2014年5月ご近所芝桜

いつもと変わらぬ春


 世間では内外政情不安、そして暖かい春になりました。GW突入前日に風邪をひいてしまって、ひどい洟水に苦しんでおります。もしかして花粉症みたいなアレルギーの一種かも。新しい若い相棒(30歳独身)がやってきた一ヶ月、今年は手の掛からぬしっかり、落ち着いたやつでっせ。逆にこちらに少々緩みが出るほど順調、あっとい間に一ヶ月・・・やはりちょいと緩みが出てお仕事小さな失敗連続中。油断大敵、反省して引き締め直しましょう。久々に県下4箇所の講演もありました。お仕事でたくさんの人前でお話するのもこれがラストになるかも。

 ヤフオクCD処分復活して一ヶ月累計40数枚ほど、まずまずの成果でしょう。調子がよろしくなかったミニノートAcerAspire 1410も無事5,000円で引き取っていただきました。DVD-R焼き過ぎで相次いで光学ドライブ逝去、通販入手したUSB外付け光学ドライブは初期不良?「交換します」と連絡があったきり、もう一ヶ月経過して音沙汰なし。心配です。ヘンな業者に引っ掛かったか?

 昨年2017年10月の博多行きに続いて、伊達や酔狂な金沢酒の旅(昼から出掛けて一泊、朝戻り)強行!学生時代より40年来の先輩+後輩と一晩呑んで語らいました。こうして我儘贅沢できるのも、それなり経済的な余裕と健康があってのこと、60歳過ぎてこんな生活が送れるのもシアワセなことでしょう。月末に掛けて偶然酒席連続も久々でした(少々ツラい)。スポーツクラブにも真面目に通ったけどね。

 溢れかえる聴くべき音源に思い悩んで迷うこと、それは贅沢な悩み、先々月より「集中月間」としてBruckner、先月はMahlerとしました。決め打ちはエエ感じでっせ。第1番より順繰り整理再掲しておきましょう。さて、5月はなんでいきましょうか。

Mahler 交響曲第1番ニ長調〜ダニエーレ・ガッティ/フランス国立管弦楽団(2014年ライヴ)・・・これもネットより入手したライヴ音源、CDになっていないみたい。Daniele Gatti(1961ー)はこのオーケストラ音楽監督としての在任は2008ー2016年、その後ご存知の通りコンセルトヘボウに転出しております。その昔”仏蘭西のオーケストラはアンサンブルが云々・・・”なんて云われたもの、それがウソのように立派なアンサンブル(ライヴでも)この作品に必須な青春の胸の痛み、憧憬に溢れた快演でした。音質も良好。

DECCA UCCD5019Mahler 交響曲第1番ニ長調〜リッカルド・シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1995年)・・・2年ほど前に聴いて曰く、

英DECCAの明晰な録音は効果抜群!色彩豊かに鳴り渡るオーケストラ、朗々と歌心に充ちた”明るい”Mahler、当時42歳のシャイーが描くこれぞ新時代のMahler、21世紀当たり前の名曲として屈託なく、のびのびとした演奏を快く拝聴いたしました。怪しい情念とか、そんなものを感じさせぬ美しい演奏は、第1楽章「朝の野原を歩けば」のテーマに胸がキュッとして、馴染み過ぎた名曲を久々新鮮に受け止めました
その通り。情感がウェットに入れ込みすぎたり、神経質になったりせず、優秀なオーケストラを駆使してのびのびと歌って新時代を感じさせる美しい明朗さ。全体バランスが難しい最終楽章「Sturmisch bewegt(嵐のように運動して)」もバランスよく、前3楽章との違和感はありません。こういう演奏を聴いちゃうと、音質問題も含め太古演奏を聴くには、ちょいと腰が重くなるもの。

DG 435162-2 13CDMahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック/ウェストミンスター合唱団/クリスタ・ルートヴィヒ(ms)/バーバラ・ヘンドリックス(s)(1987年ライヴ)・・・

クリアかつ臨場感たっぷりな音質、迫力、熱気、あちこちニューヨーク・フィルの技量を云々したのがウソのような完成度、第1楽章のタメ、テンションの高さ、高揚、緊張感。第2楽章「Andante Moderato」は息抜きかと思ったら、その自在なテンポの揺れ動きは信じられぬほど、比類なき説得力!・・・こりゃフルトヴェングラーの世界でっせ、天才。汗水熱狂系なんて安易に書いてゴメンなさい・・・道を誤りそう、快楽感動イケナイ世界に〜こりゃいかん!
これは2年ほど前のコメント。ほぼ上記通り感動感銘に再会、音質は臨場感たっぷりにまちがいなし、でもびっくりするほどクリアとは違うかも。(上記に加え)

