●2009年5月某日
本日、女房殿はこどもの頃からお世話になった方(実家ご近所)のお通夜へ。在庫払底したサイト用原稿を執筆したいが、長いスランプであります。収納奥より出てきたかなり以前のCDをキッカケに、古内東子を聴いておりました。女性に年齢は失礼ながら、彼女とはお付き合いが長くてもう36歳なんだな、あのクセのある個性的な歌声はCMでも現役です。大好き。リズムの激しい音楽のあとでは、いつもの(所謂)”クラシック音楽”が聴けなくなっちゃう。
仕方がないから坂本龍一「エナジー・フロー」でリハビリ、これだとChopin 辺りに聴き手の心情は接近して、いつもの世界に戻ってこられる。棚中「駅売海賊盤」コーナーでChopin のCD在庫を点検しておりました。1990年代前半、LPを諦めてCDで在庫レパートリーを回復すべく(当時激安だった)ルービンシュタインの駅売海賊盤CD6枚分をまとめて購入したものです。おそらくは合計6,000円〜十余年を経、正規盤全集11枚組は3,000円でお釣り来ますよ、今じゃ。アバド/アルゲリッチによるChopin /Lisztの協奏曲が盤面剥離でダメになっているのを発見してショックを受けておりました。(250円の損失〜にとどまらない衝撃/すべてのものに寿命有)
今朝から「アン・スピ」(なんやねん?この略語は)など名曲が含まれる一枚を感慨深く再聴していたけれど、その前にChopin 夜想曲第20番 嬰ハ短調「遺作」〜これはドラマ「風のガーデン」の主題歌「カンパニュラの恋」(平原綾香)の旋律となったもの・・・を聴いておりました。
ルービンシュタインの夜想曲集には第19番迄しか収録されず、ニキタ・マガロフ(p)(1974年)にて拝聴。4:47とはずいぶんと纏綿、たっぷりと細部丁寧に演奏したもので、その入念なる表現に戦慄します。もしかして、もっとさっぱり淡々と演奏したほうが向いているのかも知れないが、これはもの凄く深遠なる世界が繰り広げられて、たった1曲だけで深い疲労を感じるほど・・・
終日外出せず、体調快復に務める予定です。5月も、もの凄く長く、苦しかったな。過ぎてしまえば全部忘れちゃうが。Syuzo師匠が拾ってきた子猫が気になります。生粋の猫派だけれど、住宅事情(だけじゃないな)で動物は飼えないんです。
●2009年5月某日
体調最悪なまま、これよりお出勤。モウレツに集中して、午前中終了を(とにかく)目標にしましょう。眠りがとても浅い。スポーツクラブなんて考えられない。5月最初っから最後まで大苦戦だな。
Beethoven 交響曲第6番ヘ長調「田園」〜ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィル(1976年)・・・カラヤンの「田園」は、その昔(大昔/若い頃)1962年録音を聴いて、スタイリッシュかつ表面的な表現が鼻持ちならなくて、アンチ・カラヤンへの道に一気突入した、と記憶しております。(現在の耳でどう感じるのか不明/CDは棚中にあります)豪華ゴージャス金持ちサウンドの路線は変わらぬが、思わぬほどに流れにムリがなくて一気呵成、たっぷり「田園」を堪能いたしました。こどもの頃の懐かしい(作品への)感銘が蘇りました。オーケストラの豊かで甘美な響き、厚みに反発は感じない。例のレガート表現が”ユルさ”へとつながらず、ラスト嵐の大爆発に余力を感じ、村人の敬虔なる感謝に感銘も深い。「コリオラン」「プロメテウス」「アテネの廃墟」各序曲(1960年代)は、サウンドが引き締まって充実、傲慢なほどの充実と推進力、当時このコンビの最盛期であったことを痛感させました。
NMLにて、Mahler 交響詩「巨人」 (交響曲第1番 - 1893年ワイマール稿)〜ゾルト・ハマル/パノン・フィル拝聴。ハンガリーの団体らしい。記憶ではLP時代、ウィン・モリスの録音があったんじゃないか。第2楽章に美しい「花の章」を配して、あちこち細部のオーケストレーションが馴染みの最終版と異なります。おそらくはスコアをしっかり比較対照される方にとっては、興味深い世界になるのでしょう。ワタシはシロウトなので、”ああ、なんかあちこちちゃうみたいだね”とか、演奏は意外と好演だけれど、もうちょっと色気が欲しいとか、盛り上がり、メリハリ、変化が足りないとか、勝手な感想を抱いて聴いておりました。
Bruckner 交響曲第8番ハ短調〜ベルナルト・ハイティンク/シュターツカペレ・ドレスデン(2002年ライヴ)・・・全曲再聴。音質云々はナマ体験の反動+最近の録音なら!との期待からであります。まずはゼンパーオーパーの残響は、ドレスデンのクール・ブルー系サウンドをちゃんと伝えている、と評価すべきでしょう。結論的には、”な〜んもせんけんね”方向が極上の結末を生む、といったハイティンクを聴く度に感じる感銘であった、ということです。耳目を驚かす”爆演”賞賛を嘲笑うかのような、粛々とムリのない、作為なき表現。予想通り、記憶通り、期待通りの第3楽章「アダージョ」の天国的な静謐を感銘深く堪能いたしました。
聴き手が弛緩しても、やがて音楽そのものの力によって襟を糺して聴くべき体制に突入。「第8番」をちゃんと聴いたのはずいぶんと久々・・・
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美しくお仕事完了したわけでもないが、おおよそ目処は立った、と勝手に判断して昼過ぎに職場を後にしました。出勤していれば気が張っていて元気なんだけど、帰りの電車中もう体調がよろしくない。帰宅して、テレビをつけたままウトウトしてしまう、微熱もある。あかんなぁ、元気でサボる!、遊ぶ!というのがサラリーマンの醍醐味なのに。
昨夜、NHKドラマ 藤原紀香×原田泰造!「ツレがうつになりまして。」拝見。書籍でも話題になったドラマ化であって、未だこの本が出る前にちょっとだけ健さんとは交流もありました(もう忘れたろうが)。彼はクラシック音楽ファンなんですよ。泰造の真面目な演技も見事だけれど、紀香の冴えないすっぴんが絶妙です。お馴染み”イグちゃん”も登場。心の病で苦しんでいる人は沢山いるだろうから、タイムリーなドラマだと思います。
ワシの風邪なんてたいしたことはないぜ。(たった今現在、頭痛でアタマ痛いが)
Mozart 交響曲第40/41番〜カルロ・マリア・ジュリーニ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1965年)・・・【♪ KechiKechi Classics ♪】もっと初期のCDレビューであり、浮気症移り気なワタシでも揺るがぬ魅力を与え続けてくださる”ヴェリ・ベスト”CD也。「明快に歌うことへの確信」。「どんな音形もていねいに、息深く、明快に歌う。楷書の表現なんです。『息深い歌(カンタービレ)』が徹底され、細部を入念に刻印」「清潔に、まっすぐに旋律が泣く」・・・この賞賛に寸分の変化もなし。ニュー・フィルハーモニア管弦楽団は文句なく明るく、歯切れ良く、朗々と歌って揺るがない。ガレス・モリス(だと思う)のフルートは涙が出そうなほど美しい。
英DECCA最高の録音成果でしょう。こんな駅売海賊盤で、そろそろ20年経過しようとしております。
●2009年5月某日
本日、午前中お休みいただいてゆっくり、通院いたします。なんせムリしてここまで保たせたからね。風邪症状(?)はかなり快復、全身倦怠感は心の風邪かも。今年度は東京の会議出席が復活、全国の情報が入るようになってきました。北海道に帰った敬愛する元・上司は体調不良らしい。入院して出てきたところとのこと。昨日の会議+αはなんとか、辛くも乗り切りました。疲れるなぁ、毎度のことながら。帰りのサンダーバード終電は半分ほど眠っておりました。断続的に目覚めるが、景色が真っ暗なためどこを走っているのか皆目見当が付かぬ・・・
(断続的居眠り前提に)帰り便聴いた音楽。Elgar 交響曲第1番 変イ長調/序曲「コケイン」〜チャールズ・マッケラス/ロンドン交響楽団(1990年)・・・語り口の明晰さ、堂々たる余裕の貫禄、スケールに於いてエイドリアン・ボウルトを凌ぐ名演也。この人はリズムがヴィヴィッドなんです。英国風茫洋悠然とした代表的名作だけれど、マッケラスだったら躍動と切れ味が付加されて音楽がとてもわかりやすい。英DECCAの録音も特筆されるべきでしょう。
Mozart ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219「トルコ風」(1975年)/Berg ヴァイオリン協奏曲「ある天使の想い出のために」(1976年)〜ヘンリク・シェリング(v)/ラファエル・クーベリック/バイエルン放送交響楽団・・・骨太で朗々、しかも上品、抜群の説得力のMozart 。無条件幸福Mozart 中、少々苦手系のヴァイオリン協奏曲ながら、久々”文句なし名曲!”断言を確信させてくださる演奏でした。ライヴかな?Bergは囁くような弱音で開始される美しい作品だけれど、途中から記憶がありません。(残念)
サイトは定例更新済。これよりオークションで落札されたCDの梱包をいたします。
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超人気の耳鼻科も平日ならマシだろうとの予測大外れ。2時間待ちで、その間体調最悪、結局また点滴になってしまって、本日お仕事断念。明日、通常通常出勤としましょう。風邪薬のせいかやたらと眠い。微熱と倦怠感だけれど、いつもの症状である咽の痛みは(耳鼻科でダイレクト治療の成果?)ないんです。過労だろうな、日本半周したし。上司の資料さえ仕上げれば、今月は一段落なんです。また、来週から新しいお仕事サイクル始まるけど。
エイドリアン・ボウルトのBrahms の交響曲は世評高い全集だけれど、主に音質問題で処分済み。ところが駅売海賊盤で交響曲第3番長調/セレナード第2番イ長調が棚中に残っております。おそらくはLP板起こしだろうが、こちらの方が音質がクリア。NMLでは、おそらく英NIXA/PYEによる旧録音を聴くことができて(著作隣接権切れのLP板起こし音源か)たしか未CD化なので、これぞ貴重なるネット時代の成果と評価すべきでしょう。
Brahms 交響曲第2番ニ長調〜エイドリアン・ボウルト/ロンドン・フィル(1954年)・・・”主に音質問題で”というのも勝手な言い種で、こちらモノラル録音でも素朴、剛直、ストレート、骨太、虚飾の少ないストレートな表現がたっぷり、文句なく愉しめます。ここ数年避けていたBrahms だけれど、嗚呼やはり第2番って伸びやかで優しい名曲、 第2楽章「アダージョ」のまっすぐ誠実な表現を聴いていると胸打たれる感慨がありました。「カラヤン38枚組」のBrahms 交響曲(1970年代)は未だ聴いていないんだけれど、先にマズいもん聴いちゃったか。
但し、 ”音質問題”というのは単純に「ステレオ>モノラル」の優劣ではないので要注意。先日、どこかのサイトを見ていた(販売側の人だと思うが)ら、音源に対する質問が来て「モノラルだったら要らない」との(哀しい)話題が載っておりました。そういう問題じゃないんだけどなぁ。でも、ワタシの基準はエエ加減なので(このサイト中の音質コメントには)信頼性なし。ボウルト旧録音も”優秀録音!”なハズもないんだけれど、全然音楽聴取のジャマにならん、という程度とご理解下さい。
Mozart 嬉遊曲 変ホ長調K.563/アダージョとフーガ ヘ短調K.404aNo6/ニ短調K.404aNo1/ト短調K.404aNo2/ホ長調K.404aNo3〜ラルキブデッリ(1990年)・・・ビルスマ夫妻等による、恐るべき高水準の古楽アンサンブル。ワタシが大好きな作品ばかりで、嬉遊曲 変ホ長調(弦楽3重奏曲)を初めてFMで聴いたとき(ハイフェッツ)には仰け反りました。40分ほどの大曲(6楽章)だけれど、美しい旋律が泉のように湧き出続ける幸せな作品なんです。こんな躍動する快活な演奏を聴いてしまうと、古楽器現代楽器区分けの空しさを痛感するばかり。「アダージョとフーガ」はBach 父子の作品の編曲であって、天才は天才を知る、といった典型なのでしょう。LP時代よりグルミュオーの演奏で愛聴しておりました。(CDでも高価購入した)こちらバロックのテイストたっぷりで文句なしの演奏です。
●2009年5月某日
よく眠れました。ホテルでゆっくりしているが、これから第1発目の会議ゆえ、資料の読み込みをしなくては。先週資料作成、先に送付パターンなので内容すっかり忘れております。なんとか体調が保ってくださることを祈りましょう。本日、自宅に帰り着くのはいったい何時になるのか?
