Stravinsky 組曲「プルチネルラ」/交響詩「ナイチンゲールの歌」/
ピアノと管弦楽のためのカプリッチォ
(ケーゲル/ドレスデン・フィルハーモニー/レーゼル(p))
Stravinsky
組曲「プルチネルラ」(1949年版)
交響詩「ナイチンゲールの歌」(以上1981年)
ピアノと管弦楽のためのカプリッチォ(1978年)
ヘルベルト・ケーゲル/ドレスデン・フィルハーモニー/レーゼル(p)
edel CLASSICS 0002332CCC 10枚組4,480円
ボックスものを再購入したのが2006年末、以下のCDはオークションにて処分いたしました。Stravinskyは大好きなんです。今回再聴の主眼は「ナイチンゲール(夜鶯)」でして、オペラにはすっかり馴染んで、その破天荒なる旋律サウンドに魅力を感じる日々、その素材を使用した交響詩も最近お気に入りに〜考えてみれば、最初に聴いたのはケーゲルだったんじゃないか、そしてこの作品にはあまり共感できなかった記憶が・・・
エルネスト・アンセルメによる1956年録音がありまして、やや頼りないサウンド、緩いアンサンブル、華やかで危うい響きにすっかり魅せられました。しばらく聴いていないケーゲル盤ってどんな演奏だっけ?
当たり前の話だけれど、旋律はたしかに「ナイチンゲール」だ。幻想的であり、破壊的であり、メルヘンであり、暴力的でもある。でも、この素っ気なさ、不機嫌さはいったいなんでしょうか。オーケストラが不調?いえいえ、スイス・ロマンド管弦楽団のアンサンブルもそうとうヘロヘロで”精密緻密”とは言い難い。むしろ、ドレスデン・フィルのほうが縦線では揃っているんじゃないか。響きの厚みやら迫力ではこちらの方が上かも。
もともと荒唐無稽な筋書きなんだけど、華やかで刺激的な音楽だと思うんです。ところが、ケーゲルの演奏は怪しさ一辺倒で華やかさ皆無。刺激的ではあるんだけれど、響きはジミでして、神妙であり、そしてガツン!といった爆発もあります。現在はすっかり旋律に馴染んでいるから個性を愉しむこと可能だけれど、初耳だと恐ろしい(そしてツマラない)音楽だなぁ、としか感じないんじゃないか。
「カプリッチォ」は以前書いたとおりの”硬派地味堅実なる”演奏です。「生真面目で、表情あくまで端正、遊びがない」「硬質なる輝きを誇って、曖昧さの欠片もないピアノ」〜それにケーゲルの厳しい、不機嫌なバックが支えるから、いっそうハードな印象強化されます。これはなかなかの個性でして、たんに聴き慣れているだけか。
「プルチネルラ」はバロックの旋律スタイルを借りて、生真面目にきっちり表現すすればするほど、作品のオモロさが際だつ演奏であります。ケーゲルって、何を演っても”硬派地味堅実”であり、どこかハードで異様な溌剌雰囲気を醸し出して個性的でしょう。ユーモラスの欠片もないが、どこかユーモラスではある。ドレスデン・フィルのかっちりとしたアンサンブルは絶好調です。このCD収録3曲中では、これがいちばんの出来か。音質はまぁまぁ。 (2009年8月28日)
Stravinsky
ピアノと管弦楽のためのカプリッチォ(1949年)
ヘルベルト・ケーゲル/ドレスデン・フィルハーモニー(1978年録音)
サーカス・ポルカ
「ペトルーシュカ」からの3章(以上1974年録音)
ペーター・レーゼル(p)
DEUTSCHE SHCALLPLATTEN TKCC970680 (中古)600円にて購入
Stravinskyの作品は有名無名問わず、お気に入りであります。この「奇想曲」は正直なところ少々苦手でして、それはこのケーゲル/レーゼル(p)盤での出会いが一因だったかも知れません。やがて、作曲者自身のピアノによる1930年録音でイメージを変えました。「なんやらスカスカで、ピアノ共々味わい系なんです。ゆったりとしてユーモラスで小味系」と。こちらの演奏は(管弦楽ピアノとも)強面で、ちょっと敬遠気味になりがちの個性かな、と改めて思い至りました。
もとより「新古典派の時代」(1920-1950年)の乾いてリリカルな作品であって、自演の「あんまし技術的にバリバリ切れないところが好ましい。「ぼやき漫才風演奏」こそ似つかわしくて、一生懸命演っちゃマズいのか・・・で、しっかり再聴いたしました。さすがに作品自体に慣れてきて、以前の印象とはずいぶん違って聞こえたものです。「冒頭の押しつけがましくも暴力的なラッシュが、少々気になります」との(かつての)印象だったが、ピアノ・ソロ、管弦楽とも”不機嫌なる明快さ”が、鮮明なる音質に支えられて充分楽しめました。