第3楽章「Scherzo: In ruhig fliesender Bewegung(静かに流れるような動きで)」冒頭のティンパニの衝撃(ズービン・メータ1975年録音の驚きを思い出しました)「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」のシニカルかつユーモラスな旋律リズムの説得力、第4楽章「原光(Urlicht)sehr feierlich, aber schlicht(きわめて荘重に、しかし素朴に)」クリスタ・ルートヴィヒによる「赤い小さな薔薇よ」は神々しい深淵、ここ迄前夜拝聴時間切れ。今朝から第5楽章「Im Tempo des Scherzos(スケルツォのテンポで、荒野を進むように)」へ。幻想交響曲でお馴染みグレゴリオ聖歌の「怒りの日」を引用した旋律の衝撃、展開部の繊細かつ緊張感高まるフルートとピッコロによる夜鶯以降は若き日、「復活」に目覚めたもっとも美しい、圧巻のクライマックスでした。

味付け濃すぎと云うかやり過ぎ、暑苦しい濃密な個性横溢に入り込めるか、聴き手の体調を選ぶ演奏でしょう。21世紀は新世代がクリアな表現を繰り広げて、そちらでMahlerに馴染んだという自覚もあります。しかし、本家本元伝道者バーンスタインの説得力は屈指のもの。感服いたしました。

Linn CKD452Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜ベンジャミン・ザンダー/フィルハーモニア管弦楽団/合唱団/ミア・パーション(s)/サラ・コノリー(ms)(2012年)〜録音がウリの”Linnレーベル”も我が家のエコノミーなオーディオ環境+NML拝聴ではその真価を理解できません。音像が自然で奥行きを感じる・・・程度(低音が弱いんじゃないか?)先日拝聴した微に入り細を穿つ情熱熱血バーンスタインが脳裏にあるのか、素直に悠揚としたテンポ(CDでは一枚に収まらない)さらさらと流れよく音楽は進んで、燃えるような情感の起伏を感じさせません。おとなしい、という表現が似合っているかも。終楽章「Finale: Im Tempo des Scherzos(スケルツォのテンポで、荒野を進むように)」に至って、ようやくアツい感興が感じられる壮絶な盛り上がりが・・・ここに焦点を当てたのかな?それでも全体に”弱い”といった印象有。Benjamin Zander(1939-)はようワカラン指揮者、というか熱血講演で有名みたいです。

 0090112BC Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ベルリン/合唱団/ハヨーショヴァ(s)/プリエフ(a)(1983年)・・・今月バーンスタインを聴いて心底感動した作品也。前世代であるOtmar Suitner(1922ー2010)のMahlerは、木目の質実を感じさせるオーケストラのマイルドな響き(録音も)作品の異形な大きさやヴィルトゥオーソや緊張感を過度に強調しない穏健バランス。今となっては、このオーケストラの機能性云々できるけれど、これは個性でしょう。テンポは揺れ動いて、浪漫的表現と思うけれど、ごくごく自然な流れは恣意性を感じさせません。声楽も充実して、シミジミ聴き惚れるべきウォーム・サウンドの連続に最終楽章のクライマックスに至る感動はMax!エエもん聴きました。

DG474 594-2 Mahler 交響曲第2番ニ短調「復活」〜ギルバート・キャプラン/ウィーン・フィル/ ウィーン楽友協会合唱団/ラトニア・ムーア(s)/ナージャ・ミヒャエル(ms)(2002年)・・・Gilbert Kaplan(1941ー2016)はシアワセな人生でしたよ。ド・シロウトには細部ワカランけど、スコアの校訂にも実績があった”「復活」専門指揮者”、いまや”ギルバート・キャプラン版”は標準、究極のアマチュア音楽家でしょう。とうとう天下のウィーン・フィルと録音!(手元にはいくつか他のオーケストラとライヴも音源有)細部ていねいに大切に描いてさすが、作品を熟知していることが理解できるもの。再聴して衝撃を受けたバーンスタインのように、指揮者の主義個性をたっぷり主張してオーケストラを統率する濃厚に非ず、極めてオーソドックス。どの楽章も過不足なく性格分けをして、終楽章クライマックスへ導いていくもの。カラヤン時代が懐かしい(そして評判はあまりよろしくない)アマチュア合唱団にも不足を感じませんでした。Mahlerファンとしてヴェリ・ベストの嗜好ではないにせよ、真摯な姿勢に打たれておりました。