Boccherini 「Opera Con Titoli」(表題付の作品)〜弦楽五重奏曲数曲含んだCD(Capriccio 10 453 マユミ・セリエ、シルヴィア・ヴァルヒャ、ポッペン、ペニー・・・ほかの演奏。1993年)・・・サイト内検索によると前回聴取は2005年10月。これが「表題」の意味も全然わからないが、なんとも言えぬ散発的な旋律連続が素朴で、古典的佇まいとは別物の作品となります。誰も聴かんわな、こんな作品。ぼんやり、ゆったりとした気分を愉しむべき作品か。音質極上。
(帰宅はほとんど翌日寸前でした・・・ご近所駅前の呑み屋って、けっこう遅くまでやっておるのだね。遅く外出したことがないから知らんかった・・・激ツカれ)
●2009年5月某日
珍しくよく眠れるのはヤクのせいか。本日の会議はできるだけ早く終わってくれんか。なんせ、上越新幹線越後湯沢経由〜ほくほく線〜北陸線〜金沢行きなので、到着は遅くなる・・・最近、出張したら弁当ばかり喰っていて、昨夜新大阪で購入したのは”ほぼ精進料理”的、ヘルシー方向でした。なかなかよろしい。でも結局足りなくて、東京着後”喜多方ラーメン”で補充したが。
自宅では朝日新聞だけれど、出張したら必ずサンケイ新聞なのは、安い(100円)のとコラムの主義主張がガラリと異なっているのを愉しむため。体調なんとか保って下さることを祈りましょう。明日は激務(金沢で午前から夜まで3本連続主催)なんです。
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(金沢ホテル到着)終日体調不良。昼からうまい具合にプロジェクターで部屋が暗くなったので、思う存分居眠りしました。夕方、いつものお気に入り渋谷東急百貨店の弁当を購入、ビールも一缶入手して東京駅へ移動。越後湯沢迄はあっという間の熟睡状態、気付いたら既に到着していて、あわてて下車してほくほく線経由北陸線へ。体調やや快復、明日本番まで保つか?保ってくれ。
会議では旧知のメンバーと数人再会して、岡山時代の仲間がいつの間にやら札幌に異動になっていたんですね。職場運営にブツクサ言っていたな、気持ちはわかるけど。各々歴史と経過の積み重ねがあるんです。ワタシの経験では、大阪異動後、思うように毎日作業コントロールが出来るようになったのは、丸2年経過してからですよ、ほんの最近。
椎名誠「地球の裏のマヨネーズ」(文春文庫)・・・週刊誌の連載であり、日常の積み重ねなんだけど、ワタシはもの凄く影響を受けているシリーズ也。躍動と行動力、体力と食欲、そして酒と友人。思わず行ってみたくなる旅先の描写。素晴らしき”ワン・パターン”・・・文庫は全部読んだつもりだけれど、まだ新しいのが出ているんですね(BOOK・OFFでしか探していないが)。油断できない。
西村淳「面白南極料理人」(新潮文庫)・・・最高。アマゾンの読者レビューはツボを外しておりますな。北海道人は悪気はないが、口は悪いんです。ワタシは「世界最悪の旅」を思い出しておりました。なにもかもが凍ってしまう厳しい自然環境は(基本、もちろん)変わっていない。が、自然克服のための装備や技術は進みました。みごとなほどの変人達と、(スコット時代とは天と地の差だけれど)困難をクリアしていく(アバウトな)工夫、遊び、酒、そして料理。この本にも元気いただきました。
Dvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界」(1997年)/Schubert 交響曲第8番ロ短調「未完成」(1978年)〜カルロ・マリア・ジュリーニ/シカゴ交響楽団
・・・ジュリーニはこの辺りが一番良かったんじゃないかな。端正で細部まで仕上げがていねい、けっして激しない、アツく疾走しない。そして良く歌う。スケールは茫洋として大きい。彼(か)のシカゴ響が上手さそのままに、メタリックに響かない。あまりに馴染みすぎた名曲中の名曲だけれど、なんと新鮮に感じたことでしょう。
Tchaikovsky 交響曲第5番ホ短調〜マリス・ヤンソンス/オスロ・フィル(1984年)・・・いまやコンセルトヘボウ、バイエルン放響のシェフで全盛期のマリスの出世作か。話題になっていた頃の録音はほとんど聴いていなくて、Wagnerの管弦楽作品、Stravinskyなどチョロ聴きして、あまり感心しなかった記憶もありました。この人は露西亜じゃなくてラトビア(リガ)の人なんだな。オーケストラには意外なる厚みがあって、素直な響きで技術的には上々だと思います。語り口の上手さ、バランスの良さ、完成度は高いですね。露西亜系暑苦しい個性とは方向性が違って、もっとモダーンなんです。世評高いのも納得だけれど、自分にとってヴェリ・ベストかどうかは別。
●2009年5月某日
さて、よく眠れて朝、この難局を乗り切らなければ。体調は現状維持だけれど〜出張中、悪化するのはほぼ間違いない。これより出掛ける準備しましょう。CDの選定、書籍も買い置きはある。
Beethoven 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」〜ハノーヴァー・バンド(1982-8年録音)・・・既に盤質劣化で廃棄した全集だけれど、直前にいくつかデータ・リッピングを試みており、この作品のみ成功した・・・ことをすっかり失念しておりました。古楽器だったら皆同じ、なハズもなくて、ノリントン/LCP全集はとうとうワタシの嗜好にフィットせずに昨日、名古屋へ向け郵送済。肝心なのは”使用楽器”ではなくて、表現そのものであることは自明の理、引き締まって、飾りが少なく、ストレート系のエエ演奏です。響きに厚みがあって、残響が瑞々しい。なにより疾走する推進力が清潔で快い・・・どこかで(うんと)安く出ておりませんか。
同作品を、ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィル(1977年)・・・どれを聴いてもゴージャス豪華でユルくて・・・と数曲聴取して感じたことだけれど、さきほどの”響きに厚みがあって、残響が瑞々しい”というのは”古楽器として”との前提が付いたけれど、こちらは本家本元でしょう。じつはカラヤン1970年代全集(ラストのディジタル全集同様)は(実質)初耳であって、1960年代全集中では「英雄」は出色の集中力と感服しておりました。これは自信に溢れ、キレさえ感じさせる立派な演奏です。速めのテンポ、颯爽と評してもよろしいでしょう。第2楽章「葬送行進曲」も深淵であり、貫禄充分。
しかし、ハノーヴァー・バンドが好きだな。カラヤンは世評高い基準としてちゃんと拝聴する、といった意味合いとなります。但し、全集中聴き進んできた中ではこれが最高。
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(在東京ホテル)朝一番より(先日時間切れの)会議延長戦。昼休みに少々掛かって(辛くも)終了。この時点で体調最悪。日常作業をいつも通り消化しつつ、明後日の会議資料を粛々と仕上げていくが、その合間に次々と電話が掛かります・・・が、咽が渇いて声が出にくい。一見、いつものようにニコやかであり、元気ハツラツっぽいが、頭痛もあり、とにかくムリヤリ資料を仕上げて上司の点検も受け、5時に職場を出ました。指定席取って弁当買って新大阪出発、ビール一缶呑って音楽聴いて・・・あっという間に品川に到着しました。つまり、ほとんど意識を失っておりました。
ラーメン喰って、ちょっと体調快復。今回の日本半周ツァーを乗り切るぞ!
Jochann Melchior Molter(1696-1765)二声のソナタ ヘ長調 MWV W/1/チェロ協奏曲ハ長調 MWV W/7/序曲(管弦楽組曲)ハ短調 MWV V/9/シンフォニア ヘ長調 MWV Z/77/オーボエ協奏曲ハ長調 MWV Y/20/シンフォニア ヘ長調 MWV Z/78〜ヴォルフガング・グレース/ヨーロッパ交響楽団/ストロジェンコ(vc)/ポパ(ob)/ベック(cem)(1996年)・・・おお、数年前ちゃんと聴いた記録が残っておりますね。以前は意欲的に(例えばマンハイム楽派とか)必ずしも著名ではない、多種多彩なる作品を聴いて、見聞を広げる努力をしておりました。ノンビリとして楽しい作品ばかりだけれど、おそらくはグレースが率いるアンサンブルのメリハリ、緊張感、変化が少ない。でも、まず作品を聴けることを感謝しなくては。
Dvora'k 交響曲第7番ニ短調/第8番ト長調〜ニコラウス・アーノンクール/コンセルトヘボウ管弦楽団(1998年)・・・これは演奏も録音も、とても個性的で不思議なもの。粗野であり、艶々の磨き上げから縁遠い表現であって、都会的な洗練から遠い解釈だと思います。いままで聴いたことがない、まるで別な作品に聞こえる・・・が、これが好きか?と問われると考えちゃいますが。おそらくこの録音は、自然なんでしょう。効果的ではないが。
●2009年5月某日
新型インフルエンザということでもなく、気温の乱高下激しい毎日に体調を(少々)崩しております。本日はやや肌寒い〜クールビズ始まっているんだけれど。嗚呼、休みたい・・・という気持ちは、全国サラリーマン同胞の月曜症状ときっと同じでしょう。これからハード・ウィーク開始。それでも、昨夜は新規オープンしたご近所小さなお好み屋へ。まだ、客対応がこなれていなくて、でも、顔見知りと思われる楽しそうなお客でいっぱいでした。昨夜、ロジャー・ノリントンのBeethoven 旧全集は1,000円にて無事オークション落札されたが、【♪ KechiKechi Classics ♪】の読者とのこと。体感的に”名古屋以西”の読者が多いような気がしますね、人口分布的には首都圏が圧倒的なんだろうが、比率として連絡下さる方は比較的少ない感じ。
相変わらず音楽に集中できない日々。さすがに発熱が気になって、恒例真空管アンプ→トランジスタ・アンプへ”夏場仕様”交代へ。いずれ安物だけれど。Mahler 交響曲第1番ニ長調〜ジョン・バルビローリ/ハレ管弦楽団(1957年)・・・定位が少々おかしいんだけれど、音質そのものは明晰でクリアなもの。ハレ管は不思議でして、どちらかというと非力なオーケストラなのに、バルビローリの手に掛かると豪華ゴージャスなサウンドに変貌して、雄弁でわかりやすい演奏に仕上がりました。細部どこにも曖昧さもなく、良く歌って明晰そのもの。ウキウキするような憧憬に溢れて、数多い録音中でも出色のヴェリ・ベスト也。
Sibelius レンミンカイネン組曲(4つの伝説曲)作品22(「レンミンカイネンと島の娘たち」「トゥオネラの白鳥」「トゥオネラのレンミンカイネン」「レンミンカイネンの帰郷」)〜チャールズ・グローヴス/ロイヤル・リヴァプール・フィル(1974年)・・・先日ネーメ・ヤルヴィで堪能した作品。コシも厚みにも足りない誠実なサウンドが、Sibelius にはよく似合う。グローヴスはいかにも英国穏健派の静かな説得力を以て、清涼な世界を堪能させてくださいました。地味な存在だけれど、ほんまの実力者なんです。「トゥオネラの白鳥」ばかり有名だけれど、Smetana「我が祖国」に負けぬ魅力たっぷりの連作交響詩集でしょう。但し、独墺系とは異なる個性があって、演奏者によると”Sibelius には苦労する”とのこと。日本では演奏会に人を呼べる人気演目であります。
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まずは平穏なる週の始まり、体調もなんとか持ちこたえました。明日デッドライン(執筆/上司の検閲/印刷/送付夕方迄)の資料は「目次」の点検を受けたのみ。明日午前中、先週時間切れの内部再会議対応して、昼から作業開始、できるだけ遅くない時間に東京へ出発したい・・・いずれ東京ホテル着は遅くなるでしょう。明後日は東京で終日会議後、金沢へ移動。さきほど最寄りの駅で悪いことを思いついて、大阪〜東京〜越後湯沢〜ほくほく線〜北陸線〜金沢(泊)〜大阪へ、つまり一周したら乗車券安くなるんじゃないか、少々不便でも、ということで、窓口のお兄さんを散々苦しめつつ乗車券を入手してきました。帰宅して通常ばらばらに買うより・・・ん?計算すると結局、新幹線米原経由で金沢に行ったのと変わらないか!
いえいえ、金沢→大阪の分を忘れてました。結局7,000円ほど浮くのだね。おお、ケチくさい。金額云々、時間どーのではなく、プロセスやら道中をたっぷり楽しみましょう。時間だけを考慮すれば、羽田空港→小松空港→(バスで)金沢が速いかも。金額もそう違いはないし。ワタシは飛行機はできれば避けたいんです。
音楽の落ち穂拾い。Brahms ピアノ小品集 作品76/二つの狂詩曲 作品79/3つの間奏曲 作品117〜ワルター・クリーン(p)・・・1960年代の録音か、情報が探せません。いつもながらのぼんやりと曇ったVOX音質だけれど、演奏は極上。落ち着いて(落ち込んで?)モノクロ、精神的に沈殿され、抑制された寂寥が滲み出ます。これは中高年の人生の苦渋が後ろ姿に反映して、しかも男性限定オヤジの世界也。
Sibelius 交響詩「レンミンカイネンと島の娘たち」のみ〜ネーメ・ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団(1985年)・・・再聴。おお、こちらは粗野な咆哮と迫力たっぷりで、ぐっとわかりやすい、明快なる世界ですね。このオーケストラって、ヤルヴィ以外ではどんな音になるんでしょうね。ここでは(他のSibelius 録音もすべて)素晴らしいアンサンブルです。
●2009年5月某日
体調相変わらず。どこにも出掛けられません。明日明後日と内部会議連続+(合間に)詰めた資料作り〜遅く東京前泊〜終日会議、そのまま金沢前泊、会議午前午後対応+夕方別件別場所で打ち合わせ〜といったハード・スケジュールに耐えられるか?耐えるしかない。状況によっては東京本丸会議を欠席させていただく可能性もあり得る・・・金沢での実務主催は自分なので、絶対に抜けられない。健康じゃないと、元気じゃないと、遊ぶことさえできぬ・・・
昨夜締め切りだったオークション、「チゴイネルワイゼン/エルマン・アンコール」(VANGUARD)が法外なる1,722 円にて落札される・・・どーなんでしょうか。ワタシは300円で出品したし、せいぜい500円か、と思っておりました。商売じゃないので、聴かなくなった音源を日本中の音楽ファンに、といった趣旨なんです。最低価格で、なんだったら送料だけで送ったってかまわない(くらい)。不況だ、喰えない、生活が成り立たない(そういう方も多いだろうが)、と言いつつ、1920年代の大恐慌とは姿が違うみたいですね。ワタシは未だ”持ち過ぎ”ている。
”ユルく、厚く、豊かなサウンド+耳あたりの良さ、オーケストラの上手さ”〜カラヤンのBrahms との対極を棚中に探しました。Brahms 交響曲第1番ハ短調(1966年)/ハイドンの主題による変奏曲(1964年)〜ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団・・・引き締まって集中力があり、厳しいほどに贅肉がないリズム。オーケストラは上手いが、甘美なる個性の欠片もない・・・日常聴きするにはあまりに切迫した、鋭いサウンドだけれど、これぞ正真正銘”正しいBrahms ”なんです。こんなハードな辛口演奏を自らの標準としちゃうから、そう滅多に聴けなくなっちゃう。第4番はかなり以前からのお気に入りだけれど、じつは第2/3番は未入手なんです。(というか、ムリして求めていない)
浪漫派の交響曲は一般に苦手(Mahler Brucknerは別格)だけれど、ピアノ作品、室内楽はたっぷり愉しめちゃう〜ぼんやり棚を眺めていたらSchubert のピアノ・ソナタ全集(BRILLIANT/ワタシのは初期のプラケース仕様)が目に付きました。即興曲集 作品90/142〜マルティン・ファン・デン・フック(p)(2000年)・・・嗚呼、これLP以来の再会に入り作品だったな、先週アルフレッド・ブレンデルのVOX録音をオークション送付したばかりだ。NAXOSのヤンドー盤はずいぶん以前に処分したみたいで、棚中影も形もない。
夢見るような旋律が素直で、屈託がなくてエエ演奏だ。マルティン・ファン・デン・フックって、誰だろう?とネット検索を掛けると自らのサイトが出現いたしました。記憶からすっかり落ちているのだね。
●2009年5月某日
流行の新型インフルエンザではなく、いつもの(咽の)症状と思うが、体調不良にてこれより再度耳鼻科へ。傷めてから一ヶ月が経過した左膝も、痛み少々復活なのは年齢(とし)か?いつものように早朝覚醒してネット眺めたり、低い音量で音楽を聴いたりしていたけれど、少しずつオークションに出して隙間が空いていく棚中CDをしみじみ眺めておりました。人間の嗜好にはキリがなくて、次々と新しい音源を求めて幾星霜、いつの間にやら貯まってしまったが、購入した記憶が失せているものもかなり、そうとうあります。懐かしいけれど、どんな音楽だったか、演奏だったか思い出せないものも。
物欲に対して寂寥感がある今日この頃。こうして精神的にも枯れていくのか。
Bach 他の作曲家による協奏曲のチェンバロ独奏への編曲集/協奏曲ト長調 BWV592a/ニ短調 BWV987/変ロ長調 BWV982(以上ザクセン=ヴァイマール公ヨハン・エルンストの協奏曲より)/協奏曲ト短調 BWV985(Telemannのヴァイオリン協奏曲より)/協奏曲ト長調 BWV986(不詳のドイツ作曲家[Telemann?]の協奏曲より)/協奏曲ト短調 BWV983/協奏曲ハ長調 BWV977(以上不詳のドイツ作曲家の協奏曲より)/協奏曲ロ短調 BWV979(Torelliの協奏曲より)〜ピーター・ディルクセン(cem)(1999年)・・・全集を入手しなかったら一生聴く機会のなかった作品集也。Vivaldiの編曲ものなんかが有名だろうが、Bach の手にに掛かると堅牢頑固な世界に変貌いたします。演奏者の知名度は気にしたことはないけれど、音質も演奏もヴィヴィッドで鮮明なもの。バロックの演奏スタイルは(ワタシのこども時代に比較して)驚くべき変貌を遂げました。金属的ゴージャスなチェンバロは敬遠したいですね。
KODA'LY 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」/Bartok 管弦楽のための協奏曲〜リコ・サッカーニ/ブダペスト・フィル(2001年ライヴ)・・・BPO(ブダペスト・フィル)22枚組を入手したのは2005年11月、6,641円入手のオーダー・シートが残っているが、後に2,980円ほどの底値を拝見したことも有。おおよそ著名なる名曲は(BB交響曲ともかく)ほとんど収録されており、ワタシの”無名演奏家廉価盤”コレクションを最終的に一掃する意味のあった入手でした。ま、これひとつありゃエエじゃん、と。どれもライヴとは思えぬアンサンブル水準の高さ、音質を誇って、但し、どれも陰影にやや乏しくて上手くまとめている・・・といった感じか。
この2曲は”お国もの”ですから。楽しげに、ていねいに、流れよく仕上げております。前者はもちろんだけれど、後者も愉悦感を以て強面にならない。素直で懊悩を感じさせない表現も、時と作品によっては悪くないでしょう。
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オークション落札されたCDを送付ついでに通院し、点滴を打って、100円ショップでCD収納袋購入、更に商店街にオープンした「1,000円床屋」にて散髪。人生で一度も、出来上がりに文句付けたことはないので”もっと短く!”とは言い出せない。あとは体調不良故、ぼんやりしたりうつらうつらしたり・・・で一日には過ぎ行きました。
Bruckner 交響曲第8番ハ短調〜ベルナルト・ハイティンク/シュターツカペレ・ドレスデン(2002年ライヴ)・・・罰当たりにも第1/4楽章のみ拝聴。このレパートリーを持って来日したんだな。襟を糺し、背筋伸ばして集中すべき作品だけれど、第1楽章から音質問題で気に喰わない。ライヴ収録の不備か、安物オーディオとの相性か、それともナマ体験との差異か?深み、奥行き、臨場感、いずれも”もっと!”と高望みしたくなっちゃう。いきなり最終楽章に飛ばしたのは、聴き手の体調問題もありました。(天国的な第3楽章「アダージョ」は時を改めようと)ようやく、オーソドックスかつ透明クールなブルー系質実サウンド、どこにもムリのない表現が(いつしか)万感胸に迫って、完全全曲再聴を誓ったものです。
フィル・アップはMozart 交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」(同じく2002年ライヴ)であって、オペラは数多く手掛けているハイティンクだけれど、交響曲は初録音なんじゃないか。(知らんだけ?)これが引き締まって速めのテンポ、繰り返しも実行してエエ演奏なんです。無条件幸福Mozart も最近交響曲を聴く機会が少なくなって、久々の本命発見!の喜び感じました。
「カラヤン38枚組」に何故か?含まれるBrahms 悲劇的序曲(1977年)/ハイドンの主題による変奏曲(1964年)〜ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィル・・・サービスですか?エラく収録時間が短いけれど。これのみ”交響曲”が含まれない。ユルく、厚く、豊かなサウンド+耳あたりの良さ、オーケストラの上手さ〜感想は相変わらず。1960年代の「ハイ・バリ」のほうがずっと引き締まった響きとなっておりました。
カラヤンついでに、Beethoven 交響曲第7番ニ長調(シュターツカペレ・ベルリン1941年)/J.Strauss 「皇帝円舞曲」/Smetana 交響詩「モルダウ」(以上ベルリン・フィル1941年)/Verdi 歌劇「椿姫」第1幕/第3幕前奏曲/Rossini歌劇「セミラーミデ」序曲(EIARトリノ管弦楽団1942年)・・・交響曲は後年の”甘さ”みたいなものはないんだけれど、逆に少々堅苦しくて、いかにもワタシ苦手系作品を認識させるような硬派っぽい演奏也。あとは語り口が上手くて、音質云々を忘れさせる見事な表現です。もう4-5年前に買ったんだっけ?棚中にぜひ常備したい音源セットではあるけれど、好んで聴くものでもないような・・・(HDN C 0017/7枚組購入価格失念おそらく1,980円くらい)
●2009年5月某日
本日は昨日出張の宿題をいくつか片付けるだけ、定例日常業務もほとんど終了している(はずな)ので、ラクチンな一日になることを期待しましょう。もうマスクは勘弁してよ、といった連日の暑さ、雨模様みたいで湿度が高いのも不快。今朝、定例サイト更新済み、そろそろ原稿在庫も切れて参りました。オークションCD出品の入札状況は相変わらず不調続きだけれど、今朝一本追加出品、じつはいただきものを含んでいて、道義的にマズいんだけれど、次回お会いするときに必ず奢りますから!(許して)レナード・バーンスタインのMahler 旧録音は数年掛かって全部揃えた(結構な出費で)が、どうしても好きになれない。昨2008年12月に入手した新録音全集(←これはとても感銘深いもの)を聴いて以来、比較でなんども再トライしているんだけれど、とうとう断念いたしました。相性かな?
