Schubert 弦楽五重奏曲ハ長調 作品163 D.956
(ヴェーグ弦楽四重奏団+パブロ・カザルス(vc))


FIC  ANC-186 PHILIPS UCCP3447 Schubert

アルペジョーネ・ソナタ イ短調D.821

ピーエル・フルニエ(vc)/ドーレル・ハンドマン(p)(1963年)

弦楽五重奏曲ハ長調 作品163 D.956

ヴェーグ弦楽四重奏団+パブロ・カザルス(vc)(1961年ライヴ)

FIC ANC-186 1,000円(?)

 1990年前後に出現した駅売海賊盤(CD)は、ちょうどCD媒体普及とともに出現、21世紀には役割を終え、未だに時々見掛けます。商売になっているのかな?BOOK・OFFに行けば@280コーナーにいくらでもありますよ。手許には愛着あって(正直なところ処分しきれずに)生き残ったもの70枚ほど?先日、ムラヴィンスキーを聴いて、意外とちゃんとした音質に驚かされました。こちらも十数年ぶりに確認してみましょう。(写真は正規盤PHILIPS UCCP3447)

 アルペジョーネ・ソナタ イ短調は絶滅した「アルペジョーネ/arpeggione」という楽器のための作品なんだそう。Archivがオリジナルの姿で録音していたはず(クラウス・シュトルク/1974年)記憶ではずいぶんと素朴な味わいだったはず、こちら日常耳にするチェロによるたっぷりと歌う演奏であります。(部分的に演奏しやすいように手を入れているらしい)残念、ハンドマンのピアノが冒頭ちょっぴり切れて開始、フルニエの品のある優しい響きで第1楽章「Allegro moderato」。ここが甘美遣る瀬ない旋律を滔々と歌って絶品、第2楽章「Adagio」は安らぎ、安寧のしっとりとした、暖かい風情に続きます。そのままアタッカで第3楽章「Allegretto」はすべての悩みを突き抜けて(途中情感の揺れが見られても)明るい歌に充ちた解決であります。

 音質はやや曇っても、美しい作品を愛聴するになんの支障もありません。十数年前のコメントに言及されている、小林道夫との1981年録音もちゃんと棚中に生き残っておりました。次々と在庫処分してしまう自分には珍しいことでした。

 弦楽五重奏曲ハ長調は、4楽章48分に及ぶ大曲であります。八重奏曲ヘ長調もそうだけど、泉に水が湧き出るように歌が生まれて、いつまでも止まらない名曲!そのスケールの大きさは交響曲第9番ハ長調「グレート」を連想させます。チェロに御大カザルス(当時85歳)を据えたこの演奏は、いっそう重厚であります。音質極上。第1楽章「Allegro ma non troppo」からヴェーグの文句なくしっとりとした音色は、カザルスの少々重い、タメのある低弦に支えられて(唸り声有)リズム感しっかり、呼吸深く、力強く足取りを進めました。器用で流麗じゃなくて、技術的には少々問題かもしれないけど。

 第2楽章「Adagio」は淡々と静謐なつぶやきのような、シンプルな楽章であります。低弦のピチカートに支えられて(←この存在感が凄い!)なんの飾りもないような和声が静かに、極上の陶酔(瞑想)を作り出します。ここも味が濃い表現ですね。これが延々と13分続くんです。中間部の激情も少々重いほどに対比有。(例のカザルスの唸り声有)第3楽章「Scherzo: Presto -Trio: Andante sostenuto」は猛烈に重心の低い躍動、リズムのアクセントが強烈、これぞ「スケルツォ」でっせ。少々チェロの技術的な乱れを云々しては、カザルス先生に申し訳ない貫禄であります。トリオの落ち着いた風情というか、詠嘆の表情も相変わらず重い。

 終楽章「Allegretto」は付点リズムの強調、アクセントはしっかりと重くて、安易に流さない、急がない。上手い演奏はほかにいくらでもありまっせ。血湧き肉踊る”魂の入った”巨大な演奏に痺れました。

(2016年11月13日)

 このCD、かなり以前に掲載したような気がするが、いつの間にやら消えていました。曲・演奏とも極上の一枚。アルペジョーネ・ソナタのほうは旧コンサート・ホール・レーベル録音(当然、音質に難有)、弦楽五重奏曲はPHILIPSでしたかね。「美しい旋律とは?」と訊かれると「コレ」と答えて、そう間違いはないと思いますね。