LP時代のデザインMahler 交響曲第3番ニ長調〜エーリヒ・ラインスドルフ/ボストン交響楽団/シャーリー・ヴァーレット(ms)/ニュー・イングランド音楽院合唱団/ボストン少年合唱団(1966年)・・・大好きな作品も超長大だから、なかなか聴く機会を得ないもの。ボストン交響楽団、熱血ミュンシュ(1949ー1962長期政権)の後任として冷静なラインスドルフ(在任1962ー1969)は録音も含め、人気イマイチみたいですね。第1楽章「Kraftig. Entschieden. (力強く、決然と)」最初っから再びちゃんと聴きましたよ。アンサンブルは精緻を極め、テンポはゆったり目に決して急がない。煽ったり走ったり、熱血アツい激情とは無縁、常にバランス重視な”美しい”演奏であります。音質良好、洗練されたオーケストラの深い響きも魅惑でっせ。テンポの揺れは最低限、耳目を驚かせるような音量の対比強調もありません。Erich Leinsdorf(1912ー1993)はユダヤ系の人らしいけど、バーンスタインとは大違いでっせ。作品をして自ずと語らせる、飾りの少ない風情に、時に”もうちょっと”テンションを!求めたくなる場面もないでもない・・・のはなんせ長大な楽章ですから。(32:39)

第2楽章「Tempo di Menuetto. Sehr masig. Ja nicht eilen!(きわめて穏やかに )」こんな穏健静謐な場面ほど、オーケストラの品質が問われるところ。オーケストラの美しさ、緻密さ際立ちます。(9:52)第3楽章「Comodo. Scherzando. Ohne Hast.(コモド・スケルツァンド 急がずに) 」ここは静謐牧歌的なポストホルンと、キレのよろしいオーケストラの爽快な大爆発対比が素晴らしい成果。(16:13)第4楽章「Sehr langsam. Misterioso. Durchaus ppp.(きわめてゆるやかに、神秘的に 一貫してピアニッシシモで )」に於けるシャーリー・ヴァーレットは落ち着いてしっとりとした風情。(8:46)第5楽章「Lustig im Tempo und keck im Ausdruck.(快活なテンポで、大胆な表出で)は児童合唱が無垢な天使の歌声、ここは生真面目にしっかり構えたスケールにテンポも気持ち遅めでした。(4:29)

終楽章「Langsam. Ruhevoll. Empfunden.(ゆるやかに、安らぎに満ちて、感情を込めて)」万感胸に迫る人生の黄昏。個人的には映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」ラスト場面を連想・・・わっかるかなぁ、この話題。いつもはクールなラインスドルフも途中、情感が高まって走るところがあっても基本、淡麗な美しい風情継続。弦の洗練、金管の切れ味、ほんまに凄いオーケストラでっせ。(20:28)

NOVALIS 150-156-2Mahler 交響曲第4番ト長調(Erwin Stein(1885-1958)による室内楽編曲版)〜ハワード・グリフィス/ノーザン・シンフォニア/ダニエル・ヘルマン(ボーイ・ソプラノ)(1999年)・・・Howard Griffiths(1950ー)は英国のヴェテラン。4年ぶりの拝聴でした。先月だっけ?タッシェン・フィルによるBeethoven交響曲の室内楽版にはガッカリしたけれど、これは大成功でしょう。

Mahler 作品中、安寧親密な雰囲気、優しい風情にあふれる作品。その室内楽版(フルート、オーボエ、クラリネット、弦楽五重奏、ピアノ、ハルモニウム2名、打楽器)+清冽なボーイ・ソプラノによる演奏であります。「大地の歌」室内楽版は幾度拝聴してお気に入り、作品の先鋭さ、無常の本質(骨格)が剥き出しになったようなテイストを堪能したものです。こちら金管を編成に欠いて、ややテンポは速め、いつもの親密さはいっそう濃縮されたような優しさ。フクザツ大規模な管弦楽作品は小編成に整理されることにより、各パート各声部の美しい旋律が際立ちます。終楽章ボーイ・ソプラノ起用に賛否あるけれど(バーンスタイン1987年録音など)ここでは見事な調和に至って、この選択は必須であったと確信いたしました。(2014年8月「音楽日誌」)
この言葉に付け加えるものはほとんどなし、つまりここ4年ほどは音楽嗜好に変化ないということかも。原曲とは別もんの魅力に溢れて色彩にも不足はありません。さすがMahler直系の後継にあたる新ヴィーン楽派のワザ、本質の継承に納得。ボーイ・ソプラノは音程もしっかりして、その純真無垢な美声に心が洗われるよう。