昨日拝聴音楽落ち穂拾い。Bach カンタータ第5番「われいずこに逃れ行かん」〜ぺーター・ヤン・リューシンク/オランダ・バッハ・コレギウム/ニコ・ファン・デル・メール(t)/ホルトン(s)/ブヴァルダ(カウンター・テナー)(1999-2000年録音)・・・相変わらずの不信心なる聴き手であるワタシながら、少々仕上げが粗い古楽器演奏をしっかり堪能しております。第3曲のテナー・ソロにヴィオラ(ジャン・ヴィレン・ヴィス)のアルペジオがオブリガートするんです。これが絶品!Bach の魅力爆発!って、もっと声楽にコメントしなくちゃいけないんだけれど、言葉の意味(以上に聖書や宗教的儀礼、更には独逸民衆の季節感)がわからないからね。
今朝、”ちょろ聴き”、Bach カンタータ第44番「ひとびと汝らを除名すべし」/第78番「イエスよ、汝はわが魂を」/第112番「主はわが信頼すべき羊飼なり」〜ハンス・ヨアヒム・ロッチュ/聖トマス教会合唱団/ゲヴァントハウス管弦楽団/ケストナー(or)/ヴェルナー(s)/メンツェル(t)/シュリーヴァー(a)他・・・これは1990年代前半、東京に出張するたび東京駅地下の露店で入手した「EGRシリーズ」(1,000円)。BerlinClassicsのリストを(さらりと)調べたが、この作品は揃わないんじゃないか。うむ、一昔前はこうだったな、という立派な、堂々たる演奏であって、昨今の古楽器系(器楽以上に声楽の唱法に)慣れていると、ちょっと重さ、堅苦しさが気になる・・・再度、ちゃんと聴き直しましょう。
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マスクをサボったせいでもないだろうが、体調不良。ワタシは常に、テンション高く元気に見えるので、精力的に日常業務をこなし、さっさと職場を後に〜そのように見えたろうが、じつは通院。毎週の耳鼻科だけれど、ワタシは咽から病られることが通例な(長引く風邪症状に至る)ので、いきなり直接治療、点滴まで打っていただいて、明日も通院せよ、との名医の御神託です。ほんまの名医みたい(テレビにも時々出ている)で、毎度異様なお客の混みようであります。小さなクリニックなんだけど、看護婦さん、事務の方も別嬪揃い。エエ商売してまっせ。
食欲ともかく、全然酒が呑めませんもの。来週、もう一山お仕事あるんです。「ストレス」「睡眠不足」とのご指摘だったが、まさにその通り。
通勤音楽は、Bach 無伴奏チェロ組曲第1番ト長調/第2番ニ短調/Britten チェロ・ソナタ ハ調(スティーヴン・コワセイヴィッチ(p))/de Falla 「7つのスペイン民謡」(ムーア人の衣裳/アストゥリアーナ/ホタ/子守歌/歌/ボーロ)(エルンシュト・ラッシュ(p))〜ジャクリーヌ・デュ・プレ(vc)(1962年)・・・BBCの放送録音より。音質はややぼんやりとしているが、演奏は若々しくキビキビとした躍動あるもの。世評ではBach に成熟が足りないとかコメントがあったと記憶するが、あったり前も17歳でっせ。天才でしょ。これで老熟していたらエラいことでっせ。但し、作品との相性ではde Fallaのスペイン風リズムが一番似合っておりました。
今週もよう働いた・・・と、自分で自分を誉めてあげたい・・・誰も誉めてくれんから。
●2009年5月某日
これより早朝出立。緊張のせいか?睡眠不如意状態久々でございます。マスクが鬱陶しいな、もう止めるか、取引先の前のみで着用するか、うがい励行を前提として。金沢往復でしっかり音楽を聴くつもりなので、コメントはまた帰宅後か、明日に。おそらくサンダーバードは空いていることでしょう。
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金沢も暑かったですね。駅に到着するとマスクなどしている人は誰もいない。取引先では”マスク必着”とのことで、商談で熱弁を振るっていたら酸素不足で目眩しそうに・・・いつもの通り慌ただしく駅→←取引先事務所往復しただけ(昼食は本場中国人の中華料理は旨かった!が)で、意外と早めに帰宅できました。商談はけっこう楽しくて、取引先のご担当との信頼関係に自信が持てました。
サンダーバード往復しっかり音楽聴きましたよ。
まず、Wagner 楽劇「ラインの黄金」〜カール・ベーム/バイロイト音楽祭(1966年ライヴ)再度・・・シロウトだし、拝聴経験が薄いから何度もお勉強しないと。冒頭のホルンの重奏からエエ音で深々と鳴っております。歌い手の存在感、貫禄もたっぷりで、ベームの表現は引き締まって、とても明晰なんじゃないか。ライヴ故の臨場感含めて、会場の雰囲気たっぷりの優秀録音であります。ジエイムズ・レヴァイン盤をもう一回聴かないとけないな、比較のために。
Bach カンタータ第199番「わが心は血の海に泳ぐ」/第51番「すべての地にて歓呼して神を迎えよ」〜エディタ・グルベローヴァ(s)/ヘルムート・ヴィンシャーマン/ドイツ・バッハ・ゾリスデン((p)1993)・・・これが凄い。このところ(主に、ほとんど)リューシンクによる古楽器系の演奏ばかり聴いていたので、グルベローヴァの入念なる、濃い表情付け(+圧巻の歌唱技巧)に圧倒されます。良いとか悪いとか、好きとか嫌いじゃない、全然べつの世界なんです。声質は違うけど、シュヴァルツコップ辺りを思い出しますね。説得力も、違和感もなんといえぬ強烈さ。
Debussy 牧神の午後への前奏曲/海/管弦楽のための映像〜ルイ・ド・フロマン/ルクセンブルク放送管弦楽団(1972年)・・・以前から所有していた2枚組を処分して4枚組(クアドロマニア)で入手し直したもの。ま、オーケストラの技量怪しく、響き薄く、アンサンブルも頼りないんだけれど、なんとも言えぬ”雰囲気”があって、音質も意外と悪くない。VOXには音質で苦しめられましたからね。響きの薄さ、軽妙さは徹底していて、「イベリア」に於けるカスタネットさえ弱々しい響きなんです。「牧神」のフルートも同様、ここまできちゃうと確信犯なのか、と思うほどに味わい深い”ヘタさ”でした。好きでっせ、こういうの。
Beethoven 交響曲第5番ハ短調/第8番ヘ長調〜ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィル(1975〜77年録音)・・・BBSに「ガッカリしてしまいましたよ。期待が大きすぎたのか。クライバーのような鮮度も、クレンペラーのような頑健さもなく、ソースは美味なんだけど茹で過ぎが残念なスパゲティみたい」との書き込み有。ワタシはBeeやんをあまり(量的に)聴いていないし、期待通りのサウンドを堪能している(第5番は以前から聴いていた)が、たしかに手慣れて、緊張感がユルい感触はあるんです。それと、”どれを聴いても同じ、全部カレー味”的感触も。音楽は嗜好品ですから。
もの凄く耳あたりがよろしくて、これはハ短調交響曲みたいな激しい作品でも同様、第8番ヘ長調のような”哲学的ユーモラス”な作品でも同様。オーケストラの上手さは尋常じゃなくて、ホルン、オーボエはもちろんだけれど、これほど見事なティンパニの活躍はかつて聴いたことはない。終楽章、怒濤のスピード+重量感(第8番でっせ)にひれ伏しちゃう・・・
●2009年5月某日
明日が金沢日帰り出張(かなり重い宿題有)で、本日その資料完成締め切りだけれど、既に主たるところは完成していて、整理するのみ。昨日こなすべき宿題は本日に回ったが、その代わり別件の処理が進んでいるので狙い通りと考えましょう。職場でも終日マスク着用指示なので、息苦しく、暑苦しくて仕方がない。体調は快方に向かっていて、インフルエンザではなかったみたいです。来週は東京〜金沢経由で定例月末の会議大山があって、例月通り苦しい〜気むずかしい上司の怒り矛先はここ最近、ワタシから別な人間に行っていて、助かっているけれど。(今年の期中異動はないそうで、来春までお付き合いだ)
相変わらず音楽にはあまり集中できていなくて、巡り合わせもよろしくない。過日、BBSで聴いたことがない作品に気付いて入手したDelius 交響詩「頂にて」/春の朝/フォークラーデト(Folkraadet)/アパラチア〜ジョン・ホプキンス/スロヴァキア・フィル・・・指揮者はおそらく名前から類推して米英系だと思うが、作品とオーケストラはあまりに縁が薄くて、おそらくNAXOSのチーム(レーベルはmarcopolo)が”品揃え”として録音をお願いしたんでしょう。スロヴァキア・フィルは作品・指揮者との相性によっては、意外なる成果を上げることもあるけれど、あまりに酷いアンサンブル、洗練されない響き。素朴という言葉では済ませられない、魂に不足するサウンド。リズム感、明快な縦線の指示不足は指揮者の責任でしょう。
じつはこれで通算5度目ほどの聴取だけれど、唯一馴染みの「アパラチア」も速めのテンポが素っ気ない。せっかくの通勤時間が残念な結果になりました。
Bartok 小管弦楽のための「ルーマニア民俗舞曲」 BB76(Sz68)(棒踊リ/腰帯踊り/足踏み踊り/ホーンパイプ踊り/ルーマニアのポルカ/速い踊り/速い踊り)/管弦楽のための「舞踊組曲」 BB86(Sz77)/管弦楽のための「ハンガリーのスケッチ」BB103(Sz97)(トランシルヴァニアの夕暮れ/熊の踊り/メロディー/ほろ酔い加減/豚飼いの踊り)/2つの映像 作品10 BB59(Sz46)(花ざかり/村の踊り)/管弦楽のための「ルーマニア舞曲」BB61(Sz47a)〜アダム・フィッシャー/ハンガリー国立交響楽団(1990年)・・・BRILLIANTから安価で再発売されているが、そのかなり以前にオリジナルNIMBUSの6枚組(KODA'LY含)を入手していたもの。オーケストラが強圧的な厚みを感じさせないこと、音質がややオフ・マイクっぽいことで、いまいちぴん!と来ておりませんでした。しかし・・・(時間切れ)
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おおっ!ようお仕事したではないか。明日、金沢の商談(きつい)本番2発、往復も5時間以上、早朝決起、帰るのも遅くなるが、これで月末の艱難辛苦一山め、来週最大の山場が来て今月一区切りとなります。ああ、その直後に上司会議用資料作りがあるか。お客との折衝は毎日だけれど。
(今朝の続き)こどもの頃、ジョージ・ショルティ/ロンドン交響楽団による硬派演奏でBartokに出会ったせいか、アダム・フィッシャー/ハンガリー国立響の演奏は、”弱い”、”細い”・・・そんな印象がありました。が、よ〜く聴くと残響豊か、奥行き、定位とも明快な極上録音であると気付きました。アンサンブルも繊細そのもの、オーケストラの洗練具合も文句なし。お国ものだけど土俗的な方向ではないのだね。”弱”くも、”細”くもない。Bartokの生命(いのち)はリズムでっせ、耳目を驚かせる派手さはないんだけれどキレはちゃんとある。
通勤音楽はBartok バレエ音楽「かかし王子」作品13 BB74(Sz60)/2つの肖像 作品5 BB48b(Sz37)(理想的なもの/醜いもの)〜アダム・フィッシャー/ハンガリー国立交響楽団/ゲルハルト・ヘッツェル(v)(1989〜92年)・・・作品的にこちらのほうが、いっそう作風と演奏の(強面ではない)方向がフィットしております。亡きヘッツェルのヴァイオリン・ソロも深みがあり、神経質の欠片もないんです。オーケストラと幻想的に絡み合って感慨深い演奏でした。
●2009年5月某日
毎度のことだけれど、日々宿題のデッドラインを決めながらそのクリアを狙う毎日。その宿題の大枠は上から降ってくるが、自主的に決めたもので、実質的にはチーム全体の日程抑えております。朝日新聞に定期的な「お仕事に関すること(だっけ?「仕事力」か)」連載があって、中短期的な締め切りを明確にして進める大切さが載っていたと記憶します。それに「ご褒美」を考えろ、とも。ワタシは基本、音楽を聴くこと、本を読むこと、2時間ドラマを見ること、おいしいものを食べること、そしてサイトを更新する(文章を執筆する)こと(パソコンをいじることも)が趣味なので、そのすべてがお仕事クリア後のご褒美になるんです。毎日。毎週。
さて、本日はクリアできるか?いろいろと。体調の維持は基本です。学校は休みだそうだけれど、カラオーケストラに行っている高校生もいるそうで、症状の軽重ともかく「パンデミック」は避けられないでしょう。既にそうなっているかも。外食の自粛やら、様々イヴェント中止、映画館も全然ダメだそうで、不況に拍車を掛けることでしょう。
新しく巨大ボックスセットを購入することは未聴CDの在庫を貯めることに他ならないが、既存品との比較=音楽聴取の幅を広げる機会ともなります。日本人は一般に生真面目で、「出されたものは全部喰え!」「もったいない」「一筋」みたいなことが好きだろうが、ワタシは生来の浮気者。先月購入の「カラヤン38枚組」に含まれる1970年代のBeethoven 交響曲全集の対比を進めております。寄り道、道草ですな。
Beethoven 交響曲第5/6番〜ロジャー・ノリントン/ロンドン・クラシカル・プレーヤーズ(1986〜88年)・・・古楽器による旧録音でして、古楽器派のワタシとしてはぜひ揃えておきたい(ハノーヴァー・バンド全集がダメになってしまったし)もの。2005年2月購入とのレシートが残っております。素朴で粗野、飾らない小編成での表現はワタシのツボなんだけど、これが全然ぴん!と来ません。御大カラヤンの豪華ゴージャス”金持ち喧嘩せず”演奏に耳を毒されたのか?ハノーヴァー・バンドではそんなことは感じたことはなかったし、世評も高いジョン・エリオット・ガーディナーでも同様。
どんな演奏にも美点をみつけること、まず作品自体を楽しむことが”MUSIC LIFE”の基本だけれど、ノリントンはんには苦戦しております・・・というのも、楽しみのうち。先日聴いた、クリップス、クレツキのシミジミとした感銘は蘇らない・・・宗旨替えしちゃったかな?現代楽器派に。
●2009年5月某日
京阪神はたいへんなことになっております。マスクをして出勤しろ、熱が38度を越えたら出てくるな、との通達有。んなことより、本日まず当面のお仕事山、今週来週当面の宿題を乗り切らなくっちゃいけない。風邪だかインフルエンザだか知らんが、そんなものに関わっているヒマはない!でも、大事(おおごと)ですよね。オークションはまぁまぁかな、それなりに競合して、一件のみ未だ連絡来ておりません。激安ですから、不況時でも順調に売れて下さることを祈ります。
