかりやすい。気まぐれな幻想は、明快に表現され、あくまで苦甘く骨太。お尻の辺りがムズ痒くなるような、妙な妖しい感銘漂います。最高です!Debussyはこの人だな。
Schubert ピアノ・ソナタ第4番イ短調D.537〜アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(p)(1981年ルガノ・ライヴ)・・・例の如しだけれど、この人のレパートリーは狭いですよね。これも音質かなり良好。可憐なる作品を可憐に、躍動を以て表現しているが、この人に掛かるとやはり”濃厚甘美なる骨太さ”の個性が表面化(違和感はないが)いたします。細部、入念なる表情が刻々と変化して、かつてない個性的な美しい演奏に仕上がっております。引き続き、Ravel 「夜のガスパール」(1987年ヴァチカン・ライヴ)が収録され、精緻さもここに極まった!的、完成度の高さ。ほんわか、とか、雰囲気で聴かせることを拒否した孤高の美がここに存在します。おそらくはモノラルだけれど、これも音質はそう悪くない。
●2006年9月某日
昨夜遅く東京より帰宅。切符購入時、じつは通常より一時間遅い便を予約したことに気付きました。前夜、新橋キムラヤでは特別に欲しいCDもなし(意欲減退か?)、いつもの音楽オヤジ達としこたま飲酒・・・で、その余裕の時間でBOOK・OFF五反田西店へ。@500で4枚入手+(道中用)書籍2冊購入。会議の昼には試食もあって、ダイエット何処?状態なので、本日、スポーツクラブへ行って、週末食事制限意識しましょう。体調それほど悪くないが、昨夜は蒸し暑くて熟睡できなかった。
久々、歯ごたえある書籍読んでおります。(8月はノーミソ休業状態で、推理小説ばかり読んでいた)マリオ・A 「カメラの前のモノローグ」(集英社新書)・・・埴谷雄高・猪熊弦一郎・武満徹〜既に故人となった三人の”モノローグ”+ドイツのカメラマンによる写真は静謐に充ちていて、かなり高齢であった(とくに前の二人)孤高の芸術家達の頭脳明晰なこと!気骨ある哲学思想の高邁なこと!埴谷雄高の作品は未読だし、丸亀の「猪熊弦一郎現代美術館」にも訪問しておりません。自分の安易な日常、凡人としての浅はかさを少々恥ずかしく思います。
藤村和夫「蕎麦屋のしきたり」(生活人新書)・・・文句なし、浅薄なる蘊蓄とは無縁なる一冊・・・だけれど、その前にいちゃもんをひとつ。著者紹介欄の”元「有楽町・更級」の四代目”はおかしい。”元”は要らないっしょ。おそらくは先代なんでしょ。蕎麦屋の歴史や、成立の過程も興味深いが、流派による蕎麦のあり方と、つゆの違いも説明が実践的で全然知らんかった!的発見連続であります。江戸弁と、あちこちに川柳の引用、有名な落語の「死ぬ前にどっぷりそばをつゆに浸して・・・云々」の意味合い(この人の近所には濃いつゆの流派の蕎麦屋しかなかったこのになる)、代替わりしたら「味が落ちた」とはよくある話だけれど、じっさいには生前から隠居していて、おそらくは「存在そのもの」が味になっていたのだろう・・・蕎麦が喰いたくなりました。