SYMR 3/4Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ウィン・モリス/シンフォニカ・オブ・ロンドン(1977年)・・・Wyn Morris(1929ー2010)はウェールズ出身のちょいとマニアックな往年の名指揮者。Wikiによると全集を録音したとあるけれど、第3、6、7番は見掛けたことはありません。オーケストラは自身が主催したものらしくて、他数曲担当、けっこうよう鳴って上手いアンサンブル。やや遅めのテンポ、じっくり旋律を歌わせて、あわてない。うねうねといやらしい、怪しい風情がスケール大きく決まっております。熱血情熱入れ込み系に非ず、かといって剛力パワフルでも、21世紀爽快に流れ良い演奏でもない、終楽章「Rondo-Finale. Allegro giocoso(楽しげに)」辺り、あきらかにテンションが足りず停滞しております。一番人気第4楽章「Adagietto. Sehr langsam. (非常に遅く)」はエッチな感じがこの演奏スタイルに似合っておりました。音質良好。

UCCN-1081Mahler 交響曲第6番イ短調〜ジョン・バルビローリ/ベルリン・フィル(1966年ライヴ)・・・サイト内検索すると3年ほど前に一度聴いていてイマイチな印象だったもの。おそらく既に21世紀、機能的に優れたオーケストラ+現役世代ののびのびとした表現を多く聴いていたせいでしょう。この時期でモノラル、しかし音質はかなり良好。時代は未だ異形の大曲に対する構え、尋常じゃない緊張感、情感の迸(ほとばし)りに濃厚な表情、テンポは揺れ動きます。作品には慣れていなかったはずのベルリン・フィルの分厚い響きも指揮者との信頼関係を感じさせるもの。じっくりとした出足第1楽章「Allegro energico, ma non troppo(激しく、しかし腰のすわったテンポで)」から”重い”表現、但し全曲でCD一枚分に収まるのは繰り返しを実行していないから。緩徐楽章である「Andante moderato」を第2楽章に据え、こちらのほうが全体に据わりがよろしいと感じます。例の如し入念な細部描きこみ、粘着質な表現の揺れが決まって、陶酔のひととき。第3楽章「Scherzo(重々しく)」は、第1楽章の切迫感と雰囲気似ているんですよね、逆に終楽章「Finale, allegro moderato」の尋常ならざる「悲劇」との対比は緩徐楽章のあとのほうが映えるかも。渾身のハンマー、熱血表現+ラスト締め括りのティンパニの大見得も決まって、これは時代の証言やなぁ。

じつは大好きMahler中、一番拝聴機会が少ないと云うか、腰が引けるのがこの第6番。作品個性から”鼻歌でも歌うような・・・”ユルい表現はムリだし、半世紀前入れ込みバルビローリ表現は決まっていても、やはり味付けが濃いと感じたものです。

Pablo Gonzalez(1975-)Mahler 交響曲第6番イ短調〜パブロ・ゴンザレス/カタルーニャ国立バルセロナ交響楽団(2011年1月23日ライヴ)・・・7年ほど前ネットに音源出現して即入手、爾来お気に入りです。Pablo Gonzalez(1975-)は英国で教育を受けた西班牙注目の次世代、このオーケストラ在任は2010-2015年でした(現在は大野和士)。まず臨場感たっぷりな音質が良好なこと、オーケストラが絶好調に鳴り切っていることを特筆すべきでしょう。一世代前はMahler演奏って特別なイヴェントっぽかったけれど、21世紀には日常となって、世界各国オーケストラの技量は飛躍的に高まりました。ここでも大曲を朗々とスケール大きく、若手らしい熱気と迫力を以て爽やか、オーケストラの弱さは微塵も感じさせないもの。

第2楽章に「Andante moderato」緩徐楽章を配して、テンポはやや遅め、23:33ー15:59ー14:32ー29:38(楽章間+拍手含む)。先日聴いたバルビローリ(1966年ライヴ)はいかにも濃厚な表情+濃密なサウンドに揺れ動いていたけれど、こちら半世紀を経、80分を超える大作は一気呵成に快く進んで、怪しい作品風情よりのびのび健全とした歌が広がります。