ここでの主役はペーター・レーゼルなのでしょう。生真面目で、表情あくまで端正、遊びがない。第2〜3楽章はユーモラスな曲想連続(作曲者自演盤で気付いた)だけれど、そうは聞こえません。硬質なる輝きを誇って、曖昧さの欠片もないピアノ。強靱なるテクニックだけれど、最近ありがち若手のバカ・テク系でもなく、表現印象としてはむしろ地味か?というくらい堅実感がありました。ま、ケーゲルの責任もあるのかも知れないが、硬派四角四面緊張感いっぱい。「この時代の音楽の表現お手本はこうなのだよ」的、盤石の切れ味誇ってなかなかエエではないか。(でも、作曲者自演のユルさが懐かしい・・・)
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後半、ピアノ・ソロは文句なし!無表情のまま、断固としてメインストリートを歩む「サーカス・ポルカ」〜ワザとよろけたリズム、不協和音は強面の強靱タッチで粛々と歩んで参ります。「ペトルーシュカ」は、管弦楽版よりこちらのほうが好きだなぁ。ノーミソ中で多彩なる管弦楽の響きが再構築、ちゃんとされて不足はないんです。ヤワなニュアンス表現ではなく、あくまで正統派王道を歩んで”聞こえない音など存在しない”的確信を感じさせる、”芯”のある響き。
まさに、”硬質なる輝き”〜サーカスのジンタが木霊する〜そんな作品かな、と思ってきたが、なんと立派な、背筋の伸びた大きな音楽であることか。表面(のみ)キラキラとか、浮き足だった遊園地のイメージとは少々異なった世界を堪能いたしました。細部までていねいに、安易に流さない。これも音質最高。 (2007年2月16日)
このCD、Stravinskyのピアノ曲のおいしいところを取りそろえて選曲が魅力的。でも収録38分とは少々ケチくさい。レーゼルは旧東ドイツで、このレーベルにおける花形ピアニストでした。色気とか華やかさはないが、しっとりとした落ち着いた味わいがたまりません。録音も極上。(とくにピアノ・ソロ)
「奇想曲」は、冒頭の押しつけがましくも暴力的なラッシュが、少々気になります。でも曲が進むに連れて、リリカルでユーモラスな味わいが快くて、楽しいもの。第1楽章はドレスデン・フィルのおカタい、ちょっとヒステリックな響きが気になりますが、全体としてはノリノリのリズムで、相も変わらずケーゲルらしい強面の切れ味がたまらない魅力。
レーゼルは中低音を重視して、テクニックは抜群だけれど、それを売り物にはしていない。現代作品にありがちの晦渋さは感じられなくて、親しみやすい表現が暖かい。どこをとっても薄さ、軽薄さを感じさせません。
「サーカス・ポルカ」は管弦楽曲が有名だけれど、どちらが原曲かは調べがつきませんでした。手元にあるマッケラス/ロンドン・フィルの馬鹿馬鹿しくも華々しい騒ぎとはうって変わって、ピエロの一人芝居というか、曲そのものの構造がわかりやすくて、知的なおもしろさを感じます。
「ペトルーシュカ」は誰でも知っている名曲ですが、バレエ音楽よりこちらのほうが新鮮と思います。「ロシアの踊り」からハジけるような楽しさがいっぱいで、いかにもピアニストの技量が試されそうな難曲ぶり。「ペトルーシュカの部屋」も管弦楽の色付けがないぶん曲の構造が明快で、この曲の神髄が見えるように感じました。
テクニックに任せて、いくらでもバリバリ弾けそうな曲でしょうが、レーゼルは中低音重視の落ち着いたピアノ・スタイルを崩しません。聴いている側はじゅうぶんエキサイティングながら、弾き手は常に冷静。「技術の冴え」が「空虚さ」を生まない。リズムが地に着いている感じもある。旋律の意味合いがよく考えられていて、流したりするところもありません。
「謝肉祭の日」がラストですが、全17分でもちゃんと完結した味わいにするところがStravinskyの凄いところ。聴き終えた後の満足感は、バレエ音楽を凌駕する勢いでした。
「ペトルーシュカ」からの3章は、バビンによる2台ピアノ版が存在します。
佐藤祥代/蔵方玲子(p)〜1994年FM放送からのエア・チェック〜カセットからMDへ
当然響きに厚みが出ますが、この演奏の表現そのものは当たり前すぎて、それほど面白い演奏ではありません。「間」もスケールも少々足りない。レーゼルが、いかに細部まで入魂の表現でていねいに仕上げているかが、かえって明快に理解できました。
チェルカスキーの渋い(というか、なんというか)録音が存在します。レーゼルもどちらかというと「味わい系」だけれど、そちらはもっと別な意味でジックリ味わっていただきたい、一種たいへんな演奏。(2001年5月4日)
【♪ KechiKechi Classics ♪】 ●愉しく、とことん味わって音楽を●
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