永井明「医者につけるクスリ」(小学館文庫)・・・1988-1991年未だバブル真っ最中の著作だけれど、内容の重さに比べ語り口調が明るい(軽妙な)のは時代故か、それとも筆者の個性か。永井明さんは「ぼくが医者をやめた理由」で馴染みの医療ジャーナリストであり、「医龍」の原案にも関わっていたそう。現代医療の矛盾やら、日常医療行為の”おかしなこと”を短いコラム(雑誌の連載でしょう)にまとめて、ほんわかとした説得力有。書籍にまとめるにあたっての加筆もあります。ワタシは脳死移植に賛成(但し、多くの運用問題に留保を付けているが)だけれど、生体肝移植の粗雑な行為に対する批判など、多く共感できるものがあります。
敬愛する近藤誠さんの解説も配慮あるもの。・・・で、ネットを検索すると彼は既に亡くなっていたんですね。残念。
畑村洋太郎「失敗を生かす仕事術」(講談社新書)・・・痺れました。先月「音楽日誌」〜
朝日新聞の書評欄にて、唐沢俊一さん「”成功者は失敗例に学ぶ”、”失敗者は成功例に学ぶ”」・・・なるほどなぁ。「現在の自分の立ち位置にに自信のない人はマイナス面など指摘されたくもない。ひたすら成功者の談話を聞いてそれにあやかろうとする」・・・だから、ホリエモンの本が売れていたのだ、という例示も適切であって、嗚呼、ワタシは未だ(星の数ほどの)失敗に学んではいないな、失敗はチャンスなんだな、と自戒したものです。
まさにこのことであって、”失敗学”の権威の著作ですな。過去の成功体験に拘泥して、事態を悪化させる事象を日常どれだけ実体験しているか!ますますの精進と自戒も必要ですな。
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行って来ました、スポーツクラブ。たっぷり汗流して、そして昼に(念願の)蕎麦を茹でてたっぷりいただきました。
出張移動中の音楽たっぷり聴きました。Mahler 交響曲第4番ト長調(最終楽章1987年)/第5番 嬰ハ短調(1990年)〜ガリー・ベルティーニ/ケルン放送交響楽団/ルチア・ポップ(s)・・・エエですね。かっちり正統派の演奏。技術的に優れ、クールで整った佇まいであり、甘くはないが、冷たくはない。激昂絶叫しないが、情感の深さに不足はない。細部一切の手抜きはないが、全体像の構成に甘さはない。録音も作品を楽しむのに十全なる水準でしょう。第1番〜第6番迄CDで揃えたが、無駄酒飲んだつもりで、ダブり覚悟で全集ボックス買い直すか・・・悩みます。
Schubert ピアノ五重奏曲イ長調D.667「鱒」〜アマティ室内アンサンブル(1996年)+弦楽四重奏曲第9番ト短調D.173〜シャロン弦楽四重奏団(1998年)・・・いずれジル・シャロン(v)率いるオランダの演奏家団体(メンバーは異なるが)であり、BRILLIANTでの音源を多く担当しております。「鱒」は、あまりに著名で馴染みの作品故、おそらくは10年以上聴いていなかったと思います。こんな懐かしい、親しげなる旋律、とくにシンプルなピアノに特異なる個性は必要なんでしょうか。全体にさっくりとした、あまり飾らない演奏だけれど、音質も良いし、じゅうぶん楽しめました。
Mozart ホルン協奏曲集〜ザイフェルト(hr)/カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー(1968年)←じつに酷い頓珍漢コメントですなぁ、我ながら。聴き手に集中力が足りなかっただけか。最近愛用のイヤホンで久々確認すると、ゴージャスで豊かなカラヤンのバックの美しさ、豪快かつ着実なる技巧とニュアンスの細かさ。派手で華やかなソロではないが、かつてない感動と躍動を感じました。飽きる、なんてとんでもない!