これはLP時代のデザインSupraphon1410 2721/2Mahler 交響曲第7番ホ短調〜ヴァーツラフ・ノイマン/チェコ・フィル(1978-8年)・・・再録音途中で逝去したVaclav Neumann(1920ー1995)はゲヴァントハウス時代(1964-1968)からMahlerを得意としておりました。大柄な編成強調やらオーケストラの機能前面な表現に非ず、穏健滋味深い親密に溢れて、数多い全集中特異に暖かい個性が際立ちます。先日、テンシュテット1980年ライヴの入魂演奏に驚いたけれど、こちらおとなしいと云うか常識的と云うか、怪しさ少なめ、オーケストラはあまり上手いとは思わぬけれど、一種ローカルな味わいサウンドは好きでっせ。淡々とした第1楽章「Langsam (Adagio) ーAllegro risoluto, ma non troppo(ゆるやかに)」を経、この作品の白眉である第2-4楽章(「夜の歌」+「影のように」)粛々として薄味な流れもこの表現方法に似合って悪くないもの。前4楽章をすべて台無しにしかねない終楽章「Rondo-Finale. Allegro ordinario」ノーテンキな明るさも控えめ。近代オーケストレーション華やかな21世紀には似合わない・・・=人気ないかも。

BBC l42242 Mahler 交響曲第7番ホ短調〜クラウス・テンシュテット/ロンドン・フィル(1980年ライヴ)・・・Klaus Tennstedt(1926ー1998)愛煙家だった彼が癌に倒れたのは痛恨。晩年ロンドン・フィルと残した数多くの録音はどれも注目すべきもの、但しEMI録音はちょいといただけない・・・彼の悲痛なMahler(そんなイメージ)を久々に拝聴して、これはセッション録音と同時期のライヴ。音質は極めてクリア、第1楽章「Langsam (Adagio)ーAllegro risoluto, ma non troppo(ゆるやかに)」第5楽章「Rondo-Finale. Allegro ordinario」両端楽章が難物、妖しく生温く(テノールホルンの音色)、空虚に軽い・・・そんな作品イメージを持っておりました。それがテンシュテットの手に掛かると、千変万化する表現ニュアンス(例の如し)尋常ならざる悲痛なほどの集中力、主観的主情的な表現はバーンスタイン風?いえ粘着質じゃないんです。ライヴとは思えぬ(ライヴならでは感興有)アンサンブルのキレは、この時期ロンドン・フィルの絶好調を裏付けます。

第2楽章「Nachtmusik I. Allegro moderato(夜曲)」第3楽章「Scherzo. Schattenhaft(スケルツォ 影のように。流れるように、しかし早すぎず)」第4楽章「Nachtmusik II. Andante amoroso(夜曲)ここが「夜の歌」の由来であり白眉。Mahlerは楽器編成が大きく、実演に接するとよう理解できるけれど、あちこちのパートが分担してむしろ室内楽的に精緻な響きを作り出します。交響曲らしからぬ、夜の風情を纏って静謐に美しいモノローグであります。故・柴田南雄さんのFM放送のくぐもった声、それをもとにした著作を幾度読んでこの辺りの理解を深めた若き日々。

テンシュテットのライヴは、かつてこの作品が大好きであった記憶を呼び覚まして+余りある新しい魅力を示して下さいました。今朝、EMIのセッション録音を久々に確認しているけれど、ライヴのほうがずっと新鮮!鮮烈。