昨日は体調いまいち、ということもあって終日どこにも出掛けず。オークションのCDを送付に行っただけ。NMLは眺めているだけで楽しくて、逆にそれが”ちょろ聴き”状態を増殖させる・・・あきまへんな。旧PILZ音源は「Bella musica」で聴けたり、「VANGUARD」も凄く懐かしい。CD初期から(いえLP時代より)お付き合いしている「VOX」もしっかり楽しめます。先日、しっかり聴いたVare'seなんかも入手困難なCDだろうが、ちゃんと聴ける。
著作隣接権切れLP板起こし音源らしい「Classical Archives」なんて、あまりの珍しさに涙が出そう・・・本家「NAXOS」もVOX同様ワタシとはお付き合いが長くて、既に処分したもの、見逃していたものもあってじ〜んときちゃう。Brahms のハンガリー舞曲全曲はイシュトヴァン・ボガール/ブダペスト交響楽団の存在は知っていたけれど、ケネス・ジーン/香港フィルは「こんなのあったっけ?」状態。始めて知りました・・・が、イメージを拡大してみると、アンタール・ヴァルガ/シンフォニア・フンガリカとなっているじゃないの。真実は?(たんなるミスか/縮小画像データでは”ジーン/香港フィル”になっているみたいだし)
聴いた感じの薄く、誠実な響きはいかにも香港フィルなんだけど。情報求む。
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相変わらずの音楽”ちょろ聴き/つまみ聴き”の世界。Haydn ピアノ・ソナタ第47番ロ短調/第33番ハ長調/第55番変ロ長調/第46番ホ長調/第54番ト長調/第12番イ長調〜ヤコヴ・カスマン(p)(1997年)・・・たしかSyuzo師匠にいただいたCDでして、BRILLIANTのフォルテ・ピアノ全集に苦戦したワタシには、ありがたい現代楽器による演奏也。神経質なくらいきめ細やかであり、集中力を誇って美しい。いつもの牧歌的世界どこへやら、シロウト耳には強烈な技巧の切れ味を堪能させる世界に至っていると思います。古楽器ってやはり技術的にはたいへんなのか?時に揺れ動く”クセ”を感じたものだけれど、こちらシンプルな旋律が美しさを際だたせます。わかりやすい。
Mozart セレナード第13番ト長調K.525「小夜曲」(1967年)/第9番ニ長調K.320(1969年)〜ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団・・・じつはあれほど苦労して集めたシャンドール・ヴェーグの10枚組(ワタシのは6枚分出て即購入+残4枚バラ買いだったから入手経費総計壱万円遙か超えているはず)をオークションに出し、本日締め切りとなります。作品演奏がどうの、という問題ではなく、BRILLIANT始め種々様々な同種作品の演奏が棚中に揃っていて、もう充分聴いたな、という結論。NMLで確認もできますし。ちょっと寂しいが。
ジョージ・セルのCDは購入記憶がない〜2006年6月26日岡山時代のBOOK・OFFにて@250入手となっておりました。硬派で峻厳なる集中力アンサンブルを誇って、そこは晩年の”歌”も加わって気持ちの良い演奏に仕上がりました。牧歌的ということは=ユルい、ということではない。
他、Faureの声楽入り室内楽、(意外とお気に入り)Weberのピアノ・ソナタなどなど・・・そろそろ出勤時間となりました。
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辛くも会議(だけ)乗り切った(自分に攻撃が来なかった)といったところ。通常作業はほとんど手つかず、机上阿鼻叫喚魑魅魍魎状態へ。取引先と新しい(悩ましい)トラブルも発生しております。学校が休みになったせいか、通気電車は空いていて、マスク着用率はJR神戸線で35%ほど、大阪地下鉄で30%切る感じです。職場入り口で使用済みマスクを捨て、手を消毒して入館。帰りもマスク支給され、人混み中では着用必須です。でも、なんとなく全身倦怠感あるんだよね。発熱も下痢もないから、フツウの風邪ですか?咽の痛みはなくなったが、肩はこっております。
昨日、クロネコメール便でここ尼崎より出したCD、なんと福島県相馬市へ一日で到着とのこと。たまたま、だろうが驚異的です。通勤音楽は、Lutoslawski 管弦楽のための協奏曲/管弦楽のための後奏第1番/Scho"nberg 交響詩「ペレアスとメリサンド」〜ロジェストヴェンスキー/ソヴィエット放送交響楽団(1971年ライヴ)・・・モノラルだしオフ・マイクっぽいが、奥行きがあって、そう悪い音質でもない。 Lutoslawskiは全然知られていないが、著名なるBartokに負けない素敵な作品です。民族旋律を利用したバロック様式とはねぇ・・・シロウト耳にはモダーンで激しい現代作品にしか聞こえんが。
Scho"nbergは濃厚甘美巨大なる編成の作品であります。Mahler が、そして遠くWagnerが木霊します。時に金管を粗野に爆発させ、ロジェストヴェンスキーはかなり速めのテンポ(33分)で駆け抜けるが、作品的にもうちょっと良い音質条件で聴きたかったところ。いずれ得難い一枚也。
昨夜聴いた音楽のちょろコメント続編。Faure 歌曲集「優しい歌」(La bonne chanson)作品61(ヴェルレーヌ)〜ソプラノ、2台のヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバスとピアノのタメの作品〜サラ・ウォーカー(s)/ナッシュ・アンサンブル(1980年)・・・ 1. 後光に包まれたひとりの聖女(I. Une Sainte en son aureole)/ 2. 朝焼けが広がるのだから(II. Puisque l'aube grandit)/ 3. 白い月が森を照らし(III. La lune blanche luit dans les bois)/4. ぼくは偽りの道を歩いていた(IV. J'allais par les chemins perfides)/5. ぼくはほとんど怯えていた、実のところ(V. J'ai presque peur,en verite)/ 6. おまえが消えてしまう前に(VI. Avant que tu ne t'en ailles)/7. さて、それはある晴れた夏の日のことだ(VII. Donc,ce sera par un clair jour d'ete)/ 8. そうだろう?(VIII. N' est-ce pas?)/9. 冬は終わった(IX. L' hiver a cesse)・・・お仏蘭西には縁のない、日本語一筋に生きてきたワタシでも小粋な雰囲気のみ堪能可能。英仏の優しい抑制された旋律を聴いていると、ワタシの基本的嗜好はこちらだな、といつも感じたものです。
●2009年5月某日
大阪の高校生が海外で新型インフルエンザを拾ってきたと思ったら、至近の神戸で海外渡航のない高校生が罹患とのこと。昨夜、ケータイに職場より緊急連絡が入りました。既に市中にウィルスは蔓延している、ということだね。時期悪く数日前より「肩がこっている」との自覚があって、昨夜からは咽にも少々痛みがあるんです。発熱はなし。胃腸の調子もフツウ。先週今週と2回東京往復しているし、通勤電車やら超・人気の耳鼻科にて大勢の人々との接触は日常茶飯事。さて、どーなるか。お休み(出勤停止)も悪くないが、お仕事段取りが困っちゃう。
どこにも出掛けず(夜はご近所居酒屋開発に行ったが)音楽ぼちぼち聴いております。Boccherini オーボエ五重奏曲第13番〜第18番〜ラヨシュ・レンチェス(ob)/パリジー弦楽四重奏団(1992年)・・・Boccheriniは牧歌的であり、躍動するリズム感が素敵な作品ばかり。若い頃、早朝のFM番組で一生懸命エア・チェックしたのは、Scarlatti(カセット20数本分)とこの人でした。廉価盤(死語?)では(当時)絶対に出そうもないレパートリーでしたし。目が覚めるような爽快さだし、変化に富んで彼(か)のMozart 不朽の名曲に負けぬ魅力横溢6作品収録。シュトゥットガルトの演奏者達らしい。上手いもんです。音質極上。(2005年6月30日HMV通販2,817円/10枚組とのメモ有)
(季節外れだけれどクリスマスもの)Bach /Gounod 「アヴェ・マリア」(チェロ版)/A.Scarlatti 「カンタータ・パストラーレ」/Galuppi「クリスマス・アリア」「4声の協奏曲第2番」/Bernhard クリスマス・カンタータ「恐れるな」/Bach /Reger アリア「おお人よ,汝の大いなる罪を嘆け」/)Bach /Gounod 「アヴェ・マリア」〜エミール・クライン/ハンブルク・ソロイスツ/ヘレン・クォン(s)・・・昨年末にHMV通販にて激安3枚組583円にて購入したもの(の一枚分)。現代楽器だけれど、思わぬ繊細なアンサンブル、Bach 以外は未知の素敵な作品ばかり。いかにもド・シロウトが想像するところの敬虔なるクリスマスの雰囲気堪能できます。録音情報はないけれど、音質も上々でした。
蛇足だけれど、ARTE NOVA(RCA傘下)はどーなっちまうのか。我らがSONYはんに吸収されたんですよね。SONY(旧CBS)は旧譜の系統的復活にイマイチ熱心じゃないし、新録音はどうなるのでしょう。OEHMSレーベルとの関係も良く理解できない。
さて、次が問題の自家製自主CDの話題。この間なんどか言及しているが、著作隣接権切れの音源はネットで拾えるんです。例えば「無料クラシックmp3ダウンロード著作権切れ、パブリックドメインの歴史的音源」、ユングさんの「クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜」も息が長いサイトです。ワタシはオークションにて.mp3音源DVD4枚組分1,000円(税送料込)を入手したが、件のサイトから拾って寄せ集めたみたいで、ダウンロードと解凍の手間を1,000円で買った感じか。
.mp3だったり、.wmaだったり、いわゆる圧縮音源(当然オリジナルより劣化有)なんだけど、それを.wavファイルに戻すんです(デコード)。一番簡単なフリー・ソフトは「DARU/SOUND-DECODER!」なんだけど、出目怪しい、圧縮優先の音源だったらCD用の音源に変換できません。(いちおう.wavにはなるんだけれどCDRに焼けない)「Rip!AudiCO」だと詳細設定可能(自分で試してみてね)。
あとは50枚1,000円也のCDRを買ってきて、オーディオCD設定で順繰り焼いていくだけ・・・繊細なる音質の違いや製品としての体裁を気にされない方だったら、歴史的音源CDは、ほとんどこれで充分でしょう。ワタシはあくまで自分で聴くだけ、と道義的タガをはめておりますが。いろいろと好みのコンピレーションを考えていると、遙か昔、エア・チェック・カセットの余白を埋める作業(=楽しみ)を思い出しました。
Bach 音楽の捧げもの BWV1079〜ヘルマン・シェルヘン/ウィーン交響楽団のメンバー(1951年)・・・正規盤はこれかな?「三声のリチェルカーレ」「六声のリチェルカーレ」そして「トリオ・ソナタ」から構成され、以前聴いた「フーガの技法」での印象同様の現代音楽の怪しさ、まるで新ウィーン楽派による編曲のような多彩さ(管楽器中心で)浪漫の色がありました。トリオ・ソナタはワタシがもっとも愛する旋律のひとつ。音質は期待よりずっとよろしい。
続いて イタリア協奏曲 BWV 971〜ルドルフ・ゼルキン(p)(1951年)の音源を収録いたしました。さらに余白にはレオポルド・ストコフスキーによる歴史的管弦楽編曲集数曲・・・全77分也。昨日より3度繰り返して聴いております。こんなことをしているから消費不況からいつまでも脱却できない。
●2009年5月某日
左膝は日常生活に支障ないほど快復しているが、関節が固くなっている自覚があります。リハビリしなくては。体調悪くないんだけれど、肩こり+左脚は攣る症状で早朝覚醒、ここ数日どーも睡眠不足です。本日明日、歯を治してゆっくりしましょう。ここ最近、ますます物欲が薄くなって、この不況に対する経済貢献ができておりません。唯一、外食が多いことくらいか。
書籍はほとんど中古でしか購入しない、しかも半年に一回くらい(永久保存以外)処分してしまう。若い頃は文庫本でも新刊で一回辺り5,000円は購入しておりました。先日購入した「世界ノンフィックション全集」(筑摩書房(p)1960)なんて3冊200円でっせ。(そういえば椎名誠さんのエッセイにこの本のことが言及されていた)網野善彦「蒙古襲来」(上)転換する社会(鎌倉時代中期)(小学館ライブラリー)・・・「歴史を学ぶ」というということは、なんと奥深く、ダイナミックな行為なのでしょう。北条執権時代支配層のみ表層的な事象ではなく、実際の歴史は農民や漁労民、山の民、後生で言うところの商人、技能職人、金貸し・・・大多数の庶民で動いている・・・当たり前のことを詳細資料、または資料に残り得ない証拠を示していよいよ(下)へ・・・とは「音楽日誌2005年6月」のコメントだけれど、下巻の入手を失念していたことを(先日の本棚整理時に)思い出しました。
頼みのBOOK・OFFでも見掛けないし、と思っていたら女房殿が「ネットで購入したら」と。そうだよな、クリック一発、中古で@1。商売になるのか?と思ったら送料340円。数日して届いたら馴染みのクロネコ・メール便でおそらくは実経費80円、仮に160円だったとしてもそれなりの儲けになるんですね。上巻より読み直しております。全編ほとんど記憶がない。痺れるようにオモロい!でも、出費は341円也。
CDは毎週一生懸命売っているんだけれど、購入するほうはペースダウンしていて、先月末の「カラヤン38枚組」英国より到着(5,182円)以来購入機会なし。BOOK・OFFの処分棚にもろくなものはない。なにより聴き残したCDはいっぱい手許にありますから〜こんなんだから、ますます不況は深化しちゃう。
昨年2008年夏、ネットブックを購入したのは贅沢であり、11月に無線LAN環境を強化(というか常識的な速度に)、そしてメインマシン(ペンティアム4/2.4gh)にメモリを1gb足して1,792mbとしたのも要らぬ出費だった(体感で速くなったとは思えない/慣れただけ?)が、もう4年目ですもん。両者ともOSは「XP」。スペック・アップを強要する”重いVISTA”に興味はないけれど、既に「Windows7」の評価版が出ていて、以前のワタシだったら入れてましたね。対応ソフトとか周辺機器ドライバとか心配だけれど、「7」では「XPモード」があるそうで、この旧態とした環境でもちゃんと動くのだろうか?
