ドナルド・キーン「わたしの好きなレコード」中公文庫 1987年発行 340円 声楽・オペラ関係に疎いワタシは、「なんか良い本ないですか?」とあちこちで訊いてみたりするけど、誰も教えてくれない。(ワタシは新・クレナイ族か)ま、なんでもそんなもんでしょう。BACHのカンタータに関係する書籍も、じっくりCDを聴いてから初めて理解できたし、「MACの超初心者向けのHPはないか」(できれば中古の激安マシンを使って)なんていう要望も「まずiMACを買え」と助言されるのがオチ。 で、この本、まだ現役なのかは知らないけれど、オペラの醍醐味を予感させるのに最高の本でした。(10年ぶりくらいに読んだ)1922年ニューヨーク生まれの日本文学研究家が、これほどまでに音楽を愛し、造詣が深いとは・・・驚き。ほんの小さな頃からカールソーのレコード(当然SP)に馴染んでいたこと。 「歌詞の意味が理解できないため、カールソーが復讐を求めているのか、新大陸発見の喜びを求めているのか、かいもくわからないことなど少しも気にならなかった」「声そのものが心に深々と染みわたったために、音楽を歌詞の点から考えることなど出来なかった。」「わたしの聞き取ったものは、わたしに直接呼びかけてきた魂だったのだ。」 この引用にすべてが表現されていて、「魂で聴け」と。そして彼は蓄音機に歌い返すことにより、それに応えたそうです。「人間の声のもたらす強烈な喜び匹敵するものは何一つな」い、と言い切る確信。室内楽は「なにか人間の声に似たようなものを聴き取れるようになるまで」長い時間がかかったそう。(その感動的な目覚めはSCHUBERTの弦楽5重奏曲であった!) つまり、ワタシの音楽との出会いは流行歌(いまでも園まりの曲は全部歌える)であり、PPMであり、MOZART(アイネ・ク)であったのに対して、彼はカールソーが大きく存在した、という事実。彼は、青春時代にMOZARTのオペラを愛聴し(グラインドボーンの録音であったそう)すっかりリブレットを暗記し、いまだにイタリア語はダ・ポンテに頼ることがあるそうです。 そして何より、彼がニューヨークの住人であったこと〜メトロポリタン歌劇場(もしかして黄金時代)を日常的に聴いているのはうらやましい。有名無名取り混ぜて、また、さまざまオペラに対して詳細で具体的なコメントを付けていて、その説得力には比類がない。「トリスタン」におけるメルヒオールとフラグスタートの歌〜フラグスタートもメルヒオールも太りすぎていた・・そうだが〜「彼女は世界そのものを超越してしまっているかのように見えた」。 マルティネッリはもう全盛期を過ぎていて、声も出ないし、演技も時代遅れだったが、「オテロ」だけは際だってたこと。相手役のエリザベス・レットバーグは「間抜けとしか見えなかった」(でもレコードでは素晴らしい声!)〜この痛烈なコメントは実演を体験し、オペラを心から愛する者にしか吐けない言葉でしょう。 ビョルリンクは舞台の予定は半分くらいしかこなさなかったこと、容姿も「まん丸い顔で、身体はずんぐりむっくり」、「ファウスト」で老人から若者になっても変わり映えしない、スカルピアはカヴァラドッシの拷問には耐えられそうにもない、でもレコードで聴く彼のベスト・コンディションの声は比類がない・・・。 延々とそんな思い出話しが続いて、カラスへの熱き絶賛にはトドメを刺された思い。(ここまでコメント付けてまだ20頁ぶんしか消化できていない) 「本場の音」。小澤の「ダフニス」より、本場ムッシュ・オトッテルゾー/マルセイユ響のほうが勝っているという評論家がいるだろうか、という結論。「オペラは何語で歌うべきか」。結論は原語で、英語はオペラに向いていないのではないか、という主張。「男と女」。カストラートのこと。現代では消滅してしまったこの役回りの、代役への評価。(このようにオペラは聴くんですねぇ)「メロディは死滅したのか」。シェーンベルク「グレの歌」に対する強烈な批判。 「ロシア音楽」。これはロシア楽派とも言うべき、優秀な音楽家達への驚愕。ここを読むと、日本ではドイツから、北アメリカではロシアから音楽が渡っていったことが理解できます。内容的にキリがないので「古いレコード、新しいレコード」。執筆当時の新旧演奏の聴き比べで、これは示唆に富んだ内容です。ワタシたち音楽愛好家に対して、そのまま使える問題提起があります。 ブランデンブルク協奏曲はブッシュとマリナー(おそらくPHILIPS盤。これはマリナーの勝ち)、MOZARTのピアノ協奏曲第20番は、ワルターとブレンデル(これはワルターの勝ち)〜理由は読んでのお楽しみ。
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