Vaughan Williams 音楽へのセレナード/南極交響曲(交響曲第7番)
(ヴァーノン・ハンドリー/ロイヤル・リヴァプール・フィル)


EMI CD-EMX  2173 Vaughan Williams 

音楽へのセレナード
南極交響曲(交響曲第7番)

ヴァーノン・ハンドリー/ロイヤル・リヴァプール・フィル/合唱団/アリソン・ハーガン(s)/イアン・トレーシー(or)

EMI CD-EMX 2173  1990年録音  $1.99円にて個人輸入→単品処分して6枚組購入 7343 5 65458 2 3(2008年4月2,600円)

 ヴァーノン・ハンドリー2008年逝去。実力派だったが、日本じゃとんと人気のない英国音楽のスペシャリストだったから、話題にならんかったなぁ。英国の指揮者にはそのパターン多いっすよ、ジョン・プリチャード然り、エドワード・ダウンズ然り。アレクサンダー・ギブソン、ブライデン・トムソン、チャールズ・グローブス・・・嗚呼、キリがない。閑話休題(それはさておき)Vaughan Williamsって日本じゃほんまに人気ありませんね。9曲の交響曲って、掴みどころがなくて、少々難解かも。起承転結はっきりしないし。ワタシはこの辺りが縄張りです。

 「音楽へのセレナード」始まりました。

 歌詞はシェイクスピア「ヴェニスの商人」の最後の場面による・・・とは、ネット検索した自らのサイトにて確認いたしました。静謐安寧清涼なる合唱は整って透明です。師匠筋エイドリアン・ボウルト(1969年)は、もっと各声楽ソロが自在に、朗々と歌っていた記憶有。こちらもっとトータルの響きは洗練され、しっかり融け合った精密アンサンブルを誇ります。これほど優しく、懐かしい旋律は希有な敬虔でしょう。粛々とした管弦楽に一体化して、そっと歌い手達が参入する暖かくも淡い世界。後ろ向き回顧ばかりの切ないヴァイオリン・ソロ、オーボエ、フルート、そしてハープ。金管も柔らかく抑制され、時に喜ばしげな盛り上がりも、すぐに陰って不安げに〜そして平静を取り戻す世界。(ここまで執筆して数ヶ月放置)

 数ヶ月に一度、棚中在庫CDの処分(オークション)をしております。2006年くらい開始?本格的には2007年岡山→尼崎に異動転勤転居したら一部屋少なくなって、荷物処分は必須だった事情有。その間に聴き手はどんどん物欲枯らせて”こんないっぱいCDあっても聴けないじゃないか、残された人生に・・・てな話題は千度【♪ KechiKechi Classics ♪】に書きました。既に在庫は”お気に入りばかり”〜それでもまだまだ減らしたい。この度、Vaughan Williams全集2セット(アンドレ・プレヴィン/アンドルー・デイヴィス)処分しました。各々お気に入りだったけどね。なんせ人気薄なる作曲家故、売れ残るかな?と考えていたら、激安価格もあって無事嫁入り成。

 ヴァーノン・ハンドリー全集は手許に残した、ということですよ。「南極交響曲」始まりました。もともと映画「南極のスコット」の音楽であり、頑迷なる交響曲としての構成というより、厳しくも幻想的な自然との対峙がエピソード的に綴られる〜編成にはチェレスタ、ピアノ、パイプオルガン、種々打楽器+ウィンドマシーンが入るけれど、例えば「トゥランガリーラ」みたいに宝石を鏤めたような極色彩の世界に非ず。極寒の地では雪も細かい結晶となってキラキラ輝く、そんな儚くも幻想的サウンドに至っております。この録音にはナレーションは入っておりません。

 第1楽章前奏曲(アンダンテ・マエストーゾ)広大なる南極の氷雪、決然とそこに臨む人間達〜風に乗って幻想的な雪女の呼び声(女声ヴォカリーズ)も(数度)木霊する〜これは聴き手の勝手な想像。キラキラと冷たい空気(チェレスタ、ピアノなど)が漂い、探検隊の難儀な歩みは続きます。全曲はすべてアタッカにて途切れなく演奏され、次楽章の元気な風情を呼び込みつつ(だから引用句ナレーターにて中断されるのは本旨ではない)第2楽章スケルツォ(モデラート〜ポコ・アニマンド)へ。

 金管が主眼なのに、なんと柔らかいサウンドなのか。スケルツォ楽章故、そこはかとないユーモラスなリズム、風情、爆発もあるけれど、不安げなるテイストは変わりません。切迫感ある金管の呼応はカッコ良いですね。この辺りのハンドリーの上手さは光ります。この楽章わずか6分弱。弱々しく消え入るように3楽章 風景(レント)につなぐのはパターン。