秋に正式発売されたら買おうかな?でも、マイクロソフトはごっそりバグを抱えたままリリースするのが常だし、「VISTA」はとうとう不評のまま「XPマシン」は世間的に現役、というか多数派なんじゃないか、新品マシンも含め。しばらく様子見となるんだろうか。XPで全然不便ないし、「2000」でもかまわないし。
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Rachmaninov ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調(ホロヴィッツ版1980年ライヴ)/楽興の時 変ホ短調 作品16の2/前奏曲ト長調 作品32の5/ポルカ(1977年)/ピアノ協奏曲第3番ニ短調(1951年)〜ウラディミール・ホロヴィッツ(p)/フリッツ・ライナー/RCAヴィクター交響楽団・・・これは凄い。77歳でこの鮮やか流麗なる技巧のキレ。艶々に瑞々しい音色。唖然呆然の変幻自在の魔術。ピアノ・ソナタは初耳ではないと思うが、こんな名曲だったのか!(オリジナルとは違うらしいが)
当然、ピアノ協奏曲の音質は落ちるんだけれど、妖艶なる推進力に即酔いしれること可能。アシュケナージ辺りで馴染んでいると、ほぼ別な作品としての認識に至ります。かなりテンポは速い(37分)んだけれど、細部迄入念に描き込まれて作品全貌がしっかりと〜というか、ホロヴィッツ流の味付けで明快に個性付けされる・・・どこかしこ、艶々に磨き上げ、曖昧さはない・・・けれどもゆらゆらと妖しい空気が澱んでおります。こんなソロに付けるバックは並の指揮者じゃ務まらない。
Mahler 交響曲第9番ニ長調〜ピエール・ブーレーズ/シカゴ交響楽団(1995年)・・・シカゴ交響楽団は素晴らしいオーケストラだけれど、指揮者との相性で成果が異なります。Mahler には良いんじゃないか、と感じたのはクラウディオ・アバドにて。硬派でやや金属的な響き、ほとんど恣意的な解釈を加えない”正確鮮明明確な”ブーレーズの統率力。強靱なアンサンブルは曖昧さ皆無でクールだけれど、出来上がったサウンドはMahler の怒り、懊悩、諦念を余すところなく表現して感銘深いもの。先日聴いたバルビローリとは真反対の方向でありながら、その成果は恐るべきものでした。
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朝一番にて歯医者へ。左上奥歯2番目(先日かぶせ直したお隣)ぽろりと外れてしまって、そのまま再度接着可能でした。昨夜締め切りだった出品オークションCDは一件のみ、入札も一件のみで出品価格で落札され、連絡を待っております。本番は本日夜でして、さすがBEETHOVENBRAHMS独墺正統派交響曲売筋、ちゃんと入札ありますね。この調子で他も売れてくれんか、なんとか。
Haydn 交響曲第84番 変ホ長調/第85番 変ロ長調「王妃」/第86番ニ長調〜ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィル(1980年)・・・ゴージャスで豊かなサウンドだけれど、Haydnだとまったく違和感なし。リズムがユルいというより余裕と感じて、たっぷり愉しめます。聴く機会の少ない作品だけれど、妙に細部旋律に馴染みがある〜(サイト内検索掛けると)ああ、出てきました。8年を経、ワーズワース/カペラ・イストロポリターナ→カラヤン/ベルリン・フィルへと変遷したのだね。(その前はシャンドール・ヴェーグのFMエア・チェックと書いてある)【♪ KechiKechi Classics ♪】もすっかり変容してしまったのか、精神だけは引き継がれているのか。
●2009年5月某日
珍しいことだけれど、肩がこっていて、とくに左側が痛いくらい。ここ数日間お仕事緊張感続いて(いつもはユルいのかよ!)本日迄油断できない=なんとか終わらせたい、できれば定例耳鼻科も本日中に、といった思いもあります。サイト定例更新済。先週までのGW中に書き貯めた在庫放出です。先月末にクロネコ・メール便にて送付したCDがとうとう行方不明〜オークション送付での未着連絡はないから、先月頂き物のCDに対する返礼が紛失したみたい〜いただいたCD発送元住所をそのまま貼り付けて「様」を付けたんだけれど・・・じつは、「カラヤン38枚組」のダブり音源、しかも駅売海賊盤、更に小傷が盤面にあって売り物にならぬ〜失礼なるお返し2枚分でした。
ま、ものがものだし、クロネコメール便さんには散々世話になっているし、で、あまり気にしておりません。運命だな。
先日の「バッハクライス神戸 第3回定期演奏会」感想に対するBBS書き込みいただきました。ご高齢のソプラノ(?)は指揮者の李さんのご母堂であり、神戸の音楽の先生であるとのこと。心温まる情報でした。
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Mahler カンタータ「嘆きの歌」(最終稿2部構成)/交響曲第10番 嬰ヘ長調「アダージョ」〜アンドラーシュ・リゲティ/ブダペスト交響楽団/ハンガリー放送合唱団/カラチン・センドレニ(s)/クララ・タカーチ(con)/デネーシュ・グヤーシュ(t)・・・NAXOSに出てきそうな演奏家だけれど、HUNGAROTON(CDL4010)也。Mahler 初期の作品だけれど、正直なところ何度聴いても馴染みに至っておりません。ロジェストヴェンスキー盤はワケわからぬまま処分済みだし、シノーポリ全集に収録された初稿にも馴染んだとは言えぬありさま。Sibelius の「クッレルヴォ」でも同様の事象が発生しております。
宿題はまだ残されている!馴染みの「アダージョ」を聴けば、かなり立派な演奏であることの類推は可能なんです。
さて、根性入れて一日乗り切りましょう。
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さして根性は入れなかったが、いちおう当初狙ったお仕事すべて終えて定時終了。周辺で大きなトラブルは発生しているので、なんか用事があったらいつでも呼び出してね、ということで明日も休み。しかも、帰りに耳鼻科にも行ったので週末(なにもトラブルなければ)フルでお休み自由時間となります。久々(と、思ったら歯の詰め物が取れちゃった)。九州時代の友人が職場に訪ねてきて、もし都合が付けば夜呑もうと思ったんだけれど、あちらのお仕事長引いて残念。
今朝「同様の事象」と言及したSibelius 交響詩集「クッレルヴォ」作品7〜ヨルマ・プヌーラ/トゥルク・フィル/ヨアンナ・ルーサネン(s)/エサ・ルートゥネン(br)/ラウルーン・イスタヴァト男声合唱団(1996年)・・・なんだ、2年ほど前にちゃんと聴いているじゃないの。後年の作品より、旋律が粗野でスラヴ的なんだね。プヌーラ(パヌラ)/トゥルク・フィルは絶好調で、時に「交響曲」と誤記される作品だけれど、個々独立した作品と聴けばちゃんと理解できる・・・後半の声楽が入ったところはいっそうわかりやすく、ヨアンナ・ルーサネン(s)の深みのあるヴィヴラート少な目の素敵な声質、男声合唱団の言語は一切理解不能(フィンランド語ですか)ながら、勇壮な雰囲気はしっかり伝わるものです。
帰宅して早々にフロ、夕飯も終え、Mahler カンタータ「嘆きの歌」〜アンドラーシュ・リゲティ/ブダペスト交響楽団を再度聴いております。昨夜来3度目だし、旋律はちょっとずつ馴染みなりつつある〜かも。録音は新しいようだけれど、音質云々と言うより少々オーケストラが非力であり、ゼンドレニ(s)の表現が少々強引大仰、ハンガリー放送合唱団も(今朝聴いた)ラウルーン・イスタヴァト男声合唱団より洗練度合いに於いて落ちるでしょう。グリャス(t)はなかなかの美声。
交響曲第10番 嬰ヘ長調「アダージョ」の評価前言撤回。オーケストラが(雰囲気はあるんだけれど、やはり)洗練されない。ホルンのピッチが悪いような気もします。
●2009年5月某日
夜遅く帰宅。ちょっと疲れが残っております。結果的に成果の多い、エエ会議でした。下期に向けていろいろ使えるネタ有。またまた大きな商品トラブル発生しており、ケータイに有象無象の情報が断続的に飛んでくるが、直接の担当じゃないとかえって状況を冷静に見られて余裕が出るものです。それはそれとして本日ばたばたと対策必要だろうな、これから3日間が勝負の資料作り締め切りなんだけど。幸運が重なれば土曜は休める可能性有。
昨日帰りの新幹線中音楽。Scho"nberg 「グレの歌」〜ロバート・クラフト/フィルハーモニア管弦楽団/サイモン・ジョリー合唱団/ステファン・オ・マラ(t)/メラニー・ディーナー(s)/ジェニファー・レーン(ms)/デーヴィッド・ウィルソン=ジョンソン(b)/マーティン・ヒル(t)/エルンスト・ヘフリガー(語り)(2001年録音)・・・ルネ・レイボヴィッツの歴史的録音をオークションに出品しているのは、やはりこういった大作は整った音質環境で聴くべき、との結論に至ったため。HMVの解説によると「5人の独唱者に語り手、3群の男声四部合唱、混声八部合唱、打楽器セクションも含め巨大な編成の管弦楽で、五百人を超える規模の演奏家」とのことで、Mahler の千人の交響曲を彷彿とさせ、事実、後期浪漫の官能的な旋律が連続する美しい作品です。けっして難解ではない。
ロバート・クラフトはワタシお気に入りでして、明晰なサウンド、素っ気ないほどにクールな表現だけれど、リズムがけっこうヴィヴィッドなんです。ここでも作品の巨魁さを強調せず、あらゆるパートがクリアに細部まで響き渡ってわかりやすい。おそらくは声楽も絶好調。2時間弱CD2枚分の大作だけれど、わずかの弛緩もない、素敵な時間が過ごせること必定。もちろん音質もクリア。
MONNou ピアノ作品集(CD2枚目/Cancons i Danses12曲/Cancion De Cuna/Cants Magic5曲/Paisajes3曲)〜フェデリコ・モンポウ(p)(1974年)・・・80歳を過ぎた作曲者最晩年の録音より。既に何年もエキゾチックな雰囲気を楽しんできたCDだけれど、こうしてイヤホンで集中したのは初めてかも。さすがに技術的な衰えとか、リズムの緩み(音質の不備?)みたいなものはあって、73分収録のラスト辺りでは少々厭きました。でもね、気怠くも濃密な空気がゆったり流れるような旋律リズムは、まるで人生を達観したような味わい有〜でも、けっして悟ってはおりませんぞ。
おっと時間切れです。
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希有なことだけれど、ほぼ予定通り見込み通りのお仕事進捗で、もしかしたら明日で狙い通りの完了に至るかも知れない。いろいろと巡り合わせなんだろうな、上司も不在だし。精神衛生上とてもよろしい・・・かどうかは、明日の成果次第。土曜日はゆっくり休みたい!週末に向け、オークションの方も少しずつ入札動いてきました。競り上がることが望みではなく、とにかく一件だけでも買い手が付けば良いんです。
通勤音楽は、Sibelius 交響曲第1番ホ短調(1977年)/交響詩「エン・サガ」(1971年)/交響詩「フィンランディア」(1972年)〜クルト・ザンデルリンク/ベルリン交響楽団・・・16枚組ボックス購入以来ずいぶんと時間が経ってしまった(2002年頃?)が、この人のCDは少々敬遠気味なんです。どれも立派すぎ!見事なる構築物に仕上げちゃう。購入当初なんどか聴いて、Sibelius とは個性がちゃうな、似合わんな、と感じたものです。もっと粋で清涼じゃなくっちゃ。
久々の再聴は、交響曲はまったく立派な構成と重量感を誇って、満足すべき”渋さ”有。オーケストラは優秀で、アンサンブルの集中力もまったくお見事。第1番だったら立派な交響曲として峻厳に、雄弁に仕上げても違和感はないんです。ところが、「エン・サガ」になると”重さ”が”粘着質”になっちまって、北欧の伝説、幻想的情景とは縁遠い世界となります。「フィンランディア」も、まぁそんな感じ。立派なんだけど。
今朝、出勤まで聴いていたのは、Beethoven ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調/第7番ハ短調/第8番ト長調〜レオン・シュピーラー(v)/エルンスト・グレシェル(p)・・・例の87枚組に収録される一枚で、シュピーラーは1990年代迄ベルリン・フィルのコンマスを務めた名人、ピアニストはピアノ協奏曲第4番でソロを執っておりました。とても立派な、柄の大きな雄弁演奏なんだけど、ワタシとしては全曲エミー・ヴェルヘイ(v)/ムールダイク(p)で揃えて欲しかったところ。(一部西崎崇子の音源も含まれる)ヴェルヘイの熱気(ライヴだし)、艶とは方向が異なる世界で、ちょっと堅苦しいくらい。
●2009年5月某日
(在東京ホテル)昨日は実質研修みたいなもので、若い人たちと楽しく一日過ごしました。蒸し暑い一日。メタボ中年の汗臭いのにはマイりました。ワタシは気を付けて、制汗剤持参で対策済。夜、他の営業所の連中と楽しく(遅くまで)酒。本日も終日会議、というか研修です。あまりよく眠れなかったが体調は悪くない。左膝現状維持。
Handel たくさんの矢がわたしの胸を射貫き HWV197/
もしおまえが愛を捨てないなら HWV193/
苦しみと縁遠い者は幸せだ HWV181/
衰え、うめき、ため息をつきHWV188 /
まことの愛のきずなは楽しく幸福 HWV194/
カンタータ「ああ、残念ながら本当だ」HWV77〜マリア・ザードリ(s)/ポール・エスウッド(ct)/ファルヴェイ(vc)/エラ(cem)(1984年)・・・ワタシ秘蔵のお気に入りCDでありまして、耳を洗われるようなクリアなサウンド、暖かい旋律で魅了いたします。厳父Bach とはずいぶん異なって、もっと親しみに溢れた世界。既に十数年前、かなり以前に購入したもので、以前はディジタル初期のカタい音質が気になったものだけれど、ひんやりとした空気を感じさせる極上の音質でありました。歌い手はいわゆるオーセンティックな、ヴィヴラートの少ない清潔さを誇ります。
Bach 無伴奏パルティータ第2番ニ短調 /ソナタ第3番ハ長調/パルティータ第3番ホ長調 〜千住真理子(v)(1995年)・・・お気に入り作品のため、いつの間にかずいぶんと棚中在庫が貯まった作品だけれど、おそらく音質演奏ともこれがマイ・ヴェリ・ベスト。豊かで深い、落ち着いた音色、ほとんど表層的な技巧を感じさせない余裕の表現、ヒステリックでも神経質でもない、抑制された官能さえ感じされるもの。
Rachmaninov ピアノ協奏曲第2番ハ短調/パガニーニの主題による狂詩曲〜セシル・リカド(p)/アバド/シカゴ交響楽団(1983年)・・・セシル・リカドはフィリピン出身でしたっけ?最近、噂を聞かないな。マールボロ音楽祭なんかにも参加していたんですが。これは馴染みのリヒテル辺りに馴染んでいると、ずいぶんと洗練されてすっきりとした味わい。ショルティ時代のシカゴ響もアバドが指揮すれば、繊細な抑制が生まれております。上手いんだけど、ちょっとアクが足りんか〜これは以前からの印象です。アシュケナージが若手だった頃の、鮮烈極まりない初々しい含羞にも及ばないのではないか・・・
●2009年5月某日
なんとか上司を誤魔化して東京本丸行き2日分を節約しようと画策したが失敗、これより出掛けましょう。いつもより壱時間ゆっくりなんです。ここ数日よく眠れているが、本日眼の奥辺りに頭痛有。耳鳴り、頭痛、これも持病のひとつかな?これより出張移動中聴くべき音楽を選定しましょう。
Elgar 「青春の魔法の杖」第1/2組曲/スターライト・エクスプレス/夢のこどもたち〜チャールズ・マッケラス/ウェーズル・ナショナル歌劇場管弦楽団(1990年)・・・昨年12月待望の入手していたCDだけれど、聴き残していたもの。昨夜、今朝とトライしてみるが、全然集中できなくて、旋律サウンドがノーミソに入ってこない。知らぬ作品でもなし、お気に入りの作曲家、演奏家、録音だって良いはずなのに・・・カラヤンの贅沢サウンドに耳が毒されたのか?
