Brahms 交響曲第4番ホ短調(セル/クリーヴランド管弦楽団)


ODYSSEY  MBK44959 Brahms

交響曲第4番ホ短調 作品98
大学祝典序曲 作品80

ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団

ODYSSEY MBK44959  1966年録音  250円(中古)で購入

 「怪しいの反対語は正しい」〜これシーナさんの本に出ていたけれど、セルのBrahms を聴いた感想は「嗚呼、正しいBrahms だなぁ」ということでしたね。 怪しいのも悪くないが、そういうものを喜びすぎる風潮には反発がある。(あくまで音楽の世界ね)この演奏は中学生の時、当時(そして今でも)心酔していたベイヌム/コンセルトヘボウ管弦楽団と聴き比べた記憶もあります。

 おお、爾来幾十年ぶりの邂逅か、BOOK・OFFでワタシを待ち続けてくれた愛しきCDよ。安寿と厨子王が年老いた母親に再会するかのように、ワタシは自宅に連れ帰ったのでした。Brahms の交響曲は、やや苦手とするワタシではあるけれど、紅顔の美少年、かつ現在の体重の半分であった頃の記憶も鮮やかに蘇る〜ということでもなくて、やはりBrahms は馬齢を重ねないと理解できない。(Mozart は違う、と思う)

 こりゃ、まったくもの凄い演奏です。これほど細部まで精密に、丁寧に、心を込めて、オーケストラ固有の音色(特別な色気はない)や録音水準(フツウの水準)に頼らず、胸を打つ音楽に仕上げる手腕は驚くべき高水準。ムードで聴かせるんじゃない、これこそ「正しい」演奏。旋律の隅々まできっちり明確に再現してくれて、いや、もう参りました。

 第1楽章は、細部を彫琢したせいかややテンポはゆっくり目ではあるが、微妙にテンポがゆれてます。「泣き」のテクニックは使っていないのに、「楽譜の神髄を正しく解釈したところ、こう仕上がりました」風納得の説得力〜盛り上がり、感動が溢れます。フレージングは清潔なんです。演奏者はクールだけれど、聴き手を存分にアツくして下さいます。

 第2楽章は、冒頭ホルンの無機的な旋律〜木管へ受け渡し、そして弦が倍の長さで再現すると、一気に感情が入るでしょ?よくできた楽章なんですよ。これも、まぁ、じつに淡々としているというか、でも、大きな秋空に深呼吸するような弦の歌が素晴らしい。その直前の木管がタメを作って「さあ、行きまっせぇ」(セルは関西弁は使わなかったと思うが)とばかり対比も作ります。よく練習し、鍛錬されていますな。

 弦の美しさは、これなんと表現したらよろしいんでしょうか。独墺系特有の深みのあるものでもないし、ワタシがここ最近、とみに評価しているチェコ・フィルのちょいとザラついた鄙びた味わいでもない。フツウといえばフツウなんだけど、「楽譜通りしっかり演奏しました」結果、ちゃんと美しい歌が出てきた、ということか。木管・金管も同様。

 リズム感が完璧、というか、縦線が完全に合っていて、それが息苦しかったり、機械的になっていない。「美しい音楽のためなら、手段を選ばず」なんでしょうか。旋律の歌わせ方の呼吸が深くて、これはこれで雄弁です。なみのスケールじゃない。どんどんテンポが遅くなる味わいも、もうタマらん。

 スケルツォ楽章の恰幅の良さ、余裕。終楽章パッサカーリアの雄弁なことはもちろんだけれど、こんなに馴染んだ曲なのに、木管の耳慣れぬ内声部が表に出てきて驚きます。情熱的な旋律細部の「キメ」が頻出するが、これぞ圧倒的なアンサンブルの成果か、やる気のないユルんだ部分などどこにも見られない。怒濤の充実振りに、ただただ驚き呆れ、「ワタシ、Brahms は苦手なんすよ」なんて戯言など有無を言わせぬ世界に叩き込まれました。

  天国のセル爺さん。1970年の札幌公演(中島スポーツセンター)開演かなり前、入場してきたセル様の至近距離をうろうろしていた中学生二人のウチのひとりがワタシです。ン十年もこんな素晴らしい演奏を放置していたことを深く反省し、お詫びします。

 受験間近い息子には、貴方の「大学祝典序曲」を聴かせましょう。なんと喜ばしく、輝かしく、豊かな音楽でしょうか。(2002年9月13日)


【♪ KechiKechi Classics ♪】

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written by wabisuke hayashi