 ここでは視界が遮られ、不安、静謐、茫洋とした「風景」〜美しくも怪しい幻影を見ているような風情であります。ほとんどつかみどころのない旋律の連続。突然、激しいドラを合図に金管による悲惨なるコラール風旋律乱入〜このあとの足取りの重いこと。不安、静謐、茫洋とした、やがて絶望的な旅は果てしなく続きます。悲惨なるコラール風旋律再び登場、こんどは重厚なるオルガン付き〜神の審判のような!このあとの金管の呼応は、全曲中白眉と感じるべきクライマックス。

 そして、必ずエネルギーは減衰して静謐に戻るんです。そのまま第4楽章「間奏曲」(アンダンテ・ソステヌート)へ。これはつかの間の安寧なのか、それとも既に意識が飛んでいて現実が見えていないのか。木管やヴァイオリン・ソロが静かに歌って、やがて不安げなる足音も近づきます。この楽章がもっともつかみどころのない、ぼそぼそと呟くようなところでしょう。第5楽章「終幕」(アッラ・マルチア、モデラート/ノン・トロッポ・アレグロ)に対応するのは「スコット大佐の最後の日記」なんです。「世界最悪の旅」のラストでもあります。泣けますよ。死後発見された日記。

 金管をメインとした悲劇の不協和音、不安定な情感を湛えた激しい旋律。ここで雪女(女声ヴォカリーズ)+ウィンド・マシーン再登場、第1楽章冒頭の広大なる南極の氷雪風景回帰するが、探検隊は既に絶望の淵に佇むばかり・・・音質極上。

(2012年3月4日)
 

 何を勘違いしたのか知らんが、中学生の時にはこの曲のLPを持っていました。プレヴィン/ロンドン響による豪快装丁LPは写真集も美しく、値段も高かったはず〜2,300円?サー・ラルフ・リチャードソンの渋いナレーターと、ペンギンが卵を抱く可愛い写真の記憶しかなくて、肝心の音楽に感動していたとは思えません。

 辛気くさくはないが、なんやら茫洋として、つかみどころのない、リズムもはっきりしない音楽。でも、やたらと壮大で、幻想的な雰囲気は感じ取っていたと思います。

 やがて幾星霜、当時、色男プレヴィンは売れっ子女優ミア・ファローと結婚し、双子が生まれ、話題となっていましたが、今や70過ぎてむんむんに色っぽいムターと再婚を果たし、爺さんになってもプレイ・ボーイぶりは現役〜それに引き替えワタシは・・・とにかく、久々にこの曲聴いたら流石に旋律は良く覚えていました。こどもの記憶力って凄い。

 じっくり聴いてみたけれど、やはりこの曲は難解でしょう。全5楽章の「交響曲」だけれど、もともと「南極のスコット」という映画音楽だったらしいし、なんやらキラキラしたエピソードの集まりのように聞こえました。つまり、映画の場面場面に合わせたような音楽になっているようで、独逸的起承転結型交響曲を想像すると、猫だまし、いや、肩すかしか。延々と環境ビデオを見せられているような、変化とメリハリのない音楽に思えなくもありません。

 演奏はねぇ、そうとうにGood。録音も鮮明で気持ヨロし(EMIでは珍しいか)。ちょっとヴォリュームを上げて、オーケストラの響き全体を楽しむようにしないと、音楽は見えてこないんです。遠くから、まるで雪女の歌声のように響くソプラノの無言歌、ここぞっ、と言う場面で鳴り渡る圧倒的なオルガン(Saint-Sae"nsの交響曲第3番より決まっていると思う)。うねるような、というより、うねっているだけ(!)の弦もちゃんと雰囲気があって明快なんです。

 これ、はっきり言って殺伐荒涼たる大自然の雰囲気を味わう作品でしょうか。まだ、御大ボウルトの演奏を聴いていないから(もしかして、とんでもない明快なる回答を出しているのかも!)なんとも言えないけど、ハンドリーの演奏はオーケストラの厚み、アンサンブルの精緻なこと、スケール感、おそらくは文句ない。あちこち、美しい旋律がちらほら登場して、全体としてはまったり、しかも涼やかに音楽は流れていて、決してムダに走らない。

 スコット隊は、南極に馬橇を持っていったんだけど、寒さで馬は死んでしまったんですよ。で、最後は人間が荷物を引っ張ったらしい。南極点には到達できたが、帰り全員死んじゃうという悲劇〜そういえばこどもの頃「南極フリーク」だったから、やたらとこの辺りは詳しい。(小学生時点で「白瀬中尉」の本は読んでいた)〜だから、音楽は冷酷で白い、沈黙なる悪魔の大地をゆっくり進むんです。

 でも、やっぱり難解は難解なる音楽。ま、雰囲気だけ味わっていただければ・・・と思います。「音楽へのセレナード」は誰でも楽しめる、素敵で懐かしい気持になる合唱曲です。(2003年4月4日)


【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
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written by wabisuke hayashi