前頭連合野大脳皮質の働きの問題でしょうか。以前読んだ記事だけれど、大学教授が入院してしばらく週刊誌ばかり読んでいたら、復帰後ムズかしい本を読むのに苦労した、みたいな趣旨が書いてありました。最近気付いたんだけれど、NMLにてレーベル別あいおうえお順にリストを眺めていって、途中から英語ABC順に変わります。ワタシは受験英語は大得意だった(会話はダメ)し、ましてやクラシック音源で演奏家作品が理解できないことはほとんどない。CDでも国内盤輸入盤の区別付けたこともなし。
これが「日本語連続」→「英語」の切り替えでけっこう苦労しちゃう。理解できないことはないんだけれど、直感的に、即!できない。しばらく眺めていくと、するするとわかるようになるんですね。以前、BBSで「歌ものばかりしばらく聴いていたら、管弦楽作品を聴くのにリハビリ必要」という書き込みがあったが、それはありましてVilla-Lobosみたいな原色哀愁強烈リズム聴いていると、優雅静謐な旋律が聴けなくなるとか、逆に英仏粋なサウンドに馴染んでいるとBeeやん系強烈な闘争音楽は苦しいとか。
嗜好は当然なんだけど、先のVare'seみたいにハードな音楽もノーミソ前頭連合野の活性化には大切なんでしょう。安易に昔馴染みの作品ばかり、ぬるま湯に浸かっていると「耳が惚ける」かもね。
●2009年5月某日
さて、いつものブルーマンディなんだけど、健康診断(体重増顕著!)で午前中ツブれ、昼から会議連続(ウンザリ)、明日から、また東京本丸会議(勘弁してよ)〜本来すべき資料作成の時間が残されておりません。仕方がないから土曜日出るか?
昨日聴いた音楽続編(朝郵便局に行ったきりで、どこにも出掛けなかったので)。Mahler 交響曲第9番ニ長調〜ジョン・バルビローリ/ベルリン・フィル(1964年)・・・著名であり世評高い録音。ワタシがLPを諦めてぼちぼちCDを買い出した1990年代初頭、大枚1,400円(中古)にて購入した棚中最古参的存在です。正直なところ、かつてなんど聴いても「?」印象(指揮者とオーケストラの個性が似合わないかも)であったが〜久々の聴取は抜群の感動を下さいました。いつもの横流れのリズム、粘着質な節回しを基調に、ベルリン・フィルの重さ、厚み、艶、バルビローリの自在にならぬオーケストラの個性が、かえって深み、普遍性を作り上げていると思います。実時間ではなく、ずいぶんとテンポが”遅い”感じがする。ていねいであり、入念なる仕上げ。
ベルリン・フィルには、時に「音が安易に出過ぎる」ことに反発を感じることもあるんだけれど、ほとんど奇蹟のような完成度。バルビローリはウィーン・フィル、ベルリン・フィルでも(チェコ・フィルだって)立派な演奏に仕上げますよね。
Mahler 交響曲第7番 ホ短調〜ハンス・ロスバウト/ベルリン放送交響楽団(1952年)・・・Mahler は大人になってから聴いたのがほとんどでして(昔はレコードが高かったから)、第1番ニ長調は別格として、この作品(演奏も)が2番目だったんじゃないか。遅いテンポ、怪しい雰囲気充満の演奏はとても気に入りました・・・が、ベルリン・フィルのあとに聴いちゃいけないな。ベルリン放送交響楽団がもの凄くヘタクソで、金管の乱れ、響きの濁り、打楽器のピッチのおかしさ〜そうとうヘロヘロ。(The Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin (Berlin Radio Symphony Orchestra) was
founded in 1923 as the first radio orchestra in Germany (not to be confused with
the RIAS-Symphonie Orchester Berlin・・・とのネット検索結果だから、旧東側の団体らしい)ロスバウトはアンサンブルやリズムを怜悧に整えていく人だから、これはオーケストラの責任でしょう。ぼんやりとした音質共々、いかにも時代を感じさせるが、揺れ動く隠微な雰囲気、濃密な浪漫はたっぷりあって、耳馴染むと他の演奏はヤワで聴いていられない・・・いろいろ聴いたけれど「夜の歌(1)(2)」はこれが一番”それ”らしい。
引き続き、Mahler 交響曲第1番 ニ長調〜ヤッシャ・ホーレンシュタイン/ウィーン交響楽団(1953年旧録音)・・・ LP時代よりなんども見掛けながら、じつは初耳。想像通りの音質(あまりよろしくない)であり、じっくり腰を据えてゆったり貫禄演奏也。この時期のウィーン響もあまり快調とは言いかねるが、先のベルリン放響よりずっとマシ。最近この作品は食傷気味だったが、時代の熱気というか、Mahler が未だ馴染みの薄い大作、難曲であった頃の味わいを濃く表出しております。ほぼ同時期のクーベリック/ウィーン・フィル(1954年)より歯応えがあって、焦燥感とか青春の苦しみ、みたいなものの表現は、こちらに軍配が上がるでしょう。
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特別なトラブルもなく、それなりに、穏健に一日お仕事を終えたが、先行き見込みを考えると、どーも・・・不安。明日明後日と東京でしょ、今週土曜も含め、残り3日で提案資料を仕上げないといけない。もちろん、別途日常業務あるし、突発トラブル大小発生すれば都度対応もあるでしょう。これがフツウのサラリーマンの姿だ。健康診断は結果的に半年前と体重変わらず、もうちょっと絞り込まないといけないと自覚しております。サービスで血液検査の項目に「尿酸値」を加えていただきました。なんども血抜かれるのもいやだからね。
昼間は暑くて、初夏の陽気。東京はいかがでしょうか。通勤には音楽持参せず。帰宅して聴いた音楽は〜
Beethoven 交響曲第2番ニ長調/第7番イ長調〜ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィル(1975〜77年録音)・・・金持ち喧嘩せず、的ゴージャス極まりない余裕の響き。力みなくオーケストラは良く鳴って、とてもムーディに耳あたりが良い・・・これが独墺系の代表としてのサウンドなのだろうが、やはりドレスデンとか、ベルリンだったら歌劇場のオーケストラとか、そちらの質実頑固燻し銀なサウンドが懐かしい。録音はワタシの(真空管アンプの)オーディオとの相性はよろしくないようで、残響過多でサウンドに芯を欠き、オフ・マイクなイメージ有。もちろん高級オーディオじゃないので、評価足り得ません。(聴き手の耳も安物だし)
でも、意外とキラいじゃないな。なんといってもヒステリックなムリムリがないんです。オーケストラは滅茶苦茶上手いし艶々だし。自分にとって標準じゃないが、けっして敬遠排除すべき個性でもない。第2番第2楽章「ラルゲット」はBeeやんが書いたもっとも美しい旋律のひとつと思うが、清楚清潔感が足りない。第3楽章「スケルツォ」〜終楽章の運びの上手さはさすがだけれど、手慣れた印象が先立ちました。
交響曲第7番イ長調を聴いたのはずいぶんと久々(サイト内検索を掛けてもここ数年出てこない)、かなり苦手系作品也。上記と印象変わらぬが、作品的にはカラヤンにいっそう似合って、ゴージャス粘着質サウンドが聴き手の耳を擽(くすぐ)ります。少なくとも”人生の懊悩はすべてワシが背負っている1960年代眉間に皺”的演奏ではない。豊かな生活を享受できる市民世界の余裕であります。木管の洗練は極上だけれど、純粋に個人の嗜好としてもっと清潔に、引き締まったサウンドであってほしい・・・が、これがカラヤンですから。リズム感命!の名作だけれど、大きな呼吸を重視して、あくまでレガートに徹し、あわてない、急かない。
こどもの頃大好きだった第2楽章「アレグレット」の優雅さ、神妙なテイストには久々に感銘がありました。ベルリン・フィルの磨き上げられた弦の魅力爆発!蛇足〜カラヤンは拝聴すべき個性だけれど、ヴェリ・ベストではない。
●2009年5月某日
酒をやめてわずか4日、食事も控え目にするだけであきらかに体重減が実感できます。睡眠も短いが、深い感じ。もとより毎朝起床時の腹筋+腰の運動を(もう3年以上)継続しており、この調子でダイエットできれば・・・と考えております。昨日、オークション出品追加。さて、いかがなもんでしょうか。
Beethoven ピアノ協奏曲第4番ト長調〜グレン・グールド/バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(1961年)・・・グレン・グールドはLP時代集めていたんです。(社会人となって初の冬ボーナスでBach のセットを購入した記憶有)Beeやんのピアノ協奏曲も全集購入したが、当時の第4番の印象は”弛緩している”、”バーンスタインのバックが粗い”〜といったところ。ところがっ!結論的に若き日の耳はエエ加減だったのですね。ゆったりめのテンポ、細部描き込みが徹底して繊細、バーンスタインのバックも”粗い”ことはない。静謐であり、清涼であり、沈静してクールな味わいが溢れました。これは独墺系とはまったく異なる個性を堪能可能。オリジナルLP仕様でこれのみ収録、というのも潔い。音質だって悪くない。苦手系作品の印象を払拭できるかも。
Holst 組曲「惑星」〜アレクサンダー・ギブソン/スコットランド・ナショナル交響楽団/女声合唱団(1979年)・・・ひねりが利いた収録である「シャンドス30枚組ボックス」より。管弦楽の派手な効果が映える作品だから、独墺系厚みのあるオーケストラもよく演る作品也。結論的に、英国の矜持を以て”地味に”演奏しているものでして、一回安易に聴き流しただけでは、オーケストラの薄さが気になるばかり・・・これはエイドリアン・ボウルトの新旧剛直なる演奏ばかり聴いてきたからかな?と反省しております。もうちょっと、聴き込まなくては。
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女房は亡き爺さんの供養関係で外出。左膝の痛みがぶりかえして、スポーツクラブは休養へ。その代わり、尼崎北郵便局までゆうメール(オークションで落札されたもの)を出してきました。クロネコメール便(厚み2cm迄)だったら徒歩1分の酒屋へ。厚みが3cmくらいだったら郵便ポスト投函も可能だけれど、ボックスものは局に持ち込まないといけない。土日祝日は本局まで出掛けないと開いていないんです。天気も良くて汗ばむほどだし、往復壱時間弱の散歩決行。ご近所の様子がいろいろと〜ああ、あの古ぼけた喫茶店が建物ごと消えている、とか、本日はまたガソリン・スタンドが一軒廃業したことに気付きました。
不便を楽しまないと。なんでもそうなんだけど。便利なのもありがたいが。ハイブリッド車は環境によいのだろうが、ワタシのようにクルマを諦めればいっそうよろしい。都会に住んでいるウチは要らないでしょ、と考えております。
Mussorgsky 組曲「展覧会の絵」(15名の編曲者による管弦楽版)〜レナード・スラットキン/ナッシュヴィル交響楽団(2007年ライヴ)・・・もとよりこの作品はお気に入りだけれど、アシュケナージ版もストコフスキー版もRavel 編曲に比べれば、所詮その亜流に過ぎない・・・と思ってきたが、これは出色の楽しさ!前提としてナッシュヴィル響(テネシー州)が絶好調でして、スラットキンの統率力が素晴らしい。音質も絶品。調べてみるとBBC交響楽団との2004年ライヴ録音もあるのだね。
どれもオモロいんだけれど、ギアート・ファン・クーレンによる「プロムナード」が、トランペットが残響のように重なり合って効果的であり、ラスト、ダグラス・ギャムレイによるオルガン、男声合唱を伴う「キーウの大門」の壮大なるスケールに痺れました。
Sibelius レンミンカイネン組曲(4つの伝説曲)作品22(「レンミンカイネンと島の娘たち」「トゥオネラの白鳥」「トゥオネラのレンミンカイネン」「レンミンカイネンの帰郷」)〜ネーメ・ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団(1985年)・・・BISのCDは現在ヴァンスカの新録音が出たから入手困難かも。1980年代、彗星のように現れたこのコンビには驚きましたよ。当時、CDの標準小売価格3,600円也(ほんまです。手持ちのCDに値札が残っている)スウェーデンの地方オーケストラだけれど、アンサンブルの精緻なこと、迫力いずれも文句なく、時に粗野な爆発さえ見せる・・・この「レンミンカイネン」も聴き慣れた他の演奏に比べ、骨太で力感に溢れました。
●2009年5月某日
さて、これより毎週の耳鼻科(いつになったら治るのか?)。そして出勤して諸作業整理。休日出勤になるので、種々当面のお仕事目処が経ったらさっさと帰るつもり。オークション落札された分、一件のみ「ゆうメール送付」で本局に寄らなくっちゃいけない。売れ残りは2件のみ。さて、次は何を出品しようかな?
