Brahms 交響曲第1番ハ短調
(エイドリアン・ボウルト/ロンドン・フィル1972年)
Brahms
交響曲第1番ハ短調(1972年)
ハイドンの主題による変奏曲 作品56a(1977/78年)
エイドリアン・ボウルト/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
EMI 6356572 11枚組ボックス2012年発売
・・・その後、出張用USBメモリにバック・アップ(2013年7月14日更新分)を発見。いずれ、たいしたコメントでもないけれど、せっかくなので再掲しておきます。(2013年11月9日)
駅売海賊盤にて第3番を入手し、更に正規ライセンスDisky全集入手〜処分したのは、CD製品としての造りがあまりに粗雑であった(デザイン、オーケストラ名表記ミスなど)ためか、一時、著しいBrahms 交響曲アレルギーに陥ったせいと記憶します。21世紀CD価格破壊を迎え、ボックスまとめ買いの時代へ、いくつか棚中既存CDオークション処分して11枚組を入手したしました。
Brahms のピアノ作品やら室内楽だったら、中年オトコの後ろ姿寂寥を感じさせて親しみを感じるけれど、交響曲管弦楽大規模声楽作品だったら威圧感が先に立ってどーもいけん〜的、先入観あって敬遠気味(とくに第1番)。久々のボウルト拝聴印象は〜なんて元気溌剌爺さん(当時83歳!)なんだ・・・
第1楽章 「Un poco sostenuto - Allegro」・・・悠揚逼らぬテンポにて悠々〜かと思ったら、むしろ速めの推進力溢れるヴィヴィッドな表情に圧倒されます。提示部反復指定ちゃんと守って、カッコ良い冒頭ラッシュは二度おいしい。貧しいなりに我がオーディオ環境(+居住地音楽拝聴部屋)も変遷してなんとも比較難物ながら、Disky盤からの音質改善と著しいと感じました。(対向配置。1980年代テンシュテットのMahler より、音質は好ましいかと)ハイティンク時代のロンドン・フィル絶好調。
颯爽としているけれど、妙な飾りとか揺れとか、そんなものは微塵も存在せぬストレート系。凄い貫禄と燃えるような第1楽章にムリな力み一切感じさせない。ラスト、ゆったりと気分を落ち着けて終えるところもお見事・・・第2楽章「アンダンテ」へ。ここもヤワじゃない優しさに溢れ、ロンドン・フィルは絶好調のニュアンスを誇って、力感しっかりな足取りであります。8:24だからテンポ設定は遅くないと思いますよ。(たまたま棚中お隣にあったサヴァリッシュは8:59)絶品のヴァイオリン・ソロはメニューインなんでしょ?
第3楽章「グラツィオーソ(優雅に)」という指示通り、さらり淡々と見えて、足取りはしっかり骨太。オーケストラにたっぷり厚みがあって、後半に向けて盛り上がります。ホルンがエエ味出しておりますね。名残惜しげに最終楽章へ〜不安げな曲想は、絶妙のアルペン・ホルン(誰でしょう。少々地味な音色〜これが登場の度、けっこう胸に染みる)+フルートにて夜明けを迎えます。快調ですね。例の「喜びの歌」風、弦の主題はロンドン・フィルの実力をみごとに発揮して味わい深いもの。ややテンポ・アップして歓喜は極まっていくれど、けっして徒に、安易に走らない。悠々とした情感の盛り上がりに、雄弁に煽ったり急いた印象はない。誠実であり、余裕です。おそらく、この作品に出会った中、ヴェリ・ベスト。
滅多に(好んで)聴かない「ハイ・バリ」。交響曲の5年後?う〜む。コラール「聖アントニーの主題」はシンプルそのもの、それを雄弁に変容させるBrahms の手腕に感心するが、感動しないのは聴き手の勝手な嗜好であります。90歳近い爺さんは立派に、繊細に、粛々と演奏しておりました。 (2013年7月14日)
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(「音楽日誌」2013年10月より)ヘンなことをしたらしい・・・2013年7月14日更新分、「Brahms 交響曲第1番ハ短調(エイドリアン・ボウルト/ロンドン・フィル1972年)加筆更新」は加筆更新分ではなく、5年前2008年2月18日の旧原稿に置き換わって(戻って上書きされて)おりました。
