Saint-Sae"ns
ピアノ協奏曲第2番ト短調
ディミトリ・ミトロプーロス/ミネアポリス交響楽団(表記/1952年)
de Falla
スペインの庭の夜
エンリケ・ホルダ/サンフランシスコ交響楽団(1957年)
アルトゥール・ルービンシュタイン(p)
MEISTERKONZERTE100枚組 88/100枚
10年ぶりに再聴しようと「歴史的協奏曲100枚組」取り出しました。一部入手困難な音源有、ひと通りは聴いてオークションに格安出品、三巡ほとんど反応なし売れ残り、リンクのみ素っ気ない内容表示宣伝がマズかったか。けっこうお気に入りCD含まれて【♪ KechiKechi Classics ♪】にもいくつか更新有、心を入れ替えて大切に聴きましょう。
ところがこちら、オーケストラは「ミネアポリス交響楽団」となっていて、以前所有していたCDなら「ニューヨーク・フィル」1953年ライヴじゃないか、いずれ微妙に表記が異なって、ほんまに同一音源か(そもそもミネアポリス交響楽団との録音が存在するのか)確証もありません。かなりノイズを取り除いた音質印象も少々異なります。閑話休題(それはさておき)
Saint-Sae"nsは第1楽章「アンダンテ・ソステヌート」冒頭「ドン・ジョヴァンニ」序曲クリソツ劇的開始、間奏曲風第2楽章「アレグロ・スケルツァンド」軽妙エキゾチック、終楽章(それこそ行き着くヒマもない一気呵成)「プレスト」〜おそらくは記憶通りの前回拝聴音源也。しかし、もともとよろしからぬ音質からノイズとともに、更に厚みも深みも取り除いたような、以前感じ取った”白熱のライヴ”、”熱気”が伝わりません。これって聴き手の堕落ですか?
終楽章、ルービンシュタイン65歳壮絶なテクニックの疾走、ライヴならではの熱気に、以前ほどの感銘は蘇りません。歴史的録音って、最近このパターンが多い〜(って、例外はあって、例えばカラヤンとフィルハーモニア管弦楽団の1950年代Beethoven 交響曲全集辺り、見直したものもあります)求めてわざわざ、昔のよろしからぬ音源ばかり聴くこともないでしょ、そんな結論となりました。残念。
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「スペインの庭の夜」は正真正銘RCAステレオ録音〜オリジナル云々さておき、ここ(LP板起こし?)では平板、オン・マイクな雰囲気に乏しい音質であります。上記、ライヴよりずっとマシだけどね。エンリケ・ホルダ(Enrique Jorda, 1911-1996)がサンフランシスコ交響楽団に在任したのが1954-1963、あまり録音は残っていないのかな?西海岸のオーケストラは(これを聴く限り)雰囲気に乏しく”気怠い夜の風情”に非ず、明晰明快陰影に乏しい感じ。ピアノも同様。DebussyやWagnerの影響を受けている、との作品情報有、正直なところ”どこが?”みたいな感想でした。
ま、こんなこともありますよ。ド・シロウトがエラソーなこと書いて申し訳ない。
(2014年4月12日)
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Saint-Sae"ns
ピアノ協奏曲第2番ト短調(1952年?1953年ライヴ?)
アルトゥール・ルービンシュタイン(p)/ディミトリ・ミトロプーロス/ニューヨーク・フィルハーモニック
Franck
交響曲ニ短調(1940年)
Lalo
歌劇「椅子の王様」序曲(1945年)
ディミトリ・ミトロプーロス/ミネアポリス交響楽団
XXCM DOCUMENTS(History) 220830-303 10枚組 2,480円(税抜)のウチの一枚
なるべく幅広く音楽を聴くように心掛けているつもりだけれど、好き嫌いってどうしてもあります。Saint-Sae"nsのピアノ協奏曲などは(相性悪い方の)代表的・・・というか、「動物の謝肉祭」と「序奏とロンド・カプリチオーソ」以外はほとんど気にくわない。こどもの頃大好きだった交響曲第3番ハ短調でさえ。で、更に昨年(2003年)後半辺りから「歴史的録音」も聴いていてツラい。もうやたらと、PHILIPSとか英DECCAとか、そんな名録音ばかり聴いていて、安易な姿勢かも知れません。
で、いくらルービンシュタインを愛しているからといって、二大悪条件が重なっているわけでしょう?更に、このCDじつは不良品でして(かなり後に気付いたのでもう遅い。交換不可)交響曲の第1楽章と「椅子の王様」が途中再生不可能。んもう、仕方がないなぁ・・・なんて聴けるところだけ順繰りに〜で、Saint-Sae"nsは全部ちゃんと聴けました・・・が、これが驚き!
ルービンシュタインは最晩年まで技術的にはしっかりしていた(さすがに1976年録音のBrahms 協奏曲第1番ニ短調には少々衰えが・・・)が、やっぱり壮年期のバリバリとした輝かしい切れ味はステレオ時代には失っていたのかな?そのかわり、深く、まったりとした語り口は存分なる魅力でして、高い世評については、今更言うまでもないと思います。しかし1952年白熱のライヴには別種の感動が存在して驚かされました。
先日、Lisztの協奏曲をリヒテルで聴いて、打ちのめされました。「Lisztは苦手で・・・」なんて、有無を言わせぬ怒濤のド迫力に魅了され、「嗚呼、名曲を名曲として知らしめる演奏って存在するんだ」と納得した次第。結論的にSaint-Sae"nsでも、ここに同じ現象が!但し、リヒテルの場合「ひたすら音楽に、楽譜に奉仕!完璧な完成度!」的姿勢だったのに対し、ルービンシュタインは「ひたすらお客様のウケに大出血全面奉仕」的姿勢が、これはこれでまことに立派。
ライヴ故か1952年水準に相応しくないかなり割れた音質〜だけれど、熱気はちゃんと伝わってそれは不満に感じません。臨場感有。冒頭の仰々しいピアノ・ソロから雄弁で、並の入れ込みじゃないんです。そしてまるで前時代のChopin のような詠嘆の揺れがすすり泣いて、嗚呼、こんな切なくも美しい旋律だったんだ、この曲、なんてつくづく感心します。
第2楽章の少々剽軽なる味わいも明快なタッチで表現されるが、正直”陰影”とか、ときにチカラを抜いてつぶやくような味わいには不足します。全力投球。若いから連戦連投可能!全部ストレート速球勝負!みたいな雰囲気でひたすら明るい。バックも負けず、雄弁で深い。「明日という字は明るい日と書くのね」的希望に溢れ(このネタ、どこかで一度使ったな)怒濤の最終楽章へ雪崩を打って突入します。
いやはやもう「どうにも止まらない」(古い!)状態で、快速テンポで、どんな細部も鬼神のようなテクニックで走り抜けます。いえいえ、どんどんテンポは速くなる、バックはますますアツく!誰か止めてくれ!聴き手は手に汗握り、眼血走らせ、息を止め、ゴール突入と同時に聴衆とともに熱狂的拍手喝采を・・・
・・・そういう演奏です。一聴の価値有。もう他の演奏はちょっとヤワに思えます。もっと若い1939年、フィリップ・ゴーベール/パリ音楽院管弦楽団との録音も存在するらしいから、いつの日にか聴いてみたいな。
(2004年6月18日)