NCS-559Mahler 交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」〜朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団/ゲルハルト・ヒュッシュ(独唱・合唱指揮)/朝比奈千足、宇宿允人、桜井武雄(合唱主任)/大阪音楽大学/大阪メンズコーラス(第1混声合唱)/アサヒコーラス/グリーンエコー/アイヴィコーラス/関西歌劇団/コードリベットコール(第2混声合唱)/大阪・神戸・奈良放送児童合唱団/樋本 栄、岡田晴美、永井和子(s)/桂斗伎子、羽場喜代子(a)/伊藤富次郎(t)/三室 堯(br)/楯 了三(b)(1972年6月5ー6日大阪フェスティバルホール・ライヴ)・・・当時の大イヴェントの熱気は実演に接した方のリアルな描写が感動的。ほんまに千人以上集まって、舞台がきしんだというのも伝説でしょう。自分が社会人になって、FMエア・チェックしたのがバーンスタイン(1966年)、CDを最初に入手したのはジョージ・ショルティ(1971年)正直なところ、当初作品にまったく歯が立たなくて阿鼻叫喚混沌混迷の渦に巻き込まれたもの。やがて幾星霜、生体験も経、この作品はお気に入りとなりました。札幌オリンピックの年にこんな演奏会(3日連続)が実現したのも景気が良かったのでしょう。商売の街・大阪で多くの客を呼べたのも驚き(演奏者1,000人、聴衆3,000人とか)これは稀有、奇跡の記録であります。比較して申し訳ないけど、若杉弘/東京都交響楽団(1991年ライヴ)よりこちらのほうがずっとオモロい!

冒頭電子オルガンが安っぽい響きなのは予想通り(旧フェスティバル・ホールにはオルガンはありません)先月聴いたDisquesJeanJeanのBrucknerより更に前、オーケストラの緻密なアンサンブルやら高い技量云々なんて端っから期待してませんよ。(失礼)音質は鮮度的に時代相応、意外なほどの臨場感+阿鼻叫喚混沌混迷の渦に非ず、各パート見通しのよろしい響きに驚かされました。テンポは例の如し、じっくり噛み締めてやや遅め、悠揚迫らぬスケールにけっして煽って走らぬ盤石な歩み、自信を持ったフレージングはいつものBruckner同様でした。

第1部賛歌「来れ、創造主なる聖霊よ」は、声楽ソロが聴き慣れたイメージからやや違和感有、これは言葉の問題(発音?ラテン語なんて理解できぬけれど)でしょうか。大人数の統率、しかもライヴに悪戦苦闘は予想されたこと、各パートの音程の乱れやら個々の技量さておき、全身全霊で確信を以て力強く突き進んでいく様子はリアルな感興に溢れておりました。第2部ゲーテの「ファウスト 第二部」から最後の場(独逸語なんだそう)に至ると、演奏者のノリ、会場の熱気、聴き手(=ワシ)の入れ込みのせいか、アンサンブル云々は気にならず、音楽そのものに集中できるように・・・この長大なる「カンタータ」も幾度聴いて細部旋律はお馴染みとなりました。たしかに大曲に間違いなし、この記録はいつも以上に”大きさ”を実感させて、聴衆の拍手も熱狂的。日常聴きするにはあまりに一期一会的記録だけど、この作品はもとより”日常聴き”するような作品に非ず。

Mark Elder, 1947ー Mahler 交響曲第9番ニ長調〜マーク・エルダー/ハレ管弦楽団(2010年ライヴ)・・・マンチェスターにて2010年全曲演奏会があったそうで(BBCフィルと4人の指揮者で分担)これはおそらく放送用音源のネット流出を入手したもの。別途自主レーベルからCDになっているのは2014年).mp3/320kbps(全曲で1ファイル)はまずまずの圧縮率だけど、もともとの音質が音像遠いというかやや響き薄く、リアルな迫力に足りません。全曲で84分ほど、とくに遅いテンポとは感じませんでした。音質イメージやオーケストラの個性からか、諦観とか濃厚浪漫とかそんな表現方向ではない、英国のヴェテランMark Elder(1947ー)は伝統の穏健表現、第3楽章「Rondo, burleske, allegro assai, sehr trotzig(きわめて反抗的に)に至ってようやく荒々しいテンポの疾走に興が乗ってまいりました。終楽章「Adagio. Sehr langsam und noch zuruckhaltend(非常にゆっくりと、抑えて)すべてが浄化される安寧楽章に不満はありません。

ネットより入手音源Mahler 交響曲第9番ニ長調〜クリストフ・エッシェンバッハ/フィラデルフィア管弦楽団(2005年カーネギーホール・ライヴ)・・・数年前ネットより入手した音源。CDにはなっていないですよね。この時期、来日してこの演目を披露したようです。Christoph Eschenbach(1940ー)フィラデルフィア在任は2003-2008年でしたっけ、団員の支持も薄く、低迷期とされていてるのはほんまでっか。いくつかこの時期の音源を聴く限り、どれも充実して色彩的なサウンド、自在な統率表現に感心しておりました。(マルティノン時代のシカゴ交響楽団みたいなもの?)ここでも25年前の素っ気ないクール表現とは大違い!例の如し、たっぷり瑞々しいサウンドを大仰に歌って、テンポの揺れも盛大、濃〜い表現がぴたりとはまっておりました。かといってアンサンブルが粗かったりするわけじゃない。豊満に鳴りきって洗練され、緻密な集中力に文句なし。