種々検索サイトの「キャッシュ」を探すが、さすがに3ヶ月前、残ってませんねぇ。パソコン内ファイルの「復元」狙うが結果アウト。おそらく、更新時ノートパソコンに更新同期を取らぬうち、なんらかの「タグ変更ファイル一斉置き換え」実施→アップロード更新→それをAspreRevoに戻してしまった・・・と類推します。きっと他にもそんなのあるのだろうなぁ、誰も、自分も気付いていないけれど。棚中に眠っているCDは”【♪ KechiKechi Classics ♪】に更新してひと区切り”といった発想なので、その原稿が消えてしまうのはショックなんです。 クサい言い訳をしているけれど、せっかく更新したコメントは消えてしまった、ということでっせ。気分を取りなおして再聴再コメントしましょう。
もともと、2012年8月拝聴の印象が元になっていて曰く
Disky盤を処分してから久々の拝聴。先日、グイド・カンテッリのイン・テンポを基調としたストレート系溌剌演奏に感銘を受けたけれど、こちらもエエなぁ。”実直で飾りがない、質実で表面を磨かない。ムリなく作品の在り方をそのまま骨太に表現して、じわじわと味わい深い”4年前の印象と寸分違わぬ、但し、オーケストラの厚み云々に言及したことがウソのように充実したアンサンブルでありました。イヤホン(iPod)での拝聴印象か、対向配置やら管楽器各パート、第2楽章に於けるヴァイオリン・ソロ(ユーディ・メニューイン)など位置関係かなりはっきり意識できました。 との記録も有。根がエエ加減人間なので、その時の気分感情体調によって拝聴印象ガラリと変わることもあるし、いくら貧者のオーディオであっても数年前ディジタル・アンプに替えたり、今年2013年6月にスピーカー変更、ついでにケーブルも10年ぶりに取り替えたことも影響ないでもない(もちろんこどもの頃と嗜好が変わらぬのも有)。オーディオは門外漢なのでなんともコメント難しいが、手練の方によると(この11枚組は)”現状で「EMI Ltd.」が自分の音だと認めている音をあつめました、という体裁”とのこと。びっくりするような鮮明音質でもないが、それなり改善著しいと感じます。”これで音質がもっと鮮明だったら!”みたいなかつての嘆きは(さほどに)ありません。
交響曲第1番ハ短調第1楽章Un poco sostenuto - Allegro始まりました。1954年旧録音では実行していない繰り返し有。じつは(繰り返し別にして)全楽章旧録音よりタイミング速いんです。1889年生まれ、録音当時83歳とは思えぬ颯爽矍鑠、やや速めのテンポ、気力充実したストレート系の演奏。円熟貫禄有、しかし老熟枯淡に非ず、このドキドキするようなテンションは全曲通じて変わりません。たしか消えてしまった原稿にも”なんてカッコ良い爺さんなんだ!”と書いた記憶有。5年前コメントには”ロンドン・フィルって、もっと上手かったでしょ?ここでは響きに奥深さを欠き、いまひとつ鳴り切らない(ジミな)印象”とは失礼千万なるコメント、いったいなにを基準としていたのか?不思議です。中低音の厚い、独墺系サウンド?
提示部繰り返しがけっこう衝撃的。朗々たる出足からテンポ・アップして勢い付いてところにダメ押し!的感慨あります。”実直で飾りがない、質実で表面を磨かない。ムリなく作品の在り方をそのまま骨太に表現して、じわじわと味わい深い”〜久々の出会い印象そのままであり、オーケストラの弱さ云々は感じない。艶々のサウンドではないことが”ジミ”と聞こえたのか。第2楽章 Andante sostenutoは、あくまでストレート淡々として表情の陰影、呼吸も深いもの。華麗なる加齢に従い緩徐楽章への嗜好深まる今日この頃、この楽章は絶品であります。木管の歌+メニューインのソロ登場も華を添えております。
第3楽章 Un poco allegretto e grazioso「優雅に」という指定がそのまま具現化された美しい出足。この静謐、抑制がヴェテランの技であります。やはり”ストレート淡々”を基調として骨太な世界が続いて、来るべきフィナーレに向けた盛り上がりは切なく継続いたします。第4楽章 Adagio - Piu andante - Allegro non troppo, ma con brio - Piu allegroは、第1楽章と並んでものものしい雰囲気溢れる(そこが時に鬱陶しい)ところ、”喜びの歌”に至る前半ウダウダとしたモノローグもスッキリ速めのテンポにて乗り切りました。
やがて万感胸に迫るアルペン・ホルン登場(今更ながら・・・ちょっぴりジミかも)、フルートは涼風であり、ラスト”喜びの歌”へ。これ見よがしの詠嘆表現に非ず、”ストレート淡々”のまま、力感を加えフィナーレへ突入いたしました。この辺りもカッコ良いなぁ、ヒステリックになったり、ムダに焦って前のめりにならない。テンポは心持ち(体感)速め。この作品ヴェリ・ベストかも。