昨日東京帰り便音楽の件。(行きはほとんど集中できなかった)Shostakovich ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調/第2番ハ短調〜リディア・モルトコヴィッチ(v)/ネーメ・ヤルヴィ/スコットランド・ナショナル交響楽団(1989年)・・・Shostakovichは苦手系の最右翼だけれど(とくに交響曲)、ここ最近、管弦楽作品とかピアノ協奏曲など聴く機会はけっこうあります。ヴァイオリン協奏曲は暗鬱で晦渋、それに露西亜名手往年の録音はけっこう音質が厳しくて愉しめた経験はない〜が、こうして「シャンドス30枚組」に収録されたのもなにかの縁、しっかり聴いてあげましょう。
モルトコヴィッチは初耳だけれど、細部まで味付け徹底した豊満なる美音、ていねいな表現が優雅であって、難解極まりない旋律をわかりやすく解きほぐします。父ヤルヴィのオーケストラも同様の入念な仕上げであって、この作品の新たな地平を切り開く、と評したいところ。録音も極上。もう少し細部旋律や、全体構造に馴染んでから初演世代(オイストラフとかコーガンとか)の演奏に再チャレンジしたいと考えております。
Vivaldi 協奏曲集 作品8/1〜4「四季」〜ピーナ・カルミレッリ(v)/イ・ムジチ(1982年)・・・バロック音楽はこどもの頃からの嗜好だけれど、さすがに「四季」(今更・・・)といった食傷感あります。←リンク先の記事は2001年だけれど、大半を処分済み、カラヤンを聴き、ナマ演奏も(もちろん)経験済み。当たり前だけれどフェリックス・アーヨ盤(1959年)によく似て、かりっとした歯切れの良く、明るいイタリアの陽光を感じさせるソロ、アンサンブルであります。正直なところ、ここ最近、古楽器による先鋭なる演奏ばかり(イル・ジャルディーノ・アルモニコ、エウローパ・ガランテ辺り)聴いていて、久々、原点帰りして安住感たっぷり。小手先じゃないオーソドックスな豊かさに永遠の生命(いのち)有。
解釈スタイルの旧態なことに不満はない(これもひとつの世界)が、録音がよろしくない。各パート定位はしっかりして分離しているが、奥行きとか距離感が足りない(贅沢な!)。それと通奏低音(チェンバロ)がまったくオモロくなくて、ネヴィル・マリナー(1969年)以来、変幻自在なるリズム、即興(?計算尽くか)の装飾音、多彩な楽器編成を経験しているから、ここは大きな不満と感じました。
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耳鼻科はいつにも増して混んでおり、職場到着が予定より遅れました。昼飯も机で即席麺を喰いつつ、当面の宿題を(なんとか)収めて昼過ぎに退出。ところが上司のメールが追い掛けて来ちゃう〜曰く自分のパソコンに入っているデータを送ってくれ、と。辛くも出勤している人間に転送して難を逃れました。良い天気だけれど、時間が中途半端でなにもできない。夕方、息子のところに定例清掃に行っていた女房ご帰還して、(現在絶好調)格安回転寿司屋へ。けっこうおいしかったですよ。
通勤音楽は、Vare'se(アンテグラル=積分/ソプラノと小管弦楽による捧げもの/イオニザシオン=電離など)〜フリードリヒ・チェルハ/アンサンブル・ディ・ライエ/シャーレント(s)(1968年)/Penderecki(エマネイションズ=放射/チェロ・ソナタ/弦楽四重奏曲)〜アロイス・スプリンガー/ルクセンブルク放送管弦楽団/コーホン弦楽四重奏団(1972年)・・・既に15年間くらい?背伸びして購入したVOXの現代物計6枚だけれど、これが信じがたいほどに録音がよろしい。どのパート(とくに多彩なる打楽器群)も鮮明な位置関係、奥行き、立ち上がりを誇って鮮度抜群なんです。旋律の色がない不協和音だから難解だろうが、晦渋ではない。透明なるサウンドが冴え冴えと響き渡るVare'se。ほとんどどれも鮮烈なる名曲ばかり。「イオニザシオン=電離」は一時流行りましたよね。”うぃーん”という低いサイレンみたいのが印象的。ズービン・メータの録音があったし、ストラスブール・パーカッション・アンサンブルの来日公演(1970年代)があったと記憶します。
Pendereckiは、グチャーとした不協和音で塗り固められた不思議なサウンドであり、ま、サスペンス映画のクライマックスのような感じ。ラストの弦楽四重奏曲は、ほとんど弓で弾いていなくて胴体を叩いたり、ピツィカートだったりで、とにかく日常馴染みのないサウンドが新鮮な感触です。こりゃ売り飛ばすわけにいかん。(ジャケット絵も秀逸)
●2009年5月某日
(在東京ホテル)雨模様。気温は上がるらしい。これより終日会議。半分くらい自分の担当エリアに関係ない事項だし、この会議運営はだらだらして終了が遅いんです。昨夜の繰り返しになりそう。月曜が健康診断難なので(付け焼き刃ながら)それまでは酒を断って、食事も控えめに。気持ちの問題です。昨日朝、関係ファイルをアップしておいたので、本日無事サイト定例更新済み。
それなりにオークションCDは動いたので、週末は出品足しておかないと。左膝ほぼ完治、深く曲げてもほぼ痛みはない。土日どこかでスポーツ・クラブへいくつもり。お仕事は土曜休日出勤で段取り組み直し。
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東京本丸会議は夜6時の段階で終わる見込みがなかったので、数人抜けて地方に戻ったのを見極めて抜けました。渋谷東急デパートのお気に入り弁当を購入して新幹線の人に。新大阪行きはガラガラ。半分居眠りしながら、音楽聴いておりました。その件は明日、ちょっぴりコメント予定。
映画「東京タワー」半分ほど拝見。オダギリジョーが出る映画はたいてい売れないんだけれど、ようやく一発当てましたね。筋も知っているし、あまりに有名な売れ筋は避けがちなんだけど、良かったな、また全部ちゃんと見てみたい。結論的に、奇をてらわない、オーソドックスな、当たり前の、どこにでもいる日本の母親の物語。ちょっと誤解していて、オーソドックスだからこそ、日本中席巻したことを理解できました。こういう筋書きだったら日本映画はほとんど独壇場・・・欧米、隣国亜細亜の人々はこの映画をどう捉えるんだろう・・・訊いてみたい。
オークション出品CD、ずいぶんと売れ、けっこう競合もしておりました。GW前、最中の不調はいったいなんだんだろう?明日、追加出品の選定をしてきましょう。
●2009年5月某日
さて、昨日は休み明けリハビリとして、本日よりお仕事本格再開(のつもり)。夜東京へ。雨模様が鬱陶しい感じ。出張準備しなくては。オークション出品CDは、昨夜一件締め切り間近に入札有。今朝、更に(格安処分中心に)入札あって、ちょっと嬉しいな。GWどこかに出掛けていて、久々に覗いて下さったかな?Beethoven 交響曲第5番ハ短調(1977年)+序曲集〜カラヤン/ベルリン・フィルは、例の38枚組とダブりだったんです。100円で充分満足でございます。
昨夜、NHKにて徳永英明を司会に、女性の歌い手の上質な作品ばかり集めた番組堪能。1970年代〜80年代、歌には未だ力と勢いがあって、松田聖子、ユーミン、今井美樹、竹内マリア、皆若く、美しく、息長い歌い手として支持を受けております。(ZARDは亡くなっちゃったけど)クラシック・フリークな親父(=ワシ)でもほとんど歌える!徳永英明のカヴァーは絶品。
じつは昨夜、サイト更新すべく一生懸命音楽を聴いたんだけれど、嗚呼、これがアカン演奏なんやな、こんなのに時間掛けちゃいけない〜そんな不遜な感想を抱きました。作品を拝聴する、という意味で一応執筆したが。
さて、出掛けましょう。きっと通勤電車は混んでいるぞ。
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ヴェテラン・サラリーマンとしての意地というか、美学(んなエエもんじゃないが)があって、段取りを組んで粛々と(スマートに)作業を進めること。都度発生する大小さまざまのトラブルに、合理的最短距離の解決をみつけること。大きなトラブルもないし、職場内外の人間関係も順調だったが、この基準に照らして本日はまったく不満です。ぎりぎりやっつけ仕事をこなして、結局新幹線に乗ったのは夜7時半ですよ。東京五反田のホテルに入ったのは10時半。もっと出張の余録を愉しみたいが、こんな無味乾燥な毎日じゃいけない。
上野創「がんと向き合って」(朝日文庫)・・・泣けるねぇ。26歳で睾丸に悪性の腫瘍発症、肺にも転移がある。若い新聞記者、手術と同時に結婚入籍。この辺りの女性の側(奥様)の状況経緯も詳細に後述あります。再発再々発、苦しい抗ガン剤治療、副作用、鬱の症状。揺れ動く患者の心情が詳細に描かれ、それを取り巻く人々の様子も美しく描かれます。治療が成功して披露宴を開くんだけれど、友人達が泣いていたというのも共感できます。
「陰あって光きわだつ」〜ちょっと元気もらいました。
移動中の音楽には相変わらず集中できない。処分を続けても、棚中溢れかえるCDに贅沢な困惑しております。Monteverdi 「聖母マリアの夕べの祈り」〜コンラート・ユングヘーネル/カントゥス・ケルン/コンチェルト・パラティーノ(1994年)・・・おお、各パートひとり担当なのだね。いままで馴染んだ音楽の姿とはずいぶんと違う〜が、心底感動するには聴き手が集中力を欠いております。
Hindemith ヴェーバーの主題による交響的変容(1967年)/Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」/Debussy 牧神の午後への前奏曲(1962年)〜オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ドレスデン・・・Hindemithは苦手だったんだけれど、この作品の怪しい、粗野な旋律リズムはエエでっせ。しかも、演奏もヴィヴィッドでGood!でもさぁ「春の祭典」「牧神」にはちょっと洗練が足りないんじゃないか。音質もちょっと落ちるし。
Beethoven 弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調 作品127/第14番 嬰ハ短調 作品131〜コダーイ弦楽四重奏団・・・分不相応なる87枚組最大の成果がBeeやんの室内楽也。この後期の作品は間違いなく傑作。ド・シロウト耳で恐縮だけれど、この辺りの作品を聴くとBach が脳裏に木霊するんです。たった4人で宇宙的な広がりを感じる・・・ところが。演奏云々するほどいろいろ聴いていないが、地味だけれど着実な実力者じゃないのか。
ま、現在の疲れ具合だとこんなところです。オークションは少しずつ入札出てきております。GWは皆出掛けていたのかな?土曜休みだけれど、上司から留守番頼まれました。朝一番で耳鼻科に行ってそのまま残務整理しましょう。ちょうど良かった。様子を見て、昼過ぎにはさっさと帰ります。この先、お仕事進捗を考えるとちょっと憂鬱です。
●2009年5月某日
充実したGWだったのかな、どこにも出掛けず、読書(+整理処分)と音楽(含む生演奏)、スポーツクラブ、そして旨いもん探索。左膝ほぼ完治か、深く曲げると鈍い痛みはあるんだけれど。花粉症による鼻炎はあありつつ、通院とヤクで日常生活に苦痛はない。風邪もひいていなくて、これは咽から悪化しがちなクセがあるワタシながら、毎週耳鼻科で消毒と吸入の成果で悪化しないから。本日、一日掛けて日常お仕事段取り回復作業しましょう。
昨日拝聴分。Wagner 楽劇「ラインの黄金」〜カール・ベーム/バイロイト音楽祭/(ヴォータン)テオ・アダム/(ドンナー)ゲルト・ニーンシュテット/(フロー)ヘルミン・エッサー/(ローゲ)ヴォルフガング・ヴィントガッセン/(アルベリヒ)グスタフ・ナイトリンガー/(ミーメ)エルヴィン・ヴォールファールト/(ファゾルト)マルッティ・タルヴェラ/(ファフナー)クルト・ベーメ/(フリッカ)アンネリース・ブルマイスター/(フライア)アニヤ・シリヤ/(エルダ)ヴィエーラ・ソウクポヴァー/(ヴォークリンデ)ドロテア・ジーベルト/(ヴェルグンデ)ヘルガ・デルネシュ/(フロースヒルデ)ルート・ヘッセ(1966年ライヴ)・・・音質的な条件は、1988年ディジタル時代のレヴァイン盤がより優れているのは当たり前なんだけど、冒頭から”サウンド”が違う。
オペラの表現解釈、歌い手の良し悪しなどワタシにわかるはずもないが、テオ・アダムの貫禄は伝わるものです。ホルンとチェロの深さ奥行きが尋常ではない。それこそ祝祭的雰囲気が充満していて、ラスト「ワルハラへの神々の入城」の盛り上がりには感無量・・・
昨夜締め切りのオークションは、やはりShostakovichのみ落札有で終了。もうあきらめはつきました。今朝、Shostakovich 交響曲第3番 変ホ長調「メーデー」〜キリル・コンドラシン/モスクワ・フィル(1972年)聴いたけれど、ちっとも集中できまへん。昔馴染みの作品なのにね。
では、行ってきましょう。
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通常時間に出勤するが、途上は未だGW、電車も駅もガラガラ。連休前の大トラブルはそれなりに治まっており、本日新たに一件納品トラブルがあったが、辛くもクリア。この先(要らぬ)東京本丸会議連続して、通常業務に少々支障が出そうなんだけど、先行きの計算段取り+準備ばかりで着手できない。派遣さんに業務委託すべき「マニュアル」を執筆しております。いつもは付け焼き刃・延髄で作業しているから、手順整理の良い機会でしょう。ポイントはトラブル発生時のフォロー(なんでもそうだけれど)なんです。
職場はフレックス・タイムだし、30分早く出勤したから(という言い訳で)、定時より30分早く帰宅。机上机下魑魅魍魎伏魔殿をすっかりキレイに清掃いたしました。どーせ明日から、またガミガミ煩い上司の罵倒に耐え(最近弱まっておるが)、夜から東京だし。土曜は休むつもりだから、作業段取り工夫必要です。必殺、出先からのデータ送信準備。
通勤音楽。Ravel 「シェヘラザード」序曲/ラ・ヴァルス/組曲「クープランの墓」/古風なメヌエット/逝ける王女のためのパヴァーヌ/高雅で感傷的なワルツ〜ジャン・マルティノン/パリ管弦楽団(1974年)・・・演奏、音質、ともに最高。カルさと粋な官能とニュアンス漂うが、絶対に雰囲気で聴かせないといった決意。この人はシカゴ交響楽団の指揮者だったんですよ、当時評判いまいちだったみたいだけれど。細部克明であり、曖昧さ皆無な表現。決然としたところのキレの良さ、迫力。Ravel の精密緻密なる旋律の表現の明晰さ。「ラ・ヴァルス」にはそれが同居対比し、「クープラン」に夢見心地のメルヘン有、「古風なメヌエット」の無遠慮なるタッチでぶちこわされる。
「パヴァーヌ」で聴き手を陶酔の渦に叩き込み、いきなり「高雅で感傷的なワルツ」の冒頭で夢からたたき起こされ、困惑のうちに再びメルヘンの世界に連れ出される・・・名人芸。パリ管最高。文句なし。
●2009年5月某日
明日は出勤当番、そのまま連休明けの会議、すぐ東京出張連続なので、本日にてGWは終了。どこにも出掛ける気力も意欲もなくて、本日連続でスポーツクラブへ行こうかな、と思っているくらい。読書生活は新書文庫中心で、しかもほとんどBOOK・OFFにて、本棚余裕を作るため定期的に処分もしております。でないと、転居の時にたいへんなことになる!これから選定して持ち込もうと考えております。左膝は90%ほどの快復か、昨夜念のための膏薬貼って寝たが、エアロビクスでの影響はないよう。
オークションは相変わらずShostakovichのみ入札有。ルドルフ・バルシャイの全集は「2001年12月31日YAMACHIKU」とのメモが出てきました。既に倒産した金沢よりの通販で、7年余経過、まさか毎週のように金沢に通うようになるとは!人生は予測が付かないな。
Beethoven 交響曲第1番ハ長調/第4番 変ロ長調〜ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィル(1975〜77年録音)・・・御大カラヤンの1970年代ベルリン・フィルとの2度目の全集は、ほとんど聴いていなかったのでは、と記憶します。ちょうど学生時代〜社会人になりたての頃は、リー・リトナーとかボス・スキャッグス、ネイティヴ・サンとか、カシオペア、渡辺貞夫辺りを熱心に(ほとんどエア・チェック・カセットで)聴いていて、メジャーなクラシック演奏に時間は割けなかった。FMで数度聴いていたかも。(保存対象に非ず)
〜いやぁ、驚いたな。ノーミソ中で想像(記憶?)通り、余裕のサウンド、オーケストラの技量極めて高く、常に80%以下の力の込め方で悠々と進めていく。若い頃のワタシなら、ユルい、と感じたことでしょう。ユルいんだけれど、厚みがあって、ムリがない。細部アンサンブルの詰めが甘いようなんだけど、大きなリズムというか、呼吸がしっかりしてオーケストラに厚みがある。耳当たりがとてもよろしくて、ツボはちゃんと抑えられて、音楽の姿がとてもわかりやすい。Beeやんの交響曲は好んで日常聴くものではないが、これだったら毎日部屋に流れていても違和感はない。
この人の評価、毀誉褒貶さておき、クラシック音楽の普及に偉大なる足跡は認めるべきなのでしょう。”一部マニアの眉間に皺”的世界からの解放〜そういった意味ではストコフスキーと似ているのかも。
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昼前までに本棚の整理、紙袋一杯に詰め込んでバス乗車。(数日前購入したヘディン「さまよえる湖」〜旺文社文庫!懐かしい〜出てきました)塚口のBOOK・OFFへ。1,050円也。充分でございます。もともとBOOK・OFFで購入したもんだし。更に別途数冊購入。昼ご飯は旨い寿司をいただきました。満足。