Bach トッカータとフーガ ニ短調BWV565〜ダニエル・コルゼンパ(or)(1982年)/イタリア協奏曲ヘ長調BWV1007〜リヒテル(p)(1991年ライヴ)/無伴奏チェロ組曲第1番ト長調BWV1007〜アントニオ・メネゼス(vc)(1993年)/無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006年+「シャコンヌ」BWV1004〜ギドン・クレメール(v)(1980年)・・・(これまで数度部分聴きをしたことがあるが)妙ちくりんなるコンピレーションだなぁ。コルゼンパは劇的な表現が爽快であって、スケール充分。リヒテルは晩年のライヴにも関わらず技術の衰えはないけれど、音質が良くないなぁ。彼は硬質なタッチと集中力がキモだと思うが、いまいち楽しめず。
メネゼスの技術の切れは恐るべきものだし、こだわりのない朗々たる歌はなんたる雄弁!しかし、後半に行けば行くほど、そのノーテンキさがハナに付きます。昔気質頑固系も敬遠したいが、先日のロバート・コーエンともずいぶんと異なった印象でした。ラスト、ギドン・クレーメルの突き抜けた快速世界は、脳髄を痺れさせるような快感でした。これは数回繰り返して、飽きることはない。
Mussorgsky「展覧会の絵」(1957年)/Bartok「管弦楽のための協奏曲」(1955年)〜ライナー/シカゴ交響楽団←1987年発売。おそらくもっとも最初期に購入したCDで、定価3,200円を中古で2,000円(記憶曖昧)にて入手・・・とのコメントあるように、ワタシにとっては懐かしい、大切なCDです。強靱なるアンサンブルの切れ味、厳しい集中力。そして、時代を感じさせぬ鮮明なる音質。ストレートな表現であり、こんな鋭い輝きと技量なのに、辛口なんですよね。頑固一徹。「CDの時代がやってきた!」という手応えを(当時、たしかに)感じたものです。15年も楽しめば、安いもんだ。
Mahler 交響曲第9番ニ長調〜スヴェトラーノフ/ロシア国立交響楽団(1992年)・・・これは全集中音質に難有との評価通り、へんな分離、定位ですね。左右逆との説もあったから、イヤホン逆にしてみたけれど、それで解決したようにも思えません。意外とこだわりがないというか、さっくりした演奏でしょうか。第3楽章「ロンド・ブルレスケ」(実質スケルツォか)が快速で勢いがあって個性的です。ま、この作品には詠嘆とか、深い呼吸が欲しいところだけれど、(この段階では)それをかんじることはできず、いまひとつ楽しめませんでした。
ラスト、Mahler 交響曲第3番ニ短調〜ベルナルト・ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団(第1楽章のみ1966年)・・・シカゴ交響楽団は立派な技量に間違いはないし、ロシア国立交響楽団だって一流です。でもね、コンセルトヘボウの金管の暖かく、芯のある柔らかさ、コシのある弦の艶消しの響き、深々とした奥行きのある会場残響・・・これがワタシの嗜好であります。おもしろくも、なんともない(ような)ハイティンクのフツウなる解釈は、このオーケストラの個性をいきいきと生かしていると思います。こんな気持ちの良い演奏は滅多にない。
●2006年9月某日
体調万全とは言いかねるが、快方に有、と感じます。どんより曇りの朝であり、秋の気配ますます濃厚か。今年度は毎月一回金曜日が東京で会議なので、サイト定例更新の遣り繰り苦戦でして、しかも(お仕着せ指定の)東京ホテルがとんでもないボロで(今時)ネット環境も存在しない、という呆れた状態なので、打つ手なし。ま、都心で便利で(おそらくは安い〜自分で支払ったことはないので)それだけの条件で商売やっていけるんでしょうね。ワタシがエリア内で出張宿泊する地方都市では、もっと新しくて美しくて機能的な(しかも料金が安い)ホテルはたくさんできてますよ。
今朝、R.Strauss 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」〜リヒャルト・シュトラウス/ベルリン州立管弦楽団(1939年)・・・ベルリン在住の某R.Straussマニアからは、「まず自作自演を標準として聴くべき」との助言を受けたが、おそらくはCD購入10年ほどを経、未だにちゃんと聴き込んだ!との自覚はありません。久々の聴取感想は、モダーンでさっぱりしているな、と。表情付けが淡彩軽快で、濃厚重厚に粘らない。この辺りが、作曲者意図の世界でしょうか。オーケストラは細かいニュアンスが行き渡って(弦の泣きとか)秀逸でした。音質は予想より、ずっと良好也。