30:50ー15:23ー12:13ー28:30だからテンポは遅めか。ハレ管弦楽団には申し訳ないけど、オーケストラの技量がケタ違い、各パートは滅茶苦茶上手い!(音質印象もあるのでしょう)どこをとっても美しい瞬間が待っているけれど、やはり白眉は終楽章「Adagio. Sehr langsam und noch zuruckhaltend(非常にゆっくりと、抑えて)」でしょう。自在にたっぷり豊かに歌ってオーラス、最弱音のデリカシーも特筆すべきもの。エエもん聴きました。残響豊かな音質も最高。

CLD4010Mahler カンタータ「嘆きの歌」(最終稿2部構成)/交響曲第10番 嬰ヘ長調「アダージョ」〜アンドラーシュ・リゲティ/ブダペスト交響楽団/ハンガリー放送合唱団/カラチン・センドレニ(s)/クララ・タカーチ(con)/デネーシュ・グヤーシュ(t)(1993年)・・・大好きMahler作品中、未だに細部旋律が身についたと言い難いもの。初期作品と最終作品を組み合わせた意欲的な録音でした。サイト内検索を掛けると3年前、9年前と二度コメント有。「嘆きの歌」は第1部「森の童話 Waldmarchen」削除、第2部「吟遊詩人 Der Spielmann」第3部「婚礼の出来事 Hochzeitsstuck」2部構成の「最終稿」、現在では初稿での録音がフツウとなってこれは珍しい存在でしょう。Andras Ligeti(1953-)は洪牙利の現役、NAXOSでは多く協奏曲の伴奏を担当しておりました。達者なアンサンブルを聴かせて下さるこのオーケストラは、ハンガリー放送交響楽団の録音時の別称とか、その辺りの事情は露西亜並みにわかりにくいもの。

初校よりかなりスッキリして、あちこち後年の甘美な旋律が垣間見えても”未整理”な印象が拭えません。声楽陣は朗々と充実して、音質も良好、もうちょっとで作品に手が届きそう・・・COOK版他加筆再構成を認めぬ指揮者は数多く存在して、交響曲第10番「アダージョ」のみ指揮者の本来残したもの、といった趣旨なのでしょう。24:22は中庸なテンポ設定か、怪しくも不安げな美しい旋律をていねいに、テンション高く表現しておりました。最終盤、不協和音による絶叫はいつ聴いても衝撃的。完成版を愛する自分としては、そのまま第2楽章「Schnelle Vierteln」躍動するスケルツォを心待ちにしてしまいます。

Mahler 交響曲第10番 嬰ヘ長調「アダージョ」〜ジョナサン・ノット/バンベルク交響楽団(2010年ライヴ)・・・この作品と「大地の歌」は全集にはなぜか含まれず、但し、演奏会では取り上げられておりました。ネットより入手音源は極めて鮮明な音質。もちろん音質問題もあるけれど、Jonathan Nott(1962-)の各パート、リアルな解像度が凄い!どのパートも考え抜かれ微妙なニュアンスに彩られ明晰に描き分けられ、馴染みの旋律は驚くほど新鮮かつ雄弁です。この辺りのワザは師匠ブーレーズ譲りかな?25:37は中庸なテンポか。

Mahler 交響曲第10番 嬰ヘ長調「Adagio」〜パーヴィ・ヤルヴィ/フランクフルト放送交響楽団(2008年)など拝聴。けっこうテンポを動かして、扇情的。

PHILIPS 15PC-192-93Mahler 交響曲第10番 嬰ヘ長調(クック版第3稿第1版)〜ウィン・モリス/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1973年)・・・LP時代からお気に入りでした。="mahlers10morris.htm" TARGET="_blank">別途コメントもしておりました。音楽とは出会いなんでしょう。クック版全曲演奏が未だ一般的ではなかった頃、これは旋律風情の怪しさ、まったりとした表現がなんと云えず濃密に美しいこと!第5番もうねうねとイヤらしく歌っていたけれど、こちらは作品そのものを世に広める使命を感じさせる入魂。半世紀ほど経った現在なら、もっとオーケストラの機能とかアンサンブルは整っても、この危うさは再現できないでしょう。第4楽章「Allegro Pesante」ラストの大太鼓一発はいつ聴いても衝撃!(ときどきそれを省略している演奏があってガッカリ)第5楽章「Finale」も「ニューヨークの殉職した消防士の葬列」は延々と続いて、大太鼓は絶望的に響きました。最高。