 Schubert の時代には「アルペジョーネ」という楽器があったそうで、アルヒーフ・レーベルで一度聴いたことがあるが、じつに素朴でチープな印象でした。チェロはその楽器が滅んだお陰で、これほど遣る瀬なくも、トロリと甘い旋律を歌う栄誉を与えられたわけです。フルニエには数種類の録音があるはず。(手許に小林道夫とのSONY盤がある)

 冒頭のピアノが一寸切れるのが残念。(編集ミスでしょう)音質がヨロシくないのはいつものこと。そのせいか、チェロの音色がずいぶんと地味に聞こえます。いくらでも濃厚に表現可能な旋律ではあるが、やや早めのテンポで端正な表情。淡々としてやや素っ気ないが、みずみずしい。そしてなにより上品。

 ロストロポーヴィチの雄弁なる表情とは対極でしょうか。但し、お次の演奏とは少々違和感がありました。


 このハ長調五重奏曲の、大きく深呼吸するような豊かな旋律、延々と続く歌謡の世界には聴く度圧倒されます。ドナルド・キーンさん(この人の著作は、音楽関係の中でも屈指の魅力を誇る)は、子供の頃、カールソーの歌声で音楽の魅力にとりつかれたため、器楽曲には興味を持てなかったが、この作品のの中にはじめて歌謡性を発見したとのこと。まさに、神髄を言い得て妙。

 ワタシは(どちらかというと)浪漫派を苦手とするが、Schubert とSchumann(交響曲を除く)の旋律にはココロ奪われます。どちらも甘い旋律ながら、Schubert は自ら歌える(すべてが人の声に通ずる)のに対して、Schumannはそれは不可能で、もっぱら「聴いて美しい」複雑さがあります。

 カザルス(録音当時ナント85歳!)+シャンドール・ヴェーグという2大巨匠が演ずる五重奏は、巨大なる造形を誇ります。おそらく、ワタシはこれを初めてFMで聴いており(たしかカセットでも録音したはず)一発で打ちのめされました。その、あまりに豪快なる劇性に、そしてこのCDは愛聴盤に・・・・ところが、数年ぶりに聴いてみると〜

 ブランディス弦楽四重奏団の瑞々しく端正な演奏に、耳が慣れていたせいか、美しく思えない。表情が濃すぎる?重過ぎか。アクセントがエグい、細部のアンサンブルの乱れが目に付く・・・・少々呆然としながら、一晩眠って早朝、再度聴いてみると前期の「批判」はそのまま賞賛へと変貌しましたね。

 コレ、技術云々じゃなくて、カザルスの気合いというか、タメ、というか、並じゃない気迫を感じるじゃないですか。技術的にはしょうしょうヤバくて、乱れもあるし、もちろん掛け声というか、うなり声も聞こえます。リズムのポイントに「よっしゃっあ!」みたいな気合いが入っていて、まことにもの凄い。テンポの揺れも、既に「揺れ」という概念を越えたところにある。これを美しいと感じるか、どうか?

 アンサンブルや、音色の艶、流麗なるスピード感を犠牲にして、余りある入魂の節回し。コレ、例えばカザルス指揮のBach 管弦楽組曲なんかを聴いても、独特のコブシがあるでしょ?あれとほとんど同じで、ちょっと古くさいくらいの入念なるコブシがきいていて、このアクに同意できるかどうかがこの演奏のキモです。

 嗚呼、第1楽章冒頭からのまるで荒野に一条の朝日が立ち上るような、広大なる風景。第2楽章「アダージョ」における、延々と打ち込まれるアクセントの楔の強烈さ、第3楽章「スケルツォ」は火山の爆発のような歓びの噴出、終楽章は纏綿と歌って、まるで激しかった戦いを振り返るような風情もあり、リズムのタメはラストまで健在。

 聴いているウチに「室内楽である」ことを忘れます。歌声であり、大管弦楽であり、結局のところそれとは別次元の「純粋なる音楽」のみが流れます。そういう名曲中の名曲であり、演奏でもある。50分弱の劇場、あっという間に終了します。ライヴながら音質良好。拍手はカット。

(2002年1月10日)

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written by wabisuke hayashi