さて、一本だけ先行更新してお茶を濁そうかな?これから出張準備して出勤です。
●2006年9月某日
結局、昨夜は徳島駅出発まで(お客と少々)飲んでしまって、「ややどんよりカラダが重い」との自覚通り、帰りは死んだように眠ってしまいました。途中、高松で乗り換え、気分よろしくなく水も購入したが、乗り換えた記憶が飛んでました。それでも、自宅近所である大元駅到着とともにちゃんと目覚める意志の強さ。お仕事ではちょっと重い宿題をいただいた感じもあって、しかも季節の切り替わりで体調崩れてますね。鋼鉄の胃袋を誇るワタシだけれど、どうもおかしい。今朝はうんと涼しいですよ。差し迫った予定がなければ休みたいくらい。
出張移動中の音楽はけっきょくほんの少々のみ。先月聴いた、Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」「ペトルーシュカ」(1947年版)〜ベルナルト・ハイティンク/ロンドン・フィル(1973年)再度・・・(先月仙台にて購入した密着型)イヤホンで聴くと、いっそうクリアで明快な響きが楽しめました。録音は極上。打楽器等、不自然に際立たせることなく、あくまで各パートの位置関係を鮮明に示して、これはバーバリズム系の演奏ではありません。知情意バランスの取れた、良い意味でのスタンダードな表現でしょう。
Mozart フルート・ソナタ集(K.10〜K.15)〜(ルネ・シーバートではなくて)マルク・グロウウェルス(fl)/ガイ・パーソン(fp/cem)/ジャン・シファー(vc)(1989年)の演奏で。グロウウェルスはベルギーの名手らしいが、華麗なる技巧とヴィヴラートを駆使して雄弁でした。フォルテ・ピアノの典雅な響き+Mozart 初期の作品とは少々違和感ないでもないが、作品を楽しませる点に於いて文句なし、だと思います。
本日、内部(集中)打ち合わせ+上司との打ち合わせ。明日、午前中メーカー商談入って、昼から東京です。体調整えないと。
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いやぁ、完全に季節外れの風邪罹患。昨日朝のカラダの重さはそのよ予兆だったんだな。何度経験しても、そのことに思い至らない浅はかさ。今朝からなんどトイレに通ったことでしょう・・・早々に、定時で帰宅いたしました。ゆっくり体調整えて、明日の東京出張に備えます。予報によると、また暑さ復活とのこと。
Bach 無伴奏チェロ組曲第2/4/6番〜ロバート・コーエン(vc)(1990年)しばらく間が空いてしまったが、ラストまで。ワタシとこの作品との付き合いはずいぶんと長いが、これほどココロ安らかに楽しめるようになったのは最近です。重厚であり、荘厳なる作品であることは間違いないが、滑らかなる技巧で音楽を深刻にしすぎない表現が好ましい。ま、もともと舞曲を集めたものですからね。溌剌と、楽しげであって欲しい・・・まさに、そんな楽しい演奏でした。
●2006年9月某日
やはり朝晩は涼しいが、昨夜に限って少々湿度が高かったのか、ちょっと寝苦しかったですね。雨降ってます。それでも、途中覚醒なく朝を迎えました。ややどんよりカラダが重いのは、ターゲット体重より上で維持しているせいか・・・どうも減量苦戦中。本日は高松〜徳島行き。こういった日帰り出張が一番キツいですねな。昨夜のK-1はなんやねん!日本勢ボロ負け。
ルネ・シーバート(fl)/イェルク・フェルバー/ヴュルテンベルク室内管弦楽団によるMozart のフルート協奏的作品(1970年代録音)久々聴いてます。購入したのはもう15年程前であって、結果的にこの3枚組は収録作品の多彩さに於いて貴重な存在となりました。フルート協奏曲ニ長調K.373(第2番)は意外とCDが少ないし、フルート・ソナタ集(K.10〜K.15)だったら、もっと馴染みが少ない。やや音質的な不満を感じた(乾いて、鮮度を欠く)が、楽しいものです。
(ニューヨーク・フィルのメンバーらしい)ルネ・シーバートは着実な技巧ですね。フランス系の華やかさとか、独墺系の奥深い響きとも異なって、骨太でのびのび明るい音色。ロンド ニ長調K.373/アンダンテ ハ長調K.315も含め、すべての作品を堪能させて下さって文句ないでしょ。但し、フルートとハープのための協奏曲ハ長調K.299(カテリーネ・ミッチェル(hp))には、もう少し優雅な味わいが欲しかったところ。