昼から二時間ドラマ見て、夕方(昨日連続)から西宮コナミ・スポーツへ。初心者エアロ・ビクスでたっぷり汗かきました。始まるまで15分マシンやっていたので、心臓が口から飛び出しそうになって、少々気分悪いくらい・・・この辺りのコナミ・スポーツでは西宮が一番施設のグレードが高くて、フロも豪華なんですよ。西宮北口で旨い晩飯を喰いました。女房殿も満足。凄く混んでました。
明日よりお仕事復活です。
●2009年5月某日
昨夜は女房殿帰宅して、GWはどこにもいかないし、ということで、ご近所(武庫之荘方面)の居酒屋新規開拓したが、またまたハズれ!イカ刺しの鮮度が著しく悪い(喰えない/他のお客が黙って食べてしまったのには呆れた)。タケノコの天ぷらが出てくるのが遅すぎる、ということで即出ちゃいました。気分を変えて阪急で十三へ(あの雑然とした飲屋街は女房殿初訪問だし)。ちょっとだけビールを呑んだけれど、価格やや高めながらが安直な料理がおいしかったですよ。それにしても人が多い!連休中だからかなり休んではいるが、景気が良かったらもっと混んでおるのか、それとも安直な店に人が集まったのか。こてこての大阪弁がしょーもない話題で店中飛び交っておりました。熱気が凄い。
オークションは上手くいかんな、Shostakovichの交響曲全集(バルシャイ)、弦楽四重奏曲(ルビオ弦楽四重奏団)、管弦楽3枚(テオドール・クチャル)を出品したのは、それらを含むBRILLIANT27枚組(収納も便利な紙パックボックス)の出物が安かったから。既に先週誰も入札なく再出品されていたので、手持ち分売れればその他室内楽+室内交響曲+協奏曲もまとめて入手できるな、と考えました。ところが、締め切り寸前に入札さらわれ(競合には手を出さない主義故)、売る方は(これのみ/珍しく)全部入札が入っている・・・つまり、”処分しただけ”といった結果に。交響曲はコンドラシン全集が(一枚物もたくさん)棚中に残っているが、他、とくに管弦楽作品は気に入っていたんだけれど・・・
これも人生の機微。巡り合わせ。またいつか出会いもあることでしょう。聴くべき音源は棚中に溢れております。揃えることが目的ではなかったはず。
音楽は驚くほど集中できず・・・お仕事合間を見て聴くのが醍醐味なのかな。それにチェリー・ガラード(加納一郎訳)「世界最悪の旅」を読み進んでいると、想像を絶する難行苦行の極地探検の様子が絶望的な気分にさせます。文庫への読者レビューは的を外していて、無謀な行為に対する反省が足りない、と。そんなことは帰還しなかったスコット隊長始め数人の悲劇的な最後を見れば(誰だって)わかること、その集団に参加し、苦行をともにし、そして10ヶ月後の”発見”をした著者の心情を慮ってみれば、この著作の意義は充分理解できるはず。
暖かく、日常の暮らしになんの労苦もない位置での(後付)評論は空しいものです。当時はケータイどころか、無線だってなかった!凍傷の描写、すべてのものがカチンカチンに凍ってしまう恐ろしさ、当時は現代ほどのテクノロジーは進んでいなかったことでしょう。トイレはどうしたのか?(出てこない)但し、自らが参加した皇帝ペンギンの営巣地への旅(この描写が詳細を究める)、消息を絶ったスコット隊の探索、そして、スコット隊長の日記、これらの構成が少々雑然としているのは事実かも。
昨夜〜今朝聴いているのはWagner 楽劇「ラインの黄金」〜ジエイムズ・レヴァイン/メトロポリタン歌劇場/モリス(ヴォータン)/ローレンツ(ドンナー)/イェルサレム(ローゲ)/ツェドニック(ミーメ)/ルートヴィヒ(フリッカ)他(1988年)・・・天下のDGが1960年代カラヤン御大の「リング」全曲録音から数十年後、ディジタル時代の再録音に選んだのは、亜米利加ニューヨークのオペラ・ハウスでした。レヴァインを次期スターとして育てようとしていたんだな。数ヶ月前購入した「バイロイト33枚組」は、残すところカール・ベームの「リング」のみなんだけど、こちらに少々浮気を。
ワタシにオペラのコメント不能。歌い手は有名な人ばかりだし、録音もアンサンブルも明快で極上。但し、一連のバイロイト・ライヴを聴いていて、たとえ言葉がわからなくても南独逸の深々としたオーケストラのサウンド(ホルンとか弦とか)+ところどころ馴染みの旋律を聴いているだけでも(けっこう)陶然としたものだけれど、こちらには”それ”がない。金管が明るすぎる、といった噂は聞いていたけれど、そう違和感はありませんでしたよ。ジェームス・モリスに重々しくも神々しいカリスマを感じないのは時代でしょうか。(ハンス・ホッターの先入観か)
いずれド・シロウトの妄言ご容赦。ラスト「ワルハラへの神々の入城」はこども時代からの馴染みだけれど、これほどクリアなサウンドで鳴り響くのに当時の感動が蘇らないのは、聴き手の精神的弛緩と類推されます。
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左膝はほぼ八割方の快復、新大阪のコナミスポーツにて初心者エアロ・ビクスがあったので行って来ました。男性のインストラクターは教え方抜群に上手くて、久々に最後までまともにお付き合いできました。そのビルにあるイタリア料理屋でパスタ・ランチ(トマト・ソースベース+茄子のフィットチーネ)を喰ったが、それも極上。気分爽快です。
チェリー・ガラード「世界最悪の旅」に敬意を表し(?)て、Vaughan Williams 南極交響曲(交響曲第7番)〜アンドルー・デイヴィス/BBC交響楽団/女性合唱団/ロザリオ(s)(1997年)・・・このコンビはElgarでもそうなんだけど、サウンドも録音もとても地味で(音質そのものは優秀、のはず)、作品印象がわかりにくい。いつもそんな感じです。茫洋として幻想的、薄もやが掛かっているような、暗鬱なる世界が延々と続きます。正直なところ、愉しめない。
ところがね、エイドリアン・ボウルト/ロンドン・フィル/マーガレット・リッチー(s)(1953年旧録音)で再トライしたら驚愕!なんという劇的な起伏、慟哭の詠嘆、明快で力強い表現が、先程とは別ものの作品に聞こえるほどの感銘有。聴き手を絶望極寒の旅程へと案内する、彫りの深い世界であります。これはもう音質云々の問題ではない。新録音(1969年)も再確認しなくては。
そして、アンドルー・デイヴィス/BBC響で再聴すると、薄もやはすべて晴れ、さきほどの茫洋は雲散霧消しておりました。精密緻密な集中力と、神経質なくらいの繊細が胸に響きました。
●2009年5月某日
昨日より女房殿大阪府下実家に帰っているので、ずっと一人。料理は不得意ではないんだけれど、ここ数年すっかり無精になってやる気がおきません。外食する意欲もなし。風呂を沸かすにはお湯がもったいないので、シャワーで済ましてぼんやりしております。昨日演奏会の帰り、ご近所商店街の古本屋で「3冊200円」にて、おっそろしく古い「世界ノンフィックション全集」(筑摩書房(P)1960)購入(馴染みの著作がいくつか含まれる/再読したかった)。チェリー・ガラード(加納一郎訳)「世界最悪の旅」・・・まだ読み始めたばかりだけれど、これぞ「悲劇の南極スコット隊」の記録であって、文庫では現役らしい。
映画「南極のスコット」の元になった著作であり、その映画音楽がVaunghan Williamsの南極交響曲(交響曲第7番)に仕上がっていく・・・といった知的興味ふつふつ〜なんだけど、その曲は聴いておりません。昨日の演奏会(Bach カンタータ集など)の復習をしておりました。
モテット(カンタータ)BWV118b「おおイエス・キリスト、わが命のひかり」〜ぺーター・ヤン・リューシンク/オランダ・バッハ・コレギウム(1999/2000年)・・・ほぼどのBach 作品も揃っている!すぐ音にして聴ける、というのは精神的によろしいが、ちゃんと聴いてあげないと。と、思ったら、どーも以前に聴いている(らしい)この作品が収録されたCDをちゃんと聴いた記録が残っております(←この作品と同じCDに収録される)から。わずか7:46。昨日も書いたけれど、なぜか弦楽にオーボエ2本の版であり、これは作品解説を見ても得心がいかない。
リューシンク盤の楚々とした素朴な味わいが悪くないんだけれど、実演では合唱のアツきスケール+トランペットが華を添えておりました。まるで別な作品を聴くかのよう。Mozart 全集でもそうだったんだけれど、BRILLIANTって意外とそういった詰めの甘さが時に存在する・・・けど、まず興味ある作品はすぐ聴ける、というのが肝要ですから。
ほかあちこち”ちょろ聴き”した音楽があるはずだけれど、記憶にありません。サイト用原稿を執筆しないと。左足は6割程度の快復で、これからスポーツ・クラブに行くか逡巡しているところ。数日前強行したときには、ちょっと悪化した?それとも動かしていたほうがよいのか、ビミョーです。
●2009年5月某日
昨日夕方、処理したはずの大トラブルに問題再発、それもなんとか辛くもクリア。別件なんだけど好意で配慮をしたつもりの案件が、それにつけ込むようなメールが届いて内心激怒、でもそれもなんとか納めました。当面のトラブルは大丈夫かな?油断禁物だけれど。これでワタシも世間並みにGWへ、本日はBach のカンタータ演奏会に行こうと考えております。土曜、マチネ、ご近所、魅力的な演目、希望がすべて揃いました。
音楽にはずっと集中できなくて、ぼんやり聴き流し状態。なにを聴いたのか?も忘れているくらい。それでも、いくつか思い出して〜
Beethoven ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調/第2番イ長調/第6番ヘ長調〜ミクラス・スクタ(p)・・・例の87枚組に含まれるもので、Mikulas Skutaはスロヴァキアのピアニストらしい。Beeやん初期作品は端正なる古典的佇まいと、清廉な気風が漲っていて、どれも愉しめます。 知名度からは想像も付かないほど瑞々しくも生き生きとしたタッチであって、馴染み薄い作品を新鮮に聴かせて下さいました。音質も良好。
J.Strauss 「加速度円舞曲」/円舞曲「ドナウの乙女」/円舞曲「人生を楽しめ」/円舞曲「ウィーンの森の物語」/歌劇「こうもり」序曲(シュターツカペレ・ベルリン/1928年)/ポルカ「浮気心」/「ピツィカート・ポルカ」(ウィーン・フィル/1940年)/KOMZAK円舞曲「バーデン娘」(ベルリン・フィル/1941年)〜ハンス・クナッパーツブッシュ・・・晩年、ウィーン・フィルとのステレオ録音も極上演奏だったが、戦前太古ベルリンでの録音も濃厚な味わい、テンポの揺れもたっぷり。想像以上に音質もよろしい。ざっくりとラフなアンサンブルはいつも通り、洗練されていないが粋な風情はちゃんとあります。異形なる演奏ではなく、ちゃんとしたリズムや明快なるアクセントを刻んだ”ウィンナ・ワルツ”也。テンポは意外と速め。時代のポルタメントも堪能いたしました。
「ウィーンの森」はいきなりツィター(+ヴァイオリンのオブリガート付/初耳だけれどとても効果的)で始まって、楽譜はどうなっておるのでしょうか。この”タメ”が堪らぬ魅力。「バーデン娘」はクナの十八番だそうで、優雅ゴージャスな雰囲気+ベルリン・フィルって昔から上手かったんだな、カラヤンのムーディーさのルーツも伝統なんだな、と感心いたしました。
オークションは売り上げ激減・・・しばらく、諦めずに継続しましょう。早朝決起し過ぎて眠いっす。これより定例耳鼻科へ。
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半年ぶりの演奏会に行って参りました。やっぱ、ナマだなぁビールは、じゃなくて演奏会も。でも、なんか精神的に腑抜けになっちまって、自宅で全然音楽を聴けるような心情じゃありません。オークションは3件のみ落札され、既に連絡ありました。明日送付。いくつか追加出品しておいたけれど、ほとんどガマン比べ状態。やがて景気は回復する可能性有と思うが、それまでにはCDの市場は完全に消えているのかもね。ほんまに売れまへん。
●2009年5月某日
昨夜、遅く金沢より帰宅。連休中なので心配したが、サンダーバードは空いていて、夕食に寄ったいつもの「魚菜屋」もガラガラ。店のおばはんによると昨日もそうだった、とのこと。近江町市場の辺りは人が多かったようだけれど、タクシーの運転手さんもヒマだ、と嘆いておりました。不況モロか。挙げ句、”豚インフルエンザ”大流行らしいし。お仕事大トラブルは今週分はなんとか(代替品で)クリア、来週分の結果が本日出るけれど、これがアウトだったら万事休す、商品調達先の色好い返事を祈るばかりです。
そんなこんなで移動中音楽も、ほとんど集中できておりません。Tchaikovsky 弦楽四重奏曲第1/2番〜サンクトペテルブルグ弦楽四重奏団(1993年)・・・2002年頃購入で、当時はこんな”高い”CD買っておったんですね。甘美で懐かしい「アンダンテ・カンタービレ」を含む第1番ニ長調が昔馴染み、のハズがどーもぴん!とこない。やや金属的というか、散漫なる音質であり(悪い音ではないが)、技術的にはちゃんとしたものなんだけど・・・聴き手の散漫なる精神状態を反映しているのかも。
Josef Strauss ポルカ「憂いもなく」/J.Strauss 円舞曲「美しく青きドナウ」/「ラデツキー行進曲」〜ニコラウス・アーノンクール(2001年ライヴ)・・・2003年のニュー・イヤー・コンサートには大きな感動の記憶があったんだけれど、なんか全然愉しめない。もう一枚、リッカルド・ムーティの2000年ライヴを持参したんだけれど、とうとう聴かず仕舞いでした。(挙げ句、先ほど誤って踏んでしまってケースに大きなひび割れ出来)
Bartok 歌劇「青ひげ公の城」〜ヤーノシュ・フェレンチーク/ハンガリー国立歌劇場管弦楽団/合唱団/ネステレンコ(b)/オブラツォーヴァ(s)((p)1981)・・・フェレンチークの十八番であり、数種の録音が存在するそう。これが一番ラストかな?(DIGITAL録音とのこと)トラック分けのない初期CDだけれど、寒色ブルー系の研ぎ澄まされたオーケストラのサウンド、骨太で硬派個性的な二人の歌い手も絶好調・・・のはずが、半分くらい眠っておりました。あかんな。
Bruckner 交響曲第5番 変ロ長調〜オイゲン・ヨッフム/コンセルトヘボウ管弦楽団(1986年ライヴ)・・・ヨッフム最晩年ラストのアムステルダム登場時のライヴとのこと。茫洋として融通無碍なるスケールを誇った・・・と記憶していたけれど、ヨッフムって最後まで思わせぶりな睥睨スタイルとは無縁だったのだな、と妙な感想ばかり。明らかに聴き手の(精神的)疲労が印象に影響を与えております。
Bach ピアノ協奏曲第2番ホ長調BWV1053/第3番ニ長調BWV1954/第4番イ長調BWV1055/第6番ヘ長調BWV1054〜アンドレイ・ガブリーロフ(p)/スタンコフスキ/室内管弦楽団/ゴフマン、ポプラフスキ(fl)(1982年)・・・このCDともお付き合いが長い。録音時期から考えると音質がオン・マイクで繊細さを欠きます。ピアノ・ソロは粒が揃った音色、クールで淡々としたスタイルがお見事。バックは(現代楽器云々別として)時代錯誤的な豊かさがあって、逆に昨今見掛けなくなった大時代っぽい雄弁さ有。ヘ長調BWV1054はブランデンブルク協奏曲第4番の別バージョンとなって、作品的には楽しいものばかり。
この作品のピアノ版は数種処分して、ほとんどこれしか棚中残っていないんじゃないか。ああ、グレン・グールドのボックスを購入したんだっけ。処分すべきか、いやそもそもオークションに出して買い手が出てくるのか?それほど、最近売れ行きは不調なんです。
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とにかく大トラブル+他から降り掛かってきた大問題いつくかクリアできて(予定通り)昼過ぎに業務終了。ゆっくり遅い昼飯(お好み焼き)を喰って、帰宅したが、いったんケリが付いたと思った案件に再問題が発生してケータイに飛んできます。さて、最後どーなるのか。休まる時がない・・・でも、休みだ。
Bach プレリュードとフーガ(ドリア調) BWV538/トッカータとフーガ ヘ長調 BWV540(1950年)/トッカータとフーガ ニ短調 BWV565/プレリュードとフーガ ホ長調 BWV566(1947年)/トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV564/パッサカリア ハ短調 BWV582(1952年)〜ヘルムート・ヴァルヒャ(or)・・・堅牢であり、寸分の隙もない、厳しい構成の音楽。敬虔なる精神が無神論者であるワタシにも、ちゃんと伝わります。古い音質だって、まったく気にならない。
じつは、ここ数日Villa-Lobosの「ショーロ」をずっと聴いていて(ジョン・ネシュリング/サンパウロ交響楽団/BIS)これが、エキゾチックなラテン系哀愁の旋律にハマり切っておりまして、ノーミソ少々麻痺しております。金沢往復の音楽がぴん!と来なかったのも、それが原因かも知れない。知名度からは想像付かないほどの生き生きとしたアンサンブル、ノリノリのリズム、素晴らしき録音也。(ちゃんとコメントしていないのは、じつはあくまで”ちょろ聴き”のつもりでありまして、ところが!他メインであったものを凌駕するほどの魅力に毒されてしまった、ということです。 やっぱり良い音で聴くのがVilla-Lobosの醍醐味ですね。作曲者の歴史的録音には全然歯が立たなかった)