「ハイ・バリ」は滅多に聴かぬ作品、珍しく落ち着いた風情を堪能いたしました。88−89歳の記録でっせ、ありがたく、感銘深く拝聴いたしました。 (2013年10月12日)
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Brahms 交響曲第1番ハ短調/悲劇的序曲/
アルト・ラプソディ(エイドリアン・ボウルト/ロンドン・フィル/ジャネット・ベイカー)
Brahms
交響曲第1番ハ短調
悲劇的序曲(ロンドン交響楽団)
アルト・ラプソディ
エイドリアン・ボウルト/ロンドン・フィルハーモニー/ジャネット・ベイカー/ジョン・オールディス(女声)合唱団
DISKY COMMUNICATIN BX 705422 1970〜72年録音 3枚組 1,990円(にて少々高く購入したうちの一枚)
Brahms の交響曲は馴染みだけれど、聴く機会は少ないと思います。ボウルトのBrahms に関しては、この廉価なセット(おそらくは3枚千円以下で入手された方もいらっしゃることでしょう)で日本ではずいぶんと普及し、一方で物理的商品作りの安易さ、デザインのヘボさ、演奏クレジットの誤記(アルト・ラプソディがロンドン交響楽団となっている)+おそらくはオリジナルEMI録音からの復刻状態が万全とは言いかねるらしい(?原盤を聴いたことはないで/あくまで噂)ので、損をしているのかも。
たしかに、中低音や厚みの薄い音質に感じます。鮮度もよろしくない。その件さておき、トスカニーニとかギュンター・ヴァント(1980年代)の全集を(ここ最近)聴き馴染んだ耳には、少々”野暮ったい”=カッコよろしくなく感じましたね。リズム先鋭に厳しく、旋律に色彩を付加すること可能な作品だと思うが、ボウルトは実直で飾りがない、質実で表面を磨かない。ムリなく作品の在り方をそのまま骨太に表現して、じわじわと味わい深い。第1楽章繰り返しにはドキリといたしました。
ハイティンク時代(1967年〜79年)のロンドン・フィルって、もっと上手かったでしょ?ここでは響きに奥深さを欠き、いまひとつ鳴り切らない(ジミな)印象ありますね。第2楽章「アンダンテ」にはメニューインが(友情)参加しているんでしょ?オーケストラの調子やら、こんな録音エピソードともかく、この緩叙楽章の粛々蕩々とした、自然なる流れこそ絶品。「響きに奥深さを欠き、いまひとつ鳴り切らない」などと失礼なことを言ったが、間違いなく、文句なく、黄昏て美しい、と断言しましょう。
第3楽章は落ち着いて、しっとり瑞々しい響きも順調な滑り出しです。大きく深呼吸するように、じわじわ昂揚し、しかし激昂せず、あくまで盤石なる姿勢を崩さない。響きに”ヒステリックな喧しさ”が存在しない。この楽章も素敵ですね。そして壮大なる終楽章へ雪崩れ込みました。
この辺りになると耳慣れたせいか、音質云々は気にならないでしょう。芯が通って重心は低いが、大見得表現とか、物々しさはないと思います。ホルンにはもっと痺れるように深々とした響きが欲しいところだけれど、それでもフルートに旋律が引き継がれ、やがて弦が「歓びの歌」を奏でると、それは立派な貫禄であります。飾らないが、素っ気なくはない。自然な”加速”があり、爽快に熱気が加わります。素朴だけれど、含羞の歌有。もっと大爆発を!求めたいところだけれど、これがボウルトの矜持であります。
まさに横綱相撲。これで音質がもっと鮮明だったら!
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「悲劇的序曲」は特別な名曲とは思えない〜というか、Brahms はシンプルな旋律を構成で発展させ、構築して聞かせる、というパターンが多いから、単発小品はツマらん、といった不遜な考えを持っておりました。ボウルトの演奏は諄々としてリキみなく、これはちょっとした名曲なのかも、と反省いたしました。「アルト・ラプソディ」では、ジャネット・ベーカーの立派で深々とし歌に文句はないが、ロンドン・フィルの響き(少々、やはり)薄くありませんか?ブルマイスター(a)/ボンガルツ/ライプツィヒ放送交響楽団((p)1968)のCDを(あわてて)再聴したが、極上の録音+オーケストラの重さ深さにちょっと驚き、ボウルト盤の音質不備を嘆いたものです。
(2008年2月18日)
【♪ KechiKechi Classics ♪】 ●愉しく、とことん味わって音楽を●
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