●2006年9月某日
すっかり涼しい朝、いいですね。この調子で一気に秋が来て欲しいもの。昨年みたいに、いつまでも暑いと商売に差し支えるんです。夕食はダイエット配慮だったのに、今朝、体重増傾向・・・精神的に緩んでおる証拠か。昨夜はよく眠れました。女子バレーは(予測通り)イタリア、ブラジルに完敗。少々ミスが多すぎました。小山修加のジャンプは素晴らしいですね。スパイク時の空中姿が非常に美しい。とにもかくにも決勝リーグ進出は喜ばしい。
R.Strauss 交響詩「ドン・ファン」「死と変容」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」〜コシュラー/スロヴァキア・フィル(1989年)・・・同じことを何度も書くが、ワタシはこの著名なる作品の”自分なりの好みの基準”が見えないんです。不遜なる言い方が許されれば、この演奏はオーケストラが非力で洗練が足りないかな、と。(録音の印象もあるのか)「死と変容」の静かなる世界はとても楽しめました。
Vivaldi 協奏曲集「四季」〜ヴィクトール・トレチャコフ(v)/ソヴィエット国立室内管弦楽団(1989年ライヴ)・・・YEDANDCLASSICSボックスもの”オトナ買い”したら入っていた、というくらいの音源です。1946年生まれ、チャイコフスキー・コンクール優勝の経歴を持つ名手だけれど、居並ぶ名演奏中、新たな切り口と存在感を示すには少々苦しいか。やや線が細く、神経質なのはともかく、細部が雑なような印象(アンサンブル含め)もあります。Saint-Sae"ns「序奏とロンド・カプリチオーソ」がフィル・アップされるが、こちらのほうがずっと彼の個性に合っていると思います。
Stravinsky 「ピアノと管弦楽のためのムーヴメント」(ニコラエフスキー/モスクワ音楽院管弦楽団1984年)/Bartok ピアノ協奏曲第2番(スヴェトラーノフ/ソヴィエット国立交響楽団1967年)/Hindemith 室内音楽第2番 作品36-1(ニコラエフスキー/モスクワ音楽院管弦楽団1978年)〜以上リヒテル(p)のライヴ。いやぁ、強靱なるタッチであり、テクニックですなぁ。Stravinskyの作品は、素っ頓狂なる音型の飛躍がリリカルな味わい。(お気に入り作曲家なのに、初耳かと思う)Bartokの愉しさ、熱気に溢れた推進力はかつて聴いたことがないものであり、辛気臭い旋律がいつも気になるHindemithも恐るべき集中力で、有無を言わせぬ説得力有・・・
さて、今週も頑張って行きまっしょい。
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↑以前にまったく同じコメント(偶然に)発見!ま、同じような感動ということだね。
●2006年9月某日
嗚呼、土日つぶれちゃったな。ま、世間には断れない義理もあります。な〜んにもなくて、良いところでした。値段も安いみたいだから、こんど家族で行ってみましょう。少々、飲み過ぎ。挙げ句、帰りに尾道ラーメン喰っちまいました。2時間ほどのドライブだけれど、慣れぬクルマ(愛車は修理中なので代車)で高速道路運転は少々不安でした。でも、MDプレーヤーが付いているんですよね。
Bartok ピアノ協奏曲第1番Sz.83〜ダニエル・バレンボイム(p)/ピエール・ブーレーズ/シカゴ交響楽団(1995年5月31日サントリー・ホール・ライヴ)・・・粒の粗い、熱気に充ちたソロに、強靱で輝かしいオーケストラが絡みます。旋律が存在しない、リズムの強弱と音色の変化のみで聴かせるような、野蛮なる音楽の魅力。続くLUCIANO BERIO 「シンフォニア」にはスウィングル・シンガーズが加わって、宴はいっそう賑々しく、噎せ返るような盛り上がりに至りました。
彼(か)の自在なる声楽って、楽譜はいったいどうなっているんだろう。各自勝手に叫んでいるようでもあり、楽しく語らっているようにも聞こえます。Mahler の「復活」〜「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」のコラージュになっていて、まるで原曲の楽譜をばらばらにちぎって、滅茶苦茶に貼り合わせたような幻想と混沌。(Ravel のラ・ヴァルスも顔を出します)ほか、MDの余白にはStravinsky 管楽器のための交響曲(サンフォニー)〜ブーレーズ/ウィーン・フィル(1994年8月27日ザルツブルク・ライヴ)が収録されておりました。古風でアルカイックな作品。