DG UCCG4174Mahler 交響曲「大地の歌」〜ジェームズ・レヴァイン/ベルリン・フィル/ジェシー・ノーマン(s)/ジークフリート・イェルザレム(t)(1992年)・・・最近話題のレヴァインでっせ。若い頃のRCA録音はほんまのびのびと明るく瑞々しい風情に好感を抱いて残念、第2番と第8番は録音なりませんでした。その後、ライヴ含めて全曲音源は入手できるようになって、いくつか再録音もあります。ミュンヘン・フィルとの第9番(1999年ライヴ)は妙にウソ寒かったような・・・大好きな「大地の歌」、ベルリン・フィルだったらヘルベルト・カラヤン(1972/3年)ジュリーニ(1984年)も良かったなぁ、色気ある分厚い響き。ところでこちらレヴァインは・・・

期待の分厚くも色気のあるベルリン・フィル・サウンドを堪能できません。やはり”ウソ寒い”感じ。自分の埒外である音質オーディオ問題か、肝心の歌い手はジークフリート・イェルザレム(Siegfried Jerusalem, 1940ー)はWagner歌いとして有名(ヘルデンテノール)当時40歳代端正な表現には納得。期待のジェシー・ノーマン(Jessye Norman, 1945ー)この人の知的に凄みのある声にどーも違和感がありました。これがBerg辺りだったら良いんだけど、冷たいと云うか冷酷と云うか。Mahler作品中筆頭に大好きな「大地の歌」、ラスト「告別」に至っても集中できません。

VOXBOX CDX2 5518Mahler 交響曲「大地の歌」〜ハンス・ロスバウト/バーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団/グレース・ホフマン(a)/ヘルムート・メルヒャート(t)(1957年)・・・(p)1995、昔馴染みのCDはNMLにも載っていないみたいだし、なぜか?【♪ KechiKechi Classics ♪】内での言及もほとんどしてありません。時代を勘案すると信じられぬほどのステレオ音質、但し、やや肌理が粗いのと歌い手が左に寄って分離を強調しすぎ、各パートの定位は不自然。先日”ウソ寒い”レヴァインにがっかりして、リベンジのつもり。こちら細部明晰を極めてクールなHans Rosbaud(1895ー1962)作品が”現代音楽”であった雰囲気満載な緊張感であります。歌い手は両者とも往年のWagner歌いでしたっけ、作品旋律に一種東洋の諦念を感じさせて、ちょいと昔風なのも逆に新鮮あります。先入観かも知れないけど、この時代が自分の刷り込みか(ブルーノ・ワルター辺りがリファレンス)21世紀若手の「上手い」演奏はどーもスムース過ぎて、物足りなくなく感じたものです。

Jonathan Nott, 1962-Mahler 交響曲「大地の歌」〜ジョナサン・ノット/バンベルク交響楽団/ヴァルトラウト・マイヤー(ms)/クラウス・フローリアン・フォークト(t)(2010年Kissinger Sommerライヴ)・・・その後二種出ているもの(男声ばかり)とは別のライヴ音源をネットから入手したもの。Waltraud Meier(1956ー)は圧巻の貫禄、大地の歌はWagner歌いが定番になっているのでしょうか。Klaus Florian Vogt(1970ー)も端正なテナー、若々しく生真面目です。例の如し、ジョナサン・ノットは明晰を極めた統率ぶり、半世紀前辺りカイルベルトの思い出からずいぶんと緻密なサウンドに変貌しております。後任の若きヤクブ・フルシャ(1981-)との相性はいかがでしょうか。たしか「わが祖国」の録音がありましたね。

Mahler 歌曲集「こどもの不思議な角笛」〜ウィン・モリス/ジャネット・ベーカー(ms)/ゲライント・エヴァンス(br)/ウィン・モリス/ロンドン・フィル(録音情報詳細不明)・・・ほとんど幻の名盤。Mahlerの指定はどうなっているんでしょうか。男声でお馴染みの「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」がジャネット・ベーカー担当になっておりました。演奏音質とも極上です。

(2018年5月1日)

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written by wabisuke hayashi