GEORGE ZUKERMANについての情報をいただきました。感謝。
●2006年9月某日
今朝も涼しいですね。これからスポーツクラブへ、そのまま尾道市山中の某集まりへ(クルマにて/義理で)出席。相変わらず眠りの質は悪いが、体調は悪くない。体重、やや戻しました。(夕食減量+ダンベル体操で)昨夜、女子バレー対ドミニカ共和国戦にも痺れました。辛勝ですね。カナちゃんには、もっと思いっきりを!正確さを求めて、結果ミスも誘発する、中途半端になってる感じ。(それに型にはまった応援、とくにタイムアウト時の「フィーバー!」とかいうアイドルの歌が都度流れるのはウザったらしい)その後の二時間ドラマ、マッチ8年ぶりのドラマ出演・・・ということだけれど、43歳〜あまりに演技がイモで・・・回りを固める脇役が秀逸なのに残念。筋も少々粗っぽい。
Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜スヴェトラーノフ/ロシア国立交響楽団(1996年)・・・2ヶ月前に聴いていることは、最終楽章に至って気付きました。起き抜けでノーミソぼんやりしているから、どうもぴん!と来ない・・・なんて考えていると、終楽章の集中力・爆発(打楽器+エッチな金管+強面声楽陣)でようやく溜飲を下げる、このパターンを思い出しました。ま、お気に入り巨大Mahler 作品を楽しめる心境に至った、ということかな。
「ブーレーズ/ロンドン響による”幻想”のCDを譲って下さい」〜そんなメール有。ま、五万円くらいなら検討しても良いけれど(ジョーダン)、もともと「@166で購入」と明示してあるし、そんな悪どいことできないっしょ。丁重にお断りさせていただきました。もとより、お気に入りCDだし。それより、このCDが入手困難である事実に初めて知りましたね。虚心に中古屋回りをしていると、こんな結末に至るのだね。
●2006年9月某日
9月の声を聞くと、なんとなく涼しいような・・・
例えば、公営プールのずさんなる管理による悲惨なこどもの事故、酒酔い運転による追突で三人のこどもの命が突然奪われること、ワタシが年に数回訪問する徳山での将来ある若者殺人事件・・・いずれ被害者本人、その家族になんの瑕疵があったというのでしょう。運命とはあまりに理不尽であります。一方で贅沢なるワタシは、お仕事でお客同行の高知メーカー訪問・・・事前に「過分なる接待は、ご遠慮申し上げております」とは(逆に請求しているようで)言うわけにもいかず、結論的に過分なる接待を受けてしまって少々(精神的に)どんよりしております。
高級料亭での装飾豊かなる料理が、けっしてベストに旨いわけでもない(ごちそうになって申し訳ないばかりだけれど)し、同行のお客はごくごく親しい関係で、以前に行ったことのある「高齢爺婆がやっている”すがれた店”」に行く予定でした。ま、せっかくのご厚意だし、精一杯、売るべき商品についての詳細知識を披瀝共感して丁々発止の論議で場を盛り上げました。老幹部は「浪漫、我慢、算盤が大切」〜その浪漫を思いっきり語り合って、15年ぶりの再開を楽しんだものです。(2次会は、トイレに行くふりをして逃げ出しました)酒は控えめだけれど、ダイエットにはほど遠い大量の”おいしいもの”(昼食も)をいただいちゃいました。
女房は、神戸出張〜そのまま大阪の実家へ両親の様子を見に行っております。今晩はダイエットしましょう。明日、夜は(連続で!)宴会なので。精神的には少々落ち着いております。帰宅して、シャワーを浴びて洗濯しつつサイト更新作業・・・流れている音楽はSchubert 弦楽五重奏曲ハ長調D.956〜ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団+ギュンター・ヴァイス(vc)(1950年頃の放送録音?)・・・悠々と良く歌う長大なる作品はお気に入りであり、ヴェーグ+カザルスの剛直かつ雄大なるスケール演奏に馴染んだものであります。
もっと甘美でとろりと優しい味わいがありますね。おそらくはこちらのほうが”標準”なんだろうと思います。剛直ではなく、切ない歌の連続。第2楽章「アダージョ」の纏綿とした味わいは極上であって、最終楽章のテンポが揺れ、やがて快速なる熱気に充たされました。(フィル・アップはHaydn 弦楽四重奏曲第75番ト長調 作品76-1〜これも同様の味わい也。切ない旋律の暗転が秀逸なる作品)音質はかなりマシで、鑑賞には差し支えない水準か。